独立記念日
- 2006年07月06日
- Life in California, アメリカ編, 歴史・習慣
ご存じ、7月4日は、アメリカの独立記念日。独立の日を指す Independence Day とか、7月4日を意味する the Fourth of July とか呼ばれます。
230年前の1776年7月4日、イギリスから独立宣言したことを記念する日ですね。
アメリカにとって、この日は、最も大事な祝日。そして、アメリカ人が、アメリカの国民としての誇りを一番に感じる一日。
こんな言葉が、人々の心に新たに刻み込まれるのです。民主主義(democracy)、解放(liberty)、自由(freedom)、平等(equality)、そして愛国心(patriotism)。
そして、この日は、とっても楽しい一日。日頃の屈託を忘れて、思う存分楽しむ一日なのです。
おまけに今年は、7月4日は火曜日。多くの人は月曜日もお休みで、4連休。あまりお目にかかれない4連休や、有給で伸ばしたバケーションに、みんな心うきうき。
アメリカ各地では、独立を祝うパレードやフェスティバルが開かれ、家族や友達が集っては、ピクニックやバーベキューを堪能します。
そして、なんと言っても、独立記念日は花火。この晩は、アメリカ全土で大型花火が上がります。
花火大会は、市が主催する場合が多いのですが、北カリフォルニアで有名なものは、サンフランシスコ市とサンノゼ市でしょうか。
サンフランシスコでは、観光地で有名な「ピア39」の埠頭近くで行われます。海沿いなので、風があっと言う間に煙を運んでいってくれますが、その代わり、かなり寒いんです。
一方、内陸のサンノゼでは、ダウンタウンの大きな公園で開かれます。
この公園は、近くのサンノゼ空港に向かう空路の真下にあるので、飛行機の離着陸の間隙をぬって、花火が上げられます。花火師たちの腕の見せ所なのですね。
サンフランシスコ・ベイエリアでは、ほとんどの都市で自宅での花火は違法なので、花火を楽しむためには、こういった花火大会に行かなくてはいけないのですね。
(シリコンバレーのあるサンタクララ郡では、唯一、南端のギルロイ市だけ、花火が許可されています。他の都市では、花火を街に持ち込むことすら違法なのです。)
7月4日の晩、わたしもシリコンバレーのマウンテンビュー市にお出かけしました。ここの野外劇場(Shoreline Amphitheatre)で、独立記念日の恒例となっている、サンフランシスコ・シンフォニーの演奏会と花火大会を楽しみました。
夏の間、シンフォニーはシーズン外れとなるのですが、この時期、アメリカ人受けするポピュラーミュージックや、子供向けの音楽を披露して、シンフォニーにできるだけ多くの観客を呼ぼうというイベントが開かれます。この晩のイベントも、そういったひとつなのですね。
サンフランシスコ・シンフォニーは、世界的にも有名なシンフォニーなのです。3代前は、日本が世界に誇る指揮者、小澤征爾氏が音楽監督でした。
それでも、毎年ぎりぎりの経営を迫れていて、よくうちにも「寄付をしてちょうだい」と電話がかかってくるくらいです。
(我が家は、何年か前、シーズンチケットを持っていたのですが、なんとなく今の音楽監督の趣味が合わなくて、縁遠くなってしまいました。)
そんな状態なので、シンフォニーにとっても、この晩は大事な晴れ舞台。マーラーみたいな、しかめっ面の音楽ではなく、映画音楽とブロードウェイ・ミュージカルでリラックスです。
団員は劇場の黒装束ではなく、みんな白で晴れやかに衣装を統一します。
シンフォニーに加え、ブロードウェイのスター歌手たちも登場し、「ウェストサイドストーリー」や「エヴィータ」、「シカゴ」といった有名なミュージカルから、お馴染みの歌を熱唱します。
そして、映画の主題曲といえばジョン・ウィリアムズ。「レイダーズ・失われたアーク」、「スターウォーズ」、「ET」、そして「ハリー・ポッター」と、誰もが知っているヒット曲を次々と演奏してくれました。
舞台の上には、大きなスクリーンも置かれ、映画のクライマックスシーンも映し出されます。指揮者は、目の前のモニターを見ながらタクトを振るという、映画音楽の録音シーンのような臨場感もあります。
ETとエリオットたちが自転車で空に舞い上がるシーンでは、わたしは思わず涙をこぼしそうになりました。
もちろん、ETは大好きな映画です。でも、それだけではなく、大好きなシーンを、サンフランシスコ・シンフォニーの生演奏で楽しめるなんて、最高の贅沢ではありませんか。
贅沢ついでに、その晩のしめくくりは、シンフォニーが奏でる音楽で花火!
ハイピッチの音楽に、団員もかなり疲れていたとは思いますが、がんばって3曲も披露してくれました。2曲目の「America the Beautiful」は、アメリカを称える歌なので、独立記念日の花火では定番ですね。
嬉しいことに、座っていた右端の席からは、花火がよく見えます。イベントの前日にチケットを購入したわりには、いい席が残っていたものです。
もうちょっとたくさんやってほしいなとは思いましたが、やっぱり、生の音楽に合わせて打ち上げられる花火は、格別な味があるのです。
この日、野外劇場は夕方からフェスティバル状態。劇場のまわりには、ホットドッグやピザの屋台が並びます。おまけに、地元のロックバンドのコンサートやら、ゲームやフェイスペイントの子供向けイベントやらで、演奏会の前から、相当に盛り上がっています。
すり鉢状の野外劇場には、芝生席もあります。ちょうど球場の外野席みたいなもので、舞台にはちょっと遠いけれど、自分たちで椅子を持ち込んだり、食べ物を持ち込んだりと、ちょっとしたピクニック気分。
毎年この演奏会でのピクニックを、家族の年中行事にしているご近所さんもいるくらいです。
でも、北カリフォルニアの夜は寒くなるので、夏でも、防寒ジャケットと毛布は必需品ですね。
ストリート・フェスティバルにシンフォニーの野外演奏会。そして、花火。こんな贅沢なイベントチケットが、ひとり30ドル未満とは。
なんともアメリカらしいイベントなのでした。
こぼれ話:毎年大人気のサンフランシスコ市の花火大会。今は、観光客で賑わう「ピア39」近くの埠頭で行われますが、昔は、別の場所で開かれていたのですね。
以前は、市の西側のゴールデンゲート橋近く、クリッシー・フィールドという海岸で行われていました。この辺りは「プレシディオ」と呼ばれ、サンフランシスコの街ができた頃から、軍隊の駐屯地だったところです。要塞地帯なので、独立記念日の花火のときだけ、市民に開放されていたのですね(今は、陸軍基地の閉鎖にともない、軍隊から民間に返還されています)。
ずっと昔、アメリカで迎えた初めての独立記念日、クリッシー・フィールドに花火を見に出かけました。一緒に行った友達の中で、アメリカ人は昼間っから何時間も海辺で待つのを苦にもしません。けれども、日本人にとっては、そんなことはつまらない。
そこで、暇つぶしに、バスでチャイナタウンに夕ご飯を食べに行きました。「アメリカ人ってホントに暇人だよねぇ」などと話しながら。すると、ご飯の途中で、パ~ン、パ~ンと花火の打ち上げが聞こえるではありませんか。
結局、もう一度バスで海辺に戻った頃には、花火はもうおしまい。みんなぐったり疲れ果てて、またまたバスに乗って、おうちに帰ったのでした。今思っても、帰り道、眠りこけて停留所を乗り過ごさなかったのが不思議なくらいです。
サンフランシスコで初めての花火は、ものの見事に見逃したとさ、という間抜けなお話でした。
最近は、スカイプ(Skype)なんかのインターネット電話に押され気味ですが、まだまだ健在の電話。
そこで、今日は、電話の受け答えのABCをどうぞ。
多くのアメリカ人は、電話をかけてくると、まずこう言います。
May I speak with ~?
これは、「~さんとお話したいのですが」という意味ですね。
もし相手が自分を指定している場合は、こう言います。
Speaking.
Speaking の代わりに、This is she(男性の場合だったら、This is he)という言い方もあります。
This is ~ speaking(~は自分の名前)と名乗ってもいいですね。
一方、相手が家族や同じオフィスの人を指定している場合は、すぐに受話器を手渡す前に、まず相手の身元を確かめたいですよね。
そういう場合は、こう尋ねます。
Who’s calling, please?
文字通り、「誰がおかけになっているの?」という意味ですね。
「電話をかける」という動詞は call です。たとえば、I’ll call Carol(「キャロルに電話してみようっと」)みたいに使います。
最後の please はなくても構いませんが、Who’s calling? の場合でも、語尾は優しく上げるのが普通です。
Who’s this?(「あんた誰?」)と、ぶっきらぼうに尋ねる人もいますが、大人の場合は、Who’s calling, please? の方が望ましいですね。
すると、相手は、こちらの問いかけに、This is ~ と名乗ってくれるでしょう。(こちらが聞くまでもなく、最初から This is ~ と名乗る人もいますが、これは少数派のようです。)
受話器を別の人に渡したり、内線電話をつないだりする場合は、かけてきた人にこう言います。
Hold on, please.
