ちょっとご無沙汰しておりましたが、久しぶりに英語のお話をいたしましょう。
新聞を読んでいて、ハッとした文章がありました。
Drivers on cell phones look but don’t see.
訳しますと、「携帯電話を使いながら運転しているドライバーは、視ようとしても、見えていない」。
(cell phones は、携帯電話のことです。on cell phone というのは、「携帯電話を使っている」という意味ですね。)
中学校でも習いましたが、同じ「みる」にしても、look と see は違うのですね。前者は「注意深く視る」、そして、後者は「(単に)見る」。
(例文の look には、「表向きは注意深く視ようとしていても」という含蓄もあるようです。)
日本語にもある通り、「見る」と「視る」は違うのですね。
こんな中国の名言もあるくらいですから。「心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず。」
で、冒頭の文章。Drivers on cell phones look but don’t see.
この文章は、サンノゼ・マーキュリー新聞の「交通欄」に載っていたものですが、9月にシュワルツェネッガー州知事が署名した、新しい法律に関する話題でした。
2008年7月1日以降、カリフォルニアでは、車を運転しながら携帯電話で会話することを禁止とする。但し、ハンズフリー機能を使えば、これをよしとする。
日本やヨーロッパに遅れ、ようやくアメリカでもこのような法律が出来始めているのですが、やっぱり、運転中に携帯電話で話すと危ないですよね。
電話を取るとか、かけるという行為自体も危ないですが、注意力が欠けるというのも大きな問題ですね。
ユタ大学の研究によると、通話しながらブレーキをかけるタイミングは、通常よりも18パーセント遅くなり、これは、軽度の酒気帯び運転よりもひどかったとか(カリフォルニアでは、血中アルコール濃度0.08パーセント以上が、法的な酔っ払い運転となります)。
また、20歳の人が携帯電話で話しながら運転すると、その反応速度は、70歳の人くらい遅かったとか。
もともと人間の脳は、マルチプロセシング(並行処理)には長けていません。電話で話していると、注意散漫になり、視るべきものも、見えていない。
つまり、They look but don’t see.
ちなみに、新しい法律では、携帯電話のキーボードを使って短い会話ができる「テキストメッセージ」は、禁止とはならないそうです。そっちの方がよっぽど危ない気がしますが。
で、目で見る(視る)話題が出てきたところで、もうちょっと似たような表現のお話をいたしましょう。
目を使った表現には、turn a blind eye というのがあります。
「目をそむける」とか「無視する」というような意味です。文字通り、「見えない目を向ける」というところから来ているのですね。
こんな文章がありました。
Why do the police turn a blind eye to motorists who use mobile phones when driving? (出典:イギリスのYahoo! Answers)
訳して、「どうして警察は、運転しながら携帯電話を使うドライバーから目をそむけるの?」(携帯電話は、アメリカでは mobile phone とも cell phone とも呼ばれます。)
この turn a blind eye という表現は、結構、政治的なものにも使われます。たとえば、大統領は大きな問題から目をそむけている、といった話題に。
似たようなものに、耳を使った、fall on deaf ears というのがあります。
せっかくの意見や提案が無視されるという意味です。
たとえば、こんな風に使います。
Jennifer suggested that Harold should get a job, but of course her advice fell on deaf ears. (出典:The Free Dictionary)
訳して、「ジェニファーは、ハロルドに仕事を見つけるべきよと意見したのに、勿論彼女のアドバイスは無視されてしまった。」
これも、上記の turn a blind eye と同様、政治的な話題にもよく使われますね。行政側が、住民の意見をまったく聞いてくれなかったとか。
おもしろいことに、turn a blind eye の目は単数形なのに、fall on deaf ears の耳は、複数形で使われるみたいですね。
耳には、こういう表現もありますよ。
Let’s play by ear!
これは、「今細かく決め事をしないで、事の進展を見ながらやっていこうよ」みたいな意味です。
Play ~ by ear というのは、音楽の世界でいうと、「楽譜もなく、耳で聞いたものをそのまま弾いてみる」という意味ですが、これが転じて、「計画もなく、事の進展を見ながら、臨機応変に対処する」というような意味になったようですね。
この表現は、誰かさんとどこかに行く時、「出発する時間は、その場の雰囲気で決めようね」みたいな話にも使えますし、仕事のときなんかにも使えます。
新しいボスがどんな人だかわからないので、we should just play by ear.
一方、「目」を使ったことわざには、こんなものがあります。
Beauty is in the eye of the beholder.
Beauty とは「美」のことで、beholder とは「見る人」という意味です。
すなわち、「美は、見る者の目に宿る。」
つまり、美しいと思うのは、人それぞれという意味ですね。
だから、人間っておもしろいんです。
ゴミ大国アメリカ
- 2006年10月01日
- Life in California, 日常生活, 自然・環境
それにしても、なんでこんなに毎日ゴミが出るのでしょう。
新聞紙にミルクのカートン、ペットボトルにミートトレイ。ああ、アメリカ名物のジャンクメール(ダイレクトメールの類)もありますね。
新聞なんて、日曜版ときたら、宣伝が本文の倍の厚さ。お店の景気が良いのはいいけれど、こんなにもらったってしょうがないです。
どうせ、そのまま、ゴミ箱行きなのに。
だいたい、アメリカで、カタログやインターネットで物を買おうとすると、その過剰包装に驚いてしまいます。
アメリカ人は、細かく工夫するのが得意じゃないし、いろいろ細かいことを考えるのは時間の無駄だと思っているふしがあるので、それはもう、単に大きな箱に物を詰め込み、壊れないように詰め物をしましょう、くらいしかアイデアが浮かばないようなのです。
たとえば、こんなもの。あるとき、カタログで、マガジン・バトラー(雑誌立て)と宝石入れを買ったときのこと。ふたつは別々の箱で届いたのですが、両方とも、そのでっかい外箱にびっくり。何か間違って届いたのかと思いました。
大きな外箱を開けてみると、なかなか目当ての物が出てきません。「ピーナッツ」と呼ばれる詰め物を掻き分け、宝探し。そして、商品はといえば、あのロシアのお人形みたい。どんどん人形を開けると、もっと小さな人形が現れるという。
で、包装をどんどんむいてしまうと、中身はごく小さい。だいたい、宝石だってそんなにたくさん持ってるわけじゃなし、小さな入れ物で充分なんです。
それに比べて、日本の梱包材は、優れていますよね。これは、液晶モニターを保護していたもの。
まるで、折り紙のような、繊細な紙製の梱包材。
小さな箱に収まるように、空間を無駄なく使っています。そのもの自体が、芸術品。
アメリカ人は、折り紙が苦手です。やっぱり、そんな国民性が、梱包材にも表れているのですね。
それで、巨大な梱包材が手元に来ると、リサイクルすることになりますよね。
我が家のあるサンノゼ市の場合、ゴミ容器は3種類あります。生ゴミ、リサイクル、そして、木の枝や葉っぱ用。
木の枝の容器は、専門の会社が回収に来ますが、生ゴミとリサイクルは、ひとつの会社のトラックがいっぺんに回収します(ちなみに、このベテラン会社は、市長と癒着していたということで、来年7月から、別の2社が分担して担当することになります)。
週に一回、大きな回収トラックが、ご近所にまわって来ます。そして、家々の前に出された容器をガオ〜っと担ぎ、自分の背中にほうります。いや、ほんとに、ガオ〜っていう感じなんです。
我が家のリサイクルの容器は、中くらいの大きさなのですが、一番大きなものだと、小さい人間なら3人は入りそうな大きさなのです。
そんな容器が満杯になると、たいそう重くなる。だから、トラックの腕も相当強靭なはずです。
昔は、リサイクルには、こんな容器を使っていました。紙用、新聞紙用、ビン・プラスティック用の3つに分かれていました。
でも、いちいち人間が3つの容器をトラックの回収口に持ち上げるのは大変だし、第一、人件費がかかり過ぎます。それに、消費者の側も、3つに分別するのが面倒くさくて、リサイクル率は非常に悪かったのです。
そこで、今は、リサイクル可能な物を何でもリサイクル容器に入れられるようになったし、回収もトラック一台で自動的にできるようになったのです。
だから、トラックには、一台に付き運転手ひとりしか乗っていません。
ということは、容器に収まっていないものは、持って行ってはくれません。
そこで、問題発生。容器に収まらないものは、どうしよう?
ある日、我が家の古いオフィス机を、捨てることにしました。けれども、ドアの外に出ないので、解体して木のパーツにしてしまいました。
そして、市のサービス課に電話すると、粗大ゴミの有料トラックを手配しなさい、3つまで25ドルだから、と言います。けれども、机は一品目と数えられるけれど、解体したものは、そのひとつひとつが一品目だよと。
ということは、何十ドル、何百ドルかかるかわからない!
