14日間の心臓モニター: iRhythm社の「Zioパッチ」

Vol. 216

先月は「シリコンバレーナウ」をお休みしてしまいましたが、今月は、ちょっと早めに健康に関するお話をいたしましょう。

<「Zioパッチ」って?>

突然ですが、今は、心臓の動きをモニターしているところです。しかも、一般的に知られる24時間の「ホルター心電図」ではなく、14日間に渡るモニター装置を付けています。

こちらは、サンフランシスコに本社のある iRhythm(アイリズム)社が製品化した小型モニターで、「Zio(ズィオ)XTパッチ」と呼ばれるもの。

ひと昔前に流行った万歩計くらいのサイズで、心臓のあたりにペタッとテープで装着するようになっています。耐水性なので、シャワーも浴びられますし、単体のワイヤレス(無線)機器なので、ホルター心電図のように電線でつないだ携帯装置を装着することもありません。

従来のホルター心電図は、胸の数カ所に電極を取り付け、電線を通して腰に付けた携帯装置に記録していく方法ですが、記録も24〜48時間と限られるし、身体じゅうに電線が張っているので水に濡れることもできません。

一方、こちらのZioパッチだと、シャワーくらいなら問題はないし、運動するときも、寝るときも邪魔にならないし、付けていることを意識しないでいい、ありがたい装置とも言えるでしょうか。



このZioパッチは、心電図機能や記憶媒体の小型化によって長時間の装着が可能になった画期的な装置ですが、二週間に渡って連続装着することによって、より正確な心臓の動きを把握できるようになります。よく「病院で心電図をとると、異常が起こらない」という話を聞きますが、二週間の心臓の動きをすべて克明に記録することで、ごく短時間に起きた異変も逃さないのです。

パッチの装着は病院の担当者にやってもらいましたが、利用者としては、ひとつやることがあるのです。それは、何かしら心臓の鼓動に異常を感じたら、装置の表面にあるボタンをプチッと押して、データ上の目印とすること。そして、ボタンを押した時刻と理由、症状の長さ、そのときに何をしていたかを付属の専用ノートに書き込むことになっています。ボタンを押さなくても、異変を逃すことはありませんが、「本人に症状の自覚があったのか?」を調べているようです。

「ノートに手書き」というのが嫌いな人には、iOS対応のスマートフォンアプリかオンラインで書き込むこともできます。が、わたし自身は病院の言いつけ通りに、ちまちまとノートに記録しています。

二週間装着したあとはどうするのか? というと、自分で装置を外して、iRhythm社の南カリフォルニアのデータセンターに郵送します。ここで膨大なデータをコンピュータ解析して、リポートにまとめあげたあと、病院に送られ主治医に伝わる仕組みになっています。

見かけはワイヤレス装置なので、ここから遠隔地に向かって心電図を送信しているのか? と思いがちですが、装置内の記憶媒体に収められたデータは、あくまでも郵送で iRhythm社に送られ、同社がコンピュータ解析することになっています。ですから、身につけるウェアラブル生体センサーで集めたデータを、物理的にネット上にクラウド化して分析する、というタイプの IoT(アイオーティー:モノのインターネット)製品です。

病院の担当者いわく、「装置は iRhythm社からリースしているものだから、ちゃんと返却しないといけないんだよ」とのこと。装置を回収することもさることながら、きっと同社は、病院に装置を貸し出すリース料よりも、膨大なデータ解析のノウハウを武器として「飯を食っている」のでしょう。

そう、人の心臓は、1分間に60〜100回の拍動をくり返しているそうですが、14日間では、120万〜200万回。その膨大な数と(さまざまな種類の)波形を分析する iRhythm社には、大勢の患者さんからとった心電図データの蓄積があり、それを緻密に分析してきたことで、機械自体も日々賢くなっています。

なにせ、会社の名前は「iRhythm:アイリズム」。ですから、心臓の拍動(Rhythm:リズム)のデータ化・解析(i:アイ)に特化し、いち早く異変を診断することを目標に掲げる会社というわけです。



<心臓はポンプ>

それで、そもそもどうして心臓モニターを付けることになったのかというと、6月に日本に戻った際、睡眠中に心臓の異常な動きを感じて目を覚ましたからでした。

自分では「あ、心房細動(しんぼうさいどう)が起きている!」と驚いて目が覚めたのですが、ほんの短い時間ではあるものの、かなり強くピクピクと心臓が痙攣していたのでした。

いえ、そんなことは生まれて初めての体験でしたが、そのピクピクとした動きは、テレビで観た人工心臓を使った実験によく似ていたんですよ。ある番組で、「さあ、人工心臓で心房細動を起こしてみましょう」と言いながら、東京医科歯科大学の名誉教授の方が説明なさったのですが、その小刻みな動きと、自分の鼓動がよく似ていたんです。

それ以来、痙攣は起きてはいませんが、ことは心臓にかかわるので、アメリカに戻って「ホルター心電図をさせてよ」と主治医にメールしてみました。すると、最初は「様子を見てみたら?」と悠長なことを言っていましたが、結局は「じゃあ、14日間の Zioパッチをしてみよう」ということになったのでした。

まあ、人も40歳を過ぎると、血管ももうピチピチというわけにはいかないだろうし、心筋だって疲れてくることもあるのでしょう。ですから、ちょっと鼓動が乱れたにしても不思議ではないのかもしれません。



普段は、心臓がどんな構造になっているかなんて考えたこともないですが、心臓の上の方には「心房」があって、下の方に「心室」があります。心房と心室は、それぞれ「右」と「左」に分かれるので、全体は4つの部屋に分かれています。右側の心房と心室は、体全体から血液をもらって肺に送り込み、左側は、肺からきれいな血液をもらって大動脈を通して体全体に送り込む、というポンプの役目をしています。

そのポンプの動きをさせるのが、右側の心房で生まれる電気信号です。この刺激を受けて、最初に心房が収縮して、次に心室が収縮するという、規則正しい動きをしています。が、この電気信号がうまく伝達されなかったり、別の場所で勝手に生まれたりすると、ポンプの動きが増えたり減ったり、リズムが乱れたりします。それが、不整脈と呼ばれます。

不整脈(arrhythmia)といえば、いろんな種類があって、ときには動悸やめまいを感じることもありますが、多くの場合は、すぐに命にかかわるような症状ではないそうです。が、そのうちの心房細動などは、ちょっと危ないこともあるみたいです。

心房細動(atrial fibrillation、A-fib)は、勝手に心房の別の場所で電気信号が生まれ、心房が小刻みに震えるもの。症状そのものは命をおびやかすものではありませんが、怖いのは、心房の動きが長く乱れたとき。心房がピクピクと痙攣しているうちに、心房内の血流が停滞して血液成分が固まり、ドロっとした血栓(blood clots)ができてしまうのです。

心房にできた血栓はそこに留まってくれればいいのですが、そのうちに心室に降りてきて、何かの拍子にフッと大動脈を通って体内に飛ぶことがあります。それが、脳につながる血管をふさいでしまうと、脳梗塞(のうこうそく)を起こすのです。さらに怖いことには、心房でできた血栓は大きくなりやすく、脳梗塞も重症化しやすいのだとか!

上述の番組では、まさに心室にたゆたう血栓が、グルッと心室を一周したあと、フッと大動脈に消えてしまった瞬間をとらえた映像も紹介していました。いったい検査技師はどうやってあの瞬間をとらえたのだろう? と感心したと同時に、「え〜、あの患者さん、どうなっちゃったの?」と、それ以来ずっと心配しています。



そんなわけで、「心房細動でできた血栓は怖い」とすっかり頭に刻み込まれたものですから、ちょっとしたことでも怖くなって、心臓モニターをやってみる気になったのでした。せっかく技術は揃っているし、病院は予防医療(preventive medicine)を推進していて検査料はタダだし、だったら、やってみる価値はあるでしょう。

まだまだ数日間は Zioパッチを付けていないといけませんが、果たしてどんな結果が出てくるのか、期待半分、不安半分といった心境でしょうか。



<付記>

蛇足ではありますが、つい先日、アメリカの医学誌 Journal of the American Medical Association (JAMA)では、「Zioパッチを使うことで心房細動の診断率が上がった」という研究論文が掲載されました。

自覚症状はないけれど、心房細動が疑われる患者さん5200人のうち、3分の1の患者さんにZioパッチを使って拍動をモニターしてもらい、残りの患者さんには心電図によるモニターを行ってみると、4ヶ月後には前者のグループの診断率は3.9%、後者のグループは0.9%、1年後には前者が6.7%、後者が2.6%と、明らかに違いが見られるということでした。(Effect of a Home-Based Wearable Continuous ECG Monitoring Patch on Detection of Undiagnosed Atrial Fibrillation: The mSToPS Randomized Clinical Trial, by Steven R. Steinhubl, MD, Jill Waalen, MD, MPH, Alison M. Edwards, MStat, et.al, Journal of the American Medical Association, July 10, 2018)

Zioパッチは自分でも装着が可能なので、病院が遠くて頻繁に通院できない人でも、危ない不整脈の診断が自宅で可能になるだろう、と iRhythm社は発表しています。(今のところ、同社はアメリカとイギリスをはじめとして、北米とヨーロッパのみでサービスを展開しています)



夏来 潤(なつき じゅん)

手術支援ロボット:「ダヴィンチ」の生まれた背景

Vol. 215



今月は、手術をアシストするロボットのお話をいたしましょう。



<ドラマ『ブラックペアン』の「ダーウィン」>

初めにお断りしておきますが、わたし自身は医療の「ど素人」なので、これから書くことは、文献や映像から得た知識です。ここでは、ロボットを使った治療の詳細ではなく、あくまでもアメリカでの分野の変遷をご紹介することが目的です。



そもそも、どうして藪から棒に手術に使うロボットのお話をしようと思ったかというと、現在、TBSで放映中のテレビドラマにありました。日曜午後9時の『ブラックペアン』という医療ドラマで、先日の第5話(5月20日放映)では「ダーウィン」と名付けられたロボットが脚光を浴びていたからです。

この「ダーウィン」というのは、実際は「ダヴィンチ(da Vinci)」と呼ばれる医療ロボットで、シリコンバレーのインテューイティヴ・サージカル(Intuitive Surgical)社が開発したもの。ヨーロッパでは本国に先駆けて使われていましたが、2000年にアメリカ食品医薬品局(FDA)が承認し、それ以来、米国内の病院でも数多くの手術をこなしてきた手術システム(surgical system)です。



個人的には、この「ダヴィンチ」に思い入れがあって、それは、FDAが承認する直前に開腹手術を受けていたから。「もしもお腹を開けないで手術ができていたならば、ずっと楽だったろうに・・・」と、うらめしく思ったのでした。(こちらの写真は、承認を記念して記事が掲載された Scientific American 誌・2000年10月号の表紙)



それで、医療ロボットといっても、工場の生産ラインで自動車を組み立てていくロボットアームのようではありません。ちょっと目には、手術器具を付けたロボットアームが、手術台の患者さんにむらがって治療しているように見えますが、アームを動かしているのは、ちょっと離れたところに座っている外科医。精細な3D(三次元)拡大映像を見ながら、器用にアームを操作していきます。

外科医が操作するので、「ロボット支援手術(robotically assisted surgery)」というのが正しい呼び名ですが、患者さんの体に小さな穴を開けて、多関節アームの先端のチューブに取り付けた小型カメラと、さまざまな手術器具を体内に挿入して治療します(カメラアーム1本と器具アーム3本)。

手術台から離れたコンソールに座った外科医は、カメラ映像で患部の様子を見ながら、自由自在にアームや先端の器具を遠隔操作するわけですが、そもそも、どうしてロボットを使うかというと、従来の手術に比べて手ブレもないし、繊細な手術ができるから。

ドラマでも紹介されていたように、それこそ米粒に字が書けるくらい、ターゲットに向かって細やかな安定した動きが可能ですが、それは、コンピュータ制御によって、外科医の手ブレを補正したり、手の動きを微小に再現したりできるから。



