Mocktail(モクテル?)

いえ、スペルを間違ったわけではありません。



なんでも、mocktail(モクテル)というのが流行っているそうな。



なんだか飲み物の cocktail(カクテル)に似ていますが、そうなんです。カクテルの一種で、mock cocktail という新しい言葉を略したもの。

つまり、カクテルに似せた(mock)飲み物ということで、アルコールがまったく入っていない(nonalcoholic)、見た目はカクテル(cocktail)のドリンクのことです。(Photo by Andrés Salazar Photography, from AAA’s Via magazine)



そう、mock(発音は「モック」)は、動詞や形容詞になる言葉ですが、形容詞として使うと「〜に似せた」という意味。

たとえば、mock test といえば「模擬テスト」のことですし、mock trial といえば「模擬法廷」となり、生徒たちが裁判を真似て自分たちの論理を展開し、法廷の仕組みを若いうちから学ぶ場のこと。学校対抗のコンテストまであるそうですよ。



それで、mock cocktail というと、「本物に似せたカクテル」。

略して mocktail

材料は、果実をしぼったフレッシュジュースがベースとなっていて、そこにハーブやスパイス、シロップなどを加えて、さまざまな味のアクセントをつけます。ちょっと凍らせて、ひんやりとフローズン(frozen)で楽しむ種類もあるとか。

ドライバーや妊娠中の女性、アルコール飲料は口にしない方々が、みなさんと和気あいあいと楽しめるようにと誕生した飲み物で、ここ2、3年、バーやレストランで大流行しています。見た目がカクテルのようにオシャレなので、自分だけがその場で浮いてしまうことがありません。



なんでも、近年は、若者を中心にアルコール飲料を遠ざけようという動きも広まっているそうで、そんな動きとともに生まれた飲み物のようです。

だって、いちいち「なんでアルコールを飲まないの?」と聞かれるのも面倒ではありませんか。見た目はカクテルのようなドリンクを飲んでいたら、みなさんもまったく気にしないでしょう。



バーやレストランだけではなく、ビールを自家醸造しているブルーワリー(brewery、醸造所)でも、ご自慢のクラフトビールに加えて mocktail をお出しするところもあるそうですよ。

醸造タンクを前にフレッシュなビールや美味しいおつまみがあると、自然と会話も進みますが、こういった場所でも誰でも参加できるようにと、ノンアルコールの mocktail をお出しするのです。



それから、ワイナリーなどでも「ワインテイスティング(wine tasting)」の代わりに、mocktail を出してくれるところもあるそうですよ。こちらは、子供が一緒の家族連れでも楽しめるようにと配慮されているようですが、僕だって立派にテイスティング! と、お子様もちょっと背伸びした気分になれるでしょうか。(Photo by Aubrie Legault, from AAA’s Via magazine)



先日「若い世代は、ワインを飲まなくなったのよ」と友人から聞いたことがあって、「もしかするとウイスキーとかジンとか、強いお酒を飲むの?」と聞いてみると、違うのよと返答がありました。お酒自体をあまり飲まなくなったのよ、と。

そういえば、カリフォルニア州はワインの名産地でもありますが、昨年はワインの輸出高が減ったとも聞いています。中国などの巨大消費国で国内産ワインが増えたせいなのかもしれませんが、もしかすると、世界全域でアルコール消費量が減っているのでしょうか?



いずれにしても、mocktail は「いつも頭をスッキリとしておきたい」方々の間で流行していて、この分野に特化したブランドや企業への投資家も次々と登場しているようです。




というわけで、最後にちょっと「ひとくちメモ」をどうぞ。



カクテル(モクテル)といえば、みんなが集まるお祝いごとのイメージですね。

この季節のアメリカのお祝いといえば、独立記念日(Independence Day)が有名です。何曜日でも「7月4日」と日付が決まっている祝日となります。



この日は、午前中は近所のパレードを見学して、午後はみんなでバーベキューをして、夜は自治体が主催する花火大会を見る、というのが定番でしょうか。



我が家のまわりでは、パレードはない代わりに、独立記念日前夜にコミュニティー主催の花火大会があります。毎年だんだんと花火の数は増え、見物客も増えていくような気がするのですが、カリフォルニアは、ほとんどの自治体で自宅での花火を禁じているので(火事が怖いですから)、花火大会はどこも人気なのです。



そんな独立記念日。

4th of July と呼ばれるので、独立記念日が近づくと、こんなあいさつをします。

Happy 4th of July!



けれども、ちょっと長いので、こんな風に省略することもあります。

Happy 4th!



こちらの写真は、お店のドアに貼られていた紙。「July 4th は営業しません(We will be closed)」と書かれていますが、右下に小さく Happy 4th! と付け加えてあるでしょう。



上でご紹介した mocktail しかり、こちらの Happy 4th しかり。アメリカでは、長い言い回しは省略することが多いのです。



アメリカの個人年金制度:401(k)ってなに?

Vol. 225



将来への不安は、誰もが抱くもの。中でも「お金」は大きな不安材料ですので、今月は、個人年金制度の話題を取り上げましょう。



<アメリカの401(k)って?>

先日、日本では大騒ぎとなりましたね。「人生100年時代を考えると、老後を生き抜くためには最低2000万から3000万円の貯蓄が必要である」と、金融庁が明らかにした人騒がせな調査結果。

突然そんなことを言われても、今まで国の年金しか頭になかった人々にとっては、寝耳に水の警告なのかもしれません。

いえ、アメリカでも「引退するには20万ドル(約2200万円)は必要なんだよ」と言われます。が、平均的には、貯蓄は目標の半分に満たないのが現状のようです。



そんなわけで、今回は数ある年金制度の中でも、アメリカでポピュラーなサラリーマンの個人年金制度のお話をいたしましょう。いえ、わたし自身は、この分野には「ど素人」ですので、ざっくりと概念だけをご紹介いたします。

アメリカの個人年金制度としては、民間企業に勤める会社員には「401(k)」というものがあります。英語では「フォーオーワンケー」と読みますが、アメリカの内国歳入法(the Internal Revenue Code)の項目を指しています。

公立学校の先生や非営利団体の職員、政府機関の職員には、403(b)や457(b)という制度があります。基本的には401(k)と似ていますが、年間の積立限度額に違いがあったりします。



だいたいの民間企業は、401(k)の制度を採用して従業員への福利厚生の一環としていますが、個人の会社員からすると、これに参加するといくつかの利点があります。



ひとつ目は、401(k)参加者には税金控除が与えられること。従業員はまず、401(k)に参加するかどうか、参加するとなると給与の何パーセントをどの金融機関のどんなプランに託すのかなど、会社が提示する選択肢から選ぶ機会が与えられます。

ここで、年棒の10パーセントを401(k)にまわしたとすると、この分が控除となり、残りの90パーセントに所得税が課されます。ですから、年収500万円の会社員が、50万円を401(k)にまわすと、450万円だけに所得税が課せられるのです。



ふたつ目は、積立を託した金融機関の投資プランで増えた分(利子や配当)には税がかからないので、利益はそのまま再投資にまわせること。

たとえば、100万円預けて10万円増えたとすると、通常は儲かった10万円に税金がかかるところが、この時点では課税されずに、そのまま110万円が投資にまわされます。ですからその分、複利でどんどん増えていく、ということになります。

利益は決して免税になるわけではありませんが、税を支払うのは実際に個人年金から引き出す時。これを「課税繰り延べ(tax-deferred)」方式と呼びますが、税を先延ばしにする利点は、働き盛りの所得税率よりも低い税率で課税されるところにあります。そう、引退して所得が減る分、税を少なく払うことが許される、ということでしょうか。

一方、税を先延ばしにしないで積立時に支払い、引き出す時は免税(tax-free)となるものもあります。「Roth 401(k)(ロス・フォーオーワンケー)」と呼ばれるタイプですが、給与の低い若いうちに低い税率で支払っておこう、とのコンセプトに基づきます。2006年に採用された新型ですが、近年は、かなりポピュラーになっているようです。



三つ目は、会社が積立金を補充してくれる場合もあること。401(k)の補助はしないという会社もありますが、補助特典のあるケースでは、1ヶ月に社員が積立にまわす金額と同等の額を会社が補充してくれます。

これを「マッチング」と呼びますが、自分の給与からだけではなく、会社が補助してくれるので、単純に考えると「倍のスピードでたまる」ということになります。



ちなみに、途中で別の会社に転職した場合はどうなるのかというと、そのままにしておくか、新しい勤め先の401(k)に移すか、今まで積み立てた分を「IRA(Individual Retirement Account:個人退職後口座)」に移すことができます。

IRAは、「アイアールエー」とか「アイラ」と呼ばれる個人口座ですが、引退したあとに使う貯蓄なので、税の優遇があります。が、あくまでも個人口座なので、会社が積立額にマッチして補充してくれることはありません。



401(k)制度には、年間の積立上限(2019年で約200万円)が定められているし、勤め先が必ずしも自分の望み通りの投資プランを採用していないかもしれません。

けれども、少なくとも投資のプロとして信用できる金融機関や比較的安全な投資プランが選ばれているので、単に銀行に貯金するよりも部が良いのは確かでしょう。そう、性格的に堅い人には「安心プラン」を、もっとチャレンジングな人には「アグレッシブなプラン」をと、選択肢も幅広く提供されています。

いずれのプランを選んだにしても、長い目で見ると投資が「プラス」になるのは、歴史的なデータからも明らかです。

当然のことながら、株式市場は短期間のうちには乱高下することもあります。こちらのダウ平均株価指数チャートは1915年から現在の変動を示したものですが、下降線をたどっている1960年代から1970年代は、ヴェトナム戦争やアメリカの公民権運動、中東諸国との関係悪化による「オイルショック」や「エネルギー危機」と、国内外が不安的な時期でした。そして近年には、いわゆる「リーマンショック」と呼ばれる2007年の「世界金融危機」もありました。

けれども、20年、30年の長いスパンで考えると、右肩上がりのトレンドをたどっているのは明らかで、健全な長期投資で損をする人は少ないのではないでしょうか。(Dow Jones (DJIA) Index 100-year historical chart from macrotrends.net)

そんなわけで、所得税控除や会社のマッチング、課税繰り延べによって複利で増やせることを考えると、20代に会社に入ってすぐに401(k)制度に参加したとすると、引退するときには、貯蓄は大きく膨らんでいるはずなのです。このような「右肩上がり」の大前提があるので、安心して制度にも参加してみようという気になるのです。

