不思議なアパート
昨晩、とっても寝つきが悪かったんです。遠い昔のことを思い出したりして。
小学生の頃、アパートに住んでいたことがありました。
ある日、学校のお友達を呼んでアパートの庭で遊んでいたとき、近くの砂場から、男の子の泣き声が聞こえてきます。
見ると、幼なじみのまさきちゃんが、同じアパートの男の子にいじめられているではありませんか。
多少のいじめならいいでしょうが、よりによって、まさきちゃんの鼻に砂を詰め込んでいるのです。
びっくりしたわたしは、これは大人の介入が必要だと判断し、お友達とふたりでいじめっ子のお家に向かいました。
ドアを開け、「こんにちは~」とか「おじちゃ~ん、おばちゃ~ん」と何回叫んでも、誰も出てきてくれません。
そこで、しびれを切らした友達は、家の中を覗きこみ、こう言うのです。
「あれ~、おじちゃんそこにいるよ。」
このアパートは、普通のアパートではなくって、大学の教官たちが集まる官舎でした。そして、この「おじちゃん」は、何学部かの若き助教授。
彼は、玄関近くの書斎で机に向かったまま、わたしたちが必死で声をかけているのに、出てこようともしなかったのです。
「いじめっ子」の誉れ(?)高い息子の行動に、もう飽き飽きしていたのでしょうか?それとも、自分の研究が忙しくて、子供のわたしたちに相手する価値などないと判断したのでしょうか?
動こうともしない「おじちゃん」に失望し、わたしたちはまた砂場に向かいました。
幸い、まさきちゃんはお母さんに助けられたのか、もうその場にはいませんでした。
勇んでその場に戻ったのに、ちょっと拍子抜け。でも、まさきちゃんは近くで育った弟みたいなもの。これからも気は抜けないなと、そのあと、いじめっ子とまさきちゃんの関係を見守るのを日課としていました。
このアパートには、実にさまざまな人たちが住んでいました。まあ、「妖怪の棲家(すみか)」とは言わないまでも、それに近いものがあったのかもしれません。
子供だったわたしには詳しいことはわかりませんが、アパートの集会でも開こうものなら、もう喧々諤々(けんけんがくがく)。主義主張が対立して、一度では絶対に収拾がつかないのです。
教授、助教授、講師、そういった方々の主張もさることながら、奥方のほうも鼻っ柱の強い人が多かったようで、一度、母がこんなことを言っていました。
工学部の助教授夫人が、医学部助教授に向かって、こう叫んだのよ。
「あなたはほんとに頭が悪いですね!そんなこともわからないんですか!」って。
母は、そんな人間関係に嫌気が差したのか、マイホームを探し始めるようになり、間もなく、ちょっと離れた町に引っ越すことになりました。
新築ではないけれど、少なくとも一軒家なので、もう息苦しさはありません。
そんな母に対し、どこか浮世離れしている父。
その父の背中を見て育ったわたしは、いつかは父の跡を継ぎたいと思っていました。でも、大人になるにつれ、「もういいや、自分は違った道でバリバリ働くんだもん」と思うようになりました。
振り返ってみると、アカデミア(象牙の塔)に対するアレルギーは、すでに子供時代に培われていたのかもしれません。
まあ、大人にとっては「妖怪の棲家」でも、子供のわたしにとっては、アパートはなかなか楽しい世界でした。なにせ、同世代の子供たちがたくさんいるから。
官舎には全国各地から人が集まってくるので、地元っ子はほとんどいません。それがまた、なんとなくコスモポリタン(?)で、おもしろかったのかもしれません。
学校のお友達とは、また一味違った感じ。
仲良しのみほこちゃんは、東京生まれの福島育ち。ラグビーや、壁のぼりを得意とする活発な女の子。でも、お家でおとなしくヴァイオリンや漫画描き、というのもとっても上手でした。
わたしが怪我をして家に帰ると、いつも母に言われてましたっけ。
「みほこちゃんはアパートの4階まで手すりをよじ登っても、怪我ひとつしないのに、どうしてあなたは怪我ばっかりしているの」と。
また、ある日、母がこう聞いてきたことがありました。
「あなた2、3日前、男の子と一緒だったでしょ?」
え、あれはただのクラスメートで、ご自慢の自転車に乗っけてもらおうとしただけなのに・・・
どうやら、アパートの前庭でクラスメートと話しているところを、例の工学部助教授夫人に見られていたようです。長身でかわいい男の子だったので、あちらも「あれっ?」と思ったようですね。
実は、このさばさばした助教授夫人と母はとても気が合っていて、日頃からツーカーの仲だったのです。
外から見ているとまったくわからないけれど、このアパートには、目玉がいっぱい付いていたんですね。
大人になって、二度ほどこのアパートに行ってみました。
小さくて、古ぼけていて、ちょっと違って見えました。子供の頃は、あんなにでっかくて、立派な建物だったのに。
アパートが建つ前は、この辺りには、大正時代にできた洋館が並んでいました。わたしの家族とまさきちゃんの家族は、ひとつの屋敷をふたつに仕切って、隣同士で住んでいたのです。
庭は広々としていて、真っ黒な土が立派な木々を育んでいました。「大王松」と呼ばれる背の高い松が生えていて、「あの松のお家」といえば、近所の人はどこだかわかっていたみたいです。
洋館は時代の流れで取り壊されてしまったけれど、ここは、わたしの人生の出発点だったんですね。
そんなことが頭をめぐって、昨夜はよく眠れなかったんです。
追記:庭の写真は、勿論、子供の頃のものではありません。アパートの建っている町近くにある料亭の庭です。うっそうと生える木々のイメージが重なったので、ちょっと掲載してみました。
それから、いじめられていたまさきちゃん。子供というのは回復力が強いのか、その後、いじめっ子と仲良く遊んだり泣かされたり、という関係を続けておりました。