卯月に感ずる:言葉が表すもの

Vol.105

卯月に感ずる:言葉が表すもの


4月に入り、シリコンバレーは変な天気が続いています。真夏のように暑くなったと思えば、また真冬のように冷たい風が吹き荒れると、いまひとつ安定しない天候となっています。
けれども、辺りの花々は、競って花びらを開かせる賑やかな季節。そんな今月は、花のお話から始めましょう。


<こればっかりはしょうがない>


P1120784small.jpg

日本よりひと足先に満開を迎えた我が家の八重桜も、もう散る季節となりました。八重桜なので、どちらかというと花全体がポタッと地べたに落ちる感じで、はらはらと舞い散るソメイヨシノの桜吹雪とはいきません。それでも、散り行く花びらが風に集められ、中庭の隅にはピンク色の吹き溜まりができています。
それを観ていると、片隅にひっそりと集う花びらに「ご苦労さま」と声をかけたくもなりますし、まだ懸命に枝にしがみついている花が愛(いと)おしくも感じます。

ここで、アメリカ人なら、このピンク色の塊をただの「ゴミ」だと定義し、いきなりブローワーでブ~ンと吹き飛ばすのでしょう(ブローワーとは、小型発動機で起こした風で、落ち葉を掃く機械。とってもうるさい上に、通常ガソリンで起動するので、大気汚染の観点から、ブローワーを禁止する地上自治体すらあります)。

けれども、そこは、日本人。この淡いピンクの吹き溜まりは、季節を感じさせる実に風流なものではありませんか。
そして、ふと思ったのです。この「風流」を感じることを英語でどう伝えればよいのかと。

アメリカに生活していて、ときどきこの手の困った場面に出くわすのです。まあ、ネイティヴではありませんので、英語の語彙が限られているのかもしれません。けれども、懸命に頭の中の辞書をくっても、どうにも思い付かないのです。
そこで、電子和英辞書で「ふうりゅう」を引いてみると、「風流人」という見出しで、「person of taste(趣味のよい人)」というのが出てきました。けれども、なんだか違うような気がします。ついつい、「taste(センス、審美眼)」とはいったいどういう定義なのかと、つっこみたくもなります。
たしかに、「あなたって趣味がいいわね?」と言いたいとき、「You have a good taste」と言ったりします。だから、tasteというのは悪い意味ではありません。けれども、なんとなく、日本語の「風流」とは程遠い感じがしませんか?

この「風流」もそうですが、他にも「いなせ」とか、「趣(おもむき)のある」とか、英語になり難い日本語はたくさんあります。いなせは「粋で、気風がいい」という意味なので、まあ、「cool」と表現しても間違いではないかもしれません。けれども、「趣のある」は、いったいどう言い換えましょうか?
電子和英辞書で調べてみると、いろいろと選択肢がありました。「quaint(風変わりで面白い)」「spicy(言葉に趣がある)」「artistic(芸術的な)」「aesthetic(上品な)」と、4つの形容詞が出ています。けれども、どうも全部はずれているような気がしてならないのです。
たとえば、最後のaesthetic(イースセティックと発音)は、どちらかというと、「美の追求、美学」みたいな意味があります。やっぱり「趣のある」とは、かけ離れているように感じませんか?なんとなく、心で感じるのではなく、頭で分析しているような感じ。だからといって、他にいい表現を思い付くわけではないのですが・・・

毎週、我が家には庭の掃除に来てくれる人がいるのですが、晩春、桜の花が散るときと、晩秋、桜の葉が落ちる季節には、自分でせっせと中庭を掃くことにしています。ひとつに、移りゆく季節を身近に感じたいこともあります。けれども、それと同時に、「風流」を理解しないような人に、ブローワーでブ~ンと花びらや落ち葉を吹き飛ばしてほしくないのです。
表現する言葉が見つからないということは、それをまったく感じていないことではないかなと、そんな風に結論してみたのですが、いかがなものでしょうか。

<ビター>
この題名を見て、「ビタ一文」という表現を思い浮かべた方もいらっしゃることでしょう。いえ、そのビタではなくて、英語のビター(bitter)です。つまり、「苦い」という意味。苦味の利いたビターチョコの「ビター」ですね。

この言葉は、味覚が苦いという場合に使われますが、それと同時に、比喩的にも使われます。つまり、「苦々しく思う」ときにも用いられるのです。そう、日本語の「苦い」の使い方とまったく同じですね。きっと、悔しい思いをして口の中に苦味が残る感覚は、万国共通なのでしょう。

このビターが、近頃、ちょっとした「時の言葉」ともなっています。民主党大統領候補バラック・オバマ氏の発言の中に、苦々しく思う意味のビターが使われていて、それが喧々諤々の議論を呼ぶことになったのです。
オバマ氏は、こう発言したのでした。「(長い間、政治に対し幻滅を感じている)彼らがビターになるのはしょうがない。そんな彼らは、自分たちのフラストレーションをあらわにする方法として、銃や宗教に頼りきったり、自分とは異なる人たちに嫌悪感を抱いたり、反移民や反(自由)貿易の異議を唱えたりするのだ」と。

これは、オバマ氏が、サンフランシスコの金持ち相手に開かれた資金集めの内輪のパーティーで発言したものなのですが、折悪しく、政治担当のブロガーが録音していて、それが後日全米に公開され、オバマ氏への攻撃材料にされてしまったのでした。
オバマ氏ご本人は、「彼らは世の中を苦々しく感じ、心を閉ざしきっているので、説得するのがとても難しい」という意味でざっくばらんに発言したようなのですが、これが「オバマ氏は、エリート主義(elitist)である」と、物議をかもし出しました。
そして、事実上の共和党大統領候補であるジョン・マケイン氏と、オバマ氏と指名争いの鎬を削るヒラリー・クリントン氏は、「新しい大統領となる人は、(オバマ氏のように)人を見下した者であってはならない」と、熱心に有権者を説得します。

ここでオバマ氏が「彼ら」と指しているのは、まさに今まで、クリントン氏と激しい予備選挙戦を繰り広げてきたペンシルヴァニア州やその周辺に広がる、歴史的に労働者層の多い地帯(Rust Belt)のことです。
もともとペンシルヴァニア州の辺りには、鉄鋼業を始めとして工場が多く建ち並び、汗水たらして働く労働者がたくさん住んでいました。ビリー・ジョエルの名曲「アレンタウン(Allentown)」も、そういった製造業の浮き沈みに翻弄され、ペンシルヴァニア州第三の街に住む厳しさを歌ったものなのですが、この地域の人々は、昨今、とりわけ苦々しく感じているようです。「NAFTA(北米自由貿易協定)によってメキシコが我々の首を絞め、今は中国が我々を殺そうとしている」と。
その地域の人々を「ビターになって、銃や宗教に頼りきっている」などと発言したので、オバマ氏は「人を見下すエリート主義である」とされたわけです。

まあ、先月わたしもちょっと書いていますが、オバマ氏の言う事には、いちいち「エリートによる勝者の論議」という感覚がつきまといます。平たく言うなら、「エリート面」とでも言いましょうか。なんとなく、鼻持ちならない部分があるのです。
けれども、その一方で、この発言には、オバマ氏の正直な意見とフラストレーションがよく表れているのだとも思えます。世の中、よほど恵まれた人でない限り、ほとんどの人が「苦々しく思っている」のだろうなと。そして、ヒラリー支持者が多いそんな労働者層(working class)を説得するのは、相当に難しいのだろうなと(クリントン前大統領の時代、中西部を中心に、労働者層は収入の伸びを大いに享受していました。だから、もう一度あの頃に戻りたいと、クリントン第2号であるヒラリーさんへの期待値が高いのですね)。

事実、昨年夏の住宅バブル崩壊やサブプライム問題を引き金として、アメリカでは、人々の心はかなり冷え切っているようです。今年に入ると、いよいよ「不景気?」とも言われるようになり、みんなの給料は上がらないわりに、ガソリン代は高騰するは、食料品を中心に物価は高騰するはで、庶民の生活は日に日に苦しくなっています。
おまけに、ブッシュ・チェイニー政権の悪政はもう8年目に入っているし、大統領が始めた戦争はいつまでも延々と続いているし、その陰で密かに金儲けをする層と庶民の格差はどんどん広がるしと、そろそろ国民のフラストレーションも限界に来ているのかもしれません。

  こちらの風刺漫画が、そんな世相をうまく表しています。(by Tom Toles – Washington Post) 

洗面所の薬棚を開けると、薬のラベルすべてにこう書いてあります。
「フレーバー(味):ビター」。

国の経済:ビター
予備選挙戦:ビター
国政:ビター
選挙キャンペーン戦略:ビター
キャンペーン報道:ビター
国内の対話:ビター


 

 


P1120814small.jpg

ついでに、こんなものもありました。(by Don Wright – Palm Beach Post)

レギュラーガソリンの価格が、ガロン(3.8リットル)あたり4ドルという史上最高値の看板を目の前にして、鳩がこんな会話をしています。

「今までビターでなかった人も、今ではそう感じてるよね(If they weren’t bitter before, they are now!)」


追記: 現在、レギュラーガソリンの全米平均価格は、ガロンあたり3ドル50セントに高騰しています(何でも高いシリコンバレーでは、3ドル90セントほどです)。2001年1月、ブッシュ氏が大統領に就任した週には、全米平均価格は1ドル50セントでした。ブッシュ大統領の石油業界と軍需産業への貢献度は、超特大なのです。



<二つの経済>


P1120844small.jpg

思い立って、近頃、引っ越し先を探しています。遠い所には行きたくないので、今住んでいるコミュニティーの中で、家探しを始めました。
べつに、今住んでいる家が嫌だという訳ではなく、まわりにちょっとした嫌な理由があるのですが、まあ、それは置いておいて、家探しを始めてみると、いろいろとおもしろいことを発見したのでした。

まず、アメリカでは「サブプライム問題」の嵐が吹き荒れているというので、家の値段は相当下落しているに違いないと考えていたのですが、それは、まったくの期待はずれであることがわかりました。どうやら、サブプライムローンが払えなくなって銀行の差し押さえとなり、オークションで売りに出されるような家々と、シリコンバレーの「普通の家」とは、大きな隔たりがあるようです。
不動産のエージェント曰く、サブプライム云々というのは、シリコンバレーではだいたい60万ドル(約6千万円)以下の家々のことであって、それ以上の価格帯は、まったく値崩れしていないのだと。なるほど、経済は二層構造(two-tier economy)になっているのねとエージェントに尋ねると、その通りよとの答えが返ってきました。

