シリコンバレーに雪?
- 2006年02月27日
- フォトギャラリー
カリフォルニアといえば、まず頭に浮かぶのは、真っ青な空ではないでしょうか。たしかに、天気がいいと、「どこまでも抜けるような青空」という表現がぴったりの、ペンキを塗ったような濃い青の空が広がります。
けれども、このフォトギャラリーの第1話「雨季の散歩」でご紹介したとおり、北カリフォルニアは雨季と乾季にはっきりと分かれていて、当然のことながら、雨季は結構雨が降るのです。
例年、だいたい11月から5月くらいまでは雨季とされていて、周期的に雨をもたらす前線が北西の方からやってきます。初夏のようなカラリとした天気が何日も続いたあと、突然、1週間続く嵐がやってきたりします。
だから、この時期、サンフランシスコ・シリコンバレー界隈にいらっしゃる方は、雨が降っても、「私が雨女なんだわ」と思う必要はありませんよ。
さて、カリフォルニアには雪は降らないはずだと信じていらっしゃる方も多いかと思います。
たしかに、ネヴァダ州との境の山脈地帯(たとえばタホ湖のまわりのスキーリゾート)に行けば別ですが、大部分の地域では、普段雪を経験することはありません。サンフランシスコあたりに最後に雪が降ったのは、何十年前も昔のことです。
けれども、驚くなかれ、このシリコンバレーでも、雪が降る場所があるのです。現に、2月17日、3センチほど雪が積もりました。ハミルトン山(Mount Hamilton)というところです。
この山は、サンノゼ市の東に連なるディアブロ山脈の一部で、標高1280メートルです。寒気団がやってくると、このくらいの高さだと雪に変わってしまうのですね。ひとたび雪になると、シリコンバレーの街中からも、雪を頂く山脈が遠くに望めます。
この山は、雪が積もると、どこからともなく子供たちが集まって来て、雪だるまを作る場所となっています。だから、身近な雪を楽しむ大切な所なのです。
それと同時に、大事な科学の場でもあるのです。
実は、この山のてっぺんにはリック天文台(Lick Observatory)というのがあって、天体観測の最前線ともなっているのです。
カリフォルニア大学サンタクルーズ校に本拠を構える団体が運営していて、州立カリフォルニア大学(University of California)の系列校の天文学者が誰でも利用できるようになっているのです。
カリフォルニア大学は、バークレー校も、サンタクルーズ校も、天文物理学では結構有名なのですよ(3枚目の写真で、山頂に白い建物のようなものが見えますが、これが天文台です)。
10年ほど前、一度リック天文台に行ってみたことがあります。サンノゼ市からは、くねくねする道をひたすら走り、まだかまだかと心配になった頃に、ようやくたどり着きました。
その時は、これだけ街から離れないと、いい夜空は見られないものだなあと実感したのでした。でも、実は、その裏側には、サンノゼ市の努力があったのですね。
1970年代、街の拡大にともない「光害」がひどくなり、一時は、天文台の移転計画すらあったそうです。
それに対し、市側は、街の光が天文台の邪魔にならないように、街じゅうの街灯を、光度の低いものに変更してあげたそうです。
だから、いまだに、ハミルトン山に天文台があるのですね。
まずは、ちょっとしたお話です。
以前、アメリカでは、電話を使った商法(テレマーケティング)が盛んに行われていて、本当に迷惑なものでした。夕食時にじゃんじゃんかかってくるのです。
業を煮やした連邦議会が、妙案 Do-not-call list(「私に電話しないでちょうだい」という人のリスト)を思いつき、それ以来、迷惑な押し売り電話は姿を消し去り、平和な毎日がやってきました。
ところが、このリストには例外があって、加入している電話会社やケーブルテレビ会社、そして、慈善団体や政治団体は、勝手に電話をしてもいいようになっているのです。
そんなこんなで、我が家は Do-not-call リストに入ってはいるものの、電話がかかってもすぐには出ません。友達が留守番メッセージを残し始めると、ようやく受話器を取るのです。
実は、そうしているアメリカ人は結構多いのですね。
(ちなみに、「電話に出る」は、answer the phone と言います。電話や玄関の呼び鈴が鳴ると、I’ll get it「私が出るわ」とも言ったりします。こちらが電話していて、相手が居留守を使っているなとわかっている場合は、留守録中に、Pick up the phone!「電話に出てよ!」と訴えます。)
いつもはすぐに出ない電話なのに、ある日、間違って受話器を取ってしまったことがありました。
相手は、カリフォルニアの警察官協会と名乗ります。非行に走りそうな子供たちに手を差し伸べたり、車のシートベルトをきちんと締めるように一般市民に促したりと、いろんな有益な活動をしているので、ぜひ金銭的援助をしてほしいと言うのです。
本当に警察官の組織なのか電話ではわかりませんし、第一どうやって我が家の電話番号を手に入れたのか、ちょっと不信感も湧きます。
聞いてみると、どうやら本物の組織ではあるようですが、番号の方はコンピュータで無作為に発生させ、片っ端からかけているようです。
そして、我が家の苗字から検索したあちらの住所のデータは、まったく別人のものでした(同姓の日系人の住所なのかもしれません)。
それでも、まあ、世のため人のためと、若干の寄付をすることにいたしました。
けれども、お金の徴収係が代わって出てきた途端、状況は一転します。
請求書を待って小切手を書くとこちらが言っているのに、「クレジットカードじゃなきゃ困るんだ。郵送となると、2、3日かかるからねぇ。いますぐ払ってくれた方が助かるんだよ」などと言うのです。
この失敬な応答に、こんな言葉が、自然と口をついて出てきました。I’m not comfortable doing this.
(「私は心地よく感じていない」という意味ですね。最後の doing this は、寄付をするという一連の行為を指します。だから、「こんなことするのイヤよ」みたいな意味なのです。)
それでも、なおかつ、あちらは「わかった、わかった。だったら請求書を郵送してあげるから」などと言っているので、こちらは完全にへそを曲げ、こうまくしたてました。
I don’t like this condescending way of doing things. You don’t even have my correct address, and you are just calling up computer-generated numbers. I’m not comfortable doing this at all. So I’m hanging up.
