年末号:住宅難と計画停電、植物由来の肉も話題でした

Vol. 231



今年も、いよいよ終わりに近づきました。年末号は2019年を振り返って、印象に残るカリフォルニアの話題3つをお届けいたしましょう。



<第1話:冬の風物詩「マンホール」と「ナビゲーションセンター」>

12月中旬、三週間の日本滞在から戻りサンフランシスコの街をお散歩していると、ふと、この街に初めてやって来た時のことを思い出しました。

もう40年(!)も昔の話になるのですが、夕陽が色づく頃、街の西側にあるオーシャンビーチという海岸線に連れて行ってもらいました。ここは太平洋に沈む夕日を臨む絶好のポイントで、海に落ち行く大きな太陽を見ながら「この先は、日本なんだなぁ」と感傷的になっていると、背後からは立派な満月が上がってきて、煌々と光を放ち始める。そんなシーンが、長い時を経て脳裏によみがえってきたのでした。



何年経っても変わらない自然の風景もありますが、ここ数年で急激に変化した街の風景もあります。そのひとつが、路上生活者が目立つようになったこと。

これまで何回かご紹介したこともありますが、「シリコンバレー」と呼ばれるサンタクララ郡や、近年テクノロジー会社の起業が目立つサンフランシスコ(市と郡を兼ねる)は、もともと狭い土地のわりに世界各地からの人口流入が激しく、交通渋滞や住宅難といった社会問題が年々深刻化しています。



人口増加は、どうやら2016年以降は落ち着いてきて、それまでの「年間に10万人の増加」というハイペースではなくなってきましたが、住宅難に関しては「もう住む家やアパートがない!」というくらいに飽和状態になっていて、住宅価格や家賃の高騰に拍車をかけています。

カリフォルニア不動産協会のデータによると、たとえばサンフランシスコ市内で家を買おうとすると、一軒の中央値は158万ドル(約1億7300万円)。こういった平均的な家を買う場合、世帯年収は31万ドル(約3400万円)必要だということです。

そんな世帯は、市全体の18パーセントのみ。つまり、残りの82パーセントの世帯は、サンフランシスコで平均的な家を買うのは「夢」ということです(今年第3四半期の中央値と住宅取得能力指数(Housing Affordability Index)。中央値は、期間内の一軒家とマンションの売買戸数の半数が値を上回り、半数が下回るという中間の値)。



そんなわけで、サンフランシスコや周辺地域では、アパートや長期滞在型格安モーテルにも住めない住民が増えています。

たとえば、シリコンバレーと称されるサンタクララ郡では、2年に一度行われる年初の「ホームレス人口調査」で、今年は前回の3割増となる約1万人と発表されています。サンフランシスコでも、2割増の約8千人となっています。



サンフランシスコでは、それまでは一部地域(Tenderloin地区)に集まっていた路上生活の方々が、ダウンタウンのあちらこちらにも寝泊まりするようになり、個人経営の小さなレストランの前にダンボールを広げたり、ちょっとスペースがあるとテントを広げたりと、街角で目立つ存在になっています。

この冬は、新たに「歩道のマンホールの上で寝っ転がる人々」というのが冬の風物詩になった感があります。言うまでもなく、マンホールからは地下鉄の熱放出があるので、寒さをしのぐ「自然のヒーター」となるのです。



路上生活する人々が増えるということは、道路を衛生的に保つだけでも大変になるということで、今年一年間、サンフランシスコ市は公道の掃除だけで約103億円を費やしたそうです。排泄物だけではなく、麻薬の注射針も落ちているので、住民の安全を考えると速やかな対処が必要となってくるのです。



そんな状況を少しでも打開しようと、サンフランシスコ市当局は「ナビゲーションセンター」と銘打って、路上に生活する人々の一時的な仮住居を建設しています。

こちらは、12月中旬に完成したばかりの最新のナビゲーションセンター。街の一等地とも呼べるダウンタウン南部の海沿い(Embarcadero地区)にあります。

こういった施設は、単に「路上生活の住民を住まわせる」というだけではなく、慢性的な疾患や麻薬・アルコール依存症を持つ人には立ち直ってもらって、ゆくゆくは定職に就き定住先を見つけてもらう、といった「足がかり」の意味合いを持つ暮らしの場となります。

実際は、仕事があっても車にしか住めない方々もいらっしゃるわけですが、ナビゲーションセンターは、どこにも行き場のない方々を救済する措置と言えます。



2015年にスタートしたサンフランシスコ市の「ナビゲーションセンター」の取り組みは、それなりの評価を得ていて、近隣のベイエリアの都市や国内の他地域でも参考にしようという動きがあります。が、8箇所目となる海沿いのナビゲーションセンターに対しては、とくに近隣住民の風当たりが強かったです。

ひとつに、ロケーション。市の所有する駐車場に建てられたナビゲーションセンターは、ベイブリッジを臨む風光明媚な場所。まわりにはマンションやアパートがたくさん建ち並び、センターの存在が不動産価値を下げる懸念があります。

そして、路上生活者の中には、精神的に治療が必要な人や依存症を抱える人も多く、周辺住民の不安をつのらせたこともあります。

そんなわけで、住民側は裁判所に訴え出たのですが、審理の最中も建設は差し止められることなく、施設は完成して入居者を迎えることとなりました。



わたしの友人も近くの高層マンションに住んでいて、彼女はこう主張するのです。

「(セールスフォース・ドットコムのCEO)マーク・ベニオフみたいな街の有力者たちは、みんなここからは遠い高級住宅地に住んでいる。だから、有力者たちはここにナビゲーションセンターを置くことに賛成しているのよ!」と。(実際、彼らがどの地区に居住しているのかと、彼女はリストを使って説明してくれました!)



新規に街の構造を変えようとすると、「わたしの近くには来ないで!」と反対運動が起きるのは世の常です。こういった反対気運のことを英語では「NIMBY(ニムビイ:Not in my Backyard、わたしの裏庭には来ないで)」と表現しますが、こんな街の一等地に、しかも住宅街の真ん前にナビゲーションセンターを建てたのは、わたし自身も、ちょっと解せないのでした・・・。



<第2話:迷惑な PSPS停電>

今年は、日本でも台風による川の氾濫など、災害の多い一年でした。カリフォルニアでも、異常気象は例年のこととなっていて、雨季(rainy season)が始まる秋になっても、なかなか雨が降りませんでした。

春から夏にかけて一滴も雨が降らない北カリフォルニアでは、秋口になると土壌もすっかり水分を失い、それこそ「骨のように乾ききって(bone-dry)」しまいます。

すると、山火事(wildfire)が怖い季節の到来で、今年は、そんな状況に対処しようと、えらく迷惑な制度が始まりました。



その名も「PSPS(Public Safety Power Shutoff)」。つまり、公共の安全を考えて、山火事が起きる前に電力の供給を元からストップする、という計画停電のこと。

いえ、2000年前後のドットコムバブルの終焉期、カリフォルニア州は電力不足に悩まされ、州はなんとか電力を供給しようとスポット市場で大枚をはたいたことがありました。その時は、電力節約のために「順次計画停電(rolling blackout)」というのがあって、各々の地区を順繰りに停電にしていったものでした。



が、今年の PSPS停電は山火事の危険に備えるもので、しかもタチが悪い。ひとたび停電警報が発令されると、数時間後には電気が止められ、いったいいつ再開するのかは不明(!)という状態が続きます。しかも、送配電設備の組み方(パワーグリッド)のせいで停電が広範囲に及び、まったく山火事の危険性が無い地域でも「とばっちり」を受けるのです。

北カリフォルニアの電力供給会社 PG&E が停電実施の指標とするのは、気温、湿度、強風の予報。とくに突風に関しては神経をとがらせていて、秒速20メートルを超えると警戒警報を発令するようです。

山火事の原因は、人為的なものがほとんどですが、強風で送電線が断ち切られ、草木に接触して発火するケースも多いのです。突風の中、ひとたび発火すると山火事は猛スピードで延焼する。乾いた木々という「燃料」に満ちあふれた乾燥地帯では、風は大敵なのです。



実は、サンノゼ市にある我が家も10月10日に PSPS停電を経験しました。その日は、摂氏30度を超える暑さと湿度20パーセント未満(場所によっては数パーセント)の乾燥、そして秒速30メートル級の突風が予想されていて、正午から停電になると周辺に警報が発令されました。

実際には、停電は真夜中の零時にずれ込みましたが、午前3時に目覚めて外を眺めると、まったくの無風状態。枝の一本すら微動だにしません。どうしてこれで停電なの? とフラストレーションの矛先は電力会社に向けられます。

そんな状態で翌日を迎えたので、午後には停電の影響のないサンフランシスコに避難したのですが、隣人によると午後4時には電気が再開したそう。



けれども、これはラッキーなケースで、ワイン産地として有名なナパやソノマといった山間地域は、停電が数週間続く災難に見舞われました。ナパやソノマは、2年前に甚大な山火事の被害を受けています(写真は、「葡萄王」と称される日系移民・長澤鼎がソノマに建てた歴史的納屋の焼失の様子:Photo by Kent Porter, October 9, 2017, from Sonoma Magazine)

昨年は、前年にまぬがれた山間部のコミュニティーも壊滅的な被害を受け、サンフランシスコ・ベイエリア全体も山火事によるスモッグが問題となりました。

今年は、大規模な災害を避けられたことを鑑みると、事前に「計画停電」に踏み切ったのは、一定の効果があったと評価すべきかもしれません。



こういったカリフォルニア州の計画停電の問題は、米国連邦議会も注視していて、12月中旬、上院エネルギー・天然資源委員会は電力供給会社 PG&EのCEOを召喚し、「まるで第三世界のような」停電が頻発する事態の説明を求めました。

これに対してジョンソンCEOは、パワーグリッドに異常検知センサーを取り付ける、高倍率映像や人工知能(AI)を使って周辺の山火事の危険度を割り出す、オーストラリアで効果が見られる発火リスクの低い送配電機器を配置するなど、今後の解決策を明言しています。また、ハブとなるコミュニティーにはコンパクトな「マイクログリッド」を採用し、都市機能を確保する計画も確約しています。

が、それと同時に、計画停電はこの先5年ほど続くだろうし、電気料金も上がるだろうと吐露していて、カリフォルニア州民の電力供給に対する不満は、すぐには解消しないようです。



いえ、考えてみれば、テクノロジーの発信地と自負するシリコンバレーで「風が吹けば停電する」というのは、なんとも恥ずかしい話ではありませんか・・・。



<第3話:「人工肉」は避けるべき?>

今年は、「お肉ではない肉」を何回かご紹介いたしました。ひとつは、2月号で取り上げた培養肉(cultured meat)。そして、もうひとつは4月号で取り上げた植物由来の肉(plant-based veggie meat)。

近年、食肉は地球にやさしくない(サステナブルでない)タンパク源として敵視されつつあり、とくにハンバーガーの消費量の多いアメリカでは、バーガーキングをはじめとして植物由来のハンバーガーを売り出し、大人気を博しています。続いて、フライドチキンで有名なKFC(ケンタッキーフライドチキン)も植物由来の鶏フライを商品化し、時流に乗っています。



が、9月号でもご紹介したように、「肉に代わる肉製品」の人気が高まるにつれ、代替肉ってほんとに体にいいの? と栄養分析が盛んになってきました。

その結果「ちょっと待った!」という専門家の声も高まっていて、たとえば、我が家が加入する病院システムでは、年末のホリデーシーズンに向けてメールマガジンが届きました。



そう、アメリカの年末は、11月末の感謝祭(Thanksgiving)から12月のクリスマスにかけて、家族・親戚や友人たちが集い、食べる機会も増える季節。ですから、病院システムは例年、身内と過ごすストレス(帰省ブルー、ホリデーブルー)への対処法や肥満を避ける料理法などをメルマガで事細かくアドバイスしてくれるのです。

今年の話題は、「2019年に流行ったダイエット・栄養トレンド」。その一番手は、ずばり「肉ではない肉(meatless meat)」。

事実として、植物由来肉は、塩分と飽和脂肪分が高い。牛肉と同等の飽和脂肪に対して、塩分は4倍である。また、タンパク質を抽出するのに大量の化学物質が使われるのも心配である。

判定としては、あと4、5年「人工肉」の長期栄養評価ができない現状では、植物由来肉の摂取は避けるべき。もしも肉の量を減らしたいのなら、野菜や果物、豆類といった加工されていない食品(ホールフーズ)の摂取を増やすべきである、と。(”Hype vs. fact: The reality behind 2019’s most popular nutrition trends”, Kaiser Permanente, October 23, 2019; photo also from Kaiser Permanente’s monthly mail magazine)



なるほど、近頃は肉や卵、乳製品と人工的に生成した食品が増えていますが、そういった代替食品をたくさん食べると、何かしら問題が出てくる可能性がある、ということなんでしょう。

化学実験のようで、「自然志向」とはまるで違う、食品生成の動き。アメリカ人は人工的なものに対して抵抗が少ないので、これほど人工食品が受け入れられるのでは? と感じています。どんなにアメリカで流行ろうと、日本には飛び火して欲しくないトレンドだ、とも思うのです。



というわけで、いろいろあった今年も、残りわずかとなりました。



新たに迎える 2020年が、みなさまにとって健康で良き一年となりますように!



