サンフランシスコのレンガ造り〜ダウンタウン編
<ライフ in カリフォルニア その163>
先日のエッセイでもお話ししておりましたが、5月下旬、長年住んだサンノゼ市からサンフランシスコ市に引っ越してきました。
サンノゼ市は、観光地として有名なサンフランシスコの陰に隠れた印象がありますが、テクノロジーの最先端「シリコンバレーの首都(the capital of Silicon Valley)」と自負する街。25年前にサンノゼに引っ越してきて以来、あっという間に時が過ぎ去った感じがします。
でも実は、わたし自身がアメリカで最初に住んだのは、このサンフランシスコの街。こちらに引っ越してきた5月下旬には、ちょうど40周年(!)を迎えました。
その頃のわたしにとって「アメリカ」イコール「サンフランシスコ」だったのですが、東海岸を見てきた母が、初めてサンフランシスコの街並みを目にして、驚きの声をあげたのをよく覚えています。
「まあ、家々が白っぽいこと!東海岸のレンガ造りの重厚な街並みと違って、ずいぶんと南国的なのねぇ」と。
これは、実に正しいコメントではあります。肩を寄せ合って丘に建つ家々の外壁は、白やパステルカラーの軽い色合いが多く、全体的に白っぽく南国的(tropical)にも感じるから。
けれども、そんな印象は、ある意味ちょっと不完全でもあるのです。なぜなら、サンフランシスコの街中にも、まだまだレンガ造りの建造物がたくさん残っているから。
そうなんです、よく見ると、ダウンタウン地区にもレンガ造りがいっぱい。というわけで、今日はレンガ造りのお話をいたしましょう。
たとえば、メインストリートのマーケット通り(Market Street)から南東に伸びる、2番通り(Second Street)。ここは、レンガ造りの代表格でしょうか。
周りには、金融関係やテクノロジー企業の高層ビルが建っていますが、なぜかここだけは低いビルが並んでいます。
2番通りの建物は、ほとんどが国の内務省から歴史的建造物(National Register of Historic Places)の指定を受けていて、壊すわけにはいかないのです。
この2番通りと東西に交わるハワード通りの区画は、「2番通り・ハワード通り地区(Second and Howard Streets District)」として一帯がまるごと歴史地区の指定を受けています。ですから、外装を修理したり、内装を変えたりというのは可能ですが、ビルはそのまま保存しなければなりません。
こちらは、2番通りからハワード通りを眺めたところ。表から見ると漆喰(しっくい)で塗り固めてあったり、ペンキを塗ったりしてわかりにくいですが、もともとのビルはレンガ造り。ひとつひとつ見ていくと、高さもまちまちだし、それぞれに特色があって、ひとくちに「レンガ造り」といっても、いろんなスタイルがあるのがわかります。
2番通りは、両側に古いレンガ造りの建物が並んでいます。向かって右側はレストランが多いですが、左側はスタートアップ企業のオフィスがたくさん入っています。中は快適にリフォームされているので、外観が古くても、みなさんあまり気にならないのではないでしょうか。
この区画のすぐ東側には、「トランスベイ・トランジットセンター」というモダンな交通会館がオープンしたばかり(こちらの写真では、右端に見える緑の屋上公園がトランジットセンター)。
21世紀のビルから2番通りまで足を運ぶと、いきなり古い街並みで昔に舞い戻ったよう。
ここだけは近代的な高層ビルから取り残された印象ですが、そんな「頑固な」一画がダウンタウンにあるなんて、ちょっと意外ですよね。
ちなみに、2番通りの後ろにそびえ立つ銀ピカのタワーは、新しくサンフランシスコのシンボルともなった セールスフォース・タワー(Salesforce Tower)。ビジネス向けソリューション企業、セールスフォース・ドットコムの本社ビルで、タワーに隣接するトランジットセンターにも「セールスフォース」という名が付いています。
現在、このタワーの斜め前でも再開発が進んでいますが、角っこにはレンガ造りの建物が4棟あって、これを壊すわけにはいきません。ぽつんと取り残されたレンガ造りの後ろには、クレーンがニョキニョキ。新しく建つビルは四角形とはいかずに、ギザギザとした、いびつな形になるのでしょう。
