ゴールデンゲート橋にはご注意を!

2月から3月にかけて、サンフランシスコ・ベイエリアは燃え立つんです。

何で燃え立つのかって、たくさんのお花で。

まず、2月に入ると、黄色いマスタード(Mustard)の花が咲くでしょう。

これは、日本の菜の花の親戚ですが、「これぞ野原!」って感じに、一面の黄色になるんです。

野原が黄色くなってくると、住宅地にはピンクや白の梅(Flowering Plum tree)の花が咲き始めます。

中国や日本から入って来た梅の一種だと思いますが、中には、桜や桃も混じっているみたいですね。

「あれは何の花?」と地元の人に尋ねても、たぶん「きれいなプラムの花」という答えしか返ってこないでしょうから、これ以上詮索(せんさく)するのは無駄な気もしています。

梅の花が満開になる頃、辺りの木々には濃いピンクの花(写真)と紫色の花が開花します。
 名前は知らないのですが、どちらも鮮やかな発色で、この二種をわざと一緒に植えてあるところも多いですね。

そのピンクと紫のハーモニーに見とれているうちに、野原には、鮮やかなオレンジ色が広がり始めます。そう、こちらは、カリフォルニア州の花、カリフォルニアポピー(California Poppy)。

雨季で草原が緑になるとき、目を見張る黄色やオレンジが広がっていく様子は、カリフォルニアの原風景だと思うのです。

そして、これだけ一気に花が咲くと、浮かれて穴ぐら(自宅)から出て来るお散歩の人たちもたくさん見かけます。


そんな生命の息吹を感じる季節に、ぜひベイエリアに足を伸ばして、ドライブを楽しんでいただきたいと思うのですが、ここでちょっとご注意を。

なんでも、3月27日から、観光名所のゴールデンゲート橋(the Golden Gate Bridge、ゴールデンゲートブリッジ)では、料金所のやり方がガラッと変わるらしいのです。

ゴールデンゲート橋は、湾を越えてサンフランシスコと北のマリン郡を結ぶ美しい橋ですが、たとえば、ワインの名産地ナパバレー(Napa Valley)やソノマバレー(Sonoma Valley)から市内に戻って来るときには、料金所(Toll Plaza)を通るようになっています(北上するときには、料金所はありません)。

開通して75年間、今までは料金所にスタッフがいて、ドライバーから料金を手渡ししていただく形式でした。

数年前からは、『FasTrak(ファストラック)』というETC(自動料金支払い)システムが一部に導入され、ETCとスタッフの両方で集金してきました。

ところが、3月27日からは、スタッフがひとりもいなくなって、FasTrakかネット登録で料金を徴収することになったのです。

料金所の渋滞があまりにひどいので、すべて自動化して車の流れをスピードアップしようというのが目的です。今となっては、橋を通過する車の7割がFasTrakを利用しているので、そんなに大きなインパクトは無いだろうと判断されたのでしょう。

ということは、FasTrakの機械(写真)を持っているか、オンラインで車のナンバーを登録した人だけが支払えるということ。

でも、「どっちも無いから払わなくてもいい」というわけではありません。

まず、地元の人たちは、カリフォルニア州の陸運局(DMV、Department of Motor Vehicle)に車のナンバーと住所を知られているので、「ちょっと、あんた、払わなかったよ」と、後日請求書(Toll Invoice)が来るそうです。

そう、料金所を通過する時に、前後のナンバープレートの写真を撮られるので、相手にはちゃんと身元が割れているのですね。ここで請求書を3週間無視していると、督促状と一緒にペナルティーを払わされるとか。

さらに、他州からやって来た人たちにしても、各州の陸運局にナンバーと住所を把握されているので、あとでカリフォルニアから「払ってよ」と、請求書が届くそうです。

そして、海外からやって来た人はどうかというと、もしも事前に払っていないと、レンタカー屋さんに請求書が届いて、サービス料(要するにペナルティー!)と一緒に通行料を払わされることになるとか(レンタカー屋さんには、クレジットカード番号を握られていますから、あとで追加徴収されるのでしょう)。

ですから、海外からいらっしゃる方も、橋を通ることがわかっているのだったら、オンライン(もしくは電話か市内のキオスク)で事前に払っておいた方が良いということです。

ちなみに、支払い方法には、橋を通過するごとにクレジットカードに請求が来る口座登録(License Plate Account)と、30日間有効となる一回ごとの支払い(One-Time Payment)の二種類があって、どちらか好きな方を選べるようになっています。数年に一回しか通らないならば、口座登録ではなくて、一回ずつ支払う方法で十分だと思います。


こういうのって、イギリスの首都ロンドンで課せられる「渋滞税(Congestion Charge)」に似ていますよね。

週日の午前7時から午後6時の間、ロンドンの中心地を運転する場合は、一日に10ポンドを払わないといけない規則になっています(写真の「C」は、渋滞税が課せされる地域の目印)。
 が、現地で車を借りないことにはナンバーがわからないので、車を借りたあとに急いで登録・支払いをすることになります。

ロンドンの場合は、一日以内だったら事後に支払っても大丈夫だったと思いますが、ゴールデンゲート橋の場合は、あくまでも事前に(!)払わないといけないそうなので、車を借りたら、橋を渡ってサンフランシスコに戻って来る前に払っておく、という厄介なお話のようです。

レンタカー屋さんに請求書が届いた場合は、ペナルティーをかなり徴収されるそうなので、事前に自分で払うことにしておいて、レンタカー屋さんにはその旨を伝えておく(レンタカー屋が請求書を肩代わりするオプションをopt-outする)方がいいというアドバイスも聞こえています。

ちなみに、FasTrakとオンライン支払いを比べてみると、FasTrakは一回につき1ドル安くなる(もともと6ドルが5ドルになる!)そうなので、ずっと住んでいる人は、こちらの方がお得なようですね(FasTrakについては、追記でもう少し詳しくご説明しています)。


というわけで、旅行でいらっしゃる方にとっては、なんとなく面倒くさいことになってきましたが、「事前にこちらで通行料を支払う」ことがわかっていれば、心配なさることはありません。

それから、大きなレンタカー屋さんになると、事前にすべての車が登録されていて、橋を渡ったり、有料道路を通ったりするごとに課金するシステムが整備されているそうなので、そちらの制度(tolling program)を利用するのが便利でしょう。

今はまだ、ゴールデンゲート橋の料金所だけが「ETCのみ」になるようですが、そのうちにサンフランシスコ・ベイエリアの橋はすべてそうなるはずなので、今から慣れておいても、悪くないのかもしれませんね(写真は、アルカトラズ島とベイブリッジ)。

そろそろ雨季も終わりですので、ドライブには最適の季節となります。

美しい春のベイエリアを、ぜひ心置きなくお楽しみくださいませ!

追記: 『FasTrak』というのは、カリフォルニアで採用されているETCシステムの名前ですが、トランスポンダー(機械)は、ドラッグストアのWalgreens、スーパーマーケットのSafeway、または日用品量販店のCostcoで購入できます。トランスポンダーに付いているID番号と、自分の車のナンバー、カード番号をネット登録すると、あとは自動的に口座にお金が補充されるようなシステムになっています(そう、前払いってことです!)。

本文にあったように、FasTrakを持っていると、ゴールデンゲート橋の料金は1ドル安くなりますが、「カープールレーン(carpool lane、人がたくさん乗った車の優先車線、別称ダイヤモンドレーン)」の有料箇所をひとりで利用しようとすると、FasTrakが必要となります。
 ゴールデンゲート橋の場合は、週日の午前5時から9時、午後4時から6時は、3人以上乗っている車は3ドルのカープール割引となり、通行料3ドルとなります(右から2番目の車線がカープールレーンで、該当しない車は、この時間帯は通ってはいけないことになっています)。

ちなみに、カープールを利用できる時間帯(carpool hours)は、場所(橋や道路)によって微妙に違うし、何人乗っていれば優先になるのかも違ってきますが、基本的にベイエリアでは、平日の午前5時から9時、午後3時から7時に、2人以上乗っている場合となります。が、この時間帯と適用場所も、だんだんと拡大する傾向にあるようです。

それから、厳密に言うと、北カリフォルニアと南カリフォルニア(ロスアンジェルス周辺)のトランスポンダーは違うので、各々の地域で購入されることをお勧めいたします。

まあ、こんなところでも、北と南は張り合っているんですねぇ・・・。

アメリカのお葬式

普段は、あまり好まれる話題ではありませんが、今回は、弔事のお話をいたしましょうか。

今年に入って、1月、2月とお葬式に出ることがありましたので。

1月は、生まれ故郷で友人のお父様が亡くなったとき。

わたし自身はお会いしたことはないのですが、友人を思って参列させていただきました。

そして、2月は、お隣のご夫婦のダンナ様が亡くなったとき。

どこに行くにも、いつも一緒にお出かけして、そんなところから、近所でも「おしどり夫婦(lovebirds)」として有名なご夫婦でした。

近年は、ダンナ様が体調を崩されたこともあり、奥様が車の運転をなさっていて、のっぽのダンナ様は、ちょこんと助手席に。

でも、お向かいさんによると、彼女はかなりのスピード狂だそうで、「まるで地獄から飛び出したコウモリみたい(like a bat out of hell)な運転!」ということでした。


ある凍てついた早朝、お隣さんの家に救急車が来ていて、日本に向かう朝で珍しく早起きをしていたわたしは、救急隊員に様子を尋ねてみました。

もちろん、彼らには他人に口外してはいけない規則があるので、詳細は教えられないと断りながらも、「そんなに悪くはないよ(not bad)」と言うのです。

今日は様子を診るために病院に連れて行くけれど、すぐに退院になるだろう、ということでした。

ところが、その一週間後、わたしが日本にいる間に、静かに息を引き取られたのでした。


カトリックのお葬式(a funeral Mass)があったのは、3週間後の土曜日。

敬虔なご夫婦が日曜日ごとに通われていた近くのカトリック教会で、ご夫婦を知る信者の方々もたくさん参列されていました。

すでにご遺体は荼毘(だび)に付されていて、奥様の両脇を、遺影を抱く長男と金色の壷を抱く次男がしっかりと支えて入場します。その後ろに息子たちの家族が続きます。

先頭を行くのは、伝統のタータンチェックに身を包んだ、スコットランドのバグパイプ奏者。まるで「露払い」のように、勢いの良いバグパイプの音色が聖堂に響きます。

アメリカでは、とくにお巡りさん、消防士さん、軍人さんのお葬式にはバグパイプの演奏は付きものですが、亡くなったダンナ様は、若い頃、空軍に籍を置いていた方。ですから、バグパイプの演奏は欠かせなかったのでしょう。(Photo of a bagpiper at a cemetery from YouTube video)