(「こんな恩着せがましいやり方ってイヤなんです。あなたたちは私のちゃんとした住所だって持ってないし、ただコンピュータで発生させた番号にかけてるだけなんでしょ。いい気持ちしないから、もう電話切っちゃいます」。最初の文章の condescending という形容詞は、なんとなく偉ぶった、相手を小バカにしたような、恩着せがましいようなことを指します。)
結局、あちらは根負けして、OK, OK, you have a nice day「わかったよ、じゃあよい一日を」みたいなことを言っていました。が、わたしは、最後まで聞かずに電話を切ってしまいました。
(電話の場合、しつこい相手に対し、「もう電話切りますよ」と宣言するのはいい手ですね。I’m really busy right now, so I’m hanging up「今すごく忙しいから、電話切っちゃいますよ」とか、I can’t talk right now, so I have to hang up「今話せないから、電話切らなくちゃいけないの」とでも言えばいいですね。)
断っておきたいのですが、いつもは人に対してこんな失礼な対応はいたしません。けれども、もし嫌なことをさせられそうな場面に遭遇したら、「嫌なものはイヤ!」と、はっきり意思表示する強さも必要ですね。
I’m not comfortable と言われれば、たいていのアメリカ人は、無理強いはしません。けれども、例外に遭遇したときは、毅然とした態度でノーと言うことも大切なのです。
追記:冒頭に出てきた、アメリカの Do-not-call list ですが、この制度に興味のある方は、こちらへどうぞ。
最初の「憎まれっ子、テレマーケター」というお話で、2003年10月に始まった Do-not-call リストの新制度をご説明しております。文中にある裁判沙汰は、今は一応おさまっているようなのですが・・・。
現在開催中の冬季オリンピック。実は、アメリカでは、開催場所がそう単純ではないのです。
イタリア語では Torino(トリーノ)、日本語では トリノ。でも、なぜか英語では Turin(トゥリン)というからです。
どうしたわけか、英語では外国の地名を勝手に変更して呼ぶ場合が多く、イタリアのような英語圏外の地名は、混乱を招く結果となるのです。
今までトリノをトゥリンと呼んでいたにもかかわらず、今回のオリンピックでは、放映権を持つNBCが、Torino Olympics(トリノオリンピック)などと言い始めたからさあ大変!
トリノってどこだぁ?とみんな首をかしげます。
そこで、ニュース番組は、懇切丁寧にこう解説します。英語とイタリア語には呼び方の違いがあって、Torino(トリノ)は Turin(トゥリン)のことだよ。そして、Milano(ミラノ)は Milan(ミラン)のことで、Venezia(ヴェネツィア)は Venice(ヴェニース)のことなんだよと。
この他に、イタリアの地名でまぎらわしい所では、Firenze(フィレンツェ)の英語読み Florence(フローレンス)、Roma(ローマ)の Rome(ロウム)、Napoli(ナポリ)の Naples(ネイプルス)があります。
せっかくテレビでは、「トリーノ」と一貫して呼んでいるのに、なぜか新聞では、あくまでも「トゥリン」を貫きます。う~ん、アメリカ人が余計に混乱するのに・・・。
ちなみに、トリノは、キリストのものと伝えられる聖骸布(せいがいふ)“the Shroud of Turin” で有名な所ですね。だから、地理のあまり得意でないアメリカ人も、トゥリンという名は結構よく知っているのです(この聖骸布は、トリノの洗礼者聖ヨハネ大聖堂、通称ドゥオモに保存されているそうです)。
まあ、英語に限らず、外国語の言葉をへんてこりんに母国語に変換することはよくあることですね。
たとえば、日本語の「(車の)ハンドル」やら「バックミラー」なんて、もとは英語かなと思いますが、実は、英語ではないのですね(少なくとも、米語ではありませんよ)。
米語では、車のハンドルは steering wheel、バックミラーは rearview mirror と言います。
名詞 handle(ハンドル)とは、引き出しの取っ手のことですね。丸型の取っ手は、knob(ノブ)と言います。
動詞の handle は、何かを扱うとか、問題解決するという意味ですね。
チャットやブログの「ハンドルネーム」というのは、きっと名詞 handle の「肩書き、名前」の意味から来ているのでしょう。
この前、日本からアメリカに帰る飛行機で、機内誌を読んでいました。その中に、英語のネイティヴスピーカーによる日本語解説が載っていて、思わず笑ってしまったものがありました。
日本という国は、なんでも短縮するのがお好きならしい。たとえば、presentation(プレゼンテーション)は presen(プレゼン)、inflation(インフレーション)や deflation(ディフレーション)は、infre(インフレ)defre(デフレ)と言う。
同じく、percent(パーセント)は per(パー)。これは、日本語の発音では paa と言うのだが、実はこの言葉には、empty-headed(おバカさん)の意味もあるのだ。
これには思わず吹き出してしまったので、キャビンアテンダントのお姉さんが、用事かなと思ってわざわざ振り返ってくれました。ごめんなさい。(ANAの機内誌「翼の王国 Wingspan」2006年1月号に掲載されたお話でした。)
「オリンピック」の続報
- 2006年02月20日
- エッセイ
前回のエッセイでは、トリノオリンピックのスピードスケート種目・男子500メートルで、金メダルを獲得したジョウイー・チーク選手のお話をしました。金メダル賞金2万5千ドルを全額、アフリカの国スーダンのために寄付したというお話です。
それに触発されたのかはわかりませんが、先日、アメリカのブッシュ大統領は、スーダン・ダーフール地域の事態を放っておくわけにはいかないので、国際社会が何とかしなければと発言しました。
前回お話しましたように、スーダンでは、実権を握るアラブ・イスラム教系政府とキリスト教や民間信仰を受け継ぐアフリカ系住民が、長い間紛争を続けてきました。
2年前に停戦が宣言されたにもかかわらず、西のダーフール地域では、アラブ系民兵による住民の殺戮(さつりく)が続き、逃げまどう難民が2百万人にも膨れ上がっています。ダーフールへは、アフリカ諸国が軍隊を派遣していますが、これではどうにもならないのです。
こういう現状に対し、ブッシュ大統領は、国際社会が軍事力を持って介入すべきなので、それにはNATO軍を派遣するのが一番いいだろうと述べたのです(NATO 北大西洋条約機構は、アメリカとヨーロッパ諸国の軍事同盟のことです)。
