差別的な規則「DADT」のゆくえは?

前回は、「兵隊さんの差別をなくそう!」と題して、アメリカの軍隊では、女性兵や同性愛の兵士にまつわる諸問題があることを取りあげました。

今回は、前回のお話の後半に出てきた、ゲイやレズビアンの兵士の規則について、近況報告をすることにいたしましょう。

年末になって、バタバタといろんなことが起きましたので。


先日のお話では、兵士が同性愛(homosexual)であることをあからさまに認めれば、兵役を解雇される規則があることをお伝えしました。

その名も「Don’t ask, don’t tell(ドント・アスク、ドント・テル、略称 DADT)」。

「(軍隊は)何も問わないから、(あんたたちも)黙っていてね」。つまり、黙っていれば、軍隊に入れてあげるけれど、もし公言したら、軍隊を辞めてもらいますよ、というヘンテコな規則。

そう、軍隊に入りたかったら、同性愛の人はウソをつきなさい、という規則なのです。

そして、そんな差別的な規則は廃止すべきであると、社会的な動きが活発化していて、国の議会でも審議されていることをお伝えしておりました。

当の軍隊でも、規則廃止に向かう気運は高まっていて、大統領に軍事上のアドバイスをする統合参謀本部議長、マイク・マレン海軍大将は、今年初め、このように述べています。
 「我々は、国のために兵士に犠牲になってもらっている。彼らの誠実さをも犠牲にしてはいけない」と。

そんな中、DADT の廃止法案は、先に連邦下院(the U.S. House of Representatives)では可決されていましたが、12月9日、連邦上院(the U.S. Senate)では惜しくも通過しませんでした。

「実際にゲイやレズビアンの兵士がおおっぴらに入隊すると、困惑する兵士も多いのではないか」と、廃止法案に難色を示す議員も多かったのでした。

けれども、「軍隊であろうと、やはり差別はいけない!」と、再度、廃止法案が単独で提出され、上院の審議はそのまま続けられていたのでした。

そして、下院でも、同様の廃止法案が提出されたことはお知らせしておりましたが、前回のお話を掲載した日(12月15日)に、即日可決されています。

(議会のややこしいところですが、先に下院で可決した廃止法案が上院で否決されているので、もう一度、下院で法案を採決する必要があったのでした。)


そんなこんなで、下院では電光石火で法案が通過したものだから、上院のみなさんも、ある意味プレッシャーを感じていらっしゃったのでしょう。

12月18日の土曜日、お休みを返上して審議を続けていた上院では、めでたく DADT廃止法案が可決されたのでした。

それも、65票対31票と、思いのほか賛成者が多かったのでした。

前回の否決の問題は、オバマ大統領と敵対する共和党の議員が、なかなか廃止法案に賛同してくれないということでした。
 けれども、今回は、まったく賛成してくれそうにない共和党議員も「可」の投票をしてくれて、合計8人の共和党議員が廃止法案に同意したのでした。

そんな8人の中で、ノース・キャロライナ選出のリチャード・バー上院議員は、「これは、世代的に正しい法案だと思う」と述べています。
 「今は、社会のどこでも差別的な行為は許されていないのに、軍隊だけこんな規則を残しておくのはおかしい」と。

まあ、議会の裏側では、賛成派に鞍替えしてくれそうな議員に、オバマ大統領が熱心に語りかけたことも功を奏したのでしょう。実際に会ったり、電話で説得したり、根回しはかなりのものだったようです。

そして、変な話ですが、議員自身の内情もあったことでしょう。それは、バー上院議員のように、今年11月に再選を果たした議員ほど、鞍替えしやすかったというお家の事情。
 だって、2年後の2012年に再選をひかえた共和党議員なんかは、地元の有権者に批判されるのが恐くて、鞍替えなんて滅多にできないのです。

(共和党支持者の中には、「同性愛なんて、神をも恐れぬ行為だ!」と、同性愛を社会的に認めたくない人が多いので、そんな人たちを怒らせたら、再選は難しくなってしまうのですね。)


そんなわけで、議会を通った DADT廃止法案は、オバマ大統領がクリスマス休暇に入る12月22日の朝、大統領によって署名され、めでたく法律となったのでした。

そう、DADTなんて変な規則は、きっぱりと撤廃すると。

この日、内務省オーディトリアムでの署名式を前に、オバマ大統領はこう述べています。

「我々の国は、愛国心のある者には誰でも国のために尽くしてもらう。我々の国は、すべての男女が平等につくられていると信ずる。これらは何世代にもわたり闘って培われた理想であり、今日我々が高く掲げるものである」と。

この DADT撤廃は、アメリカ史上でも画期的な法案なので、オバマさん自身も、演説にはかなりの力が入っていたようです。


蛇足とはなりますが、DADT撤廃に向けた一連の動きのきっかけとなったのは、ある裁判だったのでした。

2004年、「ログ・キャビン・リパブリカンズ(the Log Cabin Republicans)」という団体が、DADTを止めるようにと、裁判所に訴えました。
 この団体は、現役兵士や退役軍人が2万人ほど集まった組織で、おもに軍隊にいるゲイやレズビアンの権利を擁護する団体です。

名前は「リパブリカンズ(共和党支持者)」となっていますが、共和党の支持者の中にも、ゲイやレズビアンの方々はたくさんいらっしゃって、日頃から「肩身の狭い」思いをなさっているのでしょう。

この裁判は、2008年に担当判事が退職したこともあって、今年7月、ロスアンジェルス郊外の連邦地区裁判所へと舞台が移ります。

そして、9月9日、ついに判決がくだったのでした。

DADTは憲法に反するので、廃止すべきである」と。

判決をくだしたヴァージニア・フィリップス判事は、このように述べています。

DADTは、『法の下の平等』と『言論の自由』を明記した米国憲法・修正第1条に反する。ゆえに、軍隊にとって助けにならないばかりか、直接的で有害な効果を与えるものである。」

これによって、原告の大勝利となりましたが、被告となっている国が、そのまま引き下がるわけはありません。

今度は、国がサンフランシスコにある第9連邦巡回控訴裁判所に訴えて、フィリップス判事の決定を棄却するようにと上告しています。

今も控訴裁判所の審議は続けられていますが、その間、軍隊では DADTはそのまま続行となっています。


そんな騒ぎの中、国の議会が DADT撤廃を決めて、オバマ大統領が法律に署名をしたのでした。

今のところ、国(司法省)が控訴裁判所への上告をどうするのかは決めていないそうです。そして、まだ軍隊の中で生きている DADTが、どれほど厳しく守られるのかは不透明な状態です。

さらに、オバマ大統領が署名した法律には、「軍隊の心構えと準備ができてから撤廃する」という条件がつけられていて、これには最低でも一年はかかるのではないか、ともいわれています。

兵士や軍部トップの考えや態度を改めるには、軍隊の中から地道に教育で変えていくしかないのです。

けれども、署名後の記者会見で、オバマ大統領はこう述べています。

「過去にも、有色人種や女性を軍隊に融合してきた歴史を振り返ると、必ず実現できることだとわたしは信じている」と。

これからが正念場となる DADT撤廃ですが、方針として決まったということは、大切な第一歩ではありますよね!

付記: 年が明けて、国防総省は、「2月(2011年)から軍隊の教育を始め、年内には DADTを撤廃する目標を掲げている」と発表しています。
 しかし、「目標達成が不可能だとはいわないが、今から年末までに何が起きるかわからない」と、年内の撤廃を確約しているわけではないようです。(2011年1月28日の国防総省の発表を参照)

実際には、いろいろと微妙な問題もあって、たとえば、同性愛の兵士が仲間にからかわれるという問題が起きたとして、どこまでが許される行為なのか? と、白黒はっきりと定義するのが難しい面もあるようです。

ゲイやレズビアンの方々にとっては、いったいいつ差別なく軍隊に入隊できるのかとか、今までに解雇された兵士はどうなるのかとか、あれこれと気をもむ一年となりそうです。

テクノロジーの明日: 広がる仮想世界

Vol. 137

テクノロジーの明日: 広がる仮想世界

いつの間にかクリスマスも終え、2010年も残りわずかとなりました。

例年この時期になると、「今年の総括を書かなきゃ!」と頭の中にいくつもトピックが渦巻くのですが、今年はごくシンプルに、二つのお話で一年を締めくくりましょう。

<iPadはリモコンにどうぞ>


P1030509small.jpg

今年もまた、アップルさまがやってくれましたね。そう、話題の新製品「iPad(アイパッド)」が、鳴り物入りで世界市場に登場したのでした。

「タブレット型」という新しいフォーマットの製品が、どんな可能性を秘めているかって、そりゃぁもう、メディアも一般ユーザも大騒ぎでしたね。
ビデオがきれいでしょ、音楽も聴けるでしょ、画面が大きいのでゲームは臨場感があるし、カラー画面では本だって読みやすい。使い道は、いくらでもあるのです。

そんな巷(ちまた)の騒ぎをうらやましく思ったのか、連邦下院(the U.S. House of Representatives)でも、来年1月からiPadやスマートフォンの携帯電子機器が解禁となります。おじさんたちだって、審議の合間にメールやニュースをチェックしたいのです。
 


P1030517small.jpg

ところが、そんな画期的な新製品は、なんとなく中途半端でもあるのです。だって、音楽を聴きたい人は「iPod(アイポッド)」があれば十分だし、本を読みたい人には、アマゾンの「Kindle(キンドル、写真)」や、本屋チェーンBarnes & Nobleの「Nook(ヌック)」といった電子ブックがある。
今は「Nook Color(ヌック・カラー)」というカラー版も出ていることだし、わざわざ、ずしりと重いiPadなんて、持ち歩く必要はないのです。

そんなこんなで、「結局、僕にはノートパソコンとiPhone(アイフォーン)があれば、それでいい」と悟ったユーザも、ひとりやふたりではないでしょう。


P1050849small.jpg

気がつくと、いつの間にか、iPadにはうっすらとホコリが・・・。で、「これはいかん!」と、あわてて計算機として使ってみたりする・・・(写真は、最もダウンロード件数が多いといわれる「Jumbo Calculator」。ご丁寧に、太陽電池も付いています。って、もちろんニセモノですが)。

白状いたしますと、わたし自身もそうでした。最初は、喜び勇んでiPadくんと遊んでいましたが、そのうちに、スリル感を失ったといいましょうか・・・。

けれども、ごく最近、そのiPadくんが、また愛用されるようになったのです!
意外にも、テレビのリモコンとして。

これは、ケーブルテレビ配信会社のComcast(コムキャスト)が始めたサービスなのですが、普段はテレビ画面で表示する番組表をiPadで観られるようにして、iPadの画面上で「チャンネルころがし」や「録画予約」ができるようにしたものなのです。
これだけ聞いていると、「なんだ、それだけ?」とお思いでしょうが、実は、使ってみると、「こんなに便利なものはない!」って感心してしまうのですよ。
 


P1060057small.jpg

いやはや、アメリカのテレビ配信というのは、やたらにチャンネル数が多くて、チャンネル2から999まで、何百とあるのです。すると、テレビ画面の番組表でチャンネルを変えようとすると、何十回も「次画面」のリモコンボタンを押し続けなければならないのですね。
さらに、我が家の場合、週末に日本語放送をやっているKTSF局のチャンネル「8」と、HD(高画質)のチャンネル「700番台」との間を、ポンポンとジャンプしなければならないのに、それが非常にやりづらい。
(なぜだか、Comcastのサービスでは、数字を入力してチャンネル変更というのができないのです。だったら、なんでComcastのリモコンには、数字ボタンが存在するんでしょうね?)
 


P1060041small.jpg

そんな問題を解決すべく、ここでさっそうとiPadくんが登場するのです。Comcastのリモコンアプリをダウンロードすると、番組表が手元で観られるばかりではなく、「HD」と「普通」のチャンネルをふるい分けできるようになっているのです。
すると、「普通」のチャンネル8と、「HD」のチャンネル702番以降が、スムーズに変更できるようになるのですよ!

しかも、これはiPadの利点ではありますが、画面上の番組表をスクロールするのが、とっても速い。これで、700番台だろうが、900番台だろうが、指先でチョチョイとアクセスできるのです。

そんなこんなで、現在、わたしのiPadくんは、もっぱらテレビのリモコンとして大活躍しているのでした。
(厳密にいうと、Comcastのリモコンを使って「メニュー」をテレビに表示すると、HDチャンネルにはジャンプできるようになっています。でも、普通チャンネルに飛ぶことができないので、あまり意味がないのです。)

実は、テレビのリモコンになるのは、iPadくんだけじゃなくって、iPhoneやパソコンもOKなんです。
ですから、オフィスで思わぬ残業をしているときに、好きな番組をパソコンで予約しておくとか、海外に出張しているときに、iPhoneで予約するとか、そんな芸当ができるんですよ(唯一の欠点は、このサービスでは、放映の30分以内には録画予約ができないということでしょうか)。

そうそう、「iPhoneをリモコンに」といえば、おもちゃのヘリコプターの操作リモコンっていうのも、結構話題になっていましたね。(Parrot社の「AR. Drone」という、4つのローターが付いた模型ヘリコプターですが、デモはこちらでご覧になれます。)

iPadにしてもiPhoneにしても、何か新しい「おもちゃ」を手に入れると、それでいろんなものを動かしてみたくなる。これは、人情ってやつでしょうか。

ま、アップルさまの製品をリモコンに使うなんて、なんともお高いリモコンではありますが、「ホコリだらけ」になるよりも、よっぽどマシですよね!