国に奉仕したことへの感謝を込めて、「星条旗の授与(Presentation of the Colors三角にたたんだ星条旗を遺族に手渡すこと)」もお式の中で行われました。


この葬礼を執り行うのは、ご夫婦を良く知る、ざっくばらんな司教さん。

ここで驚いたのは、司教さんが、ユーモアたっぷりにこんなお話をなさったことでした。

「ときどきスーパーマーケットのレジで、後ろの人を先に行かせることがあるでしょう。人を見送るのは、そのようなものなのです。誰かを先に行かせることもあるけれど、最終的には誰もがレジを通過して、あちら側に行くのです」と。

そして、さらに驚いたことに、お葬式は Thanksgiving だとおっしゃるのです。

Thanksgiving(give thanks)、つまり、地上にこの方を送ってくださり、一緒に楽しく過ごさせていただいたことに対して、神に感謝すること。

そして、今、この方を暖かく迎えてくださることにも感謝するのだと。

今まで Thanksgiving という言葉を、11月の「感謝祭」にだけ関連づけていたわたしにとって、お葬式が Thanksgiving だという考えは、驚きに値することなのでした。

元来、お葬式というものは、昔も今も、東も西も、この世に残された人たちのためにあるものですけれど、残された人が「納得できる」「終止符を打てる」ひとつの方法が、神(または人を超越した何か)に感謝することなのかもしれませんね。


それにしても、同じキリスト教のお葬式にしても、カトリックとプロテスタントは、ずいぶんと違うものだと思うのですよ。

プロテスタントのお葬式に参列したときには、色とりどりの服が目立ちましたが、さすがにカトリックは、黒がほとんどでした。そして、Tシャツ姿などはひとりもいなくて、みなさんしっかりとスーツを着込んでいらっしゃいます。

スーツなんて当たり前だと思われるでしょうが、わたしが参列したプロテスタントのお葬式では、紫色のTシャツだって見かけましたし、ギターを抱えて歌を披露した親戚の牧師さんもいましたものね。サンフランシスコという土地柄もあって、かなりリベラルだったのかもしれませんが、それはもう、カジュアルなもの。

それに比べると、カトリックのお式は、厳格な感じがします。

それから、カトリックの儀式では、参列者は立ったり座ったり、賛美歌を歌ったり、司教さんのお祈りに応えたりと、かなり忙しいのです。なんとなく「聴衆参加型」みたいな感じでしょうか。

もちろん、カトリック信者でない人は、お祈りの形式に従う必要はありません。失礼がないように、静かにしていればいいのです。

聖体拝領(イエス・キリストの体とされるパンを受け取ること)も、信者でなければ、行う必要はありません。パンを受け取らなかったといって、信者の方に白い目で見られることもありませんので、席でおとなしくしていればいいのです。

そう、世の中にはいろんな宗教の人がいますし、宗教のない人だっています。その辺に関しては、アメリカ人は心が広いのです。

ただ、儀式の終わりに、まわりの方々とごあいさつするときだけは、にこやかに握手をして、「Peace be with you(平和のあらんことを)」と返した方がいいようですね。

これは、「Sign of Peace(平和のあいさつ)」と呼ばれるもので、4世紀に聖アウグスティヌスが始めたものだそうですが、もともとは「キリスト教徒は Peace be with you とあいさつをして、互いを抱擁し、聖なる接吻を交わす」こととされていたそうです。

アメリカでは、親しい人同士は抱擁したり、ほほに接吻したりするでしょうけれど、初対面の人は握手で十分ですね。


というわけで、葬礼の進行はカトリックの決め事に従っていますが、家族のカラーが鮮やかに出るのが、親族のごあいさつ。

立派に成長された息子さんおふたりと、お嫁さんがごあいさつをしました。

とにかく野球(ボストン・レッドソックス)が大好きなお父さんは、息子たちに子供の頃から野球をさせていたようですが、ピッチャーの長男が父親から学んだのは、品格と謙虚さ。

あるとき、ライバルチームとの試合で長男が「さよならホームラン」を打ち、チームは大勝利。チームメイトと飛び跳ねて喜びをあらわにする長男に対して、お父さんは冷ややかにこう言ったそうです。

「品格を持って勝ちなさい(Win with class)」と。

土壇場で負けた相手チームをおもんばかっての発言だったのでしょう。

また、別の試合では、相手が強過ぎて、ピッチャーの長男はバンバンと打たれてしまいます。次々と点を入れられる中、「お願いだから交替させてよ」と父を見上げるのですが、最後の最後まで投げ続けることに。

8対0で終わったさんざんな試合では、自分の力が足りないことを悟り、謙虚さ(humility)を学んだのでした。

そんなエピソードを聞いていると、いつもにこやかな笑みを浮かべ、多くを語らなかった故人の内面が垣間みられたような気分になるのです。


奥様との出逢いから65年、結婚して56年。

そんな彼女を心から慕っていらっしゃって、昨年の奥様の誕生日には、「あなたを愛する理由はたくさんある(There are many reasons to love you)」とカードにしたためられたとか。

最後は、奥様に向かって「あなたほど献身的な介護人はいない(You are the best caretaker)」と感謝の気持ちを伝えられたそうです。そして、息子にも同じことをつぶやき、安心させようとなさったとか。

式が始まる前、後ろの席のレディーが「あら、ティッシュを持って来るの忘れたわ」と心配していたとおり、レディーたちは(中にはジェンツも)涙をぬぐう場面にいっぱいさらされたのでした。

そんな様子を見ていると、結局のところ、人の営みに宗教も国境も関係ないんだなぁと実感するのです。

追記: アメリカでは、お葬式のことを「Funeral(葬式)」と呼ぶのではなく、「a Celebration of Life(人生を祝う会)」と呼ぶことが多いです。それは、「亡くなったこと」を悲しむのではなく、「その方が生きてきた軌跡」を集まったみんなで祝おうではないか、というコンセプトにもとづいています。

先日、家族向けのドラマを観ていたら、病院に入院されている恩師のために、生前に Celebration of Life を開くという、突拍子もない場面が出てきたのですが、考えてみると、それっていいアイディアかもしれませんよね。

だって、ある方が亡くなったときに「あ~、あの方はいい人でしたよねぇ」と言い合うのではなく、生きていらっしゃるうちに「あなたには大変お世話になりましたので、感謝してるんですよ」って、直接ご本人に言ってみたいではありませんか。

あ〜、バッテリーが!: 飛行機と車の場合

Vol. 163

あ〜、バッテリーが!: 飛行機と車の場合

今月は、話題沸騰のバッテリーにまつわるお話をいたしましょう。

<失速! サンノゼ〜成田路線>
先月、1月11日、シリコンバレーのサンノゼ空港(正式名称:ミネタ・サンノゼ国際空港)が、めでたく成田と直通便で結ばれることになりました。
 


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あまり知られてはいませんが、サンノゼ(San Jose)という街は、北カリフォルニア最大の都市。そして、自称「シリコンバレーの首都(the Capital of Silicon Valley)」。
観光都市として有名なサンフランシスコよりも、人口も面積も大きいし、カリフォルニア州の都市の中で一番古い、という由緒正しい街なのです。
1777年にできた集落の名は、「グアダルーペの聖ヨセフの村(Pueblo de San Jose de Guadalupe)」。スペイン人(その後はメキシコ人)がカリフォルニアを統治していた頃の名残です。

ところが、その後、サンノゼのあるサンタクララの谷(the Santa Clara Valley)が豊かな農業地帯となったため、どうも「田舎」のイメージが抜けないのです。ハイテク産業がどっさりやって来ても、やっぱりどこかに牧歌的な雰囲気が漂っている。

そんなわけで、海外の都市と北カリフォルニアを結ぶ路線は、ライバルのサンフランシスコ国際空港に集中することになり、数年前まで存在したサンノゼ〜成田路線も、アメリカン航空の路線変更で、あえなく消失。
日本に向かうシリコンバレーのビジネスマンは、せっせと小一時間かけてサンフランシスコ空港に通う日々なのです。
 


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そんな中、にぎにぎしく登場したANA(全日本空輸)の定期便は、サンノゼの希望の星!
サンフランシスコに負けずに「北カリフォルニアのアジアの玄関」になろうと、地元の人々の期待を一身に背負います。
いえ、これは誇張でも何でもなく、行政から地元企業から一般市民と、みんなが成田への定期便に熱い視線を向けていたのです。
通常、サンノゼの規模では空港ラウンジなんて無いところがほとんどだそうですが、ANAに来て欲しいがために、自腹を切って、空港側がANA専用ラウンジを整備したくらいです。

わたし自身も「就航便に乗らなくっちゃ!」と、数ヶ月前からいそいそと予約をしていて、初就航は逃したものの、翌日の便に乗り込み、成田へと向かいました。
 


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ところが、ここで問題が発生! ANAがサンノゼ〜成田路線に採用したのは、かの有名な新型機ボーイング787「ドリームライナー」。
リチウムイオンバッテリーの問題をはじめとして、いろんな不具合が続出して、いつどこで事故に遭遇するかわからない!