夏来 潤(なつき じゅん)

「AI」の今後:ロボットがあなたを評価する

Vol. 230



近頃なにかと話題の人工知能。アメリカではどんな分野で使われているのか、ひとつの例をご紹介いたしましょう。



<第1話パート1:ロボットが面接官!?>

先日、ワシントンポスト紙の記事に驚いたのでした。近年、人工知能(Artificial Intelligence, AI)がどんどん実用化され、企業が従業員を採用する際に、人間の代わりに面接官を務めている、とのこと。

ワシントンポスト紙が紹介していたのは、HireVue(ハイアーヴュー)という会社の AIシステム。この手の AI採用システムの代表格で、顧客はすでに100社を超えるとか。ホテルチェーンのヒルトン(Hilton)や洗剤など家庭用品で知られるユニリーバ(Unilever)と、そうそうたる企業名が続きます。

AIシステムが担当するのは、最初のスクリーニングの段階。ヒルトンやユニリーバといった大企業には、ひとつの求人に対して就職希望者が殺到するわけですが、AIシステムの判断で候補者をぐんと絞り込み、次の段階、つまり人との面接へと送り込むのです。

これまで約100万人が HireVueのリクルートシステムと「対面」したそうですが、どちらかというと、新卒や、働き始めて間もない「駆け出し」の応募者の絞り込みに使われる場合が多いようです。企業にとっても、今まで数週間かかっていた絞り込み作業が数日で終わる、といった利点があるのです。



この AI面接では、応募者は自宅のパソコンカメラかスマートフォンカメラに向かい、システム画面が提示する数個の質問に対して、ひとつずつ答えていきます。もちろん、人によって答えの長さは違いますが、だいたい30分ほどで終了するとのこと。

質問内容は、各企業や分野によって異なりますが、事前に企業で働く複数の従業員が模擬AI面接をして、彼らの答えと過去の職務評価を比較し、採用の基準をモデル化しておきます。



実際のAI面接では、システムが判断するのは答えの内容だけではありません。表情はこわばっていなかったか、ちゃんとカメラ目線だったか、ハキハキとした声でなめらかに答えていたか、自信に満ちていたかと、人の表情や声色の細かいニュアンスまで判断していきます。

システムが判断材料とする解析データは50万にも及ぶそうですが、顔の表情(画像)から得点の3割を、音声から7割を叩き出すとか。なんでもない仕草や声のトーンにも、システムは「仕事に対する熱意」とか「性格的属性」「将来どれほど成功する可能性があるか」を占う判断材料を見出してしまうのです。



こういった面接マシーンの普及にともない、「どうすれば AIシステムに気に入られるか?」といったテーマで、学生に対して就職活動セミナーを開催する大学も出ているとか。



もちろん、こういった AIシステムの利用には反対意見も多いようです。たとえば、英語がネイティブでない人は、うまく自己アピールができないこともあるし、性格的にシャイな人は緊張してしまって、本来の自分を発揮できない。

また、システムがどんなアルゴリズムを使って人間を判断しているのか明示されていないので、応募者が平等に判断されているのか保証の限りではないし、そもそも AIシステムを使った面接が科学的根拠に基づいているのかも疑問である、といった反論もあります。



ユタ州に本社を置く HireVueは、もともとは遠隔地をつなぐビデオ面接ソフトウェアを売っていた会社。2014年に「AI面接」機能を追加して大企業にも採用されるようになったものの、その中身は秘密のヴェールに包まれます。

ですから自然と反発も生まれるわけですが、単に笑顔を絶やさなかったとか、声の通りが良いとか、難しそうな言葉を駆使したとか、そんなことで判断されては、就職希望者にとってはたまらないのです。



わたし自身はワシントンポスト紙の記事を読んでいて、こんな「はてなマーク」が浮かびました。それは、企業が理想とする属性モデルや成功の指標に沿った人間だけを選ぶと、個性とか組織とは異なるユニークな視点が失われ、従業員がみんな似かよった、それこそロボットみたいな集団になるのではないか? ということ。

この点については、同意見の方が記事で紹介されていて、マイクロソフトのモントリオールの研究所でAIと人の表情を研究するルーク・スターク氏は、あくまでも私見としてこう述べています。

今のベストのAIであっても、たびたび人の表情を間違って読み取ることは広く知られている。しかも、機械は、不確かな内容であっても説得力のある数値で示してみせることが得意。たとえAIが出す面接評価が正しかったとしても、現在勤めている従業員の模擬面接と職務評価を判断基準とすることによって、まるで計算で割り出されたような「単一」の企業文化が生まれるのではないか、と。

(”A face-scanning algorithm increasingly decides whether you deserve the job: HireVue claims it uses artificial intelligence to decide who’s best for a job. Outside experts call it ‘profoundly disturbing’”, by Drew Harwell, November 6, 2019, The Washington Post)



まさに、わたしの言いたかったことをうまく代弁なさっていらっしゃいますが、もしかしたら、本来は企業にとって必要な人材であるにもかかわらず、マシーンの判断で「切り捨てられて」いるのかもしれない、といった恐れはぬぐいきれないでしょう(まあ、この点については、人間の面接官であっても同じ危険性があることは否めませんが・・・)。



<パート2:シリコンバレーでも!?>

実は、この話を親友にしたら、いまどきこういった AI面接官は珍しくないんだとか。彼女の話によると、シリコンバレーの企業がエンジニアを採用する際にも、最初のスクリーニングは、AIシステムが務める場合が多いそうです。

たとえば、「仕事に対する熱意」を判断する漠然とした質問もあるそうですが、具体的なエンジニアリング分野の課題を出して、どれくらい適切な解決策をどれくらい短時間で成し遂げるかを判断する、といった専門性の高い質問もあるそうです。

いずれにしても、最初の AIシステムの面接を2、3段階クリアしなければ、オフィスで待つ人間の面接官には到達できないとか。

そして、実際に人との面接に漕ぎ着けたとしても、これも一回きりでは終わりません。希望者が働くことになる部門、関連部門、人事部門などと、2、3段階のハードルをクリアしなければ結論が出ないのです。

ということは、平均的には数段階のハードルを超えて初めて採用が決まるということで、ひと昔前と比べると、ひどく厳しくなっている印象を受けるのです。わたし自身は、シリコンバレーで最後に面接を経験して長い時間が経っていますが、数人と面接しなければならかったものの、少なくとも一日で終わりました。

これが、会社の経営に携わるエグゼクティブともなると、さらに二日、三日と面接が続くわけですが、いまどきのジョブハンティング(求職)は、エグゼクティブでなくとも一日では終わらない、ということなんでしょう。



親友は、夏に仕事を辞めて、間もなくジョブハンティングに乗り出そうかというところ。「企業のウェブサイトの求人欄を覗いてみても、自分が当てはまりそうな職種には、10人、20人と希望者が殺到していて、なんだか難しそう」と言います。

そして、学校で学んだ内容も仕事ですべて使っていたわけではないので、忘れている部分もあるし、もっと新しい技術も出ているので、基礎から学ばなきゃならないこともある。だから、新旧両方をリフレッシュして就職活動に臨まなければならないのよ、と厳しい表情。

彼女のような優秀なベテランエンジニアは、ここ何年も、面接どころか履歴書を書いたこともない。ですから今は、就職コンサルタントの「面接の対応術」や「履歴書の書き方」「(プロフェッショナルのためのソーシャルサイト)LinkedInの自己紹介法」といったクラスに参加しているとのこと。

そう、面接に漕ぎ着く前に、履歴書を判断するのも AIでしょう。ですから、マシーンが好むような書き方を習得する必要がありますし、採用企業は LinkedInなどのソーシャルメディアでの自己アピールもチェックするでしょうから、「よりプロフェッショナルな自己」を発現しなければなりません。



そんなわけで、どんどん社会に溶け込む AI。もちろん、AI面接システムを駆使する企業側は、自分たちがどんな人材を求めているのか熟知しているはずですが、人間がロボットの「ふるいにかけられる」なんて、なんとも世知辛い世の中になったもんだと、昔かたぎのわたしは、ため息をつくのです。



<第2話:大学同窓生も面接官!?>

先日、友人とランチをしていて驚いたことがありました。彼女は、久方ぶりにカレッジリング(卒業大学の指輪)をつけていて、「わたしが今これをしている理由はね、母校のお手伝いをしているからなの」と語り始めます。

なんでも、彼女の母校であるマサチューセッツ工科大学(通称 MIT)には、卒業生が入学志願者を面接する制度があって、娘が MITに進学して手がかからなくなった今、自分もボランティアで面接制度に参加することにしたんだとか。

こういう制度を、「Alumni Interview(卒業生による面接)」と呼ぶそうですが、調べてみると、MITだけではなく、多くの有名私立大学でやっているようなのです。



わたし自身が大学と大学院で通っていたカリフォルニアとフロリダの州立大学には、そんな制度はありませんでした。ですから、これは公立大学と私立大学の差なのか、それとも、昔と今の違いなのかと疑問に思っていると、私立大学では、昔から行われていた慣習とのこと。

たとえば首都ワシントンD.C.のジョージタウン、ニューヨークのコロンビア、ニューハンプシャーのダートマスと、有名私立大学の多くが、伝統的にこの制度を採用しているようです。公立大学がこれを採用しないのは、毎年願書を提出する入学希望者が多く、ひとりひとりへの面談は実質的に困難だから。



彼女の話によると、これまでエンジニアリング部門の入学志願者4、5人を面接したそうですが、だいたい1時間かけてみっちりと面接したあと、どんな印象を持ったかを1ページのリポートにまとめて大学の入学担当者に送るそうです。

あとで彼女には実際の質問をすべて列記してもらいましたが、20を超える質問の中には、「どうして MITに行きたいの?」「高校の好きな面、嫌いな面は?好きな(嫌いな)科目は?」「どの課外活動が一番好き?」といった、誰もが尋ねそうなものもあります。

けれども、中には「失敗したら、どう対処する?(How do you deal with failure?)」「お金と時間に制限がなかったら、何をしたい?(What to do with unlimited funds and time?)」、「完璧な一日ってどんなもの?(Describe a perfect day)」と内面を問うものや、「あなたの理想とする仕事は?(What’s your dream job?)」「世界の問題の中で何を解決したい?(What world problem would you like to solve?)」と、高校生にはちょっと難しい質問もありました。

「10年後には何をしていると思う?(What do you envision doing in ten years?)」に至っては、大人に聞いても、しっかりした答えが返ってくるのか疑問な類にも思えます。たとえ相手が高校生であろうと、面接とは実に厳しいハードルなのです。



まあ、MITに入りたいと願うくらいですから、みなさん優秀な方ばかりなのでしょう。彼女が面接した方々には、おおむね肯定的な評価を下したそうです。

が、その中にひとりだけ「ダメ出し」をした男の子がいたとか。彼もエンジニアリング学部(工学部)を希望しているそうですが、とにかく「自身過剰(overconfidence)」が際立ったとのこと。

「彼は、農業地帯の高校に通っているから、地元では天才なのよ。でも、そんな人は都会にはたくさんいるわ。たとえ MITに入れたとしても、あんな風だったら、勉学のプレッシャーに負けてしまうわよ」と、辛口の彼女は酷評します。

「しかも、まだ18歳なのに、大人顔負けの車のセールスマンみたいに、ベラベラと自信たっぷりにしゃべるのよ。あんな性格だったら、学業では成功しないわ」と、酷評は続きます。



いえ、彼女が「ダメ出し」したところで、他の同窓生面接官は「褒めそやした」かもしれません。そして、最終的に志願者に入学許可を与えるのは大学側です。SAT やACTなどの全国統一テストのスコア、高校の成績や課外活動を記した入学願書(application)、学校を選んだ理由を説くエッセイなど、判断材料はたくさんあります。ときには、志願者の人種・民族や家族の社会経済的な環境も判断を左右する材料となるでしょう。

ですから、同窓生としての彼女の判断は、氷山の一角と言うべきものかもしれません。

けれども、少なからず母校に誇りを持ち、さまざまな分野で活躍する卒業生が母校を熱望する若者を面接する制度は、なかなか良いのではないかと思った次第です。

とくにアメリカは広大ですから、東海岸の学校は西海岸の志願者を面接するのは難しい。ここで近隣の同窓生たちが面接官となり、責任を持って「わが母校にふさわしい者か?」を判断する。これは、紙面だけではわからないことを複数の人の目で判断することであり、なかなか合理的で、民主的な制度のように感じます。



友人も明言していましたが、この面接制度に参加する卒業生は、何の報酬も受けていません。それでは、どうして大事な時間を割いてまでこれに参加するのかといえば、それは、ひとえに「自分を育ててくれた母校に恩返し(give back)をしたい」という思いがあるからでしょう。その過程で、希望に満ちあふれる若者に出会い、自分もまた刺激を受ける、といった喜ばしい副産物もあるようです。

わたし自身も、例年出身校には寄付をしていますが、母校に寄与できるのは、なにも金銭だけではなく、こういった無形の貢献もあるのだなと、遅まきながら実感しました。



そして、こんな制度が日本にあれば、「紙の上」だけで行われる入試制度の助けになるのかもしれない、とも思ったのでした。



夏来 潤(なつき じゅん)

アヴィニョンの思い出

エッセイ その180



前回のエッセイに引き続き、フランス南部の旅のお話です。



この旅で訪れたのは、ニースに代表される海沿いの「コート・ダジュール(Côte d’Azur)」と、ローヌ川周辺のワイン産地で有名な「プロヴァンス(Provence)」。いわゆる「南仏」と呼ばれる、暖かい地方ですね。



前回は、海を臨むニースから足を伸ばした ヴァンス(Vence)と エズ(Eze)をご紹介いたしました。ヴァンスでは、画家アンリ・マティスが手がけた礼拝堂を見学して、エズでは迷路のような街のつくりに「迷子」になったというお話でした。



ニース周辺は、明るい太陽と美しい海に恵まれ、見どころ満載。前回ご紹介したヴァンスの隣街、サン・ポール・ド・ヴァンス(St-Paul-de-Vence)も、城壁に囲まれた石造りの街で、わたしが迷子になったエズと同じように、迷路のような古い集落です。



ホテルスタッフに「ここだけは行ってみてよ」とフランスなまりの英語で勧められただけあって、近隣にある中世の集落の中でも人気が高いようです。おしゃれなギャラリーが集まる石畳の街並みは、明るくて雰囲気も良く、とっても印象に残る街でした。



ニースから南に下った海沿いには、アンティーブ(Antibes)という街があります。



こちらの海は、ニースよりも濃い青に輝きます。緑色(碧、へき)の混ざった紺碧(こんぺき)というよりも、群青(ぐんじょう)とか瑠璃(るり、ラピスラズリ)と呼んでみたい、深みのある青です。



この街は、海辺のリゾート地ではありますが、パブロ・ピカソの美術館があることでも有名です。お城のような石造りの建物が、威風堂々と海に向かって建ち、ピカソの絵画や素描、焼き物や彫刻がたくさん展示されています。



裏庭から臨む紺青の海は、「さぞかし創作のインスピレーションを与えてくれたことだろう」と実感。あまたの芸術家たちが南仏を愛した理由もよくわかるのです。



ニースやアンティーブの海岸は、砂浜ではなく石ころで埋め尽くされます。だからこそ水の濁りも少ないのでしょうか、釣り糸を垂れて、のんびりと魚がかかるのを待っている人たちも見かけました。



この日はちょっと風がありましたが、「日がな一日、美しい海に向かって釣り糸を垂れる」というのも、ぜいたくな時の過ごし方かもしれませんね。




そんなわけで、海沿いが好きなわたしは、「このコート・ダジュールにずっといたい!」と思ったのですが、その後の滞在先はすでに決まっています。



ですから、やむなく海にさよならして、今度はプロヴァンス地方へと向かいます。



プロヴァンスで滞在したのは、アヴィニョン(Avignon)と エクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)。



アヴィニョンは、かの有名な「アヴィニョンの橋」がある城壁の街(写真中央が橋)。そして、エクス・アン・プロヴァンスは、ポール・セザンヌが生まれ育った街として有名なところ。一度はパリに移ったセザンヌは、故郷に舞い戻って制作を続け、ここで生涯を閉じたのでした。



訪れる場所の尽きないプロヴァンスですが、世界遺産に登録されるアヴィニョンは、誰もが訪れる観光地でしょうか。コート・ダジュールの明るい蜂蜜色とは違って、重みのある灰色の石畳と城壁の街。城壁の中を歩いていると、街の長い歴史が自然と肌から染み込んでくるようです。



中でも有名な観光スポットは、「アヴィニョンの橋で踊ろうよ」の歌で知られる、サン・ベネゼ橋。



いえ、わたしは「サン・ベネゼ橋(Pont Saint-Bénézet)」という正式名称は知らずに、「アヴィニョン橋」だと信じ込んでいました。サン・ベネゼというのは、「聖ベネゼ」という人の名前。なんでも、1177年、羊飼いの少年だったベネゼが、神から橋を築くようにとお告げを受け、大人も持ち上げられないような重い石を川に投げ込んで基礎を築いた、という言い伝えがあるそうです。



この橋は、川の真ん中で途切れていることで有名ですが、わたしは、またまた勘違い。これは、ナポレオンの時代か何かに戦争で破壊されたのか? と思いきや、実は、洪水という自然の力で壊され、いかに復元しようと試みても、ついに再建はかなわなかったそう。



そう、橋のかかるローヌ川は、今でこそダムのおかげで穏やかに流れていますが、昔は魔物のように荒れ狂う川として知られていたそうです。何度も、何度も、ローヌ川が氾濫して、アヴィニョン一帯の集落や農地が流された厳しい歴史があるとか。



1957年2月にも大きな洪水があり、周辺流域は広範囲にわたって水没したそうですが、その後、ダムが整備されて氾濫がなくなり、穏やかな川になったとのこと。今では、サン・ベネゼ橋の向かいに見える中島はキャンプ場となっていて、週末ともなると、家族や友人たちとピクニックや日光浴を楽しむ憩いの場となるのです。



そんな自然の猛威ともいえる川に、石橋を築いたことだけでもすごいのに、実は、この石橋はローヌ川の中島を超えて、川の対岸の街へと延々に続いていたんだとか!



