サンフランシスコの風を読む
- 2013年10月10日
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ご存じのように、サンフランシスコという街は港で栄えたところなので、海とは切っても切れない縁があります。
海には、いつも風が吹き、波が立ち、潮の流れがあります。
でも、今までは、風や波、潮の満ち引きにこれといって注意を払ったことはありませんでした。
ただ、「なんとなく今日は波が高いなぁ」とか「今は潮が満ちているなぁ」と漠然と思うだけ。
それが、先日ご紹介したヨットレース「アメリカスカップ」をテレビで観ていただけで、風や波の変化にも気を配るようになりました。なぜなら、同じコースでレースをやっていたのに、一日たりとも「同じコンディション」ということがなかったからです。
穏やかなサンフランシスコ湾に見えても、風が強くて、アメリカスカップの練習中にヨットが転覆したこともあります。不幸にも、スウェーデン・チームのメンバー(イギリス人のアンドリュー・シンプソン氏)が亡くなっています。前年、アメリカ・チームのヨットが大破したこともあります。
逆に、風が弱過ぎてスピードが出ず、レースが無効になったこともあります。いつもは30分とかからないレースコースで、制限時間の40分を越えてしまったからです。
そして、風の吹く方向が悪くて、レースが中止になったこともあります。220度近辺の風を待っていたのに、いつまでも190度だった・・・と、暗号のような説明をしていました。
通常、サンフランシスコ湾には、西から東に風が吹いています。
西は外海の太平洋、東は内海のサンフランシスコ湾。風は、太平洋からゴールデンゲートブリッジ(金門橋)のかかる金門海峡(the Golden Gate Strait)を通って吹いてきます。
とくに夏は、東の内陸部の気温が高くなり、上昇気流が激しくなるので、この暖気団に向かって太平洋から冷たい空気が勢いよく流れ込み、サンフランシスコ湾にも風がバンバン吹くようになります。
でも、湾に吹く風は、狭い金門海峡をくぐらなければなりません。ですから、狭い海峡をくぐった風は、もともと複雑な地形の湾では、予測できないくらいに動きまわるのです。
そして、9月に入ると、内陸部の気温が低くなり始め、上昇気流もそれほど激しくなくなるので、風のない日も出てきます。
「アメリカスカップ」が開かれたのは、まさに、その移行シーズン(transition season)。ですから、晴れ上がって風が安定しているときもあれば、曇って無風状態のときもあるし、さっきまで晴れていたのに、急に霧が出てきて、風の流れが変わることもある。
なんでも、ヨットレースのチームには、専属の天気予報士が張り付いていて、明日のお天気は? なんて悠長な話ではなく、それこそ「10分後の天気と風は?」といった「今(now)」を予測していたそうです。
だから「weather forecasting(天気予報)」ではなく、「now-casting(ナウ・キャスティング)」なんだとか。
ヨットを動かす燃料は、風。その風を自分の味方に付けるためには、コースのどこをどうやって走るのか、天気予報士のインプットが重要になってくるのです。
(オラクル・チームUSAの天気予報士、クリス・ベッドフォード氏の談話を参照)
ま、船に乗らないかぎり、そんな詳しいことまで知っておく必要はありませんが、サンフランシスコのお天気で気をつけなければならないこと。それは、「真夏は天気が悪い!」ということでしょうか。
そうなんです、真夏の7月、8月は霧がかかりやすく、肌寒くなりますね。
街を歩いていても、目の前は白くぼんやりしているし、冷たい霧の粒が顔に当たったりするので、カッと照りつける夏の太陽が恋しくなってしまうのです。
この時期にゴールデンゲートブリッジの辺りに行くと、太平洋の方から急に霧がかかり始めて、寒い思いをすることがあります。今までカラリと晴れていたのに、一転して「真っ白の闇」になったりするので、ジャケット(もしくは防水ウィンドブレーカー)は必需品でしょうか。
だいたい真夏にいらっしゃる方は、「霧で肌寒い」という言葉を信用できずに軽装でいらっしゃって、後悔する傾向にありますね。だから、観光地のショップでは厚地のスウェット(San Franciscoのロゴ入りのもの)が人気商品となるのです。
逆に、9月から10月上旬は、街は「インディアン・サマー(Indian Summer、秋口にやって来る夏)」となりますので、観光にはお勧めの季節となります。
そして、11月になると、そろそろ雨季に入って雨の日も多くなるし、風も、西の太平洋からではなく、東の内陸部から吹いてくることもあるのです。
というわけで、サンフランシスコの風。
船は苦手なわたしだって、一度くらいは、サンフランシスコ湾で船遊びをしてみたいと思うのです。まあ、ちょっと難しいかもしれませんが・・・。
いえ、港街で育ったわたしには、小さい頃、嵐の海原に船で乗り出し、木の葉のように波にもまれた経験があるんです。
だからこそ、海の恐さは知っているつもりですし、漁師さんや船乗りさん、海のスポーツにチャレンジする方々を尊敬してしまうんです。
海原にひとりでいると、突然、自分のすべてをコントロールできるようになる。そう、自分自身の運命をコントロールしてるんだ。
When you are out there on your own, all of a sudden you are in complete control. You are in control of your own destiny.
(Excerpted from the interview with Sir Ben Ainslie by Neil Tweedie, The Telegraph, October 2nd, 2013)
これは、「アメリカスカップ」でオラクル・チームUSAの逆転優勝に貢献された、ベン・エインズリー卿の言葉です。
海原に乗り出し、風を読み、自分の運命をあやつる。ヨットというものは、そんな厳しいスポーツなのでしょうか。
風をうけると、グググッとマストがきしむ。まるで貨物列車みたいな重い響きは、自分を支えてくれている聴診音なのかもしれません。
先日、ライフinカリフォルニアのセクションでは、『ヨットっておもしろい!』と題しまして、「アメリカスカップ(America’s Cup)」というヨットレースのお話をいたしました。
スポーツトロフィーとして世界最古(!)という伝統があり、ヨットレースとしても世界最高峰とも呼べる、スリリングなスピード競技です。
今大会は初めてサンフランシスコで開かれ、しかも、優勝カップの激しい争奪戦となり、ヨットには乗ったこともないわたしも、いつしか夢中になってしまったのでした。
連日、そんなスリル満点のレースをテレビで観戦していて、ひどく耳に残った言葉がありました。
それは、こちら。
Expect the unexpected
直訳すると、「予期できないようなことを予期しておきなさい」
最初の Expect は、「~を予期する」とか「~を期待する、予想する」という他動詞。
で、何を期待しておくのかというと、 the unexpected つまり「予想もつかないようなこと」。
ですから、Expect the unexpected とは、
「予想もしないようなことが起きることを心しておきなさい」
つまり、「これから何が起きるかわかりませんよ」という忠告ですね。
The unexpected actually happened
だって、アメリカのオラクル・チーム(Oracle Team USA)が、ニュージーランド・チーム(Emirates Team New Zealand)に大きくリードされ、優勝カップにあと一勝と「王手」をかけられていたのに、そこから8連勝して、大逆転優勝を遂げたのですから。
崖っぷちに立たされながらも、次々とレースに勝っていくオラクル・チームを目の当たりにして、解説者がもらした言葉。それが、
Expect the unexpected
勝負はやってみなければわからない。予想を裏切られるのは、世の常なのです。
そして、この解説者が心の底からしぼり出した、もうひとつの言葉がありました。
それは、こちら。
The race is predictably unpredictable
レースは、予測されるとおりに予測不能である
A is B のシンプルな構文ではありますが、B にあたる unpredictable「予測不能である」という形容詞に、predictably「予測されるように」という副詞が付いています。
なんとなく矛盾する言葉をつなげたようではありますが、predictably unpredictable というのは、「(レースというものは)みんながよくわかっているとおりに、予測なんてできないよ」といった感じでしょうか。
こちらも、「レースには何が起きるかわからない」と、勝負事の真髄を付いた表現なのではないでしょうか。
「試合をする前から、(どっちが勝つとか)結果を思い描いてはいけないよ」という警告でもあるでしょうか。
そして、このアメリカスカップのレースを観ていて、もうひとつ印象に残った言葉がありました。
それは、レースの最終日。優勝ゴールを目前にして、オラクル・チームのヨットから聞こえてきた掛け声。
(Photo of Race 19 at Gate 1 by D. Ross Cameron, the San Jose Mercury News, September 26, 2013)
ごくシンプルに、
Work your arses off!
リードしていたって、気をたるませることなく、最後までゴールに向かって突進するぞ!
そんな風に、チームのみんなを鼓舞する掛け声です。
で、印象に残ったのは、arses (米語で ass、お尻)という言葉。
実は、こちらは放送禁止スレスレの言葉なんですが、生中継だったのでどうすることもできませんでした。
かわいそうに、困った解説者は、こう言い繕(つくろ)います。
As commented by Mr. Ben Ainslie…
まさに、ベン・エインズリーさんがコメントしたように・・・(笑)
いえ、「お尻」を言い換える婉曲語はあるんですよ。
たとえば、こう言えば、放送にはまったく問題ありません。
Work your butt off!
懸命にがんばって働け!
こう言ってもいいかもしれません。
Work your tail off!
力をふりしぼってがんばれ!
でも、懸命にゴールに向かっているクルーにとっては、いちいち言葉を選んでいる余裕なんてありません。
だって、とにかく相手より先に、ゴールを切りたいんですから!
そんなわけで、ちょっとした放送スレスレ用語も許してあげましょうと、みなさんも大いに納得したことでしょう。
ちなみに、この work one’s butt (tail) off という慣用句は、よく使われるものですので、覚えておくと便利だと思いますよ。
We worked our butt off to achieve the goal
ゴールを達成しようと、わたしたちは懸命に働いた
ま、上品に「お尻」と言おうと、ちょっと下品に「ケツ」と言おうと、「懸命に働く」ときには、お尻が登場することを覚えておきましょう。
おっと、またまた話がそれてしまいましたが、今日のお題はこちら。
Expect the unexpected
何かしら思いもよらないことが起きるだろうと、心しておきましょう。
ま、勝負事に限らず、それが人生というものなのかもしれませんね。
付記: アメリカのオラクル・チームUSAの大逆転優勝には、上に出てきたベン・エインズリー卿の功績も大きいと言われています。
イギリス人の彼は、オリンピックのヨット競技で5回連続してメダル(うち4個は金)を獲得した方だそうですが、今回のアメリカスカップでは、第6レース以降、前任者に替わりタクティシャン(攻略担当)を務めました。
ヘルムスマン(操舵手)ジェイムズ・スピットヒル氏とストラテジスト(戦略担当)トム・スリングズビー氏(写真、ともにオースオトラリア人)と3人で、実に見事にチームを守り立て、逆転優勝に導いたようにお見受けいたします(アメリカ・チームの11人のクルーのうち、アメリカ人は2人だけというコスモポリタンな顔ぶれでした)。
ちなみに、本文最後のサンフランシスコの航空写真は、市を西から眺めたもので、アメリカスカップは、赤い(左の)ゴールデンゲートブリッジと(右の)ベイブリッジ間のサンフランシスコ湾で行われました。
それから、話題となった「お尻」に関しては、ちょうど5年前に『お尻が痛い?』と題しまして、お尻の婉曲語などをご紹介しております。
「お尻」のお話は後半部分に出てきますが、偶然にも、前半部分ではオラクル社(オラクル・チームUSAのオーナー、ラリー・エリソン氏が設立した会社)がちょっとだけ登場しています。
ヨットっておもしろい!
- 2013年09月30日
- Life in California, アメリカ編, 歴史・習慣
「ヨットっておもしろい!」なんて言われても、何のお話だろう? と思われる方も多いでしょう。
つい先週までは、わたしだってそうでした。だって、ヨットには一度も乗ったことがありませんので。
でも、そのわたしが、ヨットの虜(とりこ)になってしまったのです!