レンガ造りの建物が残っているのは、2番通りだけではありません。ちょっと北にある金融街(Financial District)の足下にも、レンガ地区として有名な場所があるのです。
2番通りからはマーケット通りを渡って、モンゴメリー通り(Montgomery Street)沿いにある金融街を北上します。
この辺りには古くから銀行が集まり、経済的にも文化的にもサンフランシスコを「西部を代表する街」に押し上げてくれたところ。それを象徴するかのように、両側には装飾をほどこされた立派なビルが建ち並びます。
そんな立派なビルを見上げながら歩いていると、数ブロック先には、長年サンフランシスコのシンボルとして知られた、トランズアメリカ・ピラミッド(Transamerica Pyramid)が出てきます。
この三角ビルが完成したのは、1972年。前衛的なビルに触発されたかのように、翌年には、映画『タワリング・インフェルノ(The Towering Inferno)』の制作が始まりました。名優ポール・ニューマンやスティーヴ・マックイーンが出演する、サンフランシスコが舞台のヒット作です(1974年公開)。
ビルが完成し、お披露目パーティーを開いた途端に、大火災(インフェルノ)が起きて大変な目に! というスリル満点のお話ですが、撮影したのは、このビルではありません。近くにあるバンク・オヴ・アメリカの本社ビルや、海沿いのホテル、ハイアット・リージェンシーのビルがロケ地となったとか。でも、三角ビルは街のシンボル。「ここが映画の舞台」と信じている人も多いのです。
実は、この三角ビルが建つ場所は、19世紀中期サンフランシスコの街が生まれた頃には「船着き場」だったところ。そう、昔は海岸線がぐいっと入り込んでいて、この辺りは海だったのです。
トランズアメリカ・ピラミッドを建てる時にも、地中からは廃船が出てきたとか。なんでも、当時は要らなくなった船は海際に沈める習慣があったそうで、今でも土を掘っていると、ヒョコっと廃船が見つかることがあるのです。
メインストリートのマーケット通りを歩いていると、1番通り(First Street)の角に「その昔、ここは海岸線でした」という小さな記念碑が埋められているのに気づきます。「1番通り」という名のとおり、昔はここが、海から上陸して1番目のストリートだったのでしょう。
街の人口が増えるに従って、だんだんと東に向かって海が埋め立てられ、ダウンタウン地区も東に数ブロックほど広がっていったというわけです。
と、ちょっと話がそれてしまいましたが、有名なトランズアメリカ・ピラミッド。この三角ビルの足元には、ジャクソン通り(Jackson Street)というのがあって、周辺にはレンガ造りの建物が多数残っているのです。
そう、この辺りは、昔は船着き場のすぐ近く。船が頻繁に出入りするにつれて商業地区として栄えた場所で、1850年代、60年代のレンガ造りの建物が残っています。
当時は商店や銀行、政府機関、娯楽施設と、いろんなものがごちゃごちゃと集まって活気ある街角でした。今はきれいに改装されて、法律事務所やデザイン事務所、ギャラリー、建築関係の本屋さん、有名レストランと、オシャレな構えの街並みとなっています。
ここ3か月ほど、新型コロナウイルスのせいで、オフィスも店舗も閉まって静かです。窓には板を貼り付けて侵入者を防いでいますが、それが物々しい雰囲気で、ちょっと残念です。
このジャクソン通りや一本北のパシフィック通り、その間にあるゴールド通りの一画は、「ジャクソン・スクエア歴史地区(Jackson Square Historic District)」として、国の歴史地区の指定を受けています。
こちらは、小道の ゴールド通り(Gold Street)。珍しく頭上には電線が張られていて、「車高の高い車両は、通らない方がいいでしょう(Vehicles over 10 feet not advised on Gold Street)」と看板も出ています。
19世紀のサンフランシスコの街は、きっとこんな感じだったんだろう、とゴールドラッシュ時代を彷彿とさせます。
逆側には、「BIX」という看板のお店がありますが、こちらは人気レストランだそうです。わたし自身は行ったことはありませんが、2階まで吹き抜けの広々とした店内では、毎夜ジャズの生演奏が聴けるという、オシャレなレストランだとか(今は休業中)。
