この如月:世界に広がる不安
Vol. 233
今月は、この話題です。
<対策のマニュアル化>
なんといっても、今の最大の関心事は新型コロナウイルス(the novel coronavirus)でしょうか。「COVID-19」とカッコよく名づけられていますが、ウイルスは目に見えないし、どこでどうやってヒトからヒトにうつったのかもわかない、しかも感染は世界じゅうに急速に広がっているという、人類の手強い敵です。
日本は発生国・中国に地理的に近いので、当然のことながらアメリカよりも感染が進み、日常生活への影響が大きいです。状況は刻々と変化する中、さまざまな報道に接してみて痛感するのは、政府による対応の違いでしょうか。
日本ではウイルス検査の徹底など対策が後手に回った一方、突如として全国の小中高を春休みまで休校とするなど、まるで「思いつき」ともとれる政府の対応です。学校の閉鎖は米株式市場にも多大な影響を与えていますが、とくに印象に残ったのは、初動の対策の違いでしょうか。
中国でコロナウイルスの感染が拡大する中、アメリカも、日本とほぼ同時期の1月末から米国民をチャーター機で武漢から「救出」し、乗る前と経由地のアラスカでウイルス検査や健康チェックを行ったあと、カリフォルニアとテキサスの空軍基地に全員を運び14日間の隔離を行なっています。
どうやら当初は、搭乗者は72時間しか隔離されないと言われていたところ、アラスカに到着すると、さらに軍の施設で14日間隔離されると告げられ、落胆した方も多かったようです。
と、ここまでは日本と同じ状況ですが、違ったのは隔離生活。プライバシーの観点から詳しくは報道されていませんが、中には自ら情報発信をする方もいらっしゃって、毎日体温チェックは欠かさぬようにと命じられていたものの、部屋から外に出ることを許されていた、とのこと。また、各個室も毎日防護服を着た担当者が掃除してくれていたし、あまり不便さは感じない、ということでした。
この方は、シリコンバレー・パロアルトにお住いの女性で、娘ひとりと中国旅行をした際に騒ぎに巻き込まれ、夫ともうひとりの娘を自宅に残したまま隔離生活を余儀なくされています。けれども、表情はまったく明るいもので、「助け出してくれたアメリカ政府に深く感謝しているわ(I’m grateful to the US government)」と、自撮りの映像では満面の笑み。
中国や日本のクルーズ船からのチャーター便が続く中、サンフランシスコの北東約70キロにあるトラヴィス空軍基地では、敷地内のホテルでの隔離がルーティン化され、帰還者はここか、テキサス州の空軍基地で14日間過ごすことになりました。加えて国防総省は、全米10箇所以上の基地施設を隔離のために準備しています。
武漢から戻ったある男性は、14日間の隔離が終わり、自宅に戻ろうと国内便に乗り込む前にテレビインタビューを受けていましたが、彼は快活にこんなことを言っています。
「CDC(アメリカ疾病予防管理センター)は、隔離生活をとても過ごしやすく(hospitable)してくれて、まったく隔離だと感じないほどに快適だったよ」と。
いえ、一般市民としては、どうして隔離生活が耐え難いものになったり、逆に快適なものになったりするのかはわかりません。
けれども想像できることは、さまざまな感染症(infectious diseases)や慢性疾患(chronic diseases)といった疾病対策の専門集団であるCDCは、未知の感染症への対処も徹底的にマニュアル化していて、感染症発生の際には、軍の施設を隔離施設に指定するなど、政府や各省庁と協力してマニュアル通りに事を進めていくだけ、といった段取りが明確になっているのでしょう。
たとえば、隔離施設となったトラヴィス空軍基地のホテルをとらえた航空映像では、敷地内に「ServPro(サーヴプロ)」のトラックが2台停まっている光景が映し出されました。この会社は、住宅やオフィスの水漏れや火災といった災害の後始末を専門に行いますが、近頃は事業を拡大して、病原体によるバイオハザード(生物災害)の処理も行なっているようです。