つい先日までサンフランシスコで開かれていた、「アメリカスカップ(America’s Cup)」というヨットレースに夢中になってしまったのでした。
「カップ(Cup)」というのは優勝杯のことですので、「アメリカス杯」とも呼べる世界最高峰のヨットレースです。
ま、ヨットレースと申しましても、普通のヨットを思い浮かべてはいけません。
こんな風に、白い帆を広げて海に繰り出すヨットのことではありません。
「アメリカスカップ」で使われるのは、まったく異次元(!)のヨットなのです。
第一、とってもでかい。
長さは72フィート(船体22メートル)、幅は48フィート(15メートル)で、11人乗りなんです。
基本的に「カタマラン(双胴船、catamaran)」なので船体がふたつくっついた形をしているのですが、船体も大きいなら、セイル(帆、sail)もでっかい。
飛行機の翼みたいなウィングセイルは、40メートルもあって、13階建てのビルほど高いらしいです。
ですから、クレーンで持ち上げて取り付けるのです(写真は、イタリアとニュージーランドのチームが使用したクレーン)。
そして、びっくりなんですが、船体(ハル、hull)は、海から浮き上がって走るんです!
そうなんです、風に乗って最高速で走るときには、船腹は海面にタッチしないんです。
なんでも、重い船体が水の中にあると、水の抵抗で遅くなってしまうので、「ハイドロフォイル(hydrofoil)」という水中翼を付けて、船体を浮かせて走るんだとか!
(Photo of Oracle Team USA by Dan Honda, the San Jose Mercury News, September 27, 2013)
まあ、そんなヨットって、見たことないでしょ?
この巨大なヨットが、サンフランシスコ湾を練習航行しているところを遠くから眺めたことがあるんですが、驚くほど大きいし、とっても速いんです。「あ、写真を撮ろうかな」と思ったら、瞬く間のうちに視界から消えてしまいました。
だって、トップスピードは時速50マイル(80キロ)。車ほど速いのですから。
で、どうしてこのヨットレースに夢中になったのかというと、ひとつに、地元のサンフランシスコ湾で開かれていたから、ということもあるんです。
1851年から続いている「アメリカスカップ」は、なんでも、世界最古のスポーツトロフィーだそうですが、サンフランシスコで開かれたのは、今回の第34回大会が初めて。ですから、こんな伝統のある国際レースを身近に感じられるのは、光栄なことなのです。
でも、それだけではなくて、ドラマチックなレース展開となり、連日繰り広げられる攻防から目を離せなくなってしまったのでした。
優勝を決める本戦は、予選を勝ち抜いた「エミレーツ・チーム・ニュージーランド(Emirates Team New Zealand)」と、前回大会(3年前にスペインで開催)の覇者「オラクル・チームUSA(Oracle Team USA)」との間で行われました。
そう、ニュージーランドとアメリカの一騎打ちです。
アメリカ側の「オラクル」というのは、シリコンバレーにある企業向けソフトウェアの大御所で、創設者のラリー・エリソン氏は、自他ともに認める「ヨットフリーク」。
自分の財をバンバンとつぎ込んで、「最高のヨット」を目指します。
(Photo of Race 11 by D. Ross Cameron, the San Jose Mercury News, September 19, 2013)
が、いきなりオラクルは、本戦が始まる前から「マイナス2ポイント」でスタートです。昨年の予選競技で、ヨットに違反の錘(おもり)を付けたペナルティーが課せられたのです。
実際にレースが始まっても、文字通り、なかなか波に乗れないオラクル・チーム。
初日(9月7日)から一週間半、11レースが終わってみると、なんと、8ポイント対1ポイント(3勝に2ポイント減点)で崖っぷちに立たされます。
そう、あと1ポイント(1勝)取られると、優勝杯は即ニュージーランドへと持って行かれるのです。
ニュースでオラクルの「背水の陣」を耳にしたわたしは、だったら、ニュージーランドが優勝する瞬間を見てみましょうかと、そこからテレビでレース観戦を始めたのでした。
よく晴れた木曜日(9月19日)、第12レースが開かれ、ここではオラクルが快勝します。
(Photo by Karl Mondon, the San Jose Mercury News, September 20, 2013)
ああ、やっと一勝して8対2ポイントになったけれど、明日はもうダメかな?
でも、ここからドラマが始まるのです!
翌日(9月20日)、風のない、どんよりとしたお天気。たれ込める雲が水面にくっつきそうな、すっきりしないコンディション。
この第13レースでは、ニュージーランドが勝者となるのですが、なんと、制限時間の40分を越えてしまったので、レースが無効となってしまうのです!
そう、風がないのでスピードが出ずに、タイムオーバー。
その後、風が出てきて再度トライした第13レースでは、オラクルが快勝。ここで8対3ポイントと、ちょっとだけ盛り返します。
その翌日の土曜日(9月21日)、午前中の大雨はあがったのに、レースは中止となりました。ちゃんと風はあったのですが、なんでも、吹く方向が悪かったとか!
ヨットにとっては、風が命。強過ぎても危なくてダメだし、弱過ぎても制限時間を越えるからダメだし、方向が悪くてもレースにならないからダメだし、同じ場所でやっていても、毎日コンディションが違うんです。
翌日の日曜日(9月22日)は、晴れ上がったグッドコンディション。
ここでオラクルは2勝して、8対5ポイントと盛り返します。
そして、翌日(9月23日)の第16レース。風を待って30分遅れのスタートとなりましたが、またオラクルが快勝するのです。
(Photo by Jim Gensheimers, the San Jose Mercury News, September 24, 2013)
おっと、ここで8対6ポイントと、じりじり追い上げています。
波に乗るオラクルは、もう一レースしたかったのですが、ニュージーランドはさっさと岸に向かって帰って行きます。
現地ルールの「遅くとも午後2時40分スタート」を守るためには、30分の休憩が20分になってしまうので、「それはイヤだ!」とつっぱねたのでした。
仕方がないので、翌日の火曜日(9月24日)に持ち込まれた第17、18レースは、オラクルが快勝します。
17レースでは、スタート前に2艇が接触するハプニングがあり、この場で2つペナルティーが課せられたニュージーランドは、数秒間「停止」させられました。
ひとたび「エントリー」ラインを越えたら、「スタート」を切る前に熾烈な駆け引きが始まっているのです。
18レースでは、ニュージーランドが大きくリードしていたのに、向かい潮の第3レッグ(湾を東から西に走る向かいの海流)で、オラクルがグイッと追い抜き、そのまま逃げ切ったのでした。
アルカトラズ島に向かってハイドロフォイル(水中翼)で猛突進したオラクルが、島近くのターンで、うまく相手をかわしたのでした(写真は、テレビ中継のCG解説)。
一週間前には、8対1ポイントでニュージーランドの「王手」がかかっていたのに、いつの間にやら、8対8の同点になっています。
そして、迎える最終日(9月25日)。天下分け目の決戦です。
よく晴れ渡り、風もあるグッドコンディション。
いいスタートを切ったニュージーランドがリードしたあと、追い付いたオラクルと何回も交差しながら、抜きつ抜かれつの攻防戦。
でも、やっぱり第3レッグの後半で、水面を飛んで行くオラクルに引き離されてしまいます(写真は、第3ゲートを回り、追い風の第4レッグに臨むオラクル・チーム)。
そのままリードを広げていったオラクルが先にゴールを切り、その場で、優勝を決めるのです。
そう、崖っぷちから8連勝(!)して、大逆転を遂げたのでした。
そんなわけで、この第34回大会は、「アメリカスカップ」史上、一番長く(19レース)、一番スリリングな本戦となったのではないでしょうか。
だって、ヨットについて何も知らないわたしが夢中になったくらいですから、世界中で何百万の人たちが「にわかヨットファン」になったと思うんですよ。
それで、どうしてかなと考えてみると、これほど自然と技術と人の力が融合されたスポーツは珍しいからではないでしょうか。
だって、どんなにコンピュータ技術を使って精密にセイルを動かそうと、風がなければ前に進まないし、前に進んで風の向きやスピードが刻一刻と変わっていくと、その変化を「読み」セイルや船のバランスを調整しているのは人間の力なんですからね。
最終戦でオラクルがゴールを切ったときには、パチパチとテレビに向かって拍手を送っていたわたしですが、破れたニュージーランドの操舵手が涙を流しながら舵を取っているのを見て、ハッとしたのでした。
レースですから勝敗はつくものの、両チームが繰り広げたスリリングなドラマには、みんなが感謝しないといけないんだなと。
(Photo of Race 19 by Karl Mondon, the San Jose Mercury News, September 26, 2013)
付記:「地元」とも言えるサンフランシスコ湾で開かれたレースなのに、現地に行かずにテレビ観戦していたのには、わけがあるのです。ヨットレースって、テレビで観ていないとわからないんですよ。
第一、陸上競技みたいにトラックが敷かれているわけではなくて、「ゲート」を何回かターンするざっくりとしたレースコースなので、とくに向かい風になると、風を探して(向かい潮を避けて)領域内をジグザグに(タックしながら)走るんです。すると、ちょっと見ただけでは、広い海原でどっちが先頭を走っているのかわからないんですよ。
ときどき2艇が交差して違った方向に走って行くので、「ちょっとあなたたち、いったい何に向かって走ってるのよ!」と叫びたくなることもあるのです。
だから、そんな「素人さん」のために、今回のテレビ中継では、各ヨットに4台ずつ小型カメラが取り付けられ、横からは並走の船、上空からはヘリコプターが撮影しています。
航空映像になると、バーチュアル(仮想)の線がピッと出てきて、どっちが何メートル先を行っているのか、懇切丁寧に解説してくれるのです(ちなみに、こちらの写真では、右側のオラクル・チームのスピードは41.7ノット。時速77キロです!)。
そして、ヨット上の映像になると、ビヨッと水中翼が伸びて、船体が上がる様子もわかるし、「よし、これからジャイブするぞ! 3、2、1、行くぞ!」という指示に従って、みなさんがこまめに動く様子もよくわかるのです(え~っと「ジャイブ(jibe)」というのは、追い風(downwind)で進んでいるときに、船尾を動かしてセイルが風を受ける方向を(たとえば右から左にと)シャキッと変える技だそうです・・・いえ、間違っていなければの話ですが)。
ま、それにしても、船は苦手なわたしが、喜々としてヨットを語るなんて、夢にも思わなかったです!
チームのみなさん、裏方のみなさん、ご家族や大会関係者のみなさん、どうもありがとう!
日本の青年: シリコンバレーに挑戦!
- 2013年09月25日
- 業界情報
Vol. 170
日本の青年: シリコンバレーに挑戦!