アメリカでは4月3日、日本やヨーロッパでは5月28日に発売となったiPadですが、「6ヶ月で750万台」という爆発的な売れ行きを記録しています。
それって、もしかすると、「リモコン予備軍」がゾクゾクと世の中に出現しているということでしょうか?

 


P1060058small.jpg

追記: いえ、真面目な話、iPadは多方面にどんどん進出しているようではあります。
たとえば、アメリカの学校では、とくにシリコンバレーを中心に、教科書やノートの代わりに使うという動きも出ています。無味乾燥な教科書にも写真やビデオが取り入れられたり、自分のイラストを入れながらノート取りができたりと、子供たちの意欲が上がったという報告もあるようです(写真は、12月15日付けサンノゼ・マーキュリー紙より)。
今はまだiPad用教科書が少ないし、必要な章だけ購入することができないという足かせもあるようですが、それも時間が解決してくれるでしょう。
そして、わたしがお世話になっている病院システムでは、お医者さんのカルテに使うという極秘プランもあるようです。
なるほど、教育や医療の現場って、iPadが最も浸透しそうな分野ですよね。

<仮想世界>


P1060065small.jpg

今年の夏、ある小説を読み返していました。それは、中学生のときに読んだ『声の網(こえのあみ)』。
「ショート・ショート」と呼ばれるサイエンスフィクション短編の第一人者、星新一氏(ほし・しんいち、故人)の作品です。

こちらは珍しく長編小説となっていますが、表紙のカラフルなイラストにつられて買ったという不純な動機のわりに、ワクワクしながら読み進んだ覚えがあります。
「一月」「二月」と、ひと月ごとに季節を歩んで行く章の構成も、子供にとっては読みやすかったのかもしれません。

大人になって、IT産業に勤め、世の中の仕組みが少しはわかるようになった今、改めてページをめくってみると、子供の頃よりももっと強烈な印象を受けたのでした。
それは、「主題」となっているコンピュータによる人間社会の席巻。それに反抗しつつも、ついには言いなりになる人間たち。


P1060069small.jpg

まるで、2004年のサイエンスフィクション映画『I, Robot(アイ、ロボット)』に出てくる VIKI(ヴィキ、女性の顔を持つコンピュータ群)を思い起こすような、空恐ろしいプロットではあります。

この小説は、1970年、星氏が43歳のときに書かれたものです。今から、ちょうど40年前ですので、まさに、インターネットの前進である「アーパネット(ARPANET)」の実験が、スタンフォード大学とカリフォルニア大学ロスアンジェルス校の間で成功した直後となります。
東京大学大学院で農芸化学を研究した経歴を持つ星氏にとっては、「これは、科学で世界が変わる!」と、心を躍(おど)らせながら小説のネタを温めたことでしょう。無機質なネットワークが人間を支配するためにワナをしかけるなんて、まさに先進的なアイディアではあります。

一方、さすがに40年前というと、どんなに科学に精通した方にとっても、「今」を予測するのは難しかったようにも思えます。
たとえば、携帯電話。七月のお話の中には、明らかに「公衆電話」から電話をかけてくるシーンがあります。
今となっては、携帯電話を持たない人は少ないでしょうし、さらに進化して、「今どき、誰がケータイで話なんかするのよ?(ケータイって、メールやテキストメッセージを送るためにあるんでしょ?)」というような時代にもなっています。人はもはや、肉声では会話しないのです。

そして、興味深いことに、小説とは正反対の現象が起きているようにも感じるのです。
小説には、秘密というものは人類最大の発明であり、だから、秘密をひた隠しにするために、人が秘密を貯め込む『情報銀行』なるものが存在する、といった伏線がしかれています。
けれども、もしかすると、これは現代社会では当たっていないのかもしれない、とも思うのです。なぜなら、人はブログやソーシャルネットワーキングを通して、自分の心の奥底にある秘密までも暴露しようとするから。相手が不特定多数である安心感があるのか、赤裸々に自分を語ろうとするでしょう。

なぜそうするかって、仮想世界では、いつも誰かとつながっていたいからなのでしょう。そんな世界では、相手は自分を十分に理解してくれるし、そんな相手に秘密を「自白」することが、すがすがしく、「浄化作用」があり、自分の存在を肯定してくれる効果もあるから。そして、秘密を自白することが、相手をつなぎとめておく武器にもなるから。

けれども、そんな仮想世界がどんどんリッチになって、等身大の自分が投影されるようになると、思わぬ「しっぺ返し」をくらうことになるやもしれません。だって、諜報部員じゃなくたって、誰もが自分の親密な情報を把握しているのですから。
何が好きで、お友達は誰だとか、昨日は誰と会って、今はどこで何をしているとか、そんなことはみんな筒抜けなのですから。

現に、アメリカでは、離婚弁護士の3分の2が、ソーシャルネットワーキング最大手のFacebook(フェイスブック)を証拠として採用しているそうですよ。だってみなさん、Facebookでは嘘をつかないですもの。
それから、スマートフォンで撮った写真も利用価値があるでしょう。iPhoneなどの写真には位置情報が載っているので、誰かとお忍びで行った場所で撮った写真を、ネットなんかに掲載してはいけません。

でも、そんなものは、仮想世界にはゴロゴロ存在しているのです。裏を返せば、ネットでは包み隠さず心を語ったり行動したりするわりに、それが後に自分の不利益となる可能性があることを考えない人が多い、ということでしょう。
そして、その気になれば、情報の使い道もいろいろ。ちょうど、小説『声の網』のコンピュータが思い付いたように、弱みを握る手だてにも使えるのです。

そのうち、仮想世界を通して人々は自分のすべてを掌握され、ふと気がつくと、「クラウド」と呼ばれる雲をつかむような存在に首根っこをつかまれている。もしかすると、そんな時代もすぐ目の前なのかもしれません。

でも、心配はいりません。『声の網』の登場人物が皆そうであったように、何かしら大きな存在に身を委(ゆだ)ねることが、そのうち平和に感じてくるはずですから。何かが自分を支配してくれることが、至福の喜びにも思えてくるはずですから。

<後記>
今年は、渡米30周年、ライター転向10周年と、個人的にめでたい年ではありました。
その一方で、年明け直後に大切な友の死を知らされたり、身内の具合が芳しくなかったりと、思い悩むことも多い一年ではありました。

わたし自身、年が明けたら「松の内」に手術を受けることになっているので、落ち着かない年末を過ごしておりますが、そんな状態で考え事をしていると、普段とは違った思考回路になっているようにも思えるのです。
大袈裟な言い方をすると、「もし、これが最後だったら」という極限状態にあると言いましょうか、「本当に大事なものって何だろう?」みたいなことを考えるようになるのです。

そして、ひとつ思い付いたことは、大切にしなければならないものは、目の前にいる家族や友達なんだろう、ということでした。そう、生身の血の通った人たち。触れれば暖かいし、声をかければ返事が戻って来るような、身近な人たち。

亡くなった友は、仮想世界にはまったく関係のない人ではありましたが、最晩年は家族から離れ、人知れず街角で暮らしていました。自分で選んだ生活だったとはいえ、寂しがり屋の彼が人の輪から外れ、ポツンと公園でたたずむ姿は、想像すら難しいのです。
 


P1020503small.jpg

そう思って、今年は、こちらの写真をデスクトップiMacの壁紙に使っていました。できることなら友に見せてあげたかった、エーゲ海サントリーニ島の写真です。

あのねぇ、「壁紙」って言っても、キッチンに貼るような花柄の壁紙のことじゃないからね。今度会ったら、ゆっくりと説明してあげるから!

どうぞみなさまも、この写真の空のように、すがすがしい新年をお迎えくださいませ。

夏来 潤(なつき じゅん)

 

ようこそ、アーリントンの市長さん!

これは、前回のお話「優勝セール?」の続編となります。

前回は、メジャーリーグ野球のサンフランシスコ・ジャイアンツがワールドシリーズで優勝し、ベイエリア中が大騒ぎだったお話をいたしました。

なにせ、1958年にニューヨークから移って来たチームが、初めて優勝トロフィーを持ち帰ってくれたのですから。

みんな首を長~くして、栄光の日を待ちわびていたのです。

このお話の中で、ワールドシリーズで対戦したテキサス・レンジャーズの本拠地アーリントンの市長とサンフランシスコ市長が、ある「賭け」をしていることもご紹介いたしました。

賭けのひとつは、負けた方が、自分の街の名産品を贈ること。そして、もうひとつ大事なことがあったのでした。


このときの賭けで負けたアーリントン市長のロバート・クラック氏が、いよいよ12月15日、サンフランシスコを訪問いたしました。

サンフランシスコ・ジャイアンツが子供たちのために提供している、「ジュニア・ジャイアンツ(Junior Giants)」のイベントに参加するためです。

そう、「賭け」の山場は、負けた市長が相手の街を訪問し、相手チームのユニフォームを着て、チャリティーイベントに参加するというものでした。


ジャイアンツが本拠地としているサンフランシスコは、必ずしも「恵まれた子供たち」ばかりがいる街ではありません。

たとえば、ジャイアンツの新しいスタジアム「AT&Tパーク」と、ジャイアンツが以前ホームグラウンドとしていた「キャンドルスティック・パーク(写真:現在は、プロフットボール・サンフランシスコ49ersのスタジアム)」の間の区域には、黒人住民が多く住んでいて、あまり治安の良くない地域ともなっています。

そして、そういった地域に育った子供たちの中には、まわりの大人たちを模倣して、自然と学校もドロップアウトし、犯罪に手を染める子供たちも出てきます。

ですから、そうなる前に、スポーツを通して子供たちがチームプレーを楽しみ、学校に残る大切さや社会につながる大事さを学んでほしいという目的で、「ジュニア・ジャイアンツ」というプログラムがつくられたのでした。

ジャイアンツがお金を募って、道具やユニフォームを提供してくれるので、子供たちはお金の心配をすることもなく、思う存分、野球を楽しめます。
 そして、野球というと、どうしても「男の子のスポーツ」のイメージがありますが、5歳から18歳だったら、男の子も女の子も入れるのです。

そんなジュニア・ジャイアンツには、北カリフォルニアを中心に80以上のチームが加盟していて、ときどき対戦試合もあります。でも、試合は「勝ち負け」のために行われるのではなく、あくまでも野球というスポーツを楽しむために行われるのです。

試合の合間には、「ジャンクフード(栄養価の低いスナック類)なんかではなく、ちゃんと栄養のあるものを食べましょう」と、子供たちのためになることも教わりますし、ときどきは、プロのジャイアンツの試合を観戦させてもらったりもします。

「本場物」の野球を観て学ぶことも、大事なことですものね。


そんなジュニア・ジャイアンツを、アーリントンのクラック市長が訪問いたしました。

まずは、サンフランシスコの市庁舎に出向き、ギャヴィン・ニューサム市長と優勝トロフィーと一緒に笑顔で写真におさまったあと、子供たちの待つ球場へと向かいます。

そして、ジャイアンツのチームカラーであるオレンジのチームに分かれて、クラック市長はオレンジのチームを、ニューサム市長はのチームを率いて試合に臨むのです。もちろん、ジャイアンツのTシャツを着て!

