浅虫温泉から函館へ
振り返ってみると、今年の夏のメインイベントは、青森のねぶた祭だったかもしれません。
あれから、もうひと月以上も経ったなんて、月日が過ぎるのは、ほんとに早いものですね。
夏が完全に行き過ぎてしまう前に、あの旅の続きを綴っておきたくなりました。これを書かなければ、わたしの夏は終わらないって気がするんです。
ねぶた祭の見学のために宿泊したのは、浅虫温泉(あさむしおんせん)。JR青森駅から東北本線の各駅停車で20分ほどの所です。
へんてこな名前で、どういう由来でこうなったのか、とっても興味があります。
一説によると、もともとは麻の糸をとるために温泉で蒸したので「麻蒸し」と呼ばれていたところ、後に火難を恐れて「浅虫」にしたのだとか。
北海道出身の連れ合いにとって、この街は、小学校の修学旅行で訪れた所だそうです。あんまりよく覚えてはいないということでしたが、こぢんまりとした温泉街は、その頃とあんまり変わっていないのではないでしょうか。
ここは、平安の頃からの東北の名湯のひとつのようで、昔からの温泉宿が連なる静かな街並みです。
見るものといって、そんなにたくさんあるわけではありませんが、街は弓なりの海岸に面していて、海水浴場の向こう側には、ぽっかりと小さな島が浮かんでいます。のんびりと温泉を楽しめる、風光明媚な場所なんですね。
目抜き通りの不動産屋さんでは、こんな張り紙を見つけました。6DKの一軒家が、月に8万5千円。この辺りの相場なのでしょうか。
街の玄関、JR浅虫温泉駅の真ん前には、小さなあずまやが建っています。何かと思えば、足湯。豊かに湧き出るお湯に足を入れ、旅の疲れを癒すようになっているようです。
ここは堂々の混浴。足湯初体験のわたしは、さっそくトライしてみました。
でも、ひとつ大問題が。熱過ぎて、とっても足を入れられない!
ギャーギャー叫んでいると、どこからともなくおじさんがやって来て、駅舎につないだ長いホースで水を入れてくれます。「そっちはお湯が熱いから、こっちに座りなさい」と、優しいアドバイスを添えて。
一生懸命に水を補給してくれているこのおじさん、実は、ここの「お湯守さん」なんですね。
とっても人懐っこい性格のようで、おじさんはちょこんと隣に腰掛けきて、問わず語りに自分のことを教えてくれました。
なんでも奥方は、女性には珍しく、冷え性とはまったく無縁の人。その反対に、おじさんはひどい冷え性。冬は、ソックスなしでは寝られません。そこで、冷え性を治すべく、毎日ここの足湯に通っていたら、いつの間にか、お湯守に任命されてしまったとか。
まあ、お陰で、冷え性とはおさらばできたそうですが、そんな経験を生かして、おじさんは、ここを訪れる人に親切に教えてくれるのです。冷え性のツボは、ここだよと。
まずは、足の甲の親指と人差し指の間。ちょうど、ふたつの指の骨が交わるあたりに「太衝(たいしょう)」というツボがあります。押さえると多少の痛みを感じるので、場所はすぐにわかります。
そして、もうひとつ。足の内側のくるぶしから指4本分くらい上にある「三陰交(さんいんこう)」。すねの骨のちょっと後ろ側にあるツボです。
おじさん曰く、このふたつのツボを毎日辛抱強く押していたら、いつの間にか冷え性も治ったとか。
そんなお話をしていたら、小さな女の子をふたり連れた家族が参加してきました。女の子たちも、お湯の熱さにびっくりしたようで、お湯守おじさんは、さっそくホースを持って出動です。
元気な女の子たちには、冷え性の話なんか関係ないですしね。
それに、わたしも「長湯」したお陰で、両足が桜海老みたいにピンク色。この色は、なかなか消えなかったです。
さて、青森を去る朝、忙しく観光客の相手をするお湯守のおじさんに「さようなら」と心の中で別れを告げ、浅虫温泉駅のホームに向かいました。
ここから、黄緑色の列車「スーパー白鳥(はくちょう)」に乗って、北海道の函館に行くのです。途中、青函トンネルを通って。
JR青森駅に着くと、ここから列車は逆向きに進んで行きます。だから、わたしの乗っている車両(1号車)は、先頭!
つい嬉しくなって、1号車の真ん前に立って、小さな窓から線路を眺めます。どうやら、今どきの列車は、運転席が2階にあるらしいのですね。
まるで子供のように先頭の窓に張り付いていると、途中、線路工事のおじさんたちが、わたしに手を振ってくれました。嬉しかったわりに、ちょっと気恥ずかしくなって、思わず身を引いてしまいました。
それにしても、毎日の線路管理、ご苦労様です!
いよいよ青函トンネルが近づいて来ると、連れ合いとふたりでソワソワし始めます。青函トンネルを通るのは初めてではありませんが、先頭車両の窓でトンネルの中が見えるなんて、そんなに体験できるものではありませんよね。
ご存じの通り、青函トンネルとは、青森と北海道を繋ぐ海底トンネルのことですが、全長53.8キロメートルのうち、青森側の竜飛(たっぴ)海底駅から北海道側の吉岡海底駅までの23.3キロメートルが、海の下を通る部分となっています。
一番深い所だと、海面から240メートルの深さまで潜るのですよ。まあ、海の底を通るのは10分間ほどではありますが、頭の上に海が崩れてこないかと、凡人はいらぬ心配をしてしまうのです。
「白鳥」は、青函隧道(トンネル)に入る前、短く警笛を鳴らします。まるで、これからトンネルに入るから、どうぞ私を守ってねと、山と海の神にご挨拶するように。
そもそも、この青函トンネルを掘るきっかけとなったのは、1954年9月26日の青函連絡船・洞爺丸の転覆事故でした。台風で荒れ狂う津軽海峡では、計5隻の船が転覆・沈没したのです。
そして、その7年後に始まったトンネルの工事中も、複雑な地層のために、大きな出水事故が4回も起きていて、犠牲者も出ています。
そんな、数々の犠牲の上に成り立っているトンネルです。通る度に列車が敬意を表するのも、ごく当たり前のことかもしれませんね。
30分の後、無事に隧道を通過した「白鳥」は、出るときも、短く警笛を鳴らしていました。
いよいよ函館に着くと、さっさと列車を降りた連れ合いは、駅を出た所で、携帯電話を席に置き忘れたことに気が付きました。仕方ない、先にホテルにチェックインしてしまおうと、駅前のホテルにチェックインし、即、函館駅に戻りました。
そして、改札で事情を説明しようとすると、前から白い立派な制服を着たおじさんが、連れ合いの携帯を持って歩いて来ます。自分のものだと言うと、すぐに返してくれたのですが、それにしても、タイミングの良かったこと。あの恰幅のいいおじさんは、車掌さんだったのでしょうか。
そういえば、以前も似たようなことがありました。5年前、広島県の宮島を訪ねたあと、帰りにJRの連絡船に乗っていたら、乗組員の方が、「これ忘れていませんか?」とブリーフケースを渡してくるのです。
どうも宮島の発券機に置き忘れていたらしいのですが、他に荷物がたくさんあったので、こちらは置いて来たことすら気付いていなかったのです。パスポートやパソコンなど、貴重品がいっぱい入っているのに。
まったく間抜けな話ではありますが、そのときも、JR職員の方々の親切に痛み入った覚えがあります。
今でもJRのことを「国鉄」と呼んでしまうわたしにとって、国鉄とか列車の旅という響きには、ある種のロマンすら感じてしまうのですね。