使う側からすると、カメラを通して精細な拡大映像を見られるので患部が見やすいし、狭い空間でも効率的に器具を動かせていい、ということです。

ロボットを使うと、手先の感覚がなくなるんじゃないの? と思ってしまいますが、アームを通して、ある程度は鉗子の抵抗感なども伝わってくるそうです。



患者さんにとっても、術中の出血が少ない、術後感染症が起こりにくい、傷が小さく痛みが少ない、回復が早い、といったメリットが挙げられます。



当初は、おもに股関節・ひざ関節の整形外科手術やオンビートの(心停止しない)冠動脈バイパス手術に使われていましたが、現在は体のあちこちに使われていて、たとえば、男性の前立腺がん治療や女性の子宮摘出、胆嚢や腎臓、膀胱の治療・摘出、大腸がん治療、そして心臓の僧帽弁や心房中隔の手術などにも使われるそうです。



2000年の米FDA承認以来、「ダヴィンチ」は、おもに欧米の病院で急速に広まっていて、昨年(2017年)には、全世界の設置台数は 4,000台を超えています。日本では、およそ 300台が設置されているそうです。

アメリカの病院だけでも、年間(2015年)に50万件近くの手術が行われていて、そのうちの約半数が、婦人科の手術となっています(Forbes社統計)。



<「ダヴィンチ」誕生の背景>

ドラマ『ブラックペアン』のストーリーにもあるように、「最先端のロボット支援手術ができる」というのは、病院の看板にもなります。ですから、大枚をはたいても導入したい、と考える病院も出てきます。



もともと、「ダヴィンチ」のような医療ロボットが登場した背景には、従来の内視鏡(腹腔鏡)下 手術(endoscopic / laparoscopic surgery)をもっとやりやすく、緻密に行いたいという願いがありました。内視鏡手術は、小さな穴から胸腔や腹腔に小型カメラと手術器具を挿入して行いますが、患者への負担は軽減されるものの、視野が狭く画像も二次元で見にくいし、器具も直線的な動きで、なかなかやりにくい面もあるんだとか。

ですから、ロボットの助けを借りようじゃないかと「ロボット支援下 内視鏡手術」の実現を目指すことになりました。



そんなわけで、「より優れたもの」を目指して機械の開発が始まりましたが、黎明期には、ロボットというよりもコンピュータ制御のアームが手術支援システムの花形でした。たとえば、「AESOP(エイソップ)」とか「ZEUS(ズース、ゼウス)」といった名前が鮮明に記憶に残りますが、これらは、カリフォルニア中部サンタバーバラのコンピュータ・モーション(Computer Motion)社が1990年代に開発したものです。

AESOPは、宇宙ステーションの修理に使うロボットアームとして、アメリカ航空宇宙局(NASA)からも投資を受けて開発しましたが、医療分野では、体内に挿入したカメラアームを外科医の音声コマンドで動かすシステムとして発表したものです。1994年に米FDAが承認し、手術支援システムの第一号となりました。(写真は、実例が珍しかった2000年に行われた心臓バイパス手術のサンノゼマーキュリー紙による報道)

一方、ZEUSは、AESOPカメラアームに器具用アームを付加したもので、「ダヴィンチ」に近い手術システム。2001年にFDAの承認を受けましたが、コンピュータ・モーション社が後発のインテューイティヴ・サージカル社を特許侵害で訴えたことをきっかけに、両社は合併することになり、その後、ZEUSは技術的に「ダヴィンチ」に吸収されています。



余談ですが、1990年から十数年は、医療現場の機械化がとくに期待された時期で、1989年に設立されたコンピュータ・モーション社は、AESOP や ZEUS の他にも、「SOCRATES(ソクラテス)」という医療システムを開発していました。ネットワークを介して遠隔地から手術台の患者を手術するもので、「タンデム医療(telemedicine)」とも呼べる協業システム(telecollaboration system)です。

アメリカという国は、絶えずどこかの国や地域に派兵していますので、戦地の最前線で負傷した兵士を遠隔地から治療しようと、米国陸軍の外科医(リチャード・サタヴァ航空医官(当時))が中心となって推し進めていました。田舎町の病院に外科医がいなくても、遠くから治療ができると実用化が期待されましたが、データ通信における致命的なラグタイムなどから、こういったシステムはいまだ普及していません。



と、技術は日々積み重ねられ、ずいぶんと大掛かりな、しかも高価な「ダヴィンチ」という製品ができあがったのでした。当初は「ダヴィンチ」一台に200万ドル(100円換算で2億円)の値が付けられ、現在も、平均的には150万ドルかかると言われます。保守費用も馬鹿になりません。

が、使いようによっては、効果は抜群。「ダヴィンチに比べたら、今までの内視鏡手術は、お箸(でものを掴む)みたいだよ」と証言する外科医もいらっしゃいます。



興味深いところでは、生まれつき子宮のない女性への子宮移植手術で、提供者から子宮を摘出する際にダヴィンチが威力を発揮し、時間が大幅に短縮される、というケースもあります。子宮移植とその後の無事な出産には、世界でもスウェーデンの大学病院(と研究者が移った先のテキサス州の大学病院)しか成功していないそうですが、より複雑な摘出をアシストするダヴィンチの威力は大きい、ということです。



<「ダヴィンチ」の対抗馬>

そんなわけで、手術支援ロボットは有意義であり、「ダヴィンチ」が承認された2000年以降は、「もっと安価で優れたものを」と対抗勢力も現れています。たった一社で、高品質を保ちながら世の中の需要に対して供給できるのか? という大命題も解かなければなりませんので。



たとえば、ワシントン大学(西海岸ワシントン州の州立大学)とカリフォルニア大学サンタクルーズ校が共同開発した「RAVEN(レイヴン)」というシステムがあります。

当初はアメリカ、カナダ、フランスの大学に十数台設置されましたが、ユニークな点は、これらのロボットがネットワークでつながれ、互いにプラットフォームを共有できるようになっていること。ソフトウェアをシェアしたり、実験を再現したり、遠距離で実験を協業してみたりと、機械である利点を最大限に活用しよう、というコンセプトから生まれています。(写真は、ワシントン大学の研究者が遠く離れたカリフォルニア大学のRAVENを動かしているところ: Courtesy of UC Santa Cruz, adopted from Scientific American

いまだ動物実験に限られるシステムですが、誰もが技術を共有できる「オープンソース」の概念を前面に打ち出しています。協力機関は独自技術の特許を保有できるものの、内容を開示し、業界全体の技術の底上げを狙います。各社の製品が同じプラットフォームを共有すれば、コスト削減にもつながるし、実際に使う外科医にとっても、学習時間が短縮されます。

現在は、RAVENの研究者が5年前に設立したアプライド・デクステリティ(Applied Dexterity)社や、カリフォルニア大学三校の共同研究機関などが開発を進めています。(写真は、UC三校の研究機関 CITRIS and the BANATAO Institute が開発中のRAVEN)



そして、心臓ペースメーカで有名な医療機器メーカ・メドトロニック(Medtronic)が、間もなく「ダヴィンチ」のような手術システムを発表する予定です。手始めはインドで設置を開始し、来年上半期までには売り上げが立つとしています。



医療品メーカのジョンソン&ジョンソンと、アルファベット傘下のグーグルもジョイントベンチャーを立ち上げ、ヴァーブ・サージカル(Verb Surgical)という名で共同開発を行なっています。「ダヴィンチは準備に時間がかかり過ぎて、数がこなせない」という声もあり、すぐに使える、小型のロボット支援システムを目指します。



一方、支援ロボットが威力を発揮する整形外科の分野では、デリケートなひざ関節の手術支援で、アメリカの会社(Stryker)とイギリスの会社(Smith & Nephew)がしのぎを削っています。



<ロボットと人>

というわけで、18年前から思い入れの深かった「ダヴィンチ」。けれども、ここで明記したいのは、手術支援ロボットは、あくまでも外科医の道具に過ぎない、ということ。従来の内視鏡手術に、さらに磨きのかかった精密な高価な道具が加わった、というのが正しい見方でしょう。

ですから、生産ラインのロボットアームのようにロボットが人間を置き換える、ということはあり得ないのです。



冒頭にも書いたように、自身が開腹手術を受けた直後だったこともあり「ダヴィンチ」に興味を抱くようになりましたが、実は、このときだって、腹腔鏡手術から切り替える必要があったのでした。状況によっては、どうしても人の手に切り替えなければならないこともあり、ロボットを使っていても、いつでも代われるようにスタンバイしていなければならないのでしょう。

自分ひとりで動ける自動手術ロボットを開発する試みはありますが、(豚の腸を使った)縫合ひとつにも時間がかかって、現時点では、お話にならないそうです。(写真は、Smart Tissue Autonomous Robot (STAR) ロボットの実験: Courtesy of Axel Krieger, adopted from Scientific American



そして、ここではあえて触れませんでしたが、「ダヴィンチ」を使ったことによる問題も数多く報告されています。

ロボットのような最先端技術を使えば使うほど、医療機関によるばらつきが出ることも考えられます。そもそも外科医になるためには、手術症例を規定数こなすことに加えて、内視鏡手術も経験しなければならないそうですが、これからロボットが広く普及すれば、ロボット支援手術も必修科目となるのかもしれません。



そういう時代になったとしても、治療にどの方法を選択するのか? は、人間だけが判断できることなのでしょう。

医療を受ける側としても、「ロボットという看板」に惑わされることなく、最善の方法を主治医とじっくりと話し合う心づもりが必要になってくるのでしょう。



夏来 潤(なつき じゅん)

<付記>

日本でロボット支援手術を行った場合、従来の保険適用は、前立腺がんと腎臓がんに限られていました。が、今年4月からは、7つのがん(胃、直腸、食道、膀胱、肺、子宮体、縦隔悪性腫瘍)、子宮筋腫、心臓弁膜症、縦隔良性腫瘍も加わり、合計12の病気をカバーするようになったそうです。

厚生労働省の施設基準を満たした医療機関のみ保険が適用されるので、確認が必要ということです。



<おもな参考文献(最新のものから日付順)>

“Robotic Knee Surgery Competition Heats Up: Proponents say the systems’ precise techniques may help speed patient recovery”, by Paul Sandle and Ben Hirschler, Reuters, July 6, 2017

“New Surgical Robots May Get a Boost in Operating Rooms: Surgeons expect such procedures to double within five years”, by Susan Kelly, Reuters, July 28, 2016

“How Will Medtronic’s Success In the Surgical Robot Market Be Determined?”, by Trefis Team, Forbes, June 13, 2016

“How to Birth a Baby from a Donated Uterus: The Swedish surgeon behind this experimental procedure says techniques used by humans could be improved with robot assistance”, by Dina Fine Maron, Scientific American (Online), June 7, 2016

“Robot Surgeon Successfully Sews Pig Intestine: Automated surgical systems still need hand-holding, but one system holds its own against humans”, by Larry Greenemeier, Scientific American (Online), May 4, 2016

“Robotic Surgery Opens Up: If the open-source approach to building robot surgeons can cut costs and improve performance, patients will increasingly find them at the other end of the scalpel”, by Larry Greenemeier, Scientific American (Online), February 11, 2014

“Robotic Surgical Systems – A Review” by Apoorva Chaudhary, Dinesh K. Atal and Sanjeev Kumar, International Journal of Applied Engineering Research, Volume 9, Number 11 (2014), pp1289-1294

“In the Waiting Room: Robodocs may be here, but remote surgery remains remote”, by David Pescovitz, Scientific American, December 2000

“Operating on a Beating Heart: Two new surgical techniques should make the procedure (coronary bypass surgery) safer and less expensive” by Cornelius Borst, Scientific American, October 2000

“Giving Surgeons a Hand: Robots are helping doctors perform safer, less-invasive heart operations”, by Julie Sevrens, San Jose Mercury News, April 18, 2000



自然界って複雑ね!

