Who doesn’t like ice cream?(アイスクリーム大好き!)

img_4203_ice-cream夏も本番を迎え、暑い毎日。



こんなときには、食事も喉を通りにくいので、冷たいもので栄養補給!



というわけで、今日のお題は、



Who doesn’t like ice cream?



疑問文で



誰がアイスクリームを好きじゃないの?



という問いかけです。



でも、実際の意味は、



アイスクリームを好きじゃない人なんて(この世に)いないよね!



と、「みんな大好き」を強調した文章になります。



疑問文ではないので、語尾は下がった言い方になります。



そして、誰かが「アイスクリームって、みんな好きだよね」と言ったときに、



Who doesn’t?
嫌いな人なんていないんじゃない?



と、あいづちに使ったりもします。



あくまでも、自信たっぷりなあいづちなので、こちらも語尾は下がります。



cimg3810_apr16我が家のお隣のレディーは、ディナーのあとにアイスクリームを食べるのが、毎晩の儀式。



それこそ夏も冬も関係なく、でっかいアイスクリームの容器を抱えながら味わうのを楽しみにしています。



まあ、アメリカ人にとってアイスクリームとは、体に欠かせない「食品群」なんでしょう。



(冒頭の写真は、小学館発行『ビッグコミックオリジナル』2008年2月20日号を飾る表紙絵。次の写真は、スペインのバレンシアで出てきた抹茶(!)アイスクリーム)


それで、例題の Who doesn’t like ice cream? ですが、



こういう風に、疑問文の形で、ちょっと回りくどい言い方をするのを「反語」といいますね。



反語は、英語で rhetorical question(レトリカル・クエスチョン)といいますが、何かを強調したいときに、疑問文の形に変えて表現することを指します。



疑問文の形ではありますが、べつに誰かに質問したいわけではなく、「〜なんだよ」と断言する文章になります。



多くの場合、強調に使うのは、上の例文にある「誰が好きじゃないというの?」というような否定の形になります。



Who wouldn’t love a guy like him?
彼みたいな(素敵な)男性を、誰が好きじゃないっていうの?



こちらは「彼みたいな(素敵な)男性は、誰もが好きになる」という意味になりますね。



こんな例文もあるでしょうか。



ramen-j1-%e9%8a%80%e7%ac%b9%e5%a1%a9%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%b3Who doesn’t love ramen
誰がラーメンを好きじゃないっていうの?



そう、こちらは「誰だってラーメンは大好きよね」という意味。



近頃は、アメリカでもラーメンは大流行なので、お昼どきになると、ラーメン屋さんの前には長蛇の列。



ramen-sv-dohatsutenそして、もちろん、こちらの意見も飛び交います。



Who doesn’t love ramen
ラーメンはみんな大好きだよね!



けれども、もしもラーメンよりもうどんが好きな場合は、



こんな風に反論してもいいかもしれません。



Well, maybe I would prefer udon noodle
そうねぇ、たぶんわたしだったら、うどんを選ぶかしら



ちなみに、こちらで would prefer を使っているのは、「もしもわたしが選ぶ立場にあったら、うどんの方を選ぶかも」と、ちょっと遠慮した表現にしたいから。



(ラーメンの写真は、最初が東京・新橋の「銀笹」の塩ラーメン。次が、シリコンバレー・パロアルトにある「怒髪天(どはつてん)」の豚骨ラーメン)


それで、反語というのは、ちょっと回りくどい言い方なので、普段の会話では使われないのかというと、それが結構耳にするんですよ。



お友達のレディーの中には、こちらの表現を好んで使われる方がいらっしゃいます。



What took me so long?



何がわたしにこんなに時間をかけさせたのかしら?



つまり、わたしったら、今まで何をためらっていたのかしら?(どうしてもっと早く行動しなかったのかしら?)



と、ちょっとした後悔の念を表します。



この方の先日の「後悔」は、インターネットを使ったコミュニケーション。



これまでは、自宅の電話ばかりで、電子メール(e-mail)を使ったことがなかったんです。



img_4205それが、彼女のお隣さんと娘さんにアップルストアに付いてきてもらって、iPadを購入。メールのやり方も教えてもらって、ついに、ネットデビューを果たしたのでした。



そのときの感想が、



What took me so long?



どうして今までやっていなかったのかしら?



今までは、携帯電話だって車に置きっぱなしで、緊急用の「自動車電話」状態。だから、こんなに便利なメールを使っていなかったなんて、自分でも信じられないわぁ、というわけです。




そして、こんな反語も耳にしました。



Have you seen me swinging a golf club?
わたしがゴルフクラブを振っているところを見たことがある?



こちらは、ちょっとヒネリのある反語です。



誰かが、他の人について、こう言ったんです。



I don’t think he’ll play well on the golf course
彼がゴルフ場でうまくプレーするなんて考えられないよね



すると、それを聞いた方が、からかわれた人物をかばったのです。



img_5463_cordevalleHave you seen me swinging a golf club?



そんな、彼どころの騒ぎじゃないわよ。わたしがゴルフクラブを振っているところを見たことがないんでしょ?



そう、(ゴルフがヘタクソな)自分を引き合いに出すことで、「彼のことを言うものじゃないわ」と、からかった人物にやんわりと反撃しているわけですね。



まさに、うまい!と感心してしまうような反語の使い方なのでした。もしかしたら、自分はゴルフがヘタクソというのも、まったくのご謙遜なのかもしれません。



そういえば、映画を観ていたら、こんな面白いセリフが出てきました。



I wanna be with somebody who doesn’t humiliate me beyond repair
僕は、修復不能になるまで相手を打ちのめしたりしないような人と一緒にいたい



言葉の応酬は、ときにエスカレートしてしまうもの。そういうときには、反語を使ってヒラリとかわすのも「次の一手」かもしれません。



というわけで、反語のいろいろ。



ちょっと難しく聞こえますが、案外、好んで使われる文型なのです。



耳慣れてくると、個人のセンスが光る、なかなか味わい深いものでしょうか。



新しい『夏来 潤のページ』について

img_34815月中旬にリニューアルした、こちらの『夏来 潤のページ』。



リニューアル以来、ちょっとしたゴタゴタもありまして、ときどきウェブサイトが動かなくなってしまうことがありました。



一番ひどかったのが、つい先日。7月末から8月初めまで、2週間も止まってしまったのでした。



その間、わたし自身も含めて、ウェブサイトをまったく見ることができない日々。



「403 Forbidden」なるエラーが出てきて、「あなたは、このサーバーにアクセスする権利がありません」などと、ギョッとするようなメッセージが出てくるのでした。



まあ、そんなメッセージを見ていると、ウェブサイト自体がなくなってしまったのかな? と思ってしまうのですが、そんなことはまったくありません!



