さくらんぼの花を求めて
少し前のことになりますが、3月の終わり、ちょっとしたドライブをいたしました。
その一週間前、観光地モントレー近くのゴルフ場で遊んだ連れ合いが、行く途中に真っ白い花の群れを見つけたから、どうしてもわたしに見せたいと言うのです。
そう、シリコンバレーの幹線道路、フリーウェイ101号線を南下すると、あちらこちらにさくらんぼ畑があって、春ともなると、辺りが真っ白に変わるのです。
そこで、お天気の良い土曜日、101号線を一路南へ向かいました。
この日は、思ったよりも風の強い日。途中、フリーウェイの真上では、小型飛行機が風に吹かれて、ユラユラ揺れています。
どうも、近くの小さな飛行場を目指しているようですが、着陸寸前に強風にあおられ、タッチダウンできません!
すぐ脇のフリーウェイでは、どの車も、固唾を呑んで見守ります。みんな速度を下げ、ノロノロ運転。
結局、当の自家用飛行機は、タッチダウンできないまま、また加速して、大空へと向かっていきました。が、飛行機の中では、誰かが大きく動いているのが見えました。動揺していたのかな?
う~ん、無事に着陸できたのかなぁと気になりながら、そこから更に、101号線を南下していきます。
南の空は雲行きが怪しく、海沿いの山脈には、霧のかたまりが魔の手のように忍び寄っています。
きっと、海岸線は、霧で真っ白なのでしょうね。この辺の海は、とにかく霧が多いのです。晴れているからって、薄着で行くと、とんでもない目に遭う事があるんです。
さて、ニンニク栽培で有名なギルロイ(Gilroy)の街を過ぎると、101号線も一旦フリーウェイから一般道路となります。
そして、ここまで来ると、ようやく、さくらんぼ畑が間近に見えてくるのです。
道沿いには、近くの果樹園の「さくらんぼ(Cherries)」の看板も立っています。さくらんぼの季節になると、沿道に小さな売り小屋ができて、誰でも気軽に立ち寄れるようになるのです。
肝心のさくらんぼの花は?そう思って、101号線の脇に車を止めてみたのですが、残念ながら、ちょっと盛りを過ぎていますね。花はだいぶ散り、ところどころに葉っぱも出ています。
やっぱり、連れ合いが見た一週間前が、一番の見ごろだったのかもしれませんね。
満開を過ぎていたので、ちょっとがっかりではありましたが、辺りを見渡すと、そこには、美しい緑の山。雲の隙間から注ぐ光に、雨季の新緑が輝いて見えます。
まあ、これを見られただけでも、よしといたしましょうか。
目的のさくらんぼの花にも出会えたので、ここからこの道を西へちょっと走り、シリコンバレーに向かって、北上することにしました。
この先で右に曲がると、シリコンバレー方面に向かいます。
この辺りって、なんとなく、ヨーロッパの田舎町の雰囲気もありますよね。この農道だって、なかなか立派なものです。
途中、モントレー・ロード(Monterey Road)という大きな道を北上したのですが、この道は、フリーウェイ101号線に沿って南北に走り、渋滞の抜け道に重宝するのです。
ところどころ信号はありますが、普段はあまり混まず、快適に運転できるのです。
まわりは、まだまだ農地や果樹園ばかりですが、こんなに立派な新興住宅地も出てきます。この辺りは、ちょっと前まで家なんてなかったはずですが・・・。
けれども、住宅地を過ぎると、途端に、田舎町の雰囲気に逆戻り。この標識は何だかわかりますか?
わたしも初めてじっくりと見てみましたが、「Tractor crossing」、つまり、「農業用トラクターが横断する場所」という目印なんです。
トラクターは速度が遅いので、見かけたら、ぶつからないように注意すること、という標識なのですね。
そこからちょっと行くと、菜の花畑が!
