オリエント急行で気取った旅を ~ パート1

先日、ヨーロッパから戻ったばかりのところですが、この旅行は、もともと「オリエント急行(the Orient Express)」に乗るのが目的でした。

そう、有名なアガサ・クリスティのミステリー『オリエント急行殺人事件』の舞台ともなった、歴史ある寝台列車の旅です。

しかも、誕生日に列車に乗るという幸運が重なったのでした。


まあ、歴史をひも解きますと、現在の「オリエント急行」はアガサ・クリスティの時代とは違う会社が運営しておりまして、正式には「ヴェニス・シンプロン・オリエント急行(Venice Simplon-Orient-Express)」という名前になっています。

そして、ひとくちに「オリエント急行」と申しましても、いろんなルートがありまして、ルートによっては途中乗車も途中下車も可能です。

それこそ、長い路線は、トルコのイスタンブールとフランスのパリを結ぶ5泊6日の旅というのもありますし、短いものでは、イタリアのヴェニスとイギリスのロンドンを結ぶ1泊2日というのもあります。

わたしたちが乗ったのは、チェコ共和国の首都プラハからロンドンの区間。列車の出発はヴェニスで、ここからの乗客は中間地点のプラハでホテルに泊まったあと、また列車に乗って移動するというルートです。

中にはプラハで列車を降りる乗客もいますし、プラハから車中で一泊したあと、翌朝パリで降りる乗客もいます(写真は、パリ駅で降りる際、列車で知り合った人に手を振る女性客)。

わたしたちがプラハからロンドンという短い区間を選んだのは、まず一泊旅行だったことがあります。ずっと列車に揺られるわけですから、あまり長いと疲れるし、飽きるかもしれないと考えたからです。

そして、プラハもロンドンもほぼ初めての街なので、観光するのにちょうど良い場所であることがありました。

けれども、今年1月に申し込んだときには、すでに5月の分は満席。今年はこれ一本しかないということで、来年に持ち越そうかとも考えていました。

すると、間もなく、この路線の問い合わせが多かったので、10月末にもう一本追加運行するという連絡が入り、それが偶然にもわたしの誕生日だったのでした。

だとしたら、これはもう「乗りなさい」というお告げのようなものでしょう!

だって、誕生日や結婚記念日を祝うために乗る人が多いといっても、まさに乗車日が記念日に当たる人なんて、滅多にいないでしょうから。


というわけで、乗ると決まったら、「ディナーで何を着ようかしら」とか「ジーンズはいけないそうだから、どんな格好をしようかしら」とか、いろんなことを考え始めるのです。

それも楽しみのうちではありますが、わたしなどは、東京で足繁くお店をまわって、ようやく気に入った服を見つけることができました。

そう、オリエント急行の楽しみのひとつは、夜のディナーと翌日の昼のブランチ(立派なランチ)にあるわけですが、そのときは、ここぞとばかりに、みなさん着飾ってお出ましになるのです。

とくにディナーでは、男性は、少なくともスーツとネクタイ。女性は、それに見合った格好で、いくらでもおしゃれしても良いというルールがありまして、タキシードにカクテルドレスかイヴニングドレスというカップルもたくさん見かけましたね。

我が家の場合は、連れ合いがタキシードを着て、自分で蝶ネクタイを結びたいと主張していたのですが、わたしが選んだのがパンツスーツだったので、あちらもおとなしくスーツとネクタイにしてもらいました。
 だって、男性がタキシードだと、こちらはドレスにしなくては釣り合いが取れませんものね。

そして、列車に乗るときには、ジーンズやジャージ系のカジュアルウェアは御法度なので、普段ジーンズばかりを愛用している我が家は、「え、何を着たらいいの?」と考えてしまうのです。

まあ、ほかの乗客の方々は、わりと高齢の方が多いので、普段からジーンズなんてお召しにならない方ばかりのようではありました。
 が、列車に乗るときの格好は地味なものが多くとも、着飾るときにはピッカピカというような、メリハリのあるお召替えが印象的でしたね。

普段は質素。でも、気取るときには、恥ずかしからずに堂々と気取る。西洋人は、これがうまいですよね。


そうそう、個人的にはちょっと失敗したなと思ったことがあって、それは、ディナーのことばかり考えていて、翌日のブランチのことが頭から抜けていたことなのです。

翌日は日曜日で、軽いコンチネンタル朝食後のブランチは、日曜の定例ともいえるものですが、このときには、ちょっとおしゃれなワンピースくらいは用意しておいた方が良かったなと反省したのでした。

ブランチでは、シャンペンやワインを飲んだりするでしょう。そういった気取った席では、やはりちょっとおしゃれした方がいいですよね。

そんな気後れもあったのですが、このブランチは、とっても印象に残るものとなりました。

普段、わたしは「お酒は午後5時を過ぎてから」をルールとしているのですが、このときばかりは例外。白ワインのグラスを傾けながら、ディナーよりもおいしいブランチを堪能したのでした。

そして、このとき、実感したのでした。

お酒は食事をより楽しくしてくれるけれど、窓を流れる美しい景色には負けるなと。

季節は晩秋。赤や黄の混じった木々や霧を帯びた優しい空気は、窓外の風景を絵画のように演出してくれています。

そんなかぐわしい風景は、口にするすべてを特別なものにしてくれるのでした。

パート2に続く)

イギリス人、万歳!

いやぁ、無事にヨーロッパから戻ってまいりました。

前回のエッセイでも触れておりましたが、10月末から11月初頭にかけて、チェコ共和国の首都プラハからイギリスのロンドンに列車で移動し、そのあとイギリス中部から南部をドライブするという、気ままな旅に出ていたのでした。

プラハからロンドンの列車の旅というのは、かの有名な「オリエント急行(the Orient Express)」でした。

が、まずは、そのお話は置いておいて、ロンドンでのお話をしたいと思うのです。


夕刻、オリエント急行でロンドンのヴィクトリア駅に到着したあと、この大都会で3泊を楽しみました。

最終日は、バッキンガム宮殿やウェストミンスター寺院を見学したあと、いよいよ翌日から車の旅に出ようと、レンタカーを借りることになりました。

ひとくちに「イギリスでレンタカー」と申しますが、ヨーロッパでは、レンタカーはオートマティックではなく、マニュアル式(stick shift)が大部分のようです。
 ですから、アメリカで免許を取得したわたしには運転できない(!)ので、これからの長い行程を連れ合いに頼るしかありません。

それに、イギリスでは左側通行なので、アメリカの道路に慣れた人間には、ひどく運転しにくいのです。ふと気を許すと、逆側の車線を走りそうで、とっても怖いのです。

道路だって、道の名前はどんどん変わるし、ネットや地図で道順を検索した限り、とっても順当に運転できるとは思えません。

そして、イギリスには「ラウンドアバウト(roundabout)」なる不思議なものがあるのです。

これは何かというと、何本かの道が交わるところが、信号もなくサークルになっていて、順番にこのサークルに入って、クルッと方向転換をするやり方なのです。が、まず、このサークルに入る順番がよくわからないし、クルッと回ったあと、いったいどの出口から出ていいのやら、頭が混乱することがあるのです。

アメリカでも、マサチューセッツなど東部の州には、ラウンドアバウトを採用する場所があるそうですが、カリフォルニアでは、滅多に見かけるものではありません。そこで、未知なるものに対する不安がふつふつとわいてくるのです。


そんなわけで、レンタカーを借りて、自分たちだけでイギリスをドライブするのがひどく怖かったのですが、その不安に気を取られすぎて、失敗をしてしまったのでした。

レンタカーのオフィスに向かう前に、ビートルズのLPジャケットで有名になったアビーロード(Abbey Road)を訪れたのですが、そのあと、ふと気がつくと、手にしていた荷物がなくなっていたのでした。

荷物というのは、ウェストミンスター寺院の写真集と折りたたみの傘、そして日本で買ったイギリスのガイドブック。
 まあ、傘やウェストミンスターのおみやげはあきらめるとして、ガイドブックがなければ、これからの旅の道しるべがなくなってしまうではありませんか。

もうすっかり暗くなった夕刻、ロンドンの渋滞道路を慣れないレンタカーで走っているさなか、ふと手元に荷物がないことに気がついたわたしは、さすがにちょっとパニックになってしまいました。

だって、いったいどこに置き忘れたのか、まったく記憶にないのです。もしかすると、アビーロードで写真を撮るときに、住宅の塀に置き忘れたのかもしれないし、そこから乗ったタクシーの中だったかもしれないし、はたまた、レンタカーのオフィスに置いてきたのかもしれないし・・・。

でも、よく考えてみると、レンタカーオフィスの住所を書いた紙を取り出し、運転手に説明したので、少なくともタクシーに乗るときには持っていたのでしょう。

だとすると、タクシーかレンタカーオフィスということになりますが、タクシーだったら、もう連絡の取りようもありません。いちおうタクシーの領収書をもらって、レンタカーオフィスに交通費として提出しましたが、電話番号も何も書いていなかったようですから。

「どうかレンタカーオフィスであってほしい」と願いながら、急いでオフィスに電話してみましたが、すでに係員は帰ったあと。誰も電話に出てはくれませんでした。

明日の朝は、早い時刻にロンドンを出てしまうし、もうガイドブックなしに旅行を続けるしかないねと言いながら、その晩は日本食レストランで寂しい夕食をとりました。


気分転換にライトアップされた商店街を散歩してホテルに戻ったのですが、ふと連れ合いが携帯電話を見てみると、不在着信が3つもあって、留守番メッセージも残されていました。

それは、レンタカーオフィスからでした。

「さっきお会いしたレンタカーの者だけれど、今、タクシーの運転手がオフィスにやって来て、自分が乗せた客がタクシーに忘れて行ったって、荷物を持ってきたんだよ。だから、今オフィスであずかっているから、明日の朝にでも取りに来てね」と。

こちらの携帯電話は、2台使っているうちホテルに置きっぱなしにしていたもので、メッセージは、ちょうどわたしが荷物を忘れたことに気がついた時刻に残されたものでした。

係員は、明日は自分が遅番なので、今晩電話をしておかないと連絡がつかなくなるかもしれないと、心配してかけてくれたのでしょう。

そして、わざわざ荷物を持って来てくれたタクシーの運転手だって、「オフィスは6時に閉まってしまうから、それまでに持って行ってあげなくっちゃ」と、渋滞の中、急いで運んで来てくれたのでしょう。
 「いったい何時に閉まるんだい?」と心配して聞いてくれていたので、彼はオフィスが6時に閉まることを承知していたのでした。

アビーロードで観光客を下ろしたあと、わたしたちを乗せてくれたタクシーでしたが、さすがに観光客に慣れているのか、とっても気さくな、感じのいい運転手でした。
 タクシーを降りるときも、レンタカーオフィスの前で「がんばってね(Good luck)!」と、励ましの声をかけてくれたのでした。

そんな彼は、「ここで親切をしなかったら、ロンドンっ子の名がすたる!」と、正義感を燃やして荷物を届けてくれたことでしょう。

それにしても、「あ、忘れ物がある」と進言してくれた次の乗客や、それをわざわざ運んでくれた運転手、そして急いで連絡してくれたレンタカーオフィスの係員と、いろんな親切が重なった出来事だったんだなと思うのです。

タクシーに忘れた物が戻って来るなんて、絶対にあり得ないようなことが起きて、嬉しいのと同時に、まさに狐につままれた気分ではありました。だって、ここは日本じゃないのですから。

ほんとに、旅先で受けた親切ほど、身にしみるものはないですよね。

そして、この晩を境に、わたしのイギリス人に対する印象は、グイグイと上がっていったのでした。

ヘンテコな夢

今朝、起きる前にヘンテコな夢を見ました。

なにやら試験を受けているのですが、テスト用紙を見ると、上が英語、下が国語のテストになっています。

英語の方はわりと簡単だったらしく、ちゃんと終わっているのですが、国語の方がちんぷんかんぷん。

ページ半分ほどの文章を読んで設問に答える形式なのですが、その文章がまた、漢字だらけで、難しい表現ばかりが並んでいて、さっぱり理解できないのです。

頭の上をス~ッと通り抜けていくような無味乾燥の文の羅列で、それが理解できなかったら、設問なんてわかるわけがないではありませんか!