そこで、最終手段。自分たちで、埋立地に持って行くしかない。
実は、大きなサンノゼ市には、人が住んでいる場所とは似ても似つかない場所がありまして、サンフランシスコ湾に面する市の北部、ちょうどフリーウェイ237号線から北は、殺伐とした埋立地になるのですね。
Alviso と呼ばれるこの地域には、巨大なゴミ捨て場があって、産業廃棄物以外、いろんな粗大ゴミを受け付けるようになっています。自分で持って行けるなら、市民も利用可能です。
フリーウェイを降りて、ハイテク会社や巨大な教会、新興住宅なんかを行き過ぎると、ほこりっぽいくねくね道になって、これは迷ったぞと思った頃に、目の前に埋立地の門が見えてきます。
門を入ると、まず、入り口で、車の重さを量ります。地面に大きな秤が埋め込まれていて、これで、妙に重い廃棄物を持っていないかチェックを受けます。
まあ、我が家が持って行ったのは、机の残骸と、段ボール箱。かわいいものです。だから、入場料として、20ドルを支払います。
なんとなく、あちらのチェックもいい加減で、もっとたくさん持って来ればよかったと、ちょっと後悔。
そして、入り口で言われたとおり、丘に向かって、どんどん登って行きます。途中、大きなトラックなんかとすれ違いますが、道路には柵もなく、ちょっと怖いです。
表面は泥でカバーしていますが、どうもこの丘全体は、廃棄物でできているみたいです。
丘のてっぺんに着くと、また別の案内人がいて、机の残骸なら、あっちのゴミの山に行けと指示します。てっぺんとは言え、かなり広いフィールドになっていて、あちらこちらにゴミの山。
大きなブルドーザーが行き来する中、どんどんまっすぐ進んで行くと、そこは、木製の物を捨てる専用の場所。見上げるほどに積み上げられ、数メートルはあろうかと思われる山になっています。
クギなんかを踏まないように注意深く車を近づけ、さっそく、わたしたちもゴミを捨てます。
ふと見上げると、山のてっぺんには、まるで勝ち誇ったかのようにカラスが一羽。自分の領土とばかりに、真っ青な空をバックにあたりを見回しています。
まさに空にそびえ立つようなゴミの山。ほとんどは、もともと何だったのか想像もつかない木の切れ端になっています。
そんな中に、形を留める物がひとつふたつ。鏡台の椅子とベッドのマットレス。まだそんなに古ぼけてはいないし、捨てられて間もないようです。
地べたに転がった椅子には、藤色のクッションが張られていて、まったく汚れてもいません。つい昨日まで、誰かが腰掛けていたような匂い。
そんな小さな椅子を見ていると、近くに無残に横たわるマットレスに、こう話しかけているように思えてきました。
「ねえ、マットレスさん。私たちは、もう二度とあのお家には帰れないのよね。」
「そうだねぇ、椅子さん。別に僕たち、そんなに悪いことをしたとは思わないけど、きっともう、人間さんたちのお気に召さなくなっちゃったんだね。」
この殺伐とした丘のてっぺんで、文明の裏側を垣間見たような気分になったのでした。
追記:残念ながら、この日、カメラを持って行くのを忘れてしまいました。いつかまた粗大ゴミを捨てることがあったら、この場所の写真を撮って来ますね。
秋の到来:アメリカの大学進学
- 2006年09月29日
- 教育
Vol. 86
長かった夏がようやく終わり、風の中にも秋らしい薫りを感じるようになりました。いよいよシリコンバレーにも、本格的な秋の到来です。
そんな過ごしやすい「学問の秋」、今回は、教育分野の話題を中心にお送りいたしましょう。
<大学進学>
9月といえば、多くのアメリカの学校では新学期。来年、大学進学を目指している人にとっては、そろそろ入学願書を提出する季節がやってきました。
え、入学の一年も前から願書を提出?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、アメリカには「先行入学許可(early admission)」という制度があって、一部の高校3年生は、秋のうちに好きな大学に願書を提出し、12月には早々と翌年の入学が許可されているのですね。これに漏れると、みんなと同じく、1月に複数の大学に入学申請することになります。
ところが、世の中は公平なものではありませんで、この制度で他に先行して入学許可をもらえるのは、えてしてお金持ちの家の子供なのですね。こういった生徒は、入試準備のための補習校にも通えるので、複雑な入学手続きが何たるかをわきまえている。そして、奨学金を必死に探しまわる必要もないので、願書提出を先延ばしにすることもない。
それに、お金持ちの親の場合、有名大学を卒業しているケースが多いので、そのコネや何かで子供も早々と入学を認められることにもなる(秋に願書を提出する生徒は少ないので、競争率もその分低くなります)。
アメリカの場合、大学の入学資格というのは、実に様々なものでして、学校の成績や共通入試テストの点数だけではなく、学校外の社会活動歴だとか、入学後の抱負を語るエッセイだとか、そんなものも重視されるのです。公立・私立にかかわらず、一族の中に卒業生がいるかというのも、大事な項目となる場合もあるのです(たとえば、ブッシュ現大統領。誰も彼が実力で名門エール大学に入ったなんて思わないですよね。平均Cの成績で)。
そんなコネを利用した制度という意味で、先行入学許可は、「遺産入学許可(legacy admission)」とも呼ばれています。親子代々、同じ有名私立大学の出身というのも、東海岸の金持ち一族の間では珍しくないことなのです。
学校にとっても、お金持ちの子供を学校に入れれば、寄付金が潤沢に集まり、学校経営も研究費の調達も楽になる。ひいては、学校の名声も高まる、そういった論理なのですね(アメリカの大学では、卒業生の寄付金というのは重要な位置を占めるもので、たとえば、映画『スターウォーズ』でお馴染みのジョージ・ルーカス監督は、9月中旬、母校の私立・南カリフォルニア大学に約200億円を寄付すると発表しています)。
そんな不公平な選考基準を憂慮し、大学をもっと開かれたものにしようじゃないかという動きが出てきました。
たとえば、名門私立のハーヴァード大学。来年から、先行入学許可制度を廃止すると発表しました。
ハーヴァードでは、学生全体の13パーセントが先行許可で入学した学生と言われます。ただでさえ狭き門のアイヴィーリーグ筆頭の名門校。この制度を廃止すれば、貧困層や人種的マイノリティー(たとえば黒人やラテン系)にも、より広く門戸が解放されることになるかもしれません(アイヴィーリーグ8校では、平均約1割の学生が先行入学許可制度を利用していると言われています)。
実は、こういった動きは、なにもハーヴァードが初めてではありません。4年前、州立大学のノースキャロライナ大学チャペルヒル校が、先行入学許可を撤廃しています。しかし、その後、デラウェア大学が同様の決定をしただけで、それに続く学校はありませんでした。 これに対し、9月中旬にハーヴァード大学が制度廃止を発表した数日後、今度は、やはりアイヴィーリーグの名門、プリンストン大学が同様の発表をしています。こちらは、先行して入学許可をもらうと、必ず同校に入学しなくてはならないという制限付きだったので、受験生からの批判が強かったという背景もあったようです。
アメリカでは、「自分が一族で初めて大学まで行った(I was the first one in the family to go to college)」という言葉をいまだに耳にします。わたしの主治医もそうです。これは、取りも直さず、大学進学の門戸がすべてのアメリカ人に開かれてはいないことを示しているのです。
今回のハーヴァードの英断が良い模範となるのか、アメリカの最高学府での今後の展開が楽しみなところです。
<アジア系高校生>
アメリカには世の上流階級に有利ともなる制度が存在する反面、カリフォルニアは、かなり異なった様相を呈しています。
カリフォルニアの州立大学系列のひとつ、カリフォルニア大学(University of California、通称UC)。バークレー校やロスアンジェルス校など10校を抱える巨大な系列大学ですが、ここでは今年、カリフォルニア州内からの新入生の4割近くがアジア系となりました。
今年、UCに入学したカリフォルニア州内の高校卒業生は5万5千人強。そのうち、36パーセントがアジア系で、35.6パーセントを占める白人を追い抜きました。これは、実に、UC始まって以来の画期的なことなのですね。
州内の高校卒業生のわずか14パーセントがアジア系ということを考えると、36パーセントというのは大きな数字と言えるのです(ちなみに、UCでは、約1割が州外の高校卒業生となっています)。
カリフォルニアのアジア系の高校卒業生がUCに集中する理由として、まず、私立に比べて授業料が安く、なおかつ名門の誉れが高いということがあります。たとえば、UCバークレー校に入学すると、授業料や寮での生活費など、年間2万ドル(約230万円)ほどかかるそうですが、これは、シリコンバレーの名門私立スタンフォード大学に比べ、半分以下だとか。
文化的にも、白人系が州外の遠くの大学に行きたがるのに比べ、多くのアジア系は実家に近い学校を選ぶこともあるようです(とくに、南部の州などは、アジア系人口が少ないという理由で、名門であっても敬遠される傾向にあるようです)。
そして、一般に成績の良いアジア系にとって、アイヴィーリーグなどの名門私立は入り難いという要因もあるのかもしれません。
たとえば、アイヴィーリーグ8校の平均競争率は10倍と言われていますが、アジア系にとっては、15倍から25倍とも言われています。これは、各学校のアジア系学生の枠に対し、志願する生徒が非常に多いことの表れです。
結果的に、アイヴィーリーグ全体では、アジア系は合格者の14パーセントに抑えられているとの統計もあります。
こうなると、とくに激しい競争率を経験するアジア系高校生にとって、他に抜きん出ることが不可欠となってくるわけです。そのひとつの対処法が、AP(Advanced Placement)テスト。これは、大学入試の共通テストであるSATやACTとはまた別のものです。
APとは、様々な大学初歩レベルの教科を高校在学中に前倒しで勉強することですが、このAPテストで良い点数を取ると、高校の平均成績であるGPA(grade point average)に反映され、大学に願書を提出する際に有利となるわけですね。
そして、大学に入った後も、必須である入門クラスを取らなくてもいいので、その分早く卒業できることになります。
というわけで、アメリカの大学に入るのも、ひと苦労。競争は年々激化しているのです。とくに、教育熱心な家庭に育った子供たちにとって、高校生活をのんびり楽しむなんて、もうすっかり過去の話になってしまっているのですね。
<大学卒業>
アメリカの教育システムは、日本に比べとっても複雑で、上記のように、上流階級の子供や成績の良い子達は、どんどん先へ進んでいけるようにもなっています。極端な話、中学生の年齢で博士号を取得することも可能なのですね。
そういった反面、多くの学生は、一旦大学に入ってからも、時間をかけて卒業するという選択を強いられています。
たとえば、わたしのお知り合いの娘さん。彼女は、シリコンバレーで生まれ育ち、高校も良い成績で卒業しました。けれども、いきなり名門に行くにはお金がありません。両親もそんなに裕福ではないし、完全に自活するにはまだ若過ぎます。
そこで、一旦シリコンバレーのコミュニティーカレッジに入学し、自宅から通うことにしました。コミュニティーカレッジとは、日本で言う短期大学みたいなもので、その多くは地方自治体が経営するものです。ゆえに、門戸は地元民に大きく開かれ、授業料も低く抑えられているのです。
彼女は、そこで準学士号を取得し、アリゾナの州立大学に転入しました(4年制大学で取得する学士号bachelor’s degreeに対し、準学士号はassociate degreeと呼ばれます)。
両親からの仕送りもほとんどない彼女は、今は、働きながら授業料と生活費を捻出しています。幸い、コミュニティーカレッジでの専攻が金融関係だったので、住宅ローンを扱う会社で申請者の審査をする仕事に就いたそうですが、1週間に40時間フルタイムで働き、夜間大学に通うという生活を続けているのです。
せいぜい学期にひとつしか授業が取れないので、卒業には時間がかかっているけれど、勤めている会社も理解を示し、学校に行けるように配慮もしてくれるそうです。おまけに、住宅ローン会社ということもあり、すでに自分の家も手に入れてしまったとか。
「親が家を持っていないのに、娘はさっさと家を買ってしまったのよ」と、楽しそうに笑うお知り合い。教科書代を送ってあげているだけなのに、よくやっているわと娘を褒めます。
アメリカでは、大学の卒業率はあまり高くないと言われます。それは、カリキュラム自体が厳しいこともあると思います。授業に出席し、試験を受けるだけではなく、論文もたくさん書かされるし、どれだけクラスの討論に参加したか(class participation)なども成績に反映されます。
けれども、お金が続かないというのも大きな要因なのだと思います。奨学金の数が足りないこともありますし、たとえ奨学金を貰っても、不十分な場合もあります。そうやって働き始めると、いつの間にか、スケジュールが合わなくなって、学校から遠のいてしまうというケースも頻繁に起こるようです。
ある統計によると、全米の4年制大学を4年間で卒業する学生は、全体の38パーセントのみだそうです。6年間で卒業する学生は、63?66パーセント。コミュニティーカレッジに至っては、卒業するのは3割未満とも言われています。
卒業しなかった学生の何パーセントかは、別の大学に入りなおしたり、数年後に同じ大学に復学したりということもあるので、実際の率はもっと高いのかもしれません。しかし、7割ほどの卒業率というのは、日本よりもだいぶ低いのではないでしょうか。
アメリカの大学に行くと、学生の年齢が様々なのに驚かされます。とくに、州立大学ともなると、それが如実に表れているようです。どう見てもおばあちゃんが隣に座っている、というのも珍しくありません。そういった環境で討論をすると、若い学生は、自分の経験の浅さに気付いたりもします。