そう、万が一、何かの理由でこちらのサイトが終了することがありましても、「お別れ」のごあいさつなしに消えてしまうことはありません。



img_3849ですから、ヘンテコリンなエラーが出てきて、うまくサイトにつながらなくても、後日またトライしてみてくださいませ。



きっと数日のうちに再開しているはずですから。



というわけで、リニューアル以来、何かとゴタゴタ続きではありましたので、「ひとこと皆さまにごあいさつを」と思った次第でございます。

Kaboom!(「カブーン」という爆発音)

img_3647前回の英語のお話では、音や様子を真似る表現をご紹介いたしました。



とくに、わたしが好きなのは、crinkly



葉っぱや花びら、髪の毛がクリクリした感じですが、



クリンクリーという発音が、「クリンクリンの」という日本語にうまくマッチングしているのでした。



それで、擬音語や擬態語となると、日本語に比べて臨場感に欠ける面はありますが、英語にも、直接的に音や様子を表す言葉はあるんです。



やはり、漫画や子供向けの番組などでは、ストレートにわかってもらえるような、直接的な表現がたくさん使われます。



cimg5630cまず頭に浮かぶのが、



Kaboom!(カブーン)



こちらは、何かが爆発したときに使います。



爆発といえば、物騒な爆弾ばかりではなく、



夏の夜空を彩る花火も、Kaboom ! と表現します。



同じく爆発音は、



Boom!(ブーン)



と表現するときもあります。



花火には、KaboomBoom どちらも使われるでしょうか。



img_3842こちらの新聞では、7月4日の独立記念日の花火に Boom ! を使っています。



本来は「星条旗の赤、白、青」を表す Red, White and Blue ですが、



Red, White and Boom! と言い換えています。



この独立記念日の花火の言い方は、かなりポピュラーになっています。



KaboomBoom の語尾の「m」の発音ですが、口を閉じるだけなので、「ム」というよりも「ン」に近い音でしょうか。ですから、「カブーン」「ブーン」と注釈をつけてみました。


同じく直接的な音の表現では、こちらも代表格でしょう。



Bang!(バン)



バーン! という大きな物音



誰かがピストルを撃ったときの銃声などに使います。



銃声が何発も連続して聞こえたときには、パパパパパと表現する人もいます。



Bang!は、何かが弾(はじ)けた音や様子に使いますが、宇宙が誕生したときの「ビッグバン」は、the Big Bang と書きますね。



何も無いところから宇宙が誕生し、急激に膨張していった。それが「巨大な炸裂」というわけです。


それから、あまり耳慣れない言葉かもしれませんが、



thump という表現もあります(舌をかんで「サンプ」と発音)。



こちらは、何かしら鈍い「ドスン」という物音になります。



漫画の中で、Thump!(ドサッ)と擬音語に使われることもあります。



こういう風に使うときもあります。



I heard a loud thumping noise from our sprinkler system
 庭のスプリンクラー(自動水撒き機)から、ドスンという大きな物音がした



まさに鈍器で叩いたような音やバサバサとこもった(muffled)音を指しますが、thump は動詞なので、thumping noise という風に「ing」を付けて使うことも多いです。



そして、thump という言葉は、心臓がドキドキと鼓動する様子にも使います。



His heart thumped with excitement
 彼の心臓は、喜びで鼓動を速めた



という風に使います。


それから、ちょっと詰め込みすぎかもしれませんが、擬態語風の形容詞をいくつかご紹介しておきましょうか。



dsc000131c雪などが、フワフワした感じ



こちらは、fluffy(フラッフィー)といいます。



I like light and fluffy snow when I ski
 スキーをするときには、軽くてフワフワした雪がいいわ



フワフワとフラッフィー。こちらも、「フ」で始まる軽い音で、なんとなく似ているでしょうか。



一方、雪が溶け始めて、シャバシャバになった状態



こちらは、slushy(スラッシー)といいます。



Snow got slushy after rain
 雨が降って、雪がシャバシャバになっちゃった



もともとは slush(スラッシュ)という名詞からきていますが、雪や氷に水が混ざって、シャバシャバ、ドロドロしたものを指します。



冬の slush は、雪が溶け始めた状態のことですが、夏になると、slush と呼ばれる食べ物が人気です。



summer-slushこちらは、かき氷と飲み物(ジュースやアルコール飲料)をミキサーで混ぜたり、ジュースを凍らせたあと、少し解かして食べたりする、冷たい食べ物(飲み物)のこと。



日本でも、「カルピスにフルーツを混ぜて凍らせ、ちょっと解かしていただいたら美味しいですよ」とコマーシャルが流れていますが、ちょうど、そんな感じでしょうか。



やはりここでも、シャバシャバとスラッシュは、ともに「S」の音のイメージなんでしょう。


それから、モサモサした感じ



こちらは、mushy(ムッシー)といいます。



cimg5325cなにかしら柔らかいものを想像しますが、たとえば、果物。



本来は、バナナやマンゴーには、みずみずしさがありますが、熟れ過ぎて水分が飛んでしまったら、モサモサした感じになりますよね。



こういうのを mushy と表現します。



モサモサとムッシー。はっきりとしない噛みごたえには、「M」の音を思い浮かべるのです。



というわけで、話題をギューギュー詰め(jam-pack)にしてしまいましたが、英語にも直接的な擬音語はありますし、擬態語などは、日本語の発音に通じるものがある、というお話でした。



ちょっと余計ですが: 面白いもので、上に出てきた slushymushy は、普通はまったく意味が違いますが、両方とも sappy(サッピー)という言葉の言い換えにも使えます。



この sappy という形容詞は、「甘ったるい」「感情的すぎる」といった意味ですが、要するに「見ていて、こっちが気恥ずかしくなるくらい」といった感じ。
 たぶん、「甘ったるい」というのは、ベチャベチャ(slushy)して、モサモサ(mushy)しているのでしょう。