今月は、新製品リリースを期待されていたアップルが、iPhone7代目となる「iPhone 5s」とカラフルな廉価版「iPhone 5c(写真)」を発売する目玉ニュースがありました。
が、ちょっと趣向を変えまして、起業に関するお話をいたしましょうか。
第1話では、シリコンバレーで起業に挑戦する日本人の青年、第2話では、シリコンバレーと日本の起業に対するメンタリティーの違いをお話しいたしましょう。
<高橋さんとAppSocially>
9月の第一週、東京で青年起業家とお会いする機会がありました。
彼の名は、高橋雄介さん。慶応大学・湘南藤沢キャンパスで博士号(政策・メディア)を取られているので、Dr. Takahashi とお呼びした方がいいのかもしれません。そう、コンピュータやインターネットと難しいことの専門家です。
でも、そんな経歴とは裏腹に、投資家とのミーティングが長引き、約束の時間にちょっと遅れて麻布十番の鉄板焼き屋に現れた高橋さんは、自分の会社 AppSocially (アップソーシャリー)のロゴ入りTシャツに、水玉模様の短パンと、ごく軽快ないでたち。
おまけに、「これは僕のオフィスです」と称する大きな黒いバックパックを背負い、つい「これからご旅行ですか?」と声をかけたくなるような、カジュアルな雰囲気。
このオフィス代わりのバックパックには、アップルのノートパソコン、iPad、iPhoneがそれぞれ複数台入っていて、どこでも仕事ができる態勢です。自転車の実業団チームで鍛えた脚力で、どこにでも身軽に参上するのです(写真は、高橋さんと起業支援家デイヴ・マックルー氏)。
それで、高橋さんのスゴいところは、シリコンバレーに居を構えて、サービス展開に挑戦しているところ。分野は、「Growth Hacker(グロウス・ハッカー)」と呼ばれる新手のフィールドです。
「ユーザ獲得担当者」とも訳されるGrowth Hackerのお仕事は、ユーザをより多く獲得することで、会社の成長(growth)を助けること。
「ハッカー」なんて穏やかな名前ではありませんが、なんでも、企業は良い製品やサービスをつくるだけでは不十分で、その製品自体に成長の仕組みを入れておいて、ひとたび製品をリリースしたら、さまざまな成長要因を技術的に実践(ハック)していくというのが、Growth Hackerの役割と存在価値なんだそうです(高橋さんが書かれた記事を参照。こちらをお読みになると、詳細がわかります)。
このGrowth Hackerのひとつの手法として高橋さんが起業したのが、AppSocially。
FacebookやTwitter、メールやSMS(ショートメッセージ)、そして大人気のLineと「ソーシャル」を利用して友達に勧められる仕組みを導入して、アプリユーザを増やしましょう! という成長を狙ったプラットフォームです。
たとえば、どんな「お勧め」を友達に送ったら効果的かと、ダッシュボードで視覚的に分析できたりと、アプリ開発者にとってはユーザ獲得の手助けとなる味方なのです。
アプリ開発者だけではなく、慈善団体や政治団体と「仲間をヴァイラルに(口コミで)増やしたい」組織には、うってつけの仕組みとなっています。
高橋さんの名刺の裏側には、「アプリの広め方がヘタクソだよ(You suck at app distribution)」とスゴいメッセージが掲げられているのですが、「広めるためには、インテリジェンスが必要だよ」といった信念が、根底にあるのではないでしょうか(実際に、この絵のようなサングラスをフランスのデザイナーにつくってもらって、コンベンション会場で配ったこともあるとか!)。
これまでは、日本のリクルートやエキサイト・ジャパンと大企業と協業してきましたが、間口を広げて、アプリ開発者に向けてサービスを展開しようと、シリコンバレーのど真ん中、マウンテンヴュー(Mountain View、グーグルが本社を置く街)で会社を起こしました。
この起業のチャンスを与えてくれたのが、500 Startups(ファイヴハンドレッド・スタートアップス)というインキュベータ(incubator、起業支援者、「アイディアの卵を孵化させる孵化器」の意)。
シリコンバレーでは、先輩格の Y Combinator(ワイ・コンビネータ)と並び称されるインキュベータで、彼らの「アクセレレータ(The 500 Startups Accelerator)」と呼ばれるプログラムに選ばれました。
世界各地から応募してきた起業アイディアを厳選し、起業するための資金(seed money、シードマネー)や場所、メンター(mentor、業界の先輩)による緻密なアドバイスを提供し、アイディアの種をビジネスに育てていく。そんな起業プログラムです。
高橋さんの AppSocially が選ばれたのは、5月に結果発表された第6期(Batch 6)。
日本からは、もう一社WHILL(ウィル、未来型車いすで歩行障害の克服を目指す)が選ばれています(さらに、Undaというビデオメッセージング・サービスは、メキシコと日本の方のコラボのようです)。
この二社に加えて、世界各国(イスラエル、インド、ヨルダン、ガーナ、アメリカ、チリ、ヴェトナム、スイス、ブラジル、台湾、メキシコ、ウクライナ)から27社がプログラムに参加しています。
もちろん、これに選ばれるところから試練ではあるのですが、高橋さんは、こんなエピソードを披露されました。
自分が暖めているアイディアを試すためには、とにかく話を聞いてもらって感触を得たい。だから、500 Startupsの設立パートナーであるデイヴ・マックルー氏のもとには、連日、若者たちが集まり、5分でも彼の時間を割いてもらおうと涙ぐましい努力をする。
あるときは、デイヴが空港に向かうタクシー代を払って、タクシーの中で話を聞いてもらった人がいた。
また、あるときは、デイヴが出かけてしまったあとに「僕はデイヴさんのマッサージをしに来ました」とマッサージ師が現れ、彼が不在ならと、そこにいた人たちのマッサージを始めたことがあった。
マッサージがヘタクソなわりに、やたらシステムに詳しいので事情を聞いてみると、自分のアイディアを聞いてもらいたくてマッサージ師になりすました、という裏があった(せっかくマッサージ台に「投資」したのに、そのときはデイヴをミスる結果となった・・・)。
そう、アメリカで起業する若者は、自分の尊敬する人に話を聞いてもらおうと、同じビルに机を置いてみたり、彼(彼女)が出没する場所に出かけてみたりと、積極的にアプローチする人も多いようです。
今年1月号・第2話「サンフランシスコに集合!」でもご紹介していますが、起業のアドバイスや投資家の紹介などを期待しつつ、先輩との遭遇を試みるのです。
ビルのエントランスで見かけたら、サッと一緒にエレベータに乗り込み、上階に向かう短い時間で、自分のビジネスプランを聞いてもらう。だから、コンパクトに、見出し程度にまとめたプランを「エレベータ・ピッチ(elevator pitch)」とも呼びますね。
このエレベータの遭遇で有名だったのが、故スティーヴ・ジョブス氏。「なかなかいいアイディアだねぇ」と褒められたり、「きみたちの方向は間違っているよ」と叱責されたりと、狭いエレベータの中はスリル感で満ちあふれていたとか。
このように、先輩との「遭遇」は大切なものですが、500 Startupsのような起業プログラムでは、メンター(アドバイスをくれる業界の先輩)の体制が整っていて、彼らの助言や理解、ときに批評が、成長の鍵ともなっているようです。
メンターの方も、「僕は忙しいんだ」と面倒くさがることもなく、連絡ひとつでアドバイスをしに来てくれるとか。
そんな環境にいる高橋さんがおっしゃったことが、とても印象に残りました。「シリコンバレーに住み、いろんな人と出会って、話をしているうちに、子供の頃に読んだ絵本を思い出しました」と。
それは、地獄と極楽を説いた仏教のお話。地獄を訪ねてみると、長いテーブルにずらりとご馳走が並んでいて、いざ食べようとすると、手に持っていた箸が急に伸び始める。我先に食べようと皆がもがいても、箸が長過ぎて、誰も口に運ぶことができない。
ところが、極楽に行ってみると、箸が伸びても誰もあわてることなく、こちら側の人は向こうの人に食べさせ、あちらの人もこちらの人に食べさせ、皆が満足している。
この説話のように、シリコンバレーは「性善説」で動いているような気がすると、高橋さんはおっしゃいます。起業というアドベンチャーに向けて、皆が助け合う環境がしっかりと整っていると。
東京からアメリカに戻るときには、ロスアンジェルス空港から入国し、ハリウッドのメディアの牙城を訪ねるとおっしゃっていましたが、バックパックを背負った青年起業家は、今日はどちらにいらっしゃるのでしょうか?
付記: 高橋さんとお会いしたのは、インタビューのためではなく、あるビジネスディナーにお邪魔したからでした。
この『シリコンバレー・ナウ』シリーズのスポンサーでもあるKii(キイ)株式会社の代表取締役会長・荒井真成氏から「シリコンバレーで起業した、おもしろい青年がいる」と伺い、興味津々で麻布十番に出かけたのでした。
なんでも、協業を打診したKiiに対して「今は時期尚早」と丁重に断られたあとの会談だったそうですが、「荒井さんの本(不肖わたくしが執筆を担当した『世界シェア95%の男たち』)を読みましたよ。そんな先輩の方に時間をとってもらって光栄です」と高橋さんが言えば、「Kiiの協業を断ったビジネス決断は、素晴らしいものだった!」と褒めて返す。そんな興味深い会談ではありました。
それにしても、おふたりともシリコンバレーに自宅があるのに、麻布十番で(高橋さんの奥方が苦手な)しいたけの鉄板焼きなんぞをつっついていらっしゃるとは、まさに「太平洋をまたぐビジネスマン」とお見受けいたします。
<資金調達も起業のうち>
と、ここまで、シリコンバレーに挑戦する日本人起業家をご紹介したわけですが、高橋さんに習って、「成功したいならシリコンバレーにおいでよ!」と主張しているわけでは決してありません。
なぜなら、日本で起業しても、成功の種はいくらでもころがっているはずですから。
ただ、シリコンバレーと日本を比べると、起業に対するメンタリティーが違っている点も多々あります。その最たるものは、起業資金。
シリコンバレーの場合は、自分の財産を投入してビジネスをスタートすることはまれです。スタート資金(seed money、シードマネー)は、誰からか調達します。
高橋さんのケースのように起業プログラムだったり、エンジェル(angel)と呼ばれる個人投資家(成功を治めた業界の先輩)だったり、ベンチャーキャピタリストだったりと、誰からか出してもらうのです。
いえ、「自分のお金がもったいない」とケチっているわけではなくて、人から調達するのもビジネスの一環なのです。
だって、お金を調達するには、「出してちょうだい」と誰かを説得しなければならないでしょう。自分のアイディアを論理的に相手に伝え、なおかつ、どれだけ魅力的なものかとアピールしなければならない。
そういった相手と対等に渡り合う話術や手法は、ビジネスを行う上で最も基本的なことであり、起業は、ここから始まるのです。
おまけに、海千山千の投資家(ベンチャーキャピタリストやエンジェル)を相手にすることで、ほんとに自分たちが生き残るチャンスはあるのか? もし望みがあるとしたら、今の自分たちに欠けている点は何なのか? と、重要な示唆を得る絶好の機会ともなることでしょう。
この資金調達のプロセスで、一回投資家に蹴られたからって、あきらめることはありません。彼(彼女)にコケにされた分、次の投資家に会うときには、欠けていた部分を取り込んで、自分たちのプランを魅力的なものにすればいいのです。
次の投資家もダメ、次のもダメ。そんな失敗を繰り返しているうちに、ようやく起業までこぎ着けたのが、オンラインショップ・アマゾン(Amazon.com)の創設者ジェフ・ベィゾズ氏(昨年12月号でご紹介)。
「インターネットってこんなものです」と基礎的な説明から入らなければならない時代でしたが、今はもう、アメリカの代表的企業となっています。そして、ベィゾズ氏自身は、アメリカで最も信頼のおける新聞ワシントン・ポスト紙の個人オーナーともなりました。
それで、残念ながら、シリコンバレーのような起業が盛んなアメリカの地域に比べると、日本では資金を調達するのは難しいのかもしれません。が、だんだんとベンチャーキャピタルやエンジェル、そしてベンチャーに出資する企業が増えているのも事実ではないでしょうか。
ただ、ここで起業する側が留意すべき点は、資金提供者(個人なり機関投資家なり企業)は、単なる「金貸し」ではなく「投資家」であるべき、ということかもしれません。
そう、一定の金利でローンを貸し出す「金貸し」ではなく、起業家を支援することは投資の一環であると理解する「投資家」であるべきなのです。
前者には「ともに成長しよう」という意識は薄く、後者は「あなたに出資するからには、あなたの成長を助け、めでたく成功のあかつきには、ありがたく見返りをいただきますよ」という投資の原則によって動いている(この「投資」に対する考えの違いは、銀行(banks)と投資銀行(investment banks)のクライアントに対する姿勢の違いにも表れているのかもしれません。後者は「あなたを儲けさせてあげるから、わたしにも分け前(手数料)をちょうだいね」という利益共有(Win-Win)の原理で動いています)。
だからこそ、ひとたび投資家が出資を決めたら、資金提供にとどまらず、ビジネスアドバイスをしたり、協業できるパートナーを紹介したりと、有形・無形の支援をしてくれるのです。
今年4月号・第2話「シリコンバレーという土壌」でもご紹介しているように、投資家は「コーチ」という重大な役割を担っているのです。
そして、起業家がビジネスを成功させるためには、単にシードマネーを調達して試作品をつくり(seed round、シードラウンド)、次の資金調達で本格的にビジネスを展開する(Series A round、シリーズAラウンド)ばかりではなく、そこから大きく「スケール(scale、拡大)」しなければなりません。
最初は仲間数人と徹夜でガリガリとやっていた「家内工業」を、どうにか「オートメーション化」して、手間ひまかけずに懐にザックザックと小判が入ってくる仕組みをつくりあげなければならないのです。
もちろん、この成長(growth)が最も難しい段階であり、よっぽど突発的にヒットしないかぎり、なかなかうまく運ばないのが世の常ではあります。
が、そんなときに助けてくれるのが、資金提供者であり、社外アドバイザーであり、ときには業界に築いたお友達の輪だったり、上述の高橋さんのGrowth Hackerサービスみたいな工夫だったりするのではないでしょうか。
というわけで、起業や資金調達のお話をしてみましたが、シリコンバレーのメンタリティーは、日本とはちょっと違っているみたいです。
夏来 潤(なつき じゅん)
ワンちゃんだって家族でしょ?
