好きな言葉
- 2006年11月14日
- エッセイ
アメリカに住みはじめて、もうかれこれ27年になります。
その間、ずうっとアメリカに住んでいたわけではありませんが、それなりに長い間こちらに暮らしております。
けれども、どういうわけか、誰が見ても、わたしは「昨日アメリカにやって来たばかりの日本人」に見えるようです。
それで、そういうのって、自分では結構いいなぁと思ったりするのです。
そして、その日本人が話す日本語というものは、もともと非常に美しい言葉ではありますが、わたしの好きな言葉に、「仁義をきる」というのがあります。
いえいえ、あの恐~いお兄さま方の集まりというわけではありません。
「仁義」というのは、人の道という意味です。
そして、「仁義をきる」というのは、筋を通すという意味なのです。
まあ、一般的には、「仁義をきる」というと、渡世人(とせいにん)のご挨拶を指すのでしょうか。
たとえば、映画の「寅さん」にこういうのがありますね。「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天(たいしゃくてん)で産湯を使い・・・姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します」という自己紹介。
渡世人の世界では、相手に対し、自分の素性をきちんと明かすことが大事なんですね。
でも、わたしにとっては、「仁義をきる」というのは、「道理を通す」ということなんです。つまり、相手の立場や考えをわきまえ、こちらもそれを尊重し、相応に行動すること。
まあ、なんでもいいと思うんです。たとえば、何かしてもらったときに、お礼状のひとつも書いてみるみたいな、ごく簡単なことでも。
相手がわざわざ時間を使って何かをやってくれたんだから、それに感謝するのは当たり前のこと、つまり「道理」なんですよね。
アメリカに長く住んでいる人は、よく「アメリカナイズされている」と言われます。
アメリカナイズ。つまり、アメリカ化。
アメリカといって、まず思い浮かべるのが、徹底的な個人主義。そして、自分の意見を臆せずはっきりと述べること。
けれども、この個人主義には、自身のことは最後まできちんと面倒を見るという責任意識が含まれていますし、自己を主張する中には、相手の意見を聞き入れ、自説を撤回できる強さも含まれています。
個人主義というのは、何でも自分の都合のいいように行動する「身勝手」という意味ではありませんし、自分をきちんと主張することは、がむしゃらに我を通す「利己主義」というわけではありません。
アメリカで商売をしている日本人の方と、お話しする機会がありました。
こうおっしゃるのです。
こちらで日本人を相手にするのは、難しいと。
残念なことに、自分の思う通り、好き勝手に相手を利用する術を身に付けてしまった人がいると。
なにやら積もり積もったものがあるらしく、この方は、「自分は利用されるだけ利用されて、ポイッと捨てられているような気がする」とおっしゃっていました。
使い捨てカイロじゃないのに。
もちろん、そんな人ばかりではありません。大方のアメリカの日本人は、とってもいい人なのです。
でも、残念ながら、「仁義をきる」ことを忘れ去ってしまった人もいるのですね。
何年外国に暮らしていようと、決して忘れてはいけない日本人の良さがあるのだと思うのです。
おまけ:冒頭に、自分は昨日アメリカにやって来たばかりの日本人に見えると書きましたが、日本に帰ると、それなりに、変な経験をしてしまうのです。
あるとき、東京のホテルで部屋のドアを開けると、メイドさんが立っていて、いきなりこう言ったことがあるのです。「グッド・イーヴニング、マダム!」
ホテルの前でタクシーを降りたら、「Good afternoon, are you checking in?(こんにちは、チェックインなさるのですか)」と、とぼけた質問をされたこともありました。
まあ、このホテルは外人さんが多いので、英語の方が安全だと思ったのでしょうが、それにしても、彼らには、わたしがいったい何に見えたのでしょうか。香港から来た中国人?それとも、アメリカから来た韓国人?
それから、文中の写真は、東京の広尾商店街にある「船橋屋・こよみ」さんで撮らせていただきました。ここは、「にゅうめん(煮麺)」が名物なんですよ。そうめんを醤油味のスープで軽く煮たものですが、その脂っけのない軽さが気に入っています。
浅草!
- 2006年11月11日
- フォトギャラリー
いえ、今さら、浅草が目新しいところだとは思ってはおりません。アメリカ人の観光客じゃないですものね。
でも、近ごろ、隅田川を上る水上バスが妙に気に入っておりまして、目的地・浅草に着くと、自然と浅草寺(せんそうじ)に足が向くのです。
10月後半に日本に行ったときも、わたしの両親を連れて、日の出桟橋から浅草へと35分の船旅を楽しみました。そして、そのあとは、お決まりの仲見世商店街と浅草寺。
今回は、両親が一緒だったので、いつもよりも、じっくりと浅草を散策できました。
べつに、両親は宗教家というわけではありません。どちらかというと、無信教と言った方がいいかもしれません。でも、浅草寺の本堂で、お賽銭を投げ何やら真剣に祈っている姿や、寺の前でお線香の煙を頭からかぶっている姿なんかを見ると、ずいぶんと丸くなったものだなあと、妙に感心してしまうのです。
そして、書家の母が一緒にいると、本堂に掲げてある大きな額なんかに自然と目が行くのです。あの力強い立派な文字は、いったい何と書いてあるのでしょうね。漢字には崩し方がいろいろあって、そう簡単には読めないのです。
それから、本堂の天井絵。きれいな天女さまと強そうな竜が隣同士に並んでいます。今まで、あんなにきれいな絵があったなんて、気が付きもしませんでした。きっと、金きらの正面ばっかり見ていたのでしょうね。
ところで、仲見世商店街。土曜日だったこともあり、ごった返しでした。どうしてここはいつも人通りが多いのでしょうね。まさに、毎日が縁日!
外国人の観光客が喜びそうな、扇やら壁掛けやら着物もどきの衣装やらと、ごちゃごちゃと狭い店先に吊るされています。祭りのときにでも使うのでしょうか。かつらを売る専門店なんかもありますね。
それにしても、食べ物屋さんの多いこと。名物の「雷おこし」は勿論のこと、人形焼や浅草寺御用達の手焼せんべいだとか、古そうな構えのお店が並んでいます。同じ人形焼でも、混んでいる店と空いている店があるのは、やっぱり味が違うんでしょうね。
近ごろは、「揚げ餅」なる妙な食べ物があって、これには、たくさんの人が集まっていましたね。お餅を油で揚げているんです。お昼前だったので試してはいませんが、なんだか、みなさんおいしそうに召し上がっていましたよ。
浅草寺の脇には伝法院通り。一画は、江戸時代の通りみたいに再現され、いろんなお店屋さんが並んでいます。
そのひとつに、刷毛の専門店がありました。お、珍しいと思わず足を踏み入れてしまいましたが、お化粧用の刷毛だとか、染み抜き専用のブラシだとか、おそうじ用のブラシだとか、とにかく、いろんな種類の刷毛が置いてあります。
母は、父のヘアーブラシが古くなったって、ヤマアラシの固い毛で作ったヘアーブラシを買ってあげていました。でも、わたしは、あんなに固いので大丈夫なのかな?と、ちょっと心配になりましたけど。
ここのおじいちゃん、ちょっと耳が遠くって、お客さんの「すみません」の声がなかなか聞こえないんです。でも、商品に対する知識はさすがに素晴らしくって、どんな質問にも答えますよという感じでした。
それに、母が「もうちょっとお勉強してくれません?」なんて言うと、「いや、うちのはね、もう卸値で提供しているんですよ。これなんか、デパートで売ってるのを見たんだけど、1万2千円で売ってるんですよ」なんて、うまくすり抜ける技を持っていらっしゃいます。
そんな浅草を後にして、その日のランチは、お台場のホテルで、おいしいフレンチを食べました。自分でも驚くような、すごいギャップ。
でも、どうして好んで浅草に行くかって考えてみると、ここに来ると、ちいさな旅をしたような気になるからでしょうね。日本人であっても、ここで接するものは、旅人の目で見ることができる。
カラフルな踊りの衣装や扇、かつら、刀の小道具。そんなものは、日頃目にしないものですからね。
お祭りじゃなくても、毎日がお祭り。どこか遠い街で遭遇した、旅人の空間。それが、浅草なのでしょうか。
日本から帰って来たばかりで、時差ぼけに苦しんでいます。いつもそうなのですが、やっぱり太平洋を往復すると、帰って来たときにどっと来るようですね。
そんなボ〜ッとした頭ですが、ちょっと外来語のお話などをいたしましょうか。
そうですね、日本には、外国語が転化した外来語が多いものです。テレビにラジオ、パソコンにインターネット。もう日本語に直しようがありませんよね。
ところが、そんな外来語が、もともとの言葉を正しく反映していればいいのですが、おうおうにして変形している場合があるのです。
たとえば、日本語の「ナンバープレート」。いかにも、立派な外来語ではありませんか。でも、アメリカでは、ナンバープレートと言ってもほとんど通じないと思いますよ。
アメリカでは一般的に、「ライセンスプレート(license plate)」と呼ばれているのです。
ライセンスといっても、運転者の免許証(driver’s license、ドライバーズライセンス)とは違って、車独自の認可番号(license number、ライセンスナンバー)の書かれたプレートといった意味ですね。
まあ、確かに、番号(ナンバー)が書かれているわけではありますが、単に「ナンバープレート」と言っても何の番号かわからないので、「ライセンスナンバープレート」というのを略して、「ライセンスプレート」と言うのだと思います。(ちょっと略するところが違ってる!)
今回、わたしの旅の中で、日本語で「ナンバープレート」と言いたい場面があったのですが、何と言っていいのか思い出せなくって、相手にうまく伝わらないという嫌〜な経験をしてしまいました。
一生懸命、日本語に直そうとしていたのに、まさか微妙に違うカタカナの言葉だったなんて・・・きっと相手の方からしてみると、言いたいことも表現できない、変なヤツに思えたことでしょう。
なぜだかわかりませんが、車に関するカタカナ語には、アメリカでは通じないものが多くって、現地で使うには要注意なのです。
以前どこかで書きましたが、車のハンドルは、handle ではありません。ちょっと長いですが、steering wheel(ステアリングホイール)と言います。
車輪(wheel)を操縦する(steer)ものという意味ですね。
バックミラーは、rearview mirror(リアヴューミラー)と言います。文字通り、「後ろを見る鏡」ですね。
ついでに、方向指示灯は、turn signal(ターンシグナル)です。「曲がるための合図」といった意味合いですね。
車関係のおもしろい単語としては、garage(ガレージ)というのがあります。これは、自宅のガレージ(車庫)という意味もありますが、車の修理・整備工場という意味もあるのです。
それから、車をぶつけたときの車体工場。これは、body shop(ボディーショップ)と言います。
いつか、歌手であり俳優の武田鉄也さんが、こんなことを言っていました。初めてアメリカに行ったとき、あちこちに body shop と書いてあるのを見て、興奮してしまったと。
「ボディー」という単語から何やら想像してしまったそうですが、一般的には、単に車体工場ということです。俗語では、他に使い道があるのかもしれませんが。
車からは離れてしまいますが、おかしな外来語の中に、「アンバランス」というのがあります。バランスが取れていないことですね。
これは正式には、imbalance(インバランス)と言います。
辞書を引くと、おもに精神的な不安定さを unbalance と言うとありますが、個人的には、あんまり聞いた事がありません。
たとえば、ストレスによる体内の化学的なアンバランスなんていうときも、chemical imbalance と言いますね。
ところで、日本に行くと、いつもおかしいなぁと思うことがあるのです。
東京の羽田空港に行くには、浜松町からモノレールに乗ったりしますが、この浜松町の基点、世界貿易センタービル。
多分、別館だと思うのですが、2階に小さな通路があって、飲食店やら、お土産屋やら、足裏マッサージやらのお店が並んでいます。
その中にあるんですよ、「Palatin」というお店が。まあ、喫茶店というか、小型のファミリーレストランというか、いろんなものを食べたり飲んだりできる便利なお店です。
何が変かって、この名前の「Palatin」。 最後に e を付けると、palatine(パラティン)。
実は、頭蓋骨の一部なんですね。
日本語では、「口蓋」。
ちょっと細かい話、頭蓋骨は22の骨から成り立っているのですが、口の中のアーチ型の上壁は、前方と後方に分かれています。
この後方部分が、palatine。ちなみに、前方部分は、maxilla(マクシラ)と言います(厳密には、左右ふたつずつあるので、複数形の palatines、maxillae となりますね)。
いえ、お店に文句などありませんよ。こぎれいなお店で、羽田空港から国内出張に行く前に、「ちょいとミーティングしましょうよ」なんていうときに、とっても便利なお店なのです。
でも、なんでよりによって、頭蓋骨の一部みたいな名前にしたの?