我が家は、いちおう「シリコンバレー」にあるんです。



でも、サンノゼ市の南端にあって、まわりは自然が残っているような場所なんです。



サンノゼのダウンタウンから来ると、フリーウェイを降りたあと、丘を上って、丘を下った住宅地にあるので、初めて来た人は、たいてい「こんなところに家があるの?」と不安になるくらいです。



そんなわけで、これまでも野生の七面鳥が屋根に乗っかって、みんなでノシノシ走り回っているとか、窓の網戸を小鳥が巣作りのために盗んで行ったとか、さまざまな自然界との「ふれあい」をご紹介してきました。



まわりにはコヨーテやボブキャット、野生の豚なんかも生息していますが、どちらかというと、我が家のまわりは、かわいらしい生き物が多いでしょうか。



かわいらしい生き物というと、うさぎの子供が裏庭でちんまりとまるまっていたこともありました。



そして、ハミングバード(はちどり)は、花の蜜を吸いに毎日ブンブンと飛び回っています。




でも、今年はいつもと違って、リスが訪ねて来るようになったんです。



リスは、シリコンバレーの住宅地でも頻繁に見かける動物ですが、我が家で見かけるのは初めてです。



ある日、あ、リスだ! と裏庭で発見して以来、毎日のように訪ねて来るようになりました。



食べ物を探しているのか、「この花は食べられるのかな?」と、キッチンの窓辺の花をクンクン嗅いだりしています。



この辺のリスって、近くで見ると、かなり大きいんですよね。



このリスくん、いつもは単独行動なんですが、ある日、他のリスと一緒のことがありました。



木を登ったり降りたり、追いかけごっこをしています。たぶん、メスのリスとお友達になったんでしょう。



あら、かわいい! とキッチンから眺めていたら、そこは、晩春の「恋の季節」。



いきなり、子作りの行動を始めたのでした。



なにせ初めての光景だったので、パチパチ撮らせていただいたんですが、これって「プライバシーの侵害」ですよね。



それからしばらく二人でじゃれあってるなと思ったら、間もなく、メスのリスちゃんは、プイっとどこかに走り去って行きました。



意外と、素っ気ないんですね、二人の関係って。




そんな素っ気ない二人とは裏腹に、いつも一緒のカップルを見かけます。



散歩道で見かける、マガモの夫婦です。



前回の「小鳥の離婚」というお話でもご紹介しましたが、マガモの離婚率は、きわめて低く、9割のカップルは最期まで添い遂げるそうです。



そう言われてみると、大きくうなずけるくらい、見ていても仲が良いのがわかります。



このカップル、いつもご近所さんの前庭で休んでいるんですが、オスがヨチヨチと歩き始めると、メスは「わたしも」と後を追います。



もう、片時も離れていたくない! といった様子なんです。




ところが、この平和な二人に異変が訪れました。



三軒ほど離れたご近所さんが、前庭の木に餌の袋を吊るすようになって、そこに別のマガモたちがやって来るようになったんです。



そう、もともとここに住んでいた二人の縄張りが乱された感じ。



最初は、5羽かと思ったんです。メスが3羽に、オスが2羽。



メスの1羽は、遠慮がちに遠くからみんなを眺めているので、あら、かわいそう、ひとりっきりで・・・なんて思っていたんです。



すると、オスが1羽、上空からバタバタと飛んできて、誰を狙うのかと思えば、すでにペアを組んでいるメスを追っかけ始めるんですよ!



ひとりきりのメスを追いかければいいのに、よりによって、ちゃんとお相手のいるメスにちょっかいを出すなんて。メスはいやがって、逃げ回っているのにねぇ・・・。



それから二日後、事態はもっと複雑になっていました。



なんと、10羽に増えているんです!



こちらには9羽しか写っていませんが、ちょっと離れたところから、みんなをにらんでいるオスが1羽いるんです。



そして、よく見てみると、10羽のグループは、メスが3羽に、オスが7羽と、かなりいびつな配分になっています。



どうやら、二日前の状態から、オスが4羽も増えた様子。



こちらのシーンでは、1羽のメスが、あるオスにくっついて歩いているのに、それを3羽のオスたちが追いかけているではありませんか!



これでは、いかになんでも、カップルになりにくいですよねぇ・・・。



そんなお騒がせなオスたちの襲来ではありますが、やはり、もともとのカップルは、ぺったりと寄り添って離れません。



まわりの喧騒に迷惑そうではあるものの、二人の絆は、まさにゆるぎのないものなのです。




さすがに、マガモの愛情は深いようですが、実は、マガモのペアって、オスとメスだけじゃないのかもしれません。



こちらの写真では、2羽が仲良くくっついて泳いでいますが、よく見るとオスとオスのペアです。



たぶん、このオスたちは、メスと一緒にいるよりも、オス同士でいた方が心地よいと思っているのでしょうが、そんな同性のカップルって、動物界には数多く見られるそうですよ。



野生では観察しにくいことではありますが、動物園にいるペンギンとか、ワシとか、同性カップルの例は、いくらでも報告されています。



ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパーク動物園にいたオス同士のペンギンカップルは、1羽がかいがいしく卵を抱いて、見事に孵化させたと聞いています。



もちろん、自分の卵ではありませんが、親としての愛情は、性別に関係ないのかもしれませんね。




というわけで、自然界を観察していると、まったく飽きないことだらけなんですが、例のマガモ夫婦はどうなったんでしょう?



マガモのグループが10羽にふくれあがったあと、ご近所さんが餌の袋を取り払って、もとの二人に戻ったのでした。



たぶん、このままにしておくと、収拾のつかないことになる! と、ご近所さんは餌をやめたんでしょう。



わたしが何も知らないで、勢いよくお散歩していたら、木の根元にいたメスがビックリして、飛びのいたんです。



すると、それを見ていたオスがバタバタと飛んできて、メスを守ろうと身構えるんですよ!



まあ、なんともうらやましい、「白馬の騎士」みたいなダンナさまなのでした。



そんなわけで、自然界も複雑なもので、いろいろとあるんです。



でも、二人にはまた、平和な日々が戻りましたとさ。



めでたし、めでたし。



今週のラジオ番組

たいしたお話ではありません。



今週あるラジオ番組で、ほんのちょっとだけお話をしています、という話題です。



「今週」というのは、5月21日(月)から25日(金)。時間は朝早く、午前6時40分。



Tokyo FM・JFN系列に『クロノス』という番組があって、6時40分からは「未来へのタカラモノ」と題して、世界各地の暮らしを紹介しています。



今週の5日間は「シリコンバレー」を取り上げ、わたしがちょっとだけ話題を提供させていただいている、ということなんです。



残念ながら、「未来へのタカラモノ」は3分間ほどで、わたしの話は、ごくごく短いです。



でも、5日間で5つの違ったトピックを取り上げていて、シリコンバレーにはあまり馴染みのない方にも、少しは興味のわく話題じゃないかと思いながら、お話をさせていただいてます。




たとえば、月曜日・1日目のトピックは、羊やヤギでした。



「シリコンバレー」なんて聞くと、いつも「テクノロジー」とか「IT(アイティー)」とか、最先端技術のイメージがわいてしまうのですが、それが意外と、のどかな部分もあるんです。



以前も一度ご紹介したことがあるのですが、羊さんやヤギさんが「従業員」として活躍しているんです。



夏の山火事シーズンに備えて、住宅地周辺の雑草の「草刈り隊」として雇われているんですね。



斜面が険しいと、人間の作業員では危ないし、チェーンソーの火花で発火する恐れもある。そこで羊さんやヤギさんを雇うと、ほんとにきれいに雑草を食べつくしてくれるんです!



そんなわけで、今年も我が家のまわりでは羊さんたちが活躍していますので、後日「羊さんの活躍ぶり」をフォトギャラリーに掲載しようと思っております。




ところで、こちらの「未来へのタカラモノ」は、世界各地の暮らしぶりとか、環境への配慮・取り組みなどを、現地に住む人の視点で紹介しようと、3年前から放送されているそうです。



番組ディレクターの方は、こんな風に番組のコンセプトを説明してくださいました。



今は、10代、20代の若い方々の海外に対する関心が薄いように感じている。



それは、インターネットがあるから、なんでも情報がすぐに入ってくるし、それで海外の様子がすっかりわかったような気になってしまうから。



けれども、ネットの情報は、自分が興味を持つ分野にかたよりがちなので、ラジオで世界各地の様子を伝えることで、今まで興味を持たなかったところにも興味を持ってもらいたい。



そして、なによりも「自分の目で見てみたい!」と感じて欲しい、と。



そんなコンセプトからスタートして、これまで100以上の国や地域の紹介をされてきたそうです。



各地の習慣とか、環境への取り組みを聞いていると、地域の方々の意識がすごく良くわかる、ともおっしゃっていました。




なるほど、素晴らしいコンセプトですよね。



残念ながら、わたしなどはアメリカに長く住んでいるので、何が珍しいものなのかわからなくなってきて、ときどき「何を書いたらいいんだろう?」と迷ってしまいます。



でも、そもそもカリフォルニアやサンフランシスコ・ベイエリアやシリコンバレーを紹介したい! という気持ちがあるからこそ、いろいろと書いてみるんですよね。



「伝えたい!」と思うから、時間をかけて書いていても苦にならないし、自分も楽しい。



もちろん、こちらが楽しく書いていても、読んでいただけないものもたくさんありますが、楽しんで書かなければ、どなたにも読んでいただけないんじゃないか、とも思うのです。



ですから、あらためて「シリコンバレーってどんなステキなことがありますか?」と聞かれると、初心にかえったような新鮮な気がしたのでした。



ちなみに、情報番組『クロノス』でパーソナリティを務める元サッカー選手の中西 哲夫さんは、中学生のときにお父様がスタンフォード大学で研究なさっていた関係で、シリコンバレーに住んでいらっしゃったそうです。



ですから、シリコンバレーには思い入れがあったようですが、う〜ん、わたしの選んだトピックで良かったのかなぁ?



Pearls before swine(豚に真珠)

久しぶりに英語のお話をいたしましょう。



今日の話題は、ずばり、Pearls before swine



Pearls は「真珠」で、swine は「豚」。



ですから、Pearls before swine は、「豚に真珠」という意味です。



もともとは、Cast pearls before swine(豚の前に真珠を投げる)というもの。



豚さんにとっては失礼な言い草ではありますが、「豚の目の前に高価な真珠を投げてあげても、豚にはその価値はわからない」という意味ですね。



こちらは、新約聖書「マタイによる福音書」(the Gospel of Mathew in the New Testament)に出てくる言葉です。



マタイ伝の第7章 第6節には、「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。」とあります。(1954年邦訳版)



ここで犬や豚というのは、キリスト教に耳を貸さない邪教の人々を指しているのでしょうが、当時、多くの犬は野生のままで人に慣れていなかったし、豚は貪欲にものを食べ、もっとも不潔な動物とされていたので、「卑(いや)しいもの」の代表格として抜擢されたのでしょう。



野生の犬というと、いまだにギリシャの島々に闊歩していて、日中はダラリと昼寝をしているくせに、日暮れ時になると目がランランと輝き、牙をむいて襲いかかってくるのではないかと、恐怖心さえ抱くのです。



ちなみに、マタイ伝の犬と豚の部分(現代英訳)は、こんな風になります。



Do not give what is holy to the dogs, neither throw your pearls before the pigs



ローマ帝政初期にギリシャ語で書かれたマタイ伝には、いろんな英訳のバージョンがありますが、古い英訳では「投げる」に cast を使って、neither cast your pearls before swine となっていたのでしょう。



ですから、いつの間にか、Cast your pearls before swine という部分から格言が生まれたのではないでしょうか。




実は、白状いたしますと、「豚に真珠」というのは、日本語の格言かと思っていたんです。



だって、「猫に小判、豚に真珠」と言うではありませんか。



もちろん、「猫に小判」は日本独自の表現でしょうが、そのあとに強調する意味で、誰かが「豚に真珠」を付け加えたのかもしれませんね。



もともと「豚に真珠」が外国語だったことを教えてくれたのは、ある英語の本でした。



「猫に小判」というのは、「豚に真珠」の日本語版である、と。



“Coins to cats” is the Japanese version of “Pearls before swine”



Coins to cats は、作者独自の英訳で、英語圏で広く知られているわけではありませんが、的確な英訳でしょう。あえて言うならば、小判の金色から Gold coins to cats と表現する手もあるかもしれません。



この本のタイトルは、『Kaibyo(怪猫)』(Zack Davisson, Kiabyo: The Supernatural Cats of Japan, Seattle: Chin Music Press, 2017)



日本には、昔から「化け猫」伝説がいくつもありますが、数々の逸話を交えながら、歴史的視野で説明してくれる力作です。



いえいえ、「化け猫」というのは、「怪猫(かいびょう)」のひとつだそうですよ。



化け猫は「化ける」ので、shapeshifter(シェイプシフター:形を変えるバケモノ)とも言えますが、そのほかにも、年老いて尾っぽが二つに裂けると人を襲うようになる「猫又(ねこまた)」だとか、地獄の使いである「火車(かしゃ)」、火を起こすのが大好きな「五徳猫(ごとくねこ)」と、闇の中にはいろんなバケネコたちが棲んでいるそうな。



ちなみに、「五徳」というのは、炭火の上に鍋やヤカンを置くための鉄製の輪っかのことですが、「五徳猫」というのは、五徳を頭にかぶったバケネコですって!