これを文章にしたいなら、Could you hold on a minute? とすればいいでしょう(最後の a minute は、1分間というよりも、「ちょっとだけ」というニュアンスですね。代わりに、1秒の a second を使う人もいます。)
もし相手の話したい人が近くにいない場合は、He’s not here(「ここにはいないよ」)とか、He’s on a business trip(「今は出張中だよ」)とか説明していあげればいいですね。
もし親切に伝言をしてあげようと思ったら、May I take a message? と相手に尋ねます。
一度、こんなことがありました。電話を取ったら、いきなり相手の女性がこう言うのです。
Who’s this?「あんた誰?」
こちらは「え~、アンタがかけてきたんでしょう」と心の中で叫びながら、こう聞き返しました。
Who am I speaking to?「どちら様ですか?」
すると、ようやく相手は、どうしてかけてきたかを説明し始めます。
どうやら、想像するに、うちの電話番号は、彼女の昔の上司ビルさんの電話番号だったらしく、ビジネス上の助けか、もしくは転職の相談のためにかけてきたようなのです。
かなり切羽詰っているような雰囲気でしたが、残念ながら、わたしは上司ビルさんを知りません。仕方がないので、バイバイいたしました。
注:Who’s calling? の代わりに、Who am I speaking to? を使ってもいいでしょう。ちょっと丁寧さに欠けるかもしれませんが。正式には Whom am I speaking to? ですが、アメリカ英語では、残念ながら、Whom というのは死語になりつつあります。けれども、わたしはこのとき、嫌味を込めて、Whom を使ってみましたけれど。
まあ、ちょっと話しただけでも、相手の性格だとか状況がなんとなく伝わってくるのが電話。考えてみれば、ちょっと怖い道具でもありますね。
だから、あんまりぶっきらぼうにするのも避けた方がいいかもしれません。
ちなみに、電話をかける call は、神様の呼びかけにも使うみたいですね。この call 転じて calling は、「天職、神に定められた使命」という意味なんですね。
夏の到来:ドライブシーズンに考える
- 2006年06月29日
- 社会・環境
Vol. 83
夏至を迎え、シリコンバレーは、早くも夏の雰囲気です。そんな季節に考えるのが、ドライブとバケーション。今回は、そんなトピックを選んでみました。
<おバカさんの論理>
勝手に不定期に載せている「おバカさんシリーズ」。アメリカで見かけるおバカさんを取り上げるシリーズです。 さて、今回はちょっとシリアスなおバカさん。自動車業界に登場です。
ガソリン価格の高騰が騒がれて久しい今日この頃。「価格高騰(price hike)」なる言葉に、消費者はそろそろ鈍感になりつつあります。
そんな消費者の脳ミソに活を入れようと、General Motors(GM)は、カリフォルニアとフロリダで新たなマーケティング戦略を展開しています。
「7月5日までにGMの車を買ってくれたら、ガソリン代1ガロン当たり1ドル99セントを越えた分は、一年間わが社が負担してあげます」と。(ちなみに、現在、ガロン当たり3ドルを切ることはありません。1ガロンは、3.8リットルです。)
勿論、すべての車種ではなく、GMの中でも燃費が悪く、近頃とみに不人気の車が対象となっています。たとえば、SUVのキャデラックSRX、スポーツセダンのポンティアック・グランプリ、軍用トラック改造車のハマーH2とH3。
同じく対象車となっているSUVのシボレー・タホなどは、近頃モデルチェンジを経て売れ行きはいいそうですが、何か目玉となるものが必要なのでしょう。GMが言うに、シボレー・タホの2007年モデルを購入した場合、平均して月に100ドル(1万円ちょっと)くらいはお金が戻ってくる計算とのこと。 連日、テレビのコマーシャルでは、消費者に扮するモデルがこう叫びます。「どうして今まで誰も、ガソリン価格に対して何もしてくれなかったの?」と。
ここで、賢い人はすぐに気が付くのです。これって本末転倒だと。ガソリン価格が高いのは、需要と供給のバランスの悪さの表れ。だったら、需要(消費)を減らす、つまり、燃費をよくする方法を、自動車業界は考えていくべきじゃないの?と。
けれども、アメリカの自動車会社には、そんな論理は通用しないのです。燃費が悪くて人気が落ちたら、叩き売りすればいい。それが彼らの論理なのですね。
一方、消費者の方はといえば、そこまでおバカさんではないようです。それが証拠に、アメリカ国内の新車の販売台数でいくと、GMのシェアはどんどん落ちているのですね。2005年通年で26パーセントだったところが、2006年に入ると24パーセントに落ちています。しかも、今年に入って、販売台数は毎月じりじりと下がっていて、5月は前月比12パーセント減(人気のシボレー・タホですら、5パーセント減)。
それに比べ、トヨタの5月の販売台数は、前月比プラス17パーセント、ホンダはプラス16パーセント。トラックを除く自家用車でいくと、トヨタは実に25パーセント増、ホンダは21パーセント増だとか。
燃費のいいカムリやシビックの人気セダンや、新規投入のヤリスやフィットのサブコンパクト車に加え、ガソリンと電気で走るハイブリッドも日本の車会社のイメージを助けます。最近は、ハイブリッド車のテクノロジーもだいぶ進んでいるようで、たとえば、トヨタのSUVハイブリッドなどは、ガソリンだけで走る姉妹モデルよりも、加速が良かったりするそうです。「燃費は日本車」というイメージが、消費者の脳裏に刻み込まれているのですね。
昨年末あたりから、会社更生法(米国破産法11条、通称「チャプター11」)の適用申請がまことしやかにささやかれるGM。6月16日のインタビュー番組では、CEOリック・ワゴナー氏は、「それは、お粗末な戦略だ」と、きっぱり噂を否定します。
けれども、その一方で、GMはアメリカ史上最大の早期退職(contract buyout)プログラムを打ち出します。6月23日の締め切り日までに、従業員の4分の1に当たる3万人が応募したようです。
かつては、アメリカ市場で50パーセントのシェアを誇ったGM。そんなGMの捨て身の「ガソリン代戦略」が、吉と出るか凶と出るか?
まあ、常識で考えると、いくらガソリン代をカンパしてあげても、ちょっと難しい売りではあります。けれども、そこはアメリカのこと。目の前に札束をちらつかせるセールス戦略に、消費者の目がくらまない保証はありませんね。
<誰が電気自動車を殺したの?>
これは、筆者が付けたタイトルではありません。ある映画のタイトルなのです。原題は、"Who Killed the Electric Car?"といいます。間もなく封切られるドキュメンタリー映画です(Sony Pictures Classics配給)。
この映画の主役はEV1。General Motorsが開発した電気自動車で、1996年にアメリカ市場で発表されたコンパクト車です。充電式のバッテリーを搭載するので、ガソリンは一切使いません。
1980年代、90年代を通し、カリフォルニアの大気汚染は大いに深刻化し、一番の原因である排気ガスを取り締まる法律が施行されました。その流れで誕生したのがEV1。
これをGMから借り受けたドライバーの間では、熱心なファンが生まれました。なにせ、無公害なのですから。おまけに、ガソリン燃焼車ではないので、壊れにくい。必要なメインテナンスといったら、タイヤのローテーションくらいでしょうか。これに、静かで速いという要素が加わったら、もう非の打ち所がありません。
ところが、事態は一転し、2001年、GMは突然EV1の製造を打ち切ります。ちょうどGMが、軍用トラックを製造するAM Generalの買収を完了した頃です(AM Generalは、イラク戦争勃発後、アメリカで大人気を博した軍用トラック改造車ハマーで有名です)。
今は、EV1たちはどうなっているのか?愛用者から剥奪され、アリゾナの砂漠で粉々に引き裂かれ、置き去りに。
この映画のクリス・ペイン監督は、自身もGMからEV1を借り受け、没収されるまでの5年間、EV1を愛用してきました(リース期間が終わるとすぐに「購入したい」と申し出たのに、GMに固く断られたそうです)。没収後は、トヨタが一時的に販売していた電気自動車RAV4 EVを購入し、今でもこれを運転しています。
そのペイン氏が、「いったい誰が電気自動車を殺したのか?」と問いただします。そして、EV1を製造したGMに留まらず、電気自動車をめぐる問題の多面性を披露します。フォード、クライスラー、トヨタ、ホンダの電気自動車は、みんな同じように撤収・廃車の憂き目に会っています。ガソリンを使わないし、壊れにくい。ある意味で、社会にとっては大きな欠点なのです。そして、気が付いてみると、カリフォルニアの大気汚染の規制も骨抜きに。
ペイン氏自身は、この問題にかなり深く関わってきた御仁のようで、確固たる信念を持っているようです。
たとえば、ガソリンの代替として脚光を浴びる水素。実現までには何十年とかかるとも言われていますが、問題は他にもあるようです。ペイン氏が指摘するに、水素燃料電池で走る車は、電気自動車に比べ3~4倍のエネルギーが必要となる。おまけに、水素がガソリンに変わる燃料となっても、その配給のパラダイムはガソリンと同じではないか。水素の配給会社が燃料スタンドに配給し、消費者はやむなくそこで燃料補給するという形。
電気自動車がいなくなった今、消費者に残される選択はガソリンと電気のハイブリッド。ペイン氏は、従来のハイブリッド車を一歩進めた、プラグイン(plug-in)ハイブリッド車を推奨します。消費者が自宅で充電することによって、最初の50マイルくらいはすべて電気で走らせる。そして、電気が消費された時点で初めてガソリンを使用するという新しいタイプ。ありがたいことに、電気は太陽光でだって生み出せるじゃないか。
こうして、突き詰めて考えてみると、最後に何を選ぶかは、消費者である私たちにかかっている。
このドキュメンタリー映画は、6月28日にロスアンジェルスとニューヨークで封切られます。その後、南カリフォルニア、北カリフォルニアと広まり、夏には全米で公開される予定です(これを書いている時点では、まだ公開されていません)。
マイケル・モーア監督の「華氏911」ほどの人気となるかはわかりませんが、おもしろそうなドキュメンタリー映画であることは確かです。
追記:6月9日、公共放送PBSの番組「NOW」で放映された、クリス・ペイン監督へのインタビューを参考にさせていただきました。
なお、映画「Who Killed the Electric Car?」には公式ウェブサイトがあります。英語ではありますが、とてもわかりやすくできているので、興味をお持ちの方は、ぜひ覗いてみてください。自動的に流れる映像が終わったら、この画面の上の"enter site"という文字をクリックしてください。
http://www.sonyclassics.com/whokilledtheelectriccar/
<恐竜さんの産物>
ここまで来ると、大いに疑問に感じるのです。どうして私たちは、こうまでガソリンに頼るのかと。
まあ、石油を掘る人がいて、原油をガソリンに精製する人がいて、ガソリンを売る人がいるからでしょう、というのが答えではあるわけですが、では、一体全体、どうして石油を掘って売ることができるのでしょうか?