監督となったからには、子供たちに適切なアドバイスをしたり、励ましたりしなければなりません。日頃の政治家としての負けん気もあって、お遊びとはいえ、いつの間にか真剣に監督職を務めたことでしょう。

結局、試合は、自身もピッチャーを務めたニューサム・サンフランシスコ市長のチームが勝ったのですが、試合後のインタビューでは、「相手に花を持たせてあげられて良かったよ」と、クラック市長は大人の発言をしています。

でも、ジャイアンツのTシャツを身につけたことをどう思うかという質問には、正直にこう答えていらっしゃいます。「かなり心苦しいよ(Pretty painful)」と。

しかし、負け惜しみもちょっとあったのでしょうか、こんな風にも付け加えていらっしゃいました。

「サンフランシスコを訪問できたので、最後に勝ったのは、僕の方だよ。」


まあ、大人たちの間では、プライドだとか何だとか、いろんな思惑があったことでしょう。でも、子供たちにとっては、どこの街の市長さんなんて、そんなことは関係のないことだったのでしょう。

だって、市長さんと一緒に野球ができるなんて、そんなに特別なことって、なかなかあるものではありませんから。

きっと、みんながそう感じているから、クラック市長さんだって、こんなに子供たちに人気があるんでしょうね。

何年かたって、この日のことを思い出して、「自分もあのときの市長さんみたいになりたい!」と、志を抱く若者も出てくるかもしれません。

そうなったら、やっぱり最後は、クラック市長さんの勝ち! なのかもしれませんね。

追記: 余談とはなりますが、お話の中に登場した黒人住民の多い地域というのは、「The Bayview(ザ・ベイヴュー)」という名前で呼ばれていて、これには歴史的な背景があるのです。

このサンフランシスコ市の南東地域(サンフランシスコ空港のちょっと北)には、もともと海軍造船所があったのでした。
 歴史的に重要な港であるサンフランシスコには、昔から造船所が置かれていたのですが、第一次世界大戦以降、軍艦の需要が増え、ここを海軍の造船所としたのです。(写真では、一番上に突き出した半島部分。こちらの写真は、サンフランシスコを北西から眺めています。)

折しも、第一次世界大戦以降、南部の州からは中西部、東部、西部の州へと、黒人人口が大移動していて、カリフォルニアへもたくさんの黒人住民が移入して来ました。しかし、アメリカには「人種隔離(racial segregation)」という政策があったので、黒人住民が好きな場所を選んで住むことはできませんでした。
 そんな中、サンフランシスコに流入した黒人住民の多くが住み始めたのが、こちらの Bayview だったのです。多くは、海軍造船所や周辺の軍事工場で働いていたので、自然と黒人コミュニティーができあがったというわけなのでした。

何十年という歳月が流れ、造船所や工場がなくなっても、多くがこの地に住み続け、今のように黒人住民の多い地域が残ることとなりました。その過程では、「失業」「貧困」という大きな社会問題にも直面し、地域の治安の悪化に結びついたという歴史があったのでした。

兵隊さんの差別をなくそう!

前回は、「11月11日は Veterans Day」と題して、「ベテラン(退役軍人)の日」のお話をいたしました。

この日は、いままで戦争に参戦して帰還した兵士たちや、現在、戦地で戦っている兵士たちに思いをはせ、感謝する、という一日なのでした。

そして、先日の12月7日は、パールハーバー(Pearl Harbor、真珠湾)の記念日でした。

1941年12月7日の早朝(現地時間)、日本の帝国海軍が、ハワイ・オアフ島パールハーバーにある米海軍基地を奇襲攻撃し、日本とアメリカの間で太平洋戦争が始まったという日ですね。

このときは、2千人以上の方が犠牲になりましたが、今でも4千人ほどの生存者がいらっしゃいますので、中には、毎年ハワイで開かれる式典に「退役軍人」として列席なさる方もいらっしゃいます。

その一方で、そんな式典など一度も出席したことはない、生存など決して名誉なことではない、という方もいらっしゃいます。

きっと、戦争という出来事がひとりの人生に与える影響は、想像を超えるほどに大きなものなのでしょう。

そんなわけで、今回は、もう少し兵士のお話をいたしましょう。


前回のお話では、路上生活をしている退役兵のために、古いビルを改築して、キッチン付きの個室にしようというプランをご紹介しました。

戦地から帰還すると、軍隊以前の生活に戻ることが難しくなるので、仕事も続かず、住む所もなく、路上生活を余儀なくされる元兵士も多いのです。

そして、今まではあまり問題にされていなかったのですが、実は、男性の兵士よりも、女性兵の方が、戻って来てからホームレスになる率が高いのだともいいます。

なんでも、平均すると、連日10万人の帰還兵が全米の路上で生活していることになるそうですが、そのうちの5パーセントは女性兵だということです。

過去10年間、アフガニスタンとイラクに派兵された女性は25万人を超えていて、今やアメリカ軍の14パーセントは女性兵とも言われています。
 ですから、今後、女性の帰還兵が占める路上生活者の率は、確実に増えていくことでしょう。

(写真は、12月3日、アフガニスタンのバグラム空軍基地をおしのびで訪問したオバマ大統領を歓迎する兵士たち。やっぱりオバマさんは、女性兵に人気のようですね。)


このような女性兵の問題は、ひとえに、彼女たちをサポートするシステムが不足しているからのようです。

前回ご紹介したように、アメリカには「退役軍人管理局(the Department of Veterans Affairs)」という国の役所があって、ここが退役兵のサポートをすることになっています。

たとえば、怪我を負った兵士たちは、軍人病院(VA Hospital)で治療をしてもらいますし、戦地から帰還し、学校に戻って勉強をしたいという人には、奨学金の制度もあります。
 職業訓練や職業カウンセリングの制度や、住宅ローンの補助制度と、国を代表して戦った人たちには、いろんな優遇措置が設けられているのです。

けれども、いかんせん、そのような各種プログラムが男性を念頭につくられていて、女性が恩恵をあずかろうと思っても、なかなかスムーズにいかないらしいのです。

たとえば、退役軍人管理局からは、夫の名前で案内が送付される。夫は兵士ではなく、民間人であるにもかかわらず。そして、女性兵が自分の名前で住宅ローンを借りようと思っても、なぜだか名義は夫に変更されている。

職業訓練の内容も女性には不適切なものが多いし、軍人病院で診察を受けようと思っても、「おまけ」でつくられた女性の診察室は、込み合った受付ホールに面していてプライバシーのかけらもない。

彼女たちの中には、戦地で上司や同僚に性的いやがらせを受けた人も多いし、それをトラウマとして抱えている人も多い。そして、戻って来てからも、なんとなく元の生活に馴染めずに、孤独を抱えている人も多い。
 けれども、そんな心の悩みを打ち明けようと思っても、相談にのってくれるカウンセラーも少ない。

そして、そのような「冷遇」を受けていると、次第にそれが当たり前に感じられて、問題を抱えていたにしても、相談するのもバカらしい、ということになりかねないのです。

そんな彼女たちは、誰かに聞いてほしくても、泣き寝入りするしかない・・・と、貝のように心を閉ざしてしまうのです。

(写真は、陸軍予備軍に所属するレベッカ・マーガ大尉。イラクには2回派兵されていて、戦地から戻って来くると、自分の状況を誰も理解してくれない孤独を感じると、サンノゼ・マーキュリー紙に語っていらっしゃいます。)


おかしなことに、アメリカの軍隊には、女性は直接的な戦闘(direct combat)に参加してはならない、という規則があるそうです。

けれども、実際には、ゲリラ戦になった場合など、どうしても戦闘に参加しなければならない状況はたくさんあります。だって、「やるか、やられるか」の瀬戸際に立って、わたしは武器を使ってはいけないなんて悠長なことも言っていられないでしょう。

けれども、規則上は、直接的に戦闘には参加しないことになっているので、「参戦しない女性は、昇進も遅い」というのが現実なんだそうです。

そして、この女性兵のジレンマと同じようなジレンマは、ゲイやレズビアンの方々も味わっているのです。

それは、同性愛の者は、軍隊に入隊できない、という規則。

こちらの問題は、さらに歴史が古く、どうやら第二次世界大戦あたりには明言化され規則となっていたようです。理由は、軍隊の士気が下がるからというもの。

けれども、1970年代から、そんな差別が許されていいのかと社会的な気運が高まってきて、規則の撤廃を主張する側と固辞する側が対立してきたのでした。

そんなわけで、苦肉の策として、クリントン大統領の時代(1993年)に、こんなヘンテコリンな制度ができあがったのでした。「Don’t ask, don’t tell(ドント・アスク、ドント・テル)」。

つまり、「こっち(軍隊)が問わないかわりに、あんた(兵士)も黙っていてよ」という制度。

明らかに同性愛(homosexual)であると主張すれば、入隊を認めないが、黙っていてくれれば、入隊は認めましょう。その代わり、事実が明るみに出たら、すぐに軍隊を辞めていただきますよ、という規則なのです。

こちらは、連邦法(the U. S. Code)の軍隊の項で定められていて、実際、今までに1万3千人以上の兵士が解雇されているそうです。


それで、こんな変な制度は止めましょうよという動きが高まっていて、現在、国の議会で審議されているのです。

オバマ大統領は、選挙公約の中で「Don’t ask, don’t tell(DADT)は廃止する」としていましたので、当然のことながら、オバマ政権は廃止を提言しています。

そして、11月30日、国防総省は、兵士へのアンケートの分析結果をもとに、「廃止しても問題はない」と画期的な意思表示をしています。

なぜなら、多くの兵士は、DADT が廃止されても何も変わらないと思っているし、実際に同性愛と思われる兵士とともに参戦した者の7割は、「グループの働きは良かったし、モラルも問題はなかった」と答えているからです。

防衛長官のロバート・ゲイツ氏は、DADT廃止を推奨する理由として、こう述べています。「わたしにとっては、個人の清廉潔白がもっとも大事なことなのだが、この制度は人々にウソをつかせているところが、どうしても納得しかねる」と。

(写真は、左がゲイツ防衛長官。この方は民間人です。右は、大統領に軍事上のアドバイスをする統合参謀本部の議長、マイク・マレン海軍大将)


この国防総省の意思表示をもとに、連邦上院(the U. S. Senate)で制度の廃止を検討していましたが、12月9日、DADT廃止案は惜しくも通過しませんでした。

背景には、軍隊のトップには、いまだに廃止案に反対する軍人が多いことがあるのでしょう。(写真は、軍のトップの中でも、最も強く反対意見を唱えているジェームス・エイモス海兵隊大将)

そして、上院議員の中にも、ジョン・マケイン氏のように、廃止案に徹底的に異議を唱える人もいて、リーダー格の彼に賛同する議員も少なくなかったのでしょう。(マケイン氏は、2008年の大統領選でオバマ氏と闘った人物。自身も海軍少佐としてヴェトナム戦争に参戦し、北軍の捕虜となった経験があります。)

けれども、その後すぐに、再度、上院で採決に挑戦しようと廃止法案が提出されていて、クリスマス休暇に入る前に、年内の成立を目指しているのです。

そして、今度は、連邦下院(the U. S. House of representatives)でも廃止の動きが活発化していて、今週中にもDADT廃止法案を可決し、グズグズしている上院にプレッシャーをかけようとしているのです。
 この法案を提出したパトリック・マーフィー下院議員は、自身がイラク戦争から戻った退役軍人だそうです。

オバマ大統領とゲイツ防衛長官も、「もし年内に議会が法案を通さなければ、裁判所に訴えて、すぐにでも DADT を廃止するぞ」と、議会におどしをかけています。
 議会が検討している法案では、「軍隊の準備ができたら廃止を実現する」という但し書きがあるのですが、裁判所から廃止の命令が下れば、軍隊が何と言おうと、すぐに廃止を実行しなくてはならなくなるからです。


まあ、なんとも複雑な展開となっているわけですが、実は、DADT というヘンテコな制度を導入しなければならなかったクリントン元大統領だって、大統領になる前には、軍隊での差別廃止を公約に掲げていたそうです。

そして、オバマ大統領にしたって、来年1月からは、彼に敵対する共和党が下院をガッチリと握ることになるので、彼の意向は議会で通りにくくなるのです。
 ですから、年内に法案を可決しないと、DADT廃止は、うんと難しくなってしまうのですね。

女性兵の問題にしても、同性愛兵の問題にしても、軍隊はなかなか変わらないし、変えるのは難しい。どうやら、これは、動かし難い事実のようですね。

追記: 何年か前に、こんなエピソードをテレビで観たことがあります。シリコンバレーのパロアルトにある軍人病院に入院していた女性兵の話です。

彼女は、派兵先のイラクの路上で、敵方の自家製爆弾によって負傷しました。目に見える傷は少なかったので、すぐに隊に戻りましたが、そのうちに上司の命令も忘れるようになって、テキパキと任務をこなすことができなくなりました。
 そんな失態から彼女は降格となり、じきにアメリカに戻ったのですが、軍人病院に行ってみて、初めて脳に障害があったことがわかりました。脳というのは、まるでプリンのようにデリケートな器官なのですが、自家製爆弾の爆破の衝撃で、脳の一部が壊されてしまったようです。
 イラク戦争突入後、自家製爆弾(improvised explosive device、通称 IED)による脳の障害は、大きな問題ともなっているのです。

そんなわけで、脳に障害があることがわかった彼女は、少なくとも日常生活はこなせるようにと、入院中にリハビリに励みます。そして、少しずつではありますが、記憶も戻って来るのです。

しかし、彼女にはどうしても思い出せないことがあるのです。それは、自分に子供がいるという事実。自分が出産を体験したという事実。そんな特別な体験が、彼女の脳からはすっかり消えているのです。

命を生み、育む女性が、命を奪う戦争に参画する理由はないと、このときに痛感したのでした。

Official Language(公用語)

