Blue Moon(青い月)

前回の英語のお話では、「半月」を取りあげました。

日本語では「半分の月(Half Moon)」なのに、英語では「四分の一の月(Quarter Moon)」とも言う、というお話でした。

それで、せっかくですから、お月さまの話題を続けましょう。

「月(Moon)」を使った英語の表現では、

まず、once in a blue moon

という慣用句を思いつくでしょうか。

「青い月に一度の頻度で」というヘンテコリンな言い方ですが、

言い換えると、very rarely とか seldom という副詞になります。

つまり、「ほとんど~ない」という意味です。

たとえば、こんな風に使います。

This phenomenon occurs once in a blue moon
 この現象は、ほとんど起きない

I just come to this restaurant once in a blue moon
 このレストランには、めったに来ないよ


それで、どうして「青い月(blue moon)」なのかなぁ? と不思議に思うのですが、どうやら西洋の文化では、Blue Moon という言葉が大事だったようなのです。

お月さまは、29日で地球のまわりをグルッと一周しますので、29日に一回満月(Full Moon)になります。

普通は、一ヶ月に一回しか満月になりませんが、ときどき一ヶ月に二回目の満月が起こります。

その満月を Blue Moon と称して、「大変珍しい」という意味で使われるようになったそうです。

そこから once in a blue moon という慣用句が生まれ、「ほとんど起きないくらいに珍しい」という意味になりました。

今でも、かなり頻繁に使われる表現ではありますが、最初に聞いたときには、青い月って何だろう? と首をかしげたことでした。


Blue Moon は、およそ2年半に一回は起きる現象ですので、「一生に一度」というような珍しいものではありません。

そして、実際に青いのか? と問われれば、「満月が何日に起きようと、青くはならないよ」というのが、天文学的な答えだそうです。

けれども、お月さまが青く見えたことは実際にあったのです。

たとえば、1883年に起きたインドネシアのクラカトア島(Krakatoa、現地ではクラカタウ)の大噴火。

600キロ離れた場所でも大砲のように響き渡る大爆発でしたが、その後何年も、月は青いままだったといいます。

そう、三日月(Crescent Moon)だろうと、半月(Quarter Moon)だろうと、満月(Full Moon)だろうと、ずうっと青かったそうです。

クラカトアの噴煙が成層圏まで達し、地球全体をおおったので、その影響で月が青や緑になったり、太陽がラベンダー色になったりしたそうです。

さらには、妙に鮮明な夕焼けのせいで、アメリカでは「火事だ!」という誤報が相次いだり、ヨーロッパではウィリアム・アッシュクロフトをはじめとする画家が夕焼けのスケッチに余念がなかったりと、いろんなところで影響が出たようです。

あの有名な絵画エドヴァルド・ムンクの『叫び(The Scream)』も、ノルウェーの空だってクラカトアの噴煙におおわれていた証拠だ、という説もあるとか。

(月が青くなった理由は、噴煙の粒がちょうど1ミクロン(1メートルの100万分の1)だったので、赤い光が散乱して、青い光が地上に届いたからだとか。赤い光は、波長が0.7ミクロンと長いので、ほぼ同じ大きさの噴煙の粒に邪魔されて、他の色だけが地上に届いた感じでしょうか。)


と、ちょっと科学的なお話になってしまいましたが、

お月さまは、日常会話ではこんな風にも使われます。

I’m over the moon!
 まあ、とっても嬉しいわぁ!

わたしは「月を飛び越える」というのですから、それほど「喜びで感動している」ということでしょう。

たとえば、期せずして誰かにステキなものをいただいたとか、最高のほめ言葉をいただいたとか、何かしらいいことがあったときに使います。

そして、こちらは、何か珍しいことが起きたときに、説明に使います。

Maybe because it’s the full moon
 たぶん、満月だからじゃないかなぁ

10月のある日、シリコンバレーのコミュニティーカレッジ(2年制大学)で大きな配水管が破裂して、一日大学が休校になったんです。

すると、テレビインタビューを受けた美術クラスのおじさま学生が、「これは満月のせいかもねぇ」と芸術的に解析なさったのでした。

そう、満月には魔力があるからね、という含みがあるのです。

え~? と不思議に感じる説明ではありますが、こちらも頻繁に耳にする表現ですので、「そんな考え方もあるのかぁ」と頭のかたすみに置いておくと便利でしょう。

というわけで、

once in a blue moon

over the moon

because it’s the full moon

やっぱり、お月さまは、地球に一番近く、馴染みの深い天体。

ですから、人々の会話にもひょっこりと顔を出すのです。

おもな参考文献: “Blue Moon” by Dr. Tony Phillips, Science@NASA, July 7th, 2004

Blue Moonの写真とクラカトア大噴火のリトグラフ(1888年)は、Wikipediaより

Quarter Moon(四分の一の月?)

10月に入ったばかりの夜のこと、

連れ合いが空を見上げて、「きれいだねぇ」とため息まじりの声を上げていました。

まるでロマンチストみたいに、いったい何を見つめているのかと思えば、ちょうどリビングルームの窓から見える高さに、半月が昇っていたのでした。

空には雲もなく、こうこうと輝く、立派な半月。

右側が明るい半月だったので、これから満月に向かって大きくなっていく月なのでしょう。

それで、一心に月を堪能している連れ合いには悪いけれど、わたしはこう聞いてみたのでした。

どうして英語では、半月のことを Quarter Moon と言うのかな? と。


そうなんです、なぜか半月は「四分の一の月」と表現するのです。

ときに日本の「半月」のように、Half Moon と言うこともあります。

たとえば、サンフランシスコの南西にある小さな湾は、Half Moon Bay と名付けられています。

これは、湾の形が、ちょうど半月のように弧を描いているからだそうです(地図の下方、赤枠の海岸線)。

けれども、ちょっと科学的に表現したい人だと、Quarter Moon の方を使うでしょうか。

そう、「半分」ではなく、「四分の一」。

そして、右側が光っていて、これから大きくなる半月(上弦の月)のことは、

First Quarter Moon(最初の四分の一の月)

満月のあと、これから小さくなっていく、左側が明るい月(下弦の月)のことを、

Third Quarter Moon(三番目の四分の一の月)

もしくは、Last Quarter Moon(最後の四分の一の月)と言います。


それで、「どうして四分の一の月?」というわたしの問いに対して、天文学の専門家でもない連れ合いは、実にいい説明をしてくれたのです。

西洋の文化では、「四分の一(quarter)」の概念は大事だよね。

たとえば、アメリカにだって、Quarter と呼ばれる25セント硬貨(1ドルの四分の一)があるでしょう。

だから、西洋の文化では、月が生まれたばかりの新月(New Moon)、最初の半月、満月(Full Moon)、最後の半月、そしてまた新月へと戻る月のライフサイクルを、4つに分けて考えていたんじゃないの?

それで、最初の半月は、ライフサイクルの四分の一を過ぎたという意味の First Quarter Moon、満月を過ぎたあとの半月は、ライフサイクルを四分の三過ぎたという意味の Third Quarter Moon と名付けたんじゃないかなぁ、と。

なるほど、アメリカンフットボールの試合だって、1時間を4つに分けて First QuarterSecond QuarterThird QuarterFourth Quarter と呼びますものね。

月だって、それと同じことなんでしょう。

実際、科学的には「月が地球のまわりの軌道を四分の一過ぎた」から、最初の半月は First Quarter Moon と言うそうです。


とすると、こういうことになるでしょうか。

日本を始めとする「半月」と表現する文化では、「半分の月」という姿が大事なことで、西洋の文化では、「ライフサイクルを四分の一過ぎた月」という時の経過が大事なことだった。

日本語でも、「上弦の月」「下弦の月」の「上・下」というのは、光っている場所を示すのではなく、「先・後」という順番を示すものだそうで、そういう点では、英語の First QuarterThird Quarter(もしくは Last Quarter)と同じように時間の経過を区別していますよね。

一方、日本語の「半月」や「弦月(げんげつ)」という言葉は、弓に張った弦になぞらえて「弓張月(ゆみはりづき)」とも言い換えられるそうですが、そうなると、やっぱり月の姿がとても大事だった、ということになるでしょうか。

そうなんです、連れ合いも月を愛でながら、こう言ったのでした。

そういえば、「半月」ってお菓子があるよね? と。

これは、鎌倉五郎さんの『半月(はんげつ)』というお菓子を指しているのです。

成田空港の免税店で人気商品となっているので、我が家もよくカリフォルニアに買って帰るんですよ。

中国からの観光客の方を始めとして、外人さんにも人気なので、きっと何かしら国際的な魅力があるのでしょう。

その一方で、中国には Moon Cake がありますが、こちらは、日本でも「月餅」として有名ですよね。

中秋の名月(Mid-Autumn FestivalMoon Festival)の頃に食べるお菓子ですが、以前、月餅の由来についてちょっとご説明したこともありました。

「元のモンゴル支配の時代、革命の密書を月餅に隠して、津々浦々の革命戦士の士気を高め、漢族の反乱を起こした」という従来の説に加えて、「4つの漢字を持つ月餅を4個箱に詰め、16の漢字をバラバラにして密書を再現した」という暗号説もありました。

何はともあれ、お月さまって、お饅頭やクッキーと、食べ物に深い縁があるのです。

というわけで、またまた話が脱線してしまいましたが、今日のお題は Quarter Moon

「半月」と呼ぼうと、「四分の一の月」と呼ぼうと、地球から見上げると半分光っている月のことでした。

写真出典: 『半月』クッキーは、鎌倉 菓子・鎌倉五郎 本店さんのウェブサイトより。

月の写真は、NASA(アメリカ航空宇宙局)のウェブサイトより: 最初の半月の写真は、今年5月6日、国際宇宙ステーション(International Space Station)のクルーが撮影した、青い地平線に浮かぶ上弦の月。そして、月の満ち欠け図は、NASAが月の名称をわかりやすく解説したものです。

本文ではご説明しませんでしたが、三日月は Crescent(クレセント)、四分の三の月は Gibbous(ギボス)と呼びます。

それぞれ、満月に向かって大きくなるのが Waxing(ワクシング)、満月後に小さくなっていくのが Waning(ウェイニング)と表現します。

歴史のイマジネーション~蒸気機関車

先日、こんなお話を書く機会がありました。

日本の「鉄道の発祥」といえば、明治時代、東京・新橋(しんばし)と横浜の29キロを結んだ鉄道のこと。が、実は、これよりも先に蒸気機関車が走った場所があるのです、と。

明治5(1872)年の新橋~横浜鉄道開業をさかのぼること、ゆうに7年

慶応元(1865)年には、長崎の大浦海岸通りに600メートルのレールが敷かれ、蒸気機関車が2両の客車を引いて走ったのが、「蒸気機関車の最初」だそうです。

残念ながら、こちらは「試走」に終わり、新橋~横浜間の「鉄道開業」とは意味合いが違いますので、厳密には「鉄道の発祥」には当てはまらないかもしれません。

けれども、多くの日本人が「大浦海岸通りの蒸気機関車」のことを知らない事実に、自分自身の無知も含めて驚いたのでした。


この長崎の蒸気機関車は、大浦地区にある外国人居留地に敷設されたもので、発案者は、スコットランド出身の英国商人トーマス・グラバー(Thomas B. Glover)。

グラバーさんは、江戸時代の安政6(1859)年、21歳の若さで来日した貿易商人で、長崎にグラバー商会を設立して商売を広げ、幕末には、坂本龍馬にも銃や戦艦を調達したことでも有名な方です。

日本語もかなり流暢だったそうで、薩摩、長州、土佐の幕末の志士とも通じ合うところがあったのでしょう。

伊東博文など長州藩士の英国留学や、五代友厚(ごだいともあつ)など薩摩藩士の海外渡航の橋渡し役も務めたそうです(のちに五代さんの紹介で、奥方ツルさんと結ばれたとか!)。

この方が、何を思ったのか、上海博覧会に展示されていたイギリス製の蒸気機関車『アイアンデューク号』を買い取って、長崎の地に取り寄せたのでした。

そして、慶応元(1865)年春、英国領事館や商社、銀行、ホテルが建ち並ぶ外国人居留区の一等地(当時の言葉で『上等地』)のメイン通り、大浦海岸通りに600メートルのレールを敷き、蒸気機関車を走らせたのでした。

2両の無蓋(屋根なし)客車には乗客が乗り合わせたそうですが、なにせ外国人居留地ですから、イギリス人、アメリカ人、フランス人、デンマーク人と外人さんも多かったことでしょう。


噂はすぐに街じゅうに広まり、沿道には蒸気機関車とやらを見てみようと、連日たくさんの見物人が詰めかけ、黒山の人だかりだったそうです。

なにせ、グラバーさんたち外人さんが長崎の居留地にやって来るちょっと前、嘉永6(1853)年には、遠いお江戸にメリケンの蒸気船が現れ、大騒ぎになったと聞いていたら、今度はオランダが長崎に蒸気船を運んできて、みんなで驚いたではありませんか。

その蒸気船がを走るとは、一見の価値があるのです!