石油って、何億年も前の太古の生物や数千万年前に絶滅した恐竜さんたちが堆積して、そのお陰でできた産物なのでしょう。だったら、もともと誰のものでもないではありませんか。
百歩譲って、ある国の下に埋まっているものは、その国のものとしましょう。けれども、それは国のもの、つまり国民全体のものでしょう。どうして、民間の石油会社が、自分のものとして売れるのでしょうか。
理屈はこうですね。地下何千メートルに埋まっている石油を掘り出すには、それなりの技術と財力が必要となる。それを国に成り代わって、石油のプロである私たちがやってあげましょう。その代わり、国には採掘権の使用料(royalties for drilling rights)として、何パーセントかを還元いたしましょう。
けれども、もし充分に国に還元されていなかったら?公共の資産が盗まれているのに、国民はまんまとだまされている? 実際、石油産油国のアメリカでは、そんな恐れがあるのですね。
アメリカでは、19世紀にこんな法律ができたそうです。石油会社は、収入の12パーセントを国に還元するようにと。けれども、最近になって、採掘をめぐる状況が変わってきて、とくにメキシコ湾岸の海底油田の採掘を促すために、使用料の一部をチャラにする法律が議会を通ったのですね(正式には、the Deep Water Royalty Relief Act of 1995といいます)。
それ以降、ブッシュ政権の誕生も手伝って、なし崩しに、使用料を払わなくていい採掘量が増えたり、海底油田でなくとも法律が適用されたりして、国の徴収額が思うように伸びない。
それと同時に、使用料の計算のごまかしも疑われています。石油会社は市場よりもずいぶんと低い値段で採掘量を換算するし、使用料を徴収すべき内務省の鉱物管理部もころりとだまされる。もしくは、見て見ぬふり。そんなこんなで、未回収の使用料は雪だるま式に増えているようです。
議会の監査機関GAO(US Government Accountability Office)の推定でいくと、未回収の額は、今後25年間で600億ドル(約7兆円)にもなるということです(今年3月に出されたGAOの草稿より)。
まあ、石油会社を相手取って、「ちゃんと使用料を払え」と、裁判はいくつも起こされているわけです。けれども、そのたびに石油会社が逃げ勝ったり、少量の額を支払い、無理やり決着をつけたりして、国民への還元は低く抑えられているのですね。
こんなお話もあるくらいです。ある内務省の担当者が石油会社に正しい使用料の徴収を迫ると、自分の上司からこう言われたそうです。「君はどうしてそんなことをやっているのだね?」と。上司は、連邦議会の議員からクギをさされたのですね。余計なことをするなと。
この正義感に燃える職員が、裁判で闘う意志を見せると、彼は役所をクビになったとか。
石油や天然ガスの採掘権使用料は、連邦政府にとっては、所得税の次に大きな歳入項目だそうです。そこに大きな欠陥があるとすると、国民は何のために税金を払っているのか?と自問したくなるのです。
追記:6月16日放映のPBS番組「NOW: Crude Awakening」を参考にさせていただきました。
<ライフスタイル・サバティカル>
最後に、ちょっと趣向を変えて、バケーションのお話です。バケーションと言っても、普通の休暇ではありません。
近頃、アメリカでは、「ライフスタイル・サバティカル(lifestyle sabbatical)」というのが、静かなブームとなっているらしいのです。
もともと「サバティカル」という言葉は、大学とか会社の研究機関とか、おもに研究職に携わる人の間で使われていました。何年間か勤めたら、充電期間として何ヶ月かお休みを取れる制度のことです。
それが、最近では、自ら進んで休職(退職)し、息抜きの時間を取り、外国で現地の人に混じって生活するアメリカ人が増えてきたのです。そういう特殊な「長期休暇」を総称して、「ライフスタイル・サバティカル」と呼ぶようになったのですね。
外国の街でアパートを借り、近くの市場で食材を買って自炊し、現地の生活を現地人の目で楽しむ。ときには一年、もっと長く。子供たちも一緒に、家族全員でお引越し。ローマやフィレンツェは、多くの人が目指す人気の街。近頃は、そういった人たちを支援する団体やビジネスがいくつもできているそうです。
どうしてアメリカでライフスタイル・サバティカルが流行ってきたかというと、どうもブッシュ政権の誕生に端を発しているらしいのですね。以前もどこかで書きましたが、2000年の大統領選挙のときは、「ブッシュが大統領になったら、わたしは絶対にアメリカから出て行く!」と豪語していた人が多かったのですね。2004年の大統領選も同じ。実際、それを実行している人はあまりいないわけですが、それでも、いくらかは実行に移した人がいて、それがだんだん増えていって、静かなブームとなったようなのです。
まあ、それだけではなく、自分の世界をもうちょっと広げてみたいというのが、大方の理由なんでしょうけれど。
ごく最近、この言葉を知ったとき、これは我が家で話しているプランと同じではないかと思ったのです。我が家のバージョンは、各国のビザの問題を回避するために、ヨーロッパの国々を12ヶ国、ひと月ずつ移り住むというものですが、もともとのコンセプトは同じですね。単なる旅行じゃなくて、現地人のように生活してみたい。
まあ、国によっては、アパートを借りるのに、いろいろと面倒なことがあるとは思いますが、だったら、長期滞在型のホテルでもいいかなと。
実際、わたしのお友達にもいるんです。子供をふたり連れて、家族で世界の放浪の旅に出ている人が。間もなく、年初から住んでいたサンフランシスコ・ベイエリアを離れるようですが、彼曰く「半年もひとつの場所にいると、生活がちょっとマンネリ化する」と。
そんな彼の娘さんは、かなりの人見知りだそうです。小学校に行っても、あまり言葉を発することがないので、先生が心配して片言の日本語を覚えてくれたぐらいとか。でも、家に帰ってくると、別人のように活発に近所の子と遊び始めるのです。そんな遊びを通して、滞在2週間で単語を並べて友達と意思疎通を始め、2ヵ月後には自己主張することを覚え、ケンカまでするようになったのです。それでも、依然として学校では無口。
そういった彼女も、3ヵ月後には、学校にも仲のよい友達ができ、毎晩電話で長話するまでになったそうです。そして、6月、学期が終わるとき、「日本から来たときはまったく英語が話せなかったのに、すごく上達しました。そして、算数と絵が素晴らしかった」と、先生からお褒めのお言葉をいただいたそうです。
少し長い「休暇」を取って外国に住みたいけれど、まず仕事と子供のことが心配。それからお金も。そんな障壁はたくさんあるけれど、一番大事なのは、やり遂げるぞという意志だそうです。誰でも不安があるのは当然。でも、意志と綿密な計画があれば、何ごとも可能になると、ライフスタイル・サバティカルの専門家はアドバイスします。
我が家の実現はいったいいつになることやら。でも、夢だけは持ち続けているのです。
追記:「ライフスタイル・サバティカル」という言葉は、ギリシャ旅行の帰り、パリへ向かう飛行機で読んだNewsweek誌で初めて知りました(5月15、22日合併号)。
それから、写真はヨーロッパではありません。シリコンバレー・サンノゼ市の新名所、サンタナ・ロウ(Santana Row)です。ここは、一階にブランドショップやレストラン、カフェが並び、上の階はマンションとアパートになっています。「車を運転しなくても、生活には困らない街づくり」そんなコンセプトでできあがった地区です。アメリカにも、ヨーロッパや外国の街並みに学ぼうという動きはあるのですね。