それから、氷が「とける」氷を「とかす」の漢字ですが、報道各社も使い方はバラバラだそうで、ここでは、自動詞「とける」を「溶ける」、他動詞「とかす」を「解かす」と表記いたしました。あしからず。

「ギャップイヤー」はやめました!

img_4130昨年の夏、「ギャップイヤー(一年の中休み)」と題して、こんなお話をいたしました。



高校を卒業して大学に入る前に、一年ほどタイムオフを取り、いろんな冒険や体験を積んで学校に戻る。



そんな「ギャップイヤー(gap year)」の習慣が、アメリカでも広まりつつあるんですよ、と。



そして、ご近所さんの娘さんも、15歳半で高校卒業の資格を取ったけれど、18歳まで待って大学に行こうとプランしている、ともご紹介しておりました。



ところが、先日、この娘さんのお母さんがおっしゃるに、16歳になった今、8月から大学に通うことになったそうです。



なんでも、最初は長いギャップイヤーを取る予定だったところ、名門私立のマサチューセッツ工科大学(通称 MIT)に入学願書を出したら受かったので、「それじゃ、もう行っちゃいましょう!」と心変わりをしたんだとか。



1280px-mit_building_10_and_the_great_dome_cambridge_maどうやら、彼女が進みたいのはエンジニアリング(工学)部門のようですが、MIT は、この分野では最先端の大学。



そして、両親とも MIT のビジネススクールの卒業生ですので、彼女自身も MIT か、同じくマサチューセッツの名門私立ハーヴァードに行きたいと、子供の頃から考えていたようです。



それで、二校のいずれかに受かりやすいようにと、ホームスクール(学校には行かずに自宅で学習すること)のかたわら、テニスとピアノをがんばって、文武両道プラス情緒教育にいそしんでいたのでした。



そんなわけで、せっかく MIT に受かったし、一年はギャップイヤーを取ってリフレッシュしたことだし、そろそろ大学に入りましょうか、ということになったようです。



(Photo of MIT’s Building 10 by John Phelan, from Wikimedia Commons)


このニュースを聞いたランチの席には、孫が MIT に通うレディーもいらっしゃって、



この男のコのケースがまた、異質なんですよ。



彼は、小さい頃から教育者が「天才」と呼ぶ域に達していたので、ホームスクールでグングンと飛び級をして、12歳でコミュニティーカレッジ(2年制大学)に入学しました。



まあ、賢い彼のことですから、自宅のホームスクーリングでどんどん勉強を進めてもよかったんですが、コミュニティーカレッジに進んだ理由は、学校という環境で(年上の)学友たちと親しく接して、人生経験を積んだ方がいい、というものでした。



その頃から、彼は人間の脳の働きと人工知能(artificial intelligence、通称 AI)に興味を抱いていて、14歳でコミュニティーカレッジを卒業したあとは、カリフォルニア大学バークレー校に進み、16歳で修士号を取得。



その次のステップとして、東海岸の名門 MIT に進学。脳・認知科学科(Department of Brain and Cognitive Sciences)では、学部史上最年少の博士候補生となりました。



修士号を取ったバークレーでも、同じような研究はできたそうですが、もっと実験がしてみたいと、MIT を選択。両親とともに、カリフォルニアからマサチューセッツに引っ越して行ったのでした(だって、まだ16歳の未成年でしたからね)。



google-self-driving-car-1人工知能といえば、ロボットとか、運転手なしで動く自動運転車(automotive car)などを思い浮かべますが、複雑な人間の脳と比べると、まだまだ「おバカさん」。



人から「こうしなさい」と指示されると、物事をお上手にこなしますが、自分から「これがしたい!」と判断できるようになるには、稚拙さが残ります。



ですから、23歳になった今は、フィアンセと友達と小さな会社を経営するかたわら、少しでも人工知能を人間のように「お利口さん」にしようと、研究にいそしんでいるのです。




というわけで、ギャップイヤーをやめて16歳で大学に進学する女のコと、16歳で博士課程に挑戦した男のコ。



さすがに、MIT には面白い学生さんが集まってくるようですが、こんなエピソードもありました。



mit_east_campus_aerialなんでも、ご近所さんは、娘が入学前のオリエンテーションに出席するからと、彼女に付いて母校 MIT に戻ってみたそうですが、そこで何組かの親たちと話していて驚いたとか。



なぜって、「せっかく娘(息子)が MIT に受かったんだから、自分たちも一緒にマサチューセッツに引っ越すのよ」と聞かされたから。



居住地は、南部のジョージア州あり、中西部のインディアナ州あり。もちろん、北東部にあるマサチューセッツからは遠いので、子供たちが気がかりだ、という親心なんでしょう。 (Photo of MIT’s eastern campus by Nick Allen, from Wikimedia Commons)



けれども、新入生はみなさん、「オトナ」と称される18歳。



アメリカでは、18歳になったら親元を離れるのが普通なので、ビックリのエピソードなのでした。



わたしも呆れて、「それって overprotective(過保護)なのかなぁ」とつぶやけば、ご近所さんは「こういうのを過保護って言うの?」と困惑顔。



じゃあ、emotional attachment(子供への精神的な依存)?



それとも、separation anxiety(離れるのが怖い)?



と、いろんな呼び名を提案してみたんですが、結局のところ、その場では結論は出ませんでした。



アメリカには helicopter parent(ヘリコプター・ペアレント)という言葉があって、まるでヘリコプターのように、いつまでも子供のまわり(上)をウロチョロして、心配し過ぎる親を指すんです。



ま、気持ちはお察ししないでもないですが、それにしたって、子供はもう18歳になっているのに、一家で MIT のあるマサチューセッツ州に引っ越すなんて、ちょっとやり過ぎじゃない?・・・と、昼下がりの話題になったことでした。



1280px-simmons_hall_mit_cambridge_massachusettsちなみに、ご近所さんは、「あなたは引っ越さないの?」と問われて、「まさか!」と一笑に付されていました。



近年、MIT の新入生は、一年間はキャンパス寮に住むルールができたそうですが、だったら、なおさら一家で引っ越さなくてもいいんじゃないの? という気もするのです・・・。