今回は、ちょっと趣向を変えて、英語の表現ではなくて、英語自体のお話をいたしましょう。

なぜって、先日、ちょっとびっくりすることがあったからです。

病院で定期検診を受けたのですが、「大丈夫でしたよ」という検査結果のお手紙が、3カ国語で書かれていたのです。

そう、英語、スペイン語、中国語の3カ国語で。

もともとカリフォルニアにはスペイン語を話す人は多いので、今までは、英語とスペイン語ふたつの文面で病院からお手紙が来ていたのです。

けれども、今となっては中国語の話し手が患者に増えたのか、それとも中国語を書いたり印刷したりする方法が広く伝授されたのか、病院からのお知らせにも、とうとう中国語が登場するようになったのでした。


そして、そんなことで驚いていると、今度は、家にこんなハガキが舞い込みました。

なんでも、近くの幼稚園が「オープンハウス」をするので、授業の様子を見に来てくださいという宣伝ハガキなのですが、それが、中国語で書かれているのです。
(「オープンハウス(open house)」というのは、会社や学校など、普段は外部の人が入れない場所を公開して、家族とか関係者に見に来てもらうことですね。)

どうやら、英語と中国語のバイリンガル(bilingual)の幼稚園のようで、おもに中国系の家族をターゲットとしたものなのでしょう。
 でも、いきなり見慣れない中国語のハガキをもらったので、こちらとしては、ちょっとびっくりしてしまったのでした。

近年、家のまわりには中国系の人たちが増えたなぁとは思っていましたが、まさか、すぐそばに中国語のバイリンガルの幼稚園ができていたなんて。

我が家のまわりは、もともと白人ばかりのコミュニティーだったのですが、最近、ヴェトナム系、インド系、その他の外国からの移民(immigrants)が増えてきて、「カラフル」なコミュニティーになってきていることは確かです。

ですから、外国語の宣伝ハガキをもらっても、驚くほどのことではないとは思うのですが・・・。


そこで、英語の話にうつりますが、実は、英語というのは、アメリカの法的な公用語(official language)ではないのです。

意外なことに、アメリカでは自国語(national language)というものが法律で定められていないので、英語はあくまでもそれに準じるもの、ということになるのですね。

まあ、そうは言っても、アメリカのほとんどの人は英語を母国語としたり、少なくとも話したりできるので、英語が公用語化して、事実上の公用語(de facto official language)となっているのは確かです。
 だって、議会で話したり、国が書類を作成したりする言語がないと不便ですから、それは英語、ということになっているのですね。

けれども、アメリカの複雑な部分は、国と州は違うという点でしょうか。

そう、国には公用語が定められていなくても、州によっては公用語がある州もあるのです。
 たとえば、カリフォルニア州も英語を公用語に定めていて、そういう州は、全米で30州近くあります。

その一方で、ニューヨークやマサチューセッツ、フィラデルフィア、それから西海岸のワシントン、オレゴンなど、州の公用語が定められていない場所もあります。

おもしろいもので、ニューヨークでは1920年代まで、州の公文書は英語とオランダ語で書かれていたそうです。
 ニューヨークの辺りが最初はオランダの植民地だった歴史からきているそうですが、そんななごりで、今でも英語が公用語にはなっていないのでしょうね。

ジャズの発祥地、ニューオーリンズのあるルイジアナ州も、法的に公用語を定めていない州のひとつですが、ここでは、英語とフランス語が公的に使われているそうです。こちらは、もともとフランス領でしたからね。


そんなわけで、アメリカは広い国ですので、州によって言葉や習慣など違う面が多いのです。が、もっと複雑なことに、同じ州の中でも、みんなが一緒というわけではないのです。
 英語が公用語であるカリフォルニア州内でも、英語以外の言語を公用語のひとつに定めている自治体もあるのです。

たとえば、わたしが住むサンノゼ市などは、市の公用語は英語、スペイン語、ヴェトナム語の3カ国語となっております。
(そう、3つ目は中国語ではなくてヴェトナム語なので、中国語のハガキをもらって余計にびっくりしたのでした。)

ですから、サンノゼ市からのお知らせは、英語、スペイン語、ヴェトナム語の3カ国語で書かれています。


さらに、おもしろいことに、英語を公用語に定めていたとしても、カリフォルニアのように、選挙(election)のときには英語のみを使うことを禁じている州もあるのです。

たとえば、カリフォルニアでは、ある言語を話す住民が郡(county)の人口の3パーセントを超える場合は、その言語で投票案内や投票用紙を印刷することが法的に定められています。

ですから、サンノゼ市のあるサンタクララ郡では、英語、スペイン語、ヴェトナム語の他に、中国語とタガログ語(フィリピンの言葉)で投票することができるのです。
(選挙管理は、郡のレベルで行われるので、郡ごとにどの言語を使うかが定められています。)

なにせ、シリコンバレーのあるサンタクララ郡は、選挙登録した有権者(registered voters)の4割が移民だそうなので、英語だけでは民主的(democratic)ではない、アメリカの思想に反する、というわけですね。

そして、カリフォルニア州全体になると、日本語だって登場するんですよ!

南カリフォルニアのロスアンジェルス辺りには、日本語を母国語とする住民が多いのだと思いますが、そんなわけで、州が発行する選挙の説明書は、日本語もありなんです。

ちなみに、アメリカでは、米国市民(U.S. citizens)が選挙権(voting rights)を持つわけですが、事前に登録をしないと選挙ができない仕組みになっています。ですから、選挙権があったにしても、何らかの理由で登録をしない(つまり投票できない)人が少なくないのです。

そんなわけで、外国語しか話せない市民が、英語のみの選挙を嫌うことがないようにと、彼らが母国語で投票する権利が認められているのですね。
(カリフォルニアだけではなく、多くの州でそうなっているのだと思います。なんといっても、アメリカは移民の国ですから!)


というわけで、なかなか複雑なアメリカの言語事情ではありますが、やはり、みんなが理解できるのは、英語。

これなしには、アメリカのみんなが互いを理解することは難しいのです。

さすがにカリフォルニア辺りでは、外国語が聞こえてきたにしても、Speak English!(英語を話しなさい)というお叱りはありません。

けれども、移民が少ない場所では、外国語を声高に話していると、English only, please!(英語だけにしてよ)と怒られそうですよね。

(実際、どこかで耳にしたことがありますよ。たしか、中国語の話し手のグループに向けられていたような・・・きっと声が大き過ぎたのかもしれませんね。)

優勝セール?

前回のエッセイでは、メジャーリーグ野球のサンフランシスコ・ジャイアンツ(the San Francisco Giants)が、ワールドシリーズに勝ちそうだというお話をいたしました。

初めての優勝を目前に、それはもう、サンフランシスコ・ベイエリアは大騒ぎ!

普段は野球に興味のない人だって「にわかファン」に変身して、ジャイアンツのジャージーをせっせと着込んでいましたよ。

おかげさまで、11月1日の月曜日、ワールドシリーズ第5戦に勝利し、優勝トロフィーを獲得できました。

敵地テキサス・レンジャーズでの制覇となりましたが、シリーズ4勝1敗でさっさと勝ってくれたので、文句は言えませんよね。

優勝が決まると、ジャイアンツのホームグラウンドである AT&T Park には、自然とファンたちが集まって来て、みんなで大歓声のお祝いをしたのでした。


サンフランシスコ・ジャイアンツというチームは、1958年にニューヨークから引っ越して来た名門チームなのですが、なにせ、今までワールドシリーズを制したことがなかったのです。

もともとのニューヨーク・ジャイアンツは、1883年に創設された老舗チームで、ワールドシリーズには5回も勝っています。
 でも、なぜかしら、サンフランシスコに移って来たら、ワールドシリーズでは3回とも敗退しているのでした。

ですから、「4度目の正直」の優勝は、サンフランシスコ周辺の住民にとって、何よりも嬉しいことなのです。だって、52年も首を長~くして待ち続けたのですからね。

Hands down, it’s the best day of my life!
(もう絶対、人生最高の日だね!)

なんだか大袈裟な言いようではありますが、こんなファンの気持ちもよくわかるのです。


優勝が決まった2日後には、サンフランシスコに戻って来た選手たちのパレードが開かれました。サンフランシスコらしく、ケーブルカー(ケーブルで動く路面電車)に似せたバスに乗って、選手たちは沿道のみんなに笑顔で手を振ります。

そして、市庁舎前の広場にたどり着くと、ここでは市主催の優勝祝賀会が開かれました。

おもだった選手たちがファンの前で短いスピーチをしてくれましたが、優勝に大貢献したルーキー・キャッチャー、バスター・ポウジー選手は、「来年もやってやるぞ!」と血気盛んなあいさつをしていましたね。

この23歳のルーキーは、いきなりワールドシリーズで勝ったものだから、もう自分たちを止められるものは何もない! って気分だったのでしょうね。(そして、そのあと、彼はナショナルリーグ最優秀新人賞もいただいています。)

彼だけではなくて、チーム全体が若いので、途中まで負けていたにしても、エイっと波に乗れる勢いがあるんです。

シーズン中、チームの調子は優勝に向かって「うなぎ上り」だったのですが、そんなことって、なかなかできることではないですよね!


そんなジャイアンツ優勝のお話をしていたら、日本の方からこう聞かれたのでした。

「優勝セールはありましたか?」と。

最初は「何のことだろう?」と思ったのですが、日本では野球チームが優勝すると、優勝セールが習慣となっていますよね。なぜなら、伝統的に鉄道・百貨店グループが野球チームを持っていたから。

けれども、アメリカでは、プロのスポーツチームは個人か一族、または投資家グループが持っている場合がほとんどなので、残念ながら、「優勝セール」という概念はないのです。

でも、おめでたいことに、洋の東西はありません。優勝セールはない代わりに、ジャイアンツのワールドシリーズ出場にひっかけて、いろんな企画がありましたよ。

たとえば、観光名所のコイト・タワーや市庁舎は、夜間ジャイアンツカラーのオレンジ色にライトアップされていました。 (コイト・タワーは、向こうに見える丘の上の塔)

ここだけではなくて、ベイエリア中でオレンジ色のライトアップが流行ったので、ライトをオレンジに変色させるフィルムが品薄になったとか。

海に近いジャスティン・ハーマン・プラザでは、毎年冬にアイスリンクが登場するのですが、なんでも、金曜日にジャイアンツ・グッズを身に着けて行けば、タダでスケートが楽しめるらしいです。

来年(2011年)1月2日までの企画だそうなので、年末年始にサンフランシスコ界隈にいらっしゃる方は、ぜひお試しくださいませ。冷たいアイスリンクではありますが、なんとなく、現地の熱気が伝わってくるかもしれません。

そして、こちらはちょっと毛色が変わっていますが、ジャイアンツがプレーオフで勝ち続けている間は、オレンジの毛並みの猫ちゃんが手に入りやすくなる! というのもありました。

ホームレスの犬や猫を保護して、希望者に「養子縁組」している動物愛護団体(the Peninsula Humane Society)が、ジャイアンツカラーの猫ちゃんの養子手数料をぐんと安くしていたのです。

普段は50ドルから80ドルかかる料金が、なんと9ドル! これで縁組みも増えて、70匹以上の猫ちゃんたちがもらわれていったのでした。

そして、同じようなプログラムはシリコンバレーでも行われていて、こちらも100ドルが10ドル! と、「ジャイアンツ猫」フィーバーはあちらこちらに飛び火していたのでした。

(犬や猫を引き取るには、健康診断、予防接種、去勢手術、迷子用のマイクロチップの埋め込みなど、いろいろと費用がかかってしまうので、今のように経済が低迷していると、なかなかもらい手が見つからないのですね。)


それから、なかなか粋な計らいですが、こんな賭けもあったそうですよ。

サンフランシスコのギャヴィン・ニューサム市長と、テキサス・レンジャーズの本拠地であるアーリントンのロバート・クラック市長が、どっちのチームがワールドシリーズで勝つかって賭けをしていたのです。

もちろん、お互い自分のチームが勝つことに賭けていたのですが、おもしろいのは、賭けていたもの。

負けた側の市長が、相手の市に行って、相手チームのジャージーを着て、チャリティーイベントに参加するというものなんです。

それから、負けた側がギフトを贈る約束もあったそうですが、サンフランシスコからの贈り物は、11月に解禁となるダンジェネス・クラブ(サンフランシスコ名物のカニ)、サワーブレッド(ちょっと酸味のあるフランスパン)、それからギラデリーのチョコレートが予定されていました。

結局、ジャイアンツが勝って、アーリントンから贈られたものは、テキサス名物のバーベキュー。う~ん、なかなかおいしかったことでしょう。

そして、いよいよ12月中旬には、クラック市長がサンフランシスコにやって来て、ジャイアンツの子供向け野球クリニックに登場するそうです。

もちろん、他ならぬジャイアンツのユニフォームをまとって!

11月1日のジャイアンツ優勝の翌日には、全米で中間選挙が行われ、サンフランシスコのニューサム市長は、カリフォルニアの副知事に当選しています。

そう、来年1月からは、カリフォルニア州の副知事になるんです。それで名前を売ったら、将来的には、州知事も夢ではない(?)

