あなたのお名前は?
- 2010年07月25日
- エッセイ
以前、「不思議なアパート」という題名で、エッセイを書いたことがありました。
「妖怪の棲家(すみか)」とは言わないまでも、ちょっと不思議なアパート(大学の官舎)に住んでいたという、子供の頃の思い出話でした。
ふと、またその頃のことを思い出しました。
前のエッセイにも登場した、母と大の仲良しの「工学部助教授夫人」のお話です。
彼女が母にこう告白したことがありました。
「うちの主人ったら、『女の人は、オナラはしないのかと思ってた』って言ったことがあるのよ。どうかしてるわよねぇ。」
なんでも、若き工学部助教授は、子供の頃にお母さんのオナラを聞いたことがないので、女性はオナラをしない生き物だと思っていたそうなのです。
それで、大人になって結婚してみると、目の前で奥さんがプ~ッとやったものだから、「あれ、もしかしたら女性だってオナラをするのだろうか?」と大いに悩み、ついに開眼したらしいのです。
サバサバした夫人が、夫のためにオナラを我慢するなんてことはありません。だって、生理的現象なのだから、仕方ないでしょう。
「そんなバカなことってないでしょ!」とばかりに、真面目な助教授さんは、昼下がりの談笑のタネにされてしまったのでした。
それにしても、昔は、女性は夫や子供の前ではオナラを我慢していたものなのでしょうか?
そんなオナラの話を思い返していたら、ある雨の日のことがよみがえってきました。
母とふたりでお買い物にでも行っていたのでしょう。家の近くの横断歩道を渡り終えると、目の前の店の軒先で、雨宿りをしている女の子がいます。
ここは、わたしが通う小学校の近くで、彼女も同じ小学校の児童です。でも、ちょっと遅く下校しているので、わたしよりも年長だったのでしょう。
雨はかなり強く降っていて、傘がなければずぶ濡れになってしまいます。そこで、母はさっそく女の子に声をかけ、彼女が少し遠くに住んでいることを聞き出します。
いつ止むとも知れない雨。母にとっては、このまま雨宿りをさせておくことも、雨の中を走って帰すこともできなかったのでしょう。そこで、女の子を自分の傘に入れ、今渡った横断歩道をもう一度渡って引き返します。
そのあと、女の子の家に行った記憶がないので、たぶん母は自宅に傘を取りに戻ったのでしょう。家に置いてある余分な傘を女の子にあげて、濡れ鼠にならないように帰してあげたんだと思います。
その頃、わたしはすぐに風邪をひくタチだったので、そのような子を持つ母にとっては、心細げに雨宿りをする女の子が心配でならなかったことでしょう。
そんな母を見ながら、わたしは「どうしてあの子のお母さんは、傘を持たせなかったのだろう? あとで雨になるってわかっていたのに」と、ちょっと不思議に思ったのを覚えています。
そして、店の軒下で母が声をかけたとき、「お名前は何ていうの?」と、女の子に尋ねていたのも鮮明に覚えています。
きっと相手を怖がらせないために、名前で呼んであげようと思ったのでしょう。それとも、母にとっては、相手を名前で呼ぶのがごく自然のことだと思えたのでしょうか。
そして、この雨の日の出来事は、わたしの意識下に深く刻み込まれているとみえて、わたし自身、相手の名前を尋ねるのが習慣にもなっています。
あまり良く知らない人でも、相手を名前で呼ぶと、より近しく感じますし、相手を尊重しているような感じがするのです。
子供のときに経験したことって、知らないうちにずいぶんと大きな影響を与えているものなんですね。言葉にして教わったことよりも、身振りで教わったことの方が、頭によく入るものなのかもしれません。
きっと今の時代は、たとえ子連れのお母さんだったにしても、「知らない人だから危ない」って信用してもらえないのかもしれませんが、雨でずぶ濡れになっている子供がいれば、さすがに声をかけてあげるのが普通でしょう。って、もしかすると、普通じゃないのかもしれませんけれど・・・。
戦闘機とドローン: ただいまアメリカは戦争中
- 2010年07月20日
- 社会・環境
Vol. 132
戦闘機とドローン: ただいまアメリカは戦争中
2010年も、はや7月。夏も本番となりました。
7月には独立記念日(Independence Day)もあることですし、この時期は、アメリカ人が自分を一番誇らしく思うとき。人々の「誇り」を具現化するかのように、記念日には、あちらこちらでパレードや花火大会が開かれます。
思うに、アメリカ人が自らを誇りに思うのは、自国の強さを認識したとき。アメリカが経済や政治でリーダーシップをとったとき。そして、軍事力を誇示したとき。
いうまでもなく、アメリカは今も戦争中でして、イラク戦争は終結に向かっているものの、2001年10月に始まったアフガニスタン戦争は派兵増強となり、戦火は激しさを増しています。そして、国境を越え、隣国パキスタンにもアメリカの攻撃の手は伸びています。
そんなご時勢には、ヒューヒューと威勢よく上がる記念日の花火も、空爆に聞こえてくるのです。
そこで、今月は、戦争に関連した「きな臭い」お話でもいたしましょうか。全部で三話となっておりますが、まずは、あるロボット会社の顛末から始めることにいたしましょう。
<一つ目小僧の変身>
「一つ目小僧」というのは、以前ご紹介したことのあるロボットのことです。2003年にラスヴェガスで開かれたCES(コンスーマ・エレクトロニクスショー)に登場していた、かわいいロボットくんです。
2003年1月号の第2話でもご紹介していますが、エボリューション・ロボティックス社のコンパニオン(相棒)ロボット「ER 2」は、留守宅の監視をしてくれたり、子供に本を読んであげたり、別売りの「腕」を付けてもらえば、チェスの相手だってしてくれるという、なかなか多才な「一つ目小僧」くんでした。
この「ER 2」の生みの親であるエボリューション・ロボティックス社は、現在、アップルのiPhoneに向けてアプリケーションを販売しています。「ViPR(ヴァイパー)」という名で、端的に言って「見て、情報探しをしてくれる」アプリです。
たとえば、DVDやCDや本のカバーをiPhoneのカメラで撮ったとします。すると、その写真をもとに商品の詳しい情報をメールで送り返してくれるのです。そこには、画像サイトYouTubeやiTunesストア(アップルのメディア・アプリショップ)へのリンクもあって、ビデオクリップを観たり、音楽を試聴したり、簡単に購入できるようにもなっています。
そんなものは、世の中にたくさんあるでしょう。でも、これのどこがスゴイかって、写真を撮るのがヘタクソでも、ちゃんと認識してくれるところなのです。たとえば、逆さまに撮っても、斜めにゆがんで撮っても、遠くにあるものを小さく撮っても、情報の一部が指で隠れたまま撮っても、かなり正確に認識してくれるのです(デモの様子は、こちらのビデオでご覧になれます)。
「ER 2」ロボットの登場以来、エボリューション・ロボティックス社は、「ViPR」のような画像認識に力を入れてきたようです。その努力が実を結んだのでしょうか、昨年7月には、米海軍からお仕事をいただきました。
海軍の研究所が同社を気に入った理由は、戦地のようにコンピュータを持ち歩けない場所でも、携帯機器に搭載された画像認識技術で、敵方の飛行機や船、戦車などを的確に、素早く識別するところだそうです。どんな天候であろうと、どんな地形であろうと、敵の位置を確認することは、守備と攻撃の第一歩ですから。
なんでも、同社は、米軍とは先にいくつかの契約を結んでいて、ロケット弾(RPG、rocket-propelled grenade)の検知システムだとか、無人偵察機(UAV、unmanned aerial vehicle)の操縦システムだとか、そんな分野で軍隊と密にお仕事をしてきたそうです。(たとえば、現在は、戦車に向かって発射されたロケット弾を衝撃波で検知して反撃したり、戦闘機に向かってくるミサイルの赤外線検知能力を惑わすシステムなどが使われていますが、費用がかかり過ぎたり、精度が低かったりと、それに代わる新しい防御技術は常に求められているのです。)
うーん、「ER 2」みたいなロボティックスの分野は、まだまだ未成熟なのはわかります。研究・開発にはお金がかかるし、消費者向けにはなかなか売れないし、ロボットを販売しているだけでは食べていけないのもわかります。
そして、軍事産業と民事産業の間では、互いにテクノロジーを共有しているのもわかります。
あの愛すべきお掃除ロボット「Roomba(ルーンバ)」くんのiRobot社だって、せっせと軍事ロボットを作っているくらいですから(2005年10月号、おまけのお話「ロボット好きの方へ」でご紹介)。
けれども、だからって、「一つ目小僧」の生みの親には、そっちに行ってほしくないのです。
ひょんなことからロボット屋さんの進化過程を知ったわたしは、「一つ目小僧」の変身ぶりに、落胆すら感じたのでした。
<サンノゼを震撼とさせた晩>
6月のある晩のこと、まだ薄明るい夏の一日を楽しんでいたサンノゼ市民を仰天させる出来事が起きました。米軍の戦闘機二機が、轟音を響かせながら頭上低く飛んで行ったのです。
今まで街の真ん中を、しかもあんなに低空を戦闘機が飛んだことはなかったので、サンノゼ市民は、もうびっくり。街をそぞろ歩きしていた人たちや、リトルリーグ野球を楽しんでいた家族たちは、「いったい何が起こったの?」と、目を白黒。
あまりの騒音に、窓ガラスはブルブルと振動するし、車の(盗難防止)警報音は鳴り出すし、びっくりして足を踏み外す人はいるし、その後、報道機関各社には市民の苦情がわんさと寄せられたのでした。
大騒ぎの原因は、ひとつに航空事情を取り仕切るFAA(Federal Aviation Administration、連邦航空局)が戦闘機の飛行について何も知らなかったこと。そして、明らかにFAAの規則を破るような飛行だったことがあります。
民間の飛行機は、高度1万フィートより低い所を飛ぶときには、250ノット(時速約460キロ)以下の速度でなくてはならないそうです。が、その晩は、たった2千フィートの高さを355ノット(約660キロ)ですっ飛んで行った。市の中心を突っ切って、北端のミネタ・サンノゼ空港を超えたときなどは、わずか1300フィート(約400メートル)を520キロでかすめて行った!
この戦闘機二機は「F/A-18 ホーネット」だとわかっているので、犯人は海軍か海兵隊しかありません。でも、内陸のフレズノ近くにある海軍航空基地に聞いても、「わたしは知らない」と言われるし、「あれはいったい何だったんだ?」と騒ぎはどんどん膨れ上がります。
そして、騒ぎが起きて数日後、ようやく海軍の別の基地が「自分たちがやったものだ」と白状しました。飛行訓練のために、南カリフォルニア・ベーカースフィールド近くの施設からミネタ・サンノゼ空港までホーネット二機を飛ばしたと。
「着陸訓練の一部として、こんな演習飛行はよくやる」ということですが、「どうしてサンノゼが選ばれたのかはわからない」とのスポークスウーマンの回答でした。
ちなみに、こちらのチャイナ・レイク基地は、海軍のために兵器開発をしている部署(Naval Air Warfare Center Weapons Division)がいる所で、兵器の陸上演習場がある施設のようです。
まあ、いかに連邦機関であっても、FAAは軍隊の行動についてはコントロール外となるので、戦闘機の空路だとか演習目的だとかは皆目わかりません。ゆえに市民に説明することもできずに、騒ぎが広がったのでした。
それにしても、わたし個人としましては、「どうしてこれしきのことで騒ぐのか?」と、サンノゼ市民の暢気さにあきれてしまったのです。なぜなら、日本の米軍基地周辺の方々は、ほぼ毎日これを経験しているのですから。
実は、わたし自身、神奈川県の厚木基地(海軍飛行場)近くに住んでいたので、飛行演習の騒音は痛いほど経験しています。空路の真下にあたる大和市では、パイロットの顔が認識できるのではないかというほど低空を戦闘機が飛び、頭上を通り過ぎるたびに空をつんざくようなバリバリとした轟音をたてます。
市は騒音対策として、窓を二重構造にするなどの援助をしていますが、地下の無響実験室でない限り、二重窓なんて何の意味のないことも経験済みです。
しかも、航空母艦が横須賀基地(海軍施設)に入港したときは、もっと悲劇です。なぜなら、夜間飛行訓練が始まるからです。
海軍の戦闘機は、基本的に空母から離着陸する艦載機ですので、空軍の戦闘機よりも小型で、短距離で離着陸できるものとなっています。けれども、離陸はまだ良いものの、空母に着陸するのは至難の業のようで、「最初のうちは、失禁するほど恐いものだ」と聞いたこともあります。艦上の滑走路(飛行甲板)が短いだけではなく、着艦のときに戦闘機後部のフックを艦上のワイヤに引っ掛けて停止するようになっているからです。
フックがうまく引っ掛からないと、とっさに飛び立たなければ駐機中の艦載機に激突したり、海に落ちたりと大事故を起こしてしまいます。少ないながらも、そういう事故は起きていますし、命を落としたパイロットもいます。
ですから、着陸してすぐに飛び立つ「タッチ&ゴー」と呼ばれる飛行訓練を何度も行うのですが、厚木基地の場合は、これを夜間に、しかも繰り返し、繰り返し行うのです(実際の着艦時には、フックを引っ掛けるタイミングでエンジンを全開にして着艦失敗に備えるそうなので、訓練だってエンジン全開、つまり、地上の騒音もすごいのです)。
戦闘は昼夜を問いませんので、夜間訓練も必須となるのですが、明けても暮れてもこれをやられる側は、たまったものではありません。厚木基地だけではなく、沖縄の普天間基地(海兵隊飛行場)周辺でも、「騒音で難聴になった」「赤ちゃんがミルクを飲もうとしない」といった悲鳴が上がっています。これは決して大袈裟に物を言っているわけではありません。
日頃、わたしは、サンノゼ市民の暢気さが気に入っています。やはり農村社会だっただけのことはあって、争い事を嫌い「和」を尊ぶ鷹揚さがあるのだと思っています。
けれども、戦闘機が頭上を飛んだくらいで「日常の平和を壊した!」と大騒ぎするのは、あまりにも暢気の度が過ぎると憤りを感じたのでした。
それと同時に、もし米軍が自国民に嫌われるとわかっている飛行訓練を好んで海外の米軍基地で行っているとしたならば、それは大いに筋違いだと思うのです。もしアメリカ国内の海軍、空軍、海兵隊基地周辺で騒音に悩まされている市民がいないとしたならば、どうして日本の人たちが代わりに苦しまなければならないのかと、堂々と問題提起をすべきでしょう。その実態を調べる義務は、日本政府にあるのだと思います。
日本はアメリカの属国などではなく、「対等」の立場にいるわけですから、調査の結果如何によっては、「どうしてあなたたちは日本人を差別するのか?」とアメリカ政府に問いただすべきでしょう。アメリカ人は「あなたは差別をしている」と言われるのが一番心外なので、あちらだって何かしらの対応を考えることでしょう。
もし正当な自己主張をせず、問題をうやむやにしようとしているのなら、それは、日本国全体が、基地周辺の人々を人身御供に差し出しているのと同じことなのでしょう。
今年5月、沖縄に旅したとき、現地の方と親しくお話しする機会がありました。その方は、昨年話題になった映画『Avatar(アバター)』を観て、自分たちと同じ「征服される姿」を見出したとおっしゃっていました。
映画はハッピーエンドで終わっていますが、現実も同じような結末となって欲しいと、無言で主張なさっているようにも感じたのでした。
<ドローンはお好き?>
先日、新聞を取りに外に出たら、家の壁にこんな蛾が止まっていました。この辺りでは初めて見るような蛾ですが、上品なベージュ色ですし、葉脈みたいな羽が美しくて、ふと足を止めてみたのでした。
でも、これって、なんとなく「ステルス」のようではありませんか? 三角形ののっぺりとした感じが、どことなくステルス機を彷彿とさせるのです。それに、息を殺してじっと壁に止まっているところが、ステルスの持つ不気味さをかもし出しているのです。
まあ、蛾がステルス機なんて、朝っぱらから平和な連想ではありませんが、ご存じの通り、「ステルス」というのは、軍用機が敵から姿を消す技術の総称となりますね。
細かいことはわかりませんが、敵のレーダーに感知されないようにと、電波を反射したり、赤外線を放射したりして、まんまと敵の目をくらます技術です。
たとえば、米軍の例でいうと、1980年代に登場した「F-117 ナイトホーク」、その後継機種で、現在、空軍の主力戦闘機である「F-22 ラプター」といったステルス攻撃機・戦闘機があります。
西側諸国と共同開発中の最新ステルス戦闘機「F-35 ライトニングII」も、間もなく実用段階に入ります(ライトニングIIには、海軍・海兵隊用に短距離離陸と垂直着陸できる機種もあって、今年3月、垂直着陸実験に成功しています)。
そして、もっと大きな爆撃機の中では、冷戦時代末期に登場した「B-2 スピリット」もステルス技術を備えています。
けれども、人間のやることですから、ステルスは完璧ではありません。ということは、いくらステルス機で戦っていても、地対空や空対空で撃ち落とされる可能性があるわけです。そして、操縦していたパイロットは、尊い命を落とすかもしれない。
だとすると、自国軍の被害を最小限に抑えるためには、ドローンが欲しい!