サンノゼ空港から飛び立つ直前に、ラウンジの日経新聞の一面で「トラブル続出」を読んだわたしにとっても、人ごとではありません。
日本滞在中、ずっと気をもむことになりましたが、間もなく、ドリームライナーは全機、陸上待機。帰りの飛行機は、いつものサンフランシスコ便となりました。

いまだ諸問題の解決策が見つからない状況ではありますが、その間、サンノゼ〜成田定期便は、お休み中。メキシコ便のみの国際ターミナルは、閑古鳥。
地元紙によると、サンノゼ周辺は一日に21万ドル(約2千万円)の売り上げを逃していることになるんだとか・・・。

サンノゼ市の経済発展ディレクターも、「ANAの責任じゃないし、空港の責任でもないのは十分に承知しているけれど、この状態はどうにか改善されないといけないわね」と、複雑なコメントを出していらっしゃいました。

<リチウムイオン、もうひとつの論争>
そんなわけで、サンノゼにとっては、予期せぬところで「とばっちり」を受けているわけですが、焦点となっているリチウムイオンバッテリーは、近頃、べつの場所でも、取り沙汰されています。

電気自動車(EV)メーカー、テスラモーターズ(Tesla Motors、本社:シリコンバレー・パロアルト)の新型セダン「モデルS」をめぐって、ニューヨークタイムズ紙と同社CEO(最高経営責任者)イーロン・マスク氏の間で論争が巻き起こったのです。
 


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事の発端は、ニューヨークタイムズ紙の記者ジョン・ブローダー氏が、1月末の極寒の中、モデルSのテストドライブを行ったことでした。

テスラ社は12月、東海岸2箇所にチャージステーション(Supercharger stations)を設けたので、これさえあれば長距離のドライブができるだろうと想定して旅に出たら、一泊したあとバッテリーが激減してしまって、結果的には、トラックでコネチカット州のステーションに運ばれるハメになった、と2月中旬に同紙に掲載した記事でこき下ろしたのでした(写真は、トラックから降ろされるモデルS。ブローダー氏ご本人の撮影)。
 


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問題のチャージステーションは、ひとつは首都ワシントンD.C.の郊外(デラウェア州ニューアーク、地図のA地点)、もうひとつはニューヨーク州を通過した先のコネチカット州ミルフォード(B地点)にあって、200マイル離れています。
これは、環境保護庁が査定したモデルSの走行距離265マイル、テスラ社が自認する300マイル以内なので、ワシントンD.C.で車を受け取ったブローダー氏は、常識的には何の問題もなく到達するはずでした。
 


Rebuttal by Musk, Feb 13 2013.png

この記事に憤慨したマスク氏は、もちろん黙ってはいません。十分にバッテリーをチャージしなかった、トラックを呼んだときだってバッテリーは決してゼロじゃなかった、度重なる警告を無視して暖房を高く設定していた、途中マンハッタンで身内を乗せて余計なテストドライブをした等々、激しく反論したのでした(車の状態は遠隔地からモニターできるので、テスラ社は問題のドライブを詳しく分析し、同社のウェブサイトで公開しています)。

すると、それに対して、「実際にバッテリーは空っぽになっていて、車全体が完全にシャットダウンした」と応酬するブローダー氏。
 


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のちに態度をやわらげたマスク氏は、「あと60マイルはチャージステーションを近づけるべきだった。東海岸にもっとステーションを設置したら、もう一度テストドライブをしてもらいたい」と、ブローダー氏に持ちかけたそうです(写真は、シリコンバレーのアップル本社にあるEVチャージステーション)。

でも、無傷では済まなかったみたいで、マスク氏のブルームバーグテレビとのインタビューによると、ブローダー氏の記事のおかげで、2〜300台のモデルSの予約キャンセルがあったとか。
今年末までの生産計画2万台には揺るぎはないそうですが、やはり、有力紙ニューヨークタイムズの発言力は強いということでしょうか。

ちなみに、ニュース専門局CNNの記者が、同じルートでモデルSをドライブしたら、一日のうちに運転を終えたと断りながらも、「問題なく到達した」と報告しています。

まあ、このふたりの論争がどうにかおさまったにしても、事の根本は解決していないんですよね。極寒の中で一泊したら、バッテリーが激減してしまったという問題が。
そう、華氏10度(摂氏マイナス12度)で一夜を過ごしたら、90マイル分あったバッテリーが、25マイル分に減ったという深刻な問題が。

もともとバッテリー(電池)は難しいのです。

話題のリチウムイオン電池(Lithium-ion battery)に限らず、以前、デジタルカメラやノートパソコンに使われていたニッケル水素電池(Nickel-metal hydride battery)にしたって、とくに寒冷地では性能が下がったりするので、いろいろと問題になりました。

わたしが日本IBMの開発研究所に勤めていた頃、こんなエピソードがありました。ここではノートパソコンの「ThinkPad(シンクパッド)」シリーズを開発していましたが(現在は中国レノボのブランド)、あるとき、ニューヨーク市警からThinkPadを使いたいという依頼があったから、さあ、大変!
アメリカの北東部は、夏は蒸し暑いわりに、真冬は極寒の地。そんな雪に閉ざされた極限状態でも、開発者はパソコンが使えることを保証しないといけないのです。テストにテストを重ねて、ニューヨーク市警のお巡りさんに使っていただけることになったようですが、担当の方々にとっては、幾晩も泊まりがけの「イヤな顧客」となったのではないでしょうか?

先日、東京で再会した昔のIBMの仲間が、こんな話をしていました。
「同期のOくんは、電池一筋の技術者だけど、彼はいつもこうボヤいていたねぇ。士農工商、電源、電池って」
なんでも、電池というのは、身分制度で言うと「一番下」で(パソコンの)電源よりも立場が弱い、という意味だそうです。

すると、その晩お会いしたN社の方は、こんなことをおっしゃっていました。
「あぁ、我が社にもそういうのがありますよ。半導体部門では、士農工商、犬・猫、半導体って言うんですよ」と。
いつ、どこで半導体製品を使っていただけるかわからない。だから、道ですれ違う犬や猫、牛さんにも頭を下げておけ、という意味だそうです。

まあ、なんとも身につまされる表現ではありますが、わたし自身も記憶媒体部門にいたことがあるので、「部品屋さん」の苦労は身にしみています。そう、何かあると、採用していただいた製品屋さんにたたかれるんですよねぇ。

と、話がすっかりそれてしまいましたが、電池と言えば、今や花形ではありませんか。これからの時代は、電池が勝負。
 


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エネルギー貯蔵(energy storage)の技術者や起業家を育てようと、シリコンバレーのサンノゼ州立大学では、今夏、「電池大学」を設置するそうですよ。
当初は、50人くらいの入門コースひとつで始めるそうですが、テスラモーターズみたいな電気自動車メーカーの発展や、カリフォルニア州の再生エネルギー強化政策を考えると、これから先、より多くの専門家が求められ、電池学科も大きく成長することが期待されています。

もう、電池は「部品屋さん」では済まない時代なのです。
 


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というわけで、頭がバッテリーでいっぱいになってサンフランシスコの街をお散歩していたら、こんな光景が目に飛び込んできました。

なんと、テスラのモデルSが、レッカー車に引かれようとしている!

え、例のバッテリーの問題? と、すかさずiPhoneで証拠写真を撮ったのですが、レッカー車を手配したサンフランシスコ市交通局の担当者によると、単なる駐車違反だったそうです。
なんでも、ここ(ダウンタウン付近の3番通り)は、午後3時から6時は駐車してはいけない地域だそうで、目の前のWホテルにちょいと用事で・・・というのも許されないのです。

なんだ、つまんないとガッカリしたものの、わたしの他に3人はパチパチと写真を撮っていたので、彼らはきっと「バッテリーの問題でレッカー車に引かれる!」という見出しで、ソーシャルネットワークに書き込んだに違いありません。

まあ、一度何かがあると、民衆の信用を回復するのは難しい、ということでしょうか。

テスラさん、これに懲りずにがんばってください。

夏来 潤(なつき じゅん)

 

Ouch!(痛い!)

Ouch!

これは、アウチ! と発音します。

痛い! という叫び声です。

たとえば、バラのとげに触れたとき。

チクッと感じたら、反射的に Ouch! と叫びます。

日本語と同じように、英語にもいろいろと叫び声がありますが、Ouch! は代表的なものでしょうか。

いつか映画でも流行ったことがありました。

かの有名な、スティーヴン・スピルバーグ監督の『E.T.(E.T. The Extra-Terrestrial)』(1982年公開)。宇宙人のE.T.が、仲良くなった少年エリオットに披露する、たどたどしい英語のレパートリーのひとつでした。

自分の星と交信したい一心のE.T.は、ノコギリや傘で交信機をつくろうと思い立つのですが、ガレージから持ち出した電動ノコギリの刃で、指を切ってしまったエリオット。

Ouch! と叫び、指先から血を流すエリオットに対して、E.T.がゆっくりと Ouch と返すと、E.T.の指先が真っ赤に光り始めるのです。その真っ赤な指先をエリオットの指先に触れると、傷はすっかり消え、血の跡すら残っていない。

そんな不思議な名場面でした。


それで、どうして Ouch! の話なんかしているのかというと、先日、こう思ったからでした。

なんで自分は Ouch! は使わないんだろう? と。

先日、シャワーのドアにかかとをぶつけて、痛い! と日本語で叫んだのですが、なぜかしらこういうときって、Ouch! は使わないんですよね。

そんなわたしでも、場合によっては、英語で叫び声をあげることがあるんですよ。

たとえば、Oops!