しかも、401(k)積立分は給与から天引きとなるので、知らないうちに貯蓄をして、知らないうちにそれが増えていた、というありがたい状況にもなり得るのです。



<401(k)が持つ意義>

個人を超えて、社会全体の視点から考えると、401(k)などの個人年金制度が持つ意義は大きいです。

たとえば、個人年金に参加する会社員や団体職員の積立金が株式市場にどっと注ぎ込まれることになるので、市場が活性化するでしょう。

すると、代理で投資を行う金融機関のノウハウも研ぎ澄まされていって、より多くの利益を生む安全な投資が可能となり、そのことによって、さらに投資額が増え、市場が活性化されていくでしょう。



個人と国との関係から考えると、通常は国が事あるごとにちょこちょこと税を徴収する一方、個人年金制度では、貯蓄が大きく増えて、参加者が実際に引き出す段階になって初めて、まとまった税をいただく(もしくは、何らかの理由で定められた年齢よりも早く引き出せば、ペナルティーとして税を支払ってもらう)、というシステムです。

ですから、個人にとっては、税の先延ばしにより「払わないでいいものは払わない」ことになるし、国としては、税収入が遅延するものの、個人の自助努力によって削減できる部分も大きいのではないでしょうか。



<401(k)の教訓>

というわけで、401(k)制度について良いことばかりを並べましたが、アメリカ人には苦い記憶もあるのです。

それは、自社を信じきったばかりに、自社株に投資した個人年金の積立が激減してしまった、エンロン従業員のケース。

エンロン(Enron)社は、テキサス州ヒューストンに本社のあったエネルギー供給会社。いわゆるネットバブル期(1990年代後半〜2000年)に、電力を各地に供給する上で姑息な価格吊り上げを行ない、深刻な電力不足の問題を抱えていたカリフォルニア州なども、ひどく悩まされた企業です。2001年末には倒産しています。(Photo by Alex, from Wikimedia Commons)

当時のニューヨークタイムズ紙の記事によると、ピーク時の2000年末には、エンロン従業員の401(k)積立金は合わせて20億ドル(約2200億円)ほどあり、ほぼ半額が自社株買いにあてがわれていました。が、翌年になると会社の不正が明るみになり、エンロン株は紙クズ同然となります。

たった一年で401(k)の価値は激減し、中には投資のすべてを自社株にまわしていたばかりに、貯蓄のすべてを失う従業員まで出てしまいました(株価が下落する中、会社側は、従業員の401(k)の投資先変更を許さなかったとも報道されています)。



このエンロンのケースでは、自殺者も出たと報道された記憶がありますが、ここで学ばなければならないのは、どんな投資であっても、「ひとつの籠」にどっさりと入れてはいけないということでしょうか。

金融市場では「diversify(多様化する)」と表現されますが、ハイリスク・ハイリターンの投資を選ぶとしたら、リターンは少ないが安全なものとのバランスを保つ。これが鉄則となるのでしょう。



<それぞれの課題>

最後に、日米の年金制度を比較してみると、日本の場合は、公的年金制度への信頼が厚く、その一方で少子化と高齢化が急激に進んだために、現行の「現役世代が受給者を支える賦課方式」にひずみが出ています。

けれども、「自分のための積立方式」である個人年金の占める割合を増やそうにも、その運用は、素人が片手間にできるようなシロモノではありません。ここでは真のプロの育成が不可欠になってきます。



一方、アメリカの場合は、もともと政府機構を信用しない人も多く、国の年金制度は「何もしない人のためにある」といった考えも広く支持されています。要するに、自分でできることは自分でやらないと気が済まない国民性なのかもしれません。

そういった国民性が政府のあり方を形成したのか、それとも政府のあり方が国民性を形成したのかはわかりませんが、国が社会福祉(年金、医療、保育サービス、児童手当、高齢者サービスなど)に費やす割合は、アメリカは主要各国の中で最低レベルにあることは確かです。

以前、自営業の年金受給者が「こんな支給額じゃとてもやっていけないから、自分の蓄えが絶対に必要だわ」とおっしゃっていたのが、鮮明に記憶に残ります。

けれども、何らかの理由で就業が困難な人や、勤め先の個人年金制度の恩恵を受けられない人にとっては、国や州の公的制度に頼るしかないケースも多々あるでしょう。

You’re on your own(自分でなんとかしろ)」の精神が浸透するアメリカに生まれたばかりに、将来の蓄えどころか銀行口座すら持たず、持病が悪化しても病院に行けず、日々の生活もままならない、といったケースも珍しくありません。



社会保障制度と個人年金などの自助努力には、微妙なバランスが必要となってきます。

どの国も独自の問題を抱えますが、最終的には、それぞれの国の住民が英断し、政策を導いていかなければならないのでしょう。



夏来 潤(なつき じゅん)



サンフランシスコ・オペラ

先日、サンフランシスコで、オペラを堪能いたしました。



久しぶりに足を運んだオペラの演目は、かの有名な『カルメン(Carmen)』。オペラと認識していなくても、誰もが知っているメロディーの数々やオーケストラの序奏が満載の作品です。



この日だけは、オーケストラの指揮を執るのは、注目の女性指揮者ミシェル・メリル(Michelle Merrill)さん。まったく存じませんでしたが、アメリカやヨーロッパ各地で活躍中のダイナミックな指揮者です。彼女が颯爽(さっそう)と指揮台に登場すると、ヒューヒューと指笛も聞こえていたので、サンフランシスコ・オペラには初登場ながら、かなり有名な方なんでしょう。



ご存じのように、オペラ『カルメン』は、フランス人の作曲家ジョルジュ・ビゼーの作品。スペインのセビリアが舞台となっているものの、フランス語で書かれたオペラです。



そういった複雑な状況なので、「スペインが舞台のフランス語のオペラなんて、ちょっと変だよね(It’s a French opera in Spain, so it’s weird)」と、どなたかの正直な感想を小耳にはさみました。



けれども、フランスが舞台のイタリア語のオペラ『椿姫』(ジュゼッペ・ヴェルディ作曲)も人気を博していることですし、オペラは自由な発想に満ちているのです。



そんなわけで、わたしと同じように「ジュテーム」くらいしかフランス語を知らないみなさんは、舞台上部にあるスクリーンで英訳を読みながら、歌やセリフや演技を楽しむことになるのです。




いえ、お話はとっても簡潔なんですよね。カルメンという悪魔のように魅力的な自由奔放な女性がいて、彼女の色香に惑わされたドン・ホセという衛兵が、自分の使命を忘れるほどに彼女に惚れ込み、それがゆえに悲劇が訪れる・・・というもの。



実際、1872年、ビゼーがオペラ劇場の音楽監督に歌劇の原案を披露したときには、「ここは家族や恋人たちが集う劇場なんだよ。お願いだから、悲劇で終える結末にはしないでくれ」と懇願されたとか。



いよいよ1875年3月に初演を迎えると、第1幕の滑り出しは良かったものの、第4幕になると惨憺たる不評となり、全部で48回の上演は「赤字」で終わったそうです(写真は、初演でカルメンを演じた、人気ソプラノ歌手 Célestine Galli-Marié: Photo by Paul Nadar)。



そのシーズン途中、33回目の上演の夜、ビゼーは持病が悪化して急逝してしまったので、残念ながら、同年秋のウイーン公演での成功を知ることはありませんでした。



けれども、このオペラの何がいいかって、今では誰もが口ずさめるほど有名な歌が次から次へと登場するところ。歌も演技も、劇中のフラメンコも飽きることがないので、オペラを初めて観る方にも、オススメの演目なのです。



そして、今回のサンフランシスコの舞台は、主役のカルメンを務めたメゾソプラノの方が、とくに輝いていらっしゃいました。ファーストネームの発音はよくわからないのですが、ジャネイ・ブリッジス(J’Nai Bridges)さんという方。



この方は、音程は外さないし、声の質はまろやかだし、おまけに歌声はオーケストラに負けないくらい朗々と響き渡るし、もう「カルメンを演じるために生まれてきた」と言ってもいいくらいに当たり役だと感じました。メゾソプラノが主役となるオペラは、ソプラノほど多くはないですが、彼女の『カルメン』を聴けてほんとに良かったなと感じ入ったのでした。



サンフランシスコ・ベイエリアには、「シリコンバレーの首都」と自負するサンノゼ(San Jose)市にもオペラハウスがあって、毎年秋から翌年の初夏までいくつものオペラを上演しています。



わたしが生まれて初めてオペラを観たのも、このオペラ・サンノゼの『ロミオとジュリエット』でした。



けれども、正直に申し上げると、サンフランシスコの方がレベルを均等に保っているような気もいたします。ひとつに、聴衆の方々の耳が肥えていて、歌手やオーケストラの方々と互いに刺激し合っていることが要因かとも感じるのです。



親友は、「サンフランシスコ・オペラは、ニューヨークのメトロポリタン・オペラと同じくらいレベルが高いと思うわ」と褒めていましたが、彼女のお墨付きをもらったプロダクションシリーズは、わたし自身もお勧めしたいです。




実は、この『カルメン』は、どうしても連れ合いが観たくてしょうがなかったオペラで、一度狙っていたチケットが売り切れてがっかりしていたところ、数日後になったら購入できたボックス席でした。



サンフランシスコのオペラハウスは、2階がずらっとボックス席になっていて、ひとつのボックスには椅子が8つしか置かれていないので、かなりゆったりと座れます。わたしの前には、体の大きな紳士が座っていらっしゃいましたが、スペースに余裕があるので、周りの人に気を遣い過ぎないで済んだようです。



そして、休憩時間にボックス席の廊下を歩いていたら、前カリフォルニア州知事のジェリー・ブラウン氏を見かけました。彼はもともとローマ・カトリックのイエズス会神父で、今は妻帯していらっしゃいますが、黒い詰襟(つめえり)風のシャツと青いカーディガンの後ろ姿は、政治家よりも神父さんといった雰囲気でした(同じくイエズス会の神父から大学教授になった、大学院時代の恩師を懐かしく思い出していました)。



オペラハウスには、それこそいろんな年齢層の方がいらっしゃって、親子孫3代でいらっしゃったのでしょうか、ティーンエージャーの男の子がしっかりと正装して来ているのがほほえましかったです。



そう、伝統的にオペラには「正装」をしてくるものですが、なにごともカジュアルなカリフォルニアでは、連れ合いのようにジーンズにTシャツでも咎(とが)められたりはしません。が、さすがに正装を楽しむ方々も多く、女性はイヴニングドレス、男性は蝶ネクタイといったファッションも、まったく浮くことはありません。



お隣のデイヴィス・ホールでは、毎年大晦日になるとサンフランシスコ・シンフォニーの年越しコンサートが開かれますが、こちらはコンサートのあとにダンスパーティーとなるので、みなさんオペラに負けないくらいオシャレをしていらっしゃいます。



いえ、ジーンズにTシャツ姿の連れ合いは、『カルメン』を観るためにちゃんとヒゲを剃ったので、本人は「十分にオシャレをした」気分でいたそうです!




