九州めぐり〜鹿児島 前編(指宿から知覧)
<エッセイ その198>
今日は、『九州めぐり〜鹿児島』と題して、旅のお話の前編となります。
いまさらながら、九州には北から南に向かって福岡、佐賀、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島と、7県あります。沖縄県を含めて、九州・沖縄地方ともいいますが、鹿児島は九州本土の最南端。
これまで各県すべてを訪れたことがあるものの、鹿児島県は、鹿児島市の駅前に行ったことがあるだけ。宮崎へ向かうにあたって、鹿児島経由のまわり道をした事情があったのですが、今回は、違います。
中学から仲良しの友人が鹿児島市に住んでいるので、彼女との再会ついでに観光をしようということになりました。
驚くことに、福岡市(JR博多駅)から新幹線を使うと、JR鹿児島中央駅には1時間半ほどで着きます。そこから特急『たまて箱(愛称 IBUTAMA)』に乗って50分。最初の目的地・指宿(いぶすき)には、2時間半ほどで到着です。
車だと4時間半の行程なので、列車は速いし、楽なのです。
『たまて箱』という2両編成の特急のことは、友人が教えてくれました。通常1時間半かかるローカル路線がグンと短縮されるので、お急ぎの方には、お勧めです。ただし、鹿児島中央駅を発車すると、しばらくガタン、ゴトンと、ものすごい上下運動があるので、驚かないでくださいね。じきに、静かになりますので。
車内にはいろんなタイプの座席がアレンジされていますが、わたしは海側の窓を向いたカウンター席に座ったので、線路が静まったころ、車窓に広がる海も存分に楽しめました。
指宿という名前を聞くと、どなたも温泉を思い浮かべるでしょう。浜辺には「砂蒸し風呂(すなむしぶろ)」の小屋が並び、湯治客が順番待ちをしています。
ここに来れば、絶対に外せないイベントですね。
わたし達が選んだのは山の上にあるホテルですが、ここでも砂蒸し風呂を体験できました。指宿では、およそ1000箇所から源泉が湧き出ていて、山の上でも温泉を楽しめます。
砂蒸し風呂とはどんなものだろう? と思いきや、砂を平らにした所に横たわり、温かい砂を体全体にかけられるというもの。が、なんといっても、砂が重い! 腰が痛い!
ネパールからいらした担当者は、スコップで器用に砂をかけながら「熱かったら、砂から手足を出しても大丈夫ですよ」と流暢な日本語でおっしゃいます。お言葉に甘えて、足先の砂を蹴散らすと、だいぶ砂の重圧が軽くなって、お約束の10分を過ごすことができました。
砂が熱いというよりも、重みが大変な「修行」ではありました。
こちらの写真は、砂蒸し風呂の小屋のある砂浜です。よく見ると、浜から湯気が上っているのがわかります。満潮時は小屋を利用しますが、潮が引くと、波打ち際に横たわって砂をかけてもらえるそう。
砂蒸し風呂に関しては、約500年前に書かれた「砂に穴を掘り人が横たわる」という記述が残されるとか。昔から「海を眺めながら砂蒸し」を楽しまれていたようですが、この500年の間に、砂が重い! と蹴散らした方は一人や二人ではなかったことでしょう。
宿泊したホテルでは、眺めの良いバルコニーの露天風呂でのんびりしたあと、ヘルシーなフレンチのコース料理と美味しいワインをいただきました。
さすがは、薩摩(さつま)の国。
フレンチと謳(うた)っていても、さつま揚げを工夫したオシャレな一品(写真)や、薩摩赤鶏の手羽先を豪快に手づかみでいただく一品と、ひねりがあります。
普段は苦手な鰻(うなぎ)も、大隈産の鰻の蒲焼を地元・指宿で採れたトマトのスープ仕立てでアレンジすると、ペロリと食べられます。
メインは、鹿児島県産・黒毛和牛の脂の少ないフィレ肉。贅沢に「薩摩を食する」ヘルシーな品々で、それが印象に残る一泊となりました。
翌朝は、レンタカーを借りて、友人の待つ鹿児島市へと向かいます。
指宿から鹿児島への道中も、寄りたい所がたくさんあって、半日では到底足りません。そこで、指宿から南下して長崎鼻という半島を目指し、そこから北に向かって知覧を経由して鹿児島市へと、おおざっぱなプランを立てます。
まずは、大きなカルデラ湖・池田湖に行ってみたい! という連れ合いでしたが、手前に出てきた「鰻池(うなぎいけ)」という看板に惹かれて、いきなり寄り道となりました。
こちらも池田湖と同じく、火山の噴火口に水がたまってできたカルデラ湖です。規模はぐんと小さいものの、こぢんまりとしたサイズのおかげで全貌が見渡せます。