NATO軍は、アフリカのような同盟外の地域でも紛争を収める役割も持っていますので、現地でリーダーシップを取って、アフリカ連合軍を助けるのがいいでしょうという案なのです。国連軍の派遣には、まだまだ時間がかかるようでもありますし。
まあ、ブッシュ大統領がこう発言したからって、すぐに多くの兵隊さんが現地に向かうわけではありません。同盟諸国の賛同が必要だからです。
けれども、今まで、のらりくらりと難民援助や紛争の鎮静化を先延ばしにしていたブッシュ政権としては、大いなる前進であるわけですね。
このブッシュ大統領、ご存じの通り、お父さんが元大統領というテキサスの名門に育ったせいで、どうも一般庶民の痛みを知る感受性に欠けるところがあるようです。
昨年8月、ルイジアナ州ニューオーリンズを襲った超大型ハリケーン・カトリーナの時も、被害の甚大さに気付くのが遅れ、その対応の悪さに、アメリカ中の批判を浴びたのでした。
なんでも、初めのうちは、「どうぜたいしたことないから」と、まったく救援活動に関心を示さず、側近がニュース番組の報道をDVDにまとめて見せたら、あ~そうか、じゃあ、助けに行かなきゃということになったそうです。この間丸4日、ニューオーリンズの人々は、食べ物にも飲み物にも困っていたわけですね。
災害5日目、ようやく現地に出向いたブッシュ大統領は、黒人のティーンエイジャーの肩を抱き、僕が来たからもう大丈夫と、にこにこと報道陣のカメラの前に立ちます。彼にとっては、災害も自己PRの道具なのですね。
イギリスのBBC放送のリポーターは、「彼は、こういうのがうまいのです(He’s good at this)」と、本国にリポートしています。
きっとブッシュ大統領は、チーク選手の寄付の報道を耳にしたに違いありません。そして、これは自己PRに使えるわいと思い付いたのかもしれません。もしかしたら、本人ではなく、側近がそう助言したのかもしれません。
けれども、動機がどうであれ、アメリカの大統領の世界での発言力は、非常に大きいことは確かです。
そして、スケートのチーク選手はというと、スピードスケート500メートルに続き、1000メートルで獲得した銀メダル賞金1万5千ドルも、全額寄付することにしたのです。これに触発され、たくさんの企業が寄付を申し出て、今まで30万ドル(約3千5百万円)が集まりました。
大統領をも動かしたであろうチーク選手。彼の行いが無駄にならないように、今後のスーダンでの展開を期待しましょう。
一方、復興が待ち望まれるニューオーリンズ。復興活動は遅々としていますが、街では一番大事なお祭りの復活です。
2月18日、翌週のファットチュースデイ( Fat Tuesday )に向け、観光地フレンチクォーターでは、「マーディグラ( Mardi Gras )」のカーニヴァルが始まったのです。(このマーディグラとは、40日間続くキリスト教の受難節 Lent の前に、みんなで歌や踊りやパレードで楽しもうというお祭りです。)
まだまだ訪れる観光客は少なく、パレードは小規模で、今までの活気は見られませんが、市民たちは、久方ぶりの朗報に胸をなでおろします。
このニューオーリンズのカーニヴァルでは、骸骨の姿が街角に登場し、家々の前で踊ったりするのですが、これには、こういった意味があるそうです。
You’re next. Enjoy while you can.次は君だよ。だから、生きてるうちに楽しまなくっちゃ。
蛇足とはなりますが、大好きなニューオーリンズについて4年前に書いたことがあります。途中でちょっと真面目な歴史のお話になったりしておりますが、興味のある方は、こちらへどうぞ。
オリンピック
- 2006年02月17日
- エッセイ
2年前の夏、アテネオリンピックが開催されたとき、こんなことを書いたことがありました。「“どの言語で夢を見るか”が母国語の指標とも言われますが、“オリンピックでどの国を応援するか”が母国の証なのかもしれません。連日、日本選手のメダルの数を律儀に数えているわたしは、どこに住んでいても日本人です」と。
今、トリノで冬季オリンピックが開かれているわけですが、なかなか日本人選手がメダルを獲得してくれないのが、残念至極です。おまけに、アメリカに住んでいると、メダル圏外の外国人選手の活躍を観ることができないので、なんとなく日本が遠のいてしまっています。
それが高じて、ショートトラックの男子5千メートルリレー予選なんかは、日本とアメリカが一緒に出ているのに、アメリカの方に注目している自分に気付いてしまいました。前回のソルトレークオリンピックで一世を風靡したショートトラックのスター、アポロ・アントン・オーノ選手が出ていたからです。まあ、彼にしても、お父さんは日本人なんですけどね(写真は、ソルトレークオリンピック会場ともなったスキーリゾート、ユタ州パークシティーです)。
スピードスケートでは、男子500メートルの加藤条治選手に、日本中の期待がかかっていましたね。惜しくもメダル獲得は実現しませんでしたが、この種目で優勝したアメリカのジョウイー・チーク選手は、ちょっとした話題になっています。
勿論、金メダルを取ったという名誉もあるのですが、メダル獲得後の行為が注目を集めました。16歳でノースキャロライナ州の家を出て、カナダ・カルガリーでトレーニングを積んできたチーク選手は、自分は最も豊かな国から参加しているからと、金メダル賞金の2万5千ドルを全額寄付したのです。
チーク選手が賞金を寄付したのは、Right to Playという組織で、スポーツの世界から、各国の恵まれない子供たちを援助していこうという慈善団体です。チーク選手が14歳の頃からお手本としていたノルウェーのスピードスケーター、ヨハン・オラヴ・コス選手が、1992年のリレハンメルオリンピックで名声を博した後、設立した団体だそうです。
チーク選手曰く、「昨日選手を辞めていたとしても、今までやってきたスケートと、オリンピックに出られたというだけで、世界のすべてのものをもらった気分。そんな僕が金メダルを取れたこと自体、信じられないようなことなんだ。そして、僕がありがとうと言える最善の方法は、誰か他の人を助けることだと思うんだ」。
このチーク選手が、特に寄付を希望したのは、アフリカのスーダンです。もともとこの国では、過去20年ほど、政治を牛耳るアラブ系と地元のアフリカ系住民のいざこざが絶えませんでした。
しかし、2003年3月、西部の山岳地帯・ダーフール地域で起こったアフリカ系農民の反乱をきっかけに、弾圧に乗り出したアラブ系民兵(ジャンジャウィード)によるアフリカ系住民の大量虐殺が続いており、今も非常に不安定な状態となっているのです。
「民族浄化(ethnic cleansing)」の名のもと、少なくとも20万人が殺され、2百万人が難民生活を強いられているといわれます。難民キャンプでは、病気と飢えが蔓延します。
