マーヴェリックス
今日2月7日は、マーヴェリックス(Mavericks)が開かれています。サーフィンをなさる方ならご存じでしょうが、世界的に有名なサーフコンテストです。
毎年、マーヴェリックスは、波の状態によって急遽開催日が決定されるので、地球のあちらこちらにいるサーファーを24時間以内に呼びつけ、翌日の朝8時から開催、という過酷なコンテストなのです。知らせを受けると、オーストラリアやブラジルからも、飛行機で駆けつけて来るのです。
この大会が行われるのは、サンフランシスコとシリコンバレーのほぼ中間の太平洋岸、ピラー・ポイント(Pillar Point)という場所です。サンフランシスコ空港近くのサンマテオという街から西方面に92号線で山を越え、これが太平洋沿岸の1号線に当たって、ちょっと北上したところにあります。
一年のうちにこの時期だけ、巨大な波が、ピラー・ポイント800メートル沖の岩礁に現れるのです。
「え〜っ、北カリフォルニアでサーフコンテスト?」などと思われる方もいらっしゃるでしょうが、サーフィンができるのは、何もハワイばかりではありません。
北カリフォルニアにだって、シリコンバレーから南西の海沿いに、サンタクルーズ(Santa Cruz)という名だたるサーフシティーもあります。そして、サンフランシスコ市内でも、冬の間、オーシャン・ビーチ(Ocean Beach)の波は、数メートルの高さにもなるのです。
一方、本家本元、マーヴェリックスの波は、この時期、十数メートルに上ります。その落差たるや、5階建ての屋上から地面に降りてくるようなものだそうです。ボードが折れたり、海底の岩場で血だらけになったりというのも、珍しくないのです。
勿論、素人さんは、近づくことも許されません。ゆえに、サーフ界のスーパーボウルとも呼ばれているそうです。
そして、この太平洋沿岸は、ホワイトシャークの生息地としても知られていて、コンテストの間中、サメの脅威とも闘わなければなりません。
波があまりに高いのと、サメが生息しているので、コンテストに参加する24人の選手たちは、ジェットスキーで沖まで引かれて行きます。別名、「太平洋の墓場(Graveyard of the Pacific)」と呼ばれているのだとか。
サーフィンなど一度も体験したことはありませんが、今日はなんだか朝からそわそわしています。本当は、現地まで見に行きたかったのですが、そうもいかないので、代わりに、テレビ局KTVUのウェブサイトで、ウェブキャスティング放映を観たりしていました。
そして思ったのですが、今年はよく晴れ渡り、あまり寒くもなさそうだったで、やっぱり行ってみたかったなと。
北カリフォルニアは寒流の影響で、海沿いは夏でも気温が上がらないのですが、今日は波があるわりに暖かそうで、最高のコンテスト日和でした。
昨日、マーヴェリックスの開催を教えてくれたサーファーの知り合いも、「僕も行きたいけど、仕事が優先だからなぁ」と、ため息をついていました。
マーヴェリックス・サーフコンテストの主催者であり、自身も有名なサーファーであるジェフ・クラーク氏によると、彼がこの辺りでサーフィンを始めた1970年代には、巨大な波「マーヴェリックス」の名は、地元の人以外には知られていなかったそうです。
その頃高校生だった彼は、波が強そうな日は学校をさぼり、海岸に車を止め、丘に登り、そこから巨大な波が岩場に叩きつけられるのを眺めては、いつしか自分もここでやってみるぞと夢見ていたのです。
1975年、17歳で初めてマーヴェリックスに挑戦したクラーク氏ですが、同行した友人は、「僕はここで見てるよ。何かあったら助けを呼ぶからさ」と、尻込みしたとか。
その後、何年もひとりでマーヴェリックスに立ち向かっていたわけですが、その頃の一番の問題点は、いいサーフボードがなかったことだそうです。カリフォルニアに、まさか6メートルを超える波があるとは誰も思っていなかったので、万全な準備ができていなかったのですね。
1990年代に入り、クラーク氏が雑誌の記事に載り、マーヴェリックスの波を語った頃から、マーヴェリックス伝説は、一気に世界中に広まることとなりました。次々と写真やビデオで紹介されるようになり、ようやくカリフォルニアに存在する巨大な波が作り話でないことが証明されたのです。
そして、1999年2月、クラーク氏が主催者となって、記念すべき初めてのサーフコンテストが、この地で開かれることとなりました。
勿論、このコンテストは、自然の真っただ中で行われるわけですから、人間の思うように事はスムーズには運びません。
毎年、1月から3月までという幅広い開催期間があてがわれてはいますが、その間に巨大な波が来ないと、コンテストは開かれません。
たとえば、2004年2月の大会は、3年間の長い空白の後に開かれています。
そして、波が人間に牙を向けることもあります。1994年12月、ハワイから遠征していた伝説的サーファー、マーク・フー氏が、溺れて亡くなるという悲しいできごともありました。
その後すぐに、事故の再発を防ぐため、マーヴェリックス水上パトロールが結成されたそうです。
毎年、大会に参加する選手たちは、まず、水面で円陣を組み、手を握り合って黙祷します。海に散った先達フー氏を想い、大いなる自然に敬意を表するのです。
海の怖さを骨の髄まで理解しているのに、それでも、波に立ち向かいたい。そういった彼らのロマンがひしひしと伝わってくる、マーヴェリックスはそんなサーフコンテストなのですね。
昨年は、マーヴェリックスの地元からわずか100キロ南、サンタクルーズ出身の二十歳の気鋭、アンソニー・タシュニック選手が大会を制しています。
今年は、2位となったタイラー・スミス選手がサンタクルーズ出身ではありますが、「マーヴェリックスの覇者」の栄冠は、南アフリカのグラント・ベイカー選手に渡っています。
マーヴェリックスを制した者は、これから一年、サーフ界の王者としての名誉を授かるのです。