Vol. 210
この年末号では、一年を通して、テクノロジー分野で印象に残った話題をふたつお届けいたしましょう。
<顔で良かった!>
今年のアップルの新製品といえば、11月にリリースされたばかりの「iPhone X」でしょうか。さっそく連れ合いが購入したのを見て、わたしも久しぶりに古い iPhoneを買い替えました。
理由はごく単純で、「指紋認証」なんて古くさいことは言わずに、「Face ID(顔認証)」が採用されたところ。何を隠そう、わたしは指紋が薄いために入国管理の自動化ゲートでも困り果てている人間で、手袋をしないでも犯罪現場の鑑識係をあざむくことができるのではないか? と、いぶかしく思うくらい。
ですから、自分の顔ですんなりと認識してもらえるなんて、この上ない喜びです。眼鏡をかけていようと、メイクアップをしていようと、うっかりだまされないところもいいですね!
ついでに、表情を読み取って、絵文字を動かしてくれる「Animoji(アニ文字)」は、なかなかエンターテイメント性の高い機能ではあります。クマさんのキャラクターが無いのが寂しいし、その実用性と言えば疑わしい限りですが、一度は試してキャッキャと笑ってみたい新機能なのです。
<テスラ車は「iPhone」?!>
そして、我が家の今年一番のテクノロジー製品といえば、テスラ「モデルS」でしょうか。言うまでもなく、シリコンバレーのテスラ社(Tesla, Inc.)が生産する電気自動車(EV: electric vehicle)です。
同社は、2008年のスポーツ車「ロードスター」(写真)を皮切りに、2012年リリースの4ドアセダン「モデルS」、2015年リリースのSUV「モデルX」と、着実に自動車メーカとしての地位を築きつつあります。
現在、主力の「モデルS」「モデルX」ともにデュアルモータ全輪駆動を標準装備。スリムな外観とは裏腹に、悪路にも対応します。先月「ロードスター」の二代目も発表されたばかりですし、話題の廉価モデル「モデル3」(写真中央)も、地元ではすでに納車が始まっていて、ますます売上台数が伸びることが予想されます。
そんなテスラの電気自動車ですが、連れ合いは以前から「次に自分の車を買い替えるなら、テスラ」と決めていたようで、その理由は、「僕にはテスラ車が iPhone にしか見えないから」。つまり、テスラの車は、もはや車ではなく、テクノロジー製品である、だから、長いドライブ人生で初めて日本車以外の車を買う自分にも安全性が確認できたら、テクノロジーに遅れを取りたくない、という理由です。
確かに、テスラ車は最初の購入手続きから他の自動車メーカとは違っていて、「紙」なんて古くさいものは極力使わない主義です。サンノゼのショールームから10分ほど走って試運転が終わると、さっそくコンピュータ画面でウェブサイトにアクセスして色や内装、オプションといった「自分のテスラ」を選んでいって、オーダーは即完了。価格が決まっているので値段交渉もなく、あれよと言う間にセールス担当者が「おめでとう!」と握手を求めきます。値段交渉という(メンドくさい)儀式を重んじる巷のディーラとは、「文化」が違います。
しかも、先にテスラ車を購入した誰かに推薦してもらえると、(電気をチャージする)スーパーチャージャーステーションをタダで利用できるようになるとか! ひとり5人まで推薦できるようになっていて、うまくテスラ車が広まる仕組みができています。
ふた月後、車をピックアップする際に驚いたのは、テスラアプリ。フリーモント工場近くのショップに入ると、連れ合いは目ざとく「アプリをダウンロードしてください」という張り紙を見つけます。さっそく待ち時間にアプリを入れてみると、なんと、自分の車が「何マイルの速度で走行中」とか「今は停車しました」とスマホで見えるようになっているのです! 車に関する情報はすべてパソコンやスマホの自分のアカウントで管理する仕組みになっているわけですが、スマホから車の動きがわかるなんて、まるで、おもちゃのリモコンカーのようではありませんか。
アプリを使うと、他にもいろんな芸当ができますが、たとえば、狭いスペースにも車を停められる「サモン(Summon、呼び出し)」があります。自宅のガレージに乗り降りするスペースが無い場合など、この機能を使うと、画面を触っている間、車が自分で勝手に動いて、ガレージに入って行って停まってくれます。こちらも、リモコンカーみたいな感覚でしょうか。
狭いスペースと言えば、先日、日本のスタートアップ企業 Four Link Systemsが発表した「折りたたみ自動車 Earth-1」がありますが、それほど画期的なコンセプトではないものの、このサモン機能を利用すると、今までは駐車スペースとは思わなかった場所にも停められるようになるでしょう(Photo of “Earth-1 folding car” from Nikkei Asia Review, December 27, 2017)。
機能満載のテスラですので、実際に運転してみると慣れるべき点が多々ありますが、何が一番びっくりかって、その加速スピードでしょうか。さすがに、電気モータで走る車なので、アクセルを踏めばその分グイ〜ンと加速できます。連れ合いの「100D」で0-60マイル(96km/h)加速が3秒ちょっと!!
一方、アクセルから足を離せば、自動的にブレーキがかかって減速するところも、惰性で走るエンジン車とはまったく違う感覚です。
そして、テスラご自慢の「オートパイロット」機能。こちらは、車が自分で道路状況を判断して「オートパイロット」モードで走行するものですが、昨年9月号でご紹介したように、モデルSがフロリダで起こした悲惨な事故も記憶に新しいところです。
面白いもので、納車時の新車は「赤ん坊」と解釈されるので、ある程度実地を経験して道路の感覚に慣れたら、オートパイロット機能が使えるようになります。が、わたしが助手席に試乗したら、いきなり自宅付近のクネクネ道で右の車線にはみ出しそうになって、驚いた右横の車が急に減速したので、その時の評価は「まったく信用できない!」でした。
この時は、車線の白い点線が塗り換えられていて、かえって古い方が光っていたので、見間違えたのかもしれません。さすがに、ひとたびフリーウェイに出てみると、これほど便利なものは無い!とも感じます。ちゃんと車線や前後左右の車を認識して、安全な間隔を保ってくれるし、車線変更も十分に間隔を空けて「お行儀よく」やってくれます。道路図の津々浦々を頭に叩き込んでいるので、どこを走っても制限速度を熟知し、「10マイルオーバー」などと速度設定すれば、自分の好みのスピードで走行してくれます。
連れ合いは「僕が運転するよりも、よっぽど信頼できる」と豪語しますが、もしかすると、注意散漫なドライバーよりも優秀かもしれません。
そして、もうひとつテスラ車の得意とするところは、ユーザから集めた膨大なデータを分析して、絶えず「安全運転の向上」に反映しているところでしょうか。たとえば、上に出てきたように、いきなり車線をはみ出しそうになって、人間がハンドルを握ったとすると、そういったデータはすぐにテスラのスーパーコンピュータに送られ、「注意箇所」としてインプットされるでしょう。
クリスマスの日、「さすがに道路は混んでいないだろう」とドライブに出かけて、パロアルトの山中のクネクネ道を運転して戻って来ると、自宅前に到達するやいなや「サスペンションの硬さを調節しました」と、画面にメッセージが出てきました。たぶん、山道のドライブに向けて微調整してくれていたのかもしれませんが、まるで、わたしが「この車って山道のゴツゴツが伝わってきて、乗り心地が悪いよねぇ」とグチっていたのを聞いていたかのようで、ちょっと怖かったです。
機能の「微調整」に関しては、かなり頻繁に自動的に(Wi-FiやLTEの無線通信で)行われるようで、最初の20日間で、3回もソフトウェアアップデートがありました。アップデートがあると、「午前2時にやってもいいですか?」と中央画面にお伺いを表示し、アップデートが終わると、「こんな機能が加わりました」と説明してくれます。最新のソフトウェア(8.1)では、時速90マイルまでの自動ハンドル操作、自動車線変更、上でご紹介した「サモン(ベータ版)」、車線はみ出し警告、自動緊急ブレーキなどをサポートしています。
まさに、いまや車は iPhone のように頻繁にアップデートが必要な時代となったわけですが、電気自動車の先端を行くテスラ社や、自動運転車(autonomous car)の試験走行では他社を先んじるアルファベット社(グーグルの親会社)などが、運転に関するビッグデータ解析のリーダーとなっているのでしょう。
そんなわけで、今までちょこちょこと書いてきたテスラの電気自動車に、思わぬ展開で乗ることになったのですが、改めて世の中を見回すと、化石燃料(carbon fuel)から脱出しようよ! という模索はあちらこちらで見られます。たとえば、こちらのサンノゼ市南端のショッピングモールでは、お店に近い便利な駐車スペースは、「電気自動車(EV)か乗り合い(Van Pool)かハイブリッド(Clean Air)」のために空けられています。
そして、我が家のガレージには EV専用の高電圧コンセントを設置したのですが、ここに流れる電気は、電力配給会社から送られてくるもの。いくらかは再生可能エネルギー(renewable energy)が入っているとはいえ、化石燃料を燃やして得た電力でいいのか? と、自責の念に駆られます。
う〜ん、とすると、テスラ社が推奨するように、太陽光を利用してクリーンエネルギーを自家発電すべきなのかもしれない・・・と環境に配慮する自分にも気づくのでした。
というわけで、新しいものに触れて、新しい発想がわいてきたところですが、どうか新しい年が、皆様にとって素敵な一年となりますように!
夏来 潤(なつき じゅん)
クリスマスと米国憲法
- 2017年12月23日
- Life in California, コミュニティ, 日常生活
先日、英語のコーナーでは「Happy Holidays(ハッピーホリデーズ)!」というお話をいたしました。
今となっては、キリスト教のクリスマスを祝う「Merry Christmas(メリークリスマス)」というごあいさつよりも、どんな宗派の祝日にも対応できる「Happy Holidays(ハッピーホリデーズ)」というごあいさつがアメリカで主流になっている、というお話でした。
そのときに、一月に就任したトランプ大統領は、クリスチャンの古き良き時代を取り戻そうと、Merry Christmas という言葉を復活させようとしている、ともご紹介しておりました。
そうなんです、前のオバマ大統領のときには、いろんな宗教や習慣の人に配慮して、クリスマスカードもごくシンプルに 「Season’s Greetings(季節のごあいさつをいたします)」と書かれていたそうです。
ところが、トランプ大統領がホワイトハウスの主になると、「Merry Christmas and a Happy New Year(メリークリスマス、そして良き新年を)」という昔ながらのメッセージに逆戻りしてしまったとか。
でも、ちょっとしたミスもあったようで、ホワイトハウスで開かれるクリスマスパーティーの招待状に、本来は Christmas Party(クリスマスパーティー)と書くべきところを、Holiday Reception(祝日の宴)と印刷して送ってしまったそうです。
大事な「クリスマス」という言葉を落っことしてしまったなんて、どなたのミスかは存じませんが、もしかすると大統領から大目玉をもらったかもしれませんね!