今では、アヴィニョン側の橋の一部しか見ることはできませんが、昔は対岸の街(ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン)まで続いていたそう。考古学的な発掘調査をしたところ、今は4本しか残っていないアーチ型の橋桁は、もともとは22本あったことが判明。橋を描いた昔の絵画は、「絵物語」ではないことが証明されました。



しかも、橋はまっすぐではなく、なんとなく曲がっていた。橋を支える橋脚を築きやすいようにと、川底の足場がしっかりした場所を選んでいったので、カーブのある形をしています。



さすがに最初は木で橋を造ったか、もしくは橋脚の基礎を石で築き、その上に木の橋を架けたのではないかと言われています。が、だんだんと技術が進歩したのでしょうか、13世紀ころには石造りの美しい橋が築かれた、ということです。



けれども、さすがに自然の力に争(あらが)うことは難しい。14世紀ころには「プチ氷河期」ともいえる寒い期間となり、雪や氷で凍てつく寒さに見舞われます。川の水も凍る寒さだったようですが、すると、水中の氷の粒が、橋脚の礎石に入り込んでダメージを与え、もろくなった橋脚は、川の氾濫が起きるたびに流されるようになりました。



何度も、何度も橋が流され、そのたびに再建工事を施したそうですが、17世紀中ごろになると、再建不能なほどに橋が壊れ、ついにはそのまんま。今の風景となったのでした。



と、そんなことを橋の地下室で放映されるビデオで学んだのですが、ビデオは順路の最後になっていて、「最初にお勉強していたら、もう少しじっくりと橋を見物できたのになぁ」と、ちょっと残念。そう、詳しくお話を聞くと、昔の人の苦労もよくわかるのです。




そんなわけで、アヴィニョンには「橋」もありますが、もうひとつ有名なことは、ローマ・カトリック教会の教皇庁が置かれていたこと。



ちょうどサン・ベネゼ橋が美しい姿を誇っていたころ、カトリック教会にはフランス人の教皇が誕生し、このクレメンス5世からグレゴリウス11世までの7代の間(1309〜1377年)、教皇庁はローマではなくアヴィニョンに置かれたのでした。



歴代の教皇に対してはフランス王が多大な影響を与えていたため、このアヴィニョン教皇庁の時代を「アヴィニョン捕囚」とも呼ぶそうな。教皇がフランスに囚(とら)われの身となっていると、ローマの人々は嘆いたのでしょう。



アヴィニョンで泊まったホテルのバルコニーからは、ピッカピカの聖マリア像が見えていたのですが、これが、教皇庁宮殿の教会のてっぺんにいらっしゃるマリアさま(写真の左端に見えています)。実際に宮殿の真ん前まで行くと、その大きさにびっくりです。



そう、教皇庁の建物が「宮殿」というのは違和感がありますが、実際に「教皇たちの宮殿(Palais des Papes)」と呼ばれています。それほど大きく立派だということでしょうが、宮殿の中を見学すると、ますますその規模を実感。



教皇や枢機卿、王や貴族たちが会する広間の壮大さもさることながら、地下には財宝を隠すための秘密の部屋があったり、鮮やかな壁画には、当時の富裕層の狩の様子や豊かな収穫の様子がカラフルに描かれていたりして、まさしく「富」の象徴ともいえる贅を尽くした空間なのです。



そんな様子を、iPadみたいなデバイスをかざしてヴァーチュアル(擬似)体験できるようになっているのですが、ここで、わたしは大失敗!



そう、手には見学用のデバイスを持ち、耳にはヘッドフォンをつけているので、頭にかぶっていた帽子は片手にひっかけ「邪魔だなぁ」と思いながら見学します。



しかも、この宮殿は広大なので、中を歩くだけでもう大変。ようやく宮殿の端っこの礼拝堂までたどり着き、そこから階段を登って、見晴らしの良い塔へと到達します。



ホッとしたところで、塔の上からアヴィニョンの街並みとローヌ川を眺めたり、写真を撮ったりしていると、いつの間にか、帽子がなくなっていることに気づいたのです!



え〜、これから先、まだまだアヴィニョン観光もあるし、明日は遠出してワイナリー見学もするし、帽子がないと大変! しかも、あの帽子はお気に入りだったのに・・・



と、半分泣きそうになりながら、それでも帽子を探そうと、順路を逆にたどることにしました。だって、ついさっきまでは「帽子が邪魔ねぇ」と思いながら、歩いていたじゃない。そんなに遠くでは落っことしていないはず・・・



と、いろいろ推理をしながら、塔の階段を早足に降りて、さきほどの礼拝堂に向かいます。



すると、礼拝堂に戻ってすぐ、壁際のベンチに座っていたレディーと目が合うと、彼女が片手でわたしの帽子を持ち上げ「これかしら?」とジェスチャーするのです。



あ〜、それそれ、と喜び勇んで近づいたわたしは、「Oh, you remembered me! Thank you very much! I really appreciate it!(わたしのことを覚えていてくれたんですね、ありがとうございます。ほんとに感謝します)」と、お礼の言葉を連発しました。



そう、彼女と夫、もうひとりのご婦人の三人組とは、見学のペースが同じで、途中で目が合ってニッコリとした記憶がありました。それで、あちらのご婦人も、わたしと帽子のことを覚えていらっしゃって、「あら、忘れ物ね。彼女が塔から戻って来るまで、ここで待ってましょう」と、ベンチで中休みされていたようです。



いえ、お三方ともニコニコされるだけで何もおっしゃらなかったので、果たしてフランスの方なのか、それとも外国からいらっしゃった方かはわかりません。栗色の髪に鮮やかなブラウスをお召しになっていたので、なんとなくロシアの方かとも思いましたが、どこの国の方であろうと、彼女たちの親切に、こちらはただただ感謝するのみでした。



この日は、良く晴れた日曜日。良いことがあった場所も、お三方の笑顔も、ひどく記憶に残った一日なのでした。




いよいよアヴィニョンを去る日、西に30分ほど足を伸ばして、世界遺産の「ポン・デュ・ガール(Pont du Gard)」に行ってみました。



街から少し離れて自然の中にあるものの、さすがに世界遺産だけあって、それまで訪れたフランスの街のどこよりも、日本人の方をお見かけしました。それだけ有名な橋なのでしょうが、その巨大な、堅固な造りにはびっくりです。



その昔、ローマ人が山からニーム(Nîmes)の街に水を引こうと建造した水道橋だそうですが、お風呂好きの彼らの「ゆったりとお風呂に入る」ことへの情熱と技術には驚かされるのです。美しく修復されていることもありますが、「100年前にできました」と言われても、疑わないかもしれません。



歩き疲れたところでお昼を食べようと、敷地内のテラスレストランに入りました。



サラダを食べて満足したところで、さあ、席を立ちましょうと帽子を探すと、さっきまで椅子の背にかけてあった帽子がなくなっています!



あの教皇庁宮殿で出会ったレディーが、せっかく見つけてくれた帽子なのに!!



と、やっきになって探していると、連れ合いがこう言うのです。ほら、あなたの頭の上にあるじゃない、と。そう、風で飛ばされないようにと、ランチの途中で頭の上にのっけていたのを、すっかり忘れていたのでした・・・。



これを見て、お隣のテーブルのオランダ人夫妻と、そのお隣のアメリカ人母娘が大笑い。物静かなお母さんも「メガネだって気をつけないと、頭の上にあるのを忘れてしまうわね」と、なぐさめてくれるのです。



いえ、みなさんに笑いを提供できたのは光栄なことではありますが、帽子を失くさなかったのはもっと喜ばしいことでした。



まだ暖かなアヴィニョン近郊は、温かな心の触れ合いの場となりました。



Have to go(行かなくちゃ)

英語ひとくちメモ その138



今日は、10月31日。ハロウィーン(Halloween)ですね。



近年は、日本でも大変な盛り上がりを見せていると聞きますが、ハロウィーンといえば、やはり「怪談(ghost stories)」。日本では、お盆の頃に耳にする怪談ですが、アメリカでは、このハロウィーンの時期に全盛となるのです。



アメリカの怪談の代表格といえば、古〜い、呪われた館(a haunted house)でしょうか。どの地方でも、歴史のあるお屋敷には「いまだ昔の住人の魂(spirits)が住みついている」といった言い伝えが残っているものなのです。



黒い影みたいな人物が現れた、誰もいないのに髪の毛を触られた。「なにかお困りですか?」と親切な声が聞こえた、と古い場所にはいろんなエピソードがあるのです。



我が家のあるサンノゼ市にも、有名な「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス(Winchester Mystery House)」という古いお屋敷があって、ウィンチェスター銃の発明家の未亡人がつくった摩訶不思議な館には、ときどき未亡人ご自身も現れるとか。



ハロウィーンのあたりには、懐中電灯を使った真夜中の特別ツアーまで組まれているそうで、お化けのエピソードを暗がりで聞いていると、なんとなく「本物」に聞こえてくるから不思議です。




それで、こんな真夜中の怖〜い時間帯を、英語では witching hour といいます(発音は、「ウィッチング・アワー」)。



そう、witch というのは「魔女」という意味ですが、魔女や呪術師が化け物たちと交信しそうな時間帯が、witching hour となります。誰もが寝ている真夜中、魔女が魔物の助けを借りて、魔法をかける時間帯。だいたい午前2時から4時、もしくは午前3時から4時を指すそうです。



なんとなく、日本の古い言葉に似ていますよね。古来、昼間から夜に向かう日暮れ時を「逢魔時(おうまがとき、逢う魔が時)」と言うことがあります。



だんだんと太陽が沈み辺りが暗くなってきて、魔物が横行する夜へと変わっていく時間帯。人の顔もわからないくらいに暗くなってくると、寂しい場所を歩くと「魔物に逢う(遭う)」から気をつけろ、といった戒めの意味も含まれているのでしょう。



そして、かの有名な「草木も眠る、丑三つ時(うしみつどき)」という表現もありますね。



今の時刻では午前2時から2時半を指すそうですが、人々が(草木すら)ぐっすり寝静まり、化け物くらいしか起きている者のいない時間帯。ここで爛々と目を輝かせているのは、化け物たちと、誰かに不幸をもたらそうと呪詛(じゅそ)をかける人間だけということでしょうか。



Witching hour しかり、丑三つ時しかり。洋の東西を問わず、午前2時、3時というのは、(普通の)人間にとって怖〜い時間帯なのです。




そんなわけで、これをキッカケに英語と日本語で似ている表現はないのかな? と考えていました。



すると、変な話ですが、「トイレに行く」というのを思いつきました。



ストレートに言うと、こんな感じでしょうか。



I have to go to the restroom

わたし、トイレに行かなくっちゃ



やはり英語でも、「(トイレに)行く」というのには、go を使います。



まあ、トイレという表現にはいろいろあって、上の「レストルーム」の他に「バスルーム」も使います。そう、日本語では「お風呂場」ですが、バスルームもトイレの表現のひとつとなるのです。



ですから、バスルームを使って、こんな言い方もできますね。



I’ve got to go to the bathroom

バスルーム(つまりトイレ)に今すぐ行きたいのよ



女性の場合だったら、「お化粧直しをしたいわ」とほのめかして、「パウダールーム」と言うこともあります。



Excuse me, I need to go to the power room

ちょっと失礼して、パウダールームに行ってくるわね



こちらのパウダールームという名称ですが、ホテルやレストランだけではなく、普通の住宅でも使います。お客様を招くリビングルーム(客間)の近くにあるお客様用トイレのことを powder room と呼びます。



パウダールームとバスルームは何が違うかと言うと、パウダールームにはシャワーやバスタブはなく、トイレと洗面台だけの場合が多いです。そう、トイレに行ったあと、鏡でお化粧直しをする(パウダーを使う)、といった機能のお部屋となります。(Photo from HGTV.com)



先日、フランスを旅したとき、トイレには「toilette」と表示されていることが多かったです。発音は定かではありませんが、「トイレット」のことですね。



こちらのフランス語 toilette を英語にしたものが toilet ですが、少なくとも米語では、トイレのことを toilet(トイレット)と言うことはあまりないようです。アメリカで toilet を使うのは、トイレ(便器)そのものを指す場合か、toilet paper(トイレットペーパー)と言うときくらいでしょうか。



そして、toiletry(トイレタリー)という英単語も、フランス語 toilette の派生語なのでしょう。歯ブラシ・歯磨き粉、クシやヒゲ剃りと、身づくろいに必要なグッズの総称ですね。




一方、「トイレに行く」ことをぼやかしたい場合には、こんな婉曲的な表現もあります。



Nature’s call もしくは nature call



つまり、「自然の呼び声」「自然が(わたしを)呼んでいる」 といった感じ。(こちらの表現は、どちらかというと男性の方がよく使うでしょうか)



この表現を用いるときには、こんな動詞を使います。



I’m feeling nature’s call

自然の呼び声を感じてる(トイレに行きたいよ)



I need to answer nature’s call

自然の呼び声に答えなきゃ(トイレに行かなくちゃ)



単に Nature call と言いながら、席を立つ。それだけでも相手には十分に通じます。



そして、「トイレはどこですか?」というのも大事な表現ですね。



一番簡単なのは、こちら。



Where is the restroom (bathroom)?

トイレはどこですか?



ちょっと丁寧に言おうかなと思ったら、こんな風になります。



Could you tell me where the restroom is?

トイレがどこにあるか教えていただけますか?



けれども、こんなに面倒くさい表現は使わなくても、Where is the restroom? と言いながら、ちょっと語尾を上げてみると、失礼はないかとも思います。



どんな聞き方をしても、トイレの場所を教えてもらったら、Thank you を忘れずに!




