新年のお祝い
そして、太陽暦のお正月だけではなくて、今年は1月26日となった太陰暦のお正月(the Lunar New Year、または Chinese New Year)も過ぎ去ってしまいました。
言い古された表現ではありますが、月日が経つのはほんとに早いものですね。
さて、そんな時期に何ではありますが、ここでちょっとアメリカの大晦日の様子などをお伝えしておきましょう。今まであまり詳しく書いたことがないような気がいたしますので。
昨年の大晦日は、我が家は日本からの来客を迎えて、サンフランシスコで楽しく過ごさせていただいたのでした。
ご存じのとおり、アメリカの大晦日からお正月は、みんなで大騒ぎしながらお祝いすることになっているわけですが、せっかく日本からお客様がいらっしゃるので、一番アメリカらしいお祝いは何だろうと考えました。
そこで思い付いたのが、サンフランシスコ・シンフォニー(交響楽団)の大晦日コンサート(New Year’s Gala)でした。ここでは、コンサートのあと、シンフォニーホールのステージで開かれる年越しのダンスに参加できるのです。
新年を祝う花火もいいですけれど、シンフォニーホールのダンスというのも、なかなか乙なものではありませんか。
このサンフランシスコの年越しコンサートには、我が家も何回か参加しているのですが、年ごとに少しずつ趣向が違うのでそれなりに楽しんでおります。
たとえば、以前は、ヨハン・シュトラウスなどのウィーンのワルツ(Viennese Waltz)が演奏されていました。日本でもクラシックファンの方はそう感じると思うのですが、何となくお正月といえば、華やかなウィーンのワルツって感じがするのですね。
けれども、そのうちに、演目に少しずつブロードウェイの歌が加わるようになって、今回は、全部がミュージカルの歌になっておりました。きっとアメリカ人の聴衆は、器楽曲だけでは飽きてしまうのでしょうね。
遠路はるばるニューヨークからいらしたご夫婦のブロードウェイシンガーが、とっても息の合った、いい感じのデュエットをなさっていましたが、このときばかりは、天下のシンフォニーも歌の伴奏に終始なのです(いえ、サンフランシスコ・シンフォニーというのは、アメリカでも名だたるシンフォニーでして、日本が世界に誇る指揮者の小澤征爾氏も、ボストン・シンフォニーに移る前は、ここで音楽監督を務めていらっしゃいました)。
そんなこんなで、いつもよりも軽やかなコンサートが終わると、いよいよお目当てのダンスとなります。と言いましても、こちらはただリズムに合わせて体を動かしているだけなので、ダンスなんて呼べるものではありませんが。
こういうときばかりは、「ちゃんと社交ダンスを習っておくべきだった」と後悔してしまうのですね。
けれども、シンフォニーホールの演奏ステージで踊れるなんて、何とも気持ちのいいものです。普段は、プロの演奏家でもない限りステージには上がれませんから、この際、ダンスの上手い下手は関係なく、舞台に上がって、スポットライトを浴びた方が得なのです。
だんだん踊りも佳境になって、新年が近づいてくると、舞台のみんなはカウントダウンを始めます。そして、時計が12時を告げるとともに、ホールの天井からはステージ目がけて風船がワ~ッと落ちてくるのです。
銀色やブルー、かわいいピンクと、色とりどりの風船がホールの高~い天井から一斉に落ちてくるのです。紙吹雪も舞い踊り、ディスコ時代のミラーボールもキラキラと光を放って、ますますお祝いムードを盛り上げます。
ステージで踊るみんなは、風船が落ちてくると、ますます大騒ぎ。ポンポンとバレーボールのようにアタックするは、風船をつかまえてバンバンと手で割るは、床に落っこちたのを足でムギュっと踏んづけるはで、子供のように大はしゃぎするのです。
この手のイベントは小さなお子供にはご遠慮させていただいているので、参加者はサンフランシスコ界隈から集った熟年のレディーやジェンツ(紳士)が多いのですが、それでも、このときばかりは歳を忘れて、みなさん一年に一度の大はしゃぎ!
そうなんです、コンサートに食べ物が出るんです!