それで、そういったクリスマスにまつわる「いざこざ」を考えてみると、アメリカってほんとに「キリスト教国」なのかな? と疑問に思ってしまうのです。
言うまでもなく、アメリカにはカトリックやプロテスタント系宗派を含めて、キリスト教徒が圧倒的に多いのは事実です。
だいたい、7割が自分をクリスチャンだと認識していて、逆に2割が「無宗教」、残りはさまざまな宗派を信仰している、といった感じでしょうか。
そんなわけですので、大統領をはじめとして、アメリカの政治家の演説には、頻繁に「神(God)」という言葉が登場しますし、紙幣にも「In God We Trust(わたしたちは神を信じる)」と印刷されています。
そう、社会のいろんなところに(キリスト教の)神様が登場し、市民の方も、それが当たり前のように受けとめています。
ところが、意外なことに、国の最高の法律である米国憲法(the U. S. Constitution)には、キリスト教が「国教(state religion)」であるとは定められていません。
そして、そもそも憲法には「神」という言葉すら出てこないのです。そうなんです、憲法のどこにも「アメリカは神の国である」なんて書いてないのです。
それどころか、米国憲法「第6条(3)(Article VI [3])」には、すべての議員や行政府・司法府の職員は、宣誓によって憲法を守る義務を負っているが、任を授かる条件として、宗教上の審査を課してはならない、と書いてあります。
つまり、「キリスト教徒じゃないから、あなたはダメよ」などと、宗教を理由に人を判断してはいけない、ということでしょうか。
ですから、たとえば政治家や裁判官が就任式で宣誓するときには、キリスト教の聖書でも、イスラム教のコランでも、自分が大切に思っている経典に手を置いて誓えますし、逆に宗教色をまったく出さずに、憲法などの法律の本に手を置いて誓う人もいます。
さらには、米国憲法の本文だけではなく、あとで追加した「修正箇条(Amendments to the Constitution)」でも、特定の宗教を保護したりはしていません。
一番真っ先に批准された「修正第1条(Amendment I)」には、政府は特定の宗教を支持したり、信仰を禁じたりすることはできない、と明記されています。
これは「宗教の自由(freedom of religion)」と呼ばれるものですが、こちらの修正第1条は「宗教の自由」の他に、言論の自由や出版の自由、国民の集会する権利、政府に請願する権利を定めてあります。
この修正第1条は、国民の基本的な人権を定めたものとして、修正箇条の中でも、もっとも大事なものでしょうか。
というわけで、国の最高の法律である憲法には、はっきりと「宗教の自由」をうたってあるので、国のスタンスとしては、宗教に関しては中立な立場を取るのが正しいんでしょうね。
う〜ん、ということは、大統領が「クリスマスを祝う Merry Christmas という言葉を復活させろ!」などと発言するのは、世の中を混乱させるだけなのかもしれません。
現に、サンフランシスコ・ベイエリアでは、先日こんな出来事があったんです。
年の瀬になると、慈善団体の救世軍(the Salvation Army)がお店の前でチリンチリンとベルを鳴らしながら、赤いバケツに小銭を入れてくださいと、寄付を募るのが恒例行事になっています。
ところが、ある街の店先でベルを鳴らしていると、いきなり担当者が殴られ、倒れ込んだところで顔を蹴られた、という傷害事件が起きたんです。
「ただ僕は、行き交う人たちに Merry Christmas と季節のごあいさつをしただけなのに・・・」と、殴られた担当者も困惑顔。
これは、あくまでもわたしの勝手な想像ですが、殴った犯人は「ハッピーホリデーズ」ではなく「メリークリスマス」と言われたことに腹を立てたのかもしれません。なんだ、あいつは、トランプ大統領の回し者か! って。
だとすると、メリークリスマスという言葉が世の中で一人歩きをしてしまって、人を保守派とリベラル派に分ける禁句になってしまったのかもしれません!!
本来は、クリスマスシーズンというと、家族・親戚が集まったり、近所やコミュニティーの人たちに助けの手を差し伸べたりする、思いやりの季節なのに・・・
と、残念な気もするのです。
ひとりひとりが違ったものを信じていても、お祝いの言葉が違っていても、「心」を伝えたい気持ちに変わりはないのに。
というわけで、Merry Christmas! & Happy Holidays!
両方使い分ければ、間違いはないはず?!
ずっと前に「Merry Christmas(メリークリスマス)!」という英語のお話を書いたことがありました。
12月のこの季節、「楽しいクリスマスをお過ごしください!」と、お互いにごあいさつすることですね。
そのときにもご紹介したのですが、アメリカには、いろんな民族や宗教の人が集まっているので、Merry Christmas を使わない場合も多いのです。
とくに、カリフォルニアのように移民の割合の高い州では、「キリストの降誕祭」であるクリスマスを祝う Merry Christmas は、あまり耳にしません。
代わりにどんなあいさつをするかというと、
Happy Holidays!(ハッピーホリデーズ)と言います。
Holidays(「祝日」の複数形)には、キリスト教のクリスマスだけではなく、この時期に祝われるユダヤ教のハヌカ(Hanukkah)や、アフリカンアメリカン(黒人種)によって始められたクワンザ(Kwanzaa)など、いろんな宗派・習慣で定められた祝日を含みます。
ですから、あくまでも移民の集まりであり、いろんな文化が融け合うアメリカには、Happy Holidays という言葉はふさわしいでしょうか。
まあ、今年一月に就任したトランプ大統領などは、「アメリカはクリスチャンがつくったキリスト教国なんだから、Merry Christmas という言葉を復活させるべきである!」と主張します。
けれども、もともとアメリカには独自の世界観を持つ先住民族がいて、そこにキリスト教徒がお邪魔して西洋風のコミュニティーをつくりあげ、その後、ユダヤ教徒やイスラム教徒や仏教徒や、さまざまな信心を持つ人たちが集まってきたのだから、必ずしも「キリスト教国」というのは当たってはいないでしょう。
そんなわけで、カリフォルニアのように、トランプ大統領が嫌いな人の多い州では、昔ながらの Merry Christmas よりも、どんな人にも使える Happy Holidays の方が主流です。
この Happy Holidays!という言葉は、どちらかと言うと、別れぎわとか、電話での会話が終わるときとか、メールの最後に使うあいさつです。
ですから、会っていきなり Happy Holidays!と言うよりも、ある程度お話をしたあとに、別れぎわに使うことが多いでしょうか。
ですから、まずは季節にふさわしい雑談をしないといけないわけですが、この時期に一番ポピュラーな話題はなんだろう? と考えると、たぶん「クリスマスはどこかに行くの?」といった休暇プランのお話でしょう。
How do you spend Christmas?
(クリスマスはどうやって過ごすの?)
Are you gonna (going to) be around in town?
(どこにも行かずに、近場で過ごすの?)
といった話題から始める方が多いようです。
そう聞かれて、何かしら旅行のプランがあるようだったら
I’ll spend Christmas in Hawaii!
(クリスマスは、ハワイで過ごすのよ!)
と、ちょっと自慢げに答えてもいいかもしれません。
もしも何もプランしていないようだったら
Well, I don’t have any specific plan yet, but I may visit my grandparents
(まあ、とくにプランしてないけど、祖父母を訪ねるかもしれないわ)
といった漠然とした答えでも、相手は満足してくれるでしょう。
もしかすると、相手が尋ねてきたということは、何か聞いてほしいことがあるかもしれないので、そういうときには
What about you?
(じゃあ、あなたは?)
Are you gonna (going to) be out of town?
(どこかに行く予定があるの?)
と聞いてあげると、相手は喜んで返事をしてくれることでしょう。
そして、ひと通り話し終わったら
Happy Holidays!
Have a safe flight to Hawaii!
(ハワイまで気をつけて行ってきてね)
などと、別れぎわのごあいさつをします。
ところで、今年のクリスマスシーズンは、なにやら物騒な言葉を耳にするようになりました。
それは、porch pirates(ポーチパイレーツ)という言葉。
直訳すると「玄関先の海賊」というわけです。
つまり、通販で注文した荷物が、不在のため玄関先に置きっぱなしになっているので、それを堂々と盗んでいく泥棒のことです。
そんな泥棒が多いので、テクノロジーを駆使したドアチャイムを使って、怪しい人が玄関先に現れたら「こらっ、なにをしてるんだ!」と遠隔地から脅したりもするんです。
そう、このようなチャイムは、玄関先の動き(motion)を察知して、すぐにスマホに知らせてくれるので、オフィスや訪問先など遠くにいても「わたし、ちょっと手が離せないの」とか「興味ないから、帰ってちょうだい」と、怪しい人を撃退することができるのです。
が、敵もさる者、ひっかくもの。そんな技には、まったく動じない泥棒もいるんです。
ですから、泥棒の顔や乗ってきた車を記録して捕まえてやろうと、セキュリティカメラを設置する家も多いです。警察と協力してGPS機能を内蔵した箱を「エサ(bait)」として玄関先に置き、泥棒のすみかを突き止めようとする動きも見られます。
日本の多くのマンションでは、「宅配ロッカー」が設置されていて安全なので、そんな発想を拝借して、オンラインショップのアマゾンは、セブンイレブンの店内のロッカーで荷物を受け取るオプションも始めています。
が、やっぱり「自宅に配達」を選ぶ人がほとんどで、porch pirates も跡を絶ちません・・・。
この年末の忙しいシーズン、こんなごあいさつはいかがでしょうか。
Happy Holidays(ハッピーホリデーズ)!
クリスマスが終わっても、新年を迎えるごあいさつにも使えるので、とっても便利な言葉なんですよ!