ちょうど、唐津城下(佐賀県)から長崎見物に来ていた「茶の湯・俳句の一行」のひとりが、タイミングよく蒸気機関車に出くわしたことを書いています。

唐津材木町の町年寄・平松儀右衛門が記した『道中日記』には、3月17日知人の勧めで大浦まで人をかき分け見物に出かけ、「陸蒸気船(おかじょうきせん)」が黒い煙を吐きながら力強く走ったことが記述されているとのこと。
(「旅する長崎学」シリーズ第9巻『西洋と東洋が出会った長崎居留地』p56)

さすがに儀右衛門は職人気質だったようで、鉄の棒(線路)と(蒸気機関車)の詳細や、鉄の棒に船をからませて走るカラクリを克明に記録しているとか。

近隣住民にも蒸気機関車に乗った方がいらっしゃるようで、海運業・松島長太郎は「短い時間だったが、夢見心地だった」と、機関車初体験を語っています。

古老・吉田義徳は、手記の中で「間近く立寄り居る際 何人(なにびと)か後方より我を抱き乗せたる者あり」と、機関車の停車中に見学していたら、誰かに後ろから抱きかかえられ客車に乗せられた様をつづっているそうです。
(以上、ウェブサイト『長崎年表』、江戸時代(18)1865年の項を参照)

どうやら、最初のうちは外人さん数人と役人2、3人がお行儀よく乗っていたものの、そのうちに、あんまり人が押し寄せるものだから、秩序も乱れ、なんとなく誰でも乗れる雰囲気になっていた、というところでしょう。

いったい何日ほど機関車が走っていたのか定かではありませんが、何回か試運転が行われ、その間、見物人がどっと押し寄せたことは確かなようです。


それで、この「陸蒸気船、長崎に初登場!」の新事実を知って、どうしてグラバーさんは蒸気機関車を走らせたんだろう? と、ひどく不思議に思ったのでした。

今となっては、彼の真意は明らかではありませんが、幕末の動乱期に「西洋の力はスゴいんだぞ!」と見せつけたかったのだろう、とも言われています。なにせ、日本が開国するかどうか、ひどくもめていた時期ですから。

また、当時は日本だけではなく、中国でも鉄道敷設の計画が盛り上がり、グラバーが勤めた英国商会(現在も国際複合企業として名高いジャディーン・マセソン)が熱心に計画に参加した時代でもあったようです。
(長崎史談会だより、井手勝摩氏コラム『大浦で走ったアイアン・デューク号はその後どうなった』を参照。写真もこちらより転載)

そして、個人的には、グラバーさんの祖国イギリスへの「こだわり」もあったのではないか? と感じているのです。

たとえば、陸蒸気船が走った1865年には、長崎ではこんなことがありました。

大浦・南山手の丘にカトリック大浦天主堂が完成し、ほんの2ヶ月前には祝別式(教会を聖なるものとする儀式)が執り行われたばかり。

大浦天主堂は、居留地のフランス人のために建てられたもので、フランス寺とも呼ばれた聖堂。
 祝別式には、カトリック・パリ外国宣教会のジラール日本教区長(日本語が流暢な横浜天主堂の名物神父)が駆けつけ、長崎港に入港していたフランス艦、ロシア艦、オランダ艦、イギリス艦の軍艦長と乗組員、そしてフランス領事デューリらも列席。艦砲による祝砲も、式に一層の華やかさを加えたとか。
(坂井信夫氏著『明治期長崎のキリスト教』p49)

丘の上に建つぴっかぴかの聖堂と、港をうめつく各国の軍艦。華やかな礼装で出席した艦長や乗組員に、次々と軍艦から放たれる祝砲。

この時点で、外国人居留地のお株は、フランスに奪われた感じではありませんか?

いえ、この頃、近くの唐人屋敷周辺の中国人コミュニティーを除くと、外国人で一番多いのがイギリス人でした。

そして、南山手に次いで宅地化された東山手には、だんだんとアメリカ人も入って来て、英語圏の外人さんがとみに増えてきました。

そこで、東山手には、「フランス寺」建立の3年前の文久2(1862)年、日本で最初の新教プロテスタント)の教会となる、イギリス国教会系「聖公会礼拝堂」が建てられています。

もちろん、いまだ幕府の禁教令は布かれたままですから、英語圏の外人さんのためだけの教会です。が、居留地内でそんな新教派の気運が盛り上がる中、日本での布教の歴史の長いカトリック教会が大浦天主堂を建立し、華々しく祝別式を行ったではありませんか!

ふん、こいつはいかん! と発奮したグラバーさんが、上海から蒸気機関車を取り寄せ、これ見よがしに大浦天主堂の真下で走らせてみたのではないでしょうか?

このとき、グラバーさんは26歳の若さではありますが、長崎ではベテランの外人さん。ですから、「英国人の意地」を見せてやろうと英国製蒸気機関車を走らせ、街じゅうを驚かせたのではないか? と。


そして、もうひとつ「こだわり」を彷彿とすることがあるのです。

大浦天主堂に着工したのは、蒸気機関車が走る一年ちょっと前、文久3(1863)年暮れですが、それとほぼ時を同じくして、グラバーさんは自分の屋敷を建てています。

現在は重要文化財『グラバー邸』として、観光名所「グラバー園」の中心的存在となっているお屋敷です。

が、これは、大浦天主堂のすぐ目と鼻の先!

なんでも、大浦天主堂が当時の地番「南山手一番乙」なら、グラバーの屋敷は「南山手三番」だとか!
(上記『西洋と東洋が出会った長崎居留地』pp44~45、石尾和貴氏コラム「古文書から見た外国人と長崎居留地~居留地めぐりのススメ」を参照)

これだって、旧教国フランスに遅れを取りたくない! 居留地でフランス寺だけが目立ってほしくない! という彼のこだわりを彷彿とさせるものではないでしょうか?

ちなみに、『道中日記』を記した唐津の平松儀右衛門は、蒸気機関車を見物したあとは、できたばかりの大浦天主堂とグラバー邸も見学しています。(写真は、現在の国宝『大浦天主堂』)

天主堂/グラバー邸の南山手とアメリカ人邸宅の多い東山手は、さしずめ、ビバリーヒルズのセレブ見学コース!

居留地を往来する「キジの眼」の外人さんや新築の洋館が建ち並ぶ景観を観察したあとは、グラバー商会に立ち寄り、菓子箱を差し出して手形をもらった。
 案内人に手形を示すとグラバー邸内の見学が許され、海を見下ろす立派な庭園には「ビイドロの屋根(ガラスの屋根)」の温室があり、大筒(大砲)が10丁余も備え付けてあった、と記されているとか。

(上記『西洋と東洋が出会った長崎居留地』pp14~15、本馬貞夫氏コラム「平松儀右衛門の居留地見聞記~異国にも 来た詠め也 はるの旅」を参照。本馬氏は、『道中日記』に蒸気機関車の記述を発見された方だそうです)

この庭園の大砲は、幕末の攘夷(外国人排斥)の風潮に備えるものらしく、グラバーさんは、ここでも異国の地で暮らす英国人の意地を見せなければならなかったのでしょう。


というわけで、蒸気機関車のお話がすっかり脱線してしまって、わたしの勝手な想像がひとり歩きしています。

けれども、想像の翼をはばたかせながら資料を読んでいると、「歴史上の人物」も身近に思えてくるし、「史実」だって、すべてがつながっているんだなと実感できるような気もいたします。

そして自身が異国の地に身を置いていると、グラバーさんの「意地」も共感できるような気がしてくるのです。

間もなく、長崎で『がんばらんば国体(第69回国民体育大会)』が開かれるそうですが、もしも現地に行かれることがあったら、グラバーさんになった気分で、お屋敷を散策されてはいかがでしょうか。

参考文献: 文中にも記載していますが、以下が参考文献となります。

「旅する長崎学」シリーズ第9巻『西洋と東洋が出会った長崎居留地』、長崎文献社、2008年: 薄い冊子風のつくりで、コンパクトにまとめた内容が親しみやすいです。居留地拡大を示す地図や当時の様子を伝える古写真、研究者のコラムを掲載するなど、読みごたえのある本でもあります

坂井信夫氏著『明治期長崎のキリスト教~カトリック復活とプロテスタント伝道』、長崎新聞新書、2005年: 坂井氏は九州大学を定年退職されたあと、長崎の活水女子大学に勤務された折り、長崎と九州各地の教会の歴史も研究課題とされています。カトリック発展の歴史が脚光を浴びる中、禁教令が解かれた明治期のプロテスタント伝道については、希有な文献です

長崎史談会・井手勝摩氏コラム『大浦で走ったアイアン・デューク号はその後どうなった』、長崎史談会だより平成25年(2013年)9月号 No.73: PDFファイル一頁にコンパクトにまとめられた『アイアンデューク号』のその後と研究の経緯。大正初期にグラバーの蒸気機関車の存在が発表されて以来、機関車の行方は不明でしたが、井手氏は「中国・北京に運ばれ、4ヶ月後にはかの地の鉄道試運転に使われたのでは?」と仮説を立てられています

ウェブサイト『長崎年表』、江戸時代(17)1860~1863年、江戸時代(18)1864~1867年: こちらの年表は、日本・世界全体をも視野に入れながら、長崎の歴史を時代ごとに克明に列記したものです。18年現地に住まれた写真家・藤城かおる氏が個人で作成されている年表だそうですが、その詳細さには頭の下がる思いがします

写真出典: インターネットから取得した写真は、以下が出典となります(掲載順)。
1872年新橋~横浜間鉄道開業の浮世絵(横浜): ウィキメディア・コモンズ

Thomas Blake Glover (1838-1911): Wikimedia Commons

Replica of “Iron Duke” steam locomotive running in Kensington Gardens, London: Gloucestershire Warwickshire Railway’s Website

甲斐宗平画伯の作品『アイアンデューク号』(グラバー園所蔵): ウェブサイト『長崎Webマガジン・ナガジン』「長崎の歌(27)長崎と鉄道唱歌」の項

中国で最初に試運転されたパイオニア号: 上記・井手勝摩氏コラム『大浦で走ったアイアン・デューク号はその後どうなった』

1865年創建当時の大浦天主堂: ウェブサイト『長崎とキリスト教 歴史と史跡』(岸川聡成氏管理)「浦上」の項

重要文化財『グラバー邸』: Wikimedia Commons

現在の国宝『大浦天主堂』: Wikimedia Commons

Stingy(ケチ)

先日、ライフinカリフォルニアのセクションでは『「メイドさんのティップ」キャンペーン』のお話をいたしました。

アメリカのホテルでは、部屋を掃除してくれるメイドさんに対して宿泊客がなかなかティップを置いてくれないので、「メイドさんのことも忘れないでね」と、封筒でティップを置きやすくするキャンペーンでした。

それで、このお話を書いていたとき、頭の中では、こんな主観が渦巻いていたのでした。

一般的に日本人と比べると、アメリカ人には「ケチ」な人を見かけるような気もするなぁ、と。

それで、今日の話題は、ずばり「ケチ」。


まあ、「ケチ」にもいろいろ段階がありまして、まず「倹約家」という言葉がありますよね。

無駄なことを嫌い、ごく必要なものにしかお金を遣わないタイプ。

英語では、倹約家のことを frugal と表現します(発音は「フルーガル」よりも「フルーゴー」といった感じ)。

この言葉は、あくまでも「倹約」の意味合いが強いので、決して悪い言葉ではありません。たとえば、こんな風に使います。

We were trying to be frugal to stretch our monthly household budget
 わたしたちは一ヶ月の家計費を長く持たせるために倹約に努めていた