こちらは、ウップス! と発音しますが、なにかしら失敗したときとか、あら、ごめんなさいねと、軽くあやまりたいときなどに使います。

たとえば、ぬり絵をしていたとしましょう。ちゃんと枠の中に色をぬらないといけないわけですが、力あまって色鉛筆がビ~ッと枠からはみ出したとき。

そんなとき、Oops! と言いますね。

あら、やっちゃった! みたいな感じでしょうか。

誰かと一緒にぬり絵をしていたとすると、あら、やっちゃった、ごめんなさいね! といった感じにもなるでしょう。

Oops! は万能な言葉ですので、いろんな「しくじり」の場面で使えて便利なのです。

日本語の「照れ隠し」の意味もあるでしょうか。


それから、わたしが英語で叫ぶといえば、Yikes! もありますね。

ヤイクス! と発音しますが、これは、なにかにびっくりしたときなんかに使います。

日本語の「なに、それ?(信じらんな~い)」に近いでしょうか。

わたしがよく使うシチュエーションは、テレビを観ていて、なにかしら気持ちの悪い映像が出てきたとき。

なんでこんな映像が出てくるのよぉ? という憤慨も込めて、Yikes! と叫びます。


もっとも頻繁に使うものといえば、Wow! がありますね。

日本でもバラエティー番組などで使う方がいらっしゃるようですが、ワウ! と発音します。

言葉よりも先に出てくる、感嘆の声ですね。

たとえば、海の色に感動したとき。

Wow, it’s so pretty(わぁ、きれいねぇ)という風に使います。

Oh my God! というのも、よく耳にされることがあるでしょう。

オーマイゴッド!と発音しますが、ケータイのテキストメッセージでは OMG という略語があるほど、よく使われる表現ですね。

びっくりしたときの代表的な叫び声となります。

ただ、神(God)という言葉が入っているので、べつの言い方をする人も多いですね。

たとえば、Oh my gosh! (オーマイゴッシュ)

それから、Oh my goodness! (オーマイグッドネス)というのもあります。

個人的にはこちらを好んで使いますが、たぶん語呂がいいんだと思います。

このような表現から派生したのかどうかは存じませんが、驚いたときには、

My-my(マイ、マイ)ということもあります。

ときどきわたし自身も使いますが、わりと古風な言い方になりますね(よく年長のレディーが使うような感じでしょうか)。


ご説明するまでもなく、英語圏ではキリスト教徒が多いので、Oh my God!God は使いたくないわけですよね。

同じように、Jesus Christ! (ジーザス・クライスト、日本語で「イエス・キリスト」)という叫び声を避ける人も多いですね。

ですから、単に Gee! (ジー)と言うこともあります。

Holy cow! (ホーリーカウ)とか

Holy macro! (ホーリーマクロゥ)を使う人もいます(男性が多いでしょうか)。

Holy というのは「神聖な」という意味ですが、もともとは Holy Christ! (ホーリークライスト、「神聖なキリスト」)から来ているそうですよ。

やっぱり、宗教的な表現から派生した叫び声はたくさんあるみたいで、こんなものもありますね。

For heaven’s sake! (フォーヘヴンズセイク)

直訳すると「天国のために」というわけですが、「お願いだから(そんなことはやめてよ)」みたいな、イヤなことを戒める含みがありますね。

こちらも、For God’s sake! 「神のために(やめてちょうだい)」という表現から派生したのだと思います。

For goodness’ sake! (フォーグッドネスセイク)とか

For Pete’s sake! (フォーピーツセイク)という言い方もあります。

たぶん、Pete(ピート)さんというのは、St. Peter(聖ペテロ)なんでしょうね。

他にもいろいろと思いつくのですが、今日はこの辺でやめておきましょうか。


というわけで、「痛い!」だけは、どうしても日本語になってしまうのですが、ある日系のおばあちゃんの場合は、こちらでした。

よっこいしょ!

彼女は、ほとんど英語しか知らないのですが、いつも椅子に腰掛けるときは、よっこいしょ! なんです。

たしかに、よいしょ! とか、よっこいしょ! というのは、英語には無いのかも。

写真の解説: 最後の写真は、サンノゼの日本街にある『友愛会(Yu-Ai Kai)』というシニアセンターで撮ったものです。ここでボランティアをしていたことがあって、日系の方々のデイケアでの一日におつきあいしていました。

こちらの写真では、午後からのエクササイズの一環として、パラシュートを使ってボールをころがすゲームをやっているところですが、このときは特別に、若い(カッコいい)男性がふたり加わりました。すると、まあ、レディーたちが、がぜん張り切ること!!
 レディーは、いくつになってもレディーなんですねぇ!!

それから、教会の写真は、ロンドンのウェストミンスター寺院の北玄関(有名な正面玄関は、西側になります)。海の写真は、竹富島(たけとみじま)の「星砂の浜」カイジ浜。シャワーの写真は、サンフランシスコのマンションのモデルルームで撮ったものです。

どんなプロポーズがお好き?

2月のヴァレンタインデーの季節になると、とにかく世の中が浮かれ立ちますよね。

そろそろ早春の頃ですし、辺りの空気には、ほんのりとピンク色が混じっているみたい。

そういうとき、Love is in the air(空気には愛がただよっている)とも言いますね。

誰かに恋をしている人もいるし、恋に恋している人もいる。まわりを見わたせば、ハートがドキドキな人たちでいっぱい、といった感じでしょうか。


それで、いくら世の中が浮かれ立っていたって、ヴァレンタインデーには、ちゃんとしたエティケットがあるそうですよ。

それは、レディーは、あまり親しくない男性からアクセサリーみたいな高価で身につけるものは受け取らない、というもの。

前回のお話でも書いてみましたが、アメリカでは、ヴァレンタインデーに贈り物をするのは、圧倒的に男性。
 でも、あまり親しくない間柄だと、バラの花束やチョコレートとオーソドックスなものに留めておくこと、というのがエティケットだそうです。

また、いくらアクセサリーや服など身につけるものを贈られたとしても、真剣におつきあいする気がないのだったら、レディーはありがたくお断りしないといけないとか。

男性がアクセサリーなどの高価なものを贈るときは、何かしら「見返り」を期待していることが多い。だから、もし「友達としておつきあいしよう」という気しかないのだったら、高価な贈り物は受け取らない方がいい、ということみたいですね。

「最初のうちは、時間をかけてじっくりと進展を待ちましょう」というのが、昔からの恋のルールなのかもしれませんね。


そこで、そんな段階はとっくにクリアして、結婚を前提におつきあいしているカップルだとしたら、今度は、ヴァレンタインデーにプロポーズ! なんてことも考えなくてはなりません。

やっぱり、ヴァレンタインデーは「の日」。

そんな特別な日にプロポーズされたら嬉しい女性は多いみたいで、ここでも、プレッシャーがかかるのは男性の側。

たとえば、単なるディナーのふりをして誘ったレストランでは、ダイヤモンドの婚約指輪をシャンペングラスに沈めておくとか、デザートのケーキにこっそりとひそませておくとか(どなたか指輪も一緒に食べちゃって、病院に駆け込んだ方もいらっしゃいましたよね!)。

でも、そんな工夫は、もう当たり前。

そして、大好きな野球チームの試合を観に行って、スタンドの大画面に「結婚してください」とメッセージを流すのも、ちょっとありきたり。

だって、今は、どんな瞬間もYouTubeビデオで流れる時代。ちょっとやそっとでは、相手だって驚いてはくれないのです。


だったら、どうすれば独創的なプロポーズができるの? というわけで、新聞の日曜版に、こんなアドバイス記事が載っていました。

世の中をあっと驚かせることよりも、ふたりにとって大事な場所やふたりがともに好きなものをテーマに選ぶこと。

(Article by Jessica Yadegaran, photo by Susan Tripp Pollard from the San Jose Mercury News, February 10, 2013)

ここで紹介されたスコットさん(写真)は、お相手のジェシカさんをわざわざ南カリフォルニアのユニヴァーサル・スタジオまで誘い出したそうです。

ミュージカルドラマ『glee(グリー)』が大好きなジェシカさんのために、30人のダンサーを雇って、彼らがまるでドラマみたいに踊る中、ダイヤモンドの指輪を差し出し、片ひざをついて、こちらの殺し文句を。

Will you marry me? (結婚してくれませんか?)

ジェシカさんは「もうびっくりしちゃって体は震えるし、手なんてビリビリしびれていたわ」と、一年前の忘れられない瞬間を語っていらっしゃいました。


そして、レイさんとキャシーさんの場合は、ふたりで参加したカップル向けのクッキングクラスだったそうです。

(Photo by Dan Honda, the Mercury News)

ともにレストランで働き、料理が大好きなふたりは、レイさんが手配したクッキングクラスに参加することになったのですが、このときのテーマ食材は、ピーマン。

先生が「ピーマンは、ときに甘くもあり、ピリッとスパイシーでもあり、お熱いほどホットでもある」と説明しながら、キャシーさんを壇上に招くのです。

「ピーマンにもちゃんと切り方があるんだよ」と指南する先生に従って、キャシーさんがピーマンを切ってみると

ポロッと、きれいなダイヤモンドの指輪が!

そこで、レイさんは片ひざをつき、プロポーズをするのです。
(そう、どんなシチュエーションでも、片ひざをついてプロポーズすることを忘れてはいけませんね!)