- 2013年09月23日
- エッセイ
8月の終わりから9月初めにかけて、日本に2週間滞在いたしました。
8月末、列島に上陸した台風が過ぎ去ると、実家のあたりは涼しい秋風が吹くようになりました。が、東京に戻って来ると、まだまだむし暑い!
なんとなく、昔に比べて、だんだんとむし暑く「亜熱帯」になっているようではありませんか?
さすがに、「中秋の名月」も「秋分の日」も過ぎたので、少しは過ごしやすくなったのではないかと思いますが、さて、ここで夏の思い出などをつづってみましょうか。
これは、8月中旬、東京に出張した連れ合いが体験したお話です。
真夏の太陽が照りつける午後、東京・六本木の「けやき坂」を歩いていました。
外資系のオフィスが集まる六本木ヒルズや、高層マンションやブティックが建ち並ぶ、けやきの緑が美しい、快適な散歩道です。
あ~、暑いなぁ、暑がりの僕は、真夏は苦手だなぁ、と汗をふきふき歩いていると、道路を隔てたあちら側の歩道を、小動物を連れた女性が歩いています。
どうしたわけか、その4本足の動物は、ヒョコッ、ヒョコッと足を上げながら、奇妙な歩き方をしています。
あの小動物は、いったい何だろう?
よ~く見てみると、どうやら小さなワンちゃんのようです。
そう、ちょうど海水浴場の砂が熱くて、サンダルを脱ぎ捨てた足をヒーヒー言いながら蹴り上げている子供みたいに、ぴょこぴょこと歩くんです。
だってワンちゃんは靴を履いていないでしょう。舗装道路が熱くて、「裸足」では歩きにくいんでしょうね。
でも、ワンちゃんを連れた女性は知らんぷり。もうほとんどワンちゃんを引きずるようにさっさと前を歩き、ワンちゃんの苦労にはまったく気づいていません。
うわ、かわいそう! と連れ合いが見ていると、そのとき後ろからこんな声が聞こえたのでした。
ちょっとあれって、動物虐待じゃねぇか?
どうやら、後ろを歩いていた若いカップルも、その光景を観察していたようで、見かねた男性が「動物虐待か?」と同情の声を発したようです。
それほど、誰が見ても「ひどい!」と思えるような光景だったのでしょう。
いえ、このあたりの方々は、早朝にワンちゃんを散歩させる方が多いのです。
だって、夏の早朝って、とっても気持ちがいいですからね。
わたしも時差ボケで5時半に起きて散歩に出かけると、かわいいワンちゃんを連れた方々を何人も見かけました。
夏場は、コンクリートジャングルは熱を持ちやすいですから、自分にとってもワンちゃんにとっても、そうやって熱を避けるのが常識でもあるのでしょう。
それなのに、真っ昼間の午後2時に、小さな、か弱いワンちゃんを散歩させるなんて・・・。
いえ、わたし自身はワンちゃんと一緒に暮らしたことがないので、偉そうなことは言えません。でも、獣医さんも、こんなアドバイスをしていらっしゃいましたよ。
真夏は、足の裏(paws)を火傷しやすいので、アスファルトを歩くのは避けて、できるだけ草の上を歩かせましょう。
犬は人間と体のつくりが違っていて、おもに足から汗をかくし、ハァ、ハァとあえぐ(pant)ことで、肺から水分を出して、体温を下げようとしています。ですから、湿度が高いときには、水分蒸発が起きにくくなって体温を下げにくいので、熱中症(heat stroke)になりやすくなります。
もともと、犬は人間よりも地面に近いところを歩いているので、地表からの熱の影響を受けやすいのです。ですから、日頃から犬が暮らしている状況も、ちゃんと考えてあげましょう、と。
なるほど、とくに日本の夏は、気温が高いだけではなくて、湿度も高いです。
人間さんにとっては、湿気でお肌が潤って嬉しいことではありますが、ワンちゃんにとっては、体温を下げにくい条件がそろっているのかもしれませんね。
そんなわけで、ワンちゃんをお散歩させるときには、どうか真夏の真っ昼間は避けてくださいませ。
だって、ワンちゃんだって、大事な家族の一員でしょう?
先日のエッセイでは、「北風と太陽」と題して、どうにも愛想の悪い女のコのお話をいたしました。
近くのクリーニング屋の店員さんで、何が不満なのか、決してニコッと笑顔を見せない方です。
たぶん、「満足」の敷居の高い方なのでしょう。だから、たいていのことは「満足=笑顔」につながらないようです。
それで、この方のように、どうにも扱いに困ってしまうような人のことを、a tough nut to crack と言いますね。
文字通りの意味は、「殻が堅いくるみ」。
こじあけようとしても(to crack)、なかなかあけられない殻の堅い(tough)木の実(nut)といった言い方です。
なんとなく「手に余る」と言いますか、「手に負えない」と言いますか、こちらがどう対処したら、あちらの気が済むのだろうか、心が和らぐのだろうかと、ちょっと悩む人のことです。
ストレートに、こんな風に使います。
She is a tough nut to crack
(彼女って、ちょっと手に負えない部分があるよね)
この表現は、人に対してばかりではなく、仕事などにも使えます。
たとえば、こんな風に。
The Chinese market is a tough nut to crack for many startup companies in Silicon Valley
(多くのシリコンバレーのスタートアップ会社にとって、中国市場というのは参入するのに難しいものである)
このように、a tough nut to crack というのは、いろんな場面で使える便利な表現ですが、「殻が堅くてあけられない木の実」って言い方をするなんて、西洋文化だなって気がしませんか?
この言葉を耳にすると、なんとなく「くるみ割り人形(a nutcracker)」を思い浮かべるのです。
一生懸命に口でくるみを割ろうとしているのに、殻が堅くてなかなか割れない。無理をし過ぎて、あごをおかしくしてしまった、かわいそうなくるみ割り人形・・・みたいな想像をしてしまうのです。
ちなみに、nutというのは、くるみみたいに殻に入っている木の実のことですが、日本で言うと、さしずめ栗とか銀杏といった感じでしょうか。
なぜかしら、nut には「エキセントリックな、ちょっと気狂いの人」という意味もあります。
それから、形容詞 nuts には、「気が狂っている」という意味があります。
そう、crazy みたいな形容詞でしょうか。
ですから、こんな風に使います。
He drives me nuts!
(彼を見ていると、もう頭がおかしくなりそう!)
同じような意味ですから、最後の nuts は、crazy で置き換えることもできます。
He drives me crazy!
この場合、動詞 drive は「車を運転する」ではなく、「おとしいれる」みたいな意味ですね。よく耳にする使い方ですので、覚えておくと便利だと思います。
というわけで、a tough nut to crack に出てきた形容詞 tough は、日本語の「堅い、固い、硬い」に当たる言葉だと思うのですが、「硬いもの」と言えば、岩や石。
英語では、rock。
こちらの写真のように、好んで rock climbing(岩登り)をなさる方もいらっしゃいますが、この rock を使ったおもしろい表現があるのです。
それは、between a rock and a hard place。
「岩と硬い場所の間にはさまれた」まさに「窮地」のことです。
右を向いても、左を向いても、いい解決策が見つからない・・・というような、難しい状況をさします。
なんとなく、岩と硬いものにつぶされそうなイメージがありますよね。
I was caught between a rock and a hard place
(どっちを選択しても抜け出せないような、難しい立場に立たされてしまった)
まあ、あんまり好ましい表現ではありませんが、仕事の(厳しい)場面ではよく使われるので、覚えておくと便利だと思います。
それで、石というと、英語では stone という言い方もありますが、この stone を使ったおもしろい言葉があります。
それは、stone fruits。
石(stone)のフルーツ(fruits)というくらいですから、果物なのですが、おもに桃やアプリコット、さくらんぼみたいな、プラム系の果物をさす言葉です。
真ん中に大きな種があって、そのまわりをふんわりと果肉が覆っているような果物のことです。
果肉の柔らかいフルーツが stone fruits と呼ばれるのは不思議な気もしますが、「石」の部分は、種が大きくて堅いことを意味するんだそうです。
実は、わたし自身は果物の中で白桃が一番好きなのですが、今頃の季節、カリフォルニアのスーパーマーケットではまだまだ白桃が売られているので、とっても嬉しいのです。
桃を丁寧に積み上げていたスーパーの店員さんが、こんなことを教えてくれました。
桃みたいな stone fruit は、すぐに傷んでしまうので、うちの母が白桃をたくさん買い過ぎたときには、白ワインに入れて食べるのよと。
皮をむいて、スライスした桃を、グラスの白ワインに入れるだけ。
すると、あら不思議。まったく違った味わいになって、とっても美味!
桃を入れたワインは、苦みが出るので飲めませんが、このアイディアは、夏のパーティーの話題づくりにもいいかなと思いました。
珍しい、涼しげな食べ方で目を引くし、第一、桃がおいしくなるし。
もうそろそろ白桃のシーズンではなくなりますが、機会があったら、ぜひ試してみてください!
おっと、最初のお題目からはずいぶんとそれてしまいましたが、今日の表現はこちら。
She is a tough nut to crack
(彼女には、手に負えない部分があるよね)
そんな風に言われないように、自分をちゃんとモニターしなければ!
夏の音色: 鳴り響く太鼓と自由の音
- 2013年08月18日
- 歴史・風土
Vol. 169
夏の音色: 鳴り響く太鼓と自由の音
8月は、霧で肌寒いサンフランシスコと、フライパンで焼かれるようなシリコンバレーと、ベイエリアのお天気は両極端。
今年は、どこも平均気温を下回る幕開けでしたが、ようやく夏本番となりました。
というわけで、今月は、夏にふさわしい「音色」のお話をいたしましょうか。
<夏の太鼓>
8月の第一土曜日。楽天株式会社の創設者/会長兼社長、三木谷浩史氏のシリコンバレーのお宅にお邪魔しました。
いえ、わたし自身が招かれたわけではなくて、連れ合いがこの日開かれた「楽天バーベキューパーティー」に招かれたので、それにくっついて行ったのでした。
あれだけ成功なさっている三木谷氏ですので、世界のあちらこちらに家をお持ちだそうですが、シリコンバレーのお宅は、アサートン(Atherton)という高級住宅地にあります。
プロフットボール・サンフランシスコ49ersの往年の名選手、ジョー・モンタナやジェリー・ライスも住む閑静な住宅地で、キョロキョロと見渡したところで、背の高い緑の生け垣に囲まれた豪邸は、道路からは垣間みることもできません。
迷路のような小道のつきあたりに三木谷氏のお宅があって、シャンペンを受け取ってプールサイドに向かうと、あら、パラソルの下に、HP(ヒューレットパッカード)CEOのメグ・ホイットマン氏がいらっしゃるではありませんか!
彼女は、オークションサイトeBay(イーベイ)のCEO職からHPに移られる間、カリフォルニア州知事の座を目指して選挙運動をなさっていたこともあり、シリコンバレーを越えてアメリカの有名人。ご本人は、写真で見るのとまったく同じ(普通の人の)雰囲気で親しみすら覚えました。
たとえば、故スティーヴ・ジョブス氏は「魂を見透かすような目」で人を見つめたと言われますが、メグさんは生来、人間が優しいのかもしれません。
あとで名簿を見てわかったのですが、この晩は、ベンチャーキャピタルで有名なアンドリーセン・ホロウィッツのベン・ホロウィッツ氏もいらしていたようですが、残念ながら、どのパラソルの下で談笑なさっていたのかわかりませんでした(なにせお庭が広いものですから)。
それで、実は、個人的に一番楽しみにしていたイベントは、太鼓でした。
パーティーの幕開けとして、『サンノゼ太鼓』のメンバーにプールサイドで華々しく演奏を披露してもらう、という粋な趣向です。(こちらの写真では、左端にカジュアルな格好でいらっしゃるのが三木谷氏)
やっぱり、夏って、太鼓ではありませんか?