この言葉には、「質素な」という意味もありますので、こんな風にも使います。

We had a frugal meal of bread and cheese
わたしたちはパンとチーズの質素な食事をとった


この frugal がちょっと度を超すと、parsimonious という表現になります(発音は「パーシモゥニアス」で、「モゥ」にアクセント)。

これは極度に倹約家といった感じで、少々「ケチ」の意味合いが出てきます。

Her motto is being parsimonious everywhere she goes
 彼女のモットーは、どこに行っても倹約家であること

ですから、こんなことを自分が言われたとしたならば、「ケチだ」と遠回しに言われたのかもしれないなと、ちょっと気をつけることでしょう。


それで、frugal とか parsimonious とも違って、完全に「ケチ」という言葉が当てはまるケースがあるでしょう。

そう、なんでそこまでケチるのよ? と、見ていて腹立たしいような。

そういうときには、stingy を使います(発音は「スティンジー」)。

You can’t be stingy when it comes to charity
 チャリティーのときにはケチになっちゃいけないよ

この言葉には、必要なときにもケチケチしてお金を払わないという意味合いがありますので、stingy と言われると、ちょっと不名誉なことではあるでしょうか。

英語圏の文化でなくとも、たとえば中米の伝統的な生活を守る村々でも、stingy と言われることが世の中で一番不名誉なことだ、という認識があったりするのです。


似たような表現に cheap(チープ)というのがありますね。

普通、cheap というと「値段が安い」という意味かとも思いますが、どちらかというと否定的な含みの強い言葉で、「安いけれども、同時に質も悪い」といった響きがあるでしょうか。

モノが安くて、ありがたいと表現したいのであれば、inexpensive(安くてすむ)とか reasonable(値段が手ごろな)といった言葉を使った方がいいかもしれません。

たとえば、こんな風に。

Wow, the price is reasonable for this level of quality
 まあ、この質の良さでこの値段なら、お手ごろだわぁ

それで、cheap という言葉は、モノと同じように、人に対しても「何に関してもケチケチしてイヤな人ねぇ」とか「もっといいお金の遣い方を知らないのかしら?」といった否定的な含みを持っています。

He is so cheap
 彼って、ほんとにチープだよねぇ

こんな風に言われたら、自分を見つめ直す必要があるのかもしれません。


というわけで、アメリカは、実に面白い、奥深い国なんです。

見ず知らずの人にも喜んで手を差し伸べる寛大な(generous)方が大勢いらっしゃる一方、「なんで俺が金を払うのさ?」と、たった一ドルを出すのも拒む方がいらっしゃるのです。

そう、日本人なら「まあ、習慣だからしょうがないかぁ」とあきらめる場面でも、断固として拒否する、というような。

こういう方は「逆に、俺の方が恵んで欲しいくらいだよ!」と不満に思っているのかもしれませんね。

わたしの経験では、この手のタイプは男性に多く、いつかサンフランシスコ・ジャイアンツの試合を観ようと野球場に隣接する駐車場に車を停めたら、「なんで駐車場に20ドルも払わないといけないんだ!」と、いつまでもぐちぐちと文句を言う男性を見かけました。
 奥さんは、「あぁ、また始まった」という感じで、沈黙を守っていらっしゃいましたが。

というわけで、「ケチ」。

You are being stingy
 あなたってケチねぇ

と言われたら、ちょっと鏡を覗き込んでみた方がいいのかもしれません。

(ちなみに、最後の文章で「現在進行形」になっているのは、「あなたは今ケチになってるよ。だから、ちょっと気をつけなさい」という戒めの意味合いがあるからです。You are stingy と言われるよりも、ちょっとはマシでしょうか。)

蛇足ですが: 身近なところに He is cheap と仲間内でささやかれている人がいました。けれども、彼は、レストランのティップはいつも多めに置くのが習慣でした。

学生時代、レストランのウェイターをしたことがあって、レストランにしてもホテルにしても、接客業というのがどんなに大変で、どんなに払いのケチな職業であるか知っていたからです。

なるほど、cheap に見える人でも、generous な心を持っているのだなと見直したのでした。

「メイドさんのティップ」キャンペーン

今日は、ティップ(tipgratuity)のお話です。

日本では「チップ」と言いますが、ホテルやレストランなどで、接客の方々にお渡しする「心づけ」のことですね。

3年前にも『慣れないティップの習慣』と題して、アメリカ、ヨーロッパ、そして列車オリエント急行のティップの習慣を三部作でご紹介しておりました。

基本的に、何かしらサービスを受けたら、ティップを払うのが欧米諸国の慣例ではあります。

アメリカ編では、ホテルに宿泊したときには、荷物を運んでくれるベルボーイや、タクシーを呼んでくれるドアアテンダントだけではなく、部屋の掃除をしてくれるメイドさん(room attendant, housekeeper)にもティップを置いておく習慣があることもご説明しました。

ところが、なんです。

なんと、アメリカ人もこの習慣を知らないのか、意識的に守らないのか、とにかくメイドさんにティップを置かない人が多いとか!!

そこで、アメリカの名門ケネディー家出身で、テレビレポーターも務めるマリア・シュライヴァーさんが、キャンペーンを始めたそうです。

マリオット系列のホテルには、メイドさんにティップを忘れないようにと、封筒(envelope)を置いておきましょう、と。


これは、9月中旬に始まった『封筒をどうぞ(The Envelope Please)』というキャンペーン。
 マリオット系列のホテルの部屋に封筒を置いて、ティップを忘れないでくださいねと、宿泊客に促す試みです。

封筒には「わたしたちの客室係が、ご宿泊を心地よいものにするためにがんばりました」といったメッセージとともに、実際に部屋を掃除してくれたメイドさんの名前も書かれているとか。

キャンペーンの発案者マリアさんは、多くの宿泊者がメイドさんに置くティップの習慣を知らないし、習慣を知っていても置く方法を知らないことを指摘し、「もっともっと旅行者を教育する必要があるわね」と述べています。

封筒を置いておくことで、ティップの習慣を思い出すし、やり方を知らない人も置きやすくなるだろう、というのがキャンペーンの意図なのです。

マリオット系列には、マリオット(Marriott)を始めとして、コートヤード(Courtyard)、レジデンスイン(Residence Inn)、リッツカールトン(Ritz-Carlton)といったブランドがあり、世界で4千軒以上のホテルを持つ巨大なネットワークです。

アメリカとカナダでは、千軒近くのホテルがキャンペーンに参加し、16万もの部屋に封筒が置かれることになるそうで、そうなると教育(education)の力も多大なものになることでしょう。


3年前もご説明していますが、ティップは一泊につき「一人1ドル」が目安です。

けれども、広い部屋に泊まったり、ちょっと汚したと感じたりしたときには、多めに置くのが習慣です。

たとえば、宿泊レートが高いホテルでは、多めに置くのが常識ですし、リビングルームとベッドルームが分かれている「スイート(suite)」や「コッテージ(cottage)」に泊まったときにも、二人で5ドルなどと増額します。

そして、ティップは滞在中に置くのが慣例ですので、一泊お泊まりして、翌日お出かけするときに枕の上などに置いておきます。封筒に入れるか、メモを添えて置くのが原則ではあるようですが、現金をそのまま置いてもいいと思います。

メイドさんは、毎日違う方がやって来ますので、「昨日あげたからいい」という理屈は通りませんから、毎日お出かけするときに置いておきますね。

一人1ドルが相場なら、街角で絵葉書一枚を買うのと変わりませんので、そんなに敷居は高くないのです。


それで、どうして何回もティップのお話を書いているのかというと、アメリカでは、サービス分野の給与体系が「ティップをもらうこと」を前提に組まれているからです。

つまり、「ティップをもらうであろう分」を差し引いて、もともとの給料を低く設定してあるということです。

よく日本人の方から、「もう面倒くさいわねぇ、ティップの制度なんかやめちゃえばいいのに」という感想を聞きます。

個人的には、この意見に賛成ではあるものの、現行の給与体系を根本的に変えない限り、一番損をするのは「メイドさん」や「ベルボーイ」や「レストランのウェイトスタッフ」といった接客係であり、一番得をするのは「雇い主」ということになってしまいます。

ですから、気持ちよく接してくれた方には「ティップをはずんでサービスに対してむくいる」というのがティップの根本思想であり、最低限のエティケットなのです。


実際のところ、アメリカの調査では、3割の宿泊者がメイドさんにはティップをまったく置かないそうですよ。

残る7割は、「だいたい(usually)」もしくは「ときどき(sometimes)」置くと答えるそうです。

ところが、じかにメイドさんにインタビューしてみると、「そうねぇ、ティップを置いてくれるのは、15人から20人に一人かしらねぇ」という答えも返ってくるとか。

たぶん「僕はちゃんと置くよ」と答えておきながら、実際は違う、というのが現状なのかもしれません・・・。

とくに顔を合わせることが少ないメイドさんは、舞台裏で「見えない仕事(invisible task)」をしてくれる方々です。

地味な役割ではありますが、多くのホテルでは一番たくさん人が働いている職種であり、メイドさん自身が家計を支える一家の主(breadwinner)であることが多い職業でもあります。

ですから余計にキャンペーンを広げて、みんなの意識を高めなければいけないんですよね。

余談ではありますが: キャンペーンの発案者マリア・シュライヴァーさんは、前カリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーさんの「元奥さん」でもありますね。

離婚の原因のひとつに、自宅で雇われていたメイドさんが隠し子を生んでいたのが何年もあとになって発覚したことがありますが、マリアさんご自身は「女性の地位向上」に務める方で、キャンペーンの母体であるA Woman’s Nationという団体も「家庭でも職場でも女性はもっと認められ、尊敬されるべき」という意識から生まれたものだそうです。

そして、このキャンペーンを知って、「宿泊客のティップではなく、雇い主がちゃんと給料を支払うべきよ」という巷の声も聞こえます。

その一方で、この問題はサービス分野全体に反映するもので、メイドさんだけの問題ではない。ティップの習慣には、「サービス料」と「サービスに対する感謝の気持ち」の両方が含まれるので物事は複雑化している、と指摘する声もあります。

たしかに、一律にサービス料を取ったら、「あの素晴らしいサービスをしてくれた人には、どうやって感謝の気持ちを伝えればいいの?」とか「え~、あのサービスに15%のサービス料を取られるの?」と、べつの問題が出てくるのかもしれません。

が、とにもかくにも、ホテルのメイドさんには、ティップをお忘れなく!

