プロポーズから結婚へ

6月は、あこがれのジューンブライド(a June Bride)の季節。

真夏前のちょうど良い季節なので、アメリカでは一番人気の結婚月だそうです。

ちょっと前に「どんなプロポーズがお好き?」と題して、アメリカ式プロポーズのお話をしたことがありますが、今の時代は、彼氏が凝ったアイディアを考え、少しでもフィアンセを感激させようと、涙ぐましい努力をするのです。

そんな中、我が家のご近所さんは、今まさに、娘さんのプロポーズから結婚式に向かって実体験中!

娘さんのプロポーズの場面を、こんな風に語ってくれました。


次女のDさんは、中学校で出会ったRくんと結婚することになったのですが、今年30歳になるふたりにとっては、出会いから実に16年の歳月が流れています。

サンフランシスコ・ベイエリアで育ったふたりは、大学は互いに離れたところに通いましたが、地元に戻って仕事に就いたことをきっかけに、また、おつきあいが始まったのでした。

今は、ふたりで旅行するのが趣味なのですが、ある日、友人カップル(彼らも来年一月に結婚)と4人でシアトルに行くことになりました。野球のシアトル・マリナーズで有名な、西海岸ワシントン州の観光都市です。(Photo by Kenmore Air, from Seattle City Website)

風光明媚な海沿いの街で、4人は船に乗ったり、港を散策したりと楽しく過ごしましたが、夕刻になって、彼が「海を見下ろす公園に行こう」と彼女を誘うのです。

辺りが暗くなってきて、街に明かりがともる頃、彼はジャケットの内ポケットに隠していた一輪の真っ赤なバラを取り出し、地面に片ひざをつくのです。

そして、バラの花を差し出し、まっすぐに彼女の目を見つめて「Will you marry me? (結婚してくれませんか)」のひとことを。

彼女は感激で声がかすれながらも、もちろん「イエス」と答えます。

良いお返事をもらった彼は、今度は大きなダイヤモンドの指輪を取り出し、小刻みにふるえる彼女の左の薬指にはめてあげたのでした。


と、ご近所さんのお話と(結婚専門サイトに掲載された)写真を総合すると、こんな感じのプロポーズだったようですが、やっぱり、なんと言っても「ぜんぜん期待していなかった展開」というのが相手を喜ばせるミソでしょうか。

そう、Dさんは、自分がプロポーズされるなんて想像もしていなかったそうですよ。

それから、一輪のバラを差し出し「Will you marry me?」とお伺いをたてるのは、あるテレビ番組の有名な演出を真似ているのですね。

以前、英語のお話でもご紹介したことがありますが、ABCテレビの『The Bachelor(ザ・バチャラー、独身男性)』という人気番組です。(Photo from ABC’s “The Bachelor Season 17”)

まさに絵に描いたようなステキな独身男性が、全米から選び抜かれた25人の才媛からひとりを選ぶ、というシリーズもので、彼が最後に結婚相手となるべき人に差し出すのが、真っ赤な一輪のバラ。

毎週、気に入った相手を選んでいくプロセスでは、彼が女性たちにバラを手渡す演出になっているのですが、最終回で手渡す一輪の真っ赤なバラは、「結婚を誓う相手」という特別な意味が込められているのです。

この一輪のバラは、番組では「the final rose(最後のバラ)」と呼ばれていて、今となっては、上に出てきたDさんとRくんのケースのように、世間でも普通に使われている演出なのですね。


というわけで、プロポーズが首尾よく運んだら、今度は結婚。

ところが、ご近所さんにとっては、これが大変だそうです。なぜなら、ふたりとも北カリフォルニアで育ったわりに、結婚式は南カリフォルニアのサンディエゴ(San Diego)で開かれるそうなので。

サンディエゴは、もうほとんどメキシコ! という南の街です(地図では A地点がサンノゼで、B地点がサンディエゴ)

なんでも、Rくんの両親が今はサンディエゴに住んでいらっしゃるそうで、結婚式はあちらで開かれるとか。花嫁の母親であるご近所さんは、結婚式をプランするために、事あるごとに500マイル(約800キロ)も南のサンディエゴまで通わなければならないのです!

普通、シリコンバレーの方々は、一時間ほど南のモントレー(Monterey)やカーメル(Carmel)、または北に小一時間のハーフムーンベイ(Half Moon Bay)で結婚式を挙げるのが人気のようです。出席者のみなさんも、運転して来られますからね。(写真は、カーメルの有名なゴルフ場・ペブルビーチにしつらえられた結婚式会場)

けれども、海沿いのロマンティックな場所で、しかも新郎の両親の近くということで、サンディエゴになってしまったとか・・・。

おもしろいことに、アメリカでは伝統的に花嫁さんの両親が結婚式を負担することになっているので、ご近所さんがお金を出してあげるつもりでいるようです(太っ腹!)。が、それにサンディエゴに通う労力と費用が乗っかって、それは、それは大変なことでしょう!


もちろん、ウェディングプランナー(a wedding planner)を雇っているので、結婚式の細かいコーディネーションはやってもらえます。

でも、いろんなハリウッド映画でも知られているように、アメリカでも、結婚式って大変なんですよねぇ。

まず問題になってくるのが、どちらの家の宗教に従うのか、ということでしょうか。だいたい、カトリックの家は、ミサによるフォーマルな結婚式(a wedding Mass)を望むのですが、若い本人たちは、もっとカジュアルな式をやりたいと、意見が分かれることもあります。

この点が片付いても、「お式(a wedding ceremony)と披露宴(a wedding reception)には何人ご招待?」から始まって、「ケーキはどうするの? どんなバンドを呼ぶの? フォトグラファーは? お料理やお酒はどんなグレード?」などなど、決めるべきことは山ほどある・・・。

(写真は、サンフランシスコ中華街にあるカトリック教会、オールド・セントメアリーズ教会前のカップル)

なんでも、ご近所さんは、当初は90人ほどの招待客で予約をしようと思ったそうですが、「それなら、80人で予約した方が無難よ」と、ウェディングプランナーの方に注意されたとか。

「出席する」と答えておきながら、予約をキャンセルできないほど間近になってドタキャンしたり、黙って欠席する人もいたりと、かなりルーズな人がいるんだとか・・・。

それから、お酒が高価なので、これも頭痛の種だそうです。

ご近所さんは、自分たち親族はあまり飲まないから、シャンペンやワインは最小限で予約したいそうですが、若い人たちが飲み尽くしてしまったら、果たして追加分は自分たちが負担するのか? それとも、各自に負担してもらうのか? と、そんなことも迷っているそうです。

若い人にはそんな余裕はないだろうし(実際に払ってくれるかどうかも疑わしいし)、やっぱり最終的には自分たちで払うことになるのかしら?・・・と、悩みは尽きません。

「これが終わった頃には、わたしはもうプロよ。何でも聞いてちょうだい!」と、ご近所さんはおっしゃいます。


そういえば、先日、「近頃は景気が戻ってきて、結婚式にかけるお金もだんだんと増えている」というニュースも流れていましたね。

The Knot(ザ・ノット、knotは「結婚」の別称)というウェブサイトが17,000組のカップルに調査したら、結婚式費用の全米平均は、28,470ドル(約270万円)だったそうです。

アメリカはでっかい国ですから、場所によって大きく異なるそうですが、一番の倹約家はアラスカ、そして、一番高いのはニューヨークのマンハッタン。ここでは、平均77,000ドル(約720万円)だったとか!

伝統的に花嫁の親が費用を負担してきたアメリカですが、近頃は伝統にこだわらず、両家で負担したり、本人たちが負担したりと習慣も変わってきています。

それでも、誰が負担するにしたって、結婚式が豪華になると、費用もふくらんで大変ですよねぇ。

(Top photo and photo on the left originally taken by Photography by Delgado, a wedding photography service)

追記: ずいぶん前の話になりますが、我が家の場合は、結婚式も新婚旅行も自分たちで負担しました。でも、結婚式に出席していただいた方々のご祝儀で、そっくり新婚旅行をまかなえたので、ずいぶんと助かりました。

アメリカの場合は、プレゼントを贈る(もしくは式場に持って行く)のが普通ですので、残念ながら、ご祝儀でお式や新婚旅行をまかなうことはできないのです。

ちなみに、中米のニカラグアでは、花嫁さんのドレスに「お札のご祝儀」をピンでくっつけるのが習慣だそうですが、「あとで数えてみたら思ったよりもたくさんあって、これで新婚旅行がまかなえたよ!」という知人の体験談を耳にしたことがあります。(なんとなく日本に似ているでしょうか?)

アップル vs. 米国: 電子書籍の価格カルテル裁判

Vol. 167

アップル vs. 米国: 電子書籍の価格カルテル裁判

 


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6月と言えば、世間では、あこがれのジューンブライドの月。
そして、テクノロジー業界では、アップルのWWDC(世界開発者会議)がやってくる季節。

毎年、サンフランシスコで開かれるこのイベントは、あくまでもアップル環境の開発者向けではありますが、アップルの一挙手一投足には、みんなの目玉がグイッと集中します。

そんなわけで、今月は、WWDCとは直接関係はありませんが、もうひとつアップルが世間を騒がせた話題を取り上げることにいたしましょう。

<アップルと電子書籍>


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第24回WWDCの初日、モスコーニ・ウェストの壇上では華々しい製品発表が行われました。
新しいiPhone OS「iOS 7」にマックOS「OS X Mavericks」、新型デスクトップMac ProにノートブックMacBook Air、そして、これまで他社(Pandora、Spotify等)に先を越されていた音楽ストリーミングサービス「iTunes Radio」と、盛りだくさん。

でも、華々しさとは裏腹に、「う〜ん、どちらかというと、今までの機能の延長線であって(evolutionary)、あっと驚くような革命的な(revolutionary)発表ではなかったかなぁ」という巷の声も聞こえてきたでしょうか。

新機能を見てみると、どれも他社の優れた点を真似ているという批評もありましたが、わたし自身が「あれ?」と思ったのは、OS X Mavericksの紹介をアップルウェブサイトで読んだとき。


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新しいマックOSでは、iPad、iPhone、iPod touchのモバイル環境で購入した電子書籍を自動的にマック(パソコン)でも読めるようになる、というもの。
単に本が読めるだけじゃなくて、今読んでいるページ数だって、メモ書きや「ここ重要!」とハイライトした箇所だって、iCloud(アップルのクラウドサービス)が自動的に各デバイスにプッシュ通知してくれるので、「あなたは何もする必要はありません!」という新機能。

でも、これって、電子書籍の第一人者アマゾン(Amazon.com)が以前からやっていたものではありませんか?
「Kindle(キンドル)リーディング・アプリ」をパソコン(やマック)にダウンロードしておけば、専用端末「Kindle」を持たなくたって、パソコンでもスマートフォンでもタブレットでも購入した本が自動的に読めるようになるし、自分で「手を加えた」箇所だって、今読んでいるページ数だって、Whispersync(アマゾンの同期技術)ですべてのデバイスに瞬時に行き渡るようになっているでしょう。

だとすると、アップルはアマゾンの真似をしている?

しかも、Kindleアプリがすべての環境(マック、Windows、iOS、アンドロイド、ブラックベリー、Windowsフォーン)に対応している分、アマゾンが遠く先を行く?