ちょっと変な名前ですが、「ドローン(drone)」というのは、無人航空機のことです。パイロットがいないので、英語では「UAV(unmanned aerial vehicle)」とも呼ばれています。
高高度の飛行と長時間の滞空が可能なので、偵察(reconnaissance)には最適な航空機です。発電機を搭載しているので、数十時間の長い滞空も可能なのです。
ドローンの歴史は意外と古く、第一次世界大戦の頃には、すでに開発が始まっていたそうです。その後、少しずつ改良を重ね実用的なものになりましたが、実際に戦争で使われたのは、1982年のレバノン戦争の頃。
この戦争は、レバノンで激化していたPLO(パレスティナ解放機構)のテロ活動を抑えようと、イスラエルがレバノン南部に侵攻した戦いですが、このときは、イスラエル軍が無人偵察機を使って、レバノンに駐留していた敵方シリアの防御網を突破しています。
この偵察能力に魅せられたイスラエルは、それ以来、事あるたびにドローンを多用するようになったのでした。
それで、どうして薮から棒にドローンの話をしているのかというと、新聞を読んでいて、ひどく驚いたことがあったからです。
それは、2006年に起きたカラチ(パキスタン)の米領事館爆破事件の犯人が、パキスタン北西部のアフガニスタン国境近くでCIA(米中央情報局)のミサイル攻撃で殺されたというものです。なんでも、CIAのドローンが3発のミサイルを発射して、領事館爆破の中心人物を含めて少なくとも13人を殺したというのです。(2月25日付The Associated Press社の報道を参照)
この人物はアルカイダ関連組織であるパキスタン・タリバンのリーダー格で、アメリカが最も捕まえたかった中のひとりだそうです。が、そんなことよりも、何よりも、ふつふつと疑問が湧いてくるではありませんか。
ドローンって偵察機じゃなかったの? どうしてCIAが「人殺しドローン」を持ってるの? スパイ映画じゃあるまいし、CIAは今でも人を殺す免許(license to kill)を持ってるの? そもそも、軍隊じゃない組織がミサイルを発射することは許されるの? と。
調べてみると、どうもドローンが単に偵察機だった時代はとっくに過ぎているようで、近頃はミサイルを搭載し、敵方に静かに近づいてミサイル発射! というのが常套手段のようなのです。高い所にいるので姿が見えないし、風向きによってブーンという羽音がするだけなので、相手は心の準備なんてできないのです。
そして、アフガニスタンの戦地で戦う米空軍だけではなくて、スパイ集団であるCIAも、そんなドローンをこよなく愛しているのです。現に、CIAの任務の中には、殺傷能力を持つドローンの活用作戦があって、昨年8月にも、上空3000メートル(!)の高さからパキスタン・タリバンのリーダーをミサイルで狙撃するという「大手柄」を立てているそうです。
いやはや、この手のドローン作戦は、まさにスパイ映画そのものでして、狙撃する張本人は、はるかかなたアメリカのヴァージニア州ラングリーにあるCIA本部で、大きな液晶画面の前に座っているそうですよ。
ドローンは、ラジコン飛行機のように人間が離れた場所から操縦するものですが、離着陸は、現地の秘密の飛行場から操作するそうです。けれども、ひとたび空に浮かぶと、操作はアメリカ側に渡され、CIAのスタッフ(多くの場合、民間委託会社の社員、つまり民間人)が液晶画面を観ながら、ビデオゲームのようにジョイスティックでドローンを操作するのです。ドローンにはビデオカメラが付いていますので、現地の様子はしっかりと衛星生中継されているわけですね。
昨年8月のミサイル狙撃の実例では、3000メートル上空から赤外線カメラをズームインし、ターゲットとなる人物が妻の実家の屋上でゆったりと長椅子に横たわり、看護師から持病の糖尿病の治療を受けているところがつぶさに観察されたそうです(赤外線カメラだと、夜間でも「透視能力」がありますし、今は3千メートル離れていても使えるそうです)。
そして、頃合いを見計らって、ドローンからミサイル2発を発射し、ターゲットを含めて12人を抹殺。この中には、ターゲットの奥さんと奥さんの両親も含まれていました。蒸し暑い8月の晩のことで、実家の屋上が格好の狙撃舞台となったのでした。(参考文献: Jane Mayer, “The Predator War: What are the risks of the C. I. A.’s covert drone program?”, The New Yorker, October 26, 2009)
このミサイルの名は、「<
a href="http://en.wikipedia.org/wiki/AGM-114_Hellfire">AGM-114 ヘルファイア(Hellfire)」。もともと攻撃ヘリコプター用の小型ミサイルだったところからヘルファイアと呼ばれているようですが、まさに「地獄の火」にも聞こえます。
そして、発射したドローン攻撃機は「MQ-1 プレデター(Predator)」。こちらは「略奪者」なのでした。(MQ-1の「Q」は無人航空機、「M」は多目的、つまり偵察と攻撃を表します。)
この「略奪者」の後継機種には「MQ-9 リーパー(Reaper)」というのがいて、戦闘爆撃機級のミサイルを積めるので、もっとすごい殺傷能力があるそうですよ。リーパーというのは、あの大きな鎌を持った「死神」のことです。
先日、サウスダコタ州のエルスワース空軍基地が地上管制施設に選ばれたことでもありますし、今後、この「死神」は、空軍の攻撃戦力として活用されていくようです。
そして、近頃は、ドローンにもステルス技術が使われていて、空軍の「RQ-170 センティネル(Sentinel)」というステルスドローンが、中央アジアで秘密の活動を行っています。今のところ「R(reconnaissance)」となっているので、おとなしく偵察任務を負っているようではあります。(参考文献: David A. Fulghum, “USAF (U. S. Air Force) Confirms Stealthy UAV Operations”, Aviation Week, December 4, 2009)
最新ドローン機の中には、ボーイングが開発中の「ファントム・アイ(Phantom Eye)」というのがあって、こちらはフォードの水素燃料エンジンを搭載し、高度6万5千フィート(約2万メートル)、滞空4日間(!)の偵察飛行が可能となるそうです。(7月13日付英BBCの報道を参照)
いやはや、どこまでもスパイ映画のようではありますが、そもそも、どうしてCIAはドローン攻撃機を愛用しているのでしょうか。
それは、パキスタンの山岳地帯に潜むテロ組織を壊滅させるためには、地上での諜報活動に平行して、はるか上空から敵を偵察する作戦が効果的だからです。ひとたび標的が現れたとあらば、即ミサイルで狙撃する。リーダー格が狙撃されたとなると、敵も息をひそめてテロ活動を中断するでしょう。
けれども、これはCIA側の論理であって、そもそもCIAがミサイルを発射して、人を殺すことは許されるのか? という根本的な問題が残されています。1976年、フォード大統領(当時)によってCIAは「暗殺行為(assassination)」を禁じられているのに。
ここで特筆すべきことは、CIAは自分で勝手にミサイルを発射しているわけではなくて、後ろには、大統領という「黒幕」がいることでしょうか。
当初、イスラエルのドローン作戦を「非人道的」と批判していたアメリカですが、ひとたび2001年の同時多発テロが起きて「テロと戦う」大義名分が生まれると、コロリと立場を変え、攻撃型ドローンを活用するようになります。
そして、ブッシュ前大統領からオバマ大統領に代わり、時代は大きく変わったと見えたにもかかわらず、いまだにドローン攻撃機は大活躍しているのです。
それどころか、オバマ大統領はよほどドローンがお好きと見えて、昨年1月、大統領就任わずか3日後には初のドローン攻撃を命じています。そして、ブッシュ前大統領よりも、はるかに頻繁に愛用なさっているのです。(参考文献: Peter Grier, “Drone Aircraft in a Stepped-up War in Afghanistan and Pakistan”, The Christian Science Monitor, December 11, 2009)
一般的に、ドローン攻撃は、現地の罪の無い犠牲を最小限に抑えることができると言われます。軍隊用語で「副次的な被害(collateral damage)」と呼ばれますが、要するに、ドローンのミサイルは小型なので、現地の民間犠牲者が少ないというのです。
そして、近頃CIAは、重量45キロの「ヘルファイア」よりも小さいミサイル(バイオリンケースほど小さい、16キロのミサイル)を愛用していて、これだと巻き込まれる民間人は少ないとしています。(4月28日付The Washington Post紙の記事を参照)
昨年1月から130回以上行われたCIAのドローン攻撃では、敵方500人を殺したわりに、民間の犠牲者は30人ほど、ともされています。(6月2日付CBSニュースの報道を参照。攻撃回数はBrookings Institutionの推定、犠牲者数は非公式の政権発表による。)
けれども、犠牲が無いわけではありません。現にパキスタンでは、CIAのドローン作戦に対する大規模な抗議行動も起きていますし、アメリカ国内でも物議をかもし出しています。宣戦布告していない国パキスタンで、しかも国際法でがんじがらめになっている軍人ではなく、スパイ組織が秘密に兵器を使っている事実が許されるのか? と。
さらに、国連でも問題視されていて、6月初頭、アメリカはパキスタンで行っているドローン攻撃を即刻中止すべきであると、報告書を出しています。
これに対して、オバマ政権は言及を避けています。というよりも、CIAにドローン作戦が存在すること自体を認めていないのです。だって、わざわざCIAを使っているということは、すべてを隠密裏に済ませたいということですものね。
そう、誰もが知っている、大きな秘密。
上等なホワイトハウスに住んでいるオバマさんには、こんな村人の嘆きは届かないのかもしれません。
「地面に落ちている肉片を家に持ち帰って、我が息子と呼んでいるんじゃ。」
突然、身内を奪われた痛みはなかなか消えないどころか、時間が経つにしたがって大きな暗雲となり、やがては天を貫く稲妻を生むことになるのかもしれません。
夏来 潤(なつき じゅん)
雨季明けの6月: アンドロイドくんと石川遼くん
- 2010年06月26日
- 業界情報
Vol. 131
雨季明けの6月: アンドロイドくんと石川遼くん
もう明けることはないのかと思うほど、長く続いた雨季でしたが、北カリフォルニアにもようやく初夏がやって来ました。
そんな6月は、全米での予備選挙、ワールドカップ・サッカーの開幕、アップルの新製品「iPhone 4」の発売と、話題が尽きないところではあります。
が、パワー全開の今月は、それだけではありません。
そこで、今月は、アメリカで話題のアンドロイド搭載機、携帯キャリアの陰の苦労、ゴルフの石川遼選手のメジャー挑戦と、3つのお話をいたしましょう。いつもよりも長めなので、どうぞごゆるりとお読みくださいませ。
<スプリントが誇る「EVO 4G」>
6月4日の金曜日、米携帯キャリア三番手のSprint Nextel(スプリント・ネクステル)から、注目のスマートフォンが登場いたしました。
その名もHTC「EVO 4G」(「イーヴォー・フォージー」と発音)。アンドロイド搭載機の先駆者ともいえる台湾メーカー、HTCの最新のアンドロイド機です。
OS(基本ソフト)にはアンドロイド2.1を搭載し、現行の3.5G(EV-DO)ネットワークとともに、Sprintが「全米初の4G(第4世代)」と銘打つWiMax(ワイマックス)ネットワークにも対応しています。
おまけに、クアルコムの1GHz プロセッサ「Snapdragon(スナップドラゴン)」を搭載するので、処理能力は申し分ないくらいに速いときています。
ゆえに、今アメリカ市場に出ているアンドロイド機の中では、最高位機種という位置づけです。
このHTC「EVO 4G」は、今年3月ラスヴェガスで開かれたCTIAで発表されたのですが、3月号でも触れた通り、現地にいたわたしは、広い会場ですっかり見落としてしまいました。そんなわけで、「どうしても見てみたい機種」のひとつとなっていたのでした。
そこで、発売当日の6月4日、さっそくSprintショップに出かけてみました。混雑を避け、のんびりした場所が望ましいと、サンノゼ市の南端にあるOakridge Mallというショッピングモールを選びました。ここには、新しくてこぎれいなSprintショップがあるのです。
日差しの明るい金曜の午後、お店に足を踏み入れると、お客は誰もいません。「やっぱりSprintらしいな」と思ったところで、スタッフのお姉さんがにこやかに近づいて来ます。
「これが見たかったのよ!」とこちらが「EVO 4G」に近寄ると、「そうなのよ、今日発売よ!」と目を輝かしたのも束の間、「でも、とくに説明することなんてないから、好きに遊んでちょうだい」と、すぐにその場を離れて行きます(なんとも商売っ気がないものです)。
それから数分間、好きに触らせてもらったのですが、何はともあれ、第一印象は「大きい!」でした。アップルのiPhone 3GS(アイフォーン第3世代)と比べると、少し大きいようですが、画面が大きくて機種のかなりの面積を占めるので、「ずいぶんとでかい」印象を与えます。
けれども、筐体は薄いし、そんなに重くはないし、持ちやすいことは確かです。そして、画面が大きい(4.3インチ)ということは、YouTubeなんかのビデオも観やすいのです(写真は、Sprint TVというテレビのストリーミングサービスで、スポーツやニュースの中継番組やダイジェスト版が観られます)。
さすがにプログラムの読み込みも速いし、マルチタスクなので、いろんなアプリケーションを平行して走らせることもできます。アンドロイド向けのアプリショップ(Android Marketplace)にもサクッと繋がるので、欲しいアプリも簡単にダウンロードできます。
FacebookやTwitterといった流行りのソーシャルネットワークとも連携プレーができていて、たとえば「EVO 4G」で撮影した写真やビデオをその場でヒョイッと友達に紹介することもできるのです。
デジカメは二つ付いていて、裏側の8メガピクセルのカメラでは、高画質のビデオも撮影できます。
「Qik(クイック)」というモバイル向けビデオストリーミング技術も使えるので、表側の小さなカメラは、ビデオ通話(video chat)にも重宝すると評判になっています。相手が電話に出ないと、ビデオメッセージを残すこともできるとか(あまりの評判にサーバがパンクして、発売翌日から数日間Qikサービスが使えなくなりました)。
そして、高機能のわりに、本体価格は2年サービス契約で200ドルと、リーゾナブルなお値段になっているのです。
そんな出来の良い新機種の登場ではありますが、わたしはかねがね「どうしてSprintなのかな?」と疑問を抱いていたのでした。
もちろん、現時点では、SprintのWiMaxがアメリカ市場で一番速い携帯ネットワーク技術となっています。「スピード」を売りたいのだったら、Sprintは最適なキャリアパートナーとなるでしょう。
けれども、販売台数の観点からすると、キャリア三番手のSprintではなくて、同じくCDMA陣営 のVerizon Wireless(ヴェライゾン・ワイヤレス)という手もあったでしょうに、と思うのです。
なぜなら、Sprintは三番手と言いながら、カバレッジ(サービス範囲)がいまいち悪いと、最大手のVerizonと二番手のAT&T Mobility(AT&Tモビリティー)に加入者数で大きく水をあけられているからです。(The Associated Press社によると、Verizonは9,280万人、AT&Tは8,700万人、Sprintは4,810万人、T-Mobile USAは3,370万人)
数の力は、金の力。新技術展開の底力。すでに大手二社の顧客となった人が、そう簡単にSprintに乗り換えることはないでしょう。
この過ちをおかしたのが、モバイル端末の老舗Palm(パーム)ですね。Palmといえば、「Palm Pilot(パーム・パイロット)」「Treo(トリオ)」を始めとするPDA(携帯情報端末)の先駆的存在であり、シリコンバレーのイコンともいえるメーカーです。
2003年発売の「Treo 270」(写真)などは、PDAと携帯電話のハイブリッド製品として絶賛されました(Palmのスピンオフ、ハンドスプリング社製ですが、直後にハンドスプリングはPalmに吸収合併され、Treo製品はPalmブランドとなります)。
ところが、近年ヒット作に恵まれず、昨年6月、最後の望みを託す切り札としてスマートフォン「Pre(プリー)」を発売しました。が、Sprintから独占販売したおかげで、販売台数は伸びず。遅れてVerizonやAT&Tからも「Pre」と姉妹機「Pixi(ピクシー)」を出したのはいいけれど、時すでに遅し。
今年4月中旬には身売り先を探し始め、最終的にはシリコンバレーのパワーハウス、HP(ヒューレットパッカード)に買われることとなりました。
昨年6月号では、「Pre発売の6月6日という6の羅列は、新約聖書『ヨハネの黙示録』に出てくる666みたいで縁起が悪そう」と書いてみたのですが、まさに、その通りになったのでした。
まあ、Sprintの先行独占販売も足かせとはなったのでしょうが、Preの基本ソフトであるwebOSも、一般消費者にはわかりにくい、テクノロジーギークっぽいところが災いしたのかもしれません。
そのwebOSには、HPは熱い期待を寄せていて、現在、Palmの再起を懸けてコマーシャル合戦を繰り広げているとともに、次回のタブレット型はwebOSを搭載するぞ!と意気込んでいます。
そんな良からぬ前例のあるSprintですが、華々しく「EVO 4G」を売り出したものの、シリコンバレーやサンフランシスコでは、いまだにWiMaxネットワークは利用できません。
でも、それまでは、WiMax対応としてプレミアム料金10ドルを毎月払い続けなければならないのです。たとえば、一番安価な「EVO 4G」サービス月額料金は、450分通話・データ通信定額70ドルに「4Gプレミアム料金」10ドルが加算され80ドルとなりますが、これに国・州・地方自治体の各種税金10ドル強が乗っかってくるので、決してお安くはないでしょう。
しかも、「EVO 4G」発売当日には、「WiMaxは思ったよりも速くない! 3Gよりも10倍速いなんていうのはウソだ!」といった辛口の批評も出回りました。
たとえば、PC World誌は、6都市での実地テストの平均受信速度は2.5Mbpsであり、Sprintの「3~6Mbps、ときに10Mbps」といううたい文句を大幅に下回っているとしています。
WiMaxの特徴として、場所によってスピードが異なる点も挙げられています。USA Today紙によると、フィラデルフィア市で実地テストを行った結果、WiMaxのない地域よりは速いが、10Mbpsには到達しないし、市内の区域によっても、市役所のまわりは速いが駅は遅いと、受信ムラが大きい。しかも、WiMaxネットワークを探すうちに、電池の消費量が著しく、一日の労働時間は保たないとしています。
WiMaxは、基本的にWiFi(無線LAN)を大きく広げたようなネットワークですから、WiMax基地局が近くにないと、電波の減衰が著しいのでしょう。
ちなみに、Sprintは「WiMaxは4G(第4世代)」とうたっているわけですが、ITU(国際電気通信連合)は、「4G」とは移動受信最大100Mbpsと定めており、SprintのWiMaxはそれには遠く及びません。
そんな(ちょっと複雑な)新製品の登場ではありますが、発売当日、Sprintショップにはひっきりなしに人が入って来るのです。
わたしが足を踏み入れたときには誰もいなかった店内ではありましたが、チョコチョコと遊んでいるうちに、二人連れの若いお兄さんだとか、お母さんと一緒の中学生くらいの男の子だとか、次々と人が訪れるのです。
これには、さすがに驚いてしまいました。なぜって、Sprintは発売前に「EVO 4G」を大々的に宣伝していたわけではありませんし、そんな派手さの無いSprintは、普段は客の寄りも地味だからです。これだけ人が集まって来るということは、「EVO 4G」に関心を抱く購買層がかなり存在することを意味しているのでしょう。
ふと後ろに人の気配を感じたので、デモ機を独り占めしてはいけないと、さっそく男の子にハイッと手渡したのでした。
もちろん、シリコンバレーでWiMaxが使えない以上、「EVO 4G」は評判通りのブツであるかどうかはわかりません。だって、店頭では「速く動くように見せる」工夫なんてしないのが、アメリカの携帯ショップです(あるシリコンバレーのAT&Tショップなんて、「うちは、AT&Tのネットワークには繋がらないんだよねぇ」と平気でのたまうくらいですから)。
けれども、店頭で遊んでみた限り、「使いやすいし、売れるかも」「ひょっとしたらSprintも顧客数を伸ばすかも」と、かなりの手応えを感じた新製品ではありました。
後日、同じSprintショップに寄ってみると、「サンフランシスコ近郊では、9月末までにWiMaxが使えるようになる」との新情報をキャッチしました。
この日も、ティーンエージャー数人がショップを訪れ、ひとしきり「EVO 4G」で遊んでいきましたが、「Hey, dude, look, it’s so cool!(おい、見てみろよ、かっこいいぜ)」との仰せでした。もしかすると、WiMaxを皮切りに、ぐんぐん売れるようになるのかもしれません。
6月4日の発売初日には、推定32万台の「EVO 4G」が売れたそうですが、そのうちの10万台はSprintへの新規加入者が購入したようです。
同社は、今年第1四半期に58万人もユーザを失っているので、まさに「EVO 4G」は、顧客を呼び戻す救世主となるのかもしれません。
だって、キャリアの「デュオポリー(duopoly、二社が市場を席巻すること)」よりも、「三つどもえ」の方がずっとおもしろくなりますからね!