(写真は、キャンパス内にある大学生寮のひとつ、シモンズ・ホール:Photo of the Simmons Hall undergrad dormitory by Daderot, from Wikimedia Commons)

Crinkly(クリクリした)

日本語って、とっても便利な言葉ですよね。



なぜなら、いろんな音や様子を、簡単に表せるから。



800px-lightning_over_oradea_romania_3たとえば、雷は、ゴロゴロ。



稲妻は、ピカッ。



英語となると、そう簡単にはいきません。



ゴロゴロと鳴る雷は、thunder(サンダー)



ピカッと光る稲妻は、lightning(ライトニング)と言います。



表現を違えることで、音と光を区別しているのです。



まあ、雷が近くに落ちて、ビリビリと耳をつんざく鋭い音を crack(クラック)



遠くにあって、モヤッとしたゴロゴロ音を rumble(ランブル)と表現したりして、音にバラエティーがないわけではありません。



けれども、擬音語や擬態語が豊かな日本語と比べて、なんとなく臨場感に欠けるかもしれません。



(Edited image of lightning over Oradea, Romania by Mircea Madau, from Wikimedia Commons)


そんな風に、どこかしら足りない英語の擬音語、擬態語ですが、



日本語と似ていて、ほほえましいものもあるんですよ。



img_3843たとえば、葉っぱや花びらにシワが寄って、クリクリした感じになっている



そんな様子を、crinkly(クリンクリー)といいます。



こちらは形容詞ですが、もともとは「シワが寄る」という意味の crinkle(クリンクル)という動詞からきています。



そう、シワシワ、クリクリになっている感じが crinkly というわけですが、



日本語の「クリクリしてる」という表現に、素直に似ているようではありませんか。



この crinkly という言葉は、葉っぱや花びらだけじゃなくて、髪の毛なんかにも使います。



She has crinkly hair
 彼女は、クリクリの髪の毛をしている



なんて言われたら、ほんとに「クリンクリン」の髪の毛を想像してしまうのです。




そして、こんな面白い擬態語もあります。



なんとなく熱意がなくて、のっそりと物事をこなす様子を「ダラダラしている」と言いますよね。



こういった「ダラダラ」した様を、英語では dilly-dally と言います。



発音は「ディリ・ダリー」で、「ダラダラする」という自動詞になりますが、こちらは、まさしく「ダラダラ」に聞こえてしまうのです。



時間を無駄に「ダラダラと過ごす」ことにも使いますし、なんとなく「人生をダラダラと生きている」といった場合にも使います。



I was just dilly-dallying after school
 放課後、ただダラダラして過ごしてたよ



Quit dilly-dallying already! You’re wasting your life
 ダラダラするのは、もうやめなさい! あなたは人生を無駄にしているのよ



という風に使います。



調べてみると、同じく「ダラダラ」という表現には、diddle-daddle というのもあるそうです(発音はカタカナでは表しにくいですが、「ディドゥ・ダドゥル」といった感じ)。



こちらも dilly-dally と同じように「ダラダラする」という意味の自動詞です。



個人的には馴染みのない表現ではありますが、やっぱり日本語の「ダラダラ」と似たような響きであることが、とっても面白いですよね。



きっと「ダラダラ」って、どこの国の人にも、ダ行のイメージなんでしょう!




それから、個人的に感心している表現があるんです。



厳密には、擬態語ではないかもしれませんが、「イライラする」という言葉。



英語では irritating といいます。



「イリテイティング」と「イライラする」って、なんとなく似ていませんか?



たとえば、こんな風に使います。



He is so irritating
 彼を見てると、もうイライラするのよ



あんまり喜ばしい表現ではありませんが、人間である以上、なんとなくソリが合わないことってあるでしょう。



そういうときには、動詞を使って



He irritates me
 彼ってイライラしちゃう(彼はわたしをイライラさせる)



と言うこともありますね。



img_3846誰しも、顔では笑っていても、心の中は穏やかではないときもある。



そんなイライラって、「イラ」とか「イリ」とか「イ」の音で始めてみたいのかも!?



というわけで、英語の擬態語(風)の言葉をちょっとだけご紹介しました。



日本語と比べて決してカラフルではありませんが、それなりに様子が伝わってくるようではありませんか。





追記: ふと思いついたんですが、英語って、日本語ほどカラフルでないわりに、ユーモアに満ちているのかもしれません。



たとえば、バケーションでオフィスやお店を「閉めてますよ」と伝えたいとき。

Gone fishing(釣りに行ってるよ)」という張り紙を見かけることがあります。



もちろん、釣り好きの方なのかもしれませんが、中には、釣りは一度もやったことがない人もいるかもしれません。

でも、「釣りに行ってるよ」と言われると、そっけない「Out of office」の張り紙よりも、ホッコリとしますよね。

母の好きだったマリー・ローランサン

%e4%b8%89%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%a5%b3マリー・ローランサンという名は、ご存じのことでしょう。



フランス生まれの女流画家で、フワフワっとした女性たちの絵で有名な方ですよね。



母も若い頃から好きだったと聞いていたので、展覧会があると知り、美術館に足を向けました。



img_1483se-ed母のマンションのある街の海岸通り、海から潮が上がってくる運河沿いにある新しい美術館です。



わたしの目を通して、母も絵を楽しんでくれるかな、と願いながら。




美術展には、マリー・ローランサン美術館から借り受けた約100点が展示されていて、画家として有名になる前の作品から円熟期まで、生涯にわたる変遷を網羅しています。



冒頭にも書きましたが、彼女は「フワフワっとしたパステルカラーの人物画」で有名な画家。



けれども、二十歳の頃に描いた自画像を見てびっくり。



なぜって、「この人って暗い!」と真っ先に感じてしまったから。



まっすぐに観る者をにらむようなお顔の背景は、暗い茶色。



この配色からは、後年のパステルカラーの華やかさなんて、まったく想像もつきません。



その5年後に描かれた『果物かご』という静物画だって、濃い茶色が基調になっていて、かごに盛られた果物も茶褐色。唯一色味があるのは、灰青色(はいせいしょく)の桃らしき果物だけ。



この人は、うまいんだけど、きっと「ネクラ」なんだろうと確信してしまったのでした。



img_1527けれども、そんな暗さも、パリで活躍するジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソといった画家仲間に感化され、だんだんと影を潜めます。



