Essay エッセイ
2019年05月16日

学校は卒業しなくても

中庭の八重桜も散りゆき、若葉の緑が日に日に濃くなっていきます。



そんな春の一日、以前もエッセイに登場していただいた、ご近所さんのお孫さんのお話をいたしましょう。



仮にシャロンさんのお孫さん、エリックくんといたしましょうか。



以前のお話では、16歳でマサチューセッツ工科大学(通称 MIT)に入学することになった、べつのご近所さんの娘さんが主役でしたが、今日はエリックくんの近況です。



教育者に「天才」と呼ばれ、自宅でのホームスクールから2年制大学を経て、14歳でカリフォルニア大学バークレー校(写真)の大学院に入学したエリックくん。16歳で修士号を取得したあとは、MITの博士課程に入りました。



人間の脳や認知科学を学びながら、どうやってコンピュータを人間が持つ優れた脳に近づけられるか? と、日夜研究に励みます。



なんでも、計算論的神経科学(computational neuroscience)という分野をお勉強していたそうで、人間の脳の複雑な働きを数字を使ってモデル化し、コンピュータやロボットに応用しようという試みなんだとか。



そう、近頃はよく「AI(artificial intelligence)」とか「人工知能」という言葉を耳にするようになって、何かと「人間はあと何十年かで AIに置き換わる」などという物騒な話題が取り沙汰されています。が、実のところ、中身を知っている研究者ほど、AI の稚拙さは熟知していらっしゃって、「まだまだだなぁ」と落胆することも多い分野です。



なにせ、機械には人間が教え込まないと、何もわからない。たとえば、猫の写真を見せても、猫だと認識するまでには相当の訓練が必要で、「どうやったら人間みたいに、初めて見かけた猫でもすぐに猫とわかるようになるの?」という初歩的なことだって、なかなか簡単には解けない難題となるのです。



そんな複雑な研究過程で、エリックくんには思いついたことがありました。



大まかにいうと、困っている人と、そんな人を探している企業をつないであげるサービス。



ここでは、ざっくりと「人と企業をつなぐサービス」と呼んでおきましょう。今までは誰も考えつかなかったような、斬新なサービスです。



数年前にこのアイディアを得たエリックくん、まずはフィアンセのクリスタルさん(仮名)とふたりだけの会社を起こします。その画期的な構想を、起業したてのスタートアップに向けたファンディング(投資)コンテストで発表して、めでたく投資を受けます。そこから実際にプログラムを書く仲間を増やして、3人の会社となりました。



そのうちに、有名なシリコンバレーの投資家の目に留まり、彼の投資グループからお金やアドバイスという貴重な援助を受けるようになるのです。ときにアドバイスは、お金以上の価値がありますから、ベテランの方々とコネクションを持つのは大切なことなのです。



今では、従業員は8人となり、契約書を交わせそうな企業もどんどん増えていっています。つい先日は、「また2社の大企業と契約を交わしたよ」と、祖母のシャロンさんに電話があったとか。



近頃は、どこで名前を知ったのか、企業の方からコンタクトを取ってくることも多いそうで、このまま計画通りに行くと、近い将来、毎月黒字になるほど健全経営に転じるとか。



シリコンバレーの投資家に援助を受け始めた頃でしょうか、好転の兆しがうかがえるようになったので、エリックくんもクリスタルさんもマサチューセッツ州から地元カリフォルニア州に移り住み、若いエンジニアであふれるサンフランシスコの海ぎわにオフィス兼住居を構えるようになりました。



すると、当然のことながら、自分たちが通っていた東海岸の学校は遠のき、なんとなく勉学とも疎遠となるのです。



そんなわけで、エリックくんは MITの博士課程は途中のままだし、フィアンセのクリスタルさんも、わざわざボストン大学から転校したブラウン大学(ロードアイランド州の私立大学)はあと一年で終えるのに、そのまんま放ってあるそうです。