そういうプラスの要素がある反面、働きながら学校に通っている当人にとっては、大学を卒業するのは、なかなか茨の道なのかもしれませんね。
<平均寿命の怪>
ちょっと話題を変えましょう。7月の終わり、日本の厚生労働省がこんな発表をしましたよね。昨年(2005年)、日本人の平均寿命は、男性が78.53歳、女性が85.49歳でしたと。
男女とも前年に比べ若干の縮小が見られるものの、女性は世界で一番、男性は香港、アイスランド、スイスに次いで4番目に長寿であると。
9月18日は「敬老の日」でしたので、日本では、長寿について考えさせられるイベントも多かったのだと思います。
それに、8月のお盆や9月のお彼岸の期間中、実家に帰って久しぶりに親の顔を拝んだよ、という方もたくさんいらっしゃることでしょう。久しぶりに会うと、なんとなく白髪や顔のシワが増えているのに気付き、そろそろ親の年齢が気になったりする方もいらっしゃるでしょう。
そんなとき、ふと、日本人の平均寿命なんかが頭をよぎったりしますよね。あ、寿命まであと何年だなんて。
けれども、ざっくばらんな話、平均寿命なんて、あんまり個人には関係がないのですね。そこで、毎年律儀に発表される「平均寿命」とは、いったい何ぞや? そんなことをお話いたしましょう。
そもそも、「平均寿命」という言葉を聞いたとき、最初に明確にしておくべきことがあります。それは、いったい何歳の時の平均寿命かということです。
まあ、厚生労働省が例年発表する平均寿命は、「0歳時」の平均寿命のことですね。つまり、生まれ落ちたとき、平均的に何歳まで生きるでしょうということです。
しかし、ここで問題となるのは、いったい誰の0歳時点の平均寿命かということです。答えは、勿論、その年に生まれた人の0歳における平均寿命となります。つまり、「2005年の平均寿命が云々」と言っている場合は、2005年に生まれた人の平均寿命という意味で、別に、1950年に生まれた人の平均寿命というわけではありません。
では、2005年以前に生まれた人にまったく無関係かというと、そういうわけでもありません。実際、平均寿命を算出するには、『ライフテーブル(簡易生命表)』というものを使いますが、簡単に言うと、男女別に、各々の年齢層の人が、ある年にどれだけ生き延びる確率があるかという表なのです。これは、役所への実際の死亡届などを基に厳密に作られます。そして、平均寿命を出すには、この表の各年齢層の生き延びる率に沿って、今0歳の人がいったい何年生きるかを算出する方式を採っているのです。
だから、どの年齢層の人のデータも、ある程度は平均寿命に反映されているということになります。言い換えれば、平均寿命とは、人口全体の生き延びる確率を、わかり易いようにひとつの数字で表したもの、といった感じでしょうか。
今回発表されたように、前年に比べて平均寿命が短くなったというのは、今までのパターンよりも、どこかの年齢層に死亡する率が増えたということなのですね。
けれども、冒頭に申し上げた通り、自分や自分の身内が平均寿命と言われる年齢に近づいたからといって、もう明日にでもお迎えが来るような暗い気持ちになる必要はまったくないのですね。それよりも、個人がどれだけ元気なのか、その方が問題になってくるのです。
じゃあ、何のために0歳時の平均寿命を毎年律儀に算出しているかと言うと、それは、どちらかというと、国の社会保障制度の政策やら、食糧難や貧困層への国連の対策やらと、大きな話をするときに有用になってくるのです。数字になって表れると、国別の比較や、時代ごとの推移も追いやすいですしね。
というわけで、次回、厚生労働省が日本人の平均寿命を発表するときは、直接個人には当てはまらないんだと、ゆったりとした気分でニュースを聞くことをお勧めいたします。
先日の敬老の日、日本人男性最高齢の方がインタビューを受けていらっしゃいました。長寿の秘訣は、なんと「タバコと酒」だそうです。インタビューアーが「え、それって体に悪いんじゃぁ・・・」と質問しようとすると、「そんなもん知るか!」と、即答でさえぎられておりました。
一方、こちらは、アメリカの翁。ウェスト・ヴァージニア州選出の民主党上院議員、ロバート・バード氏。彼は現在88歳で、歩行には2本の杖を使っているそうですが、11月の上院議員選挙に、元気に出馬しています。
8期48年を上院議会で過ごした彼は、先日、サウス・キャロライナ州の故ストローム・サーモン上院議員を追い越し、史上最長の上院での任期を達成しました。「わしの頭は、ここ25年間、ちっとも変わってないわい」と主張する彼は、少なくとも、9期目が終わる95歳までは現役を続ける宣言をしています。 「今まで仕事ばっかりで、ゴルフクラブを握ったこともないし、テニスボールを打ったこともない」と言うバード上院議員。現在も国防法案の審議において、中心的存在となっています。その朗々とした声は、議事堂内でもよく響き渡るのです。
まあ、人それぞれ、といったところなのでしょうね。
<おまけのお話:お家で聴講生!>
アメリカの大学のお話のところで、UC(カリフォルニア大学)が出てきました。そのUC筆頭のバークレー校が、検索サイトGoogleと組んで画期的なことを始めました。学生でなくとも、同校の入門コース100クラス以上を、一学期分まるごとビデオで受講できるようになったのです。
勿論、単位を取得することはできません。単に、聴講するだけです。けれども、今まで、アメリカの大学のインターネットでのビデオ一般公開は、市民への公開講座やスポーツイベントなどに限られていました。一般市民が一学期分の講義を観られるなんて、同校が初めての試みなのです。しかも、タダで。
おまけに、Googleさんのお陰で、UCバークレー独自のビデオ公開サイトよりも高画質で観やすいとの評も。
物理、化学、生物学に電気工学。総合生物学のマリアン・ダイアモンド教授は、人気の高い名物教授のひとりのようです。「Muscle(筋肉)とは、little mouse(小さなねずみ)のことなのよ」と言いながら、学生のひとりを壇上に呼びます。学生君は立派な二頭筋をみんなに披露し、拍手喝采。教室の臨場感がひしひしと伝わってくるのです。
興味のある方は、こちらのサイトへどうぞ。
http://video.google.com/ucberkeley
ちなみに、冒頭の写真は、シリコンバレーにある州立大学、サンノゼ州立大学です。こちらは、UCとは違う系列で、CSU(California State University)と呼ばれています。
夏来 潤(なつき じゅん)
不思議なアパート
- 2006年09月26日
- エッセイ
昨晩、とっても寝つきが悪かったんです。遠い昔のことを思い出したりして。
小学生の頃、アパートに住んでいたことがありました。
ある日、学校のお友達を呼んでアパートの庭で遊んでいたとき、近くの砂場から、男の子の泣き声が聞こえてきます。
見ると、幼なじみのまさきちゃんが、同じアパートの男の子にいじめられているではありませんか。
多少のいじめならいいでしょうが、よりによって、まさきちゃんの鼻に砂を詰め込んでいるのです。
びっくりしたわたしは、これは大人の介入が必要だと判断し、お友達とふたりでいじめっ子のお家に向かいました。
ドアを開け、「こんにちは~」とか「おじちゃ~ん、おばちゃ~ん」と何回叫んでも、誰も出てきてくれません。
そこで、しびれを切らした友達は、家の中を覗きこみ、こう言うのです。
「あれ~、おじちゃんそこにいるよ。」
このアパートは、普通のアパートではなくって、大学の教官たちが集まる官舎でした。そして、この「おじちゃん」は、何学部かの若き助教授。
彼は、玄関近くの書斎で机に向かったまま、わたしたちが必死で声をかけているのに、出てこようともしなかったのです。
「いじめっ子」の誉れ(?)高い息子の行動に、もう飽き飽きしていたのでしょうか?それとも、自分の研究が忙しくて、子供のわたしたちに相手する価値などないと判断したのでしょうか?
動こうともしない「おじちゃん」に失望し、わたしたちはまた砂場に向かいました。
幸い、まさきちゃんはお母さんに助けられたのか、もうその場にはいませんでした。
勇んでその場に戻ったのに、ちょっと拍子抜け。でも、まさきちゃんは近くで育った弟みたいなもの。これからも気は抜けないなと、そのあと、いじめっ子とまさきちゃんの関係を見守るのを日課としていました。
このアパートには、実にさまざまな人たちが住んでいました。まあ、「妖怪の棲家(すみか)」とは言わないまでも、それに近いものがあったのかもしれません。
子供だったわたしには詳しいことはわかりませんが、アパートの集会でも開こうものなら、もう喧々諤々(けんけんがくがく)。主義主張が対立して、一度では絶対に収拾がつかないのです。
教授、助教授、講師、そういった方々の主張もさることながら、奥方のほうも鼻っ柱の強い人が多かったようで、一度、母がこんなことを言っていました。
工学部の助教授夫人が、医学部助教授に向かって、こう叫んだのよ。
「あなたはほんとに頭が悪いですね!そんなこともわからないんですか!」って。
母は、そんな人間関係に嫌気が差したのか、マイホームを探し始めるようになり、間もなく、ちょっと離れた町に引っ越すことになりました。
新築ではないけれど、少なくとも一軒家なので、もう息苦しさはありません。
そんな母に対し、どこか浮世離れしている父。
その父の背中を見て育ったわたしは、いつかは父の跡を継ぎたいと思っていました。でも、大人になるにつれ、「もういいや、自分は違った道でバリバリ働くんだもん」と思うようになりました。
振り返ってみると、アカデミア(象牙の塔)に対するアレルギーは、すでに子供時代に培われていたのかもしれません。
まあ、大人にとっては「妖怪の棲家」でも、子供のわたしにとっては、アパートはなかなか楽しい世界でした。なにせ、同世代の子供たちがたくさんいるから。
官舎には全国各地から人が集まってくるので、地元っ子はほとんどいません。それがまた、なんとなくコスモポリタン(?)で、おもしろかったのかもしれません。
学校のお友達とは、また一味違った感じ。
仲良しのみほこちゃんは、東京生まれの福島育ち。ラグビーや、壁のぼりを得意とする活発な女の子。でも、お家でおとなしくヴァイオリンや漫画描き、というのもとっても上手でした。
わたしが怪我をして家に帰ると、いつも母に言われてましたっけ。
「みほこちゃんはアパートの4階まで手すりをよじ登っても、怪我ひとつしないのに、どうしてあなたは怪我ばっかりしているの」と。
また、ある日、母がこう聞いてきたことがありました。
「あなた2、3日前、男の子と一緒だったでしょ?」
え、あれはただのクラスメートで、ご自慢の自転車に乗っけてもらおうとしただけなのに・・・
どうやら、アパートの前庭でクラスメートと話しているところを、例の工学部助教授夫人に見られていたようです。長身でかわいい男の子だったので、あちらも「あれっ?」と思ったようですね。
実は、このさばさばした助教授夫人と母はとても気が合っていて、日頃からツーカーの仲だったのです。
外から見ているとまったくわからないけれど、このアパートには、目玉がいっぱい付いていたんですね。
大人になって、二度ほどこのアパートに行ってみました。
小さくて、古ぼけていて、ちょっと違って見えました。子供の頃は、あんなにでっかくて、立派な建物だったのに。
アパートが建つ前は、この辺りには、大正時代にできた洋館が並んでいました。わたしの家族とまさきちゃんの家族は、ひとつの屋敷をふたつに仕切って、隣同士で住んでいたのです。
庭は広々としていて、真っ黒な土が立派な木々を育んでいました。「大王松」と呼ばれる背の高い松が生えていて、「あの松のお家」といえば、近所の人はどこだかわかっていたみたいです。
洋館は時代の流れで取り壊されてしまったけれど、ここは、わたしの人生の出発点だったんですね。
そんなことが頭をめぐって、昨夜はよく眠れなかったんです。
追記:庭の写真は、勿論、子供の頃のものではありません。アパートの建っている町近くにある料亭の庭です。うっそうと生える木々のイメージが重なったので、ちょっと掲載してみました。
それから、いじめられていたまさきちゃん。子供というのは回復力が強いのか、その後、いじめっ子と仲良く遊んだり泣かされたり、という関係を続けておりました。
浅虫温泉から函館へ
- 2006年09月20日
- フォトギャラリー
振り返ってみると、今年の夏のメインイベントは、青森のねぶた祭だったかもしれません。
あれから、もうひと月以上も経ったなんて、月日が過ぎるのは、ほんとに早いものですね。
夏が完全に行き過ぎてしまう前に、あの旅の続きを綴っておきたくなりました。これを書かなければ、わたしの夏は終わらないって気がするんです。
ねぶた祭の見学のために宿泊したのは、浅虫温泉(あさむしおんせん)。JR青森駅から東北本線の各駅停車で20分ほどの所です。
へんてこな名前で、どういう由来でこうなったのか、とっても興味があります。
一説によると、もともとは麻の糸をとるために温泉で蒸したので「麻蒸し」と呼ばれていたところ、後に火難を恐れて「浅虫」にしたのだとか。
北海道出身の連れ合いにとって、この街は、小学校の修学旅行で訪れた所だそうです。あんまりよく覚えてはいないということでしたが、こぢんまりとした温泉街は、その頃とあんまり変わっていないのではないでしょうか。
ここは、平安の頃からの東北の名湯のひとつのようで、昔からの温泉宿が連なる静かな街並みです。
見るものといって、そんなにたくさんあるわけではありませんが、街は弓なりの海岸に面していて、海水浴場の向こう側には、ぽっかりと小さな島が浮かんでいます。のんびりと温泉を楽しめる、風光明媚な場所なんですね。
目抜き通りの不動産屋さんでは、こんな張り紙を見つけました。6DKの一軒家が、月に8万5千円。この辺りの相場なのでしょうか。
街の玄関、JR浅虫温泉駅の真ん前には、小さなあずまやが建っています。何かと思えば、足湯。豊かに湧き出るお湯に足を入れ、旅の疲れを癒すようになっているようです。
ここは堂々の混浴。足湯初体験のわたしは、さっそくトライしてみました。
でも、ひとつ大問題が。熱過ぎて、とっても足を入れられない!