英語っぽい名前を付けるときには、ちょっと辞書を引いてみるのがいいのではないかと思うんですが・・・
世界で一番の散歩道
- 2006年11月03日
- エッセイ
世界で一番の散歩道。
べつに、風光明媚だというわけではありません。世界で一番安全という意味なんです。
東京に滞在中、お散歩といえば、よくこのルートを歩くのです。六本木から広尾へ向けて。
ヒルズ族で有名な六本木ヒルズの裏手から、「テレ朝通り」をテクテク歩き、広尾へと降りて行くお散歩コース。
歩き始めると、左手にごく小さなお寺が見えてきます。あら、こんなところにと、ふと気が付くような小さな寺。門には「専称寺」と書いてあります。
今はもう近代的な造りになっていて、昔ながらの門と本堂の間には、砂利敷きの駐車場。住職さんのものでしょうか、銀色のセダンが停まっています。そして、本堂の雨戸は、重厚な黒のステンレス製。快適なお寺なのです。
でも、何に惹かれたかって、瓦が昔のまんま。長年、雨露をしのんできた風格があります。そして、その向こうには、空にそびえたつ六本木ヒルズ。そのお隣には、ホリエモンさんも住むという高級マンション。
歴史的な建造物と、現代建築の粋を集めた巨大ビル。そのおかしな取り合わせが、いかにも東京的な空間を作り出しているのです。
も少し歩くと、道は少々右に曲がっていて、その左手の出っ張りに灰色の壁が見えてきます。ここは、中国大使館。味も素っ気もない灰色のコンクリートの壁は、裏門から正門へとずっと続いています。中を覗き見ることもできないし、退屈な壁なのです。
はす向かいの歩道では、中国大使館に抗議する同胞の人々が、横断幕を広げ、静かに立っていました。
この辺りは、中国大使館のあるせいで、「日本国を憂える」人々も、車を連ねシュプレヒコールを上げるところなのです。そんなわけで、大使館のまわりは警視庁の警察官だらけ。正門や裏門は当然のことながら、2、30メートルおきに警官が立っています。
まあ、安心して歩くことはできるのですが、信号無視でもしようものならすぐに注意されそうで、小道でも、じっと信号が青になるのを待つしかありません。
世界で一番安全な道には、お巡りさんの目がらんらんと光っているのです(写真を撮るのすら、はばかられますね)。
そうそう、中国大使館の一般受付は、週日の正午までですよ。中国人と思しきカップルが、今日はもうおしまいだよと、警官に追い返されていました。
中国大使館を通り過ぎると、交差点が見えてきます。左の角に交番があって、昨日の都内の交通事故の件数なんぞをチェックしながら交差点をまっすぐ進むと、左手に黄土色の建物が見えてきます。これが、愛育病院。そうです、つい先日、宮家の男児が誕生なさった病院ですね。
ここから出てくる車は、なぜか外車が多いですね。BMWにベンツにジャガー。そういった方々がご出産なさる場所なのでしょうか。
病院のちょっと先には、濃い緑の一帯が見えてきます。ここは、有栖川宮記念公園。木々は鬱蒼(うっそう)と茂り、昼なお暗いといった感じになっています。けれども、公園内はきれいに整備され、小川のまわりでは、スケッチにいそしむ人たちも見かけます。
斜面に沿って、公園の中をトントンと下っていくと、大きな池が見えてきます。鴨がのんびりと泳ぎ、おじさんたちが釣りを楽しんでいます。
きっと、ここの釣り人たちは、毎日この公園にやって来ては、日がな一日、釣り糸をたれているのでしょうね。いったい何が釣れるのでしょうか。一度、「ザリガニ」という言葉を小耳にはさみましたが。
さて、のんびりとした公園を出ると、そこは交差点。左向こうには、ナショナル麻布スーパーがあります。この辺りは、とっても外人さんが多いところ。行き交う人の半分は外人さん、といった感じなのです。だから、アメリカを始めとして、外国の品々が手に入るスーパーが繁盛するのですね。
わたしも以前、アメリカの食べ物が妙に懐かしくなって、ここでお買い物をしたことがありました。一緒に入ったのは、ワシントン州出身のアメリカ人。日本の生活は、まだ一年ちょっとの新米さん。きっと、日本語などまったくわからず、ホームシックになっていたのかもしれませんね。
今でも、スーパーのお隣では、サーティーワンのアイスクリームを味わえたり、そのお隣の花屋では、ハロウィーンの飾り付けを調達できたりと、アメリカ的な雰囲気が立ち込めています。
ナショナル麻布スーパーを左手に、更にまっすぐ進んで行くと、そこはもう広尾の交差点。
わたしのお散歩コースは、ここからふた通りあって、ひとつは、左手にある広尾ガーデンというビルの2階を散策して帰るもの。ここには、小さな文房具屋さんと本屋さんがあって、楽しいひとときを過ごせるのです。
わたしにとって、日本の文房具屋はおもちゃ屋さんみたいなもの。手作りの和風グリーティングカードや、鮮やかな色の手帳など、見るものには事欠きません。
そして、もひとつのお散歩コースは、足をのばして、広尾商店街を散策するもの。横断歩道を渡って、まっすぐ進むと、そこは昔ながらの商店街。飲食店やお惣菜屋、薬屋や雑貨屋など、新旧織り交ぜ、こまごまと小さなお店が並んでいます。
ここは、近くの麻布十番商店街なんかと比べて、道幅も狭いし、お店の間口もだいぶ小さいし、こぢんまりとしています。それだけに、どこにでもある庶民派の商店街といった印象なのです。
いつもは、商店街の終点にある鶯餅屋さんの2階で、名物のにゅうめんを食べ、そのまま六本木へ戻るのですが、ある日、もうちょっと足をのばしてみました。
いくつかお寺のある角をふいっと曲がり、大きな明治通りへと出て行くのです。
ちょっと前まで、この辺りの角には、とっても古いおもちゃ屋さんが建っていましたが、今は立体駐車場になっています。やはり、時代の流れには勝てないのでしょう。
けれども、辺りには、まだまだ古い造りの家々が残っていて、裏道から覗くと、何十年も前の雰囲気が取り残されていました。
こんな風な、ちょっと傾きかけた家も、まだまだ健在です。濃い外壁の色が、なんだか、子供の頃の駄菓子屋さんを思い起こさせます。
こちらは、猫ちゃん。2階の小さなベランダは、この猫ちゃんのお気に入りなのでしょう。しっぽしか見えませんが、きっと満足げに昼寝なんかしているのでしょうね。
いよいよ明治通りに出ると、おしゃれなレストランやカフェが出てきます。広尾はやっぱり、おしゃれな街なのです。
とっても素敵な花屋さんもあって、思わずレンズを向けてみました。
お店の方も快く写真を撮らせてくださって、街に溶け込み行き交う人々の目を楽しませたい、といった願いが自然と伝わってくるのです。
明治通りをどんどんまっすぐ進んでいくと、JR恵比寿駅に出ます。でも、そのまま電車に乗るのはもったいないので、渋谷橋の交差点をぷいっと右に曲がり、坂道を上って行くことにします。天気はいいし、ポカポカと暖かくって、絶好のお散歩日和。
左手に広尾小学校、広尾高校と超えたあたりで、さすがに、ちょっと息が切れてきました。
通りがかりの薬屋さんの前には、なにやら昔の薬剤道具が置かれ、とっても興味深いことではありますが、ちょいと調子に乗って歩き過ぎたようです。
それに、帰り道がわかりません!この辺りは静かな住宅街で、行き止まりの小道が多いのです。
「羽沢(はねざわ)」なんていうマンションの名前から推測するに、ここは以前、羽沢ガーデンがあった辺りのようです(羽沢ガーデンは、昔の日本式邸宅を改造し、レストランにしたものです。趣があって、外人さんが大好きなレストランでしたが、建物の老朽化が進み、最近、閉店しました)。
でも、この袋小路をどうやって脱出しよう!
空はカラリと晴れているのに、なんとなく暗い気持ちになってきます。これからどうしよう。もう、大して歩けないし。
幸い、乳母車を押す若いお母さんが登っていく先に、日赤病院の看板が見えています。そこで、迷った末、日赤病院の前でタクシーを拾って、六本木へ戻ることにしました。
近くて申し訳ありませんが、道に迷ってしまいました、とタクシーの運転手さんに告げると、「いやあ、女性の方は道に迷っても大丈夫ですよ。誰も嫌な顔はしませんから」との仰せです。はあ、そんなものでしょうかと怪訝に思いながらも、運転手さんと世間話をしながら六本木へ向かいます。
この運転手さん、病院の前で待たれるだけあって、なんとなくのんびりとした、乗っていてほっとするようなお方でした。ワンメーターだったら気の毒だなと思っていると、目的地の直前でパキッとメーターが上がります。
まあ、着いてみると、何のことはない、「堀田坂」という坂を下って、西から東にちょいと歩けば、そのうち見知った「テレ朝通り」に出たのです。でも、そこは東京の仮住人。運転手さんに教えられるまでは、わからないのです。
無事に生還したところで、ホッと一息。翌日も、知らない散歩道に再挑戦してみます。
そして、ふと出て来たところが堀田坂。でも、もう迷わずに帰れます。運転手さん、どうもお世話になりました!