参考文献: Tipping envelopes for maids: Marriott launches new campaign with Maria Shriver, by Beth J. Harpaz, the Associated Press, September 21, 2014

The Envelope Please: AWN & Maria Shriver launch Hotel Room Attendant Initiative in Partnership with Marriott, A Woman’s Nation, September 15, 2014

アップルから登場!: スマートウォッチの今後を占う

Vol. 182

アップルから登場!: スマートウォッチの今後を占う

今月は、アップルの新製品を分析したあと、税金と鉄道の小話が続きます。

<Apple Watchってどんなもの?>
9月9日の火曜日、アップル本社のあるクーパティーノ市のフリントセンターでは、注目のアップル新製品発表会が開かれました。


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ここは30年前の1月、28歳の若きスティーヴ・ジョブス氏が、壇上で初代マッキントッシュをお披露目して、拍手喝采を受けた記念すべき会場。8月末あたりから、敷地には仮設ステージが建ち始め、あれはいったい何だ! と近隣では大騒ぎでした。

そんな熱い視線の注がれた発表会で、新製品 iPhone 6/6 Plus、Apple Watch(アップルウォッチ)、Apple Pay(アップルペイ)が壇上に姿を現した、その翌日。
この『シリコンバレーナウ』のスポンサーでもいらっしゃる Kii株式会社代表取締役会長・荒井 真成氏のもとには、ニューヨークポスト紙の電話インタビューが入りました。

IoT(Internet of Things: モノとモノがネットでつながる世界)のバックエンドをサポートされる専門家としては、今回のApple Watchをどう見ていらっしゃいますか? と。
 


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言うまでもなく、Apple Watchは、今か、今かと待ち望まれたアップル版スマートウォッチ。
GoogleのAndroid Wear(ウェアラブル製品向けアンドロイドOS)を搭載したサムスン、LG、モトローラのスマートウォッチには若干遅れをとったものの、これら先行製品の評価が低迷する中「満を持して登場」の感があります。
時計に向かって声でメッセージを書くのも、音声アシスタントSiriと会話するのも、Apple Payを使って支払いを済ませるのも、しごく未来風ではあります。

そこで、ニューヨークポスト紙のインタビューを受け、荒井氏はApple Watchの今後を占うキーポイントを3点に集約: 1)バッテリーの持続時間、2)ファッション性、3)キラーアプリの登場。

まず、時計のように身につける製品は、電池が持つかどうかが決定的な要因。少なくとも、人が平均的に一日行動する時間は持つべき。
たとえば、Google Glass(グーグルグラス:メガネ型のウェアラブル製品)を真剣に使ってみると、3時間ほどで電池が切れるため実用性は低い。とくに時計ともなると、電池の持続時間が短いと、まったく使い物にならないだろう。
 


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そして、時計とは、たとえコンピュータ会社が出すスマートウォッチにしても「コンピュータ」の域を超え「ジュエリー(アクセサリー類)」の分野に入る。ゆえに、ファッション性は大事。
時計は「時間を知る」道具であるとともに、「自分のファッションステートメントを発信する」アクセサリーでもあるので、無機質の数字の並んだ四角いフェースに黒のゴムバンドというわけにはいかない。

Apple Watchには、スタンダードシリーズに加えて「スポーツ」「エディション」と3つのコレクションがあり、多数のモデルが用意されているようだが、消費者が「どうしてもこの時計をしてみたい!」という衝動に駆られなければ、スマートウォッチとしてもジュエリーとしても中途半端に終わるだろう。
 


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さらに、スマートウォッチであるApple Watchの成功は、キラーアプリの登場にかかっている。
現時点では、Apple WatchもAndroid Wearスマートウォッチも、通話やメッセージ送受信等のデータはスマートフォンとやり取りする。だから、電話と時計両方を携帯しなくてはならない(サムスンの新製品Gear Sは3G/Wi-Fi機能を持ち単体でも使用できると、9月初頭のベルリンIFAで発表。他製品は、BluetoothもしくはNFC経由でデータを同期する)
だとすると、スマートフォンとスマートウォッチ両方を持ち歩きたい必然性がなければ、消費者はスマートウォッチを買おうとは思わないだろう。

今、スマートウォッチ向けアプリで一番注目を浴びているのが、健康・フィットネス分野であり、Apple Watchもこの分野に照準を合わせている。たとえば「アクティビティ」機能では、カロリー消費量やエクササイズ時間、椅子から立ち上がった回数が一目瞭然となる。

だが、カロリー消費量や心拍数をモニターする製品は、Fitbit Flex(フィットビット・フレックス)、Jawbone Up(ジョーボーン・アップ)、Basis Band(ベイシス・バンド)など、すでに安価な値付けで市場に登場している(Basisは今年3月にインテルが買収)。高価なApple Watch(349ドル〜)を買いたいと思わせるためには、iPhoneApple Watch環境にしかないキラーアプリが必須となる。
 


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今年6月、アップルはHealthKit(ヘルスキット)を発表し、心拍数や血圧、血糖値、コレステロール値など、さまざまなアプリから集めた自分の健康データを総合管理したり、ユーザの同意のもとに医療機関とシェアしたりするプラットフォームを築こうとしている。
すでにシリコンバレーのスタンフォード大学病院とノースキャロライナ州のデューク大学病院が、1型糖尿病を持つ小児患者の自宅での血糖値測定などの試験運用に入っている。

このHealthKitのような、第三者が容易にアプリ開発に着手できる環境、そして、データ共有により分野全体にとっても有益となる環境を提供することで、キラーアプリが生まれるかもしれない。

というわけで、ニューヨークポスト紙の(新米)テクノロジー記者にかみ含めるようにApple Watchを解説された荒井氏でしたが、とてもわかり易かったので「Apple Watchが出た暁には、ウェアラブルや IoTクラウドの話をもっと聞かせてちょうだいね」とフィードバックがあったそうです。

そして、上記3つのキーポイントは、まさに的を射るものだと思います。

やはり、「バッテリー時間がミステリーのまま」という点には不満が集中していて、これからアップルは改善に躍起になるんだろうと噂されています。
せっかく睡眠の専門家を雇っておきながら、壇上で睡眠パターン解析機能を発表しなかったのは、夜はApple Watchを充電しないといけないからだろう、との意地悪な評もあります。
「おしゃれなエディションモデルには充電機能付きジュエリーボックスが付くみたいだから、だったら毎晩充電するには嬉しいわぁ」という好意的な声もありました。


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そして、実際Apple Watchを発表会場で目にした方からは、「bulky(でっかい、かさばる)」という感想がもれています。
ビデオで観ると美しくスリムに写っているけれど、実際は、かなりでっかく分厚い感じがすると。

Apple Watchには42ミリ型と38ミリ型の2タイプがありますが、これは時計本体の縦の長さ。
幅は若干小さいものの、厚さはセンサー部分を含めて12ミリは越えるだろうと推測され、腕の細い人、とくに女性にとっては大き過ぎるのかもしれません(ちなみに、9月初頭発売のモトローラMoto 360(円形のフェース)は、厚さ10ミリだとか)
 


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そんなわけで、いろいろとApple Watchの憶測は飛び交っていますが、従来の時計ではなく、スマートウォッチだからこそ可能な特長に「カスタマイズ」があります。自分の好みで時計のフェースを自在に変えられるのです。
誰かと同じ本体とブレスレットを持っていたにしても、フェースを設定することによって、まったく違った印象の「自分」の時計にできるのです。

過去3年間、Apple Watchのデザインに尽力したジョニー・アイヴ氏も「欲しいと思えるもの(desirable)」であるとともに「パーソナル(personal)」であることを念頭にデザインしたと述べています。

そして、発表会直後、アイヴ氏とともにABCニュースの舞台裏インタビューを受けたアップルCEOティム・クック氏は、紅潮した面持ちでこう述べています。
(故スティーヴ・ジョブス氏)のことを考えない日は一日もない。とくに今朝は、彼が愛した会社、人類にとって宝物とも言えるこの会社が実現していることを目にして、彼も非常に誇りに思っていることだろう(9月10日放映ABC『Nightline』)
 


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「世に最初の製品」ではなく「ベストの製品」を目指すアップルを率いるクック氏は、こうも述べています。

業績というものは、美しい製品を出していれば、おのずとついてくる。美しい製品は人々に受け入れられ、企業の業績は上がり、株主も満足する

これは、クック氏がメンターであるジョブスさんから受け継いだ「経営の美学」であり、「日々の美学」なんでしょう。
その優れたメンターの部屋は、アップル本社の4階にそのままになっているとか。(9月12日放映インタビュー番組『Charlie Rose』より。2011年8月のアップルCEO就任以来、クック氏は同番組に初出演)

Apple Watchは来年初頭に発売予定。消費者の反応が楽しみな新製品ではあります。

<『オバマケア』の置き土産>
話題はガラッと変わって、お金のお話です。

アメリカでは、サラリーマンであろうと自営業であろうと、全員が確定申告をすることになっていて、普通、締切日は4月15日です。

ところが、我が家は、毎年延長申請をする事情があって、10月15日が締切日となります。まあ、要するに、3月と9月に会計士と深刻な申告の話(!)をしなくてはならない、という面倒くさい事情があるのですが、その年に二度目の申告の季節を迎えて、あることに気がついたのでした。

それは、通称『オバマケア(医療保険制度改革法)』にかかわる新しい税金!
 


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今年5月号でもご紹介していますが、オバマケア(正式名称:患者保護および医療費負担適正化法、the Patient Protection and Affordable Care Act)の制定には、国中の根強い反発があり、今でもその火種はくすぶっているわけですが、とにかく年初からは「住民全員が医療保険に加入すること」が法律となっています。

が、そのためには新たな財源が不可欠。国が健康保険を始めるわけではありませんが、保険プラン比較ウェブサイトを構築したり、制度全体を維持したりと、何かとお金が要るのです。
 


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そんなわけで、2013年度の連邦政府向けの確定申告書には、「その他の税金(Other Taxes)」の項目に「Form 8960からの税金」なるものが登場!(写真では60行目)

Form 8960というのは、ざっくり言って「投資でもうけた額」を計算して、3.8パーセントの税金を割り出すワークシート(厳密には「年収と課税分岐点の差」と「投資収益」のどちらか小さい方の3.8パーセント)

まあ、我が家は投資でもうけた分なんて微々たるものですから、税金だってかわいらしいものですが、たくさんもうけた人は、たくさん払うようになっているわけです。

普段、税金を払って嬉しいことなんてまったくないですが、この「オバマケアの税金」は、ちょっと嬉しい気もするのです。なぜなら、人のためになっているのが目に見えるようだから。
べつに戦車やミサイルを買うわけでもないし、どこか内陸の州で栽培するトウモロコシの助成金に化けるわけでもないし、「みんなの医療保険制度を支える」という目的が明確ではありませんか!

なにがしか懐に入れば、税金を払う。「死」と「税金」は人間社会では避けられないことですが、「自分の税金はこれに使ってよね!」と指定できればもっといいんですけれどね。

<鉄道発祥の地って?>
最後に、先月号に掲載した内容で、ひとつ付け加えたいことがありました。

先月号第1話で、東京のサラリーマンの街・新橋(しんばし)は、新橋〜横浜間の「鉄道発祥の地」だとご紹介しました。これは、完全に間違いとは言えないものの、実は、これよりも先に日本で蒸気機関車が走った場所があるのです。

明治5年(1872年)の新橋〜横浜間・鉄道開通をさかのぼること、ゆうに7年。慶応元年(1865年)には、長崎の大浦海岸通りに600メートルの線路が敷かれ、蒸気機関車が2両の客車を引いて走ったのが「発祥」とも言えるとか。

まあ、何をもって「発祥」と言うのか論議の余地はありますが、こちらの鉄道は、スコットランド出身の英国商人トーマス・グラバー(Thomas B. Glover)が大浦地区の外国人居留地に敷設したもの。
蒸気機関車は、グラバーが上海博覧会に展示されていたものを買い取ったもので、イギリス製の『アイアンデューク号』。客車にはたくさんの乗客(多くは英米仏の外人さん?)が乗り合わせ、連日「陸蒸気船(おかじょうきせん)」を見ようと沿道には大勢の見物人が詰めかけたとか。

なにせ幕末のことですから、坂本龍馬にも武器を供給していたイギリス商人が、何の目的で蒸気機関車を走らせたのかは定かではないそうです。が、幕末の動乱期、「西洋の力はスゴいんだぞ!」と世間に知らしめたい動機もあったはず、と言われています。

残念ながら、この「鉄道」は試走に終わったようで、現在この海岸通りには、長崎電気軌道の路面電車が走ります。この電車区間だって、大正5年(1916年)には開通したそうですが、グラバーの線路を「再利用」したのかどうかは定かではありません(どなたかご存じでしたら、ご教示ください)。
 


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江戸時代には唯一外国に開かれた長崎の港ですから、この街には「日本最初の〜」というのがゴロゴロしています。
明治4年(1871年)、長崎〜上海間、長崎〜ウラジオストク間に海底ケーブルを敷設して「国際電信局」を開いたのも、日本最初。
案外、この頃から国際スパイが長崎を舞台に暗躍していたのかもしれません!
(写真は、国の史跡『出島オランダ商館跡』)

というわけで、歴史はほじくり出すと、止めどが無いし、しごく多角的。蛇足ではありましたが、新事実を知ってしまった以上、書かないわけにはいかなかったのでした。あしからず。

参考文献:「旅する長崎学」シリーズ第9巻『西洋と東洋が出会った長崎居留地』、長崎文献社、2008年、pp56~57

夏来 潤(なつき じゅん)

 

49ersの新スタジアム

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先日、『シリコンバレーの新名所!』というお話でLevi’s Stadium(リーヴァイス・スタジアム)をご紹介しました。