ギャーギャー叫んでいると、どこからともなくおじさんがやって来て、駅舎につないだ長いホースで水を入れてくれます。「そっちはお湯が熱いから、こっちに座りなさい」と、優しいアドバイスを添えて。
一生懸命に水を補給してくれているこのおじさん、実は、ここの「お湯守さん」なんですね。
とっても人懐っこい性格のようで、おじさんはちょこんと隣に腰掛けきて、問わず語りに自分のことを教えてくれました。
なんでも奥方は、女性には珍しく、冷え性とはまったく無縁の人。その反対に、おじさんはひどい冷え性。冬は、ソックスなしでは寝られません。そこで、冷え性を治すべく、毎日ここの足湯に通っていたら、いつの間にか、お湯守に任命されてしまったとか。
まあ、お陰で、冷え性とはおさらばできたそうですが、そんな経験を生かして、おじさんは、ここを訪れる人に親切に教えてくれるのです。冷え性のツボは、ここだよと。
まずは、足の甲の親指と人差し指の間。ちょうど、ふたつの指の骨が交わるあたりに「太衝(たいしょう)」というツボがあります。押さえると多少の痛みを感じるので、場所はすぐにわかります。
そして、もうひとつ。足の内側のくるぶしから指4本分くらい上にある「三陰交(さんいんこう)」。すねの骨のちょっと後ろ側にあるツボです。
おじさん曰く、このふたつのツボを毎日辛抱強く押していたら、いつの間にか冷え性も治ったとか。
そんなお話をしていたら、小さな女の子をふたり連れた家族が参加してきました。女の子たちも、お湯の熱さにびっくりしたようで、お湯守おじさんは、さっそくホースを持って出動です。
元気な女の子たちには、冷え性の話なんか関係ないですしね。
それに、わたしも「長湯」したお陰で、両足が桜海老みたいにピンク色。この色は、なかなか消えなかったです。
さて、青森を去る朝、忙しく観光客の相手をするお湯守のおじさんに「さようなら」と心の中で別れを告げ、浅虫温泉駅のホームに向かいました。
ここから、黄緑色の列車「スーパー白鳥(はくちょう)」に乗って、北海道の函館に行くのです。途中、青函トンネルを通って。
JR青森駅に着くと、ここから列車は逆向きに進んで行きます。だから、わたしの乗っている車両(1号車)は、先頭!
つい嬉しくなって、1号車の真ん前に立って、小さな窓から線路を眺めます。どうやら、今どきの列車は、運転席が2階にあるらしいのですね。
まるで子供のように先頭の窓に張り付いていると、途中、線路工事のおじさんたちが、わたしに手を振ってくれました。嬉しかったわりに、ちょっと気恥ずかしくなって、思わず身を引いてしまいました。
それにしても、毎日の線路管理、ご苦労様です!
いよいよ青函トンネルが近づいて来ると、連れ合いとふたりでソワソワし始めます。青函トンネルを通るのは初めてではありませんが、先頭車両の窓でトンネルの中が見えるなんて、そんなに体験できるものではありませんよね。
ご存じの通り、青函トンネルとは、青森と北海道を繋ぐ海底トンネルのことですが、全長53.8キロメートルのうち、青森側の竜飛(たっぴ)海底駅から北海道側の吉岡海底駅までの23.3キロメートルが、海の下を通る部分となっています。
一番深い所だと、海面から240メートルの深さまで潜るのですよ。まあ、海の底を通るのは10分間ほどではありますが、頭の上に海が崩れてこないかと、凡人はいらぬ心配をしてしまうのです。
「白鳥」は、青函隧道(トンネル)に入る前、短く警笛を鳴らします。まるで、これからトンネルに入るから、どうぞ私を守ってねと、山と海の神にご挨拶するように。
そもそも、この青函トンネルを掘るきっかけとなったのは、1954年9月26日の青函連絡船・洞爺丸の転覆事故でした。台風で荒れ狂う津軽海峡では、計5隻の船が転覆・沈没したのです。
そして、その7年後に始まったトンネルの工事中も、複雑な地層のために、大きな出水事故が4回も起きていて、犠牲者も出ています。
そんな、数々の犠牲の上に成り立っているトンネルです。通る度に列車が敬意を表するのも、ごく当たり前のことかもしれませんね。
30分の後、無事に隧道を通過した「白鳥」は、出るときも、短く警笛を鳴らしていました。
いよいよ函館に着くと、さっさと列車を降りた連れ合いは、駅を出た所で、携帯電話を席に置き忘れたことに気が付きました。仕方ない、先にホテルにチェックインしてしまおうと、駅前のホテルにチェックインし、即、函館駅に戻りました。
そして、改札で事情を説明しようとすると、前から白い立派な制服を着たおじさんが、連れ合いの携帯を持って歩いて来ます。自分のものだと言うと、すぐに返してくれたのですが、それにしても、タイミングの良かったこと。あの恰幅のいいおじさんは、車掌さんだったのでしょうか。
そういえば、以前も似たようなことがありました。5年前、広島県の宮島を訪ねたあと、帰りにJRの連絡船に乗っていたら、乗組員の方が、「これ忘れていませんか?」とブリーフケースを渡してくるのです。
どうも宮島の発券機に置き忘れていたらしいのですが、他に荷物がたくさんあったので、こちらは置いて来たことすら気付いていなかったのです。パスポートやパソコンなど、貴重品がいっぱい入っているのに。
まったく間抜けな話ではありますが、そのときも、JR職員の方々の親切に痛み入った覚えがあります。
今でもJRのことを「国鉄」と呼んでしまうわたしにとって、国鉄とか列車の旅という響きには、ある種のロマンすら感じてしまうのですね。
夏の花たち
- 2006年09月16日
- フォトギャラリー
夏の長いシリコンバレーではありますが、さすがに秋の気配も感じられるようになりました。
朝のうち空に雲がかかり始め、夕方の風が冷たくなってくると、夏ももうおしまい。本格的な秋がやって来るのです。
真夏はいつも、こんな暑さってもういや!なんて思うくせに、秋風が立ち始めると、こう叫びたくなるのです。「夏よ、まだ行かないで」って。
夏の初めの6月に、こんなものを書きました。
『夏の花、ハイビスカス』
ハイビスカスの花が咲いたよ
半年前に植えたばかりの
ひ弱な子だったのに
大きな花が
昨日もひとつ、今日もひとつ
ピンクを散らした白い花びら
風に乗る軽やかなドレス
やっぱりハイビスカスは夏の花
一日じゅう
お日様を追いかける
お母さんを追う子供みたいに
昨年12月に植えたハイビスカスが、ずっと気にかかっていたのです。真冬に植えたから、ちゃんと育つかなと。
カリフォルニアとはいえ、冬は零度近くに気温が下がることもあります。そんな真冬に苗を植えるなんて、ちょっと酷だったかなって。
おまけに、今年の初めはいつまでも雨が続き、長い、長い雨季となりました。
お陰で、植物にとっては天敵のカタツムリ君が大発生。ずいぶん葉っぱを食いちぎられました。
だから、6月中旬に初めて花を咲かせとき、嬉しくなって、たくさん記念写真を撮りました。いじめられても、ちゃんと元気に育ったねって。
ひとたび、花を咲かせると、そこは丈夫な夏の花。毎日、大型の花を次々と咲かせ、葉っぱもどんどん芽吹きます。
カタツムリに食われた葉っぱも、すっかり代替わり。ピンクっぽい白い花は、隣の真っ赤なハイビスカスと競い合っているようです。
ハイビスカスと一緒に咲き始めたのは、前庭のガーディニア(和名クチナシ)。真っ白で、芳(かぐわ)しい夏の花です。
ジャズシンガーのビリー・ホリデーのお気に入りだった花。彼女はいつも、この花を耳に挿して舞台に立っていたとか。
マウイ島の小さな植物園で見つけたとき、こんなに匂いのいい花があったのかと、驚きました。そこで、10年前、我が家の裏庭に植えてみたのでした。ところが、南向きの庭にはまったく馴染まない。焦げ付くようなカリフォルニアの太陽は、ガーディニアには強過ぎるのです。
そこで、北向きの前庭に、新しく苗を植えてみました。すると、ものの見事に根付き、次から次へと真っ白な花を開きます。
ハイビスカス、ガーディニア、それから、夾竹桃(きょうちくとう)、百日紅(さるすべり)、紫君子蘭(アガパンサス)と、我が家の夏の花たちは、あでやかな競演で毎日を楽しませてくれました。
けれども、もうそろそろ選手交代。今は、季節はずれのツツジやバラが庭を彩っています。
そして、花から空へ目を移すと、雲にも秋の気配。
入道雲なんて、もうどこにもありません。
遠くに列車の行く音が聞こえます。風が澄み切ってきたのでしょうか。
山ごもり
- 2006年09月12日
- エッセイ
この週末、太極拳の師とその門下生で、山にお籠りしてきました。
仲間内では「隠遁(いんとん、retreat)」などと呼んでいますが、短い週末の間、日々の生活を離れ、自分を見つめなおそうじゃないかという修行のようなものなのです。
シリコンバレーから南に向かって、ハイウェイ17号線という道路が走っていますが、このくねくね道を上って下ると、サンタクルーズの山脈を抜け、海辺に出ます。ここで17号線は1号線に合流し、ちょっと南に下った所でフリーウェイを降り、もう一度山へ向かって上って行きます。
ソーケル(Soquel)という小さな街の住宅地を抜けると、車が一台しか通れない山道となり、その一番奥が目的地、Land of Medicine Buddhaです。
Land of Medicine Buddha、訳して、薬師仏の地。「薬師仏」とはチベット仏教の呼び名で、日本の仏教でいうと、「薬師瑠璃光如来」になるのでしょうか。
人の身体の苦しみを取り除いてくれるばかりでなく、心の苦しみや障害からも解き放ってくれる、そういった青い肌の仏さまなのです。
ここは、チベット仏教のお坊さんや尼僧さんが修業する場ではあるのですが、一般の人にも、宿泊施設として開放されているのです。
週末ゆっくりしてみたいとか、ちょっと静かに考え事をしたいとか、いろんな理由で集う人たちで、いつも満杯なのですね。
ちょっと見ただけでは、仏教関係の建物には見えませんが、入り口には、チベット式の祈祷の輪(prayer wheel、マニ車)が置かれていて、平和と幸せを願って、誰でも自由に回すことができます。
受付の向かいの本堂には、立派な金色の仏像が数体置かれ、毎朝ここで、お勤めや瞑想も行われます。一般の人も参加できるようになっているようです。
便利さを好む現代人のために、宿泊施設の各部屋にはトイレ・シャワーが付いていて、庭にはプールやサウナも完備されています。快適な逗留ができるのですね。
ただし、仏教の施設なので、食事は菜食で、食後、皿は各々が洗う規則になっています。勿論、お酒やタバコの嗜好品は禁止で、一切の殺生も固く禁じられています。携帯電話も使えません。
豊かなセコイア(redwood)の山に囲まれ、その澄み切った空気と静寂は、どんな俗人の心も洗い流してくれる、そんな清らかな場所なのです。
今回の修行の目的は、ただひとつ。自分なりの目標を持って、自分を見つめなおし、何かを発見する(discover)こと。そして、新たに発見したものを探求し(explore)、自分なりに何かを得る(evolve)こと。
まあ、そう書くと、非常に難しい哲学的な探求のように感じますが、簡単に言うと、「あ、自分が立って瞑想をするときは、肩に力が入りすぎていたな」、それだけでも、十分な発見なのですね。
いつも、当たり前だと思っていたことから脱出し、違った方法を見つけてみる。その違った方法が積み重なっていくと、急に視界が開け、違った現実(reality)を味わうことができる。
現実がひとつではないと気が付いたとき、機械仕掛けのような日常からも脱却できる。そんな感じでしょうか。(すみません。いやに哲学的だと思われる方もいらっしゃるでしょうが、太極拳なんて、半分は哲学みたいなものなのですね。)
人によって身体や精神の修行の段階はさまざまなので、師もああしなさい、こうしなさいと、口やかましく言いません。
もともと、スパルタ式の師ではないこともあります。自身もチベット仏教のお坊さんではあるけれど、たとえ話は、いつもユーモアに満ち溢れています。
それに加え、弟子の心や体の準備ができて、自らが「あっ!」と気が付かないと、人がいくら口で説明しても何にもならないことを熟知しているせいもあるのでしょう。
一応、師が考えた一日のスケジュールや、みんなで集まる講習会みたいなものはあるのですが、それに参加しようがしまいが個人の勝手。参加しなかったからといって、怒られることはありません。何もしないのも、修行のうちなのです。
でも、良心の呵責なしに欠席というのは、実は、もっとも難しいんですけれどね。
わたしは、3日目の朝、6時半からの丘の上での気功をさぼりました。
この丘には、大きな仏像が納められているお堂があって、その前で行う早朝の気功も日課のひとつとなっているのです。けれども、前日、睡眠不足で疲れていたので、その日わたしは、朝食が始まる8時まで寝ていたのです。
そのあと、たった3人しか現れなかったと聞いて、「しまった、師に悪いことをしてしまった」と、罪悪感を覚えてしまいましたね。なんと人間の小さいことか!