夏来 潤(なつき じゅん)
ピアノとわたし
- 2006年06月26日
- エッセイ
以前、日本の音楽番組を観ていて、ひどく共感したことがありました。個性派アーティストGacktさんへのインタビュー番組でした。
彼曰く、3歳の頃からピアノを習わされ、小さい頃は、それが非常に苦痛だったと。
わたしも幼稚園の頃からピアノを習っていたのですが、やっぱりその頃は、苦痛以外の何ものでもありませんでした。
練習は大っ嫌いだし、好きでもない曲を弾かされる。おまけに、間違えるとこっぴどく叱られる。第一、レッスンのある土曜日、友達と遊べないではありませんか。
毎週土曜日になると、レッスンのない友達が、それはそれは羨ましいものでした。
そんな不満がつのって、小学校2年生で一旦ピアノを止めました。4年生でまた始めるぞと宣言して。
そして、4年生になって間もなく、約束をしっかり守り、また同じピアノの先生に師事しました。ピアノには何かしら引かれるものがあったのかもしれません。姉がずっと続けていたことが、うらやましかったのかもしれません。
めでたくピアノが弾けるようになった今、そのことが嬉しくもあるし、誇らしくも思っています。約束を守り、途中でくじけなかった子供の自分は、もしかしたら、今までの人生の中で一番誇れることかもしれないなと。
わたしは小さい頃からクラシック音楽で育ったせいか、楽譜を読むのは得意ですが、自分で曲を作るのはまったくダメです。しかも、音楽理論は大っ嫌いなので、音階とかコードとかは、学んでもすぐに頭から逃げていきます。
ところが、そんなわたしが、歌の伴奏をするようになりました。ボランティアをしていたお年寄りのデイケアセンターで、みんなで歌を歌うことがあったからです。
困ったことに、歌い手の方は、こちらの事情にはお構いなく、あれを弾いてこれを弾いてとおねだりします。楽譜がないと弾けないと一旦は断るのですが、それもあまりに悲しいことではあります。
そこで、背に腹はかえられず、幼稚園レベルの伴奏は、自分でもちょっとだけアレンジできるようになりました。ジョン・レノンの“Imagine”も、自分の声に合わせて変調してみました。ごくごく初歩的なことですが、わたしにとっては画期的な前進なのです。
いつか、お向かいさんがどんどんとドアを叩き、無理やり引きずり出されたことがありました。ミュージシャンがうちに来ているから聞きにおいでと。
彼女の家では、高校生の男の子が、ギターを片手に自作自演で演奏会。アメリカの若手シンガー・ソングライター、ジョン・メイヤー風の、なかなか才能のある若者です。
なんでも、このミニ・コンサートは、お向かいさんが主催するクラブハウスでのイベントの、ちょっとしたオーディションだったようです。集まって来る奥方のお気に召す音楽を選ぶようにと。
この「ジョン・メイヤー」くん、ピアノも相当弾けるらしく、今度はうちにやって来て、自作の曲を披露してくれました。コード進行はちょっと単純ではあるけれど、なかなかスケールのでかい音楽を奏でてくれます。
なんと彼には同級生のマネージャーも付いていて、このマネージャーくんのお母さんが、わたしにこんなことを言うのです。
「あなたもピアノを弾くから、わかってらっしゃることだけれど、ミュージシャンというものは、自分が好きな曲ではなくて、人が聞きたい曲を奏でなければいけないものなのよねえ」と。
ご本人は何気なく言ったつもりかもしれませんが、これは、わたしにとって、天と地がひっくり返るほどのインパクトのある言葉でした。そして、この時以来、「自分のためだけにピアノを弾く」という意固地な態度を悔い改めたのでした。
そして、今では、こう思っているのです。プロでないにしても、音楽を奏でるということは、人を楽しませてあげる、ある種の社会責任があるんじゃないかと。歌いたい旋律を自分なりに表現できれば、この際、うまい下手は重要なことじゃないんじゃないかと。
今までは、わたしは姉のような音大ピアノ科出の専門家じゃないしとか、どうせ自分の好きな曲はそんなにポピュラーじゃないしとか、なんとなく殻に閉じこもっていたような気もします。でも、それはきっと違うんですね。
誰かに聞かせてあげたい、そう思ったとき、いい音が奏でられるんですよね。
そろそろ、デイケアセンターのおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行かなくちゃ。
空気を守る日
- 2006年06月23日
- Life in California, 夏, 季節
1週間くらい前から、シリコンバレーは急に暑くなったのですが、昨日、今日と、摂氏40度くらいなのです。
さすがに、夏至ともなると、一気に夏の雰囲気となるのですね。
もともとサンフランシスコ・ベイエリアは、「マイクロ気候(microclimate、微気候)」とも呼ばれているように、地域内の気候が微妙に細かく分かれます。
たとえば、サンフランシスコやサンタクルーズの海沿いが霧で涼しく、20度もないときに、内陸部は炎天下で、軽く30度を越えたりします。
けれども、今回は、サンフランシスコもちょっと暑いと聞きました。30度近辺だとか。
でも、当然のことながら、シリコンバレーのような盆地はもっと暑い。華氏100度(摂氏38度)は越えているようです。
我が家のあたりも、きっと摂氏40度はあるでしょう。とくに、我が家は、裏庭が真南に向いていてコンクリート敷きなので、照り返しも容赦ない。
カリフォルニアで南向きの家って、実はあんまりいいことはありませんね。
今日は雲のかけらもないし、外に出るだけで、体が溶けそう。
住宅地に残される放牧場の牛たちも、みんなでかたまっています。きっと直射日光から体を守っているのでしょう。
体中が黒い毛に覆われているから、人間よりも大変そう。
そして、ここまで暑くなると、とたんに警報が出るのですね。何の警報かって、「空気を守りましょうの日」の警報です。
正式には、「Spare the Air Day」といいます(Air は大気のことで、Spare は、助けるとか、守るみたいな意味ですね)。
暑くて無風状態だと、盆地の底の部分に光化学スモッグがたまりやすいので、サンフランシスコ・ベイエリアは、地域一帯で、すぐに大気の状態が悪くなるのですね。
そして、この警報が出されると、大気汚染につながることは極力避けるようにと、お達しが出るのです。
まず、車。排気ガスが一番よくないので、車は家に置いて、みんなで公共の交通機関を使いましょうねと促されます。だから、ベイエリアのすべての交通機関が、一日中タダで乗れるのですね。
去年までは、朝の通勤時間帯だけ無料でしたが、今年から終日タダにして、より多くの人に乗ってもらおうということになったそうです。
それから、これは本当に効くのかどうかは定かではありませんが、ヘアスプレーとか匂い消しのスプレーとか、エアゾールの使用も控えましょう、とも注意されます。
そして、暑いと電気の消費量が多くなるので、冷房も、あまり温度を下げないで使いましょうと促されます。
なんでも、ここ2、3年は、ベイエリアの空気の状態は良くなってきたそうで、昨年は、たった一日しか「Spare the Air Day」が発令されませんでした。その前の年は、二日。
ところが、今年は、昨日、今日と、もう二日連続で発令されているのです。
もしかして、逆戻りの兆し(?)
