お気に入りのおじさん
それは、「人々を喜ばせる歓喜の谷」。英語では、the Valley of Heart’s Delight。
東と西に連なるふたつの山脈に囲まれた谷間は、まさに豊穣の地。さくらんぼやプルーン、いちごやアプリコットの果樹園が広がり、あでやかな春の花や、たわわに実る色とりどりの果実に、人々の心は自然と浮かれ立つ。
そんなところから生まれた、とっても詩的なニックネームなのですね。
時代は変わり、今は果樹園の代わりに、ハイテク会社や住宅街が広がります。
ついこの前まで果樹園や畑だったのに、いつの間にか、家がたくさん建っている。そんなこともよくある話なのです。
我が家の近くのこの辺りも、ワインを造るぶどう畑が広がっていたのに、気が付くと、住宅街の目抜き通りになっていました。
街の景観が変わるにつれ、人の流れも変わります。
シリコンバレーが開拓された頃には、ヨーロッパ系の白人や、日系や中国系のアジア人が多かったものですが、今では、ラテン系やインド系やベトナム系など、さまざまな人たちの集まる場所となってきました。
なにせ、シリコンバレー最大のサンノゼ市は、英語とスペイン語とベトナム語を公用語としているのですから。
そんな人の流れって、肌で感じるものなのですね。
たとえば、サービス業の人たち。今となっては、エアコンやテレビが壊れたからって、やって来るサービスマンは、圧倒的にラテン系の人が多いんですね。
でも、そんなシリコンバレーでも、昔っからサービス業を営んでいる人って、白人の人が多いんですよ。
とっても早口のべらんめえ調のおじさんで、「ピアノは一年に一回必ず調律する!」をモットーとしています。毎年やっていれば、いつも調子いい音を奏でてくれる、それが理由です。
最初に会ったときは、怒られたものでした。仕事が忙しくって、何年もほったらかしにしていたから。その頃は、ピアノにすら触っていなかったんです。楽器って、ある程度心に余裕がないと、うまく奏でられないものでしょう。
開口一番、おじさんからは大目玉。「Yuck !(ウワッ、ひどい!) なんでこんなになるまでほっといたんだ?」
こんなにひどいんじゃ時間がかかるよと、たっぷり2時間以上かけて調律してくれました。
もうそれからは、おじさんが恐いばっかりに、一年たつと、来てちょうだいと電話をするようになりました。
今年は、「予定より2ヶ月遅れだけど、ま、いいだろう」と、チクっと言われましたけど。
でも、こんな恐そうなおじさんだけれど、わたしはかなり気に入っているんです。どうしてって、このおじさんの皮肉がおもしろいのです。あと何年かたったら、おじさんの皮肉語録集ができるくらい。
一年目は、こんな話をしていました。題して、『シリコンバレーのお金持ちとピアノ』。
1990年代後半のインターネットバブルの頃は、シリコンバレーにもお金持ちがたくさん生まれました。だから、その頃は、おじさんの商売も繁盛したでしょうと尋ねると、「いや、ダメだね」と、つれないひとこと。
シリコンバレーの人間は、お金ができると、すぐにでっかい家や、高い車を買い始める。ピアノを買ったって、古くなればすぐにポイして、新しいのに買い換える。ピアノの調律なんかしないんだよ。
そこが、東海岸と違うところさ。東では、おばあちゃんから貰ったピアノをとっても大事にするし、ちゃんと手入れもする。そんな何代も受け継がれたスタインウェイが、あっちにはたくさんあるんだ。
この辺のぽっと出のヤツの金は、しょせん、「quick money(あぶく銭)」なんだよ。東海岸の「old money(代々の金持ち)」とは違うのさ。
なるほど、そういえば、この辺の家のピアノって、ただの飾りになっている場合が多いかもしれません。
二年目は、以前、ここでも書きましたが、向かいの丘の邸宅のお話。
インド系の若い夫婦が、ふたり目の子供ができたからって、もともと大きな家を建て増しして、2倍の大きさにしてしまったんです。
そのお話をおじさんにしたら、こう仰せになりました。
「ふっ、そんなに広かったら、家の中で子供を捜すのに、2週間かかっちまうよ。」
(ライフ in カリフォルニア『住宅地が狙われている』の追記部分に掲載)
三年目は、残念ながら、別の方がいらっしゃっていたので、雑談をする時間がありませんでした。
そして、今年。まず会った途端に来ましたよ、このひとこと。
自分からさっさと靴を脱いで家に入ってくれたのに、「ふん、この方が、カーペットの掃除屋を呼ぶよりも安いやね。」
お〜、今年も全開だ!と思っていると、今回は新たな発見をしてしまいました。
このおじさん、なんと、ハンティング(狩り)が好きなんだそうです。
この間、州都サクラメントのずっと北に、キジ(pheasant)を撃ちに行ったとのこと。
そして、シリコンバレーでも、サンフランシスコ湾沿いに狩りができる場所があって、よく鴨(duck)を撃ちに行くんだそうな。銃を持つ人だけが知っている穴場?
なんでよりによって、ハンティングなんかをするのかと思えば、全部お腹に入れるためだそうです。「いやあ、野生の鳥は、味が違うよ。においが強いからねぇ。」
この前、感謝祭だったこともあり、ワイルドターキー(野生の七面鳥)を食べたことあるかと聞いてみると、こういうご返答でした。
「僕はないけど、友達が捕って来たことがあったよ。もともと脂肪が少ないから肉がパサパサしてるんだけど、大きな鍋で丸揚げにしたら、うまかったらしいよ。この辺にもワイルドターキー多いんだろ?」
う、ピアノの調律にハンティング、なんかちぐはぐ、と違和感を持ちながらも、無駄な殺生でなければ許してあげましょう、とこっそり思ったのでした。
ところで、今回は、意外なこともわかりました。このおじさんの苗字、典型的な英語の名前なので、てっきりアメリカ人だと思ったのですが、アメリカ生まれではなかったんですね。
なんでも、お父さんと自分はカナダ生まれで、お母さんはニュージーランドからカナダにやって来た人だそうな。
おじさんはこう言います。
「We’re all foreigners(僕たちはみんな外国人なんだよ)」
やっぱり、ここは、シリコンバレーなんだ!
追記:このおじさんって、まったくパソコンは使わないそうです。そんなのは嫌いだとか。
でも、今年は、新兵器「チューニングマシーン」の登場です。
自分は高い音は聞き取り難いので、この機械を使うと、ばっちり調律ができるのだということでした。
おじさんだって、立派なシリコンバレーの住人ですよ!
ちなみに、シリコンバレーのエンジニアや科学者の半分以上は、外国生まれだそうです。おもに、インド、中国、台湾からやって来た人たちです。
そういうところが、シアトルやボストン近郊などのハイテク地域と大きく違うところですね。こういった場所では、アメリカ生まれの白人やヨーロッパからの白系移民が多数派を占めているようです。