身近なゴーストストーリー
- 2006年10月29日
- エッセイ
ごめんくださいましな。
ある日の早朝、誰ぞやが玄関口にたたずんでおります。
連れ合いが扉を開けると、お向かいさんが不安げな面持ちであいさつをし、こう言うのです。
突然、風もないのに階下の物入れの扉が閉まってしまい、賊でも潜んでいるのではないかと不安なのです。連れは出張中でおりませんので、申し訳ありませんが、家の中を調べてはくれませんかと。
そこで、連れ合いはお向かいさんの家に出向き、音のした扉の中を調べます。
恐る恐る扉を開けると、向こうには誰もいません。あるのは、ただ静けさ。
そこで、ひと通り家の中を検分し、侵入者のいないことを確かめ、いくぶん安堵したお向かいさんは、ご足労でしたと、連れ合いを送り出したのでした。
このお話をお向かいさんから聞いたのは、ごく最近のこと。連れ合いからは聞いていたかもしれませんが、なにせ十年ほど前のことです。越して来たばかりで、よくお互いを知らない間柄だったので、じきに忘れてしまったのかもしれません。
当時を振り返り、彼女は言うのです。今でもあれは、単なる偶発ではなかったと信じていると。
あれは、この辺りに住んでいた先住のインディアンの魂だったのだと。彼(か)の戯事(ざれごと)だったのだと。
この辺りの丘陵には、何千年の昔から、オローニ族(The Ohlone)というインディアンの種族が住んでおりました。豊かな自然に恵まれ、小動物を獲る簡素な狩猟や、たわわに実る木の実や果実の採集で、食をまかなっていたのでした。
今は、オローニ族の末裔はひとりもおりませんが、この辺りには、その頃の幸せな魂が徘徊していて、後世の暮らしを見に、ときどき訪ねてくるのだと、そう言うのです。
そういえば、こんなことがたまにあるのですと。視界の端に、まるで蜃気楼のような空気の乱れが見え隠れすることが。これは、目の錯覚とは、到底思えないのだと。
我が家のまわりだけではなく、シリコンバレーの一帯は、オローニ族の領域でした。そして、彼らの穏やかな生活の場でした。
今でも、新たに住宅や公園を整備しようとすると、当時の遺物が出てきます。
先日も、サンノゼの住宅街で土を掘り起こしていたら、人骨が出てきたそうです。そうなると、考古学者が詳細に調査をし、まず血縁を探すことが法律で定められているのです。
血縁など、到底見つかるはずもないのに。
そんな土地に住んでいると、まれに過去と現在が交錯する場面があるのやもしれません。遠い昔の御仁が、後世の輩(やから)の顔でも拝んでやろうかと、ふっと現れたりするのかもしれません。
追記:さて、もうすぐハロウィーン(10月31日)。日本のお盆の頃と違って、アメリカでは、このハロウィーンの時期に怪談を楽しみます。お化けたちのお祭に向け、心を高めようというものなのですね。
そして、ハロウィーンの翌日には、メキシコからやって来た「死者の日」となります。メキシコ系住民の多いカリフォルニアでも、近頃、よく知られるようになったお祭りですが、これは、まさに、日本のお盆のようなもの。
そんな風変わりなお盆について、以前書いたことがあります。興味がありましたら、こちらへどうぞ。
サンタバーバラの駐車場
- 2006年10月26日
- Life in California, コミュニティ, 日常生活
前回、ワインディナーのお話を載せたら、お友達がこう言っていました。食べ物もおいしそうだけど、ディナーがあった建物も素敵ですねと。
そこで、わたしは答えておきました。アメリカの建物は、外観は美しく、壮大に見えるけれど、安普請(やすぶしん)だよって。
すると、彼女は、「いわゆる、見掛け倒しってやつですね」と、実にいい表現をしていました。
まさに、アメリカの建物って、そうなんですね。我が家も、その例外ではなくって、連れ合いのお父さんも、わたしの父も、新築の頃に「細かいところを見ると、とっても安普請だ!」などと言っていました。
しかも、よくまあ、あちらこちらが壊れる。いつも「ハウスシッター」していなくてはいけないって感じなんですね。
ところが、そんな見掛け倒しの家にも住めない人が、たくさんいるんですね。そういったお話をちょっといたしましょうか。
カリフォルニア州南部の海沿いに、サンタバーバラ(Santa Barbara)という風光明媚な街があるんです。
アメリカじゅうから人が集まる、カリフォルニア有数の観光地。こぢんまりとした素敵な街並みで、カリフォルニアに住む人にとっても、週末のドライブのついでに泊まってみたい、憧れの街なんですね。
街はきれいな海に面していて、海沿いにはずっとビーチが続いています。街の真ん中には、歴史を秘めた古いスペイン風の建物があって、そのまわりには、おしゃれなレストランやショップがこまごまと並びます。
ここにはアーティストなんかもたくさん住んでいますし、ゆっくりと散策するのには最適な街なのですね。
(この街の歴史については、また別の機会にお話いたしましょうか。)
そんな、のんびりとしたサンタバーバラの街に、こんな支援プログラムが登場したのでした。
車で寝泊りする人たちのために、夜間、駐車場を解放しましょうと。
そうなんです。こんな風光明媚な街にも、他のカリフォルニアの街々と同様、住む家のない人たちがいるんですね。
今のところ、この新企画に参加する駐車場は少なく、10軒ほどにとどまっています。ひとつの駐車場に5台くらいしか停められないので、全部で50台くらい。
でも、少なくとも、車で寝泊りする人にとっては安全だし、警察にしつこく尋問されることもありません。
実は、カリフォルニアには、ホームレスの人がたくさんいるんですね。やっぱり、もともと人口がダントツに多いこともあります。何と言っても、2番目のテキサス、3番目のニューヨークを、大きく引き離している州ですから。
それから、気候がいいこともあるのでしょうね。ミネソタ州みたいに、冬は雪に閉ざされるなんてこともないですし。だから、外で過ごすことも可能なのです。
そして、カリフォルニアの中でも、どちらかと言うと、北よりも、冬の寒さがゆるい南カリフォルニアの方が多いようですね。調査をしてみると、ロスアンジェルス郡なんかは、桁違いにホームレスの人が多いようです。
カリフォルニアとは言え、シリコンバレーの辺りだと、冬は凍える可能性がありますから。
この南カリフォルニアのサンタバーバラにも、4千人ほどのホームレスの人たちがいるそうです。
街を観光していると、そんなことはまったくわかりませんが、路上に停まっている車で生活している人もかなりいるようです。
やっぱり、アメリカは車社会ですので、家はなくとも、車だけは手放さない人もいるのですね。
で、こういう風に車で寝泊りしている人は、見かけも普通だったりするんです。
たとえば、こんな人がいます。30代後半かとお見受けする男性。彼は、数年前まで、インターネット関連の会社を経営していました。会社は株式市場にも公開し、一時は、株価もうなぎ上り。手持ちの株の値は、30億円を超えていたそうです。
でも、またたく間に、ネット企業の崩壊が訪れ、とうとう一文無しに。今では、スクールバスを改造した、ワンルームの「家」に住んでいます。ふたりの男の子と一緒に。
この子たちは、ふたりとも小学生くらいですが、ちゃんとコンピュータを使ってお家でお勉強。もともとお父さんは賢いので、ホームスクーリングでも充分にやっていけるのかもしれませんね。
(ホームスクーリングとは、学校には行かせないで、自宅で親が子に教育をすることです。宗教上の信条とか、他の子よりも突出しているからとか、学校は危ないからとか、いろんな理由があるようです。このような自宅教育の家庭は、年々増えているようですね。)
びっくりすることに、ホームレスの人の中には、ちゃんと定職を持っている人もいるんですよ。
でも、何でもお高いカリフォルニア。家を借りるのにも、まとまったお金が必要なんです。だから、収入がちょっと不安定だと、ホームレスになる人も出てくるんですね。
50代と思しき女性。彼女は、サンタバーバラ市営の駐車場で働いています。
何らかの理由で、住み慣れたプール付きの家を手放すこととなり、貯金もなかったのか、やむなく車で生活することとなってしまいました。
毎日、駐車場を訪れる車に、笑みを浮かべて応対する彼女。そんな彼女が「ホームレス」だなんて、誰にもわからないでしょう。
食事は、近くのスーパーでスープなんかを買うけれど、それをなかなか暖められない。街でたった2箇所だけ、店内の電子レンジを使わせてもらえる場所があるそうですが、それも顔見知りの店員がいるときだけ。あとは、冷たくあしらわれるだけ。
暖かい食事と、冷たい朝の牛乳。そして、ヘアドライヤー。毎日、何気なく使っていた日常品。これが、彼女の憧れの贅沢品だそうです。
寝泊りする車は、もちろんオンボロ。もう28万マイル(45万キロ)も走っています。いつ壊れてもおかしくない、それが、今の彼女の心配の種です。
この車には、衣服やら何やら、生活のすべてが積んであります。昔の写真など、かけがえのない思い出の品々も。
「もし、あなたの車が泥棒にあったらどうする?」という問いかけに、
「そんなこと、考えたくもないわ・・・」と、声を詰まらせます。
こんなレディーもいます。
彼女は、ちょっと大きめのライトバンをお家にしていて、話し相手は猫ちゃん。「家」の中には、小型の冷蔵庫なんかも備えられています。
昔っからおしゃれだった彼女。洋服は、安売りのお店でショッピング。アメリカには、一般市民から寄付された洋服がいっぱいです。そんな古着を、とっても安く売るお店がたくさんあるのですね。
おしゃれな彼女は、さすがに、毎日、こぎれいにしています。なにせ、以前は飛行機のキャビンアテンダントでしたから。
そんな彼女が一番困っているのが、シャワー。今までは、毎朝、近くのテニスコートに付設されるシャワールームを利用していました。
けれども、テニスコートの利用者から文句が出てきたのです。メンバー以外の人が使うなんて絶対にイヤよと。
そこで、管理者は、テニスコートが開く時間外は、水を止めてしまうことにしました。
シャワーを奪われてしまった彼女。いつもは「わたしはサバイバー(生き残り)よ」と軽くつっぱねるのに、悲しげな顔でこう言うのです。
みんな、もうちょっと思いやりを持ってくれてもいいのに。
They can have more compassion.