この写真は、今日(6月23日)撮ったものなのです。シリコンバレーのあるサンタクララ盆地を、南から望んでいます。左に白く写っているのが、幹線道路のフリーウェイ101号線です。こうして見ると、スモッグでどんよりと煙っているのがわかりますよね。
3月の写真と比べてみてください。これはほぼ同じ角度で撮ったものです。この日は、春霞の日でしたが、それでも、サンタクララ盆地の家々が、結構遠くまでしっかりと見えますよね。そして、なんだか手前にある家ですら、色がはっきりしているような気もします。
今日は、すぐ右手にある山脈も、すっきりとは見えません。目の前の空気ですら、よどんでいるようです。
こんな汚い空気を吸っているのかと思うと、なんだか胸のあたりが苦しくなってきますね。
一気に気温が40度に迫った昨日、こんなニュースも耳にしました。
週末に開かれるコントラコスタ郡のフェスティバルを準備するため、早朝からブースの設置をしていた人が、次々と熱射病に。外で働く人は、なるべく日陰を選び、水の補給を忘れずに。
エアコンをガンガンにかけ、倉庫を締め切ってフォークリフトを使っていた人たちが、一酸化炭素中毒に。せっかくの冷たい空気を逃がしたくないのはわかるけれど、空気の入れ替えは、くれぐれも忘れずに。
それから、暑いからって、その辺の消火栓を開けて、水を勝手に出さないように。水遊びしたい気持ちはわかるけれど、実際、火事が起こったときに、水の圧力が弱くて使い物にならないからね。
後日談:昨日の土曜日(7月22日)、7回目の「空気を守ろう」警報が発令されました。この日、各地はオーブンで焼かれるような暑さで、我が家のあたりは、一時摂氏45度に達しました。
この7回目の警報発令に、もうお金がない!と、ベイエリアの交通機関はタダになりませんでした。
実は、ベイエリア大気管理管区というというころが、ベイエリアじゅうの交通機関に払い戻しをするのですが、国から3日分、州から3日分もらっていた資金が、底をついたそうです。
いろんな企業から、「交通機関タダ乗り」のスポンサーになりたいと、問い合わせが来ているそうですが、一日2億円を軽く越える経費。どうなることやら。
Highly unlikely.
単刀直入にいって、「それってかなりダメそう」ってことですね。
(unlikelyは形容詞で「ありそうにもない」。Highlyは副詞で「非常に」という強調の意味ですね。)
ワールドカップサッカー、グループF。残念ながら、日本は苦戦を強いられてますね。
そんな日本チームを表現して、今朝、テレビでアメリカ人の解説者が言っていました。
Highly unlikely!
文章にすると、It’s highly unlikely for Japan to go on to the next round of 16.
「日本が次の決勝ラウンドに進出するのは、かなりあやうそうだね。」
(口語ですと、Highly unlikely単独で文章のように使われたりします。書く文章だと、It’s highly unlikely for A to ~という形で、「Aさんは、とっても~をしそうにない」という表現になります。It’s highly unlikely that A will ~という形でもOKですね。ちなみに、似たような表現に、It’s possible, but not likely「可能だけど、あんまりあり得そうにないね」というのもあります。)
残るブラジル戦。It’s likely that Japan will win「日本は勝ちそうね」などと言われてみたいものです!
ワールドカップこぼれ話:グループH。本日(6月19日)サウジアラビアに4対0と快勝したウクライナ。初戦のスペイン戦では、相手に4点も取られ、味方はノーゴールと、本領を発揮できませんでした。なんでも、スペイン戦の前夜、ホテルの隣の池では、カエルの大合唱。うるさくて、選手は一睡もできなかったとか。第2戦は、ちゃんと寝られたようですね。
一方、ウクライナとチュニジアに2勝と、強さを誇るスペイン。一次リーグを突破です。けれども、このスペイン、意外にも、出場32カ国の中では一番安いホテルに泊まっているそうです。一番高いドイツが一泊一部屋平均3800ドル(約43万7千円)に対し、スペインはたったの127ドル(約1万5千円)。熟睡できれば、高かろうが安かろうが、まったく関係ないようですね。
開催国ドイツと同じく、グループAのエクアドル。母国での高地の利点がないので、アウェイでは弱いと言われながらも、ポーランドとコスタリカに快勝。ドイツとともに決勝リーグへ。なんでも、エクアドルは、開幕前に本国から祈祷師を招き、12都市すべてのスタジアムでお払いをしてもらったとか。祈祷の効果があったのでしょうか。
日本ってどんな印象?
- 2006年06月17日
- Life in California, 歴史・習慣, 民族編
お友達とランチをしました。4月上旬、東京を案内してあげたお友達です。
彼女は、韓国で生まれましたが、小さい頃にアメリカにやって来たので、ほとんど韓国語も覚えていないという、立派なカリフォルニアガールです。ある意味、アジアのルーツを捨て去ろうと努力していたのかもしれません。アジア系よりも白人のアメリカ人と仲良くしてきたようです。
そんな彼女が、白人のダンナさんが日本に出張し始めたのをきっかけに、自分も日本に行ってみたいと思い始めました。
実は、ダンナさんは、初めての日本出張で、いやな目に会ったのでした。成田エキスプレスが東京駅に到着したあと、構内では右も左もわからない!
もう完全に頭が真っ白で、パニック状態。
それがトラウマのようになっていて、それ以来、成田空港からは直通リムジンバスで常宿のホテルに向かうようになりました。
いくら英語で小さくサインが掲げてあっても、あの東京駅の雑踏では、どこへ向かったらよいのやら、素人さんには難しいかもしれません。
そんなダンナさんの武勇伝を聞いて、彼女は、日本ってそんなにひどいのかしら?とでも思ったのかもしれません。それから間もなく、初めてのひとり旅で、日本に挑戦!
そういう彼女も、迷子にならないようにと、成田からはリムジンバスで新宿のホテルに直行したのでした。夕方の混雑時で倍くらい時間はかかりますが、一番簡単な方法ではあります。新宿に着く成田エキスプレスなんて、東京駅よりも難しそうですから。
まあ、ひとり旅の不安はあったものの、彼女が到着後、すぐにわたしたちがホテルに迎えに行ったので、とっても安心してくれたようです。それが証拠に、そのあとはすぐ、好奇心旺盛な本来の姿に戻っていました。
最初の晩は、サンノゼから到着したばかりなので、ホテルの近くの西新宿を案内しました。
彼女は開口一番、「あら、スタバがないわ!」とのたまいます。どうも、毎朝の儀式であるスターバックスがホテルのすぐ横にないのが、お気に召さないご様子。
「きっとそばにあるはずだから」となだめすかし、高層ビルへ。そこの居酒屋で晩御飯にしたのですが、よく飲むし、よく食べる。これは何?あれは何?と出てくるものを何でもトライしてくれます。もともと日本食は好きなようですが、おでんも肉じゃがもエイひれも何でも食べてくれます。ただ、鶏肉の半生には閉口していましたが。
そして、その帰り道、到着したばかりの彼女の東京論が始まるのです。この街は何やらヨーロッパや香港に似ているわと。
ニョキニョキと高層ビルが立ち並ぶ様は、建て込んだ香港にそっくりだし、地下鉄が縦横に走り、街中を移動するのに公共の乗り物を利用するところなどは、パリなんかのヨーロッパの街にそっくり。歩いて日々のお買い物をするあたりも、アジアやヨーロッパの街そのものだと。
まあ、マンハッタンなど一部の地域は別として、街が平坦に広がり、どこへ行くにも車で移動するアメリカとは大違いであることは確かです。そこのところが、彼女の強烈な印象となったようです。
さて、その翌朝、彼女を迎えに行くと、スタバを見つけたわ!と、開口一番にご報告。そして、安心した彼女は、東京でぜひ行ってみたいところがあると言うのです。どこかと思いきや、代々木公園。十年ほど前、何やら本を読んだらしく、写真で見たような、派手に着飾った若い子たちの集まりを見てみたいと言うのです。
彼女の言っていたのが、いったいどの世代の集まりかは定かではありませんが(まさかオリジナルの竹の子族ではないでしょうが)、連れて行ってあげると、そんなグループはもう存在しないではありませんか!しょうがないので、落胆する彼女に、満開を過ぎた桜を見せてあげたのでした。
けれども、ラッキーなことに、公園の出口に、フリフリのドレスに身を包む少女たちがいるではありませんか!一緒に写真を撮ってあげると、とっても喜んでいました。来た甲斐があったわ〜と。
そして、竹下通りで、メイドのコスチュームなんかを見つけると、嬉々としてこう言うのです。「あ〜、これが有名なメイドね」って。
その数日後、すっかり原宿のプロになった彼女は、台湾から到着した友達を竹下通りに連れて行き、自分もちゃっかり、ピンク色のかわいらしいスカートを手に入れたようです。「1200円だったのよ、日本にもそんな安いものがあったのねぇ」ですって。
東京第一日目のこの日、途中から連れ合いも参加し、表参道、銀座、お台場、六本木と案内してあげました。浅草なんかは、すでに観光ルートに入っているでしょうから、勝手にやってくださいということで。
表参道では表参道ヒルズと真新しいラルフローレンのビル、銀座では楽しいグッズがいっぱいの文房具屋さんとショッピングコース。そして、お台場では海辺から望む東京の遠景を見せてあげました。