このように、電子書籍分野ではアップルは他社の後塵を拝したわけですが、この点に関して、現在、アップルと米国の熾烈な闘いが起きています。

そう、米国司法省がアップルを訴え出て、法廷に「故人」や「架空のキャラクター」まで登場する裁判劇が繰り広げられているのです。

<司法省の訴状>


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事の発端は、昨年4月、米国の代表者である司法省がアップルと国内主要出版社5社を相手取り、ニューヨーク・マンハッタンの連邦地方裁判所に訴状(写真)を提出したことでした。
民事訴訟の趣旨は、価格カルテルによる独占禁止法違反。商取引を制限する共謀(conspiracy)を禁止したシャーマン法第一条(合衆国法典第15編第1章)に抵触するので、改善を求めるというもの。

この36ページの訴状は、実に平易に論理的に書かれていて、まるでスパイ小説を読むようなスリル感も漂います。それによると、罪状はこうなのです。
2007年11月、アマゾンが専用端末「Kindle」を発売して以来、「新刊とベストセラーは9ドル99セント均一」という安値で電子書籍(e-books)が消費者に広まった。が、これを不服とする出版大手5社は、皆で結託して秘密裏に対抗策を講じようとしていた。
ここに、タブレット新製品「iPad」の発表(2010年1月27日)を控えたアップルが加わり、自社と出版大手に有利となるビジネスモデルを打ち立て、電子書籍の流通網に圧力をかけた。
その結果、電子書籍は12ドル99セント、ときに14ドル99セントと価格が跳ね上がり、今まで安値を享受していた消費者は、アップル・出版社連合(プロジェクトZ)の「合気道の技(aikido move)」に足をすくわれてしまった。

要するに、アマゾンの存在に脅威を感じた出版大手が、アップルと一緒になって電子書籍の値段をつり上げようと裏工作したという訴状ですが、ここで有名になったのが、新たなビジネスモデル「エージェンシーモデル(agency model)」。
電子書籍ストア「iBookstore」の導入で電子書籍の小売店となるアップルを出版社が「エージェント」として指定し、30パーセントのコミッションをいただけるなら、出版社側が販売価格を設定してくださって(値段を上げてくださって)結構ですよ、というビジネスモデル。

これは、今まで百年続いた出版界の「卸売りモデル(wholesale model)」をひっくり返すものでした。
今までは、出版社が定価(list price)の半分を卸値(wholesale price)としていただければ、あとはいくらで売ろうと、売値(retail price)は小売側が決められるという商習慣でした。
そこで、アマゾンは「新刊人気書籍の電子版は、均一9ドル99セント」という画期的な値付けをして、「iPad以前」の電子書籍分野をほぼ駆逐していたのでした。

ところが、「いずれは電子書籍の値崩れが出版界全体に悪影響を及ぼす」と危機感を抱いた出版5社がアップルと結託し、「新たにエージェンシーモデルを採用しなければ、本を卸してあげませんよ」と電子書籍販売網に圧力をかけ、結果的に「9ドル99セント」の価格がつり上がったと、司法省は問題視したのでした。
(現在は、アマゾンもエージェンシーモデルを採用し「新刊均一9ドル99セント」は廃止しています。そして、iPad発売(2010年4月3日)以来、アマゾンの電子書籍シェアは約6割に下がっています)

国内の出版大手6社(Big Six)のうち、昨年3月までアップルのiBookstoreに参加しなかったランダムハウスは、訴状には含まれていません。
そして、被告となった出版5社のうち、3社は訴状提出日に、残る2社は数ヶ月後に司法省と和解していますので、残る被告は「首謀者(司法省の言う“リングマスター”)」とされるアップルのみ。

けれども、最後の一社になろうと、CEOティム・クック氏は「何も悪いことはしていない!」と抗戦の構えを崩さず、いよいよ6月3日の開廷を迎えたのでした。

連邦政府の独禁法の訴えが裁判にもつれ込むことはまれで、実際、この裁判を担当するデニース・コート判事も和解を勧めたそうですが、それほど、アップルの決意は固いということでしょう。

<ペンギン対クマさん!>
というわけで、6月3日、陪審員なしの裁判が始まると、内部事情を知る出版社CEOやアップルの責任者、はたまた数字を語る経済学者たちと、連日、証人喚問が続きます。
アマゾンやグーグルからも弁護士が出廷し、自分たちのビジネスシークレットを明かしてくれるなと、裁判官に懇願する一幕もあったとか。

米出版界は複雑怪奇な世界ですので、証言もややこしくなるのですが、最大の論点は、アップルが出版社側の価格つり上げ工作に意図的に加わっていたのか? ということ。もちろん、ここで言う「意図的」には、「アマゾンに対抗するために」という伏線が隠されています。

司法省は、アップルと出版社が仲良く結託して価格をつり上げたことを証明したいわけですが、これが、なかなかうまくいきません。司法省が喚問した出版社CEOの証言ですら、思うようには運ばないからです。

たとえば、次々と証言台に立つ出版社CEOの発言からは、アップルと出版社側が価格交渉でもめていた構図が読み取れます。
出版社側は、つり上げられるなら16ドル99セントでも良いと主張したが、当時のアップルCEO故スティーヴ・ジョブス氏は、「それは高い! せめて14ドル99セントじゃないとダメだ」と、交渉にあたっていた自分の右腕エディー・キュー氏(インターネット/ソフトウェアサービス・シニアヴァイスプレジデント)に価格上限の設定を指示したと。


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価格に関しては、ジョブス氏自身もiPad発表直前まで大いに揺れていたようで、出版親会社重役のジェイムズ・マードック氏(メディア王ルーパート・マードック氏の次男)にこんなメールを送っていたそうです。
「ふん、アマゾンは9ドル99セントで本を売ってるんだよ。もしかすると彼らが正しくって、12ドル99セントでは失敗するかもしれないじゃないか」と。

さらに、司法省のスター証人のひとり、ペンギン(ペンギングループUSA)CEOデイヴィッド・シャンク氏は、こう証言しています。
アップルとエージェンシーモデルの契約をしたのは、新製品iPadが世の中の「狂ったフィーバー(irrational enthusiasm)」によって8千万から1億台を販売するほどの人気商品になると判断したからであると。


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そして、反対尋問に立ったアップル側弁護士オリン・スナイダー氏が、iPad発売時に「おまけ」となったカラー版『クマのプーさん(Winnie-the-Pooh)』を話題に上げると、ペンギンのシャンク氏は、こう答えています。
当時はまだ白黒だったアマゾンKindleに比べて、iPadは実に「美しい(beautiful)」製品であった(人気が出るのは当然だ)と。
(ここでスナイダー氏は、インパクトを狙っていたんでしょうね。「プヨプヨした、ちっちゃなクマさん(chubby little cubby)」を、ペンギンは「美しい」と認めたぞ! と。きっと「ペンギンとクマさん」という見出しの話題性まで、思い描いていたに違いありません!)

それから、「共謀によって電子書籍の価格はつり上がった」と主張する司法省ですが、アップル側の経済学者は、「エージェンシーモデル導入で、かえって平均価格は下がっている」と真逆の証言をしています。
出版社側も同様の証言をしていて、「出版社の実入りは従来方式の3割ほど減っている」「だが、それでもエージェンシーモデルを導入し、自ら価格を設定することで(アマゾンが破壊しようとしている)出版界を守りたかった」と、アシェット(アシェット・ブックグループ)CEOデイヴィッド・ヤング氏は述べています。

6月20日、3週間にわたる裁判は最終日を迎え、両陣営の最終弁論で幕を閉じました。あとは、今年中に出るコート判事の判決を待つのみです。

<この先の出版界は?>
というわけで、アップルが指揮したとされるエージェンシーモデルの導入で、電子書籍の価格は上がったのか下がったのか、果たして何がホントで何がウソなのやら、煙に巻かれたような気分でもあります。

ここまでくると、複雑怪奇を通り越して「魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界」にもなってくるわけですが、わたし自身は、この裁判劇を傍観していて、ひどく疑問に感じたことがありました。
それは、そもそもアマゾンが電子書籍を売り始めたとき、市場を駆逐したいがために「出血覚悟」で9ドル99セントの価格を設定したことは、問題にはならないの? ということです。


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新刊人気書籍の電子版を破格な値段で売れば、(値付けの高い)紙の本はどんどん売れにくくなって、「商売あがったり」の小売店も出てくるでしょう。
現に今は、個人経営の本屋さんが次々と店をたたむ時代になっていて、アメリカの街中で昔ながらの本屋さんを見かけることはほとんどありません。
書籍以外にも商品のセレクションを持つアマゾンだからこそ、原価割れで本を売っても生きていけるのであって、小さな書店には、それは不可能です。

しかも、流通の問題だけではなく、書く側にとっても、いずれは悲劇として跳ね返ってくることでしょう。そう、著者が何年も苦労して書き上げた本が二束三文で売られ、その結果、出版社は著者に(不当に)出し渋るようになる構図が。


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「著者の費やした膨大な時間や学術研究の量にかかわらず、すべての本が9ドル99セントで売られる状況を考えてみてください。(中略)そんなのは、まったく理不尽でしょう」と、アシェットのヤング氏も法廷で述べているように、モノには適切な値段というのがあるのでしょう。

ある著者が、テレビ討論でこんな発言をしたのが脳裏に刻み込まれています。
僕の作品は、アマゾンの電子書籍バーゲンセールで99セント(約97円)の叩き売りにされると、たった一日で、それまで(数年)の販売冊数を大きく上回った。もちろん、買う側は、安ければ安いほど嬉しいわけだけれど、99セントだよ、99セント・・・。
こう吐き捨てた彼は、円卓の場を中座したのでした。

さらに、もうひとつ大いに疑問に感じていることがあるのです。それは、この裁判の意義。
仮に、コート判事がアップルを「有罪」としたとしましょうか。が、ここで司法省の求める「改善」とは、何なのでしょうか? アップルに「悪うございました」と謝らせ、罰金を取ることでしょうか?
訴状を読む限り、「エージェンシーモデルを破棄させ、小売側に価格決定権を戻させる」とありますが、そんなにスムーズにいくものでしょうか?

冒頭でも書いたように、当初被告となっていた出版5社はすべて(罰金を払って)司法省と「和解」しているのですが、その後、肝心の電子書籍の値付けが下がった気配はありません。少なくとも、新刊書は、9ドル99セントで売られることはまれです。
だとすると、司法省の言う「和解」や「改善」とは、消費者にとってどんな意義があるのでしょうか?

どうも個人的には、この裁判は、政権の「点数稼ぎのパフォーマンス」のようにも思えるのです。
なぜなら、訴状が提出された昨年4月とは、アップルのスティーヴ・ジョブス氏が亡くなった半年後というタイミング。もしかすると、政権は、きらびやかな星の中でも、ジョブス氏のいなくなったアップルをターゲットに選んだのではないかと・・・。
 


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と、まあ、勝手な私見を並べてみましたが、アップル現CEOのティム・クック氏には、ちょっとアドバイス差し上げたいことがあるのです。

そんなに、四角四面に正論ばかり主張してないで、オバマ大統領とビールジョッキでも傾けてみたらいかがでしょうか?
そこでゲプッと一発、顔に吹きかけてあげて、ふたりで腹を抱えて大笑いしてみては?

夏来 潤(なつき じゅん)

 

アメリカのテーブルマナー

5月から6月にかけて、アメリカは卒業(graduation)のシーズンとなります。

とくに6月は、小学校から大学まで卒業式(graduation ceremonycommencement)のラッシュアワーです。

(写真は、コミュニティー新聞に掲載された、近くの高校の卒業式の様子。こちらの高校では、みんな白装束ですが、学校によってはと華やかな彩りになりますね。)

カリフォルニアでは、6月ともなると雨期は過ぎ去り、雨が一滴も降らない乾期に入りますが、そんな晴れのお天気で心配になるのが、熱中症(heat stroke)。

アメリカの卒業式は、屋外の競技場などで開かれる場合が多いので、かんかん照りになると、元気な卒業生はまだしも、招かれた家族の方が倒れたりすることもあるのです。

つい先日の土曜日も、サンフランシスコ・ベイエリアの内陸部で、次々と招待客が倒れる騒ぎがありました。

それこそ、校内には救急車が待機して、倒れた人々を日陰に運んだり病院に搬送したりしたようですが、その日、内陸部は摂氏42度(華氏107度)の猛暑。「あまりに危険だ!」ということで、卒業式が途中でキャンセルされた高校もあったくらいです。

6月は、いつもそんなに暑いわけではありませんが、突発的に気温が上がることもあるのですね。


というわけで、この卒業の季節、卒業生にしてあげることと言えば、まずは、お祝いのメッセージを贈ること。

カードで「おめでとう!」を伝えてもいいし、新聞やネットにお祝いの気持ちを載せてもいいでしょう。

こちらは、「6月16日に卒業特集を組むので、卒業生にお祝いメッセージを贈りましょう!」という地元紙の広告です。

Congratulations Class of 2013(おめでとう、2013年度の卒業生)」という見出しが、読者の目を引きます。

こんなにソーシャルネットワークが流行っている時代ですが、卒業生にとっても「良いことで新聞に載る」のは、悪い気はしないかもしれませんね。

そして、メッセージだけではなく、お祝いの品を贈ったり、パーティーを開いたりというのもあるでしょう。

いつか近くのクラブハウスのレストランで食事をしていたら、こんな光景を見かけました。

高校の卒業生とお見受けする男のコに、お父さんが箱に入った車のキーをプレゼントしているところを! (車は自分のバイト代で買うコも多いですが、このコは恵まれていますよね!)


というわけで、この卒業の季節、卒業生のために開かれたランチやディナーパーティーに招かれることもあるでしょう。

そこで、本題です。そう、テーブルマナー!