もう3年もこういう状態が続いているのに、難民保護のための各国の派兵や、援助体制は充分に整っていません。アメリカは派兵を拒否していますし、ブッシュ政権がアナン国連事務総長に約束した援助組織の派遣にしても、実現はいつになるかわかりません。
それを見兼ねたチーク選手が、少しでもダーフール地域の難民のお役に立てばと、賞金の寄付を申し出たのです。(ユネスコや国境なき医師団も、現地で救援活動を続けています。)
トリノオリンピック後は、スピードスケートを引退し、大学で経済学を勉強しようというチーク選手。こんなことも言っています。「この(金メダルの)ために生涯トレーニングを続けてきたようなものだけど、(メダルは)そんなにたいしたことじゃないよ。でも、僕がうまく滑って、2秒ほどマイクを握ることができたから、少しは世の意識を高めて、お金を調達する役に立って、僕が歩んできた道を何人かの子供たちに歩ませることができるんだよね」と。
金メダルを取っても、あくまでも自分を貫くチーク選手なのでした。
まあ、メダル、メダルって言うけれど、どの国の選手が勝っても喜ばしいことだし、メダルを逃したとしても、参加するだけで立派なものなのです。
そして、選手はみな美しい。カーリングの選手なんて、氷上の妖精・フィギュアスケーターに負けないくらい、きりりと美しく見えるではありませんか。だからみんな、オリンピックに釘付けになるのでしょうね。
今日2月14日は、ヴァレンタインデー(St. Valentine’s Day)ですね。
日本では、「義理チョコ(感謝チョコ)」やら「本命チョコ」が飛び交う日ですが、アメリカでは、ちょっと様相が異なります。女性から男性にチョコレートをあげるのではなく、男性が女性に愛を告白する日なのですね。
まあ、アメリカでは、何かにつけ女性が贈り物を欲しがるきらいがありまして、ヴァレンタインデーも、例外ではありません。男性陣は、花を贈ったり、ダイヤモンドのアクセサリーをプレゼントしたりと、女性サービスに余念がありません。
贈る相手は、つきあい始めたばかりの彼女でも、長年続く恋人でも、何年も連れ添った相手でも、誰でもいいわけですね。
贈る花は、茎の長い立派なバラ(long-stem roses)が一般的ですが、最近は、それにクマのぬいぐるみやクッキーを添えたり、シャンペンやチョコレートを添えたりと、いろいろ凝ってきています。
オンラインショップの花屋としては最大手の1800flowers.comでは、例年この時期、4百万本ものバラを届けるそうですよ!
花屋さんには頼らず、レストランに誘って、その場で花束やダイヤモンドをご披露というのも、とっても効果的ですね。
そこで、そんなヴァレンタインデーにちなみまして。
「甘い」というのは、英語で sweet ですが、「甘いハート」つまり sweetheart(スウィートハート)というと、恋人や配偶者のような好きな相手を指すのですね。
相手に呼びかけるときに、“Sweetheart” とか、“Sweetie”(スウィーティー) と言うときもあります。こういう呼びかけの場合は、一般的に語尾は優しく上がりますね。
両方とも、どちらかというと、女性が使う場合が多いのですが、男性が猫なで声で使うときもあります。
それから、お母さんが子供に向かって、sweetie と呼びかけることもあります。こちらだと「いとしい、かわいい子」みたいな感じでしょうか。
一方、sweet には、「優しくて思いやりのある」という意味もあります。だから、使う相手は恋愛感情とは関係のない場合もあります。
たとえば、何か親切なことをしてもらったり、思いがけずに素敵なものをいただいたりしたとき、
You’re so sweet!(あなたって、なんて優しいの)と言います。
似たような表現に、You’re such an angel!(あなたって、ほんとに天使みたいな人ね)というのもあります。
甘い sweet と同じく、天使の angel も、優しい人の代名詞なのですね。ふたつとも、どちらかというと女性が多く使う表現でしょうか。
Sweetheart や sweetie の他に、夫婦間とか恋人同士の呼びかけには、「いとしい」という意味の “Dear”(ディア)や、蜂蜜転じて “Honey”(ハニー)を使うときもあります。
いずれの表現方法にしても、とっても甘い雰囲気が漂っていますよね。そういう点では、日本の「おい!」なんかとは大違いです(まあ、「おい!」にしても、ぶっきらぼうな愛情表現の一種かもしれませんが)。
Honey という呼びかけには、おもしろい熟語があります。Honey-do-list(ハニードゥーリスト)というものです。
直訳すると「いとしい人が行うリスト」となりますが、これは、なんと、奥さんがダンナさんにやってほしいお仕事のリストなのです。
たとえば、庭の芝を刈ってよとか、棚を作ってよとか、ペンキ塗ってよとか、週末にまとめてやってほしいことをどっさりと一覧表にしたものなのです。
いつか同僚が、「 Honey-do-list 渡されちゃったよぉ」などと言っているので、それは何なの?と聞いてみると、「なぁんだ Honey-do-list も知らないの?」と、逆に聞き返されたくらい有名なのです。
それ以来、この言葉を聞くと、ひげがだいぶ白くなった彼の顔を思い起こすのです。
さて、ヴァレンタインデーに向けて、アメリカの男性陣は、何を贈ろうかとか、どこにディナーに連れて行こうかと大いに頭を悩ませるわけです。
けれども、おもしろいことに、世の大会社の重役などは、そんなことは秘書任せ(!)というのも当たり前なのですね。
秘書の方が、ちゃんと奥方の好みや行きつけのレストランなどを把握していて、重役が頼む前に、しゃかしゃかと手配したりするのです。
こうなってくると、豪華なバラの花束も、おいしいディナーも、日本の「義理チョコ」のようなものでしょうか。
日本人らしさ
- 2006年02月10日
- エッセイ
もうひと月ほどたちますが、昨年の年末から年初まで、3週間ほど日本に里帰りしていました。久方ぶりの日本のお正月に、ゆっくりと羽根を伸ばして帰って来たのでした。
この日本旅行については、いろんな出会いに焦点を当て、別の場所で書いているのですが、ここではひとつ、心に鮮明に残ったことを綴ってみようと思います。
日本に着いて、成田空港から東京駅に向かう道すがら、なんとなくのど飴が欲しくなりました。サンフランシスコからの飛行機の長旅で、喉の調子がおかしくなったのかもしれません。それとも、電車内の空気が新鮮でなかったせいかもしれません。