追記:この3人のケースは、カリフォルニアの公共放送局が共同制作する“California Connected”という番組を参考にさせていただきました。
これから、冬に向かって、カリフォルニアも寒くなってきます。真冬は氷が張ることもあるシリコンバレーでは、ホームレスの人たちのために、シェルターが準備される季節となってきました。
わたしが太極拳の教室で通っている教会も、毎年11月になると、夜間、講堂を開放し、ホームレスの人たちが寝られるようになっています。でも、今年は、それもなしだそうです。運営していた団体の予算不足で、ホームレス対策プログラムの削減を余儀なくされているとか。
今年の冬は、例年よりも暖かいのでしょうか。それが、ちょっと心配です。
近づく選挙:3億人が考えていること
- 2006年10月24日
- 政治・経済
Vol. 87
10月に入り、シリコンバレーも、ようやく本格的な秋本番となりました。雨季の始まりはもう少し先と見えて、連日カラリと晴れ上がり、木々も色づき始めています。
そんなすがすがしい気候ではありますが、11月初頭には、国を挙げての選挙も開かれるので、いろいろと騒々しい毎日なのです。
<3億人突破!>
まず、なんといっても、今月一番のニュースは、アメリカの人口が3億人を突破したことでしょう。計算でいくと、10月17日の早朝5時前に、アメリカに3億人目の国民が誕生したのです。2億人を達成したのが1967年のことですから、ここ39年間で、1億人も増えたことになります。
まあ、誰が3億人目かというと、それははっきりとはわからないわけですが、多分、シリコンバレーへのインド系移民ではなくって、ロスアンジェルス郡で生まれた、ラテン系の男の子でしょう、と推定されています。
ご存じの通り、アメリカは先進国の中でも、人口増加の大きい国です。11.3秒にひとり、人口が増えています。近い将来、人口減少が訪れるであろう先進諸国と比べると、実に、頼もしい限りです。このままで行くと、西暦2043年、今から37年後には、4億人に膨れ上がると推計されています。
では、どうしてアメリカの人口は増え続けるのでしょうか。
ここで、ちょっとアカデミックな話ですが、人口増加のメカニズムには、ある黄金の方程式が使われます。
PI = B – D + IM – OM(「人口増加population increase」とは、「出生births」マイナス「死亡deaths」プラス「移入in migration」マイナス「移出out migration」である。言い換えれば、「人口増加」とは、「自然増・減」プラス「移住増・減」である)
いや、何の事はない、単なる足し算・引き算なのですが、要するに、出生と移入の合計が、死亡と移出の合計を追い抜けば、人口は増える、ということです(とまあ、ごく単純ではありますが、この方程式はとっても偉いものでして、人間の社会現象の中で、これほど正確に働く数式とは他に類がないのですね)。
それで、人口が増え続けているアメリカの場合、この数式から考えると、プラスの要因である「出生」と「移入」が、マイナスの要因である「死亡」と「移出」を超えているということになりますね。実際には、出生は死亡の1.85倍。移入は移出の約3倍。だから、着実に人口が増えているのです。
医療技術が進むにつれ、死亡数は減る。これは当たり前のことですね。そして、移民の国であるアメリカの場合、建国以来、常に移民を受け入れてきたという背景があります。アメリカンドリームを抱き、移入の方が常に移出よりも多いのです。
それでは、プラスの要因である「出生」と「移入」を比べると、どっちが大きな要因なのかというと、出生数は、移入数の約4倍。なんと、意外なことに、赤ちゃんの誕生による増加の方が、移民の流入よりも大きいのですね。
どうしてアメリカは先進国なのに、誕生が多いのでしょう?これは、ラテン系の移民の人たちの出生数が大きいからです。もともとラテン系人口が増えていることもあります。それから、ラテン系の国々は、先進諸国に比べ、文化的に出生率が高いこともあります。だから、今となっては、アメリカの病院で生まれる半分は、ラテン系の赤ちゃんだと言われています。そのうち、3分の1は、不法移民のお母さんの子供だとも。
増え続けるラテン系人口。出生と移入両方を加味すると、アメリカ全体の人口増加の半分は、ラテン系によるものとなっています。この国がもし白人だけだったら、他の先進諸国と同じく、近未来に人口減に転じていたでしょう。
そこで、近年、アメリカではおもしろい現象が起きています。もはや、白人がマジョリティー(多数派)ではない州があるのです。
ご存じの通り、ハワイは以前からそうでしたが、近年、カリフォルニア、ニューメキシコ、そして、テキサスがその仲間入りを果たしています。いまや、「マイノリティー(人種的少数派)がマジョリティー(多数派)の人口」という意味で、"majority-minority populations"などという、ややこしい表現もお目見えしています。
現在、アメリカ全土では、人口の3分の1がマイノリティーですが、2050年までには、半分以上がマイノリティーとなる見通しです。
冒頭で、3億人目のアメリカ人は、ロスアンジェルス郡で生まれたラテン系の男の子だと推定されていると書きました。もうおわかりだと思いますが、統計的に見ると、生まれる赤ちゃんはラテン系である確率が高いわけですね。男の子というのは、出生の確率は、男の子の方が女の子よりもやや高いからです。ロスアンジェルスというのは、この辺りの人口増加数が多いところから来ています。
それにしても、3億人目はいったい誰だったのか、ちょっと興味ありますよね。
<老後の蓄え>
アメリカでは、若い人口がどんどん誕生している反面、高齢層もどんどん増えています。戦後生まれのベビーブーマーたちが年齢を重ねるにつれ、毎日、1万人が50歳の誕生日を迎えているといわれています。いまや、50歳以上の人口は、8千6百万人にもなっています。
そんな人口の加齢にともない、ある社会問題が出てきています。それは、退職したくても、退職できない人たちが増えるのではないかという懸念です。
アメリカの老後の生活は、いくつかの財源の上に成り立っています。社会保障制度、会社の年金、それから個人資産。
日本に比べ、あまり個人貯蓄が盛んでないアメリカのこと。今までは、会社の年金と国の社会保障制度が当てにされてきました(アメリカの場合、退職金という形でいっぺんに支払いを受けるのではなく、退職後の生涯年金という形で受け取るのが一般的です)。
ところが、ここに来て、大きな変化が出てきました。国の財政は悪化の一途をたどるし、企業の方も、今までよりもシビアな経営状況に追い込まれています。そこで、国や企業を当てにするのではなく、各個人で、自分の年金をまかなってもらおうではないかと。
アメリカには、1980年代から、「401(k)」と呼ばれる個人年金貯蓄制度があります(発音は、「フォーオーワン・ケー」となります)。これは、会社の給料の何パーセントかを月々積み立て、その投資をもって老後の生活費の一部とするものです。会社からも、相応の補助金が出ますし、積み立て分は税金控除となったりします。そして、実際、老後に引き出す場合、国からの税金優遇措置もあります。
ところが、如何せん、この401(k)の参加率が芳しくない(参加資格者のうち、3分の1は不参加)。しかも、貯蓄額も、お世辞にもいいとは言えない(昨年の平均は6万3千ドル)。つまり、401(k)で自活できる人はとっても少ない。だから、そこのところを変えていこうじゃないかという法律が、この夏誕生しています。
たとえば、会社が自動的に従業員を401(k)に登録できるようにしよう。そうすれば、参加率は増えるだろう。それから、今まで配偶者の相続のみに限られていた税の優遇措置を、401(k)を譲り受ける者すべてに拡大しよう。これによって、同性のパートナーなどでも相続しやすくなるだろう。また、かの悪名高きエンロン社のケースを再発防止するため、投資の仕方についても、金融機関が積極的にアドバイスできるようにしよう(エンロン社の場合は、投資先として自社株を選択していた従業員が多いので、積み立てが泡と消えてしまいました)。
しかし、現状を考えると、このような法の改正があったとしても、一朝一夕に個人の年金貯蓄が増えるわけではないようです。なぜなら、401(k)などの年金プログラムに参加できるのは、アメリカの労働人口のせいぜい半数。401(k)からもれている人もたくさんいるのです。
しかも、近年、企業の積み立て補助金がどんどん減少する中、老後に必要とされる額を積み立てるのも至難の業なのです。年収の8倍、他に貯蓄がなければ、年収の15倍とも言われる401(k)の積み立て目標。実際それだけの貯金ができる人は、そんなにたくさんはいないのかもしれません。だとすると、いつまでも働き続ける?
実際、そういった人たちが出始めているのです。退職したのはいいけれど、もう一度、職探しをしなくてはならなくなった人たちが。
ベビーブーマーたちの老後。今はあまり大問題にはなっていませんが、そのうち、国中で大騒ぎし始めるんだと思っています。まあ、アメリカ人は一般的に、「アリとキリギリス」で言えば、「キリギリス型」の性格ですから、実際に真冬にならないと、あっ、しまった!と気が付かないのかもしれません。
アメリカの家具屋の商法にこういうのがあるのです。来年までは、何も支払わなくても結構ですと。これは、即刻、商品を使い始め、支払いは数ヵ月後に行えばいいというヘンテコな商法なんです。支払いなんていう嫌な事は、なるべく先延ばしにしたい、というアメリカ人の性格をうまく捕らえているのですね。みんな喜んで乗せられています。
日本人はまったく逆ですよね。借金はなるべく持ちたくないし、支払いはさっさと済ませたい。先に不安があることが許せない。
日本も、今後の社会保障制度が心配だと言われていますが、それよりも、アメリカの方がより重大な問題を抱えているのではないか、そんな気がしてしょうがないのです。これから、アメリカ人の"nest egg(老後の蓄え)"は、どうなっていくのでしょう。
<選挙戦:全米版>
さて、話題を政治の方に切り替えましょう。今年は、二年に一度の大きな選挙の年。大統領選挙こそありませんが、各地で連邦議員戦や知事選が賑々しく行われます。11月7日に向かって、あとわずか。各陣営は、追い込みに忙しい毎日です(アメリカの選挙日は、日曜日ではなく、火曜日なのです)。
まず、国政レベルの選挙戦は、実にホットな展開となっています。なんといっても、1994年から12年間、上院も下院も共和党(ブッシュ大統領の党)に牛耳られてきたのです。対する民主党は、ここで上院6議席、下院15議席を共和党からもぎ取り、両院とも手中に収めたいところなのです。
長引くイラク戦争のお陰で、大統領の人気は低迷し、おまけに、連邦議会の共和党議員のスキャンダルが白日の下に晒される中、国民はそろそろ勢力交代を願っているようでもあります(最新の世論調査では、連邦議会の民主党主導を希望する人は52%、共和党希望は37%。これほどの大差がつくのは、二大政党制のアメリカでは珍しいことなのです)。
そんな追い風に乗って、少なくとも、下院の方は、民主党が奪回するだろうと予想されています。
9月初旬の「労働の日(Labor Day)」。この日は、11月初頭の選挙に向かって、大統領が自分の政党の候補者を支援し始める日なんですね。しかし、今年、ブッシュ大統領のもとには、誰も現れなかった。候補者はみな、彼との繋がりをできるだけ隠密にしておきたかったからです。
選挙戦も追い込みの今は、ブッシュ大統領よりも、人気の高い奥方ローラさんが、各地のキャンペーンに呼ばれているそうです。
アメリカというのはおもしろい国でして、ある要因が、大統領の人気を大きく左右するのです。それは、ガソリン価格。冗談ではなく、過去30年間を振り返ると、ガソリン価格の上下と、大統領人気の上下は、きれいな相関関係を描いています。
それで、今年は?春から夏にかけて、石油価格は大高騰。そのお陰で、ガソリンスタンドでは、連日信じられないような価格に塗り替えられていました。一ガロン当たり3ドルは軽く越え、一時は、4ドルまで届くかという勢い。
しかし、夏が終わり、バーベキューシーズンも終わると、なぜかガソリン価格は急に下降し始めます。今は、全米平均は2ドル30セントくらいで、カリフォルニアは2ドル50セントほどです(10月16日現在)。
そこで、大統領の人気は回復したか?というと、そうでもないのです。「きっと大統領が選挙を狙って、石油価格を操作しているに違いない」という陰謀説が流れているからです。正直な話、わたしもこの説を耳にする前にそう思っていました。だって、タイミングがあまりにも素晴らしいからです。
専門家の間でも、この陰謀説は正しい、正しくないと意見が分かれるところではありますが、まず、夏のドライブシーズンが終わると少しは需要が下がってくる、そして、石油価格などという大きな現象を操作するのは容易ではない、という説明は納得できます。
けれども、ブッシュ大統領一家は、サウジアラビア王家との親交も深いではありませんか。そのブッシュ家にチェイニー副大統領が加われば、陰で何でもできる、と自然とそんな気になってしまうのです。
わたしだけではありません。アメリカ国民の実に42パーセントが、この陰謀説を信じているのですね。
それに、ガソリン価格がちょっとぐらい下がったからって、選挙が終わると、どうせまた上がるんでしょ。それよりも、イラク戦争はこれからどうなるの?銀行の利子がどんどん上がる中、経済はいったいどうなるの?毎年2ケタの勢いで高騰する医療費はどうなっていくの?そんなモヤモヤが頭の中を行き来して、なかなか陰謀説を払拭する気にはならないようです。
まあ、両院が民主党の勢力下に置かれたからといって、大統領はそのままホワイトハウスに居座るわけです。国の政治がドラマティックに変わるわけではありません。
それよりも、国民が望んでいるのは、政治がもっと透明になることなのでしょう。議会も今までよりも強く問題提起し、要人をどんどん議会に召還することで、問題を根本まで追及できるようになります。イラク戦争、エネルギー問題、国の巨額の財政赤字、医療費の高騰、云々。財政ひとつ取っても、このまま浪費を続けていくと、30年後には、国の赤字はGDPの2割にまで膨れ上がるとか。問題は山積しているのです。
<選挙戦:カリフォルニア版>
一方、こちらは、カリフォルニア。今年の選挙戦は、まったくつまりません。カリフォルニア知事選はあるのですが、多分、シュワルツネッガー知事が再選されるでしょう。なぜなら、彼を追い出すほどの大きなスキャンダルがないからです。
彼は俳優だけのことはあって、いろいろとパフォーマンスがお上手なのですね。昨年は拒否権を発動した州の最低賃金も、今年はちゃんと引き上げたし、去年はじゃんじゃん切り捨てた教育予算も、今年はずいぶんと増やしてあげたし、人道的立場から、アフリカ・スーダンへの投資は固く禁ずるなんて、新手のスタントも考え出しています。
環境問題の大好きなカリフォルニア人。シュワルツネッガー知事の地球温暖化への取り組みも好ましく映ります。2020年までに、温室効果ガスの放出を25パーセント削減する!