アメリカのテーブルマナーって、ヨーロッパとちょっと違うんです。ですから、そこのところを、ご説明しておこうかと思いまして。

とくに、ナイフとフォークの使い方がヨーロッパと違うんですね。

ヨーロッパ式では、左手にフォーク、右手にナイフを持って、ナイフで切ったものは、そのまま左手のフォークで口に運びますよね。このとき、右手にはナイフを握ったままです。

ところが、アメリカの場合は、ナイフで切ったあと、右手のナイフを置いて、フォークをわざわざ右手に持ち替え、右手のフォークで口に運ぶのです。これが、正式なマナーです。

一回ごとにフォークを持ち替えるのは面倒なので、ステーキなどを切る場合は、いくつかの細切れを切っておいても大丈夫です。

でも、口に運ぶのは、あくまでも右手に持ち替えたフォーク。持ち方は、鉛筆を握るときみたいに、スプーンの握り方と同じです。

食べ物を切ったあと、右手のナイフを置くときには、皿の右端に静かに置くのが基本です。使ったものなので、テーブルの上には置きません。

それで、フォークを右手に持ち替えたら、何も持っていない左手は、ひざの上にお行儀よく置きますね。

もちろん、このとき背筋はピンと伸ばして。猫背(slouching)になってはいけません。

そして、口のまわりにソースが付いたかな? と思ったら、ナイフもフォークも置いて、ひざの上のナプキンで口元を軽く押さえます(そう、ひざの上には、必ずナプキンを置いておきましょう!)。

食事中に、よくアメリカ人が口元をナプキンで拭く(blot the mouth)のは、口のまわりに何か付いていたらマナー違反だと思うからです。

そうそう、ちょっと前にサンフランシスコのバーで地元の野球チームを応援したことがあったのですが、男性4人組がテーブルでハンバーガーを食べていて、みなさん、ひざの上のナプキンでちょこちょこ口のまわりを拭いているのを見て、おかしくなったことがありました。

どんな人でも、どんな格好をしていても、「口元はきれいに!」が基本です。


それから、食べるときにくちゃくちゃと音をたてるのはいけませんね。

とくに、音をたてて食べ物をすする(slurping)のは、いけません。

たとえば、スープをすするとか、麺類をすするとか、すする音は嫌われます。

こちらは国によって違う部分もありますので、逆にアメリカ人が日本に来てソバを食べるときには、「ちゃんと音をたてて、すすって食べなさい(You have to slurp when you eat soba noodle)」と教えてあげた方がいいでしょう(と言いながら、ソバをすするのは、かなり難しい芸当ですよね)。

というわけで、アメリカ式テーブルマナーをざっくりとご説明いたしましたが、ナイフとフォークの使い方を見ていたら、ヨーロッパを旅していても「あ、あの人はアメリカ人だ!」と、すぐにわかるのです。

小さい頃は、わたしもヨーロッパ式で育ちましたが、そのうちアメリカ式に慣れたら、今はもう、左手のフォークでは食べられなくなってしまいました!

慣れってコワいものなのです。

追記: わたしがアメリカ式テーブルマナーを学んだのは、大学の寮のカフェテリアでした。友達の男のコが親切に教えてくれたのですが、彼は(思いのほか)育ちが良かったのかもしれません・・・。

それから、最後の写真は、東京・六本木ヒルズ近く、旧テレ朝通りにある「欅(けやき)くろさわ」の玉子とじ蕎麦です。とくにソバが好物でないわたしでも、「とろり感」にハマってしまうおいしさなのです。

「おにぎり」ショートストーリー

いえ、たいしたお話ではありません。

先日、連れ合いと一緒に、刑事モノの2時間ドラマのDVDを観ていたときのことです。

寺脇康文さん演じる警視庁捜査一課の刑事が、「犯人扱い」されている奥さんを助けようと真相を解明するストーリーでしたが、この刑事さんが、意外にも料理がお得意!

「やり手刑事」のイメージとは裏腹に、かわいらしいエプロンが堂に入っています。

手芸が得意で、料理は大の苦手の奥さんになり代わり、一家のお食事を甲斐甲斐しく世話してくれるのです。

めでたく事件が解決し、最後はみんなで仲良く「公園のピクニック」となったのですが、問題は、このシーン。

さ、みんなでご飯にしましょう! と開けたお弁当箱には、おにぎりや卵焼きがずらり。このシーンを観て、連れ合いが、あるイヤな記憶を取り戻したのでした。

何年か前、みんなでピクニックに行ったら、こんなことがあった・・・と。


最初はうろ覚えだったものが、思い出そうとするとだんだんと「痛み」が鮮明によみがえってきたみたいで、こんなストーリーとなりました。

シリコンバレーに引っ越して来る前、ふたりで東京近郊の外資系コンピュータ会社に勤めていた頃。

連れ合いの課でピクニックがあったので、彼は張り切ってお弁当をこしらえました。卵焼きに豚肉のケチャップソースがけ。もちろん、おにぎりは欠かせません。

そして、お昼になって「さあ、食べて!」とお弁当を開いたのはいいのですが、「このおにぎりは、僕がつくったんだよ」と説明すると、おにぎりに伸びていたみんなの手が、突然止まってしまった。

みんなは、わたしがつくって持たせたおにぎりだと勘違いしていて、それだったら食べたい! と手を伸ばしたようです。でも、それが連れ合いのおにぎりだとわかると、まるでバイキンでもくっついているかのように毛嫌いした・・・と。

ドラマを観てこの悲話を思い出した連れ合いは、「みんな、そんなに僕の手がきたないと思っていたのかなぁ」と、ため息まじりに言うのです。

ま、たしかに、女性の手よりはゴツいですし、見目麗(みめうるわ)しくはないですが、それでもちょっとひどいですよねぇ。

だって、せっかく「みんなに食べてもらいたい」と、愛情を込めてつくったのに。


我が家でも、ドラマみたいに、わたしが仕事場にこもっているときには、連れ合いが夕ご飯をつくるのが恒例になっています。

ときどき、「今夜は何にしようかな?」と、冷蔵庫の前でほほに手を当てて考えているみたいですよ。自分は「冷蔵庫の掃除係だ」なんて自慢するくらいですから。

そして、ピクニックのお弁当にいたっては、彼がつくるのが習わしになっています。なぜって、全般的に料理は大好きだけど、お弁当づくりはとくに好きだから。

お弁当をつくっていると、「どこかにお出かけ!」と、ウキウキするんだそうです。

そんな気持ちを裏切られるような「おにぎり悲話」を聞いて、わたしはなんとなく気の毒な気分になっていたのです。

が、連れ合いはきっぱりとこう言うんですよ。

僕が悲しかったのは、べつに自分のおにぎりを食べてもらえなかったからじゃないよ。おにぎりがたくさんあまって、捨てられるなんてかわいそうじゃない、と。

なるほど、それも一理ありますか。

追記: 冒頭の写真は、5月に滞在していた東京のホテルで撮った、ある日の昼食。コンビニのおにぎりと苺です。個人的には「南高梅」のおにぎりが気に入っているのですが、近頃は、コンビニの食べ物もずいぶんとおいしいですねぇ。

そして、最後の写真は、ホテルのレストランで特別に握ってもらった梅おにぎり。メニューにはないのですが、「つくってよ」と頼んだら、ちゃんとつくってくれました。

やっぱり、おにぎりにすると、格別な味がするような!

五月の旅路:「日本らしさ」とは?

Vol. 166

五月の旅路:「日本らしさ」とは?

 


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アメリカというところは、とかく住みにくいものでして、モノがよく壊れるんです。しかも、家の中の水道管という、もっとも大事なモノが・・・。

ま、長いアメリカ生活、壁の中の上水道が破裂したのは3回目(!)なんですが、何回経験しても、これほど面倒でイヤなものはありません。そう、水は引力の法則で、階下に流れ落ちるもの!

が、クヨクヨしても始まりません。受難からわずか一週間後、室内の乾燥や修理はプロフェッショナルに任せて、成田に向かう飛行機に乗り込みました。

というわけで、今月は、久しぶりに日本のお話をいたしましょうか。

<考えさせられる川柳>
東京のホテルで日経新聞を読んでいたら、「サラリーマン川柳コンクール」が紹介されていました。

毎年この時期になると、第一生命が人気投票による「ベスト10」を発表するそうですが、映えある今年の1位は、こちらの句。
いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦

なるほど、ふたりの関係が新婚の頃からは微妙に変化している様子が、如実に読み取れる秀作です。
そういえば、「何のために夫婦をやっているのかわからない」という知人の重大なコメントを耳にしたことがあるのですが、だったら関係改善に努めるか、関係を解消するしかない・・・と思うわたしは単純でしょうか?

そして、わたしが個人的に気に入ったのは、会社勤めを描写した2位と3位の句でした。

第3位は、こちら。
「辞めてやる!」会社にいいね!と 返される

う〜ん、なんとも身につまされる内容ではありますが、ほぼ100パーセントの人が一度は「辞めてやる!」と思ったことがあるのでしょう(いえ、その方が尋常な神経の持ち主だと思います。だって、どんなに会社に忠誠心を抱いていても、一度くらいはカチンとくることもあるでしょうから)。

そして、輝かしい第2位は、こちらの句。
電話口「何様ですか?」と 聞く新人

いやはや、これには大笑いしてしまいました。が、それと同時に、日本の将来にちょっとした危機感すら抱いたのでした。だって、こんな情景は、どこにでもありそうだから。

そうなんです。近頃、「日本語のプロ」であるべき人たちの言葉が乱れているなと感じることがあって、たとえば、ドラマを観ていたら、こんなセリフが耳につきました。

内田康夫氏原作の名探偵「浅見光彦」シリーズをドラマ化した脚本で、お母さんが光彦に向かって、「(その方を)ご存じなの?」と聞くシーン。
わたしが理解する限り、「ご存じ」というのは尊敬語であって、公家か皇族でない限り、母親が息子に使うべき言葉ではないと思うのです。
ですから、この場合は、単に「知っているの?」もしくは「(第三者に対してへりくだって)存じ上げているの?」というセリフを使えばいいのではないでしょうか。

そして、もっと奇異に感じたのは、NHKのインタビュー番組。

4月から始まった新番組『勝利へのセオリー』のナビゲーターを務める、元陸上選手・為末大氏との対談でしたが、いろんなスポーツ監督にインタビューをする為末氏に向かって、「(あなたは数々の名監督に)伺っていらっしゃるわけですが」と言うNHKアナウンサー。

わたしが理解する限り、「伺う」というのは謙譲の言葉(へりくだる表現)であって、相手に対して使うべきものではないと思うのです。しかも、それに「いらっしゃる」という尊敬語をくっつけるなんて・・・。
この場合は、単に「(話を)聞かれているわけですが」でいいのではないでしょうか。

残念ながら、この「伺う」の使い方を間違っている人が多いようにも感じるのですが、「伺っていただけますか?」というのは、もはやオフィスの定番になっているのかもしれません。

サラリーマン川柳の「何様ですか?」といい、「伺っていらっしゃる」といい、自分は組織を代表して人に接しているのだ、という自覚を持つべきだと思うのですが・・・。

いえ、決して「口うるさい、じい様」になりたいわけではありませんが、じい様だったら、こんなことをおっしゃるのではないでしょうか?

美しい母国語を話さずして、何が外国語じゃ! と。

<「しんぞう」を観に行こう!>
「しんぞう」というのは、「心臓」ではありません。

あまり耳にすることはありませんが、「しんぞう」というのは、「神像」と書きます。つまり、「神の像」。

日頃、日本人が親しく触れる「仏像」に対して、「神」を模した像というわけです。

言われてみれば、「仏像」があるなら「神像」があってもいいかと思うのですが、普段、どうして神像を見かけないのかというと、神像が仏像ほど世の中に存在しないことと、存在したとしても、神社の奥深く安置され、人の目に触れることがほとんどないからです。
 


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元来、日本の神道にはアニミズム的な自然礼拝の精神が受け継がれ、礼拝の対象となる偶像を持たなかったのですが、奈良時代から平安時代を迎える頃(8世紀半ば)になると、仏教の影響で神像がつくられるようになったということです(写真は、和歌山・熊野那智大社のご神木「那智の大樟」)
でも、神像は仏像ほど多くはつくられなかったので、後世に残るのはまれだった。

その神像を、今、観ることができるのです。しかも、全国各地から集まった50躯もの国宝級の神像が!
 