キャシーさんは、涙を流しながら「イエス」と返事をするのですが、まわりで見ていた人たちも、感動して涙ぐんでいらっしゃったとか。みなさん心から祝福してくださったそうで、それがまた、とっても嬉しかったと、キャシーさんはおっしゃいます。

なるほど、ふたりが興味のあるクッキングクラスだったら、彼女だっていぶかしがらずに付いて来てくれますよね。

こんな風に「予想もしてなかった展開」というのがミソなんでしょうねぇ。

ということは、彼氏もかなりの演技派じゃないといけない・・・?
(う~ん、アメリカの男性って大変そう・・・)

ひよこのパニック

前回のエッセイは、「漆黒(しっこく)のパニック」と題して、東京の大雪の日に過ごした、恐怖の一夜を書いてみました。

停電がもたらした暗闇で、パニックにおちいったというお話でした。

でも、考えてみると、自分はあんまりパニックにはならない方かなぁ、とも思うのです。

というより、パニックにならない主義とでもいいましょうか。

だって、たとえば車を運転していてパニックになったら、それこそ大変なことが起きるかもしれないでしょう。

ですから、あわてずに、いつも冷静に! をモットーとしているのです。

あわてたって、あわてなくたって、結果はあんまり変わらないような気もしますしね。


でも、人生最初にして最大のパニックのことは、今でもよく覚えているんです。

それは、わたしがまだ「ひよこ」の頃でした。

いつも母の後ろをくっついて歩いていて、もうすぐしたら「幼鳥」になって幼稚園に巣立たなければならないとき。

幼稚園をお受験するというので、母に連れられて、受験会場に向かったのでした。

よく晴れた日で、母の手を握って歩くと、ちょっとしたお散歩気分。

石畳の坂には古びたお堂があって、まるで、遠い、知らない世界に来たみたい。

試験会場に着くと、いったい入園試験とは何なのかもわからないままに、廊下の椅子に座っていました。椅子はいくつか並んでいて、どうやら子供たちが順番に教室に呼ばれて行くようです。

最初は母もそばに立っていたのですが、そのうちに先生にうながされて、その場を離れなければなりませんでした。

そこで、母は「がんばってね」と手を振りながら、長い廊下の角を曲がり、その笑顔もすっかりと消えていったのでした。

それを見たわたしは、母に置いてきぼりにされる!!! と、パニックにおちいったのです。

だって、それまで、生まれて一度も母のそばを離れたことがないのです。

それが急にバイバイしていなくなってしまうなんて、わたしを置いて行ったとしか考えられないのです。

母の姿が消えると、とにかく大声で ママ~ッ!! と泣き叫んだのでした。

それしか、助けを呼ぶ方法を思いつかなかったのです。


すると、試験会場から担当の先生が駆けつけてきて、どこからともなく母も駆けつけてきて

とにかく泣き止ませなきゃ、と算段に入るのです。

まあ、幼稚園の先生なんて、日頃からそんなパニックには慣れたもので、「ちょっとお散歩してきたら、すぐに落ち着きますよ」と母に提案をするのです。

そこで、母は幼稚園がくっついている大学のグラウンドに連れて行ってくれて、その脇にある食堂に入りました。

お昼の時間帯ではなかったので、閑散とした、薄暗い食堂でしたが、そこでチョコレートクリームパンを買ってもらいました。

今でも、よく覚えています。ただのクリームパンではなく、チョコクリームパンでした。

いえ、おいしかったかどうかは覚えていませんが、とにかくそれで落ち着きを取り戻したわたしは、「どうして泣いちゃったの?」という母の尋問にも答え、すっきりした気分で試験会場に戻ったのでした。

ひとたび教室に呼ばれると、「なんでこんなに易しい質問ばかりするのかな?」と、憎たらしいくらいに落ち着きはらっていたのですが、それが功を奏して、こちらの幼稚園に入れていただけることになりました。


つい先日、母と思い出話をしていたときにも、このお話が登場しました。

まだまだ母親として「新米」だった母は、もう、どうしていいかわからないくらいに狼狽(ろうばい)したそうです。

幸いにも、姉がこの幼稚園に通っていたので、担当の先生も母と姉を良く知っていたのでした。

先生も、「落ち着いて戻ってきたら、何でもスラスラと答えられましたよ」と、母を安心させてくれたそうです。

もしも姉がここに通っていなければ、すぐに「あなたはダメ!」と、門前払いになっていたことでしょう。が、そこは、2番目の子供の有利なところ。上の子の敷いたレールに、うまく乗っかれるところがあるのです。

そんなわけで、この「ひよこ」のパニックは、人生最初にして最大のパニックだったのでした。

でも、ひよこはひよこなりに、近頃は、親鳥のこともちゃんと考えるようになりましたけれど。

追記: 坂道の写真は、実際に幼稚園のお受験のときに歩いた道です。ン十年たっても、たたずまいが変わらないというのは、ありがたいものですよね。

V-Day vs. SAD

なんとなく、暗号みたいな題名で申し訳ありません。

今日は、「V-Day」と「SAD」のお話です。

V-Day というのは、Valentine’s Day のこと。

つまり、日本でも気になる「ヴァレンタインデー」。

今まで、何回かヴァレンタインデーにまつわるお話を書いてきましたが、アメリカでも、ヴァレンタインデーが近づくとソワソワする人が多いですね。

日本と違うところは、女性が「どんなチョコレートにしようかしら?」とソワソワするよりも、男性が「何をプレゼントしようかな?」とソワソワするところでしょうか。

そう、アメリカでは、ヴァレンタインデーに贈り物をするのは、圧倒的に男性の側!

女性陣は、「彼は何をくれるのかしら?」とウキウキしていればいいのです。

近頃、彼女は、真っ赤なバラの花では満足しなくなってるし、プレッシャーは、彼の肩にズシリと乗っかっている!


そして、近頃、ヴァレンタインデーに流行っている妙なことと言えば、サンフランシスコの「まくら合戦(pillow fight)」があるでしょうか。

その名も、「サンフランシスコの大まくら合戦(Great San Francisco Pillow Fight)」。

アメリカ人って、子供たちの「お泊まり会」なんかでも、まくらを使って叩き合いのお遊びをすることが多いのですが、サンフランシスコでは、それをヴァレンタインデーの日に大人がやるんです!!

ヴァレンタインデーの夕方、金融街近くのジャスティン・ハーマンプラザには、まくらを手にした人たちが集まってきて、近くのフェリービルの時計が午後6時を告げると、みんなで一斉に「まくら合戦」を繰り広げるのです。

叩き合いが始まると、すぐに、まくらは粉々になって

あれだけ羽が飛んだら、呼吸なんてできないんじゃないかしら?

と心配になるくらい、辺りは白一色!

今年で8回目というこの奇妙なイベントには、カップルで参加する人も多いのですが、やっぱり日頃のうっぷんは、お腹にためないで、まくら合戦なんかで発散した方がいいみたいですね。

そのあとは、みなさんスッキリした顔になっています。

(Photo of Great SF Pillow Fight by Jonathan Nackstrand, from KPIX-TV’s Web site)


一方、題名にもなっている「SAD」の方は、なにやら新しい習慣だそうです。

わたしも、こちらの新聞記事を読むまで知らなかったのですが、SAD というのは、Singles Awareness Day の略称。

Single(s) は、カップルになっていない人のこと。

Awareness は、認識すること。

つまり、Singles Awareness Day とは、シングルであることを認める日。

(Article of Singles Awareness Day from the San Jose Mercury News, February 14, 2013)

自分がシングルであることを誇りに思うことでもあるでしょうし、誰かがシングルでいることを尊重してあげることでもあるでしょう。

だって、ひとくちにシングルと言っても、「カップルにはなりたくない」人だっているでしょうから。

SAD は、ヴァレンタインデーの日か翌日の15日、または前日の13日とされているそうですが、いずれにしても、世の中がヴァレンタインデーで浮かれているときでも、シングルの人がいることを認識しましょう! という日。

SAD なんていうと、「悲しい」という意味の形容詞 sad を思い浮かべますが、実は、それとは反対に、「悲しむ必要なんてないよ!」という日なのです。

ヴァレンタインデーの日に、なんとなく「のけ者の気分になった(feeling left out)」大学生のダスティンくんがつくったと言われているそうですが、べつに、この日に何をしなければならないという規則はありません。

ただ、世の中にはヴァレンタインデーを祝わない人がいることを思い起こせばいいのです。

ですから、シングル同士で集まったり、プレゼント交換をしたり、一緒にどこかに出かけたりするのもいいでしょう。逆に、何もしないでボ~ッと過ごすのもOKなのです。

今の時代、ソーシャルネットワークでは「こんな素敵なことがあったよ!」と報告するのが、半ば義務化しているではありませんか。

そんなプレッシャーは、まったくゼロ!


というわけで、「V-Day」と「SAD」のお話でしたが、わたし自身のヴァレンタインデーは、例年通り、やっぱりひとりでした。

いつもの年は、「出張のペナルティー」として、お花とクマさんのぬいぐるみが送られるのですが、今年は、とくに多忙だったと見えて、予約が間に合わなかったとか。

急に春めいてきて、あちらこちらにお花が咲き始めた、今日この頃。家の中に花粉が舞うと、もっと頭が重くなりそうで、お花なんて欲しくはありません。

それよりも、お隣さんにちゃんとお花は届いたかな? と気にしていました。

50年以上連れ添ったご主人を亡くされた、お隣さん。

窓に差し込む陽光が引き立つようにと、ピンクと白の明るいフラワーアレンジメントを選んでみたのでした。

ほんの少しでも楽しんでいただければいいのですが。そんな心の余裕が芽生えていればいいのですが。

残念無念! サンフランシスコ49ers

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2月3日の日曜日、フットボールの祭典スーパーボウルが開かれました。

日本では「アメフト」とも呼ばれるアメリカンフットボールは、こちらでは野球と並び称される「国民的スポーツ(national sports)」。

とくに、毎年1月末から2月初頭に開かれるスーパーボウルは、アメリカ最大のスポーツイベントなのです。

今年、第47回を迎えるスーパーボウル(Super Bowl XLVII)には、サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)と、メリーランド州のボルティモア・レイヴンズが出場し、「フットボールの王者」を懸けて戦いました。

サンフランシスコ49ersの名前は、ご存じの方も多いことでしょう。

1980年代から90年代半ばにかけて、「王朝時代(Dynasty)」を築き上げた名門チームです。

が、90年代後半になると、なかなか勝てないサイクルに入ってしまって、「鳴かず飛ばず」の成績となっておりました。

ところが、昨シーズン(2011年秋)ジム・ハーボー監督がヘッドコーチに就任して以来、メキメキと頭角を現し、昨シーズンは13勝3敗でプレーオフ一勝、そして、昨年9月開幕の今シーズンは、いよいよスーパーボウルへのチケットを手に入れたのです!

49ersが最後にスーパーボウルに出場したのは、1994年のシーズン。

実に18年前の出来事で、このときに5度目のチャンピオンとなったのが最後の栄光でした。

というわけで、2月3日、ルイジアナ州ニューオーリンズで開かれるスーパーボウルを控えて、サンフランシスコ・ベイエリアはもう大騒ぎ!