エリックくんのご両親も、クリスタルさんのご両親も、「まあ、本人がいいなら、それでいいんじゃない?」という寛容な態度。



でも、孫のことが気になるシャロンさんとしては、「せっかく良い学校に入ったんだから、ちゃんと卒業して欲しい」と未練があるようでした。



もしかすると、シャロンさんの方が日本的な考えの持ち主かもしれませんね。




このときシャロンさんと同席していたニコルさん(仮名)。



長男は医学部出身で、病院勤務の医師として独り立ちできたタイミングで、結婚もして子供も生まれた、という絵に描いたような立派な道を進んでいます。



一方、次男は自由気ままな性格なようで、公衆衛生学と病院経営の修士号を取得したあとは、迷走が始まるのです。



修士課程のときに思いついたスマートフォンアプリで身を立てようとしたり、やはり医療の道を捨てきれずに医学部に入り直したりと、何度も方向修正をするのです。



連れ合いも相談を受けたことがありましたが、彼が夢中になっていたアプリは、昔の「二番煎じ」ともいえるような斬新さに欠けるものだったとか。そんなこんなで、本人も「やはり、自分には医学の道しかない」と悟ったのでしょうか。



兄も母方の従姉妹(いとこ)もみんな医学部に入っているし、ようやく自分も医者になることを決意したようです。



ところが、二転三転。近頃は、医学部のある東海岸から戻ってニコルさん夫妻と同居しているなと思っていたら、なんと「歯学部に入って、歯医者さんになる!」と言い始めたとか。



すでに入学許可をいただいている学校は、サンフランシスコとニューヨークに二校あるそうで、間もなくどちらに進むかを決めないといけないタイミングだそうです。



わたしは長男、次男ともお会いしたことがあるので、二人とも良い息子さんであることは知っているのですが、こうも二人が違った人生の歩み方をするとは、ひとりひとりの選択というのは、あくまでもユニークなものなんですね。




いずれにしても、ニコルさんとしては次男がやりたいと思うことは応援してあげたい気でいるようですが、なにぶん医学系の学校は学費が高い!



ニコルさんは、「4年間で60万ドル(約6千万円)かかるらしい」と眉をひそめていましたが、生活費は自分でなんとかさせたとしても、学費は出してあげたい心意気のようです。



先述のエリックくんの場合は、学費・生活費が一切タダという奨学金(scholarship)で MIT の博士課程に入れていただいたそうで、そんな強力な助けがない限り、学校に戻って学ぶのも、なかなか大変なことですよね。



実際、近年アメリカの大学に入ると、学生ローン(student loan)を利用する学生が増えていて、それは、年々高騰する学費という厳しい現状を反映しているのでしょう。



そして、めでたく大学を卒業して働き出しても、学生ローンの返済があったり、都市部の生活費が高かったりと、なかなか自由になるお金がないのが現実のようです。



なんでも、18歳から34歳の若い世代を調査してみると、7割の人は親から金銭的な援助を受けている、という驚きの統計が先日発表されました。



これは、ひと昔前には、考えられない現象なのです。なぜって、アメリカにはずっと「自分のことは自分でなんとかする」文化が根付いていて、18歳を過ぎて親から援助を受けるなんて、昔の人には思いもよらなかったから。



ところが、今は、「自分でなんとかする」限度を超えてしまっている現状と、親が子を猫可愛がりする実態のダブルパンチ。



親から援助を受ける若者の多くは、ありがたいとは思っているけれど、べつに恥ずかしいことではない、と開き直りの精神でいるようです。



面白いことに、男女を比べると「女のコの方が、親から独り立ちする時期が早い」という傾向も見られるとか!




というわけで、シャロンさんの孫エリックくんや、ニコルさんの次男の近況をご紹介いたしましたが、興味深いのは、エリックくんのご両親。



エリックくんの両親であるエミリーさんとダニエルさん(ともに仮名)が、これまた面白いライフスタイルを送っていらっしゃるのです。



もうエリックくんも手がかからなくなったし、自分たちの人生をエンジョイする番だと悟られたのでしょう。



カリフォルニア州南部のニューポートビーチにある自宅を売り払って、ヨーロッパへと向かうのです。



けれども、実際に住んでみなければ、自分たちに合うかどうかはわからない。ですから、イギリスのロンドン郊外に4ヶ月滞在したあとは、スウェーデンの首都ストックホルムで4ヶ月を過ごします。



やはり、北欧の冬場の寒さは厳しかったけれど、春を迎えると最高の季節になることを実感。街並みも美しいし、人々も親切。なかなかいいわね! とわかったところで、次の目的地へと移動。



今は、スペインの首都マドリッドに一年間の予定で滞在中。なんでも、申請していた滞在許可が下りたので、じゃあ一年の間、スペインの水と空気と文化を楽しんでみましょう、ということになったそうです。



「家」という安住の場を売却しているので、もう身軽なもの。気の向くままに、気に入った国で過ごす日々というのも、なかなか乙なものかもしれませんね。




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