勿論、そんなことは容易に達成できることではありません。それに、他の州が続いてくれなければ、カリフォルニア一州ではどうにもならない。けれども、そんなことは、多くの州民にとってはどうでもいいのですね(ちなみに、このターゲットは、カリフォルニア中の2千6百万台の車が一台も動かず、石炭や天然ガスを燃やす発電所が全部水力・原子力発電に代わったにしても、達成し得ないような厳しい数値だそうです)。
そういえば、ひとつ、おもしろいことがありました。今月初頭、ブッシュ大統領が、共和党下院議員の再選を応援しに、カリフォルニア中央部に来たときのことです。それこそ、大統領が目と鼻の先に来ているのに、シュワルツネッガー知事は、会いにも行かなかったのですね。
そんなことは、前代未聞なんです。選挙の直前に、同じ政党に所属する現職の大統領が来ているのに、知事が出向かないなんてことは。よっぽど、ブッシュ大統領を連想させるのが嫌だったんでしょうね。自分は、彼とはまったく違うんだというパフォーマンスなんでしょうかね。
シュワルツネッガー知事の対抗馬、アンジェリーデス候補もテレビでこう宣伝しています。シュワルツネッガー知事こそ、ブッシュ再選のときには彼にべったりの伏兵だったのだと。けれども、残念ながら、この宣伝の効果はあまりないようではあります。
それどころか、民主党の州知事戦対抗馬が力強くないので、民主党支持者は投票に出向かず、勝利が危ぶまれる民主党候補者がたくさんいるとも言われています。
もしかすると、カリフォルニア州は、国の潮流とは逆に、共和党に要職を牛耳られるかもしれないと。まあ、金を持つ共和党議員の相手をこきおろすテレビコマーシャルは、有権者の耳につくようでもありますし(アメリカの選挙戦は、テレビのコマーシャルが重要な位置を占めるので、お金を持っていないと、なかなか人の目に触れない難点があるのです)。
もうひとつ、余興のようなお話がありました。今回の地方選では、ブッシュ大統領を弾劾する決議案が出されている都市が、全米で6箇所あるのです。そのうち2箇所はカリフォルニアで、民主党のメッカ・サンフランシスコと、橋を渡ったお隣さんのバークレーなのです。
勿論、市には、大統領を弾劾する力はありません。州が弾劾案を可決し、連邦下院に提出する権限はあります。しかし、この場合も、下院はこれに従う必要はないそうです。まあ、法的には何にもならないけれど、何か行動を起こさなければ気が済まない、そういったところでしょうか。
もし今回の選挙で民主党が連邦下院を取るとなると、下院議長は、おそらくサンフランシスコ選出のナンシー・ペローシ議員となります。弾劾案は、そんなことをにらんでのサンフランシスコ独特のパフォーマンスなのでしょうか。
<おまけのお話>
いや、これも余興のようなものですが、サンフランシスコ・ベイエリアに住む、うら若き女子高生のお話です。
ある日、彼女が生物の授業に出ていたときのこと。突然、FBIの捜査官が教室に踏み込んできて、彼女を連行していくではありませんか。
まあ、取調べの後、無事に帰してもらったわけではありますが、罪状は、なんと、大統領暗殺計画。
なんでも、その一年ほど前、彼女が参加しているソーシャルネットワーキング・サイトMySpace.com上で、「ブッシュ(大統領)を殺せ」と写真入でコメントしていたらしく、それが、お上の目に留まってしまったのですね。
まだあどけなさが残る14歳の女の子。顔はソバカスだらけで、微笑むと歯の矯正ブレースが覗く、典型的なアメリカの高校1年生。どこから見ても、暗殺を計画するような悪者には見えません。
この大騒ぎで、インターネット上で何かを書くときには、すごく気をつけなくてはいけないことを学んだわ、と言う彼女。今までのアカウントは解約し、心機一転。
それにしても、彼女を取り調べた捜査官殿。虚しくはなかったのでしょうか。
夏来 潤(なつき じゅん)
一期一会
- 2006年10月19日
- エッセイ
お友達が、こんなことを書いていました。幸せの条件は、宝物があることですと。
どんな小さなことでも、それを宝とできること。
「宝物」かぁ。宝物といっても、いろんなものがありますよね。
人によっては、ごく最近手に入れた車だとか、大枚をはたいて買ったオーディオシステムだとか。それとも、亡くなったおばあちゃんからもらった指輪なのかもしれません。
また、ある人にとっては、家族だったり、恋人だったり、何でも話せる親友だったりするのかもしれません。
最初にお友達の文章を読んだとき、いろんなことが頭に浮かびました。
そうだなあ、自分にとっての宝物って、やっぱり家族かな。でも、健康も大事だしなあ。
そう考えると、宝物ってひとつじゃない。
ちょっと欲張りだけれど、家族や健康の他に、宝物ってあるのかなあ。
で、ふと思いついたのが、人との出会い。
いつもの馴染みの街角でふと出会ったり、見知らぬ土地でばったりと出会ったり。
人って、誰かと出会って別れ、それを繰り返して、人生を積み重ねていくようなものですよね。
こんなおばあちゃんがいました。
東京の地下鉄大江戸線に乗って、新宿駅で降りたときのこと。そこから新宿の東口にあるデパートは、ちょっと遠いんです。だから、おばあちゃんは、右か左かわからなさそう。
声をかけると、ちょうど同じデパートに向かうのがわかったので、一緒に行きましょうということになりました。
最初は、遠慮しながら、つかず離れず付いて来たおばあちゃん。そのうち、足元がふらついてきて、わたしの腕にすがるようになりました。なんでも、前の晩、結婚披露宴で飲みすぎて、頭がフラフラするんだとか。そういえば、なんとなくアルコール臭いな。
でも、わかったんです。このおばあちゃんは、生まれも育ちも佃島(つくだじま)。今も佃島に住み続けているって。
佃島といえば、同じく隅田川の河口にある月島(つきしま)なんかと並んで、下町の代表みたいなもの。道理で、話し方が、きっぷがいい。ちょっとろれつはまわってない感じだけれど、それでも江戸っ子って感じ。きっとお仲間のおじいちゃんなんかと、朝まで酒を酌み交わしていたんでしょうね。
佃島で育ったなんてかっこいいですねって言ってみると、そんなことないのよ、ぜんぜんって答えるんです。古いばっかりでねって。
わたしなんかにしてみたら、江戸の情緒たっぷりで、いなせな感じがするのですが、このおばあちゃんにとっては、なんの変哲もない、ただの自分の町なんでしょうね。
もう数年も前のできごとなので、細かいところは忘れてしまいましたが、道々おばあちゃんの家族とか、そんなお話もしたのかもしれません。
さあ、着きましたよと、デパートの一階で教えてあげると、なんとなく、わたしの腕を離すのが不安そう。それでも、ようやく決心したように腕を離し、エスカレーターの方へと踏み出そうとします。
そこで、お名前を教えてくださいと言うおばあちゃん。残念ながら、名刺を持ち合わせていなかったので、アメリカのカリフォルニアに住んでいるんですと教えてあげました。名前なんて、この際、あんまり役に立たないし。
それに、道のりが楽しかったのは、おばあちゃんだけじゃないんです。だから、別に、親切をしたというわけではないんですね。楽しませてもらったから、ほんとは、こちらもお礼を言わなきゃいけなかったんです。
あのときの別れ際のおばあちゃん。もしかしたら、不安だったんじゃなくって、さよならを言うのが名残惜しかったのかもしれませんね。
明日の朝、日本に向けて旅立ちます。また、こんなおばあちゃんに出会えるでしょうか。
追記: 佃島から新宿へは、地下鉄大江戸線で一本なんですね。最寄り駅は、月島。
この隅田川の河口の辺りは、江戸時代初頭からの埋立地で、漁師さんが多く住んでいたところだそうです。
本文中の写真は、隅田川の水上バスから眺めた「佃大橋」です。見えているビル群は、佃とは隅田川を隔てた反対側になります。この辺は、川も大きくて、漁の船もたくさん停泊しています。
ちなみに、ここは中央区。そう、銀座とか日本橋とおんなじ区。それってちょっと意外ですよね。
後日談:10月の終わり、またまた隅田川の水上バスに乗ってみました。
こちらは正真正銘、佃島あたりの写真です(隅田川を上ると、向かって右側です)。「つり」とか「佃煮」の文字が見えています。右端に看板が見えている「天安」は、佃煮の老舗だとか。
こちらは、石川島灯台です。沖を通る船のために、1866年に築かれたそうです。今では、まわりに高層ビルが建ち並んでいます。
芸術品
- 2006年10月16日
- エッセイ
なんのことはない、甥っ子が描いたコガネムシの絵です。
でも、封筒から引き出し、二つ折りの紙を開いた途端、これは芸術だ!って思ってしまったのです。
なんといっても、力強い。迷いもなく引かれた線には、自信すら感じます。
まだ、小学校1年生なので、輪郭はかなりデフォルメされ、説明の字もおぼつかない。でも、題材に対する思い入れが充分に出ている。
まるで、芸術家が対象物に抱く、深い鑑識眼と愛着のように。
甥っ子は、小さい頃から虫が大好きで、近所でも「昆虫博士」として有名なんだそうです。地元の新聞でも取り上げられたくらい。
だから、お誕生日に、コガネムシの標本がモチーフとなったブレスレットを贈ったら、喜んで絵にしてくれました。
何かを贈ってあげると、いつもお姉ちゃんとお母さんと一緒に礼状をくれるのですが、甥っ子は、決まって虫の絵。
一度、こんな折り紙の作品を送ってくれました。ちょうちょ、せみ、くわがた、るりぼしかみきり、だそうです。
小さなことにはとらわれず、自分の表現したいように表現する。
そんな豪快なところが、やっぱり、連れ合いの家系の血をひいているんだなあと、ちょっとおかしくなってきます。
子供が描く絵って、育った文化の影響があるのかもしれませんね。
こちらは、アメリカの女の子が描いた絵。その子の家では猫を飼っているので、猫が大好き。描いてくれたのも猫ちゃんたち。
でも、なんとなく、日本の女の子が描く猫ちゃんとは違いますよね。
第一、猫ちゃんたちが立ってる!それに、体が雪だるまみたいに、何段にも分かれている!