というわけで、お次はデュオポリーの片翼、AT&Tのお話です。
<AT&Tの「マイクロセル」>
先日、AT&Tからダイレクトメールが届きました。なんでも、自宅に置く「3G MicroCell(マイクロセル)」という新商品のプロモーションらしいです。
これを見て、わたしはAT&Tが展開するテレビサービス「U-Verse(ユーヴァース)」に新製品が加わったのかと思ったのでした。「U-Verse」は、機能的にはケーブルテレビ会社のサービスよりも優れているものの、いまいち画質が悪いという評判を耳にします。それで、より高画質にする機械でも売り出したのかと。
が、さにあらず。「3G MicroCell」の「3G(第3世代)」が示す通り、携帯電話向けの製品だったのです。それも、おもにアップルのiPhoneを使うユーザをターゲットとした製品。
AT&Tの携帯ネットワークが隅々まで行き届かないので、カバレッジ(サービス範囲)から漏れ、自宅でiPhoneが使えない人が多い。ゆえに、WiFiホットスポットみたいな「MicroCell」を自宅に置けば、WiFiにも対応するiPhoneがサクサクと使えるようになるでしょう、というAT&Tの苦肉の策だったのです。
(正式には「3G MicroCell フェムトセル(femtocell)」という名称で、ブロードバンド回線に繋ぐ家庭用小型基地局です。iPhoneのようなWiFi対応スマートフォンと3Gケータイ向けで、通話とデータ通信に利用できます。そして、今のところアメリカでは、AT&TがiPhoneを独占販売しております。)
ところが、この新製品が無料でないところが、消費者の怒りを買ったのでした。
こちらは、一流企業シスコ・システムズ製のコンパクトな製品で、AT&Tのイメージカラーであるオレンジをおしゃれにフィーチャーしております。定価は150ドルですが、もし「MicroCell」を無制限に使える月額プランにご加入いただいた場合は、そこから100ドル引いて50ドルでお分けいたしましょう。月額プランには、毎月20ドルかかりますがね。
でも、この無制限使用プランに入っていただかないと、WiFi経由でかけた通話時間も、すべて通常の携帯料金体系に乗っかってきますからね。そこのところは、よろしくご理解願いますよ。
というわけで、消費者にとっては、家でiPhoneが使えるようになる代わりに、最初に50ドル、その後は月々20ドルも余計に払わされることになるのでした。
「わたしは、iPhoneには毎月130ドルも払ってるのよ! いったいあといくら払えば、ちゃんと電話が使えるようになるのよ!」とは、ニューヨーク・タイムズ紙に紹介された若い女性の憤懣です。この方は、ビルの5階にあるアパートで通話できない悩みがあるそうです。
近頃、アメリカでは、iPhoneやその他のスマートフォンの普及に伴って、携帯ネットワークへの負荷が大き過ぎると問題視されるようになりました。ニューヨークやサンフランシスコと、人口密度の高い都市部ほど「繋がらない」悩みは増えています。これから、iPhone 4(アイフォーン第4世代)が裾野を広げるとなると、問題はさらに深刻化するでしょう。
そこで、今月からAT&Tは、新規加入者のデータ通信定額制を改め、制限を設けるようになりました。(月額30ドルの定額制を、200MBまでのデータ通信料は月々15ドル、2GBまでは25ドルと改定。AT&Tは「データユーザの98%が月2GB未満の使用量なので、改定はユーザにとっても有利」としています。)
さらに、同社は、空港やレストランなど、全米2万箇所以上に持つWiFiホットスポットをスマートフォンユーザに無料開放するようになりました。上でご紹介した自宅向けの「MicroCell」作戦も、「ホットスポットの近くにいるときには、WiFiを使うように」というネットメッセージの一環なのでしょう。
スマートフォンばかりではなく、今後、iPadや電子ブックなど、通信機能を持つモバイル製品が増えていくことを考えると、今のうちに「WiFi推奨」の手を打っておかないと大変なことになるのかもしれません。(ちなみに、日本でもWiFi対応機種を念頭に、ソフトバンクがオフィス向け「WiFiスポット」を提供していますが、こちらは無料でレンタル提供となっています。)
なんでも、今年AT&Tは、携帯電話網拡大に80億ドル(約7,200億円)を投資する計画だそうです。たぶん「MicroCell」で徴収したサービス料も、そちらの方へつぎ込まれるのでしょうが、そんなものは雀の涙に過ぎないでしょう。
そうやって、携帯ネットワークには毎年膨大な投資がなされているわけですが、アメリカはとてつもなく広い国。どんなに基地局を整備したところで、漏れる場所は際限なく存在するのでしょう。そして、加入者が増えれば増えるほど、「ここでは使えない!」という苦情も確実に増えていく。
キャリアにとっては、なんとも頭の痛いところではあります。
というわけで、お次はガラリと話題が変わりまして、ゴルフの石川遼選手のお話です。
<石川選手、及ばず>
6月20日の「父の日」の日曜日、観光名所として名高いモントレーに向かいました。ゴルフの全米オープンの最終日だったからです。
ゴルフをなさらない方にはあまり関心のない事かもしれませんが、6月に開かれる「全米オープン(U. S. Open)」というのは、世界の4大メジャー大会のひとつでして、4月のマスターズ、7月の全英オープン、8月のPGAチャンピオンシップと並んで、世界中のゴルフファンの注目を集める名誉ある大会なのです。
その中でも、全米オープンとPGAチャンピオンシップは、毎年あちこちの米国内のゴルフ場で開かれるので、「今年はどこかなぁ?」とみんなが楽しみにしているイベントとなっています。
今年の全米オープンは、ペブルビーチ・ゴルフリンクス(Pebble Beach Golf Links)という有名なゴルフ場で開かれました。シリコンバレーから1時間ほど南のモントレー・カーメル地区にあります。(プロの大会は撮影禁止なので、以下の写真は、毎年2月にペブルビーチで開かれる「AT&Tプロアマ」の予選ラウンドのものとなります。)
このペブルビーチは、海に突き出たモントレー半島をうまく利用したリンクスコース(海沿いのコース)で、世界的にも風光明媚なコースであるとともに、とても難しいことで名を馳せています。
そんな難関に、日本の石川遼選手が挑戦しました。初日、二日目と調子良く予選を通過してくれたので、こちらも「最終日のチケットを購入していて良かった」と、意気揚々とモントレーに向かいました。
最終日は7位タイ(3日間通算3オーバー)でスタートだったので、まだまだ勝てる望みはあるではありませんか!
その石川選手をスタート前に見かけました。まさに、歩道橋を渡って1番ティーに向かう姿だったのですが、薄曇りのお天気でも、なんだか後光がさして見えるのです。それほど、希望に満ちた、若いエネルギーにあふれる姿でした。
なるほど、日本では「はにかみ王子(Bashful Prince)」というニックネームが付けられたと聞きますが、そんな貴公子然とした美しい姿は、「おじさんのスポーツ」のゴルフ界では際立って見えるのです。
この日は、真っ赤なパンツに白のシャツとさわやかな装いでしたが、ギャラリーのアメリカ人がこんなことを言っていましたね。「おい、イシカワは赤のパンツに赤のサンバイザー、それにピンクのゴルフバッグだぜ。お前、あんな格好できるかい?」
すると、連れの若者は、「っていうかさぁ、彼は初日にピンクを着ていたぜ、ピンク!」と返します。
おしゃれな日本人やヨーロッパ人と違って、アメリカの男性は、どこまでも「マッチョ」でなくてはなりません。彼らには、赤やピンクなんて色はご法度なのです。そして、そんな彼らにも、おしゃれな「イシカワ」の名は十分に広まっているのです。
そんな風に、カモシカのような美しい姿で1番ティーをスタートした石川選手でしたが、いきなりボギーと、苦しい最終日の幕開けです。
2番ホールはなんとかパーだったものの、わたしがタイガー(ウッズ)やフィル(ミケルソン)やアーニー・エルスといった有名選手に浮気している間に、3番から7番はパー、ダブルボギー、パー、ボギー、パー(7番まで4オーバー)と大崩れしているではありませんか。
これはいけない!と、そこからは浮気をせずに石川選手に付いてまわったのですが、8番ホールで2打目を打とうとボールに向かった彼は、「もうダメだ」と言わんばかりに首を大きく横に振っているのです。
わたしは「そんなに首を振っちゃダメ!」と心の中で叱咤激励していたのですが、なぜならゴルフというスポーツは、メンタルなスポーツ。気落ちしたところを体で表したが最後、そこからもっと崩れてしまうと思うのです。
案の定、2打目はグリーンに届かず、アプローチでもうまくホールに寄らずに、この日ふたつ目のダブルボギーとなりました。
そんなわけで、10番ホールでは、ティーグランドに向かう石川選手に「がんばれ〜、いしかわ〜」と声援を送ってみました。だって、日本人のギャラリーよりも日本から来た報道陣が多いくらいです。観客ががんばって応援してあげなければと、こちらも使命感が湧いてくるのです。
すると、そんな日本語の声援が功を奏したのでしょうか。右手にカーメル湾とカーメルビーチを臨む、この美しいパー4で、彼はようやくバーディーを取ってくれました。
うまくバーディーを沈めたグリーン上では、エメラルドの海に目をやりホッと一息ついていたようですが、これが、この日唯一のバーティーとなってしまいました。
その後の8つのホールは、4つのパーに4つのボギーと、まさに「忍耐のゴルフ」であり、終わってみれば、その日は9オーバー、4日間通算12オーバーの33位タイと、まったく予想外の成績ではありました。
メジャー大会で33位とは自己最高だそうですが、「もっと行けそうだった」というのが、観客にとっても、ご本人にとっても、正直な感想なのでしょう。(こちらは17番パー3。「忍」の一字で17番、18番とパーを取り最終ラウンドを終えました。)
何がそんなに難しいのかって、素人のわたしにはよくわかりません。けれども、全米オープンの最終日なんて、ものすごく難しい設定になっているのは確かです。
14番ホールでは、石川選手に付いてまわっていた青木功プロが目の前を通って行きましたが、「ここのコースって、あんまりラフがきつくないねぇ」という彼の問いかけに、「まあ、場所によりますかねぇ」という、お付きの人の答えが耳に入ってきました。そうなんです、このコースは、他のアメリカのコースと比べて、そんなにラフはきつくないように見えるのです。
けれども、全米オープンが来るというので、もとから狭いフェアウェイは普段の4分の3ほどの狭さになっていますし、断崖絶壁に落っこちる箇所だってたくさんあります。石川選手がバーディーを取った10番ホールでは、アーニー・エルスは崖で球探しをしていました。
しかも、海沿いのリンクスコースなので、風が吹くと、風速5マイルごとに倍々で難しくなっていくとも言われているようです。風に打ち勝つ球を打たないと、アプローチも難しくなってきますが、石川選手はアプローチショットがふんわりと高過ぎると、アメリカ人の解説者に指摘されていました。「でも、タイガーだって、あのくらい若い頃はそうだったから、これから練習すればいい」と。(こちらはビーチ沿いの4番パー4。この日、石川選手が今大会初のダブルボギーを叩いたホール。)
さらに、極めつけは、グリーンが小さくて、硬いことでしょうか。14番パー5(580ヤード)では、石川選手は2打目をフェアウェイからドライバーで打ち、グリーンのすぐ手前まで届いたのですが、3打目はグリーンからコロコロと落っこちてきて、ほぼ同じ場所から打ち直しとなりました。そして、パーパットをはずしてボギー。
一緒にまわっていたデービス・ラブIIIも、グリーン左ラフからの3打目が、うまくグリーンをとらえたのも束の間、そこからグリーン手前にいる石川選手の足下まで落っこちてきました。ここでは、ホールのまわり半径1.5メートル以内に球を落とさないと、全部グリーン手前まで落っこちる仕組みになっているようです。
そして、海に浮かぶような半島の先端には7番パー3があって、距離は100ヤードしかないのに、どうしたことか、ほとんどがグリーンを逃すのです。
このように、見た目は「攻め」を誘うようなコースではあるけれど、攻めるやいなや、大幅に崩れる、というような設定にしてあったのかもしれません。
まさに魔物とも言える、美しいゴルフコースではありますが、全米オープンの1週間前にペブルビーチでプレーした人が、「いやぁ、いつもよりも20は多くたたいたね」とあきれ顔でした。言うまでもなく「全米オープン仕様」になっていたわけですが、いつもは80のスコアが100になるということは、いつも100の人は、130か140になるということでしょうか?
