受刑者の消防隊員
<エッセイ その214>
今日は、ちょっと趣向を変えて、アメリカのお話をいたしましょう。
7月4日は、アメリカの独立記念日(Independence Day)でしたね。
独立記念日というけれど、実は「独立が完了したことを祝う日」ではありません。
イギリスの統治から逃れようと、戦いの火ぶたが切られた翌年の1776年。植民地だった東部13州が、『独立宣言(the Declaration of Independence)』を議会で採択したことを記念する日なんです。
独立戦争(the American Revolutionary War)は、1783年に終結するまで8年も続いていますが、この戦いの初めころに採択された文書となります。
『独立宣言』というと、たいそう立派なことが書かれているのだろうと思いますが、その長い文章を読んでみると、当時のイギリス王・ジョージ3世の悪行が整然と論理的に列記されている印象です。
イギリス王は、植民地の人々の権利を守るための議会や法廷といった重要な機関を十分に認めてくれていない。今まで丁重に改善を要求してきたのに、さらに重い罰を科すなど、我々自由人の統治者とは到底なり得ないのである、といった内容を強い口調で表現しています。
けれども、この独立宣言は、イギリス王に宛てたものではなく、戦う同志の士気を高めるために世界に向けて採択されたもの。この宣言を味方に知らしめようと戦地に持ってまわったので、原本はボロボロになってしまい、現在、公文書記録管理局に保管されるもの(写真)は、写しだそうです。
そんな独立宣言の冒頭の一文は、日本国憲法にも反映されるほどの名文となっていますね。
「すべての人は平等につくられ、わたしたちには、生命(Life)、自由(Liberty)、幸福の追求(the pursuit of Happiness)といった侵さざるべき権利が創造主によって授けられている」
だからこそ、わたしたちはイギリスからの決裂を宣言するのである、という主文です。
日本国憲法の第13条「個人の尊重」も、この独立宣言の主文がベースとなっていますね。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
これは、まるで英語の独立宣言の主文をまるごと和訳したような条文になっています。
そんな立派な理想を掲げた独立記念日ですが、一般のアメリカ人にとっては、家族や友人が集まってバーベキューを楽しんだり、パレードに参加したり、花火大会を満喫したりと、夏の一日を飾るおめでたい一日になっています。
連れ合いなどは、毎年7月4日、映画『インディペンデンス・デイ(Independence Day:1996年公開)』を大音響で観ることを習慣にしています。
「アメリカの独立記念日に地球を侵略する宇宙人をやっつけた!」という内容はとっくに覚えているんですが、美しい花火大会と同じように、例年楽しみにしている「お祝い事」のようです。
国の独立を祝う、7月初頭。
お祝いムードのウィークエンドが過ぎると、アメリカ人の頭はシャキッと仕事モードに切り替わります。
まるで、夜空に咲いては消える花火の大玉のようではありますが、消え行かないのは独立宣言の精神でしょうか。
「人は個人として尊重されるべきものであって、誰だって生命や自由は守られ、幸福を追い求めることを許されている」という精神。
そう、このような基本的な人権(human rights)は、どんな環境にある人にも当てはまることで、たとえば、刑務所に服役している方々だって例外ではありません。
カリフォルニア州に住んでいてちょっとびっくりしたのは、服役中の方々が社会で活躍できることでした。
たとえば、山火事(wildfires)の現場。
日本でもよく報道されていますが、乾燥したカリフォルニア州でひとたび山火事が起きると、街がひとつ消失してしまうくらいの猛威をふるいます。
地元の消防署だけではなく、州全体から、あるいは他州からも消防隊員(firefighters)が派遣され、皆で協力して山火事という「巨大な怪物」に挑みます。
中でも、カリフォルニア州は服役中の方々に頼る比率が高く、山火事に特化した優秀な消防隊員をたくさん輩出しています。
なんでも、全米で14州ほどが、山火事の消火活動に服役中の隊員を動員しようと訓練制度(Conservation Camp Program)を設けているそうです。
カリフォルニア州もそのひとつで、希望者は消防訓練施設(fire camp)の寮に入って、山火事に対処する術(すべ)を学びます。州内には44か所に訓練施設があり、希望すれば、最大7年間ここに滞在することができるとか。
2020年のカリフォルニア州の統計では、この年、山火事の消火活動を行った服役消防隊員(inmate firefighter)は、1354人だったそう。前年にはコロナ禍で早めに出所した服役隊員も多く、前年の3割減となりましたが、山火事と闘う消防隊員のほぼ3分の1を占めています。
ひとことで山火事と言っても、状況は千差万別。近頃は、下から上に向かって順繰りに木が燃えて行くような「おとなしい山火事」は少なく、火柱が龍のように天をつく「火の竜巻(fire tornado)」が起こり、あちらこちらへと暴れまわる凶暴な山火事が多いようです。