そして、我が家が懸命に家探しをしていた12年前と比べ、この辺りの価格帯は、恐ろしく上がっているのです。それが証拠に、ごく平均的な家々が建ち並ぶ我が家のまわりでも、今では元値の2倍を軽く越えているのです。
たしかに、12年前も、この辺りの家の値段はすでに上昇傾向にあり、同じモデルの住宅であっても、ひと月に3万ドル(約300万円)くらい価格帯がはね上がっていました。それが、1990年代後半のネットバブルの勢いで、あれよあれよと3倍近くに膨れ上がったようです。そして、バブルがはじけても、家の値段は思うように下がらない。なぜなら、需要はいつまでも大きいから。

12年前は、この辺りの建売住宅は、どんなに大きくても80万ドル(約8千万円)という値付けでした。ところが、今は、そういう家は、2百万ドル(約2億円)を越えています。そう、昔は、家の値段を表現するにも、「ファイヴ・テン(510)」などと言っていました。510、つまり、51万ドル(510,000)ということです。しかし、今は、「ワン・フォー・フォー・ナイン(1449)」などと表現します。つまり、144万9千ドル(1,449,000)のことです。確実に一桁増えているのです。
だから、我が家などは、この辺りの建売住宅が売りに出された頃の価格帯を知り尽くしているがゆえに、「う~ん、中身は汚くなっているのに、3倍もの金を払うのか」と、大いに躊躇してしまうのです。

そうなんです。アメリカ人が住むと、一般的に家が汚くなるのです。我が家を見に来たエージェントが、「11年も住んでるのに、新品みたいだわ(Looks brand-new)!」と、感心しきり。
試しに、まわりの競合となる住宅を見に連れ出されたのですが、たしかに、「新品」というのはお世辞でないことがよくわかりました。何といっても、お手入れが行き届いていない。なんとなく、薄汚れた感じがつきまとうのです。
もちろん、我が家にもいろいろと改善点はありますが、「そんなの、ごく小さなことよ」と、エージェントは問題にもしません。そして、あなたのはすぐに売れるわと、力強いエールを送ってくれるのです。

その一方で、いかにシリコンバレーといえども、トレンドを見てみると、家の価格が下降線をたどっているのは確かです。シリコンバレーとほぼ同義語ともなっているサンタクララ郡では、昨年春から夏にかけて住宅価格のピークとなっていました。その頃は、売買価格の中間値は80万ドルでしたが、今では70万ドルほどに下がっています(中間値とは、半分の軒数がそれ以上で、半分の軒数がそれ以下で売買されたという中間の値段です)。
しかも、シリコンバレーの住民の間では、買い控えが目立っています。先月(3月)、サンタクララ郡で売り買いされた家は、集合住宅も含め1100軒ほどでしたが、これは、前年同月のおよそ半分となっています。通常、春先の3月は売買軒数が大目なのですが、今年は明らかに違っています。
全米では3割くらいは価格帯が下がっているとも耳にするので、「シリコンバレーでも、もっと下がるはず」と、買い控えている人が多いのでしょう。とくに、値段の高い家の買い控えは顕著なようで、それが中間値を下げる原因ともなっているようです。

この買い控えのトレンドには、住宅ローンという要因もあるようです。今までアメリカでは、借入額41万7千ドル以上は、「ジャンボローン(jumbo loan)」と呼ばれ、急に利率が上がってしまったのですが、ごく最近、その上限が72万9千ドルに引き上げられました。ブッシュ大統領が打ち出した景気刺激対策の一環なのですが、そうやって上限がグンとあがったわりに、いまだに効果が表れていないのです。銀行はどこも貸し渋りが目立ち、なかなか利率が下がらない。だから、規則上は安い金利の借入限度額が伸びたのに、今までのジャンボローンの利率とあまり変わらない。
とくに、シリコンバレーでは、ローン借入額が他の地域よりも断然大きいのです。これでは、「利率が下がるまで、家は買えないなぁ」と思う人が増えてしまうのも当然なのです(ちなみに、現在、30年固定ローンの利率は6パーセントくらいです。1980年代の十数パーセントという高利率に比べれば、とても安いものですが、もうちょっと下がるに違いないというのが、大方の見方となっています)。

というわけで、買い手市場(buyer’s market)と言われるわりには、我が家の家探しも、いろいろと難しい面があるのです。

まあ、家の値段やローン利率も考慮すべき点ではありますが、10年以上経った中古の家というのも、日本人にはなかなか難しいものがあります。だからと言って、自分で家を建てるとなると、物事がスムーズに進まず、恐ろしく労力がかかるのがアメリカなのです。

とにもかくにも、請うご期待といったところでしょうか。


夏来 潤(なつき じゅん)

デイライト・セーヴィング・タイムふたたび

振り返ってみると、この「ライフinカリフォルニア」セクションで最初にご紹介したお話は、「デイライト・セーヴィング・タイムってなあに?」でした。

あれから2年半たったところで、またまたデイライト・セーヴィング・タイム(夏時間)のお話です。

あのお話を掲載したときは、夏時間の適用期間は、4月第一日曜日から10月最終日曜日となっておりました。夏時間になると、1時間時計を進めるので、夕方遅い時間まで明るくなり、省エネに役立つのですね。

以前のお話でもちょっとだけご紹介していますが、あれからさらに夏時間が延長いたしました。現在は、3月第二日曜日から11月第一日曜日となっています。つまり、4週間も延びたのですね。

今年は、もう3月9日には、さっさと夏時間になっていたのでした。


ところが、この新しい夏時間への変更で、ちょっとした騒ぎが起こりました。

アメリカでは、「ブラックベリー( BlackBerry )」という携帯電話向けのメールサービスが大人気なのですが、このサービスに加入していた人たちのケータイが、すっかり勘違いをしてしまったのです。もうすでに夏時間になっているのに、もともとの夏時間開始日である4月6日に、もう1時間進めてしまった・・・

これは、ブラックベリーサービス側が、新しい夏時間用のソフトウェアをダウンロードしてくださいとユーザに促していたところ、それを怠った人たちのケータイが間違って1時間進めてしまったという話のようです。
 今までの古いソフトウェアでは、4月第一日曜日が来ると自動的に1時間進めてしまうので、新しいソフトで「違うよ、もう進めなくていいんだよ」と、ケータイに教えてあげなければならないのですね。

まあ、時間が変わるのはいつも日曜日なので、あまり問題はなかったわけですが、それにしてもケータイを時計代わりに使っている人は多いので、混乱した人はひとりやふたりではなかったことでしょう。日曜日の礼拝に行こうと、教会で1時間も待ちぼうけをした人もいたのでしょうね。

う~ん、それにしても、夏時間開始日が変更したのは、今年じゃなくって、昨年の3月のことなんですよ。きっと、新しい夏時間にみんなが慣れるまでには、あと何年かかかることでしょう!


ちなみに、この「ブラックベリー」は日本でも発表されているのですが、アメリカでは、企業ユーザを中心に一世を風靡したメールサービスなんですね(ブラックベリーを作ったのは、リサーチ・イン・モーションというカナダの会社です)。

ブラックベリーは1997年に始まったサービスなんですが、会社で使っているメールにアクセスできるということで、年々企業人の間で人気が高まり、「クラックベリー( crackberry )」なる言葉まで生まれたのですね。仕事のメールに夢中になり、ブラックベリー端末を片時も手放せない人のことを言います(シリコンバレーには、そういう人は多いですね)。

日本では、どちらかというと一般ユーザの間でケータイメールが重宝されているわけですが、アメリカの場合は、ケータイメールというのは、このブラックベリーを中心に企業ユーザに最初に広まったという大きな違いがあるのですね。だから、日本の「親指文化( thumb culture )」なんていうのは、当初、アメリカ人には奇異な目で見られていたのですね。

今では、アメリカの一般ユーザの間では、ケータイメールではなく、「テキストメッセージ( SMS、Short Message Service )」の方が好まれています。ごく短いメッセージをリアルタイムでやり取りするサービスですね。けれども、日本のティーンとまったく同じく、アメリカのティーンがシャカシャカ文字を打つのも必見ものですよ!


そうそう、今日の新聞の漫画欄に、こんなものが載っていました。( by Jerry Scott and Jim Borgman

サラとジェレミーが一生懸命にテキストメッセージをやり取りしていて、お互いにすれ違ったのにも気付かなかったという設定。

お友達が「君たちふたりがまだ話していて安心したよ( Glad to see you guys are still talking )」と言うと、

ジェレミーが「これ以上、近しいことはないよ( Never closer )」と答えます。

ほんとは、肩を合わせんばかりにすれ違っていたのに・・・


さて、ご参考までに、今日は4月15日。アメリカでは、重要な日付です。そう、今日は、税金確定申告の締切日。

アメリカでは、収入のある国民全員が国と州に税金申告( tax return )をすることになっているのですが、4月15日の締切日には、大きな郵便局は夜中まで営業しています(申告書は、国税局と州の税金係まで郵送する慣わしなのです)。

とにもかくにも、アメリカ人は物事を先延ばしにすることで有名ですので、4月15日が近づいてくると、郵便局はどこも長蛇の列。それをうっかり忘れていたわたしは、昨日、郵便局で20分くらい待たされました(こういう風に、やるべき事を先延ばしにする人のことを、procrastinator と言いますね)。


やはり、今日の漫画欄に、こんなおもしろいものが載っていました。( by Glenn McCoy

国税局( IRS、Internal Revenue Service )のオフィスに出向き、こんな言い訳をしている男性がいます。

「僕の犬が、僕の税金(申告)を食べちゃった( My dog ate my taxes )」

そして、隣の席には、ゲップ( burp )をしている犬。

実は、これは、ある有名なフレーズのパクリなのですね。

「僕の犬が、僕の宿題を食べちゃった( My dog ate my homework )」

そうなんです、これは子供が学校の先生に言い訳をする常套句。まあ、いまどきこんなことを言う子供はいないとは思いますが、とにかく、子供の言い訳の中では有名なものですね。


夏時間から話が大きく逸れてしまいましたが、とにかく「 Spring forward, fall back (春には進めて、秋には遅らせる)」。これが、夏時間のやり方を覚えておく言い回しです。

3月の夏時間開始直前には、日の出が午前6時半、日の入りが午後6時でした。今では(今日現在)、同じ日の出時刻で、日没が7時45分となっているので、ずいぶんと遅くまで明るいのです。

だから、ついつい晩御飯が遅くなってしまって、夜更かしが悪化してしまうのです。

おまけ:物事を先延ばしにするアメリカ人が多いというお話をいたしましたが、新聞におもしろい予測統計が載っていました。今年、4月15日の税金締切日までに国税局に確定申告する人たちのうち、実に2割近く(18パーセント)が最後の1週間に集中して申告するだろうというもの。
 それだけではなく、締め切り日には到底間に合わないので、1千万人が延長申請をするだろうということでした。

そうそう、だから、こんな風景は毎年恒例のものとなっているのですね。4月15日には、郵便局の外の道端に郵便局員が出てきて、車の中から申告書の封筒を受け取っている図。さしずめ、税金申告のドライブスルーですね!