オシャレといえば、こんなニュース報道を思い出しました。



サンフランシスコ・ベイエリアに、「ピアノの神童」のような男の子がいて、小さい頃からリタイアメントホーム(退職された方々の施設)でミニコンサートを開いていたそうです。



もちろん、自らボランティアで始めたことですが、ティーンエージャーになった今は、演奏にも磨きがかかり、レパートリーも増えて、すっかり本格的になったホームコンサート。定期的に彼がピアノを弾きに来る日には、女性の住人の方々は、わざわざオシャレをしてピアノの部屋に集まるのです。



そう、まるでオペラハウスに行くように、普段とは違った服を身につけ、鮮やかな口紅とともに、大ぶりのイアリングやネックレスも忘れません。



そんな映像を見ていて、オシャレは大事だなと思ったのでした。いえ、ブランド品を身につけるということではなくて、いつもとは違う「特別な気分になる」ということ。



たまにオシャレをすると、気分が高揚したり、姿勢がシャキッとしたりするでしょう。そういう特別な時間は、オペラやピアノ演奏を楽しむのと同じように、時には必要なことではないかと思ったのでした。




というわけで、久しぶりに堪能したオペラでしたが、この『カルメン』は、オペラ好きだった母と一緒に楽しめた気がしていました。



以前、「プッチーニの調べ」というお話では、子供が煮しめや鍋が好きではないように、オペラが好きな子供はあまりいないのではないかと書いたことがありました。なぜなら、オペラには、年月を経てみないと理解できない、深い「大人の味わい」があるから。



幸いにもわたしの場合は、母が大好きな歌の数々を一緒に聴いているうちに、体に染み込んだ音が大人になって目を覚まして、ストーリーとともに楽しめるようになったのではないかとも感じるのです。



仏教の修行の中に「薫習(くんじゅう)」という言葉があるそうですが、それは、先達の難しい説法も、お香を衣に焚き染める(たきしめる)ように皮膚から自然に吸収すれば、いつしか会得できるという意味だそうです。頭で理屈を考えるのではなく、接していれば自然と体感できる何かがある、ということでしょうか。



音楽も、それと同じなのかもしれません。自然と体の中に入ってきた音は、いつしか心の中でつながって、無理をしなくとも楽しめるようになる。世の中は、案外そんなものでいっぱいなのかもしれません。



と、すっかり理屈っぽくなってしまいましたが、久しぶりのサンフランシスコ・オペラ『カルメン』。母もきっと楽しんでいてくれただろうと、満足できた舞台なのでした。



日本人、ありがとう!

5月の後半は、日本で過ごしました。



元号が変わったばかりで、何かしら新しいことが起きているのかと警戒しつつも、いつもと同じ空気が流れていてホッといたしました。



日本から戻って来て息つく間もなく、連れ合いは、テキサス州に出張となりました。



州都でもあるオースティン(Austin)という街で開かれた、石油業界のコンファランスに出席するためです。



いえ、我が家は石油業界には縁のない人生を歩んできましたが、昔ながらの産業もテクノロジー化が求められていて、そこで連れ合いが目新しいアイディアを披露し、お客さんを探してみようということになったのです。



エリザベス・テーラーの主演映画『ジャイアンツ(Giant)』(1956年公開)などでも克明に描かれているように、テキサスという州は、牧畜と石油の採掘で豊かになった広大な土地。歴史的に石油関連企業が多いものの、近年はテクノロジー産業に従事する人も増えてきて、新しい文化も生まれているようです。



そんなテキサスの会議には、地元企業ばかりではなく、他州からも参加します。



たとえば、「あなたの裏庭が油田の上に乗っかってるんだったら、うちの掘削機で原油を掘り出してあげましょう」と、1億円ほどで原油採掘の設備をお膳立てしてくれる会社もありました。掘り出した原油は、石油会社に売る手筈(てはず)も整えてくれるそうなので、素人でも自宅で石油が掘れるようになるのです。



なんでも、イエローストーン国立公園で有名なモンタナ州などは、原油の埋蔵量がとても多い土地だそうで、行政の許可さえ下りれば、「裏庭の油田で石油王!」というのも夢ではないのです。



でっかいアメリカの真ん中の北あたり、モンタナ州から南北ダコタ州、カナダにかけてはウィリストン盆地(Williston Basin)という広大な盆地が広がっていて、アラスカやテキサスと並んで、原油の埋蔵量がアメリカでもっとも多い地域。



もちろん、街中では採掘はできないでしょうけれど、「裏庭の石油王」は、なにも映画のお話とは限らないそうです。(地図の上部中央、大きな丸印がウィリストン盆地: Data by US Geological Survey)




と、石油で成功することを夢見る人々の会議で、連れ合いはテキサス州出身の若者に出会いました。



彼は、大手石油会社に勤めたあと、今は大学の教員をしながら自分で会社を起こして、業界での成功に向かって邁進中。



連れ合いが日本人だと知って、「僕の日本観」を披露してくれました。



何年か前、まだ大手石油会社で研究職に就いていた頃、若手の彼は、日本の石油会社に出張を命じられました。



が、なにせアメリカの真ん中で育った彼には、初めての日本は右も左もわからないし、言葉も習慣もまったくわからない。



結局のところ、頼りは英語の通じるホテルと、行き帰りに使うタクシーとなるのですが、ある日、タクシーに乗って相手先の石油会社に向かう途中、カバンから何かを取り出す拍子に、命の次に大事なパスポートを落っことしてしまうのです。



ところが、本人はそれには気づかず、無事に会議を終え、ホッとしてホテルに戻って来ると、フロント係に呼び止められて「あなたのパスポートが届いていましたよ」と手渡されたではありませんか!



びっくりした彼がホテルスタッフから事情を聞いたところによると、彼の次にタクシーに乗った人が、パスポートを拾って運転手さんに託します。大事なものだと承知する運転手さんは、急いで彼を下ろした石油会社に引き返すのです。



が、この会社は、一日に何百人も訪ねて来るような大企業。パスポートの持ち主が、どこの課の誰と会議をしているのか受付ではわからない。「うちでは預かりかねます」と断られた運転手さんは、次に彼を拾ったホテルへと向かいます。そこでパスポートを見せると、「この方はご宿泊のお客様です」と、身元が割れたという顛末。



驚いたご本人は、もう冷や汗をかいたり、記憶の中の運転手さんに感謝したり。




初めての国で、これほどの親切をしてもらった彼にとって、日本は「好感度バツグン」の地となったことでしょう。



そんな好印象が功を奏したのか、彼は、連れ合いの会社の製品を自分が売り込んであげましょう、と汗を流しているところです。



そして、このエピソードを耳にしたわたしは、自分自身の経験を思い出しました。



以前「イギリス人、万歳!」というエッセイでもご紹介したことがありますが、イギリスの大都会ロンドンで同じような親切を受けて、わたしの中のイギリス株がグングンと上がっていったのでした。



イギリスも日本も島国の農耕民族ですので、似たような部分が多いというのが我が家の持論なんですが、「一般的に人に親切」というのも立派な共通点だと信ずるのです。



こう考えると、外国人と接する機会の多いホテルスタッフやタクシードライバー、そして来年のオリンピック・パラリンピックでボランティアを務める方々などは、国を代表して重い任務を背負っている! と言えるのかもしれませんよね。



でも、気取らず、気負わず、「普段通り」にやっていれば、案外それがいいのかもしれません。



<写真のご説明>

アジサイの写真は、「卑弥呼(ひみこ)」という珍しい品種です。

最後の写真は、東京・晴海(はるみ)に建設中のオリンピック選手村の遠景。着々とできているのです。



アマゾン・ゴー:コンビニはキャッシュレスの時代?

Vol. 224

とくに目新しいわけではありませんが、今月は、キャッシュレスで運営するコンビニのお話をいたしましょう。



<第1話:アマゾン・ゴーって、どんなとこ?>
インターネットといえば、オンラインショッピングを思い浮かべます。今の時代、なんでもオンラインで買えるのに、わざわざお店には行かないでしょう!

が、意外なことに、この業界をリードするアマゾン・ドットコム(Amazon.com)は、逆にオンラインからお店での販売へと、店舗展開に励んでいるのです。

たとえば、街角に「アマゾン・ブックス(Amazon Books)」という本屋さんを開いたり、オーガニックスーパーマーケットで有名なホールフーズ(Whole Foods)を買収して、食品小売業にも乗り出したりと、日に日に物理的な店舗(brick-and-mortar)での存在感を増しています。

そのあり方に腹を立てている友人がいて、「アマゾンは書籍をオンライン販売することで、街角の老舗書店や個人経営の小さな本屋さんをことごとくつぶしておきながら、今になって新しく自分の本屋を展開しようとしている!」と、憎々しげに語っていました。

彼女にとっては、「本屋さん」イコール「街の文化」ともいえる大事な存在で、それが「本のなんたるか?」を理解していなさそうな得体の知れない巨大な存在に取って代わられるのが、ひどく悔しいのでした。



本屋さんやスーパーだけではなく、アマゾンは、コンビニエンスストア展開にもご執心です。

まずその足がかりとなったのは、アメリカで一番有名なコンビニチェーン、セブンイレブン(7-Eleven)に「アマゾン・ロッカー(Amazon Locker)」を置いたことでしょうか。この時点では、店内にスペースを間借りする状態で、アマゾンで注文した物品を自宅ではなく、セブンイレブンのロッカーを指定して受け取るというもの。日中家を空けていて、宅配だと盗まれる心配のある人や、アパート住まいで大きな箱の受け取りに不便する人は、最寄りのセブンイレブンに置かれたロッカーを利用します。

返品にも便利で、近くにFedExやUPSの宅急便取扱店がない人は、最寄りのセブンイレブンを指定すると、ロッカーのディスプレイに指定コードを入れるだけで、物品に合わせたサイズの扉がパカッと開き、返品完了。



と、人々がセブンイレブンの店内でアマゾンの存在に慣れたところで、ご存じのように「アマゾン・ゴー(Amazon Go)」という名で、自分たちのコンビニエンスストアを立ち上げました。本拠地である西海岸ワシントン州シアトルで試験的に稼働したあと、本格的にイリノイ州とカリフォルニア州にも店を広げていっています。海外では、間もなくロンドンにも店舗を開くとか。

カリフォルニア州ではサンフランシスコに3店舗ありますが、ごく最近、名物のケーブルカー路線のカリフォルニア通りにひとつ目の店舗ができたと思ったら、ブランドショップも並ぶポスト通りに2店舗目が出現。先月は、いよいよ街一番のメインストリート、マーケット通りにも第3店舗が登場しました。



先日、ポスト通りの店舗に行ってみましたが、入り口には駅の改札みたいなゲートがあります。入り口のスタッフに「どうやって入るの?」と聞くと、「まずは専用のスマートフォンアプリをダウンロードしてちょうだい」とのこと。アマゾンのアカウントを持つ連れ合いがダウンロードして、ピッとQRコードをかざすと、ゲートが開いて入場可能となります。