「ゆりかもめ」が走るレインボーブリッジもさることながら、お台場の自由の女神は、彼女のお気に入りだったようです。どうして、あんなところに自由の女神がいるの?と、アメリカに戻っても、しつこく言っていました(どうしてなんでしょう?)。
そして、東京を満喫したいならと、六本木ヒルズの展望台に上り、四方に見下ろすだだっ広い東京を見せてあげたのでした。
あのヘンな建物は何?こっちの建物は?と、歴史的な建物よりも、新しいビルに目が行くようです。歴史の説明をしてあげても上の空。東京の近代的な一面に、大いなる興味を示していた彼女なのでした。
締めくくりは、六本木のろばた焼き屋さん。やれどっちの板さんがかわいいの、あのカップルはわけありじゃないの?だのと、店内でも鋭い観察は欠かしません。
余興でおもちをつかせてもらったり、板さんにはビールをご馳走してあげたりと、どこまでも楽しいディナーなのでした。
最後に立ち寄ったバーでは、グラスに丸い氷が入っていなかったのが、いたく残念そう。のんべえの彼女は、「東京に行ったら丸い氷」と、脳みそに刻み込まれていたようです。どうやら、新宿が舞台となった映画『ロスト・イン・トランスレーション』で学んだようです。
その後、合流した友達と東京を後にし、一路西へ。京都、大阪、広島と、駆け足ながらも、精力的に廻ったようです。
京都では舞妓さんの踊りを見て、広島では本場のお好み焼きを食べ、宮島では純日本風の旅館に泊まって、もうとっても日本を満喫したわ、と自慢していました。
厳島神社では古式ゆかしい結婚式を見かけ、お嫁さんの「角隠し」の意味まで教えてもらったのよ、と得々と語ってもくれました。
そんな彼女は、日本はとってもいいところだと言います。「日本を好きにならない人がいるはずがない(Who doesn’t love Japan?)」だそうです。
どうしてって、街がきれいだし、道もきれいに掃除されている。誰もその辺にゴミを捨てたりはしない。
そして、人も礼儀正しい。とくに、レストランやお店はとても丁寧で、アメリカとはぜんぜん違うと。「こっちだったら、What do you want?(何か用?)って感じだものね」と。それには、わたしも大きくうなずきました。
それから、何がいいかって、日本ではよく歩くことだそうです。毎日すごく歩いたから、自然とお腹の肉が減ったわと、お腹をさすります。日本から戻って以来、毎朝のスタバへも、家から1キロ歩いて通っているのだと言います。「ちょうど仕事も辞めて一息ついているところだし、歩くのはちょうどいいのよ」とのこと。
たしかに、アメリカで大問題となっている肥満の原因は、どこにでも車で出向く車社会にあるのかもしれないなぁと思い当たるのです。アメリカの住人は、もうちょっと歩かなければ。
と言いながら、あとで聞いてみると、三日坊主の彼女は、すぐにスタバへ歩くのを辞めてしまったそうですが。なんともアメリカ人らしい彼女なのでした。
ひとりごと:彼女も同じことを言っていましたが、アメリカの男性陣が日本に行くと、口を揃えてこう言うんですよねぇ。日本の女性はきれいだって。お化粧もちゃんとしているし、身なりだって整っている。まあ、どこかの国民のように肥大化してないっていうのもあるんでしょうね。
「人を外見で判断するな(Don’t judge a book by its cover)」なんて申しますが、あそこまで肥大すると、ちょっとね・・・
真珠とオセロ
- 2006年06月15日
- Life in California, お金・経済, 日常生活
2週間ほど前、連れ合いが日本に出張したときのことです。ミーティングの合間に時間ができたので、同行していたアメリカ人の上司を銀座に連れて行きました。銀座でお買い物でもさせようと思って。
ある真珠屋さんに立ち寄り、ひと通り店内を見て回りますが、どうも上司の食い付きが悪いのです。
そこで、連れ合いが、「奥さんに何か買って行かなくていいの?」と聞くと、彼はこう答えるのです。「僕の奥さんは、アクセサリーとか自分を着飾ることに興味がないんだよ。」
この話を聞いたわたしは、たまげてしまったわけです。「エーッ、アメリカ人に、アクセサリーや洋服に興味のない女性がいるのー?」と。
アメリカでは、週末にショッピングモールに行こうものなら、車を停められないくらい、パーキングは満杯です。
感謝祭直後の「ブラックフライデー」のセールなんて、朝の5時くらいから始まるのですが、ドアが開く前から、そこには長蛇の列。
物を買うことにかけては、アメリカ人に勝てる国民はいないかもしれません。
(「ブラックフライデー」、つまり「黒い金曜日」とは、感謝祭の木曜日の翌日のことです。この日はどの店も大セールで、書き入れ時。だから赤字もこの日で黒字に転ずる。そこから「ブラック(黒字)フライデー」という名前が付いたんですね)。
そんなわけで、アメリカ人なのに、きらびやかな真珠屋さんで反応を示さないダンナさん、これは驚きに値するわけなのです。
けれども、話を聞いて、すぐに納得。上司の奥さんは、イギリス人だったんですね。自分自身にお金を使うことは大嫌いな人だそうです。
ここで、アメリカのパーティーなどで、大うけする話をご披露いたしましょう。これは、わたしの実体験なのですが、受けなかったためしがないくらいなんです。
ずうっと前のお話ですが、結婚してちょうど1周年の記念日。その頃は、わたしの方が残業が多かったので、連れ合いが先に帰って夕食を作って待っていました。
まあ、平日で仕事があるとはいえ、結婚記念日には何か特別なものをと思い、わたしはケーキとバラを買って帰りました。当時は、ペコちゃんのブルーベリーケーキが我が家の一番のデザートだったんです。そして、バラなんて何本も買えないので、小さな赤いバラをほんの2、3本。それでも、とってもいいものを抱えてる気持ちで、我が家のドアを開けたのでした。
家の中に入ると、ちょうど連れ合いは、玄関の脇の台所で料理をしていました。そして、「ほら、ケーキとバラを買って来たよ〜」と自慢するわたしを見て、こう言ったのです。
「わ〜、きれいなバラね。どうしたの?今日は何かあったの?」
こんなことは、アメリカでは最大のタブーなんですよ。結婚記念日をうっかり忘れるなんていうことは。だって、結婚記念日とは、奥さんに何かをプレゼントする日なのですから。
だから、この話をアメリカ人の友達にぶちまけると、連れ合いはその場の「道化師」となるのです。「ひでぇ〜」って。
同時に、アメリカ人の男性陣は喜ぶ、喜ぶ。「俺よりもひどい奴がいた!」って。こういう話は、奥さんに攻められたときに、なかなかいい有効打となるわけですね。
それ以来、連れ合いは、一度たりとも結婚記念日を忘れた事はありません。それどころか、いつも出張ばかりしているわりに、この日だけはスケジュールをやりくりするようになったのです。
まあ、弁護するわけではありませんが、当時彼は、記念日を祝うという感覚がゼロだったんです。そんな環境には育っていなかったので。だから、結婚1周年を覚えていなかったのも仕方ないんですが・・・
ところで、銀座の真珠屋さんでまったく反応を示さなかったアメリカ人の上司。その後、激安ショップ・ドンキホーテに行ったら、とても喜んだそうです。何でも揃てるって。
そこで、何を買ったと思います?日本が世界に誇るゲーム、オセロです。7歳の双子の娘さんがゲームに凝っていて、ふたりで遊べるゲームを探していたそうです。
ふたりは考えることが大好きで、頭を使うオセロは最適だったようですね。特価でたったの980円ですが、いい投資になったかも。
後日談:この双子ちゃん、オセロがとっても気に入ったそうです。シンプルに見えて、戦略がある。そんなゲームに、引き込まれたのでしょうね。
アメリカ人って、わりと早口な人が多いんですよね。せっかちな国民性がよく表れていますよね。
そして、早口に加えて、説明が不十分だったりもするんです。難しい業界用語が出てくるときもあるし、なんとなく“感じ”で話していることも往々にしてあるし、実のところ、聞き手が理解できないってこともたくさんあるんですね。
そういうときって、どうすればいいんでしょう?相手が言っている文章はちゃんと聞き取れているのに、意味がわからない。困ったなぁ。笑って相槌を打つのも何だし。
“Pardon me?”とか“Excuse me?”では、相手はよく聞こえなかったんだと勘違いして、もう一度同じフレーズを繰り返すでしょう。それでは、堂々巡りになっちゃいますよね。
そういうときは、こう言ってみましょう。
“What do you mean?”
「あなたの言ってることってどういうこと?」
そうすれば、相手はきっと、別の表現で言い換えてくれるはずですよ。
“What do you mean by that?”と、最後に by that を付けてもいいですよ。
これだと、「それってどういうこと?」という感じになりますね。
以前、こういうことがありました。テレビの位置を変えたいので、配線をやり直さなければなりませんでした。右の壁から左の壁にテレビを移動したかったのです。
テレビのことだから、ケーブルテレビ会社に来てもらいました。でも、まったくらちが明きません。壁をぶち抜いて、家の外に電線を通せ!ですって。自分たちがテレビ画像の配信をしてるくせに、まったくプロ意識がないのです。
そこで、配線専門の会社に電話してみたのでした。
すると、最初の質問が、こうだったのです。
“Is it on the concrete slab or raised foundation?”
