Essay エッセイ
2006年11月14日

好きな言葉

アメリカに住みはじめて、もうかれこれ27年になります。

その間、ずうっとアメリカに住んでいたわけではありませんが、それなりに長い間こちらに暮らしております。

けれども、どういうわけか、誰が見ても、わたしは「昨日アメリカにやって来たばかりの日本人」に見えるようです。

それで、そういうのって、自分では結構いいなぁと思ったりするのです。


そして、その日本人が話す日本語というものは、もともと非常に美しい言葉ではありますが、わたしの好きな言葉に、「仁義をきる」というのがあります。

いえいえ、あの恐~いお兄さま方の集まりというわけではありません。

「仁義」というのは、人の道という意味です。

そして、「仁義をきる」というのは、筋を通すという意味なのです。


まあ、一般的には、「仁義をきる」というと、渡世人(とせいにん)のご挨拶を指すのでしょうか。

たとえば、映画の「寅さん」にこういうのがありますね。「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天(たいしゃくてん)で産湯を使い・・・姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します」という自己紹介。

渡世人の世界では、相手に対し、自分の素性をきちんと明かすことが大事なんですね。

でも、わたしにとっては、「仁義をきる」というのは、「道理を通す」ということなんです。つまり、相手の立場や考えをわきまえ、こちらもそれを尊重し、相応に行動すること。

まあ、なんでもいいと思うんです。たとえば、何かしてもらったときに、お礼状のひとつも書いてみるみたいな、ごく簡単なことでも。

相手がわざわざ時間を使って何かをやってくれたんだから、それに感謝するのは当たり前のこと、つまり「道理」なんですよね。


アメリカに長く住んでいる人は、よく「アメリカナイズされている」と言われます。

アメリカナイズ。つまり、アメリカ化。

アメリカといって、まず思い浮かべるのが、徹底的な個人主義。そして、自分の意見を臆せずはっきりと述べること。

けれども、この個人主義には、自身のことは最後まできちんと面倒を見るという責任意識が含まれていますし、自己を主張する中には、相手の意見を聞き入れ、自説を撤回できる強さも含まれています。

個人主義というのは、何でも自分の都合のいいように行動する「身勝手」という意味ではありませんし、自分をきちんと主張することは、がむしゃらに我を通す「利己主義」というわけではありません。


アメリカで商売をしている日本人の方と、お話しする機会がありました。

こうおっしゃるのです。

こちらで日本人を相手にするのは、難しいと。

残念なことに、自分の思う通り、好き勝手に相手を利用する術を身に付けてしまった人がいると。

なにやら積もり積もったものがあるらしく、この方は、「自分は利用されるだけ利用されて、ポイッと捨てられているような気がする」とおっしゃっていました。

使い捨てカイロじゃないのに。


もちろん、そんな人ばかりではありません。大方のアメリカの日本人は、とってもいい人なのです。

でも、残念ながら、「仁義をきる」ことを忘れ去ってしまった人もいるのですね。

何年外国に暮らしていようと、決して忘れてはいけない日本人の良さがあるのだと思うのです。

おまけ:冒頭に、自分は昨日アメリカにやって来たばかりの日本人に見えると書きましたが、日本に帰ると、それなりに、変な経験をしてしまうのです。

あるとき、東京のホテルで部屋のドアを開けると、メイドさんが立っていて、いきなりこう言ったことがあるのです。「グッド・イーヴニング、マダム!」
 ホテルの前でタクシーを降りたら、「Good afternoon, are you checking in?(こんにちは、チェックインなさるのですか)」と、とぼけた質問をされたこともありました。

まあ、このホテルは外人さんが多いので、英語の方が安全だと思ったのでしょうが、それにしても、彼らには、わたしがいったい何に見えたのでしょうか。香港から来た中国人?それとも、アメリカから来た韓国人?

それから、文中の写真は、東京の広尾商店街にある「船橋屋・こよみ」さんで撮らせていただきました。ここは、「にゅうめん(煮麺)」が名物なんですよ。そうめんを醤油味のスープで軽く煮たものですが、その脂っけのない軽さが気に入っています。


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