そこに、ちょうど車内販売のお姉さんが通りかかったので、のど飴を所望すると、申し訳ないですが、ここでは売っていませんと答えます。けれども、自分の持ちあわせのものがあるから、お好みに合うかどうかわかりませんが、おひとつ差し上げましょうかと付け加えます。
そこで、遠慮なくいただきますと答えると、彼女は「おひとつ」と言いながら、ふた粒手渡してくれます。「おひとつ」と言いながらひとつだけ差し出すのは、きっと失礼になるに違いないと、世の常識を再認識したわけですが、それにも増して、まだまだ世の中には親切な人がいるものだと感心しきり。その後、もう一度通りかかった彼女に、助かりましたとお礼を述べると、「いいえ、どういたしまして」と、にこやかに返します。
思うに、日本には、親切が体中に詰まっている人がたくさんいるのではないでしょうか。ところが、大抵の人は「はにかみ屋さん」なので、知らない人には気軽に声を掛けられないのかもしれません。だから、声を掛けたいのに、結局掛けずに終わってしまうのかもしれません。
お互いひとことふたこと言葉を交わし、意思疎通をしてみると、互いが相手のことをおもんばかっていることがよくわかるだろうにと、ちょっと残念な気もします。なんだ、あの人は、自分のことを思っていてくれていたんだと認識できるだろうに。
外に出てみると、日本人ほど親切な国民も珍しいと、誰もが痛感すると思うのです。日本を訪ねたアメリカ人も、皆がそう口にします。言葉は通じなくとも、親切なことはわかるらしいのです。
きっと、海外から日本に戻ってほっとするのは、祖国ということもあるけれど、こんな国民性もあるからなのだろうな、そう思っているのです。
追記:このときの風変わりな旅行記は、毎月連載中の Silicon Valley NOW というコーナーに掲載されています。興味のある方は、こちらへどうぞ。3つ目のお話「出会い:東欧編」から先が、ちょっと変てこな旅行記となっております。
アメリカの有名人
- 2006年02月10日
- フォトギャラリー
エッセイのセクションでご紹介した「マーヴェリックス」のサーフコンテストが開かれたこの週、丘の上では、ゴルフの祭典が開かれています。
プロとアマチュアがペアを組んで参加する、ペブル・ビーチ全米プロアマ(AT&T Pebble Beach National Pro-Am)という大会です。各界の有名人が数多く参加するので、ゴルフをしない人にも広く知られるゴルフの祭典なのです。
このペブル・ビーチ(Pebble Beach)という名は、西海岸を旅された方ならどなたもご存じと思いますが、シリコンバレーから1時間ほど南に下った、太平洋岸の美しい観光名所です。
漁港で栄えたモントレーと、アーティストの街カーメルとの間に、17マイル・ドライブという有料観光道路がありますが、この道沿いにいくつか風光明媚なゴルフコースがあって、そこで毎年開かれるのが、このゴルフ大会です。
今でこそ、電話会社のAT&Tなどという冠が付いていますが、もともとは、アメリカのポピュラーソングの神様ビング・クロスビーが、プロとアマを集めて始めた催しなのです。プロアマゴルフの元祖ですね。
現在は、ペブル・ビーチ・ゴルフリンクス(Pebble Beach Golf Links)、スパイグラス・ヒル・ゴルフコース(Spyglass Hill Golf Course)、そして、ポピー・ヒルズ・ゴルフコース(Poppy Hills Golf Course)という3つのゴルフコースが会場となり、木曜から土曜までは各々のコースを廻り、日曜日にペブル・ビーチで決勝が開かれます。
近くには、スパニッシュ・ベイ(The Links at Spanish Bay)、モントレー・ペニンスラ(Monterey Peninsula Country Club)、サイプレス・ポイント(Cypress Point Club)といった、美しくもタフなゴルフコースもあります(後者2つは由緒あるプライベートコースで、2010年以降はポピー・ヒルズに代わり、モントレー・ペニンスラの海岸コースが全米プロアマの会場となっています)。
大会初日を控えた2月8日の水曜日、プロの練習ラウンドとともに、有名人のお遊びラウンドがありました。これに勝てば、お気に入りのチャリティー団体に、賞金を献金できるのです。毎年、有名な俳優やミュージシャンが参加し、多くのギャラリーを引き連れ、大会を盛り上げます。
今まで一度も見学に行ったことはありませんでしたが、どこからともなくチケットが廻ってきたので、有名人を見てみようじゃないかと出掛けてみました。会場となっているペブル・ビーチではゴルフをやったことがないので、コースを一度見てみたい気持ちもありました。
当日、有名人のイベントは朝11時のスタートなのに、なかなか車を止められる場所がなくて、四苦八苦。あちらこちらをさまよった結果、だいぶ離れた17マイル・ドライブの海沿いに止め、大型バスで会場のペブル・ビーチに連れて行かれます。
ようやくたどり着くと、もう30分も遅れているのに、有名人たちは、まだ第1ホールのグリーン上。なあんだ、あせる必要はなかったんだと安心したものの、このギャラリーの多さには閉口です。とてもプレーなんか見えません。普段はゴルフとは縁のない人たちも集まるのです。
「俺は鳥インフルエンザを持ってるんだぞと言えば、みんなどいてくれるかな」と、隣のおじさんが言っています。
そこで、第1ホールを終えると、2番、3番はすっ飛ばし、お次の17番ホールのスタンドで待機することにしました。お天気もいいし、ゆっくり座って待つことができます。
2月にしては珍しく、ぽかぽか暖かいゴルフ日和なのです。向こうの波間で、ラッコがケルプにくるまって日向ぼっこなんかしています。
何組かプロが通過したあと、ようやくセレブの登場です。例年一番人気の映画俳優、ビル・マーレイが、帽子を取ってスタンドに挨拶します(映画「ロスト・イン・トランスレーション」でお馴染みです)。
彼に続き、映画俳優のサミュエル・L・ジャクソン(「スターウォーズ」のジェダイ役)、ポップグループ’N Syncのジャスティン・ティンバーレイク、ミュージシャンのケニーG、歌手のマイケル・ボルトンとヒューイ・ルイス、俳優・コメディアンのジョージ・ロペスとレイ・ロマノの登場です(最後のふたりは、30分コメディー番組で人気です)。
腕に自信のある人たちが出てくるので、みんななかなかうまいです。でも、17番ホールの小さくて起伏のあるグリーンは、かなり難しそうでした。
お次の18番は、まっすぐに長いパー5。クラブハウスに戻る花道です。フェアウェイの真ん中をキープしていたビル・マーレイは、ここでもファンサービス。
ギャラリーに寄って来ては、サインをしてあげています。すぐそばに来ていたのに、ペンを持っていなかったので、サインはもらえませんでした。こういうイベントに行くときは、必ずペンを持って行きましょう!