どこかのスポーツバーに行ってみようかしら、それとも、友達を招いて家で観戦パーティーを開こうかしらと、嬉しい悩みをかかえていたのです。

前日には、ビールだのポテトチップスだのと、パーティー用の食料を買い込む人たちで、お店は大混雑。

それから、スーパーボウルの前には大型テレビがよく売れるそうですが、地元チームが出場するとなると、サンフランシスコ・ベイエリアの電器店は笑いが止まらなかったことでしょう。

我が家は、サンフランシスコでテレビ観戦をすることにしたのですが、それは、ひとえに、優勝したときに街のみんなと喜びを分かち合いたい一心だったから。

わたし自身は、49ersが初めて優勝した第16回スーパーボウルをサンフランシスコで経験しているのですが、運悪く、その後の4回は遠いところに住んでいて、「地元の狂喜」を経験していないのです。

そう、遠くから指をくわえて見ていた感じ。

ですから、自称「三度のメシよりもフットボールが好き」なわたしとしましては、スーパーボウルのこの日、サンフランシスコにいないといけなかったのです。

だって、この街は、アメリカで最初に住んだ大切な街だから。

サンノゼからサンフランシスコに向かう小一時間の道中、フリーウェイ280号線は、いつもの日曜日よりも混雑していました。どうやら、みなさん、どなたかの「スーパーボウルパーティー」に参加なさるようでして、車内はチームカラーのゴールドのジャージや真っ赤な帽子をかぶった人たちで満杯です。

中には、誇らしげにチームの旗をくっつけている車もあって、風にはためくチームロゴや、道行く赤いジャージのファンたちで、街は華やかな雰囲気に包まれていました。

そして、フェイスブック(Facebook)の統計によると、メリーランド州のある東海岸はべつとして、全米のほぼ全域が49ersを応援していたようでした。

が、そんな温かい応援もむなしく、残念ながら、ボルティモア・レイヴンズに34対31で負けてしまいました。

49ersはスーパーボウルでは一度も負けたことがないのですが、少なくとも、大負けではなかったので、その名を汚さなくてすみました。

そう、前半はコテンパンに負けていたところが、30分の停電のあと、別人に生まれ変わったみたいに盛り返し、最後の最後で逆転するか? というところまで追い上げたのです。

前半が終わると、友人宅のスーパーボウルパーティーに招かれていた人たちも、多くが去って行ったというくらいに、ぶざまな試合ぶりだったのですが、そんな中から這い上がったなんて、それだけでも「良くやった!」と褒めてあげなければならないのでしょう。

それにしても、残念無念。翌朝目が覚めると、前夜の試合が悪夢であって欲しい・・・と落胆しきり。

なぜだか、「失恋したあとは朝が辛い」という友達の言葉を思い出したのでした。

もしかすると、スポーツの神様が、「サンフランシスコは野球で優勝したばかりだから、今回は我慢しなさい」と計らったのでしょうか?

でも、若いチームですから、勢いに乗ったらコワいのです。

今年秋のシーズンは、また勝って、勝って、スーパーボウルに突き進みますよ!

Photos on the field by Nhat V. Meyer, adopted from the San Jose Mercury News, dated February 4th, 2013

漆黒(しっこく)のパニック

シリコンバレー・サンノゼと成田を結ぶ新しい空路ができるというので、さっそく飛行機に乗って日本に向かいました。

1月11日に就航したANA(全日空)のボーイング787「ドリームライナー」で、初就航は逃したものの、翌日の便に乗り込みました。

やっぱり家から一番近い空港から日本に飛び立てるなんて、嬉しいものなのです。


成田に到着した夕方は、晴れた暖かいお天気でしたが、翌日は一転。日本各地で大雪となりました。

そう、あの「成人の日の大雪」で、午前中に降り始めた雪は、都心でも7、8センチの積雪となり、一日が終わってみると、7年ぶりの大雪だったとか・・・。

あまりにも突然の積雪に、わたしも祝日のイベントを、ことごとくキャンセルするハメになってしまいました。

そんな番狂わせがあったものの、「どうせ外に出られないなら」と、ホテルに隣接したショッピングビルで、のんびりとサングラスなどを選んでいました。

ところが、世の中が大混乱におちいったこの日は、無事には済まないのです。

わたしにとっての受難は、べつのところにあったのでした。

それは、泊っていたホテルの計画停電。


たぶん、「成人の日」の泊まり客は少なかったのか、この晩、午後11時以降に客室の電気をぜんぶ止めて、電力設備の法定定期検査を行うというのです。

泊っていた部屋には寝られないというので、荷物はそのまま置いて、就寝時だけ階下の部屋に移ることになりました。

お風呂にも入って、寝るだけの格好で階下へと。

ま、その代替えの部屋も問題があって、別の部屋に移ったり・・・と一悶着あったのですが、本物の受難は、寝入ってからのこと。

アメリカから到着したばかりで時差ぼけだったこともあり、11時に電気が止まる頃には、ぐっすりと寝込んでいたのです。が、夜中に、ふと「殺気」を感じて目が覚めたのです。

なんと、ベッドサイドのライトも、うっすらと明るい空気清浄機の光もまったく消えてしまって、鼻をつままれてもわからないくらいの漆黒(しっこく)の闇が広がっているではありませんか!

これにはもうびっくりしてしまって、呼吸もできないくらいにパニックになってしまったのでした。

ベッドを飛び出し、なんとか光源を探そうと、手探りで廊下をたどって入り口まで行ってみると、幸い、部屋の外の廊下は、暖かい光で満ちています。

ほんの少し落ち着きを取り戻したところで、クローゼットの中に非常用の懐中電灯があったことを思い出し、ベッドのところまで戻ることにしたのですが、これがまた一苦労。だって、不慣れな部屋で、形をよく覚えていないのです。

壁をさぐりながら、いろんなものにつまづきながら、ようやくクローゼットにたどり着いて非常灯を取り出すと、その瞬間にパッと明るい光が飛び出し、部屋じゅうを照らし出します。


ほっこりとした光にありついて、ひと安心してベッドにもぐり込んだまではいいのですが、「電池が切れて、停電の間に非常灯が消えてしまったらどうしよう・・・」と、今度は、べつの恐怖が頭をよぎります。

あ、そうだ、窓の遮蔽(しゃへい)のブラインドを開ければいいんだ!

そこで、なんとかブラインドをこじ開けようとトライするのですが、電動モーターで開け閉めするブラインドは、貝のようにかたく閉じたままで、指先すら入る隙間はありません。

こういうとき、文明の利器って使えない!

仕方がないので、外の光が入ってくるようにと、ドアを少し開けたままにして寝ることにしました。

5時半になると、ウィーンという冷蔵庫の音がして、部屋じゅうの電灯がつき始めます。

どうやら予定より早く、法定定期検査とやらが終了したようです。

連れ合いが目を覚まさないようにと、ベッドから出て電気を消したのですが、6時になると、今度は、遮蔽のブラインドがガ~ッと開き始めます。

勝手に作動するなんて、こういうとき、文明の利器って使えない!


それにしても、あの漆黒のパニックは、自分にとっても新しい発見でした。

ほんとに呼吸ができないくらいに、パニックになってしまうのです。

世の中には、Nyctophobia(暗闇恐怖症)なるものがあるそうですが、もしかすると、わたしもそうなのかもしれませんね。

べつに暗闇に何かが住みついているようで恐い、というわけではないのです。

ただただ漆黒の闇が顔におおいかぶさって、息ができなくなってしまうのです。

まるで、黒い真綿が鼻と口をふさぐみたいに・・・。

そんな恐怖の一夜が明けて、戻ってきた部屋の窓からは、たっぷりと雪をかぶった富士山が見えました。

それが、なんともいえないくらいに平和で、静かな風景に見えたのでした。

新しい模索: サンフランシスコ発信!

Vol. 162

新しい模索: サンフランシスコ発信!

新しい年がやって来ました。アメリカ人の大好きな一年の計は、「家族ともっと過ごしたい」と「スリムになるぞ!」ですが、毎年、同じことを唱えている人も多いのかもしれません。

というわけで、新年号は、「何か新しいこと」「模索」に焦点を当てて、3つのお話をいたしましょう。

<模索、Twitterの場合>
前回の年末号では、第1話「今年のビジネスパーソン」の終わりの方で、こんなお話をいたしました。
「端的に言って、(インターネットで生息するいろんなサービスの)みなさんは、どうやったら人が集まるのか、どうやったらお金が稼げるのか、まったくわかっていないのです」と。

ですから、ときには互いの真似をしながら、さまざまな試行錯誤を繰り返し、全体的に見ると、ネットの変化の速度は失速することがないと。

まあ、「まったくわかっていない」というのは少々語弊があるかもしれませんが、アメリカの有名なサービスの経営者たちが胸を張って自信満々に見受けるわりに、その心のうちはハラハラ、ドキドキというのは、当たらずといえども遠からずでしょう。
 


Twitter logo.png

たとえば、 Twitter(トゥイッター)を例にとってみましょうか。
ご存じのように、140文字で自分を語るマイクロブログ(ごく短いブログ)であり、人とつながるソーシャルネットワークの人気サービスです。(以下、日本語表記は同社の「ツイッター」という和訳に準じます)

まるで、長い詩編に対する俳句のように、簡潔な、凝縮された文章で、ストレートに心を語れるところが受けています。ときに「言葉足らず」の誤解を生み、セレブの間で気まずい雰囲気をかもし出したりしていますが、とにかく、思った瞬間にツイートできる(つぶやける)のが醍醐味でしょうか。
 


Pope Benedict XVI Twittering on iPad Dec12, 2012.png

昨年の暮れ、クリスマスを目前に、ローマ教皇ベネディクト16世がアップルiPadで初ツイートに挑戦したのも話題となりました。
そして、いまや『The Voice(ザ・ヴォイス)』のような視聴者参加型番組では、ツイッターで「20分後に歌うグループを決める」のが常識となりつつあります。
(Photo of Pope Benedict XVI by Vincenzo Pinto / Agence France-Presse)

ビジネス的に見ると、収益(revenue)は年々健全に伸びているようです(2011年の1億4千万ドルから2012年は2億6千万ドルと増収予測)。
が、その収入源をどうやって広げるかについては、経営陣は日夜頭を悩ませているわけです。
 