というわけで、witching hour(丑三つ時)が、いつの間にかトイレの話に変わってしまいましたが、先日ちょっと怖いことがあったんです。



まだ真っ暗な時間帯、夢を見ていたなと思ったら、変な物音で目が覚めました。



なにやらキリキリ、キリキリという、リールを巻くような物音。



ドアの辺りから聞こえてくるので、最初は、連れ合いが時差ぼけで起きて、何か仕事でもしているのかと思ったんです。でも、そうやって自分を安心させようとしていると、ベッドの隣で彼はごしょごしょと身動きをしています。



え、だったら、この音は何? 誰かいるの? と聞き耳を立てていると、今度は、だんだんと音がベッドに近づいてくるではありませんか。



そして、連れ合いの脇のナイトスタンドから、カタカタ、カタカタと、時計か写真立てが細かく揺れる音が聞こえるのです。



この時点で、え〜、これはお化けだ! と確信。そのあとは、なかなか寝つけませんでした。



朝起きて、暗い表情でこの話をすると、連れ合いは、こう言うのです。「それは、今日はあなたの誕生日だから、(亡くなった)お母さんがお祝いをしに来たんだよ」と。



確かに、変な物音がしても、ゾッとするような感覚がまったくなかったので、わたしも「そうに違いない」と結論を出しました。



するとそのとき、テレビのローカルニュースでは、我が家のあるサンノゼ市の南で、朝4時過ぎに地震があった、という報道が流れます。



なんだ、あれは地震の揺れのせいで、実際に何かが揺れていたんだ! とわかったのでした。



だって、ハロウィーンは、お化け(ghosts and goblins)が活躍する時期。



何かしら変なことが起きると、「やっぱり、お化けだ!」と勘違いしてしまうではありませんか。



追記: 最後の写真は、ハロウィーンの時期、ゴルフ場で働く「ガイコツさん」。けなげに芝を刈るお手伝いをしていますが、なかなかお上手に見えますよね!



空中都市で迷子に!

エッセイ その179



9月下旬から10月にかけて、二週間の旅に出ました。



行き先は、フランスの南部。地中海に面した「コート・ダジュール」と、ワイン産地やラヴェンダー畑で有名な「プロヴァンス」です。



これまでフランスはパリを二度訪れただけで、その他の地域はどこも知りません。そんなわけで、ちょっと「おっかなびっくり」な旅でしたが、アメリカに戻ってくると「あ〜行って良かったなぁ」と、旅の出来事すべてが素敵な思い出となっています。



中でも、今日は「迷子」になったお話をいたしましょうか。



ちょっとその前に、少しだけコート・ダジュールのご紹介です。




地中海に面したコート・ダジュールは、「紺碧海岸」という意味。緑がかった鮮やかな青(紺碧)の海に沿って、ニースやカンヌといった名高いリゾート地があります。



ニース(Nice)は、コート・ダジュールの中心都市ですので、ここに泊まって周辺の街々を散策する拠点としました。市内だけでも旧市街や有名な画家たちの美術館と、見どころはたくさん。そして、ほんの少し足を伸ばすと、ニース近郊には行ってみたい集落が点在するのです。



そんなわけで、ニース二日目にはレンタカーを借りて、西に30分ほど行ったヴァンス(Vence)を訪れ、楽しみにしていたマティスの礼拝堂を見学しました。



ニース市内にも美術館のある画家アンリ・マティスは、もとはフランス北部の生まれ。旅で訪れたコート・ダジュールが気に入って、ここを安住の地とした芸術家です。若い頃は暗かった彼の画風ですが、光あふれる海沿いに移り住むと、鮮やかな色彩と力強くデフォルメされた形にも磨きがかかり、「マティスと言ったら、これ!」と一目でわかるような独特の画風を築き上げました。



このマティスさんは、晩年、礼拝堂を建てる相談を受けるのですが、健康もかんばしくない状態であるにもかかわらず、依頼を受けロザリオ礼拝堂の完成に挑みます。中でも、長年取り組んできた植物モチーフをステンドグラスに取り入れ、コバルトブルー、グリーン、イエローを使った鮮やかな配色は、飾りのない白の礼拝堂の中で際立ちます。



大胆にも、礼拝堂の右の壁には「輪郭だけ」の聖母子の素描が配され、祭壇脇の聖ドミニコの全身素描や、後ろの壁面の十字架に架けられたキリストや聖骸布に表れるキリストの顔の素描とともに、「どんなお顔だったのだろう」と見る人の想像力をかきたてます。宗教的なテーマには真剣に取り組んでいらっしゃるのですが、どこか「人間くささ」を感じる、マティスの祈りの場なのでした。



残念ながら、中は撮影禁止なので絵ハガキの写真を撮らせていただきましたが、とにかく陽光に満ちあふれた明るい礼拝堂の内部なのです。近隣の子供たちが先生に連れられて見学に来ていましたが、すばらしく独創的なものに子供のうちから触れてみるのは、大事なことかもしれません。



マティスが大好きで、最晩年の「色と形」を味わいたい方には、ぜひ足を運んでいただきたい場所なのです。




ヴァンスもさることながら、ニースから東に20分ほど向かうと、空に浮かぶような要塞都市エズ(Eze)があります。



エズは、険しい山の上に築いた城壁に囲まれた集落。「要塞都市」という表現は適切ではないかもしれませんが、「空に浮かぶような」というのは、まさにその通り。中世の時代、外国人の攻撃から身を守るために、わざわざ海を臨む山のてっぺんを住みかとしたんだとか。海から攻めてくる敵には見えないように、まるで山と同化するかのように緑の木々や険しい岩肌に守られる街なのです。



昼時なので、この時間帯にエズを訪れる人も多く、二度目の挑戦でやっと駐車スペースを見つけて、街へと登って行きました。そう、ひとたび街に入ると駐車場はないので、ふもとの小さな駐車場に車を停めて、坂道を登って行くことになるのです。ほら、こちらの男性の方々はホテルスタッフのようですが、お客さんの重そうな荷物を抱えて、階段をえっちらおっちら。



山にへばりつくように密集した集落は、階段が急で、人がやっとすれ違えるくらいの細い石畳が、毛細血管のように石造りの家々を結びます。細い通り道は入り組んでいて、まるで迷路のよう。



そんな雰囲気に惹きつけられるのか、エズの街には、アーティストやギャラリー、ギャストロノミー(美食)と名をはせるレストランなどが集まっていて、狭い集落の中で互いに肩を寄せ合っています。



道の両脇には、背の高い石造りの壁。見上げると、真っ青な空と流れる白い雲。「ここはどんな建物だろう、ホテルかな? ここはどんなアートを売っているのだろう、ちょっと覗いてみたいな」とキョロキョロしながらも、写真を撮るのも忙しいのです。



とくに気にかかったのが、こちらのショット。てっぺんの窓の隣には、小さなくぼみがあって、黄色い鳥のような置物が見えています。



ズームして撮影してみたら、どうやら陶器でつくった鳩の置物のよう。石造りの建物の外壁に、聖母子像を配置するのはよく見かけますが、鳩の置物を飾るのは、とても珍しい。



ここは、アパートなのかな? ブルーの鎧戸(よろいど)が閉まっているけれど、人は住んでいるのかな? どうして鳩の飾りを置いてあるんだろう? と、頭の中は疑問でいっぱいになります。



と、先を歩いていた連れ合いが、姿を消してしまったのです!あちらこちらを見渡しても、どこにもいません!



もうパニックになりながら、上へ、上へと歩を進めます。なぜなら、ちょっと前に「ここをずっと登っていけばいいのかな」と言っていたのが耳に残っていたからです。



息をきらしながらクネクネした階段を駆け登り、この集落の最高地点「熱帯植物園」へと到達しました。が、その道すがら、連れ合いの姿はまったく見当たりません。植物園の前には、チケットを求める長い行列ができていましたが、まさか、自分だけ中に入るわけはないので、ここにいないことは明白です。



そこで、「もう下に降りるしかない。下に降りて、途中で連れ合いに出くわさなければ、ふもとの駐車場まで戻って、車の前で待つしかない!」と結論に達したのでした。が、なにせ道が迷路のようなので、自分が登ってきた道もわからないし、いつの間にか道をそれて、見たこともない街の隅っこの外壁が続いています・・・。



ふもとに戻りたいのに、道がわからない! もう、あせってしまって、はあ、はあと肩で息をしながら走り回ります。と、目の前に駐車場で見かけたカップルがいらっしゃったので、彼らに「駐車場に戻る道はわかりますか?」と尋ねると、「この道をまっすぐに行けばいいんだよ」と男性が親切に教えてくれました。



あ〜、助かった、これで駐車場に戻れる! と喜び勇んで階段をトントンと下りていると、途中の小さな広場にあるバーのテーブルに、連れ合いの顔が見えたではありませんか!



テーブルに駆け寄って連れ合いの目の前に座ると、開口一番「どこに行ってたの!」と、まるで親が子を叱るように大声が飛んできます。こちらもいろいろ言い訳をしながら気がついたのですが、顔は今にも泣き出しそうにこわばっているし、目にはうっすらと涙も浮かんでいます。



それを見て悪かったなと反省したのですが、どうやら、わたしが連れ合いを探して右の階段を一目散に登って行ったところ、そのすぐ下で動かずに待っていたとか。はぐれたとわかって地図(写真)を見てみると、この地点で道が二手に分かれたあと、さらに先でも二手に分かれるので、追っかけて探すのは難しい。それよりも、必ず戻ってくるであろう下のバーで待っていた方が得策、と判断したんだとか。さすがに数学が専攻だったので、考え方が論理的なのです。



あとで聞いてみると、「人さらいに遭ったのかな?」とか「崖から転落したのかな?」と、もう真剣に考えていたとか・・・。




再会してホッとしたところで、遅い昼食の代わりに有名ホテルのバーで、お茶とおつまみをいただきました。シャトー・ド・ラ・シェーヴル・ドールという名のホテルですが、シェーヴル・ドール(Chevre d’Or)というのは、金色の山羊(ヤギ)だと伺いました。



どうやら山羊はホテルのロゴともなっているのか、ティーカップにも絵付けとして登場しています。



ここは、山の頂上にあるお城をホテルに改造したもので、レストランも美味しいと評判のところ。予約がないと食べられないので、バーでおつまみとなったのですが、レストランは海を真下に臨むテラス形式で、とても気持ちが良さそうでした。



こちらのレストランは、モナコを訪れたときに運転手の方に勧められたところ。この方が、ホテルの名は「金色の山羊」だと教えてくれたのですが、彼はフランス語の他にスペイン語とポルトガル語も話すわりに、英語はあまり得意じゃない。「山羊(goat)」の英単語が思いつかなくて、ばあ〜ばあ〜と鳴いてみせてくれました(が、そのおかげで、ちゃんと調べるまで「羊(sheep)」だと思い込んでいました!)。



そんな彼のオススメに従って、ぜひ一度は食べてみたいレストランなのです。




というわけで、こちらの「空に浮かぶエズ」のように、ニース近郊の岩山には、迷路のような中世の街が散在するのです。なんでも、こういった集落は、高い木の上に巣作りをする鷲(わし)に習って、「鷲の巣村」と呼ばれるとか。



それぞれに特徴があって、魅力的な集落の数々ではあるのですが、散策なさるときには、グループからはぐれないように要注意なのです!



その後の観光でも、山奥にある世界遺産ムスティエ・サント・マリー(写真)や、サン・ベネゼ橋や旧ローマ法王庁で知られるアヴィニョンと、迷路みたいな古い街に縁がありました。それぞれの場所では、わたしが「迷子」にならないように、後ろを振り返りながら歩を進めていた連れ合いではありました。



まるで次の目的地に足を運ぶのが目的みたいな連れ合いに対して、とにかく興味を持つと、どこかにひっかかるのが、わたしの悪いクセ。ふいっと姿をくらますのは、まっすぐに進んでいる連れ合いではなくて、わたしの方なのかもしれませんね。



フランス紀行:コート・ダジュールとプロヴァンスの旅

Vol. 229



3年前に母が倒れあっけなく他界してから、初めてのバケーションらしいバケーションとなりました。今月は、4つの話題を通して旅のご紹介といたしましょう。



<ニースとその周辺>

旅の行き先は、フランスの南端。地中海に面した暖かい地方です。

首都パリから飛行機を乗り継ぎ、まずは海辺のニースへ。そこから山奥の世界遺産ムスティエ・サン・マリー(写真)を訪れたあとは、西に向かってアヴィニョンとエクス・アン・プロヴァンスに足を伸ばし、最後はパリからアメリカに戻るという二週間の旅でした。

青い海の「コート・ダジュール」と、ワインや香り高いラヴェンダーで有名な「プロヴァンス」の旅と言えば、かっこよく聞こえるかもしれません。



海沿いが好きなわたしは、ニース(Nice)での滞在がひどく印象に残りました。ホテルの部屋からは、目の前に青緑の海が広がり、見ているだけで心が洗われる気がします。海の色も空の色も風の向きも、日によって異なりますが、そこに海があるだけで、なぜか安心するのです。

加えて、ニースからは、フットワーク軽く周辺のいろんな街を訪ねることができるのも印象深かった理由かもしれません。「フランスは、田舎がいい」と聞きますが、郊外に出て、それぞれの街の雰囲気を味わう醍醐味があるのです。



ニースからほんの少し車を走らせると、丘の上には、中世に舞い込んだかのような城壁の街々が出て来ます。どこを訪ねるかは迷うところですが、ホテルのベルスタッフが勧めてくれたサン・ポール・ド・ヴァンス(St-Paul-de-Vence)は、蜂蜜色の古い石造りの街並みにも、アーティストの集う活気があって、急な階段を上り下りするのもまったく苦ではありません。

この街には、モディリアーニやボナールと有名な画家たちも魅了されたようですが、ロシアから移り住んだマルク・シャガールのお墓もあって、世界じゅうから来た観光客がひっきりなしに訪れていました。「こんなところに眠れるなんて、うらやましい」と、誰もがため息をついたことでしょう。



ニースから東にくるっと半島をまわると、美しい漁師町ヴィルフランシュ・シュル・メール(Villefranche-sur-Mer)があります。親友が「わたしの大好きな街」と教えてくれたところで、びっしりと丘に張り付くような街並みと青い海のコントラストは、さすがに風光明媚。

明るい陽光の中、カフェやレストランを吟味する観光客で賑わいますが、スケジュールに余裕があればゆっくりと逗留して、静かな朝、岸壁を散策してみたい街です。



そこから少し内陸に向かうと、空に浮かぶような要塞都市エズ(Eze)があります。海を臨む険しい山に築かれた城壁の街ですが、中世の時代、外国人の侵入を防ぐために山頂に要塞を築いた「鷲の巣村」としてもっとも有名な集落です。

高い木の上に巣作りをする鷲の習性から生まれた「鷲の巣村」の名称ですが、ニース近郊には、そんな絵画のような集落が散在します。険しい階段と迷路のように入り組んだ街の構造は、リラックスした海辺のリゾートとは異なる、厳しい歴史の片鱗でしょうか。



<ニューエコノミーとオールドエコノミー>

ニースからは、「隣国」モナコ公国も近いです。そう、国境もない、同じくフランス語を話す、お隣の国。スムーズに行くと30分ほどで到着ですが、この行程がちょっと不思議でした。



フランスには、配車サービスの Uber(ウーバー)が浸透していて、よほどの郊外でない限り、行く先々で気軽に利用することができます。

Uberはスマートフォンアプリで自分のいる場所に車を呼ぶサービスですが、たとえば、ニース空港では Uberに登録した車が待機していて、すぐに街中のホテルに向かえます。街に散らばる美術館めぐりも、Uberに乗せてもらえば、バスやトラムを利用するよりも迅速で便利です。