あんまり馴染みのないバケネコがいたものですが、五徳猫の歴史は古く、室町時代の絵師・土佐光信によって描かれた『百鬼夜行絵図(ひゃっきやこうえず)』に登場するそうですよ。

(こちらの五徳猫の絵は、江戸時代中期に鳥山石燕が描いた『画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)』に出てくるものだそうです:Photo of Gotoku neko from Davisson 2017, p105)



室町時代の『百鬼夜行絵図』には、さまざまな妖怪たちのパレードが描かれていて、妖怪に関する参考書ともなったようです。江戸時代になると、これを模して絵巻や浮世絵が描かれたり、怪猫談が歌舞伎の演目として人気を博したりして、バケネコ伝説が日本じゅうに広まったのでした。



現代も、日本ではネコちゃんが異常な人気です。



やはり日本人のDNAには、「ネコちゃんと(バケネコに)親しむ」素養がしっかりと書き込まれているのでしょうね。




おっと、「豚に真珠」が、すっかり「バケネコ」のお話になってしまいました!



最後に、日本語と英語で、なんとなく似ている格言をご紹介いたしましょう。



日本語には、「泣きっ面に蜂」という表現がありますよね。



悲しくて泣いているのに、その上に蜂にさされるという、悪いことの上に、さらに悪いことが重なって起きるたとえです。



英語では、こんな言い方があります。



Add insult to injury



ご存じのように、injury は「ケガ」という意味ですが、初めの insult というのは、「〜に侮辱を与える」という動詞であり、「侮辱」という名詞です。



ですから、「ケガにダメージを加える」つまり「悪いことにもっと悪いことが重なって起きる」という意味になります。



なんとなく、ケガに塩を塗り込んでいるようなイメージもわきますが、



実際に rub salt into the wound という表現もあります。



文字通り、傷口(wound)に塩を塗り込む(rub salt)というもので、考えただけで痛そうですよね。



ちなみに、以前も一度ご紹介したことがありますが、窮地に立たされたときには、こんな表現があります。



Between a rock and a hard place(岩と硬い場所の間)



I was caught between a rock and a hard place という風に使います。



日本語では「崖っぷちに立たされる」などと言いますが、英語では、「岩と硬い場所にはさまれて、身動きは取れないし、つぶされるような気がする」と表現することがあるのです。



映画『スターウォーズ』にも、レイア姫やルーク・スカイウォーカーたちがゴミ集積タンクの中でつぶされそうになったシーンがありましたが、まさにそんな感じでしょうか。



というわけで、お話があっちこっちに飛んでしまいましたが、もともとの話題は、「豚に真珠」でしたね。



Pearls before swine



日本語と同じなので、覚えやすいでしょうか。



サンフランシスコの「足」:車って古い?!

Vol. 214



春うららの良い季節の到来です。そこで、今月は、サンフランシスコの街で見かける新しい「足」のお話をいたしましょう。



<そこのけ、ウーバー!>
アメリカと聞くと、「どこに行くにも車」というイメージがあります。我が家のあるサンノゼ市郊外もご多分にもれず、ちょっとそこまでお買い物というときにも、車がないと困ってしまいます。まさに車は、サンダル代わりでしょうか。

一方、「車があると、かえって不便」なのが、サンフランシスコのダウンタウン地区。19世紀中頃から「ゴールドラッシュ」のベースステーションとして栄えた場所ですが、近年、スマートフォンの隆盛とともにテクノロジー業界のハブともなった街。ゴールドラッシュの全盛期よろしく、ダウンタウンにある大小さまざまな企業を目指して世界各地から人が集います。

おかげで、街の人口密度は年々悪化し、住宅難が続きます。が、同じく深刻なのは、交通事情。馬車やケーブルカーが唯一の「足」だった時代は遠く過ぎ去り、街には渋滞で動けなくなった車の波が押し寄せています。



そんなわけで、まず車の代わりにと思いつくのが、自転車。こちらは、ダウンタウンのミッション通りで見かけた配達自転車。あちらこちらの飲食店にウイスキーを配達しているようですが、これなら、パーキングを気にしなくていいし、小回りが効くし最適です(アメリカの都市にしては珍しく、大事な商品がむき出しになっています!)。



ご存じのように、サンフランシスコは、ウーバー(Uber)やリフト(Lyft)といった一般車両を用いた「配車サービス(ride-hailing service)」が生まれた街でもあります。

一般人が運転手となって、お客を乗せてあげるスマートフォンアプリを使ったシステムですが、それは、タクシーが極端に少なく移動が不便であるとともに、交通渋滞や駐車スペースの事情が悪く、車を持たない人が多いという理由もありました。だったら、車を持つ人が誰かを乗せてあげて、同時にお小遣いも稼げたら、両者がハッピーでしょう、という発想でスタートしました。

が、近年、サンフランシスコ市の方針転換にともない、公共交通機関や歩行者・自転車が優遇されるようになり、一般車両が通れない車線や通行禁止の区間が増えてきました。

たとえば、ダウンタウン地区で赤く塗られた車線は「バス・タクシー専用車線」です。配車サービスの車もタクシーではないので、ここに乗り入れると、背後に迫ったバスやトロリーバスからナンバープレートの写真を撮られて、あとで違反チケットが送られてくるとか。

そして、街一番のメインストリート・マーケット通りは、東寄りの3番通りから8番通りの区間は、一般車両は乗り入れ禁止となっています。いうまでもなく、公共交通機関や自転車を優先するために3年前の夏に施行されました。

こちらは、その施行日に撮影した写真ですが、それまで車でギューギュー詰めだったマーケット通りが、ウソのように空いています。



そんなこんなで、車よりも自転車が便利でしょう! と、街のあちらこちらには、貸自転車ステーションが登場しました。日本の都会でも見かけるようになりましたが、サンフランシスコの街では、早々と「市民の足」となっていた記憶があります。

もともとは、「ベイエリア・バイクシェア(Bay Area Bike Share)」という名でスタートしましたが、今は、自動車メーカーのフォードが「ゴーバイク(Ford GoBike)」と銘打って運営しています(英語で「バイク(bike)」というと、自転車(bicycle)をさす場合が多いです)。

メンバー登録をすると、好きなステーションで自転車を乗り降りできるシステムですが、利用頻度に応じて1回ごとの乗車か1日乗車を選んで料金を支払えます。現在、サンフランシスコから対岸のオークランド、バークレー、エメリーヴィル、そしてシリコンバレーのサンノゼと5都市に広がり、合わせて540のステーションには、7000台が常備されています。

サンフランシスコでは、「こんなに便利な乗り物はないわ!」と5年前に耳にした記憶があるので、そこから5都市に発展したということは、かなり人気の高い「足」なんでしょう。



<今年の新しい「足」は?>
すると、今度は、いちいち決められたステーションで自転車を借りて、別のステーションで降りるのが面倒になってきたようで、今年に入って、自由に乗り降りできるシステム(dockless bike-share)が登場しています。

こちらは、1月にお目見えしたばかりの「ジャンプ(Jump)」という真っ赤な、かわいらしい自転車のシェアサービスです。従来の「ゴーバイク」とは違って電動アシスト自転車で、前方には荷物を入れられる買い物かご、座席の後ろには利用コードを入力するテンキーが備え付けられています。

自転車は、GPSによる位置情報でトラックされていて、利用者はスマートフォンアプリで自転車を見つけて、4桁の暗証コードでロックを解除し、利用したあとは好きな場所で乗り捨てられます。そう、自転車を繋ぎとめる自転車ラックのある場所なら、どこでもOKです(こちらの写真のように、駐車メーターを利用する人も多いです)。



「ジャンプ」は、いまだテスト稼働中で、市内には250台しか投入されていません。が、ダウンタウンを歩いていると、ブロックごとに赤い自転車を見かけるので、稼働率はかなり高いと見受けます。サンフランシスコ市交通局はジャンプに一年半の独占営業権を与えていて、当初9ヶ月間の利用状況に問題がなければ、秋には、250台の追加が許可されることになっています。

この赤い自転車の出現で、フォードの「ゴーバイク」は、電動アシスト自転車を250台投入し、充電ドックも130か所設けると発表しています。また、今まで3ドルだった利用料金(最初の30分)をジャンプと同じ2ドルに値下げしています。

そして、配車サービスの大御所ウーバーは、自転車を使ったシェアサービスにも目を付けていて、自社アプリ内でジャンプ自転車を利用可能とするとともに、4月に入り、ジャンプ社を買収するとも明らかにされています。



<自転車なんて古いよ!>
ところが、ジャンプと同じ時期に市に営業許可を申請したのに、ジャンプだけが独占営業権を与えられ、いい目を見ているのが面白くない競合が何社かいたんです。この競合たちは、「だったら、別のサービスを始めてやるぞ!」と、市内で新手のシェアサービスを始めました。なにかって、電動スクーターを貸し出すんです。

こちらは、3月末にサンフランシスコの街に登場したばかりの新しい足で、「スピン(Spin)」「バード(Bird)」「ライムバイク(LimeBike)」という三社が提供するサービスです。

自分の足で蹴って進む子供用のスクーターとは違って、こちらは電動で楽ですし、かなりのスピード(最大時速24キロ)が出ます。スマートフォンアプリで簡単に利用できますが、利用資格は18歳以上であること、そして電動なので運転免許証が必要です。

料金は、スタートするのに1ドル、その後は1分ごとに15セントと安価に設定されています。ダウンタウン地区は広くはないので、だいたい片道3ドル(約330円)で事足りるようです。



わたしが初めて電動スクーターサービスを見かけたのは、4月に入ってからですが、サンフランシスコの住人は「たったの2週間で、こんだけはびこったよ」と驚いていました。「雨後のタケノコ」と言わず、キノコの胞子が飛び散って芽吹いたように、ダウンタウン地区では、大きなビルの前に複数台乗り捨てられています。

サービス開始10日後には、「電動スクーターが歩道に乗り入れて危ない!」と話題になっていましたし、駅の前に乗り捨てられた何十台ものスクーターが、通勤の邪魔になると問題視されていました。スクーターの利用者に腹を立てた人の仕業なのか、ゴミ箱に突っ込まれたスクーターまで見かけるようになりました。

これに危機感を抱いたサンフランシスコ市は、「利用者が歩道に入らないように交通ルールを守らせること、安全のためにヘルメットをかぶらせること、利用後は歩行者の邪魔にならないように駐車することを徹底させよ」と、市弁護士の名で三社に対して警告状を送りつけました。4月30日までに徹底させないと、営業停止にしてやるぞ、と。

その一方で、市議会の方は、もう少し柔軟な態度を示していて、違法駐車のスクーターは市が撤去してもかまわないけれど、専用の駐車スペースを設けるなど、今後のあり方を一緒に模索していきましょう、と三社と協力することを決議しています。



突然街に現れて、急展開を見せる新手の「足」のシェアサービスですが、運営する側にとっては、自治体との折衝に加えて、現実的な問題にも頭を痛めます。たとえば、いったいどこで充電するのか? という課題。上に出てきた「ジャンプ」電動アシスト自転車だって、電動スクーターだって、電源が切れたらお話にもなりませんので。

ジャンプの場合は、市内二カ所に充電ステーションを保有していますが、ここまで運ばなければならないので、利用者がここで降りれば料金を割り引いてあげたり、代わりに充電してくれる会社や一般家庭を募ったりしています。電動スクーターの場合も、自社で充電する以外に、自宅で代行してくれる利用者をリクルートすると聞きます。



そして、競合が多いために、値段を抑えなければならない厳しい事情もあります。たとえば、ジャンプの出現によって、フォードの「ゴーバイク」は値下げしていますし、電動スクーター三社は、設備投資の大小にかかわらず、横並びの料金設定をしています。