きっと青森の『ねぶた』みたいな夏祭りを思い浮かべるからでしょうか、夏は太鼓と笛の音、シャンシャンと鳴り響く鈴、そして、踊り手の掛け声。そんなイメージがあるのです。
サンノゼやサンフランシスコの日系コミュニティーでも、夏のお盆祭りには「太鼓道場」の面々が舞台に上がり、威勢のいい演奏で聴衆を魅了します。
太鼓の音に日本人は浮かれ立ち、「じっとしていられない」暗示にかかるのですが、それはアメリカ人だって同じでしょう。
三木谷氏のお宅にいらした若々しい太鼓のメンバーは、私立スタンフォード大学と州立カリフォルニア大学バークレー校で太鼓を始めたとおっしゃっていたので、今は大学でも太鼓道場が盛んなのでしょうか。
まあ、日本の大太鼓に比べれば、ちょっと勢いに欠ける部分もありますが、こうやって海を越えて、アメリカの若者が日本の太鼓の音色をしっかりと受け継いでいるなんて、素敵なことではありませんか!
そうそう、この同じ土曜日、ニューヨーク州ブルックリンのフードフェストでは、『ラーメンバーガー』なるものがデビューし、2週間で全米の話題となっているようですが、太鼓もラーメンも、アメリカ人は大好き!
(写真は、日系2世ケイゾー・シマモトさんが発案した、特製醤油ダレ『ラーメンバーガー』。日本でラーメンの修行をしてgoramen.comというサイトを運営する彼は、短編映画『Ramen Dreams』の主人公)
<オバマさん、白髪が増えましたね!>
というわけで、夏の音色のあとは、夏に誕生日の方のお話をどうぞ。
いやはや、大統領というお仕事は、気苦労の絶えないものと見えて、近頃、オバマ大統領は白髪がずいぶんと増えましたよね。
8月4日に52歳の誕生日を迎えたオバマさんは、2009年1月、大統領職(一期目)に就任したときには、まだ若々しいイメージの「新米政治家」でした。
それがもう二期目ともなると、日夜ホワイトハウスに舞い込む「国家の一大事」に取り組んでいるうちに、なんとなく老成した表情となってきました。(写真は、8月7日サンディエゴ郊外のペンドルトン海兵隊基地でスピーチをするオバマ大統領)
そんな大統領には、近頃「シルバーフォックス(銀狐、カッコいいおじさま)」とあだ名が付いたそうですが、深夜コメディー番組『ジェイ・レノ・ショー』のホストのジェイさんは、「いつもフォックステレビに突き上げられてるから、かわいそうに大統領は髪が白くなっちゃったよ」とジョークを飛ばします。
フォックステレビ(FOX TV)とは、人気ドラマ『Glee(グリー)』やアイドル発掘番組『American Idol(アメリカンアイドル)』で有名な放送局ですが、系列のニュースチャンネル「フォックスニュース」は、極右とも呼べるほどに(オバマ大統領の所属する)民主党が大っ嫌い。
だから、フォックスにキャンキャンと吠えられているうちに、大統領は銀髪になってしまったのさ、というジョークでした。
このジョークの直後に登場された大統領ご本人に向かって、「髪が白いわねってからかわれたら、(奥方の)ミシェルさんをからかい返すの?」と問うジェイさんに、大統領はたった一言「いや(No)」と答えます。それが、結婚生活を20年以上続かせる秘訣だとか。
そして、いわく「先日、ホワイトハウスにハリー・ポッターみたいにかわいい男の子が訪ねてきて、グラフやチャートを使って難しい話をしてくれたんだよ。だから、いくつなのかいって尋ねると『7歳になったばかりだよ。あなたは?』と聞くので、『52だよ』と答えたら、彼はただ『ウォー』と絶句するんだよね。きっと彼には、人の年齢に52なんて大きな数字が存在することが想像もできなかったんだろうねぇ。」
(写真は、8月6日NBC『ジェイ・レノ・ショー』のジェイさんと語らうオバマ大統領。Official White House Photo by Pete Souza, from the White House Blog)
ま、52という数をどう捉えるかは人それぞれだと思いますが、アメリカ人に「あなたはいくつまで生きたい?」と質問をしたところ、7割の人が79歳から100歳、平均すると90歳と答えたとか。
今、アメリカで生まれた赤ん坊の平均寿命(0歳時の平均余命)は、女性で81年、男性で76年なので、もうちょっと長く生きたいなぁ、というのが願いでしょうか。
(8月6日発表のPew Research Center世論調査『Living to 120 and Beyond: Americans’ Views on Aging, Medical Advances and Radical Life Extension』より。今年3月、全米2千人の大人に電話で行ったインタビュー調査)
その一方で、100歳を超えてしまうと「どうかなぁ?」と疑問視する人が多いようで、100歳以上生きたいという人は、わずか9パーセントだったとか!
なぜなら、ずっと元気で生きられる保証はないし、地球の資源枯渇や医療制度への負担を考えると、自分だけ長生きしても・・・というのが理由だとか。
個人的には「120歳まで生きて、世の中がどう変わるか見てみたい!」と漠然と考えていたのですが、そういう人生観って、意外とポピュラーではないんですね。
それから、日本と同様に、アメリカもだんだんと高齢人口の割合が増えているのが現状(65歳以上は13%)ですが、9割の回答者が「それっていいことじゃない?」とか「べつに問題ないんじゃない?」と答えたそうな。
やっぱり国土がでっかくて、どんどん若い人を受け入れている国は、包容力があるのかな? とも感じたのでした。
<『I HAVE A DREAM…』スピーチ50周年>
というわけで、最後にちょっと真面目なお話をいたしましょうか。これ抜きには、アメリカを語ることはできないような気がしますので。
この8月28日は、公民権運動の父マーティン・ルーサー・キング牧師が、かの有名な『I HAVE A DREAM…』のスピーチを披露して50周年となります。
1963年8月28日、キング牧師が中心となり首都ワシントンD.C.で行った抗議行動「ワシントン大行進(the March on Washington for Jobs and Freedom)」にて、リンカーン記念堂の前で牧師が行った有名な演説です。
まるでゴスペルを歌い上げるかのようなこの演説は、リンカーン大統領が「奴隷解放宣言(the Emancipation Proclamation)」に署名してちょうど100年になるのに、黒人はいまだ差別や偏見の鎖につながれ自由にはなっていない、と始まります。
自由と平等を勝ち取るのは、今しかない。だが、この建設的な抗議行動を暴力行為におとしめてはならない。我々は、白人の兄弟とともに前を向いて進もうではないか。「いつになったらあなたは満足するのか?」という問いには、黒人への差別的な行為がなくなるまで、我々は満足できないのだと答えよう、と続きます。
そして、後半部分になって、有名な「I have a dream that…(わたしには夢がある)」という表現がいくつも続きます。
それまでチラチラと原稿を見ていた牧師は、ここから20万人の聴衆をしっかりと見据え、声高らかに「I HAVE A DREAM…」の渇望を唱えます。
いつの日か、「すべての人が平等につくられたことは自明の事実である」との信条(注:1776年採択『独立宣言』の最も重要な部分)が、真の意味を持つ社会となることを。
いつの日か、ジョージアの元奴隷の息子たちと元奴隷主の息子たちが仲良く同じテーブルに付くことを。
いつの日か、たとえ不正義や抑圧にあえぐミシシッピであっても、自由と正義のオアシスとなることを。(後略)
「アメリカ全土に、自由を鳴り響かせようではないか(Let freedom ring)!」と結ばれる演説は、聞く者の心に力強い余韻を残すのです。
このように、1960年代、キング牧師らを指導者として公民権運動(civil rights movement)の大きなうねりが出現したのは、リンカーン大統領の奴隷解放宣言が国是となっても、南部では旧態依然として「組織的な差別」が行われていたからです。
米国憲法修正第13条で奴隷制度の廃止が定められると、服役中の人々を奴隷のようにこき使う制度が生まれる。
修正第14条で解放された人々の人権が守られると、「隔離しても平等である(separate but equal)」と奇異な理屈を唱え、さまざまな人種隔離政策(いわゆるジム・クロウ法)が生まれる。
修正第15条で選挙権が認められると、2代前にさかのぼって選挙権を要求するグランドファーザー条項(既得権条項)が盛り込まれ、それが連邦最高裁判所で違憲と判断されると、有権者の識字能力を問い始める。
このような決して消え失せない組織的な差別(institutional racism)にあらがったのが公民権運動ですが、たとえば、交通機関の人種隔離に立ち向かった「フリーダムライダー(2001年10月30日号でご紹介)」にしても、学校や公共の場の人種隔離と闘った「アラバマ州バーミングハムの抗議行動」にしても、地元警察や武装した白人至上主義者からは激しい暴圧を受けています。
ワシントン大行進の直後、教会が爆破され、4人の少女が犠牲となったバーミングハム(Birmingham)が「ボミングハム(Bombingham、bombは爆弾)」と不名誉なあだ名を持つゆえんです。
残念ながら、「I HAVE A DREAM…」のスピーチから50年経った今でも、キング牧師の夢は完全には実現していないのでしょう。
いまだに警察は、肌の色で人を判断する「人種的プロファイリング(racial profiling)」を盛んに行なっているし、キング牧師のワシントン大行進で勝ち取った「1965年の投票権法(the Voting Rights Act of 1965)」は、今年6月の連邦最高裁の判決で、効力を失いかけているし・・・。
(6月25日の「Shelby County v. Holder」判決で、事実上、南部の州は連邦政府の監督無しに選挙法の改正(改悪?)が許され、有色人種有権者の抑圧につながると懸念される。写真は、ワシントン大行進の日、ホワイトハウスで大行進のリーダーたちと面会するジョン・F・ケネディー大統領)
けれども、ひとつキラキラと一番星みたいに輝いていることがあるとするならば、それはオバマ大統領かもしれません。
いえ、彼個人がキラ星だと主張しているのではなくて、白人でない大統領がアメリカを治めていることが、です。
若い頃、クー・クラックス・クラン(the Ku Klux Klan)に所属し、公民権運動の若者たちを殴り倒した白人至上主義者ですら、オバマ大統領が誕生すると、すっかり心を入れ替えたという実話があります。
今年4月、76歳で他界したエルウィン・ウィルソンさんは、「死んだらどこに行くと思いますか?」という質問に「地獄だよ」と答えるほどに、1960年代は(人を殺めないまでも)極悪非道な行為を繰り返しました。
それが、オバマ大統領が就任すると、南部から首都に出かけて行って連邦下院議員ジョン・ルイス氏の許しを乞うたそうです。昔、「フリーダムライダー」に参加したルイス氏を無抵抗のまま殴打した過去があるからです。
再開したふたりは涙を流し合い、それから何度かインタビューにご一緒されましたが、ウィルソン氏は、CNNのインタビューでこうおっしゃっています。
「いつも親父が言っていたよ。『馬鹿者は心を入れ替えず、賢者は心を入れ替える』って。心変わりしたことを何も恥じてはいない。」
(Photo of Rep. John Lewis (D-Georgia) and Mr. Elwin Wilson from New York Times)
長い人類の歴史の中で、「自由(freedom)」というものは、元来、誰かに当たり前のものとして与えられるのではなく、自分の力で勝ち取るものだったのでしょう。
一歩、二歩、三歩と前に進んでは、一歩後退し、また前に進んでは、後退する。そういった繰り返しで、いつしか気がついてみると、ちょっとは前に進んでいる。そんな自由と平等と人権の歴史だったのでしょう。
2009年1月、オバマ大統領就任を前に初公開された英BBCのインタビューで、キング牧師は「40年後には黒人大統領が誕生するだろう」と予言なさっています。
実際は「45年後」となりましたが、「うん、そんなに悪くはないかな?」と、牧師もあちらの世界で微笑んでいらっしゃるのかもしれません。
夏来 潤(なつき じゅん)
北風と太陽
- 2013年08月11日
- エッセイ
『北風と太陽』というのは、ふと頭に浮かんだイソップ童話のことで、真冬に吹く冷たい北風のお話をしようというわけではありません。
ほら、世の中には、とっても愛想の悪い方っていらっしゃるでしょう。
何があんなにつまらないのかな? と不思議に思うほど、いつも仏頂面をしている人が。
我が家の近くにも、いらっしゃるんですよ。
それも、女のコ。
クリーニング屋の店員さんで、決して笑顔を見せません。
いつも「お高くとまっている」と言いますか、「あなた何かご用?」といった態度でお客さんに接するんです。
いつか、韓国からいらっしゃったご近所さんが、嘆いていたことがありました。
「わたし、あそこの店員って大嫌い! だって、わたしにこう言うのよ『あなたが何を言っているのか、わたしにはまったくわからないわ』って」
ご近所さんは、ずいぶんと前にアメリカにいらしたものの、大人になってから来られたので、なかなか韓国語なまりがとれません。
わたしなどは100パーセント理解できるのですが、アジアなまりに慣れていない人だと、わかりにくい点もあるのかもしれません。
けれども、普通、お客さんに向かって「あなたの言ってることが理解できないわ」なんて言わないでしょう? 第一、失礼ですもの。
憤慨したご近所さんは、お店のオーナーである韓国出身の方に「あのコをちゃんと教育してちょうだい」とクレームをつけたそうですが、それを聞いたわたしは、彼女にこう言ったのでした。
あの人は、そうやって無愛想に育っているんだから、直しようがないのよ。だから、気にしたってダメ。こちらが気をもむだけ損よ、と。
それでも、わたしもちょっと気になったので、それから彼女が表に出てくると観察するようになったのでした。
で、ひとつわかったことは、お客が男性だと、妙に愛想がいい。
アメリカって、「あなた、自分のシャツだから自分で取って来てちょうだい」と奥方に命令される人が多いみたいで、クリーニング屋にはかなり男性客が多いのです。
それで、あんなに愛想の悪い女のコでも、男性客となると、ニコニコとお話をしてるんですよ。見ていて、とっても不思議なんですけれど。
そして、もうひとつわかったことは、彼女自身が外国からやって来たので、たとえば言葉で「自分が優位に立てる!」と思ったら、大きくふるまう傾向があるみたいなのです。
彼女は緑色っぽい目をしていて、白系の肌なのですが、かすかに言葉になまりがあるし、もうひとりの店員さんとはヒソヒソとスペイン語で話しているようです。
ですから、自分自身にちょっとした「劣等感」みたいなものがあって、外国語なまりのある客だと、「あら、わたしの方が上よ」と言わんばかりに、つっけんどんな態度をとるのではないか? と仮説を立ててみたのました。
それに店のオーナーが韓国系の方なので、従業員としては、ご近所さんみたいな韓国語なまりに少々「わだかまり」もあるんじゃないでしょうか?