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場所は、東京都台東区・上野恩賜公園にある東京国立博物館。本館隣の平成館で特別展として開かれている『国宝 大神社展』です。

鏡、太刀、勾玉の三種の神器や絵巻が展示される第一部と、絵馬、神輿(みこし)、狩衣(かりぎぬ)などが展示される第二部に分かれますが、第二部の最後にお目当ての神像が展示されます。
 


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こちらは、京都・東寺(とうじ)鎮守八幡宮の国宝『女神坐像』。
9世紀の作で、現存する神像では最古とも言えるものです。

八幡三神像の一躯で、こちらの女神を観るかぎり、なんとなく仏さまのようにも見受けられます。

けれども、こういった「仏さま風」はごくまれで、人間を超越したような穏やかな仏像とは違って、女神も男神も、どことなく平安時代のお公家さんの風情で親しみすら覚えるのです。


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たとえば、こちらの坐像。京都・松尾(まつのお)大社に伝わる重要文化財『男神坐像(老年像・壮年像)』と『女神坐像』。
あらためて「神像」と指摘されなければ、貴族の像かとも勘違いしそうです。
そして、中には男の子や女の子の神(童形神、どうぎょうしん)や、お坊さんの神(僧形神、そうぎょうしん)もいて、「神々しさ」よりも日々の生活に密着した「人間らしさ」を感じるのです。

いつかヴァチカン市国のシスティーナ礼拝堂を訪れ、ローマ教皇の礼拝の場に描かれた壁画が「神を賛美する」ことよりも「人間賛美」に徹しているような印象を持ったのですが、国立博物館の神像も「神」を描こうとしながら、実は人間性を謳っているようにも感じられたのです。

それと同時に、武家社会が確立する以前は、その人間性の中に女も男も、子供から大人まで、等しく含まれる日々の営みであったとも感じるのです。

このように「人間味」を放ちながらも、神の像が50躯もずらりと並ぶ展示場は、どこか異様な光景で、あまり長居をしていると、薄暗い室内に渦巻く不思議なエネルギーに気圧される感覚を抱きます。
それが、何世紀も前のつくり手のエネルギーなのか、それとも何世紀にも渡って祈りの対象となり蓄積されたエネルギーなのかはわかりませんが、やはり神の像は、尋常ではないのです。
 


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残念ながら、わたしの「展覧会めぐり」には(ウルトラマンみたいに)タイムリミットがあるので、前半の展示物はすっ飛ばして、ひたすら神像群や日本最古の神輿に注目していました(写真は、和歌山・鞆淵八幡神社の国宝『沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじ・らでんこんどうそう・みこし)』:国宝指定の昭和31年まで祭りで使われていた平安時代の名作)
が、それでも、入場料の1500円は安いかとも思いました。

だって、国宝級の「神々」が一堂に会することは、もうないかもしれないから。

『国宝 大神社展』は、6月2日(日)まで開かれています。

同じく上野公園にある国立西洋美術館では、同日までルネサンスの巨匠『ラファエロ展』が開かれていますが、やっぱり日本人なら、「しんぞう」を観に行かれたし!

追記: 『国宝 大神社展』は、来年1月15日から福岡県太宰府市の九州国立博物館でも開催されます。

<後記>
というわけで、「しんぞう」を堪能した翌日、後ろ髪を引かれながらアメリカに戻って来ましたが、ま、水害に遭った自宅は「小康状態」と言えるでしょうか。
 


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良かった点は、プロの「乾かし屋さん」に完璧に乾かしてもらったので、カビ発生の心配はないこと。そして、多発する「水道管破裂」に対処すべく美しくシステム化された保険会社のプロセスによって、壁や天井の修理は素早く終了していたことでしょうか。

けれども、破裂の震源地バスルームの大理石の床は壊され、ベッドルームのじゅうたんははがされ、いつもの部屋は使えないという、屋内の避難生活が続いています。

これから、家じゅうの床の張り替えもしなければならないのですが、まあ、こういう場合は、イヤなことは忘れて明日のイイことだけを考える「ショートターム・メモリー(短期記憶)」が必要でしょうか。

そんなわけで、来月号は新しく生まれ変わった我が家から発信できればいいな、と願っているところです。

夏来 潤(なつき じゅん)

時の流れ~サンフランシスコの場合

先月は、ボストンマラソンで連続爆破の悲劇が起こりましたが、わずか数日のうちに犯人が拘束され、アメリカ全土がほっと胸をなでおろしたことでした。

命を落とされたり被害に遭われた方々、勇敢に助けに向かった方々、そして犯人拘束に尽力した捜査関係者にみんなが思いを馳せ、心を痛めたり、大いに励まされたりと、いろんな感情の起伏を体験した一週間ではありました。

そして、その同じ週、はるか遠いサンフランシスコでは、サンフランシスコ大地震から107周年を迎えておりました。

以前も何回かご紹介したことがありますが、1906年4月18日未明、サンフランシスコの西の海底で起こったマグニチュード7.9の大地震が、ゴールドラッシュで栄えた街を突然襲ったのです。

毎年、この日になると記念式典が開かれるのですが、今年は連続爆破事件のおかげで、どちらかというと影の薄い記念日となりました。が、例年通り、地震が起きた早朝5時12分には、市内で式典が開かれました。

けれども、今年の式典は、いつもとちょっと違っていたのでした。

ひとつに、式典が開かれた場所。

例年、式典は、目抜き通りマーケットストリートの「ロッタの噴水(Lotta’s Fountain)」の前で開かれます。
 「ロッタの噴水」というのは、1875年に街の中心地に建てられた、小さいながらも美しい噴水ですが、1906年の大地震の直後は、市民の集合場所や家族の安否を記したメモ書きの「掲示板」として使われていたのです。

でも、今年は、噴水の前に怪しい荷物が置いてあったので、急遽べつの場所に移されたのでした。

ボストンマラソン爆破事件の直後ですので、みなさん神経がピリピリしていて、どんな「怪しい荷物」も見逃すことなく、急いで式典を近くのユニオンスクウェアに移したのでした。

でも、何のことはない、洋服の詰まったただのスーツケースだったみたいで、関係者はほっと胸をなでおろしたのでした。

急遽、式典会場となったユニオンスクウェア自体も、地震のあと、市民のための食べ物の配給所のひとつとなったそうなので、式典には最適の場所だったことは確かですね。

地震のあと何ヶ月間も、ゴールデンゲート公園や軍隊の駐屯地プレシディオといった広い場所には、市民を住まわせるテントがずらっと並んでいたのでした。


そして、もうひとつ、今年の式典がいつもと違っていたのは、生存者がひとりも出席されなかったことです。

4年前にもお伝えしたことがありますが、その年の103年祭の直前には、生存者として有名だったハーバート・ハムロールさんが亡くなったので、もう誰も生存者はいらっしゃらないと危惧されていました。
 でも、偶然にも生存者がふたりも「発見」されて、おふたり(106歳のローズさんと103歳のビルさん)は仲良く式典に出席されたのでした。

おふたりは初対面だったので、前夜祭のディナーでは、それこそ「ブラインドデート」となったのでした(上の写真の方がビルさんで、こちらの写真でローズさんの右側にいらっしゃるのは、ローズさんの息子さんです)。

それから4年、生存者は少なくとも3名はいらっしゃるということですが、今年の式典にはどなたも出席されなかったのでした。

残念ながら、ローズさんは、昨年2月に109歳で亡くなられましたが、107歳となったビルさんは健在でいらっしゃいます。でも、朝5時の式典に間に合うように起きるのは辛い・・・という理由で、今年は出席されなかったみたいです。

このビルさんのほかには、ウィニーさんとルースさんという女性の生存者がいらっしゃるそうです。ウィニーさん(107歳でビルさんと同い年)は、昨年の式典に生まれて初めて出席されていて、ルースさん(112歳)は、今年の前夜祭ディナーには元気に出席されたそうです!


ちょっとした有名人のローズさんが亡くなられたのは残念なことではありますが、「うちの家系には、長生きの血が流れているんだよね」と、もうすぐ80歳になる甥のハーマンさんはおっしゃいます。

ローズさんも健康にはとても気をつけていらっしゃったそうで、「一日一個のりんごan apple a day)」を欠かさなかったとか(「一日一個のりんごは医者いらず(An apple a day keeps the doctor away)」と言われていますよね)。

3歳半で大地震に遭い、家族みんなでバーナルハイツの頂上に登って、街が火災で焼かれるのを目の当たりにしたローズさんですが、そんな彼女は、生前こんなことをおっしゃっていたそうです。

サンフランシスコの街は地震で大打撃だったけれど、復興を果たしたあとは、どんどん下り坂(downhill)だったわ。いろんなことが変わってしまって、それは決して良い方にではなく、悪い方に変わったのよと。

今となっては、具体的にどのようなことをさしていらっしゃったのかはわかりませんが、もしかするとローズさんは、あまりに激しい街の変化に警鐘を鳴らされていたのかもしれませんね。

わたし自身にも、33年前に初めてサンフランシスコに住んだ「歴史」があるのですが、それから今を比べると、街は小ぎれいになったものだと感心しているのですよ。

昔は、ダウンタウンのミッションストリートは「悪の巣窟」みたいなイメージがあって、近づかない方がいいと言われていましたが、今は、緑の芝生の美しい公園や近代美術館、コンベンションセンターができたりして、「SOMA(サウス・オヴ・マーケット、略称ソウマ)」とか「Yerba Buena(イェルバ・ブエナ)」と呼ばれるオシャレな地区に変身しています。

そんなわけで、1850年代のゴールドラッシュ以来、この街にはたえず新しい人が集まって来て、街をいいものにしようとする「熱意」に燃えていた場所ではありますが、一世紀を生き抜かれたローズさんにとっては、地震前の古き良き時代が懐かしく感じられたようですね。

「三つ子の魂百まで」ということわざがありますが、ローズさんの街を想う感覚は、三歳児の頃には、すでにできあがっていたということなのでしょうか。

追記: 冒頭の写真は、カリフォルニア大学バークレー校・地震研究所に保存されている、地震直後のサンフランシスコ市庁舎の写真です。
 また、ローズさんにつきましては、地元テレビ局KGO-ABC7ニュースとKTVUチャンネル2の報道を参照いたしました。

シリコンバレーの人と土壌

Vol. 165

シリコンバレーの人と土壌

4月は、新緑の季節。メジャーリーグ野球も本格的に始まり、まさに春爛漫!

そんな明るい卯月は、ちょっと「シリコンバレー」について考えてみることにいたしましょうか。

<人の流れ:Yahoo! の場合>
4月に入ると、だいたい株式市場が乱高下しますよね。第1四半期(1〜3月期)の業績発表が集中するので、機関投資家も個人投資家も含めて、彼らの一喜一憂が株価と市場の混乱を招くのです。
 


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たとえば、ビデオレンタル・ストリーミングサービスのNetflix(ネットフリックス、本社:シリコンバレー・ロスガトス)は、突然、注目株となった部類でしょうか。
これまで、郵送によるDVDレンタルからネット上のストリーミングへと移行に苦戦していたところが、ここ最近、ブロードバンドが充実してきたおかげでストリーミング利用者も増え、それにつれて業績もアナリストの予想を上回ったのでした。

そんなわけで、業績発表の翌朝(4月23日)、株価は42ドルも上がって217ドルを記録!

まあ、そんなものを見せられると、株の投資家ほど気分屋はいないようにも思えるのですが、この乱高下の4月に「小康状態」を保っているのが、ネットの老舗Yahoo!(ヤフー、本社:シリコンバレー・サニーヴェイル)でしょうか。

先月号でもご紹介していますが、昨年7月にCEO(最高経営責任者)に就任したマリッサ・マイヤー氏が、従業員に向けて「テレコミューティング(在宅勤務)禁止令」を発し、物議をかもしておりました。
 


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4月16日の第1四半期(1〜3月期)業績発表では、収益(revenue)は前年同期と同じで、利益(profit)は36パーセント増し、という微妙なものだったので、投資家はあんまりエキサイトしなかったのでした(不自然な利益増は、コスト削減や中国のネット通販の巨人Alibabaグループへの投資効果によるもの)。

そんなわけで、株価は、ガックリ感で下がってみたり、「これから投資するにはいいかも」と期待感で上がってみたり。

CEOのマイヤー氏ご自身は、「今年後半には収益の伸びが予想されるが、自分たちが望む成長曲線を描くまでには、あと数年はかかるだろう」と、業績発表と同時にクギを刺していらっしゃいました。

たぶん、今のマイヤー氏の最優先事項は、業績よりも、人を雇うことだと思うんですよ。

たとえば、今年3月にYahoo! が買収したスタートアップ Jybeなどは、彼らのエンターテイメント分野の推薦アプリではなく、メンバーである5人の「頭脳(brainpower)」が欲しかったのだと言われています。
この5人は、前々代のYahoo! CEOキャロル・バーツ氏の頃に会社を去った元社員で、バーツ氏がマイクロソフトと契約した「Yahoo! とBingの協業体制」を不服として辞めた方たちだそうです(サーチエンジンはBingが提供し、広告セールスはYahoo! が提供するという10年契約)。
 


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実は、こんな話を聞いたことがあるのです。故スティーヴ・ジョブス氏がアップルCEOとして采配を振っていた頃、自らYahoo! に赴き、会議の席で熱くこう語ったそうです。
「あなたたちの強みは、Yahoo!メールで個人ユーザをがっちりと握っていることであり、それをうまく利用しない手は無い! だから、一緒にでっかいことをやろうじゃないか!」と。