わたし自身は、お隣のスパニッシュベイ(the Links at Spanish Bay)でしかプレーしたことはありませんが、こちらも風は強いし、球は飛ばないし、「なんでこんな辛い思いをしてゴルフをしなきゃならないの?」と、何度も自分に問いかけておりました。
そういえば、何年か前、全米オープンの予選に参加した友人が、「もう、あんなゴルフコース見たことないよ!」と嘆いていたことがありました。とにかくラフは伸ばし放題になっているし、グリーンは鏡のようにかたいし、どうやっても歯が立たないと。
彼は、アマチュアとしてはかなり上手いほうではありますが、途中棄権を余儀なくされたのでした。「オープン大会」はアマチュアも予選参加できるのですが、あんまり悪いスコアを出すと、向こう何年間か予選に出場できなくなるので、途中棄権した方が身のためなのです。
全米オープンの最終日、ひとりのプロ選手に付いてまわったおかげで、プロの世界の厳しさを肌で感じたような気がいたします。そして、自分はプレーしていないのに、どっぷりと疲れてしまったのでした。
「ようこそカリフォルニアのゴルフコースへ」と微笑まれながら、こてんぱんにやっつけられる彼らには、同情を禁じ得ないのです。
悪夢のような最終ラウンドの翌日、日本に向かった連れ合いは、偶然にも、全米オープンに出場した日本人選手と飛行機で乗り合わせたそうです。真横には谷口徹選手、その隣には池田勇太選手、そして、後ろを振り返ると、石川選手と彼のキャディーが座っておりました。
石川選手はキャディーとなごやかに話をしていたようですが、彼にとっては、コースを知り尽くした現地の人を雇うよりも、励ましと心の安らぎを与えてくれる「相棒」が最強の味方となるのでしょう。
降り際に、「きのうはペブルビーチで応援してましたよ」と連れ合いが声をかけると、「ありがとうございます」と笑顔で返してくれました。これ以上は全米オープンに触れられたくないだろうと話題を変えると、「全日空さんはスポンサーなので、アメリカに来るときには、いつも乗せていただいています」と丁寧に答えてくれたそうです。どこまでも礼儀正しい、すがすがしい青年なのでした。
そして、この18歳の若き貴公子は、ゲートで待ち受ける何十という報道陣のフラッシュにさっそうと消えて行ったのでした。
夏来 潤(なつき じゅん)
玉ねぎのブランド
- 2010年06月18日
- Life in California, アメリカ編, 歴史・習慣
前回の「ライフinカリフォルニア」のお話は、「果物のラベル」でした。今日は、野菜のお話から始めましょう。
6月に入って、シリコンバレーの雨季もそろそろ終わりになると、わたしは、ある野菜のラベルをお店で探すようになります。
それは、玉ねぎ。
しかも、特上の玉ねぎで、その名は「ビダリア(Vidalia)」。
(英語では「ヴィダリア」もしくは「ヴァイデイリア」と発音するみたいです。)
ちょうど今頃マーケットに出てくる甘~い玉ねぎで、それは、それは、美味なのです。
なんでも、アメリカ南部のジョージア州でつくった玉ねぎしか、この「ビダリア」を名乗れないそうです。しかも、ジョージア州の中でも、14の郡でとれた玉ねぎのみが名乗れる、という厳しい規則があるんだそうです。
「ビダリア」というのはジョージア州にある街の名なんですが、なんだか、「シャンペン(Champagne)」と名乗れるのはフランスのシャンパーニュ地方でつくったスパークリングワインだけですよ、という規則に似てますよね。
でも、そんな厳しい決まりの甲斐あって、「ビダリアオニオン」というのは、アメリカではとっても有名な玉ねぎになっています。
形も、なんとなく横に平べったい感じで、見た目にも特徴があるのです。
この玉ねぎは、1930年代の大恐慌時代に「どうやったら売れる作物がつくれるのだろう?」と試行錯誤した結果できあがったものだそうです。売れるためには、おいしくないといけない、そんな努力が実を結んだのでしょう。
ずっと地域の農民を支えてきた功労賞として、1990年には、ジョージア州の「州の野菜(the Official State Vegetable of Georgia)」にも指定されています。
甘い玉ねぎといえば、アメリカには「ワラワラ(Walla Walla)」「マウイ(Maui)」「インペリアルバレー・スウィート(Imperial Valley Sweet)」と他にもいろいろあるけれど、そんな中でも、たくさんのファンを持つセレブ的な存在となっているのです。
(ちなみに、ワラワラは西海岸ワシントン州ワラワラ郡の原産、マウイはハワイ諸島マウイ島産、そして、インペリアルバレー・スウォートは、カリフォルニア州南部でつくられる玉ねぎです。)
ところで、何がそんなにビダリア玉ねぎを甘くしているのかって、畑の土壌に含まれるイオウ(sulfur)の成分が少ないせいなんだそうです。
土中のイオウ分が少ないということは、玉ねぎの中のイオウ分も少なくなる。すると、あの鼻にツ~ンとくる刺激も格段に少なくなって、全体的に甘く感じるようです。
あの鼻にくる刺激臭は、玉ねぎの中にある酵素がイオウ成分と結びついて出てくる、本来イオウの持つ臭いなんだそうです。
もともとは、自然界から自分を守ろうとする玉ねぎの「武器」だったようですが、イオウ分が少ないと、武器の量も少ないので、人間さまの鼻も刺激しない、ということのようですね。(玉ねぎと同じユリ科ネギ属の野菜、たとえばニンニクやラッキョウなども、同様の「武器」を持っているようです。)
まあ、くわしい化学式はよくわかりませんが、鼻にツンとこないので、スライスして、そのまま食するのにも最適です。ゆえに、アメリカでも、ハンバーガーに入れる輪切りオニオンとして大人気なのです。
もちろん、炒めてみても甘くておいしい、というのは言うまでもありません。
玉ねぎには、血中糖度やコレステロール、それから血圧を下げる効果があるので「メタボ対策」にも良いと言われているようですが、鼻にツ~ンとくる玉ねぎほど、その効果は高いということです。
でも、甘くて食べやすかったら、たくさん食べられるので、結果的には効力は同じことなのかもしれませんね。ですから、そんな観点からも、ビダリア玉ねぎはお勧めなのです!
(写真は、薄切りの鶏むね肉の上に、玉ねぎと人参を炒めたものとチーズを乗っけて、オーブンでこんがりと焼いたものです。鶏肉は酒と醤油などで下味をつけて、さっと焼いておくと、早くできあがりますね。簡単なので、ぜひお試しあれ!)
ところで、玉ねぎのような野菜にも、産地によって「ブランド」があるように、食べ物にとって、ブランドというのはとても大事ですよね。
アメリカにも、食のブランドはいろいろとありますが、古くから有名なものは、人の名前をそのままブランドにしたものも多いように思います。
たとえば、ハムで有名な「オスカー・マイヤー(Oscar Mayer)」があるでしょうか。
アメリカのスーパーマーケットに行けば、必ずこの名を目にするくらい有名なハムのブランドですが、こちらは、ドイツからアメリカに移住したオスカー・マイヤーさんが、1900年にシカゴで立ち上げたお店から発展したのだそうです。
シカゴにいたドイツ系移民を相手にソーセージやレバーパテなどを売っているうちに、全米にも広がっていったようです。
わたしもこのブランドのハムは大好きですが、おいしいものは、自然とみんなにも広まっていくのでしょう。
今は、創立一家の手を離れ、大手食品会社のクラフト・フーズ(Kraft Foods)の傘下となっていますが、「オスカー・マイヤー」の名は、しっかりと踏襲されています。
ソーセージのブランドとしては、「ジミー・ディーン(Jimmy Dean)」というのもあります。
こちらも、ジミー・ディーンさんが作ったブランドではあるのですが、ジミーさんは、もともとはカントリーミュージックのスターだったお方だそうです。(あの若くして亡くなった、俳優のジェームス・ディーンさんとは違いますよ。カウボーイハットが似合うところは、よく似ていますが。)
テキサス生まれのジミーさんは、貧しい家庭に育ち、高校は中退という経歴を持つそうですが、1950年代から60年代にかけてエンターテイメント業界で大成功をおさめて、一時は「ジミー・ディーン・ショー」という自分の番組まで持っていた方なんだそうです。
ところが、何を思ったのか、ショービジネスの世界にはきっぱりと別れを告げ、1969年、41歳のときに生まれ故郷でソーセージ会社を設立し、そちらの方でも大成功をおさめました。
その後、ジミー・ディーン社を大手食品会社のサラ・リー(Sara Lee)に売却し、シンガーソングライターの奥方とともにヴァージニア州の田舎に引っ越します。そこで四半世紀の間、投資や趣味のボート遊びと悠々自適の生活を送られていたようですが、去る6月13日、81歳で他界されました。
世代がちょっと違うので、わたし自身はジミーさんの全盛期は存じませんが、お名前はよく耳にしましたので、有名な方だったのは事実です。亡くなったときには、シリコンバレーのローカルニュースでもとり上げられていました。
しかも、二度も仕事で大成功するなんて、そんなにラッキーな人ってめったにいないですよね!
ちなみに、ジミー・ディーン社を買収したサラ・リーも人の名前ではありますが、こちらは、創設者が娘の名をとって「サラ・リーのキッチン」と名付けたところに発するようです(リーはミドルネームで、苗字はルービンさん)。
サラ・リーは、シカゴのチーズケーキ屋さんとして戦前にスタートしたそうですが、今はパン、ケーキ、コーヒー、ソーセージと手広くやっている全国区の大企業。ここの冷凍のパウンドケーキは、とってもおいしいんですよ!
さて、ブランドというものは、ときに争いを呼ぶこともありまして、そうなるともう、裁判沙汰にまで発展することもあるのです。
こちらは、イングリッシュ・マッフィン(English muffin)の有名ブランドのお話です。
その名も「トーマス・イングリッシュ・マッフィン(Thomas’ English Muffin)」。
マッフィンというと、カップケーキみたいにかわいい形をした、フワッとした甘いパンを思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうが、こちらは、イングリッシュ・マッフィン。
トースターでこんがり焼くと、カリッとしておいしいので、シリアルやベーグルと並んで朝食の定番にもなっているものです。甘くはないので、バターやジャムをつけて食します。
「トーマス」というと、75年間、アメリカの食卓に乗り続けてきた超有名ブランドなのですが、どうして人気があるかって、マッフィンをふたつに割ると表面にブツブツと穴があいていて、その穴にバターがとろりと溶けたのや、こってりと甘いジャムがしっくりと落ち着くようになっているのです。
あの穴をかじって、バターやジャムの風味がパ~ッと口の中に広がるのが、何とも言えない魅力なのです。
そんな評判から、この穴は「nooks and crannies(割れ目の隅々まで)」という名で商標登録までされているのです。パッケージの表にも堂々と印刷されています。
わたしもカリッと焼いたのにバターをぬって食べるのが大好きなのですが、この「穴」の作り方の秘密を知っている人は、トーマス社内には7人しかいません。
いったいどのくらいのパン生地を、どのくらいの湿度で寝かせて、どうやって焼けばいいのかと、穴を作る秘密はいろいろとあるそうなのです。
ところが、その7人のうちのひとりが、他の食品会社に鞍替えしようとしたところから騒動が持ち上がりました。あちらは、今はイングリッシュ・マッフィンを作ってはいないけれど、秘密を知った人が移ってくれば、トーマスと同じようなものができるではないか!と。
そこで、トーマス側は、鞍替えした重役を相手取り「ヤツは機密情報を盗んで敵方に移ろうとした!」と、連邦裁判所に訴えました。どうも、重役がトーマスを退職する前に、機密情報をUSBメモリーに入れて持ち逃げした形跡があったからです。
そこで、裁判所も「事が決着するまでは、新しい会社には出社しないように」という差し止め命令を下しました。
ところが、困ったのは、元重役。「出社できないなら、お給料をもらえないばかりか、そのうちに採用を取り消されてしまう!」と、上級の裁判所(第3連邦巡回控訴裁判所)に訴え出たのでした。
これから、争いは控訴裁判所で繰り広げられることになりますが、元重役がかなり怪しいことは事実のようです。
だって、昨年秋に敵方に「おいでよ」と言われておきながら、今年1月までトーマスに残って、素知らぬ顔で重役の戦略会議に出席していたのですから。その間、できるだけたくさんの秘密を集めようとしていたかのような印象を与えるではありませんか。
この先トーマスのイングリッシュ・マッフィンがどうなってしまうのかと、ちょっと気になる裁判ではあるのです。
というわけで、お話がすっかり脱線してしまいましたが、食のブランドは大事にしたいもの。何かしらの判決が下ったら、またご報告することにいたしましょうか。
追記: 蛇足ではありますが、トーマスが使っている「nooks and crannies(割れ目の隅々まで)」という言葉は、日常生活でも使われる表現となっています。たとえば、建築業界では、「凹凸のある壁をセメントできれいに塗り固める」とか「テーブルの表面の木目にニスを塗って平らにする」みたいな場面で使われます。
でも、トーマスが商標登録しているのだったら、そんなに簡単に使ってはいけない言葉だったんですね!
緑の雨季にさようなら
- 2010年06月02日
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何度もご紹介しておりますが、シリコンバレーのある北カリフォルニアは、ざっくり言って、季節がふたつに分かれるのです。
そう、雨の冬と、どこまでも乾燥する夏。
だいたい10月、11月に降り始めた雨は、4月、5月くらいまで続きます。その間は、日本の梅雨みたいにずうっと雨というわけではありませんが、木をなぎ倒すような暴風雨が来ることもありますし、雨が降らなかったにしても、どんよりと曇って肌寒い日々が続きます。
けれども、そんな雨季でも、心うきうきとすることがあります。それは、緑。
12月、1月と冷たい日々が続いたあと、さすがに2月になると、ほんの少し気温が上がってきます。すると、辺りの丘は、燃えるような緑色に変身するのです。
わたしは、いつも2月になると、「生きていて良かったな」と、知らず知らずに自分に語りかけているのです。なんだか大袈裟な言い草ですが、それほど草や木々の生命力を一気に感ずる季節なのです。
ある地元コラムニストは、この命を感ずる季節こそ「アメリカ西部の醍醐味である」とも書いていました。
なるほど、この2月が見たくて、うっとうしい雨季の間もじっと我慢しているのかもしれません。
3月になると、シリコンバレーの「サンタクララの谷(the Santa Clara Valley)」にも、華やかな花の季節がやって来ます。桃や桜、プルーン(セイヨウスモモ)と、次から次へと木々がピンクや白に色づき始めます。
待ってましたとばかりに一気に花が咲くので、アレルギーを持つ人にとっては、あんまり嬉しくないシーズンではあります。でも、この時期にシリコンバレーを訪れる方には、「花があって、きれいな季節だな」と思っていただけることでしょう。
花は、果実のみなもと。果実園で栄えた歴史を持つサンタクララバレーが「喜びの谷(the Valley of Heart’s Delight)」と呼ばれるようになったゆえんでもあります。
花の3月になると、我が家の庭にもスミレやマーガレットが咲き始め、辺りを鮮やかな紫色に染めてくれます。
今年は雨が多かったせいで、ジャスミンも早めに花を開かせました。いつもは6月にならないと咲かないのですけれど、おかげで、我が家の裏庭もいち早くジャスミンの濃厚な香りに満ち満ちたのでした。
今シーズンは、いつもよりも雨が長引いた年ではありましたが、そんな湿った季節もそろそろ終わりとなりました。
すると、長くてカランカランの乾期の到来です。目にするものすべてが乾く、日差しの強い、暑い季節。
丘の緑は、もうすっかりと黄金色に変わってしまいましたが、そんな風景を眺めていると、「緑の雨季にさようなら」とつぶやいてみたくなったのでした。
前回は、出張第一日目に、ホテルにチェックインしたあと、近くのスーパーマーケットに行った場面を想定してみました。
お買い物も無事に済んだところで、パリッとスーツを着込んで、出張先のオフィスに出向いたとします。
もしも相手が初めてお会いする方で、向こうから自己紹介してきたら、このように返しますね。
Hello, Mr. Rodgers. I’m Ichiro Suzuki. Nice to meet you.
「こんにちは、ロジャースさん。わたしは鈴木一郎です。はじめまして」
そして、ここでにこやかに握手です。
握手をしながら、相手はこう言うかもしれません。
Call me Bill.
「わたしをビルと呼んでください」
Can I call you Ichiro?
「あなたを一郎と呼んでもいいですか?」
もしこう聞かれたら、これで大丈夫です。
Yes, please.