ジャイアンツは勝ってくれたし、自分は選挙に勝ったし、まさに「順風満帆の人生」といったところでしょうか!

Cyber Monday(サイバーマンデー)

先日は、Happy Turkey Day!と題して、感謝祭のお話をいたしました。

感謝祭というのは、日々の生活に感謝するのと同時に、七面鳥などのご馳走をありがたく堪能する一日なのでした。

そして、以前もご紹介したことがありますが、感謝祭の翌日の金曜日は、Black Friday(ブラックフライデー)と呼ばれます。

どうして「黒い金曜日」なのかといえば、それまで赤字だった商売も、この日にはグイッと挽回して黒字になる(in black ink、in the black)、という意味からきているのです。

たとえば、こんな嬉しい悲鳴から生まれた表現なのでした。

We sold a record number of merchandise on Black Friday, and our business is now in black ink.
(ブラックフライデーには記録的な売上だったので、経営収支は黒字になった)


そう、このブラックフライデーの空恐ろしさは、消費者の「買う意気込み」にあるでしょうか。

クリスマス商戦のスタート(a kickoff to the holiday shopping season)ともなっているので、何がなんでも大安売りの品々をゲットするぞ! と、朝早くからお目当ての店の前で列をつくるのです。

今年は、Best Buys という大型電器店の前で、火曜日からテントを張って寝泊まりする若者たちが報道されていました。
 なんでも、ノートパソコンや液晶テレビを半額で買って、500ドルを浮かせようという計画なんだそうですが、家族と過ごす感謝祭をスキップして3泊もテント生活をおくるとは・・・

お店の方にしたって、人々の(異常な)購買意欲は知り尽くしていて、今年は、感謝祭の当日にまで店を開けていた大型チェーン店がたくさんありました。
 WalmartSearsKmartGap は、少なくとも半日は営業していたそうです(もちろん、今までは、感謝祭の日はどこも閉店でした)。

そして、感謝祭が明けると、金曜日の午前零時(!)に店を開けたのが、おもちゃのチェーン店 Toys R Us
 今年は、「Zhu Zhu pets(ズーズー・ペット)」という動くハムスターのぬいぐるみが、子供たちの間で大人気だそうですよ。きっと、どのお店でも飛ぶように売れていることでしょう。

続く午前3時に開店したのが、大型ディスカウントショップの Kohl’s。他のお店も、午前4時、5時、6時と、順次お店を開けていくのです。

このブラックフライデーには、どこもかしこも大混雑だとわかっているので、わたしは家でおとなしくしていました。
 そして、そう思っている人も少なくないようでして、こんなことを言っている人がいましたよ。

I didn’t do Black Friday.
(僕は、ブラックフライデーには買い物には行かなかったよ)

驚くことに、今となっては、do Black Friday(ブラックフライデーに買い物をする)という表現まで世の中で通用するようなのです!


さて、感謝祭の翌日の金曜日が Black Friday なら、土日をはさんだ月曜日は、Cyber Monday(サイバーマンデー)と呼ばれています。

Cyber というのは、「コンピュータや電子機器を使って何かを行う」とか「コンピュータ関連の」といった意味合いの接頭詞ですね。

以前の Black Friday のお話にもちょっとだけ登場していますが、月曜日になって会社に出勤して、オフィスのパソコンでネットショッピングすることを指します。

さすがに、感謝祭の翌日の金曜日はお休みの人(または有給休暇を取る人)が多いので、みんな月曜日にオフィスに戻って来るのです。すると、ソレッとばかりに、みんなが会社のコンピュータでお買い物をする・・・という、ちょっと困った現象のことです。

それでも、2008年秋の「世界金融危機(the global financial crisis、リーマンショック)」以来、アメリカ経済は冷えきっていたので、みんながたくさんお買い物してくれることは喜ばしいことではあるのです。

サイバーマンデーを目前に、この日は、1億人以上のアメリカ人がオンラインショッピングをするだろう、と予測されていました。(by the National Retail Federation)

ふたを開けてみると、ネットショッピングはとても好調で、この日だけで10億ドル(約8,400億円)の売上を超えた、ということでした。
 昨年よりも16パーセントも増えていて、サイバーマンデーの売上が10億ドルの大台を超えたのは初めてだということです。(by comScore)

Americans are increasingly willing to spend money.
(アメリカ人は、だんだんとお金を消費したい気分になってきている)

これは、世の中にとって、何よりもいいニュースなのですね。


そうそう、感謝祭の頃になると、Black Friday の準備はできてますか? と、こんなメールをいただきましたよ。

Tomorrow is Black Friday! Are you ready? We are.
(明日はブラックフライデーです。準備はいいですか? わたしたちは大丈夫ですよ。)

こんな特典で、お客さまをお待ちしているのです。

Extra savings in stores and online: extra 30% off one item
(お店でもオンラインでももっと節約: 一品さらに30パーセントオフ)

これは、本屋さんの Barnes & Noble からのお誘いメールでしたが、サイバーマンデーには、こんなメールも来ていましたよ。

It’s Cyber Monday! Enjoy FREE shipping on ALL orders!
(今日はサイバーマンデーです。すべての注文は送料無料となります)

こんな風に、割引価格だけではなくて、オンラインで買うと送料無料というのが、最近の常套手段となっています。


そして、みんながショッピングをする季節には、悪いお店は退治しなければなりません。

このサイバーマンデーの月曜日、アメリカ政府は、オンラインショップの取り締りに乗り出しました。

いえ、正規のお店はいいんです。

でも、近頃、偽の商品(counterfeit merchandise)や不法にコピーした音楽やソフトウェア(illegal copies of music and software)を売るサイトが増えているでしょう。

この日、米司法省と移民・税関管理局は、そんな怪しいサイトを82もシャットダウンしています。

たとえば、thelouisvuittonoutlet.com なんていうのがあるのですが、フランスの名店ルイ・ヴュトンが、アウトレットのお店を持っているわけがないですよね!

これら怪しげなサイトに対しては、政府機関の担当者が実際に商品を買ってみて、ひとつひとつ偽物であることを確認して、裁判所からシャットダウンの許可をもらったんだそうです。

Federal law enforcement agents got court orders allowing them to seize the domain names after making undercover purchases from online retailers and confirming that the items sold were counterfeit or infringed copyrights.
(Excerpted from the Associate Press article by Pete Yost, dated November 30th, 2010)

(連邦捜査官たちは、密かにオンライン小売店から品物を買って、商品が偽物か著作権侵害であることを確かめたあと、裁判所からドメインネーム(ウェブサイトのURL)を差し押さえる令状を取得した)

近年は、スポーツ用品、靴、バッグ、アパレル、DVDと、偽の商品も多岐にわたっていて、そのほとんどは中国で製造されたり、中国から出荷されたりするそうですね。

有形のものでも、無形のものでも、そのままコピーするのはルール違反なのに。

おっと、話がちょいとそれてしまいましたが、Cyber Monday

クリスマスを前にして、良い兆しが見えてきたので、みんなの心も少しずつ明るくなってきたのでした。

Happy Turkey Day!(七面鳥の日)

先日は、Thanksgiving Day でした。

日本語で「感謝祭」ですね。

感謝祭は11月の第4木曜日なので、今年は25日の木曜日でした。

日頃、なかなか感謝の言葉をつぶやく余裕もないので、みんなで自分たちの生活やまわりのもの(人)に感謝しましょうよ、という由来の日です。

Thanks(ありがとう)を give(与える)という文字通りの意味からきています。

自分や家族が健康であることは何よりもありがたいとか、この厳しい経済の中で、ちゃんと収入があることはありがたいとか、そんな身近な幸せに改めて気がつく日ともなっているのです。

I am thankful that everyone in our family is healthy and thriving.
(わたしは、家族のみんなが健康で元気なことに感謝しています)

We are fortunate to be employed in this tough economy.
(こんなに厳しい経済状態では、仕事があるだけで幸運です)

なんだか世知辛い感謝の言葉ですが、どの家庭からも聞こえてきそうなつぶやきですね。

それから、今年はこんなメッセージも見かけました。

We warmly give thanks to your friendship and support.
(あなたの友情とサポートに心から感謝します)

これは、ある団体の感謝祭のごあいさつなのですが、こんな風にいわれると、これからも協力してあげなくっちゃという気分になりますよね。


そして、この感謝祭の日は、a day to feast でもあるのです。

つまり、ご馳走を食べる日。

feast は、「ご馳走」とか「ご馳走を食べる」という意味ですね)

もともと感謝祭は、清教徒たちがメイフラワー号でアメリカにたどり着いたあと、初めての harvest(収穫)を神に感謝したことに端を発しています。

ですから、いつもよりも特別な食べ物を準備して、みんなで感謝しながら食べるというのも、感謝祭の主目的のひとつなのですね。

まあ、アメリカ人から食べることを取ってしまったら、何も残らないくらいに食べる事が好きな国民性ではありますが、ご存じのように、感謝祭の主役は、turkey(七面鳥)。

表題にもありますように、感謝祭にはみんなで turkey を食べるので、別名 Turkey Day とも呼ばれています。

だから、この日に向かうごあいさつだって、

Happy Thanksgiving(楽しい感謝祭をお過ごしください)の代わりに、

Happy Turkey Day(楽しい七面鳥の日を!)というのもありなんです。


この日は、一日かけて七面鳥をじっくり焼いて、集まった友人や親戚一同で堪能します。
 やっぱりアメリカでも、お料理をするのはお母さんが多いので、その間、男性陣はテレビでフットボールの試合を観たりして一日を過ごします。

七面鳥が焼けたら、だいたい家の主(つまり、お父さん)が丸焼きの肉を切り分けるのですが、銘々皿に盛ってみなさんにお出しする場合と、buffet(バイキング形式)で各自が取っていく場合があるでしょうか。

ひとりずつお出しするのは、フォーマルなディナーの場合。気心の知れた人たちがたくさん集まる場合には、ご馳走をテーブルに並べて各自が好きなだけ取る buffet スタイルにしますね。

このとき七面鳥と一緒に皿に盛られるものには、伝統的にこんなものがあります。

Cranberry sauce:真っ赤なクランベリーを砂糖と煮てゼラチンを加えた、甘酸っぱいゼリー状のソース。適度な酸味が、淡白な七面鳥の肉とよく合うのです

Mashed potato:ご存じ、マッシュポテト。牛乳を混ぜ込むと、優しいお味になっておいしいですね

Gravy:グレービーソース。もともとは七面鳥スープを煮詰めてソースにしたものですが、今ではインスタントのものが主流です。肉にもマッシュポテトにも合いますね(写真のグレービーは自家製ですよ!)

Stuffing:スタッフィング、つまり「詰め物」。昔は七面鳥に詰めて焼いていましたが、今は別に料理して、付け合わせとして登場します。細かく切ったパンと玉ねぎやセロリのみじん切りが主役ですが、ナッツやレーズンを入れてみたりと、いろんなバージョンがあります


というわけで、感謝祭のお料理は、あくまでも七面鳥を引き立たせるもの。七面鳥なしには感謝祭は語れないのです。

でも、七面鳥はでっかいですから、丸焼きにすると一回のディナーではとても食べられません。
 ですから、leftover turkey(食べ残しの七面鳥)は、スープにしたり、キャセロール(casserole、耐熱皿に入れてオーブンで焼いたグラタン風のお料理)にしたりと、ここに「おばあちゃんのレシピ」が活躍するのです。

我が家でも、ピカタに、パスタに、スープと、七面鳥が大変身を遂げたことがありますが、そんな我が家の挑戦は、こちらでご覧になれます。

このときのお話では「Turducken(ターダッキン)」という新手の七面鳥が出てきていますが、こちらは、鶏肉を鴨で巻いて、その外から七面鳥で巻くという、三段構えのスゴいお料理でした。

Turkey(七面鳥)、duck(鴨)、chicken(鶏)から、Turducken という造語ができあがったのです。

そして、今年は、「Tofurkey(トーファーキー)」というのが、ちょっとした話題となっていましたね。

こちらは、Tofu(豆腐)と turkey の造語で、豆腐をつぶしてクリーム状にしたもので、野菜やハーブの中身を巻くというもの。
 ちょうど贈答用のハムみたいな形をしていて、ラップしたあと蒸し上げるんだそうです。

アメリカでは、感謝祭には5千万羽もの七面鳥が食べられることになるので、とくに菜食主義者の方々にとっては、そんな大量の「殺戮(さつりく)」は耐えられないのですね。

そういった方々は、七面鳥の丸焼きの代わりに、Tofurkey に舌鼓をうつのです。切り分けると、スタッフィングを入れた七面鳥のスライス肉みたいに見えるので、なかなか立派な代替え品ではあるみたいです。

わたし自身は、お店で見かけたことはないのですが、ちょっと探してみようかとも思っています。

話には聞いていても、姿を見たことがない。そんなものには、余計に興味をそそられるでしょう!