何かのサービスで個人ユーザを握っているということは、たとえ今は収益は生まなくとも、あとで新しいサービスを展開したときに、必ずやお金を生むことになる。だから、メールサービスでユーザをがっちりと握っているYahoo! は、その強い立場を利用して、うまく商売を展開すべきである、というジョブス氏の信念にもとづいたお言葉だったのです。

ところが、当時のYahoo! CEOは、ジョブス氏の意図を理解することもなく、「コンテンツカンパニーたるべき自分たちには関係が無い」と、アドバイスを聞き入れようとしなかった・・・。

これが、果たしてどのCEOの御代だったのかは定かではありません。そして、このお話の提供者は、Yahoo! の経営方針に幻滅して会社を去り、今は有名なアプリケーション会社のCEOとして活躍するという顛末でした。

「頭脳の流失(brain drain)が激しい」と言われて久しいYahoo! ですので、上述のスタートアップJybeのように、失われた頭脳が戻って来てくれるのは、CEOマイヤー氏にとっても喜ばしいことでしょう。
「これから人を雇うときには、わたしも面接する!」と宣言し、部下に煙たがれている彼女ですが、業績発表時には、「今年に入りYahoo!への転職応募も3倍に増え、戻って来る『ブーメラン社員』も最近雇ったスタッフの14パーセントに上る」と、人事戦略がうまく運んでいることを示唆されています。

そして、物議をかもした「テレコミューティング(在宅勤務)禁止令」については、4月19日、ロスアンジェルスで開かれた人事関連コンベンションのキーノートスピーチで、初めてその重い口を開かれています。
「人は、ひとりで仕事をしている方が効率的だけれど、みんなで一緒にいる方が協力的で、より斬新なアイディアを考え付くものです(people are more productive when they’re alone but they’re more collaborative and innovative when they’re together)」と。
 


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マイヤー氏がYahoo! CEOとなったとき、会社の駐車場はガラガラだし、VPN(会社のコンピュータにアクセスできる仮想ネットワーク)に一日一回もログインしない在宅勤務社員がたくさんいたそうで、今まで自分が働いていたグーグルの「はつらつとした」雰囲気とはあまりに違うことに驚かれたそうです。

だからこそ、不人気になることがわかっていても「禁止令」を発したのでしょうし、これが、「組織は人なり」とも言われるゆえんでしょうか。

シリコンバレーという土地は、老舗企業から次々と新しい枝葉が茂り、そこからまた新芽が顔を出しと、輪廻転生を繰り返しているところではあります。
「シリコンバレーの祖」とも言えるショックリーセミコンダクタからフェアチャイルドセミコンダクタが生まれ、そこからインテルやAMDやLSIロジックが生まれ、そこからまたNVIDIA(エヌヴィディア)を始めとする次世代の企業が生まれたことは、その好例でしょうか。

そういう輪廻の土地柄ではありますが、Yahoo! は、マイヤー氏の表現を借りるなら「ネット企業のおじいちゃん(the grandfather of Internet companies)」ですから、ずっと元気でいて欲しいなと願っている人もたくさんいらっしゃることでしょう。

お断り: 先月号でもお断りしていますが、「マイヤー」氏の表記は、英語の発音にもとづいています。それから、Yahoo! に関しては、あくまでも本国のお話となっております。

<シリコンバレーという土壌>
少し前のことになりますが、2月第一週、サンフランシスコで真新しいコンベンションが開かれました。その名も「Apps World(アップスワールド)」。

Appsというのは「モバイルアプリケーション」のことで、モバイルアプリ関係者が集い、自分たちの製品・技術・サービスを売り込んだり、互いに情報共有をしたりという業界イベントです。


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場所は、アップルが開発者向けイベントWWDC(World Developers Conference)を開くことで有名な、モスコーニ・ウェスト(Moscone West)。
モスコーニ・ノース(North)やサウス(South)ほどでっかくはないですが、新手のイベントを開くには、ちょうど良いサイズの会場です。

そう、この「アップスワールド」がアメリカで開かれたのは、今年が初めて。4年ほど前から10月にロンドンで開かれるようになったイベントで、今年は大西洋と北米大陸を超えて、サンフランシスコに飛び火したのでした。

というわけで、本来はイベント自体のお話をすべきではありますが、今回は、ちょっと違ったアングルからご紹介いたしましょう。


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と言いますのも、「アップスワールド」には、こちらの「Silicon Valley NOW(シリコンバレーナウ)」シリーズのスポンサーでもいらっしゃるKii(キイ)株式会社も参加され、ブース出展やレクチャーを通して、『Kiiクラウド』という新しいクラウドサービスを紹介されたのですが、同社取締役会長・荒井 真成氏にぜひ会場でお会いしたいと、日本からお客様がいらしたのでした。

このお客様は、大阪市の名代で来られたベンチャーキャピタルの方で、橋下市長のお声掛かりで生まれた「グローバルベンチャー創出ファンド」という構想の下調べをしにアメリカにいらっしゃったのでした。
大阪が厳しい国際競争を勝ち抜くためには、交通・流通の拠点である「うめきた」に世界から人とお金と情報を集め、独創的なビジネスの「創出の場」としたい。だからファンド(幅広く投資家から募った資金で新規ビジネスに投資する仕組み)を創設しようじゃないか、というでっかい構想です。

それで、せっかく「ベンチャー企業」や、それを育む「ベンチャーキャピタル」のお話を聞きに来られたわけですので、荒井氏は「言いたいことを言いますよ」と相手の方にも断りを入れて、実にざっくばらんなお話をなさったそうです。

たとえば、辛口の批評にはなるが、日本ではインキュベーション(アイディアの卵であるベンチャーを孵化させ、大きく育て上げること)の環境がまだまだ十分に整っていないようにも見受けられると。

インキュベーションに最も必要なものは、単に「場所」と「お金」を提供することではなく、アメリカのベンチャーキャピタルやエンジェル(ベンチャーの創成期を援助する個人投資家、多くは業界の成功者)が務める「コーチ」の役割。

シリコンバレーでエンジェルやベンチャーキャピタルが「コーチ」としてうまく機能しているは、彼らの成功を通じて次世代を育てる方法論が確立されていて、しかも「コーチ陣」の数は多く、質が高いから。
大きく発展しそうなベンチャーを見極めるのはもちろんのこと、ひとたび彼らに投資すれば、転機が訪れるたびにきちんとフォローしてあげて、彼らとシナジー(相乗効果)がありそうな会社を見つけてきては組み合わせて全体を大きく育てようとする。そんな一連の活動がきちんと制度化されている。

それは、エンジェルなりベンチャーキャピタルが、ある目的にかなったベンチャーを集めて「ポートフォリオ(組み合わせ表)」を編み、その全体を投資とアドバイスで有機的に大きくしていこうという明確なプランを思い描いているから。
それをやって初めて、あるものは大きく成功し、投資した側にも利益をもたらし、次のサイクルへと資金をまわすことができる。

もちろん「ポートフォリオ」の全社に成功して欲しいとは願っているが、その中で成功するのは、ほんの一握りであるのも事実なので、たとえば5億円持っているエンジェルは、5万ドルずつ100社に投資しようとする。その中でたった1社が成功したとしても、100倍となれば5億円は戻るし、100倍以上になれば利益を生む。そういったリスク分散をしている。

残念ながら、日本のベンチャーキャピタルは「ポートフォリオ」というシステマティックなアプローチが明確ではなく、どこかアドホック(場当たり的)なところがあり、誰かが「いい!」と言ったものに投資が集中するような傾向がある。

そして、日本の場合は、投資金額が少ないケースが多い。

もちろん、起業したばかりで、あまり資金を必要としない段階もあるが、ひとたび成長を始めれば、ここぞとばかりに大きな投資をして成長を促すべきときも出てくる。が、投資金額が限られていれば、成長には不十分なばかりか、かえって投資が無駄に終わることもある(そして、また投資金額を減らすという悪循環も生まれる)。

やっているベンチャーの方だって、お金をボンと投入すべきときに投入できなければ、ちんまりと小さくまとまって、でっかいことができなくなってしまう。

と、そのようなことを、ざっくばらんに日本からいらしたベンチャーキャピタルの方にお話しされたそうです。お相手は、さすがにベテランの方だけあって、怒りもせずに熱心に耳を傾けていらっしゃったとか。
 


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一般的に「シリコンバレーって、いったい何が違うんだろう?」と言ったときに、荒井氏が指摘した「コーチ陣の働き」とともに、必ず出てくるのが「リスクを取る」とか「失敗を恐れない」気質でしょうか。
そう、「何かにトライして、失敗したとしても、恐れずに再度挑戦する(try, fail and try again)」ということ。

これは、シリコンバレーで活動するみんなのモットーともなっているようです。

それは、とりもなおさず、「失敗しても、もう一度挑戦するチャンスが与えられる土壌である」ことでもあるのでしょう。
そう、「失敗を恥とし、失敗したことを責める」のではなく、「失敗から学んで、次の栄養源とすればいいさ!」という楽観的な態度をみんなが共有しているということ。

たとえば、あるエンジェルの集まりで個人投資を引き出そうと、スタートアップの創設者がこんなプレゼンテーションをなさったそうです。「僕はもう二度も会社を起こして、いずれも失敗している。今度は三度目だから大丈夫さ!」と。
「二度あることは三度ある」ことを恐れるよりも「三度目の正直(three times a charm)」にしてみせる! と胸を張っていらっしゃるのですね(ちなみに、シリコンバレーで起業する場合は、創設者が自己資金を出すことは珍しく、そのためにエンジェルやベンチャーキャピタルが存在するわけですね)。

それで、ひとたび「失敗しても次があるさ!」という楽観的な土壌ができあがると、成功を夢見て世界じゅうから人が集まって来るようになるのです。


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まるで、1850年代のカリフォルニアのゴールドラッシュみたいに、1950年代にもカリフォルニアにドッと人が流入し「第2のゴールドラッシュ(シリコンバレー創成期)」となりましたが、その人の流れは今も絶えることはありません(現在、シリコンバレーの中心地サンタクララ郡は、人口の約4割が外国生まれとなっています)。

そして、いろんなアイディアを持った人が世界じゅうから集まると、顔を合わせているうちに互いのアイディアが磨かれ、それに業界を知り尽くすエンジェルやベンチャーキャピタルの助言が加わると、ますます磨きがかかって大きなアイディアに発展していくものなのでしょう。

そんな土地柄は、アメリカでもユニークなものですので、ときどき他州の州知事が訪れ、「ぜひ我が州に商売を移してくれ」と懇願しに来るのですが、人と土壌の備わったシリコンバレーを去ろうと考える人は、あんまりいないのだろうなとも思えるのです。

というわけで、今月は、シリコンバレーという土壌で人とアイディアを育てるお話をいたしましたが、近頃は「モバイル」隆盛のおかげで、起業のあり方もずいぶんと変わってきています。が、そのお話はまた、後日にゆずることにいたしましょう。

夏来 潤(なつき じゅん)

カリフォルニアでドライブ~気をつけたい点(3)

今回は、「カリフォルニアでドライブ」三部作の最終話。ちょっと気をつけなければならない、特殊な車線のお話をいたしましょう。

まずは、「カープールレーン(carpool lane)」。フリーウェイ(高速道路)で見かける特殊な車線の代表例でしょうか。

「カープール」というのは、家族や同僚など何人かで車をシェアして通勤・通学することですので、「カープールレーン」は、人がたくさん乗った車を優先する車線のこと。

渋滞する通勤時間帯は、ある人数(2人か3人)以上乗った車しか通れない車線のことですね。通常、一番左側の追い越し車線がカープールレーンに指定されています。

以前もご紹介したことがありますが、きらびやかに「ダイヤモンドレーン(diamond lane)」とも呼ばれます。ダイヤモンドと言いながら、上の写真のように、「菱形」の模様が目印として路上に描かれているだけなんですけれどね。

通勤・通学することを「コミュート(commute)」と言いますので、カープールレーンは「コミューターレーン(commuter lane)」とも呼ばれています。

こちらの写真は、「バス・コミューターレーン(Bus Commuter Lane)が、あと2分の1マイルで終わりますよ(Ends 1/2 Mile)」という看板です。そう、ここまでスイスイと運転してきた車に、「この先は混みますよ!」と注意をうながしているんですね。


サンフランシスコ・ベイエリアでは、基本的に午前5時から9時、午後3時から7時が、カープールレーンの適用時間帯(carpool hours)となっています。

おもしろいことに、この時間帯には「フリーウェイに入るのは一台ずつ」と制限されているところも多く、こちらの写真のように、フリーウェイの入口に信号(metering light)が付いている場所もあります。

このような場所には、入口の手前に「Meter On」という電光掲示板があって、「信号を使っていますから、ゆっくりと進んでください」と、ドライバーたちに注意をうながしています。

言うまでもなく、信号がからに変わると「ゴーサイン」ですが、こういうときには、ちょっとしたカーレーサーになった気分でしょうか(写真では、左右両方に信号が立っていて、左の信号が青に変わっています)。

ま、ブ~ン!とレーサー気取りで急発進したところで、道は混んでますから、あんまり意味はないんですけどね(と言いますか、ちょっとむなしくなるかも)。


そして、近頃、カープールレーンは「HOV(エイチオーヴィー)レーン」と呼ばれることも多くなってきました。

HOVというのは、High Occupancy Vehicle の略で、「たくさん人が乗った車」という意味です。ですから、HOVレーンは、基本的にはカープールレーンと同じだと思ってくださって結構です。

それで、このように「HOVレーン」という呼び名が好まれるようになった背景には、ある理由があるのですね。

それは、道路状況が厳しくなってきて、今まで無料で通れたフリーウェイ(freeway)が、「有料ハイウェイ(toll highway)」化しているということです。

サンフランシスコ・ベイエリアは、ロスアンジェルスと並んで、アメリカで渋滞のひどい「トップ5」に入っていますので、朝晩の通勤ラッシュは、東京の首都高を思い浮かべるほど深刻なものとなっています。

人口は(ベイエリアと呼ばれる9郡で)7百万人くらいですので、3千万と言われる東京首都圏とは比べものにならないくらいに少ないです。

が、なにせ幹線道路が少ない!

