Essay エッセイ
2018年04月02日

恋する猫

猫好きの方には申しわけありませんが、『恋する猫』といっても、猫ちゃんのお話ではありません。



ちょっとびっくりなんですが、「猫の恋」というのは季語だそうな!



そう、俳句に出てくる、そこはかと季節のうつろいを感じさせる、季語。



なんでも、冬の終わりから初春にかけて、猫ちゃんの恋の季節に入るので、「猫の恋」というのが、春を表す季語になったらしいです。



恋猫」とか「うかれ猫」「春の猫」を使うこともあるそうです。



そういえば、子供のころ、家のまわりには猫ちゃんがたくさん住んでいて、それが、ある季節になると、人が叫んでいるような、ちょっと怖い声が響いていたのを思い出します。



「あれはいったい何の音?」と母に尋ねると、「あら、野良猫が鳴いてるのよ」と教えられましたが、どうしてあんなにかわいい猫ちゃんが、こんなに恐ろしい声を出すのだろう? と、不思議でしょうがなかったです。



「かわいい」というよりも、「おどろおどろしい」と表現した方がいいような、どことなく、この世を逸脱したような声ではありました。




それで、この季語を知ったのは、前回のエッセイにも出てきた俳句の番組。



わたしがハマりかけている『NHK俳句』というEテレの番組で、この回(3月18日放送分)は、「音」を詠みましょう、というチャレンジングなレッスンでした。



「猫の恋」と聞くと、まず猫ちゃんの男女(?)が呼び合う声を連想しますが、声そのものを表してみるだけではありません。ちょっとオシャレに、他の音と重ねて詠んで、猫のイメージを引き出すこともできるとか。



たとえば、猫ちゃんがつけている「鈴」を使うと



恋猫の 鈴を鳴らして 戻りけり                窓秋



という風になるそうです。



同じように「鈴」と「戻りけり」を使って



恋の猫 鈴をなくして 戻りけり                西嶋 あき子



というのもあるそうな。



いずれの句も、同居している猫ちゃんが、恋を成就して(もしくは恋やぶれて?)家に戻ってきた場面を思い起こします。



上の句は、胸を張って鈴を鳴らしながら堂々と戻ってきた様子。下の句は、頭を垂れてトボトボと歩いてくる雰囲気を感じます。が、もしかすると逆に、恋の激しさを表している、と取れるのかもしれません。



「恋する猫が鈴をなくした」という単純な情景にも、いろんな風に想像がふくらみますよね。(わたし自身は、「鈴をなくす」から真っ先に「激しさ」を連想したのでした)




この回のゲストは、動物のモノマネで有名な江戸家(えどや)一家の長男、二代目・江戸家 子猫(こねこ)さん。



江戸家さんといえば、どんな動物でも声帯模写で真似てしまう達人一家です。



そのモノマネの専門家が詠んだ句は、こちら。



通学路 豆腐ラッパと 猫の恋                江戸家 子猫



子供のころ、学校から戻る道すがら、豆腐屋さんのラッパと、恋路の猫ちゃんの甘い呼び声が聞こえた、という叙情的な句です。



郷愁を誘うラッパの音と、恋猫の甘い響きをすんなりと並列に置いてみた一句です。



が、選者の夏井 いつき先生は、このようにしてもいいんじゃない? と提案されます。



通学路の恋猫 豆腐屋のラッパ



あえて五七五を崩して、「〜の〜」「〜の〜」という形にされていますが、こうすることによって、「猫のさかり感が増しますよ」とのこと!




う〜ん、それにしても、俳句は、手ごわいものですね。



十分に短い「短歌」よりも短いので、すべてを語らない奥ゆかしさと、想像する楽しみがあります。



ですから、具象ではあるものの、大きくデフォルメされた謎めいた部分があり、芸術性が高いようにも感じます。



が、その一方で、たった17文字の羅列にも、並べ方を変えただけで、まったく響きや印象が変わってくることもあり、それが、ひどく怖くもあります。



わたしなどは、季語も知らなければ、基礎となる文法もあやふやなので、今はもっぱら、どなたかが詠まれた句を鑑賞するのみ。



でも、そんな超初心者のわたしでも、こちらの猫ちゃんを見ていたら、こんな句を思いついちゃいました!



永き日に しばし夢見る 花も団子も                ねむり猫



明るい春の昼下がり、この猫ちゃんにとっては、同居人の車の下でまどろむのが、なによりも嬉しいんです。



そんな恋だの愛だの、団子だのと言ってる場合じゃないよ! 僕はとにかく眠いんだ! という気持ちを代弁してみました。



しばしまどろんだあとは、いきなりメンドくさい現実に引き戻されるんだけど、それでもやっぱり、愛車の日陰のお昼寝は、なにものにも代え難いものがある、そんな一句です。



まあ、ごちゃごちゃと説明しないと通じないような超駄作ではありますが、このかわいい猫ちゃんに免じて、お許しくださいませ。



こちらの猫ちゃんを見かけたのは、去年の春のこと。



生まれてしばらく住んだ街角を歩いて、子供のころの記憶をたどりました。



この街には、やっぱり猫ちゃんが多いなぁ、と感心しつつ。



<追記>
俳句超初心者のわたしは、文中の句を詠まれた「窓秋」って誰だろう? と思ってしまいました。高屋窓秋(たかや そうしゅう)とおっしゃる有名な俳人だそうな。 昭和初期から近年まで活躍なさった方で、代表作とされる句には、こちらの春の句があるそうです。



ちるさくら 海あをければ 海へちる                窓秋



深読みをすれば、いろんな解釈ができそうですが、単純に、散りゆく桜のピンクの花びらと、紺碧の海の対比が美しい句だと思います。



今までは、「アメリカに住んでいるので、日本古来の季語を使う俳句は関係ない」と思っていました。が、どこに住んでいても、木が芽吹くと命の強さを感じるし、つぼみがふくらむと無性に嬉しいもの。



それを素直に詠めれば、ステキなことだと思うのです。




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