何と言っても、アメリカ人と食べ物は切り離して考えることはできないわけでして、この年越しコンサートのときだけは、会場のデーヴィス・ホール(Davies Symphony Hall)の踊り場が、シャンペンとおつまみの「立食パーティー会場」に変身するのです。
わたしたちはコンサートの前にたらふく食べていたので、食指がまったく動かなかったですが、ダンスが始まる前の中休み、ミニハンバーガーやら、焼きソバやら、甘~いデザートの登場に、アメリカ人の聴衆はもう大喜びなのです。
前年は、食べ物が少なくて、あっと言う間になくなったので、きっと誰かが「もうちょっと食べ物を出せ!」と抗議したに違いありません。今回は、余るほどに次々と食べ物が運ばれていました。
それにしても、あんなにタキシードやイヴニングドレスで着飾っているくせに、食べ物のコーナーには我先に猛ダッシュなのです。
遠路はるばる日本から来られたカップルにとっては、コンサートホールでダンスを踊るなんて珍しい光景なので、それなりに楽しまれていたようでしたが、元来、アメリカの年越しというのは、とにかく賑々しいものなのです。
あちらこちらの街ではカウントダウンの行事が開かれ、深夜12時を迎えると、花火は上がるは、紙吹雪は舞い散るは、みんなでビービーとおもちゃの笛を吹き鳴らすはで、ただただ大きな「騒音」に囲まれるのです。
街中を車で駆け巡り、ブーブーとクラクションを鳴らしたり、友達と肩を組んで歩きながら、すれ違う人たちに「ハッピー・ニューイヤー!」と叫んだりと、とにかく賑やかなのです。
まあ、時には騒音にしか聞こえない賑々しさではありますが、あれだけ大きな音を出したら、旧年の「鬼」たちもさっさと退散してくれるかもしれませんね。
ちなみに、サンフランシスコ界隈では、毎年行われる「年明け花火」が有名でして、花火が打ち上げられるフェリービル(Ferry Building)の近くには、大晦日には人がわんさと集まって来ます。
フェリービルは、サンフランシスコ湾を東へ北へと渡るフェリーの船着き場となっているのですが、対岸のバークレーやオークランドに向かうベイブリッジ(Bay Bridge)の足下にあるので、ここから打ち上げられる年明け花火は、湾沿いの高層ビルからはよく見えるのです。(一方、7月4日の独立記念日の花火は、観光客の集う「ピア39埠頭」辺りのフィッシャーマンズ・ウォーフから上がります)。
我が家も、前年の年明けには、サンフランシスコ・シンフォニーのあと、高層ビルのホテルの窓からポンポンと上がる花火を楽しませていただきました。けれども、やっぱり花火の醍醐味はドーンという爆発音にもあるので、ビルの中から観ていると、ちょっと臨場感に欠けますね。
それに、まわりの高層ビルが視界の邪魔にもなりますし。そう、決して大都会とは言えないサンフランシスコでも、さすがに、フェリービル近くの金融街には高層ビルが建ち並んでいるのです。
もしも、この年明け花火を地上から眺める場合は、エンバーカデロ通り(the Embarcadero)上で、ミッション通り(Mission Street)とハワード通り(Howard Street)の間が特等席となるそうですよ。つまり、フェリービルの右側の湾に沿った辺りで、ベイブリッジを間近に仰ぎ見る場所です。
さてさて、我が家とお客様にとっては、コンサートあり、ダンスありの賑やかな年越しではありましたが、今年は前年と比べてお天気が悪く、それがなんとなく世相を表しているようでもありました。
せっかくサンフランシスコの高層ビルのホテルに泊まったのに、あたりは霧でほとんど何も見えません。
そんな風景を眺めていると、「五里霧中」という言葉が自然と頭に浮かんでくるのです。
まったく、お天気まで「いつになったら先が見えるのだろう?」とつぶやいているようではありませんか。
それに比べて、前年同じ場所に泊まったときは、「もう絶好調!」と言わんばかりに、快晴でした。そう、ちょうどこんな風に。
名物のトランズアメリカ・ビル(Transamerica Pyramid)も空にそびえ立つようだし、その向こうの丘には、コイト・タワー(Coit Tower)、そのまた向こうには、アルカトラズ島(Alcatraz Island)がぽっかりと浮かんでいるのが見えています。
けれども、霧の正月もまた、サンフランシスコらしくていいでしょうか。