山火事から学ぶ地域の歴史

先日掲載したばかりのエッセイ「春爛漫!」でも申し上げておりますが、ほんとに長い間ご無沙汰しておりました。
 ふと気が付くと、この「ライフinカリフォルニア」のコーナーも、最後に更新されたのは昨年の9月ではありませんか!

どうにもこうにも忙し過ぎる日々ではありましたが、そんな中にも、こういったご質問をいただいておりました。「あの山火事はいったいどうなったの?」と。

はい、ご心配をおかけしておりましたが、前回このコーナーでご紹介していた大きな山火事は、予定よりも早く、8日目には火が消し止められ、だんだんと青空も戻ってまいりました。空気も少しずつ澄んでいって、呼吸の問題で病院に行くこともありませんでした。

なんでも、このときは、カリフォルニア、オレゴン、ワシントンの西海岸3州で、同時に11もの山火事が起きていたそうで、NASA(米航空宇宙局)も無人飛行機を飛ばして、3州の被害状況の偵察を行ったそうです。

ただ、ひとつ付け加えるとするならば、「この山火事は自然発火」という説明は違っていたようです。どうやら、誰かさんの不注意で起きた山火事だったようです。


この山火事をきっかけに、おもしろい事がわかったのですが、現場のヘンリー・コウ州立公園付近には、山小屋が散在しているのだそうです。何の山小屋かというと、狩りを楽しむための山小屋。

ちょっと歴史を紐解きますと、1862年、リンカーン大統領の頃に Homestead Act という名前の法律が制定され、早い者勝ちで、アメリカ中の土地を自分のものとすることが許されました。
 この年以降、アメリカ全土の10パーセントの面積が私有地化しているそうです。そして、この法律によって、山火事の起きた辺りの土地も個人が所有するようになりました。

その後、この辺りの土地の大部分は、環境保護団体によって買収され、ヘンリー・コウ州立公園に吸収されていったそうです。
 それでも、標高600~900メートルの高い所には、いまだに私有地が残っていて、舗装道路も整備されていないような辺鄙な場所に、狩りの山小屋やら放牧場が散在しているらしいのです。

中でも、シリコンバレーに本社のあるコンピュータ会社ヒューレット・パッカードを設立したヒューレット家とパッカード家は、この辺りにサン・フェリーペ牧場という広大な放牧場を持っていました。1950年代からここに社員を招いては、定期的に社員ピクニックを開いたことで有名になりました。(その名残で、シリコンバレーの会社は、どこも社員や家族を招いてピクニックを開く慣わしができたようです。)

それ以外の私有地の多くは、イタリア系移民の家族によって代々受け継がれているようです。サンラクララバレー(シリコンバレーのある場所)で農業に従事していたイタリア系家族が、1920年代頃この辺りに山小屋を持つようになり、週末の狩りを楽しんできたそうです。

なんでも、もともとこの辺の土地を所有していたヘンリー・コウ氏が、隣人の牧場主と喧嘩し、その腹いせに、パンパンと騒音をたて狩りを楽しむ銃愛好家たちに土地を売り払ったのが始まりだとか。

ここに山小屋を持つシルヴェイラさんのおじいさんは、1929年にヘンリー・コウ氏から土地を買った11人のオリジナルメンバーのひとりだそうです。そんな歴史を感じさせる山小屋ではありましたが、残念ながら、シルヴェイラさんのおじいさんが建てた山小屋は、今回の山火事で焼けてしまったそうです。


山火事が起こったときは、ちょうど鳩狩りのシーズン(dove-hunting season)が始まったばかりでした。だから、あちらこちらの山小屋には、レーバーデー(勤労感謝の日)の3連休を楽しむ狩りの愛好家たちが訪れていた。

そして、間違いが起きてしまった。

ある女性が庭のドラム缶で紙皿を焼こうと火をつけたところ、まわりの枯れた草むらに引火してしまったそうです。彼女は、火をつけたあと、火の粉が飛び散らないようにとドラム缶にダンボールの蓋をし、家の中に入った。すると、何やら、水の流れるような音がするので外に出てみると、もう手が付けられないほどに、辺りは燃え盛っていたと。

8日後、消防士さんたちが必死に消し止めてみると、実に1万9千ヘクタールが焼けこげ、消火活動には1千3百万ドル(約13億円)もの費用がかかっていました。

そして、火事を起こした張本人は、検察官によって起訴され、裁判が行われることになりました。最悪の場合には、13億円の償いと、6ヶ月の禁固刑と罰金が科せられることになるとか。

もちろん、わざと火事を起こしたわけではありません。だって、彼女は小学校の先生ですから、悪い事をする気なんて毛頭ありません。けれども、そんな事には関係なく、許可なく焚き火をした罪は重いそうです。7月以降、あまりの乾燥状態に、付近の焚き火は一切禁止されていた。それなのに、火をつけてしまった・・・

それにしても、ちょっとした判断の誤りにしては、あまりに重い罪となってしまいました。「過ちにしては厳し過ぎる」という批判の声も上がりましたが、まったく容赦ないところが、実にアメリカ的なお話ではありました。

追記:ヘンリー・コウ州立公園周辺の歴史については、2007年9月8日付けのSan Jose Mercury紙を参考にさせていただきました。

写真は、ヘンリー・コウ州立公園のものではありませんが、付近の風景写真です。あしからず。

春爛漫!

今日からもう4月。

長い間、このウェブサイトにもご無沙汰しておりまして、申し訳ありませんでした。

昨年7月からほぼ9ヶ月、ほとんど家にこもりきりで本の執筆をしておりました。シリコンバレーのハイテク産業に関するビジネス本なので、ちょっと厄介なお仕事だったのです。

しかし、それも3月末でほとんどを終え、これからは時間の余裕ができるのではないかと思っております。

振り返ってみれば、昨年トルコと日本に旅行した以外は、月に2、3回くらいしか外出しない日々が続き、「不健康」の極みではありました。でも、顔が生白くなったかというと、そうでもないんですよね。だって、南向きの我が家では、家の中でも日焼けしてしまうくらい日当たりが良い(良過ぎる)のです!

けれども、さすがに「おこもり」は良くないと思い立ち、昨日何ヶ月ぶりかにお散歩をしてみました。すると、今朝はさっそく筋肉痛。情けないくらいに体がなまっている証拠ですね。


そんな4月の始まりは、我が家の八重桜もほぼ満開です。

昨年は、花の数が少ないわりに、葉っぱと花が一緒に出てきて「葉桜」状態。それが、とっても寂しい限りでした。

けれども、今年は、まさに八重桜の当たり年。早くから開花準備を始めただけあって、蕾(つぼみ)は多いは、葉っぱはちょうど良いくらいに遠慮してくれているはで、毎日々々、目を楽しませてくれています。

雨季はまだ明けきっていないけれど、いつの間にやら、春爛漫!


そんなピンク色の桜の花を見ていると、「新たなスタート」という言葉が頭に浮かんできます。

やっぱり桜の花と入学式は、わたしの頭の中では切っても切れないくらいに繋がっているようで、「入学」「始業式」「入社」「初出勤」といった言葉が浮かんでくるのです。

アメリカでは、学校が始まるのは8月か9月ですし、役所の年度が始まるのは7月とか10月ですけれど、やっぱりわたしにとっては、4月は始まりの月といったイメージが抜けません。


そうそう、大リーグ野球も、昨日(アメリカ時間3月31日)から始まりましたね。

すると、夕刻になってワイン片手に出てきたお向かいさんが、こんな話をしていました。「シカゴ・カブスの日本人選手が、最初の試合でいきなり大活躍だったよ!」と。

お向かいさんは、名前はうまく発音できなかったのですが、どうも今年からカブスに移籍した福留孝介選手のことだったようです。なんでも、3打数3安打で、9回裏にスリーランホームランを打って、お相手のブルワーズと同点にしたと。(しかも、相手のピッチャーは、ドジャーズやレッドソックスにもいた、ベテランのエリック・ガニエ投手だったようですね。)

カブスのチームメートも、日本からやって来たばかりで、海のものとも山のものともわかない福留選手が大活躍だったので、ほっと胸をなでおろしているようでした。何かと不安が伴う第一試合(デビュー戦、開幕戦)だったとは思いますが、ご本人にとっても喜ぶべき試合展開となってよかったですよね。

まあ、野球も仕事も長丁場ではありますが、福留選手の大活躍にあやかって、良い新年度のスタートとしたいものですね!

おまけ:お向かいさんが言っていました。日本の都市の名前はわからないけれど、そこには、すごい野球チームがあるんだよと。「ファンが一丸となって、ものすごい応援合戦を繰り広げるんだけど、名前はハンシン・タイガースって言うんだよ」と。(選手ひとりひとりに応援歌があるということですが、本当なのでしょうか?)