Vol. 209
近年、「IoT(モノのインターネット)」という言葉をよく耳にします。けれども、言葉ばかりが先行して、なかなか実態が付いて行かない感もあります。そこで、今月は、たとえばカリフォルニアの街角では、どういうものを見かけるんだろう? といったお話をいたしましょう。
<ビッグベリー(大きなお腹)>
今さらご説明するまでもありませんが、IoT というのは、Internet of Things(モノのインターネット)の略称ですね。モノとモノがネットや近距離無線通信でつながり、人の生活が便利に運ぶようにと、機械が代わってお仕事をしてくれることです。
いろんなモノに「センサー」が付くことによって、たとえば、スマートフォンを使って電気を点けたり消したり、壁に取り付けたハブが部屋を快適な温度に調整したり、玄関の鍵を遠隔地から開けたり閉めたりと、昔では考えられない芸当が可能になります。センサーが感知するのは、モーション(動き)だったり、温度だったり、湿度だったりと場面に応じて使い分けができるので、可能性は無限です。モノがネットワークにつながってお利口さんになるので、「スマート(賢い)〜」と呼ばれたりもします。
けれども、実際に家の中でIoT製品を使ってみると、うまく動かなかったり、あまりメリットを感じなかったりして、我が家では「お蔵入り」したモノもたくさんあります。
先日ショッピングサイトのアマゾン(Amazon.com)は、オフィスや外出先にいる間に自宅の玄関の鍵を開けてあげて、宅配担当者に荷物をドアの中に入れてもらう「アマゾン・キー」というサービスを一部地域で始めました。遠隔地から解錠できるスマートキーとウェブカムを家の中に設置して、配達があるときだけアマゾンのシステムがドアを解錠するというものです。配達が済むとユーザに「お届けしました」というお知らせが来て、配達のビデオを確認できるようになっています。
が、これだって「外に置きっぱなしにした物品が盗まれなくていい」というアイディアは良いですが、「ドアを開けるコードをハッキングされたら?」とか「ドアの内側に設置したカメラで、アマゾンに家の中を覗かれるの?」と、ちょっと気味の悪い部分もあります。現に、解錠コードと監視ビデオをハッキングできることが判明し、アマゾンはあわててソフトウェアアップデートをリリースしたとか。
比較的シンプルな家の中ですらそんな状態なので、公共の場で展開する IoT製品となると、もっともっと複雑で難しく、いまだ発展途上ではあります。けれども、ちらほらと街角にも IoT製品が登場しているようなので、サンフランシスコ市内で見かけた実例をご紹介いたしましょう。
まずは、こちらの「ビッグベリー(Bigbelly)」。つまり「大きなお腹」という名前ですが、正体はゴミ箱です。二つのゴミ箱が一セットになっていて、普通の燃えるゴミ(trash)とリサイクルのゴミ(recyclable waste)を分けて入れるようになっています。
何が新しいかと言えば、ゴミ箱の天井にソーラーパネルが付いていて、太陽光発電で働けること。まずは、ゴミ箱の中にあるセンサーで「お腹の満足度(ゴミの詰まり具合)」を感知して、ゴミをコンパクトに圧縮しながら容量を増やすことができます。同じサイズの通常のゴミ箱よりも8倍は容量が増えるとか。
そして、外の世界と「お話しする」こともできます。そうなんです、ゴミ箱がいっぱいになってきたら、ゴミ収集担当者に「ゴミを集めてよ」とメールで頼むこともできるんです。ゴミ箱はネット経由でマネージコンソール(管理画面)とつながっているので、タイムリーに担当者に連絡できるだけではなく、どこのゴミ箱がどれくらいの頻度で収集が必要なのか? といった分析もできます。
ですから、効率的なルートを割り出し、無駄に空のゴミ箱を集めに行かなくてもよくなるので、費用の節約にもなりますし、大きなゴミ収集車が道路を走らないことで、渋滞緩和や排気ガスの削減にも貢献する、ということです。そうそう、アメリカの都市部にはネズミが多かったりするので、ネズミが入り込めないような頑丈な設計にもなっているとか(先月発表されたランキングでは、サンフランシスコは、シカゴ、ニューヨーク、ロスアンジェルスに次いでネズミの多い街だとか!)。
そして、サンフランシスコ市では、残飯や具材の切り落としの生ゴミを「コンポスト(Compost)」して有機肥料にしようと熱心に取り組んでいます。コンポストは、土中のミミズや微生物の力で生ごみを堆肥に変えるリサイクル方法ですが、こちらの「ビッグベリー」にも新たにコンポスト用の容器が加わり、街角のゴミ収集にもさらに磨きがかかっています。とくに観光客の集まる場所では、食べ残しがたくさん出ますから、コンポスト容器は有効です(サンフランシスコの場合は、各家庭が自宅でコンポストに取り組むのではなく、市が生ゴミを集めて一括してやってくれるので、市民にとってもお店にとっても敷居は低いです)。
アメリカでは、ゴミが散らかっている光景をよく目にしますが、ゴミ箱の容量が増えたり、タイムリーに収集車が来てくれたりすると、見た目にも美しい街づくりができるのかもしれませんね。
<スマートパーキング>
サンフランシスコの街は、とにかく狭いです。海に突き出た半島の突端にある、わずか7マイル(11キロ)四方の面積です。ですから、駐車場となると「取り合い」になるほどに貴重なスペースですし、全米でも珍しく立体駐車場付きのマンションもあるくらいです(写真は、ミッション通りと5番通りにあるマンションの駐車場)。
そんな背景があるので、サンフランシスコ市は、パーキングに関しては何年も前から涙ぐましい努力を続けていて、「SFpark(エスエフ・パーク)」という名の下、市が経営する立体駐車場や商業地域の路上パーキングにセンサーを取り付けて、どの時点で何時頃に需要が多く、ゆえに料金を高くすればよいか? という実験プロジェクトを展開してきました。要するに、需要が多いんだったら値段を高くして、市の収入を増やし、なおかつ駐車スペースの回転率を上げようじゃないか、というのが目的です。さらには、リアルタイムの状況をドライバーに公開することで、ユーザの利便性も追求したい、という意図もあります。
このプロジェクトでセンサーとして使われたのは、アイスホッケーパックみたいな磁気探知機(magnetometer)。道路の駐車スペースに埋め込まれ、センサーの上に車体が乗ると「停車」と判断して、付近の電柱に取り付けられたリピーターに「車が停まったよ」と信号を送ります。リピーターは近くのゲートウェイにセルラー通信で停車の報告をして、ゲートウェイからはバックエンドシステムに報告が送られます。車がいなくなったら、同じ経路でバックエンドに伝えられ、そういったデータをひとつずつ集めて場所ごと、曜日ごと、時間ごとの実態調査が行われました。
実験プロジェクトは、2011年春から2年間続けられ、その間8千箇所を超える地点で集められたデータを解析して、現在の場所ごと時間ごとの細かい料金体系が設定されています。このプロジェクトをきっかけに、昔ながらのパーキングメーターは姿をひそめ、今は街じゅうに「スマートメーター」が設置され、コイン、クレジットカード、スマートフォンによる支払いができて便利になっています。
とくに、スマートフォンによる支払いには、PayByPhone(ペイ・バイ・フォーン)という支払いサービスが採用され、メーター上のNFC(Near Field Communications、近距離無線通信)ロゴにスマホをかざして支払いができるだけではなく、「もうすぐ時間が切れますよ」というメッセージを送ってくれるので、遠くにいても追加で料金を支払えるようになっています。追加支払いの場合は、メーターは「時間切れ」の表示になりますが、市の駐車監視員は手元の端末でチェックできるので、間違って「駐車違反チケット」を切ることがないようになっています。
スマートメーターは、SFparkの構想が本格化した2010年から設置が始まり、2015年夏には、市内すべてのパーキングメーターがネットワークにつながる「お利口さん」となっています。「全米で、もっとも進んだパーキングシステムである」と、市の自慢の種にもなっています。まあ、便利にクレジットカードで支払おうとすると、最低料金が2ドルを超える(300円弱)ので、昔の「30分25セント」のコインの時代と比べると、市の収入も格段に増えたものです。ちなみに、一番高い料金設定は、サンフランシスコ・ジャイアンツの試合日に球場(写真)近くのメーターで支払う「1時間7ドル(約770円)」。間もなく「8ドル」に上げる議案も検討されているとか。
そして、近頃は、街角でこんな電光掲示板を見かけるようになりました。こちらは、ダウンタウンで見かけた電光掲示板ですが、市が経営する立体駐車場にいくつスペースが残っているのかと表示しています。「あちらは満杯なので、こっちに停めた方がいいですよ」と、スペース数で案内してくれるのです。
立体駐車場のスペース検知システムには3通りあるようで、施設全体のスペースをざっくりと把握する方法、フロアごとに空きスペースを把握して表示する方法、そして、細かくスペースごとに空いているか埋まっているかを感知する方法があります。サンフランシスコ市の場合は、立体駐車場の把握にはそれほど力を入れていないようで、空きスペースは、駐車場出入り口のゲートの開け閉め回数で把握しています。
一方、こちらはスペースごとの感知システムを採用している、サンノゼ市のショッピングモールの例です。駐車スペースの上には、ひとつずつセンサーが取り付けてありますが、これは超音波センサー(ultrasonic sensor)。センサーが車を感知すると、内蔵のLEDライトが赤くなり、車が出て行くと緑に変わります。遠くからでも色で見分けられるので、「あ、あそこが空いている」と、すぐにわかるようになっています。
このようなスペースごとのセンサーを採用すると、「こちらは空きスペースが1つ、こちらには8つありますよ」と分かれ道に表示できるようになるので、ドライバーにとっても、むやみにグルグルと運転する必要がなくなって便利です。
スペースごとの状況把握ができると、駐車場の入り口に「5階には10台分のスペースが残っています」といった表示が可能になり、ドライバーも他の階はすっ飛ばして5階を目指せるのでフラストレーションの度合いもグンと低くなります。