きっと、雪のタホ湖で描いてくれたので、雪だるまのイメージとも重なっているのかもしれません(アメリカの雪だるまは、通常、三段に分かれているのです)。
こちらは、そのお兄ちゃんが、即席で作ってくれたお礼のカード。黄色いポストイットを2枚張り合わせ、お礼のメッセージを書いてくれています。
彼らのお家で、折り紙の鶴を折ってあげたら、これあげるって、持って来てくれたものです。
きっと、お母さんに言われたのでしょうね。ちゃんとお礼を書きなさいって。
ちなみに、こちらは、日本人だけれど、アメリカで育った女の子の作品。
彼女曰く、わたしの絵だそうですが、きっと、そのときしていた赤いペンダントと指輪が印象的だったんでしょうね(髪にはリボンなんかしていませんでしたけど)。
お目目ぱっちりのお人形さんの絵とは、また違った感じですよね。
とくに、目と眉が違っていて、なんとなく、アメリカ風。
小さい頃、わたしはお絵描きを習っていました。
父の家系は、みんな絵や彫刻に長けているのに、わたしも姉もそうでもなかった。だから、ふたりして絵画教室に通わされていたんです。
でも、わたしは、いつも先生に言われてましたね。もっと豪快に描きなさいって。小さい描写はいいから、もっと自由にって。
そういうのって、あんまり得意じゃなかったんです。木登りはお得意でしたけど。
で、あるとき、みんなで近くの公園に写生会に行きました。
わたしは、どうしても、コンクリートの階段の色が気に入らなくって、何度も何度も違った色のクレヨンで塗り直していました。そしたら、何ともいえない、黒っぽい色になってしまって・・・。自分でも、恥ずかしいくらいに。
すると、先生が寄って来て言うんです。「あ~、これはいい色だねぇ」って。そして、わたしの絵を掲げて、「みんなも、こんな風に、思った通りに描いてみなさい」って言うんですよ。
こっちにしてみたら、偶然の産物とでもいうんでしょうか。でも、先生には、そんなことは何も言えなかったですけどね。
そのとき、芸術ってわからんものだぁって、子供ながらに悟りましたね。幼稚園の頃だったと思います。
で、今は、あの色を出そうと思っても、出せるものではありませんね。なかなか常識というやつが邪魔してしまって。
食欲の秋、ワインディナー
- 2006年10月13日
- Life in California, 季節, 秋
秋。カリフォルニアでは、ワインの秋。ぶどうの収穫が最盛期となり、ワイナリーは新しいワインの仕込みに入ります。
そんな秋の訪れを感ずるカリフォルニアでは、真夏はビールに押され気味だったワインも力を盛り返し、あちらこちらで「ワインディナー」が開かれるようになります。
前回は、ワインの産地、ナパにあるふたつのワイナリーのお話をいたしました。
けれども、カリフォルニアのワイナリーは、何もナパには限りません。ナパのお隣のソノマ郡も、カリフォルニアワインの双璧ともいえる場所です。
そして意外にも、シリコンバレーにも、あちらこちらにワイナリーがあるのです。昔っからの伝統を守るワイナリーもあるし、ほんの数年の歴史の新しいものもある。
IT業界を制覇したら、お次はワイン造り。そんなシリコンバレーの住人たちもいるのです。
飲む人にとっても、造る人にとっても、ワインは常に、夢とチャレンジ精神を駆り立ててきた飲み物なのですね。(写真は、そんな新手のシリコンバレーのワイナリー、クロア・ラシャン(Clos LaChance)です。)
そして、そんなワイン好きの集まるカリフォルニアでは、「ワインディナー(winemaker’s dinner)」というのが頻繁に行われます。こちらがわざわざ遠いところにあるワイナリーに出向くかわりに、向こうが出向いてくれるのです。
たとえば、地元のワイナリーがコース料理をお出しし、自分たちのワインをペアリングするという形式もあります。
そして、近くのレストランがワイナリーを招き、ワイン造りの苦労話とともに、彼らのワインを堪能するというイベントもあります。
9月下旬、そんなワインディナーに出席しました。近くのクラブハウスのレストランで開かれたものです。
我が家に近いので、酒気帯び運転なんか怖くない、という嬉しい利点もありました。
今回、招待されたワイナリーは、ソノマ郡にある Dutcher Crossing Winery (ダッチャー・クロッシング・ワイナリー)というところです。
ソノマ郡のドライクリークバレー( Dry Creek Valley )という、有名なぶどう栽培地域にあります。
正直に言って、こんなワイナリーなんて、今まで聞いた事がありませんでした。それもそのはず。ここは、ほんの5年前にできたばかりのワイナリーです。
オーナーのブルース・ネヴィンズさんとジム・スティーヴンズさんは、30年前から「ペリエ」をアメリカに紹介した立役者だとか。やはり、水がわかる人は、ワインの味もわかるのでしょうか。
ディナーはまず、立食のオードブルから始まります。ピアノの演奏が流れる中、シャルドネを味わいながら、楽しい会話に花が咲きます。ちょうどお向かいさんも来ていたので、話し相手に不足することはありませんでした。
そこに、オードブルのトレイが回ってきます。イチジクのパイ包みに、梨とブルーチーズののったクロスティーニ(イタリア風トースト)。メインロブスターとダンジェネスクラブのフリッター(揚げ物)もありました。
シャンペンなんかではなく、甘味のあるシャルドネでオードブルというのも、なかなかおもしろいものですね。
ワイングラスがチンチンと鳴らされ、そろそろテーブルに着席する合図。そこで、お向かいさんと一緒に、8人がけのテーブルに座ります。
ワインディナーのテーブルは、丸テーブルの場合が多いようで、初対面の人でも、会話がスムーズに進むようになっているのです。
レストランの中央には、ワインボトルが美術品のように飾られています。お出しする赤ワインはすでにコルクが開けられ、白ワインは氷で適度に冷やされています。
まず、コースひとつ目は、帆立。セロリのピューレが入ったバターソースがけです。
これに合わせるのは、白のソーヴィニョン・ブラン(Sauvignon Blanc)。香りも、酸味も、ほどよいくらい。ぶどうの味がうまく引き出されていて、よくできたワインです。
お次は、鴨の胸肉。外側をこんがりと焼いた鴨に、プラム・チャトネー(ジャムみたいなもの)がのっていて、緑茶入りのソースがかかっています。
これに合わせるのは、赤のジンファンデル(Zinfandel)。日本では、あまり有名ではありませんが、アメリカの固有種で、カリフォルニアでは、とってもいいものが栽培されているのです。
ダッチャー・クロッシングのあるドライクリークバレーも、このジンファンデル品種で名高い所なのです。
近くの「メイプルぶどう畑(Maple Vineyard)」で採れたジンファンデルを使っていて、香りが高く、口の中でとろけるような、まろやかなお味です。
このぶどう畑はメイプルさん夫妻の経営で、ふたりとも自分のトラックを運転し、しょっちゅう畑で働いている、ということでした。毎年、いいジンファンデルを提供してくれているんだと、ダッチャー・クロッシングの責任者が力説していました。
わたしも、ジンファンデルは大好きな品種のひとつで、これこそは!と思っているものが何本かあります。お手頃な値段のわりに質が高い、これが狙い目なんです。
このダッチャー・クロッシングも、その中に入れたい一本ですね(残念ながら、今はちょっと売り切れているそうですが)。
鴨肉のお次は、牛のフィレ肉。風変わりなキノコが数種、ほどよくソテーされ、脇に添えられています。
これに合うのは、勿論、カベルネ・ソーヴィニョン(Cabernet Sauvignon)。やはり、近くで採れたぶどうで造られた、バランスのいいワインです。
色も鮮やかで、香り高く、ミディアムレアに焼かれたフィレ肉によく合います。
さあ、このあとは、いよいよデザート。アメリカ人にとっては、待ちに待った最後のコースです。
彼らには、デザート抜きの食事なんか考えられないんですね。子供の頃から、「ブロッコリとニンジンを食べたら、デザートにアイスクリームを出してあげるわ」と言われて育ったからでしょうか。
どうやら、このワインディナーでは、いつもよりもシェフが張り切っていたようです。デザートにも、それがよく表れていました。胡桃のケーキ、チーズケーキ、チョコレートムースが、芸術的に皿に盛られています。
左端のチーズケーキがのっかっているのは、なんとラーメン用の蓮華(れんげ)!アメリカ人にかかると、意表を突く利用法が編み出されるのです(おはしをかんざし風に使うというのも、昔から工夫されていましたっけ)。
さて、濃厚なデザートに合うのは、やっぱり濃厚なポートワイン。(ポルトガル産のものでなくとも、アメリカでは、ポートワインと呼ばれます。)
カベルネ・ソーヴィニョンで造った、甘めのポートワインで、さすがに、チョコレートによく合います。
デザートも終わったところで、シェフのエリオットが呼び出され、スタッフとともに、ねぎらいの拍手喝采を受けます。
彼は、もうすぐ結婚するんだそうで、そこで、またまた大きな拍手!