ピカソの住む安アパート『洗濯船』は、当時の画家たちのエネルギーの源であり、マリー・ローランサンにとっては、ギヨーム・アポリネールという美術評論家と出会い、恋に落ちた場でもありました。



絵にも変化が現れ、ピンクやグレー、白といった明るい色が登場するのです。




そして、同じくらい意外だったのは、彼女には「亡命時代」があったこと。



アポリネールと別れた彼女は、第一次世界大戦が始まる少し前にドイツ人の男爵と結婚したために、国籍はドイツとなり、そんな関係で「敵国人」のレッテルを貼られて、故郷のフランスから中立国スペインに亡命しなければなりませんでした。



この亡命時代には、『王女』という題名で貴婦人を描いたりして、題材は華やかなんですが、その実、どの作品にも「かごにとらわれた鳥」のような翳りが感じられるのです。



そう、色味はパリで描いていたときのようにパステル系なんですが、なんとも顔をそむけたくなるような、深い憂いとか、哀しみを感じてしまうのです。



ですから、亡命時代の作品を集めた部屋からは、さっさと退散してしまいました。




img_1523そんな暗い亡命時代を経て、離婚してパリに戻った彼女には円熟期が訪れるのですが、きっとこの方は、えらく正直なんでしょう。



パリに戻った喜びと開放感、そして社交界の方々からもてはやされる一流画家としての自信が、一気に開花するのです。



一般的に「マリー・ローランサン」と認識されている作品も、この頃のものが多いのだと思います。



パステルカラーの女性や少女たち、そして大好きな馬や犬といった動物が、屈託なくのびのびとカンヴァスの中でポーズを取るのです。



img_1515わたしの一番好きな作品は、1940年に描かれた『アルルキーヌ(女道化師)』。



フワフワとした清涼感とともに、力強いデッサン力も感じられ、バランスの良い作品だと思うのです。



なんとも愛らしい乙女の華やかさや生命力も、うまくとらえられているのです。



この絵を母の部屋に飾ろうと、小さな額も買いました。




展覧会は、数少ない木版画や、アフリカの偶像を思わせるキュービズム風の人物画など、マリー・ローランサンとしては珍しい作品も紹介していました。



パリで彼女に出会った堀口大學が編んだ『マリイ・ロオランサン詩畫集』(1936年刊行)など、日本での出版物も展示され、充実した企画です。



学校時代に陶器の皿に絵付けした女性の横顔などは、彼女が画家として確たる才能を持っていたことを裏付けるもので、とっても興味深いものでした。



なんといっても、線が美しい。



皿の絵付けは、当時の「良家の子女」の心得だったそうですが、「おめかけさん」だったお母さんと二人暮らしだったわりに、いい学校で学んだ彼女はラッキーだったのかもしれません。



%e3%83%9e%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%b3%ef%bc%88%ef%bc%94%ef%bc%90%e6%ad%b3%e9%a0%83%ef%bc%89ひとりの画家であっても、いろんな時代背景や内面を経て、たえず作風は変わっていくもの。



ましてや、女性の芸術家は、いい意味で無防備で、自分をさらけ出す術(すべ)を知っている。



「マリー・ローランサン=パステルカラー」なんて固定概念は持ってはいけないんだなぁ、と深く反省するのです。



そんな充実の展覧会を出るころには、大作の映画を鑑賞したみたいに、満足感と快い疲労を覚えたのでした。



ひとりの芸術家という物語に触れて。




ふと思い出すのは、書家の母のこと。



img_1517元気な母と最後に過ごした昨年の6月、壁にかかった自分の書を見ながら、母が悲しそうに言ったんです。



「もうこんな風には書けないのねぇ」と。



わたしは、一緒にいた父がふと顔を上げるほどの厳しい口調で、「絶対にそんなことはない!」と断言しました。



もちろん、前とまったく同じようには書けないでしょう。けれども、それは「どっちがいいか?」の問題ではなく、作者の経験や精進の積み重ねとともに作風が変わっただけなんだ、と思っているのです。



そう、逆に、いつまでも同じ作風を繰り返す人は、成長がない証拠ではないか、とも。



近頃、世の中には「時短(時間短縮)」という言葉が行き交っているでしょう。けれども、年月を経て初めて会得する何かがあって、それが「体が覚えるまで精進する」ことなんじゃないでしょうか。



img_1530わたしのヘタクソな説明を酌(く)んでくれたのか、その翌月の展覧会には、母としては斬新な作風に挑戦したようでした。



母が病に倒れて、その作品について語ることはできませんでしたが、「すごいねぇ」と、心の中で感嘆の声を上げたのでした。





追記: マリー・ローランサンの絵の題名は、以下のとおりです(上から順番に)。

『三人の若い女』1953年(マリー・ローランサン美術館蔵)*1
『読書する女』1913年頃(同上)*2
『シャルリー・デルマス夫人』1938年(同上)*2
『アルルキーヌ(女道化師)』1940年(同上)*2
1923年(40歳)頃のマリー・ローランサン(同上)*1

写真出典:
*1は、長崎県美術館 企画展『愛の軌跡 マリー・ローランサン展』案内ページより
*2は、美術展で購入した絵はがきを撮影



ちなみに、母の書には、こんなことが書いてあります。
掛け軸は、「我獨天涯聴夜雨(我、天涯獨り夜の雨を聴く)」
「わたしは故郷を遠く離れた地で、ひとり静かに夜の雨を聴いている」

色紙の方は、「壺中日月長(こちゅう、じつげつながし)」
「世俗を離れた別天地(壺中)では、穏やかに時間が流れている」という禅語だそうです。

『夏来 潤のページ』リニューアル!

img_3434お気づきになられたでしょうか。
 

こちらのエッセイサイト『夏来 潤のページ』が新しくなりました!
 