そんなわけで、シリコンバレーのパロアルト市でも、市が所有する立体駐車場に同様のシステムを採用しようと決議されました。パロアルト市は、以前からダウンタウンに散在する駐車スペースの場所表示がわかりにくいと問題になっていて、わざわざコンサルタントを雇って、新しい標識など駐車場のあり方を検討してきました。その一環として立体駐車場のスペース把握も討議され、「当初はお金がかかるけれど、未来に投資しようよ」と、スペースごとに検知するシステムが議会で採択されています。
というわけで、サンフランシスコ周辺の街角で見かけるようになった「スマート」製品。まだまだ発展途上にはありますが、ひとたびいろんな場所に設置されると、人の暮らしもずいぶんと楽になる可能性に満ちています。
夏来 潤(なつき じゅん)
日本の印象
- 2017年11月25日
- エッセイ
今は、日本に滞在して、色づく木々の変化を楽しんでいるところです。
先日、英語のコーナーでは「Knock on wood(木をコンコン)」というお話をしておりました。
ラトヴィア出身の親友が、「これはロシアの習慣よ」と言いながらテーブルをコンコンと叩いたという、アメリカでも共通の習慣のお話でした。
このラトヴィアの友人には久しぶりに会ったのですが、彼女がわたしに会いたがっていたのには理由がありました。それは、10月上旬に夫と義理の妹と三人で日本を旅行したから。
彼らがアメリカから参加したのは、ドイツ在住のロシア人ガイドさんが率いる日本ツアー。
なんとも複雑な設定ですが、ガイドさんはかなりの「日本通」なんでしょう。
まずは、東京から横浜・鎌倉、日光と関東をめぐり、そこから神戸・京都・奈良、伊勢志摩、倉敷、広島・宮島と西日本に足を伸ばす。
それから東京に戻ってきて、銀座めぐりや忍者屋敷見学と、これだけの観光地をわずか一週間に詰め込んだ強行軍のスケジュールです。
忙しい日程でゆっくりとお買い物もできなかったのが心残りだったようですが、それでも日本の庭園や仏像、お茶の作法や日本料理と古来の文化を味わった一方、きらびやかな近代的ビルや美しく整った街角の様子と、いろんな表情を満喫したみたいです。
彼女にとっては初めての日本訪問なので、記憶の新しいうちに、どうしてもわたしと話をしたい、それが久しぶりの再会の理由でした。
どこに行っても人は親切だし、電車をはじめとして公共の交通機関は、いつも時間通り。街は安全なので、犯罪なんか起きるはずもないように見受けられる。
道を歩けば、幼稚園の園児のような小さな子供たちだって、お行儀よく並んで歩く「隊列」とすれ違い、学生たちは、きちんと制服を着こなして、いつもルールを守っているように感じられる。
それが、彼女の日本に対する印象でした。
そんな好印象が詰まった日本訪問の中で、彼女がとっても不思議に思ったことがありました。
日本の人って、あなたみたいにいつも polite で(お行儀がよくて)、言葉が通じなくても心を尽くして懸命に説明してくれるのよね。それに、5ドル(550円)もしないような物を買っても、驚くほど丁寧に綺麗に包んでくれたりするのよ。ほんとに感心するわぁ。
でも、あんなに丁寧で優しい人たちなのに、急に怒ることがあるのよ。
上野の国立西洋美術館(The National Museum of Western Art)に行ったときのこと。ガイドさんがいろんなところに連れ回したせいで、5時の閉館までにあと30分しかなかったの。でも、ガイドさんは芸術が好きだから、絵画の一枚々々をじっくりと説明したくてしょうがないのよ。
だから、「閉館ですよ」と言いに来た担当者には「あと2、3分でいいから絵の説明をさせてください」と頼んだんだけど、相手は「ダメ、ダメ、もう閉めるから出て行ってくれ」の一点張り。
しまいには、「出て行け!」ってカンカンに怒り出すのよ。
わたしはあれを見てビックリしちゃったわぁ。だって、たった数分のことなのに、あんなに怒り出すなんて・・・。あれは、彼個人の問題なのかしら、それとも、日本人みんながそうなのかしら?
と、しきりと首をひねるのです。
ですから、わたしはこう説明してあげました。
それは、彼が意地悪な人だからではなくて、「5時閉館」という規則には従わないといけないから、仕方なく厳しく追い立てたのよ。彼には規則を曲げる権限がないから、上司から責めを負わないためには、きちんと規則に従うしかないの。
わたしだって、「ほんの2、3分で買い物を済ませるから、お店に入れてよ」と頼んだら、「いえ、もう9時の閉店時間ですから店内にお入れすることはできません」って、鼻先でドアを閉められたことがあったの。
ルールに従うとなったら、ほんとにキッチリと従う、それが日本の人たちなのよ、と説明してみたのでした。
わたしの説明は当たらずとも遠からずではないかと思ってはいるのですが、それでも、彼女の言う通りに、もうちょっと flexible(臨機応変)であってもいいのかもしれないなぁ、と思ったことでした。
まあ、規則には従わないといけないという立場は十分に理解できますが、個人の裁量で「これくらいは大目に見てもいいのかもしれない」と判断できれば、ちょっとだけ規則を曲げても悪くはないんじゃないかと思うんです。
そうすると、人と人の間もギクシャクしなくていいこともあるんじゃないかな、と。
とくに、上野の国立西洋美術館といえば、実業家の故・松方幸次郎氏がヨーロッパで集めた数々の名画を展示するために建てられた美術館。
戦中、「松方コレクション」は、ナチスの没収を避けてフランスの片田舎で必死に守られたそうですが、戦後、ようやく日本に渡ってきて、晴れて上野の地でお披露目となりました。
松方氏は生前、「共楽(きょうらく)美術館」を建てることを目指していらっしゃったそうで、西洋の優れた絵画を日本の人たちと分かち合い、共に楽しむのが夢でした。
ここまで世界が小さくなって、日本にも外国から訪れる方々が増えてきた今、もはや日本にある芸術を「日本の人たちと分かち合う」のではなく、世界の人たちと分かち合う時代になっています。
ですから、場合によっては、もうちょっとだけ楽しませてあげてもいいんじゃないかなぁ、と痛感した親友との再会でした。
今日のお題は、Knock on wood(ノック・オン・ウッド)。
表現というよりも、習慣と言った方がいいでしょうか。
「何か悪いことが起きそうねぇ」と縁起の悪い話をするときに、「そんなことが起きなきゃいいね」という意味で、コンコンと木を叩きます。
逆に、何かしら良いことを言い過ぎたときにも、コンコンと木を叩くことがあります。こちらの場合は、あまりにも良いことばかりを言ったので、逆に悪いことがやって来なきゃいいね、という意味でコンコンと叩くのです。
アメリカでは、「こんなことが起きそうね」と将来の話をしたあとで、「ノック・オン・ウッド(悪いことが起きませんように)」と言いながら、木のテーブルをコンコンと叩くことが多いでしょうか。
テーブルを叩くときには、こちらの写真のように、ドアをノックするみたいに「グー」を使います。
こちらは、ホワイトハウスに集まった財政担当者がコンコンとやっているところ。
「どうかこの財務法案が無事に可決しますように」と、縁起かつぎでやっているのです。(Official White House photo by Pete Souza, 10/26/2015; from Wikimedia Commons)
それで、先日この Knock on wood をやってくれたのは、ラトヴィア出身のロシア系の親友でした。
彼女は、こちらのエッセイサイトの記念すべき最初の登場人物。今から12年前の暮れにエッセイに登場してくれた、わたしの元同僚です。
1991年のソヴィエト連邦の崩壊をきっかけに、バルト三国のラトヴィア(Latvia)は共和国として独立。彼女はロシア系ということで生まれた国を追われ、彼女はアメリカへ、家族はイスラエルへとパスポートもなく亡命したという経歴を持ちます。
その彼女が、「あなたは今も健康で若々しいけれど、きっとずっと変わらないわよ」と言ったあとに、テーブルをコンコンと叩くんです。
さらには、唇を閉じて、チュチュチュっと音をたてます。
あら、それって英語の Knock on wood と同じね! と言うと、彼女は「これはロシアの習慣よ」と答えます。あんまり良いことを言い過ぎると、逆に悪いことが起きてしまうから、それを防ぐために木をコンコンと叩いて、唇でチュチュチュっとするの、とのこと。
調べてみると、これはドイツの言い伝えから広まったという説があるそうですが、今では、世界じゅうのいろんな国でコンコンと木を叩くようです。なんでも、ドイツでは、木を叩いて精霊を呼び起こし、木の精に身を守ってもらうために始まった習慣だとか。
親友は、わたしよりもちょっと年上なので、superstitious(縁起をかつぐ)ところがあって、以前もこんなことを言われたことがありました。
わたしが病気の話をしていて、「この辺が痛かったりするのよね」と体を触りながら説明したら、「ダメよ、自分の体を触りながら悪い話をしたら。もっと悪くなってしまうでしょ」と、叱られたんです。
それを聞いて、彼女におとなしく従いましたが、そのときにインドから来た友人が言っていたことを思い出したのでした。
彼の息子が喘息を持っていて、息苦しくなると、お母さんが気管のあたりに手を置いてあげると不思議と発作がおさまるんだ、と。
たしかに、日本語でも治療することを「手当て」と言いますが、人が手を触れると、魔法使いの杖を振ったみたいに威力があるんですよね。
今日の話題は Knock on wood(ノック・オン・ウッド)
木をコンコンと叩いて、悪いことを寄せ付けない!
そんな縁起かつぎの習慣でした。
Vol. 208
ほぼ一年ぶりの『シリコンバレーナウ』となりますが、今回は、カリフォルニア北部で起きた山火事のお話をいたしましょう。
ご存じのように、10月中旬に北カリフォルニアで発生した山火事は、季節外れの突風にあおられ、一気に十数カ所へと飛び火し、世界的に有名なワイン産地ナパ(Napa)とソノマ(Sonoma)の山や谷に散在するワイナリーや、近隣の住宅地を脅かしました。
10月8日(日)晩、火事の一報は、その日の夕方までプロゴルフトーナメントが開かれたシルヴェラード・カントリークラブ付近から報道されます。「あら、さっきまでフィル・ミケルソンがプレーしてたよねぇ」と呑気にニュースを観ていたのですが、驚いたのは、その翌朝。テレビを点けてみると、シルヴェラードから遠く離れたサンタローザ(Santa Rosa)の住宅地が燃えて尽きているではありませんか!
