赤鬼さんと青鬼さん
先日、あまり好ましくない身内のニュースを耳にして、不思議とまったく関係のないことを思い出していました。
子供の頃、父の実家にお泊まりすると、なぜか薬屋さんに行く機会がたくさんありました。たぶん、誰かの風邪薬でも買いに連れて行かれたのでしょうが、わたしにとっては、それは楽しいお買い物なのでした。どうしてかと言うと、薬屋さんが絵本の景品をくれるから。
今となっては、どこの製薬会社が出していたのかもわかりませんが、買い物客が子供を連れていると、宣伝のために薄い冊子の絵本を配ることになっていたようです。
今でも、アメリカのコーンフレークの箱には絵本のおまけが入っていたりするので、この方式はかなり効果があるのでしょう。
絵本はシリーズ物になっていて数種類ほどいただいた記憶がありますが、その中に、強烈に印象に残っているお話があるのです。それは、赤鬼さんと青鬼さんのお話でした。
ある村に赤鬼さんと青鬼さんがやって来ました。ふたりは仲良しで、村から村へと一緒に旅をしておりました。
ふたりはこの村をとても気に入ったので長逗留したかったのですが、村人にとっては鬼なんて嬉しい訪問客ではありません。赤鬼さんが「こんにちは」と声をかけても相手は逃げるばかりだし、誰かの家を訪ねようとしても、決して扉を開けてはくれません。
落胆している赤鬼さんを見て、青鬼さんがあることを思い付きました。村人の前で自分が悪党の役を演ずるから、自分をやっつけて村人の信頼を得なさいと。
そこで、青鬼さんは、ある村人の家に上がりこみ、怖がる家族に悪さをするふりをします。すると、そこに赤鬼さんがさっそうと登場し、青鬼さんをぽかぽかと殴り始めます。
この騒ぎに村人たちが駆けつけて来るのですが、みんなが見守る中、赤鬼さんに本気で殴られた青鬼さんは、「ごめんなさい、ごめんなさい、僕が悪かったよ~」と退散してしまいます。
目の前で繰り広げられる赤鬼さんの武勇伝に、「なんだ、赤鬼さんはとてもいい人じゃないか」と、村人は赤鬼さんを褒めそやし、お酒とごちそうで歓待します。
宴も終わって、「あ~、村の人たちとも仲良くなれたし、嬉しいなあ」と、のんびりとねぐらに戻って来た赤鬼さんは、置き手紙があるのに気づきます。それは、青鬼さんからのもので、中にはこう書いてありました。
「赤鬼くん、願った通りに村の人たちと仲良しになれて良かったね。この先、僕なんかが君のそばにいると都合が悪いから、僕はまたひとりで旅に出ることにするよ。」
それを読んだ赤鬼さんは、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしたのでした。
このお話は、どなたが書いたものかも、どこかの言い伝えなのかもまったくわかりません。もしかすると、わたしの記憶すら正しいものではないのかもしれません。
けれども、友を思う青鬼さんの優しさと、友をなくした赤鬼さんの悲しみは記憶のひだに深く焼き付いているのです。そして、お話がハッピーエンドでないことに、ひどく不満を抱いたこともよく覚えています。
今になってこのお話を思い返してみると、ふと不思議なことに気がつくのです。赤鬼さんと青鬼さんは、「外から来た者」つまり「外見の異なる者」の象徴だと思うのですが、どうして単一民族の日本で鬼さんの話はポピュラーなのだろうかと。
桃太郎の鬼退治を始めとして、日本には鬼が出てくる民間伝承はいくらでもあるではありませんか。
たとえば、民族が入り混じるヨーロッパやアメリカに鬼さんが登場しても不思議ではないと思うのです。アフリカ大陸でもそうでしょう。けれども、身体的特徴の同じ民族が住む日本で、どうして鬼なのかと。
もしかすると、鬼というのは、他民族のような外見や身なりの異なる者の象徴ではなくて、「まわりの村人に同化できない浮いた者」を表しているのかもしれませんね。
昔から、農業を営む村人たちは、何かと協力し合わなくてはなりませんでした。田植えや稲刈りもそうですし、家を建てたり、屋根をふき替えたりするのもそうです。
ですから、一般的に農村は結束が強く、しきたりの厳しいところがあります。そして、この結束にもれると、「あいつは浮いている」というレッテルを貼られることにもなるのでしょう。
そして、この「浮いたヤツ」が、いつしか鬼に変化したのかもしれません。
けれども、「他民族」にしても「浮いたヤツ」にしても、鬼は退治するばかりではなくて、村人の方でも受け入れようとする動きがあったのでしょう。それが、上でご紹介したようなお話となったのかもしれませんね。
外見がまったく違う鬼でも、知ってみると自分と何も変わらなかった。その新たな認識が、鬼さんを身近なものとして感じるきっかけとなったのでしょう。
実は、一番恐いのは鬼さんではなくて、鬼を怖がる自分たちの無知だったのです。
英語にもこんな表現があります。「fear of unknown(自分が知らないものを怖がること)」。
身近でないものに接して一番恐いのが、心にムクムクと芽生える、この大きな幻影なのでしょう。
子供の頃、お話がハッピーエンドでないことに不満を抱いたわたしは、こう願っていたものでした。赤鬼さんがいつまでも村人と仲良くできて、青鬼さんもどこかの村で受け入れられたらいいなと。
そして、いつかふたりが再会して、楽しく笑い合えればいいなと。
いえ、わたしの中では、すっかりそういう筋書きになっているんですけれどね。