近頃、アメリカでも、太鼓やトランペットの鳴り物入りの日本の応援合戦が有名になってきているようで、松坂大輔投手の活躍が光ったオークランドA’s(アスレチックス)での試合でも、「A’sのファンも応援をがんばらなくっちゃ」と、解説者が言っていました。
 A’sの外野席にいる熱狂的ファンも、太鼓を鳴らしたり、旗を振ったりと、アメリカの球団にしては派手なのですが、やっぱり日本の応援には負けますね。そのうち、あの美しくシンクロナイズした応援方法が、日本からアメリカに輸入されるのではないでしょうか。

春うらら:桜の季節、環境を考える

Vol.104

春うらら:桜の季節、環境を考える
 


P1120681s.jpg

   きっと今頃は、東京の桜は満開なのでしょう。金曜日(3月28日)は東京では雨の予報なので、前日の木曜日には、満開の桜を楽しむサラリーマンをたくさん見かけたと、こちらの新聞にも紹介されていました。
 「淡いピンク色のサクラの誘いには抗えず、人気の上野公園には、本当はここにいるべきでないような人(サラリーマン)まで集っている」と書かれています。なんでも、コンピュータを駆使して、気象庁が全国の桜"前線(front)"なるものを発表し、何百万人の日本人が桜パーティー(cherry blossom party)を計画するそうな、とも書かれています。

 シリコンバレーの我が家の八重桜も、間もなく満開を迎えようとしています。そんなまん丸なポッテリとした花を観ていると、ついつい桜餅が食べたくなってしまうのです(いえ、葉っぱと花びらの色のコンビネーションが、まさしく桜餅なものですから)。

さて、そんな弥生を締めくくる今月号は、環境のお話をいたしましょう。


<グリーン旋風>
今年は、シリコンバレーには春が早めにやって来ました。白い花びらの一重の桜は3月中旬には満開でしたし、我が家の八重桜も、3月23日の復活祭にはひとつふたつと蕾をほころばせていました。カリフォルニアの州の花、カリフォルニアポピーなどは、もう2月の初めから鮮やかなオレンジ色の花びらを開かせています。
花だけではなく、今年は、復活祭(Easter)も例年よりも早かったです。ご存じの通り、復活祭は、イエス・キリストが十字架にかけられた後、三日目の日曜日に復活したことを祝うキリスト教の祭日ですが、アメリカの祝日感謝祭と同様、毎年日付が異なります。復活祭は、春分の日(vernal equinox)の後、初めての満月の次の日曜日と定められているのですが、今年は3月20日が春分の日、翌21日が満月、そして23日が最初の日曜日だったので、足早にやって来ることになりました。こんなに早いのは、実に220年ぶりだそうです。


P1120628s.jpg   そんな復活祭を控えた日曜日、前日の雨も上がり、カラリと晴れたお天気につられて、2階の窓のブラインドを開けてみました。雲すら風で吹き飛ばされ、空は真っ青。そして、目の前には、緑に色づいた丘。普段はブラインドを開けることもないので、まったく気が付きませんでしたが、世の中はまさに春真っ盛り。「これは、どんな名画よりもきれいかもしれない」と、しばらく窓外の風景に見とれていました。

そして、思ったのですが、こんな名画は、きっとどこにでもころがっているものなのだろうと。日頃、わたしたちは、忙しさにかまけて部屋にこもったり、出かけるときでも、歩を進めるまっすぐ先しか見ていなかったりするけれど、ふと立ち止まれば、いろんな名画が見えてくるのだろうなと。そして、こういった名画は、刻一刻と変化し、決して保存がきかない。だから、余計に、その「はかなさ(ephemeral nature)」に惹かれるのだろうなと。

おっと、前置きが長くなってしまいましたが、題名の「グリーン旋風」。これは、近頃のアメリカの動きを自分なりに表現したものです。今年初めの1月号で、「サブプライム」というのが2007年の流行語に選ばれたとお伝えしましたが、実は、個人的には、「グリーン」というのが昨年一番の流行語だったのではないかと思っております。
「グリーン(green)」、つまり緑色ですが、これは、「環境に優しい」という意味があります。日本で流行の「エコ(eco)」と同じ意味ですね。英語でも「エコ・フレンドリー(eco-friendly)」と表現したりもしますが、どちらかというと、グリーンの方が好まれます。言葉が簡単ですし、短くてインパクトもありますし。
ちなみに、英語の緑色にはいろんな意味があって、たとえば、「green with envy」と言うと、「誰かをねたむ」といった意味があるし、「greenback」と言えば、アメリカの紙幣のことですね。グリーンには「青二才(未熟な)」という意味もあります。でも、エコのグリーンは、やはり自然の緑色から来ているのでしょう。優しいイメージがありますね。


P1120088s.jpg そう、この「グリーン」という言葉は、近頃、いろんな場所で見かけるようになりました。新聞、雑誌、テレビのニュースやコマーシャルと、「グリーン」を耳にしない日はないくらいです。グリーンな車に、グリーンな企業。まさに緑色は大流行りです。昨年末のクリスマス商戦でも、グリーンなギフトはいかがですかと、新聞にも特集が組まれていました。

 さすがに、アメリカでも、ブッシュ大統領全盛期に聞こえていた「地球温暖化は科学者の妄想である」といった非科学的な論争は影をひそめ、人間が地球の環境を破壊しつつあると、多くが自覚し始めたようです。そして、太陽光・風力発電やリサイクルなどは、「グリーン・リビング(グリーンな生き方)」の基本中の基本ともなっています。なんでも、サンノゼ市にあるNBC系列の放送局KNTVなどは、ニュース番組制作・放映をすべて風力発電でまかなっているんだとか。これは、アメリカでも初めてのケースだそうです。

メディアばかりではありません。カリフォルニア州には、昔から環境問題にうるさい人が多いため、「グリーン」の最先端を行く住民もたくさんいます。とくに、冬の雨季が終わると、雨が一滴も降らないシリコンバレーにおいては、太陽光発電は最適なものとなるのです。そんなシリコンバレーで、耳を疑うような「グリーン」な一悶着が起きました。
事は、太陽光発電用のソーラーパネル。サニーヴェイル市に住むマーク・ヴァーガスさんが7年前に設置したソーラーパネルに、お隣さんのセコイアの木の影がさす。影がさすと、発電できない。さあ、困った。
いえ、最初は良かったんです。まだセコイアが育っていなかったから。けれども、セコイアはどんどん育ち、影はどんどんソーラーパネルを覆う。困ったヴァーガスさんは、お隣のトレナーさんに頼みます。「10メートルを越えた木を5メートルのところで切ってください」と。しかし、木を切るなんてイヤだとトレナーさんは突っぱね、間もなく、揉め事は法廷へと移ります。そして、昨年12月、裁判官は判決を下しました。
 「カリフォルニアには法律があって、隣人のソーラーパネルに影を落とすことは立派な罪となる。だから、8本のセコイアのうち、2本を切るように」と。


P1120672s.jpg

   それから、上告しようかといろいろ手を尽くしたトレナーさんでしたが、法廷・弁護士費用が4万ドル(4百万円)近くにふくらんだ3月、もうこれ以上は闘えないと、裁判所の判決に従うことになりました。トレナーさんと奥さんは、立派に「前科一犯」となり、そして、3月下旬、2本の木はチョキンと切られたのでした。

ここで裁判官の言うカリフォルニアの法律というのは、30年前の1978年に制定された「Solar Shade Control Act(太陽の影を取り締まる条例)」です。この法律では、午前10時から午後2時の間に、隣人のソーラーパネルの10パーセント以上を影にしてはならない、と定められています。違反者は、一日につき千ドル(10万円)の罰金を徴収される可能性もあるそうです(この法律が初めて適用されたトレナーさんに対しては、罰金は科されていません)。
けれども、このヴァーガスさん対トレナーさんのケースをきっかけに、州議会ではさっそく法案が提出されています。ソーラーパネルよりも先に木が植えられている場合には、この法律は適用できないようにしようと。そうなんです、ヴァーガスさんは2001年にパネルを設置していますが、トレナーさんの方は、1999年までに木を植え終わっているのです。予想は極めて難しいことではありますが、木が育つことを考慮しなかったヴァーガスさんにも、ある程度の落ち度はあるはずなのです。

まあ、この一悶着は、「カリフォルニアだけ(Only in California)」の奇妙なお話として、全米で有名になったのですが、「グリーン旋風」がアメリカ全土を吹き荒れる中、似たようなケースは、今後どこにでも現れる可能性はあるわけです。
それにしても、ちょっと悲しいのは、電気自動車を運転する環境保護派のヴァーガスさんに対し、木の持ち主のトレナーさんだって、トヨタのハイブリッド車プリウスを運転するほどの環境保護派ということなのです。木を切りたくないのは、二酸化炭素を吸収して酸素を排出し、鳥たち生き物にも安全な寝床を与える、そういった環境にプラスの面を考えてのことだったのです。

「太陽光発電」対「街の緑化」。30年前の法律がよみがえった今、ちょっと考えさせられるお話ではありました。


<地球温暖化>


P1120671s.jpg

先日、新聞の漫画欄に、おもしろいものを見つけました。ごくシンプルなひとコマ漫画で、テレビのニュースを観ながら、夫婦がこんな会話をしています。

 「ほら、氷河のスピードで動く(moving at a glacial pace)っていう表現が"遅い(slow)"という意味だった頃を覚えてる?」と。
(by Hillary B. Price)


そう、先日も、南極大陸にあるウィルキンス棚氷の一部が崩壊したと、大きなニュースになりましたね。なんでも、ウィルキンス棚氷とは南極最大の棚氷(ice shelf)だそうで、崩れ落ちたのは、ニューヨーク州マンハッタン島の7倍もの規模だったとか。崩壊したのは全体の4パーセントの大きさということですが、これによって、更なる崩壊が引き起こされる可能性も大だそうです。
今回の棚氷崩壊では、衛星写真で兆しを察知した科学者が現場に飛行機を向け、崩壊瞬間のビデオ撮影にも成功しているようですが、何千年と存在したものが崩れ落ちるのに、そんなに時間はかからなかったことでしょう。

2003年の夏、スイスに旅行したとき、わたしも地球温暖化(global warming)を肌で感じたことでした。標高1600メートルのツェルマットの街は、摂氏30度の暑さだったし、名峰マッターホルンの氷河は、澄んだ青い色から、泥の混じった茶色に変色した箇所が目に付きました。

カリフォルニアでも、シエラ山脈の宝石とも称されるタホ湖(Lake Tahoe)が、温暖化の影響で濁ってきているそうです。そして、10年のうちに、固有種である植物や魚が住めない状態になってしまうだろうと。水温の変化によって、湖水の対流が妨げられ、湖底に酸素が巡らなくなる。すると、500メートルの湖底近くに生息する魚たちは表面近くに上がってきて、バスのような外来種の魚に食べられてしまう。
これまでタホ湖の生態系を支えてきた湖水の対流は、平均して4年に一回起きるそうで、2月末の寒い時期、酸素をたくさん含んだ表面の水の層が湖底まで到達し、湖底近くに生きる植物や魚に酸素を運ぶ役割を果たしているそうです。しかし、水温の変化によって、対流が起き難くなり、2019年には、まったく起きなくなる可能性もあるとか(カリフォルニア大学デイヴィス校のコンピュータシミュレーションを使った研究結果)。
タホ湖の濁りの方は、対流の変化の影響かどうかははっきりしないそうですが、気温が上がると、シエラ山脈の雪が雨に変わり、結果的に土壌を侵食する、そんなことも影響を及ぼしているようです。