ジョージ・ロペスも負けていません。このコースは、ホール沿いにきれいな家がたくさんあるのですが、屋根に登って見学している白人男性たちに向かって、スペイン語で茶々を入れます。
きっと「屋根に登って仕事するのは、僕みたいなラテン系の人間だけだよ」みたいなことを言っていたのかもしれません。すかさず、同行のアナウンサーが、「ジョージ、ここは君のご近所じゃないんだよ」などと、きわどく返します。
この日は、あたりにセレブや有名プロがうようよしているので、結構おもしろい一日でした。みんな画面で見るのと同じ顔をしてますね。
そして、’N Syncのジャスティン・ティンバーレイクは、有名人イベントが終わってからも、ひとりでコースに向かっていました。彼はハンディキャップ6の腕前ですが、1番ホール・グリーン右横の深いバンカーからは、一発では出せなかったですね。
やっぱり、ペブル・ビーチあたりのゴルフコースは、どこもタフなのです。
マーヴェリックス
- 2006年02月07日
- エッセイ
今日2月7日は、マーヴェリックス(Mavericks)が開かれています。サーフィンをなさる方ならご存じでしょうが、世界的に有名なサーフコンテストです。
毎年、マーヴェリックスは、波の状態によって急遽開催日が決定されるので、地球のあちらこちらにいるサーファーを24時間以内に呼びつけ、翌日の朝8時から開催、という過酷なコンテストなのです。知らせを受けると、オーストラリアやブラジルからも、飛行機で駆けつけて来るのです。
この大会が行われるのは、サンフランシスコとシリコンバレーのほぼ中間の太平洋岸、ピラー・ポイント(Pillar Point)という場所です。サンフランシスコ空港近くのサンマテオという街から西方面に92号線で山を越え、これが太平洋沿岸の1号線に当たって、ちょっと北上したところにあります。
一年のうちにこの時期だけ、巨大な波が、ピラー・ポイント800メートル沖の岩礁に現れるのです。
「え〜っ、北カリフォルニアでサーフコンテスト?」などと思われる方もいらっしゃるでしょうが、サーフィンができるのは、何もハワイばかりではありません。
北カリフォルニアにだって、シリコンバレーから南西の海沿いに、サンタクルーズ(Santa Cruz)という名だたるサーフシティーもあります。そして、サンフランシスコ市内でも、冬の間、オーシャン・ビーチ(Ocean Beach)の波は、数メートルの高さにもなるのです。
一方、本家本元、マーヴェリックスの波は、この時期、十数メートルに上ります。その落差たるや、5階建ての屋上から地面に降りてくるようなものだそうです。ボードが折れたり、海底の岩場で血だらけになったりというのも、珍しくないのです。
勿論、素人さんは、近づくことも許されません。ゆえに、サーフ界のスーパーボウルとも呼ばれているそうです。
そして、この太平洋沿岸は、ホワイトシャークの生息地としても知られていて、コンテストの間中、サメの脅威とも闘わなければなりません。
波があまりに高いのと、サメが生息しているので、コンテストに参加する24人の選手たちは、ジェットスキーで沖まで引かれて行きます。別名、「太平洋の墓場(Graveyard of the Pacific)」と呼ばれているのだとか。
サーフィンなど一度も体験したことはありませんが、今日はなんだか朝からそわそわしています。本当は、現地まで見に行きたかったのですが、そうもいかないので、代わりに、テレビ局KTVUのウェブサイトで、ウェブキャスティング放映を観たりしていました。
そして思ったのですが、今年はよく晴れ渡り、あまり寒くもなさそうだったで、やっぱり行ってみたかったなと。
北カリフォルニアは寒流の影響で、海沿いは夏でも気温が上がらないのですが、今日は波があるわりに暖かそうで、最高のコンテスト日和でした。
昨日、マーヴェリックスの開催を教えてくれたサーファーの知り合いも、「僕も行きたいけど、仕事が優先だからなぁ」と、ため息をついていました。
マーヴェリックス・サーフコンテストの主催者であり、自身も有名なサーファーであるジェフ・クラーク氏によると、彼がこの辺りでサーフィンを始めた1970年代には、巨大な波「マーヴェリックス」の名は、地元の人以外には知られていなかったそうです。
その頃高校生だった彼は、波が強そうな日は学校をさぼり、海岸に車を止め、丘に登り、そこから巨大な波が岩場に叩きつけられるのを眺めては、いつしか自分もここでやってみるぞと夢見ていたのです。
1975年、17歳で初めてマーヴェリックスに挑戦したクラーク氏ですが、同行した友人は、「僕はここで見てるよ。何かあったら助けを呼ぶからさ」と、尻込みしたとか。
その後、何年もひとりでマーヴェリックスに立ち向かっていたわけですが、その頃の一番の問題点は、いいサーフボードがなかったことだそうです。カリフォルニアに、まさか6メートルを超える波があるとは誰も思っていなかったので、万全な準備ができていなかったのですね。
1990年代に入り、クラーク氏が雑誌の記事に載り、マーヴェリックスの波を語った頃から、マーヴェリックス伝説は、一気に世界中に広まることとなりました。次々と写真やビデオで紹介されるようになり、ようやくカリフォルニアに存在する巨大な波が作り話でないことが証明されたのです。
そして、1999年2月、クラーク氏が主催者となって、記念すべき初めてのサーフコンテストが、この地で開かれることとなりました。
勿論、このコンテストは、自然の真っただ中で行われるわけですから、人間の思うように事はスムーズには運びません。
毎年、1月から3月までという幅広い開催期間があてがわれてはいますが、その間に巨大な波が来ないと、コンテストは開かれません。
たとえば、2004年2月の大会は、3年間の長い空白の後に開かれています。