とくにコーフィーパークと呼ばれる地区は、3,000棟の住宅がすべて焼かれ、まるで戦火に遭ったかのような焼け野原になっています。ここは、出火地点と思われるナパのシルヴェラード・トレールから数十キロは離れているので、夜中のうちに、悪魔があっちこっちに放火して回ったのか? と目を疑ったほど。どうやら、その晩は、時速100キロ近い季節外れの突風が東から西に吹き荒れ、ナパの火が、突風に乗って山を登り、渓谷を駆け下り、数十キロ離れたサンタローザの住宅地を焼き尽くしたようです。(Photo of Coffey Park, Santa Rosa by Karl Mondon / Bay Area News Group)
日曜の晩に起こった火は、真夜中には近隣の住宅やワイナリーを脅かしましたが、夜中の2時には、すでにサンタローザの住宅地まで迫っていたといいます。(Photo of Scribe Winery in Sonoma: courtesy of Scribe Winery)
その朝は、火事から80キロ南に位置するサンフランシスコに滞在していましたが、いつもは週末にソノマの自宅に戻り、日曜の夕方にはサンフランシスコに帰って来るお隣さんが、戻って来た気配がしません。もしかすると、彼らの山あいの家も火が迫っていて強制避難の対象となっているのかもしれない、と他人事ではありません。
そして、いつもワインクラブの宅配でお世話になっているナパ北部のワイナリーも心配です。ですから、消息を尋ね無事を願うメールを差し上げると、さっそく返答がありました。「わたしたちはみんな大丈夫だし、ワイナリーも発電機を使ってるから、ワインも大丈夫よ。わたしたちスタッフのほとんどは避難対象になったり、自主的に避難したりしてるけど、とにかく煙がひどいのよ。火事はまだまったく消火できてないし(”zero” percent contained)、電気も携帯電話もナパのほとんどで使えないし、そんな状態よ。でも、がんばるわ!」とのことでした。(Photo of Gundlach Bundschu in Sonoma: courtesy of Rafe Tomsett)
発火の晩の突風は、その後数日間は治まらず、ナパやソノマの谷間はまわりを炎と煙に囲まれ、3万人が避難対象となりました。呼吸器系の疾患を持つ人は「N95」の呼吸保護マスクを付けるようにと促され、付近の小売店ではN95マスクが品切れとなりました。
煙は風に乗って四方に舞い上がり、近くのサンフランシスコばかりではなく、「シリコンバレー」と呼ばれる「サンタクララの谷」南端の我が家でも、窓を開けられないほどの煙でした。「目がチカチカする(burning eyes)とか喉がゴロゴロする(itchy throat)というのは当たり前だから、そんなことで病院には来るな!」と喚起されます。なぜなら、もっと重症の人がたくさんいるから。
こちらは、被害のひどかったサンタローザ市にあるキャンピングカーパーク(移動型住宅地)ですが、後ろに見えるビルは、市内で一番大きな病院です。普段は、災禍から避難する先が病院ですが、このときは病院が避難するしかなく、何時間もかけて看護師やスタッフの方々が入院患者さんを運び出す事態ともなりました。(Photo of Journey’s End mobile home park and Kaiser Santa Rosa medical center by Karl Mondon / Bay Area News Group)
消火活動には、地元の消防隊だけではなく、近隣都市や州内の消防隊、そして夜を徹して他州からも続々と消防車の隊列が駆けつけます。山火事の多い西側の州では、災害時には互いに助け合う取り決めもあって、遠く東海岸の州から派遣された消防隊を含めて、全米17州から助っ人に現れます。陸続きのカナダからも応援が来ましたが、遠く海を越えオーストラリアも消防隊を派遣してくれました。1万人の消防士が集結し、付近の公園にはテント都市ができています。(Photo of visiting firefighters in Santa Rosa Fairground by Karl Mondon / Bay Area News Group)
空からは消火ヘリコプターやボーイング747、DC-10のジェット機が水や消火剤を撒き、陸地からは人海戦術で炎の最前線と闘います。ときには消防士が計画的に発火して、水や消火剤が届く場所に燃え盛る炎を導きます。その甲斐あって、当初は十数カ所に散在していた山火事も、三つの大火にまとまり消火活動は有利に運びました。(Photo of firefighting helicopters in Sonoma by Jose Carlos Fajardo / Bay Area News Group)
火の手が上がった晩には、カリフォルニア・ハイウェイパトロールもヘリコプターを出動し、山あいの家屋から逃げ遅れた住民44名を助け出しました。災害には慣れているはずの操縦士も「あんなに大きな炎のハリケーンは見たことがない」と振り返ります。
こういった災害救助の専門家(first responders)ばかりではなく、市井の人たちの頑張りも聞こえています。大火が迫り来る中、自分の避難は先延ばしにして、眠りこけている隣人のドアを叩いて避難を促した青年。付近の人たちが避難する手助けばかりして、自分は写真の一枚も持ち出すことができなかった男性。裏庭に火が迫っているのを見て、水撒きホースで母屋を守ってくれた、通りすがりの男性。この方は、メキシコに住んでいた時に火事で家を失くした経験があるので、他人事とは思えなかったとのこと。(Photo of flames approaching a house in Sonoma by Jose Carlos Fajardo / Bay Area News Group)
今は「ワインカントリー山火事(Wine Country Wildfires)」と呼ばれる大火では、8,700棟の建物が焼け落ち、犠牲者は消防士ひとりを含め42名と報道されました。その中には、出火地点近くに住み、少し前に結婚75周年を祝ったばかりの100歳と98歳の「おしどり夫婦」がいらっしゃいます。そして、これを書いている間に17歳の高校生の女の子が43人目の犠牲者となったと報道されました。弟を失い、彼女自身は両足を切断するほどのひどい火傷を負いましたが、意識を取り戻すこともなく亡くなったということです。
近くのサンタローザ高校では、3週間たって初めて授業が再開され、復興の第一歩を踏み出したようです。家も持ち物も大事な思い出もすべて焼かれた人々にとっては、何年もかかる復興の道のりですが、学校や職場に戻ったり、コミュニティーのボランティアをしたりと、少しずつ「日常」を取り戻そうとしています。(Photo of Paradise Ridge Winery, Santa Rosa by Karl Mondon / Bay Area News Group)
今回の大火の原因は、電力供給会社PG&Eの高圧線が切れて、地面に触れた所から発火したのではないかと言われていますが、現在は調査中です。一般的に、山火事(wildfire)が起きる原因は、そのほとんどが人為的なものだと言われます。切れた電線から発火したり、庭の草木を手入れする電気ノコギリから発火したり、キャンプの火が燃え広がったり、はたまた放火だったり。そういった事情があるので、森林公園では、乾燥注意報や強風注意報が出ている日にはキャンプファイアを禁止するのですが、それを守らないキャンパーも多く、ちょっと目を離した隙に手が追えなくなってしまうことも多々あります。
とくに、昨年まで干ばつ(drought)が5年も続いたカリフォルニアですので、夏の乾季の間に乾ききった樹木は、余計に燃えやすい状態になっています。もともと耐火能力を持つ在来種も、干ばつで弱ったり病気になったりして、山火事の格好の「燃料」となるのです。発火から10日目に降った雨は、139日ぶりの恵みの雨となり、消火活動の助けにもなりました。
昨年までの干ばつが終わったと思えば、年初はシエラネヴァダ山脈に記録的な積雪があり、夏になると、観測史上最高の華氏106度(41℃)を記録したサンフランシスコ市をはじめとして、ベイエリアは連日記録を塗り替える猛暑となりました。その中で起きた山火事は、カリフォルニア史上最悪の猛威を振るいましたが、これは地球規模の気候変動のせいなのか? と頭をよぎります。
ちなみに、「ワインカントリー山火事」と呼ばれ、すべてを焼かれるなど甚大な被害を受けたワイナリーもありますが、多くは建物やブドウ畑の一部を焼かれたり、消火活動のおかげで火を免れたりと、北カリフォルニアのワイン産業は健在です。
山火事は10月中旬に起きたので、白ワインになるシャルドネやソーヴィニョンブランのブドウは収穫したあとでしたし、メルローやカベルネソーヴィニョンなど赤ワインのブドウの多くも収穫が終わったあとでした。ナパのワイン醸造業者協会によると、ナパでは9割のブドウがすでに収穫されていた(だから、2017年のヴィンテージは心配ない)、とのことでした。(Photo of grapes at Signorello Estate on Silverado Trail, Napa by Jane Tyska / Bay Area News Group)
現在は、ほとんどのワイナリーのテイスティングルームが平常通り営業しているようですし、「どうぞおいでください!」と歓迎ムードに戻っていることは確かです。
役所で結婚式を挙げましょう
- 2017年10月26日
- Life in California, アメリカ編, 歴史・習慣
前回の「ライフinカリフォルニア」のコーナーでは、結婚証明書の話題を取り上げました。
アメリカで結婚した人が婚姻関係を証明するには、役所が発行してくれた結婚証明書(marriage certificate)を見せるのが一番手っ取り早い方法ですよ、というお話でした。
そのときに「追記」の部分で、カリフォルニア州の結婚の流れをちょっとだけご紹介しておりました。
カリフォルニア州では、18歳以上の未婚の大人なら誰でも(同性の二人であっても)結婚はできますが、
教会で式を挙げるか、役所で式を挙げるか、式はしないか、いずれの場合でも、郡(county)の役所に二人そろって書類を提出して、結婚許可書(marriage license)を出してもらいます、と。
ここで、あれ? と思われた方もいらっしゃるでしょう。
まずひとつ目は、「結婚許可書」という言葉。
そうなんです、カリフォルニア州や多くの州で結婚する場合、結婚許可書を出してもらって、はじめて結婚式が挙げられます。
無事に挙式が済んだら、式を執り行った責任者(司式者、officiant)と少なくとも一人の証人が許可書に署名し、それを10日以内に役所に提出して、めでたく婚姻の手続きが完了します。
そんな背景があるので、アメリカの信心深い地域では、「結婚って、神が二人を結びつける儀式なのに、どうして役所の許可が必要なのさ?」と、いぶかしく思うキリスト教徒も多く、婚姻の申請・届け出に関しては、全米で足並みがそろっているわけではないようです。
そして、もうひとつ「あれ?」と思われた部分があるかもしれませんね。
教会で式を挙げるか、式はすっ飛ばして二人で暮らし始めるというのはわかるけれど、「役所で式を挙げる」というのは、あんまり日本では耳にしない習慣ですから。
というわけで、今日は、役所で挙げる結婚式のお話をいたしましょう。
10年前のヴァレンタインデーにもご紹介したことがありますが、アメリカでは、役所で結婚式を挙げるカップルも少なくありません。たとえば、こんなケースが考えられるでしょうか。
ごくシンプルに、少数の身内と友人に囲まれて式をしたい場合。
結婚式(wedding ceremony)を挙げて、そのあと披露宴(wedding reception)というのは、経済的にゆとりがない場合。
そんなに信心深くはないので、教会式で宗教色を出したくない場合。
もしかすると、カトリックとプロテスタントと育った宗派が違うので、もめそうな場合もあるかもしれません。
そういうときには、カリフォルニアの郡(county)の役所で、担当者に結婚式を挙げてもらうことができます。
こういう結婚式は、civil marriage ceremony と呼ばれます。「民事婚式」と訳すこともできますが、いわゆる「人前結婚式」ですね。
もともと結婚の申請をして、許可書を出してくれるのは郡の役所ですので、ついでに式まで挙げてもらいましょう、といった便利なサービスでもあるのです。
普通は、いくつかの市が集まって郡を形成しますが、サンフランシスコの場合は、市が郡を兼ねているので、市役所(City Hall、写真)で結婚式を挙げてくれます。
10年前のお話では、ヴァレンタインデーの日にはプロポーズする人ばかりではなく、役所で式を挙げる人もぐんと増える、ともお伝えしました。
やっぱり「愛の日」ですので、末長く二人の愛が続けばいいな! と願いを込めて、この日を選ぶんですよね。
普段は、役所というと土日の週末はお休みですが、昨年(2016年)のヴァレンタインデーは日曜日だったにもかかわらず、「営業」してくれた役所がありました。
そうなんです、「シリコンバレー」と呼ばれるサンタクララ郡の北にサンマテオ郡(San Mateo County)というのがあって、ここの役所は、結婚式を挙げてあげましょうと日曜日に営業していたんです。
役所の方々はボランティアで出勤したんですが、それを「なかなか粋なことをしてくれるねぇ」と、サンフランシスコの放送局KPIXが紹介していました。
白いウェディングドレスとダークスーツ姿で、ピシッと登場です。
まずは、役所のカウンターで結婚の申請をします。ここにもスタッフがボランティアで出勤していて、にこやかにテキパキと書類を受け付けてくれます。
無事に手続きを済ませたら、いよいよ役所の中にあるチャペルに向かいます。
ここには、担当部署の司式者(a county deputy marriage commissioner)がいらっしゃって、式を執り行ってくれるのです。
この方も、赤いポケットチーフに胸にはお花と、華やかな雰囲気ですよね。
司式者は「結婚とは」といった心構えなどもお話しなさるのでしょうけれど、一番大事な部分は、二人の誓約(wedding vows)です。
文言がきっちりと定められている教会式でないかぎり、誓約に決まりはないようですが、「どんな逆境にあっても二人で共にがんばっていきます」というような誓いの言葉でしょうか。
よく映画やドラマでは、指輪を託された人が「あ、指輪を忘れちゃった!」とあわてるシーンがありますが、そんなことは滅多にあるものではないでしょう。
もしかしたら、新婦のブリアンナさんは、お腹に赤ちゃんが?