「結構ですよ」
アメリカでは、仕事の場であっても、だいたいファーストネームで呼び合うものですからね。
「ファーストネームで呼び合うほど仲が良い」という意味で、first-name basis という言葉すらあるほどですから、ファーストネームを使わないと、なんとなく「よそよそしい(distant)」感じもするのでしょう。
自分の会社の社長さんだって、ファーストネームで呼ぶ場合が多いと思います。(まれな例外としては、部下の苗字を呼び捨てにする警察や軍隊などの組織があるでしょうか。)
ですから、職場では、「あれ、彼の苗字は何だったっけ?(What was his last name?)」というコメントもよく耳にします。(ここで was と過去形になっているのは、以前は聞いて知っていたんだけど、忘れちゃったという含みがありますね。)
さて、握手が済んだら、いきなり仕事の話を始めるのではなくて、「今日は天気がいいねぇ」とか、「こっちに来るフライトはどうだった?」とか、そんな雑談から始まるのです。いきなり仕事の話じゃ味気ないですからね。
お天気の話で会話を始めるのなんて日本だけだと思っている方もいらっしゃるでしょうが、それは、アメリカでも同じことなんです。だって最も一般的な、当たり障りのない話題ですから。
How was your flight from Japan?
「日本からのフライトはどうでしたか?」
と聞かれたら、たとえば、こんな風に答えればいいでしょう。
Well, I was able to sleep all the way through to San Francisco, so I’m quite rested.
「そうですね、サンフランシスコに来るまでずっと寝られたので、十分に休めましたよ」
最後の I’m rested というのは、かなり英語的な表現になりますが、「わたしは今、十分に休んだ状態にある(だから、元気だ)」という意味ですね。
一方、こんな場合もあるでしょう。
Unfortunately, I couldn’t sleep well on the flight, so I feel a little jet-lagged.
「残念ながら、飛行機で良く寝られなかったので、ちょっと時差ボケ気味ですね」
最後の jet-lagged という部分は、「時差ボケである」という形容詞になりますね。
時差ボケ(jet lag)なんて、誰でも多かれ少なかれ体験するものですから、「僕も飛行機では寝られないんだよねぇ(I can’t sleep well on airplane either)」などと、話に花が咲くことでしょう。
こうやって打ち解けたところで仕事の本題に入れば、少しは話がスムーズに進むのではないでしょうか。
ところで、初対面のあいさつには、いろんなバリエーションがあるでしょうが、一番簡単なのは、冒頭に出てきた Nice to meet you でしょう。
別れ際にも、同じ言葉を使うことがあります。たとえば、こんな風に。
It was nice to meet you.
「お会いできて嬉しかったです」
もしくは、このように言う場合もあります。
It was nice to have met you.
こちらは同じ意味ではありますが、to have met と完了形を使うことで、時制の一致で文法的に正確な表現となりますね。
こういう表現を使う方に出会うと、「お~!」とこちらもびっくりしてしまうのです。なるほど、しっかりとした英語を使う人だなぁ、知識レベルも高いのかなぁ、と想像をめぐらしてみるのです。
その数日後、相手のロジャースさんとだいぶ親しくなったところで、彼が困った顔をしているのを見かけたとします。
そういうときには、こんな風に声をかけてあげるといいのかもしれません。
Is there anything wrong?
「何か困ったことがあるのですか?」
すると、あちらは、こう返してくるかもしれません。
Well, I’m going through a bit of personal crisis right now.
「まあ、何と言うか、僕は今ちょっとした危機的状況にあるんだよ」
ここで personal crisis(個人的危機)というと、かなり抽象的な表現になりますので、ロジャースさんの抱えている問題には、いろんなことが考えられるでしょう。
たとえば、奥さんとうまく行っていないとか、娘さんが遠くにある学校に行きたいと言っているけれど、自分は反対で、奥さんが後押ししているとか、何かしら個人的な問題があるということですね。
ですから、あちらが自分から説明しようとしない限り、あまり深追いしない方が無難でしょう。そういうときには、こんな風に対応すればいいと思います。
Is there anything I can do for you?
「何かわたしでできることはありますか?」
もしくは、
I wonder if I can be of any help to you.
「あなたのお役に立てることはないかと思うのですが」
すると、あちらは単に「ありがとう」と礼を返すか、もしかすると「実はねぇ」と、具体的に話をしてくるかもしれません。
まあ、多くのアメリカ人は、よほど親しくない限り、心の奥底に抱えているものを簡単に打ち明けたりはしませんので、何も教えてくれなくても「よそよそしいなぁ」と憤慨することはありません。
(上の写真は、ドイツのシュパイアー(Speyer)という歴史ある街です。なんでもローマ人が基礎を築いた古い街だそうですが、昔ながらの街並がとても美しいのです。でも、そんな遠くに娘さんが行ってしまったら、ロジャースさんはとっても寂しいことでしょう。)
というわけで、アメリカに出張するシナリオを考えて、ごく一般的な慣用句をご紹介してみました。
もちろん、出張の主目的は仕事の話にあるわけですけれど、こちらは何ともご紹介のしようがありませんね。
ただ、よく日本人の方から耳にするのは、「仕事の話はなんとかなるんだけど、雑談は難しいよね」ということでしょうか。
たとえば仕事の話だと、数字や数式、筆談を使ってコミュニケーションができるわけですが、雑談になると、そんな悠長なことも言っていられない。会話というものは、ピンポン球の打ち合いみたいなものですから、相手が反応してくれないと、会話を保つのはうんと難しくなります。
これには、残念ながら「慣れるしかない」と申し上げるほかないのかもしれません。
幅広く語彙に慣れる、アメリカ文化や流行りの話題に慣れる、そんな様々な「慣れ」の問題が絡んできますよね。
こればっかりは、「ローマは一日にして成らず(Rome wasn’t built in a day)」なのでしょう。
(こちらは、ヴァチカン市国のサンピエトロ寺院。まさに、この壮大さは「一日にして成らず」なのです。)
まあ、言葉が通じなくて、くやしい思いをすることも、上達の秘訣なのかもしれませんね。
後記: お恥ずかしい話ではありますが、今朝新聞を読んでいて、初めて見るような単語に出くわしました。
ニューヨーク・タイムズ紙の記者がイラクからの米兵撤退について書いた記事なのですが、こちらが問題の文章です(excerpted from “Iraq’s Psyche, Through a Green Zone Prism” by Anthony Shadid, The New York Times, published on May 31st, 2010)。
The United States managed to smash Mr. Hussein’s government. But what it helped build in its place remains inchoate, littered with the ruins of the past.
「アメリカは(サダム)フセイン氏の政府を破壊することはできた。しかし、代わりに築かれたものは、バラバラで、過去の遺産がまき散らされたようなままの状態になっている」
わたしが知らなかった単語は、inchoate というものでした。どうやら「初期の段階の、不完全な、混沌とした状態」を意味するもののようです。ラテン語に由来するものだとか。
それにしても、最初にアメリカに足を踏み入れて30年も経つ今でも、まだまだ聞いたこともないような単語が日々登場するのです。(単にわたしが不勉強なだけかもしれませんが。)
言葉というものは、実に奥が深いものではありますね。
こちらの「英語ひとくちメモ」のコーナーも、思い付くままにいろいろ書いてきて、はや57話となりました。
ときどき自分でも読み返してみたりはするのですが、まあ、何とも、役に立つかどうかもわからないようなことをごちゃごちゃと書いているものだと感心するのです。
けれども、これにはちゃんと自分なりの意図があるのですね。
今さら申し上げることもないでしょうけれど、わたし自身は、このコーナーを「英語のお勉強の場にしよう!」と堅苦しく考えているわけではありません。だって、お勉強の場でしたら、他にいいものはたくさんあるでしょうから。
とすると、何のために書いているのかというと、それは、アメリカなどの英語圏に旅して、現地の言葉を耳にしたとき、「あ、この表現どこかで聞いたことがある!」と、思い出していただきたいからなのです。
知っている言葉を思い出すことで、何かしら取っかかりができたら、そこからもっと新しいものを吸収することができるのではないかと思うのです。
ですから、日常ふと耳にするような表現をご紹介してみようと、日々の生活での使い方も含めて、いろいろとご披露しているのでした。
たとえば、出張でアメリカに来られたビジネスマンの方。お仕事で来られたにしても、現地に到着したら、まずホテルにチェックインするでしょう。
そんなとき、ホテルのフロントで発する一番簡単な表現は、こちらでしょうか。
Check-in, please.
「チェックインをお願いします」
My last name is Suzuki.
「わたしの苗字は鈴木です」
ホテルは事前に予約しているものなので、こちらが最低限の情報を提示すれば、用事は軽く済んでしまいますよね。
すると、あちらはこう返してくるかもしれません。
Welcome, Mr. Suzuki. Your last name is the same as Ichiro’s. I’m a big fan of his.
「ようこそ、鈴木さま。あなたの苗字は、イチロー選手と同じですね。わたしは彼の大ファンなんですよ。」
西海岸ワシントン州のシアトル辺りでは、なんとなく聞こえてきそうな応対ですね。
逆に、サンフランシスコ・ベイエリアでは、「イチロー選手の大ファン」なんて言葉は聞くことはないかもしれません。
だって、ベイエリアのオークランド市には、マリナーズと同じアメリカンリーグ西部地区のA’s(アスレチックス)がおりますので、イチロー選手の大活躍を嫌う人は多いでしょう。
(そうなんです、A’s球場に観戦に行くと、イチロー選手は、立派に観客からブーイングを受けています!)
そうやって、ホテルにチェックインしたあと、何か飲み物を買って来ようと、歩いて近くのスーパーマーケットまで行ったとします。
まあ、アメリカのスーパーなんて、日本によく似ていますので、欲しい物を探すのにあまり苦労はしないかもしれません。
けれども、レジではいろいろと話しかけられますよね。
たとえば、以前ご紹介したことのある、この有名な言葉。
Paper or plastic?
「紙袋とビニール袋はどちらがいいですか?」
こちらは、「Paper or plastic?」というお話で詳しくご説明しましたが、レジで商品を袋に詰めてもらう段階で、必ずと言っていいほどに尋ねられることです。(アメリカの場合は、自分で袋に詰めることはほとんどありません。袋詰めも、立派な仕事ですから。)
今では、サンフランシスコ市のように、環境保護の観点からビニール袋を禁止してしまった自治体もありますので、そうなると、黙って紙袋に詰めてくれます。でも、シリコンバレーのサンノゼ市などでは、両方使っているお店も多いので、Paper or plastic という言葉は、まだまだ健在です。
もしもビニール袋の方がいいという場合には、こう答えれば大丈夫です。
Plastic, please.
「ビニール袋をお願いします」
それから、レジではこんなことを聞かれるかもしれません。
Did you find everything OK?
「探している物は全部ちゃんと見つかりましたか?」
こちらの表現には微妙なところがありまして、まあ、どちらかと言うと、あいさつとか、社交辞令とか、そんな意味合いの強い質問ではあるのです。
ですから、物議をかもし出さないように、こう答えればいいでしょう。
Yes, thank you.
「はい、見つかりました。お気遣いありがとう。」
まあ、ベテランのレジの方で、棚に何が積まれているかを熟知している方だったら別の話ですが、アルバイトのレジ係に「探しているブランドの歯ブラシが見つからないんだけど」と言ったところで、それは「のれんに腕押し」なのです。
ですから、Yes, thank you と受け流しておいた方が無難でしょう。
そうそう、ビールやワインなどのアルコール飲料を買おうとしたら、日本人の多くの方はレジでこう聞かれることでしょう。
May I see your driver’s license?
「あなたの運転免許証を見せてください」
これは、国の法律で「21歳以上じゃないとアルコールを買ってはいけない」となっているので、運転免許証で年齢を確認したいということですね。
厳密に言うと、国の法律(the National Minimum Drinking Age Act of 1984)では、「未成年がアルコールを買うこと」と「公の場で保持すること」を禁止していて、「飲むこと」を禁止しているわけではありません。
けれども、州レベルの法律では、「買えない」と「飲めない」は同義語のようになっているので、どの州でも「飲酒年齢(drinking age)は21歳」となっています。
年齢を証明するためには、州発行の免許証を使いますが、これを持っていない場合は、パスポートでもいいですね。ですから、普段はパスポートを持ち歩くことはお勧めしませんが、アルコールを買うときは、パスポートを携帯することをお勧めします。
アメリカで運転する方は、国際免許証でもいいと思います。こちらも顔写真があって生年月日が明記されているので、年齢証明になるでしょう。
日本人(アジア人)は、実年齢よりも若く見られがちですよね。アジア系住民に慣れた西海岸ではまだしも、東海岸の州では「あなたほんとに21歳以上?」と、年齢を問われるかもしれません。
おっと、いけない! 出張の話からずいぶんと遠ざかってしまいましたが、この続きは「出張パート2」として、オフィスでのあいさつなどをご紹介いたしましょう。
一歩前へ
- 2010年05月28日
- エッセイ
先日、ゴールデンウィークを日本で過ごしましたが、そのときにおもしろいことがありました。
古い友人が後輩に会ってくれと頼むので、アメリカに戻る前日に一時間ほどお会いすることになりました。
なんでも、わたしがインターネットでごちゃごちゃと書いていることを読み、「お知り合いなら、ぜひ会わせてください」と、友人に頼まれたようなのです。
IT業界に働き始めてもう4年目に入り、その方は何かと思い悩む日々を過ごされていたようです。今のままでいいのかな、もしかしたら別の道もあるのかもしれないと、ちょうどこの頃になると、誰でもためらいが出てくるものですよね。
そんなわけで、しょぼしょぼと小雨の残る晩、夕食前にちょっとだけお会いしたのでした。
時間が限られていたので、思い返すと、大した話はできなかったなと後悔することもあるのですが、たとえば、こんなお話をしたでしょうか。
あちらがペルーの高地でひどい高山病になったことがあるとおっしゃったので、自分はスイスのツェルマットという村で、到着後すぐに小型酸素ボンベを買って、息苦しくなると酸素を吸っていたので、翌日は登山鉄道でいきなり3千メートルを超えても大丈夫でした、とか。
アメリカの学校は厳しいので、「来る者は拒まず」と簡単に入れてもらったにしても、出るのは非常に苦労するものです、とか。
シリコンバレーのスタートアップ会社(起業してすぐの小さな会社)に勤めたのはいいけれど、まわりの人たちがどんどん人員カットされていくのを目の当たりにするのが辛くて、最終的には自分も辞めてしまったんです、とか。
こんな風に、今まで身の上に起こった、わたしにとっては日常的な話をしてさしあげたのでした。
ところが、何が意外だったかって、別れ際に「大変参考になりました」と一オクターブ高い声でお礼を言っていただいただけではなくて、後日「今までにない刺激を受けました」と、丁寧なお礼のメールをいただいたのでした。
何でもない話をしただけなのに、いったい何が刺激的だったのかな?と、ちょっと不思議にも思うのです。日々の生活をほんの少しご披露しただけなのに。
「う~ん、ひょっとすると自分はちょっと変わっているのかもしれないなぁ」と疑念も頭をよぎったのですが、考えてみると、これだけアメリカに住んでいて、ちょっと変でない方がおかしいのかもしれませんね。今月には、初めてアメリカにやって来て30周年を迎えたことでもありますし。
まあ、そんなことは置いておいて、お会いした彼女だって十分におもしろい方でした。
なぜって、チャレンジ精神が旺盛であるとお見受けしたからです。
日頃、自分の生活に慣れてきたら、「ま、こんなものかしら」と、現状維持で行きたいものですよね。何も自ら好んで今の生活を変えることはないじゃないかって。
でも、この方は、もっと他に何かあるんじゃないか、もっと新しいことを考えるべきなんじゃないかって、現状に満足することなく、前に進もうと策を練っていらっしゃるのです。
まだお若いのに偉いものだとも、お若いからエネルギーに満ちあふれていてとても良いとも、褒めてさしあげるべきなのでしょう。考えあぐねること、思い悩むことは、決して悪いことではないですからね。
そして、そんな彼女を見ていると、そういえば、自分にもそういう時期があったのかもしれないなぁと、日頃すっかりと忘れていた新鮮な気分にもなったのでした。
そんなわけで、その晩のことは「刺激になりました」と言っていただいたのですが、こちらは偉そうなことをぶちまけたつもりなど毛頭ありません。ただ、もしかしたら日頃わたしが心に抱いていることを敏感に察知していただいたのかなとも思うのです。
それは、どんな場面でどんな決断を下そうとも、人生の選択に間違いはない、ということ。
どうしてって、どんな道を選ぼうと、おのずと道は開けるから。
だから、「こうしたい!」と思ったら、その日が吉日なのかもしれません。そんなときには、いろいろと迷わずに、エイッと突き進むのも次の一手ではないでしょうか。
そうやって、エイッと突き進んでみようとする前向きな姿勢のことを、英語では「can-do attitude」と表現いたします。
「やってやれないことはないさ(I can do whatever I want)」と、腹をくくって、前へと押し進むポジティヴな態度のことです。
そこでうまく行かなかったら、「あ、やっちまった!」と、また別のことを考えればいいでしょう。
知らない間に時間なんてどんどん過ぎて行きますから、若いうちにトライした様々な経験は、みんな自然と後の栄養剤になっていると思うのです。
もちろん、うまく事が運んだら、それはとっても濃度の高い栄養剤となることでしょう。それをベースに、どんどん伸びて行くことでしょう。
けれども、人にはいろいろと性格がありますので、何が何でも突き進むのが優れていると申し上げているわけではありません。人によっては、考え抜いたあげく、突き進まないことを次の一手とする場合もあるでしょう。
それはそれで、また別の道が開けてくると思うのです。
良いとか悪いではなく、「別の」道が。
ですから、「人生の選択に間違いはない」と書いてみたのでした。
わたしの友人に、心配性の人がいます。たとえば、こんなに仕事やら何やらでストレスがあったら、そのうちに心臓発作を起こすんじゃないかとか、これから先も株式市場は落ち込みそうだから、今年は、自分の投資はいったいどうなってしまうんだろうとか、いつもそんなことが心配になる人なのです。
わたしにしてみれば、株式市場なんて誰にも予測できない世界だから、乱高下を考えるだけで無駄なことだとも思いますし、ストレスで心臓発作になることを心配するんだったら、そんな心配はしない方がよっぽど健康的だとも思うのです。
けれども、そんなことを意見したところで、人の性質がたちどころに変わるわけではありません。人にはそれぞれ本質的に受け継いだものがありますから。
それに、彼女には、彼女なりの心配性の理由があるのです。それは、「戦争」という深い傷。今の世代の日本人には想像すらできないような、辛い経験があるのです。
ですから、彼女は、「自己保存」の本能が人一倍強いのです。そして、次の一歩を踏み出すにも、たくさん考えなければならないのです。
そんなわけで、世の中にはいろんな人がいるので、一概に何が正しいとか、何が優れているなどと短絡的な結論付けはできないわけではありますが、場合によっては、今の環境におさらばして、エイッと突き進んでみるのが良いこともあるのでしょう。
そんなときでも、ちょっと心配性の方だったら、新しいことがうまく行かないシナリオを考えて、きちんとバックアッププランを作っておくのがいいのでしょうね。
自分は、ここまでだったら新しいことにチャレンジしてもいいけれど、もしそれ以上に時間(やお金や労力)がかかるようだったら、いさぎよく見切って元に戻ろう、というような綿密な作戦。
もし元に戻れないような大きなチャレンジを思い描いているのだったら、少なくとも、すぐに干上がってしまうことのないように、何かしら方策を考えておくべきなのかもしれませんね。
備えあれば憂えなし、と先人も言っているように、「備え」をしておくことは人生の上では重要なことなのでしょう。
というわけで、たった一回お会いしただけなのに、それだけでこちらもいろんなことを考えさせられたのでした。
「刺激を受けました」と言っていただいたわけですが、どうやら、わたし自身も彼女には十分に刺激を受けていたようですね。
そして、ごちゃごちゃと書いている側としましては、隅々まで読んでいただいていることが、とても嬉しくも思ったのでした。
不意の来客
- 2010年05月25日
- エッセイ
ゴールデンウィークを日本で過ごしたあと、5月中旬にアメリカに戻ってまいりました。こちらのお話は、日本に旅立つ前日に起こったお話です。
この日は、いつもよりちょっと早起きをいたしました。
大きな音で目が覚めたのです。
夢現(ゆめうつつ)でいたところ、何かしら、バタバタと激しい羽音が聞こえてくるのです。鳥の羽が何回も、何回も物体にぶつかっている音が。
こういう音は、よく外からも聞こえてきます。我が家のまわりには鳥が多いので、ときどきベッドルームの窓に鳥の羽やくちばしが当たる音が聞こえてくるのです。
けれども、今朝の音は大き過ぎる! 何やら、家の中から聞こえているのです。しかも、かなり大きな物体が音を立てている。
そろりそろりと階下に下りると、玄関のドアが大きく開け放たれています。
まるで、たった今、誰かが入って来たばかりのように。
そして、玄関脇のダイニングルームの窓には、事もあろうに、ハトの姿が!