そして、波が人間に牙を向けることもあります。1994年12月、ハワイから遠征していた伝説的サーファー、マーク・フー氏が、溺れて亡くなるという悲しいできごともありました。
その後すぐに、事故の再発を防ぐため、マーヴェリックス水上パトロールが結成されたそうです。
毎年、大会に参加する選手たちは、まず、水面で円陣を組み、手を握り合って黙祷します。海に散った先達フー氏を想い、大いなる自然に敬意を表するのです。
海の怖さを骨の髄まで理解しているのに、それでも、波に立ち向かいたい。そういった彼らのロマンがひしひしと伝わってくる、マーヴェリックスはそんなサーフコンテストなのですね。
昨年は、マーヴェリックスの地元からわずか100キロ南、サンタクルーズ出身の二十歳の気鋭、アンソニー・タシュニック選手が大会を制しています。
今年は、2位となったタイラー・スミス選手がサンタクルーズ出身ではありますが、「マーヴェリックスの覇者」の栄冠は、南アフリカのグラント・ベイカー選手に渡っています。
マーヴェリックスを制した者は、これから一年、サーフ界の王者としての名誉を授かるのです。
雨季の散歩
- 2006年02月07日
- フォトギャラリー
カリフォルニアには、風光明媚で自慢したい所はたくさんあるんです。かなり開発されたとはいえ、豊かな自然がまだまだ残っているのです。
けれども、まず、このフォトギャラリーの第1回としては、肩肘を張らず、ごく身近な散歩道を載せてみようと思います。
2月第1週のある日、夕方ももう5時を廻り、突然お散歩を思い立ちました。そこで、カメラを持って、家から歩いて出かけてみました。
いつも通る遊歩道から撮った景色を、ここにいくつか並べてみたいと思います。夕方で、霞がかかり、かなり暗くなってはいますが、我が家のまわりに残る緑のスペースなどをご覧ください。
シリコンバレーのある北カリフォルニアは、一年の気候がふたつに分かれていて、夏は乾季、冬は雨季となっています。けれども、雨季とはいえ、毎日じとじとと降り続くわけではなく、晴れた日の方が多いかもしれません。そして、今シーズンは、昨年よりも雨が少ないような気もします。
そんな雨季は、植物にとっても嬉しい季節で、そこらじゅうの空き地は薄緑色の絨毯となります。水分も太陽の光もある時期なのです。
2月初めは、まだまだ花の季節ではありませんが、遊歩道に沿って植えられた木々は、小さな花をつけたりしています。
ひとつお断りしておきますが、我が家は街中にあるわけではないので、ここまで自然に囲まれているのです。シリコンバレーは、東京ほど大都会ではありませんが、普通はもうちょっと都会なんですよ。
実はこの辺りは、十数年前までは、放牧農家が点在する丘だったのです。そして、16世紀末、白人が初めて北カリフォルニアに上陸するまでは、オローニ・インディアンたちが住んでいた場所なのです。
そんなことも、これから少しずつご紹介していくことにいたしましょう。
この “Paper or plastic?” というのは、日常生活の中では、もっともよく聞く言葉のひとつなんです。
この中の paper とは、紙のことですが、plastic というのは、日本語のプラスチックではありません。ビニールのことです。
そして、ここでは、paper は紙袋を指し、plastic はビニール袋のことを指しています。
もうおわかりのように、この “Paper or plastic?” は、grocery stores、つまりスーパーマーケットのレジで必ず尋ねられる質問事項です。
「紙袋とビニール袋の2種類があるけれど、どちらがいいですか?」という意味ですね。
これに対して、もし紙袋がよければ、“Paper, please” と言い、ビニール袋がよければ、“Plastic, please” と言います。
アメリカの場合は、レジを打つ人と、袋に詰める人が分かれている場合が多く、袋に詰める係の人がこの質問をします。高校生のアルバイトのようなティーンエイジャーのケースが多いですね。
そして、買ったものを全部袋に詰め終わると、レジの人が “Do you need a help out?” などと、尋ねてくる時があります。
たくさん買って、ショッピングカートがいっぱいだと、「助けが必要ですか?」、つまり、袋詰め係が車まで付き添って、トランクに荷物を入れてあげましょうかと、親切に聞いてくるのです。
質問の最後の out というのは、外に出て行って助けが必要ですか、といった感じでしょうか。
この場合、もしひとりで大丈夫だと思ったら、“No, thanks, I’m fine” とか“No, that’s OK” と言いいます。
お願いしたいなと思ったら、“Yes, please” と言います。荷物をトランクに入れてもらったら、“Thank you” とねぎらってあげてくださいね。別にチップなどは必要ないですから。
ちなみに、ここでは plastic はビニールという意味でしたが、日本語と同じくプラスチックのことを指す場合もあります。
たとえば、the plastic で、クレジットカードのことを意味するときがあります。クレジットカードはプラスチックでできたカードなので、単に略してプラスチックと言うのでしょうね。
そして、美容整形の形成外科手術を、plastic surgery と言います。「プラスチックの手術」というのもおもしろい表現ですが、プラスチックというか、何かしら人工の材料を体に入れるから、こういう呼び名が生まれたのでしょうか。
それとも、プラスチックのもうひとつの意味である「変形しやすい」という意味からきているのでしょうか。
(ちなみに、美容整形手術は、face lift とも呼ばれます。「顔を持ち上げる」転じて、しわ取り手術となったのでしょうか?)