それで、わたしとしましては、こちらがビジネスライクに接していると、向こうもきちんと仕事をするので、当初の「毛嫌い」はだんだんと無くなってきました。
でも、そうなってくると、もうちょっと向こうの愛想を良くしてやろう! と欲が出てくるのです。
それがどんな策なのかは、まだ答えが出ていないのですが、前回、お店に行ったときには、ちょっとした進展がありましたよ!
こちらがドアを開けて入って行くと、にっこりと笑って How are you?(ごきげんいかが?)なんて言うんです。
まあ、珍しい! と心の中では驚いたのですが、こちらもさらりと Good(元気よ)と答えておいて、笑みを返します。
それで、クリーニングを受け取って、帰り際にこちらが Have a nice day!(ごきげんよう)と声をかけると、またまたびっくり。あちらもにこりとして Thanks!(ありがとう)と言うではありませんか!
彼女にとっては、あれが最大限の笑みだと思うのですが、あの小さな笑みは、普通の人の百倍の重みがある笑みだと思うのですよ。
もしかすると、単に「給料日」か何かで、機嫌が良かったのかもしれません。それとも、仲間の女のコと楽しい話をしている瞬間に、わたしが店に入っただけなのかもしれません。
けれども、家に帰る途中、ふと『北風と太陽』という言葉が頭に浮かんだのでした。
コートのボタンをはずさせたいなら、北風よりも太陽。
冷たい心を開かせたいなら、怒るよりも笑顔かな? と。
英語にはステキな言葉がたくさんあって、infectious smile というも、そのひとつでしょうか。
最初の infectious という形容詞は、たとえば「病気が人にうつりやすい」という悪い意味もありますが、ここでは単に「人に伝わりやすい」という意味です。
そして、言うまでもなく smile は「笑み」。
ですから、「他の人にも広まりやすい笑み」といった表現になります。
こちらが満面ニコニコしていれば、あちらもだんだんと心が溶けていって、自然と笑みがこぼれるようになる、といった感じでしょうか。そう、あくびみたいに、笑みって人に伝わるものなんです。
あ、そうか、「Infectious smile作戦」って、結構いいネーミングかも!
相手を愛想よくしたいなら、Infectious smile作戦!!
(ちゃんと効果があることを願って、トライしてみますか!)
判決のインパクト: アップル、人種問題、同性結婚
- 2013年07月31日
- 社会・環境
Vol. 168
判決のインパクト: アップル、人種問題、同性結婚
アメリカに暮らしていると、毎日々々、あぁでもない、こうでもないと、裁判の話題が聞こえてきます。
たぶん、世の中の誰もがアメリカは裁判の多い国だと認識しているはずですが、そこは「法治国家」の宿命。裁判の判決は、好むと好まざるとにかかわらず市民生活に大きな影響を与えます。
そんなわけで、今月は、テクノロジー業界と社会問題と、こだわりを感じた判決を3つご紹介いたしましょう。
<アップル破れる!>
まずは、先月号の続報で「電子書籍価格カルテル裁判」のお話です。そう、アップルが出版大手5社とともに電子書籍(e-books)の価格をつり上げようと画策した、と司法省に訴えられた裁判(United States v. Apple Inc.)です。
すでにお耳に入っていることと思いますが、7月10日、マンハッタンの連邦地方裁判所では、デニース・コート判事が「アップルは価格カルテルの中心的存在であった」との判決を下しています。
アップルの画策のおかげで、電子書籍の価格はときに5割も上がっていて、「このような価格高騰は、通常の市場の働きではなく、アップルが加担した策略によるものである」と。
また、そもそもアップルと出版5社が対決しようとしていた電子書籍の第一人者アマゾン(Amazon.com)に関しては、「たとえ他社(アマゾン)が(ベストセラーを原価割れで販売するなど)法に触れるような、フェアでない行為を働いていたにしても、それは自分(アップル)が法を犯しても良い理由にはならない」としています。
当然のことながら、アップル側は「我が社は電子書籍の価格操作など画策していないし、このようないわれの無い告発とは闘い続ける」と、上告する意思を明らかにしています。
が、この種の事例では、控訴裁判所は、膨大な裁判証拠を検討した地方裁判所の判決に従うことが多く、アップルの「価格カルテル違反」の判決がひっくり返る可能性は低いということです。
そして、電子書籍分野で「アップルは違法」との判決が確定すれば、音楽業界や映画業界と、アップルの他の商売にも翳りが出てくるのではないか、と懸念の声も上がっています。
コート判事の判決に関しては、「ちょっとアップルに厳しいんじゃない?」との見方が強いようですが、個人的にはこれに同感ですし、これが法に反するなら、「商売人はひらめきを持ってはいけない」と言われているようにも感じるのです。
実は、アマゾンだって、商売を始めた頃は妙な「実験」をしていた時期があって、「人によってランダム(無作為)に価格付けをする」作戦を試していたときがあったのです。
たとえば、あの人には98セント、この人には1ドル2セントと、定価1ドルから微妙に上下に振る値付けのやり方。
わたし自身は「そんなのってフェアじゃない!」と、それから何年もひとりで非買運動を続けていたのですが、アマゾンは間もなく消費者の批判に屈して、この実験を止めています。
もうちょっと続けていたら、公正取引委員会あたりから問題視されていたかもしれませんが、考えみれば、これも「商売人のひらめき」だったのでしょう。奇特ではありますが、「話題性で人を引き込む」新しいやり方。
160ページにわたるコート判事の判決文書に目を通すと、アップルの価格カルテル裁判の焦点は、ただひとつ。
アップルが「エージェンシーモデル」など新手の策を考え出したことが問題なのではなく、アップルが出版大手と一緒になって価格操作(a price-fixing scheme)を行ったかどうかが争点なのであって、裁判の結果、アップルは価格操作に加担し法に違反したことは明白である、との結論に至ったようです。
この判決で論争の片がついたわけではありませんが、いずれにしても、国が裁判を起こす以上、市民生活に何かしらメリットのある結果を出してもらいたいと思うのです。
<人種問題・21世紀バージョン>
7月13日の土曜日。この日、フロリダで下された判決が、全米に大きな波紋を広げました。
ディズニーワールドのあるオーランドの郊外、サンフォードという街で起きた殺人事件の裁判で、17歳の高校生トレイヴォン・マーティンくんを射殺したジョージ・ズィマーマン被告が「無罪放免(not guilty)」となった判決です。
事件現場は、ゲートに囲まれた閑静な住宅地。ここに住むズィマーマン被告が、車を運転していて「近所で怪しい人物を見かけた」と警察に通報。「すぐに警官を向かわせるから何もするな」と言われたものの、近所の自警団にボランティアで加わる被告は、銃を持ってトレイヴォンくんを付け始めます。
一方、トレイヴォンくんは、ここに住む父親のフィアンセ宅に滞在中で、夜のお散歩に出ていた模様。ズィマーマン被告に付けられているのに気づき、引き返して被告とつかみ合いになったのち、被告が腰のホルスターから抜いた銃で射殺された、というのが事件の概要のようです(これは一般的に伝えられている概要で、裁判記録を読んだわけではありません。 Photo by Allison Joyce, Getty Images)。
それで、無罪の理由は、正当防衛(self-defense)。
多くの州では、正当防衛が適用するのは自宅のみで、しかも相手の暴力を回避しようと努めたことが認められなければなりません。
ところが、フロリダには「Stand Your Ground law」という正当防衛のウルトラバージョンがあって、公共の場でも正当防衛は適用するし、相手を回避しようとした確たる証拠がなくても、正当防衛が認められるんだそうです(“自分の領地を守る法”といった名称ですが、当然ながら「領地」となる自宅に加えて、隣近所も「守るべき領地」となるようです。領地に相手が踏み込んできたら、(銃で)攻めても良いと・・・)。
というわけで、ほとんど胸に銃口がくっつくほどの至近距離からトレイヴォンくんを射殺した被告は、6人の陪審員の判決で、無罪放免。
ここで全米のあちらこちらでは大騒ぎとなりました。「もしもこれが逆のケースだったら?」
撃たれた側が白人のティーンエージャーで、撃った側が黒人男性だったら、絶対に無罪にはならなかったでしょう?
だって、お隣のジョージア州アトランタでは、闘犬に加わった動物虐待の罪で、プロフットボール・ファルコンズのクウォーターバック、マイケル・ヴィック選手が2年近くも刑務所に入ったでしょう?