温暖化と言えば、アメリカでは、概して西部の方が熱し易いんだとか(いえ、人間の話ではなく、気温の話です)。
2003年から2007年の間、世界の平均気温は、20世紀の平均気温に比べて華氏1度(摂氏0.56度)高かったそうですが、西部11州は、華氏1.7度(摂氏0.95度)も高くなっていたそうです。だから、世界の温暖化よりも、アメリカ西部の温暖化の方が1.5倍ほど早く進み、とくにコロラド川沿いの乾燥地帯では、干ばつが頻繁に起きる可能性があると(Rocky Mountains Climate Organizationの研究結果)。
ワイオミング州の支流に発するコロラド川は、コロラド、ユタ、アリゾナ、ネヴァダと巡ったあと、カリフォルニアとアリゾナの州境を流れ、メキシコに達しカリフォルニア湾に注ぎます。こんなに長い距離を流れるコロラド川やその支流は、ロスアンジェルス、サンディエゴ、フェニックス、ラスヴェガスと、近郊の都市部の大事な水源ともなっているのです。そんなコロラド川周辺が干ばつとなると、近隣に住む何千万という人々にも多大な影響を与えてしまうのです。

そうなってくると、カリフォルニアでも恐い事が起きるのです。現在、州内では、内部デルタ地帯の水をあちらこちらに供給するというような、水のやりくりが行われているのですが、干ばつが進むと、ロスアンジェルス近郊の州南部に送られる水が足りなくなり、同じく内陸部の恩恵を受ける北カリフォルニアも、連鎖反応で水不足に陥る。すると、北と南で激しい水の取り合いが起きる、そんな恐ろしい構図が見えてくるのです。
もともとカリフォルニアの北と南は、そんなに仲が良くありません。お互いに独立した方がいいとうそぶくほど、文化が違うと感じているのです。だから、水不足のような生命の根幹に関わる事態に及ぶと、当然のことながら、醜い争いとなる。そして、そのうち、人が生活できなくなる・・・

う~ん、なんとなく映画のシナリオのようでもありますが、これが単なるシナリオで終わる保証がないところが恐いですね。「水の確保」。これは、21世紀後半のキーワードでしょうか。


<ノーベル平和賞受賞のゴア氏>
最後に、ちょっと話は変わります。「地球温暖化」と言えば、アメリカ(の非科学的な一般市民)にその存在を知らしめたのは、アル・ゴア前副大統領の功績が非常に大きいのです。そして、ゴア氏は、その功績を称えられ、アカデミー賞やノーベル賞までもらっているわけですが、それが、「ついに宿敵ブッシュ大統領を越えたか」と、ある種尊敬の眼差しで見られることにもなっています(2000年の大統領選挙では、有権者の得票数で勝っていたゴア氏が、フロリダ州のわずかな票差によって、大統領の座をブッシュ氏に奪われる結果となりました)。

そのゴア氏が、最近また何かと話題に上っています。民主党の「歩み寄り候補(compromise candidate)」として大統領選に出馬しないかなと。


P1120570s.jpg

いやはや、民主党の大統領候補者選びは、もうにっちもさっちも行かないところまできています。代議員獲得数で若干リードするバラック・オバマ氏に対し、あくまでも抗戦の構えを崩さないヒラリー・クリントン氏。少なくとも、4月22日のペンシルヴァニア州の予備選挙までは両者の戦いは続くわけですが、ここでクリントン氏が勝つとなると、戦いは更に続行します。そして、ペンシルヴァニア州知事、フィラデルフィア市長と有力政治家を味方に付けたクリントン氏は、現在、世論調査で二桁リードしており、戦いが続行する可能性は極めて大きいのです。
この終わり無き戦いに対し、どこからともなく、「前副大統領のゴア氏を妥協案として推したらどうだろう」という声が上がっているのです。

もちろん、これは非常に可能性の低い話ではありますが、もともとゴア氏が出馬すべきだと思っていたわたしは、「うん、いい案だ」と、ちょっと嬉しく感じたことでした。ヒラリーさんも好きですが、ゴア氏なら、経験もあるし、頭脳明晰だし、シリコンバレーのIT業界もよく理解しているし、打って付けだと思うのです。ただ難を言えば、あまりに頭が切れ過ぎて、彼の言うことを理解できる国民が少ないことかもしれません・・・

まあ、ゴア氏本人にとっても、歩み寄り候補の話は迷惑かもしれませんが、ここまで民主党内の争いが続いては、解決の手立てが限られているのも確かなのです。
ヒラリー支持派の3割近くが「もしオバマ氏が民主党候補になったら、共和党候補のマケイン氏に投票してやる!」と言い放ち、オバマ支持派も負けずに同様のことを言い返す。そんな中では、誰かが救世主とならないと、またまた共和党大統領(しかも、ブッシュ・クローン人間)が登場することになるかもしれません。

やっぱり、ゴアさん、ここで救世主となられてはいかがでしょうか!


夏来 潤(なつき じゅん)

地球と宇宙:もう競争は始まっている

Vol.103

地球と宇宙:もう競争は始まっている


まだ雨季のシリコンバレーですが、晴れ間がやって来るたびに春の装いを感じ、ちょっと北窓を開いてみる今日この頃です。

さて、そんな2月は、社会、政治、宇宙と、最近の関心事を3つご紹介してみましょう。


<未成年論議>

毎年、新しい年がやって来ると、アメリカでは国や州の新しい法律が施行されます。カリフォルニアでは、新条例の施行は1月と年度始まりの7月が多いのですが、今年1月から始まった法律にこんなものがありました。
「17歳以下の未成年を同伴していると、車内でタバコを吸ってはいけない。」

これはもちろん、「受動喫煙(secondhand smoke)」の危険性を鑑みて施行された法律なのですが、とくに子供や赤ちゃんへの影響が大きいことを配慮し、規則にして本格的に取り締まろうではないかというものです。これで警察に捕まると、一回100ドル(約1万円)の罰金だそうなので、カリフォルニアに旅行しレンタカーを運転しようという方は、充分に気を付けた方が良さそうです。

未成年に関する法律では、カリフォルニアで今年7月に施行される、こんな新条例もあります。
「16歳と17歳の未成年者は、運転中に携帯電話などの電子機器を使ってはならない。」

カリフォルニアでは、条件付きで16歳から運転できるようになるのですが、18歳未満の未成年の場合、運転中に携帯電話で話したり、テキストメッセージ(SMS)を打ったりというのが厳禁となるのです。一回目の罰金は20ドル(約2千円)、二回目からは50ドル(約5千円)だそうですが、ティーンエージャーとしては結構痛いですよね。
全米で見ても、運転に慣れないティーンエージャーが、運転中にメッセージを打ちながら事故を起こす例が激増していて、これに対抗する措置として、カリフォルニアのように法律制定に動き出す州も増えているようです。
以前もちょっとお伝えしたことがありますが、今年7月からは、カリフォルニアでは「ハンズフリー機能」を使わないと、携帯電話は使用禁止となります。大人の場合はハンズフリーを使えばOKなのですが、未成年者はハンズフリーであってもケータイは全面禁止となるのです。ただでさえ、不慣れなドライバーは注意散漫になりがちですものね。

ところで、この「未成年」に関する法律ですが、アメリカでは、だいたい18歳未満というのが未成年の定義となっています。
たとえば、選挙権は18歳から与えられます。世界的に見ても、18歳から投票可というのが標準となっていて、たまに条件付きで16歳とか、逆に21歳まで待たないといけないとか、例外があったりします。でも、大部分の国々は18歳となっています。
結婚も、アメリカのほとんどの州で18歳からできます。親の承諾があると16歳から結婚できる州が大部分ですが、18歳からは自分の意思で結婚できるようになります。カリフォルニアの場合は、結婚年齢は定められていませんが、18歳未満だと、裁判所と親の承認が必要となります。一方、ニューハンプシャーのように、裁判所と親の承諾があると、女性は13歳、男性は14歳で認められる州もあります(ただし、この場合は、妊娠などの「特別な理由」に限られます)。

アメリカでは、18歳になると軍隊にだって入れます。国のために命を懸けて働きたいという大事な決断も、18歳から認められるのです。
それから、男の子は18歳になると、徴兵制のための登録(draft registration)をしなければなりません。もちろん、実際に軍隊に入る人は少ないわけですが、徴兵がいつ行われてもいいように、男子は成年に達すると国に届出をしないといけない規則になっているのです。これを拒むと、牢屋に入ることはないようですが、国からのさまざまな恩恵を受けられなかったりするので、大学に進学できない人も出てくる可能性があるそうです。

このように、18歳は成年として定着しているわけですが、逆に、18歳ではダメなものもあります。そう、飲酒ですね。飲酒やアルコール類の購入は、21歳でないと許されないのです(国の法律でそう定められています)。州によっては、21歳未満はバーに入ることすら許されない場合もあるし、逆に家族が一緒だったり、何かのイベント(たとえば宗教行事)だったりすると例外的に飲酒を認められる州もあります。
飲酒について、はっきりと年齢を定めていない州もあるそうですが、カリフォルニアの場合は、21歳で徹底しています。お酒を買うとき、日本人はよく「免許証を見せてください(Can I see your driver’s license?)」と尋ねられますよね。アジア人は実際よりも若い年齢に見られるので、こればっかりはしょうがないのです。

ところで、ここで疑問が湧きませんか? どうして喫煙は18歳で認められるのに、飲酒は21歳なんだろうって(喫煙は、アラスカ、アラバマ、ユタの3州で19歳からとなっていますが、あとは全米で18歳からOKなのです。だから、冒頭でご紹介したカリフォルニアの法律でも、「17歳以下を同伴の場合」となっているのですね)。
実際、なんでタバコはいいのに、お酒はダメなの?と思っている人も少なくないようで、全米各地で、「いっそのこと喫煙も21歳からにしましょう」という動きがくすぶり続けているようです。だって、体に悪そうなのは、どちらも同じですからね。

こういう論争になると、アメリカでもいつも「未成年」の議論が蒸し返されるのです。ある人は、こう主張します。投票できて、結婚できて、軍隊に入れるんだったら、立派に大人でしょ? どうして飲酒だけ認めないのよ?
それに対して、こう反論する人もいるでしょう。21歳未満はまだ学生の年齢であり、飲酒は社会的に早過ぎるのである(歴史的に見ても、飲酒年齢は常に白熱した論議を呼ぶ題材ではあるようです)。

日本では、何でも一律に20歳という区切りが付けられていますが、果たしてそれがいいのかどうか、意見が大きく分かれるところですね。現に政府も審議を始めたようではありますが、国民にしても、「現行通り20歳でいい」という人と、「やっぱり世界の潮流に乗って、18歳にすべき」という人と、真っ二つに分かれることでしょう。
まあ、昔は、15歳で元服だったわけですから、18歳は早過ぎることはないかもしれません。けれども、いつまでも大人になれない(なりたくない)風潮があることを考えると、一概に外国の真似をするのも良くないことかもしれませんね。