Promoted Tweets.png

もちろん、確実な収入源は「広告」ですが、どうやってみんなに広告をクリックしてもらうのか? については、いろんな工夫があるはずで、たとえばツイッターの新しい方策「プロモツイート(Promoted Tweets)」なども、そのひとつでしょう。
自分がフォローしていなくても、大型電器店や航空会社と、広告費を支払ったビジネスのツイートが出てくるというプロモーション機能ですが、バナー広告ほどあからさまではないものの、ユーザの好みを知った上でツイートをプロモーションしてくるので、宣伝効果は高そうです。

そして、もっと根本的なレベルで斬新なことはできないか? と模索していらっしゃるのが、共同設立者の方々。

ツイッターの共同設立者は4人いらっしゃいますが、絆の深いエヴァン・ウィリアムズ氏(前CEO、現取締役員)とビズ・ストーン氏(現クリエイティヴ・ディレクター)は、「Branch(ブランチ、枝の意)」と「Medium(ミディアム、媒体の意)」というツイッターの姉妹サービスをつくりました。
 


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年初、インタビュー番組に出演したウィリアムズ氏は、ふたつの新サービスが生まれた背景について、このような考察をなさっています。
ネット上のコミュニケーションを観察していると、近年、だんだんと二極化している。かたやツイートのような、瞬間的な、簡潔な自己表現が人気がある一方、トピックを深く掘り下げた、通常の報道よりももっと詳しい、分析的な自己表現も重宝される。(1月3日放映のインタビュー番組『チャーリー・ローズ』より)

この後者の「詳しく掘り下げた自己表現」を狙ったのが、新サービス、ブランチとミディアムのようです。

ブランチは、「円卓での会話」みたいなもので、新しいトピックを立ち上げた人がゲストを招待し、招待客がさまざまな意見を提供してトピックに関する見識を広げる、という会話の場です。
ツイッターからログインしますが、140文字の制限はなく、招待客しか発言できません。
 


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そして、ミディアムは「出版媒体」みたいなもので、ある人が気になっている話題に関してお話と写真を投稿し、広くみんなに読んでもらうという媒体です。
その方の投稿が時系列(最新のものがトップ)に並ぶ「Posts(掲載)」と、話題別に分類された「Collection(コレクション)」というページがあって、すっきりとしたデザインと美しい写真が、読む意欲をそそります。
自分でウェブサイトを立ち上げなくても、代わりに発言の場を提供してあげましょう、というアイディアにもとづいた新しい媒体です。(写真は、Michele Catalanoさんという音楽フリーライターの作品集)

ネットが広まり、みんながツイッターやフェイスブックで「ブロガー」や「ライター」となった今、読み手は何かしら新しいものが読みたいのではないか? そんな模索から生まれた試みのようです。

それと同時に、「まったりとした」質の良い会話には引き込まれる人も多く、人気が出て、うまく広告の媒体となった暁には、実入りもグンと増えるということではないでしょうか。

<サンフランシスコに集合!>
そんなわけで、ツイッターという会社ひとつとっても、いろいろと試行錯誤が見て取れるのですが、近頃は、新しいタイプの試行錯誤の中心は、サンフランシスコに移りつつありますね。

そう、ツイッターも本社はサンフランシスコにありますが、たとえば、Yelp(イェルプ:お店やサービスを利用者が推薦する人気サイト)や Zinga(ジンガ:フェイスブックやモバイルプラットフォームでソーシャルゲームを展開するゲーム会社)と、有名なネットサービスが次々と生まれています。
とくに、アップルのiOSやグーグルのアンドロイドOSといったモバイル環境のサービスは、起業はサンフランシスコというケースが多いようです。
 


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こちらは、フォルサム通り795番地(795 Folsom Street)。2009年から昨年6月まで、ツイッターが本社を構えていた建物です。
このビルに移ってからは業績も右上がりとなったので、「ツイッターの成功にあやかりたい」と、このビルに引っ越して来るスタートアップも多かったのです。

まあ、「縁起をかつぐ」という意味よりも、ロビーやエレベーターでツイッターの経営陣に遭遇して、話を聞いてもらったり、アドバイスをいただいたり、人を紹介してもらったりと、何かしら具体的な「発展」を期待してのことです。
実際に、ツイッターCEOディック・コストロ氏からベンチャーキャピタルを紹介してもらって、投資にこぎ着けたスタートアップもあったとか(この会社は、今も「ソーシャル」の分野で立派に続いています)。

そんな風評が広まると、「やっぱりサンフランシスコだよね!」と新しい会社が集まってきて、昨年初頭からは、貸しオフィスの物件が極端に少なくなったのでした。
ですから、近頃は、貸しマンションの一室に住み、同時に起業した会社の本社とする、というのが流行っているようです。そう、寝ても覚めても仕事、仕事!
 


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こちらは、やはりフォルサム通りにある貸しマンション。部屋は8割方、起業人で占められているとか。
そして、夕方ともなると、道を隔てて向かいにあるバーは、起業人たちでいっぱいになるのです。
自分たちの目指すところやアイディアの片鱗、ときには自慢話や苦労話も披露して、意見交換とともに、息抜きの場とするのです。
 


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やはり、いつの時代も、顔を合わせた「カクテルソーシャライジング(cocktail socializing、お酒を飲みながらの社交)」は、みんなが大事に思っているのです。
だって、新しい人に出会って、言葉を交わして、意気投合すれば、そこから新しいものが生まれたり、今まで頭を悩ませてきたことにも突破口が見えたりするではありませんか。

そんな風に、人が集まるというのは面白いもので、シリコンバレーもサンフランシスコも、何かが大きく爆発する可能性を秘めているのですね。

<白黒への回帰>
というわけで、最後は、ハードウェア製品のお話をいたしましょう。

世の中、使いにくいテクノロジーはたくさんありまして、「スマートテレビ(smart TV)」なるものも、立派に使いにくいモノのひとつだと思うのです。
 


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昨年6月号では、我が家が購入したサムスン電子製のスマートテレビのお話をいたしましたが、まあ、そのときには黙っていたものの、実際に使ってみると、いろいろと不都合が出てくるものですよ。

まず、3D(3次元)の映像が楽しめるといっても、一度3D映画を観ただけで、「べつに、そんなモノ要らないんじゃない?」という結論に達しました(たぶん、人間は、自分の脳で相当量を補間できるのでしょう)。

そして、「声やジェスチャーで指示を出せる」と言っても、実用レベルにはほど遠いです。
たとえば、声でチャンネルを切り替えることにしましょう。「チャンネルを替える(change channel)」と声で指示したあとに、「1216番(twelve sixteen)」などと指示するわけですが、これが、なぜか「116番」に切り替わったりするのです。
ま、英語のネイティヴじゃないからしょうがないのかもしれませんが、それよりも、最初の音声をきちんと認識できないような気がして仕方がないのです(ひとつずつ「one two one six」と言うと、何も理解してくれません)。

そして、スマートテレビは、おバカさんでもあります。自分でガンガンとテレビ番組の音を出しておきながら、「あなたのまわりは、騒がしくありませんか(Is it noisy around you?)」と愚問を画面に表示し、それ以外は何も応答してくれないのです。
 


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そのわりに、妙に気を利かせて、ボリュームを勝手に操作するところも気に入りません。
我が家は、サムスン製のサウンドバーをテレビの下に設置し、これを主たる音源としているのですが、インターネットラジオのパンドラ(Pandora)や iPhone・iPodに入っている音楽をWi-Fi経由で聴こうとすると、自分勝手にボリュームを操作するのです。
つまり、音楽が盛り上がってきてクライマックスになると、音を小さくしてしまうのですが、こういうのって、1970年代の渋いロックを聴いているときには許せないでしょう?

スマートテレビは、「Apple TV」や「Google TV」といったデバイス無しにネットにつながりますので、その部分は画期的と言えます。まあ、一台余分な機械を入れただけでフラストレーションがつのるのは世の常ですから、それだけでも、ありがたいのは確かです。
けれども、「ユーザとのやりとり」や「ユーザを満足させる」という部分では、まだまだ稚拙に感じられます。

そう、「技術的にできる」ことと「消費者が欲している」ことは、まったく別物なのです。消費者が期待しているのは、お茶の間のテレビように、使いやすく、信頼性の高いもの。

というわけで、そろそろ凝ったモノはやめにして、シンプルで行こうと思い立ち、自分へのクリスマスプレゼントは「白黒版」にしました。
 


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いえ、テレビではなくて、アマゾンのタブレット製品「キンドル(Kindle)」です。
「ペーパーホワイト(Paperwhite 3G)」という白黒の小さな電子書籍(e-booke-reader)で、第3世代の携帯ネットワークにつながるモデルです。

電子書籍ですので、ゲームもできませんし、ビデオも観られません。ただ「本を読む」ことに特化した製品です。
でも、携帯ネットワークにつながるということは、空港の待合室でも公園のベンチでも、どこでも瞬時に本がダウンロードできるのです。(そして、購入した本は全部、無料でアマゾンのクラウドにも保存しておいてくれるのです。)
 


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いまさら、どうして電子書籍なのか? というと、とにかく、アメリカの本は重いから。ペーパーバックはまだしも、ハードカバーになると、サイズは大きく、ページ数がかさむ大作も多い(写真一番上の歴史本などは、本文だけで667ページ、注釈や参考文献も入れると753ページ!)。

それで、どうして白黒なのか? というと、キンドルの中で一番軽いから。
キンドルには、白黒版の「ペーパーホワイト」とカラー版(アンドロイドOS)の「ファイア」シリーズがありますが、当然のことながら、電子書籍に特化した(一番頭が単純な)白黒版が一番軽いわけですね。

普段使っているアップルのiPadだって、本を読もうとすると、だんだんとズシリ感を感じてきて、腕がだるくなってしまうのです。
 


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ちなみに、我が家の古いハカリで計ってみましたよ。

どれもケース付きの重さですが、「ペーパーホワイト(写真右端)」が360グラム、「ファイア(右から2番目)」が535グラム、参考までに、iPadが800グラム、iPhoneが165グラムでした。

そんなわけで、(ピンク系の)フューシャ色の皮ケースをおべべにして、見違えるほどかわいらしくなったキンドルを手に取ると、どこにでも連れて行きたくなるのです。
 


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そして、夜中の読書も楽しくなるのです。そう、電気を消してみんなが寝静まったあとだって、ボ〜ッと明るい画面は、十分に読書に堪えられる光度を放つのです。

暖かいベッドにもぐり込み、大好きなジョン・グリッシャムの最新作を読む。

ふふっ、これって極上の「ミータイム(me time、自分の世界にひたれる時間)」ではありませんか!!