「この子が生まれる前に、ヴァレンタインデーに結婚しましょうよ!」と、二人の背中を押してくれたのかもしれませんね。
ほら、白いバラも飾られ、役所といってもそんなに殺風景ではないでしょう?
ちゃんと列席者のために椅子も用意されていますし、カップルが希望すれば、カメラマンも来てこの日の晴れ舞台を記録してくれます。
今は、誰でもスマートフォンでビデオ撮りができますので、それこそ、いろんな角度から思い出のショットが撮れますね。
残念ながら、出席できない人がいたら、式の様子をインターネットで生中継(ウェブキャスト)もできるそうですよ。
ちなみに、このときのニュース番組では、ブリアンナさんとデイヴィッドさんのヒスパニック系カップルだけじゃなくて、アジア系やアフリカンアメリカンのカップルと、多彩な人種構成が紹介されました。
ちょっと強面(こわもて)の男性が、感きわまって涙をぬぐっていたのが、ひどく印象的ではありました。どんなにシンプルでも、結婚式ができたことが嬉しくもあり、誇らしくもあるのでしょう。
というわけで、サンマテオ郡の役所の結婚式のひとコマでしたが、
面白いことに、身内やお友達だって、一日限りの司式者になれるそうですよ。
こういうのを「一日司式者(a one-time deputy marriage commissioner)」と呼ぶそうですが、事前に身分証明書を持って役所に届け出たら、式を執り行うことができるそうです。
カリフォルニアでは、先住民族のシャーマン(祈祷師)だって、立派に司式者として認められているそうです。
なぜなら、彼ら独自の世界観も、キリスト教やユダヤ教などと並んで「宗派(denomination)」とみなされているからです。
それから、裁判所の判事に式を挙げてもらうこともできます。
こちらは映画でも見かける光景ですが、「式を挙げてくれる裁判官が、まだ現れないよ!」と、みんながやきもきしているシーンを思い浮かべます。
判事に来てもらう場合は、郡にひとつずつある高等裁判所(Superior Court)に申請するとのことです。
ちなみに、役所に置かれるチャペルですが、サンタクララ郡のチャペルは、レンタルもできるそうですよ。
ですから、神父さんや牧師さんに来てもらって教会式風にすることもできます。
10分につき40ドル(およそ4,500円)と短めの結婚式を想定しているようですが、さすがに「レンタル物件」ということで、内装も凝っていますよね!
というわけで、カリフォルニア州の役所の結婚式をご紹介いたしましたが、自分の結婚式を振り返って、ふと思い出したことがありました。
指輪の交換のとき、指輪を相手の右手にするのか、左手にするのか迷ってしまって、冷や汗をかいたんです。
そう、連れ合いが先に指輪をはめてくれたので、両手が目の前に出ていて、だから「どっちだっけ?」と戸惑うことになったのでした。
こっちだよ、と最初から左手をニュッと突き出してくれたらよかったのに・・・と今になって思うのですが、右利きの人だと、向かい合った相手の左手に指輪をはめるのは、難しくもあるでしょう?
追記: まったくの蛇足ではありますが、カリフォルニア州の場合、外国で結婚したという正式な証明書を役所に持ち込んでも、婚姻の届け出をすることはできません。あくまでも、届け出ができるのは「未婚」の二人に限ります。
外国の役所の証明書でも、英訳すれば立派に世の中で通用するわけですが、どうしてもカリフォルニア州から結婚証明をしてもらう事情がある場合には、郡の高等裁判所に申し出て、事後の登録が可能だそうです。けれども、少なくとも日本の戸籍謄本があれば、そんなことをする必要はないと思われます。
結婚証明書を出してください
- 2017年10月17日
- Life in California, アメリカ編, 歴史・習慣
アメリカの生活をご紹介する、こちらの「ライフinカリフォルニア」のコーナー。
いうまでもなく、二人が結婚していることを証明する書類ですね。
英語では、the certificate of marriage もしくは marriage certificate と言います。
日本ではあまり馴染みのある証明書ではありませんが、アメリカでは重要な書類のひとつですよ、というお話です。
まずは日本の場合、「結婚」は「婚姻届」を役所に提出したときに完結しますよね。
一族や友人を招いて結婚式を挙げようと、式はすっ飛ばして二人で暮らし始めようとも、二人が決意して婚姻届に記入・押印し、証人に署名捺印をもらって役所に提出すれば、法的に結婚が成立します。
その後、何かの理由で夫婦関係を証明したい場合は、「戸籍謄本」を取り寄せれば、正式な証明書となりますね。
ところが、アメリカとなると、戸籍の概念がはっきりしていないので、家族関係を証明するのは、日本ほど簡単ではありません。
そう、日本の場合は、昔から国の制度として戸籍(family registry)がきちんと作られていて、その上に、誕生、死亡、結婚、離婚といった情報がきっちりと積み重ねられていくので、人口に関しては、かなり正確な最新の形を把握しています。
戸籍や住民登録は日本じゅうで認識されているし、役所の方でもちゃんと把握しているので、金融機関にしても、勤務先の会社にしても、「戸籍謄本」を見れば夫婦や親子といった家族関係を納得することになります。
ところが、アメリカには、日本のように集中管理された戸籍制度がありません。
州によっては、誕生、死亡(流産、死産も含む)、結婚、離婚といったライフイベントの報告を義務付け、このような人口動態記録(vital records)をデータベース化しているところもあります。
カリフォルニア州では、公衆衛生局がデータベース化に努めていますが、州によって対応はバラバラです。
それじゃあ、アメリカで二人が結婚していることを証明するためにはどうするの? というお話です。
実は、我が家がこれで苦労したんですよ。
我が家は、連れ合いの会社の医療保険制度(医療・歯科・眼科保険)を利用していて、わたしは連れ合いの「扶養家族(dependent)」ということになっています。
今までは何の問題もなかったのですが、どうしたことか、今年に入って「ほんとに法的に扶養家族なの?」という監査(audit)が始まったのです。
これまでは、アメリカで医療保険に加入するのは任意でしたが、3年前に加入を義務付ける「オバマケア」が始まって加入者が激増し、金銭的に補助をする側も真剣にチェックする気になったのかもしれません。
連れ合いの会社が利用している福利厚生の運営会社は、わざわざ専門の監査機関を雇って、扶養家族について調べることになったのです。
でも、最初は、まだかわいかったんですよ。
当初は、自分で専用ウェブサイトにアクセスして、扶養家族を確認するという、自己申告制でした。が、我が家は、監査期間の5月から6月にかけて日本にずっと滞在していて、その手紙(そう、電子メールじゃなくて、紙面のお手紙)を受け取っていなかったんです。
すると、あちらは「監査を無視したね!」と気分を害してしまって、徹底的に「扶養の証拠」を求めてきたのです。
それで、まずは米国の税務署に毎年提出している「確定申告書」のコピーを提出しました。確定申告の最初の方に、二人で共同に申告する(joint-filing)というページがあって、こちらにきちんと二人の名前が書いてあるからです。
すると、どうしたことか、これじゃあ足りないよ(incomplete)! と、再び督促状が来たんです。
だって、国に「夫婦」として一緒に税金を払っているって言っても、ほんとに結婚しているかどうかわからないでしょ? というわけです。
そのお手紙も、8月末に日本から戻ったばかりのところで封を開けてみると、もう締切日が過ぎているではありませんか! おまけに「もしも今回、法的な関係を証明できなかったら、10月末日で医療保険を打ち切りますよ」と書いてあります。
ここで困り果てたわたしは、イチかバチか、式を挙げた東京の教会が発行してくれた結婚証明書をファックスしてみたのでした。
ご親切なことに、日本文と英文で証明書を出してくれていたので、そのまま両方をコピーして送るだけでよかったんです。
普通だと、日本の戸籍謄本を英訳して送ることを考えるのですが、手元にあった謄本が一年前のものだったし、英訳する時間もなかったので、結婚証明書を選んだのでした。
すると、あちらも、さすがに教会の牧師さんがサインした証明書にケチをつけることもなく、間もなく「オッケー、監査は終了よ〜」という手紙を送って来ました。
やはり、わたしの読みどおり、キリスト教国では教会が発行した結婚証明書にケチをつけるなんて、考えられないことなんでしょう。
まあ、無事に監査が済んだから良かったようなものの、国の税務署に提出している書類だけじゃ信じられなくて、教会の証明書が必要というのは、なかなか日本の一般常識を超越していますよね!
