Essay エッセイ
2006年06月26日

ピアノとわたし

以前、日本の音楽番組を観ていて、ひどく共感したことがありました。個性派アーティストGacktさんへのインタビュー番組でした。
 彼曰く、3歳の頃からピアノを習わされ、小さい頃は、それが非常に苦痛だったと。

わたしも幼稚園の頃からピアノを習っていたのですが、やっぱりその頃は、苦痛以外の何ものでもありませんでした。

練習は大っ嫌いだし、好きでもない曲を弾かされる。おまけに、間違えるとこっぴどく叱られる。第一、レッスンのある土曜日、友達と遊べないではありませんか。
 毎週土曜日になると、レッスンのない友達が、それはそれは羨ましいものでした。

そんな不満がつのって、小学校2年生で一旦ピアノを止めました。4年生でまた始めるぞと宣言して。

そして、4年生になって間もなく、約束をしっかり守り、また同じピアノの先生に師事しました。ピアノには何かしら引かれるものがあったのかもしれません。姉がずっと続けていたことが、うらやましかったのかもしれません。

めでたくピアノが弾けるようになった今、そのことが嬉しくもあるし、誇らしくも思っています。約束を守り、途中でくじけなかった子供の自分は、もしかしたら、今までの人生の中で一番誇れることかもしれないなと。


わたしは小さい頃からクラシック音楽で育ったせいか、楽譜を読むのは得意ですが、自分で曲を作るのはまったくダメです。しかも、音楽理論は大っ嫌いなので、音階とかコードとかは、学んでもすぐに頭から逃げていきます。

ところが、そんなわたしが、歌の伴奏をするようになりました。ボランティアをしていたお年寄りのデイケアセンターで、みんなで歌を歌うことがあったからです。

困ったことに、歌い手の方は、こちらの事情にはお構いなく、あれを弾いてこれを弾いてとおねだりします。楽譜がないと弾けないと一旦は断るのですが、それもあまりに悲しいことではあります。

そこで、背に腹はかえられず、幼稚園レベルの伴奏は、自分でもちょっとだけアレンジできるようになりました。ジョン・レノンの“Imagine”も、自分の声に合わせて変調してみました。ごくごく初歩的なことですが、わたしにとっては画期的な前進なのです。


いつか、お向かいさんがどんどんとドアを叩き、無理やり引きずり出されたことがありました。ミュージシャンがうちに来ているから聞きにおいでと。
 彼女の家では、高校生の男の子が、ギターを片手に自作自演で演奏会。アメリカの若手シンガー・ソングライター、ジョン・メイヤー風の、なかなか才能のある若者です。
 なんでも、このミニ・コンサートは、お向かいさんが主催するクラブハウスでのイベントの、ちょっとしたオーディションだったようです。集まって来る奥方のお気に召す音楽を選ぶようにと。

この「ジョン・メイヤー」くん、ピアノも相当弾けるらしく、今度はうちにやって来て、自作の曲を披露してくれました。コード進行はちょっと単純ではあるけれど、なかなかスケールのでかい音楽を奏でてくれます。


なんと彼には同級生のマネージャーも付いていて、このマネージャーくんのお母さんが、わたしにこんなことを言うのです。

「あなたもピアノを弾くから、わかってらっしゃることだけれど、ミュージシャンというものは、自分が好きな曲ではなくて、人が聞きたい曲を奏でなければいけないものなのよねえ」と。

ご本人は何気なく言ったつもりかもしれませんが、これは、わたしにとって、天と地がひっくり返るほどのインパクトのある言葉でした。そして、この時以来、「自分のためだけにピアノを弾く」という意固地な態度を悔い改めたのでした。

そして、今では、こう思っているのです。プロでないにしても、音楽を奏でるということは、人を楽しませてあげる、ある種の社会責任があるんじゃないかと。歌いたい旋律を自分なりに表現できれば、この際、うまい下手は重要なことじゃないんじゃないかと。
 今までは、わたしは姉のような音大ピアノ科出の専門家じゃないしとか、どうせ自分の好きな曲はそんなにポピュラーじゃないしとか、なんとなく殻に閉じこもっていたような気もします。でも、それはきっと違うんですね。

誰かに聞かせてあげたい、そう思ったとき、いい音が奏でられるんですよね。

そろそろ、デイケアセンターのおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行かなくちゃ。


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