「いたずら書き」を超えたグラフィティー
前回は「Wash me!(洗ってよ!)」と題して、車に書かれた落書きのお話をいたしました。
泥だらけの車体に「洗ってよ」と指で書く、他愛もないいたずらのことです。
ペンキで書くわけではないので、洗えばすぐに消え去る落書き。でも、世の中には、ペンキで落書きをされて困った事例があふれていますよね。
壁や塀、扉やシャッターに誰かが文字を書いたり、絵を描いたりすることを「グラフィティー(graffiti)」と言いますね。(英語の発音は「グラフィーティー」といった感じで、「フィー」にアクセントが付きます)
こういったグラフィティーは街のあちこちで見受けられ、現代アートの立派な一分野ともなる勢いなのです。
サンフランシスコもグラフィティーの多い街ではありますが、二つに大別されると思うのです。ひとつは、単なる「いたずら書き」。もうひとつは、壁や塀の持ち主に許可を得て描いた「壁画(mural painting)」とも言える壁面芸術。
たとえば、こちらは「いたずら書き」に分類されるものでしょうか。
有名な観光地となっている「チャイナタウン(Chinatown)」。今は空き家となっている建物によじ登って描いたようです。
もしかすると、隣のビルから屋根をつたって降りて来たのかもしれませんが、いずれにしても、空き家の窓に打ち付けられた板が、大きなキャンバスになっています。
白いトラックの車体が、文字で埋め尽くされている例。たぶん、自分のニックネームを書き込んでいるのでしょう。
このような落書きは「タギング(tagging)」とも呼ばれます。タグ(tag)というのは、描いた人の名前のことで、「僕が書いたんだよ!」と自己主張をしているのでしょう。
こちらは、サンフランシスコのダウンタウンで見かけたグラフィティー。許可を得て描いたものだと思いますが、「落書き」と「壁画」の中間といった感じでしょうか。
文字が主体なのでそんな感じがするのですが、よく絵を見てみると、昔のラジカセ(ラジオカセットレコーダー)を肩に担ぐ男性がいたり、ピカピカのダイヤモンドの指輪があったりと、物質文明を描いているのでしょうか。歴史をたどる風俗史とも取れるし、社会への風刺とも取れるし、なかなか意味深ではあります。
いずれにしても、描き手のエネルギーが伝わってくるような、勢いのある「作品」ですね。
こちらは、チャイナタウンのビルに描かれたもの。立派に「壁画」の部類に入るでしょう。
女性と龍(dragon)が描かれていますが、ピンク色の龍が、とっても美しいです。お花も描かれていて、こんな龍だと、どこかで出会ってもあんまり怖くないですよね。
バス停の真ん前なので、バスを待ちながら鑑賞もできるのです。
チャイナタウンでは、壁画の題材としては龍がポピュラーなんですが、こちらにも龍が登場しています。
真ん中は、自由の女神(the Statue of Liberty)でしょうか。右側には、国鳥ハクトウワシ(bald eagle)も描かれていて、アメリカを象徴しているのでしょう。
よく見ると、自由の女神は右手に稲穂を持っていますし、胸元にはかわいい豚も描かれています。これは、中国の食文化を表しているのでしょうか。
「アメリカと中国の血と文化のブレンド。それが、今のチャイナタウンである」と、若手アーティストの主張が表れているようです。
龍と同じく中国らしいモティーフは、鳳凰(Chinese phoenix)でしょうか。
美しく着飾ったチャーミングな女性と色あざやかな鳳凰の羽根が、道ゆく人を釘づけにするのです。背景には、星条旗を掲げるチャイナタウンの建物も描かれていて、祖国ではなく、アメリカに住む中国系住民の心意気を表しているのでしょう。
そう、こういった壁画は、少し離れたところから鑑賞するのがいいですね(目の前を通り過ぎると、作品全体の壮大さに気づかないものなのです)。
チャイナタウンの北端は、コロンバス通りに面したイタリア街に接していて、この「ノースビーチ(North Beach)」とチャイナタウンは、お隣さん同士。
ですから、コロンバス通りとブロードウェイの角にあるこちらの建物には、チャイナタウンに面した側には中華街を表す絵が、ノースビーチに面した側にはイタリア街を表す絵が描かれています。
どちらも、祖国を旅立った移民が集まって来て、自分たちの街を新天地で築き上げた誇りや、賑わいのあった「古き良き時代」を象徴した図柄のようです。
近頃サンフランシスコでは、街のあちらこちらに壁画を描こうという試みが広がっていて、こういった作品は、コミュニティが厳選したアーティストによって描かれているようです。
昨年サンフランシスコ市には2580万人が訪れ、これまでの記録を塗り替えています。小さい街だけれど、それぞれの区域に特色のあるところ。街歩きで見かける壁画は、「ここは、こんな地区なんですよ」と、訪れる人に雰囲気を味わってもらう役割も果たしているのです。
ところで、グラフィティーに関しては、カリフォルニアでも賛否両論がありますね。
グラフィティーがあるコミュニティは、なんとなく治安が悪そうで、うらぶれて見える。しかも、グラフィティーを描く行為自体が、ティーンエージャーにとって模範にならない。そんな声をよく耳にします。
その一方で、グラフィティーはティーンたちの「心のはけ口」であって、もともと他にスポーツやアートを楽しめる場所があったら、グラフィティーに走ることはないんじゃないか。それに、中には素晴らしい「作品」もあることだし、全否定するのはよくない、という声も耳にします。
わたし自身も「心のはけ口」説には賛成です。
たとえば、こちらは、描き手の「叫び」がひしひしと伝わってくるのです。
「RIP」というのは、Rest In Peace のことで、「心安らかに眠りたまえ」ということ。トミーという友を亡くして、悲しみを抑えられないティーンが描いたのでしょう(サンノゼ市でちょっとした話題になりましたが、作者は不明のままだったようです)。
けれども、だからと言って、許可なく誰かの家やお店に落書きをするのは、決して許される行為ではありません。
そんなわけで、なかなか悩ましい現象ですが、ひとつの解決策として、こんな例がありました。
以前、ドイツの放送局が紹介していた実例で、こんな取り組みだったと記憶しています。
ドイツの田舎に焼き物で有名な街があって、人口の少ない静かな街であるにもかかわらず、都会と同じく若者のグラフィティーに悩まされていました。
そこで、これまでグラフィティーに覆われていた長い壁に、ポーセリンにほどこすような模様を描くことにしたのです。赤やピンクの花や、みずみずしい緑の葉っぱ。誰が見ても、ふと足を止めてしまいたくなるような、かわいらしい図柄を壁面に描いたのです。
すると、さすがに美しい模様の上から落書きすることはためらわれたのか、街を悩ませていたグラフィティーはすっかり影を潜めたのでした。
そう、何も描かれていない長い塀や、単に白やベージュに塗られただけのビルの壁と、つまらない大きなスペースがキャンバスとなってしまうのです。そのキャンバスに植物や風景と「先客の作品」が描かれていれば、誰もそこにグラフィティーを描き加えようとは思わないのかもしれませんね。
というわけで、現代社会では避けて通れないグラフィティーの数々。
今は営業時間外なので、板塀で囲ってある靴磨き屋さん(shoeshiner)のストール。
ともすると、目ざわりな街の物体となってしまうところを、「ちゃんとしたお店ですよ」と絵で伝えているのです。靴を履く習慣を持つ人なら、世界じゅうどこから来ても、誰でもわかるような図柄ですよね。
まさに、絵は言葉を超える。自前のグラフィティーは、情報を簡潔に伝える「ピクトグラフ(pictograph)」にもなり得るのです。