この隠遁生活は、わたしにとっては2泊3日、ほとんどの門下生にとっては3泊4日だったのですが、その期間中、沈黙の業(silent practice)を試してみる人もいました。
沈黙の業。つまり、一言もしゃべらないという修行ですが、これが、なかなか難しいようです。
まあ、わたしは家にこもって、ひとりで物を書いていることが多いので、じゃあ、これは沈黙の業か?と言うと、そうではないらしいですね。この沈黙を、まわりに人がいて、しゃべりかけられたときにも続けることができるのか、これが鍵となるようです。
つまり、誰かに話しかけられたとき、日常やっているように無意識に返事をせず、黙って相手に目や手でサインを送る、そういった「意識」を指すらしいのですね。
そうやって、沈黙を続けていると、自分のやっていることを、常に意識的にみる(単に「見る」ではなく、「看る」、「視る」)癖が付くらしいのです。
そうしないと、自分の一生が終わりに近づいたとき、ふと、「自分の人生って何だったんだろう?何をやってきたんだろう?」と考えてしまうとか。
沈黙の業は、本格的にやろうとすると、何ヶ月も、時には何年も続けて行うようなのですが、たった数時間でもやってみると、何かしら違ったものを会得するようです。(写真は、師の手になる「沈黙中」のサインで、これを首からかけていると、話しかけてはいけないお約束となっています。)
わたしは、沈黙の業には臨まなかった代わりに、一人で森の中に歩いて行きました。
このLand of Medicine Buddhaの敷地は、160エーカーと広大なものらしく、お散歩したくらいでは、敷地の中からは抜け出せないのだそうです。
それでも、敷地内とはいえ、ナイシーン・マークス州立公園に隣接するセコイアの森は深く、過去数年間に、2回も捜索隊を出したことがあるそうな。
くれぐれも小道には入らないでくれと、施設管理者からクギを指されていたので、こちらもおっかなびっくりではあります。が、それでも怖いもの見たさも手伝って、果敢にひとりで森へと向かいました。
宿泊施設から舗装された小道を登っていくと、いつしか泥道に変わり、そこから先は、「魔法にかけられた森(Enchanted Forest)」と呼ばれる場所となります。
クローバーや蔦などの寄生植物は見られますが、その他は、見渡す限り、濃い灰緑の葉と赤っぽい幹のセコイアの森。ちょっと足を踏み入れただけで、「昼なお暗い」という表現がぴったりの散歩道となります。
少し行くと、巨大な木の幹が横たわっていて、その上には、祈りの言葉を書いた色とりどりの旗(タルチョ)がかけられています。
こういった祈りの旗は敷地内のあちらこちらに暖簾のようにかけられているのですが、こんな森の中にもあるのです。
いったい何かと思って近づいてみると、幹の洞(うろ)は、祈りの場となっていて、人々がいろんなお供えをしているのです。徳利のような焼き物の容器、ダライ・ラマ14世の写真、「Growth」と彫られた小石、カラフルなビーズでできたお数珠、カップルの似顔絵。実に、思い思いのものが置かれています。
そして、幹の上には、猫の頭部の石像が。何かチベット仏教に関係があるのかと思えば、どうも、思い出深い品として、誰かが勝手に置いて行ったもののようです。
すまし顔の猫は、日の光も届かない森を、まるで自ら支配するかのように静かに見渡しています。
更に歩いていると、ふと、ポケットの中にキャンディーがあることを思い出しました。非常食用に持ち歩いているキャンディーなのですが、包みを開け、ひとつ口に入れてみると、急に母が恋しくなってきました。
それが、母から送られたキャンディーだったこともあります。そして、森の入り口にあった立て札の言葉を思い出したこともあるのです。
立て札には、こう書かれてありました。
「要約すると、私のすべての母親に幸と益をもたらすよう、直接的にも間接的にも、悪い行いや苦しみは私が密かに肩代わりしよう。」
これは、何かの経典にある言葉のようなのですが、自分の幸せを他に分け与える愛(love)、そして、他の苦しみやその原因を自分が負ってあげる思いやり(compassion)を指すらしいのですね。
実際にこういうことを実行するのは凡人には難しいわけですが、心の中で思うだけでも、それを続けていけば、行いへの助けとなる、そういった意味のようなのです。
まあ、わたしのような俗人には深い意味などわかりませんが、「私のすべての母親(all my mothers)」という言葉が出てきたので、なんとなく母を思い出し、同時に、自分を生んでくれた母は偉大なものだなあと、感無量になってしまったのですね。
これも、深い森がなせる業、といったところでしょうか。
2泊3日の隠遁が終わり、普段の生活に戻ってみると、何かが急激に変わったようでもあるし、何だかあんまり変わってないようにも思えるし、複雑で、それでいて、霧がかかったようにぼやけてもいます。
まあ、それなりに会得するものも多かった週末ではありましたが、最後にひとつ、「やっぱり山は怖いよ」とだけ申し上げておきましょうか。
めまい、頭痛、吐き気、そういった症状は、このサンタクルーズの山では当たり前のことなのですね。(高山病といった意味ではないんですけれどね。)
夜の訪問者
- 2006年09月07日
- エッセイ
前回のエッセイで、自宅のオフィス棚が完成したことをお伝えいたしました。
その後、時間があれば、少しずつ整理しているのですが、なかなかはかどってはいないのです。自分でもわかっているのですが、いろいろと資料を溜め込み過ぎているんですね。
それでも、なんとか、2階の部屋に積み重ねてあるものを、1階に運んだりはしているのです。だいたい、こんなにたくさん、どこに入れたらいいのだろう、と悩みつつ。
そんなある夜、大事にしている科学雑誌を抱えて、表玄関を出ました。
実は、オフィスとなっている部屋は、母屋から離れた戸建てになっていて、一旦、玄関を出なくてはならないのです。
重いものを抱えているので、玄関のドアを閉めずにオフィスに向かい、数分間お片付けをした後、母屋に戻りました。
そして、さっきまでいた部屋に入ろうとすると、
なんと、部屋の中に、小鳥が飛んでいるではありませんか!
Oh, my goodness!どうしましょう!
なんで自分は英語で叫んでいるんだろうと、脳裏でかすかに思ったものの、まず、部屋のドアをふたつとも閉め、小鳥を部屋に閉じ込めます。
ちょっとだけ安心したところで、そーっとドアを開け、中を覗きます。すると、小鳥がどこにも見当たらないじゃありませんか。
おかしいなぁと、もう一度部屋に入ると、なにやらゴソゴソと押入れの中で音がしています。どうも、この小鳥さん、ゴチャゴチャとした押入れの中で、隠れる魂胆です。
そこで、ちょっと怖いけれど、小鳥を脅し、部屋に連れ出すことにします。小鳥は飛ぶのが速いので、こちらもキャーキャー大騒ぎですが、無事に外に連れ出し、押入れのドアを閉めます。
よし、これでもう隠れる場所はなくなったはず。
そして、外に出て、策を練ります。
う~ん、やっぱり窓を開けるしかないけれど、網戸を外すことなんかできるのかな?だって、はめ込み式になっていて、スライドなんかできないしなぁ(そう、アメリカの網戸は、小さめの窓の場合、はめ込み式になっていて、簡単にスライドできるタイプじゃないのです。アメリカならではの、不便な製品になっているのですね)。
外して戻せなかったら困るしなあ。
でも、いいから外しちゃえ!
さあ、窓も大きく開け放たれたところで、小鳥さんを追い出しにかかります。
どうもこの小鳥さん、物陰がよほどお好きなご様子。本棚の上で、置物の後ろにちんまりと隠れています。
でも、こっちには秘密兵器。太極拳で愛用している棍棒があります。威嚇(いかく)するには、最適なのです。
すると、棍棒の登場に驚いた小鳥さん、一瞬のうちに、めでたく窓から逃げていきましたとさ。
あっけない幕切れに、こちらは、へなへなと体から力が抜けるような感覚を味わいましたが、とにかく小鳥がいなくなってひと安心。だって、ここは、鳥かごじゃないんだから。
普段は、小鳥が外で鳴いていると、かわいいなんて思うくせに、家の中に入ってくると、恐怖心すら抱くものなのですね。
なぜって、完全に、野生のものですもの。それが証拠に、そのあと部屋に戻ると、獣(けもの)のにおいがしていました。あんなに小さな体なのに。
そういえば、オフィスに向かおうと玄関のドアを開けたとき、やっぱり同じような獣のにおいがしていたな。なにやら小動物が通ったのかと思っていたけれど、なんと、ドアにかけてあるリースに隠れていた小鳥さんのせいだったんですね。
我が家のまわりは、まだまだ自然が残されていて、いろんな動物が生息しているんです。
けれども、小鳥が家の中に入って来たくらいで大騒ぎするなんて、所詮、自分は、きれいに手入れされた箱庭の中に住んでいるんだなって思いましたね。
追記:実は、この小鳥さんを見つけて、Oh, my goodness!と英語で叫んだのには、わけがありました。2年ほど前、お隣さんも同じようなことを経験なさったからなんです。
玄関のドアにかけておいたリースに、小鳥さんが巣作りしてしまって、知らないでドアを開けたら、つがいの一羽が家の中に入って来て大騒動。
その武勇伝を話すお隣さんの顔が、ふっと頭に浮かんだもので、Oh, my goodness!になったんですね。人間の脳って、ほんとにおもしろい反応をするものですね。
それから、近いうちに、我が家のまわりの動物特集をしたいと考えております。どうぞお楽しみに。
水遊び
- 2006年09月04日
- Life in California, 夏, 季節
今日9月4日は、アメリカでは「レイバーデー(Labor Day)」。日本の「勤労感謝の日」みたいなものですね。
国民の休日がちょっと足りないアメリカの、数少ない3連休のひとつなんです。
アメリカ人って、なんだかいつもたくさんお休みしているイメージがありますが、国民の休日も有給休暇も、日本よりも少ないんですね。
そのわりに、働く人の3割は、一年間に許された休日を全部楽しめていない。
それに、2割くらいの人は、休みを消化しきれずに、会社にお返ししているらしいです(会社によっては、いくらか支払ってくれるところもあるようです)。
レイバーデーくらい、ちょっとゆっくりしてみたいなぁ。それが、多くのアメリカ人の切なる願いなのかもしれませんね。
まあ、もともと「勤労感謝の日」ではありますが、9月の初めということで、まだまだ夏の余韻が残っています。
ということで、この日は、5月下旬のメモリアルデーに始まったバーベキュー・シーズンの最終日ともされています。
この3連休、あちらこちらの公園や自宅の裏庭では、家族やお友達とバーベキューを楽しんでいる人も多いのではないでしょうか。
今日は、シリコンバレーでも、とっても日差しが強く、暖かい一日です。
「9月のレイバーデーを過ぎたら、白い服を着てはいけませんよ」と言われているけれど、なんだか、そんな雰囲気ではありませんね。
で、こんな日は、水遊びでもいかが?なんて思ってしまいます。
水遊び。プール。
プールと言えば、
こんなものとか、
(これは、5月に行った、ギリシャ・エーゲ海のミコノス島。ホテルの立派なプールなのですが、このときはまだ寒くて、とっても泳げなかったです)
こんなものとか、
(こちらは、サントリーニ島のホテルのプール。サントリーニ島は、絶壁に街がへばりついている感じなので、ホテルのプールと言っても、大きくはありません。やっぱり突風がすごくて、泳げる雰囲気ではありませんでしたが、きっとプールの端に行くと、海に落ちて行くような感覚でしょうね)
それから、こんなものを想像しますね。
(こちらは、クレタ島のホテルのプール。部屋のバルコニーに付いていました。浄化された海水を引いているので、なかなか浮き易いと、試してみた連れ合いが言っていました)
さて、3つのプールの共通項は何でしょうか?