そんな問題がずらっと4、5個も並んでいて、とっても時間内に終わるとは思えません。だって、ひとつ目でつまずいているのですもの。

けれども、どうやら「難しい」と思ったのはわたしだけのようでして、まわりの人はさっさと問題を解き終わって、次々と席を立っていくのです。

わたしの方は、いっこうにはかどらないので、「英語で書かれていたら、すぐにわかるのに」などと、試験官に向かって弁明しています。

でも、ふとテスト用紙の上の方を見てみると、満点の採点を受けたはずの英語の部分には、まったく別の人の名前が。

あわてて隣の人を見てみると、わたしのテスト用紙と彼女のが入れ替わっていて、あちら側のわたし自身の採点は満点じゃない!

え、英語は満点だと思って安心していたのに、それはまったくの勘違い!

と、ギョッとしたところで目が覚めてしまいました。


何とも後味の悪い夢ではありましたが、きっと何かしらに追われていると、こんな夢を見るのでしょうね。

わたしの場合は、あせっているとよく見る夢があって、それは、試験を受けなければならないのに、試験会場に間に合わないというシナリオ。

寝坊したとか、時間を勘違いしたとか、交通機関が止まっているとか、いろんなフレーバーがあるのですが、結局は、試験に間に合わないよぉって、冷や汗を流しながらあせっている夢。

連れ合いの場合は、ちょっと違っていて、単位が足りなくて、学校を卒業できない夢。

つい前日まで大丈夫だと思っていたのに、ふと気がつくと単位の取り残しがあって、卒業できそうにない・・・。

精神的に追われていると、必ず見る夢だそうです。

卒業してだいぶ経つのに、なんだって学校が出てくるのでしょうね。

まあ、今朝の夢は、わたしにとっては新しいテーマの開拓だったので、ある意味、面白かったとも言えるのですが、それにしても、朝っぱらから、あんまり喜ばしい夢ではないですよね。


それで、どうして追われているのかと言うと、「時間が足りない!」とあせっているからなのです。

いえ、仕事ではなくて、旅の準備がまったくできていないのです。

実は、9月末に、身内のお葬式のために日本に一時帰国しましたが、とんぼ返りしたあとに、時差ぼけと闘いながらも、集中してお仕事をしなくてはなりませんでした。

そのため、10末に出かけるヨーロッパ旅行の下調べができていないのです。

最初は、チェコ共和国プラハを訪問するのですが、元「東欧」の国を訪れるのは初めてのことですし、名所も言葉も国の習慣も何も知りません。

そして、次は列車で移動し、イギリスのロンドンを始めとして、イギリス南部をドライブするのですが、これがまた、どんな雰囲気なのかさっぱりわかりません。

普段は、旅に行く前は、あまり下調べはしないタチなんです。なぜなら、その地に立った第一印象を大事にしたいので、なるべく先入観を持ちたくないから。

でも、今回は、まったく様子がわからない。ですから、少しは下調べをしようと思ったのですが・・・。

だって、チェコ共和国が「ユーロ」じゃなくて、独自の通貨を持っていると知ったのは、つい2日前のことですよ!

しかも、なんとなくカトリックの国というイメージが強かったのですが、実は、無信教の人も多いんだとか。

そして、カフカもスメタナもミュシャも、チェコが生んだ偉人だったんですねぇ。

それから、ヨーロッパはもう寒いに違いないのですが、どんな洋服を持って行くのかも迷っているところなのです。

シリコンバレーの10月は、例年よりも暖かい日々が続きます。ときには、夏のような「ビーチ日和」になるお天気で、真冬の格好なんて想像もつきませんよね。

というわけで、ちょっとあせっている今日この頃なのです。

でも、チェコでお会いする方には、ちゃんとおみやげを買いましたよ。日本の浮世絵の卓上カレンダーを。

そんな風に、少しずつ準備をしようと思います。

次にエッセイを書くときには、「いい旅でしたよ」「満点でした!」と自慢できればいいんですけれどね。

自分自身に Bon Voyage

R. I. P. : さようなら、ジョブスさん

Vol. 147

R. I. P.: さようなら、ジョブスさん

今月は、10月5日に亡くなったアップルの前CEO(最高経営責任者)スティーヴ・ジョブス氏のお話をいたしましょう。

彼のような大きな人物を書くとなると、十人十色のまとめ方があると思いますが、若い頃を中心に、わたしなりのジョブス像を描くことにいたします。

<アップルとジョブス氏>
お葬式のため一時帰国していた日本からとんぼ返りしてみると、シリコンバレーは大騒ぎになっていました。
クーパティーノ市の外れにあるセメント工場で、従業員が銃を乱射し、9名が死傷する大事件が起きていたのです。
サンフランシスコ空港に降り立ったときには、いまだ犯人は逃走中で、フリーウェイ101号線を南下していたわたしたちの車を、地元のSWATチームかFBIの覆面トラックがワンワンとサイレンを鳴らして追い抜いて行きました。

「平和なシリコンバレーで、こんな事件が起きるなんて」と不安を抱えながらも自宅で仮眠を取ったのですが、夕方、連れ合いに起こされた第一声が、「スティーヴ・ジョブスが死んだって」。

時差ボケでボーッとした頭には、午前中の銃乱射事件といい、ジョブス氏の訃報といい、パラレルユニヴァースの出来事としか思えなかったのでした。


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「そんなことってあり得ない!」と頭の中で声が鳴り響く中、最初にやったことは、他でもないアップルのiPad(アイパッド)を手に取り、ネットで訃報を確認することでした。

ご存じの通り、ジョブス氏は8年前にすい臓がんの診断を受けていて、翌年に摘出手術を受けたあと一回目の病気療養休暇を取っています。
2009年前半には、肝臓移植のため二回目の療養を取っていて、今年1月からは、いよいよ無期限の療養中でした。

2007年7月、初代iPhone(アイフォーン)が売り出された直後、アップル本社の重役フロアでジョブス氏を見かけた友人が、「腕なんか、こんなに細いんだよ」と教えてくれました。
その片手で足りるジェスチャーを見たとき、どんなに現代医学が進んでいたにしても、もうあまり長くはないのだろうと悟ったのでした。

それにしても、あり得ない!


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おまけに、翌日の新聞は、一面全面がジョブス氏の訃報ではないときている。例の銃乱射事件が大部分を占めているのですが、そんなのって、あり得ない!

だって、シリコンバレーの地元紙ですよ。ジョブス氏の故郷の新聞ですよ!

と、ちょっと感情的になってしまったのですが、わたしはもともとアップルのファンでも何でもありませんでした。

と言うよりも、「IBMer(アイビーエマー)」として自社に忠誠を尽くした人間ですので、アップルと聞けば「競合」というイメージしか浮かんで来なかったのです。

そう、今は「ソリューションカンパニー」のIBMだって、昔はパソコンやパソコンOS(基本ソフト)に力を入れていた時期がありまして、アップル・コンピュータ(2007年にアップルに改名)やコンパック・コンピュータ(現在はヒューレット・パッカード傘下の一ブランド)、それからマイクロソフトは、立派な競合会社でした。つまりは、目の上のたんこぶ。


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一方、スティーヴ・ジョブス氏にとっても、でっかいIBMは「体制」「伝統」「教義(ドグマ)」といった彼の大嫌いなモノの象徴だったようで、1984年1月に流れた初代マッキントッシュのコマーシャルでは、暗にIBMのような巨大企業を「独裁者」と描いたことで一躍有名になりました(このコマーシャルは、YouTubeでご覧になれます)

のちのフォーチュン誌インタビュー(1998年11月)でも、こんな名言をはいていらっしゃいます。
技術革新に研究開発費の額なんて関係ない。アップルが最初にマックをつくったときには、IBMは少なくとも100倍の研究開発費を使っていた。問題はお金ではない。どんな人が集まっているか、どうやって組織をリードするか、どのように実行するかだ
 


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その頃のジョブス氏は、まさに恐いもの知らずの若者で、イケメンのルックスにサラリと長い髪と、コンピュータ業界でもかなり目立った存在でした。(写真は、1984年4月、前年にペプシから招いたCEOジョン・スカリー氏とともにアップルIIcを発表するジョブス会長。右は、アップル共同設立者のスティーヴ・ウォズニアック氏、通称ウォズさん)

たとえば、自社製品2代目(初の量産品)となるアップルIIで成功をおさめたジョブス氏は、1978年にはメディアの寵児となっていたようですが、サンフランシスコのABC系列テレビ局KGOに貴重な映像が残っていて、これでお見受けする限り、若干23歳の有頂天のお兄さんといった感じなのです。
ニューヨークのABCスタジオから生中継インタビューを受ける直前の映像でしたが、遠くニューヨークとつながるテレビ局の装置に興味を示しながらも、「トイレはどこ? いや、ほんとに緊張して吐きそうだよぉ」などと軽口をたたく様子が、「ちょいとふざけたお兄さん」といった感じなのでした。

その2年後には、アップルは株式公開を果たし、25歳のジョブス氏は1億ドル超の株を保有する億万長者となっているので、本人はお金なんてどうでもよかったにしても、どことなく、世界を席巻したような気分になっていたのかもしれません。

そんなジョブス氏は、サンフランシスコで未婚の大学院生とシリアの留学生との間に生まれ、誕生直後にシリコンバレーのジョブス家に養子に出されたわけですが、やはり、1960年代、70年代と多感な時期を「ヒッピー文化」全盛のベイエリアで過ごしたというのは、人格形成に少なからず影響を与えているのではないかと想像するのです。

ヴェトナム反戦運動や人種平等を訴える公民権運動から生まれたヒッピー文化は、それまでの伝統をひっくり返すような大きなうねりでした。

現に、ジョブス氏自身も、幻覚剤LSDの体験を語っていて、あれは貴重な体験であり、サイケデリックを知らない人にとっては(たとえ妻であっても)理解できない部分が僕にはある、とおっしゃっていたのでした。
曰く「もしも(マイクロソフトの共同設立者)ビル・ゲイツが若い頃にLSDをやってみたり、インドの修行施設を訪れたりしたならば、もっと幅広い人間になっていただろう(1997年ニューヨーク・タイムズ紙インタビュー)

学生の頃、LSDを試した学友から、こんな話を聞いたことがありました。「草原に寝転がっていると、牛が人間みたいに呼吸する生き物だってわかるんだ。牛が食べている草だって、ちゃんと息をしているのを感じるんだよ」と。

これを聞いて、「だから麻薬は違法なんだ」と確信したわけですが、ジョブス氏の場合は、もともと鋭い直感が貴重な体験によって研ぎすまされ、のちの製品開発やサービス展開の構想に役立ったという、数少ない好例なのでしょう。
そう、音楽や詩をめでるアーティストと、コンピュータをつくるエンジニアの垣根がまったく無い時代の産物。アートもコンピュータも、新しい目で世界を見つめる自己表現だった頃の産物。