フットボールチーム、サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)の新スタジアムです。

それで、せっかくシリコンバレーに登場した名所ですから、もっと写真をお披露目したいと思ったのでした。

こちらに掲載しているのは、8月17日(日)の記念すべき初ホームゲームと、その翌週24日(日)のホームゲームで撮影したもの。

どちらの試合も、プレシーズン(Preseason)ですので、まだ腕試し期間中。レギュラーシーズン前の4週で4つの試合(ホームで2つ、アウェイで2つ)をこなして、その中で活躍した選手たちを選び抜く「選抜」の時期でもあります。

8月24日、プレシーズンの最終ゲームが終了すると、そこからチームは「選抜」のプロセスに入ります。そして、NFL(フットボールリーグ)で定められた8月30日の締切日には、正式に53名のチームメンバーを発表するのです。

選ばれた選手はいいですが、選ばれなかった選手はがっかり。けれども、そこからメンバーが「負傷者リスト」に入ったり、リリースされた選手が再契約されたりと、舞台裏ではさまざまなドラマが生まれます。

フットボールはケガの多いスポーツですから、突然優秀なプレーヤーが大ケガを負うこともあって、53名に選ばれなかったとはいえ、完全に「縁切り」とはならない選手も多いのです。

そんなわけで、本来は地味な「腕試し」と「選抜」のプレシーズンですが、とにかく今年はスタジアムが新しいということで、49ersにはファンの熱い視線が向けられたのでした。

やっぱり、スタジアムが新しいと気持ちがいいし、相手チームのファンがやって来るときにも、「どんなもんだい!」って胸を張れるでしょう。

そして、なによりも、立派なスタジアムは「自分たちの強豪チームにふさわしい」と満足できるのです。そう、これこそが、スーパーボウルに5回勝ったチャンピオンにはふさわしい! と。

実際にスタジアムで試合を観戦すると、テレビでは味わえない臨場感もあります。

たとえば、試合前にフィールドで行う最終調整。チームごとに、独自の伝統があるようです。

49ersの選手たちは、それぞれのポジションでかたまって調整するのですが、監督のジム・ハーボー氏もせっせと選手のお相手をしていました。

ハーボー氏は、大学でもプロでもクウォーターバック(Quarterback、QB:攻撃の司令塔)を務めた方。

ですから、ラニングバック(Running back、RB:ボールを持って走る役割)の選手にボールを手渡しして、調整のお手伝いに余念がありません(ご紹介した写真では、注目のルーキー、カルロス・ハイド選手にハンドオフしている黒シャツの方が、ハーボー監督)。

普通、プロチームの監督自らが、試合直前の調整に参加するのは珍しいと思うのです。だって、監督の元には、コーチ陣がたくさんいらっしゃいますから、普通はコーチにお任せするのです。

けれども、ハーボー氏は、ものすごく「熱い」ことで知られる人。ですから、試合前に体を動かしていた方が、精神的に落ち着くのかもしれませんね。

それから、意外なことがもうひとつ。

ひとたび試合が始まってみると、テレビで観るよりもフィールドが小さい感じがするのです。

進むべき「10ヤード」も、かなり短く感じるのですが、それは、選手たちが大きいからでしょうか??

これまでは、49ersの試合をサイドライン(真横)から観たことがなかったので、ここからのアングルでは、いろんな発見があるのでした。

と、プレシーズンの2試合は、まだまだ「お祭り気分」のホームゲームでしたが、いよいよ、9月14日には、シカゴ・ベアーズを招いてシーズン初ホームゲームが開催されます。

日曜日の夜の試合は、全米の注目を浴びる試合。ですから、強豪ベアーズを相手に、恥ずかしい試合だけはやってほしくないのです!!

というわけで、49ersの新スタジアム。

実際にフットボールの試合は観られなくても、Levi’s Stadiumでは見学ツアーを行っています。

ホームゲームやイベントがある日以外は、毎日ガイド付きのスタジアム見学ツアー(約90分)をやっています(大人一人25ドルですが、付設のチーム博物館を見学する場合は10ドル追加、そして人気の日には料金が上がることもあるとか!)。

試合やイベントでスタジアムを訪れても、なかなか立ち入れない場所もありますので、そういう意味では、おもしろいツアーじゃないかと思います。

わたし自身も、いつかトライしたいと思っているのです。

シリコンバレーの新名所!

「名所」と言っていいのか、ちょっと微妙なところですが、シリコンバレーに登場しました!

新しいスタジアムです!

アメリカンフットボールのプロチーム、サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)の新スタジアムで、名前は Levi’s Stadium(リーヴァイス・スタジアム)といいます。

三十余年前、初めてサンフランシスコに渡って来た頃から49ersファンなので、このスタジアム建設は、わたしにとっては他人事ではないのです!

もともと49ersは、サンフランシスコ市南東の湾に突き出た半島にスタジアムを構えていました。
 が、こちらのキャンドルスティック・パーク(Candlestick Park、写真)が老朽化のため、シリコンバレーのサンタクララ市に新居を建設。
 チーム名は「サンフランシスコ49ers」のまま、南のシリコンバレーに引っ越すことになりました。

サンフランシスコ(郡と市を兼ねる)からは、サンマテオ郡を飛び越えて、サンタクララ郡に引っ越すわけですが、こちらのサンタクララ市には、チームのオフィスも練習フィールドもあるので、自然な選択ではあるでしょうか。


もちろん、スタジアムの計画から建設には何年もかかるので、みなさん「いったいいつできるのか」と待ち望んでいました。

こけら落としのイベントは、8月2日に開かれたばかりですから、できたてのホヤホヤです(こちらは、今年3月に撮影した航空写真。ここから急ピッチで工事が進んだのでした)。

わたしが実際に新スタジアムを目の当たりにしたのは、初試合が開かれる直前。

ちょうど車で近くを通りかかったのですが、スタジアムの正面入口を見あげると、まさに「白亜の殿堂」。大きいし、美しい。

そして、裏側のでっかい駐車場にまわってみると、そこから見るスタジアムのなんと巨大なことか!

記念すべきフットボールの初試合は、プレシーズン(レギュラーシーズン前の腕試し期間)の第2週目、8月17日(日)に開かれました。

試合当日、スタジアムに向かう段になると、心臓がドキドキと緊張してしまうのです。「道に迷わないで着けるかな?」とか「指定された駐車場には、ちゃんと空きスペースがあるのかな?」と、要らぬ心配ばかりしていました。

以前のスタジアムに比べると、複数のフリーウェイからアクセスできるし、周辺には電車やバスの公共交通機関も発達しているので、行きやすいのは確かです。けれども、何事も初めての経験というのは、緊張してしまいますよね。

きっと、スタジアムに向かうみなさんが、同じ気持ちだったのでしょう。
 前を行くトラックにも、チームのシャツを着た親子が乗っていて、「俺たちはバッチリ応援してやるぜ!」というピリッとした空気が漂っていました。

新スタジアムは、サンタクララ市から借り受ける遊園地グレートアメリカ(Great America)の臨時駐車場を利用しているので、スタジアムも駐車場も広々としています(市の土地を利用するので、2010年に住民投票が行われ、スタジアム建設は可決されています)。

そんなわけで、恐れていた大混乱もなく、スムーズに車を停めると、まずは、ここで記念撮影!

ここから見るスタジアムは、いつ見ても美しいのです。

みなさんも、記念写真を撮ったり、駐車場でテイルゲートパーティー(tailgate party)を開いたり、思い思いの方法で「この瞬間」を楽しもうとしています。

Tailgate party については、以前こちらでご紹介していますが、車の「後部ドア(tailgate)」を開け放って、みんなでバーベキューをして楽しむことですね)


そんな談笑には脇目もふらず、こちらは気がせくので、チケットゲートをくぐって、スタジアムの中へ。

スタジアムの左右にはゆったりとした階段のアプローチがあって、階段を登ると、スタジムをぐるっと取り囲むコンコースに入ります。
 コンコースには、食べ物や飲み物を売るフードスタンドがいっぱいあって、「どれにしようかな?」と思案する観客の流れで渋滞しています。

ちょっとした「障害物競争」みたいに、ビールやホットドッグを持つ人をかき分けながら、コンコースから自分の座席へと下って行きます。

ここで個人的に気に入ったのが、座席。もちろん、雨露をしのぐために「革張り」ではないのですが、真っ赤なシートが、革張りのソファーみたいにフワフワと柔らかいのです。

そして、ひとつひとつの背もたれには、誇らしげに49ersのロゴが刻まれ、それがなんともオシャレです。

この真っ赤な椅子に座って、青々としたフィールドを見渡すと、この新スタジアムは、観客のことを考えてうまく設計されていることに気づくのです。

座席が心地よいばかりではなく、観客席の傾斜が、みんながフィールドを眺めやすいようになっています。アメリカ人は背の高い人が多いので、当然のことながら座高も高いのですが、そんな背の高さも、前の人との距離も気にならないくらいに、ゆったりとつくられているのです。


と、まあ、スタジアムは立派ですが、この日の記念すべき初ホームゲームは、散々なものでした。

お相手は、名クウォーターバック、ペイトン・マニング選手(写真18番)率いるデンヴァー・ブロンコス。
 強豪なので、こちらは1点も入れられずに、34対0で負けてしまったのでした。

この日は太陽が容赦なく照りつける、かんかん照りの日曜日でしたが、スタジアムは蒸すし、試合は面白くないしで、第3クウォーターのうちには、ほとんどの観客が家路についたのでした。

さすがに、我が家もさっさと席を立ったのですが、駐車場では、ローカルニュースのキャスターがインタビューをしていましたね。

まあ、アメリカ人のことですから、「いやぁ、最高のスタジアムだし、最高の体験だったねぇ!」と答えていたに違いないです。が、なんとも後味のよろしくない試合ではありました。

ところが、その翌週の日曜日、チームはガラリと変身するのです!

だって、この美しいスタジアムから全米に生中継するのですから、へぼ試合なんて、できっこないではありませんか!

(写真は、FOXネットワークの中継のためにキャスターの座席を準備しているところ。フィールドを一望に見渡せる、絶好の位置にセットされています)

まあ、まだプレシーズンですから、注目の49ersのクウォーターバック、コリン・キャパニック選手は、最初だけちょっと登場して、あとは控えの選手にバトンタッチ。
 けれども、控えのクウォーターバックふたりが善戦して、この日は、サンディエゴ・チャージャーズに21対7で勝利しました。

大差ではなくとも、きらびやかなプレーが少なくとも、勝ちは勝ちですよね!

この日は、みなさん意気揚々とスタジアムをあとにしたのでした。


というわけで、サンフランシスコからシリコンバレーに引っ越したスタジアムではありますが、観客は、それこそサンフランシスコ・ベイエリア全域から駆けつけているようです。

お隣さんは、東の内陸部から2時間かけてやって来るそうですし、前の座席の人たちは、聞いたこともない街から駆けつけているようでした。

シリコンバレーにあるから、地元の人が多いのかと思えば、この辺りはテクノロジー業界の人が多いでしょう。ですから、残念なことに、熱狂的な49ersファンは少ないようですねぇ。

けれども、スタジアムには、いろいろとテクノロジーを駆使していて、それも49ersの自慢となっているようですよ。

新スタジアムでは、観客席をぐるりと取り囲んで、電光掲示のメッセージが流れるようになっているのですが、それだって、今までのキャンドルスティックではなかった芸当ですねぇ。
(写真の It’s Good というのは、フィールドゴールが入って、3点入ったというメッセージ。点が入ると、旗を持った青年たちがフィールドを全速力で駆け抜けるのです)

メッセージの中には、古いサンフランシスコのスタジアムを指して、こんな皮肉が流れるのも目にしました。

Goodbye to foggy soggy status quo stadium!
 さようなら、霧で湿った、現状維持のスタジアムよ!