それにしても、本人が「大人」の自覚も無く、法的に無理矢理大人にされてしまうのは、社会にとっても迷惑ではありますが、その一方で「もうちょっとしっかりしてちょうだい!」と、叱咤激励したくもありますよね。


<大統領の資格>
投票の話が出たところで、先月に引き続き、大統領候補者選びのお話です。

ご存じの通り、2月5日の火曜日は「スーパーチュースデー」でした。全米20以上の州で、民主党と共和党の党員集会や予備選挙が一斉に開かれた、スーパーな一日なのでした。


DSC02999.jpg

今年はカリフォルニアも予備選挙を前倒しにして、スーパーチュースデーの投票日となったわけですが、なんと、我が家の近くの集会所も投票場所になっていました。2000年と2004年の大統領選挙の年には、投票所にはなっていなかったような気がするので、今年の選挙に対するみんなの関心の高さを如実に表しているようです。

それにしても、シリコンバレーのあるサンタクララ郡は、外国から来た人口比率が高いので、投票には英語、スペイン語、ヴェトナム語、中国語が使われているようです。


DSC03001.jpg そう、この辺りでは、人口の3割が外国生まれだったと記憶しています。そんなわけで、北カリフォルニア最大のサンノゼ市では、市の公用語が英語、スペイン語、ヴェトナム語の3ヶ国語となっています。なんともコスモポリタンな場所なんですね。(ちなみに、アメリカでは、英語が事実上の公用語となっていますが、自国語というのは法的に定められていません。だから、地方自治体によって、外国語も公用語とできるのですね。)

ところで、肝心の候補者選びですが、スーパーチュースデーまで調子の良かったヒラリー・クリントン氏は、その後、バラック・オバマ氏に11連敗し、代議員の獲得数でも追い抜かれてしまいましたね(2月末現在、クリントン氏1269 対 オバマ氏1360)。
スーパーチュースデーでは、カリフォルニア、ニューヨーク、ニュージャージーといった大票田でヒラリーさんが勝っているので、あとは3月4日のテキサス、オハイオ、4月22日のペンシルヴァニアといった大きな州が、ヒラリーさんの頼みの綱となるところです。

スーパーチュースデーの直前には、ロスアンジェルスで華々しく民主党の討論会が開かれたのですが、スティーヴィー・ワンダーさんやスピルバーグ監督が見守る中、壇上のヒラリーさんとオバマ氏に向けて、視聴者からのこんな変てこな質問が披露されました。
「おふたりは、共和党のミット・ロムニー氏(前マサチューセッツ州知事)のように企業でCEO(最高経営責任者)を務めたことがないけれど、それが大統領になったときに障害になりませんか?」
わたしはそれを聞いて、一国を司ることを一企業の経営と勘違いしている輩(やから)がいるのかと驚いてしまったわけですが、第一、国家では、調子が悪いからって人員をカットすることなんてできないではありませんか。国が「人切り」を始めたら、それはもう国家じゃなくなってしまいますよね(う~ん、アメリカ人って、ときどきとてつもなく変な事を言い出すんですよ)。

そう、国は会社の経営とは違う。だから、個人的にはオバマ氏が好きじゃないのです。どうしても、オバマ氏の打ち出す政策は、弱い者をカットしてしまうような気がしてならないのです。
たとえば、医療保険。ヒラリーさんとオバマ氏の説く政策は、そのほとんどが似通っているわけですが、事医療保険に関しては、大きな隔たりがあります。現在、アメリカの医療保険は、希望者が民間の保険に加入するパターンなのですが、ヒラリーさんは、全米で5千万人もの未加入者(その多くは子供)がいることを考えると、全員参加(universal health care coverage)を義務付けるべきだと主張しています。それに対しオバマ氏は、国民の自由意志を尊重し、義務化する必要はないと主張しています。
オバマ氏の論点は、保険料をぐんと下げれば、自然と全員が保険に入れるようになるというものなのですが、個人的には、それは無理だと思うのです。たとえば、卑近な例ですが、我が家は月に800ドル(約8万円)の保険料を支払っています。奥さんと子供ふたりを抱える友人は、1300ドルだと言っていました。我が家の場合は、「あそこで病気が見つかったら、もうお仕舞いだよね」とジョークを言われるような、労働者向けの病院システムに入っています。でも、それだけ個人負担が大きいのです。それをどうやって100ドルに下げるのでしょうか?

オバマ氏の言う「自由意志の尊重」は、アメリカの有権者にとって聞こえはいいでしょうが、どうしてもエリートによる「勝者の論理」のような気がしてしょうがないのです。
現状はと言えば、30秒にひとりが、医療費が払えなくて個人破産している(年間約百万人)。年間の医療費全体は、フランス一国のGDPを優に越えている(約200兆円、日本のGDPのおよそ半分)。そんな破綻寸前の医療制度の中では、自由意志を尊重すれば、弱い者はどんどんクレバスの底に落ちていくのではないかと・・・

わたしは、常日頃、こう考えているのです。一般的に、女性の方が政治家に向いているではないかと。なぜって、女性には名誉欲が少ないし、産む性だから、より一層命に対する慈愛が強い。そして、育むことに長けているはずだから、政治家や役人といった公僕には向いているのではないかって。
ヒラリーさんは、そんな女性のステレオタイプには当てはまらないと言う人も多いでしょう。でも、アメリカで一番人気のミリオンセラー作家ジョン・グリシャム氏が、こんなことを言っていました。「彼女は、実際に会ってみると、ものすごく暖かい人なのに、それがなかなか人に伝わらないんだよね」と。(かく言うグリシャム氏は、元弁護士の「法廷スリラー」の第一人者で、熱心なヒラリー支持者でもあります。)

まあ、先月もちょっと触れましたが、女性が政治家になるのは難しいですよね。アメリカの場合、常に「戦争」とか「防衛」という難題に直面しているので、「女性だと他国から甘く見られる」といった先入観が付きまとうようです。とくに、対する共和党の事実上の候補者が、ヴェトナム戦争を経験するジョン・マケイン氏ときては、民主党支持者としても、「やっぱり男性候補の方がいいのでは?」と迷ってしまうわけですね。

今回の大統領候補者選びのプロセスを注視していて、ひとつ痛感することがあるのです。それは、この過程が、アメリカ史における選挙権(suffrage)を勝ち取るプロセスと似ているなと。黒人候補と女性候補のどちらが先に大統領になれるかというのは、黒人と女性のどちらに先に選挙権を与えようかという過去の論議・闘争に似ているなと思うのです。
選挙権の場合は、黒人(男性)の方に軍配が上がりました。1870年2月に追認された米国憲法修正第15条で、初めて黒人男性の選挙権(Black Suffrage)が認められています。女性の選挙権(Women Suffrage)が認められたのは、50年後の1920年8月に追認された修正第19条によってです。

19世紀後半、選挙権を勝ち取ろうという動きがアメリカ女性の間で強くなったとき、女性活動家たちは黒人男性と手を携えて運動を広めたそうです。「人のことを助けるよりも、自分たちのことを優先すべきよ」という批判があったものの、主だった女性活動家は、黒人男性を手助けする方を優先したんだとか。その方が、議会での通りがいいと判断したから。

もしも今回ヒラリーさんが民主党大統領候補の座を逃したら、女性が大統領になるのは、50年先のことかもしれませんね。


<宇宙競争>
さて、話題はガラッと変わります。1月下旬、ちょっとギョッとするニュースが流れたのでした。「もうすぐコントロール不能なアメリカのスパイ衛星が地球に落ちて来るから、充分に気を付けるように」と。
これを聞いて、大方の人は、「いつどこに落ちてくるかもわからない物体を相手に、どうしろっていうの?」と、大いに不満を抱いたのでした。

すると、2月中旬になって、突然「3、4日のうちに、スパイ衛星をミサイルで打ち落とすぞ」と、米国政府が言い出したではありませんか。何でも、海軍の船からミサイルを発射し、衛星を打ち落とすんだとか。ヴァレンタインデーに発表されたニュースにしては、ちょっと物騒なものではありました。
すでにご存じの通り、2月20日の夜、ハワイ沖のイージス艦レイク・エリーから「SM-3(Standard Missile 3)」が発射され、狙ったスパイ衛星USA-193は、大気圏中の熱圏に突入したところ(上空200キロメートル)で粉々となったのでした。

ここでおもしろいのは、国は最初のうち、スパイ衛星が落ちて来ても大丈夫と主張していたことなんです。衛星の破片が人口密集地帯に落ちてくる確率は、きわめて少ないと。それが、いつの間にか、「燃料にしている有毒液体(hydrazine)が、人に害を与える恐れあり」と、立場を逆転したのでした。
この短い間の豹変ぶりに、こう解析する人もありました。人類の歴史の中で、空から降ってきた人工物体に当たって死んだ人などひとりもいない。だから、国には、何か隠された動機があるのだろうと。

そうなんです。大いに動機ありなんです。イージス艦が発射したSM-3は、もともと弾道ミサイルを迎撃するミサイルなんですね。ゆえに、スパイ衛星を迎え撃つには、ミサイルシステムのソフトウェアをいじらなければならない。そして、それがちゃんと機能するか、テストしなければならない。それから、海軍の誇るイージス弾道ミサイル防衛システムが、衛星の軌道をちゃんとレーダーで追えるのか、それもテストしておきたい。
だから、国防省の打ち落とし作戦に、ブッシュ大統領も「うん」と首を縦に振ったのでしょうね。しめしめ、いい口実になるぞ。大陸間弾道ミサイル(ICBM)や衛星の迎撃を想定した、絶好の予行演習になるぞと。

そう、衛星迎撃(antisatellite)というのは、近頃ちょっとした流行になっていて、昨年1月に、中国も古くなった気象衛星を打ち落としているのですね。アメリカ、ロシアに次いで、3国目の成功例となっています。
このように、地上や海上からミサイルやレーザーで衛星を打ち落としたり、軌道上の衛星から投射物やエネルギービームを発射して敵の衛星を打ち落としたりというのは、「宇宙兵器(space weapons)」と呼ばれるジャンルに入るらしいです。まるで、映画「スターウォーズ」の世界ですよね。
そうそう、この衛星迎撃には、敵の衛星に体当たりする小型衛星(microsatellite)なんていう構想もあって、現に米空軍は、数年前、小型衛星をふたつ打ち上げているんです。

しかし、その一方で、むやみに大気圏外で衛星を破壊すると、無数の破片がスペースシャトルなんかの航行の妨げになるとか、これから各国間の兵器競争がどんどんエスカレートしていくとか、国際社会の非難を浴びているのも確かです。だってアメリカ、ロシア、中国と来た次は、インド、隣国のライバル・パキスタン、そして日本と、後続が控えているでしょうから。(宇宙兵器に関しては、Theresa Hitchens, "Space Wars", Scientific American, March 2008: 79-85 を参考にさせていただきました。)