ひと味違うカリフォルニア: スポーツと政治のお話

Vol. 136

ひと味違うカリフォルニア: スポーツと政治のお話

この11月は、北カリフォルニアの住民にとって、とても幸先の良いスタートを切りました。
そんなおめでたい話から始まる今月は、3つのお話をいたしましょう。まずは、スポーツ、それから政治のお話にうつりましょう。

<サンフランシスコ・ジャイアンツ!>


P1050555small.jpg

ハロウィーンの翌日の11月1日。メジャーリーグ野球(MLB)では、今シーズンの覇者が決まりました。
ワールドシリーズを制したのは、サンフランシスコ・ジャイアンツ(the San Francisco Giants)。シーズン中は、誰も勝つとは思っていなかった「ダークホース」のジャイアンツです。
この歴史的な快挙に、ベイエリアの住民はもう大騒ぎ!

サンフランシスコに野球チームがやって来たのは、1958年のことでした。ニューヨークから名門チームのジャイアンツ(ニューヨーク・ジャイアンツ、1883年ナショナルリーグ加盟)が引っ越して来たのです。
その頃、同じニューヨークのドジャーズ(ブルックリン・ドジャーズ、1890年ナショナルリーグ加盟)もロスアンジェルスに引っ越そうと計画していたのですが、「一緒にカリフォルニアに移ろうよ」とドジャーズのオーナーがジャイアンツのオーナーに働きかけて、両チームの移転が実現したそうです。

それ以来、カリフォルニアに移っても「ライバル」の闘いが続いているわけですが、ジャイアンツファンにしたって、南のドジャーズとの試合が一番燃えるのです!
 


P1050795small.jpg

名のあるチームが北カリフォルニアにやって来るということで、サンフランシスコ市民は大喜びでした。ジャイアンツを歓迎するために、ダウンタウンではパレードが開かれ、選手たちは暖かく市民に迎えられたのでした。
なにせジャイアンツは、それまで5回もワールドシリーズを制したチーム。そんなに強いチームが来てくれたら、すぐに優勝トロフィーを持って帰ってくれることでしょう。(写真左端は、ニューヨークから移って来たウィリー・メイズ選手。右端は往年のジャイアンツスター、ウィリー・マッコヴィー選手)

けれども、世の中はそんなに甘くはありません。サンフランシスコ・ジャイアンツは、ナショナルリーグのペナントを3回も獲得したのに、そのたびにワールドシリーズでは敗退しているのです。
たとえば、1989年のワールドシリーズ。このときは、サンフランシスコからベイブリッジを渡った対岸のオークランド・アスレチックスがお相手でした。
2敗してホームグラウンドに戻って来た第3戦、サンフランシスコで大地震が起こり、試合は延期となりました。そして、10日後に開かれた第3戦、第4戦と連敗し、ストレートで敗退したのでした。

2002年には、同じカリフォルニアのアナハイム・エンジェルズを相手に闘ったのですが、最後の最後(第7戦)で、敵地で破れ去っています。

そんなイヤな記憶のいっぱいあるジャイアンツですから、今シーズン、誰からも信用されなくても文句など言えません。なにせチームが若い。経験が足りない。そして、スーパースターがいない。
チーズン中も、あちらこちらからクビになった選手たちを引っ張って来ては、チームは絶えず形を変え、少しずつ毛虫から蝶へと変身を遂げていったのです。

だって新しいチームがしっくりと落ち着くには時間がかかるでしょう。そんなわけで、ナショナルリーグ西部地区を制したのは、レギュラーシーズンの最終日でした。
 


P1050639small.jpg

が、若いチームには勢いがあります。試合の流れをグイッと変える力があります。その後どんどん調子を上げ、ワールドシリーズでは、今シーズン最高の波に乗って、お相手のテキサス・レンジャーズをシリーズ4勝1敗で破ったのでした。

(ニューヨーク)ジャイアンツが最後にワールドシリーズに勝って56年、サンフランシスコにやって来て実に52年の快挙なのでした。

11月3日には、サンフランシスコのダウンタウンで優勝パレードが開かれ、市庁舎前では市が主催する祝賀会が開かれました。52年前、ニューヨークからやって来た選手たちと同じコースを通って市庁舎に到着したのです。


P1050615small.jpg

沿道にはジャイアンツのチームカラーであるオレンジと黒をまとったファンが詰めかけ、空には鮮やかなオレンジの紙吹雪が舞い上がります。サンフランシスコ市にとっても、北カリフォルニアのファンにとっても、これほど誇らしいことはないのでしょう。

1982年、フットボールのサンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)が初めてスーパーボウルを制したときも、市内で華やかなパレードが行われ、市庁舎広場では優勝祝賀会が開かれました。広場に駆けつけたわたしは、ファンが多過ぎて選手をひとりも垣間みることができなかった経験があります。
けれども、この日のジャイアンツの祝賀会には、もっともっと大勢のファンが近隣から集まったようです。シーズン中は誰も期待していなかったチームが勝ったとなると、喜びも倍増なのでしょう。
 


P1050618small.jpg

市庁舎前の壇上には、選手や監督ひとりひとりが迎えられ、ファンの拍手喝采を受けました。
エースのサイヤング賞投手、ティム・リンスカムを始めとして、全員20代の先発投手たち。彼らを導くのは、23歳のルーキーキャッチャー、バスター・ポウジー(その後、ナショナルリーグ最優秀新人賞を受賞)。そして、シリーズMVPのエドガー・レンテリアを筆頭に、試合ごとに代わる打撃のヒーローたち。

守りでは、決してスリムじゃないのに機敏な動きのショート、フアン・ウリベ。いつもニコニコ笑っているので「スマイル」というニックネームのコウディー・ロス。彼に「パンダ」と名付けられた、小太りのパブロ・サンドヴァル。かわいいパンダの帽子は、球場に集まるファンの証(あかし)ともなりました。

けれども、中でも一番目立ったのは、モヒカン刈りのクローザー、ブライアン・ウィルソンでしょうか。彼の真っ黒なひげと剛球が一躍有名になり、「Fear the Beard(ひげを恐れろ)」というのは、敵方に贈るスローガンともなりました。
 


P1050604small.jpg

そして、忘れてはならないのは、カラフルな選手たちをチームとしてまとめあげたブルース・ボウチー監督と、彼らの才能を見抜いてサンフランシスコに引っ張って来たブライアン・セビアンGM(スカウト出身の総支配人)。
若い選手たちであるがゆえに、監督も練習の仕方から指導したことでしょう。

選手たちだって、日々厳しい練習に耐えてきたのでしょうが、そんなことはおくびにも出さずに、ファンの歓声とカリフォルニアの明るい陽光を思う存分に楽しんでいたのでした。

まさに、「Basking in glory(栄光を体じゅうで享受する)」というにふさわしい一日なのでした。

<オバマさん、始球式に来てください!>

そうなんです。オバマ大統領を来年の始球式にご招待したんです。お呼びしたのは、サンフランシスコ・ジャイアンツの筆頭オーナー、ビル・ニューコム氏。

ワールドシリーズ制覇を祝って、オバマさんがニューコム氏に電話をくれたそうですが、そのときに「来年のシーズン始めのホームゲームでは、ぜひ始球式で投げてください」と、オバマさんに頼んだそうです。

オバマさんは「覚えておくよ」と答えたそうですが、なにせ野球は彼の得意種目ではありません。昔から大好きなバスケットボールと最近覚えたゴルフは得意とするものの、たぶん野球なんて子供の頃にやったことがないのでしょう。
今年4月のシーズン開幕では、ワシントン・ナショナルズ(首都ワシントンD.C.のチーム)の始球式で投げてみたのですが、「あ、あんまりうまくない」との不評を買ってしまったのでした。
ご本人は「ちょっと外角高めだったね」と弁明なさっていましたが、それにしても、もう少し練習する必要があるでしょう。

まあ、どんなに野球がヘタクソであっても、始球式のような楽しい行事のために、カリフォルニアに来ていただきたいと個人的には思うのです。
だって、オバマさんがいらっしゃるのは、選挙運動の資金を募りに来るか、「カリフォルニアはクリーンエネルギーの先端を行っている!」といった政治的パフォーマンスをしに来るか、何かしらの動機があるのです。

そういえば、11月2日の中間選挙の目前にも、オバマさんがベイエリアにいらっしゃっていましたね。大統領専用機「エアフォース・ワン」が降り立ったサンフランシスコ空港から真っ先に訪ねたお相手は、他でもない、アップルのCEOスティーヴ・ジョブス氏。
ジョブス氏とはアメリカのテクノロジー企業の行く末を語ったのだそうですが、想像するに、近頃とみに低迷するといわれる子供たちの学力問題なども出てきたのではないでしょうか。

ジョブス氏との会談を終え向かった先は、グーグルの副社長マリッサ・メイヤーさんのお宅。「ジョブス氏の大ファン」と自身を評するお方です。


P1050798small.jpg

マリッサさんは、金髪に青い目の「アメリカン・ガール」の典型のような方ですが、実は、スタンフォード卒のグーグル女性エンジニア第一号。「社員番号20番」のベテランで、今や、グーグル製品の動向を決定するほどの実力者。
たとえば、今話題のスマートフォン基本ソフト「アンドロイド」などは、彼女の「そうねぇ、やってみたら?」というゴーサインで、プロジェクトとしてスタートしたのでした。

そんな彼女の家にどうしてオバマさんが? とお思いのことでしょうが、この晩は、民主党政治家たちの応援資金を募るために、マリッサさんのパロアルトの自宅で「大統領との晩餐会」が開かれたのでした。

この晩、パロアルトの閑静な住宅街は、地元警察やらシークレットサービスで厳戒態勢がしかれたわけですが、おもしろかったのは、マリッサさんのお宅。ハロウィーンの直前ということで、玄関先にはパンプキン、屋根の上には大きな黒猫のお人形と、かわいらしく飾り付けられていたのでした。
そんな(普通の)家に大統領が訪れるなんてちょっと滑稽ではありますが、この晩の参加者は「大統領はひとりひとりの意見を熱心に聞いてくれた」「やっぱり彼にはカリスマがある」と、大いに満足なさっていたのでした。
すべての円卓には、ひとつずつ余分に椅子が置かれ、オバマさんはこれに座ってじっくりと耳を傾けてくれたということです。

けれども、その直後の中間選挙は、オバマさんにとって厳しい結果となりましたね。連邦上院は辛くも民主党が死守したものの、連邦下院はガッチリと共和党に握られてしまったのです。

こちらの風刺漫画にもあるように、「ねじれ国会」では、これからホワイトハウスもやり難いことでしょう。(by Tom Toles – the Washington Post, November 8, 2010)
 


P1050627small.jpg

象さん(共和党議員)は、大統領にこう言うのです。「我々には、あなたとともに実現していきたいバスケット一杯のアイディアがあるんです」と。

そう言われたオバマさんの先には、ギロチンが待っている!(そんな甘い誘いに乗ってクビを入れようものなら、2012年の大統領選挙ではチョキンとやられてしまう・・・)

そう、なんともシビアな残りの2年が、オバマ大統領を待ち受けているのです。

ですから、オバマさん。たまには、サンフランシスコ・ジャイアンツの始球式に来るとか、ベイエリア名物のダンジェネス・クラブ(11月に解禁となる冬の味覚のカニ)を食べに来るとか、そんな楽しい理由でベイエリアにいらしてください。

だって、ベイエリアには、まだまだオバマ支持者は多いのです。全米に「オバマ政権をやっつけろ!」の反旗がひるがえっていたにしても、ここはきっと天国のような所ですよ。
鎌倉で食べた抹茶アイスはおいしかったでしょ。平和な場所では何でもおいしいですよ。

<ティーパーティーはロッキー山脈なんて超えられない!>

なんだか長い題名ですが、先月号でご紹介した「ティーパーティー(茶会)」運動のお話です。

11月2日の中間選挙の前は、全米でティーパーティー旋風が吹き荒れ、「オバマの仲間の民主党員を引きずり下ろせ!」とシュプレヒコールがこだましていたのでした。

そんな「反オバマ」の潮流の中で、連邦下院では、民主党が60議席以上を逃し、来年1月からは共和党に主導権が移ることになりました。
(連邦下院の435議席は、現時点で共和党242、民主党192、未定1議席。ちなみに、3分の1が改選となった上院の100議席は、共和党系47、民主党系53と、辛くも民主党が過半数を死守しています。)

この逆転劇の中で、共和党が民主党から議席を奪い取った地域は、南部の23議席、中西部の19議席と、やっぱりティーパーティー候補者の強い場所が目立っているのでした。

が、どんなに強いティーパーティー旋風であっても、どうやらロッキー山脈を乗り越えて西海岸3州にたどり着くことはできなかったようです。
だって、カリフォルニア、オレゴン、ワシントンの西部3州で共和党が奪った議席は、ワシントンのわずかひとつ。


