山火事から学ぶ地域の歴史
先日掲載したばかりのエッセイ「春爛漫!」でも申し上げておりますが、ほんとに長い間ご無沙汰しておりました。
ふと気が付くと、この「ライフinカリフォルニア」のコーナーも、最後に更新されたのは昨年の9月ではありませんか!
どうにもこうにも忙し過ぎる日々ではありましたが、そんな中にも、こういったご質問をいただいておりました。「あの山火事はいったいどうなったの?」と。
はい、ご心配をおかけしておりましたが、前回このコーナーでご紹介していた大きな山火事は、予定よりも早く、8日目には火が消し止められ、だんだんと青空も戻ってまいりました。空気も少しずつ澄んでいって、呼吸の問題で病院に行くこともありませんでした。
なんでも、このときは、カリフォルニア、オレゴン、ワシントンの西海岸3州で、同時に11もの山火事が起きていたそうで、NASA(米航空宇宙局)も無人飛行機を飛ばして、3州の被害状況の偵察を行ったそうです。
ただ、ひとつ付け加えるとするならば、「この山火事は自然発火」という説明は違っていたようです。どうやら、誰かさんの不注意で起きた山火事だったようです。
この山火事をきっかけに、おもしろい事がわかったのですが、現場のヘンリー・コウ州立公園付近には、山小屋が散在しているのだそうです。何の山小屋かというと、狩りを楽しむための山小屋。
ちょっと歴史を紐解きますと、1862年、リンカーン大統領の頃に Homestead Act という名前の法律が制定され、早い者勝ちで、アメリカ中の土地を自分のものとすることが許されました。
この年以降、アメリカ全土の10パーセントの面積が私有地化しているそうです。そして、この法律によって、山火事の起きた辺りの土地も個人が所有するようになりました。
その後、この辺りの土地の大部分は、環境保護団体によって買収され、ヘンリー・コウ州立公園に吸収されていったそうです。
それでも、標高600~900メートルの高い所には、いまだに私有地が残っていて、舗装道路も整備されていないような辺鄙な場所に、狩りの山小屋やら放牧場が散在しているらしいのです。
中でも、シリコンバレーに本社のあるコンピュータ会社ヒューレット・パッカードを設立したヒューレット家とパッカード家は、この辺りにサン・フェリーペ牧場という広大な放牧場を持っていました。1950年代からここに社員を招いては、定期的に社員ピクニックを開いたことで有名になりました。(その名残で、シリコンバレーの会社は、どこも社員や家族を招いてピクニックを開く慣わしができたようです。)
それ以外の私有地の多くは、イタリア系移民の家族によって代々受け継がれているようです。サンラクララバレー(シリコンバレーのある場所)で農業に従事していたイタリア系家族が、1920年代頃この辺りに山小屋を持つようになり、週末の狩りを楽しんできたそうです。
なんでも、もともとこの辺の土地を所有していたヘンリー・コウ氏が、隣人の牧場主と喧嘩し、その腹いせに、パンパンと騒音をたて狩りを楽しむ銃愛好家たちに土地を売り払ったのが始まりだとか。
ここに山小屋を持つシルヴェイラさんのおじいさんは、1929年にヘンリー・コウ氏から土地を買った11人のオリジナルメンバーのひとりだそうです。そんな歴史を感じさせる山小屋ではありましたが、残念ながら、シルヴェイラさんのおじいさんが建てた山小屋は、今回の山火事で焼けてしまったそうです。
山火事が起こったときは、ちょうど鳩狩りのシーズン(dove-hunting season)が始まったばかりでした。だから、あちらこちらの山小屋には、レーバーデー(勤労感謝の日)の3連休を楽しむ狩りの愛好家たちが訪れていた。
そして、間違いが起きてしまった。
ある女性が庭のドラム缶で紙皿を焼こうと火をつけたところ、まわりの枯れた草むらに引火してしまったそうです。彼女は、火をつけたあと、火の粉が飛び散らないようにとドラム缶にダンボールの蓋をし、家の中に入った。すると、何やら、水の流れるような音がするので外に出てみると、もう手が付けられないほどに、辺りは燃え盛っていたと。
8日後、消防士さんたちが必死に消し止めてみると、実に1万9千ヘクタールが焼けこげ、消火活動には1千3百万ドル(約13億円)もの費用がかかっていました。
そして、火事を起こした張本人は、検察官によって起訴され、裁判が行われることになりました。最悪の場合には、13億円の償いと、6ヶ月の禁固刑と罰金が科せられることになるとか。
もちろん、わざと火事を起こしたわけではありません。だって、彼女は小学校の先生ですから、悪い事をする気なんて毛頭ありません。けれども、そんな事には関係なく、許可なく焚き火をした罪は重いそうです。7月以降、あまりの乾燥状態に、付近の焚き火は一切禁止されていた。それなのに、火をつけてしまった・・・
それにしても、ちょっとした判断の誤りにしては、あまりに重い罪となってしまいました。「過ちにしては厳し過ぎる」という批判の声も上がりましたが、まったく容赦ないところが、実にアメリカ的なお話ではありました。
追記:ヘンリー・コウ州立公園周辺の歴史については、2007年9月8日付けのSan Jose Mercury紙を参考にさせていただきました。
写真は、ヘンリー・コウ州立公園のものではありませんが、付近の風景写真です。あしからず。