う~ん、なんだかきな臭い世の中になっていますが、逆に、こんなわくわくするような宇宙技術の平和利用もあります。名付けて、「Google Lunar X Prize」コンテスト。そう、グーグルとX Prize財団がスポンサーとなっている、月面探査のコンテストです。
民間の資金を募って月面探査ロボットを打ち上げ、月面に着陸したあと、少なくとも500メートルは走行し、写真や映像を地球に送り届けること。これが使命です。2012年12月31日までの期間中、真っ先に成功したチームには2千万ドル(約20億円)が、2014年末までかかった場合は1千5百万ドルが賞金として贈られます。二等賞のチームには5百万ドルが贈られ、月面で水の痕跡を見つけたら5百万ドルと、ボーナスも付いているそうです。

限りある民間の資金を使いながらも、それを補う創造力を駆使し、宇宙探査という大きなプロジェクトを達成する。そして、参加チームが過程で学んだことは、皆と共有する。今まで国家にしかできなかったような大仕事を、人類のためにやってやる!そんな意気込みなんですね。

2月下旬、グーグルの本社では、参加登録を完了した最初の10チームが紹介されたのですが、やはり参加資格を得たチームは、航空宇宙学やロボティックスの専門家がほとんどのようですね(登録申請を打診したチームは、53カ国から567チームあったそうですが、最後までくぐり抜けるのは難しいようです)。
この10チームを率いる代表者の中には、81歳のチームリーダー、ハロルド・ローゼン博士がいます。なんでも、この方は、通信静止衛星第一号の設計に参加した方だそうで、この衛星のお陰で、1964年の東京オリンピックを世界各国に中継できたそうな。それから幾度か引退したけれど、やっぱりプロジェクト達成の興奮が忘れられなくて、現役に戻って来られるのです。

博士曰く「いや、ほんとに楽しいよ。だからやってるんだよ。」

いくつになっても挑戦を忘れない。月面探査はできなくとも、見習ってみたい生き方ですね。


夏来 潤(なつき じゅん)

新年号:いよいよ大統領選挙の年となりました

Vol.102

新年号:いよいよ大統領選挙の年となりました


毎日、シリコンバレーでは、雨が続いています。冬は雨季なので、雨が降るのは当然ですし、去年から雨が少なくて水不足が心配されていたので、恵みの雨であること確かです。でも、こう雨ばかり続いては、さすがに嫌気が差しますね。
冬の雨は冷たさが増すので、毎日こごえながら仕事をしているところですが、日本から戻って来たばかりの連れ合いは、「こっちは暖かいねぇ」などと言っています。「違うわい、先週までは寒かったんだい」と反論してみたものの、やっぱりシリコンバレーは日本よりも暖かいようではあります。

というわけで、今月もごちゃごちゃと3つのお話をいたしましょう。


<大統領候補者選び>

今月はまず、注目の大統領選挙から始めましょうか。ひとつお断りいたしますが、わたしは公正を期すべきジャーナリストではありませんので、私情満載(!)でお届けすることにいたしましょう。

いよいよ11月4日に迫る大統領選挙に向かって、大騒ぎの2008年の幕開けです。1月3日のアイオワ州(中西部)の党員集会を皮切りに、8日のニューハンプシャー州(北東部)の予備選挙、19日のネバダ州(西部)党員集会とサウスキャロナイナ州(南部)の共和党予備選挙、26日の同州の民主党予備選挙と、各地で党を代表する候補者選びのイベントが次々と開かれているところです。
今度の正副大統領選挙では、現職候補がいないことに加え、アメリカ史上初となる女性大統領か黒人大統領が誕生する可能性大と、話題性に欠きません。だから、まさに競馬さながらの、候補者選びのレース展開となっています。
今のところ、民主党も共和党も、誰が候補者となるのかは五里霧中といった状況です。

それにしても、真っ先に開かれたアイオワ州の民主党党員集会で、いきなりバラック・オバマ氏が一番に選ばれたというのは、「由々しき事態」にも感じられました。なぜって、個人的には、ヒラリー・クリントン氏が良いと思っているからです。
いえ、何も、ヒラリーさんが女性だから良いと言っているわけではありません。彼女は、男だとか女だとか、そんなケチな線引きを超越した、優秀な人材だと思うのです。彼女は経験も豊富だし、頭脳明晰で常に冷静な判断ができます。政治家としての押し出しもあるし、相手に屈しない強さも持っています。連邦上院議員一期目で、国政レベルではほとんど経験のないオバマ氏と違って、国を代表して他国とも渡り合うことができると思うのです。そんな彼女こそ、民主党候補の中で、一番の適任者に見受けられるのです。

さらに、はっきり申し上げて、オバマ氏ではいけない理由があるのです。それは、彼では共和党候補には勝てないと思われることです。なぜなら、半分黒人の血が混じっている彼には、多くの白人有権者が投票しない危惧があるからです。
アメリカはとても広い国です。海岸沿いの「進んだ」州や黒人の多い南部の州でオバマ氏が大いに得票しても、その勢いが内陸部の州に波及するとは考え難いのです。とくに、中西部の共和党支持者が多い場所では、「絶対に白人以外には入れない」と密かに考えている人もたくさんいるでしょう。そういった人は、誰でもいいから、共和党候補に投票することになるでしょう。すると、そんな票が積み重なって、またまた共和党大統領の誕生となる恐れがあるのです。
ファンファーレが高らかに鳴り響く中、人気のオバマ氏が民主党の候補者に選ばれたからって、本番の大統領選挙で選ばれなければ、元も子もないではありませんか。もう二期8年近くも、共和党大統領の悪政が続いているんですよ!

今回の選挙戦では、「変革(change)」というのが流行り言葉になっています。「わたしは変革の騎手である(I’m an agent for change)」というのは、使い古されたキャッチフレーズともなっています。これは、民主党、共和党両党に当てはまる事ですが、共和党では、変革がブッシュ政権からの離脱を意味するのに対し、民主党では、ブッシュ政権と「体制」からの離脱を意味します。体制とは、つまりクリントン前大統領の奥さんであるヒラリーさんを指すわけですが、そこの部分を、オバマ氏ともうひとりの有力候補であるジョン・エドワーズ氏が執拗に突っついてくるのです。
それが、ヒラリーさんにとっては、何とも難しいところですね。まさに、両刃の剣とでも言いましょうか、自分の経験を語り始めると、それが体制の象徴とも取られかねないわけです。すると、彼女がどんなに素晴らしい事を実現してきたとしても、体制対変革の議論になると、変革の方が勢いに勝ってしまうのです(ちなみに、変革派のエドワーズ氏は、その後候補者選びのレースを降りています)。

けれども、個人的には、多くの人がオバマ氏を過大評価し過ぎているのだと思います。彼の経験の無さと過去のしがらみの無さを「フレッシュだ」「カリスマだ」と勘違いしているように思えてならないのです。わたし自身、テレビで何度も観る候補者討論会では、オバマ氏のカリスマ性をまったく感じた事がないのですが、いったいどこにカリスマが隠れているのか、誰かに説明して欲しいくらいです。

この混戦模様のレースの中、世の中にはいろんな憶測が飛んでいます。多くは大して目新しいものではありませんが、中には、とってもおもしろいものもあります。
たとえば、「アメリカでは、男性候補の方が女性よりもセクシーだとされる」というもの。これは、Newsweek誌のコラムニストであるジョナサン・アルター氏がテレビインタビューで述べていたことですが、アメリカの歴史を振り返ってみると、セックスアピールを持つ政治家は常に男性だったと。ジョンFケネディー大統領しかり、クリントン前大統領しかり、オバマ候補しかり。フランスあたりでは、女性候補がセクシーだとされるのかもしれないが、アメリカの政界では、女性のセックスアピールは通用しないのだ、というご指摘なのです。ということは、ヒラリーさんには、極めて不利ですね。

まあ、もともとアメリカ社会は、女性には不利なようにできているのは確かです。だから、同じポジションに這い上がった男性と女性を比べると、女性の方が優秀であるというのが、一般的に言われていることではありますね。


P1120389small.jpg

ヒラリーさんに対しても風当たりは相当強く、その一挙手一投足が、「虫眼鏡」で事細かく吟味されているのです。こちらの風刺漫画(by Tom Toles – Washington Post)にもあるように、やれ「ロボットだ、冷血だ、感情のまったくない、計算高い人間だ」などと、いろんな陰口をたたかれています(いえ、公に言われているのですから、陰口ではないですね)。
そして、ヒラリーさんがアイオワ州でオバマ氏に負けたあと、「わたしは本当に心から世の中を変えたい」と涙ながらに訴えると、「あれは絶対に演技だね」とか「だから、女はヒステリーなんだよ」と、途端に非難の声が上がります。まあ、アメリカには、「女性なんかには絶対に投票しないぞ」と公言する男性有権者が多いのも事実なのです。

その一方で、わたしと同じく、こんな事をおっしゃる方もいます。「オバマ氏では勝てない」と。
これは、スタンフォード大学・フーヴァー研究所のシニア・フェローであるシェルビー・スティール氏が力説なさっている事ですが、彼はこれに関して、一冊の本まで出しているくらいです。
まあ、この方は研究者なので、かなり意味深いご指摘をなさっているのですが、要約すると、オバマ氏が人気となっている理由は、自分を隠して政治的透明人間に徹しているところにあるので、有権者には彼の真の正体はまったくわかっていないのだ、というものです。
スティール氏曰く、オバマ氏とは「契約交渉者(bargainer)」に分類される黒人であり、「過去の人種差別に関しあなたたちの責任を問わない代わりに、自分の肌の色も問わないでくれ」と、暗に白人と取引をすることで、社会で勝ち残ってきた黒人セレブたちと同じであると(ま、平たく言うと、「自分で戦うことはせず、白人の負い目を利用して、白人社会でうまく生き残った黒人」といったところでしょうか)。
スティール氏自身、白人を母に、黒人を父に持った方で、その点では、オバマ氏と同じです。けれども、オバマ氏が自由な環境で育ったのに対し、年長のスティール氏は、まだまだ人種隔離政策がくすぶり続けるシカゴ南部地区で幼年期を過ごした、といった大きな違いがあります。そんなスティール氏にとっては、肌の色の重さが骨の髄まで染み込んでいるのかもしれませんね。