この場合、itとは配線を希望する部屋を指しているのですが、その後がまったくわからないではありませんか!
文型は、非常に単純なんですよ。Is it on A or B?(それはAの上にあるのか、それともBの上?)
でも、AとBがわからなければ、手も足も出ないじゃない!
Aに相当するconcrete slabと、Bに相当するraised foundationとはいったい何だぁ?
すかさず、自分の無知をさらけ出し、こう答えました。
“I don’t know what you mean.”
「あなたの言ってる意味がわからないわ」
(“What do you mean?”の代わりに、この表現でもOKですね。)
そう答えながらも、raised foundationというのは、もしかしたら床と土台の間に空間があって、人がもぐれる構造のことかなと思ったので、こう続けてみました。
“It’s not raised. It’s on the concrete foundation.”
「隙間はないみたい。コンクリートの土台の上よ。」
すると、相手も理解してくれたようで、こう応答してくれました。
“Oh, it’s on the concrete slab, then.”
「あ~、だったらコンクリート・スラブの上ね。」
どうも、謎のconcrete slabとは、コンクリートの土台にそのまま建てる構造を指すらしいですね。
そういう我が家のような構造の家では、床下に配線はできないので、壁と屋根裏を使って電線を通すのですね。
というわけで、この場は一件落着。話も通じ、数日後めでたく配線工事完了!
こんなふうに、いろんな業界の人とお付き合いすると、慣れない業界用語がたくさん出てくるんですねぇ。
でも、こんなのは知らなくて当然なんですよ。アメリカ人だって、全員が知っているわけではないのですから。
だから、何だかわからないな~と思ったときは、胸を張ってこう尋ねましょう。
“What do you mean?”
説明好きのアメリカ人は、きっと懇切丁寧に教えてくれますよ。
補足説明:“What do you mean?”の代わりに、ストレートにこう言ってもいいかもしれませんね。
“Could you explain a little bit more?”
「もうちょっと説明してくれますか」
ここで、最後にabout itを付けてもいいですね。
“Could you explain a little bit more about it?”
「そのことについてもうちょっと説明してくれますか」
この場合、itの代わりに、説明してほしい名詞を入れてもいいですね。
それから、こんなふうにも使えます。
“Could you explain a little bit more how this machine works?”
「この機械がどういうふうに動くのか、もうちょっと説明していただけますか」
ちょっとアカデミックに気取ってみたい場合は、こんなのもありますよ。
“Could you elaborate on it?”
「そのことについて、詳しく述べていただけますか?」
人はどうして旅をするのでしょう
- 2006年06月09日
- エッセイ
先月のギリシャ旅行をふりかえってみると、とっても忙しい旅でした。
旅の順路は、アテネ4泊、ミコノス島2泊、サントリーニ島2泊、クレタ島2泊、パリ2泊、そしてフランクルフト1泊の、計13泊です。
戻って来た直後の薄明かりの早朝、さすがに、自分がどこにいるのかさっぱりわかりませんでした。
もう少し、どこかにゆっくりしたかったな、というのが正直な感想なのです。
利用した交通機関もたくさん。ミコノス~サントリーニ間とサントリーニ~クレタ間は高速艇でしたが、あとは全部空路。まさに、飛行機漬けでした。
とくに、クレタ島から一気にパリに向かった日は、クレタ~アテネ、アテネ~ミュンヘン、ミュンヘン~パリと3回も飛行機を乗り継ぎました。おまけに出発点も到着点も、ホテルは空港から1時間も離れている。12時間を経てパリにたどり着いた夜は、さすがに具合が悪かったです。
それがたたって、その夜、パリのレストランで階段を踏み外し、足をくじいてしまいました。
でも、戻って来ると、そんな辛いことなんか忘れているんですね。そして、今度はエーゲ海の他の島に行ってみたいとか、もうちょっとフランス語を学んでパリに再度トライするぞとか、そんなことを考えているんです。
ミコノスやパリのホテルの人にも、もう一度戻って来るからねって約束しましたし。
実は、アテネに着いた最初の日、荷物を開けてみてちょっと驚いたのです。断定はできないけれど、誰かが荷物をさぐった形跡があるのです。
トランクの底に、小説を2冊入れておいたのですが、その2冊が不自然に曲がっているし、上下逆になっているのです。もしかしたら、飛行機に預けていた間に、どこかで誰かが小説を取り出した?宝石箱かと思って?
外国からの大きなトランク。何やらいいものが入っていると思ったのかもしれません。
いきなりそんなことがあったので、これから旅はどうなるのだろうと不安がよぎりました。けれども、その後は危ないことにも巻き込まれず、次から次へと無事に目的地に移動できました。
そして、現地のいろんな人と接するうちに、どこの国も同じなんだなと痛感したのです。それは、いろんな人がいます。いい人ばかりとは限りません。けれども、大方の人は、わたしと同じ、普通の人。
アテネから半島の南端、スニオン岬まで案内してくれたタクシーの運転手は、ホテル業を30年勤めたベテラン。アテネを心から愛する人のようで、歴史や遺跡の由来を細かく教えてくれます。ギリシャの生活についても、現地の人の視点で教えてくれるし、いつの間にか、車の中で取材になりました。
その彼が言うのです。もううちの親には困ったものだと。僕の娘は、大きい方が16歳になるんだけど、ケータイが欲しいって、僕じゃなくて、僕の親に頼むんだよね。おじいちゃんとおばあちゃんの方も孫がかわいいもんだから、黙って言うことを聞いちゃうんだよ。僕はティーンエイジャーにケータイは教育上よくないと思ってるんだけどね。
昔、ギリシャでは、3世代が一緒に住むことが多かったようです。今となっては、とくにアテネの都会では、もうそんなことはありません。けれども、家族のつながりはとても大事にされていて、祖父母と孫は頻繁に触れ合うようです。
だから、子供を育てるのは親ばかりではなく、祖父母の方も立派に子育てに参加しているようなもの。必ずしも親と祖父母の意向は一致しないので、そういうときは、親の方に不満が残るようなのです。
この運転手さん、哲学者みたいな風貌とは裏腹に、とても面倒見がよかったです。昼食のとき、近くの海で獲れた魚の丸焼きが出てきたら、器用に骨を全部取ってくれたし、わたしがレストランのナプキンにメモを取っていると、不憫がって、自分がメモ用紙に再利用している紙を寄付してくれました。
わたしはティーンエイジャーなどではありませんが、なんとなく娘でも思い出したのでしょうか。
パリでは、こんな若者に出会いました。オペラ座の脇にある、シーフードで有名なレストラン。ホテルから紹介されたレストランで、何やら高級そう。オペラがはねたら、着飾った人たちがおいしいディナーを食べにやって来るところとか。
きれいなお姉さま方に仰々しく窓際のいい席に案内され、さっそく出てきたのは、きっちりと黒いスーツを着込んだお兄さん。
こちらも仰々しく挨拶をし、メニューを差し出します。
でも、仰々しかったのはここまで。こちらがカリフォルニアから来たとわかると、大きな笑みがこぼれます。
なんでも、昨年の11月、サンフランシスコからサンディエゴまで3週間かけて旅したそうで、いっぺんでカリフォルニアの大ファンになってしまったとか。しきりと、アメリカは大きくて自由でいい所だと言います。
そして、自分のガールフレンドはスペイン人なので、ラテン系の多いカリフォルニアかフロリダに移住したい、と夢を熱く語ってくれるのです。
住んでみると、いろいろと思うけれど、アメリカも捨てたもんじゃないのかな。
カリフォルニアに戻った直後、ちょっとしたハプニングがありました。早朝に2時間ほど停電してしまったのです。テレビもないし、パソコンも使えない。電力のない生活なんて考えられないし、久しぶりの停電に、これがずっと続いたらどうしようという不安が頭をもたげます。
しかたがないので、コーヒーでも飲もうかなと思ったら、豆を挽くグラインダーも使えない。そこで、昔使っていたアンティークな手動グラインダーを取り出し、コーヒーをいれてみました。気のせいか、こくがあるのです。
その日以来、手挽きの味を思い出したわたしは、ずっとこれを使っているのですね。ちょっとくらい不便だって、おいしいほうがいいから。
もしかしたら、ヨーロッパに行っていなかったら、すぐに電動グラインダーの生活に戻っていたかもしれません。手挽きなんて、時間の無駄だよって。
でも、どこかにこだわりを持つ生活も悪くはないかな、今はそう思っているのです。
いやはや、英語というものは意外と複雑なところがあるものでして、簡単な文章ほど、意味を理解するのが難しかったりするものです。
You made my day.
これは、直訳すると、「あなたがわたしの一日を作った」となるわけですが、そんな変なこと普通言いませんよね。じゃあ、いったい何でしょう?