フォーカスグループ(消費者の声を聞く集まり)に何が欲しいかと聞いても無駄。我々が新しいものを見せるまで、自分たちが欲しいものなんてわかってないんだから(1998年ビジネスウィーク誌)


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これは、ジョブス氏が人々の心を理解する「究極の消費者(the ultimate consumer)」とも呼ばれるゆえんですが、彼にとって、直感は何よりも大事なものだったに違いありません。(写真は、ジョブス氏を「究極の消費者」と称する『The Steve Jobs Way』。著者のジェイ・エリオット氏は、ジョブス氏のもとでアップル上席副社長を務めた方)

アップルII、マッキントッシュと次々と業界の話題をさらうジョブス氏でしたが、彼の順風満帆の人生は、アップル設立10年でつまずきを見せるのです。
1985年、当時のCEOジョン・スカリー氏と取締役会の造反に遭い、ジョブス氏はアップルを去るのです。

「一般消費者に家電(appliance)として売りたい」ジョブス氏と「企業に売りたい」スカリー氏陣営、「アップルOSを守りたい」ジョブス氏と「OSを広め、マイクロソフトのようになりたい」スカリー氏陣営と、根本的なビジョンの相違が軋轢となったのでしょう。
「世の中をアッと騒がせたい」ジョブス氏と「市場のルールを踏襲したい」スカリー氏では、しょせん同じものは見えていないのです。

ジョブス氏ご本人の言葉によると、当時はこういう状態でした。


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アップルは、マイクロソフトになりたいがために、アップルであることを忘れてしまっていた(2007年のD: All Things Digitalコンファランスで、仲良くビル・ゲイツ氏とともに登場した壇上インタビューより。おふたりは、初代マッキントッシュ向けアプリケーション開発をマイクロソフトが担当した頃からの古いお知り合いなのです)

ごく最近、オラクルの創設者/CEOラリー・エリソン氏は、「(昨年8月)ヒューレット・パッカードの取締役会がCEOマーク・ハードを解任したのは、(1985年)アップルの取締役会がスティーヴ・ジョブスをクビにしたのと同じくらい馬鹿げたことだ」と名言をはいたのでした。
エリソン氏はハード氏とはテニス仲間だし、ジョブス氏とも仲良しなので、友達をかばっての発言でしたが、ジョブス氏が去ったアップルは、製品は売れなくなるし、かつての輝きも失うし、取締役会が愚かな決断を下したというのは、今となっては、周知の事実となっています。
 


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けれども、意外なことに、ジョブス氏ご本人は、のちにこう語っていらっしゃいます。
最初の2、3ヶ月は、茫然自失の状態だった。だから、当時はそうは思ってなかったけれど、アップルをクビになったのは、わが人生最高のできごととなったよ(2005年のスタンフォード大学卒業式スピーチ

ジョブス氏は、クビになってすぐにネクスト(NeXT)というコンピュータ会社を設立するのですが、間もなく、映画『スターウォーズ』で威力を見せたコンピュータグラフィックスのグループをジョージ・ルーカス監督が売りに出し、これを安値で買い取ります。
新会社はピクサー(Pixar)と名付けられ、のちに『トイストーリー』などの名作でアニメーション業界のスターに成長するわけですが、ジョブス氏はピクサーを足がかりにして、ハリウッドの映画業界や音楽業界とのつながりを深めていくのです。
 


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そして、このコンテンツ業界とのつながりが、ジョブス氏がアップルに舞い戻ったあと、音楽プレーヤiPod(アイポッド)やメディアプレーヤiTunes(アイチューンズ)へと発展していくのです。(ジョブス氏が暫定CEOとしてアップルに戻ったのは1997年のこと。写真は、2000年1月、晴れて「暫定(interim)」もとれ、マックワールド壇上で満場の祝福を受けるジョブス氏)

中でも、2003年4月、iPod発売の1年半後に稼働した音楽・動画・アプリケーションショップiTunes Store(アイチューンズ・ストア)は、画期的な構想でした。
と言いますのも、当時は、ネットを通じて(不法に)タダで音楽や動画をダウンロードする風潮が根強く残っていて、お金を払って音楽を買うなんて信じられない! という時代でした。

音楽・メディア業界にしても、今までさんざん悩まされてきたネットを配信サービスに利用するのは、大いに抵抗があったことでしょう。どうせまた違法コピーの温床となるのだろうと。
それを根気強く説き伏せたのはジョブス氏でしょうし、「一曲99セント」という値付けで、ネットをうまく商売の道具に転換させたのもジョブス氏の構想でしょう。

そう、彼の構想とは、ソフトウェアの連携でつくり上げた独自のエコシステム(環境)。しかも、マニュアルなんて必要ない、直感的な(intuitive)触ればわかるソフトウェアで。

ちょっと意外なことではありますが、ジョブス氏自身の頭の中では、iPodもiTunesもiPhoneもマック(デスクトップ/ノートブックコンピュータ)も、あくまでもソフトウェア製品なのです。つまりは、ハードウェアを動かす中枢神経として君臨するもの。

曰く「iPodは、単にソフトウェア製品なんだ。きれいな筐体に入っているけれども、あれはソフトウェアなんだよ(iPod is really just the software…It’s in the beautiful box, but it’s software)。マックもそうだし、iPhoneだって、そうなると思っている

アップルは、自分たちをソフトウェア会社だと考えているんだ(Apple views itself as a software company)(2007年D: All Things Digitalコンファランス壇上インタビュー)

iPod発売を期に、ひとたびiPodやiPhoneやiPadを買ったら、iTunesソフトから逃れられなくなるエコシステムが構築されていくのです。
だって、相手は、みんなのクレディットカード番号を持っているんですよ。いちいち番号を入力することなく、クリックするだけでモノが買えるというのは、便利だし、どんどん買ってしまうではありませんか!

そんなこんなで、今やiTunesはメインストリーム。単なる流行りではなく、立派な主流になっていて、アメリカンフットボールのNFLや、公共放送のPBSだって、iTunesで番組を売る時代。


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そして、今度は、iCloud(アイクラウド)なるものまで登場し、いちいちiPhoneやiPadをパソコンにつながなくても、音楽や写真や本といったコンテンツのやり取りがデバイス間で手軽にできるようになるのです。(写真は、今年6月6日、アップルのディベロッパーコンファランスでiCloudを発表するジョブス氏。これが壇上最後の姿となりました)

そうやってエコシステムができあがってみると、同じモノが違った価格で売買される矛盾も、堂々とまかり通ってしまうのです。
 


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たとえば、超人気ゲームアプリの『アングリーバード』。お金を払うことに慣れているアップルのエコシステムでは、99セント(HD版は$1.99〜$4.99)で売られているものが、グーグルのアンドロイド環境ではタダ。
なぜなら、アンドロイドの世界では「無料」であることが前提なので、誰もお金を払おうとしないのです。

アンドロイド世界では、「広告」という別の収入経路が設定されているわけですが、「モノを売ったらお金をちょうだいする」のは、商売の基本かという気もするのです。

そして、この商売の基本を貫いたのは、他でもないジョブス氏。ハリウッドには、それなりの独自のルールが存在するのでしょうが、それをうまく説き伏せてエコシステムを構築するなんて、普通の人にできることではないでしょう。

それは、ピクサーで培ったコンテンツ業界とのつながりがもたらした幸運であるとともに、ビジョンを描いたら最後、何事もあきらめない彼の気質の賜物なのです。


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まあ、高校生のときにウィリアム・ヒューレット氏(ヒューレット・パッカードの共同創始者)に電話してコンピュータ部品を分けてもらったり、アップル設立直後に、有名なマーケティング会社リージス・マッケナ(Regis McKenna)に担当してもらって、カッコいいロゴをつくってもらったりと、若い頃から、押しの強さと忍耐強さには定評があったようですからね。

成功する起業家とそうでない者の違いの半分は、純粋な忍耐(pure perseverance)であると僕は確信するんだ。そりゃ、とっても難しいことだよ。自分の人生のほとんどを懸けないといけないんだから。これに懸けようって情熱がなければ、とっても続かないさ(I’m convinced that about half of what separates the successful entrepreneurs from the non-successful ones is pure perseverance. It is so hard. You put so much of your life into this thing… Unless you have a lot of passion about this, you’re not going to survive.)(1995年、スミソニアン協会/コンピュータワールド誌合同の報奨プログラムが行った、ネクスト/ピクサー時代のジョブス氏へのインタビューAdvice for Future Entrepreneurs の章より引用)
 


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もちろん、「忍耐」の残りの半分は「ひらめき」なのでしょうが、ジョブス氏が「天才」だとか「伝説的」であると言われる裏には、人知れない、小さな努力の積み重ねがあったのだと想像するのです。

そして、たったひとりではクールな製品なんてつくれませんから、彼の名声の陰には、何百、何千というエンジニアの方々の努力があることも忘れてはならないでしょう。

<おまけのお話: R.I.P. Steve>
数々の名言を残したジョブスさんですが、個人的には、2007年のD: All Things Digitalコンファランスで行われた壇上インタビューは、自身のキャリアの集大成を語る重要なものだと思うのです。

ウォークマンを生み出したソニーを始めとして、日本の家電メーカーを尊敬してやまないジョブスさんでしたが、「いいソフトウェアをつくれなかった」ことにつまずきが生じ、その一方で、ソフトウェア会社であるアップルは違うんだというお話もなさっています。
少しでも英語がおわかりになる方には、ぜひ一度観ていただきたい箇所なのです(こちらのYouTubeビデオでは、後半6分以降に「ソフトウェア会社アップル」のお話が登場します)

そして、何と言っても、2005年のスタンフォード大学卒業式スピーチは、最も頻繁に引用される有名なものでしょう。中でも、こんなメッセージが光ります。

人生は限られているんだ。だから、他人の人生を生きるなんて無駄なことをするな(Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life)

このスピーチの素地は、すでに10年前には姿を現していて、1995年のスミソニアン協会/コンピュータワールド誌インタビュー(上のお話の最後で引用)では、こんなことを語っていらっしゃいます。

だって僕たちはすぐに死ぬんだよ。一日一日を今日が最後だと思って生きなくちゃThe Responsibilities of Power の章より引用)

僕は、生命の最高の発明は死だと思ってるんだ。若いものに場所をゆずらなければ、生命はうまく廻らないだろうNew Possibilitiesの章より引用)
 


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ジョブスさんの逝去を悼む方は、世の中にたくさんいらっしゃるでしょうが、彼が逝った週末、わたし自身もパロアルトのアップルショップ、近くのご自宅、クーパティーノのアップル本社と「行脚の旅」に出ました。
どんな様子になっているかを取材したいのと同時に、ご自宅に花を手向けたかったからです。

それこそ、行く先々がアップルファン、ジョブスファンの「慰霊碑」となっていましたが、りんごの木が何本も植わったジョブス家の庭は、そこだけおとぎ話の舞台のように平和な時間が流れていました。
角部屋は、ジョブスさんが愛用していた仕事部屋と思われますが、ここから眺めるりんごの木にホッと慰められることもあったのでしょう。

思えば、この「シリコンバレー・ナウ」シリーズの第一作目にも、ジョブスさんに登場していただきました。今から11年前、彼の家がハロウィーンの「トリック・オア・トリート」の人気スポットとなっていたというお話です。


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以来、ジョブスさんには最も頻繁に登場していただきました。ありがとうございました。

だって、カルト的存在のジョブスさん率いる「アップルさま」を書くのは楽しかったものですから。

きっと今頃は、雲の上で、神さまのデータ処理をシャカシャカと手伝っていらっしゃるのでしょうね。「それにもアプリがありますよ(There’s an app for that)」って。

夏来 潤(なつき じゅん)

 

正体見たり!: マグナカムロードとオバマさん

Vol. 146

正体見たり!: マグナカムロードとオバマさん

長い夏休みも終わり、またお勉強の毎日に戻った方々もいらっしゃることでしょう。

というわけで、今月は若い方々に向けて、「お勉強」の話でもいたしましょうか。そのあとは、またまたシリコンバレーを訪れたオバマ大統領の話題が続きます。

<マグナカムロードって?>
先日、押し入れを片づけていて、ひどくびっくりしたことがありました。


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紙袋の中から、大学時代の成績証明書が出てきたのですが、学士号(Bachelor’s degree)を示す記述のとなりに、こんな文字が書いてあったのです。

Magna Cum Laude(マグナ カム ロード)」

なにやらラテン語のようですが、いったい何だろう? と思って、さっそくグーグルサーチをしてみると、「成績優秀」という意味だそうではありませんか!