さて、2月5日には、いよいよ「スーパーチュースデー」の到来です。カリフォルニアを始めとして、全米22州で党員集会や予備選挙が開かれます。民主党サイドでは、候補者選びの代議員(delegates)の52パーセントがこの一日で決定されるので、まさにスーパーな火曜日なのです。
カリフォルニアでは、今のところヒラリーさんが世論調査でリードしていますが(1月22日Field Poll発表)、日に日にオバマ氏との差は縮まってきているようです。そして、予備選挙の投票日が近づくにつれ、「わからない」と迷う人もじりじりと増えているようはあります。

カリフォルニアにはいろんな人が集まっているので、それこそ「全米の縮図」といった感があります。だから、州の世論調査を眺めてみると、おもしろい事が見えてきます。たとえば、ヒラリーさんは、女性、ヒスパニック(ラテンアメリカ)系、アジア系、高齢者といった層に人気ですが、黒人、高所得者、高学歴者にはオバマ氏の方が人気です(カリフォルニアに限って言うと、若者にはオバマ氏が大人気という全米のトレンドは当てはまらないようです)。
とくに、所得と学歴による違いは歴然としています。大学を卒業した人にはオバマ氏指示が多いのですが、それよりも短い学歴を取得した人には、圧倒的にヒラリー指示が多いのです。また、所得においても、年間の世帯所得が8万ドル(約8百万円)以上と、それ未満では、劇的な差があります。所得の高いカテゴリーではオバマ氏の支持者が勝っていますが、所得の低いカテゴリーでは、実に50パーセント近くがヒラリーさんの支持者となっています。
さしずめ、身を粉にして働く労働者には、ヒラリーさんが頼もしく思え、俗に言う「インテリ層」には、オバマ氏がクールに見えるといったところでしょうか。


P1120477small.jpg

スーパーチュースデーを控え、シリコンバレーの地元紙サンノゼ・マーキュリー新聞では、社説の中でこんな呼びかけをしています。民主党候補にはオバマ氏を、共和党候補にはマケイン氏を選ぶようにと。
けれども 、わたしは思うのです。彼らはアメリカ人のくせに、自国の事が良くわかっていないんじゃかいかって。ひとたびカリフォルニアの州境を越えると、そこにはまったく違った風土が息吹いているのです。カリフォルニアの考え方など、全米で通用するとは限らないのです。

わたしが危惧する最悪のシナリオは、勢いに乗ってオバマ氏が民主党候補となり、肝心の本選で共和党候補に敗れるということなんです。それが、単なる杞憂に終わってくれればいいのですが・・・

やっぱりオバマさん、8年待って、出直して来られたらいかがでしょうか?


物好きな方への追記: 先月号で、11月の大統領選挙は「選挙人団(electoral college)」という制度を使い、とても複雑なシステムだというお話をしましたが、それにも増して、各党の大統領候補者選びの過程は複雑怪奇なのです。候補者選びの方は、「代議員(delegates)」という制度を使っているのですが、要するに、得票と代議員割り当てが結びつかない場合があるのです。たとえば、ネバダ州では、クリントン氏が得票数で勝ったわけですが、割り当てられた代議員の数では、オバマ氏がひとつ多いという奇々怪々な結果となっています!(だったら、あの勝者演説の大騒ぎはいったい何?)
更に、今年は、ミシガン州とフロリダ州が予備選挙を早く開催し過ぎたと党本部からお叱りを受け、この2州からは夏の党大会に代議員を出してはならないという騒ぎも起こっています。
更に更に、細かく言うと、普通の代議員の他に「スーパー代議員(super delegates)」と呼ばれる人たちがいて、最終的には、連邦議員や州知事、党の責任者といった人たちの指示が大きな鍵となるのです(民主党では、代議員全体の2割がスーパー代議員となりますが、結果的には、4049人の代議員全体のうち、2025を獲得した人が民主党大統領候補となります。ちなみに、スーパーチュースデー直前の集計では、ヒラリーさん248、オバマ氏177、降板したエドワーズ氏58となっています)。

いやはや、民主主義とは、何とも摩訶不思議な制度なのです!


<サブプライムえとせとら>
アメリカでは、1月に入って、2007年の流行語が発表されました。毎年、アメリカ方言協会(American Dialect Society)が協会員の投票で選ぶものですが、栄えある2007年の言葉は、「サブプライム(subprime)」と決定いたしました。
ご存じの通り、サブプライムとは「信用度の低い」という意味ですが、支払い能力が低いと思われる人にもエイッとローン貸付が行われた結果、こげつきが激増し、アメリカのみならず、全世界の金融業界をも巻き込んで深刻な問題となりました。
そんな影響力甚大な言葉ではありますが、日本の世相を表す漢字「偽」と同じく、あまりありがたくはないものですよね。

実際、昨年の前半までは、住宅ブームの大波に乗って、定職がなく、頭金がまったくない人にも数千万円規模のローン貸付が行われていたそうで、いざ住宅バブルがはじけてみると、さあ大変! もともとサブプライムローンには変動性のものが多く、金利の引き上げに伴って、利率はどんどん上がる。おまけに、家の値段は急激に下がり、自宅を処分しても、借金が残ってしまう。だから、仕方なく、愛する我が家を抵当に取られる。
なんでも、カリフォルニアでは、そんな風に家を失った人が激増したそうで、昨年は一昨年の6倍(!)だったそうです。


P1110109small.jpg

そういった世相をうまく描いたのが、こちらの風刺漫画。昨年10月のハロウィーン直前に掲載されたものですが、「Trick or Treat(いたずらか、お菓子か)」と子供たちが家々を訪ね回ると、本物の「Haunted House(呪いの館)」に出くわす。「一度は希望に満ちあふれた家主の亡霊にとりつかれている」と、子供たちは分析するのです(by Dick Locher – Chicago Tribune)。
抵当に取られた家は、オークションにかけられる場合が多いのですが、スタートラインの価格が高過ぎて、なかなか売れないらしいです。最初はローン残高が売値として設定されるわけですが、市価はそれよりもだいぶ下がっている・・・今は「家の買い時」とも言われるけれど、どこまで下がるかわからない・・・

それにしても、家の値段は急に下がるわ、石油価格は高騰するわ、物価は上がるわ、物は売れないわと、経済全体にとっても、庶民にとっても、まったく「泣きっ面に蜂」という状態ですね。
そんな中、今年に入り、アメリカでは急に「不景気(recession)」の「ふの字(R-word)」を耳にするようになりました。が、それも、あまりにも急激な転換ではありました。
年が明けて仕事始めの1月2日には、株式取引に携わるマネーマネージャー(ファンドの運用担当者)のほとんどが、「今年は勢いが良いはず!」と胸を張って言い切っていたのです。ところが、それからいったい何が起こったのか、市場は連日下落に次ぐ下落。たった二十日の間に、景気対策のために連邦準備制度理事会があわてて金利を引き下げるという緊急事態に陥ったのですから(そして、わずか一週間後には、定例理事会で再度レートカットされています)。

まあ、「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざがありますが、さしずめ、「ハリケーンと景気の浮き沈みには勝てまへん」といったところでしょうか。やっぱり、何と言っても、理屈が通らない相手には苦労しますよ。
だから、最近は、「キャ?、株が下がったぁ」とか「わ?い、上がったぁ」と乱高下に一喜一憂しなくてもいいように、ビジネスニュースはあまり観ないようにしています。先週なんかは、CNBCはやめにして、ESPN2でテニスの全豪オープンにかじりついていましたよ。その方が、精神衛生上ずっといいのは確かです。

さあ、今度の日曜日は、アメフトの天王山スーパーボウルか!


ちょっと余分な追記: ひたひたと足音の聞こえる不景気に対抗しようと、ブッシュ大統領と連邦下院は、景気刺激対策を打ち出しました。ひとり600ドル(約6万円)、夫婦で1200ドルの払い戻しがあるそうですが、シリコンバレーでは、もらえない人もたくさんいるようです。なぜって、世帯所得が17万4千ドル(約1千7百万円)を越えるとビタ一文もらえないわけですが、シリコンバレーの4軒に1軒がこれに該当するそうです(この辺って、ずいぶんと金持ちなんですね)!
まあ、お金持ちはどうにかなるでしょうが、景気対策の1千5百億ドル(約15兆円)というのは、国庫のいったいどこから出るのでしょうか?(どうもブッシュ大統領は、お金がなくなると、造幣局で紙幣を印刷すればよいと思っている節があるのです。)

さてさて、お次は、まったく趣の異なるお話です。


<心の穴>
近頃、日本では、凶悪犯罪が跡を絶たない物騒な世の中になっていますね。中でも、見ず知らずの人を通り魔的に殺めてしまうとか、逆に、一番親しくあるべき家族に危害を加えるとか、昔では考えられないような犯罪が目立ってきています。

わたしは社会問題の専門家でもありませんが、この最近の動向には、根本的な原因があるのだろうなと、おぼろげに考えているのです。それは、日本人の心に、ぽっかりと穴が空いているのではないかということ。そして、この大きな穴は、人の心から「畏敬の念」が消えつつあるせいではないかと思うのです。
畏敬とは、畏(かしこ)まり、敬うということですが、自分よりももっと大きな、崇高なものに恐れ入り、それを尊ぶというような意味があります。そのような、日本人が大昔から抱いてきた感情が、だんだんと失われつつあるのではないかと思うのです。

いえ、何も宗教の話をしているわけではありません。畏敬の念の対象は、何でもいいのです。たとえば、昔から日本人は、昇る御天道様(おてんとうさま)に向かって拍手(かしわで)を打つし、勢いよく落ちる飛泉に向かって頭(こうべ)を垂れる。錦秋の彩りに歓声をあげるし、ほころび始めた蕾(つぼみ)を愛でたりもする。日本人の心には、常に自分を越える大きな何かが宿っていたのだと思うのです。そして、その大きな何かは、自然だけではなく、人に対しても抱いていたものでした。
ところが、今は、多くの人の心から畏れや敬いが失われつつあるのではないでしょうか。つまり、自分が崇拝するものは自分のみ、みたいなおかしな状況が生まれているような気がするのです。

もちろん、畏れが強過ぎても、おかしなことになります。宗教原理主義に則ったテロ組織などは、その最たるものでしょう。人を殺せば、神のもとに行けるなどという教えは、勘違いも甚だしいものです。けれども、畏れが弱過ぎても、人の行動に歯止めが利かなくなるのではないでしょうか。なぜなら、自分が住む世界を支配するものは、自分だけなのですから。

自分の殻を破って一輪の花を愛おしく思ったとき、相手のことも愛おしく感じるようになるのだと思うのです。

というわけで、2008年も皆様が健康でありますように。


夏来 潤(なつき じゅん)

© 2005-2024 Jun Natsuki . All Rights Reserved.