懐の深いフォードや、大手ウーバーに買収されるジャンプ以上に、起業したばかりのスクーター三社にとっては、今は潤沢な投資に恵まれているものの、いずれは収支が気なってくることでしょう(ちなみに、サンフランシスコのスピン、サンマテオのライムバイク、南カリフォルニア・サンタモニカのバードと三社とも、昨年(2017年)起業したばかりの「できたてのホヤホヤ」です)。



というわけで、車社会からの脱却を図るアメリカの都市部。新手のシェアサービスは、サンフランシスコだけではなく、首都ワシントンD.C.、ダラス、マイアミ、シアトルと全米の諸都市で始まっています。

が、ダウンタウン地区や大学街、企業の集まるビジネスキャンパスを一歩外に出ると、途端に車が必要となるのがアメリカの厳しい現実ではあります。

自転車やスクーターのシェアサービスが、街の混雑に頭を抱える自治体や、投資先を探すベンチャーキャピタリストの「夢の一手」となるのかは、乞うご期待! といったところでしょうか。



夏来 潤(なつき じゅん)

小鳥の離婚

中庭の八重桜も満開になったころ、朝早くに「ドリル」の音で目が覚めました。



まるで道路に穴を開けているような、トトトトトという、金属的なスタカート。



でも、これは、道路工事じゃないんです。



犯人は、ベッドルームの窓枠に穴を開けようとした、キツツキ(woodpecker)。



春(3月から5月)になると、巣づくりをしようと、人の家の軒下にやって来ては、トトトトトと「試し掘り」をやるんです。



マシーンガンみたいにトトトとつっついて、中が柔らかくて巣づくりに適しているかどうか、吟味しているんです。(Photo of a Nuttall’s woodpecker by Bruce Finocchio)



「あ、またキツツキだ!」と気づいたわたしは、窓ガラスをトントンと叩いて追い払ったのですが、そのまま彼らの行動を許していたら、窓の周りに立派な穴ができあがったに違いありません。



そうなんです、こんな苦情は、我が家のまわりでは日常茶飯事。こちらは、ご近所さんのガレージの軒下にできた、巣づくりの穴。



キツツキのシワザかどうか定かではありませんが、この穴を入り口として、中にはフカフカの「赤ちゃんベッド」が置かれていることでしょう。



キツツキの中には、雨粒が入らないようにと、わざわざ木の枝の下側に入り口を開ける仲間もいるらしいので、こちらの穴もキツツキの芸当かもしれません。



こんな風に器用なキツツキの巣穴は、他の鳥からも重宝されていますので、そのまま放っておくと、巣穴を好む別の鳥たち(cavity nesting birds)が、ここで子育てを始めるかもしれません。



たとえば、ツバメやブルーバードの仲間も、巣穴を利用することで知られていて、立派な「穴」の争奪戦は、かなり熾烈だそうですよ。



こちらのブルーバード(Eastern Bluebird)などは、ヨーロッパからやって来たスズメの仲間にどんどん巣を奪われたばっかりに、1970年代には、アメリカ国内で絶滅の危機にさらされたこともあるとか。(Photo by William H. Majoros)



そう、自然界は、生存競争が激しいのです。ですから、もしも自宅の軒下に巣穴を見つけたら、ひな鳥が巣立ったことを確認したと同時に、きちんと修理しないと、また再利用されちゃいますよね!




それで、表題になっている『小鳥の離婚』。



なんとなくふざけているようですが、案外、科学的なお話なんです。



一般的に、鳥のつがいは、一生添い遂げるような感じがしますよね。



「おしどり夫婦」という言葉にもなっているように、オシドリなどは、いつも一緒に仲良く池を泳いで、「死ぬまで一緒」というイメージがあるでしょう。



ところが、ちゃんと「添い遂げる」のかどうかは、鳥の種族によってまったく違うらしいんです。



そもそも、鳥の「離婚」とは、次の世代を産んで育てる繁殖期(breeding season)を超えてしまうと、さっさと別れて、二度と同じ相手とは過ごさないことをさすそうですが、この「離婚率」は、鳥によってさまざま。



たとえば、水辺に住む大型の鳥、オオアオサギ(great blue heron)などは、毎年、繁殖期を過ぎるとさっさとペアを解消するそうです。



サギの仲間(heronまたはegret)は、日本の水辺でもよく見かけます。こちらは、大分県湯布院の清流で見かけた白サギですが、こんなに美しく、気品のある鳥なのに、離婚率が高いなんて意外です。



もしかすると、「孤独」を愛する、孤高の生き物なんでしょうか。



そして、世界中で人気の皇帝ペンギン(emperor penguin)も、9割近くのペアが、子育てが終わると離婚するそうですよ!



あの極寒の南極大陸に住み、みんなで輪になって必死に子供たちを暴風雪から守る姿からは、ちょっと想像できないですよね。



皇帝ペンギンが出てくるドキュメンタリー映画やアニメ映画は大人気ですけれど、「家族みんな仲良し」のイメージが崩れてしまいそうな・・・。(Photo by Ian Duffy)




そんな離婚率の高い鳥たちと比べて、マガモ(mallard duck)は、離婚率わずか1割と、仲が良いそうです。



こちらの写真では、真ん中の緑色の頭をしたのが、マガモのオスです。頭全体が緑で、くちばしが黄色とオシャレなので、木彫りのカモのデコイ(模型)といえば、まずマガモを思い出します。



見た目が鮮やかでハンサムなわりには、忠実な鳥なんですねぇ。



一方、「おしどり夫婦」の由来となったオシドリ(mandarin duck)の方は、わりと簡単に別れてしまうみたいですね。



なんでも、オシドリのオスは、木の巣穴でメスが卵を抱いているときでも、「代わってあげようか?」なんて卵を抱くこともないそうで、卵を産んでからの子育ては、もっぱらメスのお仕事。(Photo by Francis C. Franklin)



う〜ん、同じカモの仲間でも、マガモとオシドリはずいぶんと態度が違うようです。だったら、「おしどり夫婦」という言葉は、どこから来たのでしょうか?




そして、あっぱれなのは、アホウドリ(albatross)。彼らは、ほとんど例外なく、一生同じ相手と添い遂げるんだとか!



こちらの写真は、日本の鳥島(とりしま)にいるアホウドリです。(Photo of short-tailed albatrosses by Tui De Roy / Minden Pictures)



鳥島は、東京から600キロ南の伊豆諸島南端にある火山島で、アホウドリの棲息地として有名なところ。江戸時代には、上空に舞い上がった白い大きな鳥たちが海に立つ柱のように見えるので、「鳥柱(とりばしら)」という名で知られていたそうです。



それほどたくさん棲息していたということですが、明治時代中期から上質の羽毛を採取するため大量に殺されていったので、第二次世界大戦が終わったころには「絶滅宣言」まで出されたそうです。が、奇跡的にごくわずかのアホウドリが生き延びていたのが発見され、その後は、熱心な保全活動が続けられています。



この保全活動の一環として「デコイ(模型)作戦」というのが使われていて、これは、人間を恐れて危険な急斜面に巣をつくるようになったアホウドリを、斜面のゆるい安全な場所で繁殖させようと、お引っ越しをさせる作戦です。



アホウドリは、生まれて数年(3〜5年)は海の上で過ごしたあと、島に戻って1、2シーズンは、巣づくりの場所と人生のパートナーを探すのに費やすそうです。その若鳥たちが、火山噴火の危険性が低く、ゆるやかな斜面の安全な場所を巣に選んでくれるようにと、アホウドリのデコイと鳴き声の録音を使って、おびき寄せるんだそうです。



デコイ作戦を展開した山階鳥類研究所によると、「近くを飛び過ぎる若いアホウドリが思わず立ち寄ってみたくなる雰囲気」を目指したんだとか!(写真は、山階鳥類研究所のウェブサイトより)



1995年秋、ひと組のペアが卵一個を産み、翌6月に無事に巣立って以来、この安全な場所(初寝崎)では少しずつペアが増えていって、作戦開始から15年後の2006年には、24組のペアを確認。作戦は成功に終わったそうです。



その後も順調に増えていって、昨年(2017年)には、約800組のつがい、合計4600羽が確認されたとのこと。



10年前からは、鳥島から350キロ南東にある小笠原諸島の聟島(むこじま)でアホウドリの保全活動が続けられていて、一昨年(2016年)からは、毎年ひなが巣立つようになったそうです。聟島に加えて、嫁島(よめじま)と媒島(なこうどじま)でもひなが巣立ったことが確認され、聟島列島では実に80年ぶりにアホウドリが繁殖するようになりました。



ちなみに、このデコイ作戦は、アメリカ北東部のメイン州にニシツノメドリ(西角目鳥、Atlantic puffin)を呼び戻そうと始まった「プロジェクト・パフィン(Project Puffin)」を模しているそうです。



愛鳥自然保護団体のオーデュボン・ソサエティー(Audubon Society)が1973年から進めている活動で、メイン州では乱獲のため絶滅したところを、カナダから若鳥ペアを呼び寄せ、再度アメリカを棲息地に戻した試みです。(Photo of Atlantic puffins by Jan Vermeer / Minden Pictures)



今では、デコイ作戦は、パフィンやアホウドリのような海鳥を保全する方法として、ガラパゴス諸島など世界中の14か所で、42種の海鳥たちを助けているのです。



ひとたび鳥たちが巣づくりを始めたら、あとは、自然の摂理に任せるしかありませんが、人間が意識を高めて、邪魔をしないのが一番なんでしょうね。




おっと、すっかりお話がアホウドリの方へそれてしまいましたが、もともとの話題は、「鳥の離婚」でしたね。



先日、ドイツの研究者が8年間の成果を発表したところによると、アオガラ(シジュウカラの仲間、Eurasian blue tit)の離婚率が高い理由は、体が小さくて成鳥の死亡率が高いので、種の保存のために相手が戻ってくるのを待たないで、さっさと繁殖期に入るから、ということでした。(Photo by Sławek Staszczuk)



でも、上で出てきたサギみたいに、寿命が長そうな鳥だって、離婚率は高いんでしょう。だとしたら、他にも理由があるのではないでしょうか?



これに関して、ひなの数が少なく無事に成鳥になりにくいとか、浮気、性格の不一致だって考えられるよ、と述べる鳥類学者もいらっしゃるそうです。



なるほど、それって、なんとなく人間社会に似ているような・・・。



参考文献:
鳥の離婚率に関しては、こちらの記事を参考にいたしました。
“Bird Breakup: Why do some avians stay together and others part?” by Jason G. Goldman, Scientific American, March 2018,  p18

鳥島のアホウドリとデコイ作戦に関しては、公益財団法人・山階鳥類研究所のウェブサイトより以下のページとNHK放映番組を参照いたしました。
「アホウドリ 復活への展望:鳥島とアホウドリの歴史
「同:デコイ作戦
『視点・論点:アホウドリ復活へ 保全の成果と課題』(同研究所・保全研究室 出口智広室長、2018年4月19日放送)
(ちなみに、アホウドリの仲間は22種いるそうですが、英語でshort-tailed albatrossと呼ばれるアホウドリは、鳥島と聟島列島、そして尖閣諸島にしかいないそうです。最近の研究では、鳥島由来のアホウドリと尖閣諸島由来のアホウドリは、まるで違う種類のように遺伝的に異なることがわかったそうです。)

そして、「プロジェクト・パフィン」に関しては、こちらのページを参照いたしました。
Audubon Project Puffin” by Audubon Society
(パフィンもアホウドリも、乱獲のために数が激減しましたが、そのおもな理由は、レディーたちが競って着飾るドレスや帽子の飾りにしたからだそうです。)



恋する猫

猫好きの方には申しわけありませんが、『恋する猫』といっても、猫ちゃんのお話ではありません。



ちょっとびっくりなんですが、「猫の恋」というのは季語だそうな!