なるほど、自分は平均よりも良い成績で大学を卒業したような気はしていましたが、まさか「成績優秀」だったなんて、まったくの初耳です。

いえ、アメリカには、なんとかって呼び名があって、成績優秀で卒業した場合は、履歴書などにも誇らしげに書く習慣があることは知っていました。
けれども、自分がそうだったなんて、誰も教えてくれないのですから、知りようがないではありませんか。州立の学校なので、そんなモノはないのだと思っていましたし。
それに、第一、ラテン語で書かれていたって、何のことだかわからないでしょう。「ラテン語=祈祷」というイメージしか持っていないわたしには、解読のしようがないのです。


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なんでも、Magna Cum Laude という文字は、卒業証書にも付記してあるそうですが、確認してみると、ちゃんとわたしの卒業証書にも書いてありましたよ!
これもまた、初めて目にいたしました! (今までは、単なる飾りにしか見えていなかったようです。)

ちなみに、Magna Cum Laudeの上には、Summa Cum Laude(サマ カム ロード)というのがあって、パーフェクトスコアで卒業した人は、こっちの方をいただくそうです。
わたしも大学院(修士課程)はパーフェクトスコアだったので、この文字があるかと調べたのですが、どうやら、こういったラテン語は学士(undergraduate)にしか使われないようですね。

その代わり、大学院のときには、オーナーソサエティー(Honor Society)というところから「会員になりませんか」とお誘いが来たので、いくらかお金を払って会員になりました。
べつに何をするわけでもありませんが、「履歴書に書くと見栄えがする」と学友に勧められたので、入ってみたのでした。


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ちなみに、成績優秀者のソサエティーはいろいろありますが、なぜかこっちはギリシャ語!
写真のものは、Phi Kappa Phi(Φ K Φ、ファイ カッパ ファイ)という名前で、1897年にできた由緒ある会だそうです。

ギリシャ語といえば、大学男子学生のフラタニティー(fraternity)、女子学生のソロリティー(sorority)といった社交組織にも、ギリシャ語のアルファベット3文字が使われますね。でも、こちらは「お遊び」が目的といった感じでしょうか。

というわけで、ン十年ぶりに自分が「成績優秀」で卒業したことを知ったのですが、わたしは決して自慢しようと思ってこれを書いているわけではありません。

常日頃、「大学は勉強しないで卒業した」などと面白く語り草にはしていますが、実のところ、成績優秀であろうが何であろうが、そんなことはどうでもいいのです。
なぜなら、大事なことは「自分は何を学びとったのか」そして「学んだことを基礎にして、自分なりに何を考えるか」だと思うからです。

ですから、「どの学校に行った」とか「どんな成績だった」というのは、本来は、社会では何の意味もないことだと思うのですよ。
というよりも、意味を持ってはいけない類のことかもしれません。「あの人はエリート校をいい成績で出たから、エリートコースを歩むのでしょう」なんていうのは、本来はあってはいけないことではないでしょうか。

だって大事なことは、どんな学校に行ったかではなくて、どんな恩師や学友に出会って、どんな大切なことを学びとったのか、なのですから。
そりゃ、「いい学校」に行けば、「いい先生」や「いい学友」に出会う確率は高いかもしれません。けれども、世の中そう単純じゃないところが、人の世のいいところなのです。

学校で何かしらを学び、社会に出て経験を積み、学校や社会経験から学んだものを基礎として、自分なりに考えてみる。そして、自分なりに考えながら仕事をやってみて、足りないところは、まわりの先輩たちから学びとる(ときには盗みとる)。
そうやって経験を積んでいくと、自分の中に新たな考えの材料が増えてきて、さらには目新しい考えがどんどん浮かんでくる。すると、自然と「実力」というものもついてくる。
そういうのが、本来あるべき姿なんじゃないかと思うのです。


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ですから、自分が経験することで無駄になることなんて、ひとつもないと思うんですよ。どんなにイヤな仕事だって、あとから振り返ってみると、何かの栄養素にはなっているものだと思うのです。

そして、いきなり経験豊富になるわけにはいきませんので、最初は「下積み」から始まるわけですよね。
いえ、こればっかりは、しょうがないですよ。だって、社会経験が少なければ、それだけ判断材料に乏しいということですから、なかなか優れた判断ができるようにはなりません。
それでも人間ですから不満はフツフツと沸き起こるわけですが、「どうして俺が(わたしが)こんなことをしなきゃならないんだ!」と憤慨したことのない人なんて、世の中にひとりもいないことでしょう。

けれども、時がたてば、イヤでも「川の上流」に向かって押し上げられていくのです。そういうとき、「下積み」をしっかりとやっていた人の方が実力を発揮するかもしれないではありませんか。

そう、「川の上流」って傍目にはいいように映りますけれど、自分で立ってみると、とても孤独で、辛いものかもしれませんよ。


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たとえば、アメリカの大統領。2009年1月、鳴り物入りで大統領職に就いたオバマさんでしたが、今となっては、来年11月の大統領選挙での再選も危ぶまれていますよね。
それは、いつまでも回復しないアメリカ経済に対するフラストレーションの表れでもありますが、オバマさんの政治姿勢に対する不信感の表れでもあるでしょう。

具体的には、社会的・経済的階層のどこを支援するのかとか、世界でのアメリカの立場をどう誇示するのかとか。
たとえば、今、国連で話題となっているイスラエルとパレスチナの関係。オバマさんご自身としては、どちらにも味方しない中立の立場を貫きたいのでしょう。けれども、アメリカの伝統外交では、そうはいかない。なぜってイスラエルの味方をしなくてはならないから。
そして、ちょっと視野を広げると、近隣のイランはイスラエルを目の敵にしている。これは、アメリカにも脅威となってくる。

そこで、一国の主としては、どこまで自分の信念を貫き、どこまで国際情勢や自国の伝統に歩み寄るのかという、厳しくデリケートな選択に迫られるのです。

けれども、まわりにどんなにたくさん優秀な取り巻きがいようとも、どんなに悩んで頭が真っ白になろうとも、自分で英断を下さなければならないわけです。
なぜなら、最終的に自分が下した決断の責任をとるのは、自分自身なのですから。

で、そういうとき、自分なりに考えて行動してきた「いい経験」をたくさん積んだ人の方が、悔いのない「いい決断」を下せるのではないかと思うのですよ。
だって、あとになって悔いが残るなんて、一番イヤなことですものね。

ま、そんなわけで、話がずいぶんとそれてしまいましたが、お次は、またまたシリコンバレーにやって来たオバマ大統領のお話をいたしましょう。

<いらっしゃいませ、オバマさん!>
今回のオバマ大統領のシリコンバレー訪問は、今までとちょっと違っていたのでした。ひとつに、シリコンバレーを目指してやって来たことがあります。

そう、今までは、サンフランシスコ空港に降り立ち、サンフランシスコ(の金持ち宅)を経由してシリコンバレーにやって来ていたのですが、今回は、ずばりモフェットフィールドに降り立ち、お泊まりはサンノゼ。

モフェットフィールド(Moffett Field)というのは、昔の海軍飛行場が民間に一部開放された飛行場で、近くのグーグル(Google)やちょっと北のオラクル(Oracle)のお偉いさんたちがコーポレートジェット機で離着陸するだけでなく、NASA(米航空宇宙局)のエイムズ研究所(Ames Research Center)という宇宙開発基地のある、広大な敷地なのです。


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シリコンバレーを南北に走る幹線フリーウェイ101号線を運転していると、なんだか「かまぼこ」みたいな建物が見えてきますが、これはモフェットにある名物建造物「ハンガーワン(Hanger One)」で、1930年代、海軍飛行船のためにつくられたでっかい空洞の建物です。
(今は、アスベストの除去作業中で骨組みが見えているのですが、お金がなくて壁を張り替えられないのです!)

というわけで、9月25日の日曜日、わたしは朝からソワソワしていました。だって、モフェットフィールドは近い。しかも、日曜日なので、道は混んでいない。だったら、オバマさんの大統領専用機「エアフォースワン(Air Force One)」が見たいではありませんか!
 


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そこで、モフェットフィールドのフェンスに張り付いて待っていたのですが、午後4時55分の着陸時刻を30分過ぎて、ようやくエアフォースワンの登場です。北のワシントン州シアトルから飛んで来たわりに、意外にも南西の方角から厚い雲を割って現れました。
この日は、珍しく雨もよいの天気で、黒雲を背にライトがこうこうと輝いています。そして、尾翼には誇らしげにでっかい星条旗。
いえ、ほんとに、今までこんなに飛行機がかっこ良く見えたことはありませんよ。


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さすがに空軍のパイロットらしく、ものすごく急旋回して滑走路に降り立ったのですが、民間の飛行場とは違って、もうもうと土煙を上げるタッチダウンでした。

このあと、オバマさんは、セキュリティーソフトウェア・シマンテック(Symantec)の会長ジョン・トンプソン氏宅と、ソーシャルネットワーク・フェイスブック(Facebook)のCOO(最高執行責任者)シャール・サンドバーグ氏宅を訪れ、選挙資金をがっぷりと募られたのでした。

サンドバーグ氏宅の晩餐会は、ひとり3万6千ドル(約275万円)だったそうですが、参加者には歌手のレディー・ガガさんがいらっしゃったとか! 「特別出演」ではなくて、ちゃんと自分でお金を払われたそうですよ。

翌朝、大統領はモフェットフィールド近くのコンピュータ歴史博物館(the Computer History Museum)を訪れ、市民が参加するタウンホールミーティングが開かれました。


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主催は、プロフェッショナル向けのソーシャルネットワーク・リンクトイン(LinkedIn)。今回の議題は、経済回復と雇用創造に特化したものだったので、主催者としてはまさにぴったり。
だってリンクトインは、自分の履歴書を堂々と掲載し、友人・知り合いのネットワークを利用して、より良い職を探すというソーシャルサイト(世界会員数1億2千万人)。
職探し中の会員からも、オバマさんに対する質問事項がわんさと寄せられたのでした。

4月にもシリコンバレーのフェイスブック本社でタウンホールミーティングが開かれましたが、今回は、それよりももっと面白い討論会となりました。
それは、先日、オバマさんが雇用創造法案(the American Jobs Act)を発表し、その中に盛り込まれた増税案が「金持ちを標的とし、階級間の戦争(class warfare)をしかけるもの」と共和党陣営の怒りを買っているからです。