夏来 潤(なつき じゅん)



サンフランシスコの大晦日と新年

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前回のフォトギャラリーでは、サンフランシスコのクリスマスの様子をお伝えしました。今回は、クリスマスから新年を迎える様子をお伝えいたしましょう。

ご存じのように、アメリカには日本の「お正月」みたいな新年の行事はありませんので、クリスマスの飾り付けは、1月初頭まで残されています。

まあ、クリスマスはキリスト教のお祝いですから、クリスマスツリーをいつまで飾っておくかということにも、もともとはルールがあったわけですよね。

それによると、1月6日の「Epiphany(エピファニー、公現祭)」の前夜まで、つまり、クリスマスから1月5日の12日間(The Twelve Days of Christmas)はツリーを飾っておく、というのが伝統的なルールだったそうです。

「エピファニー」というのは、イエス・キリストの降誕を祝って、東方の三賢人がベツレヘムを訪れ、イエスを礼拝したという日。

そんなわけで、1月5日の晩までは、クリスマスの飾り付けをそのままにしておく家庭も多いのです。ですから、なんとなく、クリスマスとお正月がくっついた感じでもありますね。

それで、日本の「お正月」のお祝いに代わるものといえば、よくご存じの「カウントダウン」と「新年の花火」でしょうか。

サンフランシスコでも、新年(New Year)の時報とともに、15分間の花火が始まります。さすがに、このときばかりは、新年がやって来るのをみんなで律儀に数えていますので、一秒たりとも遅れません。

サンフランシスコの花火といえば、7月4日の「独立記念日(Independence Day、Fourth of July)」の花火と新年の花火の2つが有名ですが、それぞれ打ち上げる場所が違いますので、要注意なのです。

夏の花火は、夜9時半から観光スポット「ピア39(39番埠頭)」で上がりますので、埠頭の付近、たとえばビーチ通り(Beach Street)とエンバーカデロ通り(The Embarcadero)が交差した辺りが、絶好のスポットとなるそうです。丘の上にあるコイトタワー(Coit Tower)も良いとか。

一方、新年の花火は、フェリービルとベイブリッジの間で上がりますので、エンバーカデロ上のハワード通り(Howard Street)とミッション通り(Mission Street)の間が最高のスポットだそうです。

花火前には海沿いにフェンスが張られますので、残念ながら、フェリービル脇の14番埠頭には入れなくなります(船から打ち上げる花火を間近で見られるはずですが、同時に火の粉も降ってくる?)。

幸い、我が家は高いビルのベランダから花火見物できたので、海沿いには足を運びませんでしたが、大晦日には近隣の街から25万人ほどの見物客が詰めかける、と報道されていました。

そうなんです。大晦日から新年は、街がとっても騒がしくなるんです。ストレッチリモ(長いリムジン)を予約して、仲間たちと車内でシャンペンを飲みながら街を走り回ったり、どこかのパーティーに参加して、朝まで飲んだり踊ったりと、ハメをはずす一夜なのです。

みんなのアルコール摂取量を見越して、車を運転しないようにと、市バス・電車(Muni)は大晦日の晩から翌朝6時まで無料になりますし、シリコンバレーとサンフランシスコを結ぶ列車(Caltrain)も夜中は無料運転をしてくれるのです。

まあ、行政は、それほど飲酒運転を恐れているわけですが、残念ながら、ケンカなどの騒がしい出来事も起きたようですね。夜中じゅう、パトカーのサイレンが耳に届いていたような気もします。(でも、サンフランシスコは、他のアメリカの都市に比べると安全だと思いますよ!)

そんなわけで、一夜の興奮が冷めてしまうと、元日からは「ふと我に返る」のがアメリカです。

日本では「お屠蘇気分」なんて言いますが、アメリカのオフィスやお店は、そうはいきません。

だって、仕事はさっさと1月2日から始まるし、お店だって元旦に開けるところも多いですので、いつまでも従業員や顧客に「ホリデー気分」を引きずってもらったら困るのです。

ですから、サンフランシスコのような都会では、元日の晩か2日には、さっさとクリスマス飾りを撤収して、新年の雰囲気に一新するところも多いですね。(都会は、なんでもテンポが速いですからね!)

元日の夕刻、金融街をお散歩していたら、大きなビルのロビーでは鉢植えを交換している様子をいくつか見かけました。クリスマスらしいシクラメンから、新春を感じる清楚な花に替えるのです。

そして、1月2日からは、心機一転。「新しい闘い(お仕事やお勉強)」が始まるのですね。

サンフランシスコのクリスマスと年末

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サンフランシスコ・ベイエリアの12月は、雨の日数が15日という、あいにくのお天気でした。冬は雨季なので、雨が降るのは当然ではありますが、公園に飾られる大きなクリスマスツリーが雨粒にさらされると、ちょっとかわいそうではありますよね。

そんなわけで、この辺りでクリスマスの時期に一番輝くのは、やはりサンフランシスコの街でしょうか。

シリコンバレーでも、北カリフォルニア最大のサンノゼ市では、中心地の公園が「公園のクリスマス(Christmas in the Park)」という名で大々的に飾られたり、ヤシの木の下にアイスリンクができたりと、それなりにクリスマスの雰囲気をかもし出します。(「シリコンバレーのクリスマス」については、6年前にご紹介したことがあります)

けれども、やはり「古き良き時代」のクリスマスを踏襲しているのは、サンフランシスコでしょうか。ここには、100年以上の歴史を誇る老舗がたくさんありますので、昔からの伝統を守り独自の飾り付けをして、訪れた人たちを楽しませてくれるのです。

たとえば、ガラス天井のガーデンレストランで有名なパレスホテル(Palace Hotel)。ここのロビーには、お菓子の家がいくつも飾られます。

クリスマスのお菓子の家は「クッキーハウス(cookie house)」と呼ばれ、子供のいる家庭でも自分たちでつくったりしますが、プロの職人さんたちもクッキーハウスづくりに余念がありません。

パレスホテルに足を踏み入れると、ずらりと並ぶクッキーハウスの甘い香りに、ついお腹がグ~ッとなってしまうのですが、どれもこれも芸の細かい力作です。

たとえば、慈善団体の『プロジェクト・オープンハンド(Project Open Hand: HIV/AIDSをもつ方々に食事を提供する団体)』がスポンサーとなって、屋上の野菜園をモチーフにしていたり、『ミールズ・オン・ホイールズ(Meals on Wheels: 困っている方々に食事を宅配するサービス)』がスポンサーとなり、車で食事を運ぶサンタさんをモチーフにしていたりと、なかなかアイディアが面白いのです。

玄関を入ってすぐの場所には、2012年のメジャーリーグ野球チャンピオン、サンフランシスコ・ジャイアンツ(the San Francisco Giants)のスター選手がお菓子で再現されていたりと、地元の誇りも忘れてはいません。

パレスホテルの宿泊客とおぼしき女性は、「やっぱりサンフランシスコって、クリスマスの祝い方をちゃんと知ってるわよねぇ」と、写真を撮っていたわたしに同意を求めていらっしゃいました。

そんな彼女も「息子に見せなくっちゃ!」と、パチパチ撮っていらっしゃいました。

このパレスホテルでは、大晦日(New Year’s Eve)にパーティーを4つ開くそうですが、ガーデンレストランのクラシックなディナーから賑やかなサルサパーティーまで、毎年いろんな趣向を凝らしていらっしゃるそうです。

もともとは、1875年に創業したホテルだそうで、1906年のサンフランシスコ大地震では倒壊してしまったので、ビルを建て替え、1909年に営業を再開しています。ですから、今の建物は「新しいパレスホテル」と呼ばれているとか!

ショッピングエリアで有名なユニオンスクウェア(Union Square)にも、セントフランシス(The Westin St. Francis)という老舗ホテルがありますが、ここでもお砂糖でできた巨大な城がロビーに飾ってあって、宿泊客や買い物客の目を引くのです。

なんでも、3.6メートルの高さにそびえ立ち、部屋が30もあるそうですよ!

ここでは数年前から砂糖の城(sugar castle)を飾るのが習慣となったそうですが、毎年、毎年、だんだんと大きくなっているとか。そのうちに、天井まで届くのではないでしょうか?

このホテルは、セントフランシスという老舗が、近年ホテルチェーンのウェスティンに買収されたようですが、手前の古いビルは、1904年に創業したそうです。パレスホテルに近いわりに、こちらは1906年のサンフランシスコ大地震では倒壊をまぬがれ、改修工事を経て翌年には営業を再開しました。

いつかテレビで観たのですが、ここには「コインの洗濯機」なるものがあって、きたないコインをピッカピカにしてくれるサービスがあったそうですよ!(現在もやっているかどうかは、定かではありません)

というわけで、サンフランシスコの老舗では、ちょっとした「ヨーロッパ調」のクリスマスを楽しめることでしょう。

でも、やっぱり、ここはアメリカ。アメリカ人は、目の前に置かれたお菓子を食べたくってしょうがないのです。

どちらのホテルかは忘れましたが、「毎年、お菓子の家を修復する材料はたくさん確保しておかなくてはならない」というニュースを耳にしたことがあります。

甘~い香りにさそわれて、ついつい、飾り付けのキャンディーに手が伸びるらしいんですね!(わたしだって、お腹がグ~ッとなったくらいですからね!)

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