季節感
シリコンバレーの幹線道路・フリーウェイ101号線にかかる陸橋にも、真新しいヒマワリのグラフィティ(落書き)が描き加えられていました。
へぇ、アメリカ人にも季節感があるんだぁと感心した瞬間でしたが、日頃アメリカに住んでいると、なかなか季節を感じにくいですねぇ。
それは、ひとつに、食べ物に季節感がないからでしょうか。
7月下旬から8月上旬、よりによって日本の一番暑いときに帰国していました。
乾燥したカリフォルニアから降り立ったせいで、湿気と猛暑で知らないうちに体調を崩してしまったのですが、そんな中でも、食べ物がおいしいのが救いとなりました。
口に運ぶものがおいしいと、それだけで食欲がわくでしょう?
ホテルでは、毎日桃やぶどう、イチジクと季節の果物を置いていてくれたのですが、それが、とってもありがたかったです。
とくに、果物の中では桃が一番好きなので、ちょうど桃の季節だったことにも深く感謝です。
甘くてジューシー。でも、それだけではなくて、そこはかとなく上品な香りが漂ってくるような、立派な桃。
体調がすぐれないときには、果汁たっぷりの果物って、ほんとにありがたいですよね。
いえ、カリフォルニアだって、桃はおいしいんです。
白桃(white peach)も黄桃(yellow peach)も、19世紀後半に日系の方々が移住して来られたときから、重要な農作物でした。
けれども、桃ってデリケートで傷みやすいので、そのうちに実が硬くて傷みにくい品種が広く栽培されるようになって、あの「かぶりつくと、果汁がしたたりおちるような」桃が、だんだんと姿を消していったのです。
今となっては、大きなチェーンスーパーでは、カリカリとした桃の方が幅をきかせています。
桃の類は、英語では stone fruits(石のフルーツ)とも言うんですが、それは「種が石ころのように硬い」という意味(以前こちらでご紹介)。でも、なんとなく「実が石みたいに硬い」と、誤解を招く風でもあります。
わたし自身は、近くにあるオーガニック(有機栽培)専門のローカルスーパーで野菜や果物を買うことにしているので、そこでは、季節ともなると、昔ながらの果汁たっぷりの桃を手に入れられます。
けれども、日本のものと比べると、どことなく「香り」が違うような気もするのです。
もしかすると、カリフォルニアの桃が昔ながらの品種で、日本のものが改良に改良を重ねた「芸術品」なのかもしれませんね。うまく説明できませんが、日本の香りは、もっと甘酸っぱいような・・・。
果物だけではなくて、日本のレストランで食事をすると、素材のおいしさに感心するのです。
そう、日本で大切に育てられた野菜や果物を使うと、ひとつひとつのお皿が、新しい息吹をもらっているように感ずるのです。
どんなにシェフがうまく手を加えようとも、もともとの素材が良くなければ、お料理が台無しになってしまうこともあるでしょう?
新キャベツに、新ジャガに、新しょうが。
夏になると、キュウリやとうもろこしが出回り、しそやみょうがの脇役も大活躍。
日本のお料理には、今この時期に登場する必然性みたいなものを感じるのです。
近頃、レストランで食事をする機会がめっきり減った母にも、「この街は食材がおいしいから、うらやましい」と話すのです。
決して母をなぐさめようとしているわけではなくて、心底うらやましいと思うんです。
母は、わたしが帰ると連日魚をおろして刺身をつくってくれるのですが、こちらのイサキも、新鮮でおいしかったですね。刺身のつまのキュウリが、ざるに入って不格好ですけれど、そこは、まあ、家庭料理のご愛嬌。
野菜も魚も、甘いものは甘いし、苦いものは苦い。少々不格好でも、少々えぐみがあっても、それが本来の味なら、そのままの味を楽しめるのが、料理の真髄だと思うのです。
残念ながら、カリフォルニアに戻って来ると、数日ほど食欲が減退するんですよね。なぜって、口に入れるものがすべて、本来の味をなくしているように感じるから。
自分でせっせとつくるサラダだって、ナイフで皮をむくだけのリンゴだって、なんとなく違和感があるんです。
野菜は野菜の味、魚は魚の味がしない、とでも言いましょうか。
まあ、食べないと生きていけませんから、ほんの数日で「味無し」にも慣れてしまうんですけどね。
日本で過ごしていると、季節のもの、おいしいものが当たり前になってしまいますが、そんな日本の季節感にもっと感謝しなければいけないな・・・とも思うのです。
だって、日本では当たり前のものでも、外国では当たり前じゃないこともありますからね。
きっと外国旅行をなさって、「味無し」を経験された方もいらっしゃるのではないでしょうか?
追記: ちょうどこれを書いていたときに、アメリカのコラムニストが同じようなことを書いていらっしゃいました。「わたしは、食べ物の本来の味を知らない(I’m not truly familiar with what real food tastes like)」と。
ワシントンポスト紙のエスター・セペダさんは、最近読んだ「食」に関する3冊の本から、食べ物というものは、たくさん売れるために、運搬に耐え、長持ちするようにできていることを学んだ、とおっしゃっています(Harvested and slaughtered food is designed primarily to travel and last)。
(Excerpted from “Some tasty reading on food production” by Esther J. Cepeda, a Washington Post columnist, published in the San Jose Mercury News, August 28, 2014)
もしも運搬に耐え、長持ちするようにできているのなら、上で書いた桃のように、「果汁がしたたりおちる」のではなく、「カリカリ」の桃になってしまいますよね。
そして、もしも「見栄えのいいもの」を目指すなら、こちらのサラダ菜のように、奇妙なくらいに鮮やかな緑色になってしまうのでしょう。
写真の説明: おいしそうなレストランのお料理は、上の写真が、六本木にある『エディション・コージシモムラ』のカラフルな夏のガスパチョ。とうもろこし、キュウリ、トマトと、夏の野菜たっぷりのピリッとひきしまったスープです。
下の写真は、銀座『エスキス(Esquisse)』 のとうもろこしをテーマとしたデザート。甘みはおさえてあって、「デザート」の概念を変えるような一品です。プレゼンテーションがまた、お店の名前『素描』をうまく表しているようです。
2軒とも「フレンチ」ではありますが、日本の素材を使ったら、フレンチもこう変身する! といった心意気を感じさせます。