そう、俳句に出てくる、そこはかと季節のうつろいを感じさせる、季語。



なんでも、冬の終わりから初春にかけて、猫ちゃんの恋の季節に入るので、「猫の恋」というのが、春を表す季語になったらしいです。



恋猫」とか「うかれ猫」「春の猫」を使うこともあるそうです。



そういえば、子供のころ、家のまわりには猫ちゃんがたくさん住んでいて、それが、ある季節になると、人が叫んでいるような、ちょっと怖い声が響いていたのを思い出します。



「あれはいったい何の音?」と母に尋ねると、「あら、野良猫が鳴いてるのよ」と教えられましたが、どうしてあんなにかわいい猫ちゃんが、こんなに恐ろしい声を出すのだろう? と、不思議でしょうがなかったです。



「かわいい」というよりも、「おどろおどろしい」と表現した方がいいような、どことなく、この世を逸脱したような声ではありました。




それで、この季語を知ったのは、前回のエッセイにも出てきた俳句の番組。



わたしがハマりかけている『NHK俳句』というEテレの番組で、この回(3月18日放送分)は、「音」を詠みましょう、というチャレンジングなレッスンでした。



「猫の恋」と聞くと、まず猫ちゃんの男女(?)が呼び合う声を連想しますが、声そのものを表してみるだけではありません。ちょっとオシャレに、他の音と重ねて詠んで、猫のイメージを引き出すこともできるとか。



たとえば、猫ちゃんがつけている「鈴」を使うと



恋猫の 鈴を鳴らして 戻りけり                窓秋



という風になるそうです。



同じように「鈴」と「戻りけり」を使って



恋の猫 鈴をなくして 戻りけり                西嶋 あき子



というのもあるそうな。



いずれの句も、同居している猫ちゃんが、恋を成就して(もしくは恋やぶれて?)家に戻ってきた場面を思い起こします。



上の句は、胸を張って鈴を鳴らしながら堂々と戻ってきた様子。下の句は、頭を垂れてトボトボと歩いてくる雰囲気を感じます。が、もしかすると逆に、恋の激しさを表している、と取れるのかもしれません。



「恋する猫が鈴をなくした」という単純な情景にも、いろんな風に想像がふくらみますよね。(わたし自身は、「鈴をなくす」から真っ先に「激しさ」を連想したのでした)




この回のゲストは、動物のモノマネで有名な江戸家(えどや)一家の長男、二代目・江戸家 子猫(こねこ)さん。



江戸家さんといえば、どんな動物でも声帯模写で真似てしまう達人一家です。



そのモノマネの専門家が詠んだ句は、こちら。



通学路 豆腐ラッパと 猫の恋                江戸家 子猫



子供のころ、学校から戻る道すがら、豆腐屋さんのラッパと、恋路の猫ちゃんの甘い呼び声が聞こえた、という叙情的な句です。



郷愁を誘うラッパの音と、恋猫の甘い響きをすんなりと並列に置いてみた一句です。



が、選者の夏井 いつき先生は、このようにしてもいいんじゃない? と提案されます。



通学路の恋猫 豆腐屋のラッパ



あえて五七五を崩して、「〜の〜」「〜の〜」という形にされていますが、こうすることによって、「猫のさかり感が増しますよ」とのこと!




う〜ん、それにしても、俳句は、手ごわいものですね。



十分に短い「短歌」よりも短いので、すべてを語らない奥ゆかしさと、想像する楽しみがあります。



ですから、具象ではあるものの、大きくデフォルメされた謎めいた部分があり、芸術性が高いようにも感じます。



が、その一方で、たった17文字の羅列にも、並べ方を変えただけで、まったく響きや印象が変わってくることもあり、それが、ひどく怖くもあります。



わたしなどは、季語も知らなければ、基礎となる文法もあやふやなので、今はもっぱら、どなたかが詠まれた句を鑑賞するのみ。



でも、そんな超初心者のわたしでも、こちらの猫ちゃんを見ていたら、こんな句を思いついちゃいました!



永き日に しばし夢見る 花も団子も                ねむり猫



明るい春の昼下がり、この猫ちゃんにとっては、同居人の車の下でまどろむのが、なによりも嬉しいんです。



そんな恋だの愛だの、団子だのと言ってる場合じゃないよ! 僕はとにかく眠いんだ! という気持ちを代弁してみました。



しばしまどろんだあとは、いきなりメンドくさい現実に引き戻されるんだけど、それでもやっぱり、愛車の日陰のお昼寝は、なにものにも代え難いものがある、そんな一句です。



まあ、ごちゃごちゃと説明しないと通じないような超駄作ではありますが、このかわいい猫ちゃんに免じて、お許しくださいませ。



こちらの猫ちゃんを見かけたのは、去年の春のこと。



生まれてしばらく住んだ街角を歩いて、子供のころの記憶をたどりました。



この街には、やっぱり猫ちゃんが多いなぁ、と感心しつつ。



<追記>
俳句超初心者のわたしは、文中の句を詠まれた「窓秋」って誰だろう? と思ってしまいました。高屋窓秋(たかや そうしゅう)とおっしゃる有名な俳人だそうな。 昭和初期から近年まで活躍なさった方で、代表作とされる句には、こちらの春の句があるそうです。



ちるさくら 海あをければ 海へちる                窓秋



深読みをすれば、いろんな解釈ができそうですが、単純に、散りゆく桜のピンクの花びらと、紺碧の海の対比が美しい句だと思います。



今までは、「アメリカに住んでいるので、日本古来の季語を使う俳句は関係ない」と思っていました。が、どこに住んでいても、木が芽吹くと命の強さを感じるし、つぼみがふくらむと無性に嬉しいもの。



それを素直に詠めれば、ステキなことだと思うのです。



車の自動運転技術:その現状は?

Vol. 213



先日アリゾナ州で起きた痛ましい交通事故も記憶に新しいところですが、今月は、車の自動運転技術のお話をいたしましょう。



<車の「自立」って?>

昨年12月号でご紹介しましたが、我が家にも電気自動車のテスラ「モデルS」がやって来て、ようやく何がしかの自動運転技術に触れることとなりました。すると、今までと違ったものが見えてきたような気がするのです。



そもそも自動運転とは、英語では self-drivingもしくはautonomousと呼ばれ、自分で判断を下せる、自立した存在をさします。とはいうものの、いきなり「自立」は難しいので、若干のドライバーアシスト機能の「レベル1」から完全な自動運転を示す「レベル5」まで幅広く定義されています。



テスラの例では、彼らの「オートパイロット(Autopilot)」機能が「レベル2」の自動運転技術となり、フリーウェイでの車間距離を保った自動走行(アクティブクルーズコントロール)やハンドル操作、車線変更など、人がハンドルから手を離せる機能が提供されています。が、安全性のため、かなり頻繁にハンドルに触れなくてはならないルールになっていて、指示されたとおりにハンドルに触れないと、自動制御はその場で解除されます。

日産なども車線キープ機能や自動緊急ブレーキを売りとしていますが、自動駐車システムなどと並んで「レベル2」の機能の一例となります。いずれにしても、車が自分を制御するとともに、まわりの状況を少しでも認識していないとできない技です。



その上の「レベル3」となると、いきなりハードルが高くなって、フリーウェイの自動走行に加えて、街中の走行もマスターしなくてはいけません。市街地の運転となると、信号や交通標識もあるし、歩行者や自転車も頻繁に行き交うし、車を取り巻く環境もぐんと複雑になります。

公道で走る自動運転車と聞くと、自動運転技術の先駆けとなったグーグル(現ウェイモ、Waymo:一昨年グーグルの親会社アルファベットより分社化)の愛くるしい「ファイアフライ(ホタル)」を思い起こします。このホタルくんや白いトヨタ「プリウス」、レクサスSUVハイブリッド(RX450h)と、カリフォルニアやネヴァダの街中でテスト車を見かけるようになって久しいですが、いまだに「レベル3」の自動運転車は試験走行のみにとどまっています。

アウディが新技術を搭載したセダン「A8」の販売が各国で許可されれば、こちらが世界初の「レベル3」市販車となるようです(ただし、一般道路では時速60キロ以内、高速道路では上下線に中央分離帯があることが条件だとか)。



<目指せ「レベル4」!>

この先の「レベル4」となると、理論上は、フリーウェイでも街中でも車がすべてを判断できることになり、もはやドライバーは必要なくなります。ですから、この「レベル4」を目指して、各社しのぎを削っています。



この手の乗車テストで話題になったのは、マサチューセッツ工科大学からスピンオフしたニュートノミー(nuTonomy)があります。2016年9月号でもご紹介したように、シンガポールの街中で行なった乗車テストは、世界初の一般客を対象にした自動運転タクシーとなりました。

ダウンタウンの4キロ四方のみと一部区域に限った乗車テストでしたが、何が起きるかわからないので、危険な状況を回避できるようにと運転席には常時ドライバーが待機していました。その後、ニュートノミーはアメリカ東海岸のボストン都市部でも試験走行を展開し、自動運転を取り巻く幅広いソフトウェア開発に注力しています(昨年、自動車部品大手のデルファイに買収され、分社化された自動運転技術の開発部門は、アプティブと改名されました)。



2009年からグーグルの名で自動運転に取り組んできたウェイモは、現在「レベル4」を目指して、全米各地で公道試験を展開しています。愛くるしい実験車「ファイアフライ」から量産モデルに移行する過渡期にあり、昨年末からは、アリゾナ州フェニックスで、自動運転技術を搭載したクライスラー「パシフィカ」ハイブリッド・ミニバンを使って、一般の希望者に体験乗車してもらっています。

一部区域に限った試みではありますが、運転席にも助手席にもドライバーは乗車しません。後部座席にゆったりと乗り込んだ体験者は、「子供を送り迎えする忙しいライフスタイルにも、ピッタリねぇ」と、まんざらでもない様子。今年末には、このフェニックス郊外で自動運転車を呼べる配車サービスを開始する予定だとか。



ウェイモは、このような自動運転「パシフィカ」ミニバンを600台保有するそうですが、つい先日、高級車メーカーのジャガーに電気自動車「I-PACE」2万台を発注すると報道されました。再来年からハイエンド自動運転車として各地に配備するそうですが、ウェイモとしては、あくまでも自動運転ソフトウェアの開発に携わります。

この点では、iPhoneで有名なアップルも同じなのでしょう。レクサスSUVハイブリッド(RX450h)27台を保有するアップルも、自動車メーカーではない以上、ハードは車屋さんに任せて、自分たちは、ひたすらソフトウェア開発に専念する。そして、自分たちが培った技術は車屋さんに売る。そういったスタンスのようです。昨年末には、アップルは独自方式のナビゲーションシステムで、かなり詳細な特許を取得していて、「アップル印」の自動運転技術も遠い夢ではないのかもしれません。



一方、カリフォルニアの路上試験の状況は? といえば、この3月初頭から、サンフランシスコの東に位置するコントラコスタ郡で、本格的な自動運転バスの乗車テストが開始されました。一昨年秋にコントラコスタ郡に限って施行された州法(AB1592)に則り、オフィスが立ち並ぶビジネス区域(サンラモン市のビショップ・ランチ)で、12人乗りのミニバスが公道を走るようになったのです。

小さなミニバスが、たった12人の乗客を乗せてゆっくりと進む試験走行ですが、このバスには、ハンドルもアクセル/ブレーキペダルもなく、運転手も乗車しません。ゆったりとしたビジネスパークの中とはいえ、3万人が勤務する地域。歩行者のような「障害物」を認識しながら公道を走る姿は、画期的とも言えるでしょう。



次のステップは、オフィスと近くのバスセンターや電車駅(ベイエリア高速鉄道、BART)を結んで、人を運ぶこと。バスや電車の公共交通機関とオフィスや自宅の最終目的地をつなぐ「足」は、サンフランシスコ・ベイエリアのような人口密集地では、切に求められています。



<自動運転車による死亡事故>

ところで、3月中旬、自動運転車が起こした交通事故が大きく報じられました。こちらは、一般車両を使った配車アプリで知られるウーバー(Uber:本社サンフランシスコ)が、アリゾナ州テンピで行なう公道テストで、道を渡ろうとした歩行者をはねて亡くなったというもの。



ウーバーによる公道テストの取り組みは早く、一昨年9月、ペンシルヴァニア州ピッツバーグで全米初となる一般客向けの乗車テストを開始しています。交通事故が起きた夜間走行テストでは、自社開発の自動運転ソフトを搭載したボルボSUV(XC90)には、運転席にテストドライバーが乗車していました。

歩行者は横断歩道でない箇所で暗がりから飛び出しているものの、路上から目を離したテストドライバーの責任も問われています。が、この事故で真っ先に槍玉に挙がったのは、ライダー(光レーダー、Lidar)システムを提供する、シリコンバレーのヴェロダイン・ライダー(Velodyne LiDAR:本社サンノゼ)。ウーバーが採用したとされるHDL-64Eモデルは、周囲360度、半径120メートルの範囲で見渡せるとのことで、レーザー照射を遮る障害物がない限り、夜間にもまったく問題はないとされています。それどころか、夜間の方が、太陽光の反射に惑わされないので、よく見渡せるとか。