わたしみたいな連れがいる場合は、相手を先に入れてあげて、もう一度スマホをピッとして自分が入るそうです(が、連れ合いは無理やり通ったので「ビービー」と警報が鳴ったものの、呆れ顔のスタッフは「いいわよ」と許してくれました)。

中に入って驚いたのは、商品が黒い棚に整然と並んでいること。日本じゃないので「おにぎり」はありませんが、通常コンビニで売っているようなサンドイッチやサラダ、牛乳やジュース類が手前のアクセスしやすい場所に並んでいます。

奥の壁際にも冷蔵棚がずらりと並んでいて、スープや麺類、ちょっとした料理がパッケージにうまく収められて、整然と並んでいます。中身が何かも写真付きで表示してあって、透明の容器でなくとも内容を吟味できるようになっています。簡単な軽食は、店舗スタッフが裏のキッチンで準備できるようになっているとか。ハムやチーズなども揃っていて、オフィスのパーティーにも買い出しができます。

店舗によっては、朝食やランチだけではなく、30分でつくれるディナーをパックして「ミール(食事)キット」として販売しています。サーモングリルやタイ風カレー、鶏の生姜炒めと、さまざまな料理の具材や調味料をキットにしてあって、こちらは、傘下のホールフーズ・マーケットでも売り出し中の新商品です。



ふと振り返ると、冷蔵機能のない棚もたくさんあって、スナック菓子やキャンディー類、コーヒー豆や果物も並んでいます。そして、ティッシュや歯磨き粉みたいな、ちょっとした身の回り品もカゴの中に置かれています。

わたしはデンタルフロスを買おうと、カゴから商品を取り出したのですが、「どうやって支払いをするのか?」と疑問を抱きます。

それで、店内でたむろしていたスタッフに尋ねると、「あら、そのまま商品を持って、お店を出て行くだけよ(You just walk out with the merchandise)」と、親切に教えてくれます。なにぶん、サンフランシスコの住民にとっても目新しいスタイルなので、「そんなことも知らないの?」なんて呆れられたりはしないのです。

彼女の言った通り、デンタルフロスを持ってゲートから出ると、すかさず連れ合いのスマホには「はい、デンタルフロスひとパックお買い上げ、6ドルなり」と、アマゾンからお知らせが舞い込みました。お店のキャッチフレーズ「Just walk out shopping(ただ持って出るだけのショッピング)」なんて言われても、なんだか盗んだみたいな気分になっていたので、ちゃんとお知らせが来てひと安心です。



そこで不思議に思ったわたしは、入り口スタッフに聞いてみました。「ねえ、どうやってやってるの? 商品の裏側のバーコードを読んでるの?」と愚問を発すると、「違うわよ、独自のスゴいテクノロジーがあるのよ」と、少々呆れ顔で答えてくれます。

あとで調べてみると、アマゾンには、2015年に出願して昨年受理された特許があって、この仕組み(Electronic Commerce Functionality in Video Overlays)を使って、アマゾン・ゴーを運営しているとか。

ざっくり言うと、ゲートで読み込んだQRコードと店内のビデオ映像から入店した顧客を把握。その人が何を手に取ったのか、また棚に戻したのかを、棚に設置したセンサーや映像のデータから認識・解析して、実際に「お買い上げ」と判断するシステム。

素人としては、一度手に取った商品を戻したときや、たくさん物を抱えて見にくいときにも、きちんと作動するのか? と素朴な疑問を抱くのです。だって、店内にはオレンジ色の自社エコバッグも売られていて、こんな袋にスッと入れられたら、認識しにくそうな感じがするでしょう。

けれども、自社の特許技術を誇るアマゾンは、全米の捜査機関にも顔認識システムを売り込もうとしているくらい。サンフランシスコ市は先手を打って「市警察による顔認識システムの利用を禁ずる」と条例を採択しようとしています。が、それほど自信のあるデータ解析能力ですから、アマゾン・ゴーの「お会計」などは朝飯前なんでしょう。

<サンフランシスコでは・・・>
と、一見スムーズに運んでいるかのような、アマゾンのコンビニ展開。が、アマゾンにとっては、嫌なムードも出てきています。

それは、サンフランシスコ市議会に「現金を利用できない、キャッシュレス(クレジットカードやネット決済)のみの店舗には営業許可を与えなくしよう」という条例案が提出されたこと。こちらは5月7日に可決され、3ヶ月後には施行されます。

アマゾン・ゴーだけではなく、近頃はキャッシュレスのオーガニックレストランやコーヒーショップが街角に登場し、顧客にも便利で、現金を扱わないので犯罪抑止効果もあるシステムだとされています。が、実際は現金を使うしか選択の余地のない住民もいるので、市としては、そういった市民を差別させない対策を講じる必要があったのです。

これに対して、すでにアマゾン・ゴーでは、現金も受け付けるようになっているとのこと。他のカフェやレストランでも、条例に従って現金を使えるように変更すると報道されています。

同様のキャッシュレス規制条例は、ニュージャージー州とフィラデルフィア市(ペンシルヴェニア州)でも採択されていて、シカゴ市(イリノイ州)やニューヨーク市、首都ワシントンD.C.も検討中だとか。「キャッシュレスのみ」の店舗は、一部の消費者を差別する制度であると物議をかもす存在のようです。

というわけで、新しい形のコンビニエンスストア。とくに規制の多いサンフランシスコでは、今後どういう風になっていくのか、目が離せないようです。



<第2話:税金申告は業界ぐるみ>
お次は、ちょっと腹立たしいお話を一席。

3月号では、アメリカの確定申告(tax filing)についてご紹介いたしました。収入の少ないアルバイト学生でない限り、アメリカではサラリーマンだって確定申告の義務があるのだ、と。

その申告期限である4月15日に向けて、こんな広告を目にしました。『税金申告は正しく。ターボタックス無料版で、国と州にタダで申告を行いましょう』というもの。(W-2というのは、日本の「源泉徴収票」のこと)

こちらは、シリコンバレーに本社のある Intuit(インテューイット)社の宣伝で、自社の税金申告ソフト「TurboTax(ターボタックス)」に無料版のあることを告知しています。

Intuitは、ミズーリ州の H&R Block(エイチ&アールブロック)社とともに税金申告ソフトの両雄ともいえる企業で、同社の「ターボタックス」といえば、申告ソフトの代名詞ともいえる製品。いまや個人の申告者の約9割は、なんらかの申告ソフトを利用してオンライン申告を行なっているとのことで(4月10日USA Today紙)、ターボタックスの利用者も多いのです。



上記の広告にある「無料版」というのは、一定の年収に満たない申告者を対象としたもの。

なんだか企業による立派な行いにも見えますが、これは、決して「人のため」に始めたわけではないのです。税金を取り扱う国税庁(内国歳入庁、通称 IRS)が自前の無料ソフトを開発・推進して、自分たちの顧客が奪われるのを防ぐために、Intuitや H&R Blockなどの税金会計業界が IRS と交渉した結果だとか。

本来は、一般市民に有料の申告サービスを強いるのは酷な話。ですから、ちゃんと申告してもらうためには、国はサービスを無料で提供したいところ。そこで IRSは、16年前から自前の無料ソフトを提供する代わりに、申告ソフト業界に対して対象者へのサービス無料提供を課すようになりました。

が、もしも IRSが定める無料サービス「Free File(フリーファイル)」の存在が広く知られると、企業側は自社製品のオプションやアップグレードの提供と、すべての商機を失ってしまう。だから、IRS の制度を知られる前に、「自分たちが無料サービスを提供しましょう、そしてオプションが必要だったら購入していただきましょう」と、自分たちのサービスサイトへと導いているのです。

なんでも、アメリカの会計士団体は、とてもパワフルな業界団体だそうで、国の議会にも太いパイプを持ち、ロビー活動もさかん。有力連邦議員に向けては年間億単位の献金が行われているとのことで、実際、連邦議会には「IRS が自前の申告ソフトを開発・推進することを禁ずる」との条文を含む法案が提出されています。この法案は、4月9日下院議会で可決され、あとは上院の動きを待つのみとか・・・(4月9日ProPublica “Congress is about to ban the government from offering free online tax filing. Thank TurboTax” by Justin Elliott)。



こんな業界と議会の動きに対して、5月6日ロスアンジェルス市当局が乗り出しました。Intuitと H&R Block 2社を相手取って裁判所に提訴したのです。『本来、全米の申告者の7割が IRSの定める無料サービスを利用できる条件を有するのに、被告2社は IRSの「フリーファイル」という選択があることを自社サイトで告知しなかったばかりか、グーグルなどの検索サイトにもひっかからないように姑息な細工を施した』と。

なんでも、本来は1億人もの申告者が「フリーファイル」を利用する条件(年収66,000ドル以下)を満たしているのに、実際は250万人(2.5%)しか利用者がいない。しかも、当初は500万人いた利用者が半数にまで減っている。内部調査も踏まえた結果、これは、明らかに2社の画策によって「フリーファイル」の存在が意図的に隠された証拠だ、という訴えです。(5月6日ロスアンジェルス・タイムズ紙 “TurboTax and H&R Block are sued for allegedly keeping Americans from filing taxes for free” by Michael Hiltzik)



なにかと複雑な税金申告の実態ですが、実は、前政権のオバマ大統領の時代、確定申告をもっと簡素化しよう! という動きがあったそうです。そもそも IRSは、国民の年収や銀行口座の詳細はすべて把握しているのに、その上、どうして本人に確定申告をさせる必要があるのか? という理由からです。が、いろんなプレッシャーが介在して、あえなく道半ばで頓挫したという経緯があるとか。

昨年、Intuit社の税金申告ソフトの売上額は25億ドル(約2,800億円)、H&R Block社は2億4千万ドル(約270億円)とのこと。これだけの収入があると、企業側も業界団体も政治に圧力をかけたくなるのは、いずこも同じでしょうか・・・。



夏来 潤(なつき じゅん)

学校は卒業しなくても

中庭の八重桜も散りゆき、若葉の緑が日に日に濃くなっていきます。



そんな春の一日、以前もエッセイに登場していただいた、ご近所さんのお孫さんのお話をいたしましょう。



仮にシャロンさんのお孫さん、エリックくんといたしましょうか。



以前のお話では、16歳でマサチューセッツ工科大学(通称 MIT)に入学することになった、べつのご近所さんの娘さんが主役でしたが、今日はエリックくんの近況です。



教育者に「天才」と呼ばれ、自宅でのホームスクールから2年制大学を経て、14歳でカリフォルニア大学バークレー校(写真)の大学院に入学したエリックくん。16歳で修士号を取得したあとは、MITの博士課程に入りました。