いよいよ正体を現したか、オバマめ!」と、共和党大統領候補者たちと矛先を交える展開となっているのです。
 


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リンクトインとホワイトハウスのウェブサイトでストリーミング中継された討論会は、型通りの質疑応答から始まります(左は、モデレーターを務めたリンクトインCEOジェフ・ウィーナー氏)。
「今、我々にできることは、雇用創造法案を議会に通させること」「高齢者を守る社会保障制度(Social Security)や医療補助(Medicare)は絶対になくしたりはしない」「今までアメリカ経済を支えてきた小規模ビジネスへの優遇に努める」と、基本的な話題から押さえていきます。

けれども、その後は、終始リラックスしたオバマさんのほんとの言葉が聞けたような感じがしました。


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たとえば、今は職探し中のシカゴのエスターさんには、「提案中の雇用創造法案では、雇い主は雇用の際、失業中の人を差別できないようにしようとしている。それと同時に、あなたが今できることは、可能な限りスキルをシャープに保つこと」と励まします。
 


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23年勤務した空軍を退役したウェインさんには、「退役軍人が実社会に復帰するのは難しいが、軍隊で培ったスキルに対して資格認定制度を設けようと、国防総省と退役軍人省で検討している」と答えます。

リンクトイン会員から寄せられた教育に関する質問には、こんな具体例を出します。
「今、IBM(本社ニューヨーク州)は、ニューヨークの普通の公立学校と協力して、生徒たちの学ぶ意欲を伸ばそうと務めている。その後、条件が合えば生徒たちを自社で採用する計画でいるのだが、これは、4年制のエリート校を出なくても道は開ける証となる」と、教育の機会の大切さを示します。
 


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22年務めたITマネージメント職を失ったロバートさんに対しては、「あなた自身が悪いわけではない。今は、アメリカ経済全体が、そして世界経済全体が問題を抱えている時期。今、わたしがやらなければならないことは、少しでも早く経済を回復させること」と、暖かい励ましの言葉をかけるのです。
 


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(グーグルと思われる)IT企業で財を築き、今は自分の選択で失業している(unemployed by choice)ダグさんからは、「どうぞ税金を上げてください」という意見が飛び出し、会場はざわつくのですが、これにも落ち着いて対応します。
「アメリカが今まで成功した理由は、教育にインフラにきちんと投資してきたから。これからも、誰かが子供たちに教育にテクノロジーに投資しなくてはならない。お金持ちを標的にするわけじゃないけれど、誰かがやらなくちゃいけないんだ」と、国民の責任感を喚起します。

今は、1950年代以来、最低の税率にあって、「金持ちはもっと金持ちになる(the rich gets richer)」構造になっているという主張は、オバマさんの根本思想をもっとも正直に表したものでしょう。
ですから、この討論会でも、リラックスしたやさしい言葉で、わかりやすく説明なさっていたのだと思います。
 


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オバマさんは、ある意味、ものすごくわかりやすい人物で、自分が信じ切っている話をするときには、やさしい言葉で、誰にでもわかるように説明するのですが、自分が半信半疑だと、言葉も自然と抽象的な観念論になって、途端にわかりにくくなるのです。

というわけで、「正体を現したオバマさん」が、これからどのように味方を取り戻し、敵と一戦を交えるのかが楽しみになってくるのです。

だって、オバマさん、自分は他人にはなれないんですよ。フラフラと他人のふりなんかせずに、正直に生きましょうよ!

夏来 潤(なつき じゅん)



図書館のブックセール

日本がもうすぐ「敬老の日」という土曜日、天気もいいし、近くへお出かけしました。

まずは、病院の眼鏡センターに寄ってコンタクトレンズを注文したのですが、そこでお隣さん夫婦に出会って、まあびっくり。だって、普段、隣同士でもなかなか顔を合わすことはないのに、よりによって病院でばったりと会うなんて。

お隣さんは、80をちょっと超えたご夫婦で、もうすぐ結婚55周年になろうかという、仲良し夫妻。今となっては、杖をついたご主人の手をひく奥さんが、運転手として大活躍。

最初は「絶対に長続きしないよ」とみんなから言われていたのに、こんなに続いているわよと、声をあげて笑っていらっしゃいます。

そんな明るいふたりにふさわしく、この日は、まさにゴージャスな一日。

暑くもなく、寒くもなく、文句のつけようもない一日。

It’s not too hot, not too cold. It’s just the perfect day!


なんだか、最近、アメリカ中部の五大湖の辺りを中心として、東半分は急に寒くなってきたそうです。

「国の冷蔵庫(the Icebox of the Nation)」というニックネームのミネソタ州インターナショナルフォールズでは、摂氏マイナス7度という、記録的な寒さにおそわれたとか。

その週、ミズーリ州カンザスシティーでは、一週間の気温差が25度だったそうで、夏の暑さのあとには冬の寒さと、まさにジェットコースターのようでした。

そういうのに比べると、ここ2、3日、この辺の人たちがブツブツ言っている暑さの戻りは、かわいいものかもしれません。

だから、みなさん、カリフォルニアに住みたくなるのでしょうね!


というわけで、このゴージャスな日のお出かけは、近くの図書館がお目当てでもありました。

普段わたしは、本は自分で買うタイプなので図書館は利用しないのですが、この日は、図書館のブックセール(library book sale)をやっていたのです。

日本でもそういうことはあるのでしょうか? アメリカの図書館は、いらなくなった本を売り出すことがあるのです。

たぶん古くなったという理由からだと思いますが、図書館が実際に貸し出していたものを売り出すのですね。

一般の図書館だけではなくて、大学の図書館でも売り出すことがありますが、こういうときには、絶版になって手に入らない学術書の掘り出し物があったりするのです。

買う方も嬉しいし、図書館にとっても収入源になるし、決して悪いアイディアではないですよね。


この日のブックセールは、玄関脇の会議室で開かれていました。けれども、ひとつの部屋では納まりきれずに、本の詰まった箱が外にまであふれ出ています。

厚いもの、薄いもの、ハードカバー(表紙がしっかりしたもの)、ペーパーバック(簡易的な紙の表紙のもの)と、いろんな種類があります。

中には新品の本もあって、安価な値付けは魅力的でもあるのです。「家族や友達への誕生日・クリスマスプレゼントにいかが?」と、ボランティアの女性が購買意欲をそそる声をあげていました。

ここにある本は、だいたい一冊1ドルで売られていて、さらに「袋いっぱいに詰めたら2ドル」「箱いっぱいは5ドル」という特価もあったようです。(まさに、本のたたき売り状態!)

そして、本ばかりではなく、映画ビデオに音楽CDと、まさしくプレゼントには最適のものもありました。(今の時代、図書館でもビデオやDVD、音楽CDを楽しめるんですよね。)

なにやら床に這いつくばっている男性がいるので、何をしているのかと思えば、ビデオの詰まった箱が床にも置いてあって、めぼしいものを懸命に選んでいるのでした。ここで安く買って、どこかで高く売りつける魂胆? と、ちょっと懐疑心を抱いてしまったのでした。

わたしが図書館に行ったのは、3時近く。4時までのブックセールは、もう終わりに近い時刻です。

そのせいか、本の分類は、ちょっと乱れています。きっと最初のうちは、「文学」「芸術」「科学」「児童書」などと、きれいに分類されていたのでしょう。けれども、わたしが行った頃には、お客さんが手にした本があちらこちらに置かれている様子で、分類はかなりあいまいになっていました。

「やっぱりこっちの方がいい!」という心変わりの表れなのでしょうが、日本人のように律儀に元に戻さないのが、だいたいのアメリカ人でしょうか。

(スーパーマーケットでも、いろんな棚に場違いなものが置いてあったりしますよね!)


結局、わたしが選んだのは二冊、合わせて2ドル。

ひとつは、いろんな詩人の作品を集めた詩集です。

わたしは普段、あんまり文学作品を読む余裕がなくて、ニュース、業界記事、ノンフィクションと、なんとなく無味乾燥なものが多いのです。

ですから、たまには情緒豊かな創作でも読んでみようかと思いまして。

この詩集は、「愛を語る」「自然をめでる」「家族・子供」「信仰・瞑想」といった章にわかれていて、自分の気に入ったところから読めるのが魅力なのです。

いろんな詩人の作品が集められているので、さまざまな視点や語り口に触れることもできます。あまり好みでないものに出会っても、次の作品は、好きになるかもしれないでしょう。

それに、字がとっても大きいので、寝る前に暗いところでも読みやすそう!


そして、もうひとつはガラッと変わって、プラトン(Plato)の哲学書を選んだのでした。

以前、哲学書をよく読んでいた時期があったのですが、プラトンは、他人の書いた要約しか読んだことがありませんでした。ですから、ご本人が書いたものに触れてみようかと思いまして。

まあ、原語版の英訳という制限はありますが、ご本人の言葉に触れるというのは、どんな分野の作品でも大事ですよね。(絵画だって同じかもしれませんね。ほんものの色に触れてみると、今までと違ったものが見えてくるのかもしれません。)

こちらの本は、『饗宴(Symposium)』『国家(Republic)』と、プラトンの代表作が収められています。それに加えて、『ソクラテスの弁明(Apology)』『クリトン(Crito)』『パイドン(Phaedo)』と、プラトンの師であるソクラテス(Socrates)に関する作品もまとめられています。

哲学者として名をはせたものの、「先祖代々の神々を冒涜(ぼうとく)し、アテネの若者を堕落させた罪」で死刑判決(!)が下された、師ソクラテス。

その裁判で、「人にとって良いことを知るのは、良いことを行っているということである。知らないことが悪なのであって、人は進んで悪を行ったりはしない」という論点を描いたのが、『ソクラテスの弁明』。

厳しい判決ののち、獄につながれたソクラテスを訪ね、脱獄を勧める友クリトンに対し、「自分は間違ったことはしていない、正義を優先するのみ」と、死の覚悟を描く『クリトン』。

そして、いよいよ服毒による死に臨み、「体がほろびても、魂は生きる。魂は、普遍の認識を忘れたりはしない」とソクラテスが告げる別れの言葉を、弟子パイドンが仲間に語る形式でつづられたのが『パイドン』。

まあ、プラトンの哲学としては『国家』が代表作といえるのでしょうけれど、なんとなく、師ソクラテスのドラマにひかれてしまうのでした。じっくりと読むとしたら、きっと、そっちの方を先に読むことでしょう。

それにしても、ソクラテスもプラトンも紀元前4~5世紀の人なんですよ!

そんな昔の人の言葉が本として読めるなんて、スゴいと思いませんか?

「哲学」なんていうと、どうしても近寄り難い分野になりますけれど、哲学書の醍醐味って「なんだ、偉そうな顔をして、みんなと同じようなことを考えてるじゃない!」と共感するところにあると思うのです。

いつの時代も、人間って、本質的にはあんまり変わっていないと思うんですよ。


というわけで、2冊の掘り出し物に出会ったブックセールでしたが、詩集の表紙を開けたら、こんな文字が書かれていたのでした。

Awarded to Cheryl L.
 Division I, Singles Champion
 Live Oak Varsity Tennis
 - 1998 –

どうやら、1998年、高校対抗テニス大会で女子シングルスのチャンピオンになった、シャールさんに贈られた本のようでした。

せっかくいただいたのに、彼女は「もう、いらない!」って、図書館に寄付したようですね。

まあ、わたしもちょっと意外な気はしたんですよ。詩の内容や活字の大きさから、どちらかというと「おばあちゃん向けの本」かと思ったものですから、それが高校生の女のコに贈られたというのは、ちょっと場違いな気もしたのです。

ま、いずれにしても、それがめぐりめぐってわたしの手元にあるのですから、なんとも楽しいブックセールではありませんか!