犬を虐待した罪でスター選手が刑務所に入るなら、どうして人を殺して無罪になるの? どうしてそんな理不尽なことがまかり通るの? と。(Photo by Carolyn Cole, Los Angels Times)
わたしもフロリダに2年半暮らしたことがありますが、フロリダという場所は、実に不思議なところでしょうか。
まず、多くの高級住宅は、年に半分、冬の間しか人が住んでいないのです。どうしてって、ニューヨークやニュージャージーあたりのお金持ちのリタイア層が「避寒」にやって来る場所なので、亜熱帯の夏の間は、誰もいない家が多い。
ということは、どうしても泥棒なんかの犯罪が起きやすい環境にあるということで、犯罪に対抗しようと「自警団(vigilante)」が組織されやすいし、銃を持って武装する市民も増えてくるということでしょう。
そして、フロリダは南部の州ですから、いまだに人種的偏見の強い場所であることは否定できないと思います。
だからこそ、凶器も持たないティーンエージャーを見かけただけで、「怪しい人物」だと警察に通報した。肌が黒っぽくて、スウェットのフードをかぶっていたというだけで。
これはもう「人種的プロファイリング(racial profiling)」の最たる例でしょうか。肌の色や見かけだけで、人を「こうだ」と決めつけること(ですから、アメリカでは「プロファイリング」という言葉には否定的な含蓄があり、見かけだけで職務質問を行う警察のプロファイリングにも批判が集中します)。
これは、あくまでも20年前の個人的な体験ですが、それまでカリフォルニアにしか住んだことのなかったわたしは、フロリダで妙な経験をしました。
ある日、初対面の隣人に、こう言われたのです。「向こう隣の隣人は、あなたたちが白人じゃないから、あなたたちが嫌いなのよ。だから、話もしたくないみたい。でも、わたしは違うわよ。そんなことは全然思ってないから・・・」(と言いながら、この方に会うことも二度とありませんでした)。
まあ、トレイヴォンくんのケースでは、撃った側が「混血」だったので、話がややこしくなっています。
ズィマーマン被告の父親は白人で、母親はペルー生まれのヒスパニックなので、「white Hispanic(白人のヒスパニック)」という分類が報道の前面に押し出されたのでした。
被告の家族も、「ジョージはヒスパニックであり、決して人種差別などする人間じゃない」と、非白人性(nonwhite)を強調されていたとか・・・。
無罪判決の一週間後、ホワイトハウスのプレスルームに突然姿を現したオバマ大統領は、記者のみんなを驚かせた「いたずらっ子の笑み」もすぐに消し去り、苦渋に満ちた面持ちでこう語っています。(Photo by Susan Walsh, AP)
「最初にトレイヴォン・マーティンが撃たれたって聞いたとき、僕は『彼が自分の息子だとしてもおかしくない』と思ったよ。言い換えれば、35年前の自分だったとしてもおかしくないということ。どうしてだろうって考えてみると、アフリカンアメリカン(黒人)コミュニティーは、この出来事に対して大きな痛み(pain)を感じているから。アフリカンアメリカン・コミュニティーは、自分たちの今までの経験や決して消え失せない歴史(a history that doesn’t go away)を通してこの出来事を見つめていることを、しっかりと理解すべきだと思うんだ。」
これに続き、自身の経験も語っています。
「この国のアフリカンアメリカンの男性で、デパートでショッピングをしていて店員に付けられた経験の無い人なんて、ほとんどいないだろう。僕だってそうさ。道を歩いていて、車のロックがカチッとかかるのを聞いたことのない人なんて、ほとんどいないだろう。少なくとも上院議員になる前は、僕にだって経験があるよ。エレベーターに乗って、一緒に乗っている女性が怖がってバッグをギュッと握りしめ、自分の階で降りるまで息を殺しているのを経験したことのない人なんて、ほとんどいないだろう。そんなことは頻繁に起きることなんだ。(後略)」
普段は「人種」について語らない大統領が心の底から言葉を絞り出したとき、人々は黙って耳を傾け、それについて考える義務があるのでしょう。
<最高裁のパワフルな判決>
というわけで、裁判の判決は、ときに人々を暗い気持ちにおとしいれるものではありますが、まあ、生きていれば、いいこともありますよ!
わたしにとって、その代表例は、6月26日に下された連邦最高裁判所の判決でした。
言うまでもなく、連邦最高裁判所(the Supreme Court of the United States)は国のトップにある裁判所で、各州でケリがつかない事例を9人の判事で裁定するところです。
ときに、立法(the legislative power)行政(the executive power)司法(the judicial power)の「三権」の中で一番パワフルであると言われるほど、人々の生活にも深い影響を与えるところです。
で、「いいこと」というのは、この日の判決のおかげで、事実上カリフォルニア州で同性結婚(same-sex marriage)が再開できるようになったこと。
なぜいいのかって、カリフォルニアでは、同性カップルは苦しい紆余曲折を経験してきたから。
以前も、2004年2月号(最終話「ペンギンと人間、そして結婚」)でご紹介したことがありますが、アメリカで最初に同性結婚を行ったのは、サンフランシスコ市(郡)でした。郡長も兼ねるギャヴィン・ニューサム市長(現・州副知事)が、ヴァレンタインデーをはさむ5日間で2,500組近くの同性カップルに結婚証明書を発行したのでした。
そのときは、カリフォルニア州法では「結婚は男と女の間のみ」と定められていましたので、結果的に4,000組がいただいた結婚証明書は無効とされています。
が、このサンフランシスコの同性結婚が引き金となり、2008年5月、州最高裁は「同性結婚を認めないのは、平等を唱えた州憲法に反する」と、州法を違法と判断しました。これを機に、推定18,000組が結婚しています。
(写真は、2008年6月サンフランシスコ市庁舎で開かれた市長主催のお祝い。右隣のレディーたちは、55年連れ添った活動家カップル、フィリス・ライオンさんとデル・マーティンさん(この二月後に他界))
が、ここでおもしろくないのは、同性結婚に反対する宗教家たち。「同性で結婚するとは、神をも恐れぬ、おぞましき行為」と、2008年11月、同性結婚を禁ずる住民提案(Proposition 8)を州の有権者につきつけ、これが僅差で通り、州の法律となるのです。
で、その後も紆余曲折があり、今回の連邦最高裁判所の裁判(Hollingsworth v. Perry)にもつれ込むのです。
訴えた側は、「3年前に連邦地方裁判所は『米国憲法にのっとり同性カップルには結婚する権利がある』とProp 8をけちらしたが、Prop 8を認めた州民の民意はどうなるのか?」と、あくまでもProp 8を擁護する構えを崩しません。
これに対して、連邦最高裁の判決は、「カリフォルニアの同性結婚を認めるぞ」という肯定的なものではなく、「州法となったProp 8を、州知事も州司法長官も擁護しようとしていないのに、関心があるというだけで、何の不利益も被っていない原告が裁判を起こす立場にはない」という消極的なものでした。
でも、消極的であろうと何であろうと、これで同性カップルの頭上にたれ込めていたProp 8の暗雲は消え去り、晴れて「結婚(marriage)」へとゴールインできることになりました。
判決後、超特急で「同性結婚再開!」へ向けて動きが高まり、2日後の6月28日には、サンフランシスコの連邦第9巡回控訴裁判所が「同性結婚の執行停止」を解除し、この金曜日の午後から土日にかけて、約500組が結婚しています。
(こちらは、被告として裁判に名を連ねたクリスティン・ペリーさん(右)とサンディー・スティアさんの結婚式 Photo by Jane Tyska, San Jose Mercury News)
まあ、リベラルなカリフォルニアですから、同性カップルは「民事婚(civil union)」として「結婚」と同じ権利を与えられています。が、国のレベルになると、「民事婚」では納税や相続の際の配偶者の権利が認められていません。ですから、みなさん「結婚」には大きなこだわりがあるのですね。
ちなみに、同じ日に連邦最高裁で下された判決(United States v. Windsor)では、カナダで結婚したニューヨーク州在住の女性カップルに対して、亡くなったパートナーの遺産相続が認められています。「国は相続税を払い戻せ」と。
振り返ってみると、Prop 8が住民投票で通ったときには、悔し涙を流したものでした。
いえ、自分に関係があるか無いかは、まったく関係がありません。一旦、「結婚」という権利を与えておいて、それを剥奪するとは、そのひねくれた根性が理解できないではありませんか。
同性結婚に反対する宗教家たちは、口では「神は差別しない(God doesn’t discriminate)」だの「天は人の上に人をつくらず(All men are created equal)」と唱えながら、自分たちが、愚かな人間が、「人の下に人をつくろうとしている」ように感じるのです。
人は、誰であっても、人間らしく生きる「尊厳(dignity)」が与えられるべきであって、結婚・家族というのは、そのもっとも根底にあるものではないでしょうか?
そして、今となっては、カリフォルニアでProp 8みたいな住民提案が可決されることはないでしょう。
夏来 潤(なつき じゅん)
前回は、「Take pride(誇りに思う)」という題名で、アメリカの独立記念日に人々が胸に刻む「誇り(pride)」のお話をいたしました。
18世紀後半、イギリスから独立を果たしたアメリカ人が、毎年7月4日の独立記念日になると自国民である誇りをよみがえらせる、というお話でした。
それで、もともと「誇り」のお話をしようと思ったのは、まったくべつの理由だったのでした。
それは、ある電話の会話で、お相手がこう発言したからでした。
He takes great pride in his work
彼は、自分の仕事に大きな誇りを持っている
そう、takes pride in his (her) work は、「自分の仕事に誇りを持っている」ということで、さらに great pride となって、「大きな誇りを持っている」のだと。
実は、少し前にサンノゼの我が家が水害に遭い、それを直してくれた会社の共同経営者が自分のスタッフについて発言したのが、この言葉でした。
He takes great pride in his work
彼は、自分の仕事に大きな誇りを持っている
だから、彼の仕事は質が高いし、あなたが満足しているのも自分にはよくわかると。
いえ、「水害」と言っても、大雨の被害に遭ったとか、そういうことではありません。
2階のバスルームの水道管が破裂して(!)、2階が水浸しになったばかりか、階下の居間まで水浸しになったという災難でした。
だって、水は、引力の法則(law of gravity)で階下に落ちるもの。
居間の天井に穴を開けたら、それこそ、滝のように水が流れ落ちてきましたよ!
結局、2階のバスルーム、ベッドルーム、クローゼットと1階の居間に被害が出て、「プロの乾かし屋さん」が床や壁や天井を完璧に乾かしたあと、「火事・浸水専門の建築屋さん」が壊した部分をきれいに修理してくれました。
壁には断熱材(insulation material)が入っているので、壁を壊して濡れた断熱材を取り出さないといけないし、バスルームの床は大理石のタイルだったので、これを全部はがさないと土台を乾かすこともできないし、被害はだんだんとふくらみます。
でも、それだけでは済まずに、結果的には、家のほぼ全体の床を張り替えることになりました。
なぜなら、我が家は、壁から壁を覆うカーペット敷き(wall-to-wall carpeting)。
築16年で、痛んだ部分だけ取り替えようにも、同じカーペットが手に入らないのです。
それで、どうせ張り替えるなら、カーペットはやめにして、ウッドフロア(hardwood flooring)にしよう、ということになりました。
で、この床の張り替えをほとんどひとりで担当してくれたのが、自分の仕事にプライドを持っていらっしゃる職人さん。
細かいところにこだわりがあるので、最初は2週間の予定が3週間に伸びてしまいました。
我が家は、デザイン的にカーブが多いので、たとえば、階段の下のクローゼットは、超難関だったそうです。
だって、まっすぐな床板を、カタツムリの殻の中みたいなカーブに沿って貼らないといけないんですから。
でも、そんな努力の甲斐あって、できばえは素晴らしい!
少々ポケットマネーを出すことにはなりましたが、すっかり生まれ変わった家に満足しています。
電話のお相手の方も、こうおっしゃっていましたっけ。
It is a great example of turning something negative into a positive
何かしら良からぬことを良いことに変える、絶好の機会になったね
なんとなくアメリカ人って、大雑把できっちりと仕事ができないような印象もありますが、誇り高い職人さんがいらっしゃるのも事実なんですよ!
というわけで、takes pride in one’s work 自分の仕事に誇りを持つ。
どんな職業であっても、こういう風に胸を張ってみたいですよね。
I take great pride in my work
わたしは自分の仕事に大きな誇りを持っている
追記: 残念ながら、アメリカに暮らしていると、家の中の「水害」に遭うことが多々あります。
たとえば、トイレから下水が吹き出したとか、冷蔵庫(refrigerator 略してfridge)の製氷器が壊れて、冷蔵庫に引いている水道管から水が漏ったとか、食器洗い機(dishwasher)や洗濯機(clothes washer 通称 washing machine)から水が漏ったとか、はたまたガレージに置いてある貯水塔みたいな温水器(water heater)が壊れたとか、シナリオはいくらでも考えられますね。
けれども、壁の中やキャビネットの裏の水道管が壊れる(water pipe burst)ほど、大きな「屋内水害」はないかもしれません。被害は広がりやすいし、その後の修理も大変ですからね。
でも、我が家は、それを3回も経験しているんです! しかも、3回とも、家を留守にしている間に水道管が破裂した、という不運なパターン。
最初の2回はフロリダで経験したのですが、亜熱帯の気候では、つくり付けの家具もすぐに腐ってくるし、その点では、乾燥したカリフォルニアはましでしょうか(それでも、数日間放っておくとカビ(mold)が繁殖するので、すぐに対処しないといけませんよ!)。
そんなわけで、屋内水害の多いアメリカでは、「プロの乾かし屋さん」が存在することを、今回、初めて知ったのでした。
連日連夜、彼らは超多忙なので、「もう2週間も働き詰めだよ」と担当者は語ってくれました。働き者の彼は、娘が生まれたばかりなのに、ぜんぜん休みが取れない・・・とか。
ついでに後日談: このお話を読んだ知り合いが、こんなことをおっしゃっていました。
「僕も、ロスアンジェルスのアパートに住んでいた頃、同じような水害に遭いましたよ」と。
なんでも、アメリカは水道管の水圧が高いところが多いので、水道管が破裂しやすいんだとか。
たしかに、アメリカでは一般的にシャワーの勢いも強いし、我が家に来た水道修理屋さんは、「危ないから」と水圧を低くして帰って行きました。ま、そのせいで、シャワーがしょぼしょぼしてイヤなんですが・・・(世の中、うまくいかないですねぇ)。
久しぶりの英語のお話となりますが、7月初めには、アメリカのポピュラーな祝日がありましたよね。
そう、7月4日の独立記念日!