いったん二階のベッドルームに逃げ帰って、ちょっと冷静に考えてみます。どうして玄関のドアが開いているの? もしかして、泥棒が入った? すると、賊はまだ家の中に?
いやいや、誰もいる気配はないし、泥棒じゃない。とすると、今朝連れ合いが玄関を開け閉めしていたから、そのときにドアをしっかりと閉めなかった。そして、風で自然と開け放たれたドアから、ハトが入って来た。
だって、今朝は雨もよいの寒いお天気。ハトも暖を求めてテクテクと家の中に入ってみたのかもしれない。
でも、ちょいと雨宿りしたのはいいけれど、出る方法がわからない。ハトは明るい南の方へと必死に出ようとするけれど、窓ガラスが行く手を固く阻んでいる。
逃げよう、逃げようとバタバタとするうちに、何回もガラスに激突して、その大きな音でわたしが目を覚ました・・・
そんなシナリオが読めてきたのでした。そう、おっちょこちょいの連れ合いが、考え事をしながらドアを閉め忘れたことに端を発する出来事なのでした。
まあ、我が家のまわりはのんびりしているので、玄関のドアが何時間か開け放たれていても、誰も気にはいたしません。「家の中に何か運び込んでいるのかしら?」と、簡単に片付けてしまうのです。(これが危ない地域だと、すぐに警察に連絡されて、パトカーやら調書やらと大騒ぎになるところです。)
それにしても、大きな鳥じゃなくて、よかった。我が家のまわりには、野生の七面鳥(ワイルドターキー)だってたくさん住んでいますので、もしそんなものが「こんにちは~」と玄関から入って来たら、それこそびっくり仰天なのです。
けれども、いったいどうやってハトを逃がしましょうか?
実は、4年前にも、小鳥が家の中に入って来たことがあって、そのときは、太極拳で愛用していた棍棒(こんぼう)で威嚇して、窓から逃がしたのでした。
すばしっこい小鳥は、棍棒を見たらもう殺されるかと思って、一目散で逃げて行ったのでした。
この武勇伝は「夜の訪問者」というエッセイでもご紹介したことがあるのですが、残念なことに、今回は、棍棒はうまく行きませんでした。
ハトという生き物は、小さな鳥ほどすばしっこくはないですし、度胸も座っています。棍棒で威嚇しようにも、「ハ~?」という冷たい視線で横目に見て、右にジリジリ、左にジリジリと二、三歩横歩きするくらいで、驚きもしません。
困ったなぁと思いながら、いったんベッドルームに退散し、再度作戦を練ります。
よしっ、もうこれしかない!
と思い立ったのは、ハトを手で捕まえて逃がすこと。
だって、翌日からは日本で3週間も過ごすのです。その間に、ハトが干上がって、ミイラになっていたら・・・と思うと、何が何でもがんばらなきゃ! という気になるのです。
そこで、高い窓にとどく脚立を持って来て、窓の前に据えてみます。手には薄いゴム手袋をして、指の自由が利くようにしておきます。
そろりそろりと脚立を登って、ハトと視線が同じ高さになると、あちらは「あれ?」という顔をしています。
目が合った所で、こちらがエイッと捕まえようとすると、一旦は横跳びに逃げたものの、二度目にはおとなしく捕まってくれました。
右手でしっかりと胴体を掴むと、「どうしたのかしら?」という困惑顔でこちらを見上げています。それがとってもつぶらな瞳だったので、こちらもひどく気の毒になって、「大丈夫だから、大丈夫だから」と日本語で声をかけてみたのでした。
すると、言葉がわかったのでしょうか、あちらは安心したような顔をして、手の中でおとなしくなりました。それでも、薄い手袋を通して、心臓がコトコトと速い鼓動を打っているのがわかります。
外に出してあげると、最初のうちは足がもつれていたようですが、そのうちにテクテクと歩いて行きました。きっと窓に何回も激突した疲れが残っているのでしょうが、じきに元気になることでしょう。
あれがもっと大きな鳥だったら、ひどく苦労していたかもしれません。個人の手には負えなくて、最終的には、野生動物の専門家(animal control)を呼ぶハメになっていたかもしれません。
幸い、ナゲキバト(mourning dove)というおとなしい種類のハトでしたし、しかも血気盛んなオスではなくて、女のコのようだったので、わたしの手のひらで何とかなったのでしょう。
そんなご縁のあったハトですが、日本から戻って来て、まだ一度も見かけてはいません。いったい元気にしているのかしらと、少々心配しているところではあります。
我が家のまわりには、チョウゲンボウ(kestrel、小型のタカ)などの猛禽類(もうきんるい)もいますので、ハトだって暢気にしていられる環境ではないのです。
自然界に生きるのも、なかなか大変なことのようですね。
それにしても、わたしは一度も鳥を飼ったことがないので、この日まで鳥を掴んだ経験などありませんでした。
ですから、あの手のひらの暖かい感触とコトコトという鼓動が、とても新鮮に感じられましたし、懸命に生きている生命というものを身近に感じたのでした。
いえ、家の中ではなくて、お外でね。
とてもシンプルな文章です。
直訳すると、「そのレディーはマティーニを飲むでしょう」という未来形になります。
でも、実際には、「レディーにはマティーニをください」という意味になります。
マティーニ(martini)とは、「カクテルの王様」とも呼ばれるほど有名な飲み物ですが、もうおわかりのように、こちらの表現は、レストランで食前酒を注文する場面で使われます。
席に着いたカップルの男性側が、連れの女性(the lady)の飲み物を頼んであげるというシチュエーションですね。連れを「レディー」と呼ぶことで、とてもていねいな表現になっています。
この文章全体で慣用句のようなものですので、丸ごと覚えた方がいい表現かもしれません。
もしマティーニではなくて、「ワインをグラスで」という場合は、このようになりますね。
The lady will have a glass of wine.
ちなみに、赤と白を指定したいときには、赤ワインは a glass of red wine、白ワインは a glass of white wine となります。
さらに、赤のカベルネ・ソーヴィニヨンが欲しいときには、a glass of Cabernet Sauvignon、白のシャルドネが欲しいときには、a glass of Chardonnay となります。
ところで、こちらの表現は、非常にフォーマルな感じがいたします。たとえば、昔のイギリスのスパイ映画で、ジェームス・ボンド(通称「007」)が連れの美女の飲み物を頼んであげているような、そんな気取った感じもするのです。
「彼女(she)」ではなくて、「レディー(the lady)」という言葉を使っていますので、どちらかというと、時代がかった表現になるのかもしれません。それに、今どきレディーの分を男性が頼むなんて、ちょっと世相が違うのかもしれませんね。
ですから、実際のアメリカのレストランでは、自分で好きなものを頼む場合が多いと思います。大人数が集まるテーブルでは、ひとりずつオーダーを取るのが普通です。
ひとりずつの場合は、このように言えばいいですね。
I will have a glass of Champagne.
「わたしはシャンペンをグラスでいただきます」
ところで、どうしてこちらの表現を紹介しようと思ったかというと、新聞のエチケットの相談欄にこんな質問が載っていたからなのです。
レストランに行って、給仕係(server)からあいさつをされると、自分も自己紹介をしなければ失礼な気がするんです。だから、いつも自分から名乗るんですが、そうすると、彼らは驚いてしまうのです。いったい彼らにはどう答えればいいのでしょうか?
アメリカのレストランでは、最初にウェーターやウェートレスが近づいてくると、あいさつとともにファーストネームを名乗る場合が多いのです。ちょうどこんな風に。
Hello, I’m Sally and I will be your server.
「こんにちは、わたしはサリーです。わたしがあなたの給仕を務めます」
これは、西洋のレストランでは、テーブルごとに係の人が決まっていて、自分がこのテーブルを最初から最後まで受け持つんだ、という意識が高いからだと思います。このように個人が責任を負うことで、チップ(tip)が増えたり減ったりもしますので、第一印象だってかなり大事になってくるのです。
でも、こんな風ににこやかにあいさつをされると、客の方はいったいどう反応すればいいのだろう? と迷う人もいるのですね。
そこで、エチケットの回答者は、ごくシンプルにこう答えていらっしゃいました。
The lady will have a martini, please, and I would like a diet cola.
「彼女にはマティーニを、そして僕にはダイエットコーラをお願いします」
そうなんです。レストランでウェーターに自己紹介されたからって、こちらが名乗る必要はないのです。向こうだって、そんな期待はしていないでしょうから。
ですから、「こんにちは」「こんばんは」とあいさつされたら、食前酒をお願いすればいいでしょ、という回答者のご明答だったのです。
ちなみに、この回答文にあるように、何かを注文するときには、will have ~ か would like ~ という表現を使います。「 ~ 」の部分は、飲み物でも食べ物でも大丈夫です。
ちょっと脱線するようですが、コーラを頼むにしても「コカコーラ」という銘柄を指定したいときには、こうなりますね。
I will have a Coke.
Coke というのは、コカコーラの愛称ですが、もし「ペプシコーラ」の方が良い場合には、こう言いましょう。
I will have a Pepsi (cola).
このように、Coke、Pepsi、それから、Sprite(スプライト)、7 Up(セヴンナップ)といったソフトドリンクの銘柄には、アメリカ人は非常にうるさいのです。なぜなら、似ているようでも、おのおのの味が微妙に違うと信じているから。
アメリカの航空会社の飛行機に乗ると、「セヴンナップはないけれど、スプライトでいいかしら?」などと真顔で尋ねられるのです。日本人にしてみれば、「どっちだって同じでしょ?」と言いたくなるのですが、彼らにしてみれば、これは重大な選択なわけです。
こんな風に、アメリカ文化では重要な位置を占めるソフトドリンクですが、近頃は、砂糖がいっぱい入っていて肥満の原因だと「敵視」されているのです。学校でも自動販売機が禁止されるなど、もっと健康的な牛乳やフルーツジュースを奨励しようよという動きがあります。
ですから、ここ1、2年、日系のスーパーマーケットに行くと、日本から輸入したソフトドリンクを買っているアメリカ人を見かけるようになりました。どうやら、日本の飲み物は甘みが抑えてあると、シリコンバレーのアメリカ人にも広まってきているようです。
蛇足となりますが、コカコーラの愛称である coke という言葉は、スラング(俗語)だと麻薬の「コカイン」の意味になります。
コカコーラとコカインの「コカ」という部分は、麻薬成分を抽出する植物のことですが、実際、19世紀末にコカコーラがつくられたときには、「健康のため」という理由で、ほんの少し麻薬成分が入っていたそうです。その当時は、コカは「頭がすっきりするクスリの成分」として、ワインなどにも入れられていたとか。(Wikipedia「Coca」を参照)
20世紀に入ってすぐに、コカコーラからは「コカ」の成分が抜かれ、今のコーラのようになったわけですが、コーラの味に習慣性があるところなどは、なんとなく麻薬に似ているのかもしれませんね。
すみません、話がずいぶんと脱線してしまいましたが、今日のお題はこちら。
The lady will have a martini.
レディーがご自分で注文したいときには、
I will have a martini.
マティーニの代わりに、シャンペンをご所望のときには、
I will have a glass of Champagne.