追記: ちなみに、book salesale という言葉ですが、これには「販売」と「セール」という二通りの意味がありますね。

たとえば、a book for sale というと、「販売されている本」という意味です。
 そして、a book on sale というと、「セールになっている本」という意味になります。

さしずめ、図書館のブックセールは、両方の意味を兼ね備えた販売ということになるでしょうか。

スイング中、失礼します

前回のエッセイには、二本足の鳥たちが登場いたしました。

なんだか、最近のエッセイには、野生の生き物たちがたくさん登場しますが、とにかく、近頃、彼らの「出演回数」が多いんですよ。

というわけで、今回は、四本足の動物のお話をいたしましょう。


先日、連れ合いが、近所のゴルフ場でプレーしたときのお話です。

6番ホールにさしかかると、マーシャル(ゴルフ場をまわっている監視係の人)が待機していて、こんなことを言うのです。

あの左の先の方は、今、入れないようになっています。ですから、そこにボールを打ち込んだら、「グラウンド修理中(ground under repair)」のルールに従って、ゲームを続けてくださいと。

この「グラウンド修理中」というのは、たとえば、水でビチャビチャにぬかるんでいるとか、なんらかの理由でプレーできない状態になっているという意味です。
 ですから、ここにボールを打ち込んだ場合は、ペナルティー無しで近くにボールを落として、そこから打ち直して良いことになっているのです。

まあ、ゴルフはルールの厳しいスポーツですので、一打ずつが真剣勝負というわけですね。

それで、どうして左の先の方が入れない状態になっていたかって、そこが臭かったからなんです。

いえ、少々の臭さではありません。

スカンクの臭さなのです。

なんでも、ちょっと前にスカンクがプ~ッとオナラをしたので、臭くて、とっても近寄れない状態になっていたのです!

う~ん、近くの家の誰かがスカンクを怒らせたのでしょうか。それとも、大きな動物が近寄って来て、スカンクを驚かせたのでしょうか?


まあ、日本にお住まいの方は、スカンクのオナラをご存じない方が多いことでしょう。

もう「オナラ」なんてカワユイもんじゃないのです。

それこそ、鼻がひんまがるような「激臭」とでもいいましょうか。

なんとなく、何かがこげたような香ばしい類(たぐい)のニオイなのですが、何かをこがしたときの100倍、1000倍の強烈な臭さなんですよ。

だって、あの大きなクマさんだって、さっさと逃げて行くそうですから。

そして、困ったことに、それがなかなか消えてくれない。

いつまでも、いつまでもイヤなにおいが残るので、靴なんかについたら一大事!

だから、「グラウンド修理中」を示す白線を描くまでは、マーシャルの方が待機して、プレーヤーに警告を出さないといけなくなったのでした。

「あそこに入っちゃダメですよ」と。

それを聞いて、「よし、自分はそっちに打ってやるぞ!」と心躍った連れ合いですが、運悪く、ボールは逆側の隣のホールへと・・・

ようやくグリーンに達したときには、スカンクのことなんか、すっかり頭から消えてしまっていたのでした。


カリフォルニア(少なくとも北カリフォルニア)は、スカンクの多い所なんですよ。

忘れもしない、あれは、ロスアルトスの緑に囲まれた友人宅に招かれたとき。

辺りが暗くなり始めた頃、どこからともなくプ~ンと香ばしいにおいが漂ってくるのです。

なんだろう、誰かがオナラ? それにしては、豆を炒ったような香ばしいにおい・・・

などと考えていると、「あれは何のニオイだかわかる?」と、友人は面白そうに問うのです。

え~、何だろう? と答えをしぶっていると、「あれはスカンクなんだよ」と教えてくれたのでした。

そういうときには、まず窓を閉めないといけませんね。家の中ににおいが充満してしまいますから。

それから、困ってしまうのは、スカンクが車にひかれること。

路上に小動物が横たわっているときには、その多くがスカンクです。(上の写真のように、スカンクは黒い体に白の縞のイメージですが、この辺では、このような茶色のスカンクが主流でしょうか。)

そんな彼らを間違って車で踏んでしまったら、さあ、大変。

激臭がタイヤについてしまうんです。

そして、その激臭が、車によって道路や住宅地へとまき散らされることになる・・・。

どこからともなくプ~ンとにおってくると、「あ、誰かがスカンクを踏んだな」とブツブツ言いながら、仕方なく窓を閉めるのです。


先日、日本からの来客をナパバレーにお連れしたときも、ナパの幹線道路29号線で、なにやらにおってきたのでした(写真では、ぶどう畑の向こうに左右に走っている道が29号線)。

そこで、連れ合いとわたしは「あ~、スカンクだねぇ。誰かが車でひいたのかな」と会話をしていたのです。が、来客の方は、それを「田舎のにおい」という風に解釈なさっていたようです。

あとで、ほんもののスカンクのにおいだったんですよと説明すると、エ~ッと驚いていらっしゃいました。

「まさか、ほんものだったとは・・・」と。

初めて経験なさる方には、なかなかニオイの正体はわからないかもしれませんね。

というわけで、スカンクくんの威力はスゴいのです。

彼らを見かけたら、なるべく怒らせないように、ソッとしておいてくださいね。

写真出典: スカンクの写真2枚は、Wikipediaより

睡眠中、失礼します

我が家は、「野中の一軒家」ではありません。

ちゃんとした住宅地にあります。

けれども、どうしたわけか、野生の生き物たちと一緒に暮らしているような気分になることがあるのです。

前回、前々回と、自然界の生き物をエッセイといたしましたが、昨夜も似たような「遭遇」があったのでした。


夜中に、ふと郵便を取り忘れたことを思い出して、玄関を出てみました。

郵便を手にして戻って来ると、玄関のドアの上に、何かいるではありませんか。

しかも、頭を突っ込んで、グースカ寝ているのです。

お尻にしっぽがあるので、最初はねずみかと思いました。

でも、ねずみはすばしっこいので、ドアを開け閉めしたら、その物音ですぐに逃げてしまうでしょう。

よく見ると、しっぽが鳥のようではありませんか。なるほど、ねずみみたいに黒っぽい鳥が、ぐっすりと眠りこけているようです。

それがあんまり間抜けっぽいので、カメラを取りに戻って、もう一度出てきました。それでも、そんな「騒音」の中、微動だにしないのです。

ただただ、ぐっすりと安眠中 zzzzzzzz

なにかしら、楽しい夢でも見ているのでしょうか。


そういえば、昨年も、こんな鳥がいましたよ。

秋から冬にかけて、夕刻になって薄暗くなると、我が家の玄関にやって来ては眠り始めるご仁が。

冬は、すぐに暗くなるでしょう。ですから、わたしが仕事に使っている離れから母屋に戻るときには、どこからともなく飛んで来た鳥が、もうそこで熟睡なさっているのです。

まるで「自分の家よ」と言わんばかりの、当たり前の顔をして。

なんだか、飛んで来たなと思ったら、すぐに眠ってしまうんですよね。それだけは、うらやましい。なかなか人間にはできない芸当ですから。

昨夜の鳥が、これと同じ鳥なのかはわかりません。なんとなく同じようでもあるし、今年のはちょっと色が濃いような気もするし。

でも、わたしが知らないところで、ずっと玄関が「ねぐら」に使われていたのは確かなようですね。だって、不自然なところにフワフワとした鳥の毛がくっついていましたから。

あれは、どこが熟睡しやすいかって、いろいろと実験したあとに違いありません。

あっちかな、こっちかなと試してみて、あ、ここだ! と、右側の隅っこに決定したのでしょう。

まあ、べつにこちらは危害を加えられるわけではないので、ねぐらにされていても構わないんですけれど。

だから、なるべく安眠妨害をしないように、夜は静かにしようとは思っています。


けれども、世の中には、「不届きモノ」がいるんですよ。

わたしがぐっすりと眠っていると、妨害するヤカラが。

朝早く、寝室の真上で、ノッシノッシと歩くヤツ。

しかも、ひとりじゃないんです。徒党を組んで歩くんです。

以前も何回かご紹介したように、我が家のまわりには、野生の七面鳥がたくさん住んでいます。

まあ、「ワイルドターキー(wild turkey)」なんて英語で言うとかっこいいですが、その実、体は大きく、爪は鋭く、あんまり近寄りたくない相手であることは確かです。

そのワイルドターキーのご一行様が、ときどき人の家の屋根に登って、ノッシノッシと我が物顔で歩くんですよ。

べつに歩くくらいならいいんじゃない? と、お思いでしょう。

けれども、彼らは重いのです。しかも、グループで行動するのです。

何を考えているのか、ドシッと屋根に乗っかったと思ったら、みんなでブイブイ走り出すことがあるのです。

グルルッ、グルルッ、

まさに、屋根の上の運動会!

朝早く起こされたわたしは、不機嫌になると同時に、ものすご~く心配になりましたよ。屋根瓦が粉々に壊れてしまわないかと・・・。

(もしかすると、ヒビくらいは入っているかもしれません)


昨秋は、とくに彼らの「襲来」が多くて、我が家だけでも2回、そして、まわりの家々も数回ターゲットになりました。

彼らは、一度気に入った場所ができると、クセになって「リピーター」となるようですが、きっと我が家を好きな理由は、見晴らしが良いことでしょう。

我が家の屋根に登ると、まわりが一望に見渡せる。

ノッシノッシ。

う~ん、これはいい眺めだわい!

なるほど~、こうやって見ると、あの辺にエサがあるに違いない!

そうして、まわりの家々も、同じ理由でターゲットとなったに違いありません。

今年は、まだご一行様の襲来を受けてはいませんが、秋になったらいらっしゃるのかもしれません。

だって、さっきお散歩していたら、目の前をご一行様が通り過ぎて行きましたよ!

わたしが立ちすくんでいるのを横目でチラチラ眺めながら、「お先に失礼しますよ」と、すました顔で横切って行きました。

その5羽の背中は、夕刻の光を受けて、それはつややかに輝いていらっしゃいました。

もしかすると、彼らは、人が思っているよりもずっと美しい生き物なのかもしれませんね。

いつか「ワイルドターキーはいずこへ!」というお話でもご紹介しましたが、「建国の父」であるベンジャミン・フランクリンは、七面鳥が大好きでした。

美しく、賢い彼らこそが、国の象徴(国章)となるべきであったと。

なるほど、見方によっては、彼らは美しい、品のある鳥なのかもしれません。

でも、みんなで屋根を歩くんだったら、どうか寝室の上はやめてくださいね!

追記: 下から2枚目の写真は、我が家に七面鳥が飛来したときに、お向かいさんが撮ってくれました。
 このときは、我が家とお隣さんの屋根に10羽くらい訪れたのですが、「あれは、すごかったわねぇ」と、お向かいさんがわざわざ記録しておいてくれたのでした。

I give you my word(お約束します)

ちょっと前に、こんなことを書いてみました。

「形容詞は、自分の感情や物事の様子をうまく表してくれるので、できるだけたくさん知っていた方がいいでしょう。言い換えれば、英語を勉強する上では、形容詞がキーとなるのではないでしょうか」と。

たとえば、A is BAB である」という文章。

この中で、B の部分がちんぷんかんぷんでは、なかなかコミュニケーションは進まないですものね。

そんな形容詞のお話のときに、ついでにこんなことも書いてみたのでした。

「それ(形容詞)に比べると、日常会話に出てくる動詞なんて、have とか get とか take とか、いつも決まったものしか使っていないような気もするのですよ」と。

そうなんです。きらびやかな形容詞に比べて、普段使っている動詞は、ちょっと地味かなぁとも思うんです。

でも、地味だからこそ、使い方をきっちりと把握していないといけない、とも言えるんですけどね。


というわけで、今回は、「地味な」動詞のお話をいたしましょう。

まずは、こちら。

I give you my word.