ですから、対処する方法も年々複雑化していて、学ぶこともたくさん。悪魔を思い浮かべる真っ赤な炎や熱に対峙する、精神の強靭さや機敏な判断力も求められる。
そういった特殊スキルを身につけた消火隊員は、誰であろうと現地で重宝されるのです。
暴風にあおられ容赦なく襲ってくる火柱に、命を懸ける危険な状況もあるし、時には地べたに横になって仮眠を取り、すぐに作業を再開することもある。そんな過酷な環境に望んで飛び込む人は、プロの消防隊員であってもそう多くはないでしょう。
カリフォルニア州では、州内に刑務所ができた19世紀のころから、受刑者を災害地に動員する習慣があり、消防訓練の制度は1940年代から存在したようです。
ある者は命を落とし、ある者は一生怪我や後遺症に悩まされることもありますが、それでも刑務所からの希望者が絶えないのは、「社会の役に立っている誇りを感じられるから」なのでしょう。
こういった服役消防隊員には、消火に出動した場合、時給1ドルが支払われます。待機中の隊員には日当2ドルが支払われますが、いずれにしても、日に千円にも満たないくらいの安い賃金です。
それでも、社会貢献をする誇りや、救助した人の笑顔や感謝の言葉の方が、ずっと価値のあることなのでしょう。
ところが、ワシントン州は、ちょっと状況が異なるようです。
ワシントン州は、カリフォルニア州の上の上にある西海岸の州で、やはり豊かな山々に囲まれたところ。ということは、山火事が多い。
カリフォルニア州、その上のオレゴン州、その上のワシントン州と、近年はとみに降雨量や積雪量が減ってきて、山々が常に乾燥している。雨季に入って豪雨が降ったとしても、「焼け石に水」。乾燥した木々は、まるで燃料のよう。
ですから、山火事専門の特殊部隊というのが重要性を帯びてくるわけですが、ワシントン州でもやはり、服役中の消防士の占める割合は高いようです。
けれども、カリフォルニア州と大きく違う点は、支給される手当て。
なんとワシントン州では、服役中であろうと、通常の消防士に匹敵するほどの給料をもらえるそう。
それは、山火事の消火は危険な仕事であり、従事者には、分け隔てなく報酬を支払うべき、といった方針に基づきます。
カリフォルニア州の場合は、山火事消火は他の刑務作業と同等であると捉えられているのに比べて、ワシントン州では、職務の厳しさ、難しさ、スキルレベルの高さを評価して、高い報酬を支払うという方針のようです。
つまり、その人の経歴で判断するのではなく、行っている業務を評価する、ということでしょうか。
カリフォルニア州でも、ワシントン州でも、刑期を終えて出所したあと、プロの消防士に転身される方もいらっしゃいます。ただ、アメリカの消防署は、まだまだ人種偏見やジェンダー偏見の体質も残るので、元服役囚の消防士は嫌がられることもあるのだとか。
そういった社会の無理解を打破しようと、組織を立ち上げ、元服役囚が消防活動のスキルを発揮できるよう手助けする方々もいらっしゃいます。
州の森林保護防火局(the Department of Forestry and Fire Protection)の新米消防士として勤められるように認定書を発行したり、職探しの手助けをしたりと、具体的な援助活動を行っているそうです。(写真は、カリフォルニア州南部で結成された非営利団体FFRP(The Forestry and Fire Recruitment Program)のチーム。左端のスミスさんと右から2番目のラミーさんが団体の共同設立者です)
元受刑囚が出所したあと、不幸なことに社会にうまく再適応できず、刑務所に戻ることもあります。
これを再犯率(recidivism rate)といいますが、興味深い傾向が見られます。
アメリカ全体の再犯率は、近年の統計ではおよそ44パーセント。
カリフォルニア州は、ちょうど平均的な再犯率です。
アラスカ州やデラウェア州は60パーセントを超え、逆にオレゴン州は13パーセントと全米でもっとも低いです。
そんな中、ワシントン州は30パーセントとかなり低い方なので、たとえば消防士として社会復帰できるシステムが功を奏しているのではないかと想像するのです。
カリフォルニア州では、4年前にギャヴィン・ニューサム州知事がこんな法案に署名し、法律が制定されています。
服役中に消防士として山火事の消火活動に従事した者は、出所後にプロの消防士にスムーズに転身できるよう制度化する。そして、彼らが出所したあと無罪の申し立て(plea of not guilty)を行い、有罪記録を抹消すること(expungement)を可能にする、とのこと(法案AB2147)。
もちろん、この制度は、あくまでも軽犯罪の受刑者に限定され、殺人、誘拐、性犯罪といった重罪の受刑者には適用されません。が、対象となる服役囚にとっては、将来の希望の持てる制度なのでしょう。
誰だって、生きていて間違うことはある。
だから、一度失敗しても、セカンドチャンスは与えられるべき。
それは、どんな境遇にあっても、社会に生まれてきた者の「侵さざるべき権利(unalienable rights)」なのでしょう。
そして、山火事から命や財産を守っていただいた方々にとっては、助けてくれたヒーローが誰であるかなんて、まったく関係のないことでしょう。
「ありがとう」という感謝の言葉や、尊敬の眼差しは、どんな人にとっても、まさに人生を変えてしまうようなパワフルな栄養剤となるのでしょうね。