そう、きれいな水 。
ところが、アメリカの公共のプールは、ちょっと危ないらしいです。なぜって、微生物がウヨウヨ。中には、皮膚や呼吸器官や消化器官に害を与える微生物も。
塩素のにおいがプンプンしていたって、安全とは限らないのですね。
いや、公共のプールに危険が潜んでいるのは、どこの国でも一緒です。でも、アメリカの場合、ちゃんと検査していない!赤ん坊が、紙おむつのまんまでプールに入っていたりするのに。
(びっくりすることに、アメリカでは、「水遊び用」にと、防水効果のある紙おむつをテレビで宣伝したりしています!)
どうして、ちゃんと水質を検査していないかと言えば、自治体の検査官が足りないからなんだそうです。自治体の財政が傾いていて、検査官を充分に雇えない。
たとえば、シリコンバレーと呼ばれているサンタクララ郡。ここでは、たった39人の検査官が、3200もある公共のプールやスパを検査しなくてはならないそうです。
しかも、彼らは、レストランの衛生検査も掛け持ち。充分に水質検査ができるはずがないのですね。
そして、実際に検査してみると、問題だらけ。そのお陰で、過去3年間に、6つにひとつの割りで、プールやスパが閉鎖されていたというデータもあるそうな。
中でも、ホテルやアパートのプールなんかは、要注意だそうです。コストがかかるからって、フィルターが壊れても、なかなか直さないで使っている場合もあるそうなので。
水の中に潜んでいるバクテリアやウイルスや寄生虫は、実にさまざま。中には、O157(E. coli )、サルモネラ菌(salmonella)、シゲラ菌(shigella)といった下痢を引き起こすバクテリアや、A型肝炎(Hepatitis A)のウイルスなんかもあるそうです。
こういった水中のバイキンの中には、塩素の入った水でも、数日間は生きられるものもあるとか。
検査官のひとりは、こう言うのです。「公共の場で、大手を振っておしっこできる場所なんて、プールくらいなものでしょう」って。
いや、汚い話で申し訳ありませんが、おしっこばかりではないそうですよ。
現に、3日ほど前、サンノゼのダウンタウンの噴水が、浄化作業のために閉鎖されたのです。
ここは、水遊びで有名な場所なのですが、7人の子供が病気になったので調べてみると、噴水のあたりに排泄物(fecal matter、通称poop)が見つかったそうです。
どうも、子供たちは、間違って、汚い水を飲み込んだみたいですね。
(ほんとに、汚い話ですみません。でも、物のついでに、幼児に向かっては、poo pooなんて言う時もありますね。おしっこは、pee peeとか。)
日本に「3秒ルール」ってありますよね。床に落っことしたものは、3秒以内だと食べられるっていう(まあ、微生物学的には、これは嘘なんでしょうけれど)。
アメリカではこれを、「5秒ルール(5-second rule)」って言うんですよ。
このたった2秒の差に、衛生に対する考えの違いが凝縮されているような気がしてしょうがないのです。
追記:我が家のすぐ近くにも、住民のための立派なプールがあるんですよ。大人用のリゾート型プールと、子供の競技用プールが。でも、10年間ここに住んでいて、一度しか行ったことがないのです。だって、ゴーグルをつけて水中を見ていると、なにやらフワフワと浮いているんですもの。なんか怖いんです。
ちなみに、2年前、アメリカ人の衛生観念のお話を書いたことがありました。「あなたはきれい好き?」という題名の、3つ目のお話です。興味がありましたら、こちらをどうぞ。
この中にも、トイレでちゃんと手を洗うか?なんて話題が出ていますが、カリフォルニアのレストランのトイレには、「ちゃんと手洗いを励行しましょう」とステッカーが張ってあったりします。これは、従業員に対する戒めなのですが、こんなのを見るとかえってギョッとしてしまうのは、わたしだけでしょうか?
幼稚園でお絵かきをしていたときのことです。太陽を描くのに、自分だけ違う色を使っていたことに気が付いたのです。
わたしにとっては、太陽は黄色。でも、みんなは赤い色を使っている。
どうしようと迷った結果、大勢に従い、赤を使うようになりました。ほんとは違う色なのに、と思いながら。
でも、大人になって気が付いたのです。赤を使うのは、日本独自。アメリカでは、太陽には黄色や白を使うって(ヨーロッパとか、アフリカとか、アジアの国々は、どうなんでしょうね)。
別の国に行くと、まず、色の使い方が違うことに気が付きます。
この色使いの違いって、外国で味わう「違和感」の大きな要因かもしれませんね。とくに、昔ながらの文化を保っている場所では、違和感はとても大きいのかもしれません。
外国なんかに行かなくても、たとえば、サンフランシスコの路地では、メキシコ系のアーティストの壁画を見かけたりします。突然ワープして、メキシコに吹っ飛んだ気分。
原色がたくさん使われていて、それだけでも、なんとなく激しいメッセージが込められているように感じます。
文化によって色使いが違うので、当然、言葉にもその違いが表れてきます。そして、アメリカに暮らしていると、その言葉の中の色使いに戸惑うことがあります。
だって、日本とかなり違うんですもの。
まず、表題にもなっている「真っ白な嘘(a while lie)」。日本では、「真っ赤な嘘」と言いますよね。
日本語の方には「まるっきりデタラメ」というような強い意味合いがあるのに比べて、英語の方は、なんとなく許せる、罪のない嘘みたいな含蓄があるようです。社交辞令の嘘というような意味もあるみたいですね。
やっぱり、赤い嘘の方が、白い嘘よりも罪の重いものなんでしょうか。
これとは逆に、日本が白で、アメリカが赤っていうのもあるんですよ。
「白熱した議論」。
英語では、red-hot(赤熱の)と言います。Discussions were red-hot(論議は赤熱していた)という風に使います。
このred-hotは、形容詞では「赤熱の」「熱烈な」「興奮した」という意味ですが、名詞になってくると、「興奮した人」という意味のほかに、「過激な急進主義者」とか「ホットドッグ」という意味もあるそうです。
「ホットな話題」というときも、red-hotを使いますね。「最新の」という意味もありますので。
で、おもしろいことに、英語でも「白熱した」という単語の、white-hotがあるんですね。
たとえば、こんな風に使われます。Environmental passions run white hot(環境保護に対する情熱が白熱している)。
赤って、どの文化でも激しいイメージがありますね。燃える火や、人間の血の色でもあるし。
赤を見ると、人は自然と危険を感じる。
学校の添削にも、青とかじゃなくて、赤いペンが使われますよね。目立つようにと。
でも、アメリカの学校では、こういう動きがあるんですって。赤じゃなくて、紫や緑なんかの、もっと優しい色を使おうって。
この方が、生徒にも親にも受けとめ易いし、子供の想像力をそぐことがないんだそうです。
とくに、紫は好まれていて、近頃、紫のペンの売り上げが、急に伸びているらしいです。紫には、優しさとともに、先生の威厳も表れているとか。
一方、白いエピソード。
ユーモアたっぷりのアメリカ人のこと、こんなワインが登場しました。
その名もすばり、「White Lie(真っ白な嘘)」。ナパバレーの有名なワイナリー、ベリンジャーから出されています(Beringer Blass Wine Estates が出しているWhite Lie Early Season Chardonnayという名のシャルドネです)。
これは、おもに女性をターゲットとしたワインで、アルコール含有度も、普通は13から14パーセントのところ、9.8パーセントとかなり低いのです。その事実に嘘はありません。
なんでアルコール度が低いかといえば、糖度がまだ低いうちに収穫されたブドウを使っているからなんだそうです。
女性の体は、アルコールを分解するのに、男性よりも3倍ほど長くかかります。そんな女性には、最適なワイン。
アルコール度も低いついでに、カロリーもちょっとだけ低め。女性向けにと、女性だけの調査グループを使って考案されたそうです。
値段も一本9ドル(1000円くらい)と、とってもお手頃なんですね。
ついでに、おもしろいトリックが隠されています。コルクの部分に、それぞれ違ったwhite lieが印刷されているんですね。
たとえば、「Money’s not important(世の中、お金じゃないわ)」とか、「Never on the first date(一回目のデートじゃダメよ)」とか。
なんとなく女性の口から飛び出しそうな、罪のない(?)嘘。
そして、おしゃれなことに、White Lieと言いながら、ラベルは真っ赤なワインなんです。
まだ買った事はありませんが、今度、誰かさんのパーティーのときに持って行こうかな。結構、うけるかも!
追記:トップにある絵は、かの有名なヴィンセント・ヴァン・ゴッホ画伯のものです。1888年6月の『種をまく人』という作品で、麦畑に落ちる太陽を描いた部分です。
住宅地が狙われている
- 2006年08月31日
- Life in California, お金・経済, 日常生活
今朝、カーテンを開けると、妙なものが目に飛び込んできました。
向かいの丘で建築中の建物に、ニョキッと巨大なクレーンが!