人間の脳や認知科学を学びながら、どうやってコンピュータを人間が持つ優れた脳に近づけられるか? と、日夜研究に励みます。



なんでも、計算論的神経科学(computational neuroscience)という分野をお勉強していたそうで、人間の脳の複雑な働きを数字を使ってモデル化し、コンピュータやロボットに応用しようという試みなんだとか。



そう、近頃はよく「AI(artificial intelligence)」とか「人工知能」という言葉を耳にするようになって、何かと「人間はあと何十年かで AIに置き換わる」などという物騒な話題が取り沙汰されています。が、実のところ、中身を知っている研究者ほど、AI の稚拙さは熟知していらっしゃって、「まだまだだなぁ」と落胆することも多い分野です。



なにせ、機械には人間が教え込まないと、何もわからない。たとえば、猫の写真を見せても、猫だと認識するまでには相当の訓練が必要で、「どうやったら人間みたいに、初めて見かけた猫でもすぐに猫とわかるようになるの?」という初歩的なことだって、なかなか簡単には解けない難題となるのです。



そんな複雑な研究過程で、エリックくんには思いついたことがありました。



大まかにいうと、困っている人と、そんな人を探している企業をつないであげるサービス。



ここでは、ざっくりと「人と企業をつなぐサービス」と呼んでおきましょう。今までは誰も考えつかなかったような、斬新なサービスです。



数年前にこのアイディアを得たエリックくん、まずはフィアンセのクリスタルさん(仮名)とふたりだけの会社を起こします。その画期的な構想を、起業したてのスタートアップに向けたファンディング(投資)コンテストで発表して、めでたく投資を受けます。そこから実際にプログラムを書く仲間を増やして、3人の会社となりました。



そのうちに、有名なシリコンバレーの投資家の目に留まり、彼の投資グループからお金やアドバイスという貴重な援助を受けるようになるのです。ときにアドバイスは、お金以上の価値がありますから、ベテランの方々とコネクションを持つのは大切なことなのです。



今では、従業員は8人となり、契約書を交わせそうな企業もどんどん増えていっています。つい先日は、「また2社の大企業と契約を交わしたよ」と、祖母のシャロンさんに電話があったとか。



近頃は、どこで名前を知ったのか、企業の方からコンタクトを取ってくることも多いそうで、このまま計画通りに行くと、近い将来、毎月黒字になるほど健全経営に転じるとか。



シリコンバレーの投資家に援助を受け始めた頃でしょうか、好転の兆しがうかがえるようになったので、エリックくんもクリスタルさんもマサチューセッツ州から地元カリフォルニア州に移り住み、若いエンジニアであふれるサンフランシスコの海ぎわにオフィス兼住居を構えるようになりました。



すると、当然のことながら、自分たちが通っていた東海岸の学校は遠のき、なんとなく勉学とも疎遠となるのです。



そんなわけで、エリックくんは MITの博士課程は途中のままだし、フィアンセのクリスタルさんも、わざわざボストン大学から転校したブラウン大学(ロードアイランド州の私立大学)はあと一年で終えるのに、そのまんま放ってあるそうです。



エリックくんのご両親も、クリスタルさんのご両親も、「まあ、本人がいいなら、それでいいんじゃない?」という寛容な態度。



でも、孫のことが気になるシャロンさんとしては、「せっかく良い学校に入ったんだから、ちゃんと卒業して欲しい」と未練があるようでした。



もしかすると、シャロンさんの方が日本的な考えの持ち主かもしれませんね。




このときシャロンさんと同席していたニコルさん(仮名)。



長男は医学部出身で、病院勤務の医師として独り立ちできたタイミングで、結婚もして子供も生まれた、という絵に描いたような立派な道を進んでいます。



一方、次男は自由気ままな性格なようで、公衆衛生学と病院経営の修士号を取得したあとは、迷走が始まるのです。



修士課程のときに思いついたスマートフォンアプリで身を立てようとしたり、やはり医療の道を捨てきれずに医学部に入り直したりと、何度も方向修正をするのです。



連れ合いも相談を受けたことがありましたが、彼が夢中になっていたアプリは、昔の「二番煎じ」ともいえるような斬新さに欠けるものだったとか。そんなこんなで、本人も「やはり、自分には医学の道しかない」と悟ったのでしょうか。



兄も母方の従姉妹(いとこ)もみんな医学部に入っているし、ようやく自分も医者になることを決意したようです。



ところが、二転三転。近頃は、医学部のある東海岸から戻ってニコルさん夫妻と同居しているなと思っていたら、なんと「歯学部に入って、歯医者さんになる!」と言い始めたとか。



すでに入学許可をいただいている学校は、サンフランシスコとニューヨークに二校あるそうで、間もなくどちらに進むかを決めないといけないタイミングだそうです。



わたしは長男、次男ともお会いしたことがあるので、二人とも良い息子さんであることは知っているのですが、こうも二人が違った人生の歩み方をするとは、ひとりひとりの選択というのは、あくまでもユニークなものなんですね。




いずれにしても、ニコルさんとしては次男がやりたいと思うことは応援してあげたい気でいるようですが、なにぶん医学系の学校は学費が高い!



ニコルさんは、「4年間で60万ドル(約6千万円)かかるらしい」と眉をひそめていましたが、生活費は自分でなんとかさせたとしても、学費は出してあげたい心意気のようです。



先述のエリックくんの場合は、学費・生活費が一切タダという奨学金(scholarship)で MIT の博士課程に入れていただいたそうで、そんな強力な助けがない限り、学校に戻って学ぶのも、なかなか大変なことですよね。



実際、近年アメリカの大学に入ると、学生ローン(student loan)を利用する学生が増えていて、それは、年々高騰する学費という厳しい現状を反映しているのでしょう。



そして、めでたく大学を卒業して働き出しても、学生ローンの返済があったり、都市部の生活費が高かったりと、なかなか自由になるお金がないのが現実のようです。



なんでも、18歳から34歳の若い世代を調査してみると、7割の人は親から金銭的な援助を受けている、という驚きの統計が先日発表されました。



これは、ひと昔前には、考えられない現象なのです。なぜって、アメリカにはずっと「自分のことは自分でなんとかする」文化が根付いていて、18歳を過ぎて親から援助を受けるなんて、昔の人には思いもよらなかったから。



ところが、今は、「自分でなんとかする」限度を超えてしまっている現状と、親が子を猫可愛がりする実態のダブルパンチ。



親から援助を受ける若者の多くは、ありがたいとは思っているけれど、べつに恥ずかしいことではない、と開き直りの精神でいるようです。



面白いことに、男女を比べると「女のコの方が、親から独り立ちする時期が早い」という傾向も見られるとか!




というわけで、シャロンさんの孫エリックくんや、ニコルさんの次男の近況をご紹介いたしましたが、興味深いのは、エリックくんのご両親。



エリックくんの両親であるエミリーさんとダニエルさん(ともに仮名)が、これまた面白いライフスタイルを送っていらっしゃるのです。



もうエリックくんも手がかからなくなったし、自分たちの人生をエンジョイする番だと悟られたのでしょう。



カリフォルニア州南部のニューポートビーチにある自宅を売り払って、ヨーロッパへと向かうのです。



けれども、実際に住んでみなければ、自分たちに合うかどうかはわからない。ですから、イギリスのロンドン郊外に4ヶ月滞在したあとは、スウェーデンの首都ストックホルムで4ヶ月を過ごします。



やはり、北欧の冬場の寒さは厳しかったけれど、春を迎えると最高の季節になることを実感。街並みも美しいし、人々も親切。なかなかいいわね! とわかったところで、次の目的地へと移動。



今は、スペインの首都マドリッドに一年間の予定で滞在中。なんでも、申請していた滞在許可が下りたので、じゃあ一年の間、スペインの水と空気と文化を楽しんでみましょう、ということになったそうです。



「家」という安住の場を売却しているので、もう身軽なもの。気の向くままに、気に入った国で過ごす日々というのも、なかなか乙なものかもしれませんね。



おかえりなさい、羊さん

羊さんの前に、ちょいと小鳥さんの登場です。



近頃は、だいぶ日の出が早くなって、6時くらいには日が昇ります。その少し前、薄明るくなりかけた5時半くらいに、裏庭にやってきては鳴き始める小鳥さんがいるんです。



それが、どうやら若い小鳥さんのようで、あんまり歌がお上手じゃない。



どうしてそう思うのかって、この種の小鳥さんの歌はよく知っているから。姿は見たことがないけれど、きれいな声にいつも聞き入っているから。



かなり複雑なメロディーラインで、五線紙に音符を置くと、ちょうど平仮名の「し」のような流れでしょうか。最初にクイッと一音上げたあと、一気に音程を下げていって、最後にグイッと持ち上げる感じ。



それだけでも難しいのに、最初から最後まで「こぶし」を利かせるかのように、喉をコロコロとうならせるのです。そう、決して一本調子のピーピーピーではありません。



小鳥さんの歌を文章で表現するのは、なんとも難しい限りではありますが、我が家のまわりにいる何十種もの鳥の中では、もっとも複雑な歌を歌う小鳥ではないかと感心しているのです。



そんな複雑な歌を、なかなか歌えない若鳥がいるんですよね。



この小鳥さん、うまく全部を歌えないので、出だしのところから半分まで、そして最後のクイッと持ち上げるところだけと部分的に練習してみるのですが、全体を通してやってみると、やっぱりダメ。節まわしとこぶしが両立できなくて、かなり悩んでいるようです。



だから、ときどきヤケになって、ピヨピヨピヨと真ん中の音階だけを練習してみるのですが、しまいには喉に力を入れ過ぎて、もう「ダミ声」になっていましたよ。



おまけに、練習を続ける忍耐力に欠けるのか、すぐにプイッとどこかに飛んで行ってしまいました。



ひと月くらい前にも、同じような若鳥がいましたっけ。うまく音階に乗れないので、ふてくされてキョロキョロキョロと真ん中だけを歌っている若鳥が。



聞いているこちらは、「ちょっと教えてあげましょうか?」と声をかけたくなるのですが、もしかすると近頃は、そういった若鳥が増えているのではないか? と少々心配になっています。



けれども、一週間たった今朝、先日の小鳥さんが戻ってくると、だいぶ上達しているようでした。まだまだ節まわしはヘタクソで、見事に歌いあげることはできませんが、少なくとも力は抜けて、ダミ声になることはなくなりました。



やっぱり小鳥さんも、練習しないと歌がお上手にならないんですね。




というわけで、本題の羊さんのお話です。



羊さんといえば、以前もご紹介したことがありますが、年に一回我が家の近くには、羊さんの部隊が登場するのです。



何をするのかといえば、草を食べてくれるのです。



この時期になると、さすがに雨季も去り、草むらが茶色に変わる季節となります。そう、雨季が終わると一滴も雨が降らなくなるので、とたんに草は枯れ、山や丘が「金色」に輝くのです。



この金色の丘から、カリフォルニアの「ゴールデンステート(Golden State)」というニックネームが生まれたともいわれますが、カラカラに枯れた草原も「ゴールド」などと呼ばれると、ちょっとオシャレに聞こえますよね。



こうなってくると、伸びきった金色の草を刈らないと、火事の原因にもなってしまいます。そこで、住宅地のまわりには、羊さんが登場!