現在、国家運輸安全委員会(NTSB)が原因究明に乗り出していますが、ヴェロダインの幹部は、「わたしたちも、みなさんと同じように首をかしげているわ。たとえライダーが人を検知しても、自動運転システムがそれを認識して行動を起こさなければ、事故は回避できないのよ」と、ブルームバーグのインタビューで述べています。



事故を受けて、ウーバーは地元カリフォルニアでの路上テストを中止する決定を下しました。また、それに先駆け、自動運転車の開発に取り組むトヨタも、すべての路上テストを一旦停止すると発表しています。トヨタは、自社開発の技術に加えて、ウーバーとも自動運転技術の供与契約を結ぶと伝えられ、いち早くテスト中止に乗り出したのかもしれません。



なにやらここで思い起こすのは、一昨年春のテスラ「モデルS」の事故。フロリダ州で「オートパイロット」走行中に前方のトラックに激突し、ドライバーが亡くなったというもの。一昨年9月号でも取り上げていますが、この時は、レーダーではトラックを検知していたものの、制御コンピュータがカメラ映像を含めて総合的に判断した結果「トラックではなく、遠くにある道路表示板だ」と結論づけて、ブレーキをかけなかったのでした。

つい先週も、シリコンバレーのフリーウェイで、テスラSUV「モデルX」が中央分離帯に激突してドライバーが亡くなる事故が起きましたが、これはオートパイロット走行中の事故だったのか? と現在調査中です。



<遠い「レベル5」>

というわけで、冒頭にも書きましたが、我が家にテスラ「モデルS」がやって来たことで、自動運転に関する見識が変わったように思います。なによりも、機械は人間とは違う、ということでしょうか。



たとえば、車線変更を車に指示しても、十二分なスペースがないと、がんとして動こうとしません。そのわりに、隣の車線から前方に割り込む車に気づかずに、急ブレーキをかけたりします。アップダウンのある道路だと、車線が蛇行しているように勘違いして、ハンドルを大きく左右に切ろうとします。隣に大型トラックがいると、人間は無意識のうちに逆側に寄ろうとしますが、機械は、そんなことはお構いなし。あくまでもまっすぐに突き進もうとするので、人間は「あ、ぶつかる!」と鼓動が速くなります。

そして、かなり「お利口さん」の車でも、フリーウェイに入るのは大の苦手で、車の流れに切れ目がないと、いつまでも進もうとしないと聞きます。そう、「こわいよう・・・」と震え上がる子供のように、高速道路の入り口で、じっと動かなくなるらしいです。



自動運転における最高レベル「5」というのは、車が自分で判断できるだけではなく、車同士がコミュニケーションを取り合って、譲り合う環境が整ったということですが、それくらいにならないと、高速道路に乗るなんて芸当はできないのかもしれません。

けれども、それは、世の中の車の大部分が自動運転になったということで、残念ながら、そうなるためには、あと何十年もかかるのでは・・・と感じている今日この頃なのでした。



夏来 潤(なつき じゅん)



スランプのときにはどうするの?

突然ですが、「スランプ」の話題です。



スランプといっても、いろいろありますよね。



なんとなく、勉強や仕事がはかどらないとか、体調がすぐれないとか、人とおしゃべりしていても、いつものように楽しくないとか、自然と、ため息が出てしまうような感じ。



もっと深刻なものになると、「これでいいのかな?」と、自分の生き方にすら疑問を持ちはじめるかもしれません。



それこそ、スランプには、人の数ほど種類があるのでしょう。



それで、今日の「スランプ」は、俳句のスランプなんです。



たとえば、いくらがんばっても、頭をひねっても、いい句が浮かばない。



自分ではいい句だと思うんだけれど、句会で発表すると、評判がかんばしくない。



以前は、もっと調子よくスイスイといい句ができたのに、近頃いったいどうしたんだろう? といったスランプです。



いえ、わたしは、俳句は詠めません。ですから、わたし自身の悩みではないんです。



でも、興味は大いにあるので、NHK・Eテレの『NHK俳句』という番組を観ていたら、スランプの話題が出てきたのでした。


アメリカをはじめとして、海外にいながら日本の放送を観るワザ(正規の方法と裏技)がいくつかあって、我が家は今、有料サービスに入っています。過去一週間の地デジとBSの番組がネット経由で観られるという、ありがたいサービスです。



連れ合いが出張中の日曜日、のんびりとEテレの『日曜美術館』を観ようと番組表を見ると、同じ日曜の早朝に『NHK俳句』なる番組があって、それが先生のトークも軽やかな、テンポのいい楽しい番組だったんです。



毎週ゲストをお招きするようですが、このとき(3月4日放送分)のゲストは、前・横浜高校野球部監督の渡辺元智(わたなべ もとのり)さん(写真右)。横浜高校といえば、松坂大輔投手をはじめとして、数々のプロ野球選手を輩出してきた野球の名門校。



その野球部監督として、長年にわたって逸材を育ててこられた方なので、おっしゃることにも重みがあります。



人を育てるのは、相手のことを思って、相手にわかりやすく伝える言葉。



キャッチボールひとつをとっても、相手がボールを受けやすく、投げ返しやすくするように投げてあげる。それが野球の基本であり、相手とのあいさつでもある、とおっしゃいます。(番組も、監督と俳句の先生の屋外でのキャッチボールで始まる、という意表をつく趣向でした)



その渡辺監督に、俳句の今井聖(いまい せい)先生が「スランプのときには、どうすればいいでしょう?」と質問なさったのです。



どうやっても、うまく言葉が浮かんでこないときには、どうすれば? と。



すると監督は、「そんなときには、一度離れてみる。ちょっと休んで間をおくのがいいですね」とおっしゃいます。



「あ〜、できない、できない」とがんばり続けるのではなく、その場から離れてみて、少し休んでみる。実際、春の大会で横浜高校を優勝に導いた松坂投手には、いったん休息期間を与えて、キャッチボールすらさせなかった。そこからリフレッシュして、新しい気持ちで夏の大会に臨んだのだ、と。



もちろん、できないからって、やめてしまうのは良くないですが、逆に調子が悪いのに、同じように続けているのも良くないらしいです。


そう言われてみれば、思い当たる節がひとつやふたつはありませんか。



わたし自身は、小さい頃からピアノを習っていたんですが、小学二年生のときに一度スッパリとやめたんです。「四年生になったら、また始める!」と母に宣言して。



やめたのは「スランプ」という上等なものではなく、レッスン日の土曜日に友達と遊びたかったからです。それでも、四年生になって宣言どおりにピアノを再開した自分が誇らしくもありますし、あのとき再開したおかげで少しは弾けるようになって嬉しくもあります。



そういった「冷却期間」があるからこそ、戻ったときに、イヤなことの中にも喜びを感じられるのかもしれませんよね。


いや、それにしても、みなさん俳句がお上手ですねぇ。



このときのお題は、「(たこ、いかのぼり)」。

(情けないことに、わたしは凧が「いかのぼり」と読むことすら知りませんでした!)



海外を含めて毎月数千句ほども寄せられるそうですが、その中から、先生が選ばれた9句。どれもこれも「プロか?」と思えるほどの秀作なんです。



そして、9句の中から一席(一番)になったのは、こちらの句。



降りてきた 凧にちょこんと 座る神    吉野ふく(佐賀県唐津市)



高く、高く揚がった凧を、糸をたぐって手元に引き寄せると、パッと地面に凧が降り立つ。そこには、小さな神さまがちょこんと座っていた。



ちょこんと座る神さまは、ユーモアもあるし、読み方によっては、両親やどなたか近しい方が凧に連れられて降りて来られたのかもしれない。



とにかく、この句は視点が新しいし、凧を詠んでいるのに、同時に神を詠む素晴らしさがある。凧が神を連れてきたという奇抜な情景に、確かな実感すらある、との評でした。



こちらは、司会を務めるエッセイストの岸本葉子さんが一番にひかれた句でもありますし、わたし自身の一押しでもありました。



たぶん、いい句というものは、目の前に光景が浮ぶようなヴィヴィッドさがあって、なおかつ、詠む者の気持ちがじんわりと伝わってくる句なんでしょうね。



というわけで、これからやってみようかな? と思い立った俳句。



自分にとっては「スランプ」なんて、まだまだ遠いお話ですが、スランプになるほど上達してみたいものです!





追記:『NHK俳句』の放送日は、Eテレで毎週日曜日の午前6時35分から7時。再放送は、水曜日の午後3時から3時25分だそうです(録画するしかない方も多そうですね)。基本的には、視聴者のみなさんから投稿された俳句を、先生(選者)が選び解説する形式で進められます。



毎月、4人の選者が一週ごとに受け持たれるみたいですが、3月第一週(4日)を担当された今井聖先生(写真右)は、一年間番組を担当されて最後の出演でした。語り口が軽快で、とてもわかりやすい解説をしてくださるので「あ、この先生なら付いていける!」と思ったのに、いきなり降板されるとのことで残念です。次の先生にも「わかりやすさで勝負してほしい!」と期待しているところです。



企業が建ててあげた校舎:ディーテック高校

Vol. 212



今月は、新しくピッカピカの校舎が完成した、学校のお話をいたしましょう。

<オラクルが高校を!>
 ちょっと意外なニュースを耳にしました。ビジネス向けソフトウェアで名高いオラクル(Oracle、本社:サンフランシスコ近郊レッドウッドシティー)が、公立高校のキャンパスを建ててあげたというのです。

どうしてそれが「意外」だったかというと、慈善事業で名を上げる他のシリコンバレーのテクノロジー企業と比べて、失礼ながら、個人的にオラクルには社会貢献というイメージを持たなかったからです。

社会貢献と聞くと、たとえば、サイエンスや教育分野のさまざまなプロジェクトや奨学金で知られるアルファベット(グーグルの親会社)、サンフランシスコ総合病院の看板に名を連ねるフェイスブック創設者マーク・ザッカーバーグ氏と小児科医のプリシラさん夫妻、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)小児病院の移転改築に寄与したセールスフォース・ドットコムの創設者マーク・ベニオフ氏と、地元に深く根を下ろした企業や創設者の理念を思い浮かべます。(写真は、UCSF小児病院のMRI室。部屋全体は虹色に変化し、壁にはイラストが浮かんだり消えたりと、小児患者が怖がらないような配慮が見られます)

一方、オラクル社に関しては、創設者のラリー・エリソン氏が日本文化に造詣が深かったり、趣味のヨットが高じてヨットレース『アメリカ杯』をサンフランシスコに招致したり、自ら操縦するプライベートジェット機が規則を曲げて夜中に離着陸して問題視されたりと、道楽が先行するイメージがありました。2年前にエリソン氏が南カリフォルニア大学に2億ドル(100円換算で200億円)を寄附して、最先端のがん研究センターの設立を目指していることなど、あまり人々の記憶に残っていないかもしれません。(写真は、左がエリソン氏、右が初代センター長のデイヴィッド・アガス医学博士)



もちろん、一流企業であるかぎり、オラクル社は全社を挙げて「人の助けになる(philanthropy)」理念を掲げていらっしゃいますし、オラクル社員のみなさんも事あるごとにボランティア活動に汗を流していらっしゃいます。その一環として登場したのが、新たに完成した高校のキャンパス。その名は、デザインテック高校(Design Tech High School)、愛称はディーテック(d.tech)ハイスクール。

ディーテック校は、オラクル本社の地元のサンマテオ統合高校学区に、4年前に設立された公立のチャーター・ハイスクール。チャーター校というのは、特別認可を受けて設立する新しいタイプの試験的な学校で、多くは科学や芸術に特化した、いわゆる「普通校」とは異なる学校です。

近年、チャーター校は米国内で増加傾向にあるようですが、ディーテックは、テクノロジー分野を中心に音楽やアート、文学や社会科学にも特化した高校。ちっと前にポピュラーだった科学・工学にフォーカスした「STEM(ステム)教育」を一歩進めて、芸術や社会環境も重視する「STEAM(スティーム:Science, Technology, Engineering, Arts and Mathematics)教育」を目指しています。