これって、ビルなんかではありませんよ。誰かさんの木造建築のお屋敷なんです。
勿論、普通のお家よりは2倍は大きなものですが、「へぇ、家を建てるのに、こんなに大きなクレーンを使うんだぁ」と、さっそくカメラに収めてみました。
まあ、アメリカという国は、お金持ちとそうでもない人の差がとっても大きいものでして、金持ちさんは、お金をどうやって使おうかなぁと苦労するみたいですね。
まず、使い道として一番手っ取り早いのが、大きな家。そして、高い車。それから、高級リゾートへのバケーションや別荘、そして、学費の高い私立学校。
アメリカ社会では、こういうのって、一種のステータスシンボルなんですね。「自分たちは成功者だ」というシンボル。
で、それが終わったら、また家の改築をして、庭をきれいにして、ヨットを買って・・・きりがないですね。
当然のことですが、金持ちさんとは対照的に、ちょっと寂れた地区に住んでる人たちもいるわけですね。
比較的、社会保障制度が整っているアメリカでも、そういう人たちって、国や地方自治体から見放されることもあるんですよ。
たとえば、こういう法律があるんです。「公共のためなら、誰かさんの私有地や家を買い取って、新しく街を再生することができる」。悪く言えば、行政による土地の乗っ取りでしょうか。
正式には、「エミネント・ドメイン(eminent domain)、土地収用権」という法律なんですが、最近、この法律が脚光を浴びてきているのです。なぜって、経済活動の変化によって空洞化する街が増えているので、「町おこし」をしなければいけないから。
だから、古い住宅地を買い取って、ビジネス街や研究都市やショッピングモールを作って、どんどん人を呼びましょうと。
でも、あなたがもし、こういう場所に昔っから住んでいたとしたら、家を絶対に手放したくないですよね。だって、どんなにオンボロでも、我が家は城ですもの。どんなに寂れていたって、住み慣れた都ですもの。
この法律、アメリカ人でもあまり聞いたことがなかったんですが、昨年6月に、全米に名を広めることとなりました。連邦最高裁判所が、ある判決を下したからなんです。
事の発端は、コネチカット州ニュー・ロンドン。昔は栄えた街ですが、今は、1920年当時よりも、人口が少ない。街も荒廃し、このままでは、もっと寂れてしまう。
そこで、街は考えました。なんだか薄汚れた住宅地を、研究・開発パークにして、川沿いにホテルや公園を備えた、きれいな街にしようじゃないか。
ところが、現地の住人は、勝手に家を取り上げられたら、行くところがないと猛反対。しかも、腹が立つことに、開発は、民間の業者が行うというではありませんか。苦しむ住民の影に、大儲けする人間がいるなんて、どう考えても公平じゃない。
さっそく、住民側は法的な措置に出たのですが、いつまでも平行線のまま、熾烈な争いは、連邦最高裁判所まで行っていたのです。
そして、下された判決は、5対4で「街の決定を尊重しよう」でした。
街に仕事や収入をもたらすような「公共の目的」であれば、自治体は荒廃した私有地を適切な市場価格で買い上げてもよろしいと。
この論法で行くと、古くて見苦しい家は、ショッピングモールにしてもいいし、薄汚れた安モーテルは、高級ホテルに建て替えてもよいということになるんですね。そして、それを決めるのは、地方自治体。
自分たちが定めた「荒廃した私有地」を、ショッピングモールや高級ホテルに建て替えれば、税金だってもっとたくさん入ってくるのです。
ここで問題となるのが、「公共の目的」とはいったい何でしょう?ということなんですね。
米国憲法修正第5条の最後の文章に、「相応の補償がなければ、私有地を公共の目的のために押収できない」とあります。でも、これは、相応の補償があれば、公共の目的に使用できる、と解釈されているのです。ここで、「公共の目的」とは、いったい何?
まあ、今までも、法廷ではかなり意見が分かれていたんですが、この最高裁の判決では、「街にもっと収益をもたらす」ことが公共の目的とされています。
でも、残る4人の判事は、「ハイウェイのような道路や、電気や水道といった公益事業のみ、公共の目的に該当する」と、強い反対意見を述べています。
実は、歴史的に観ても、こういうケースは結構あるんですね。
たとえば、カリフォルニア州ロスアンジェルスのドジャー・スタジアム(Dodger Stadium)。
1962年、ブルックリンから引っ越してきた野球チーム・ドジャーズのために、新たにスタジアムが建てられました。
しかし、もともと、ここには、ラテン系の家族が300世帯ほど住んでいました。ある日、彼らは、市当局から、安い家賃の市営住宅を造るから、立ち退いてくれと頼まれました。
まあ、みんなのためだったらいいだろうと、住人は納得し、一件あたり1万ドルで手打ちとなりました。
けれども、新しい家を探してみると、ロスアンジェルスでは1万ドルでは家は買えません。しかも、できあがったのは、スタジアム。
悔しい思いをしながらも、それぞれにがんばって、新しい生活を模索するしかなかったのでした。
今でも、ドジャー・スタジアムの下には、このラテン系家族の子供たちが通っていた学校が埋まっているのですね。
過去の話ばかりではありません。昨日も、こんなニュースが報道されていました。
サンフランシスコ市のキャンドルスティック球場のまわり。ここをどうしましょうかと、ホットな議論が起こっているのです。
(キャンドルスティックは、過去35年間、アメリカンフットボールのサンフランシスコ49ersのホームグラウンドとなっています。)
市側は、「荒廃した地区」として再開発したいそうですが、やっぱり住人としては、動きたくない。さあ、困った。
考えてみると、自分の私有地が没収されることなんて、いつでも起こる可能性はあるんですね。自治体が、「ここ欲しい!」って思ったら、「公共のため」という名目で取り上げられちゃう。
でも、金持ちさんが住む郊外よりも、そうじゃない人が住む街中なんかの方が、そういう可能性がずっと大きいということなんでしょうね。
追記:こちらの写真は、昨年11月の写真です。ちょっと見にくいですが、今日クレーンが立っていた家の敷地では、ブルドーザーを使って地ならしをしているところです。結構、斜面に建てようとしているんですね。
写真の真ん中のグレーの家ですが、この家には、こういう経歴がありました。最初は、家の前面のみの広さだったのですが、2番目の子供ができたのを契機に、敷地の後ろに、同じくらいの広さの家を増築したんです。
そんな話をしたら、わたしのピアノの調律師が、こんなことを言っていました。
「ふっ、そんなに広かったら、家の中で子供を捜すのに、2週間かかっちまうよ。」
日本とアメリカ:ケータイ、無線通信、冥王星
- 2006年08月30日
- 業界情報
Vol. 85
8月上旬、またまた日本に行ってきました。いつもは、ここで旅行記などを書くところですが、自分のウェブサイトに「青森のねぶた祭」の写真も公開したことですし、今回はちょっとひねって、テクノロジーっぽいお話にいたしましょう。
<電話帳をお預かりします!>
日本にいらっしゃると、何だかアメリカやヨーロッパって、テクノロジーがずいぶんと進んでいそうだな、と思われる方もあるでしょう。でも、わたしに言わせれば、「そうでもないよ」というところでしょうか。
たとえば、日本に行ってみて驚いたのは、Edy(エディー)。言わずと知れた、オンラインキャッシングのサービスですね(お金を入れておくと、そこから自動引き落としとなる電子マネー。アメリカで言う、デビットカードみたいなものですね)。
驚くことに、そのEdyが、携帯端末に付いている!コンビニなんかでは、端末を読み取り機の上に置くだけで、ピッと瞬時に支払いが完了する。まさに、『おサイフケータイ』そのもの。
そんなのを見たら、アメリカ人はびっくりです。
8月上旬に日本に行ったときは、ワンセグ放送対応の携帯端末に驚いてしまいました。縦長だった画面が、カシャッと横長に変身する。 横長になると、もう、完全に、ミニ薄型テレビ!すごいものを考え付いたものです。
シリコンバレーでバリバリ働く日本人の友達が、先日、日本に出張した時、ケータイで文字入力を初体験したそうです。面倒臭いと、じきにギブアップしたものの、それはそれで、ちゃんとした文章になっています。
それを読んだわたしは、「ふっ、青いな!こっちなんか、ずうっと前から日本でメールしてるもんね」とニヤリとしたものですが、さすがに、日本のケータイメールは、誰にでも簡単に使えるようにできているものです。ユーザーインターフェイスがよくできているので、説明書なんか読まなくても、勝手にキーボードを押していけば、何がしかの進展があるものです。
世の中には、自分のユーザープロファイルの画面にたどり着くのに、専門家がかかっても、5分では不可能なヨーロッパ製の携帯端末などもあるのです(開発者の思考回路が違うんでしょうか?)。それに比べ、日本の製品は、しごく使い易い。まあ、そうしないと、お客様には売れないのでしょうが。
携帯でメールといえば、アメリカには、パソコンでやり取りしているメールを携帯でもアクセスできるようにする、という概念はあります。有名なBlackBerryのサービスもそうですし、このシリーズの掲載でお世話になっているIntellisyncさんのシンク(同期)の製品もそうですね。
このようなサービスを使うと、メールを受け取るだけでなく、返事を自分の携帯端末で作成し、返信することもできます。
けれども、これは比較的ビジネス分野に限られたことで、一般の人が携帯でメールをやっているかと問われれば、答えはノーです。こちらのティーンエージャーなんかは、携帯は、長話と暗号のようなショートメッセージを送るデバイスだと思い込んでいるわけです。ヨーロッパや中国でも、メールではなく、ショートメッセージの方が愛用されています。
日本ほどケータイメールが盛んな国は、類がないと言ってもいいでしょう。(日本では、パソコン文化が携帯文化に遅れを取ったという要因も大きいですね。パソコンのマウスをクリックする人差し指よりも、親指の方が勝っていた?)
アメリカの若い人たちは、目を輝かせて、こう聞いてくるのです。日本では、地下鉄でも携帯電話を使えるんでしょ?と。まあ、地下鉄で使えると言えば語弊がありますが、とにかく、若いアメリカ人にとっては、そんな進んだ日本は憧れの地でもあるようです。
その「ケータイ天国」の日本では、新しい、便利なサービスが続々と登場していますね。
今年5月、NTTドコモ(以下、ドコモ)が始めたサービスの中に、『電話帳お預かりサービス』というのがあります。 これは、データシンクのプロIntellisyncさんの製品で、世界に先駆け、日本で採用となった便利なサービスなのです。
誰でもケータイの中には、ひとりやふたりは親しい人の電話番号が入っているものです。それが、100人、200人と膨れていったら・・・「失くしたら、どうしよう?」という不安が頭をよぎります。失くしたら、もう二度と相手には連絡できない。
一般のユーザーでもそうなのですから、ビジネスでお使いの方は、なおさらのこと、紛失が怖いものなのです。
そして、携帯端末を買い換えたとき。ドコモショップでは、古い端末から新しい端末に電話帳データを移してくれますし、SDカードを使えば、自分でもデータ転送できます。でも、もうちょっと簡単な方法があればいいのに。
そんな不便さを解消するのが、この『電話帳お預かりサービス』です。月に100円(税込み105円)で、ドコモのお預かりセンターが、電話帳をバックアップしてくれるのです(パケットパックに加入していない場合、パケット通信料もかかりますが、100件で100円ちょっとだそうです。一度バックアップすると、その後は、追加、変更、削除された箇所のみ送信されるので、通信費は低く抑えられています)。
ありがたいことに、電話帳だけではなく、ケータイの中のメールや、静止画もバックアップ可能なのです。
もう紛失も怖くない。すぐに元のデータを取り戻せるのです(ドコモの902iSシリーズの端末に採用されていて、このシリーズ以降のモデルだと、メーカーを問わず、このサービスが利用できます)。
使い方は簡単。電話帳を開き、サブメニューで「お預かりセンターに接続」を選び、暗証番号を入れるだけ。あとは勝手にやってくれるのです。ケーブルなんかは、一切不要です。
もしパソコンを使う人なら、「マイドコモ」というサイトで、電話番号を新規登録もできるし、編集もできるのです。「電話帳データを携帯電話に送信」というボタンをクリックすれば、ケータイの方にも自動的に登録されます。
お盆休みの8月、空いた山手線で、もらったばかりの名刺のデータを一生懸命ケータイに入力していた女性を見かけました。まあ、慣れているとは言え、この機能を使えば、もっと楽に登録できるのですね。
この『電話帳お預かりサービス』、大々的に宣伝しているわけではありませんが、口コミでどんどん広まり、加入者も順調に増えているようです。
ところで、先に、このサービスは「世界に先駆けて」日本で採用と書きましたが、これは大袈裟に言っているわけではありません。Intellisyncの日本支社社長・荒井真成氏と、ビジネスデベロップメント担当副社長・鈴木尚志氏が、3年ほどかけて実現に漕ぎ着けたものです。
こんなものがあったら便利でしょと、じっくり時間をかけて交渉や開発を進めたてきたのですが、折しも、昨年4月に施行された個人情報保護法や、間もなく始まる番号ポータビリティーの勢いも手伝って、ようやく日の目を見ることとなったのです。
六本木のバーで、荒井氏が顔見知りのバーテンさんと話していると、「こんなに便利なサービスがあるんですよ」と、得意げにバーテンさんが語り始めたそうです。それが自分たちの手がけた製品であることを知ったとき、今までがんばってきてよかったと実感したと言います。
IT業界のことなど何も知らない人でも、小難しい説明抜きで、簡単に便利に使ってもらえる。それは、まさに、開発者冥利に尽きるというものなのです。
追記:このIntellisyncさんの電話帳バックアップ製品は、『ボーダフォン・アドレスブック』という名称で、ボーダフォンからも提供されています。月額使用料は、ドコモと同じく100円(税込み105円)で、それにデータ通信料がかかります。Vodafone 904Tの発売を契機に、今年3月からサービス開始となりました。
<勘違いのWiMAX>
日本に行っていた間、日本語の新聞の見出しを見て、びっくり。「WiMAX採用を決定!」。
なになに、アメリカの大手携帯キャリアのSprint Nextelが、WiMAXを採用する?ということは、もうすぐ、スタバやマックのWiFi(無線LAN、ワイヤレスブロードバンド)が、大幅にパワーアップ?