ま、見た感じは、ほとんど変わりはありませんが、新しくウェブサイトを作り直してもらったのでした。
 

そんなわけで、当初はうまく動かなかったりするところもあるかもしれません。
 

そして、今まで書きためた記事を別の場所にそっくり移してもらったので、なんとなく読みづらくなったところや、写真がずれてしまっているところもあるかと思います。
 

そんなわけで、今までと違った感じがするところもありますが、そこは「ま、しょうがないか」とご勘弁くださいませ。
 


img_0057c

思い返せば、こちらのエッセイサイトを立ち上げて、早11年半。
 

当初は、なんとなくカリフォルニアの様子をお伝えできればいいなと軽い気持ちで始めましたが、やっているうちに、どんどんのめり込んでしまって、これも書きたい、あれも書きたいと、ずいぶんと書きためてしまいました。
 

自分でも「なんとたくさん書いたことか!」と、半ばあきれているところです。
 

けれども、カリフォルニアであっても、どこであっても、人の住むところに話題は尽きない。
 

ですから、「次は、このお話!」と、ついつい書いてしまうのでした。
 


そうそう、先日サンフランシスコでレストランに行ったら、有名人を見かけたんです。
 

サンフランシスコ・ベイエリアでは、「」がつくほどの有名人。
 

プロバスケットボールNBAのスター、ゴールデンステート・ウォーリアーズのステッフ・カリー選手と奥さまです。
 

img_0064cカリフォルニア通りにあるマイケル・ミーナ(Michael Mina)という有名なレストランでしたが、料理研究家でもあるカリー選手の奥さまアイーシャさんが、「ここで食べてみたい!」と仲良く二人でいらっしゃったのでしょう。
 

NBAはプレーオフに入った、この時期。順調に勝ち進んだウォーリアーズが、「母の日」に始まるウェスタン(西)カンファランス決勝シリーズを控えたひととき、地元で美味しいものをいただきましょう、と足を向けられたようです。
 

お二人は、可愛らしいお子さんが二人いらっしゃるパパとママ。そんな「重い責任」を感じさせないほど、仲良しカップルの雰囲気を漂わせていらっしゃいました。
 

まわりはみなさんオトナなので、お二人をそっとしてあげていましたが、こんな風に、ひょっこりと有名人に出会うのも、サンフランシスコ・ベイエリアの醍醐味なのかもしれません。
 

というわけで、すっかりお話がそれてしまいましたが、
 

新しいエッセイサイト『夏来 潤のページ』。
 

これからも、ときどき「どうなったかな?」と訪れていただければ嬉しい限りです。
 

‘s(アポストロフィ・エス)

ちょっと意外な話ですが、アメリカ人って、ときにメチャクチャな英語を使うことがあるんです。



そうなんです、アメリカで生まれて、英語のネイティヴスピーカーであっても、文法がきちんとしていない場合があるのです。



と言いますか、ネイティヴスピーカーだからこそ、かえって文法なんか気にしないで、フィーリングで使っているのかもしれません。



先日、ご近所さんが参加するソーシャルネットワークを読んでいて、立て続けに文法の間違いを見つけたことがありました。



ひとつめは、こちら。



Me and my neighbor are looking for a contractor that can repair our shared wooden fence



まあ、言わんとするところはわかります。



「僕とお隣さんは、庭の境界線にある木の柵(our shared wooden fence)を直せる修理屋さん(a contractor)を探しています」

と、ご近所さんの助言を求めているのです。



ところが、文法的に言うと、最初の主語が間違っていますよね。



Me and my neighbor というところは、



My neighbor and I となるべきですね。



こちらの Me and my neighbor みたいな表現は、話すときにはよく使われるものです。



本来は間違いではあるんですが、なんとなく、ざっくばらんに聞こえていいと、男性が好んで使う言い方でしょうか。



Me and my wife are going to Hawaii next month

来月、僕とワイフはハワイに行くんだよ



という風に、気を許した相手との会話に使います。



ですから、ビジネスの場とか、壇上のスピーチでは決して使わない表現ですし、書くときには、ちゃんと書きたいものではあります。



My wife and I are going to Hawaii next month



と書くのが無難ですね。(ちなみに、こちらの文章は、近未来の計画について語っているので「現在進行形」になっています)




というわけで、この方の求めに対して、何人ものご近所さんが「この人がいいよ!」と推薦してくれました。



今シーズンは、北カリフォルニアの雨季はとってもパワフルで、自宅の柵が壊れて、修理をしたい人が大勢いらっしゃったのです。



ところが、ある方のコメントを読んで、またギョッとしたのでした。



こちらの男性は、「アレサンドロは、うちでいい仕事をしてくれたよ」と連絡先を書いてくれたのですが、その先にこう書かれていました。



I’ve recommended him to others and everyone have had positive results also

他の人にも彼を推薦したら、みんなもいい結果(positive results)となったよ



と、アレサンドロさんを褒めていらっしゃいます。



ところが、後半の文章の主語 everyone は、単数扱いとなるので、



Everyone have had positive results ではなくて、



Everyone has had positive results というのが文法的に正しいですよね。



もしかすると、単にスペルミスだったのかもしれませんが、ときどき同様の間違いに出くわすことがあります。



そう、「Everyone とか everybody は、単数扱いになる」という規則をすっかり忘れてしまったような人に。



そんな人にとっては、Every single one of them(彼らのうち誰もが)みたいに、主語の最後に「彼ら」という複数形が出てきたら、さあ大変!



「単数扱い」のルールが吹き飛んでしまって、



Every single one of them have passed the exam (examination)

彼らのうち誰もが試験を合格している



と、間違えてしまうかもしれません。



言うまでもなく、



Every single one of them has passed the exam



というのが正しい言い方ですね。




ところで、今日のお題になっているのは「アポストロフィ・エス」。



アポストロフィ・エスというのは、’s のこと。



代表的なものでは、it is を省略するときに、it’s と書いたりしますね。



ごく初歩的な文法ではありますが、



it is の省略形である it’s と、「その」という意味の its を間違える人がいる



と、ご紹介したかったんです。



It’s a nice day today!

今日は天気がいいですねぇ



という場合は、もちろん it’s を使います。



一方、



I have a cute car. Its name is Stella

わたしはカワイイ車を持ってるの。名前はステラっていうのよ



といった場合は、its(その)を使います。



けれども、耳で聞くとどちらも「イッツ」なので、書くときに間違える人が多いんです。



子供の頃から間違ったまま使っている人も多いようで、いつか小学校の先生が it’s の代わりに its と書いていました。



まあ、アポストロフィを書くのは面倒なので、はしょって書いているだけかもしれませんが、そのうちに「あれ、どっちが正しいんだっけ?」とわからなくなってしまうかもしれません。



ですから、ほんの小さな記号ではありますが、アポストロフィは大事なんです。



みんなが頻繁に間違えるからといって、マネはしたくありませんよね。



と、今日はそんなお話でした。





そろそろブルーベリーの季節?