今までお世話になったキャンドルスティックは、もうすぐ解体され、付近は再開発の大プロジェクトとなります。

54年の歴史を誇るスタジアムにとっては、なんとも酷なメッセージではありました・・・。

追記: 新スタジアムのテクノロジーについては、こちらの第2話でご紹介しています。49ersが自慢しているわりには、ちょっとした「つまずき」があったりしますが、まあ、それもご愛嬌でしょうか。

You are welcome to do so(どうぞそうなさって)

You are welcome

このフレーズは、よく耳にしますよね。

Thank you(ありがとう)というお礼の言葉に対して「どういたしまして」と返礼するもの。

猫ちゃんなら「なんてことないにゃ!」と返すところでしょうか。

もともと welcome という形容詞は、「(人が)歓迎される」とか「(物事が)喜ばしい」という意味です。

ですから、「あなたは歓迎されている」が転じて「どういたしまして」に使われるようになったわけです。

個人的な想像ですが、あなたは(わたしにとっては)大事な歓迎すべき人なので、いろいろとやってあげたいのです(だから、お礼なんていいんですよ)といった含みがあるのではないでしょうか。


You are welcome は、文字通り「歓迎されている」という意味で使われることもあります。

You are welcome here
 あなたはここでは歓迎されている(だから、いつでもいらしてください)

「ここ」というのは、自分の家でもいいし、学校やオフィスでもいいし、スポーツチームの練習フィールドでもいいし、お弟子さんが集う茶室でもいいのです。

どんな場所であっても、「あなたは歓迎されているのだから、遠慮しないで立ち寄ってくださいね」といった意味で使われます。

(写真は、東京湾に面した浜離宮庭園の『中島の御茶屋』)

お客さんが来たら、ドアを開けながら、こう歓迎することもあります。

Welcome (to my house)!
 (拙宅に)ようこそいらっしゃいました!

ざっくばらんに「やあ、やあ、よく来たねぇ」と、お客さんを迎え入れる感じですね。

久しぶりに誰かが帰ってきたときには、「おかえり」と迎えてあげます。

Welcome home!
 おかえりなさい!

たとえば、東海岸の大学に通う息子が夏休みで帰ってきたとか、ヨーロッパでバケーションを取っていたお隣さんが帰ってきたときには、「おかえり」と迎え入れます。

この場合の home は、文字通り「我が家」でもあり、自分たちが住む「この街」でもあるのです。

逆に、こんな厳しい使い方をするときもあります。

You are not welcome here
 あなたはここでは歓迎されない(だから、さっさと立ち去ってちょうだい)

まあ、ドラマでもない限り、あんまり耳にしない表現でしょうか。


一方、「喜ばしい」という意味の welcome は、このように使うこともできます。

It is a welcome sign
 それは、喜ばしい兆しです

たとえば、いつまでも猛暑が続くと思っていたら、都会のビルの片隅にコスモスが花を咲かせていた。

それを見て、もうすぐ秋風が吹く季節なのねぇとホッとする。

Oh, this is truly a welcome sign
 まあ、ほんとに喜ばしい兆しだわぁ

そういった「喜ばしい」前ぶれです。


You are welcome には、動詞をくっつけることもできます。

You are welcome to stay overnight
(わたしの家に)一泊していってもいいんですよ

You are welcome to ~ というのは、「~をしてもいいんですよ」「どうぞ~なさってください」という慣用句になります。

今日の表題も、この形ですね。

You are welcome to do so
 どうぞ、そのようになさってください

それまでの会話で話題になっていたこと、たとえば、相手が「あなたの家を訪問したい」とか「来週は休暇を取って旅行に出たい」と言っていたことを、「どうぞそうしてください」と奨励しているわけです。

You(あなた)の代わりに、別の主語を持ってくることもできます。

Everyone in the community is welcome to attend this meeting tonight
 コミュニティーの全員が、今夜のこの会合に出席できます

コミュニティーの全員というのは「近隣住民」という意味で、アメリカではだいたい家主協会(homeowners association)がくくりとなっているでしょうか。日本では、町内会みたいなものですね。

これを平たく言うと、こんな感じ。

Everybody is welcome!
 誰でも大歓迎です!


それで、You are welcome をもっと丁寧にすると、

You are more than welcome となります。

使い方は You are welcome と同じですが、形容詞 welcomemore than がくっついて、「歓迎を越えている、もっともっと歓迎する」というような強い意味になります。

You are more than welcome
 いえ、いえ、どういたしまして(何でもありませんよ)

You are more than welcome to do so
 どうぞ遠慮なさらずに、そうなさってください

実は、そもそも You are welcome のお話を書こうと思い立ったのは、先日、このフレーズを使った人がいたからでした。

オンラインショッピングのアマゾン(Amazon.com)で帽子をふたつ注文していたのですが、ひとつは期日通りに届けられたのに、もうひとつはなかなか届かない。
 こちらは、別の配送会社に2回電話して初めて我が家に届けられたのでした。

この2回目の電話のときに、わたしがこう言ったのです。

Maybe I have to report this incident to Amazon
 もしかしたら、この問題をアマゾンに報告した方がいいのかもしれませんね

すると、配送会社のカスタマーサービスの女性が、悪びれもせずにこう返したのでした。

Oh, you are more than welcome to do so
 どうぞ、どうぞ、そうなさってください

日本の常識から考えると、なんとなく、おかしな気もするでしょう? だって、顧客対応の担当者が、自分の会社の「告げ口」を親会社にしてくださいと奨励しているようなものだから。

けれども、アメリカでは、よくあることなんです。だって、物品が届かなかったのは、自分が働く本社機構のせいではなくて、実際に配送を担当する地元のフィールドオフィスのせいですから、フィールドの問題は、どんどん報告してやってくださいと奨励しているわけです。

まあ、その方が、サービス全体の向上にもつながりますし、この担当者にとっては、苦情処理の数が減って嬉しい、ということにもなりますよね。


そんなわけで、You are welcome to do so(そうなさってください)

もしくは、You are more than welcome to do so(どうぞ、そうなさってください)

「そうしてよ」という意味では、ごく簡単に Go ahead という表現もあります。

Go ahead と言えば、Go ahead, make my day という有名な映画のセリフをご紹介したことがありますが、こちらは「やってみろ」みたいな、くだけた表現ではあります。

You are welcome to do so の方が、断然プロフェッショナルに聞こえる表現ですね。

追記: 蛇足ではありますが、顧客担当者のお言葉に甘えて、アマゾンにはメールで問題を報告させていただきました。すると、電光石火で返答がありました。
 「こちらではなかなか配達の状況を把握できませんが、ご迷惑をおかけしたお詫びに、『アマゾンプライム』のメンバーシップを一ヶ月延長させていただきます。物品については、あと2日ほど待って届かなかったら、さらなるアクションを取らせていただきます(アマゾンプライムは、無料配送や映画・音楽のオンライン無料配信サービスで、年会費を払って加入するもの)

アメリカに住んでいると、さまざまな問題が起きますので、カスタマーサービスに電話することも頻繁にあります。それで交渉の話術も鍛えられるというものですが、このときに注意したいのが、声を荒げて頭ごなしに文句を言わないこと。

日本では、客と苦情処理係は、なんとなく主従関係にありますが、アメリカでは、ほぼ対等の関係です。ですから、「わたしちょっと困ってるのよ。助けてちょうだい」と持ちかける方が、相手の受けもいいですし、スムーズに事を処理してくれることが多いです。だって、相手も感情を持った人ですからね。

あくまでも相手を味方につける。それが、アメリカの苦情電話のコツでしょうか。

(招き猫は、ナパバレー・ヨーントヴィルのスーパーで見かけたもの。「商売繁盛」は、どこの国の人も大歓迎なのです!)

季節感

夏の花といえば、ヒマワリ。

シリコンバレーの幹線道路・フリーウェイ101号線にかかる陸橋にも、真新しいヒマワリのグラフィティ(落書き)が描き加えられていました。

へぇ、アメリカ人にも季節感があるんだぁと感心した瞬間でしたが、日頃アメリカに住んでいると、なかなか季節を感じにくいですねぇ。

それは、ひとつに、食べ物に季節感がないからでしょうか。


7月下旬から8月上旬、よりによって日本の一番暑いときに帰国していました。

乾燥したカリフォルニアから降り立ったせいで、湿気と猛暑で知らないうちに体調を崩してしまったのですが、そんな中でも、食べ物がおいしいのが救いとなりました。

口に運ぶものがおいしいと、それだけで食欲がわくでしょう?

ホテルでは、毎日桃やぶどう、イチジクと季節の果物を置いていてくれたのですが、それが、とってもありがたかったです。

とくに、果物の中では桃が一番好きなので、ちょうど桃の季節だったことにも深く感謝です。

甘くてジューシー。でも、それだけではなくて、そこはかとなく上品な香りが漂ってくるような、立派な桃。

体調がすぐれないときには、果汁たっぷりの果物って、ほんとにありがたいですよね。


いえ、カリフォルニアだって、桃はおいしいんです。

白桃(white peach)も黄桃(yellow peach)も、19世紀後半に日系の方々が移住して来られたときから、重要な農作物でした。

けれども、桃ってデリケートで傷みやすいので、そのうちに実が硬くて傷みにくい品種が広く栽培されるようになって、あの「かぶりつくと、果汁がしたたりおちるような」桃が、だんだんと姿を消していったのです。

今となっては、大きなチェーンスーパーでは、カリカリとした桃の方が幅をきかせています。

桃の類は、英語では stone fruits(石のフルーツ)とも言うんですが、それは「種が石ころのように硬い」という意味(以前こちらでご紹介)。でも、なんとなく「実が石みたいに硬い」と、誤解を招く風でもあります。

わたし自身は、近くにあるオーガニック(有機栽培)専門のローカルスーパーで野菜や果物を買うことにしているので、そこでは、季節ともなると、昔ながらの果汁たっぷりの桃を手に入れられます。

けれども、日本のものと比べると、どことなく「香り」が違うような気もするのです。

もしかすると、カリフォルニアの桃が昔ながらの品種で、日本のものが改良に改良を重ねた「芸術品」なのかもしれませんね。うまく説明できませんが、日本の香りは、もっと甘酸っぱいような・・・。


果物だけではなくて、日本のレストランで食事をすると、素材のおいしさに感心するのです。

そう、日本で大切に育てられた野菜や果物を使うと、ひとつひとつのお皿が、新しい息吹をもらっているように感ずるのです。

どんなにシェフがうまく手を加えようとも、もともとの素材が良くなければ、お料理が台無しになってしまうこともあるでしょう?

新キャベツに、新ジャガに、新しょうが。

夏になると、キュウリやとうもろこしが出回り、しそやみょうがの脇役も大活躍。

日本のお料理には、今この時期に登場する必然性みたいなものを感じるのです。

レストランに限らず、家庭の食卓でもそうだと思います。

近頃、レストランで食事をする機会がめっきり減った母にも、「この街は食材がおいしいから、うらやましい」と話すのです。

決して母をなぐさめようとしているわけではなくて、心底うらやましいと思うんです。

母は、わたしが帰ると連日魚をおろして刺身をつくってくれるのですが、こちらのイサキも、新鮮でおいしかったですね。刺身のつまのキュウリが、ざるに入って不格好ですけれど、そこは、まあ、家庭料理のご愛嬌。

野菜も魚も、甘いものは甘いし、苦いものは苦い。少々不格好でも、少々えぐみがあっても、それが本来の味なら、そのままの味を楽しめるのが、料理の真髄だと思うのです。


残念ながら、カリフォルニアに戻って来ると、数日ほど食欲が減退するんですよね。なぜって、口に入れるものがすべて、本来の味をなくしているように感じるから。

自分でせっせとつくるサラダだって、ナイフで皮をむくだけのリンゴだって、なんとなく違和感があるんです。

野菜は野菜の味、魚は魚の味がしない、とでも言いましょうか。

まあ、食べないと生きていけませんから、ほんの数日で「味無し」にも慣れてしまうんですけどね。

日本で過ごしていると、季節のもの、おいしいものが当たり前になってしまいますが、そんな日本の季節感にもっと感謝しなければいけないな・・・とも思うのです。

だって、日本では当たり前のものでも、外国では当たり前じゃないこともありますからね。

きっと外国旅行をなさって、「味無し」を経験された方もいらっしゃるのではないでしょうか?