ここでわからないのは、made my day。現在形は make my day となるわけですが、これは、「わたしがすごく気に入ることをしてくれる」という意味なんですね。
つまり、You made my day は、「あなたがいいことをしてくれたので、今日一日ほんとにいい気分よ」みたいな感じでしょうか。
相手に賛辞を贈るような、とってもいい意味なんですね。
ちょっといいことってありますよね。何も大袈裟なことでなくてもいいんです。
たとえば、ハンカチを落っことしたら、後ろの人がすぐに気が付いて拾ってくれた。大事にしていたハンカチだから、拾ってもらってとっても嬉しいわぁとか。
今日は新しいブラウスを着てみたんだけど、オフィスの人に「すごく似合うね」と言われた。ちょっと気にしていた人だったから、ウキウキしちゃったとか。
何か心が軽くなるようなことをしてもらったとき、相手に You really made my day! と言うんですね(この really は、強調ですので、あってもなくても大丈夫)。
相手もそう言われて、悪い気はしないはずですよ。
この表現が難しいのは、簡単な文章構成のわりに、make my day そのものの意味がわからないと、手も足も出ないということもあります。
けれども、もうひとつ理由があるのですね。この言い回しは、ある映画で有名になったのですが、その中では、ちょっと違った使い方をされているからなのです。
このフレーズは、映画界でも最も有名だと言ってもいいかもしれません。かの人気映画『スターウォーズ』に出てくる May the force be with you 「フォースのともにあらんことを」と並ぶくらいでしょうか。
Go ahead, make my day の方は、クリント・イーストウッド主演の 『Sudden Impact(邦題:ダーティハリー4)』 という刑事物の映画で、イーストウッド扮するハリー・キャラハン警部、通称ダーティハリーが、悪者に向かって放つ言葉なんですね。
「やれるもんなら、やってみろ!(やったら俺が承知しねえぜ)」みたいな意味でしょうか。(邦訳では「楽しませてくれ」とされているのでしょうか。)
この場合の make my day とは、「俺の気に入ることをやってみろ」と、皮肉で悪者にけしかけているわけですね。「やったら俺が頭をぶち抜いてやるから」と、言外ににおわせて。
まあ、生まれていない方もいらっしゃるでしょうが、この映画は、1983年に封切られた後かなり話題となって、Go ahead, make my day は、あっと言う間に流行語になってしまったんですね。
でも、日常生活で誰かが You made my day! と言ったら、それはあくまでも褒め言葉なんですよ。
あ~、自分は相手にいいことをしたんだぁと、その日一日いい気分を味わってくださいね!
追記:写真は、映画の人気にあやかって売り出された、パロディー商品です。ホテルの Do not disturb(入って来ないで)みたいな、ドアにかける目印なんです。「入れるもんなら、入ってみろ!」といった感じでしょうか。
ギリシャのご馳走
- 2006年06月03日
- フォトギャラリー
海外旅行をすると、いつも困るのが食事。
アメリカに何年いようが、油っこいものが苦手なわたしは、結構苦労するのです。だって、外国には、日本食レストランに行かない限り、冷奴もおひたしもないのですから。
けれども、ギリシャは別でした。素材を生かすシンプルな料理が、とっても口に合ったし、胃にも合いました。
そこで、並べてみました、おいしいギリシャ料理の数々を。
1〜3 まず、ギリシャで最初に食べたのは、アテネの下町・プラカ地区にある、カフェ風レストラン。呼び込みのおじさんに誘われたのですが、気取りのない、いい感じのレストランでした。
選んでみたのは、ほうれん草のパイ包み、田舎風サラダ、野菜のクリームスープに、ミートボール。カリカリしたミートボールが、素朴でおいしかった!そして、ギリシャ名物、豚の串焼きスヴラキ(Svoulaki)。
注文し過ぎと言いながら、結構たいらげてしまいました。長旅でお腹空いてたみたいです。
4〜6 スヴラキは、おしゃれな店に行くと、こうなります。豚だけではなく、魚介類もよく使われます。
7〜9 かの有名なギロス(Gyros)。これは、豚肉を串刺しにして、ゆっくりとバーベキューしたもの。ちょっと焦げ目のある外側からスライスしていきます。
それに、フェタ(Feta)チーズのグリルと、ピータと呼ばれるパン。そして、濃厚なギリシャコーヒー。ギリシャのフェタは、ヤギと羊のミルクを混ぜて作るんだとか。これが一番なんだそうです。
実は、わたしはここで恥をかきました。店の人に、「ジャイロスって何?フィータって何?」と質問してしまったのです。英語読みするとそんな感じですが、正しくは、ギロスとフェタです。でも、店の人も調子を合わせて、「ジャイロスってねぇ〜」って説明してくれました。優しい。
10〜12 ギリシャの定番は、やっぱりザジキ(Tzatziki)。田舎風サラダなんかと一緒に、前菜として注文します。
ザジキは、牛乳から作ったヨーグルトに、きゅうりやオリーブオイルなどを加えたもの(一番下に、レシピ掲載!)。パンにつけたり、肉料理につけたりします。
このスニオン岬のレストランでは、エーゲ海の近海で獲れた魚を丸焼きにしてもらいました。魚はキロ売りで、「これちょうだい」と厨房で指をさします。
そして、その晩、最後のアテネは、やっぱり日本食。ギリシャ人は、マグロよりも鮭がお好みだそうで、巻物もサーモンロール。ギリシャからは、日本にもたくさんお魚を輸出しているんだとか。
13〜15 ミコノス島の朝ごはんはおいしかった!卵は新鮮だし、なにやら中華風にも見える胡麻パンが香ばしい。葉っぱで包んだものは、野菜や穀類やハーブを蒸したものでした。
朝ごはんは、豪華な食べ放題だったのですが、朝っぱらから、シャンペンなんかも置いてありました。週末はギリシャ人客も多く、みなさん一杯かたむけていらっしゃいました。
晩ごはんには、前菜のムサカ(Mousaka)と海老のブロシェット。ムサカは、挽肉やナスなどを重ね焼きにした名物料理。ブロシェットには、ギリシャの地酒ウゾー(Ouzo)で香り付けしたソースが。
振り返ってみると、ミコノス島で泊まったホテルのレストランは、ギリシャで一番おいしかったです。とってもいいシェフがいたんでしょうね。
16〜18 サントリーニ島のお昼は、イカのカラマリ。サラダには、この島のフェタチーズ、ヤギのミルクで作ったコロロ(Corolo)。ちょっと塩味がきいています。塩漬けの葉っぱも、ちょっとしょっぱい感じ。
19〜21 アテネ空港の食べ物もなかなかのもの。スパイシーソーセージに、ギオット(Ghiotto)とラスティチェラ(Rustichella)。
ギオットは、フランスパンにモッツェレラチーズとトマト、ハムをはさんだもの。ラスティチェラは、ピータにオリーブ、トマト、とろけるチーズをはさんでグリルしたもの。ギリシャ風ピザ?
22〜24 今まさに、ホワイトアスパラガスが旬!ドイツの名産で、5月中旬から7月上旬までしか食べられません。ホランデーズソースをかけ、ハムを添えます。
今年は、雨が遅かったせいで、ホワイトアスパラが食べられるかどうか気を揉んでいたとか。出会ったドイツのお方は全員、「よかったね〜、この季節で」と言ってくれました。
勿論、アテネやパリで食べたアスパラよりも、ドイツの方がおいしかったわけですが、意外にもルフトハンザ航空のものが一番おいしかった!
25〜27 旅から戻って、我が家でもギリシャ料理に挑戦!アメリカのスーパーで買うトマトはおいしくないので、トマト抜き田舎風サラダ。でも、生のディル、ドライ・オレガノ、それにオリーブオイルとバルサミコがあれば、なんとかなるものです。
現地で教わった特製ザジキを公開します!以下の材料を混ぜ合わせるだけ(分量は適当にお好みで)。
・牛乳から作ったヨーグルト(水気がないほうが望ましい)
・すりつぶしたニンニク(ひとかけ、ふたかけ)
・細かくスライスしたキュウリ(水気を完全に切って)
・オリーブオイル(クレタ島名産のヴァージンオイルがあれば最高)
・酢(普通の酢。あまり種類にはこだわらないそうです)
・塩とホワイトペッパー(黒胡椒だと、見た目がよくない)
これに、水気を切ったニンジンのスライスを加えてもいいそうです。オリーブオイルは、普通は中に混ぜてありますが、上からかけるパターンもあるみたいです。
ディップとしても、グリルした肉に添えても結構なお味ですので、ぜひトライしてみてください!
補足:我が家では、自家製ヨーグルトを使いましたが、市販のものの方が、水分が少なく固めでうまくできるみたいです。
後日談:これを書いたときは知らなかったのですが、どうもヨーグルトを料理に使うときは、一晩、水分をろ過するのだそうです。ペーパータオルなどをろ過に使うと、固めのヨーグルトが簡単にできるとか。どうぞお試しあれ。