Essay エッセイ
2010年12月19日

ようこそ、アーリントンの市長さん!

これは、前回のお話「優勝セール?」の続編となります。

前回は、メジャーリーグ野球のサンフランシスコ・ジャイアンツがワールドシリーズで優勝し、ベイエリア中が大騒ぎだったお話をいたしました。

なにせ、1958年にニューヨークから移って来たチームが、初めて優勝トロフィーを持ち帰ってくれたのですから。

みんな首を長~くして、栄光の日を待ちわびていたのです。

このお話の中で、ワールドシリーズで対戦したテキサス・レンジャーズの本拠地アーリントンの市長とサンフランシスコ市長が、ある「賭け」をしていることもご紹介いたしました。

賭けのひとつは、負けた方が、自分の街の名産品を贈ること。そして、もうひとつ大事なことがあったのでした。


このときの賭けで負けたアーリントン市長のロバート・クラック氏が、いよいよ12月15日、サンフランシスコを訪問いたしました。

サンフランシスコ・ジャイアンツが子供たちのために提供している、「ジュニア・ジャイアンツ(Junior Giants)」のイベントに参加するためです。

そう、「賭け」の山場は、負けた市長が相手の街を訪問し、相手チームのユニフォームを着て、チャリティーイベントに参加するというものでした。


ジャイアンツが本拠地としているサンフランシスコは、必ずしも「恵まれた子供たち」ばかりがいる街ではありません。

たとえば、ジャイアンツの新しいスタジアム「AT&Tパーク」と、ジャイアンツが以前ホームグラウンドとしていた「キャンドルスティック・パーク(写真:現在は、プロフットボール・サンフランシスコ49ersのスタジアム)」の間の区域には、黒人住民が多く住んでいて、あまり治安の良くない地域ともなっています。

そして、そういった地域に育った子供たちの中には、まわりの大人たちを模倣して、自然と学校もドロップアウトし、犯罪に手を染める子供たちも出てきます。

ですから、そうなる前に、スポーツを通して子供たちがチームプレーを楽しみ、学校に残る大切さや社会につながる大事さを学んでほしいという目的で、「ジュニア・ジャイアンツ」というプログラムがつくられたのでした。

ジャイアンツがお金を募って、道具やユニフォームを提供してくれるので、子供たちはお金の心配をすることもなく、思う存分、野球を楽しめます。
 そして、野球というと、どうしても「男の子のスポーツ」のイメージがありますが、5歳から18歳だったら、男の子も女の子も入れるのです。

そんなジュニア・ジャイアンツには、北カリフォルニアを中心に80以上のチームが加盟していて、ときどき対戦試合もあります。でも、試合は「勝ち負け」のために行われるのではなく、あくまでも野球というスポーツを楽しむために行われるのです。

試合の合間には、「ジャンクフード(栄養価の低いスナック類)なんかではなく、ちゃんと栄養のあるものを食べましょう」と、子供たちのためになることも教わりますし、ときどきは、プロのジャイアンツの試合を観戦させてもらったりもします。

「本場物」の野球を観て学ぶことも、大事なことですものね。


そんなジュニア・ジャイアンツを、アーリントンのクラック市長が訪問いたしました。

まずは、サンフランシスコの市庁舎に出向き、ギャヴィン・ニューサム市長と優勝トロフィーと一緒に笑顔で写真におさまったあと、子供たちの待つ球場へと向かいます。

そして、ジャイアンツのチームカラーであるオレンジのチームに分かれて、クラック市長はオレンジのチームを、ニューサム市長はのチームを率いて試合に臨むのです。もちろん、ジャイアンツのTシャツを着て!

監督となったからには、子供たちに適切なアドバイスをしたり、励ましたりしなければなりません。日頃の政治家としての負けん気もあって、お遊びとはいえ、いつの間にか真剣に監督職を務めたことでしょう。

結局、試合は、自身もピッチャーを務めたニューサム・サンフランシスコ市長のチームが勝ったのですが、試合後のインタビューでは、「相手に花を持たせてあげられて良かったよ」と、クラック市長は大人の発言をしています。

でも、ジャイアンツのTシャツを身につけたことをどう思うかという質問には、正直にこう答えていらっしゃいます。「かなり心苦しいよ(Pretty painful)」と。

しかし、負け惜しみもちょっとあったのでしょうか、こんな風にも付け加えていらっしゃいました。

「サンフランシスコを訪問できたので、最後に勝ったのは、僕の方だよ。」


まあ、大人たちの間では、プライドだとか何だとか、いろんな思惑があったことでしょう。でも、子供たちにとっては、どこの街の市長さんなんて、そんなことは関係のないことだったのでしょう。

だって、市長さんと一緒に野球ができるなんて、そんなに特別なことって、なかなかあるものではありませんから。

きっと、みんながそう感じているから、クラック市長さんだって、こんなに子供たちに人気があるんでしょうね。

何年かたって、この日のことを思い出して、「自分もあのときの市長さんみたいになりたい!」と、志を抱く若者も出てくるかもしれません。

そうなったら、やっぱり最後は、クラック市長さんの勝ち! なのかもしれませんね。

追記: 余談とはなりますが、お話の中に登場した黒人住民の多い地域というのは、「The Bayview(ザ・ベイヴュー)」という名前で呼ばれていて、これには歴史的な背景があるのです。

このサンフランシスコ市の南東地域(サンフランシスコ空港のちょっと北)には、もともと海軍造船所があったのでした。
 歴史的に重要な港であるサンフランシスコには、昔から造船所が置かれていたのですが、第一次世界大戦以降、軍艦の需要が増え、ここを海軍の造船所としたのです。(写真では、一番上に突き出した半島部分。こちらの写真は、サンフランシスコを北西から眺めています。)

折しも、第一次世界大戦以降、南部の州からは中西部、東部、西部の州へと、黒人人口が大移動していて、カリフォルニアへもたくさんの黒人住民が移入して来ました。しかし、アメリカには「人種隔離(racial segregation)」という政策があったので、黒人住民が好きな場所を選んで住むことはできませんでした。
 そんな中、サンフランシスコに流入した黒人住民の多くが住み始めたのが、こちらの Bayview だったのです。多くは、海軍造船所や周辺の軍事工場で働いていたので、自然と黒人コミュニティーができあがったというわけなのでした。

何十年という歳月が流れ、造船所や工場がなくなっても、多くがこの地に住み続け、今のように黒人住民の多い地域が残ることとなりました。その過程では、「失業」「貧困」という大きな社会問題にも直面し、地域の治安の悪化に結びついたという歴史があったのでした。


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