だいたい人は南北に動くのですが、サンフランシスコ半島を南北に縦断するフリーウェイ(高速道路)は、国道101号線(U.S. Route 101)と州間高速道路280号線(Interstate 280)の二本しかありません。
(地図の赤い道路は、カリフォルニア全体を縦断する101号線。カリフォルニアを北へ、オレゴン州、ワシントン州と結ばれています)

そして、この二本のフリーウェイに加えて、サンフランシスコ湾の東側を縦断する高速道路、州間880号線(Interstate 880)や、680号線(Interstate 680、地図)があります。

近頃は、ベイエリアの北東部に向かって、どんどん住宅地(bedroom community)が伸びていますので、880号線や680号線を使って通勤・通学する人たちも増え、混雑も深刻化しています。

そこで、680号線の一部区間などでは、HOVレーン(カープールレーン)を有料化する動きが出てきました。

この「有料HOVレーン」は、「HOT(ホット)レーン」とも呼ばれています。

HOTというのは、High Occupancy Tollの略ですが、HOVレーン(カープールレーン)であっても、通行料(toll)を払えば、ひとりだって通れる(!)制度のことです。

つまり、「週日、渋滞を避けてスムーズに運転したいんだったら、みんなで車をカープール(シェア)するか、お金を払いなさい!」というシステム。

(上の写真は、680号線の一区間ですが、週末でHOTレーンが適用されないので、「Open to All(全員に開放)」というランプが点いています)

こちらの写真では、車線の上にカメラが設置されていますが、『FasTrak(ファストラック)』というETCシステムで自動支払いするようになっています。

2人以上乗っている車は、週日でも料金を支払う必要はありませんので、間違って徴収されないように『FasTrak』の機械は隠しておくように、とのことです。

ひとりで運転する場合は、込み具合によって料金が変化するそうですが、週日(午前5時から午後8時)に680号線のHOTレーンを通ろうとすると、30セントから6ドルの料金を払うことになっています(有料区間はそんなに長くはないので、6ドルというのは、アメリカの有料道路としては、かなり高めに感じますね)。

こちらの「Express Lane Entrance」という看板は、HOTレーン(ここではExpress Laneと呼ばれる)の入口を示しています。べつに壁があるわけではなくて、単に白線で区切られた車線がHOTレーンになっているんですね。ですから、つい、ふらふらっと入らないように要注意なのです。

このHOTレーン制度は、サンフランシスコ・ベイエリアでは、今はまだ680号線の一部区間(南下方向のみ)など、限られた地域で試験的に行われているだけです。でも、道路の状況が年々悪化することを考えると、これから先、どんどん広がっていくことでしょう。

実は、この制度が始まる数年前に、住民へのオンラインアンケートが行われたので、わたし自身は「反対」の意思表示をしていました。なぜなら、お金を払っても構わない人(つまり「お金持ち」)を優遇するような制度に感じられたから。

けれども、地方財政はずっと厳しい状態が続いているし、払える人に払ってもらって行政の「収入」が少しでも増えれば、最終的には、住民のためになるのかもしれませんね。

蛇足ではありますが、ちょうど一年前に開通した880号線から237号線へのHOTレーンは、最初の一年で「利益」を出したそうです。
 ミルピータス市からサンノゼ市北部を結ぶこの路線は、ベイエリアでもっとも混雑する箇所ですが、カープールレーンを利用する2割のドライバーがHOTレーンの料金を支払い、90万ドル(約8千6百万円)の収益から40万ドル(約3千8百万円)の利益を生み出したそうです。

3年前に開通した680号線のHOTレーンも、だんだんと利用者が増えているそうで、国道101号線や州道85号線(State Route 85)と、シリコンバレーの真ん中を走るフリーウェイにも、2018年までには有料車線が登場する予定です。


というわけで、三回にわたってカリフォルニアの運転のお話を書いてきましたが、カリフォルニアに限らず、アメリカでは車の運転は必須となってきます。

ですから、出張や観光で一時的にいらした方ばかりではなく、こちらに引っ越された方でも、運転の「試練」に立ち向かう方もいらっしゃることでしょう。

中には、「今まで日本ではペーパードライバーだったから・・・」とか、「フリーウェイはスピードが速過ぎて・・・」と、尻込みなさる方もいらっしゃることでしょう。

ここで大事なことは、身近な場所の運転を繰り返して、運転の感触に慣れることではないでしょうか。

自分の車(車幅や長さ、死角の大きさ)に慣れるとか、右折、左折をするときには、どこに注意を向けなければならないか、とか。

残念ながら、アメリカでは「フリーウェイは怖いから通らない」というのは現実的ではありませんので、高速道路にトライすることも出てくるでしょう。そんなとき、あくまでも自分がコントロールできる範囲以上のスピードは出さない、というのもコツではないでしょうか。

たとえ「あの人、トロくさいわねぇ」と白い目で見られようと、「早く行ってよ!」とクラクションを鳴らされようと、自分が「危ない」と判断したならば、その直感(instinct)に従うべきでしょう。

最終的に責任を持つのは、ドライバーである自分です。「あの人が『行け』と言ったから・・・」というのは、理由にはなりませんよね。

もし赴任なさる方で、ご自分の運転に自信がなければ、ドライビングスクールを何時間か取ってみるのもいいアイディアかもしれませんね。個人経営のドライビングスクールが多いので、数時間単位で自信の無いところだけ教えてもらえると思いますよ。

わたし自身も、先生が隣に乗ってくれているだけで、安心して試運転を楽しむことができました。第一日目から、いきなりフリーウェイを運転させてもらいましたが、何も恐くはありませんでした!

第一、カリフォルニアのフリーウェイを運転していると、「これぞドライブ!」って感じがするんですよねぇ(もちろん、混んでないときの話ですけれど)。

カリフォルニアでドライブ~気をつけたい点(2)

前回の「カリフォルニアでドライブ~気をつけたい点(1)」では、カリフォルニアやアメリカで運転していて、気をつけた方がいいかな? と思われる点をご紹介いたしました。

日本よりも道路の車線が多いので、とくに車線変更や合流には注意した方がいいのではないでしょうか、というお話でした。

「パート2」の今回は、ちょっとだけ制限速度(speed limit)のお話を。

まず、身近なところで、カリフォルニアの住宅地(residential area)は、時速25マイル(40キロ)が制限速度となっています。

お店が集まるところ(business district)も25マイルです。

そして、子供たちが集まるスクールゾーン(school zone)も、シニアが集まるシニアセンター付近も、すべて25マイルです。

学区によっては、15マイル(24キロ)まで減速する規則になっているところもあります。とくに子供たちが外に出て来る登下校時は、取り締まりも厳しかったりしますので、速く走らないように要注意です。

それから、大きな一般道路は40マイル(64キロ)や45マイル(72キロ)のところが多いです。
 けれども、車線の多い大きな道路でも、突発的に35マイル(56キロ)制限のところが出てきたりしますので、あくまでも路上の看板を注意して見ていた方がいいでしょう。

なんとなく無責任なことを書いているようですが、実は、車のスピードに関するカリフォルニア州法(California Vehicle Code Section 22348 – 22366)では、各自治体(市)が制限を設定していいことになっています。

ですから、自治体が「ここは危ない所」だと思ったら、大きな道路でも35マイル、30マイルと下げてくるのですね。

ちなみに、制限速度は、25、30、35、40、45、50、55と、5マイル刻みに設定されます。

それから、制限速度の法的な呼び名は prima facie speed limit といって、「現状から自明な(誰でも推測できる)制限速度」という意味だそうです!(ちょっと皮肉っぽい)


そして、フリーウェイ(高速道路)に適用される最高制限速度(maximum speed limit)。

基本的に、カリフォルニアでは65マイル(104キロ)です。

こちらの写真では、フリーウェイの左側(追い越し車線の近く)に立っている「Maximum Speed 65」という看板が、最高制限速度の目印です。

ごくまれに70マイル(112キロ)の場所がありますが、「カリフォルニアの最高スピードは65マイル」だと思っていた方が無難です。

原則的に、少々オーバーしていても、他のみんなと同等のスピードで走ることがルールとなっています。

が、サンフランシスコ国際空港で車を借りたりした場合、注意しないといけない箇所があるんです!

それは、フリーウェイ101号線(U.S. 101)でサンフランシスコに向かって北上していると、市内の境界線に入ったとたんに、55マイル(88キロ)制限になること。

ちょうど、フットボールチーム・サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)のホームグラウンド、キャンドルスティック・パーク(Candlestick Park)の辺りに、「もうすぐ55マイル(55 Zone Ahead)」の看板が立っています。

そして、その直後に、「ここから55マイル」を示す「Speed Limit 55」という看板が立っています。ここがちょうど、サンフランシスコ市/郡(the City and County of San Francisco)に入る境界線となります。

101号線を北上していると、キャンドルスティックの辺りでだんだんと道が混んでくるのですが、これは、65マイルから55マイルに減速する車が増えるからです。が、多くの人(とくにサンフランシスコ以外の住人)は、この規則を知りません。

しかも、この先、さらに減速が義務付けられているのです。この辺から右手に280号線(Interstate 280)に分かれれば55マイルのままですが、101号線を市役所付近(Civic Center)に向かって直進すると、さらに50マイルとなるのです!

この50マイルの看板(50 Zone Ahead)は、柱に隠れて目立たないので、さらに見逃す人が多く、警察官の格好の「ネズミ捕り」スポットとなっています。

実は、連れ合いもここで捕まったことがあって、それがために、保険屋さんににらまれ、他の保険屋さんに一時的に契約を移された苦い経験があります。

ですから、サンフランシスコ市内に入った辺りでは、スピードには十分に気をつけましょう!