追記: ちょうどこれを書いていたときに、アメリカのコラムニストが同じようなことを書いていらっしゃいました。「わたしは、食べ物の本来の味を知らない(I’m not truly familiar with what real food tastes like)」と。

ワシントンポスト紙のエスター・セペダさんは、最近読んだ「食」に関する3冊の本から、食べ物というものは、たくさん売れるために、運搬に耐え、長持ちするようにできていることを学んだ、とおっしゃっています(Harvested and slaughtered food is designed primarily to travel and last)。
(Excerpted from “Some tasty reading on food production” by Esther J. Cepeda, a Washington Post columnist, published in the San Jose Mercury News, August 28, 2014)

もしも運搬に耐え、長持ちするようにできているのなら、上で書いた桃のように、「果汁がしたたりおちる」のではなく、「カリカリ」の桃になってしまいますよね。
 そして、もしも「見栄えのいいもの」を目指すなら、こちらのサラダ菜のように、奇妙なくらいに鮮やかな緑色になってしまうのでしょう。

写真の説明: おいしそうなレストランのお料理は、上の写真が、六本木にある『エディション・コージシモムラ』のカラフルな夏のガスパチョ。とうもろこし、キュウリ、トマトと、夏の野菜たっぷりのピリッとひきしまったスープです。

下の写真は、銀座『エスキス(Esquisse)』 のとうもろこしをテーマとしたデザート。甘みはおさえてあって、「デザート」の概念を変えるような一品です。プレゼンテーションがまた、お店の名前『素描』をうまく表しているようです。

2軒とも「フレンチ」ではありますが、日本の素材を使ったら、フレンチもこう変身する! といった心意気を感じさせます。

やっぱり暑い!: 日本の夏とシリコンバレーの新スタジアム

Vol. 181

やっぱり暑い!: 日本の夏とシリコンバレーの新スタジアム

今月は、日本でのお話から始めましょう。お次は、シリコンバレーの新スタジアムの登場です。

<日本の夏は大敵です!>


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7月下旬、成田空港に着くとムッとする湿気に驚きましたが、その翌日はいきなり「今シーズン初の猛暑日」となり、湿気と猛暑の洗礼を受けました。

「干ばつ」3年目のカリフォルニアは、ときに湿度が15パーセントになることもありますが、そんな乾燥の地からやって来ると、日本の湿気と猛暑は体にこたえるらしく、知らないうちに体調を崩してしまいました。

「虫さされ」だと思った背中の発疹が治らないので病院に行ってみると、疱疹(ほうしん)じゃないかという診断で、何かと病院のお世話になることの多いわたしも、これはちょっとした変化球だ! と恐れ入ったのでした。
なぜなら、疱疹というのは、疲れやストレスが原因で体内に潜むウイルスが悪さをするものだそうですから。

普段、ストレスとは無縁のわたしも疲れは感じやすいタチではありますが、この「脱力感」とも言える疲労は初めて経験したもので、やはり日本の真夏は対処が難しいことを、身をもって証明することになったのでした。

それで、この新手の診断とともに、もうひとつ面白いことがあったのですが、それは東京での病院探し。
日本では保険が無いので、病院では実費を支払い、アメリカに戻って清算することになるのですが、まあ、この「実費」というのが千差万別であることがわかったのでした。
 


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過去10年近く、東京では六本木のホテルに滞在していましたが、今年から連れ合いが定宿を変更することになり、汐留(しおどめ)のホテルに滞在しました。
汐留と言えば、住所は東新橋(ひがししんばし)。新橋と言えば、昔は新橋〜横浜間の「鉄道発祥の地」、今はサラリーマンが仕事帰りに一杯やるような「サラリーマンの街」。
そして、すぐ隣には「お買い物の街」銀座もあります。

アメリカに診断書を出す都合で、英語の診断書を書いてくれる病院をホテルに探してもらったのですが、新橋・銀座地区でひっかかったのが、東銀座の歌舞伎座タワーにある病院。かの有名な新生・歌舞伎座の真後ろに建つタワーで、歌舞伎の博物館『歌舞伎座ギャラリー』や会社のオフィスが入る真新しいビルです。

皮膚科で診療してもらったせいで、待ち時間もほとんどなく、診療後ほんの20分ほどで英語の診断書も手に入れたのですが、実費を支払う段になって驚いたのでした。「万単位」の出費を覚悟していたのに、5,400円の診断書の方が高かったので!

いえ、どうして万単位を覚悟していたかって、連れ合いが六本木のクリニックの耳鼻科にかかったら、耳を掃除した程度で2万円以上の実費を請求されたことがあったからでした。
ふ〜ん、だとすると、病院の実費も、まさに千差万別。六本木も汐留も同じ「港区」ではありますが、きっとオシャレで外国人の多い六本木には、「六本木プライス」とも言える特別な値付けがあるんでしょう。

この先、体調を崩す外国人宿泊者をおもんばかって、実費の違いについては、ホテルの方にも報告しておきました。
日本各地で「陽子線がん治療」など外国人患者向けの医療ツーリズムが盛り上がる昨今、よほどの難病でない限り、どの病院も治療の上では大差は無いでしょうから。
 


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というわけで、背中の炎症を抑えるために抗生物質と塗り薬を処方してもらいましたが、日本の小さな抗生物質は3日間飲み続けても副作用も無く、平和な気分で日に日に症状は回復していきました。
そう、アメリカの抗生物質は日本の3倍はあるかと思われるでっかいカプセルで、副作用も大きいんです! いつか開腹手術の直後にべつの病気を併発して、一週間の抗生物質を飲み続けるのが非常に辛かった思い出があります。


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このとき、CTスキャンの造影剤(450ml入り2本)もプラスティック容器臭くて飲み干せなかったのですが、あとで放射線技師いわく「こういうのって、300ポンド(約150キロ)の巨漢にも効くようにできてるんだよね。だから、あなたみたいに小さい人は、飲み干す必要なんかないんだよ。ちゃんと映っているからさ」と。

ふん、だったら、体の小さなアジア系住民のために、小さな服用量(dosage)を準備すべきじゃないでしょうか?

サンノゼ市なんて、3分の1はアジア系住民ですから、この辺りから医療改革を推進すべきだと思うのですが・・・。

<シリコンバレーの新名所、Levi’s Stadium>


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実は、日本の一番暑いときに帰国したのは、ひとえに8月10日の東京湾花火大会を見物したかったからでした。
ご存じのように、この晩東京に到達した台風11号のおかげで、午前中には早々と「中止」の決定が下りましたが、途中まで湾内に組まれていた足場が、朝ご飯が終わると撤去されているのを見て、「疱疹が舞い戻るんじゃないか?」と案ずるくらいに落胆したのでした。

やはり、花火と言えば、日本のものが一番美しいという印象を持っていますが、花火にも匹敵する華やかな「イベント」が、シリコンバレーに登場しています!


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アメリカンフットボール・サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)の新スタジアム、Levi’s Stadium(リーヴァイス・スタジアム)です。

これまでサンフランシスコ市内のキャンドルスティック・パークが49ersのホームグラウンドでしたが、老朽化のため今シーズンはシリコンバレー・サンタクララ市にお引っ越し。
しかも、13億ドル(約1,300億円)をかけた豪勢な新居ですから、このスタジアム自体が「イベント」とも言えるくらいに、話題沸騰となっているのです。

こけら落としは、8月2日に開催された地元サッカーチーム、サンノゼ・アースクエイクスとシアトル・サウンダーズの試合。そして、いよいよフットボールの本番は、8月17日のプレシーズン第2週目、デンヴァー・ブロンコス戦でした。
 


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晴れ渡った日曜日、スタジアムに向かう人々の心も晴れ渡ります。試合開始は午後1時ですが、午前9時には駐車場が開き、正午近くともなると、あちらこちらで「テイルゲートパーティー(tailgate party)」が佳境です。
そう、車の「テイルゲート(後部ドア)」を開け放ち、バーベキューなんかで盛り上がる試合前の恒例イベントですね。フットボールに限らず、野球場のパーキングでもよく見かけます。

けれども、こちらはテイルゲートをするよりも、早く中に入りたいので、すぐにセキュリティゲートをくぐり、「チケットもぎり」に向かいます。

いえ、いまどき「もぎり」なんてやりませんよ! だって、ここはシリコンバレーですから。


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実は、今シーズン49ersが誇るのが、白亜の新居とともにスタジアム全体のテクノロジー。
たとえば、シーズンチケットを購入した人には紙のチケットが送られますが、何かの手違いで届かなくても心配ご無用。スタジアムのモバイルアプリ(写真)をダウンロードすれば、チケットも駐車場の入場パスもバーコード付きのスマートフォン画面で代用できるようになっています。
実際、「チケットが届かないよ」というクレームに対して、49ersのオフィス担当者が「NFL(フットボールリーグ)で一番進んだシステムなので大丈夫!」と自慢話を展開するのを小耳にはさみました。


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ところが、試合当日の朝、何かしらシステムに問題が起きたようで、モバイルアプリの自分のチケット情報にリンクできないという混乱が生じます。
が、すぐに問題は解決したようで、スタジアムの駐車場でもバーコートをピッ、ゲートでもピッと、スムーズに通過できました(と言いたいところですが、ゲートのチケット読取り機(写真)がちょっと気分屋で、手慣れた担当者がスマートフォンをかざさないと、なかなかデータを読み込んでくれませんでした)
 


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ひとたびゲートの中に入り、巨大なスタジアムを見上げると、真っ白な骨組みはキラキラと輝いて見えます。いやぁ、階段を上っていくアプローチがオシャレだし、ゆったりとした観客席は観戦しやすそう!
柔らかい真っ赤な座席の背もたれには、49ersのロゴが刻まれ、味方の好プレーを逃さないようにと、両脇には巨大なテレビスクリーンが設置されています。

そう、座っているだけで、ワクワクするような雰囲気。
 


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そして、スタジアムと言えば、「観る」と同じくらい大事なのが「食べる」こと。ですから、新スタジアムには「バーガー」や「チキン」と食べ物のスタンドがたくさんあって、中には「カレー」や「点心(Steamed buns)」のスタンドもありましたね(さすがにアジア系の多いシリコンバレーのスタジアムです)。

この「食べる」に関してもアプリ機能があって、事前にスマートフォンで注文しておくと、フードスタンドでピックアップできるというサービスもあります。ピックアップには専用の「エキスプレス」窓口が使われるので、長い行列もなんのその!
さらに、5ドルの配達料で「座席まで運びましょう」というサービスもあります。が、こちらはあまりにも人気が高くて、試合が始まってみると「今は受け付けていません」というメッセージが返ってきました。


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そして、ピックアップ方式にも問題があって、スタジアムで待ち合わせた友人が昼ご飯をご馳走しようと「注文アプリ」をトライしたら、Wi-Fi(無線LAN)がつながらずに、スタンドで注文することに。ほんの10分前は大丈夫だったのに、12時を過ぎると「魔の時間帯」?
なんでも、スタジアムのWi-Fiは、一度に2万台の端末をサポートするそうですが、68,000人の観客には足りないのでしょう。
運良くWi-Fiにつながっても、座席から一番遠いスタンドをピックアップに指定された観客もいましたが、お隣さんは、ビール一杯を買うのに一時間も並んだそうなので、それを思えばマシかもしれません。

一方、肝心の試合はどうかと言うと、「う〜ん」とうなりたい気持ちでしょうか。


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まあ、プレシーズン2週目ですので、注目の49ersクウォーターバック、コリン・キャパニック選手(写真の7番)など、スタメンは最初のうちしか出場しません。それに、後半は控えの選手の「品定め」になりますから、試合としては面白くはないです。
が、49ersのキッカーがフィールドゴールのチャンスを2回ともミスったことと、相手のブロンコスのパスがスムーズに通るくらいにディフェンスがもろかったことが、非常に気がかりな初ホームゲームではありました。
あの「クール」なジョー・モンタナが49ersを初優勝に導いた1981年のシーズン以来、ディフェンスだけは常に強かったのに・・・。
 


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結局、この日49ersは1点も入れられずに34対0で負けたのですが、相手方の名クウォーターバック、ペイトン・マニング選手(写真中央の18番)は、試合後のインタビューでこう答えています。
「いやぁ、フィールドは見通しが良くて、クウォーターバックにとっては、最高のスタジアムだねぇ」

う〜ん、敵方に褒められてどうするの? と若干の幻滅を覚えるのですが、新スタジアムは、「暑さ」という深刻な問題も抱えているのです。

外見は白いスケレトン(骨組み)みたいな構造のわりに、太陽熱を逃がさないようにできているようで、華氏80度(摂氏27度)の気温でも、観客はオーブンで焼かれているような熱を感じます。

ひとつに風通しが悪いことが要因と思われますが、これは、サンフランシスコ・ベイエリアのスポーツチームが経験したことのない課題です。なぜなら、キャンドルスティックもオークランド・コロシアムも野球のAT&Tパークも、真夏でもジャケットが必要なくらいに霧で冷える場所にあるから。


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ところが、シリコンバレーは、名前の通り「サンタクララの谷間」にある盆地で、太陽熱や光化学スモッグを閉じ込めやすい地形です。ですから、試合が単調なことも手伝って、初ホームゲームでウキウキしていた観客も、第3クウォーターには、ほとんどが家路に向かいました。

スタジアムには、文字通り「風穴を開ける」必要があるようですが、具体的な方策は発表されていません。

そして、3日後のスタジアム公開練習では、フィールドの芝(sodturf)にも問題があることが発覚!