日に日に春めいてくる季節となりました。

 

 英語では、Spring is here(春がきた)といった陽気。

 

 Spring has sprung(春がはじけた)と表現した方もいらっしゃいます。

 

 3月に日本から戻って来ると、カリフォルニアの方がだいぶ暖かく感じました。が、まだまだ冷たい雨が降ったりして、一気に春! というわけにはいきません。

 


そんな変わりやすいお天気の中、お店でブルーベリーを見かけました。

 

 表のラベルには「クマさん」が描かれていて、いかにもカリフォルニアっぽい図柄です。

 

 そう、クマさんって、カリフォルニアらしいんです。

 

 なぜって、以前もご紹介したように、カリフォルニア州の旗には、クマさんが登場するから。

 

カリフォルニアの旗のクマさんは、クマの王様ともいえる、グリズリーベア(the grizzly bear)。

 

 残念ながら、カリフォルニアのグリズリーは絶滅してしまって、今は旗の中だけで生き続けています。

 

 同じくカリフォルニアの象徴ともいえる「ゴールドラッシュ」によって、金鉱のある山奥にも人が分け入るようになり、乱獲の犠牲となったのでした。

 


そして、ブルーベリーのクマさんも、明らかにカリフォルニアの旗を意識しています。

 

 クマさんは旗とは逆向きですが、頭上には赤い「ひとつ星(the Lone Star)」が描かれていて、カリフォルニアらしさを演出しています。その昔、統治されていたメキシコに抵抗しようと、アメリカ人住民の結束を表した赤星。

 

 そんなラベルからもわかるように、こちらのブルーベリーは、カリフォルニア産。

 

 南カリフォルニアのサンタバーバラ郡(Santa Barbara County)から運ばれたものでした。

 

 北カリフォルニアよりもずいぶんと南なので、ブルーベリーが採れるのも早いのでしょう。

 

もともとブルーベリーは、初夏から夏にかけて採れる木の実。ですから、今の時期にお店に並んでいるものは、チリを始めとして南半球で収穫したものが多いです。

 

 そんな中、こんなに立派な実を出荷できるなんて、きっとサンタバーバラの農園は「季節を先取り」しているのでしょう。

 


 ブルーベリーと聞くと、頭に浮かぶことがあるんです。

 

 それは、マサチューセッツ州出身のお向かいさんの思い出話。

 

 彼女は、マサチューセッツ州といっても、ボストンのような街中ではなく、海沿いの小さな港ウェストポート(Westport)に生まれました。

 

 マサチューセッツの海沿いには、1620年、イギリスの清教徒たちがメイフラワー号でたどり着いたプリマス(Plymouth)という有名な街がありますが、このプリマスからは、ケープコッド半島をくるりと回って南側にある港街。

 

 夏の別荘地で知られるマーサズヴィニヤード(Martha’s Vineyard)という島は、ちょうど向かいに浮かびます。

 

 ウェストポートは、昔は捕鯨(whaling)で有名な港だったそうですが、そんな海の街で育ったお向かいさんも、小さい頃からヨットに乗って船遊びをするのが大好き。ヨットでマーサズヴィニヤードに渡る、というのも年中行事のひとつだったとか。

 

 ある夏の日、みんなで森に出かけることになりました。

 

夏を過ごした祖母の家の近くに森があって、ここには野生のブルーベリーが生い茂っています。このブルーベリーの実を摘みに行くのも、夏の楽しみのひとつでした。

 

 姉妹でカゴいっぱいにブルーベリーを摘んでいると、なにやらガサゴソと音がします。

 

 何かと思って音のする方を見てみると、そこには、大きなクマさんが!

 

 真っ黒な、立派なブラックベア(the American black bear)です。

 

 たぶん、クマさんも美味しいブルーベリーを食べにやって来たのでしょう。

 

いろんなものを食べるブラックベアではありますが、夏の間は、好んで果物やベリー類を食べるそうで、ブルーベリーだって大好物なんでしょう。

 

 立派なクマさんと鉢合わせして、びっくりした姉妹ではありますが、動かずにじっと息を凝らしていると、クマさんは何事もなかったかのように、ノソノソと通り過ぎて行きました。

 

 そのときに見たブラックベアの背中が、まるで草原に揺れる光る穂のように、キラキラと輝いて美しかった!

 

 と、今でもお向かいさんの脳裏に鮮明に刻まれているそうです。

 

(Photo of blueberries by PhreddieH3; photo of the American black bear by Diginatur, both from Wikimedia Commons)

 


 そんなわけで、ブルーベリーを見ると、クマさんと鉢合わせしたお話を思い出すんです。

 

 まるで、自分がクマさんと遭遇したかのように。

 

 そういえば、昨年の初夏を母と過ごしたときのこと。

 

 珍しく、実家に近いスーパーマーケットにブルーベリーが置いてあったのでした。

 

 けれども、ほんの20粒ほどしか入ってないわりに、お値段も高かったので、買って帰らなかったんです。

 

この滞在が、元気な母と過ごす最後となったので、「あのときにフレッシュなブルーベリーを食べさせてあげればよかった」と、ひどく後悔しているのです。

 

 たぶん、これからはブルーベリーを見るたびに、クマさんと母の姿を思い浮かべることでしょう。

 


追記: お向かいさんが遭遇したブラックベアですが、グリズリーベアの親戚である茶色いヒグマ(the brown bear)よりも小さい種類だそうです。

 

 アジアに広く住む「月の輪グマ」は、ブラックベアの仲間で、アメリカ大陸にいるブラックベアとは親戚スジ。

 

なんでも、遺伝的に見ると、アメリカのブラックベアは、同じ国内にいるヒグマよりも、アジアの月の輪グマに近いそう。ですから、ときどき胸のあたりに月の輪(crescent moon)の模様が出ることもあるとか。

 アジアとアメリカは離れているのに、それって、なんだか不思議な感じもするのでした。


(Photo of a black bear with “crescent moon” by Ken Thomas, from Wikimedia Commons)
 