このエリオット・シェフ、「披露宴のいい参考になったよ」と、ワイナリーを褒めることも忘れていません。
この日の締めくくりは、おいしい日本酒を試したい!というお向かいさん。ディナーで着ていたドレスとハイヒールを脱ぎ捨て、普段着で我が家に登場です。
そこで、さっそく、冷蔵庫に冷えていた日本酒をお出ししてみます。
「思ったよりも、カッとこないのねぇ」などと仰せですが、だいたい、日本酒と言えば燗酒(かんざけ)だと思っているアメリカ人が多過ぎるんですよ。
カリフォルニアワインと一緒で、いい日本酒は「フルーティー」で、決して温めてはいけない。そう言うと、ワインにうるさいカリフォルニア人は、一応、納得するんですけどね。
追記:まあ、わたしは、たまたまカリフォルニアに住んでいるので、新鮮な(劣化していない)カリフォルニアワインを堪能し、カリフォルニアワインは世界で最高だ、みたいな書き方をしているわけです。
けれども、正直に申し上げて、どこのワインにもそれぞれにいいところがあって、現地で飲めれば、それは最高だと思うのです。
今年5月、ギリシャに行ったとき、ワインのお話をちょこちょこと書いてみましたが、そこではまったく書かなかったクレタ島にも、いいものを発見しました。
Kotsifali(コツィファリ)というぶどうの赤ワインなのですが、聞いた事なんかありませんよね。でも、うなるほどおいしかった。混ざりっ気がまったくなく、芳醇な「葡萄酒」といった感じ。鮮明な赤なのに、空気に触れると、途端にまろやかになる。
ホテルのバイキング・ディナーがおいしくなかったわりに、わたしはこのワインで、すべてを許してしまったほどでした。(コツィファリは、おもにクレタ島のヘラクリオン地域で栽培されるそうです。)
どこに行っても、一生懸命に造ったものはおいしい。そんなことを痛感するこの頃なのでした。
それから、冒頭のクッキーの写真は、有名なクッキー屋さん、Mrs. Fields(ミセス・フィールズ)のカタログです。秋用のカタログがあまりにもおいしそうに見えたので、ちょっと撮らせていただきました。
ナパのふたつのワイナリー
- 2006年10月11日
- Life in California, アメリカ編, 歴史・習慣
フォトギャラリーのセクションで、ワインの産地である、ナパバレーに行ったお話をいたしました。
そのときはあんまりワインのお話ができなかったので、ここでは、ちょっとワインについて語ってみたいと思います。
フォトギャラリーの欄では、こう書いてみました。何の計画もなく、目に付いた所に入ってみるのが、我が家のワイナリーツアーだと。
でも、これは、ちょっとだけ違っていたのです。
前夜、結婚記念日のお祝いをしたホテルのレストラン。ここでは、コース料理とワインのペアリングをしてみたのですが、わたしが頼んだふたつ目のお料理、これが、衝撃的な体験だったのです。
帆立をこんがり焼いて、コーンをソテーした上にのっけただけのシンプルなお料理でしたが、その焼き加減が絶妙!
外がカリッとしていて、中はふんわり。こんなにうまく焼いた帆立は、初めて食べました。
そして、この帆立とペアリングしてあったのが、White Rock Vineyards (ホワイト・ロック・ヴィニヤード)の
2003年の Chardonnay (シャルドネ)。
これが、なんとも、今まで味わったことのないようなシャルドネだったんです!
ワインをお好きな方ならよくおわかりだと思いますが、フランスとカリフォルニアのワインを比べると、それぞれに特徴があるのですね。
たとえば、シャルドネの場合だと、カリフォルニア産は、“buttery”といった表現がよく使われます。「バターみたい」というか、濃厚で、しっかりとした味がついているという意味です。
で、そういった「バタリーな」シャルドネは、繊細な料理にはあんまり合わないんですね。ワインの味が勝ち過ぎてしまって。
だから、日本風な料理の多い我が家では、最近はシャルドネを避け、Sauvignon Blanc (ソーヴィニョン・ブラン)とか、 Pinot Grigio (ピノ・グリージョ)とか、軽めのワインを選んでいました。
ところが、このホワイト・ロックのシャルドネは、帆立みたいな淡白なお料理にも、ぴったりと合うのです。不思議なくらいに。
すっきりしていて、ほのかにナッツ系の香りがする。ベタベタとした、嫌な甘味もない。
ということで、ホワイト・ロックのシャルドネに感動したわたしたちは、翌日、さっそくワイナリーに向かいました。
カーナビに案内してもらったので、ちょいと山奥ではありますが、迷うことはありませんでした。でも、門構えが小さいし、何の看板もありません。門を行き過ぎると、その奥は行き止まり。
いや、実は、ナパのワイナリーは、大きな場所はいつでも一般公開していますが、小さなワイナリーだと、完全予約制になっているのですね。そして、ホワイト・ロックもこのタイプ。
あ~、やっぱりダメかぁとあきらめかけていると、古~い車が一台近づいてきます。車の天井には、何やら大きなビニール袋が乗っかっていて、なんだか、とってものどかだなぁ。
と、感心していると、お兄さんが車の窓から顔を突き出し、「どこに行きたいの?」と聞いています。ホワイト・ロックに行きたいと言うと、「あぁ、あそこは普段は公開してないんだけどね。でも、ちょっと付いておいで」と言いながら、先に門の中に入って行きます。
車を停め、携帯電話で誰かとお話しているかと思えば、間もなく、背の高~いおじさんが、古い石造りの家から出てきました。
実は、彼こそが、ここのオーナー、ヘンリーさん。そして、声をかけてくれたお兄さんが、ヘンリーさんの次男のマイケルさん。ワイナリーのマネージャをしています。ここは、家族で経営しているワイナリーだったんですね。
そこで、昨晩、お宅のシャルドネに感心したんだという話をすると、ヘンリーさんも気をよくしたご様子。今は、お客様が来ていて、ランチをお出ししている最中だから、1時半頃にもう一度いらっしゃいと、ご招待してくれました。
さて、それまで1時間半。どうしましょう。
そこで、目に付いたワイナリーが、シルヴェラード・トレイル沿いの Darioush (ダリウーシュ)。
5年前に、イラン系のオーナーが土地を購入し、2年半前に一般公開したばかりの、新手のワイナリーです。道理で、前回ここを通ったときは、こんなワイナリーはなかったはず。
このワイナリーはおもしろくって、勿論、美しいペルシャ風建築も目を引くのですが、赤ワインが専門という特徴があるのです(白も造ってはいるようですが、ごくわずかのようです)。
Cabernet Sauvignon (カベルネ・ソーヴィニョン)、Shiraz (シラーズ)、Merlot (メルロー)などをお得意としていて、そのお味は、フランスのボルドー系の伝統を重んじる印象でした。
ここの建物や施設は、超近代的。スチールタンクなんかも、うまく品質管理できるように、技術の粋を集めているようです。
それが、なんとなく、ボルドーの伝統的な味とミスマッチ。これも、カリフォルニアならでは、といったところでしょうか。
ここで、ちょっとだけ赤ワインのお話をどうぞ。
まあ、カベルネ・ソーヴィニョンなどとひとくちに言っても、近頃は、いろんなぶどうをブレンドするのが流行っているようですね。
ダリウーシュの2003年ものは、カベルネ・ソーヴィニョン85%、メルロー10%、カベルネ・フラン2%、メルベック2%、プチ・ヴェルドー1%と、まるで、化学の実験みたいに、いろいろ入ってます(この5種類のぶどうのブレンドは、有名なワイナリー Beringer なんかも出しています)。
どうしてそうやって混ぜているかというと、ぶどうの味というのは、たとえ同じ種類のものであっても、毎年、気候や土壌の影響で変わるものだそうです。ところが、「このワイナリーのこのワインは、こんな味だった」と覚えている人にとっては、毎年、同じ味であってほしいわけです。
だから、いろんな種類のぶどうを違った割合で混ぜてみて、年々同じ味を保つようにしているのだそうです。
このダリウーシュは、醸造する量も少なめで、毎年8千ケースくらいしか出荷しないそうです。だから、すぐに売り切れるみたいですね。
おまけに、残念ながら、カリフォルニアでも一般には流通していなくって、直接購入するか、レストランで飲むくらいしかご縁がないようです。
テイスティングをさせてもらいましたが、わたしたちは、カベルネ・ソーヴィニョンよりも、シラーズの方が好きでした。100%シラーズで、羊肉とか野生の禽(とり)だとか、スパイスの効いた料理に合うそうです。
ちょっと無理して、一本64ドルのシラーズを買ったら、20ドルのテイスティングはタダにしてくれました。いい人でした。
さて、お昼を食べたら、もう1時半。そろそろホワイト・ロックに戻らなくっちゃ。
予定をちょっと遅れて到着すると、ヘンリーさんがすぐに家から出てきて、「さあ、ぶどう畑に行こう!」と車に乗り込みます。そして、向こうの丘にあるぶどう畑と、白い岩をくり貫いたワイン倉に連れて行ってくれました(白い岩だから、ホワイト・ロックというネーミングです)。
途中、ヘンリーさんちの犬が、先頭になって走っていきます。あれ、道が違うよ!と思っていると、賢い犬くんは、ちゃっかりと先回り。お客様を現地でお出迎えです。
ホワイト・ロックは、歴史のあるワイナリーで、ぶどう栽培を始めたのは、1870年。今のオーナーであるヘンリーさんが30年前にここを購入するまで、持ち主が何代か替わっているそうです。
いろんな資料を調べてみたけれど、1900年までしか歴史をさかのぼれなかったんだとか。(現在、ワインのラベルに使っている絵は、ヘンリーさんの奥方クレアさんが見つけてきた、1900年当時のワイナリーの様子だそうです。)
ここは、いわゆる「エステート・ワイナリー(estate winery)」と呼ばれるワイナリーで、自分の敷地内で作ったぶどうの実しか使いません。
36エーカー(15ヘクタール)の畑は、手前に赤ワイン用のぶどう、ふたつ向こうの丘に白ワイン用のぶどうを植えています。収穫は、赤よりも白の方が早く、ナパではとくに、西向きの丘は日当たりがいいので、育ちが早いそうです。
まあ、今でこそ、オーガニック(有機栽培)だの自然に優しいだのと騒がれていますが、もう25年前から、除草剤や殺虫剤は一切使っていないそうです。肥料も、自然の堆肥だけ。除草剤を使わないので、ぶどうの根元に生えた雑草は、全部手で取り除きます。
でも、とりたてて、「オーガニック」とはうたっていない。だって、当たり前のことでしょうと。
造るワインは、赤と白一種類ずつ。白はシャルドネ。赤はクラレット( Claret )と呼ばれるブレンド。こちらは、カベルネ・ソーヴィニョンに、カベルネ・フランなど3つを少しずつ混ぜています(クラレットというのは、フランス・ボルドー風の赤ワインという意味です)。
やっぱり、ここの赤も、毎年混ぜる割合が違うので、みんなで何回もテイスティングをして、合議制でブレンドを決定するのだそうです。
赤も白も、出荷は各々1200ケースのみ。どこまでも、小さいワイナリーにこだわりを持っているのですね。
収穫したぶどうは、まず、このように、ステマー(stemmer)と呼ばれる機械でガラガラと回し、茎を乗り除きます。
ワイナリーによっては、赤のピノ・ノアールを造るとき、茎を混ぜるところもあるそうですが、これは、ごく一部のようです。
で、ここで、あれっ、そうか!と思い当たるです。
何かと言うと、赤ワインも白ワインも、それを造るぶどうの実自体は、色がない。つまり、赤ワインの赤い色は、ぶどうの皮から来ているのですね。
ピノ・ノアール入りのスパーリングワインだって、皮を入れなければ、まったく赤くはならないのです。