新緑の木々と深い青の湖面が、春のコントラストを織りなし、神秘的な景色となっています。
湖面に下りる途中、町営浴場(区営鰻温泉)を見かけました。あとで友人に聞いてみると、ここは観光客でも気軽に入れる温泉とのこと。先を急ぐあまり、温泉を楽しむ余裕がなかったのが残念な限りです。
なんでも、この鰻池は、幕末の薩摩藩士・西郷隆盛(さいごうたかもり)さんお気に入りの湯治場だそうで、美しい景色と温泉以外は何もない、魅力のスポットなのです。
西郷さんといえば、鹿児島じゅうの名湯がお好きだったようで、鰻池のほかには、薩摩川内市(さつませんだいし)の川内高城温泉(せんだいたきおんせん)、日置市(ひおきし)の吹上温泉(ふきあげおんせん)などが筆頭に挙げられるようです。
川内高城温泉などは、遠く熊本・天草あたりから農業や漁業従事者が湯治にいらしていたそうで、昔の「温泉」「湯治場」の病気治癒の意味合いがずしりと心に響きます。
鰻池をあとにして向かった先は、長崎鼻(ながさきばな)。
鹿児島県南部は、右の大隅半島(昔の大隈国)と左の薩摩半島(薩摩国)と「足」みたいに分かれていて、指宿があるのは左側の薩摩半島。その最南端にあるのが、長崎鼻と呼ばれる岬です。
火山から噴出した溶岩が固まってできた岬で、ゴツゴツとした崖には、小さなポエティックな灯台が置かれます。
ウミガメの産卵地としても知られ、昔話に出てくる浦島太郎がここから竜宮城へと向かったと伝わる、名勝の地。近年、灯台のそばに乙姫様(おとひめさま)を祀る龍宮神社(りゅうぐうじんじゃ)も建立され、なんとなく「恋人の聖地」にまつりあげられている感もあります。
わたし達がここに来たかった理由は、開聞岳(かいもんだけ)。
指宿で泊まった山の上のホテルからは、開聞岳の先っぽが見えていて、その凛とした姿に心を奪われ、開聞岳が見える場所はどこ? と探し当てたのが、ここ長崎鼻。
長崎鼻から開聞崎を結ぶ、弓なりの黒い砂浜の向こうには、立派な開聞岳が一望できます。裾野の広い富士山のようでもありますが、方角によっては斜面がふくらんだり、山肌の濃淡が浮かびあがったりと、自在に変化(へんげ)します。
開聞岳は、別名「薩摩富士」。観光で訪れた人だけではなく、日々ここで生活する地元の方々も魅了する、美しい山なのです。
ちなみに、長崎鼻のある指宿市山川地区には、ソテツが自生していて、南国的な雰囲気を感じます。
ソテツは、おもに熱帯、亜熱帯に生育する植物。近郊の南さつま市坊津(ぼうのつ)、大隅半島の最先端・佐多岬(さたみさき)や内之浦(うちのうら)と並んで、日本国内で「自生の北限の地」となっています。
自生のソテツ群は珍しく、国の特別天然記念物にも指定されています。鹿児島観光のついでに脳裏に刻んでおきたい、貴重な景色でしょうか。
近くには、開聞岳を臨む有名な駅もあります。
こちらは、JR九州・指宿枕崎線の西大山駅(にしおおやまえき)。どうして有名なのかというと、日本全国のJR駅の中で、最南端にあるから。
プラットフォームの上に雨よけがついただけの、ごく簡素な無人駅ですが、ひっきりなしに観光客が立ち寄る人気スポットです。春には菜の花が咲き誇って「映えスポット」となりますが、やはり、美しい開聞岳が見えることも、魅力のひとつでしょう。
「あそこの商店では、駅に来た証明書をもらえますよ」とベンチの方に教えてもらったので、さっそく110円で買ってみました。指宿観光協会が発行する『JR日本最南端の駅到達証明書』で、ここが北緯31度11分であることがわかります。
この開聞岳の裾野は、豆類の栽培で有名な地。実えんどう(グリーンピース)やスナップえんどう、空豆と、今が旬の豆類が沿線に実ります。
お昼も過ぎたので、池田湖に向かう前に、唐船峡(とうせんきょう)という渓谷に立ち寄ります。
ここは「そうめん流し」発祥の地。
そうめん流しとは、「流しそうめん」と違って、そうめんが回転式にクルクルとまわる仕組みになっています。
大掛かりな竹筒も必要ないし、手軽にテーブルの上で流しそうめんができる、楽しいイベントです。マスの塩焼きやおにぎり、みそ汁がついたセットメニューになっています。
さすがに、醤油が甘い鹿児島。そうめんの「つゆ」は甘めで、甘い卵焼きが大好きなわたしは、とっても美味しくいただきました。
お昼を食べたら、時間がなくなってきて、連れ合いが行きたかった池田湖には、ほんの少しだけ立ち寄りました。
鰻池と同じくカルデラ湖の池田湖は、実は、九州最大の湖です!