(もしかすると、菜の花ではなく、マスタードの花かもしれません。そう、あの香辛料のマスタード。なんでも、菜の花は、マスタードの仲間なんだそうで、花の見分けが難しいのです。)
さくらんぼの花が満開を過ぎていたわりに、こちらはまさに、今が盛り。
この木の感じも、アメリカの田舎町の雰囲気をかもし出していますよね。
以前、「シリコンバレーってどこでしょう?」という中でご紹介いたしましたが、シリコンバレーは、サンタクララ・バレーという谷間にあります。西はサンタクルーズ山脈、東はディアブロ山脈に囲まれた、広大な、肥沃の谷間です。
シリコンバレーの中心地にいると、谷間という気はぜんぜんしないのですが、この写真の辺りは、東西の山脈も互いに迫っているので、谷間もかなり狭くなっています。幅は4マイル(6キロ強)ほどしかありません。
それでも、肥沃な黒々とした大地が広がり、19世紀中頃に最初の入植者が入って以来、農業や牧畜の地として、名を馳せてきたのでした。
菜の花畑から少し北上すると、モーガンヒル(Morgan Hill)という街が出てきます。
こちらは、モーガンヒルのダウンタウン。かわいいもので、わずか2ブロックくらいで、繁華街はもうお仕舞い。
ここには、小さな街ならではの歴史があって、街の名前は、初期の頃の地主さんの名前から来ているようです。
19世紀後半、近くにサザン・パシフィック鉄道が開通し、最初、この辺りは「ハンティントン」と呼ばれていました。でも、駅はモーガンヒルさんちの屋敷の近くにあるんだから、「モーガンヒル」に変えましょうよ、ということになったそうです。19世紀末のことでした。
1906年、モーガンヒルは正式に街となったそうですが、20世紀前半は、アプリコット、プルーン、桃、梨、リンゴといった豊かな農作物によって、だんだんと成長していきました。
そして、1950年代以降は、シリコンバレーの繁栄に伴い、ベッドタウン(bedroom community)として、街の人口がどんどん増えていきました。
繁華街からさほど離れていないのに、小さな田舎町の雰囲気を保っている。そして、シリコンバレーに比べると、まだまだ家も安い。
自然に囲まれ、のんびりとした生活を送りたい人には、もってこいの街なんですね。
こんな風な昔の給水塔も残っています。
さて、モーガンヒルを過ぎて、どんどん北上すると、そろそろサンノゼに近づいてきます。この辺は、サンタクララ・バレーの中でも、特別な名前が付いていて、「コヨーテ・バレー(Coyote Valley)」と呼ばれています。そう、動物のコヨーテです。多分、昔は、コヨーテがいっぱいいたのでしょうね。
このコヨーテ・バレーは、正式にはサンノゼ市の領土なのですが、まだ市街地化していないので、自然がたっぷり残されています。あるのは、畑と果樹園くらい。
ここでも、さくらんぼの花がきれいに咲いていました。
それでも、サンノゼの中心地から近いので(車で20分くらい)、絶えず、開発の危機にさらされてきました。
たとえば、インターネットバブルの時期は、コンピュータ会社のIBMとネットワーク機器のシスコ・システムズが、大きな開発拠点を作ろうじゃないかという計画がありました。が、間もなくバブルがはじけたため、計画はオジャンとなりました。
そして、今は、コヨーテ・バレーの半分をつぶして、2万5千戸の家を建てようじゃないかという開発計画が進んでいます。市が計画を委託した開発業者は、この壮大な宅地プランのお陰で、5万人を雇うことができるんだよと、市を誘惑しています。
けれども、恒久的な職場のない住宅地をむやみに増やすことに、市の財政の面や自然保護の観点から、反対意見も出ています。(住宅ばかりで企業がないと、市に十分な税金が入らないですからね。)
このコヨーテ・バレーの北端には、近隣住民の反対を押し切って火力発電所が建てられ、ごく最近、稼動し始めました。これを皮切りに、開発がなし崩しに進んでいくのではないかと、ちょっと心配でもあるのです。
(この火力発電所から我が家までは、直線距離でいくと、7キロくらいしかありません。だから、発電所建設はひと事ではありませんでしたね。)
そんな自然と人間の関わりを思いながら、我が家の近くまで戻って来ると、近くの住宅地では、牛さんがのんびりと日向ぼっこをしていました。
我が家のまわりは、もともとは放牧場だった所を宅地化しているのです。ここに引っ越して来た10年前は、まわりには牛さんの方が多かったですね。
ここ数年で劇的に家が増えたとは言え、今でも、家々と隣り合わせ、牛たちが生活しているのです。
この日は、シリコンバレーは良いお天気。海岸線が霧でくもっていても、サンタクララの谷間は、晴れている場合が多いのです。
(こちらの写真は、シリコンバレーを南から望んでいます。手前に見えている住宅地は、牛さんたちを追い出し、ここ3、4年でできあがったものです。)
州の名に恥じないほど、光を放って見えるのです。