こちらは1971年に国の歴史建造物に指定されたレンガ造りで、古びた印象ですが、ひとたび中に入ると、外観からは想像できないくらいにモダンに改装されているようです。
レストランといえば、一本北の パシフィック通り(Pacific Street)にも有名店があります。過去に二回フォトギャラリーでもご紹介した「Quince」と、姉妹店の「Cotogna」です。
Quince は、三つ星に昇格したイタリアンレストラン。こちらの角にある Cotogna は、カジュアルイタリアン。釜焼きピッツァも有名です。
両店とも、昔は倉庫だったという建物ですが、店内はレンガ造りの壁をそのまま活かしたインテリア。赤味を帯びた茶色いレンガが、明るい印象を与えています。
そして、レストラン Cotogna からパシフィック通りを海(東)に向かって歩くと、二つ目の角に古いバーが出てきます。
サンソム通りを超えて、バッテリー通り(Battery Street)との四つ角。こちらは、「サンフランシスコで一番古い」と自負するバーです。
「The Old Ship Saloon」という名で、オープンしたのは、1851年。「Old Ship」というくらいですから、「古い船」に縁があるのです。
時は、カリフォルニア州にゴールドラッシュが訪れた頃。1849年、アーカンソー号という船が金鉱を目指してサンフランシスコへとやってくるのですが、湾に浮かぶアルカトラズ島で座礁してしまいます。
座礁したアーカンソー号は、現在のバーの位置に運ばれてくるのですが、当時この辺は海。岸壁に錨(いかり)を下ろした座礁船は、ホテルや下宿として使われるようになります。
1851年には、船体がくり抜かれてバーとなるのですが、ここには、ちょっとした仕掛けが隠されていました。
それは、床に「落とし穴」があって、ベロベロに酔っぱらった若者を落っことして、本人が知らない間に船員として船に連れて行く、という仕掛け。まあ、連行された若者だって、酔っぱらっただけなら、そこまで前後不覚にはならなかったでしょう。でも、酒の中には麻薬のアヘンが混ぜられていたとか!
いえ、この頃のサンフランシスコのにぎわいは、ほんとにすごかったらしいです。サンフランシスコは、シエラネバダ山脈の金鉱掘りのベース基地として発展した街ですので、世界各地から船がやってきて、湾には大小さまざまな船が千隻ほど浮かんでいたそうです。
が、乗組員は金鉱を掘り当てることが目的ですので、そのうち船は忘れ去られる。船長としては、どうやって船を動かすか? と悩む。そこで考え出したのが、「若者をだまして船に乗せる」こと。その片棒を担いだのが、この「オールド・シップ・サロン」だと伝えられています。
当時は、湾内に停泊したまま見捨てられ、「粗大ゴミ」となった船もたくさん。そんな「航海を忘れた船たち」は、オールド・シップ・サロンのように、海際に運ばれてホテルやバーとして利用されていました。(イラストは、ホテルやバーに利用される廃船を描いたもの: Library of Congress; adopted from KQED “Bay Curious: The Buried Ships of San Francisco” by Jessica Placzek, November 23, 2017)
けれども、時がたてば船は老朽化するし、第一、湾の「粗大ゴミ」はどんどん増えていきます。そこで、要らない船はどんどん沈めて、その上を埋め立ててしまえ! ということになりました。
そんなわけで、1850年以降、ダウンタウン地区は、だんだんと東の海側へと伸びていったのでした。
少なく見積もっても、30隻から60隻の船が土中に埋まっているということですが、ときにゴールドラッシュ時代の遺物となって「顔を出す」ことがあるのです。
追記: ちょっと話がそれてしまいましたが、本題の「レンガ造り」の建物。
やはり、昔のままだと不便なこともあるのでしょう。こちらのパシフィック通りの建物では、屋上の上に建て増しして、新しいフロアを設けています。ある程度の低さなら、上方向の建て増しも許されているのでしょう。
壁面の出っ張った部分には、エレベーターも設置されているようです。オフィスでしょうか、集合住宅でしょうか、一階にはレストランもあったりして、なかなか快適にリフォームされているようです。レンガ造りの再利用としては、お手本となるケースなのかもしれませんね。