実は、我が家も水漏れの際に、保険会社から紹介されて ServProにお世話になったことがありますが、水害への対処方法も従業員の段取りも顧客との連絡網もすべてがきっちりと整備されていて、まさに「災害復旧のプロ」といった印象を持ちました。
こういった専門会社がバイオハザードの後処理を請け負っているので、隔離者の部屋も毎日きれいにお掃除してくれていたのではないかと想像するのです。
日本では、武漢からのチャーター便で帰還した方々を、一時的に千葉県のホテルに収容していました。これは、事前に対策が講じられていない中、まさに民間のホテルのご厚意があったからこそ可能だった措置です。
このホテルは現在、3月1日の営業再開に向けて施設内の消毒を徹底されているそうですが、風評被害で今後の営業に差し障りのないことを願うのです。
<病院の検査体制>
海外にいると、日本とやり方が違うと痛感することも多いです。その最たるものが、医療現場かもしれません。
先日の土曜日、病院に血液検査をしに行きました。これは、術後に診てもらった眼科医に「一年に一回くらいは血液検査をした方がいいわよ」と勧められたからですが、さっそく、その旨を内科の主治医にメール。
彼の返事はいつも決まって「元気にやってるかい。血液検査をオーダーしといたからね(I hope you are doing well. I ordered your blood tests)」と、いたって簡素なもの。
病院システム内の施設だったら、どこの病院の検査室(laboratory)に行っても構わないので、主治医のいる病院からは離れた、自宅近くの病院を選びます。
ここはちょっと大きな総合病院で利用者も多く、土曜日も3時までは血液検査をしています。3時ギリギリに行くと、さすがに待合室はいつもより空いていて、みなさんコロナウイルスが怖いのか、互いに1メートル以上は離れて座っています。通常は10人ほどいる採血担当者は、土曜の午後ともなると2人だけ。ちょっと待ったされたものの、ベテランの担当者で、針の痛みも感じないくらいでした。
いつもは、採血日の夕方になると、完了した検査項目ごとに結果が舞い込んでくるのですが、さすがに土曜の夕刻は検査員がお休みだったのでしょう。それでも、翌日の日曜日になると、「結果が出たので自分のアカウントで確認してください」と順次メールが届きます。
まあ、検査内容はコレステロール値やヘモグロビンA1Cと一般的なもので、遺伝子検査のように時間がかかるものではありません。が、中にはC型肝炎の抗体検査などもあったので、検査に着手して数時間で結果を教えてもらえるのは迅速なものだと感心するのです。
しかも、病院のウェブサイト上の自分のアカウントでは、過去数年の検査値の推移グラフも出てくるので、自分の健康状態が認識しやすくて便利です。
結果が出揃った月曜日、主治医からは簡素なメールが届きます。「検査は良かったよ、ノーマルだったよ。元気でね(Your labs look good. Your labs were normal. Warm regards)」
要点のみですが、彼が見て良いと判断したのですから、それ以上付け加えることなどありません。(いえ、実際はこのあと「A型肝炎やB型肝炎の検査はしないの?」と質問したところ、「A型とB型の検査は一般的にはやらないものだ」と、これも簡素な返事がありました。)
日頃、この主治医の口グセは、「とくに冬場は、病気がうつるから病院に来ないように」というもの。わたし自身は体のあちこちを8回手術していますが、基本的には健康体。主治医もそれを心得ていて、何かしら薬が必要となると、メールでやりとりして、主治医が病院システム内の調剤薬局(pharmacy)に処方箋を送り、あとで薬を取りに行く、という流れで済ましています。リフィル(再診の必要がない繰り返しの調剤)は、オンラインで注文して、自宅に郵送してもらうことも可能です。そんなわけで、もう何年も彼に会っていません。
以前、明け方に心房細動が起きて、14日間心臓モニター(Zioパッチ)を取り付けて心電図をとったというお話をご紹介しました。が、この時の診断も、電話で済みました。