羊やヤギの動物を使うのは、ひとつに丘の傾斜が激しかったりして、人の作業が危険なことがあります。また、作業に使う草刈り機(mower)から火花が散って、火事の原因になるのを防ぐ意味もあります。



羊さんにとっては、伸び放題に成長した草をたらふく食べられるので、何も不足はありません。水さえ与えてもらえれば、あとは自由な生活。



日がな一日、斜面にたむろしては、草をムシャムシャ。野生のムギもありますし、黄色い花の散ったマスタードの茎もあります。お腹がくちくなると、木陰でひと休み。そしてまた、お食事の時間。



「羊さんが通ったあとは、何も生えない」というくらいに、きれいに食べつくしてくれるのです。



文字通りお腹がふくれて、胴回りが大きくなった羊もたくさんいますが、ときどき運動がしたくなるのか、突然ダッシュをしかける羊さんもいます。



やはり若い羊さんの方が運動量も多いようで、一匹が走り出すと、もう一匹があとを追って走り出す。もしかすると、追いかけごっこをして遊んでいるのでしょうか。



若い羊さんは、興味も深々です。人間に警戒心を持たないのか、写真を撮ろうと近づくと、向こうの方から寄ってきて、「ねえ、いい写真を撮ってよ」と言わんばかりにレンズを覗き込むのです。



そんな羊さんを世話する方が、遊歩道で働いていらっしゃいました。



羊さんが逃げないようにと、セクションを区切って右から左へとフェンスを張っていくのですが、弱電流が流れるようになっているので、丸めたフェンスがからまって一人では作業がしにくそうでした。ちょうどクリスマスの電飾コードみたいに、束ねるとからみやすいのです。



こういう羊飼いさんは、丘のふもとにキャンピングカーを置き、そこで寝泊まりしています。羊さんの作業の程度によって、次のセクションへと導かないといけませんので、常にそばで見守るのも仕事のうちなんです。



最初に羊部隊を見かけたときから二週間、全長数百メートルの丘は、すっかり刈られてしまいました。



こちらが、羊さんが去ったあと。ほら、きれいに草がなぎ倒されているでしょう。



草刈り機よりも時間はかかるかもしれないけれど、よっぽどお上手かもしれませんね。




羊さんといえば、先日、こんなニュースが流れました。



州都サクラメント近くの住宅地で、やはり羊さんが「草刈り部隊」として雇われていたそうです。



ところが、ある家の裏庭にめぐらせた板塀のドアが開いていて、そこから大挙して羊が侵入してきたのです。



だって羊さんには、一匹が方向転換をすると、ドッとみんなで付いて行く習性がありますものね。



ロッソさん一家の裏庭は、100匹を超える羊で埋まってしまったから、さあ、大変!



どうしましょう! とパニックになったものの、さすがは百戦錬磨のお母さん。娘さんのトランポリンに乗っかって、タンバリンをポンポンと叩きながら、シッシッと大きな声で追い払います。



その音に驚いた羊さんたちは、くるりと回れ右。来た道を戻って、みんなでおとなしく裏庭の外へと出て行ったのでした。



めでたし、めでたし。



というわけで、今日は小鳥さんと羊さんが登場しましたが、まわりに生き物がいるのは、なんとも嬉しいものですよね。



たとえばツバメは、外敵から身を守るために家の軒先に好んで巣をつくりますし、ハトやスズメは、人の往来の激しい場所にもうまく溶け込んでいます。



人間だって、まわりの生き物を身近に感じながら、うまく共存できばいいなと思っているのです。



こういうハンバーガーはいかが?:お肉じゃありませんよ

Vol. 223

日本は、いつもより長いゴールデンウィークの到来で、お出かけされる方も多いことでしょう。そんな4月号は、ハンバーガーのお話をいたしましょうか。



<バーガーキングの挑戦!>

バーガーキング(Burger King)といえば、世界じゅうでハンバーガーチェーンを展開し、バーガー界の王様マクドナルド(McDonald’s)に次ぐ規模を誇ります。

わたし自身も学生時代には大変お世話になったファストフードレストランで、まだ日本に店舗がない頃には、米軍基地内にバーガーキングがあるのを知ってひどくうらやましかったです。あの平べったい「Whopper(ワッパー)」は、こんがりと焼いたハンバーグとマヨネーズのコンビネーションが、なぜかクセになるお味でした。



その「Whopper」が、お肉ではなく、植物由来のハンバーグで登場するそうです。シリコンバレーのスタートアップ企業、インポシブル・フーズ(Impossible Foods:本社レッドウッドシティー)が提供するベジタリアンパティーを使っていて、その名も「Impossible Whopper(インポシブル・ワッパー)」。

4月からミズーリ州セントルイス市内のバーガーキング59店舗で提供する、とのこと。



実際に試した方々(お客さんと従業員)によると、「言われなければわからない」くらいに味も歯ごたえも通常のハンバーガーと区別がつかない、とのこと(4月15日ワシントンポスト紙 “Burger King’s Impossible Whopper tastes even better than the real thing” by Tim Carmen)

栄養の面では、たんぱく質はお肉と変わらず、脂質は15%、コレステロールは90%カットできるとか(4月1日ニューヨークタイムズ紙 “Behold the Beefless ‘Impossible Whopper’” by Nathaniel Popper)



現在、植物由来のベジタリアンバーガー(plant-based veggie burger)に取り組む企業は、豆をおもな材料としますが、インポシブル・フーズの場合は、レバーや赤身肉に含まれるヘム鉄にこだわりを持っています。ヘム鉄は「血の赤味」や「肉っぽさ」をつくる成分ですが、大豆のような植物にも含まれます。けれども、大豆を大量生産して抽出するのは現実的には難しいので、大豆のヘム鉄生成遺伝子をイースト菌に挿入し、イースト菌が発酵することで大量生成されたヘム鉄を野菜の材料と混ぜてパティーとするとか(2016年6月21日 NPRニュース “Silicon Valley’s Bloody Plant Burger Smells, Tastes and Sizzles like Meat” by Lindsey Hoshaw)

これによって、材料は野菜であっても、グリルしたときの肉の香りやジューシーさ、歯ごたえなどが驚くほど忠実に再現できているとのことです。



インポシブル・フーズを選択したバーガーキングは、1950年代の創設以来、ハンバーガーで名を揚げた企業です。が、実は「ベジタリアンバーガー」とは無縁ではなく、1990年代初頭には、ニューヨーク州の店舗でメニューとして提供していたそうです。

ニューヨーク州でファームサンクチュアリ(Farm Sanctuary)という畜産動物保護団体を運営していたジーン・バウアー氏がバーガーキングのフランチャイズに働きかけて、イギリスから輸入したベジバーガーを販売開始。その反響が大きかったので、全米の店舗でベジバーガーをメニューに載せるに至った経緯があるとか。



2月号でもご紹介したように、近年は「地球にやさしい(サステナブルな)生き方」を模索する上で、動物を飼育して食肉にする畜産業に対して風当たりが強くなり、動物の細胞を培養・増殖させる培養肉(クリーンミート)や、植物由来の食品を考案する動きが活発化しています。

ハンバーガーを提供するレストランチェーンの中では、すでに西海岸のレッド・ロビン(Red Robin)と中西部のホワイト・キャッスル(White Castle)が、合わせて900を超える店舗でインポシブル・フーズのベジバーガーを正式にメニューとして採用しています。

同じくベジタリアンパティーを製造するロスアンジェルスのビヨンド・ミート(Beyond Meat)は、カールスジュニア(Carl’s Jr.)と提携し、今年1月から同チェーンの1000店舗でベジバーガーを提供しています。一方、ハンバーガー最大手のマクドナルドは遅れを取っていて、スウェーデンとフィンランドのみでベジバーガーを展開するとのこと。



そんなわけで、地球を考える社会の大きなうねりから生まれたハンバーガー屋さんのベジバーガーですが、何が一番ビックリかって、バーガーキングがテストマーケットに選んだのが、ミズーリ州セントルイスということ。

なんでも、中西部のミズーリは、全米で初めて「肉に似せた商品をmeat(肉)と呼ぶことを禁ずる」との厳しい法律を布いた州だそうな! そんなガチガチの「お肉を愛する場所」で、肉を使わないハンバーガーを出すなんて・・・。

察するに、この難しい市場をクリアしたら、全米どこでもオッケーよ! ということでしょうか。



<テイスト(試食)テスト>

4月初頭にバーガーキングの「Impossible Whopper」のニュースが流れたとき、わたし自身はベジタリアンバーガーにはまったく無縁でした。

そこで、サンフランシスコの埠頭に近いレストランで、「ホームメイドのベジバーガー」というご自慢のメニューを注文してみると、まあなんとも、歯触りのべちゃべちゃとした(mushy)香りも何もないパティーがパンにはさまって出てきました。お味は、「豆がおもな材料だろう」と思わせる無味な感じ。



まさか、「言われなければ肉と勘違いする」と評されるハンバーガーが、これほど疑問を感じる味だとは思えませんが、そんなわたしにチャンスが到来!