そうそう、マティーニやシャンペンなどの食前酒は、その名の通り、食欲増進のために食事の前に飲むものですが、コーヒーや紅茶などのお茶の類いは、食後にデザートとともに楽しむものですね。
ですから、デザートと一緒に注文したり、デザートのあとに頼んだりいたします。
というわけで、ウェーターやウェートレスがにこやかに近づいて来たら、こちらもにこやかに、しっかりと目と目を合わせて、何が欲しいかを注文いたしましょう。
追記: 文章ではご説明しにくいことではありますが、マティーニ、シャンペンなどといっても、当然のことながら、英語の発音は日本語と異なります。
マティーニは、「マーティーニ」と「マー」を伸ばして、「ティー」の音にアクセントがあります。
シャンペンは、どちらかというと「シャンペイン」と発音し、後ろの方にアクセントがあります。
それから、白ワインのシャルドネですが、こちらは「シャードネイ」と発音して、はじめの「シャー」と終わりの「ネイ」にアクセントがつきます。
地元産のワインをこよなく愛するカリフォルニア人ではありますが、近頃は、フランスやイタリア産など、輸入ワインに挑戦してみる風潮もあります。そういうわけで、外国語を英語風に発音することもあり、そうなると、何が何だか言っている本人にもよくわかっていない場合もありますね。
こちらのワインは、「ブルゴーニュ・アリゴテ」という、アリゴテ種のブドウからつくられたフランスの白ワインですが、これなどはウェーターにも客にもうまく発音できない部類でしょうか。
飲み物の発音はかなり難しいので、「習うより慣れろ(Practice makes perfect)」なのかもしれませんね。
渡米30周年!: 長いようで短い時空
- 2010年05月22日
- 旅行
Vol. 130
渡米30周年!: 長いようで短い時空
そうなんです。題名にありますように、わたしが初めてアメリカにやって来て、今月で丸30年となりました。
「30年」などというと、まったく自分は原始人かとも思ってしまうわけですが、そんな大昔のことを思い出しながら、ひとつふたつ綴ってみたいと思います。
<渡米初日>
1980年5月、まだ真新しい成田空港から飛び立った先は、北カリフォルニアのサンフランシスコでした。アメリカ西海岸では、南のロスアンジェルスとともに、日本からの来客が最も多い街です。
その頃は、日本の航空会社では、日本航空が国際線を飛ばしているだけでしたので、ご多分に漏れず、わたしの飛行初体験は日本航空のサンフランシスコ便となりました。はっきりと記憶してはおりませんが、間もなく無くなってしまうという「JAL 001便」だったのかもしれません。
飛行中は何の問題もなく、無事に時間が過ぎて行きましたが、いよいよサンフランシスコ空港に近づいて、窓の外を覗いたわたしはびっくり。まさに飛行機は、真っ赤な海を目指してタッチダウンしようとしているのです。
え~っ、サンフランシスコってこんなに公害だらけなの?と、お先真っ暗な気分で着陸態勢に入ったのでした。
もう、その時点で、とっとと成田に引き返したいくらいです。
と、ここでカリフォルニアの名誉のために申し上げますが、この赤い海は、決して公害などではありません。飛行場の面するサンフランシスコ湾では、塩を作る伝統がありまして、長い間、かなりの湾内の面積が、カーギルという製塩会社の作業に使われていたのでした。
海を区切って水を蒸発させる過程で、塩分の濃度が高くなってきますが、そうなると、塩を好むエビが大量発生して、海が赤く見えるのです。
今では、カーギルの作業場の多くがカリフォルニア州に売却され、昔ながらの湿地帯に戻す大掛かりな計画が進んでいます。やはり、人間の手が入った自然界なんて、生態系のバランスを崩すものですから、その点では、自然を愛するカリフォルニア人の意識は高いのです。
けれども、わたしは何年もこの事実を知らなかったので、「公害だらけのサンフランシスコ」のイメージは、なかなか払拭されないままでした。
赤い海ばかりではありません。サンフランシスコ空港からバスで市内へ向かうと、目の前には、いきなり茶色の丘が広がるのです。青々とした草の息吹(いぶき)などまったく感じることのできない、殺伐とした、砂漠のような風景が。
空港のまわりは、少しは都会だったような気がするのですが、こんな「砂漠」を通るなんて、いったいどんな場所に連れて行かれるのかと、大いに不安を抱いた道行きでした。
もう、この時点で、アメリカに来たことを深く後悔しています。
けれども、こちらも事情さえわかれば「恐るるに足らず」ではあるのです。
空港から幹線道路のフリーウェイ101号線で市内に向かうと、間もなく、左手に大きな丘が見えてきます。つい最近まで、家も何も建っていないただの丘でしたが、一面草におおわれてはいるものの、乾期にはカラカラに草が枯れてしまう。だから、砂漠のような茶色に見えるのです。
ちょうど5月下旬といえば、冬場の雨季が終わり、半年間の乾期に入った頃。だから、こちらの丘も枯れ草におおわれ、真っ茶色。
もともとカリフォルニアは砂漠気候なので、どこに行っても、夏は茶色、良く言えば金色。「そんなわけで、ここはゴールデンステート(金色の州)なんだよ」という人もおりますが、そんな説も、まことしやかに聞こえるのです。
もちろん、11月になって、本格的な雨季に入ると、茶色い丘も美しい緑色に変わります。そして、こんなにくすんだ丘でも、ひとたび越えてしまえば、そこには砂漠なんかではなく、人の集まる「都会」が広がっているのです。
けれども、新緑の美しい日本からやって来ると、褐色の光景は、ただただ気が滅入るばかり。街を彩る緑といえば、心の沈むような深緑だし、意気揚々とした、心の燃え立つような若葉とは、まったく無縁の色彩なのです。
そうやってたどり着いたサンフランシスコの街は、ひんやりと冷たい。暖かく包み込まれるような日本の春とは対照的で、それも、来たばかりの者にはよそよそしく感じるのです。
おまけに、到着初日に大きな失敗をしてしまいました。お湯をわかそうと思って、台所の電気コンロのスイッチをひねったのですが、いつまでも赤くなりません。壊れているのかしらと、コイルの上に手を置いてみてびっくり! あまりの熱さに、手のひらに同心円状の火傷をしてしまったのでした。
それまで電気コンロなんて見たこともなかったのですが、どうやら、電気コンロのコイルというものは、真っ黒いまんま熱くなるようですね。
今では、アメリカの家でも、火力の強いガスコンロの方が人気となっておりますが、古い台所で電気コンロを見かけたら、要注意なのです!
まったく渡米初日にして火傷という災難がふりかかってきたわけですが、気を取り直して、近くのゴールデンゲート公園までお散歩に出かけることにしました。風は冷たいけれど、日の光がぽかぽかと暖かい午後。まさにお散歩日和です。
テクテクと数ブロック歩いて、ゴールデンゲート公園の裏門までたどり着いたものの、中に入るか、引き返すかと、はたと迷ってしまいました。
なぜなら、この公園は実に広大で、敷地内には大きなユーカリの木々が群生を成し、昼でも薄暗い感じなのです。そんな暗がりを見ていると、このままひとりで入るには、とても危険な気がしたのです(写真では、帯のように広がっているのがゴールデンゲート公園)。
そこで、「引き返そう!」と決断を下したのですが、それは、今でも正しい判断だったと思っています。マンハッタンのセントラルパークも同じですが、アメリカの大きな公園は、明るい芝生が広がったと思えば、急にこんもりとした森が出てくる。そんな人影がまばらな箇所は、できるだけ避けた方が身のためだと思うのです。
誰から注意されることもなく、自ら危険信号を察知したわけではありますが、「どうやら、アメリカ生活は前途多難だな」と、お散歩の帰り道には暗い気持ちになっていたのでした。
まあ、そんなこんなで、渡米初日から「日本に帰りたいよぅ」と、ホームシックを経験するハメになってしまいましたが、やはり、新しい環境に迷い込んで一番辛いのは、最初のいっとき。人間なんて、そのうちに新しいことにも慣れ、何が辛かったのかもすっかり忘れてしまう生き物ではあります。
初めのうちは、太平洋に沈む夕日を追いながら、海の向こうの祖国を想っていたものが、そのうちに落陽の美しさを楽しむ余裕すら出てくるのです。
幸い、火傷は軽いものだったので、いつの間にか跡形もなく消えてしまいました。「行こか、戻ろか」と逡巡したゴールデンゲート公園のお散歩も、それを題材にして文章を書いたら、英作文の先生に「臨場感があって、非常によろしい」と、お褒めの言葉をいただきました。
お散歩の途中、幼稚園児の一行とすれ違ったりもしましたが、子供たちと引率の先生の「ハ~イ!」という明るい挨拶に、アメリカ人の人なつっこさとお行儀の良さを学んだ気もしたのでした。
あれから30年たった今月中旬、ゴールデンウィークを過ごした日本から戻って来たのですが、あのときの旅をもう一度体験しているような気分で、成田からサンフランシスコ空港に到着いたしました。
今回は、日航ではなく全日空。サンフランシスコ空港からは、北へと向かう代わりに、南のシリコンバレーへと、あのときとは若干異なる旅路ではありましたが、まるで初めて目にする土地のように、フレッシュな眼でアメリカを眺めていたのでした。
というわけで、お次はのんびりと、ゴールデンウィークに旅した南の島のお話をいたしましょう。
<八重山の石垣島>
今年のゴールデンウィークのハイライトは、八重山諸島の石垣島でした。そう、沖縄本島からさらに南へ、もうほとんど台湾のお隣という南の島です。
「石垣島に行こうよ!」と連れ合いに言われて、「キャーッ、有名な猫ちゃん(イリオモテヤマネコ)に会える!」と思ったくらいなので偉そうなことはいえませんが、石垣島というのは、台湾の東側にぽっかりと浮かぶ八重山諸島の中でも、一番たくさん人が住んでいる島ですね。
そう、ハワイ諸島でいえばマウイ島みたいに、マリンスポーツが盛んな観光の島。行政名は沖縄県石垣市。八重山諸島で唯一市制をしいています。沖縄県では、沖縄本島と西表島(いりおもてじま)に次いで3番目に広い島なんだそうです。
ちなみに、「有名な猫ちゃん」は、石垣島ではなくて、西に浮かぶ西表島の住人ですね。しかも、普段は自然界に隠れているので、残念ながら、今回はお会いすることはできませんでした。
東京から沖縄本島の那覇に向かうと、飛行機で2時間の旅路ですが、石垣島はさらに1時間ほど南西へと向かいます。機内の空気もだんだんと湿気を含んでくるので、「あ~、南の島に来たもんだ」と実感するのです。(写真は、島の北端・平久保崎灯台付近)
そんな湿気を含んだ空気も当然のことではありました。なぜなら、石垣島に着いた翌5月6日には、早くも梅雨入りしてしまったから。昨年より12日も早いそうですが、そういえば、前回沖縄を旅したときも、梅雨入りは5月5日だったような。
というわけで、滞在中、青空はたったの一日だけでしたが、とにかく島の天気は変わりやすい。曇りといえば急に雨が降ってくるし、雨だといえばカラリと晴れたりするのです。天気予報なんて当てにはならないので、誰も真剣には聞いていません。
それでも、わたしは毎日天気予報を気にしていました。なぜなら、夜は天文台に行って星を見せてもらう予定だったから。石垣島は別名「星の島」と呼ばれているくらい、星のきれいなところです。天の川もくっきりと夜空を彩り、南の島でしか見えない南十字星もひときわ美しく輝くそうです。
けれども、それも次回におあずけとなりました。さすがに梅雨時の雲は厚く空をおおい、雲の晴れ間から星を覗くことすらできません。
その代わり、昼間は石垣島や近隣の島々を満喫させていただきました。海で泳ぐもよし、グラスボトムボートで川平湾(かびらわん)のサンゴ礁を見学してもよし。名勝川平には、ぽこぽこと小島が散在し、その昔、男たちは小島まで泳げなければ、お嫁さんをもらうことができなかった、というシビアな習慣もあったとか。
そして、島の探索が終えたら、船で竹富島、小浜島、西表島と足を伸ばしてもよし。石垣島は、交通のハブ(拠点)になっているので、ここを足場にして離島歩きができるのです。
ところで、沖縄県といえば、以前、沖縄本島と宮古島を旅したことがありますが(2004年5月号でご紹介)、石垣空港に到着して、まず驚いたことがありました。それは、言葉。
よく空港に掲げてある「ようこそ」という言葉ですが、これが沖縄では「めんそーれ」となります。そして、宮古では「んみゃーち」になります。
それが、石垣では「おーりとーり」となるのです。これでは三者三様、まったく違う言葉ではありませんか!
実際、石垣では言葉がなかなか通じない時期もあったそうなのです。地理的に近いため、昔から石垣には沖縄や宮古から人が流入していたそうですが、互いに言葉が違うので、意思の疎通が難しい。それで、出身地ごとに集落を構え、住民が仲違いしていた時代もあったようなのです。
戦前は、パイナップル栽培が盛んになったので、安い労働力を雇うために、台湾からも人が移入していました。そのため、もともと複雑な言葉の関係は、もっと複雑になったようです。
何代もへて、今は石垣島の住人としてひとつにまとまっているようですが、それでも、島々の間では、「おらが島の利権」をめぐって論議が起こることもあると伺いました。
けれども、人間社会である以上、それはどの地に行っても同じことではあるのでしょう。
残念ながら、今回の旅では石垣島独特の言葉を耳にする機会は限られていましたが、テレビではこんなお話をしていました。石垣島を始めとして、八重山諸島には奈良時代の古い日本語が残っていると。
奈良時代には、「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」と発音していたそうですが、それが八重山にも残っていて、たとえば石垣では、「花」は「ぱな」、「屁」は「ぴ」と発音するそうなのです。
その後、平安時代には「ぱぺぽ」の音は「ふぁふぇふぉ」と貴族的になったそうですが、石垣では「ぱぺぽ」のまま残ったようです。なんでも、言葉というのは同心円状に伝播するものだそうでして、中央部から地理的に遠い場所ほど、昔の言葉がタイムカプセルのように残されているのだそうです(4月22日放映のNHK番組『みんなでニホンGO 仰天!』を参考にいたしました)。
八重山だけではなくて、宮古島でも「は行」は「ぱ行」となるそうです。ですから、足を表す「ひさ」は「ぴさ」と発音されます。その他にも、「草」が「ふさ」になったり、「笑い」が「ばらい」となったりと、独特の音の転換が起きるのです(佐渡山正吉氏著『沖縄・宮古のことわざ』ひるぎ社、1998年 を参照いたしました)。
おもしろいことに、宮古では「島」が「すま」、「品」が「すな」と変化するなど、東北の響きに似たものもあるようですが、だとすると、「同心円伝播説」はなかなか説得力があるのかもしれません。
このように、沖縄、宮古、八重山と、島によって言葉が違うだけではなく、習慣の違いも見られるのです。
たとえば、祖先との交流。沖縄地方では、親戚みんなで一族の墓(門中墓)にお参りして、祖先を敬い、そこに集った一同の結束を強めるという習慣が根強く残っています。けれども、これを行う日程が違うのです。
6年前の沖縄記でも触れていますが、沖縄本島では「清明祭(シーミー)」と呼ばれ、旧暦の清明節(新暦4月5日頃)に行います。この日は、ご馳走や酒を持って墓を訪れ、墓のそうじをしたあと、一族でご馳走を堪能したり、歌や踊りを披露したりと、楽しいひとときを過ごすのです。
一方、宮古・八重山では、祖先とのふれあいは「十六日祭(ジュウルクニチー)」と呼ばれます。「十六日」というのは旧暦1月16日(新暦2月初頭~3月初頭)のことですが、この日は、旧正月のお祝いが終わったばかりの「グソー(後世、あの世)の正月」となるのです。
どうして本島の「シーミー」と宮古・八重山の「ジュウルクニチー」に分かれてしまったのかは存じませんが、宮古でも石垣でも、学校がお休みになるので子供たちが楽しみにしている行事であるし、「お盆」なんかよりも大事なので、みんなこっちの日に島に帰省する、と伺ったのでした。
8月の「お盆」には、八重山では「アンガマ」と呼ばれるお盆祭りが開かれ、歌や踊りで祖先の霊をもてなすそうですが、こちらは本土伝来の念仏踊りに端を発しているようで、現地の方からは「アンガマ」という言葉は伺いませんでした。
このように祖先を大事にするということは、お墓だって人々の心の中で重要な位置を占めているものでして、ある石垣の金持ちさんは、お墓に3千万円もかけたそうですよ。わざわざ外国から特別な石を取り寄せて立派なお墓をつくり、墓の中では、親族で酒盛りもできるようになっているとか(これで急に雨が降ってきても大丈夫!)。
まるで、日本の古墳やエジプトの墳墓の石室を思い浮かべるようですが、それだけ、沖縄地方の方々は、あの世との結びつきを大切にするということなのでしょう。そう、古来、墓の中というのは、あの世にもっとも近い場所だったのです。
そんな大切な門中墓には、長子(長男)しか入れないそうですが、なんでも、現世の行いが悪いと、お墓には入れてもらえないそうなのです。現世というものは、楽しいあの世へのチケット、といったところでしょうか。
「シーミー」「ジュウルクニチー」といった祖先との交流日だけではなくて、沖縄と宮古・八重山には、「ハーリー」の開催日にも違いがあります。
ハーリーとは、中国伝来の勇壮なボートレースのことですが、豊漁、海の安全、五穀豊穣を祈願して、沖縄地方全域で行われる楽しい初夏のお祭りです。
これが那覇市では、5月3日から5日まで3日間にわたって盛大に開かれます。中日の4日に東京から那覇に到着しましたが、ハーリー会場では体験乗船が行われ、市民のみなさんの憩いの場となっておりました。
一方、宮古島でも石垣島でも、ハーリーは旧暦の5月4日に行われます。新暦では6月上旬ですが、今年は6月15日となります。
石垣では、ハーリーが開かれる頃には梅雨も開け、カ~ッと照りつける太陽のもと、夏の始まりを祝う賑やかな祭りとなるそうです。
この頃から7月初頭までは、台風も来ることはないし、観光にはベストなシーズンになるということです。(写真は、お隣の竹富島の皆治浜、別名「星砂の浜」)
というわけで、次回は梅雨と台風を避けて、気候のいいときに石垣を訪問したいと思います。だって、まだひとつも星を見せてもらっていないのですから。
どうやら、「星の島」の醍醐味は、お空と相談しなければ味わわせてはもらえないようです。
追記: 文中に「天文台に行く予定だった」とありましたが、この「天文台」というのは、国立天文台石垣島天文台のことです。こちらでは、NPO八重山星の会とともに定期的に天体観望会を開いています。いつもは土日だけですが、ゴールデンウィークは「こどもの日」の祝日にも開かれました。雨天・曇天には映像を見せてもらえるのですが、わたしたちは大きな望遠鏡(愛称「むりかぶし望遠鏡」)で本物の星が見たかったので、予約はしたものの参加はしませんでした。
天文台は前勢岳(まえせだけ)の頂上にあって、レンタカーかタクシーで行かなければなりませんが、「まわりは真っ暗なので、必ず懐中電灯を持って来てください」とクギをさされたのでした。それほどの漆黒であるから、星が美しいのでしょう。そして、人々は夜空の「むりかぶし(昴、すばる)」を暦として土を耕してきたのでしょう。(写真は、竹富島から遠くに臨む前勢岳)
この天体観望会のことは、タイミングよく日本に向かう飛行機で知りました。ANAの機内誌『翼の王国・2010年4月号』に特集されていたのですが、次回は絶対にむりかぶし望遠鏡を覗くぞ!と、帰りの飛行機で誓ったのでした。
<おばあの調べ>
沖縄の音ってどんなもの?と問われれば、多くの方が「三線(さんしん)」を思い浮かべることでしょう。三味線に似て、弦が三本ある楽器です。何ともいえない、素朴な音を奏でる沖縄の楽器です。
昔から「蛇皮張り(蛇の皮を胴に張ったもの)」は高価なものとされ、琉球王朝の王族や貴族たちに珍重されてきました。自分で弾かないにしても、名器は家宝として代々受け継がれ、大事な馬や田畑と交換した豪農も珍しくなかったそうです。
一方、島々の庶民は、芭蕉渋(バナナのタンニン)を塗った紙張りの「渋皮張り」を使っていましたが、厳しい農作業の合間に歌われた数々の民謡とともに、結婚や誕生の祝いに奏でる三線の音色は、なくてはならない沖縄の芸能となりました。
三線は沖縄民族の宝であって、「戦争中も沖縄の人たちは弾雨の中を祖先の位牌とこの三線を抱え命に代えて守った」のだそうです(宜保栄治郎氏著『三線のはなし』ひるぎ社、1999年「はじめに」より引用)。
そんな三線をアメリカに持って帰ろうよと、連れ合いが言い出しました。「どうせ三日坊主になるんじゃないの?」とは思ったものの、ここで買わなかったら一生手にしないような気がして、竹富島の帰り、石垣の繁華街にある三線屋さんに向かいました。
けれども、本物の蛇皮張りは、高いうえにワシントン条約に引っかかりそうではありませんか。おまけに、時間が経つと皮は裂けてくるそうです。そこで、合成の蛇皮張りを買うことにしたのですが、驚くことに、ひとつひとつ微妙に音色が違うのです。
皮の質と張り方によって個性のある響きとなるようですが、どうやら、自分の好きな音色を選ぶのが、三線を愛するひとつ目の秘訣のようです。
ふたつ目の秘訣は、三線の楽譜に慣れること。「工工四(くんくんしー)」と呼ばれる譜面は、まるで暗号みたいな漢字の羅列となっていて、西洋の五線譜とは違って右から縦に読んでいくのです! 最初は、よっぽど工工四を五線譜に書き換えようかとも思いましたよ。
それでも、小一時間もすると、不思議と漢字の羅列にも慣れ、大好きな「島唄」なんかをつま弾くようになるのです。
そう、開放弦の「合」は「C」、「四」は「F」、「工」は「高いC」。「尺」は「B♭」だけど、「丸囲いの尺」はちょいと高い「B」となる。と、そんなことにも自然と慣れてくるのです。
何といっても、若干音をはずそうが、音色が濁ろうが、自分で三線を弾きながら歌を歌っているところがいいではありませんか!