事前に主治医が心臓の専門医(cardiologist)に心電図を見てもらって、「心配するような症状ではない」とお墨付きをいただいた、とのこと。「電話診断(telephone appointment)」は初めての経験でしたが、わざわざ離れた病院にいる主治医に会いに行って、面と向かって聞く内容でもなかったと割り切っています。
もしも緊急に治療が必要なことだったら、主治医がそう言うだろうし、彼が「心配ない」と判断したのだったら、もっと深刻な症状を持つ患者さんの相手をすべきだと思うのです。
我が家が利用する病院システムは、医療保険と総合病院システムが合体した非営利団体(non-profit organization)の形態になっています。メンバーが保険料を払い込んで、病院システム全体をまかない、余剰金があったら翌年度にまわす、という制度です。
もともとは、アップル本社で有名なシリコンバレー・クーパティーノ市にあるセメント工場の労働者のために建てられた医務室から発展し、今ではカリフォルニア全土を超えて、遠くハワイやジョージアなど8州で病院を経営しています。
本社機構の置かれる北カリフォルニアでは、とくにメンバーが多いので、病院はいつも患者でいっぱい。そんなわけで、近頃は、メンバーを病気にさせない予防医学(preventive medicine)と、無駄を省くオンライン化に力を入れています。
たとえば、各種予防接種や血液検査、乳がんを見つけ出すマンモグラフィーや検便による大腸がん検査などは病院システム内で行い、無料で提供されています。前述の14日間の心臓モニターも、外部の専門会社の機器とノウハウを利用するものですが、無料でした。
そして、オンライン化の一環として、定期検診の予約など緊急性のないものはメンバーがオンラインで行いますし、一度診てくれた専門医や主治医とはメールで直接やりとりできます。また、わざわざ顔を合わす必要もない場合には、お医者さんとの電話やビデオ会話を推奨しています。
ちなみに、上述の心臓モニター後の電話診断も、診察室で主治医に会ったわけではないので、無料でした。電話やメールはお医者さんと顔を合わさないので、原則として無料提供となっています。
この病院の形態はアメリカでも特殊なもので、必ずしも他の病院で展開できるものではないかもしれません。けれども、合理的に制度を構築すれば、こんなこともできるんだよ、という一例ではあると思います。
2月中旬、ワイン産地で有名なナパ郡で初めての新型コロナウイルス感染者が出ました。このとき、ナパ郡の健康管理責任者である医師は、「この方は日本から戻って感染が確認されましたが、日本のウイルス検査制度が信用できないので、こちらで検査をしてみたら陽性反応でした」と発言しています。
それを聞いて、「隔離病床が2つしかないような田舎の医師に日本は好き勝手言われている!」とムッとしましたが、ウイルス検査が厳しく制限される日本の現状を照らし合わせると、ムッとしている場合ではないのかもしれません。
そして、2月26日、アメリカで初めて感染経路の不明な症例が確認されました。カリフォルニア州都サクラメント近く、カリフォルニア大学デイヴィス校の大学病院に入院する女性患者で、4日間入院した地元の病院から容体の悪化で転院した際、中国からの帰還者でも濃厚接触者でもないと CDCからウイルス検査を拒否され、再三再四要請して5日目にようやく検査に踏み切り、確認に至ったとのこと。
彼女の地元には、帰還者を隔離するトラヴィス空軍基地があり、現在、州を挙げて感染経路と彼女との濃厚接触者の判明に努めています。さらには、8400人以上の海外からの渡航者を経過観察していることもニューサム州知事が表明しています。(Photo by Justin Sullivan / Getty)
感染が広まる深刻な状況下、一般市民としては、疾病対策のマニュアルや国の音頭取りにほころびが出ないようにと願いつつ、今後の展開を注視していくしかありません。
夏来 潤(なつき じゅん)