「カリフォルニアの旗」誕生の地、ソノマ
一年ほど前、カリフォルニア州の旗についてお話ししたことがありました。
「熊さん」と「一つ星」が図柄となっているもので、もともとは「カリフォルニア共和国(California Republic)」の旗だったというお話でした。
そう、カリフォルニア共和国とは、カリフォルニアがメキシコの領土だった時代(1846年)、33人のアメリカ人がメキシコに対して無血革命を起こし、「ここはカリフォルニア共和国である!」と宣言したことをさしています。
このときに掲げたのが、熊と星をモチーフとした共和国の「熊の旗(the Bear Flag)」。
(写真は、ソノマの広場にある「熊の旗」記念碑)
けれども、共和国の命は、わずか25日。
カリフォルニアには、メキシコと戦争を始めたアメリカ軍が迫っていて、カリフォルニア共和国の旗は、すぐにアメリカの星条旗に取って代わられるのです。
というわけで、この無血革命「熊の旗の革命(the Bear Flag Revolt)」の舞台となったのが、ソノマ(Sonoma)という街です。
サンフランシスコからゴールデンゲート橋を渡って、北に40分ほど行ったところで、ナパバレー(Napa Valley)と並び称される「ワインの名産地」ですね。
ナパの谷間(ナパバレー)の西に位置する、ソノマの谷間(ソノマバレー、Sonoma Valley)にあって、ともにワイン用のぶどう栽培に適した気候と土壌に恵まれます。
ナパバレーには州幹線道路29号線(State Route 29)が、ソノマバレーには12号線(SR 12、写真)が南北に走り、周辺のぶどう畑やワイナリーを結ぶ主要道路となっています。
この二本の道路沿いには、何百という名だたるワイナリーがずらっと並び、ワイン好きにはたまらない風景が楽しめるのです。
ソノマバレーの南端にあるソノマの街(City of Sonoma)は、こぢんまりとした歴史的なたたずまいの街並みです。
街の真ん中には大きな広場と市役所(写真)があって、まわりをオシャレな店やかわいい住宅が取り囲んでいる感じです。
実は、広場が真ん中にある街のつくりは、メキシコにまねているのですね。
だって、街をつくったのは、スペインから独立を果たしたばかりのメキシコだったのですから!
先日のエッセイ「モントレーのおみやげ話」では、スペイン人がカリフォルニアを領土とする上で、プレシディオ(Presidio、要塞)とミッション(Mission、カトリック教会)を各地に築いたお話をいたしましたが、ここソノマの地にも、ミッションが置かれました。
カリフォルニア全土に21箇所あるミッションの中で、一番北に位置し、一番新しくつくられた教会(Mission San Francisco Solano)で、このミッションが建てられた頃(1823年)には、メキシコはスペインの統治をはずれ、独立国となっていました。
が、いまだカリフォルニアはメキシコの統治下にあり、この統治政策の一環として、ソノマにもミッションがつくられ、その後、メキシコ軍も駐屯するようになりました。
この頃は、イギリスとフランスがカリフォルニアに目をつけ、ロシアも迫って来る勢いでしたから、うかうかとしてはいられなかったのです。
ソノマは、メキシコにとってはカリフォルニア開拓の北部前線基地だったので、街並みも自然とメキシコ風になったというわけですね。
そんな歴史がありますので、街の観光名所は、まずはミッション。
ミッションは、先住民族をキリスト教化するために建てられたものですが、周辺のミウォック(Miwok)、ポモ(Pomo)、パトウィン(Patwin)、ワポ(Wappo)の部族の方々がここに住むようになり、農業や酪農に従事していました。
このように、ミッションは、教会だけではなくて、プエブロ(スペイン語で「村」の意味の集落)の機能を備えたものが一般的で、全盛期には1000人の先住民族がここに暮らし、敷地は4000ヘクタールにまでふくれあがったそうです。
ミッションのチャペル(1840年に再建)は内部見学できますが、「え、ここがアメリカ?」と不思議に感じるくらいに、メキシコ色の強い装飾が施されています。
しかも、昔のままの素朴さを残していて、19世紀にタイムスリップした錯覚にも落ち入るのです。
チャペルに隣接するパドレ(神父さん)の滞在施設(Padres’ Quarters)も、灰色の修道服のパドレたちが長い廊下を行き来するのが目に浮かぶようです。
ミッションを築いたフランシスコ会(カトリックの修道会)のパドレたちは、頭のてっぺんを剃髪(ていはつ)し、身に着けるものも、ごく質素なのが特徴でした。
そして、ミッションの隣にあるのは、メキシコ軍の兵舎(Sonoma Barracks)。ソノマの前線基地に詰める兵士たちが住んでいました。
薄暗い兵舎の中は、昔のとおりに再現されていて、簡素なベッドからは今にも兵隊さんがガバッと起き上がりそうなリアル感があります。
ベッドの頭上には、カトリック教徒らしく十字架にかけられたイエス・キリスト像が飾られる一方、壁にはいかめしくライフル銃も立てかけてあります。
そう、夜中にお呼びがかかっても、暗がりでライフルが手に取れるように、ベッドのすぐ脇に立てかけてあるのですね。
そんな暮らしぶりに触れると、今の兵隊さんの生活とあまり変わらないのでは? と想像してみるのです(まあ、今の兵隊さんは、兵舎の中ではライフルの弾を抜くなど、銃に関しては厳しい規則に縛られているようですが、質素な暮らしという点では似ていることでしょう)。
それでも一歩外に出ると、建物は古風な木造りだったり、中庭には漆喰(しっくい)でできた調理用の焚き火台があったりして、それなりに時代の流れを感じさせるのです。
そして、ソノマのもうひとつの観光名所は、メキシコ軍マリアノ・ヴァレホ総司令官(General Mariano Vallejo)の邸宅。
実は、このヴァレホ総司令官こそが、「熊の旗の革命」で33人のアメリカ人に蹂躙(じゅうりん)されたお方なのです。
そう、抵抗することもなく、誰も血を流さずに済んだから、無血革命。
この方はメキシコ軍の総司令官ではありますが、サンノゼの南に位置するモントレーで生まれました。当時はスペインの統治下にあり、国籍はスペインですが、生粋のカリフォルニア生まれ(a native Californian)なのですね!