P1050803small.jpg

カリフォルニア選出の連邦下院53議席は、民主党34、共和党19と、ひっくり返った議席はひとつもありません。
そして、連邦上院も、今までどおりに2議席とも民主党ベテラン議員です(写真は、4期目を獲得したボクサー上院議員(右)とファインスタイン上院議員)。

今回の中間選挙を分析したワシントン・ポスト紙(首都ワシントンD.C.の主力紙)は、こんな結論を出していました。ティーパーティーが強かった場所は、白人のブルーカラーが多かった地域であると。
なんでも、共和党候補が人気だったのは、全米平均に比べて白人の率が高い場所。そして、大学の学位取得率が低い場所。

要するに、ヒスパニック系やアジア系の人種の混じる海側の州や、高学歴の白人の多い都会ではなくて、「純粋培養」の白人の多い農村地帯や、製造業などブルーカラー層の多い地域だということです(大学の学位取得は、「ブルーカラー」「ホワイトカラー」のめやすとなるそうです)。
もともとオバマさんは、こういう有権者層は苦手としていましたので、それが如実に選挙結果に反映されたというところでしょう。

そういった観点では、カリフォルニアだって、同じ傾向はありますね。海側の都市部は「ブルー(民主党寄り)」で、内陸の農村地帯は「レッド(共和党寄り)」と二分されるのですが、都会の人口が圧倒的に多いので、全体的には中間の「パープル」にもならずに、ブルーのままだという現象が。

まあ、西海岸3州は人種もかなり混じっていますし、新しい考え方を採用する人が多いのだと思うのですが、海の中のハワイなんて、もっと「進化」しているそうですよ。
ここでは「ブルー化」がさらに進んでいて、ハワイ州上院議会では、共和党議員が絶滅の危機に瀕しているそうです。こちらはたったひとり、あちらの民主党議員は24人。これでは、多勢に無勢ではありませんか!

けれども、そこは友好的なハワイ。ひとりをいじめることもなく、一緒にやって行きましょうよと、仲良く協力体制にあるそうです。

それにしても、ティーパーティー。あれだけ世間を騒がせておきながら、実のところ、ティーパーティー支持者は全米の有権者の3割しかいなかったそうですよ。そう、共和党支持者の中でも、ものすご~くオバマさんが嫌いな3割。(the Associate Press-GfK Poll, conducted November 3-8)

だとすると、声の大きな3割が、国政選挙を牛耳っていたということでしょうか?

<おまけのお話:アーノルドさん、メグさん、カーリーさん>

蛇足ではありますが、カリフォルニアでは、州知事を目指していたメグ・ホイットマン氏(共和党、元eBay CEO)と、連邦上院議員を目指していたカーリー・フィオリナ氏(共和党、元HP CEO)は、民主党のベテラン対立候補の前に破れ去っています。


P1050800small.jpg

そればかりではなく、州知事、副知事、州務長官、財務長官、司法長官、保険長官、会計監査長官、公立教育長と、州の要職はすべて民主党に流れています。(写真は、来年1月から州知事となる、ジェリー・ブラウン州司法長官)

このような全米に逆行する動きには、カリフォルニアがいたってリベラルなことがあるのでしょう。しかし、それだけではなくて、すでにカリフォルニアがティーパーティー運動のような新しいものを試して、ことごとく失敗したことがあるのでしょう。
それは、7年前のアーノルド・シュワルツェネッガー氏による州知事リコール運動。7年経って「政治の素人が舵取りをするのは良くない」と悟ったカリフォルニアの有権者は、今回の選挙では、共和党の素人候補者をすべからく嫌ったようです。

この仮説を唱えていらっしゃったのは、ローカルテレビ局KTVUの政治担当記者ランディー・シャンドビル氏。彼は、カリフォルニアの政治を何十年も追ってきたベテラン記者ですので、彼の説にはかなりの説得力があると思うのです。
 


P1050797small.jpg

今回の選挙では、こんなダイレクトメールも見かけました。「軽量級の共和党員たち(Republican Lightweights)」。

こちらは、シリコンバレーのあるサンタクララ郡で、郡会議員に立候補した候補者を非難する広告なのですが、左のお方には、見覚えがありますよね。そう、若き日のアーノルドさん。

今となっては、有名人の州知事も、その名誉は失墜しているのでした。

夏来 潤(なつき じゅん)

11月11日は Veterans Day

前回は、11月11日という、ゾロ目の日付について書いてみました。

ゾロ目というのは、なんとなく縁起が良さそう! というお話でした。

けれども、アメリカでは、11月11日には別の意味があるのです。

それは、表題にもありますように「Veterans Day(ベテランの日)」という一日。


日本語で「ベテラン(veteran)」というと、長年の経験を積んで「熟練した」とか「老練した」という意味になりますよね。

けれども、英語の veteran は、「退役軍人」という意味になります。「熟練者」や「古参」の意味もありますが、「戦争から復員した兵隊」を指す場合が多いのです。

ですから、Veterans Day というと、そんな復員兵の方々に敬意を表する日ということになるのです。
 以前ご紹介した Memorial Day(メモリアルデー)は「戦没者の追悼記念日」ですが、こちらは、生存する復員兵や現役兵に対して感謝をする日となっています。

この日は、連邦政府(国)の祝日(federal holiday)ですので、国の機関や郵便局はお休みになります。

アメリカの場合は、必ずしも「国の祝日」が「州の祝日(state holidays)」にはなりませんが、少なくともカリフォルニア州では、Veterans Day は州政府の休日ともなります。

けれども、民間企業では、政府機関の祝日が休みになるとは限りませんので、たぶん、この日がお休みになる会社なんて、ほとんどないでしょう。

子供たちの学校も、休みになるとは限りません。多くの学校はお休みですが、州や学区によっては登校日となりますので、「あ~、残念」と言いながら学校に向かう子も多いことでしょう。

(上の写真は、サンノゼ市警の警察官協会が地元のマーキュリー紙に載せた一面広告。この日は、みんなで退役兵や現役兵に敬意を表しましょうというメッセージなのですが、こんな広告を載せなければならないというのは、ある意味、一般人には馴染みが薄いという証拠なのかもしれません。ちなみに、5つの紋章は、左から空軍、陸軍、沿岸警備隊、海兵隊、海軍です。)


そんなわけで、Veterans Day とは、なんとなく縁の薄い「国の祝日」ではあるのですが、多くのアメリカ人にとっては、大事な日なのです。とくに戦争に行ったことのある元兵士の方々や、その家族にとっては。

アメリカという国は、戦争に参戦した数が多いでしょう。ですから、いろんな年代の方々が、「元兵士」となっているのです。必ずしも、「元兵隊はおじいちゃん」というわけではないのですね。

さすがに、この Veterans Day がつくられる由来となった第一次世界大戦に参戦した方々はいらっしゃらないとは思いますが、第二次世界大戦の経験者は、まだまだたくさんいらっしゃることでしょう。

(写真は、第二次世界大戦に陸軍の専属カメラマンとして従軍したカール・ホルヴィッツさんが撮影した、フィリピン・ルソン島での戦闘の様子。女性は、今年8月に亡くなったカールさんの未亡人、アンさん)

第二次世界大戦の後は、日本では「戦後」となっていますが、アメリカではその後、朝鮮戦争(1950~1953)や、ヴェトナム戦争(1955~1975)があります。

そして、近年では、湾岸戦争(1990~1991)、アフガニスタン紛争(2001~現在)、イラク戦争(2003~2010)もあります。

そんなに大きな紛争でなくとも、世界のあちらこちらにアメリカ兵が派遣されることもあります。戦地のイメージはあまりないですが、ヨーロッパやアフリカで戦った兵士も多いことでしょう。(たとえば、ヨーロッパではボスニア・ヘルツェゴビナ、アフリカではソマリアなどがありますね。)

現在は、アメリカの軍隊には志願した人が入隊しますが、ヴェトナム戦争当時までは、徴兵制(conscription、draft)がしかれていました。

とくに、ヴェトナム戦争は期間が長いですから、退役兵というと、50代半ばから70代以上と幅広い年齢層を網羅しています。(たとえば、戦火の一番激しかった1968年に、18歳で徴兵されたとすると、現在は60歳ですよね。)

そして、今は、18歳になったら志願して軍隊に入れますので、30代、40代だけではなく、20代の退役兵もたくさんいることでしょう。

女性だって、軍隊に入って参戦できますから、女性の元兵士もたくさんいるんですよ。カリフォルニア州だけで、20万人の女性の退役兵がいるそうです。

海軍の潜水艦などは、今まで女性はダメだったんですが、先日、女性士官を乗せる潜水艦が4隻決まったりして、女性の参加も進んでいます。今では、軍隊の2割は女性ともいわれているので、女性の元兵士もどんどん増えていくことでしょう。

ですから、世の中に退役兵は多く、「退役軍人管理局(the Department of Veterans Affairs)」という国の役所もあるくらいなのです。

そんなわけで、この Veterans Day には、老いも若きも、男も女も、人々に感謝されることになるのです。


たとえば、この日は、元兵士の方々や現役兵のパレードがあります。仲間が集って式典が開かれたりもします。出席者は、戦地で散った仲間や、帰還後に他界した仲間たちを思い出すのです。

子供たちもパレードに参加したり見学したり、退役兵の方々をねぎらうために、老人ホームを訪れたりします。登校日だったら、学校で戦争のことを学ぶ機会もあるでしょう。

わたしの住むサンノゼでも、毎年パレードがあるようですが、一度も見学に行ったことはありません(すみません)。

その代わり、テレビではパレードや式典の様子が報道されますので、「あ~、今日は Veterans Day かぁ」と神妙な気分になるのです。


それで、どうして「退役軍人の日」を書こうと思ったかというと、それは前夜のローカルニュースの報道にありました。

現在、サンフランシスコの中華街近くの小さなビルを、退役兵のためにアパートに改造しようではないかという計画があるのです。

それも、今は路上生活を余儀なくされている元兵士のための専用アパート。

1916年に建てられたこのビルは、もともとは少年院だったそうです。でも、老朽化にともない誰も使っていなかったので、中華街と退役兵の援助団体が協力して、元兵士の専用アパートに改築する計画なのです。

改築が完了すれば、キッチン付きの個室がずらりと並んだ、快適な住空間になります。第一、75人の方々が路上に生活する必要がなくなるというのは、喜ばしいことではありませんか。


戦争に行くと、生きて帰れる保証はありませんし、戦地で重症を負うこともあります。体や脳に損傷を負い、一生、後遺症と闘わなければならないこともあるでしょう。

けれども、幸いにして五体満足で帰って来たにしても、心に傷を負った方々も多いのです。

今でも毎朝のように悪夢で起こされる、戦場で戦うイメージが繰り返し襲ってくる、ゴムのにおいを嗅ぐと、焼けた戦車のタイヤと命を落とした仲間を思い浮かべる、といった方々も珍しくありません。

そんな帰還兵は、お酒や麻薬のワナにはまったり、なかなか定職に就けなかったりと、戻ってからも苦労の日々を送るのです。「兵隊は、泣き言はいわない!」と、長い間、精神的な傷をそのままにしておくことも珍しくありません。

そして、仕事もないので定住する場所もなく、そのうちに路上生活が始まる・・・そんな方々も多いのです。

驚くことに、全米の路上生活者の3分の1は元兵士である、という統計もあるそうです。

ですから、サンフランシスコに限らず、あちらこちらに帰還兵のための「一時的な住宅(transitional housing)」があるのですが、なかなか数が足りないのです。

そんな中、どんなに古びたビルであっても、元兵士たちが暖かい食事を食べ、暖かいベッドで寝られる空間が誕生するのは、とても喜ばしいことだと思うのです。

もちろん、戦争をするのは良くないことです。けれども、戦争を始めるのは国のトップであって、兵士たちではありません。
 彼らは、無理矢理戦地に派遣されたか、自分から「国のためになりたい」と志願して参戦したのです。

どんなケースであったにしても、命をかけて戦った兵士たちを冷遇してはいけないと思いますし、このことに思想の右・左は関係ないと思います。

(もちろん、兵士たちが存在しない世界が理想ではあるのですが・・・。)


Veterans Day のこの日、アメリカ全土では、いろんな催しが開かれました。

オバマ大統領は、インドや韓国・日本とアジア訪問中だったので、韓国にある米陸軍施設を訪れ、兵士たちをねぎらいました。
 アメリカの大統領は、軍隊の最高司令官(commander in chief)でもあるので、毎年、Veterans Day には兵士をねぎらうことになっています。

本国では、大統領に代わって、ジョー・バイデン副大統領がアーリントン国立墓地にある「無名戦士の墓(the Tomb of the Unknowns)」に花輪を手向けました。

