タホ湖の風景
みなさま、タホ湖(Lake Tahoe)という名前をご存じでしょうか?
カリフォルニアでは有名な観光地ですが、その名のとおり、「タホ」という湖です。
変な名前ですが、これは、先住民族ワショー族(the Washoe)の言葉「ダーホー」から来ているそうです。「湖の端っこ」という意味で、湖に突き出た場所で儀式を行ったところから「神聖な場所」といったニュアンスがあるそうです。
白人がこの湖を「発見」したのは1844年のことですが、なかなか呼び名が決まらず、結局、百年以上たって、先住民族の言葉を英語化した「タホ」に決定したのでした。
このタホ湖は、カリフォルニア州とネヴァダ州の境にあるシエラネヴァダ山脈(the Sierra Nevada)にあって、湖の3分の2はカリフォルニア、3分の1はネヴァダと、ふたつの州で共有している湖なのです(名前が決まらなかった一因は、この二州の共有にありました)。
シリコンバレーからは、北東に4時間ほどのドライブでしょうか。
山脈の中にあるので、湖は高地にあって、湖面で海抜1900メートルと、ちょっと厳しい場所にあるのです(少なくとも、高山病にかかり易い方にとっては厳しい所ですね)。
そんな風に、高い山々に囲まれているので、当然のことながら雪は深く、冬場のスキーリゾートとして有名です。湖の北側と南側を合わせると、周辺にはスキー場が12箇所もあるんですよ。
でも、どんなにたくさん雪が降っても、湖は凍らない!
なぜなら、湖はものすご~く深くて、湖水が絶えず対流しているから。
一番深い場所で500メートルだそうですが、マンハッタンの高層ビル「エンパイア・ステート・ビルディング」だって、すっぽりと隠れてしまうくらい。
そして、深いから、水がブルー。この真っ青な水が、タホ湖の自慢のひとつなのです。
「Keep Tahoe Blue(タホをブルーに保とう!)」というのは、タホ湖を愛する人々の合い言葉でもあります。実際に自然保護団体の名前にもなっていて、この合い言葉のステッカーを車に貼っている人もよく見かけます。
わたし自身は、タホ湖というと「冬のスキー」のイメージが強かったのですが、実は、夏場の水遊びの場所としても有名なのですね。
だって、真っ青な水はきれいに透き通っていて、遊んでいて気持ちが良い!
そう、透明度もタホ湖の自慢の種なんです。
そして、とくにマリーンスポーツに興味がなくても、まわりの風景を見ているだけで、「命の洗濯」になるような素晴らしい環境が広がっているのです。
わたしのお勧めは、湖上クルーズ。
エメラルドグリーンに輝くエメラルドベイ(Emerald Bay)に向かう船は、湖の南東部ゼファーコーヴ(Zephyr Cove)から出ていて、夏の間、午前11時半と午後2時半の2回運行しています。
『ディクシー2号(M.S. Dixie II)』という昔風の船に乗って、のんびりと湖上を行くのです。ニューオーリンズのミシシッピー川を行く『ナッチェス号(Natchez)』みたいに、後ろにパタパタと動く大きな水車が付いています。
湖はでっかいので、向かいのエメラルドベイに行って帰って来るだけで、2時間半ほどの行程となりますね。天気が良いと、最上階の3階のデッキで風に吹かれるのも妙案ですが、そのうちにお日様にこんがりと焼かれることでしょう。
エメラルドベイは、国や州の名勝にも指定されていますが、陸地からのアクセスが難しいので、自家用ボートで遊びに来ている人もたくさんいます。そんな小さなボートの合間を縫って、大きなクルーズ船は浜辺のすぐ近くまで寄ってくれます。
浜辺には、何やら大きなお屋敷が建ちますが、これは、1929年にミセス・ナイトが建てた別荘。北欧のヴァイキング建築様式を模した豪邸『ヴァイキングスホルム(Vikingsholm)』で、州の史跡にもなっています(内部の見学ツアーもあります)。
中には38もの豪華な部屋があるそうですが、1929年10月に世界大恐慌(the Stock Market Crash of 1929)が起きる前は、こういったお城のような豪邸が、カリフォルニアのあちらこちらに建てられたのでした。
そして、湾の中には、ぽっかりと小島が。
なんとなく冒険心をかきたてられるような小島ですが、その頂上には石造りの建物があって『ティーハウス(Tea House)』と呼ばれています。なんでも、ミセス・ナイトが建てたそうですが、今は天井部分も崩れてしまって遺跡のよう(それが、余計に冒険心をかきたてる!)。
この小島には、おもしろいエピソードがあるのです。
1860年代、この小島には、ホラデイさんというお金持ちが建てた別荘が建っていて、この家の面倒をみていたのが、キャプテン・バーター。イギリスからやって来た、変わり者の船乗りです。
1870年のある晩、キャプテン・バーターは湖の北西部タホシティーまで船を漕ぎ出し、バーでお酒を飲んで来たのですが、帰りに暴風雨にあって、もう少しで船は沈没するところでした。
辛くも命拾いした彼は、「タホこそが骨を埋める場所だ」と決意し、小島の頂上に自分用の墓穴を掘り、その上に小さなチャペルを建てるのです。よし、これで準備万端!
ところが、皮肉なもので、1873年、街まで船を漕ぎ出した彼は、帰りにまた嵐に遭い、船は転覆してしまうのです。今度ばかりは、彼は船とともに水に沈み、ついには発見されませんでした。
ですから、この小島には、墓穴跡はあったにしても誰も埋葬されていませんので、どうぞご安心あれ。
タホ湖のあるシエラネヴァダ山脈は、1849年に金鉱が発見されて以来、いろんな人々が往来するようになりました。近くには金鉱掘りの街もできましたし、金で財を築いた人々がタホ湖に別荘を建てるようにもなりました。
それこそ世界中から人が集まった湖なので、時代とともにエピソードが生まれては消え、生まれては消え、いつしか記憶の彼方に埋もれてしまったお話もたくさんあることでしょう。
「タホ」という不思議な名前の湖には、なんとなく不思議なお話がいっぱいつまっているような気もするのです。