我が家の近くで、ビヨンド・ミートのベジバーガーやソーセージを発見したのです。そう、インポシブル・フーズの競合企業の商品が、オーガニックスーパーのホールフーズ(Whole Foods:現在はオンラインショップAmazon傘下)で売られるようになったのです。



さっそく「Beyond Burger(ビヨンド・バーガー)」を購入。主原料はエンドウ豆ですが、「肉汁」のリアリティ感を出すために、野菜のビーツの赤いジュースが加えられています。表面はひき肉を思わせるような「そぼろ感」があって、見た目はなかなかリアルです。

実際にフライパンで焼いて食してみると、外はこんがり、中はふわふわとした食感でした。味は、明らかに肉とは違いますが、大根おろしとしょう油で食べると、それなりに美味しかったです。たっぷりとケチャップをかけてパンにはさむと、「お肉かな?」と思ってしまうかもしれません。



ここ数週間のうちに、近所のホールフーズの「植物由来の食品コーナー」は、目を見張るほど充実するようになりました。インポシブル・フーズと肩を並べるビヨンド・ミートといった新手の注目株だけではなく、1978年からベジタリアン食品に取り組むスウィート・アース(Sweet Earth)など老舗ブランドも並んでいます。



その中で目を引いたのが、南東部ノースキャロライナ州のノーイーヴィル・フーズ(No Evil Foods)。

バーベキューポークを模した商品ですが、パッケージもおしゃれです。

ノースキャロライナといえば、豚を丸一匹こんがりと焼いて、バーベキューソースで食べるのが名物ですが、こちらの会社は、その食文化に真っ向から対峙します。2014年の設立以来、「植物肉(plant meat)」を提唱し、バーベキューポークやソーセージといった肉製品に野菜の具材で挑戦します。会社名の「ノーイーヴィル(No Evil)」は、悪を行わないという気負ったネーミングではあります。



購入したのは、バーベキューソースをからめた「プルドポーク(pulled pork)」。プルドポークというのは南部の名物で、バーベキューにした豚肉をフォークで引っ張って(pulled)細長く裂き、肉の繊維感を楽しむ食べ方。パンにはさんで食べるのが一般的です。

なるほど、彼らがポークの繊維質にこだわっているのはわかります。が、かたまりの部分は「かまぼこ」のような食感でもあります。バーベキューソースが濃いので「肉」そのものは味わいにくいですが、小麦粉やヒヨコ豆の材料は、あんまり味がしないのかもしれません。(指示通りにフライパンで温めましたが、かえってバーベキューソースの酢に苦味が出て人工的な香りを感じたので、袋ごと熱湯で加熱した方が良かったのかもしれません)

ノースキャロライナという場所柄、同社はバーベキューソースやソーセージのスパイスに重きを置く方針かと察しますが、残念ながら「肉」にもソースにも改良の余地がある、というのが正直な感想です。



そんなわけで、ビヨンド・ミートとノーイーヴィル・フーズと二社の商品を試してみましたが、個人的には、次回ホールフーズに行っても「植物由来の肉」には手を伸ばさないかもしれません。なぜなら、肉の良さは、たんぱく質とか鉄分といった成分分析以前に、甘い脂身との「うまみ」のバランスにあると思うから。

そこで、根本的な疑問が湧いてきませんか。「植物肉」は、いったい誰のためにあるのだろう? と。

おそらく、肉をまったく食べないベジタリアンの方々は、「擬似肉」を食べる必要はないでしょう。そう、わざわざ肉に似せた食べ物は、肉を食べたいのに食べられない人が求めるものであって、肉に縁のない人には必要ありません。だとすると、健康上の理由で肉を減らさないといけない人か、信条として動物を殺して食べるのがしのびない人でしょうか。



そう仮定すると、ハンバーガー屋さんでベジバーガーを出しても、あまり売れないのではないかと思えるのですが、現にバーガーキングは、一枚のハンバーグのコストが1ドル高くたってベジバーガーを提供しようとしているのです・・・。

もしかすると、バーガーキングは危機感を抱いているのかもしれません。ひとつに、人々の意識が変化する中、消費者に対する企業イメージを保ちたいという焦り。もうひとつは、年々地球環境が劣化する中、農業や畜産業が大転機を迎え、食肉調達に支障をきたすのではないか、という恐れ。



と、いろいろと考えさせられますが、あと数年たったら、もっと美味しい「植物肉製品」に出会えるかな? と期待しているところです。



まずは、バーガーキングの「Impossible Whopper」にミズーリ州で成功してもらわなければ!



夏来 潤(なつき じゅん)



「スーパーブルーム」とカリフォルニアの花

先日、『スーパーブルーム(Super Bloom)!』というエッセイで、カリフォルニア州の花が満開を迎えているというお話をいたしました。



今年の雨季はいつもより雨が多いので、州の花「カリフォルニアポピー(California poppy)」が一気に花を開かせ、野原がオレンジ色の絨毯みたいになっているのでした。



そんな様子を「スーパーブルーム(超満開)」と呼び、みんなで大騒ぎしているのですが、残念ながら、この喜びを享受できるのは、おもに南カリフォルニアの人たちなんです。



なぜなら、北カリフォルニアでは、南のようにカリフォルニアポピーがたくさん群生しないから。



北カリフォルニアは南ほどには乾燥していないので、カリフォルニアポピーをはじめとする在来種(native plants)が、よそから来た外来種(non-native, invasive plants)に負けてしまうことが多々あるのです。そう、外来の植物に先を越されて、在来種が芽吹く間もなく、日の目を見られないという状況におちいるのです。



乾燥した気候のカリフォルニアでは、もともと自生する植物は、たとえ何年も「干ばつ」が続いても地中でじっと生き残ります。ですから、ここ何年か雨の少ないシーズンが続いて外来種がすっかり弱りきったあとでも、ひとたびたっぷりと雨が降ると、在来種は一気に芽吹いて開花することができるのです。



在来種の中には、山火事が起きて初めて、その灰の中から芽吹くものもいるくらいですので、厳しい環境から自分の身を守ることにかけては、なかなか長けているのです。



ところが、南が砂漠に近いくらいに乾燥しているのに比べて、北はそこまで乾燥していない。ですから、干ばつが何年か続いても、外来種はすっかり弱りきることはなく、在来種より先に芽吹いて、邪魔をしてしまうことがあるのです。



そんなわけで、南カリフォルニアがポピーの「超満開」を楽しんでいるときでも、北の人たちは、あちらこちらに点在したポピーを見つけようと、遊歩道やハイキングロードを探しまわることになるのです。



そして、「あ〜、やっぱりここには一株しかなかったぁ」と落胆することもしばしば。




そこで、北カリフォルニアでポピーを見つけるには、こんなコツがあるんです。



それは、緑っぽい 蛇紋岩(じゃもんがん)のある丘を探してみること。



蛇紋岩(serpentine)は、火山のマグマが冷えて固まった火成岩の一種で、鉄分、マグネシウム、朱色の水銀鉱石などを含んだ青緑の岩石。1965年には「カリフォルニア州の石」にも指定されたくらいに、州内でたくさん見かける石です。



こちらは、丘の斜面に露出した蛇紋岩ですが、こういった丘があったら、必ずと言っていいほどにカリフォルニアポピーが咲いています。



それは、蛇紋岩のある土壌(serpentine soils)はマグネシウムを多く含むので、外来の植物が育ちにくい環境になっているから。植物に入りこんだマグネシウムは、まるで血中の「悪玉コレステロール」みたいに悪さをして、成長を妨げるのです。



けれども、なぜかカリフォルニアポピーは、そんな土壌でも良く育つ。何世紀もそうやって生きてきたのですから、相性はバツグンなんでしょう。



「ここは、わたしの縄張りよ!」とばかりに、お日様の光を受けて、あちらに一株、こちらに一株と鮮やかなオレンジの花を咲かせます。




カリフォルニアの在来種といえば、オレンジ色のポピーばかりではありません。



我が家の近くで見かけるものでは、ブルーの花をつけるセアノサス(Ceanothus)があります。



カリフォルニアライラック(California lilac)とも呼ばれていて、ちょうど今ごろ満開を迎える低木です。冬でも緑を失わないので、歩道の脇に植える樹木としても好まれています。



花にはいろんな青みがあるようですが、紫がかったものや、水色に近いブルーをよく見かけます。花の形もコロッとしていて、密集して花をつける様がとってもかわいいのです。



今ごろ満開となる在来種には、ルピナス(lupine)もあります。こちらも、我が家のまわりの野原では必ず見かける花です。



カリフォルニアでは、とくにシルバールピナス(Lupinus albifrons)と呼ばれる種類が自生するようですが、こちらは、カリフォルニアとオレゴンにしか見られないそうです。



我が家の近くでは、ブルーっぽい青紫の花を見かけますが、赤みを帯びた紫の花をつけることもあるようです。ツンツンと緑の野に顔を覗かせる様子がかわいらしいです。



そして、この鮮やかな黄色い花をつける木。こちらも、在来種のようです。



その名は、カリフォルニア フランネルブッシュ(California flannelbush)。フランネルブッシュは、オーストラリアなどにも自生するようですが、あちらが紫色の花をつけるのに対して、こちらは山吹色に近い黄色。カリフォルニアの仲間は、黄色がほとんどのようです。



人の背丈よりちょっと高く枝を広げますが、その体いっぱいに一斉に花を咲かせるので、遠くにいてもパッと視界に入ってきます。ひとつひとつの花も直径5〜6センチはあるので、存在感があります。



4月ごろに満開を迎えるので、「そろそろ咲いているかな?」と、近くの遊歩道を行くのが楽しみな花なのです。




ところで、春先にカリフォルニアを訪問なさって、「一面の葉の花」を記憶されている方もいらっしゃることでしょう。



こちらは、我が家からちょっと南に下ったところにある畑。3月初めの夕方に撮ったもので、一面の黄色い花は、マスタードの花(mustard、和名アメリカカラシナ)です。



日本で見かける「菜の花」も、マスタードと同じアブラナ科の仲間なので、とってもよく似ています。菜の花に比べて、マスタードの方は、ちょっと黄緑色を帯びているような感じもするでしょうか。



マスタードの花は、ワインの産地ナパバレーなどあちらこちらで見かけるので、カリフォルニアの在来種かと思ってしまうのですが、実は、16世紀にスペイン人が足を踏み入れたあとに生え始めた外来種。



まあ、歴史は古いので、カリフォルニアの風景にすっかり溶け込んだ植物ともいえるのですが、美しいわりに、カリフォルニアポピーにとっては大敵! マスタードとポピーは共存できないのです。



我が家のまわりでも、マスタードの花が幅を利かせているところには、カリフォルニアポピーは生えません。黄色の丘には目を奪われますが、ポピーを探すには、他をあたった方が良いようです。




そして、野原で見かける野生の麦(wild oats)。数多くの仲間がいて、野原ごとに違った形の穂を見かけますが、こちらも、カリフォルニア自生の植物ではありません。



やはり、ヨーロッパからカリフォルニアに入ってきたと思われますが、麦の仲間は強いので、どんどん在来種を駆逐していったのでしょう。言うまでもなく、カリフォルニアポピーにとっては大敵ですね。



ついでに、麦の真ん中に顔を出しているのは、リス。この辺りには、木に住むリス(tree squirrel)と地面に住むリス(ground squirrel)がいて、こちらは後者のリスだと思います。



遊歩道を行くと、地面のあちらこちらにポコポコと穴が開いているのを見かけますが、それが彼らの住処(すみか)。学校のグラウンドでも、遠慮なく穴をつくっては、ひょっこりと姿を現して人間を観察しています。




そして、野生の麦といえば、こちら。いかにも「麦」といった穂先ですが、もしかするとライ麦(rye)なのかもしれません。



風になびく立派な穂は、なんだか収穫できそうな感じがするでしょう。



そこで思いついたんです!