WiMAX(ワイマックス)とは、正式にはIEEE802.16と言いまして、次世代のワイヤレス(無線)通信の規格のことですね。現行の規格IEEE802.11(通称WiFi、ワイファイ)に比べ、高速で、より遠くまで伝送できます。利用できるユーザーの数もぐんと増えます。
だから、別名、「ステロイド入りのWiFi」とも呼ばれています(WiFiが最大通信速度54Mbps、伝送半径30メートルのところ、WiMAXは最大70Mbps、半径50キロメートルだそうです。利用環境によって、通信速度や到達距離は異なってきます)。
新聞の見出しでは、このWiMAXという規格を、アメリカの携帯キャリアSprint Nextelが採用することを発表したというのですね。
無線通信といえば、現在、アメリカの主要都市では、ダウンタウン地区を始めとして、街じゅうにWiFiネットワークを網羅しようというプランが着々と進んでいます。シカゴやフィラデルフィアもそうですし、シリコンバレーでも、パロアルトやサンノゼのダウンタウン、グーグルのあるマウンテンビューなどで、「都市無線ブロードバンド(municipal WiFi)」の概念が広まりつつあります。
もしWiMAXが実現したら、もっと便利な都市ネットワークの構築が可能となるはず!
おっちょこちょいのわたしは、もう今年中にも、全米の都市ネットワークや、空港やお店の無線ブロードバンドが、バリバリにアップグレードされている図を思い描いていたのでした。
ところが、それは、本文をまったく読まなかったわたしの早とちりでした。アメリカに戻ってみてわかったのですが、正確な内容はこうです。
先に、競合する携帯キャリア最大手のCingular WirelessとVerizon Wirelessが、次世代(第4世代)の通信規格としてIMS(IP Multimedia Subsystem)を採用すると発表したので、それに対抗し、3番手のSprint Nextelは、モバイルコミュニケーション用のWiMAX(モバイルWiMAX)テクノロジーを採用すると発表した。
実は、WiMAXには、オフィスの無線ブロードバンドのような固定無線アクセスと、モバイルデバイスで使う移動体通信の2種類の規格があるのですが、この発表では、後者の規格(モバイルWiMAX)を指しているわけです(モバイル通信となると、移動ローミングなどを考慮する必要があり、通信速度や伝送距離も、固定の場合よりも劣ります)。
WiMAXといえば、パソコンのプロセッサーで有名なインテルを始めとして、韓国のサムスン、フィンランドのノキア、アメリカのモトローラといった企業が長年担いできたテクノロジーです。今年6月、韓国では、世界に先駆け、モバイルWiMAXのネットワークが皮切りとなったそうです。
上り・下りとも最大30Mbpsの通信速度が可能だそうですが、これを利用すると、モバイルデバイスでリアルタイムにビデオ電話会議ができるし、ほんの数秒で映画一本ダウンロードできちゃうよと、サムスンはうたっています。
でも、アメリカはと言えば、実現にはまだまだ時間がかかりそうです。採用を決定したSprintの計画では、来年(2007年)末までに、一部の都市で採用し始め、2008年中には、全米の大きな都市でサービス開始となる予定です。
だとすると、Sprintがラップトップパソコンに搭載するモバイルWiMAX通信カード(多分、インテル製)を発売し、出先でジャカジャカ高速通信ができるようになるまでには、かなり時間がかかるということですね。
そして、新規テクノロジーの採用が遅いシリコンバレーでは、もっと遅れるってことでしょうね(いつかお話しましたが、シリコンバレーでは、多くが一斉に新手のサービスに飛びつくため、パンクを避けるために、サービス展開が先延ばしにされるのです。現行の携帯ネットワークCDMA2000 1xEVDOなんかも、始まるのが待ち遠しかったものです)。
新聞の見出しで大きな勘違いをしたわたしは、日本の友達に、こう自慢していたのでした。「WiMAXっていう高速無線ネットワークが、もうすぐアメリカで使えるんだよ」と。ごめんなさい、前言撤回です。多分、日本の方が実現は早いかもしれません。
それは、新しいテクノロジーのニュースは、毎日バンバン発信されます。けれども、ここで要注意。目新しいテクノロジーが実務レベルに到達するには、少なくとも数年はかかるのです。とくに、広大なアメリカでは、なおさらのこと。
新聞やネットで読んだ記事をすっかり忘れた頃に、「こんなのできたよ~」と、新サービスが始まったりするのですね。
追記:上記の通り、IEEE(米国電気電子学会)で標準化が進められるWiMAX規格には、固定無線通信と移動体通信を定めたものがありますが、前者はIEEE802.16-2004、後者はIEEE802.16eと呼ばれています。
ちなみに、ご存じの通り、現行のWiFi規格IEEE802.11にも様々なフレーバーがありまして、最初に製品としてお目見えした802.11b、5.2GHz帯域を使う802.11a、2.4GHzを使い高速の802.11gなどがあります。
現在は、802.11gが主流ではありますが、先日、802.11nという次の規格に沿ったルーター製品も登場しています。802.11gの54Mbpsに比べ、802.11nは、最大スループット約120Mbpsだそうです。
<太陽系の謎>
いやあ、先日は、大騒ぎでしたね。冥王星(Pluto)が、太陽系の惑星から外されたというニュースで。
子供たちにとっては、せっかく覚えた「水金地火木土天海冥」から、最後の「冥」を落っことさなくちゃいけない(まあ、正確には、1979年から20年間は、「海冥」ではなく、「冥海」でしたが)。
アメリカ人にとっても、冥王星は、唯一アメリカの科学者が発見した惑星。それが外されるなんて、とっても名残惜しいものなのです。科学館なんかでは、「お通夜」が開かれたりしていましたね。
先日、国際天文学連合で正式に冥王星を除外すると決まるまでには、ごちゃごちゃといろいろありましたね。
8月中旬には、こんなニュースが流れました。現行の9個の惑星に、あと3つ追加しようよと。
候補に挙がっていたのは、火星と木星の間にある小惑星(asteroid)の「セレス(Ceres)」、冥王星の一番大きな月である「チャロン(Charon)」、それから、"ジーナ(Xena)"というあだ名の惑星らしき天体「2003 UB313」("ジーナ"は、冥王星の更に外側の軌道を回っていて、冥王星よりもちょっと大きな天体です)。
ところが、この提案には非難轟々。そもそも、冥王星の惑星説だって怪しいのに。
1930年の発見以来、冥王星は、たびたび論争に巻き込まれる惑星でした。第一、小さい。地球の50分の1の質量です。そして、軌道が楕円。海王星の軌道にひっかかっている。
しかも、最近、海王星の外にあるカイパーベルト(Kuiper Belt)では、ほぼ円形の軌道で、太陽の周りを回っている天体がいくつも発見されています。少なくとも、40個は「惑星(planet)」と定義すべき天体が見つかっているのです。
じゃあ、いったい、冥王星って何者?そういったホットな討議が、2年前から続いていたのでした。
そして、8月24日、一転して、「じゃあ、いっそのこと、冥王星を惑星から外しちゃおう!」という決定が下されたのです。
そして、冥王星は、「セレス」と「2003 UB313(通称"ジーナ")」とともに、新たに「矮惑星(わいわくせい、dwarf planet)」と分類されることとなりました。
で、この一連のお話は、ある意味で滑稽でもあるけれど、科学の本質を、実に如実にあらわした事件でもあるのですね。
科学とは何でしょう?と考えると、「事実(自然現象)を説明するもので、それによって、この先発見するであろう事象も説明できるもの」と思いがちですよね。
でも、厳密に言うと、「説明する」ではなくて、「説明するとみんなが思っている」というのが正しいものなのですね。
今回の国際天文学連合の決定のように、科学の理論なんて、ある種、合議制の決定事項のようなものなのですね。科学者コミュニティーでは、「正しい、正しくない」じゃなくって、「何が説明に最適なのか」を多数決で決めているんです。
今回のように、何だか怪しい点が出てきたので、「惑星」という定義から考え直し、その結果、新たに「矮惑星」という定義を設けようじゃないかと決めるのも、この「適性」に関わることなのですね。
その昔、ガリレオ・ガリレイが登場する前は、天動説が宇宙の構造を説明するものでした。宇宙とは、中心に静止する地球の周りを天体が回ることで成り立っている。それが、科学者たちの宇宙に関する概念のフレームワークだったのです。
当時のフレームワークからすると、自分たちが描く太陽や惑星の軌道は正しいもの。だって、天体は予測した通りにぴったり動いている。
科学と呼ばれる知の体系の中では、「正しい」というのは、絶対的評価ではないんですね。だって、時代によって、フレームワークによって、「正しい」は変わるから。
で、冥王星も同じですね。ある「惑星」の定義(フレームワーク)をはめ込むと、冥王星は惑星だし、別の「惑星」の定義に置き変えてみると、もう、冥王星は惑星じゃない。
でも、少なくとも、多くの天文学者にとっては、新しい定義の方がすっきりする。それに、今後発見される天体にもうまく通用しそう。だから、冥王星は、惑星から外しましょうってことになったのですね。
実に健康的な、科学者コミュニティーの合議制ではありませんか!
まあ、地球の天文学者たちを尻目に、冥王星のあたりでは、こんな会話が聞こえてきそうではあります。
冥王星「なんだか、地球人がごちゃごちゃ言ってるなぁ。僕はもう、太陽系の惑星の仲間じゃないんだって。」
ジーナ「あら、あなたはまだいいわよ。今までちゃんと、仲間に入れてもらってたんだから。わたしなんか、もう味噌っかすよ。」
セレス「僕だって、ずうっと昔は、惑星だって言われてたのに、その後、小惑星に格下げだったんだから。あ、今は、矮惑星か。でも、冥王星くん、またすぐに、地球人の気が変わるかもしれないよ。だって、自分たちのすぐ近くのことだって、よくわかってないみたいだからね。」
追記:今回、冥王星が分類された「矮惑星」とは、以下の条件を満たすものだそうです。1)太陽の周りを回る、2)ほとんど球状の天体、3)惑星の周りを公転する「衛星」ではない、4)その軌道上に、衛星以外の天体が残っている。
4つめの条件が、「惑星」と大きく異なるわけですが、この条件4において、冥王星の軌道は、海王星の軌道に交差するので、「矮惑星」だと定義されたそうです。
ちなみに、「矮惑星」という邦語訳は、正式に決定されたものではなく、今後、日本学術会議で協議されるそうです。
それから、科学に関する記述は、大学院時代の恩師に負うものです。彼のセミナーは、自分の専門分野そっちのけで、「科学とは何ぞや?」という"科学の哲学(philosophy of science)"の討議ばかりでしたね。懐かしいです。
夏来 潤(なつき じゅん)