動詞 give は、「与える、あげる」という意味ですので、「わたしは、あなたに言葉をあげましょう」??

なんか変ですよね。

実際には、「わたしは、あなたにお約束しますよ」とか「保証しますよ」という意味になります。

慣用句 give ~ my word で、「わたしは、~(人)に対して約束する」といった意味に変身するのです。

I give you my word I won’t make the same mistake twice.

「わたしは、同じ過ちは二度と繰り返さないことをお約束します」

お~、なんとも立派な約束ですねぇ。

「約束する」という意味では、動詞 promise と同じですが、こういう言い方をすると、なんだかもっとすごい約束をしているようにも聞こえるのです。


そして、こちらも、同じような意味になります。

You have my word.

「あなたは、わたしの言葉を持っている」転じて、「あなたにお約束いたします」。

こちらが言ったことに対して、相手が何かしら疑いのまなざしを投げかけてきたら、すかさず、こう言ってあげればいいのです。

You have my word on it.

「(それについては)わたしが保証しますから、どうぞ安心してください」

ちょっと気取った言い方になりますが、こんなものもありますね。

Consider it done.

この場合、動詞 consider は、「~と解釈する」という意味合いになります。

ですから、相手に対して「もうできたものだ(done)と解釈してくださって結構ですよ」と宣言しているのです。

簡単に言うと、「わたしが請け負いました」「承知いたしました」という意味になるでしょうか。

ちなみに、it というのは、その前に会話に出てきた事柄をさしますね。

たとえば、「明朝の営業会議は、君が音頭取りをしてくれよ(I want you to lead the sales meeting tomorrow morning)」と、上司に頼まれたこととか。

こういうときには、胸を張って、宣言いたしましょう。

Consider it done!

「承知しました!」


というわけで、動詞 givehave、そして、ちょっと気取った consider が出てきました。

お次は、get にいきましょう。

I get it.

一番簡単な構文ですが、シチュエーションによっては「わかったよ」という意味になります。

動詞 get は、「~を手に入れる」という意味ですが、「わたしは、それを手に入れる」転じて「理解する」といった意味合いにもなるのです。

たとえば、相手がくどくどと説明しているとき、ひとこと言うのです。

OK, I get it.

「もうわかったよ(だから、その話はもういいよ)」

一方、別の場面では、I get it は、違った意味にもなりますね。

たとえば、玄関のチャイムが鳴って、「わたしがドアを開けましょう」と意思表示する場合。

または、電話が鳴って、「わたしが受話器を取りますよ」と言いたい場合。

こういう場合の get は、実際に「~を手にする」という意味で使われていますね。

I get it.

「わたしがドアを開けましょう」「わたしが受話器を取りましょう」

まあ、文章が単純なので、いろんな場面で使えるということでしょうか。


それから、「わかる」の意味の I get it と似たものに、こんなものもあります。

I got you.

「あなたの言っていることがわかったよ」

ここで「わたしはあなたを獲得した」というのは、「あなたを理解した」という意味に変化するのです。

一方、緑の原っぱで、鬼ごっこをしていたとしましょう。

ここで誰かを捕まえたときには、実際に「あなたを獲得した」という意味になるでしょう。

I got you!

「捕まえた!」

そして、こういうのもありますね。

Gotcha!

こちらは、I got you の省略形で、発音は「ガッチャ」という風になります。

「わかった」という意味でも、「捕まえた」という意味でも、両方に使えます。

でも、同じ「捕まえた」でも、比喩的に「いたずらで捕まえた(いたずらにひっかけてやった)」といった感じにもなるでしょうか。

Gotcha!

「や~い、ひっかかったぁ!」


はたまた、まったく違った意味になることもあるでしょう。

I got you.

「あなたを守りますよ」

こういう意味合いで使うときには、こんな言い方もしますね。

I got your back.

こちらは、「あなたの背中を手に入れた」転じて「あなたを守ってあげよう」という意味になります。

なんとなく、「あなたが背後から何者かに襲われるのを守ってあげましょう」と言っているような感じがするでしょう。

似たような表現に、こんなものもあります。

I got you covered.

「あなたをちゃんとカバーしている(守っている)」

やっぱり「あなたが襲われるのを守ってあげましょう」みたいに聞こえてくるのです。

でも、実際は、必ずしも「裏社会」の恐~い場面だけではなくて、「ちゃんと見守っているから、安心してね」と、相手を安堵させる言葉でもあるのです。

すぐそばにいるから、安心してチャレンジしてみてください、みたいなニュアンスでしょうか。

というわけで、「地味な」動詞ですが、簡単なものほど、いろんな意味に変身するのです。

今回ご紹介したものは、まだまだ氷山の一角ですので、いつかまた違った動詞の使い方をご紹介いたしましょう。

Waiting for water to boil(水が沸くのを待つ)

日本でひと夏を過ごしたあと、サンノゼの自宅でこんなことがありました。

我が家は、テレビを観るときに、「Google TV(グーグル・テレビ)」という特殊な機械を使っています(写真では、上に乗っかっているソニー製の機械)。

テレビ回線につながっているだけではなくて、インターネットにもつながっているという面白い機械です。

でも、面白いわりに、定期的にソフトウェアの更新をしないといけないのです。

まあ、「更新」なんていっても、ソフトウェアをつくっているグーグルさんがインターネット経由で勝手に送ってくるので、「ソフトウェアを更新しますか?」という質問に、「はい」と答えれば、あとは自動的にやってくれるお話ではあります。

でも、問題は、時間がかかることなんです。

だいたい、テレビを観たいとか、ネット経由の音楽を聴きたいと思うから、Google TVをオンにするのです。更新の間、何もできずに「おあずけ状態」になっているのはイヤなんです。

そこで、わたしは、ブツブツと独り言をつぶやいておりました。

なんだって、こんなに更新が長いんだろう・・・?

だって、お湯が沸くのよりも遅いじゃない!


前置きが長くなってしまいましたが、今日の表題は、こちら。

「お湯が沸くのをじっと待つ」

英語で、waiting for water to boil

「物事がサクサクと進まないので、イライラしながら待つ」とか「ちゃんとうまく行くかしら?と、心配しながら待つ」といった意味があります。

日本語でそんな表現が使われるのかは定かではありませんが、なんとなく、わかり易い表現ですよね。

たとえば、こんな風に使います。

It’s like waiting for water to boil.

「それって、まるで水が沸くのをじっと待っているようね(じれったくてしょうがないわよね)」


そして、似たような表現にこんなものもあります。

A watched pot never boils.

「鍋をじっと見ていたら、水は絶対に沸かないよ」

だから、イライラしないで、気長に待ってなさい、ということでしょう。

実際、お料理しているときもそうですよね。

「煮えたかな?」「焼けたかな?」と、頻繁に蓋を取って観察していると、熱が逃げてしまって、なかなか料理が進まない。

だから、チョッカイなんか出さずに、じっと待ってなさい。

この表現も、お料理だけではなくて、いろんな場面で使えそうですよね。


さて、waiting for water to boil というのは、ある意味、英語らしい表現だと思うのです。
 まさに情景が目に浮かんでくる、とでもいいましょうか。

そして、同じく「英語らしい」と思える表現に、こんなものもあります。

Do you see the bottle half full or half empty?

「あなたは、ビンに(水が)半分入っていると見ますか、それとも半分空いていると見ますか?」

こちらは、ちょっとわかりにくいかもしれません。

もちろん、ビンというのは比喩的なものですが、「あなたは、ビンに水が半分入っている(half full)と見るか、それとも、たった半分しか入っていない(half empty、半分は空いている)と見るか?」というわけです。

ですから、「物事に対して楽観視する方か、それとも悲観視する方なのか」といった意味合いになるのです。

当然のことながら、「半分も入っているじゃない(half full)」と思う方が楽観視で、「半分しか入っていないじゃない(half empty)」と思うのが悲観視というわけですね。

こちらの表現は、よく経済のお話なんかに出てきます。

いくらか損はしたものの、「まだこんなにお金が残っているじゃない!」と見るのか、「まあ、これだけしか残っていないわぁ」と見るのか、あなただったらどっちのタイプ? みたいなニュアンスでしょうか。

We tend to see the bottle half empty.

「わたしたちは、どちらかというと半分しか入っていないと、とらえがちである」

これは、経済がうまくまわっていない中では、多くの消費者が感じることかもしれませんね。


さて、英語らしい表現に、こういうのもあります。

kick the can down the road

まるで子供の頃を思い出すようですが、「道の向こうに(遠くに)缶を蹴る」というわけです。

「缶蹴り」で遊んでいるときに、ポ~ンと遠くに缶を蹴りますよね。そんな感じです。

もちろん、この表現は比喩的なものでして、実際には「(問題を)先延ばしにする」という意味になります。缶々は「考えたくもない、イヤな問題」というわけです。

こちらは、先月、よく耳にしておりましたね。

アメリカの国の赤字のお話で、「問題を先延ばしにするな!」と、これ以上、国がお金を使って赤字が増えることに、反対意見がわき起こっていたのでした。

Stop kicking the can down the road!

「財政問題を先延ばしにするのは止めろ(子供たちの世代が困るじゃないか)!」

たしかに、缶を向こうに蹴って見えなくなったのはいいけれど、向こう側で缶を拾うのは、子供たちの世代ですよね。

All this money comes from our children and our future generations.

「このお金は全部、わたしたちの子供たちやその先の世代からきているのだ」

これは、アメリカだけではなくて、先進国みんなに言えることかもしれません・・・。


さて、そんな深刻な財政問題を抱えているオバマ大統領は、来年11月の大統領選挙では、苦戦を強いられそうなのです。

財政問題に加えて、いっこうに好転しない失業率、いつまでも続く戦争、またまた悪化しそうな景気と、近頃、オバマ大統領にとっては悪い話ばかりですから。(写真は、今年初めの一般教書演説で熱く語るオバマ大統領)

そんなオバマさんについて、こんなシビアな文章が・・・

この中で on the line という表現にご注目ください。

President Barack Obama’s own job may be on the line as he presents his plan for job creation this week . . .

(Excerpted from Obama’s power to create jobs remains limited by Lesley Clark, McClatchy Newspapers, September 4th, 2011)

「今週、バラク・オバマ大統領が雇用創出計画を明らかにしようとする中、彼自身の職が危うい状態にあるかもしれない」

(Continued from above) with the nation’s unemployment rate mired at 9.1 percent and his popularity at a record low.

「(上の文章の続き)国の失業率は9.1パーセントから微動だにせず、しかも、彼の人気が記録的に低い中にあっては」

ちょっと長い文章ではありますが、要点はこちらの部分ですね。

President Obama’s own job may be on the line.

「オバマ大統領自身の職が危ういかもしれない」

世の中が厳しい状態にあるので、国の失業率を心配する前に、自分の方が危ういかもしれない、というのです。(とりあえず、4年の任期が終わる来年末までは大丈夫ですが・・・)

縁起でもない話ですが、(put ~ ) on the line というのは、「~を危険にさらす、危険にさらされている」という意味ですね。

たとえば、

My job is on the line!

「僕の職がかかってるんだよ(だから、暢気なことなんて言ってられないんだよ)!」

窮地に立たされて、どうにかしなくっちゃ! と、あせった状態なのです。

She put her future on the line by telling her boss that he was wrong.