というわけで、次回の「カリフォルニアでドライブ」最終話では、気をつけたい特殊な車線のお話をいたしましょうか。

カリフォルニアでドライブ~気をつけたい点(1)

先日、「ゴールデンゲート橋にはご注意を!」というエッセイで、サンフランシスコの観光名所ゴールデンゲートブリッジ(the Golden Gate Bridge)にまつわるお話をいたしました。

3月27日からは、橋の料金所(toll plaza)のやり方がガラッと変わるので、通行料は事前に(!)インターネットで支払っておいた方が良いというお話でした。

たぶん、大きなレンタカー屋さんで車を借りると、自動的に課金するシステムが整っているはずなので、あまり心配はいりませんが、友達から車を借りた場合は、ちゃんと払えるように事前登録してあるのか、チェックした方が良さそうですね。

この料金所のお話ばかりではなくて、カリフォルニアにいらっしゃって車を運転なさると、何かと気を付けなければならないことも出てきます。

そんなわけで、今回は、カリフォルニア(またはアメリカ全域)で運転するときに、ちょっと気を付けた方がいいかな? と思われるお話をいたしましょうか。


まずは、ごく基本的なことではありますが、日本に比べて道路の車線が多いこと。

とくにフリーウェイ(高速道路)になると、4車線、5車線あるのが普通で、入口や出口が近づくと、6車線になる箇所もあります。

こちらの写真は、我が家のそばのフリーウェイ101号線(U.S. Route 101)で、この辺になると、右側からスムーズに出て行けるようにと、6車線になっています。

それで、車線が増えるということは、右に左に車線変更する車が増えるということで、思ってもみないところから、急に車が現れることがあるのです。

とくに右後ろ(助手席側の後方)から寄って来る車は死角(blind spot)に入って見にくいので、右に車線変更するときには、右後方からアプローチしている車がないか、十分に注意する必要があります。

ご説明するまでもありませんが、運転席側の左後ろよりも、助手席側の右後ろが死角が大きくて見にくいわけですが、「車線変更には気をつけてね」というのは、レンタカー屋が日本からいらした方に注意を促す第一箇条でもあるそうです。

いえ、カリフォルニア人って、ちょっといやらしいところがあって、こちらが車線変更しようとして方向指示器(turn signal)を点滅すると、わざとグッと寄って来て、入らせないぞ!と意思表示をすることがあるのです。

それで、そういう「危険分子」に出会ったら、それはもう不幸なことだとあきらめて、危険分子が行き過ぎてから、右の車線に移るようにした方がいいと思います。


ここでひとつ、「死角」の問題で気をつけるべきことがあって、それは、アメリカの車は日本に比べて大きいし、車高が高いので、死角が大きいということです。

ということは、こちらが大きな車を運転していて、他の車が見にくいだけではなくて、こちらが大きな車の死角に入りやすいということです。

とくに二人乗りの(車高の低い)スポーツカーを運転していた場合、大型の4輪駆動車やバスにはまったく見えていないときがあるのです。

ですから、「相手の死角には入らない(大きな車の斜め後ろには行かない)」というのも運転のコツでしょうか。


それで、車線変更に関しては、わたし自身は「よほど必要でない限り、車線変更はしない」ことと「フリーウェイの出口が近づいてきたら、余裕を持って一車線ずつ右に移動していく」ことをモットーとしていますが、右に車線変更するときには、だいたい遅めの車を追い越してから動くことにしています。

その方が、自分の右にいる車が確実に見えているからです。

うっかりしていてフリーウェイの出口が迫ってきた場合にも、この方法を使うことがあります。
 つまり、出口が近づいてスローダウンしている車を「ごぼう抜き」にして行く方法ですが、これは、あくまでも、右にいる車がすべてスローダウンしていて、なおかつ、道路が空いているときにしかお勧めできませんよ!!

ここでフリーウェイの出口をミスっても、パニックになることはありません!

次の出口で降りて、逆側の入口からフリーウェイに入り直して(少し戻って)、目的の出口で降りるという方法もありますからね。


そして、似たような場面で注意すべき点は、道路が合流する(merge)ときでしょうか。

だいたい右から合流する車が譲る(yield)のが基本ルールです。

道路に「yield」と標識があるのは、「相手に道を譲りなさい」という意味です。

でも、たとえぶつかって自分の車が大破したにしても、絶対に相手の車を先に行かせたくない! という執念を持っている人がいて、基本ルールは適用しないときもあるのです。

そういうのって、道路のいじめっ子(bully)としか言いようがないのですが、それはもう、こちら側が気をつけているしかありませんね。そう、「あっちが譲るべきなのに!」なんて腹を立ててもムダなのです。

以前も「車でプッツン」というお話で、「運転していて頭にくる第1位は、合流のヘタな人」とご紹介していますが、規則を破る人を見かけても、あくまでも平常心を保ちましょう!


そして、自分が合流する場合、とくに気をつける点がこちら。

アメリカでは、とっても長いトラックや2両編成のトラック(写真)も多いですので、トラックが完全に行き過ぎたことを確認して合流しないと、トラックにぶつかる可能性もあるのです。

たとえば、フリーウェイに入るとき、工事中で合流車線が極端に短い場合があるのですが、こういうとき、長いトラックとはち合わせしたりすると、「あ、気をつけてないと危ないな!」と痛感することがあるのです。

このような長いトラックは、「18-wheeler(エイティーン・ウィーラー)」と呼ばれますが、それは、車輪(wheel)が18個も(!)付いているからです。

まあ、運転年数が長くなってくると、ハッとする場面に一度や二度は遭遇しているはずですが、あ~、どうしよう! でっかい18-wheelerに押しつぶされるぅ~、という寝覚めの悪い夢は、みなさんよく経験なさるみたいですね。

でも、あくまでも夢は夢で終わるべきですね!


というわけで、アメリカでの運転の注意点をいくつかお話しいたしましたが、こんなに偉そうに話をしているわたしにも、できないことがあるのです。

それは、縦列駐車(parallel parking)!

ま、(こちらの写真のハワード通りみたいに)よほどサンフランシスコの街中でない限り、縦列駐車が必要な場所はあんまり見かけません。

ですから、練習する場面も少ないのですが、わたし自身は初めて運転免許を取るときに、「縦列駐車が実地試験に無い」という理由で、住んでいたサンフランシスコは避けて、隣のデイリーシティーで受験したのでした。

いえ、個人教授のドライビングスクールの先生からは、一回くらいは習いましたよ。でも、どうしても運転試験で通るとは思えなかったのです・・・。

今はいったいどうしているのかって、「縦列駐車が必要な場所は、単に避けて、他に移る!」というのをモットーとしています(これで困った記憶は、ほとんどありません)。

というわけで、「パート2」では、スピードのお話をどうぞ。

I apologize(謝ります)

先日、連れ合いがこんなことを言うのです。

なんだか僕は、「お母さん」になったような気がする、と。

え、お父さんじゃなくて、お母さんなの? と聞くと、そうだと言います。

なんでも、子供のケンカを仲裁する「お母さん」になった気がしたそうですが、その理由は、自分のスタッフのもめ事を仲裁しようとしたから。

いえ、スタッフといっても、シリコンバレーで何年も勤めているベテランの方々なんですよ。

ひとりは製品担当副社長、もうひとりはマーケティング担当副社長。そのふたりが、会社の方針についてメールのやり取りをしていて、だんだんとエスカレートしていって、いつの間にやら言葉の応酬になったんだとか。

だから、それを脇で見ていた(読んでいた)連れ合いが間に入り、みんなで電話会議をして、心にあるものをぶちまけて、その場で事をおさめようとしたのでした。

そう、近頃、シリコンバレーの新しい会社は、自宅で仕事をする「テレコミューティング(telecommuting、在宅勤務)」が主流なので、普段のコミュニケーションはメールでやり取りをして、みなさんが一堂に会するのは電話会議(conference call)。

だって、建築業界のように有形のものをつくっているわけではないので、パソコンやウェブカム、WiFi(無線LAN)があれば、どこにいたって仕事はできるのです。


そんなわけで、わたしにもその電話会議の一部始終が聞こえていたんですが、なるほど、さすがにベテランの方々だけあって、落ち着いて、論理的に話し合いを始めます。

そして、結局のところ、自分は相手を「ダメだ!」と攻撃しているのではなく、方針や視点や立場の違いは若干あるものの、互いに密に協力していかなければならない、という共通の理解(mutual understanding)に落ち着いたのでした。

まあ、ひとりが昔からいて、もうひとりが来たばかりだったので、昔からいた製品担当の方にとっては、自分の立場が脅かされているような気分にもなったのでしょう。

そんな中、お相手のマーケティング担当がおっしゃった言葉が、ひどくわたしの耳に残ったのでした。

I apologize if I have offended you in any way
(もしもわたしが、あなたを怒らせるようなことを言っていたのだったら謝るわ)

なるほど、彼女は、自分の言葉で相手を怒らせて(offend)しまっていたのではないかと思い当たり、相手に謝っている(apologize)のですね。

この if I have offended you in any way というは、謝るときの慣用句です。

「どんな状況であっても、あなたを怒らせてしまったのだったら(謝ります)」という意味です。

ここで I apologize の代わりに、I’m so sorry を使うこともできますね。

I’m so sorry if I have offended you in any way
(もしも僕がきみの心を荒立たせていたんだったら、ほんとにゴメン)


そんなわけで、仕事の場にしたって、デートの場面にしたって、「謝らないといけないな!」と感じたら、素直に謝った方が、手っ取り早く仲直りできますよね。

とくに職場でみんながイライラしていて、オフィスの雰囲気がとげとげしかったら、楽しく時間を過ごせないですものね。なにせ、多くの人にとっては、起きている時間の大部分は職場で過ごすのですから。

職場のトゲトゲなんて、世界じゅうどこでも起きることで(それは人間社会の宿命であって)、アメリカでも、職場の問題は日常茶飯事です。

ですから、「相手に謝る」だけでも、いろんな「術」があるみたいで、先日、こんな記事が載っていました。

相手と気まずい雰囲気になってしまったら、まずは相手の身になって考えること。

Put yourself in someone else’s shoes
(他人の靴をはいてみる、つまり、相手の身になってみること)

なぜなら、相手の身になって考えることと、相手に対して怒ることを同時進行できる人はいないから。

たとえば、上司が部下をミーティングで激しく責めたばっかりに、部下が怒って会議室を出て行ってしまった場合。

みんなの前で You’re an utterly useless human being!(お前なんて、まったく役に立たない人間だ!)とののしられたら、いったいどんな気になるのか、上司は部下の身になって考えること。

そして、部下の方は、上司がどんな気分で自分を責めたのか考えてみること。

多くの場合、He’s under huge pressure to get our numbers up(上司は成績を伸ばせと上からプレッシャーをかけられ)and it’s stressing him out(ストレスでおかしくなりそう)な状況にあることがわかるでしょう。

そうやって、互いに相手の身になって考えてみたら、だんだんと落ち着いてきて、I was wrong(僕は間違っていた)と、自分の非を認められるようになるでしょう、と。

これは、3月中旬、ハーバード・ビジネスレビュー(Harvard Business Review)に掲載されていた記事で、ビジネス界で活躍する精神科医マーク・ゴールストン(Mark Goulston)氏が書いたものです。


さすがに、精神科医が書かれたものだけあって、実例を使って、わかり易く解説していらっしゃいましたが、ここでひとつ痛感したのでした。

相手の身になって考えることは、「仲たがい」の場面に限らず、いつでも頭の隅に置いておいた方がいいのかもしれないなと。

だって、相手の身になって考えてみると、違った角度からモノが見えて、自分の視野だって広がるし、案外、自分のためになるかもしれないでしょう。

だとすると、たまに心の中で誰かさんに対して腹を立てることも、そんなに悪くはないのかな? とも感じるのです。だって、腹立たしくなったら、どうしたらこの状況から抜け出せるかって、いろいろ考えたり、工夫してみたりするから。

こういうのを a blessing in disguise とも言いますね。

最初は不幸に化けている(in disguise)ことでも、あとで振り返ってみると、大吉(a blessing、幸せを運んでくるもの)であることが往々にしてある。

シリコンバレーの女性たち: CEOマリッサさんとCOOシャールさん

Vol. 164

シリコンバレーの女性たち: CEOマリッサさんとCOOシャールさん

 


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3月。アメリカでは、大学の合格通知が郵便受けに届く季節。

3月。シリコンバレーでは、花々が満開となる季節。

そんな花いっぱいの美しい季節、まずは、女性のお話から始めましょうか。

<女性はめげない! その1:マリッサさん>
3月は、何かと女性が話題となる月でした。とくに、テクノロジー業界の女性たちが、全米の注目を集めることとなりました。

2月末、インターネットの老舗 Yahoo!(ヤフー、本社:シリコンバレー・サニーヴェイル)の人事担当副社長が、「6月からはテレコミューティング(在宅勤務)を禁止とするので、すべての従業員はオフィスに毎日出社するように」という通達を出しました。
これに関して、昨年7月に同社CEO(最高経営責任者)に就任したばかりのマリッサ・マイヤー氏がやり玉に上がったのです。
 


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マイヤー氏は、ライバルGoogle(グーグル、本社:シリコンバレー・マウンテンヴュー)の社員番号No. 20で、同社初の女性エンジニア。ぐんぐんと頭角を現し、彼女が手がけた目玉サービスは枚挙にいとまがないくらい。
ライバルからYahoo! に移った直後の昨年9月、初めての赤ちゃんマカリスターくんを産み、お母さんCEOになったことでも知られます。

だから、自宅で働く(女性)従業員の味方だとばかり思っていたのに、テレコミューティングを禁止するなんて、とんでもないわ! と批難の声が上がったのでした。

ご説明するまでもありませんが、「テレコミューティング(telecommuting)」というのは、従業員がオフィスには出社しないで、自宅でパソコンや電話会議を利用して働くことですが、そんなフレキシブルな(融通のきく)労働環境のため、多くのテレコミューターが子供のいる女性となっています。
ですから、テレコミューティングは、働く女性の「味方」となっているのに、それを禁止するなんて、女性従業員を冷遇しているとしか言いようがない、との不満の声が上がったのでした。