ファーストレディーのミシェルさんは、ドイツの米軍基地で、兵士のみなさんにステーキの特別ディナーを配りました。

ファミリーレストラン・チェーンのアップルビーズ(Applebees)は、全米の店舗で元兵士や現役兵に無料で食事を提供しています。

兵士たちに特別割引を提供したのは、ドーナッツ屋のクリスピー・クリーム(Krispy Kreme)、サンドイッチ屋のサブウェイ(Subway)、ファミリーレストランのチリス(Chili’s)やTGIフライデイズ(T.G.I. Friday’s)と、いろんなお店が名を連ねています。

そして、サンフランシスコでは退役兵の援助団体が晩餐会を開き、団体にお世話になって社会復帰した方々が招かれました。

元海軍兵士であるメアリーさんは、こうおっしゃっていました。

「一度軍隊に入ったら、毎日が戦いなのよ。出てくるときには、すっかり別人になってるわ(You go in as one person and come out another.)」

だから、戦地を経験した彼らの社会復帰は難しく、多くの方は戦闘の体験を語ろうとしないのです。

そんなときに助けになるのは、同じ壁を乗り越えた仲間たち。そして、彼らを理解して受け入れようとする社会の仕組みなのでしょう。

ふと、まわりを見回すと、海軍のパイロットだった人や空軍のパイロットだった人が身近にいらっしゃいます。日本に駐屯した軍医も知っていますし、一族ほぼ全員、海軍一家という方も知っています。

そんな社会では、理想的には、毎日が Veterans Day であるべきなんでしょうね。

追記: 2001年以降、200万人のアメリカ兵がアフガニスタンとイラクに派遣されています。そのうちの半分は「退役軍人」となっているのですが、この中には、5千7百人の死亡兵、4万人の負傷兵が含まれています。(ジョー・バイデン副大統領のアーリントン墓地でのあいさつより)

2001年のアフガニスタン侵攻、2003年のイラク侵攻と、前ブッシュ政権では戦争突入を2回も経験していますが、最初のうちは、「戦争に行くのは貧乏人ばかり、政治家の子なんてひとりもいやしない」と非難も多かったのです。
 軍隊で訓練を受けると、奨学金で大学に行けるなどの特典があり、経済的に恵まれない家庭の若者が軍隊に入っていたという背景があったのでした。
 今は、必ずしもそうではなくなっていて、たとえば、バイデン副大統領の長男(現・デラウェア州司法長官)は、イラクに一年間派兵されていました。

ちなみに、現在、アメリカは徴兵制ではありませんが、男子は18歳になったら、国に登録する義務があります。26歳になる誕生日まで登録が義務化されているのですが、これは、もちろん、将来行われるかもしれない徴兵制に備えているのです。
 これを拒むと、罰金や投獄の可能性がありますし、政府の奨学金をもらえない、国の機関で働けないなどの社会的な障害が出ることもあるそうです。

米国在住の外国人も登録の義務があるのですが、拒むと市民権が取得できないなどの弊害もあるということです。(FBICIAは米国市民でないと働けませんが、アメリカの軍隊には、市民でなくとも入れるんですよ!)

今日は11月11日


 たいしたお話ではありません。

ふと思ったんです。11月11日って、なんだか縁起が良さそうかなと。

どうしてそう思ったかというと、近頃、時計を見ると11時11分が多いからです。

もともと、わたしが時計を見ると「ゾロ目」が多いというお話は、何年か前にいたしました。(「Repeated numbers(連続する数)」という英語のお話でした。)

けれども、近頃、なぜだか11時11分の場合が多く、ときどき1時11分なんかも出て来るのです。

どうして「1」の羅列なのかはわかりませんが、なんとなく「一番」「一等賞」を連想して縁起が良さそうではありませんか!

ですから、ついでに11月11日も、縁起が良さそうかなと。

(ちなみに、上の写真はお店の割引クーポンですが、有効期限が11月11日(2010年)だったものですから撮ってみたのでした。)


まあ、人類の歴史の中では、似たようなことを考える人も多いようでして、単なる「数字」と世の中の「出来事」や「吉凶」を結びつける伝統もあちらこちらに根強く残っているようですね。

なんでも、こういうのを「Numerology(数秘術)」というそうですが、有名なものでは、中国の数字があるでしょうか。

たとえば、四は「死」を思い浮かべるので縁起が悪いとか、八は「発」の音に近く、「突然に舞い込む財産」とか「繁栄」などの喜ばしい言葉と深く結びついています。

アメリカでも、シリコンバレーのような中国系住民の多い場所では、「8」はとっても尊ばれていますね。
 たとえば、「8」のつく電話番号を持ちたいとか、「8」のつく住所に住みたいとか。

わたし自身も、なんとなく銀行口座に「8」がついてくれればいいなと思っていたのですが、最初の3ケタが「128」だったので、とりあえず安心しています。(こういうのは非科学的ではありますが、結構気になりますよね!)

それから、ゾロ目の日付でいくと、2008年8月8日(08/08/08)には、中国系の方々の結婚式が多かったという報道も記憶しています。

同様に、この日に合わせて子供を産んだというのも、ひとりやふたりではなかったはずです(とくに、帝王切開の場合は、日付を合わせやすいですね)。


このような縁起かつぎは、決して、中国系の方々ばかりではありません。

先日の2010年10月10日(10/10/10)には、この日に赤ちゃんが生まれた!と大騒ぎした人たち(中国系以外のアメリカ人)も多かったようです。

シリコンバレーでも、10月10日の午前10時10分に生まれて、お母さんが産んだ部屋は10号室だったというホントの話もありました。

この日生まれたラファエルくんは、予定日よりも10日早く、自然分娩で生まれました。なんでも、10時10分前に陣痛が始まって、10時10分には健康な赤ちゃんが出てきたとか。(でも、10ポンド(約4.5キログラム)ではなかったそうですが、そんなに大きかったら、お母さんが大変!)

「10」という数字は「パーフェクト10(テン)」を思い浮かべるので、べつに縁起をかつぐ習慣がなくても、子供が成長する上で幸先(さいさき)の良い数だなぁ、と誰だって思ってしまいますよね。

10月10日ばかりではなく、ごく最近、「わたしの結婚式は、2011年11月11日(11/11/11)なのよ!」という話も耳にしました。この方も中国系ではなくて、白人の方でした。

なんとなく縁起の良さそうな日付に「言祝ぐ(ことほぐ、お祝いを言う)」のは、どんな文化の人だって嬉しいものなのです。

(ちなみに、アメリカ英語で日付を表すときには、だいたい「月、日付、年数」の順番になります。入国審査などの外交的な場合には、ヨーロッパ諸国のように「日付、月、年数」の順番になるようです。日本の場合は「年数、月、日付」のようですが、これは世界的には珍しいケースでしょうか。)


それから、関連性は薄いかもしれませんが、縁起の良さそうな日付と株価という組み合わせもあるかな? と思っているのです。

たとえば、ゾロ目の日付とニューヨークのダウ平均株価。

意外なことに、まったく関係がないわけではないみたいですよ。(物好きなことに、ちょっと調べてみました。)

過去何年かさかのぼってみると、
 2007年7月7日には、それまで株価指数13,000ほどだったのが、突発的に14,000近くに上がっています。

2008年8月8日には、その後の「金融危機(リーマンショック)」で急落する直前に、12,000ほどで山場を迎えています。

2009年9月9日あたりには、ダウ10,000に向けて、ひたすら右肩上がりの毎日でした。

そして、先月の10月10日には、11,000を超えて、やはり右肩上がりの日々だったのです。

まあ、こんなのは単なる偶然に過ぎないのでしょうが、株式市場というものは、理不尽なまでに「心理的要素」が強いもの。
 「なんとなく縁起が良さそう!」と思っただけで、「買い注文」がドドッと殺到しそうではありませんか。


そうそう、上に出てきた「言祝ぐ(ことほぐ)」という日本語ですが、これは口から発した言葉に霊力があるという古代思想から生まれたそうなんです。
 だとすると、「数には霊力がある」という思想も、人間社会ではそんなに不自然なことではないかもしれませんね。

というわけで、なんとなく縁起が良さそうな11月11日。何か良いことはありましたでしょうか?

ついでに、この今日のお話も、「ライフinカリフォルニア」シリーズ数えて77作目なのでした。

ハロウィーンの過ごし方

先日のエッセイは、ハロウィーンを題材といたしました。

もうすぐやって来るハロウィーンの日曜日は、コスチュームに身を包んだ「トリック・オア・トリート」の子供たちから逃げて、サンフランシスコにお出かけしようかと思っていると。

なぜなら、サンフランシスコは野球のワールドシリーズに沸き返り、街全体がジャイアンツのチームカラー、オレンジと黒に染まっているから。きっとハロウィーンよりも大騒ぎになっているに違いないから。


結局、この晩は、シリコンバレーの南端にある静かなゴルフリゾートに出かけました。ときどき泊まりに行く「隠れ家」のようなゴルフ場です。

まだ夏時間のままなので、午後6時でも辺りは薄明るく、リゾートご自慢の自然の美を十分に楽しめます。

夕刻のひとときが、ここをもっとも輝かせてくれるんじゃないかとも思えるのです。

でも、さすがに夕方はひんやりとするので、テラスには火が焚かれ、キャンプファイアのように暖をとる人もいました。

この晩のディナーは、わたしの誕生日を祝うという名目でしたが、早めに行って、バーで野球観戦をすることにいたします。やっぱり、スポーツ観戦というのは、みんなでやるのが楽しいでしょう。

そして、そう思っている先客もいらっしゃって、いつもは日曜の晩は閑散とするバーには、何組か野球ファンたちが集っていました。

ジャイアンツのユニフォームにしっかりと身を包んだ「バースデーボーイ」のおじさんもいらっしゃいましたね。


試合は2対0でテキサス・レンジャーズに勝っているし、30分ほどしてレストランに移り、静かなディナーとなりました。

まずは、めずらしいバッファロー(牛より大きなバイソン)のカルパッチョから始めます。
 バッファローは脂分が少ないので、煮たり焼いたりするよりも、生のカルパッチョが「まったり感」もあって最適かもしれません。

カルパッチョのお次は、ロブスターのリゾットと、ディナーは着々と進んで行くけれど、バーの辺りからは、ときどき大きな歓声が聞こえてくるのです。

「なるほど、ジャイアンツが得点を入れたに違いない!」と試合の方も気になりますが、ディナーのときには他のことは忘れて会話を楽しむもの。ちょっとシリアスな話題も出てくるので、そちらに集中します。

けれども、やっぱりレストランにいた人たちも試合の経過が気になるらしく、携帯電話でネットアクセスして、得点を追っている男性もいらっしゃいました。その様子を鋭く察知して、隣のテーブルの男性が「今、試合どうなってる?」と、見ず知らずの人にもチェックを入れるのです。


この晩は、サンノゼ辺りでも、試合観戦に夢中の人たちが多かったらしく、いつもはハロウィーンの晩は子供たちを連れて近所を練り歩くという人でも、「今晩は、早めにトリック・オア・トリートを切り上げて、ナイター観戦するぞ!」と、テレビの前に陣取っていたそうです。

「イニングの間に子供たちにお菓子を配る」とか「さっさと玄関の電気を消して居留守を使う」とか、やっぱりハロウィーンよりも野球を優先させた大人たちもいたようです。

「だって、ハロウィーンは毎年あるけれど、ワールドシリーズ出場なんて、何年に一回しか巡ってこないものね!」

なるほど、これは実に筋が通った話です。

(上の写真は、バーに置いてあったパンプキン。「SF」というすかし模様は、サンフランシスコ・ジャイアンツのロゴです。それにしても、うまいですね!)


結局、サンフランシスコ・ベイエリアの願いが叶って、この晩は4対0でジャイアンツの勝ち。そして、シリーズも3勝1敗とレンジャーズに王手をかけたのでした!

新聞の見出しの「Texas Toast!」とは、「レンジャーズは焼きがまわっている(もうすぐお陀仏だ)」という意味です。

だって、ジャイアンツがあと1勝で、ワールドシリーズの覇者となるのですから。

もう、優勝も目の前! 「Within Sight」なのです。

間もなく、敵地テキサスで試合(第5戦)が始まりますが、勝って欲しいという気持ちと裏腹に、ここでひとつ負けてサンフランシスコに戻って来て、ホームグランドで勝って欲しい気もするのです。

そして、ベイエリアのほとんどの人が、まったく同じことを思っていることでしょう。

追記: このハロウィーンの日曜日は、トリック・オア・トリートで練り歩くのにも、スポーツバーにお出かけして野球観戦をするにも、まさにもってこいのお天気でした。

天気予報士の予測がまた、とっても粋なものでした。

Sunday should be fairly pleasant, with a 10 percent chance of goblins.
 日曜日は気持ちがよく、「鬼さんたち」の確率は10パーセントです。
(National Weather Serviceのボブ・ベンジャミンさんの予報)

© 2005-2024 Jun Natsuki . All Rights Reserved.