お散歩ソング

人って、何かをするときに好きな音楽を聴いている方が、気分が乗ってくるものではないでしょうか。



たとえば、お散歩をするとき。



歩くときには、軽快なリズムに乗って、足が軽くなる歌が欲しいですよね。



わたしの場合、自分の歩幅に一番合うのが、久保田 利伸(くぼた としのぶ)さんの「ちょっとそこまで」という歌なんです。



もう20年前に出た『LA LA LA・LOVE SONG』というアルバムの一曲目。



一曲目なのでインパクトがありますし、仲間たちの楽しげな笑い声から始まって、オープニングから気分が軽くなってきます。



歌詞の方も、「ちょっとそこまでお出かけしようよ」「何も見つからなくてもいいじゃない」みたいな、ごく気楽な内容になっています。



ちょっとそこまで「履きなれた靴で」お出かけするには、最適な歌かもしれません。




そして、お掃除ソング。



お掃除をするのって、ときに気分が重くなりますよね。



ですから、わたしの場合は、平松 愛理(ひらまつ えり)さんの『fine day』というアルバムが、とっても助けになるんです。



お掃除にはちょいと時間がかかるので、アルバム一枚を聴いてしまうことが多いんですが、掃除機を持つ手を動かしながら、頭はじっと歌の中身に聞き入っています。



やっぱり失恋の歌とか、恋する女のコの歌が多いんですが、「絶対そうよねぇ」とうなずきながら、いつの間にやら、(面倒な)お掃除が片付いています。



「(あなたに)熱が出たと電話したら、ふたつもつぶれた目玉焼き、サンキュー。今は、愛する人につくる卵失敗したら、その日は風邪をひく」という歌詞が、ひどく印象的なんです。



それぞれの人生に待つ人のいる男女を描いた、「この街のどこかで」というオトナの歌。短い歌詞にも人生経験が織り込まれていて、まるでドラマを観ているようです。



こちらのアルバムも20年前(1997年)にリリースされたものですが、実は、平松 愛理さんを教えてくれたのは、アメリカ人男性。



「僕は日本語がわからないから、歌詞はよくわからないんだけれど、エリ・ヒラマツって日本人の歌手がいてさ、僕は大好きなんだよ。だって、リズム感がスゴいんだよね」と、べた褒めでした。



この方は、彼女のCDを何枚か持っていたようですが、一番のお気に入りは、こちらの『fine day』。



わたしも日本に戻ったときに、真っ先にCD屋さんで探して買ってみました。



それ以来、彼のコメントどおり、愛理さんのリズムに乗って、お掃除がスイスイと片付いています。




それで、ふと思ったんですが、いろんなお仕事の人って、それぞれに「自分ソング」を持っているんでしょうか。



ドラマで観たんですが、水道局の職員で、土中の水道管の「水漏れを聞き取る」お仕事の人がいて、残念ながら、こういう方って音楽を聴きながら仕事するわけにはいかないですよね。



だって、音楽が邪魔になって、かすかな水漏れの変化を聞き逃してしまいますもの。



コンピュータに向かって仕事をしている人はどうでしょう。



たとえば、ソフトウェアのエンジニアの中には、ヘッドフォンで好きな音楽を聴きながらコードを書いている人もいます。

でも、なんとなく音楽が考えを邪魔しているような感じもするんですけれど・・・。



コンピュータ画面で絵を描いているような人は、音楽で想像がふくらんで、いい作品ができるのかもしれませんね。




それから、外科医の方って、どうなんでしょう。



ドラマでは、手術室でクラシック音楽を欠かさない人がいましたが、それは、「これからメスを握るぞ」ってときに心が落ち着くからなんでしょうか。それとも、アップテンポなリズムで、作業がはかどるからでしょうか。



わたし自身は、人生で6回手術を受けたことがあるんですが、そのうちの3回は局部麻酔だったので、手術室の会話が聞こえていたんですよ。



すると、「楽しく」会話されていることがあって、不謹慎だなぁと思ったこともありました。



もちろん、それは整形外科の手術で、命にかかわる大手術ではなかったので、みなさんリラックスされていたんでしょう。



 看護師の方が、「先生は手術に慣れていらっしゃるでしょうが、動物の手術ってできますか?」と問えば、



「いやあ、僕は人間には慣れているけれど、動物は無理だと思うよ」と若手の外科医が答える、といった感じ。



ま、とりたてて患者の血圧が上がるような話ではなかったですが、「腱や筋膜と5枚も縫い合わせないといけないので、大変なんだよ」と、患者のためになるような話もされていました。



そういえば、この手術のときには、先生が部屋に入ってくるなり、看護師の方が音楽をかけ始めたような気もします。



強烈な印象は残っていないので、激しいロックなんかではなく、穏やかなクラシック音楽だったのでしょう。



それ以降は、全身麻酔の手術だったので、まさに「まな板の上の鯉」。



手術室で「自分ソング」が流れていたかどうかは、知るよしもありませんでした。




というわけで、わたしの「お散歩ソング」と「お掃除ソング」。



音楽って、たとえ気分が乗らないときにも、軽快なリズムや旋律に救われる感じがしますよね。



タキシードなんか着込まなくても、思い立ったら、その場で「音を楽しめる」ところもいいんです。



生まれ故郷で入院した母を見送って、四ヶ月過ごした日本から戻ってきたところですが、



カリフォルニアの雨季も終わりに近づいたことだし、



そろそろ「お散歩ソング」の出番かもしれませんね。





追記: 演奏の写真は、サンフランシスコの小さなテクノロジー会社が集まるオフィスで開かれた、ミニコンサート。



ギターを弾くのは、路上で暮らした経験を持つ、スティーヴン・ノーマン・ロングさん。ヴァイオリンを奏でるのは、グラミー賞を2回も獲得した(!)ジャズヴァイオリニストのマッズ・トリングさん。

スティーヴンさんが『Panhandler(物乞い)』という新曲で、「人は僕を物乞いと呼ぶけれど、音楽がわたしを自由にしてくれた」と歌えば、マッズさんが飛び入りで参加する、というジャムセッションとなりました。



ふたりの後ろには、なにやらクッションの棚が見えていますが、それは、インテリアショップの2階にテクノロジーの人たちが間借りしているから。





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