タクシーに乗るよりも安価だし、行き先を指定しておくと勝手に連れて行ってくれるし、登録したクレジットカードで自動的に支払いが完了するし、旅先の言語や通貨に慣れていない場合は、とてもありがたいサービスとなります。



そんなわけで、ある晩、隣国モナコにあるレストランで食事をしようとUberで向かいました。ドライバー氏は、モナコに住む大金持ちのお抱え運転手をしていて、空き時間にはニース近郊でUberドライバーとして愛車を走らせているとか。さすがに事情通で、モナコ周辺のレストランはどこがいいかと親切にアドバイスもしてくれました。

そのドライバー氏が「モナコにはUberがないので、帰りはタクシーを利用するしかないよ」と釘を刺すのです。

そう、モナコには、メーターのない(!)タクシーしか存在しないようです。早めに着いたモナコでは、有名なカジノ・モンテカルロに入場して、まだ客のいない静かな雰囲気を味わいましたが、そこからレストランに行くのにタクシーが捕まりません。困ったあげく、近くの老舗ホテルのベルスタッフに頼んで、タクシー待ちをさせてもらいましたが、ようやく現れたテスラ「モデル3」のタクシーには5分と走らないのに20ユーロ(約2400円)も取られました。



この距離で20ユーロなら、30分離れたニースに戻るのにいったいいくらかかるのだろう? と夕食の最中もずっと気になっていたのですが、帰りはレストランのあるホテルのベルスタッフにタクシーを手配してもらい、ひととき彼らとの談笑を楽しみます。

なんでも、目の前にある工事現場は、「モナコ最後」の空き地だったところで、小さな森をなす木々を切り倒し、深い穴を掘って地下道を通し、その上に億ションとなる高層ビルを建てるという、数年がかりのプロジェクトを展開中。

「もう工事の埃(ほこり)がすごくて閉口してしまうんだけど、今トラックが通ってる道なんて仮の作業道路、ビル完成後にはなくなるんだよ。だってモナコの道路は、高層ビルの地下をぬって走るものだからね」と、モナコ事情を説明してくれます。

そう、モナコは2平方キロメートルという限られたスペースなので、斜面にへばりつく建物は上へ上へと伸びるし、車は密集した高層ビルの地下を結ぶトンネルを走ることになるのです。岩盤がむき出しの古いトンネルもあって、さながら蟻の巣の中を走っているよう。



ホテルスタッフ氏たちは、(生活費の高い)モナコに住むわけにはいかないので、フランス側のニースから通ってくるそうですが、わたしたちがニースに泊まっていると聞き、「ニースはいいだろ?」と満面の笑みになります。海もいいけど、旧市街にある(庶民的な)レストランだって美味しいんだよ、と地元っこの誇りを見せます。

そんな彼らの人懐っこさのおかげなのか、登場したタクシーの運転手もいい人で、「レンタカーを運転するなら、高速道路の料金所ではICカード専用口に気をつけないといけないよ。ここで立ち往生すると、後続の車に迷惑だからね」と、地元のコツを指南してくれました。

おまけに、ホテルスタッフからは「85ユーロでニースまでお願いね」と言われていたようで、一旦ホテルを間違えて遠回りをしたにもかかわらず、お約束の85ユーロしか請求しようとしませんでした。相場は85から100ユーロとのことで、なかなか良心的な値段ではありました。



というわけで、隣国モナコは、その晩の食事と翌日の大公宮殿見学の限られた体験でしたが、Uberのような配車サービスが存在しないなんて、フランスの新しい経済(ニューエコノミー)とモナコの昔ながらの経済(オールドエコノミー)の対比が際立った印象でした。

オールドエコノミーとは、お金を持っている人には心地よいが、だからこそ既得権を死守しようと、とことん変化を拒む仕組みなのかもしれない、と勝手に納得したのでした。



<フランスでドライブ>

我が家の旅のスタイルは、好きなようにスケジュールを組み、旅先ではレンタカーを借りて移動することが多いのですが、やはりニースでも車を借りて、その後の行程に備えました。コート・ダジュールもプロヴァンスも、車がないと近隣の小さな街々を訪ねるのは難しいようですので。



けれども、ここで要注意。フランス人には意外な一面があって、普段はあんなに親切な人たちなのに、一旦ハンドルを握ると「人格が変わる」ドライバーも多いのです。

クネクネした山道を対向車線も気にせずにぶっ飛ばすし、狭い道でも我先に行きたがる人も多い。たとえ相手にぶつかっても、とことん「相手が悪いのさ」と主張するんだろうなと邪推するほど。

しかも、渋滞を回避しようとオートバイや自転車に乗る人も多いので、無理やり後ろから車を追い越そうとする二輪車が危険に感じます。



そして、フランスのドライブで留意すべき二つ目は、道路がわかりにくいこと。アメリカや日本に比べて、道路標識や行き先表示板が小さくて見にくいし、高速道路の出口も小さく番号で表示されるだけで、見落とすこともあります。

一度は有料道路の途中に出てきた料金所の表示(写真)に気を取られて、出口をミスったこともありますし、出口だと思ったところに「進入禁止」のような白線が描かれていて、あやうく脇に立つ緑色のラバーポールにぶつかりそうになりました(オレンジ色の「t」は、ICカード利用者レーンとなるので要注意)。



これに関しては、ローヌ川周辺のワイナリー見学をしたとき、ツアーガイド氏がこんなことを言っていました。

「フランス人は、こう考えるんだよ。もしも物事を複雑(complicated)にできるんだったら、なんでわざわざ簡単(simple)にする必要があるんだよって」

まさに、その精神が貫かれているかのように、道路標示も美術館や空港内の案内もわかりにくいのがフランスです。



そんなわけで、レンタカーを利用するときは、ナビゲーション付きの車を借りた方が良いと思われますが、おそらく英語の音声指示となるので、「右」「左」や「ひとつ目」「ふたつ目」などは英単語に慣れておいた方がいいかもしれません。

たとえば、ラウンドアバウト。フランス語では「ロン・ポワン(round-point)」と呼ばれる、信号の代わりにロータリーになっている交差点。郊外に行くと、ほとんどこの形式となりますが、丸いロータリーに入るときには、左側から車が走ってくると、自分は一旦停止。出るときには、だいたい2番目の出口がまっすぐ進む方角となります。

英語では、「Enter the roundabout. Take the second exit(ラウンドアバウトに入って、2番目の出口を出てください)」などと指示がありますので、1番目の出口か、2番目か、3番目か、そこが肝心となるのです。



そういえば、フランスに旅立つ前、わざわざミシュラン発行の地図を購入したのですが、運転をしていて地図を開いたことは一度もなかったです。ナビゲーションがなかった時代は、紙の地図とにらめっこしながら順路を判断したはずですが、わたしからすると、それはほぼ不可能な「神業」にも感じるのでした。



<芸術とワイン>

最初の宿泊先ニースで何泊かしたとき、時差ボケで朝早く目が覚めて自覚したのでした。そうか、ここが日本語で「南仏」と称される、みんなの憧れの地なんだ! と。英語では漠然と「南フランス」と呼んでいましたが、「南仏」と聞くと、なんだか特別な場所になったような気がします。



それは、ニースで美術館めぐりをしていて、南仏を生涯の地と選んだ芸術家たちが多かったことを実感したからかもしれません。

たとえば、ニース市内に美術館のある画家アンリ・マティスは、パリから南仏を訪れて「光の色が違う」と驚き、それ以来、この地で鮮やかな色とデフォルメした簡素な形に挑戦し続けました。

南仏からは海に浮かぶ南の島々にも足を運び、花や植物といった自然のモチーフに目覚めたりもしました。安住の地に選んだヴァンス(Vence)の丘には、自らの祈りを捧げるかのように礼拝堂を築き、コバルトブルー、グリーン、イエローの鮮やかな植物モチーフのステンドグラスを配する礼拝堂として、今も世界じゅうから見学者が集まります。



海際のアンティーブ(Antibes)には、濃いブルーを臨み、お城のようなピカソ美術館が建っています。ここには、ニースとは違った青の深みがあり、ニースが緑を帯びた「紺碧」なら、こちらは濃い青の「群青」と表現してみたいです。そんな海を見ていると、ピカソお得意のくっきりとした配色も十分に納得できるような気がするのです。

ピカソやマティス、シャガールやボナールと南仏を愛した芸術家はたくさんいるけれど、この地の海と光の色には、彼らの作品が生まれる「必然」があるのではないか、と実感するのでした。



一方、内陸のプロヴァンスに向かうと、セザンヌやゴッホで名高いエクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)やアルル(Arles)といった街があります。

そして、ローヌ川の周辺には名高いワイン産地がいくつも広がり、見渡す限りのブドウ畑に「カリフォルニアのナパバレーの何百倍の広さだ!」と驚いてしまいます。

今回の旅では、甘くない大人のロゼワインの産地タヴェル(Tavel)と、高級ワインの産地と称されるシャトーヌフ・デュ・パプ(Chateauneuf-du-Pape、写真)を案内してもらいました。それこそ星の数ほどあるワイナリーの中でどこのワインと出会うのかは、まさに「ご縁」としか言いようがありません。



シャトーヌフ・デュ・パプでは、シャトー・ド・ヴォーデュー(Chateau de Vaudieu)というワイナリーで見学とテイスティングをさせていただきましたが、驚くのは土壌の果たす威力。

18世紀に建てられたお城でワインづくりをするシャトー・ド・ヴォーデューは、70ヘクタールものブドウ畑がいくつかの土壌に分かれます。中庭にも並べてあるように、石灰岩(limestone)、粘土(clay)、「お芋」のようにゴロゴロした石(galets)、そして砂(sand)と、違った土の畑にブドウの木を植えるのですが、同じ品種のブドウであっても、土が違うとワインの味が違ってくるのです。

たとえば、この地域で赤ワインとしてポピュラーなグルナッシュ(Grenache)という品種。ゴロゴロ石と粘土質の畑で栽培したブドウの実と、石灰岩の畑で採れた実を比べると、同じグルナッシュ100パーセントのワインでも味が異なるのです。言葉で説明するのは難しいですが、「味が違う」ことだけは、素人でもはっきりとわかるのでした。



これこそ、ワインづくりで大事な「テロワール(terroir)」なんだと思いますが、土壌に加えて、場所によって違う日当たり具合だとか、気温や日較差、雨量に影響する地域の気候だとか、自然環境すべてがワインの味を支えているのでしょう。

今年の夏、フランスは猛暑となり、ローヌ川周辺も40度を超える厳しい暑さが続いたそうです。おかげで、ブドウの収穫高は例年よりも少ないようですが、実の質はとても良いとのこと。

シャトーヌフ・デュ・パプで生まれ育ったガイド氏と偶然再会した幼なじみの男性が、「来週あたりにはブドウの収穫が終わるんだけど、今年は、とっても出来が良いんだよ」と、興奮ぎみに語っていらっしゃるのが印象に残りました。

規則の厳しいワイン産地シャトーヌフ・デュ・パプでは、ブドウの実はすべて手で摘む(hand-pick)もの。丹精込めて栽培したブドウの収穫が「とびきり良い」と断言できるのは、生産者として何よりも喜ばしいことでしょう。



ワインづくりしかり、芸術しかり。まさに「フランスを知らずして、西洋を語ることなかれ」と、この国の文化の層の厚さを思い知らされた旅ではありました。



「ボンジュール」と「メルシー」しかフランス語は知りませんが、なんとかなることがわかったので、次回はまた違った地方を訪ねて、違った文化の一面に触れてみたいと思うのです。



夏来 潤(なつき じゅん)



植物由来の肉:知名度は上がっても・・・

Vol. 228



4月号でも取り上げた、豆類でつくったお肉の話題。今月は、その後の展開をご紹介いたしましょう。

<アメフトファンに向けた「肉なし肉」のCM>

9月に入ると、ホッとしますね。お天気が良くなることもありますが、なんといっても、アメリカンフットボールのシーズンが始まりますので。

昨年は、サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)期待の司令塔、QB(クウォーターバック)のジミー・ガロポロ選手がヒザの大怪我でシーズンを棒に振り、チームの成績もボロボロ。

「ジミーG」の愛称で親しまれるガロポロもようやく怪我から立ち直り、今年こそは! と、ファンの期待はつのります。



シーズン第一試合は、敵地フロリダの49ers。テレビ中継を観ていたら、驚いたCMがありました。

それは、バーガーキング(Burger King)の「インポシブル・ワッパー(Impossible Whopper)」。こちらは、動物の肉を使わないハンバーガーなんですが、お肉が大好きそうなアメフトファンに向けて、「肉なしハンバーガー」を宣伝しているのです!



今年4月号でもご紹介していますが、近年、動物のお肉を使わない、植物由来の肉製品が話題になっています。豆などを使って「赤身肉」や「鶏肉」を製造するスタートアップ企業と有名なファストフードチェーンが提携して、街角のハンバーガー屋さんでも「肉なしハンバーガー(meatless hamburger)」が食べられるようになったのです。

ハンバーガーチェーン二番手のバーガーキングは、シリコンバレーのインポシブル・フーズ(Impossible Foods:本社レッドウッドシティー)と提携して、今年4月からミズーリ州セントルイスで「インポシブル・ワッパー」のテスト販売を開始。

「お肉文化の中心地」ともいえるミズーリ州で好評を博し自信をつけた同社は、早くも6月には全米展開に乗り出し、ここサンフランシスコ・ベイエリアでも販売するようになりました。

この全米展開に乗じて、アメフトの試合でも宣伝するようになったようですが、「マッチョなアメフトファンが肉なしハンバーガーなんか買うの?」と素朴な疑問を抱くのです。



が、そんな疑問を持つのは、どうやら素人さん。実は、植物由来のハンバーガーを買う大部分は、肉を食べないベジタリアンではなく、肉も野菜も食べる雑食の方々だとか。

なんでも、専門家が分析するところ、「植物由来の肉(plant-based meat)」を好む消費者は4種類に分類されるそう。

ひとつ目は、近年増え続けているヴィーガン(vegan:肉類や卵、乳製品など動物由来の食品を避ける人たち)。

ふたつ目は、どのように食物が生産されているか、環境に与える影響は何かと、食糧生産のあり方を憂慮する消費者。

三つ目は、とにかく体に良さそうな食品を摂取したい、健康志向の消費者。

そして、四つ目は、トレンドに敏感な消費者。自分の好きな有名人が植物由来肉を推奨しているとか、仲間内で「クール」に見えるとか、そういったイメージを大切にしたい人たち。



このうち、ひとつ目のヴィーガンのグループは、世の中ではまだまだ少数派。ですから「インポシブル・ワッパー」を食べているのは、お肉も食べる雑食の人たち、と考えた方が無難でしょう。好奇心からか、自慢話のネタとするのか、さまざまな動機から「肉なしハンバーガー」を購入なさっているようです。