それが、連れ合いが見たかった理由ですが、なにせ大きいので全体像がよくわかりません。
大きな湖ということで、ちょっと前まで「イッシー」という巨大未確認生物がいると騒がれたそうですが、友人によると、今はイッシー熱も去り、静けさが戻ったとか。
北海道出身の連れ合いは、ここで支笏湖(しこつこ)の景色を思い浮かべたようですが、同じくカルデラ湖で成り立ちが似ているので、雰囲気も似るのかもしれませんね。
ちなみに、池田湖の周囲は約15キロメートル、支笏湖は約40キロメートル。支笏湖よりも小さいとはいえ、池田湖の湖畔を回るには時間がありません。ですから、次へと急ぎます。
次の目的地は、知覧(ちらん)。
知覧と聞くと、まず戦時中の「特攻隊」を思い浮かべます。
太平洋戦争の末期、この知覧の地には旧帝国陸軍の基地が置かれ、若者たちが特攻(特別攻撃)隊員になる訓練を受けました。
いうまでもなく、特別攻撃とは、ヨーロッパ植民地のアジア諸国を「解放して」自立した大東亜共栄圏を築こうと、大日本帝国がアメリカやイギリスと戦う過程で、物資不足に陥った帝国陸軍が編み出した作戦のこと。爆弾を装備した飛行機に乗り込み、操縦士もろとも敵艦に体当たりする、という極限の戦法です。
同時期、帝国海軍は、魚雷に操縦士が乗り込む「人間魚雷」を編み出し、こちらは『回天』という名で知られます。
こういった戦争の歴史を語り継ごうと、知覧には特攻平和会館が設立されていますが、残念ながら、時間に追われるわたし達はスキップしてしまいました。
そこで、南九州市役所前に車を停めて、ちょっとだけ街を散策します。
「南九州市」とは耳慣れない名前ですが、2007年に知覧町、川辺町、頴娃(えい)町が合併してできた新しい市。市役所、地方法務局や検察庁といった行政機関は、ここ知覧に置かれます。
知覧という街は、堅固な石垣に囲まれた武家屋敷群で知られていて、立派なお屋敷の生垣を眺めながら、静かに散策するのも素敵です。
上級武士の住居だった屋敷群は、外敵からの防御を兼ねていたそう。
整然と区割りされた道を歩くと、まるで士農工商の時代にタイムスリップしたような感覚を抱きます。
実際に時代劇の撮影で使われることも多いようで、こちらは、NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』の撮影が行われた一角。これほど立派な石垣の街並みは珍しいので、撮影にも重宝するでしょうね。
そして、知覧といえば、お茶です!
今では、急須に茶葉を入れてお茶を淹(い)れることは少ないとは思いますが、わたし自身は、お茶が好きだった母の影響もあり、だんぜん急須派。
午後3時には急須でお茶を淹れる習慣があって、旅先で「お茶の産地」と聞くと、茶葉を買って帰るようにしています。
友人は、知覧茶を買うのなら、後岳(うしろだけ)という地域で栽培されたお茶にしなさい、と教えてくれました。なんでも、この山あいの地域は霧が多く、その寒暖差のために美味しいお茶ができるとのこと。
メイン通りにある小さな個人店に入ると、「こちらのお茶はすべて、親戚が後岳で栽培した知覧茶なんですよ」と、笑顔で迎えてくれました。
種類がたくさんあって迷うところですが、「普段使いのお茶」と「贅沢品」を買ってみました。
知覧茶のイメージは、甘みがあること。そのイメージが正しいのかどうか、封を開けるのが楽しみなのです。
というわけで、この続きは、後編にてご紹介することにいたしましょう。