どうやら4月に張った芝の根付きが悪く、初ホームゲームでもディヴォット(芝生上のスニーカーの跡)が目立ったものの、この日の公開練習では選手が足を滑らせるので、スタジアムを引き上げ、隣の練習フィールドで調整を再開。
次のホームゲームが迫る中、翌日には、電光石火で芝の張り替え作業を始めています。
 


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そもそも49ersがサンタクララ市にホームグラウンドを移そうとしたのは、チームのオフィスと練習フィールド(写真)があり、隣接する遊園地グレイト・アメリカ周辺の土地を活用できたからなのですが、それにしても、スタジアムの引っ越しには、いろいろと盲点があるものですねぇ。

8月14日、元ビートルズのポール・マッカートニーのコンサートで54年の歴史に幕を閉じたキャンドルスティック・パークは、間もなく解体作業に入ります。

「もしかしたらキャンドルスティックに戻った方がいいんじゃない?」とは、半ばシリアスなジョークにも聞こえるでしょうか。

 


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蛇足ですが: スタジアムの名前「Levi’s」は、ブルージーンズの生みの親、リーヴァイ・ストラウスが19世紀中盤サンフランシスコで創設したLevi Strauss & Coのブランドです。現在ストラウス家は、市北端の砂浜復元プロジェクトなど、地域の慈善活動にも従事しています。

新スタジアムの施設命名権(naming rights)をめぐっては、他に31社が名乗りを上げたそうですが、20年で2億2千万ドル(約220億円)のオファーと、ブランド力、健全な経営が評価されて選ばれたようです。
サンフランシスコの老舗の名が付いたことで、スタジアムを奪われた地元っこの溜飲も少しは下がったのかも。

夏来 潤(なつき じゅん)

 

カリフォルニアの「干ばつ」で困ったことに

Dry As a Bone

え、骨のように乾燥している?

ヘンテコリンな表現ですが、こちらは「極端に乾燥する」ことを表す慣用句です。

なんとなく、カランカランと乾いた音が聞こえてきそうではありませんか?

ところが、こちらの新聞記事は今年のものではなく、2年前(2012年)の1月のもの。

ということは、カリフォルニアの干ばつも今年で3年目。火花さえあれば、すぐに発火する状態です。

実際、今年は山火事(wildfires)のシーズンも、例年より早く始まりました。

いつもは5月まで続く雨季ですが、今年はもう5月には、山々が茶色に乾燥していました。

となると、誰かの捨てタバコやキャンプファイア、作業中の電気ノコギリの火花といった、ちょっとした火種が山火事の原因になるのです。

現在、オレゴン州に近い北カリフォルニアのシャスタ郡では、山火事が広がり、数十軒に避難勧告が出ていますが、出火の原因は、トラックの排気ガス(exhaust from a truck)!

なんでも、マリファナを違法に栽培する山奥に資材を運び込もうとしたら、トラックの排ガスから乾燥しきった草に引火したとか。

このトラックの運転手はすでに逮捕され、危険な出火(recklessly causing the fire)とマリファナ栽培(marijuana cultivation)で、重罪(felonies)に問われるそうです。

アメリカでは一般的に、重罪のfelony(フェロニー)と、軽犯罪のmisdemeanor(ミスディミーナー)という区別がありますが、「火を起こす」ことは、重罪に当たるわけですね!

出火から1週間、燃え盛る火は半分しか消し止められていませんが、出火現場の辺りでは遺体も発見されたそうなので、「殺人」の罪も加わるかもしれません。

そんなわけで、ちょっとした火花で発火するものですから、今年は例年よりも山火事の件数も増えています。

年初から7月12日まで、カリフォルニア州の山火事は3,198件。一日平均16件。

過去5年では、一日平均11件(同期平均 2,315件)だそうで、今年はずいぶんと増えています。

(カリフォルニア州の消防機関 Cal Fire(キャルファイア)発表のデータ: その後、こちらのデータは更新され、2014年の年間件数は 5,620件ということです)


そして、山火事とともに心配なのが、水不足(water shortage)。

カリフォルニアのブラウン州知事は、もう1月のうちに「みんなで20パーセント水の使用をカットしよう!」と州全体に呼びかけていました。

ところが、州が発表したデータによると、節約どころか、過去3年間の5月期に比べて、今年5月の水の使用量は1パーセント増えていたとか!

いえ、北カリフォルニアの人々は、節制に務めたんです。

たとえば、州都サクラメントのある地域では、13パーセント減。サンノゼやサンフランシスコの「ベイエリア」では、5パーセント減。
 内陸の農業地帯サンホアキン地区でも、がんばって10パーセント減と、それぞれに努力の甲斐が数値に表れているのです。

ところが、南カリフォルニアのロスアンジェルスからサンディエゴにかけての人口密集地帯では、8パーセントもの増加が見られたとか!

(Map compiled by the Bay Area News Group, published in the San Jose Mercury News, July 16, 2014)

そこで、憤慨した州は、罰則をもうけることにしたのでした。

そう、「お願いモードの節約(voluntary conservation)」では役に立たないので、「強制的な節約(mandatory conservation)」に切り替えることにしたのです。

外で水を無駄遣いしている人には、一回500ドル(約5万円)の罰金

という罰則が、7月15日の州水資源管理役員会(the State Water Resources Control Board)で採択されたのでした。

たとえば、前庭の車道や歩道を水で洗わないこと、洗車時にはノズル付きのホースで水を止めること、噴水では水を循環させること、庭に水をまき過ぎて道路にあふれさせないこと、といった規則です。

誰かが「あそこは違反している!」と通報すれば、担当者が現地に赴き、初回は訓告、二回目からは500ドルの違反チケットを切ることになるそうです。


この「罰金500ドル」の案は、今月初めから庶民にも聞こえていたのですが、その時点では詳細がわからなかったので、余計に不安がつのったのでした。

実際、サンノゼ市の我が家の辺りでも、かなりナーバスになっていて、先週、あるご近所さんは、わざわざ市の水道局職員を呼んで、水漏れがないかチェックしてもらったそうです。

すると、その翌朝、目の前に市の車が止まっているではありませんか!

何だろう? と見てみると、お向かいさんの水道メーターを検査している人がいます。

ですから、すかさず彼に近寄って、庶民はどう対処したらいいのか? を聞いてみることにしました。

このジャスティンさん、最初のうちは「この人、何の用だろう?」と警戒していたようですが、わたしが「最近のニュースにおののく一住民」だとわかると、安心させるように説明してくれました。

実は、我が家の辺りは、サンノゼ市の大部分がお世話になっている水道会社とは違って、市役所が直接水の供給を行っている地区なので、3万戸に満たない加入者が、入手経路も微妙に違う水を使わせてもらっているそうです。

ですから、他の地域で行う罰則は必ずしも当てはまらないし、市役所自体もまだ方針を固めていないとか。

現時点では、住民が最も気にしないといけないことは、どこかに水漏れ(leakage)はないか? ということだけれど、市役所が最近入れ替えた水道メーター(写真)は賢いので、水漏れがあるかないかは、見ればすぐにわかるんだそうです。

まあ、電気ガス供給会社PG&E(ピージーイー)の「スマートメーター」みたいに、会社にデータが自動的に送られてくるほど「スマート(賢い機械)」ではないけれど、この新機種では、水漏ればかりではなく、部品交換が必要だとか、様々な情報が得られるそうです。

ついでに、このメーターは、従来のように担当者がわざわざ各戸の重い蓋(写真)を開けて使用量を読むこともなく、トラックで近くを通るだけで、担当者のモバイル端末に「今月は何HCF(注)」とデータが現れるようになっているとか。

というわけで、「現時点では、あんまり心配しなくていいよ」というジャスティンさんのメッセージではありました。

実際、カリフォルニア州全体には、270ほどある水の供給団体。自治体が経営するものもあるし、民間企業が経営するものもあるし、すべての団体はカリフォルニア州(the California Public Utilities Commission: 州公益委員会)の規制を受けているものの、具体的な対応は、かなり異なってくるようです。

そして、罰則を決めた州水資源管理役員会も警察機構ではないので、「罰則」の法的拘束力は低く、おのおのの団体が決めたルールに口出しは難しいとか。


なんとなく、罰則についてはカリフォルニア州全体でバラバラな対応になりそうですが、肝心の水に関しても、自治体によって水源が枯渇しているところと、そうでもないところがあります。

ですから、「水の節約」に対しても意識的にばらつきがあるようです。

「シャワーの時間を減らすために、髪を短く切ったわ」
 「うちは、家族3人みんなで一緒にシャワーを浴びることにしたわ」
 「シャワーが温水になるまで水がもったいないから、バケツにためて庭にまくのよ」
 「わたしは、野菜を洗った水を一日ためておいて、夕方、主人にまいてもらうの」

といった涙ぐましい努力も聞こえてきます。

そして、お向かいさんやご近所さんが水道局職員を呼んだのも、「我が家の使用量が増えているのは、水漏れのせいかしら?」と心配になったからでした。

そうかと思えば、水の節制に関して北カリフォルニアと南カリフォルニアで大きなばらつきがあるので、「不公平だわ!」と不満の声もあがっています。

二ヶ月に一回、サンノゼ市から届く請求書。今月は、さすがに「目を皿のようにして」数字をにらんでいました。

夏になると、庭の芝生が枯れそうになるので、泣く泣くスプリンクラーの放水時間を増やしたのですが、そのおかげで、使用量は増えているではありませんか!

昨年同期に比べると7パーセント減ってはいますが、それでも、春先と比べると倍近くになっている!

う~ん、水を欲しがる芝生って、カリフォルニア州の宿敵かも・・・。

注: 文中にある「HCF」という水の単位ですが、こちらは「Hundred Cubic Feet(百立方フィート)」という単位で、サンノゼ市の水道局を始めとして、多くの水供給団体が使用しています。
 1 HCF = 748ガロン(1ガロン=3.785リットル)ということで、かけ算しないと具体的な数値がわからないので、わたし自身も今まで気にかけたこともありませんでした。

ちなみに、北カリフォルニアでは、「罰則付きの強制的な節約」では足りないので、独自の「配給制(rationing)」を行っているところもあります。
 プレザントン市とサンタクルーズ市では、一定量以上の水を使うと、「べらぼうに高い」水道料を払わされるそうで、月に数万円~10万円の水道料もあり得るとか。
 さすがに、こういった地域では、9割の世帯で前年比25パーセント減(!)を達成しているそうです。

ということは、なにかしらの「罰」は必要なのかもしれませんね・・・。

写真の説明: 水源地の航空写真は、サンノゼ市のちょっと南、モーガンヒル市の山側にあるアンダーソン水源地(Anderson Reservoir)。2006年7月の写真なので、今年は水位が下がっているものと思われます。

山火事の航空写真は、同じく2006年7月にネヴァダ州ラスヴェガスからサンノゼに戻るときに見かけた、州境の国立森林群で発生した山火事。

アメリカでは山火事は大敵なので、子供たちにも火事の恐さを理解してもらおうと、『スモーキー・ベア(Smokey the Bear)』というキャラクターが70年前から活躍しています。

こちらのCMもかわいいですよ(森でバースデーキャンドルは禁物です。だって、山火事のほとんどは、人間が起こすものですからね)。

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