もはや「植物由来」という冠(かんむり)は、ハイブリッドや電気自動車に続いて、新しい勲章となっているのかもしれません。(ビジネス番組ブルームバーグニュースに出演したジョナサン・マッキンタイア氏による分類。同氏は、植物由来の食材を提供するMotif FoodworksでCEOを務める)



ハンバーガー屋さんだけではありません。フライドチキンで有名なKFC(ケンタッキーフライドチキン)は、8月27日「肉なしフライドチキン」のテスト販売を開始。ジョージア州アトランタの店舗で限定販売してみると、その日の分はすぐに売り切れるほど大好評だったとか。

その名は「ビヨンド・フライドチキン(Beyond Fried Chicken)」。4月号でもご紹介したインポシブル・フーズの競合会社、ビヨンド・ミート(Beyond Meat:本社ロスアンジェルス)が生産する「肉じゃない鶏肉」を使ったチキンナゲットです。

からりと揚がったナゲットは、本物の鶏のフライと変わらないし、ナゲットにからめるソースは、人気のハニーバーベキュー、フライドチキンの定番バッファローソース、スパイシーなナッシュヴィルホットソースと3種類から選べて、味のバラエティーもばっちりだとか。



ぐんぐん知名度を上げるビヨンド・ミートは、5月2日にナスダック市場で株式公開(IPO: initial public offering)を果たしたばかり。一株25ドルの公開株(BYND)は、初日65ドルまで上がり、今は150ドルを超える人気銘柄となっています。

一方、競合のインポシブル・フーズは、同じく5月にシンガポール政府所有のテマセク・ホールディングスと香港のホライゾン・ベンチャーズから3億ドル(約330億円)を追加で資金調達し、生産ラインの増強を図ります。アメリカ市場に加えて、今年3月に同社製品を発売したシンガポールでも、着実に売り上げが伸びているとか。



<ミツワに「ビヨンド・バーガー」登場!>

そんなわけで、存在感を増している「肉じゃない肉」ですが、近頃は、ファストフードチェーンだけではなく、街中のスーパーマーケットでも定番商品になりつつあります。これまではビヨンド・ミート商品が主力でしたが、本日からはインポシブル・フーズも南カリフォルニアのスーパーで販売開始。



中でも、いち早く植物由来肉を取り入れたのは、オーガニック店として有名なホールフーズ(Whole Foods:現在はオンラインショップ Amazon傘下となり、従来農法による食品も扱う)。

4月号では、ホールフーズで購入したビヨンド・ミートの「ビヨンド・バーガー(Beyond Burger)」というハンバーグを試食し、その体験談も付け加えておりました。見た目はお肉と変わらないけれど、お味はちょっと違うかも・・・と。



が、今やオーガニック店だけではなく、普通のスーパーでも見かけるようになりました。たとえば、サンノゼ市にある日系スーパー、ミツワ。シリコンバレー在住の日本人が一度は訪れたことのある店舗です。

種々雑多な食品や日用品を扱っているので、なんとなく植物由来食品とは無縁と思いきや、この夏から、ビヨンド・ミートの商品がちんまりと冷蔵庫に並ぶようになりました。

面白いのは、通常の(お肉の)ソーセージや和牛ハンバーガーと並べて置いてあること。もはや動物のお肉と肩を並べるほど、植物由来の肉製品は当たり前の存在となったのでしょうか。



こちらでは、ビヨンド・ミートのハンバーグとソーセージ2種(ドイツ風ブラートヴルスト、スパイシーイタリアン)と主力商品が置かれていて、ハンバーグは、この日のオススメ商品となっています。

エンドウ豆、緑豆、米を原材料としたハンバーグは「前よりもっと肉らしい(meatier)」と書かれているので、きっとパワーアップした改良版なんでしょう。



そこで、気になった「バージョン2」を試してみました。ホールフーズで見つけた、ひき肉パックの「ビヨンド・ビーフ(Beyond Beef)」。見た目は、本物と見まがうばかり。

そして驚いたのは、その食感。前回4月に試食したものと比べると、つぶつぶ感がパワーアップして、まさに「牛のひき肉」です。

お味もがんばって改良されているようで、「お肉じゃないよ」と言われるまでは誰も気づかないかもしれません。

いえ、ハンバーグをつくるのに、卵や玉ねぎのみじん切り、ナツメグ、パン粉と従来の具材を足したので、もとの味をカモフラージュできたのかもしれません。でも、ケチャップをのせたり、パンにはさんでハンバーガーにしたりすると、動物のお肉だと勘違いすることでしょう。



ただし、鼻につく独特の「におい」だけはそのまま。そこで、スパイスの効いた調理法、メキシコ風ファヒータ(fajita)に挑戦しました。

ファヒータは、平たいトルティーヤにくるんで食べる肉料理ですが、鶏肉や牛肉の薄切りを使います。お肉の代わりにビヨンド・ビーフを使って玉ねぎとこんがりと焼き、ファヒータ・スパイスで調味。トルティーヤには酸味の効いたサワークリームをのせて、ビヨンド・ビーフをくるりと巻くのですが、これだけで人工的な臭みが消えて、かなり美味しくいただけるようになりました。



<ほんとに体にいいの?>

というわけで、なかなかの快進撃を見せる「肉なき肉」。肉に代わる「植物由来の代替肉(Plant-Based Meat Alternatives)」などと呼ばれ知名度は上がっても、問題がないわけではありません。

ひとつに値段が割高なので、すべての消費者が気軽に手に入れられるわけではないようです。

たとえば、上記「ビヨンド・ビーフ」は、450グラム入りで10ドル(1000円ちょっと)というお値段。100グラム240円ほどになりますが、アメリカの感覚ではちょっと高いような気もするのです。



そして、植物由来製品は、本当に健康志向なのか? という根本的な問題もあります。近頃は、冷静に栄養価を分析する記事も目につくようになりましたが、ある栄養士は、こう評しています。

「バーガーキングのワッパーは、通常のものでカロリー660kcal、塩分980mg。これに対して、植物肉バージョンは、カロリー630kcal、塩分1080mg。これだったら、どちらも体にいいとは言えないので、カロリーも塩分も控えめのハンバーグを家でつくった方がいいんじゃない?」と。



この方によると、一見栄養価が高い豆類なども、粉状にしたり、イーストやセルロース、野菜ジュースなどを加えたりして、さんざん手を加えた「ウルトラ加工食品」になると、もとの栄養価は失われてしまう、とのこと。

だから、本物の健康志向を望むのだったら、加工されていない食材(ホールフーズ)を買ってきて、ゼロから料理する方がいいんじゃない? というわけです。(管理栄養士カーラ・ローゼンブルームさんによるワシントン・ポスト紙の記事:”Is it really possible that plant-based foods such as Impossible Whopper are healthful?”, Cara Rosenbloom, The Washington Post, September 9th, 2019)



そして、アメリカの米国医師会雑誌 JAMAの掲載記事は、こんな警告を発します。

たしかに植物由来肉は、通常の肉と比べて脂質(saturated fat:飽和脂肪酸)も低いし、コレステロールも含まれない。カロリーとタンパク質は同等だが、その一方で塩分(sodium)が高い。

さらには、原材料となる豆類をそのまま摂取したときよりも脂質は高く、ファストフードチェーンでハンバーガーとフレンチフライのセットで売られる環境では、必ずしも健康食品とはいえないだろう。

また、インポシブル・フーズのように、製造過程で大量のヘム鉄(heme:血の赤みを出す成分)が加えられることによって、体内に蓄積される鉄分が増え、2型糖尿病が引き起こされる可能性もあり、植物由来肉の体に与える影響については今後の研究が望まれる、とのこと。(”Can Plant-Based Meat Alternatives Be Part of a Healthy and Sustainable Diet?”, Frank B. Hu, MD, PhD; Brett O. Otis, MLA; Gina McCarthy, MS, JAMA, published online August 26, 2019)



たしかに、植物由来商品の外箱の裏に小さく列記された材料を眺めていると、アスコルビン酸(ascorbic acid)だの酢酸(acetic acid)だのコハク酸(succinic acid)だのと、いったい何を体に入れているんだろう? と怖くなってしまうのです。



どうやら、そう思うのはわたしだけではないようで、さっそく深夜コメディー番組にはパロディーが登場です。

CBSの人気番組『レイトショー』では、ホストのスティーヴン・コベア氏がインポシブル・ワッパーのパロディー版「インプロージブル・バーガー(怪しげなハンバーガー)」をご紹介。

ニセCMでは、「たくさんの野菜とたくさんの牛をブラックボックス製造工場につっこみ、ゴチャゴチャとかき混ぜて、出てきたハンバーガーをご提供。中に何が入っているかなんて、誰にもわからないのさ」と誇らしげなナレーション。

最後に、「知らないことこそ、美味なのさ!(Ignorance is delish!)」と結びます。(”The Late Show with Stephen Colbert” on CBS, September 18, 2019)



いえ、これはコベア氏独特のブラックユーモアではありますが、与えられるものを盲目的に信じるのは、ちょっと危ないのかもしれません。

というわけで、何かと話題の植物由来の代替肉。今後の展開に、乞うご期待です。



夏来 潤(なつき じゅん)



今週と来週は「回文」です!

<エッセイ その178>



いえ、たいしたお話ではないんです。



「回文(かいぶん)」という言葉はお聞きになったことがありますよね。



前から読んでも、後ろから読んでも、同じ文字が並んでいる文章のこと。



たとえば、日本でよく耳にする回文には、「わたし、負けましたわ」というのがあります。そう、前から読んでも、後ろから読んでも同じ響きですよね。



英語で有名なものには、「Madam, I’m Adam(マダム、わたしはアダムといいます)」というのがあるそうです。やっぱり、前から読んでも、後ろから読んでも同じアルファベットの並びになっています。



なんでも、「回文」というのは文章だけに当てはまるものではなく、数字にも当てはまるそうです。前から見ても、後ろから見ても、同じ数字が並んでいる状態です。



この数字の回文が、今週と来週に起きるそうです!



日付が回文となるんですが、9月10日から9月19日まで、10日間続くのです。



あれ? と思われた方もいらっしゃるでしょうが、米語では日付はこんな風になります。



たとえば 9月10日だったら、9 1 0 1 9



アメリカでは日付は、 月(month)日(day)年(year)という順番で書くのが一般的ですので、2019年9月10日を数字で表すと、9-10-2019 という風になります。



ここで西暦は、最初の2桁を省略して書くのが一般的ですので、「20」をはしょって 9-10-19



そんなわけで、9月10日から9月19日までは、このようになりますよね。



9 1 0 1 9

9 1 1 1 9

9 1 2 1 9

9 1 3 1 9

9 1 4 1 9

9 1 5 1 9

9 1 6 1 9

9 1 7 1 9

9 1 8 1 9

9 1 9 1 9



そう、前から見ても、後ろから見ても、同じ順番で数字が並んでいます。 ですから、「回文ファン」の間では、今週と来週は喜ばしい週なんだそうです。




わたし自身は、この現象を前夜のローカルニュースで初めて知ったくらいですし、「Palindrome(回文、発音は「パリンドゥロウム)」という言葉も初めて耳にしたように思います。



なんでも、日付の回文は Palindrome Day(回文の日)といい、今週と来週のように週の日付が続けて回文になるのは Palindrome Week(回文週間)と呼ばれるそうです。



回文週間は、意外とたくさん起きていて、たとえば2011年も恵まれた年だったとか。



1月10日から1月19日は、やはりこんな感じ。



1 1 0 1 1

1 1 1 1 1

1 1 2 1 1

1 1 3 1 1

1 1 4 1 1

1 1 5 1 1

1 1 6 1 1

1 1 7 1 1

1 1 8 1 1

1 1 9 1 1



このように「1」が続くと、すっきりとして美しいですよね。



そして、同じような回文週間は、2012年2月10日から19日にも起きています。



2 1 0 1 2 〜 2 1 9 1 2



それ以降、同じ具合に 2013年3月、2014年4月、2015年5月、2016年6月、2017年7月、2018年8月と起きています。



たとえば、2018年8月なら、8 1 0 1 8 〜 8 1 9 1 8 といった具合に。



この現象が、今月の2019年9月にも10日間続けて起きている、というわけです。




一方、西暦を4桁で表すとなると、こちらはちょっと珍しい現象になります。



「Time and date」というウェブサイトによると、今世紀(2001年〜2100年)最初の「回文の日」は、2001年10月2日だったとか。



1 0 0 2 2 0 0 1



同様に、2010年1月2日や2011年11月2日にも回文が起きていたんですね(月日を2桁ずつ、西暦を4桁で表した場合)。



0 1 0 2 2 0 1 0

1 1 0 2 2 0 1 1



そして、今世紀最後の「回文の日」となるのは、2090年9月2日だそうです。



0 9 0 2 2 0 9 0



それから、月を1桁で表してみると、2014年4月10日や2015年5月10日も「回文の日」となるようです。



4 1 0 2 0 1 4

5 1 0 2 0 1 5



こういった日付は、もちろんアメリカ式に読んだ場合ですが、「日、月、西暦」という順番に並べるのが一般的なヨーロッパでは、このように読み換えることもできますよね。



4 1 0 2 0 1 4 は、2014年10月4日

5 1 0 2 0 1 5 は、2015年10月5日



ですから、ヨーロッパでも、日付は違うけれど立派に「回文の日」だったというわけです。



ちなみに、西暦を最初に書く日本式の場合は、2001年10月2日が「回文の日」だったようですね。



2 0 0 1 1 0 0 2



お暇がありましたら、いろいろと他の日付も考えてみてくださいませ。




というわけで、今週と来週は「回文週間」ですが、今週の金曜は「13日の金曜日(Friday the 13th)」でもあります。



しかも、オレンジ色に輝く満月「収穫の月(Harvest Moon)」も見られるとか。



「収穫の月」というのは、9月の秋分の日(Autumnal Equinox)近くに起きる満月のことですが、日没後すぐに上がってきた月は赤みを帯びていて、昔はこれで麦やカボチャの収穫期を知ったといわれます。ですから、「収穫の月」と呼ばれます。(Photo from the Old Farmer’s Almanac)



なんでも「13日の金曜日」と「収穫の月」が同時に起きるのは、2000年10月以来初めてのことなんだそうです。



そして、次は 2049年8月まで起きないとか!