ということは、ここで、赤と白の製法が分かれるわけですね。白は、先にプレスし、ジュースだけを取り出し、そして、発酵させる。赤は、皮も一緒に先に発酵させ、あとでプレスする。
こちらの写真は、プレス機です。これをガラガラと回して、ジュースだけを分離させるそうです。このときは、シャルドネのようなぶどうをプレスしていました。
機械のすぐ横に立っているのが、ヘンリーさんの長男のクリストファーさんです。彼は、ここのワインメーカーなのです(ワインメーカーとは、日本酒の杜氏さんみたいなもので、自らぶどう作りも担当する要職なのです)。
こちらは、ぶどうのジュースです。なんだか、あんまりおいしそうに見えませんが、これがいいワインになるんですね。
さて、白の場合、ここから発酵・精製となるわけですが、この先は、ワイナリーによってさまざまな方式が採られるようです。
皮はまったく残さない?いったい何度で何日くらい発酵させる?発酵に使うのはスチールタンク、それともオーク樽?オーク材はどこのもの?オーク樽でどのくらい寝かす?その後、ボトルで寝かす?などなど、いろんな要素が影響するのですね。
もともと化学の実験みたいな、微妙でデリケートなワイン造り。人によって、いろいろとこだわりがあるのですね。
ホワイト・ロックのこだわりは、まず、すっきりとした味を出すこと。カリフォルニアのシャルドネにありがちな濃厚さではなく、すっきりとキリリとしたお味。
ヘンリーさん曰く、“crisp and lean” なワイン。
シャルドネは、酸味が弱いと濃厚な印象となり、強いと、キリリとした味になる。けれども、カリフォルニアのシャルドネのぶどうは、もともと糖分が高く、酸味が弱い。だから、ホワイト・ロックでは、ぶどうの生育・収穫から醸造の過程で、酸味を保つように工夫しているそうです。
そして、シャルドネを二種類造り、濃厚な方をちょっとだけ加える。
ちょっと細かい話になりますが、ワインの発酵には、ぶどうジュースに加えたイースト菌が働き、糖分をエチルアルコールと二酸化炭素に変える「一次発酵」と、その後、リンゴ酸が乳酸に変化する「二次発酵(malolactic fermentation)」があります。
この二次発酵がしっかり行われると、クリーミーな、濃厚なお味になるのですね。だから、ホワイト・ロックでは、クリーミーな方を15パーセントだけ混ぜているそうです。
酸味のあるシャルドネと、クリーミーなシャルドネ。このふたつをうまくブレンドしたとき、わたしたちが感心してしまったような、絶妙なワインができるのですね。
1時間以上も、わたしたちを案内してくれたヘンリーさん。ワインの話をしたら止まらなくなって、商売はそっちのけ、という印象でした。
それほど、ワインを愛しているということなのでしょうね。
それにしても、聞けば聞くほど、ワインとは奥が深いものです。深すぎて、よくわからない。だから、あんまり深く考えないほうがいいかもしれませんね。
おまけのお話(ワイン好きの方へ):本文中では、あまりにも長くなるので省いてしまいましたが、実は、とっても感心したことがあったのです。
それは、ホワイト・ロックのシャルドネの発酵期間中のお話です。イースト菌が働いている間、イースト菌の残骸だとか、たんぱく質だとか、樽の底にだんだんと「おり」が溜まってきます。で、ホワイト・ロックでは、樽からワインを抜いて、樽の中をきれいに洗い、ワインをもう一度樽に入れなおす、という方式を採っているそうです。これを、期間中、8回、9回と繰り返す。
普通は、大きなスチールタンクの底に溜まったものを、最後にガバっとかき出す、と別のワイナリーで聞いた事があります。このとき、おりが完全に沈殿するように、卵の白身やゼラチンを加えるとか。今は、専用の合成物質もあるそうで、それを使っているワイナリーもあるそうです。
だから、律儀に樽の中を洗っているという話を聞いたとき、その丁寧さに、ちょっとたまげてしまったわけなのです。
ついでに、この「おり」は、必ずしもワインの敵ではないようです。それが証拠に、フランスのブルゴーニュ地方などでは、おりを取り除かず、定期的に発酵中のワインをかき回す、といった方式を採るワイナリーもあるそうです。
より複雑なお味になるそうですが、失敗も多いようです。ですから、カリフォルニアでは、あまり行われていないようです。
ワインの産地、ナパバレー
- 2006年10月07日
- フォトギャラリー
結婚記念日に、ワインの産地で有名なナパバレー(Napa Valley)に行ってきました。
サンフランシスコから1時間くらい北にある場所で、シリコンバレーからは2時間ちょっとといったところでしょうか。
ナパバレーは、ナパ郡にある谷間という意味で、単にナパとも呼ばれます。ナパ郡全体には、たくさんのぶどう畑やワイナリーが広がっています。西のお隣には、やはりワインの名産地、ソノマ郡があります。
2年前にソノマ郡のケンウッド地区に泊まったのが最後だったので、ナパもワインテイスティングも久しぶり。だから、とっても楽しみな旅行でした。
けれども、今年は異常気象。もう10月1日にはシーズン初の雨となり、先行きが心配でしたが、やはり予想は的中。到着した日だけ晴れていて、あとはずっと雨でした。勿論、帰って来た翌日からは、カラリと晴れましたけど。
まあ、そんな雨の旅路ではありましたが、ナパは美しい収穫の季節。木々も少しずつ色づき始め、ぶどうはたわわに実っています。
目抜き通りの29号線には、有名なワイナリーのオンパレード。知らないワイナリーはほとんどない、と言ってもいいくらいです。いつものことながら、ナパに近く住むことが、とっても嬉しい瞬間なのです。
南北に走る29号線を北上すると、街の名前も変わっていきます。ナパ(Napa)、ヨーントヴィル(Yountville)、オークヴィル(Oakville)、ルーサーフォード(Rutherford)、セント・ヘリーナ(St. Helena)、そして、カリストーガ(Calistoga)。それぞれの街には、名だたるワイナリーがここかしこと広がります。
泊まったホテルは、Calistoga Ranch(カリストーガ・ランチ)。名前の通り、カリストーガの街の山奥にあります。2年前に完成した新しい施設ではありますが、森の中にしっくりと溶け込んだ雰囲気。
「農園(ranch)」という名のわりには、敷地内では無線ブロードバンド・アクセスが可能になっていて、快適な現代人の生活ができるのです。
近くには、同じオーベルジュ・グループ傘下の、Auberge Du Soleil(オーベルジュ・ドゥ・ソレイユ)というリゾートホテルもあります。このグループは、お客様の顔と名前をしっかり覚えることをモットーとしていて、いろんな心配りも嬉しいです。
案内された部屋は奥まった高台にあり、“Eagle’s Nest(ワシの巣)”というニックネームの、深い緑に囲まれた場所。部屋はまるで木の上に作られた感覚で、遠くにはナパの谷間が望めます。バルコニーに出ると、空気がほんとにおいしい!
カリストーガは湧き水でも有名で、“Calistoga”という名のボトルウォーターもありますね。
それにしても、木に囲まれて眠るのが、こんなに楽しいことだとは知りませんでした。だから、アメリカの子供たちは、庭の木の上に部屋(a tree house)を作って、冒険感覚を味わうのですね。
バスルームの外に出て、デッキで浴びるシャワーも、すごく気持ちが良かったです。見上げれば、空と木との対話。
翌日は、さっそくワイナリーツアー! 雨が降ったり止んだりの生憎の天気でしたが、なんとか3つだけ廻りました。Darioush(ダリウーシュ)、White Rock(ホワイト・ロック)、そして、Regusci(レグーシ)。
だいたい何の計画もなく、目に付いた所に入ってみるのが、我が家のワイナリーツアー。ホテルから出ると、そこは29号線に並行する、シルヴェラード・トレイル(Silverado Trail)です。だから、この道上のワイナリーを攻めるのです。
ダリウーシュは、2年半前にオープンしたばかりの近代的なワイナリー。オーナーがイラン系の人なので、建物もペルシャ風建築となっています。ここは、赤ワインに力を注ぐワイナリーで、どちらかというと、フランスのボルドー系の伝統的な味でしょうか。
一方、ホワイト・ロックは、1870年にぶどう栽培を始めたという老舗。ワイナリーのオーナーは何代か替わったそうですが、敷地内で栽培したぶどうを使い、昔ながらの製法を引き継ぎます。小ぢんまりとした家族経営で、各年に、赤一種類と白一種類しか出しません。
レグーシは、スイス・イタリアンの名前。こちらも歴史があるようで、1878年に建てられたワイナリーを、スイスからアメリカに移住したレグーシさんが、1932年に買い取ったそうです。ぶどう栽培だけでは食べていけないので、ごく近年まで、トウモロコシやプルーン、胡桃の栽培にも精を出していたとか。
ここは、白はシャルドネを出すだけで、あとは赤ワインをお得意としています。とくに、ヨーロッパ風のワイン造りを踏襲しているわけではなく、まあ、立派な「カリフォルニア・ワイン」といったところでしょうか。
雨も一時的に強くなってきたし、早めにワインツアーを切り上げ、ホテルに戻ります。そして、夕方からは、ホテルのスパへ。
このホテルは、スパ・トリートメントのメニューが格段に多く、単独のマッサージやスキンケアだけではなく、マッサージの前に、屋外で入るお風呂が名物のようです。
選んでみたのは、カベルネ・ワイン風呂。思ったほど赤くはなりませんでしたが、ほのかにワインの香りが立ち込めます。体にいい抗酸化物質が、肌から浸透するんだそうです。
その他には、泥風呂、バターミルク風呂、チョコレートミルク風呂と、何やら想像し難いメニューが並んでいます。
ホテルのレストランも、とってもいいシェフを揃えているようでした。一泊目の記念日の食事がよかったので、二泊目は、部屋でカジュアルなルームサービス。
ルームサービスのメニューの中には、“Dine on the Deck(デッキの上で食事)”という文字。どうやら、部屋に付いている屋外リビングルームで、暖炉の火を前に、コース料理が楽しめるようになっているようです。
レストランからひとつずつ料理を運んでくれるそうですが、運んで来る方も大変ですね。各部屋には、ゴルフカートで行き来するわけですが、わたしたちが泊まった部屋みたいに、最後は長~い階段が付いている場所もあるのですから。
奥まったわたしたちの部屋は、ほんとに静かでしたね。
夜、デッキの暖炉の前で話をしていると、カサッ、カサッと裏山の枯葉を踏む音が聞こえてきます。
まさか、狼かマウンテンライオン!とおびえていると、姿を現したのは、鹿さんでした。優雅な歩みで、階段の脇をゆっくりと降りて行きます。
ほっとしたところで、連れ合いは、暖炉の前でまぶたが重くなってきます。そこで、ちょっと聞いてみました。
Q「羊さんが、もう200匹くらいになったんじゃないの?」
A「もう300匹を越えてるよ。そして、みんな毛を刈られちゃった。」
え?毛を刈る? このあたりになると、相手が完全にまどろんでいるんじゃないかと疑い始めます。そして、こう続けてみました。
Q「誰が毛を刈ったの?」
A「おじさん。意地悪なおじさん。戦いに敗れてひねくれたおじさんが、羊の毛をみんな刈ってしまった・・・」
ここまでくると、さすがに本人も寝ぼけたに違いないと思い始め、ふと正気に戻ります。
戦いに敗れたおじさんがいったいどうなったのか、その先が聞けず、たいそう残念な思いをしたのでした。
追記:訪れたワイナリーの中で、ダリウーシュとホワイト・ロックについては、「ライフinカリフォルニア」のセクションで、もうちょっと詳しく書いてみました。こちらです。