歴史のこぼれ話
先日、サンフランシスコ大地震の生存者のお話をいたしましたが、それに関して、ちょっとしたこぼれ話をご紹介いたしましょう。
昨年の秋、我が家の近くのレストランで、クラシック音楽を聴きながらディナーをいただくという催しがありました。
4品のコースディナーにピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオの音楽を合わせて楽しもうという、アメリカにしてはなかなか粋な企画です。
カクテルのあと座席に着くと、最初はリーダーであるピアニストがソロを軽く一曲奏でます。それからトリオでショパンやドビュッシーの聞き覚えのある曲を演奏したあと、お待ちかねのディナーとなりました。
まず前菜は、メインロブスターと地元の蟹ダンジェネスクラブのクラブケーキ。クラブケーキ(crab cake)は、蟹やロブスターの身をほぐしてコロッケ状に整え、パン粉を付けてこんがりと焼いたもので、アメリカのレストランでは最も人気の高い前菜のひとつですね。あまりハズレがないので、無難な選択ともいえるでしょうか。
コース二つ目は、鴨のソーセージとポルチーニマッシュルームのリゾット。こってりとチーズがかかっていますが、リゾットは軽めのお味なので、ちょうどいい具合です。
そしてメインディッシュは、牛のプライムリブステーキ。カラメル状にこがした砂糖をからめたタマネギの添え物が、お肉の味を引き立てます。
さて、みんなのお腹が一段落したところで、本格的に演奏が始まります。といっても、リズムに乗った軽めのクラシック音楽や、クラシックファンには馴染みの薄いタンゴなど、日本のクラシックコンサートとは違ったレパートリーの登場です。
デザートのチョコレートムースを味わったあとは、締めくくりとしてメンデルスゾーンのトリオ曲の予定でした。けれども、アメリカ人の聴衆にはリズム感のある曲が受けていたので、急遽、予定を変更してラテン調の音楽を奏でてくれました。
ともすると、食事時には騒々しいアメリカ人ですが、さすがにクラシック音楽を聴きに来る人は、お行儀よく耳を傾けておりました。そんなわけで、記憶に残る、お上品なディナーとなったのでした。
と、ここまでくると、どうしてこんなディナーについて語っているのだろうと思われたでしょうけれど、このトリオの弾いていたピアノのお話をしたかったのです。
このピアノは、地元の楽器屋さんがわざわざ運んで来たスタインウェイのピアノだそうです。その名も、クラウン・ジュエル、リミティッド・エディッション。何だか偉そうな「限定版・戴冠式の宝石」という名前が付けてありますが、要するに、いいピアノだよということなのでしょう。
スタインウェイ(Steinway & Sons)というと、アメリカが世界に誇るピアノの名器となりますが、なんでも、ドイツからアメリカに移住して来たハインリック(ヘンリー)・スタインウェイさんが、1853年にニューヨークに創設した会社が始まりなんだそうです。
きっと設立当初から、呼び声の高いピアノだったのでしょう。19世紀後半、サンフランシスコの街がだんだんと発展していって、「荒くれ者の街」から「文化都市」へと脱皮しようとする中で、「ぜひスタインウェイのピアノをサンフランシスコに持って来よう」と店を開いた人がおりました。
レアンダー・シャーマンという方です。
1870年、シャーマンさんは相棒のクレイさんとともにシャーマン・クレイ(Sherman Clay & Co.)という名のピアノ屋さんを開きました。もちろん、まだ車も走っていない時代で、街に電気が通る6年前、西海岸に電話が敷かれる9年前のことでした。
このシャーマンさんは、サンフランシスコに有名な演奏家やオペラ歌手を招いては、自分が所有するコンサートホールで演奏してもらっていたそうです。それほど、街には「文化」が必要であり、ピアノの売買に携わる自分が率先すべきことだと信じていたのでしょう。
シャーマンさんは、いつも演奏家たちを暖かく迎え入れたようです。そのもてなしを評して、ポーランドが誇るピアニスト・作曲家のイグナツィ・パデレフスキは、「わたしの良き友人シャーマン氏が、サンフランシスコを最も楽しい訪問先としてくれている」と書いているそうです。
そんな地道ながんばりもあって、1892年、シャーマン・クレイ社はスタインウェイから正式なディーラーとして認められるのです。が、それから間もない1906年、大地震がサンフランシスコの街を襲います。
街の中心地ユニオンスクウェア近くのお店は、地震のあとの火事で焼け落ちてしまいましたが、辛くも、帳簿やお客様名簿などの大事な書類は持ち出すことができました。そして、焼け残った相棒クレイさんの息子の自宅を仮オフィスとして、対岸のオークランドにある支店からピアノを搬送しながら、間もなくビジネスを再開しました。
何もかもが焼失してしまった地区も多く、震災後、ピアノは良く売れたそうです。クレイさんの息子が個人的に使っていたピアノまで売れてしまったとか。
そして、その年のクリスマス。シャーマンさんの手元には、12台のスタインウェイのグランドピアノが届きました。
「はて、注文していないのに、どうしたことだろう?」とシャーマンさんが首をひねっていると、翌日、スタインウェイ社から手紙が届きます。それには、こう書いてありました。
「今年4月に起きた地震と火災では、御社も甚大なる被害を被ったことでしょう。それにもかかわらず、今年も素晴らしいピアノのビジネスを展開なさったことに、深く敬意を表したいと思います。お送りした12台のグランドピアノは、クリスマスギフトとしてお納めください。あなたの誠実な友より、Steinway & Sons」
送られたグランドピアノは、6台が黒檀、4台がマホガニー、2台がクルミ材でできていて、さぞかし立派なクリスマスプレゼントとなったことでしょう。
このシャーマンさんは、1926年に79歳で亡くなるまで、ピアノ販売と音楽普及に生涯を捧げた方でした。
そして、そんなシャーマンさんが住んだサンフランシスコのパシフィックハイツ(Pacific Heights)地区の家も、今は街の歴史的建造物に指定されているそうです。
きっとスタインウェイが名器といわれ、歴史を誇るアメリカの家々で大事にされてきた理由のひとつには、シャーマンさんのような熱心な楽器屋さんがいたこともあるのかもしれませんね。
追記: このお話は、クラシック音楽のディナーで配られたパンフレットに記載されていたのですが、そのまま読まずにいたものを、つい先日「発見」したのでした。ちょうどサンフランシスコ大地震のお話を書いていたときだったので、これは「書きなさい」というお達しなのかなと思ったのでした。
シャーマン・クレイ社が、地震100周年のときにサンフランシスコ・クロニクル紙に載せた広告記事をパンフレットにしたものだそうです。
個人的には、ピアノの音色は澄み切った日本製のものが好きですが、スタインウェイの優しい音色を好む方も多いですね。歴史を誇るアメリカ人の家族の間では、おばあちゃんから受け継いだスタインウェイを大事にするものだと、調律師の方から伺ったこともあります。大事に使えば(ちゃんと手入れすれば)長持ちする。それは、いいピアノすべてに当てはまることなのでしょう。