ですから、今年の13日の金曜日は、赤っぽい月を楽しめる、貴重な晩となるのです。



今週は、9月11日という悲劇の一日もありますが、「わ〜い、回文の週だ! 13日の金曜日だぁ!」と単純に喜べるような、平和の日々が続けばいいなと願っております。



追記: 

以前、「Friday the 13th(13日の金曜日)」と題して、英語のお話を書いたことがありました。

どちらかというと、英語よりもギリシャ語のレッスンみたいですが、興味をお持ちのようでしたら、ちょっと覗いてみてくださいませ。



Don’t take it personally(落胆しないで)

<英語ひとくちメモ その137>



久しぶりの英語のお話ですが、身近なエピソードからどうぞ。



夏の初め、忙しくしている親友から何ヶ月かぶりにメールがあって、「わたしの部門がなくなってしまうのよ」と、シリアスな様子。



勤めていた会社が、彼女の所属する開発部門の優秀な人材も含めて、すべて「店じまい」することにしたようです。



「わたしは今まで真夜中まで時間を割いて懸命に頑張ってきたのに、そんな努力が無になるなんて、ただただ悲しいわ」と、落胆の様子が見て取れる内容でした。



こういった場合、正式に会社の方針が発表されない限り、はっきりとしたことはわかりません。ですから、最初のうちは「噂は噂だから、どうなるかわからないでしょ(Rumors are just that, rumors)」と励ましていました。



が、そのうちに噂が現実味を帯びてきて、ヨーロッパの保守部門にノウハウを伝えたら、すべて任務が完了するとのこと。



そこで、わたしは、返事のメールにこのような言葉を添えてみました。



Don’t take it personally

自分を責めて落胆なんかしないでね



ここで it というのは、「会社の決断で仕事が続けられなくなった」ということですが、それを自分自身のせいだとは思わないように、ということです。



そう、take it personally というのは慣用句にもなっていて、誰かが言ったこととか、なにかしら良からぬ出来事を真剣に受け止めて、心を乱す、といった意味があります。



ですから、Don’t (Do not) take it personally というと、「自分を責めて、心を乱したりしないように(あなたのせいじゃないんだから)」といったニュアンスになります。



彼女は、有名校を出たらすぐにソフトウェアエンジニアになり、一貫してネットワーク製品の開発に携わってきた優秀なエンジニア。買収や合併を繰り返して今の会社に勤務するまでは、何度も社長賞をいただいたことがあります。



ですから、部門が消滅してしまっても、自分に非があるなんて思うことはないのよ、と付け加えておきたかったのでした。



末尾には、こうも付け加えておきました。



Take it easy for now

今はゆっくりしてね



そう、Take it easy は、「あまり根を詰めないで、のんびりやってね」という意味のポピュラーな表現です。



日常会話では「さようなら」の代わりに使われるような慣用句ですが、わたしは心の底から「のんびりしてちょうだいね」という意味を込めました。



その Take it easyfor now と付けたのは、「今は、のんびりしてね」というニュアンスを込めたかったから。また心の準備ができたら、「いつでも出動してちょうだい」という意味も含んでいます。



彼女は、おとなしく見えて、タフな一面も持ち合わせるレディー。



ですから、この夏、会社から解放されると、さっさと自宅のバスルームの改修に取り組み、工事屋さんを雇って自分でデザインした構想を展開中。



鮮やかなタイルのレイアウトとか、棚や壁の色選びとか、わたしも何回かデザインの相談にのっています。すると、自分のことのように、こちらも楽しいのです。



今は、シリコンバレーのエンジニアは「売り手市場」。探してみれば、必ず良い仕事が見つかるはずなのに、それよりも彼女は、年末まで中休みを取ることにしたのでした。




というわけで、いろいろと難しいシチュエーションに出会うと、言葉を選ぶにも慎重にならざるをえませんよね。



大事なことは、相手のお話をしっかり聞くことと、お仕着せの表現ではなく、自分の心の底から湧いてくる言葉を選ぶことかもしれません。心からの言葉は、相手には必ず通じるはずですから。



ところで、英語を話す上で相手に気を使うケースには、こういったシチュエーションもありますね。



それは、誰かが連れている犬や猫の性別がわからないとき!



そう、だいたいのヨーロッパの言語は、「男女(malefemale)」の区別をつけますよね。これは、犬や猫のペットにも当てはまるのが原則です。



たとえ相手が動物であっても、He or She(彼または彼女)を間違えると、ちょっと失礼になるのです。



ですから、ちょっと見に「オス・メス」がわからないときには、わたし自身は主語を抜くことにしています。



先日も、エレベーターに小さなワンちゃん(こちらの写真のような白いワンちゃん)を抱っこした男性が乗り込んできたので、こう言葉をかけてみました。



Wow, such a cutie!

まあ、なんてカワイこちゃん!



すると、男性はこう教えてくれました。「この子は16歳の誕生日を迎えたばかりで、今もずっと二人でお祝いの続きをやってるんだよ(We just celebrated her 16th birthday, and we’ve been celebrating since then)」と。



なるほど、こちらも勢いで「カワイこちゃん」と言ってしまったものの、「her 16th birthday」とおっしゃっているので、ちゃんと女のコだったんですね。



そこで、エレベーターを降りる彼には、Happy birthday! と声をかけたのでした。



ワンちゃんによっては、こんな風に主語を抜いてみることもあります。



Looks so clever!

とても賢そうですね!



まさか文頭の主語を it(それ)にすることはできませんので、そういったときには、いっさい主語を抜くことも逃げ道かと思います。



そう、動物と一緒に暮らす方にとっては、彼らは立派な家族の一員。ファミリーなのに「それ」呼ばわりはできませんよね。



というわけで、またまたお話がそれていますが、今日の慣用句は、take it personally



Do not (Don’t) take it personally とすると、「自分のせいにして心を乱さないように」といったアドバイスになるのでした。



蛇足ですが「ワンちゃん」の小話です:

昨年(2018年)の戌年、「ワンちゃんの年」と題してエッセイを書いたことがありました。

隣に停まった車の運転席には、賢そうなワンちゃんが座っていて、今にもドライブできそうだったというお話です。が、なんと、それが現実に起きたんです!



昨日ローカルニュースで報じられたところによると、海沿いのアプトス(Aptos)という街で、メルセデスベンツに乗ったワンちゃんが車を転がして壁に激突させてしまったとか。

ワンちゃんの家族が撮影したこちらの写真では、まるで「デュークくん」が運転しているようにも見えますが、実は、彼の首輪に付けられたリーシュ(リード紐)が車のギアに引っかかって、ギアが「ニュートラル」に入り、坂道を下って行ったというのが真相のよう。路上のゴミ箱を蹴散らし、最終的には壁にぶつかって停車し、事なきを得たとか。当のデュークくんも、「やっちゃったよ〜」という困惑の表情でしょうか。

まあ、昨年わたしが見たワンちゃんとは「別人」だとは思いますが、犬って人間みたいな一面がありますよね。



モザンビークのレディー

<ライフ in カリフォルニア その161>



サンフランシスコで過ごす日曜日、お買い物に出かけました。



前日、街を冷やした霧も晴れ、朝から雲ひとつない青空。こんな日にウィンドウショッピングをすれば、さぞかし気持ちがいいことでしょう。



建物を出て、横断歩道を渡り、目の前の美術学校まで来ると、「エクスキュースミー」とレディーに呼び止められました。



どうやら道に迷っていらっしゃるようで、「メイシーズを探しているんですが、どこでしょうか?」とおっしゃいます。



メイシーズ(Macy’s)は、アメリカでは有名なデパートですが、サンフランシスコのダウンタウン地区には、たしか ユニオンスクエア(Union Square)にしか店舗はなかったはず。ここからはちょっと離れているので、思わず「メイシーズって、ユニオンスクエアのですか?」と確認してしまいました。



すると、彼女はそうだと答えるので、「ちょうどわたしもユニオンスクエアに向かうところですから」と一緒に歩いて行くことにしました。説明するよりも簡単ですので。



彼女は明らかに観光客の雰囲気なので、そばに見える老舗パレスホテルに泊まっているのかと聞けば、市内のメインストリート、マーケット通り(Market Street)にあるホテルに泊まっているとのこと。



ここはマーケット通りよりも2ブロックも南で、しかも、かなり東の方。マーケット通りのちょっと北にあるユニオンスクエアとは、方向違いなのです。



わたしも子供の頃は、母譲りの方向音痴でしたが、彼女はもっと方角が苦手なのかも! と心の中でつぶやいていました。




道すがら、あまりプライベートなことは聞いちゃいけないかなと思っていると、彼女は自分の方から「わたしは アフリカ から来たの」とおっしゃいます。はるばるアフリカのモザンビークからアメリカ観光にいらっしゃったとか。



モザンビーク(Mozambique)と聞いて、どこにあるのかわからなかったのですが、名前はよく聞きますよね。



あとで調べてみると、大きなアフリカ大陸の南東に位置する共和国。珍しい動植物がいるマダガスカル島と対峙する海沿いの国で、ちょうどマダガスカルみたいな細長い国土を持ちます。日本の倍の広さで、液化天然ガスをはじめとして豊かな資源に恵まれるとか。



アフリカは、ヨーロッパ諸国の植民地だった時代が長いので、ヨーロッパの言語を公用語(official language)とする国が多いです。そこで、「モザンビークではどんな言葉を話すんですか?」と聞いてみると、ポルトガル語(Portuguese)とおっしゃいます。



フランス語や英語を話すアフリカ諸国は耳にしますが、ポルトガル語というのは珍しい。ポルトガル語と聞けば、本国の他には南米ブラジルって感じがするではありませんか。ですから、わたしは、いきなり勘違いしてベルギーなまりのフランス語を思い浮かべてしまいました。



あとで調べてみると、モザンビークに加えてポルトガル語を公用語とするアフリカ諸国は、大陸の南西にある アンゴラ(Angola)、西アフリカの ギニアビサウ(Guinea-Bissau)、ギニアビサウの沖に浮かぶ カーボベルデ(Cabo Verde, (英)Cape Verde)そしてギニア湾の島国 サントメ・プリンシペ(São Tomé and Príncipe)があるようです。(地図の右下に位置するのがモザンビーク:Map of Portuguese-speaking African countries by Waldir, from Wikimedia Commons)



そのうちモザンビークは、1498年のヴァスコ・ダ・ガマの大航海をきっかけにポルトガル人が訪れるようになり、だんだんとポルトガルの植民地となった歴史があるようです。1975年にはポルトガルから独立したものの、近年まで国内紛争が続き、国が安定して経済が順調に発展し始めたのはごく最近のことのようです。




そんなモザンビークからいらっしゃった彼女は、サンフランシスコの印象をこう語ります。この街には、ホームレスの人が多いのね、と。



そう、彼女が指摘する通り、とくにこの1、2年、路上に生活する方々が目立つようになりました。



少し前までは、ダウンタウンのすぐ西にある テンダーロイン(Tenderloin)地区に集まって暮らしていました。ここには、格安の値段で泊まれるホテル(ホテルとは名ばかりの宿泊施設)が建ち並び、泊まるお金がなくて路上に寝起きする人も多く、市当局もそんな状況を十分に把握して黙認してきました。



ところが近年、以前は小ぎれいにしていたダウンタウン地区でも、ストリートによっては建物やレストランの真ん前に人が横たわっていたり、横断歩道の前で歩行者に小銭を求めてきたりと、歩きにくいシチュエーションも増えてきました。



ひとつに、路上に寝泊まりする人が増えたこともあるのでしょう。そして、市内いたるところで行われる工事も影響しているのかもしれません。



ダウンタウンの真ん中には立派なオフィスビルや高層マンションが建てられ、それに隣接する巨大な交通ターミナルや新たな地下鉄路線も整備されつつあります。そして、深刻な渋滞や交通事故を少しでも緩和しようと、歩行者や自転車、公共の交通機関を優遇するために道路の改修工事があちこちで展開します。



そんな大小の工事現場を縫うように、人の流れも自然と変わってくるし、ちょっと前まで寝起きできたところが工事現場となり、居場所を求めて人が動く。すると、それとともにストリートスケープ(街並みの景観)も変化する。



けれども、「路上生活」の根本にある問題は、「家賃が高すぎて、払えない人が多い」ということでしょう。



ですから、「ホームレスの人が多いわね」とおっしゃった彼女には、サンフランシスコの家賃はものすごく高くて、小さなアパートにすら住めない人が多い、という説明をしました。世界じゅうからサンフランシスコやシリコンバレーのテクノロジー業界に憧れて人がやって来るので、住宅物件が劇的に増えない限り、自然と家賃が高くなるのだと。



なにせ、サンフランシスコ半島は、ごく細長い狭いエリア。サンフランシスコにしても半島のコミュニティーにしても、家やアパートを新たに建てようにも、無尽蔵に住居を増やすことはできない。住宅物件よりも人がどんどん増えていく現状では、遠くから何時間もかけて通って来たり、車中や路上に住んだりする人が出てきてもおかしくないのです。



サンフランシスコの前にロスアンジェルスを観光してきた彼女にとっては、だだっ広いロスアンジェルスではそれほど見かけなかった路上生活者が、こぢんまりとしたサンフランシスコの街中ではとても印象に残ったようでした。(写真は、サンフランシスコ市を真西から俯瞰したところ)




そして、世界じゅうから人がやって来ると聞いた彼女は、「アメリカで働く資格は取りやすいの?」と尋ねてきます。



実は、彼女はモザンビークのアメリカ大使館に勤務し、ごく最近、定年退職を迎えられたとのこと。そんな経験からビザ(査証)についても興味があったのでしょう。



わたし自身の体験からいうと、たとえば「H-1B」という特殊技能者向けの就労ビザに関しては、テクノロジー業界が盛んになってきた1990年代は、そこまで取得が難しくなかった印象があります。ところが、だんだんと「外国人を雇わないでアメリカ人を雇え!」という声が強くなってきて、一旦増えたH-1Bの発行数が元に戻され、それによって申請解禁日の第1日目には定数を超えてしまうような状況に陥ってしまいました。



ですから、彼女には、「昔と比べて就労ビザは取りにくくなったし、とくに今のトランプ政権は外国人を受け入れたくない姿勢だから、以前のようにはスムーズにいかないみたい。でも、アメリカの大学を出て、一時的な就労ビザで経験を積めば、そのあとに続けて雇ってくれる会社もあるのかもしれない」と答えました(その場合も、学士号取得者の65,000と修士号取得者の20,000というH-1Bの年間枠が問題になってきますが)。



さすがにアメリカ大使館に勤めていただけあって、事情通でいらっしゃるみたい。「現政権は」と口にしただけで、「そうよねぇ、わかるわぁ」と大きく首を縦に振っていらっしゃいました。



ついでに、わたしの方からも「大使館という政府機関にお勤めだったら、公的年金も平均的な方よりもたくさんもらっていらっしゃるんでしょ?」と、ちょっと失礼な質問を投げかけました。



すると、「そんなことはないのよ。年金は十分ではないわ」とおっしゃいます。



ですから、「それはこっちも同じですよ。貯金がないと、公的年金だけじゃやっていけないようですから」と、アメリカと日本の現状を思い浮かべなから相槌を打ったのでした。



そんなわけで、話題は尽きず。彼女とはもっとお話ししていたかったのですが、いつの間にか、目的地のユニオンスクエアに到着です。



「あそこの建物がデパートのメイシーズ。その向こうに見えるのが、あなたのホテルのあるマーケット通りですよ」と指をさし、さようならと別れました。



定年退職を迎えたようには見えない、真っ赤なブラウスがお似合いのレディー。



サンフランシスコに3泊した彼女は、次の朝ニューヨークへ発つとおっしゃっていました。無事に東海岸に着いて、まったく違った街の雰囲気を楽しんでいただければいいなと思ったのでした。



追記:

彼女と歩き始めてすぐに「昨日はどこを観光しましたか?」と聞いてみました。乗り降り自由の観光バスに乗って、おもな観光地は回られたそうですが、「そうそう、チャイナタウンに行って、あの大きな門も見たわよ」とおっしゃいます。