ところで、アメリカでは、ありとあらゆる所に、選択の自由があります。スーパーの袋ばかりではないのですね。
でも、困ったことに、英語が得意でない場合、その選択の自由がかえって足かせになることがあるのです。
たとえば、身近な例でいうと、サンドイッチを買う場合、材料すべてに選択肢が付いてきます。ハムや野菜の中身を選ぶばかりでなく、パンは何にするかとか、チーズは何がいいかとか、マヨネーズは大丈夫かなどと、材料のすべてに選ぶ権利が与えられます。
まずは、ハムは普通のハム(ham)か、七面鳥のハム(turkey ham)か、ローストビーフ(roast beef)か。
パンは精白(white)か、ライ麦(rye)か、全粒(wholegrain または whole wheat)か、形は薄切り(sliced)か、ロール型(rolls)か。
チーズは、スイス(Swiss)か、チェダー(Cheddar)か、アメリカン(American)か。
野菜は、すべて(everything on it)か、それとも玉ねぎ(onion)やピクルス(pickles)は抜いて欲しいか(玉ねぎがいやな場合は、everything except onions とか I don’t want onions などと言えば通じます)。
そして、極め付けは、マヨネーズ(mayonnaise、略してmayo)や、マスタード(mustard)は大丈夫?
だから、密かに、サンドイッチを買うのは苦手だと思っている人も多いかもしれません。
あまりの面倒くささに、「お願いだから、おまかせサンドを作ってよ~」と言いたくなるときもあるのですが、アメリカ人にしたって、忙しい昼休み、すんなりとサンドイッチを買いたいものなのです。
ですから、最近は、できあいのサンドイッチを売っているお店もずいぶん増えてきました。こういった所なら、英語が苦手でも大丈夫ですよね。
サンドイッチといえば、お向かいさんが日本を旅してみて、列車の中で買った箱入りのサンドイッチがいたく気に入ったそうです。
なんだかチマチマといろんな材料が入っていて、しかも形も小さいので、「あのイギリス風の tea sandwich、かわいくてヘルシーで、おやつにちょうど良いわぁ」との仰せでした。
普通、日本人は、あれを食事にするんですけどね・・・。
They’re TiVoing.
これは、文型的には、とても単純なものですね。「彼らは何かをやっているんだ」という現在進行形です。
でも、最後の TiVoing とは、いったい何でしょうか。
TiVoing の原型である TiVo とは、電化製品の名前です(「ティーヴォウ」と発音します)。
テレビの番組を、ビデオテープではなく、パソコンなんかに入っているハードディスクに録画する機械のことです。
録画する媒体が、単に、テープからハードディスクに変わっただけではなく、いろんな便利な機能が付いてくるのですね。
まず、アナログ方式のビデオテープに比べて、このデジタルの方式は画像がとてもきれいで、劣化しません。そして、録画をしながら、録画中の番組を頭から観たりできます。
それから、今観ている番組は、録画していなくても自動的に記録されるので、見逃したり、聞き逃したりした場合、その場で巻き戻して楽しむことができます。スポーツ番組で、もう一度観たいシーンがあったら、いつでも自由にリプレーできるのです。
そして、この電化製品は、ケーブルテレビや衛星テレビの番組配信会社とつながっているので、放映時間をいちいち調べる必要がなくなります。画面に出てくる番組ガイドで、録画ボタンを押すだけで、サクッと録画予約ができたりするのです。
この便利な製品を最初に売り出したのは、シリコンバレー・サンノゼに本社のある TiVo という会社です。TiVo は会社名でもあり製品名でもあります。
そして、いまや、その人気に乗って、TiVo みたいな機能を持つ製品の総称にもなっています。Digital Video Recorder(デジタル録画機)とか DVR とか呼ばれている製品群を、TiVo と呼んだりするのです。
(写真の上段の製品は、我が家にあるデジタル録画機ですが、これは Motorola製の DVR機で、ケーブルテレビ会社 Comcast が提供するものです。デジタル放送の受信機能も内蔵します。)
そして、TiVo という言葉は、いつの間にか製品群の総称を超えて、「TiVo でテレビ番組を録画する」という動詞ともなっています。
I’ll TiVo my favorite TV program と言えば、「一番お気に入りのテレビ番組を、TiVo で録画しておこうっと」という意味になりますね。
一方、表題になっている They’re TiVoing は、ちょっとひねりのある表現なのです。
「彼らが TiVo でテレビ録画している」という文章ではありますが、別に、誰かさんの現在進行の行為を指しているわけではありません。
「誰でも TiVo を使ってテレビ録画している」といった、世の中の動きを表現しているのです。
They とは「世の中のたくさんの人」という意味で、現在進行形にしているのは、いつもそうやっているといった継続の含みがあるのですね。
これを発言したのは、金融関係のアナリストなのですが、こんな背景があったのです。近頃は、みんなが TiVo でテレビ録画しているので、再生するときはコマーシャルなんかすっ飛ばして、誰も好んで見てはいないよと。
たしかに、アメリカでは、ひとたびコマーシャルに入ると、数分間CMのオンパレードとなります。誰でも番組の続きが早く観たいので、そんなものすっ飛ばしますよね。
ですから、今後は、テレビコマーシャルのあり方もずいぶんと変化することが予想されているのです。
ところで、TiVo に限らず、過去にも、便利な製品が動詞となった例がありました。
たとえば、書類をコピーすることを “Xerox it” と言ったりします。これは、Xerox(ゼロックス)のコピー機から転用されているものですね。
そして、最近では、書類を一夜で相手に送付することを “FedEx it” と言います。こちらは、ご存じ、民間の輸送会社FedEx(フェデックス)から来ています。
ちなみに、日本では、Google(グーグル)でインターネット検索することを「ググる」などと言いますが、アメリカではまだ、“Google it” は市民権を得ていないようにも思えます。
検索といえば、同じくシリコンバレーのYahoo(ヤフー)がいますし、現時点では、どちらかが市場を独占しているという状態ではないからでしょうか。