西表島から由布島(ゆぶじま)へと浅瀬を行く水牛車では、おばあが三線を奏でながら、八重山民謡の「安里屋(あさどや)ユンタ」を歌ってくれました。そんなおばあの音色に近づくには、いったい何年かかるのかはわかりませんが、今日もとつとつと三線を練習してみたのでした。
この5月15日には、沖縄が日本に返還されて38年となりました。三線を抱えてみると、そんな島々の歴史や習慣が身近にも感ずるのです。
夏来 潤(なつき じゅん)
果物のラベル
- 2010年04月18日
- Life in California, コミュニティ, 日常生活
アメリカのスーパーマーケットでお買い物をするときは、ラベルをちゃんと見ることも大事なことでしょうか。
野菜やお肉、お魚は、生産地もしくは生産国を売り場や商品パッケージで明記するのが規則となっているのですが、果物の場合は、一個ずつにペタッと貼られたラベルで代用するお店もあるようです。
アメリカでは、野菜は国内産のものが多いと思いますが、果物の場合は、それこそ世界中から輸入されています。
ですから、「地元のカリフォルニア産のものが食べたい!」と思ったときには、意識的に輸入物の果物を避ける人もいるようです。わたしも、どちらかというと、そのタイプでしょうか。
たとえば、春にイチゴの季節がやって来たら、地元のもの以外は、まず避けたいかなと思ったりもします。だって、カリフォルニアはイチゴの名産地ですからね。
上の写真は、世界のあちらこちらから集まった色とりどりの果物です。アメリカ産のレモン、イタリア産のキウイ、南米チリ産のアボカド、それから、地元カリフォルニア産のブラッド・オレンジです。
この「ブラッド・オレンジ(blood orange)」とは何だろう? と思われたことでしょう。
こちらは、その名の通り「血のオレンジ」という意味なのです。何が「血」なのかって、果肉と果汁が血のように真っ赤なので、そう呼ばれています。
でも、おどろおどろしい名前に反して、お味の方はとっても繊細で、香り高いオレンジとなっております。あまり酸味が強くないので、オレンジが苦手な方にも大丈夫かとも思います。
なんでも、もともとはイタリアのシチリア島の原産だったそうですが、その昔、シチリアに攻め込んだ人たちが、イタリア本土やポルトガル、スペインに持って帰って、それが世界中に広まったみたいです。今では、カリフォルニアもブラッド・オレンジの名産地のようですよ。
上の写真では、アボカドも出てきましたが、アボカドが果物かどうかはよく存じません。でも、大きな木に生るので、果物っぽい感じもしますよね。
カロリーは高いけれど、栄養たっぷりなので、サラダなどにも重宝いたします。切り身をわさび醤油に付けて、ご飯と一緒に海苔で巻くと、トロの味わいにもなりますよね!
アボカドと聞くと、わたしはいつも東京・千代田区二番町(にばんちょう)にあるベルギー大使館を思い出すのです。有楽町線・麹町駅(こうじまちえき)のすぐ近く、新宿通りからちょっと入った、静かな住宅街にあります。
少し前まで、大使館の塀際には、それは立派なアボカドの木があって、季節ともなると、緑色の果実をたわわに実らせていたのです。道行く人にも「都会のオアシス」の気分を満喫させてくれていました。
ところが、近年、大使館が全面的に建て替えられて、瀟洒(しょうしゃ)な洋館が大きなビルに様変わりしたのと同時に、庭のこんもりとした大木も無くなってしまいました。
アボカドの木がどこかに移されたのかは存じませんが、それにしても楽しみな木が無くなったものだと、ちょっと悲しい気分なのです。
そして、大使館員の家族たちのちょっとなまりのあるフランス語を耳にしなくなったのも、寂しいことではあります。「文人通り」近くの官舎からは、いつも元気な子供たちの声が聞こえてきたのでした。
あ、いけない、いきなり「アボカド談義」で話がそれてしまいました。
上の写真では、イタリア産のキウイが登場していますが、カリフォルニアでも、キウイをたくさん育てているようですよ。
こちらの写真のキウイは、堂々たる「California Grown(カリフォルニア産)」のラベルが貼ってありますが、これがちょっとおもしろいんです。
なぜって、これは昔のカリフォルニア州のナンバープレートを真似てあるからです。今のナンバープレートは、白地に青い文字でナンバーが書いてありますが、1970年代から1980年代初頭までは、青地に黄色のアルファベットや数字が表示してありました。ちょうどこのラベルの感じです。
今でも、青地に黄色のナンバープレートの古~い車を見かけることがありますが、たぶん、こういう車はずっと持ち主が変わっていないのでしょうね。持ち主が変更すると、ナンバープレートも変わるので、現行の(味気ない)ものになります。
そして、もっと古いカリフォルニアの車は、黒字に黄色い文字のナンバープレートになります。こちらは、ちょっとやそっとでは見かけないですが、それでも「皆無」というわけではありません。
よく昔のトラックでこのナンバープレートを見かけるのですが、ブ~ンとエンジンをふかすと真っ黒な煙をはくので、「地球温暖化をまったく考えてない!」と憤慨してしまうのです。
あ、また脱線している! ラベルのお話にもどりましょう。
スーパーマーケットでわたしが気を付けているのは、オーガニック(有機栽培)のラベルが付いているかどうかというのもあります。これには、ふたつのタイプがあるみたいで、ひとつは「USDA Organic」というものです。
USDAというのは、正式にはUnited States Department of Agricultureという名称で、アメリカの農務省のことです。ですから、「USDA Organic」というのは、国の農務省が定めた有機栽培の基準を満たした農作物のみに与えられる「証明書」みたいなものですね。
過去に何年間か化学肥料や殺虫剤や除草剤を使っていないとか、遺伝子組み換えの種なんか使っていないとか、かなり厳しい基準が設けてありますよね。
そして、もうひとつのタイプは、「CCOF」です。これは、California Certified Organic Farmers(カリフォルニア認証オーガニック農家)の略語になります。
カリフォルニアという名前が付いていますが、こちらの団体が認証する農作物は、必ずしもカリフォルニア産でなくてもよいそうです。
なんでも、北米と南米すべてを網羅していて、このラベルを付けることで小さな農家も信用されるようになるほど、歴史のある認証団体なんだそうです。
アメリカで「CCOF」のラベルを付けているということは、国の「USDA Organic」の基準を満たしていることになるそうなので、きっとこちらの方が、基準が厳しいのでしょうね。
こちらのカリフォルニア産のイチゴなんて、ごていねいに「CCOF」と「USDA Organic」と、ラベルをふたつも付けています。
産地の Watsonville(ワトソンヴィル)という街は、シリコンバレーから南西へ小一時間ほど行った、海沿いの農村地帯にあります。イチゴで有名な街ですので、きっと「自分たちのイチゴは最高だ!」という自負があるんでしょうね。だから、ラベルもひとつじゃなくて、ふたつ!
以前、「エメラルドシティー」というお話にも出てきましたが、ワトソンヴィルのニックネームは、Strawberry Capital of the World。まさに「世界のイチゴの首都」なのです。
さて、食べ物のラベルには、「Fair Trade Certified」というのもありますね。このラベルは、中南米などの発展諸国の作物に付いていたりします。
おもにコーヒー豆、バナナ、綿、チョコレート、砂糖といった農作物で見かけるのですが、「Fair Trade(フェアー・トレード)」という名の通り、生産や取引のプロセスで、「フェアーな」扱いをしていることを宣言する目印となっています。
たとえば、生産者に妥当な賃金を支払わないとか、不自然に安く作物を買い取るとか、そんなフェアー精神に反することは一切やっておりません、と証明するものなのです。
このラベルを使える団体はいくつかあるようなので、必ずしも同じ度合いのフェアー精神にのっとっていないのかもしれませんが、このラベルが付いていると、わたしなどはちょっと安心するのです。
だって、コーヒー豆、綿、砂糖、バナナといった作物は、昔の植民地時代の暗い過去を引きずっているようなものですから、生産者がちゃんと妥当な待遇を受けているのかなと、心配になってしまうのです。
こちらのバナナは、南米ペルー産ですが、「Fair Trade Certified」のラベルに加えて、「オーガニック」という文字も登場しているので、なお安心でしょうか。
バナナは皮が厚いので、オーガニックである必要はないと思われる方もいらっしゃるでしょうが、わたしは一度、普通のバナナを食べて、殺菌剤か何かの化学薬品の味がしたことがあります。それ以来、バナナは絶対にオーガニック!と決めているのです。
こちらは、中米グアテマラ産の「フェアー・トレード」のコーヒー豆ですが、この Atitlan(アティトラン)という地は、わたしにとっては思い入れの強い場所なのです。
いえ、わたし自身は行ったことがないのですが、大学院の恩師が、若い頃グアテマラでフィールドワークをしていたときに、一時期このアティトランに滞在していたのです。
アティトランという名は、アティトラン湖(Lago de Atitlán)という湖で有名なのですが、グアテマラ南部の高地にあるとても美しいカルデラ湖です。観光地としても名を馳せています。湖は高い山々に囲まれ、一帯には先住のマヤ族の村々が点在します。
恩師が村に滞在していたとき、村人のひとりが病院に担ぎ込まれたと急の知らせがありました。畑仕事をしていて、転倒して岩で頭を強打したというのです。
病院の手当で一命は取り留めたようですが、一家の働き手を失ったのは、家族にとっても大きな打撃だったようです。もともと火山地帯のゴツゴツとした土壌では、収穫が多いわけではありませんので、ひとりでも欠けると明日からの生活にも困ることになるのです。
そもそも、どうして勝手を知った自分の畑で転倒したのかというと、この畑はアティトラン湖を見下ろす火山の山肌にあったからです。気を付けなければ、いつでも転げ落ちる危険があるほど、急な斜面だったのです。ちょっと足を踏み外せば、この村人のように奈落の底へと転げ落ちる。
だったら平らな所に畑を作ればいいでしょうと思われるでしょう。けれども、グアテマラでは、平地はお金のある人たちに押さえられているのです。
そこで、少しは楽な生活ができるようにと、村人たちはコーヒー豆を育てるようになりました。昔ながらのプランテーションの労働者としてではなく、自分たちの力で少しずつ生産の全責任を負うようになったのです。
そんなわけで、わたしはグアテマラの名産品であるコーヒー豆を見ると、いつもアティトランの話を思い出すのです。そして、床に落っことした豆一粒でも、ちゃんと拾って挽くことにしています。
コーヒー豆は、ひとりひとりが手で摘まなければならない作物ですから、余計に思いが詰まっているように感じるのです。
ちょっと暗い話になってしまいましたが、こちらのコーヒー豆には、こんな見慣れないラベルも付いています。「Kosher(コウシャー)」。
これは、ユダヤ教の人たちが食べられることを示すラベルなのです。
ユダヤ教では、食べられるものと食べられないものの区別が厳格に分かれていて、たとえば、お肉にしても、きちんと屠殺して、解体して、口にする肉が不浄なものに触れないようにする規則があるそうなのです。
ですから、そういったユダヤ教の厳しい規則に沿って、ちゃんと食品を加工していますよ、というのが「Kosher」のラベルなのですね。
野菜の場合でも、虫が付いていたらいけないそうなのですが、コーヒー豆がどうやったら「Kosher」になれるのかは、わたしにはわかりません。
ふと思い出したのですが、シリコンバレーからロンドンに一泊出張したことがあって、このとき機上で隣に座っていたわたしのボスが、「Kosher」の食事を事前に予約していました。航空会社によっては、予約しておけば、Kosher food(コウシャーな食事)を出してくれるところもあるのですね。
元ボスはユダヤ教ではありませんが、なにせ好奇心の強い人。どんなものかと試したかったようですが、口にして「なんだ、普通の食事じゃない」とがっかり。
そうなんです。Kosherというのは、料理の仕方ではなくて、あくまでも材料の準備の仕方なのです。ですから、味が変わるわけではないのですね。
というわけで、食べ物のラベルをいろいろと見てきましたが、ラベルって吟味してみると本当におもしろいものなんですよ。
でも、こちらはちょっと「はてな?」と怪しいものでした。
ペルー産のバナナに貼ってあった「Inka Banana(インカ・バナナ)」のラベルなんですが、「インカ」という名のわりに、「ナスカの地上絵」風のサルが載っているのです!
あの~、両方ともペルーの誇りだというのはよくわかるのですが、「ナスカ(Nazca)文化」と「インカ文明」は時代がまったく違うでしょう!!
(6、7世紀まで栄えた古いナスカ文化に対して、インカ文明は15、16世紀に栄えた大文明ですよね。)
やっぱり、少しは歴史をお勉強してからラベルを作られた方がいいと思うのですが。
というよりも、このラベルは、歴史の苦手なアメリカの消費者に向けて作られたものかもしれませんね。アメリカ人にかかれば、ナスカもインカも同じもの?!