たぶん、わたしのことは中国系住民だと思っていらっしゃるんだろうなと感じて、それ以上は言及しませんでした。サンフランシスコには日本街もありますが、やはりチャイナタウンの方が大きくて知名度も高いのです。



夏の一冊:『出口のない海』

Vol. 227



日本では知られた一冊だと思いますが、遅まきながらこの夏、心に残った本がありました。今月は、小説のご紹介といたしましょう。



<命と向き合う秀作>

この夏、偶然に本屋で見つけた本。それは、横山秀夫氏の『出口のない海』(講談社文庫)。

1996年に刊行された同名小説を全面改稿し、2004年に出版された単行本の文庫版です。

それまでお名前すら存じ上げなかった横山氏をテレビのインタビューで見かけて、新聞記者を経て小説家に転じた経歴を知り、氏の作品をぜひ読んでみたいと幸運にも本屋で出会った作品です。



舞台は、太平洋戦争でアメリカと戦っていた頃の日本。甲子園の優勝投手が六大学野球チームで怪我と闘いながらも「魔球」を編み出そうと努力するさなか、当初は免除されていた学生にも召集令状が届き、海軍に入隊して野球をあきらめなければならなくなった主人公、並木浩二。

そこではどんなに厳しい試練にも耐え抜くのですが、日々戦況が悪化し物資も底を突く中、彼の海軍での訓練は、奇妙な方向にねじ曲げられていくのです。それは、もはや潜航艇が敵の軍艦めがけて魚雷を打ち込むといったものではなく、彼自身が「捨て身」の特殊兵器となるもの。爆薬を満載した改造魚雷に人が乗り込み、たったひとりで暗い海の中を操縦し、敵の艦船の横腹めがけて搭乗員もろとも突っ込むという、人間魚雷「回天(かいてん)」。



この壮絶な特攻兵器が編み出された背景には、1941年12月オアフ島パールハーバーでの宣戦布告が、束の間の快進撃に終わったことがあります。わずか半年後には、旧帝国海軍が誇る6隻の主力航空母艦のうち4隻をミッドウェー海戦で失い、熟練パイロットの大半を海に散らすのです。

南へ南へと追いやられる中、湾内に停泊中の敵艦を潜水艦から奇襲攻撃する戦法が功を奏し、米軍を恐れさせます。戦地のみならず、米国本土にも潜水艦の侵入を防ぐ防御ネットが幾重にも張り巡らされ、最新のレーダーが配備されるようになります。サンフランシスコ近郊にも防御ネットが張られ、今でもゴールデンゲートブリッジ(金門橋)近くのサウサリート沖に潜れば、海底に不気味に横たわる防御ネットが見てとれると聞いたことがあります。



が、日本軍の巻き返しも一時的なもの。さらに戦況が悪化する中、帝国陸軍と海軍は飛行機もろとも敵艦めがけて突っ込む特別攻撃隊を編成します。次から次へと出撃する特攻隊が日本の新聞をにぎわす一方、海では、ベニヤ板の船に貨物自動車のエンジンを搭載しただけの「震洋(しんよう)」という新兵器が開発されます。お粗末な船には爆薬が積み込まれ、体当たりで相手を撃沈する目的ではあるものの、この時点では敵艦に接近したところで搭乗員は海に飛び込み、泳いで逃げるというもの。

これを一歩進めたのが、人間魚雷「回天」。搭乗員は爆薬の一部と化して、海の藻屑と潰(つい)えるのです。



ひとたび志願したら最後、逃げ場のない人間魚雷の訓練が繰り返し、繰り返し行われるのですが、この小説は、そんな理不尽な凄惨な軍隊生活の描写だけではなく、「魔球」の完成に打ち込む主人公と仲間たちの絆や叶わぬ淡い恋なども織り込まれていて、清々しい印象の作品となっています。文章は簡潔だし、お話の展開も速く、じっくりと史実をリサーチされた重い内容のわりに、とても読みやすい作品なのです。

まるで目の前に映画のシーンが繰り広げられるような錯覚も覚えますが、実際、2006年には同名で映画化されたんだとか。わたし自身は劇場版については存じませんでしたが、正直なところ、なにも映画にしなくても文章だけで網膜に投影される映像を十分に楽しめるのに・・・と感じるのです。



それにしても、母船である潜水艦に搭載した魚雷に乗り込み、たったひとりでそれを操り、うまく敵艦めがけて突っ込んで相手を撃沈しようというわけですから、艦船や潜水艦の航海技術のみならず、敵艦の探査・攻撃技能や背景にあるラジオ技術、音響理論、敵艦撃沈の確率論と、物理数学の理論を含めて相当量の勉強が必要となるのです。そう、魚雷の操縦ひとつ取っても、中には数え切れないほどのツマミがあって、出撃前には「千手観音並み」の操作が必要だとか。

主人公・並木の場合は、2年ほど海軍でみっちりと訓練を受けていますが、これほど優秀な若者に高度な教育を受けさせたあと、その逸材を文字通り「鉄砲の弾」として散らしてしまうなんて、狂気以外のなにものでもない、としか言いようがありません。

しかも、付け焼き刃に改造した魚雷は、よく壊れる。上官や仲間たちから「国のために立派に散って、神になってこい」と厳粛に送り出されたものの、魚雷が壊れて出動できず、陸に戻って「生き恥をさらす」こともしばしば。鉄拳を受け、執拗に罵倒され、その屈辱たるや、さっさと死んだ方がましだと誰もが思わずにはいられなかったことでしょう。



生死の境と向き合い続けて、ときに自暴自棄となりながらも、それでも「魔球」の完成をあきらめなかった主人公、並木。

小説『出口のない海』は、日本人だけではなく、日本語のできるすべての人に読んで欲しい作品です。そう、民族や文化や思想を問わず、世界じゅうの日本語の堪能な人たちに読んでもらって考えてもらいたい秀作なのです。



今まさに、甲子園では熱戦が繰り広げられています。戦争のために甲子園大会が中止となり、球児たちが築き上げた伝統に空白があけられたばかりではなく、代わりに「手榴弾投擲(とうてき)突撃競争」なる国防競技が幅を利かせ、国民体育大会と称された愚かな時代があるのです。

この平和な時代、甲子園を目指して野球に打ち込む生徒たちには、フィールドで思う存分白球を追える幸せをかみしめて欲しい、と願っています。

世が世ならば、自分たちが追いかけるべきものはベースボールではなく、洋上を航行する敵国の空母や油槽船だったかもしれないのだから。



夏来 潤(なつき じゅん)



アメリカの投票:カリフォルニアの場合

Vol. 226



間もなく日本では参院選もあることですし、今月は、アメリカの投票の様子、とくにカリフォルニアのお話をいたしましょう。



<新しい投票方式>

ごく最近、カリフォルニア州では投票の方法が新しくなりました。でも、「新しい方式」といっても、インターネットを使った投票ではありません。

残念ながらアメリカでは、国政選挙や州選挙をインターネットで行なっている州は限られていて、行なっているとしても「在外投票のみ」と条件付きの場合がほとんどです。

さまざまな障害があって、いまだ「ネット投票は一般化できない」というのが現状でしょうか。



それで、何が「新しい」のかといえば、カリフォルニア州では、投票日に投票所に行かなくてもいいことにしたのです。そう、もっと有権者の都合を考えてフレキシブルにやろうじゃないか、というわけです。



従来の投票方式は、だいたい日本と似ていて、投票日に指定された投票所(polling place)に行くか、都合の悪い人は期日前投票(early voting)を行うというもの。

まあ、アメリカの場合は、投票所で投票機器を使って画面に記入するケースもありますが、投票所に出向いて順番待ちの列に並ぶ点では、日本と似ています。

加えて、近年のカリフォルニア州のトレンドとしては、「郵便投票(mail voting)」がありました。希望する有権者に対して投票日よりかなり前に投票用紙(paper ballot)が郵送され、有権者は好きなときに自宅で記入したあと、郵便ポストに投函するか、期日までに投票所に持って行って、投票を完了する方式です。

3年前の総選挙からは、返信の際に切手が必要なくなりましたし、投票日当日の消印があれば有効となりました。「これだけ便利になったんだから、ちゃんと投票してちょうだい!」というわけです。ご丁寧に「投票してくれてありがとう」と、返信用封筒のフタには謝意も印刷されています。



これを一歩進めたのが、今回の変更です。これまでは希望者のみが郵便投票を行なっていたところ、有権者全員を対象としたのです。

自治体(郡)の選挙管理委員会は、投票日の29日前から有権者に投票用紙を郵送し、有権者は都合の良いときに自宅で記入する。記入が済んだら、郵便ポストに投函したり、役所や図書館に置かれた専用ポスト(ballot drop-off box)に投函したり、投票所に持って行ったりして投票を完了する。

そう、投票用紙を持って行く場所の選択肢もグンと増え、「だって投票所が遠いんだもん」という言い訳ができないように改善したのです。

こちらは、2016年に州議会で採択された「Voter’s Choice Act(有権者の選択法)」という法律に基づく新方式。昨年からは、州都の置かれるサクラメント郡やワイン産地として有名なナパ郡など5つの郡で試験的に採用されました。

そして、いわゆる「シリコンバレー」と呼ばれるサンタクララ郡では、来年3月の予備選挙から採用されます。サンタクララ郡では、すでに8割近くの有権者が郵便投票を選択していると聞きますので、実際にはあまり変化はないかもしれません。が、手元に投票用紙が届くと「ちょっと投票してみようかな」という気分になる人もいるかもしれません。



アメリカでは、偶数年の春に予備選挙、11月の「選挙の日(Election Day)」に総選挙というのが一般的ですが、投票日は火曜日が慣例となっています。ですから、会社の行き帰りや、子供たちの学校の送り迎えの途中で投票所に寄る時間がないという有権者も多く、なかなか投票率(voter turnout)が伸びないのも事実です。

全米では、だいたい有権者の半数から6割が投票する、といった感じでしょうか。

また、一度に投票する内容も、国政選挙、州・自治体の議員選、学区の役員選、裁判官の審査・罷免、そして住民提案・自治体提案の賛否と多岐にわたるので、投票する前に自宅でじっくり考えたいという人も多いのです。

サンタクララ郡の投票用紙は、マークシート方式になっていて、記述することはほとんどありません。が、なにせ6ページまで延々と続くことが多いので、じっくりとやらないと間違えてしまいそうなのです(写真は、住民提案・自治体提案だけで4ページにわたった2016年の総選挙)。

このように、平日の投票日や複雑な投票内容といった諸事情があるので、とくに忙しい人の多いシリコンバレーでは、ここまで郵便投票が人気となっているのでしょう。



そんなわけで、投票所に出向くよりも手軽な郵便投票。カリフォルニア州が採択した新方式では、有権者全員に郵便投票を奨励して、どうしても投票所で投票したい人には足を運んでもらおう、ということになったようです。



<インターネット投票は?>

投票に関しては、日本とアメリカには大きな違いがあって、ひとつは、投票権を持つ米国市民であっても、地元の選挙管理委員会に有権者登録(voter registration)をしないと、投票できないことがあります。

そう、日本のような住民登録制度がないので、自ら「投票をさせてよ」と手を挙げないといけないのです(カリフォルニア州の場合は、75パーセントほどの有権者が登録を済ませています)。



そして、選挙をいつ(times)、どこで(places)、どんな方法(manners)で行うかについては、それぞれの州が決める権限を持ちます。これは米国憲法第1条・第4項で定められていて、それゆえに州によって選挙の方式は異なります。

さらには、選挙は郡(county)のレベルで行なわれるので、同じ州の中でも郡ごとに若干方式が異なってきます。郵便投票を推進するサンタクララ郡に対して、国内最大のロスアンジェルス郡は、投票所での投票機器の改善に莫大な投資をして、来年の大統領選に備えます。



そんなわけですので、州によっては、インターネットによる投票(Internet voting、online voting、または e-voting)を検討したり採用したりする動きも出ています。

しかし、ネットによる投票には、有権者の身元確認や投票内容の保護、ハッキング対策と、重大な課題が山積します。ですから、たとえば人口の少ない過疎の州では、ネットによる利便性を重視してネット投票を採用するケースもあるでしょう。一方、国内で一番人口の多いカリフォルニア州では、問題が起きた時の影響の甚大さを鑑みて、ネット方式採用には慎重にならざるを得ません。



現在、なにがしかのネット投票を採用している州は32州あって、そのうち最も制限の少ないアラスカ州は、不在者投票をする有権者全員に自宅のパソコンから投票することを許しています。

ミズーリ州の場合は、「危険な地域」に派遣された軍関係者のみにネット投票を許可し、ノースダコタ州の場合は、海外在住の市民と軍関係者にオンラインでの投票を許可しています。

そして、新たに20州と首都ワシントンD.C.は、来年の大統領選挙から不在者投票用紙をメールでも返信できるようにする、とのことです。(”More than 30 states offer online voting, but experts warn it isn’t secure” by Sari Horwitz, May 17, 2019, The Washington Post)



首都ワシントンD.C.では、2010年秋にユニークな模擬選挙を実施していて、一般市民に対してオンライン投票システムにハッキングできるかどうか挑戦状をつきつけました。

これに対し、ミシガン大学(アンアーバー校)のセキュリティ専門家が編成したチームが、48時間以内にサーバへのハッキングに成功し、すべての投票内容を改ざんした、という「実績」があるそうです。

しかも、ハッキングされた側は丸二日間も気づくことなく、ハッカーチームが「わかりやすい」目印を残して初めて認識した、とのこと。

ハッキングの過程では、ネットワーク機器の工場出荷時パスワードがそのまま使用されていたり、過去に他国から侵入された痕跡が見つかったり、サーバルームのウェブカムをハイジャックして IT担当者や警備員の動きをつぶさに観察できたりと、ずさんな実態が露見したそうです。(”Attacking the Washington, D.C. Internet Voting System” by Scott Wolchok, Eric Wustrow, Dawn Isabel, and J. Alex Halderman, Proceedings of the 16th Conference on Financial Cryptography & Data Security, February 2012)



世界的に見ると、ネット投票を広く採用するのは、エストニアとスイス。スイスでは、いくつかのカントン(州)で投票をオンライン化する前に、模擬投票を実施して脆弱性を洗い出したとか。

このときには、世界じゅうから参加した3つのグループがハッキングに成功し、隠密裏に投票結果を改ざんして主催者側から賞金をいただいたとのこと。

エストニアでは、国民全員にデジタル IDカード(身分証明書)を発行して、ネット投票時の身元確認に役立てていますが、2017年にデジタル IDシステムの脆弱性が見つかったものの事なきを得た、という幸運な結末に恵まれたそう。(”Online Voting? Fuhgeddaboudit! : Tech experts can’t guarantee it’s safe” By Zeynep Tufekci, Scientific American, June 2019, p76)



そんな各国の教訓があったからこそ、さまざまな改善を経て、アメリカでも2020年には条件付きでネット投票に踏み切ろうという州も増えたのでしょう。

けれども、ニセの情報が蔓延するこの世の中で、ニセの投票結果が蔓延すれば、住民が自由意志で築き上げる民主主義の根幹がゆらぐことにもなりかねない・・・と、一抹の不安を抱くのでした。



夏来 潤(なつき じゅん)



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