しかも、いまどき、重要で緊急なお知らせを、わざわざ紙面のお手紙で知らせてくるなんて、時代錯誤ではないでしょうか?
ま、監査の専門機関は、中西部アイオワ州にあるので、確実なコミュニケーション手段は「紙のお手紙」だし、教会の牧師さんの証明書は、国の書類に勝るということかもしれません・・・(と、うがった見方をしたくなるのでした)。
追記: 蛇足ではありますが、アメリカで「結婚」するのは、日本よりもちょっと複雑なようではあります。
たとえば、カリフォルニア州では、18歳以上の大人なら誰でも(同性の二人であっても)州内で結婚することは可能です。パスポートや運転免許証といった身分証明書を持っていれば、米国市民権・永住権の必要はありませんし、州の住民である必要もありません。
ところが、ちょっと複雑なのは、「公(おおやけ)の結婚(public marriage)」か「内々の結婚(confidential marriage)」を選択して届け出ることでしょうか。
前者は、少なくとも一人の証人が必要となり、後者は、州に認められた教会の神父さんや牧師さんが式を挙げてくれるのだったら、証人は不要だそうです。また、「公」のケースでは、18歳未満でも保護者の書面での承諾があれば結婚できますが、「内密」のケースは、18歳以上の二人がすでに同居している場合に適用されます。ですから、「内縁関係」にあることを届け出たというものなのでしょう。
教会で式を挙げるか、役所で式を挙げるか、式はしないか、いずれの場合でも、郡(county)の役所に二人そろって書類を提出して、結婚許可書(marriage license)を出してもらいます。そのときに、郡の担当部署が正式に結婚を記録し、証明書を発行できるようになるのですが、これを郡が州に報告して、州がデータベース化に努めます。同様に、赤ちゃんが誕生したときや、誰かが亡くなったときにも郡に届け出て、これを郡が州に報告することになります。
たとえば、今日の話題のように、正式に婚姻関係を証明する必要があれば、結婚した州もしくは郡役所で結婚証明書を出してもらうのが一番確実な方法なのでしょう。でも、州は「内密の結婚」のデータ集めはしていないので、こちらの証明書は届け出た郡役所に申請しないといけないらしいです(なんとも、ややこしい!)。
ちなみに、カリフォルニア州が集めている「公の結婚」に関する記録データですが、一部に漏れはあるものの、1905年までさかのぼるそうですよ。
写真について:結婚式で幸せな表情を見せるお二人は、スペインのバレンシアで撮影させていただいたものです。お二人が向かい合っているところなんて、独特なものがありますよね。
野の花ほどに着飾って
- 2017年09月30日
- エッセイ
そんな季節の変わり目に、よく母が言っていたことがありました。
今は、何を着ていてもおかしくないのよ、と。
季節の変わり目には、誰もが「何を着ようかしら?」と迷うもの。
ですから、今までと同じ格好をしていても、ちょっと無理して季節を先取りしてみても、どちらも違和感はないのよ、とオシャレな母らしいアドバイスなのでした。
ふと、この言葉を思い出したのは、サンフランシスコのメイン通り、マーケットストリート。
暦は「夏」でしたが、季節を意識したレディーがノースリーブのワンピースの裾をひるがえす一方で、寒がり屋さんの女のコは、ぬくぬくと黒いダウンジャケットを着込んでいる。
男性だって、半袖のTシャツでさっそうと歩く人あり、ダウンベストや皮のジャケットを着込む人あり、と千差万別。
今までも何度かお話ししていますが、夏のサンフランシスコは、なんとも気難しいお天気です。
昼間は暖かな日差しでも、夕方になると、西の太平洋から冷たい霧が忍び寄ってきて、急に冷え込んでくるんです。
ですから、暦の上では「真夏」の8月よりも、霧の出にくい9月とか10月の方が、暖かいイメージかもしれません。
そんなわけで、ベイエリアの中でもお天気が異質なサンフランシスコは、何を着ていてもしっくりと溶け込める街なのでした。
それで、「何を着ようかしら?」と迷ったとき、わたしはなぜか聖書の言葉を思い出すんです。
いえ、わたしは何教徒でもありませんが、子供の頃に、父が書斎に貼っていた言葉が頭にこびりついているんです。
なぜかしら父の書斎には、鴨居の上に長々と文字の羅列が貼ってあって、宮澤賢治の遺作として有名な『雨ニモマケズ』や、聖書の言葉がズラリと並んでいたのです。
その中に、新約聖書の『マタイによる福音書』から、「何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな」という言葉も引用されていたんです。
正式には、『マタイ伝』第6章25節から34節にある、こんなお言葉。
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。(中略)また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡(つむ)ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった(後略)。(1954年の口語訳より)
つまり、神はあなたがたに必要なものはすべてご存知なのだから、神を求めれば、こういったものはすべて与えられる、だから心をわずらわすな、というお言葉のようです。
何教徒でもないわたしからすると、「神から与えられる」というのはちょっと理解しにくいお話ではありますが、それでも、人の生き方としては、「なるほど」と納得する面もあるのです。
なるほど、栄華をきわめたソロモンという「偉いおじさん」でさえ、野の花の一つほどにも着飾ってはいなかったんだ、と。
だから、そのことが子供の頃からずっと頭にこびりついているんでしょうし、「何を着ようかしら?」とか「何を食べようかしら?」と迷ったときには、「そんなことで、わずらわされてはいけない」と、ハッとするんでしょう。
そして、いつの間にか、ちょっと贅沢なものを食べたり、ちょっと高価な服を買ったりすると、「これで良かったのかな?」と罪悪感みたいなものが付いて回るようになったのでした。
そうなってくると、ちょっと息苦しくもあるので、敬虔なカトリック教徒の親友に聞いてみたことがあったのです。「たとえば、いいレストランで食べるのって良くないことなのかなぁ?」と。
すると、彼女はこう答えてくれました。
それは、無理してお金を払ってまで高いレストランで食事をするのは良くないけれど、たまに美味しい食事やワインを楽しむのは、まったく構わないのよ、と。
彼女もフレンチ料理をはじめとして、美味しい食事とお酒のペアリングを堪能するのが好きな人なので、きっとそういうのは、絵画やオペラを楽しむみたいに、芸術を楽しむのと同じことと割り切っているのでしょう。
着るものにしたって、「その場にふさわしいもの」というのがあるでしょうから、度が過ぎて華美でなければ、ときには着飾っても良いということでしょうか。
とすると、自分の懐(ふところ)が許す限り、場にそぐうものである限り、食べたいものを食べて、着たいものを着てもいいのかもしれませんね。
それにしても、無神教の父が、どうして聖書の言葉を引用して、大事そうに書斎の壁に貼っていたんだろう? と、不思議にも感じるのです。
『雨ニモマケズ』の宮澤賢治さんは、仏教徒だったようですから、仏教もキリスト教も関係なく、「いい言葉だ!」と思ったことを書き抜いたのかもしれません。
はたまた、その頃の父は、「宗教とはなんぞや?」「自分と信仰は結びつきがあるのか?」などと、真剣に思い悩んでいたのかもしれません。
机に向かって、あーでもない、こーでもないと考えるのが父の仕事でしたから、何かしら支えになるような、心のよりどころが欲しかったのかもしれません。
ふと、母の言葉が、とっても深いことに気づくのです。
「季節の変わり目には、何を着ていてもおかしくない」というアドバイスは、実は、服の話だけじゃなくて、心の割り切り方を表しているんじゃないかって。
これを着ていたら「おかしい」と思うのは、案外、自分だけのことが多い。だから、自分が良いと思えば、季節にもふさわしくなるし、逆に、自分の中にわだかまりがあったら、季節にもそぐわず、自分だけが浮いているように感じてしまう。
心の持ちようで、いかようにも変身できる、と母は言いたかったんじゃないかって。
そんな風に、季節の装いをきっかけに、いろいろと思い返していると、
母がいつも「あなたはピンク色だから」と言っていたのを思い出しました。
母の目からすると、わたしが一番良く見えるのは、ピンク色を着ているとき、という意味です。
だったら、つとめて明るい色を選んでみようかな、と考えているこの頃なのです。
ふと、こんな言葉が頭に浮かびました。
トリコロール
フランスの国旗みたいに、赤、白、青といった3色のコンビーネーションをさしますよね。
でも、英語だと3色の取り合わせは tricolor(トライカラー)と発音するはずなのに、
どうして日本語では「トリコロール」と言うんだろう? と不思議に思ったんです。
どうやら、トリコロールというのは、フランス語の由来のようですが、日本語の外来語には、たくさんの言語が混じっていて、かなり厄介ですよね。
それで、外来語には英語由来のものも多いわけですが、中には短く省略されていて、もともとの言語では通じなさそうなものもたくさんあります。
もちろん、チョコレートの略ですが、英語ではちゃんと chocolate と言わないと通じないですよね。
そして、発音も「チョコレート」ではなく、「チョコレット」といった感じでしょうか(最初の「チョ」にアクセントがつきます)。
それから、パイン。
こちらは、ハワイ名産の果物パイナップルですが、面倒くさがらずに pineapple と言わないといけませんね。(Photo from Wikimedia Commons)
だって、「パイン」と言ったら、 pine を思い浮かべて、べつなものになってしまいますから。
そう、pine は「松の木」ですから、美味しいパイナップルとは、ちょっと違います。
松の木からボコッと落ちてくる「松かさ」は、pinecone(パインコーン:松の球体の実)と言いますね。
わたしが通っていた大学には、大きな松の木がたくさん生えていて、並木道を通る時には怖いほどでした。なぜって、松かさも巨大なので、頭に落ちてくると大ケガをしそうだったから。
それで、食べるパイナップルといえば、ちょっと前に世界中で大流行した「Pen Pineapple Apple Pen(PPAP)」という歌を思い出しますよね。
この歌にあったように、発音は「パイナップル」ではなく、「パイナッポー」という風になります(お上手な発音でした!)。
それから、こちらの外来語も、省略するとわかりにくいでしょうか。
こちらも、現地ではきちんと ice cream と言わないと通じませんよね。
だって「アイス」と聞くと、「氷」の ice を思い浮かべて、べつなものになってしまいます。
アイスクリームが欲しいのに「アイス」と頼んでしまったら、氷をかじることになっちゃいますよね。
それで、堅苦しいお話ではありますが、アメリカで ICE(アイス)と言うと、まったく違った意味にもなるんです。
こちらは、正式には U.S. Immigration and Customs Enforcement という名前。
アメリカの国土安全保障省の一部門で、不法に移民が入って来ていないかと取り締まる、警察のような組織です。
最後の Enforcement という言葉は、「法律を守らせるために取り締まる」といった意味合いがあります。
以前は、移民局の中に取り締まり班がいたんですが、2001年の同時多発テロ以降、国境警備がどんどん厳しくなってきて、新たに国土安全保障省をつくって、その中に移民の事務手続きをする部門(Citizenship and Immigration Services)と取り締まる部門(ICE)を設置したのでした。
ですから、サンフランシスコやサンノゼといった移民の多い街で「アイス」と聞くと、氷のアイスよりも、こちらの取り締まり部隊を思い浮かべてしまうのでした。
と、アイスクリームに話を戻しますと、
アイスクリームの ice cream をもじって、
I scream(わたしは叫ぶ)という表現を聞いたことはありませんか?