もともとはサンフランシスコのプレシディオ(ゴールデンゲート橋の足下にある)を守る司令官でしたが、ソノマに赴くよう指示があり、兵士を連れてこの地に引っ越して来ました。
その条件として総督にいただいたのが、ミッション近くにある邸宅の敷地と、周辺に広がる広大な農場。
1841年に建てられた邸宅は、敷地が80ヘクタールもあって、邸宅やゲストハウス、大きな池がゆったりと置かれる一方、ワイン用のぶどうも栽培していました。ナパバレーに先駆けて、ワインづくりも手がけていらっしゃったのですね。
現在、ヴァレホ邸の説明員が待機する建物(写真)は、家畜小屋ではなく、ぶどうなど収穫物の保管庫だったもの。
「ここの木材は、わざわざ東海岸のマサチューセッツ州から運ばれて来たんだよ」と、説明員の方は力説されます。
なんでも、当時はカリフォルニアに製材機がなかったので、遠く東海岸から船で建材を運んでいたとか。まだ大陸横断鉄道もパナマ運河もありませんので、南アメリカの先端、ホーン岬(Cape Horn)をグルッと廻ってやって来たんですね!
そこまで苦労して建てた邸宅は、ごくヨーロッパ調。
居間にはピアノやハープが置かれ、団らんのひととき、子供たちと楽器の演奏に興じていらっしゃったのでしょうか。
そもそも、ソノマの広場から離れて家を建てたのは、子供たちのためなんですね。広場のまわりには酒場がたくさんあって、教育上よろしくない。だから、街の中心から離れた場所で子供たちを育てようと考えた。
ヴァレホさんと奥方フランシスカさんは16人の子供に恵まれましたが、大人に成長したのは10人。4人いる息子のひとりはお医者さんになり、6人の娘のうち二人はお父さんと一緒に住まわれていたとか(写真は、娘と孫娘に囲まれるヴァレホさん)。
娘さんのひとりは1940年までここに住んでいらっしゃったそうなので、建築から丸100年、この邸宅はヴァレホ家の方々を見守り続けたのでした。
ヴァレホさんは軍人でありながら、ソノマの街を築き、ワインづくりや酪農を奨励し、初代の州上院議員として、州憲法の起草にも尽力しました。
写真で拝見すると、実に温和な方に見受けるのですが、そんな偉人を、地元の方々はとても誇りに思っていらっしゃるようですね。
こぼれ話: 「ヴァレホさん」という表記は英語風のもので、もともとのスペイン語風には、「バイェホ」というのが正しいですね(いずれも、第二音節の「レ」「イェ」にアクセントがあります)。
上にも出てきたように、この方は生粋のカリフォルニア生まれなので、カリフォルニアはメキシコから離れるべきとの考えをお持ちだったようです。
1848年、アメリカがメキシコとの戦争に勝利し、2年後にカリフォルニアは「州」となるのですが、ヴァレホさんはアメリカ国籍の州上院議員となって、州づくりに参画するのです。
彼はサンノゼに置かれた州都を他に遷(うつ)すことを提案し、1851年、新しい州都は彼の名を取って「ヴァレホ(Vallejo)」と名づけられました(サンフランシスコから湾をへだてた北東の街)。
結局、州都はすぐに他に遷されるのですが、ヴァレホさんが所有していた近くの農場には、今も「ペタルマ農場アドビ(Rancho Petaluma Adobe)」というレンガ造りの建物が残り、国と州の歴史的建造物に指定されています。
スペインとアメリカ東海岸の建築様式が混ざる「モントレー・コロニアル様式」の代表例だそうです。
それから、ソノマのミッションの正式名称 Mission San Francisco Solano ですが、最後のソラノ(Solano)という部分は、ソノマの昔の名称だということです。
イタリアのアッシジに生まれたフランシスコ会にふさわしく、「ソラノの聖フランシスコ教会」という名前ですね。