「彼女は、自分の上司に間違っていると言ったことによって、(会社での)将来が危うくなってしまった」

これは、あくまでも架空のお話ではありますが、自分の将来をかけても、上司が間違っていると主張した彼女は、あっぱれなものではありませんか!
(そう、「間違っている」と主張しただけで立場が危うくなるなんて、それは、どこかがおかしいのです。)

まあ、あんまり喜ばしい表現ではありませんが、(put ~ ) on the line

よく耳にするものですので、覚えておいて便利なものだと思いますよ。

というわけで、すっかりそれてしまいましたが、今日の英語のお話は、waiting for water to boil

情景が目に浮かんできそうな、生き生きとした表現を中心にまとめてみたのでした。

Happiness is a bovine thing(幸せは牛のため?)

おや、おや、ヘンテコな文章のお出ましです。


Happiness is a bovine thing.  

 
 訳して、


「幸せとは、牛が得意とするものでしょう(牛のためにあるようなものでしょう)」  

 
 この文章の構造は、ごく単純なものですよね。  


 A is B
. つまり「AB である」  


 A
happiness、「幸せ」。  


 B
a bovine thing。  

 
 こちらは、ちょっとくせ者でしょうか。  

 
 形容詞 bovine(発音はボウヴァイン)は「牛の」という意味で、名詞 thing には、「物、事柄、得意とすること」と、いろんな意味があります。  

 
 つまり、a bovine thing とは、「牛の得意とすること」とでも訳せるでしょうか。  

 
 ですから、全体の文章で、「幸せとは、牛が得意とするものである」といった意味になるのです。


 ちなみに、このような thing の使い方には、こんなものもありますね。  


 It’s not my thing
.  


「それは、わたしの得意とすることではない」  


 It’s not my thing
は、どちらかというと「自分は得意じゃないから、そんなことできないよ」と、言い訳に使う場合が多いでしょうか。  

 
 一方 not が抜けて、It’s my thing というのもあります。  

 
 こちらは、「それは僕の得意種目さ!」と、胸を張って自慢する感じになるのです。  

 
 両方ともよく耳にする表現ですので、覚えておいて便利だと思います。


 それから、bovine 「牛の」という形容詞が出てきたところで、ついでに代表的な動物の形容詞を並べておきましょう。

 「豚の」は、porcine(発音はポーサイン)。  

 
 「鳥の」は、avian(エイヴィアン)  

 
 「熊の」は、ursine(アーサイン)  

 
 こういった形容詞が出てくる言葉は、たとえば「鳥インフルエンザ(avian flu)」でしょうか。  

 
 それから、食べ物を求めて山から下りて来た熊さんについて、「人間と熊の接触(human-ursine interaction)」なんていうのもあるでしょうか。  

 
 ちなみに、牛の bovine は、恐ろしい牛の病気「BSE(牛海綿状脳症)」の B の部分を表す言葉です。  

 
 このような動物の形容詞は、生きている動物そのもの(お肉になっていない状態)をさしますので、どちらかというと、医学的・生物学的な表現に使われますね。


 さて、表題の Happiness is a bovine thing に戻りましょう。  

 
 上に出てきたように、「幸せとは、牛が得意とするものである」というわけですが、裏を返せば、こうなるでしょうか。  


「牛に比べて人間は複雑なので、牛みたいに草を食(は)みながら『あ~、幸せだなぁ』なんて、なかなか思えないのさ」

 なんだかとっても含みのあるお言葉ですが、これをおっしゃったのは、イギリス出身のシンガーソングライター、スティング(Sting)さんです。  

 
 インタビュー番組で、こんな話をなさっていたのです。  

 
 1983年、バンド「ポリス(Police)」として活躍していた僕は、次から次へとヒット曲にも恵まれ人気絶頂にあったけれど、ポリスとは決別しようとしていたし、プライベートでは結婚生活もうまくいっていなかったし、僕の中では、幸せなんて感じていなかったんだ。


I was at the)apex of my success, and yet I was not happy. Happiness and success are not necessarily the same thing.  


「僕は成功の頂点に立っていたけど、幸せではなかった。幸せと成功って、必ずしも同じことじゃないんだね」  

 
 そこで、表題の文章「幸せとは、牛さんの得意とするもの」が出てくるのです。  

 
 やっぱり、人間って単純じゃないから、なかなか幸せなんて感じることはできないのさ。


「だったら、あなたは何に幸せを感じるんだろう?」との問いには、簡潔にこう答えていらっしゃいました。  


 The search. We’re here for searching
.  


「探すこと。我々は、探すためにこの世に生きているんだよ」  


 I enjoy the mystery. I embrace not knowing
.  


「僕は世の神秘を楽しんでいるよ。自分が知らないってことを十分に認めているし、それでOKなのさ」  


 I’m here to learn. The point is to learn, to evolve
.  


「僕は学ぶために生きている。大事なことは、学ぶこと。進化することなんだよ」
 う~ん、なんとも深いお言葉ではあります。簡潔な文章の中にも、おっしゃりたいことがギュッと凝縮しているようですね。  

 
 スティングさんは、わたしが大好きなアーティストのひとりですが、さすがに元中学校教師。おっしゃることが哲学的で、宇宙を眺めているような広がりを感じるのです。  

 
 だから、みんなが共感するような歌を次々とつくり出すことができるのでしょうか。  

 
 でも、こうも思うのです。

 
 わたしだったら、緑の丘でのんびりと草を食む牛さんや鹿さんを思い出して、動物になったつもりで、十分に幸せな気分になれますよ!


(う~ん、「幸せな気分」と「幸せ」は違うのかなぁ?)

 


引用インタビュー番組: 公共放送で毎日(月~金)放映中の『Charlie Rose(チャーリー・ローズ)』。 昨年12月10日に放映されたものが、昨日再放送されておりました。


「偶然に観ていて良かった!」と痛感した次第ですが、興味のある方は、『Charlie Rose』の番組ウェブサイトでもご覧になれますよ!

 

イエローストーンの熊さん

前回は『カリフォルニアの熊さん』と題して、「カリフォルニア州の旗」のお話をいたしました。

カリフォルニアの旗には、星とクマさんが出てくるのですが、このクマさんは、他でもないグリズリーベア(grizzly bear)ですよと、ご説明していたのでした。

そう、グリズリーベアは、「熊の王様」ともいえる、立派なクマさん。

大きくなると、3メートルにも達し、威風堂々と灰色に輝く毛皮に身を包んでいるのです。

とはいえ、カリフォルニアではグリズリーは絶滅してしまっている、という悲しいお話もいたしました。

今となっては、カナダやアラスカ、そして、イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)のあるワイオミング、モンタナ、アイダホの辺りに生息しているだけなのです。


このイエローストーン国立公園は、野生のアメリカン・バイソン(American bison)の「最後の生息地」としても有名です。

平原の辺りでは、バイソンがのんびりと群れているのを見かけたりします。
 バイソンは社会動物なので、みんなでかたまって草を食べたり、水浴びをしたりするのです。

園内をドライブしていると、バイソンの行列がノソノソと道を横断してきて、ちょっとした「バイソン渋滞」ができたりもします。
 すぐそばを大きなバイソンたちが通るのは恐くもありますが、バイソンは、元来おとなしい動物。車を見かけても、知らんぷりで通り過ぎて行きます。

すぐお隣のグランドティートン国立公園(Grand Teton National Park)では、川下りに参加したあと、立派な角のムース(moose)がテクテクと歩いているのも見かけました。
「いや~、ムースが見られるなんてラッキーだねぇ」と、ガイドさんにほめられましたっけ。

川下りのゴムボートからは、アメリカの象徴「ハクトウワシ(Bald Eagle)」も見かけていましたので、この日はラッキーな日だったのかもしれません。
 高見から辺りを見下ろすさまは、まさに国の象徴にふさわしい、圧倒的な威厳ともいえるのです。

そんなわけで、ワイオミングやモンタナの辺りでは、豊かな自然が手つかずのまま残っていて、グリズリーベアだけではなく、いろんな動物たちの楽園ともなっているのですね。


そんなイエローストーン国立公園で、つい先日、こんなことがありました。

「グリズリーベアを捕獲するために、わながしかけられた」と。

なんでも、イエローストーン公園内で、59歳の男性ハイカーが亡くなっているのが発見されたのですが、まわりには熊の足跡がたくさんついていて、どうもグリズリーに殺された様子。男性はひとりで行動していたので、目撃者はいませんでした。

検死の結果、彼はグリズリーに襲われた傷で亡くなったことがわかりました。

死因が確認されたあと、すぐにわながしかけられ、もしも捕まった熊が男性ハイカーを殺した熊だとDNA分析で判明すれば、処分する計画だと明らかにされています。

いくら人を襲ったとはいえ、殺してしまうなんてむごいようですが、実は、つい先月も、57歳の男性ハイカーが園内でグリズリーに殺されたことがあったのでした。

このときは、子グマを2匹連れたお母さん熊だったので、ハイカーが近づき過ぎて、子供を守ろうとする母熊を触発したのだろう、と報告されています。

この母熊は「子供を育てる母親で、しかも今まで人を襲ったことがない」ということで、捕獲されたあと、すぐに放されました。

けれども、ふたり目の犠牲者に関しては、この母熊ではないこと以外、詳しい状況がわからないので、「捕獲されれば、すぐに処分」という厳しいお沙汰が下ったのでした。


先の母熊事件は、ハイカーの奥さんがすぐそばで目撃していたという大惨事ではありましたが、実際には、イエローストーンで熊に襲われるなんてことは珍しいそうです。

これが、実に25年ぶりの「遭遇事故」だったそうです。

そして、先のケースも、今回のケースも、ハイカーたちは山奥のハイキングコースで熊に遭遇したのでした。
 普段は、あまり人が訪れないような、「けもの道」みたいなコースです。

実際、二度目の遭遇事故が起きたハイキングコースは、グリズリーが頻繁に姿を見せることで知られていました。
 春先には、冬の間に死んだバイソンを狙ってグリズリーが出没するので、3月から6月は閉鎖されているコース(the Mary Mountain Trail)だそうです。

そんな場所なので、グリズリーも人を見かけてびっくりしたのかもしれません。

このイエローストーンだけではなく、カリフォルニアのヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)、ネヴァダ州との境にあるタホ湖(Lake Tahoe)、そして、カナダに近いワシントン州と、アメリカには熊の密集地帯がたくさんあります。

いずれの場所でも、奥地に分け入るときには、「熊用の催涙スプレー(bear pepper spray)」を携帯するようにと、専門家は警告を発しています。


今年、アメリカやカナダは、全般的に乾燥しているので、山から下りて来た熊と人間が出くわすケースが増えているそうです。食べ物を求めて民家に現れるケースもたくさん報告されています。

遭遇が起きると、ほとんどの場合、殺されるのは熊さんの方。

人が熊を恐れるように、ほんとは熊さんだって人間が恐いのです。できることなら、人に遭いたくないのです。

ですから、熊の密集地帯では、熊さんを呼び寄せないように、人の配慮が必要ですよね。

食べ物やゴミは、頑丈な金属の箱に保管する。
 ハイキングをするときには、「人間が歩いてますよ」と警告を発する意味で、おしゃべりをしたり、歌をうたったり、荷物に鈴を付けておいたりと、できるだけ音を出す。

そして、万が一、熊さんと顔を合わせることになったら、催涙スプレーで我が身を守る。

もちろん、実際に野生動物に遭遇すると、恐怖で身がすくんでしまうことでしょう。けれども、普段、頭のかたすみで予行演習しておけば、少しは助けになるのではないでしょうか。

それが、人が自然に分け入る、最低限のエチケットなのかもしれません。

そして、そんなエチケットを守れば、旅だってもっと楽しくなるのでしょうね。

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