I scream, you scream, we all scream for ice cream
という文章なんですが、「わたしも、あなたも、わたしたちみんなが、アイスクリームって叫ぶのよ」というわけです。
夏になると、必ず誰かが言い出す「ことわざ」みたいなものなんですが、調べてみると、こちらは1925年に流行った歌だそうです。
「雪と氷のエスキモーの地には、大学があって、スポーツ応援団がみんなでアイスクリームって叫ぶのさ」
と、なんとも楽しげな歌の歌詞であり、題名なんです。
きっとこの頃、アイスクリームが手軽に一般家庭に出回るようになったということもあるのでしょうが、ちょうどこの時期は、アメリカの禁酒時代(Prohibition:1920年から1933年まで)。
アルコールが禁止されて飲めないので、代わりに炭酸飲料にアイスクリームを浮かべたアイスクリームソーダ(ice cream soda)が人気となり、アイスクリームの地位もグンと向上したのでした。
アイスクリームをトラックで売り歩くアイスクリームトラック(ice cream truck)も登場しますが、チリンチリンと音楽を鳴らして走り回るトラックは、子供たちの人気の的となりました。
さらに、どんどん進化を遂げるアイスクリームは、果物やシロップと一緒に器に盛ったアイスクリームサンデー(ice cream sundae)としても大流行します。
バナナを縦に割って、その上にアイスクリームやホイップクリームをどっさりとのせるバナナスプリット(banana split)などは、アメリカのデザートの象徴と言えるかもしれません。(Photo from Wikimedia Commons)
そうそう、アイスクリームといえば、こちらの格言を忘れてはいけませんね。
スヌーピーの漫画で有名な「ピーナッツ・コミック」に出てくる、主人公チャーリー・ブラウンくんのお言葉。
お友達のルーシーに「人生について、何か格言(words of wisdom)はある?」と聞かれ、こう答えたチャーリーくん。
Life is like an ice cream cone
人生って、ソフトクリームみたいなもんだよね
You have to lick it one day at a time
一日ずつ、ちびちびとなめないといけないんだ
何をするにも、少しずつ進まないと、いきなり大前進なんてできないよ
と、なんともチャーリーくんらしい格言でしょうか。
追記: まったくの蛇足ではありますが、人生については、こういう格言もありますね。
Life is like a box of chocolates
人生って、チョコレートの詰まった箱みたいなもんだよ
You never know what you’re gonna get
何が出てくるか、まったくわかんないんだから
1994年の人気映画『Forrest Gump(フォレスト・ガンプ)』に出てくる、主人公の南部なまりのセリフですが、フォレストのお母ちゃんがいつも言って聞かせたという、重みのある言葉です。
もともとは、村上春樹氏の長編小説『ノルウェイの森』に出てくるセリフをもじったという説があるそうです。
グリルドピーチ(桃のグリル!)
- 2017年09月08日
- Life in California, 夏, 季節
8月は、母の初盆となりましたので、日本に滞在しておりました。
この夏、東京は雨ばかりで涼しいと聞いていたものの、母のもとから東京に戻ってくると、いきなりの炎天下。
旅先でも猛暑の連続でしたので、どうやら、日本の蒸し暑さからは逃れられない運命だったようです。
そして、サンフランシスコに戻ってくると、いつものように、どんよりとした空。
買い物の帰り道、いきなり夕方の冷たい風にさらされ、「この街って寒い!」とジャケットの襟を手で押さえました。
ところが、
9月初めの「レーバーデー(Labor Day)」の三連休を控えると、気温は容赦なくグングンと上昇。
勤労感謝の三連休には、サンフランシスコは、観測史上最高の華氏106度(41℃)を記録。そして、周辺の街々は、どこも猛暑の記録を塗り替えました。
我が家のあるサンノゼ市は、華氏110度を超えたようで、たぶん45℃(!)に近かったんじゃないかと思います。
こうなってくると、もう外に出るのが危険なくらいで、サンノゼ市役所からは「自宅にエアコンがなかったら、我慢しないで近くのクーリングセンター(エアコンのある避難所)に行ってください!」と、英語とヴェトナム語とスペイン語で3回電話がかかってきました。
夕方5時を過ぎてお買い物に出たわたしも、「アスファルトの上で体が溶けちゃうよ〜!」と、異常にギラギラする太陽に恐れ入るしかありませんでした。
きっとこれは、連れ合いが滞在するインドほど暑いんだろう、と思っていたら、実際は、インドよりも暑かったみたいです!
そんなわけで、普段は「レーバーデーは、バーベキューシーズンの締めくくり」とされるのですが、とっても火をつけてバーベキューを楽しむようなお天気ではありません。
代わりに、サンフランシスコの海岸や、ちょっと北のスティンソンビーチなんかが大人気で、いつもは凍るような寒流で入る気もしない波打ち際は、まるで「江ノ島海岸」みたいに混雑したようです。
それでも、連休の最終日「レーバーデー」の月曜日になると、ちょっと曇り空になって気温も下がったので、お隣のバックヤード(裏庭)からは、ガンガンと音楽が聞こえてきました。
きっと、最終日はバーベキューで楽しんでいらっしゃったのでしょうが、「やっぱり、バーベキューは欠かせないよね!」と、我慢してグリルに火をつけた方も大勢いらっしゃったことでしょう。
と、ここで本題です。
そう、アメリカ人にとって、バーベキューというのは、とっても大事な年中行事なんですが、バーベキューにするのは、豚のあばら肉(pork ribs)や野菜ばかりではない、という話題です。
わたし自身はやったことがないんですが、果物の桃(peach)をグリルで焼いて楽しむんです。
その名も、グリルドピーチ(grilled peaches)。
新鮮な桃を横に輪切りにして、食べやすいように種をはずし、表面に砂糖やメイプルシロップを付けてグリルする、というもの。
桃は、グリルするには最適なんだそうです。
ひとつに、糖分を付けて焼くと、香ばしくて美味しいこともありますが、ちょうどバーベキューシーズンの夏に熟れる果物なので、種が取りやすくなるから。
なんでも、熟してスルッと種が取れる状態を「フリーストーン(freestone)」と言うそうです。
以前も何度かお話ししましたが、桃やネクタリンなどは、実が柔らかいわりに種が大きくて硬いので、種を石(ストーン)に見立てて「ストーンフルーツ(stone fruit、石の果実)」と呼ばれます。
それで、実が熟して、ストーン(種)が取れやすくなった状態を「フリーストーン」と言うそうです。(写真は、初夏に出回るドーナッツ型のドーナッツピーチ(doughnut peach))
やはり以前もご紹介したように、ブドウにも皮をスルリとはずしやすい種類があって、これを「スリップスキン(slip-skin)」と呼ぶそうですが、それと同じようなものでしょうか。
一方、桃が十分に熟していないと、種は取りにくいですが、こちらは「クリングストーン(clingstone)」と呼ぶそうです。
「クリング」というのは、種がしっかりと実にしがみついている(cling)という意味ですが、「クリングストーン」とは、なかなか面白い表現ですよね。
ちなみに、「フリーストーン」という言葉ですが、こちらは、もともと石を使った彫刻や細工の技術(masonry)で使われていたそうです。
石灰岩(limestone)や砂岩(sandstone)は、石の中でも柔らかく、ノミを入れやすい。そういった、石切り場から切り出しやすく、細工のしやすい石を指すそうです。
昔の神殿や教会には、驚くほど緻密な細工が施されていましたが、やはりこれには、細工のしやすい「フリーストーン」が好まれていたのでした。
(写真は、ギリシャ・アテネを見下ろす、修復中のアクロポリス。この時代には、おもに石灰岩が使われていたそうですが、だんだんと石細工の技術が進むにつれ、丈夫で壊れにくい大理石(marble)が好まれるようになったとか。)
夏の味覚、グリルドピーチ。
そのまま食べるのも美味しいですが、細かく切って、ヴァニラアイスクリームの上にのっけるのも、また美味だそうですよ。
次回バーベキューを楽しむときには、ぜひお試しあれ!
写真出典とレシピ:
最初のグリルドピーチは、我が家が加入している病院・医療保険システム「カイザー・パーマネンテ(Kaiser Permanente)」のオンラインニュースレターより。
やっぱり加入者には健康になって欲しいので、野菜や果物中心の簡単レシピを紹介してくれます。
1)桃を横に輪切りにして、表面にメイプルシロップを塗っておく
2)グリルトレーの上にバターを塗り、桃の輪切りをのせて焼く(できあがり!)
最後のグリルドピーチは、キッチン用具の「ウィリアムズ・ソノマ(Williams Sonoma)」がクッキングサイトyummlyで紹介するレシピ。
1) 桃4個に対して、ハチミツ大さじ3杯、ブランデーか果物リキュール大さじ1杯、粉末のカルダモン小さじ1/4杯を混ぜ合わせ、横に半分に割った桃を漬け込む
2) グリルトレーの上にオリーヴオイルを塗り、桃をのせて3、4分焼く
3) お好みで、粉末のカルダモンを混ぜたホイップクリームや桃を漬けたハチミツを添えていただく
最初のレシピはメイプルシロップを使い、次のレシピではハチミツを使っています。が、一般的には砂糖やブラウンシュガーを使うようです。
甘味づけが何であっても、こんがりと焼いた桃は、美味しいはずですよね!