Yahoo! 従業員の憤懣があらわになっただけではなく、世のジャーナリストなどの「うるさ型」も、声を大にして、Yahoo! 批判のコーラスに加わったのでした。
たとえば、ニューヨークタイムズ紙のモーリーン・ダウド氏は、こんなコラムを書いています。

昨夏、マリッサ・マイヤーがヤフー臣民の女王となったとき、彼女は女性のロールモデル(模範)になるであろうと称えられた。しかし、たった2週間の産休を終え、自分のオフィスの隣に(自費で)乳児室をつくったとき、多くの女性にとっては不可能な前例をつくってしまった。
そして、テレコミューティング禁止のお達しを発した今、彼女ほど恵まれない姉妹たちや幼い子供たちは生きる縁(よすが)を奪われようとしているのに、彼女はまったくそれを気にする様子がない。
もちろん、とくにテクノロジー業界では、ベル研究所の昔から研究者が一堂に会し、互いにクリエイティヴな考えをぶつけ合って、新しいことを成し遂げてきた。しかし、彼女は、自分とは違う状況にある女性に対して、もう少し理解を示すべきである。

(Summarized from “Mayer fails to see real people in view from top” by Maureen Dowd, a New York Times columnist, February 28, 2013)
 


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そう、この方の論点は、サンフランシスコのフォーシーズンズ(写真)の最上階ペントハウスに住み、5年で1億1千7百万ドル(自社株も含めて約110億円相当)の契約を結んでいるようなマイヤー氏には、一般の女性従業員の心(苦労)はわかっていない! というものです。

まあ、この方の言うことにも一理あるでしょうけれど、わたしはこのコラムを読んで、ひどく疑問に感じたことがあったのでした。
それは、マイヤー氏がたまたま女性CEOだったから、女性従業員に理解を示して欲しいと願っているけれど、もし男性CEOだったら、「テレコミューティング禁止」のお達しだって、問題として追求していなかったんじゃないの? ということでした。

さらに言うなら、会社のCEOが女性か男性かということが、会社の方針に関係あるのだろうか? ということです。

個人的には、CEOが女性であっても、男性であっても、その中間であっても、たとえ宇宙人であっても、会社の方針は、企業独自の文化や業績や現在置かれている状況に基づくべきものだと思うのです。ですから、マイヤー氏が女性だから、女性には特別な理解を示せというのは、ある意味「甘え」だと思っているのです。

もちろん、女性CEOは、男性CEOと違っていて当然だと思います。一般的に、女性マネージメントは社会道徳的に潔癖だし、女性従業員が働きやすい環境をつくりあげる心配りには長けているのだと思います。
そして、今の時代、テレコミューティング禁止なんて、明らかに世の動きに逆行しています。
 


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けれども、Yahoo! の状況を考えてみると、今後の発展はマイヤー氏の「さじ加減」ひとつにかかっているのです。
会社の文化(corporate culture)を大改革して、モバイル環境への移行など、もっとスピーディーに世の中の変化に対応して行かなくてはならない! との英断がテレコミューティング禁止につながったのなら、従業員はそれに従うべきでしょう。

しかも、マイヤー氏にとっては、自分の経営者としての定評(reputation)がかかっているんです。もしこれで失敗したら、「無能なCEO」のレッテルを貼られるかもしれないのです。
そんなに厳しい、失敗しても誰を責めるわけにもいかない「孤独な立場」にいて、思うままに采配をふるわせてもらえない(外野が無責任に茶々を入れる)なんて、理不尽な気もするのです。

いえ、べつにマイヤー氏を弁護しなければならない義理などありません。が、なんとなく、一方的な声が強過ぎる印象を受けたのでした。

そして、この大騒ぎを受けて、Yahoo! の取締役会は、こんな発表をしました。
「マイヤー氏はCEOとして良くやってくれているので、最初の5ヶ月半のボーナスとして、110万ドル(約1億円)をあげることにした」と。

いえ、さすがのわたしも、騒ぎの渦中にある人にボーナスをあげるなんて、いったいどういう神経? と耳を疑ったんです。
すると、連れ合いは静かにこう言うのです。あの映画『テルマエ・ロマエ』と同じだよと。

阿部寛さん主演の映画『テルマエ・ロマエ』(2012年公開)では、ローマ皇帝の世継ぎが伏線となっていて、前の皇帝は、次の皇帝によって「神格化」されなくてはならないことが主人公のミッションともなっています(だからこそ、皇帝のために素晴らしい共同浴場をつくらなくてはならない!)。
Yahoo! の取締役会がやっていることは、それと同じことで、ボーナスを払うことで(自分たちの評価・敬意を示すことで)、騒ぎの渦中にあるマイヤー氏を「神格化」しようとしているのだと。

ふ〜ん、なるほど。取締役会としては、世間の風評が悪くなったところで、CEOを神棚に乗せて、皆があがめる環境をつくらないといけない、ということでしょうか。

お断り:マリッサ・マイヤー氏のラストネームですが、日本語の一般的な表記「メイヤー」に反して、英語では「マイヤー」と発音されますので、後者で統一させていただきました。それから、Yahoo! については、あくまでも本国の状況をご紹介しております。
また、Yahoo! 取締役会は、社内メンバーは会長のアモローソ氏と役員のマイヤー氏だけで、残り9名は社外メンバーで構成されています。

<女性はめげない! その2:シャールさん>
それで、取締役会がCEOを「神格化」しようとしているなら、自身を「神格化」しようとしているのが、Facebook(フェイスブック、本社:シリコンバレー・メンロパーク)のCOO(最高執行責任者)シャール・サンドバーグ氏でしょうか。

いえ、「自身を神格化」とは、いたって意地の悪い表現ですが、3月中旬、彼女は本を出版し、それが全米の(とくに女性の間で)大きな話題となったのでした。
 


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サンドバーグ氏の著書『Lean In: Women, Work, and the Will to Lead』は、女性が社会で働く上で、もっと積極的に(ときには男性のようにあつかましく)なりなさい! と、働く女性への応援歌ともなっているようです。
一般的に、女性従業員は、自分の才能を正当に売り込むことがヘタクソで、順当な報酬をもらっていなかったり、とくに子供を持つと「子供のことで時間を割かれて、そんな責任重大な仕事はできないわ」と尻込みをしたりと、ともすると、積極性に欠ける部分がある。だから、もっと積極的になりなさい!(Lean in)と。

ハーヴァード大学、同ビジネススクールを優秀な成績で卒業し、世界銀行や米財務省勤務ののち、グーグル副社長(グローバル・オンラインセールス担当ヴァイスプレジデント)、フェイスブックCOOと着実に階段を上ってきたサンドバーグ氏は、「超エリート」ビジネスウーマンと言っても過言ではありません。ゆえに、財も影響力もあります。
ですから、「彼女にはできることでも、平均的な女性には難しい部分もたくさんある」「女性の社会参入には社会制度が障壁となっている部分もあり、女性個人を叱咤するのは間違いである」などと、辛口の批判も集中したのでした。

けれども、本が出版されて1週間で、シリコンバレーの「ノンフィクション第1位」にランクされたり、ネットワーク機器のCisco Systems (シスコ・システムズ、本社:シリコンバレー・サンノゼ)のCEOジョン・チェンバース氏に絶賛されたりと、少なくとも、テクノロジー業界では受けがいいようです。

チェンバース氏などはCEOとして「ベテランの域」に達する方ですが、彼女と話し、著書を読み、まさに開眼した(my eyes were opened)そうです。
「自分は今まで、ジェンダー(性別)の問題に敏感で十分にやってきたと思っていたが、新たな視点で開眼し、もっと素早く社内改革を進めなくてはならないことに気がついた」と。

なるほど、すべての人に気に入られることなんて世の中には皆無ですが、これほどまでの讚頌を得られるとは、批判なんてなんのその! でしょうか。

そして、個人的には、ようやくシリコンバレーにも、真に実のある女性経営陣が現れ始めたなと、喜ばしくも感じるのです。

<オープンドア・ポリシーって?>


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先日、こんなニュースが流れました。今、アメリカで最も従業員に好かれているCEOは、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ氏であると。
(Photo of Mr. Zuckerberg from GBR’s article, “Facebook’s Zuckerberg now most-liked CEO as Tim Cook plummets in rankings” by Brad Reed, March 15, 2013)

これは、就職情報サイトGlassdoorの『最も好かれるCEOトップ50(2013年版)』によるものですが、ここで映えある1位となったのが、ザッカーバーグ氏。
上に出てきたシャール・サンドバーグ氏をグーグルから引き抜いたボスでもあります(ちなみに、昨年首位のアップルCEOティム・クック氏は18位に転落し、Yahoo! のマイヤー氏は、昨年7月のCEO就任でリストからはもれています)。

422人のフェイスブック従業員が評価した結果、実に99パーセントが(!)ザッカーバーグ氏を好意的に思っている(approve)とのことですが、中でも、会社の雰囲気が「オープン(open)」であることは得点が高かったみたいですね。

要するに、スタッフとCEOが話しやすい雰囲気にあり、互いの心が通じ合っている、といった感じ。

アメリカでは、社内の風通しを良くしようと『オープンドア・ポリシー(open door policy)』というのが設けられている場合が多いですが、これは、CEOやマネージメントが常に「ドアを開けている」、つまり、いつでも気軽に立ち寄って話をして行ってくれていいんだよ、という方針のことです。


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ま、フェイスブックや多くのシリコンバレー企業には、社長室のドアなんて無いのが普通ですので、比喩的に「ドアを開けている」ということでしょうか。
そう、近頃は、だだっ広いオフィスにずらっと机を並べて、CEOであっても、みんなと机を並べるのが主流でしょうか(小さな会社になると、こちらの写真のように、広いスペースを間仕切って、他の会社と机を並べていることもあるくらいです)。

『オープンドア』といえば、わたしが働いていたIBMも、その基本理念は全世界のIBM支社に徹底されていて、従業員が何かしら重大なことを疑問に思ったり、「こうした方がいいんじゃないか」と改善案を考え付いたりしたら、たとえCEOにでも遠慮せずに意見できることになっていました。
これは決して「絵に描いた餅」ではなくて、実際に、IBMのエイカーズ(元)CEOに意見した(社内メールを送った)ケースを知っています。べつに偉そうに意見したからって、何もおとがめはなかったですし、査定にひびくこともありません。

このような『オープンドア・ポリシー』は、わたし自身は素晴らしいことだと思っているのですが、それは、会社の地位に関係なく、おもしろいこと(建設的なこと)を考え付いた人は明確に意見を述べるべきだし、上の人だって、真摯に耳を傾ける義務があると思うから。
だって、常に上の人が正しい保証は無いのだし、誰かが「方向が違う!」と感じたら、船が座礁する前に意思表示をすべきでしょう。

シリコンバレーでも、船の舵取りを間違えたと思われるケースはたくさんありますが、携帯端末の老舗Palm(パーム)は、残念ながら、その代表例かもしれません(写真は、Palmフラッグシップ3機種。右から Tungsten W (i710)、Treo 650、Treo 700w)。


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2006年末、「これからはケータイでネットアクセスする時代だ!」と当時のCEOが誇らしげに述べたのが頭にこびりついているのですが、NTTドコモの「iモード」サービスが始まったのは、1999年2月のことです。あまりにも、世間を知らなさ過ぎるではありませんか!

それで、もしかすると、日本の企業文化では「上司に意見して、怒られたらいやだなぁ」と危惧されるのかもしれませんが、わたしに言わせれば、意見された上司は怒るどころか、かえって嬉しいんじゃないかと思うのですよ。
「ふん、俺に意見してくるとは、かわいいヤツ!」と。

もう何年か会社勤めしてきたら、上司だって「自分」とか「俺の考え」とか「体面」なんかに凝り固まってはいないだろうし、「意見されたらキレる」みたいな狭い心は持ち合わせていないと思いますよ。
組織の上になればなるほど、広い視野で現状を把握していなければならないわけで、たとえば、この交渉がうまく運ばなかったら、次の一手は? というような「最悪のシナリオ」は、常に頭に思い描いていないといけません。

ですから、上司だって、違った角度から考察するためにはフレッシュな意見は大歓迎なはずなのです。

というわけで、べつにフェイスブックやIBMを真似しなさいと言っているわけではなくて、何か素晴らしい(と感じる)ことを思い付いたら、上司に臆さずに意見を述べてみたらいかがですか? というお話でした。

べつに何か意見したからって殴られるわけじゃなし、黙っている方が、お腹がふくれて辛いでしょう?

ちなみに、上述の『オープンドア・ポリシー』でIBMのエイカーズ(元)CEOに意見したケースは、「パソコンソフトでマイクロソフトと渡り合って行くには、ビジネスアプリで有名なLotus(ロータス)を買収するしかない」というものでしたが、数年後、外部から就任したガースナー(元)CEOがLotusを買収しています。

夏来 潤(なつき じゅん)



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