ディーテック校の授業料は無料で、カリフォルニア州の生徒だったら誰でも入る資格を持つそうです。が、なにせ資金に限りがあるので、創立時から他の高校の空きスペースを利用したり、車体工場に間借りしたりと、分散して授業を行っていました。そこで、オラクル社が4千万ドル強(100円換算で43億円)を寄附して、自社キャンパス内に真新しい高校の校舎を建ててあげたのです。(写真は、今年1月に行われたディーテック校の落成式。真ん中の黒をまとった方が、オラクル現CEOのサフラ・キャッツ氏)



一昨年の秋以来、個人的に日本滞在の時間が増えていたので、このディーテック高校の話題は初耳でした。地元ニュース番組の紹介によると、生徒たちの自主性を尊重するため、校舎には始業ベルが鳴り響くこともなく、教室内ではグループ学習で互いに協力し合うとともに、発想を刺激し合う形式が重んじられているとか。

高校で過ごす間に、できるだけたくさんの刺激を受けて、自分には何が向いているのか、何に情熱を持てるのかを模索する期間とする。それが、ディーテック校のモットーでもあるようです。ですから、学期の合間に年に4回「インターセッション」という中間期間を設けて、オラクル社などテクノロジー企業の社員ボランティアをはじめとして、さまざまな業界から人を招いて、生徒たちの指南役を務めてもらうそうです。(写真は、ウェルズファーゴ銀行の担当者から、金融一般について学んでいるところ)

ニュース番組では、マイクを向けられた男の子が「最初は宿題がないからって嬉しかったんだけど、グループでいろんなことを学ぶ環境って、とってもためになると思うんだ」と答えます。大人びた雰囲気の彼が白板を背に授業をリードする姿は、生徒というよりも若い先生にしか見えません。

そして、シャカシャカとコンピュータのキーボードを叩く女の子に「学校の名前でもあり、みんなが目指している design thinking(デザイン思考)って何?」と尋ねると、「そうねぇ、他の人の立場に立って、彼らが何を欲しているかを追求してデザインすることかしら」と、これまた大人びた回答をしてくれます。もしかすると、彼女はエンジニアを目指していて、大学もたくさんエンジニアを輩出する工学系に進むのかもしれません。

カリキュラムの4本柱のひとつである「デザインアドバイザリー」という分野は、スタンフォード大学にあるデザイン研究所、愛称ディースクール(d.school)に習ったそうですが、その発想の源にあるのは、デザイン。デザインに用いるインタラクティブな(対話式の)手法を使って、アートのジャンルを超え、ビジネスや日常生活とさまざまな問題に立ち向かう創造性や対応性を高める、という意味だとか。科学の手法が「こうやって、ああやって」とキチキチと定められているのに反して、デザイン的な手法というのは、枠にとらわれない「なんでもあり」の柔軟な発想で、互いに刺激し合って考えを進めたり物事を成し遂げたりする、といった感じなのでしょうか。

アメリカの教育現場で優れた点は、物怖じしないところ(わからないことは、恥ずかしがらずにとことん追求する態度)と、人の意見に耳を傾けるところだと個人的には思っているのですが、グループ学習は、そういった長所をうまく伸ばしてくれるのかもしれません。



なにせ、ディーテック校は4年前に設立されたばかりなので、今年6月に初めて卒業生が誕生します(カリフォルニアの公立高校は4年制)。ですから、「学校の評価」ができるのは、まだまだ先の話です。

けれども、一企業が自社キャンパス内に公立校の校舎を建ててあげて、しかも、社員が教育の面でも協力してあげるなんて、とても珍しいケースであるのは確かです。評判が評判を呼んで、今は一学年150名の定員に対して、1000人が応募するほど知名度上昇中。そんなディーテック高校は、これから目が離せない学校となることでしょう。



<キャンパスが建つ土地柄>
ついでに世間話をいたしましょうか。このディーテック高校が建つオラクル本社のキャンパスというのが、おもしろい土地柄なんですよ。

実は、この辺には昔「マリーンワールド(Marine World)」という遊園地がありました。わたしが遊びに行っていた1980年代前半には、「マリーンワールド・アフリカUSA」という長たらしい名前でしたが、動物園と水族館を合わせたような遊園地だったんです。

こちらの航空写真(東側のサンフランシスコ湾上空から撮影)では、真ん中の池を囲んだ高層ビル群がオラクル本社のキャンパスであり、昔の遊園地一帯。ご覧のように敷地は広く、園内にはボート遊びができる池や、動物を放し飼いにする柵があったりして、のんびりとした遊戯施設でした。サンフランシスコ空港の少し南と、市内からも近いので、ピクニックには最適な場所だったのです。もうちょっと足を伸ばすと、フリーウェイ101号線沿い(メンロパーク市)にはミニチュアゴルフとゴーカートの施設もありましたし、さらに南に行くと、今のシリコンバレー(サンタクララ市)にはグレートアメリカ遊園地もあって、101号線沿いは、楽しい場所のオンパレードでした。

今となっては、マリーンワールドが北に移転して久しいし、ミニチュアゴルフ施設は、つい最近「再開発」の波に乗って姿を消してしまいました。が、この元遊園地の場所には、子供から大人までみんなが楽しく過ごした「想い」が詰まっていて、気持ちの良い風が流れているように感じるのです。

上でも書きましたが、オラクルの創設者ラリー・エリソン氏の趣味のひとつは、ヨット。2013年9月、ヨットレースとしては世界的に有名な「アメリカ杯」をサンフランシスコに招致し、自ら率いるアメリカチームが堂々と優勝したことも記憶に新しいです。スペインで開かれた前大会でも勝利し、そのときのヨットは、本社キャンパスの池に誇らしげに停泊しています。その勇姿は、池に流れる心地よい風に似つかわしくも感じられます。



そして、キャンパス内に完成したディーテック校の校舎は、蛇行する運河と散策路を背に建っています。この辺りからサンフランシスコ湾の南側は、国や州、自治体の自然保護区となっていて、簡単には開発できない地域です。

もともとサンフランシスコ湾を取りまく海岸線は、すべて湿地帯(tidal marsh:海岸線の海水の湿地)になっていて、魚や鳥、小動物たちの生息地となっていました。先住民族が住んでいた時代には、それこそ空が真っ暗になるほど数多(あまた)の鳥が飛来していたし、水面を歩けるほどの大量の魚や小型のサメすら泳いでいたといいます。

時が流れ開発が進むと、次々と湿地帯が埋め立てられていって、1950年代にはサンフランシスコ湾を埋め立てよう(!)というプランまで持ち上がりました。が、近年は逆に、昔の環境に戻そうとする動きも見られます。湿地には、高波による海岸線の侵食を防いだり、汚染水を浄化して土壌をきれいに保ったりと、ありがたい効果があるからです。それだけではなく、鳥たちが飛来する静かな環境を眺めているだけでも、心の洗濯になるのかもしれません。

そんな豊かな環境で学ぶ生徒たちも、近年多発する銃乱射事件に備えて「Run, hide, fight(逃げろ、隠れろ、さもなくば戦え)」と、物騒なモットーを叩き込まれているのでしょうか。

運河から元遊園地に吹き抜ける、さわやかな風を肌に受けると、そんなことを教えるのは果たして正しいことなんだろうか? と、不可思議に感じるのでした。

そして、自然を愛でるサンフランシスコ・ベイエリアの住民の多くが、同じように違和感を抱いていることでしょう。



夏来 潤(なつき じゅん)



もうすぐ春でしょうか

日本でひと月を過ごしたあと、2月初めにアメリカに戻ってくると、カリフォルニアの空気がやんわりと暖かくなっているのに気づきました。



だいたいアメリカでは、12月下旬のクリスマスの時期に一番寒くなる地域が多く、ここ北カリフォルニアも例外ではありません。



2月ともなると、「もうすぐ春かしら?」と、命の芽吹きを感じるものです。




そんな初春の夕刻、サンフランシスコの街を海沿いまでお散歩すると、あちらこちらでカップルを見かけました。



わたしのお気に入りの「1.5番埠頭(ピア1&1/2)」にさしかかると、



若いカップルが仲良くベンチに腰掛け、海を眺めています。



でも、二人の頭には「海」はなくて、会話のことでいっぱいなんです。



「あのさぁ、こんなことを聞くと、ちょっとひかれるかもしれないけど、聞いてもいいかな?」



と、男性が女性の方に向き直って、唐突に尋ねます。



「え、なに、なに? べつに構わないわよ」



女性は、それこそ何が出てくるのかと、目をまんまるにして身を乗り出します。



と、話がとっても気になるところですが、残念ながら、その先は存じません。足早に散歩していた連れ合いとわたしは、すぐにその場を通り過ぎて、二人の会話はすっかり海風にかき消されてしまいました。




フェリービルディングの中を通って、賑やかな電車通りに出て来ると、横断歩道のところで後ろにカップルがいるのに気づきました。



なにやら声高に会話しているのですが、男性は藪から棒に、こんな話題を持ち出しています。



「今まで僕が海で体験した中で、一番すごかったのは、○○海のクラゲだったよ。もう、そこらじゅうにクラゲがプカプカ浮いていて、あんなのは初めてだったねぇ」



すると、女性も負けないくらいに声高に「まあ、スゴいわねぇ!」と合いの手を入れています。



その相槌に勇気づけられたのか、男性はさらにクラゲについて語ります。



「クラゲってさぁ、刺されるとひどいでしょ。でも、あれって、一度目は大丈夫なんだよね。一度クラゲに刺されると、その時は大丈夫なんだけど、毒で体に抗体(antibody)ができるんだ。それで二回目に刺されると、(体内の抗原抗体反応によって)アレルギー反応が出ちゃって、腫れたり痛くなったりって大変になるんだよ」



と、なかなか科学的な知識を披露しています。



女性の方は、ほんとに感心したのか、それとも感心したフリをしているのか、「あらまあ」とか「そうなんだぁ」と、見事な合いの手を入れています。



残念なことに、ほどなくカップルと離れてしまったので、そのあとクラゲが何に化けたのかは存じません。



けれども、先ほどのカップルといい、このクラゲのカップルといい、どう見たって最初のデートか二回目のデートという感じで、それが、ういういしくて微笑(ほほえ)ましくて、「あ〜春なのかなぁ」と思ってしまいました。



どうしてデートして間もないとわかるのかって、男性の「声の張り」と女性の合いの手の「熱心さ」には、何回もデートしたカップルには無い情熱がありましたもの。




その数日後は、ヴァレンタインデー(Valentine’s Day)だったんですが、



アメリカの男性って、もう大変なんですよね!



そうなんです、今まで何回も書いたことがありますが、アメリカでは、ヴァレンタインデーは「男性から女性に贈り物をする日」。お花やチョコレート、ぬいぐるみにアクセサリーと、「毎年頭を悩ませる日」でもあるのです。



なんでも、今年はヴァレンタインデーに向けて、200億ドル(およそ2兆円)のお買い物があるだろう、と予測されていました!



もちろん一番人気は、赤いバラなどのお花ですが、ヴァレンタインデーにスーパーマーケットに行ったら、お花のコーナーには男性がひっきりなしに訪れ、大事そうに花束を抱えてレジに向かう人をたくさん見かけました。



それこそ、お花を買うのに未婚も既婚も関係ないのですが、売り場にはこんなことも書いてあります。



Let the roses do the talking(バラに気持ちを伝えてもらいましょう)」



こちらの車は、後部座席に「Happy Valentine’s Day(ハッピー・ヴァレンタインデー)」の風船を詰め込んでいます。



たぶん、お店に立ち寄って花束も買われたんじゃないかと思いますが、このように、お花と風船、お花とケーキと「奮発する」男性もいらっしゃいます。もしかすると、彼らのポケットの中には「指輪」なんかもひそませてあるのかもしれませんね。



というわけで、この日はあちらこちらで赤やピンク色を見かけて、華やかな気分にもなりましたが、その二日後は、旧正月(Lunar New Year)。



16日金曜日の午前零時を迎えると、辺りで爆竹がパンパンと鳴り響きます。



この時期、旧正月を祝う習慣のないわたしたちも、「ハッピーニューイヤー!」って言われますが、みんなに旧正月が浸透しているカリフォルニアでは、またまた春先にめでたいお祝い事がやって来た! という感じでしょうか。



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