英語では、Independence Day
もしくは、その日付から、the Fourth of July(4th of July)とも呼ばれます。
この日は、厳密には「アメリカが独立した日」ではなくて、イギリスから独立する気運を高めようと、『独立宣言(the Declaration of Independence)』を議会で採択した日です。
そう、イギリスの植民地だったアメリカ(東部13州)が独立しようと、大英帝国を相手に戦った「独立戦争(the American Revolutionary War)」のさなかに採択された宣言。
戦争の火ぶたが切られた翌年、1776年7月4日に第2次大陸会議(Second Continental Congress)で採択されたので、この日が「独立記念日」とされています。
それでも、大英帝国は強かった!
1783年、パリで平和条約が結ばれるまで戦争は8年も続いたのですが、この戦争終結を「独立の日」とするよりも、独立宣言を採択した日の方が、アメリカ人にとっては意義のある日だったのでしょうね。
そういう意味では、フランスで祝われる7月14日(ちょうど今日!)の「パリ祭」に似ているでしょうか(英語では Bastille Day:バスティーユ・デイ)。
革命が終結した日を祝うのではなく、1789年、民衆がバスティーユ牢獄に攻め入り革命の幕開けとなった「バスティーユ襲撃」を建国と記念する日。
それで、ちょっと歴史のお勉強になりますが、アメリカ人にとって意義のある独立宣言には、こんなことが盛り込まれています。
人は平等に生まれ、人として生きる権利が与えられるべきなのに、大英帝国の植民地である自分たちには、ジョージ3世(当時のイギリス王)に正当な権利を認めてもらっていない・・・、といったイギリスに対する恨みつらみの箇条書き。
だからこそ、我々はイギリスから独立しなければならないんだ! と。
でも、一番有名なのは、こちらの冒頭の部分です。
「すべての人は平等につくられ、わたしたちには、生命(Life)、自由(Liberty)、幸福の追求(the pursuit of Happiness)といった侵さざるべき権利が創造主によって授けられている」という独立の主文。
WE hold these Truths to be self-evident, that all Men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness –
これに続いて、「これらの権利を守るために、人々の合意のもとに政府がつくられるが、もしも政府が権利の妨げとなった場合は、人々には政府を変革するか、今までの体制を捨て去り新しい政府を樹立するかの権利が与えられている(後略)」と、イギリスを政府として頂くことを止める決意が記されています。
That to secure these Rights, Governments are instituted among Men, deriving their just Powers from the Consent of the Governed, that whenever any Form of Government becomes destructive of these Ends, it is the Right of the People to alter or abolish it, and to institute new Government. . .
実は、この独立宣言は、イギリス王に突きつけた文書ではなくて、戦う仲間の士気を鼓舞しようと書かれたものなので、実際にあちらこちらの戦場に持って回ったのでした。
ですから、オリジナルの文書はボロボロになってしまって、現在、公文書記録管理局に展示されている文書(上の写真)は、あとで書き直したものなんだそうですよ。
というわけで、7月4日の独立記念日。
実際には、独立宣言が採択されたのは7月4日ではなく、8月2日だったという説も有力だそうですが、「7月4日が国の誕生日」という決め事に変わりはありません。
この日は、街の目抜き通りで開かれるパレードを見物したり、家族や仲間たちとバーベキューをしたりと、楽しく過ごす夏の一日となります。
(こちらの写真は、インテリア・ガーデングッズのFront Gateというお店の商品カタログ。子供たちがとっても楽しい雰囲気なので、拝借させていただきました)
それから、もちろん、夜の花火も忘れてはいけませんね。
カリフォルニアでは、ほとんどの自治体で自宅の花火は禁止されているので、みなさん街の花火大会を楽しみにしています。
サンフランシスコ・ベイエリアでは、残念ながら、サンノゼ市主宰の花火大会が数年前に不景気で中止となりましたが、サンフランシスコ市の花火大会は、いまだ健在!
毎年、観光名所のピア39(39番埠頭)で開かれる夏の花火大会には、近隣のコミュニティーから何万と人が集まります。今年は、地下鉄BARTのストライキのせいで、見物人の足も鈍ったようですが、サンフランシスコ名物の霧も影をひそめ、美しい花火が観られたと好評でした。
わたしは、近所のコミュニティー主宰の小さな花火大会に出向きましたが、どんなに小さくたって、やっぱり、花火は間近で楽しむもの。だって、迫力が違いますものね!
そして、夜空に打ち上げられる華やかな花火を見つめていると、みんなの心には「誇り(pride)」がよみがえるのです。
そう、アメリカ人としての誇り。
独立記念日の花火は、
I take pride in being an American
わたしはアメリカ人であることを誇りに思う
と、誇らしい気分になる瞬間なのです。
(take pride in ~ は、「~を誇りに思う」という慣用句)
それは、どんな肌の色であろうと、どんな宗教であろうと、どこからやって来ようと、独立を祝うアメリカ人が、みんなで共有する誇り高い瞬間なのでしょう。
ニール・ダイアモンドの『America (They’re coming to America)』といった歌もバックに流れ、愛国心たっぷりの花火の音楽は、ますますみんなの誇りをかきたてるのです。
個人的には、独立記念日は、アメリカが一番輝く日だと思っているのです。
追記: 蛇足ではありますが、アメリカの『独立宣言』は、『日本国憲法』でも参考にされていますね。
「生命、自由、幸福の追求」といった国民の権利は、第3章・第13条「個人の尊重」に「最大の尊重を必要とする」ものとして列記されています。
そして、「人々の合意のもとに政府がつくられる」といった概念は、日本国憲法の「前文」に、このように明記されています。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と。
それから、もうひとつ蛇足ではありますが、アメリカの花火大会で好んでかけられるブルース・スプリングスティーンの有名な歌『Born in the U.S.A.』は、必ずしも愛国心満点の歌ではないようです。
花火大会では、どちらかというと歌詞のないメロディーだけの演奏が使われる場合が多いようですが、歌詞は、ヴェトナム戦争(1975年終結)から帰らなかった友や、帰還兵の苦悩を描いています。
なんとなく、歌で連呼される Born in the U.S.A.(僕はアメリカで生まれた)という部分から、愛国の歌かと勘違いしていたのですが、スプリングスティーンの大ファンである友が「反戦的な労働階級の歌」だと教えてくれました。
教えてくれた直後に、彼も逝ってしまったのですが、「アメリカ人だって、多くの人は勘違いしているみたいだよ」と、アメリカ通らしく語ってくれました。
お茶碗一杯のご飯
- 2013年07月11日
- エッセイ
前回は、「おにぎり」のお話をいたしましたが、今回も、お米にまつわるショートストーリーをどうぞ。
日本のホームドラマを観ていると、いつも不思議に感じることがあるんです。
それは、食事のシーン。
家族のお話には付きものの食卓シーンですが、なぜかしら、夕餉(ゆうげ)のテーブルに、ご飯をよそったお茶碗がおかずと一緒に並んでいるのです。
わたしにとっては、かなり奇異に感じるシーンなのですが、連れ合いに聞いてみると、「それは普通なんじゃない?」と言うのです。
いつの頃からか、母は夕餉の最後にご飯を出すようになって、「おかずをしっかり食べて、お腹に余裕があったらご飯を食べなさい」と言われて育ちました。
おかずだけ先に食べるのですから、味付けもごく薄め。「今日は味付けが濃かったから、食後に喉が渇くわねぇ」というのは、母の口癖のようなものでした。
それで、そんな話をしていると、連れ合いがふと思い出しました。
「そういえば、お義父さんが、『若い頃はあまり飲まなかったのに、いつからかストレスで晩酌をするようになった』と僕に語ったことがあったよ」と。
長い父の職歴の中で、いったいいつ頃からお酒をたしなむようになったのかはわかりませんが、とにかく、子供のわたしには理解できないところで、何かしら気苦労があったのでしょう。
心血を注いで成し遂げようとするほど、その過程では、大きなストレスに立ち向かうことにもなるのでしょうから。
それで、父が晩酌をするようになると、おかずを肴(さかな)にチビチビとやるので、家族もそのペースに合わせて、自然と最後にご飯をいただくようになったのではないかと、連れ合いは仮説を立てました。
「だって、お義母さんって、しっかりして自立した人に見えるけど、きっちりとお義父さんをたてるところがあるでしょう。だから、お義父さんの事情で家族の習慣ができあがったんじゃないかなぁ」と。
なるほど、外から覗いてみると、家族の「決め事」がどうやってできあがったのかと、如実に見えることもあるのでしょう。
家庭で女性に囲まれた父にしてみたら、男同士、連れ合いに話しておきたいこともあって、それが謎解きに結びついたのかもしれません。
今では晩酌をしなくなった父ですが、今でも「ご飯は最後」の習慣は健在ですし、我が家でも、それは立派に踏襲されています。
そう、我が家でも、「ご飯は食事のしめ」が習慣になっています。
もちろん、おかずを肴に晩酌をする事情もあるのですが、どちらかと言うと、わたしの子供の頃からの習性で「おかずとご飯は一緒には食べない」ルールになったような気がします。
(そういえば、これに対して、連れ合いが文句を言った記憶がないのですが、それって感謝すべきことなのかもしれませんね。)
ま、それにしても、おにぎりといい、茶碗一杯のご飯といい、晩酌の「しめ」は、やっぱりお米がおいしいな! と思うのですが、
いかがでしょうか?
後記: これを書きながら思い出したのですが、父の晩酌は、最初のうちはウイスキーの水割りだったものが、いつの間にやら、日本酒に変化した気がします。
そう、昔は、ウイスキーのボトルに「今日はここまで」と印をつけて、氷と水で薄めて飲んでいたような記憶があるのですが、ある日、実家に帰ったら、「最近は日本酒党なのよ」と母が説明してくれました。
たしかに、昔は、おいしい日本酒が全国的に出回っていなかったように思いますし、「米どころ」でなければ、日本酒の良さが伝わりにくかったのかもしれません。
それから、最後の写真は、東京・港区麻布十番にある、季節のおまかせ料理『かどわき』さんの名物料理「トリュフご飯」です。こちらは、かどわき氏が炊きたてご飯の釜を見せてくださっているところ。
スライスしたトリュフをふんだんにのせて炊くのですが、この香りとコクが、ご飯と絶妙にマッチします。
あわびの肝ソースでこんがり焼いた胡麻豆腐や、花山椒をたっぷり散らした「ハモと破竹の鍋」と、コース仕立ての品々はうなるほどおいしいのですが、「しめ」のトリュフご飯は、誰もが楽しみにしている一品です。
もちろん、日本料理には日本酒ですが、前回は「こういうのお好きでしょ?」と、かどわき氏が連れ合いに出してくださったお酒があって、これが『出品吟醸・飛露喜(ひろき)』という香り高い限定品。
飛露喜は福島の名品ですが、なんでも、蔵元の廣木酒造さんは東日本大震災で大きな被害に遭われて、麹を分けてもらったりしながら酒造りを再開されたのだとか。元通りの営業になるまで、ずっと『かどわき』さんが仕入れ続けていらっしゃったので、感謝の意味を込めて、品評会出品吟醸300本の中から、5本を分けてくださったということです。
その一本をふたりでペロッと飲んでしまったのですが(いえ、わたしは量は飲みません、味わうだけです!)、「大切な記念に」と、ラベルをいただいて帰りました。
やっぱり、おいしいお店には、おいしいお酒との出会いがありますね(って、本文よりも、後記の方が長い?!)