この写真を撮ったのは、サンノゼ市の中心を流れるグアダルーペ川沿いの公園(Guadalupe River Park)。グアダルーペ川といえば、カリフォルニア州で最初にスペイン人が集落を置いた場所。



ですから、この麦は、そのときの名残ではないか? と。



統治下のメキシコを足がかりに、スペイン人がサンノゼに集落(プエブロ、村)を置いたのは、1777年のこと。先住民族が住むカリフォルニアにヨーロッパ人が腰を据える先駆けとなりましたが、彼らがこの地を選んだ理由は、川沿いの肥沃な土壌にありました。



大雨が降ると氾濫する川の周辺は、土が肥え、穀物を栽培するには最適だったはずです。「侵入」した先で自給自足をしなければならなかったスペイン人は、狩猟採集で暮らす先住民を連行しては、プエブロで畑を開墾してライ麦のような作物をつくらせていたのではないでしょうか。



当時スペイン人は、カリフォルニア南端のサンディエゴから北上する探検を続け、海沿いのモントレーにはプレシディオ(要塞)を、サンフランシスコにはプレシディオとミッション(教会)を置くことにしました(写真は、1776年サンフランシスコに置かれた「ミッションドロレス(Mission Dolores)」)。



その中間にある肥沃の土地サンノゼにもミッションとプエブロを置き、数多くの先住民(オローニ族)が半強制的に住まわされ、厳しい使役を負わされたのでした。



カトリック教国であるスペインにとって、南北アメリカ大陸のキリスト教化は最大の使命。先住の「野生の子どもたち(children of the wilderness)」を自分たちの教えに導くことは、神と自国王に課せられた使命であり、同時に相手にとっては自由を奪われた足かせであり、不幸でもあったのでしょう。



そんな風に、グアダルーペ川のライ麦を眺めていると、この地の歴史に思いをめぐらせてしまうのでした・・・。



風にたゆたう麦の穂も、鮮やかなマスタードの花も、「征服・統治」時代の遺産のようなもの。ヨーロッパからもたらされた疫病で先住の方々が激減していった現実とはうらはらに、カリフォルニアじゅうの野原で元気に繁殖しているのでした。



付記:

サンノゼの歴史については、今まで何度かご紹介しておりますが、こちらの『サンノゼって、どんなとこ?〜歴史編』という記事がまとまっているのではないかと思います。



「スーパーブルーム」については、以下の記事を参考にいたしました。

“Why don’t we get super blooms in Northern California?” by Amy Graff, SFGATE, March 25, 2019



スーパーブルーム(Super Bloom)!

いきなり、カタカナの題名ですが、「スーパーブルーム」。



ブルーム(bloom)というのは、花盛りのこと。



それが、スゴい(super)花盛りなので、スーパーブルーム。



これは、今カリフォルニアじゅうを騒がせている話題です。いったい何が満開なのかというと、カリフォルニア州の花「カリフォルニアポピー(California poppy)」。



あまり日本では馴染みがありませんが、ポピー(ケシの花)の中でも、ひときわ鮮やかなオレンジ色の花びらを持つ、野に咲く花。つやつやとした、一重(ひとえ)の花びらが特徴です。



もともとカリフォルニア州の野原に咲く在来種で、ヨーロッパから来たスペイン人たちが初めて足を踏み入れようとしたとき、「あのオレンジ色の花はなんだろう?」と心を奪われたとか。まるで、野原が燃えているかのように見えたので。



カリフォルニアは、「夏が乾季で、冬が雨季」という二季。雨季は、だいたい10月から4月頃まで続きますが、このときに山々が茶色から緑に変わります。



ところが、近年どうしたことか、なかなか雨の降らない「干ばつ」状態にありました。とくに2011年秋から2016年初春の5シーズンは、観測史上で一番雨の少ない雨季となっています。



幸いなことに、2016年秋には雨が戻り、大雨で地滑りなどの災害に見舞われたものの、貯水池の水も安定して保たれるようになり、給水制限も解かれるようになりました。



すると、逆に、今シーズンの雨季は、ひどく雨が多いのです。



Too much rain!(雨が多すぎるよ!)という不満を耳にするくらいで、なかなか「カリフォルニアの青い空」が顔を覗かせてくれません。



その雨の影響なのか、昨年まで姿を隠していたカリフォルニアポピーが、今年はいっせいに花を咲かせています。



野原全体がオレンジ色! という場所も現れました。



それが「スーパーブルーム」として話題になっているわけですが、みなさんを騒がせているポピーの大群生は、おもに南カリフォルニアにあるようです。



ひとつは、レイク エルシノア(Lake Elsinore)。ロスアンジェルス近郊のレイクサイド郡にある淡水湖の名で、同時に街の名でもあります。



そして、もうひとつはロスアンジェルスから北へ、ランカスターという街にあるアンテロープ バレー(Antelope Valley)。ここには、ポピー群生の保護区(Poppy Reserve)があるそうです。



どちらも花の季節ともなると、野原がオレンジ一色に彩られ、それはもう絶景とか。



レイク エルシノアは、あまりの人気のため、3月中旬から市当局が自家用車の乗り入れを禁止しています。見学者は近くの駐車場からシャトルバスに乗って、ポピーの群生地まで連れて行かれるそうですが、週末ともなると、バスに乗るまで1時間以上待たないといけないとか!



いまだカリフォルニアは雨季とはいえ、ひとたび雨が上がると、鈍色(にびいろ)の空が真っ青になる。その鮮やかなブルーを背景に、野原の花もいっせいに輝きを増すのです。



「そこを逃したくない!」と、見物客が殺到するわけですが、このスーパーブルームの大騒ぎは、日本の花見とまったく同じですよね!




わたしも自分の目で見てみたいとは思うのですが、なにせ南カリフォルニアは遠い。



ですから、まずは近所の野原に目を向けると、この辺りでもポピーが満開です。



我が家の近くにある自然遊歩道(nature trail)を行くと、急な斜面にはポツポツとオレンジの花が咲いています。



南カリフォルニアの群生地にはかないませんが、それなりに風情があるのです。



そして、わたしの出身大学の花壇にも、オレンジ色の花が顔を覗かせています。



いえ、在学中はこのようなオブジェや花壇はなかったんですが、きっと芸術学科の学生が協力して制作したのでしょう。



モノクロマティックな色彩のオブジェが、オレンジ色で引き立っていますね。



こちらは、サンノゼの地元で話題になっている個人宅、名付けて「Bulb guy(球根ガイ)」。



なんでも、10年前から庭にたくさんの球根を植え始め、庭づくりの楽しさを伝えることをミッションとしてきた、リッチ・サントロさんのお庭(緑色のマントを着た方がリッチさん)。



今年は、1万個を超える球根が花を咲かせているそうですが、3月23日から31日まで庭を一般公開して、見物客を自慢の裏庭へと招き入れました。わたしも最終日を控える土曜日に見学に行きましたが、まあ、みなさんどこで知ったのか、次から次へと見物客がやって来るのには驚きました。だって、あくまでも個人の家なんですもの。



まあ、こちらの「球根ガイ」は、地域のガーデニング界では有名人だそうですが、わたしのようにガーデニングとは無縁の方々だって「花を見るならここ!」とネットの情報でつられてやって来たのでしょう。(緑色の車は、リッチさんの宣伝車。自身の the-Bulb guy.com というウェブサイトや花を育てる楽しみを伝えて回ります)



こちらの庭には、カリフォルニアポピーだけではなく、チューリップやアネモネといった春の花も植えられていて、色とりどりの景色が目に飛び込んできます。



こういうのを、英語で a burst of colors と言うのでしょう。まるで色とりどりの風船が破裂したみたいに、目の中でたくさんの色がはじけること。



きっとそれが、雨季の晴れ間に感じる、カリフォルニアの自然なんでしょう。




というわけで、今日のお題は「スーパーブルーム(Super Bloom)」。



実は、この言葉は、ごく最近の造語だそうです。(名詞なので単数形は a super bloom、複数形は super blooms)



たとえば、月が地球に近づいて明るく大きく見えることを「スーパームーン(Super Moon)」と言いますが、そこから転じた表現なのかもしれません。



近頃は、みなさんソーシャルサイトで写真を載せるのが流行っているので、お月さまのスーパームーンも、お花のスーパーブルームも絶対に逃せない題材なのです。



スーパーブルームは、そんなネット上の習慣から生まれた造語なんでしょうね。



けれども、「きれいな花が見たい!」と願うのは、古代より受け継がれた人の本能とも呼べるもの。



「花鳥風月を愛でる」ことは、時代と文化を超え、人と人をつなぐ共通言語なのかもしれませんね。



追記:

こちらのカリフォルニアポピーをよく見ると、花の真ん中から、小さな生き物が顔を覗かせているようにも見えるのです。



アンデルセンの童話に『親指姫(おやゆびひめ)』というのがありますが、花の中からお姫さまが生まれたというストーリーも自然に感じるのでした。



税金のシーズン:サラリーマンも確定申告!

Vol. 222



「この世で確かなのは、死と税金のみである(In this world nothing is certain except death and taxes)」と、アメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリンは手紙で書いています。この名言を噛みしめるアメリカ人が増えるのが、3月から4月中旬にかけて。

今月号では、税金にまつわる話題を取り上げましょう。



<面倒くさいアメリカの確定申告>

先日ワシントンポスト紙を読んでいて、驚いたことがありました。

2015年度に米国税庁に確定申告をしなかった人は120万人もおり、国から彼らへの還付金14億ドル(約1500億円)がそのままになっている、と。

納税者は、過去3年にさかのぼり申告できるので、2018年度の期日となる4月15日までに申告すれば、2015年度の還付金は受け取れるとか。けれども、合わせて2016年度と2017年度も申告する必要があるので、場合によっては追徴課税となる可能性もなきにしもあらず。

そんなわけで、還付請求をせずに放っておくと、みなさんのお金は自動的に財務省に送られる(贈られる)とか。(それだけあれば、立派にメキシコ国境の壁ができそうな・・・)



いえ、1500億円というのもすごい額ですが、わたしがまず驚いたのは、申告漏れが120万件もあるということ。だって、アメリカで収入のある住民のほぼ全員が国税庁と州の税務署に申告義務があるはずでしょう! 毎年、申告期日の4月15日といえば、誰もが「イヤな日」として認識しているはずなのに、それを無視する人が大勢いるなんて。

この申告漏れの多くは、パートタイムで働いている人や学生ということですが、大抵は雇い主が源泉徴収(tax withholding)をしているので、べつに「脱税」しているわけではありません。そう、日本も同じですが、給与からは規則(右の表)に従って所得税などの各種税金が引き去られているので、国が取りたいものはすでに取られています。

けれども、たとえば大きな病気をして高額な医療費を支払ったとか、住宅ローンや学生ローンを組んでいるといったケースでは税の控除を申請できるので、どんな人でも国と州に申告をして、還付請求をすることになっています(国と州は税法が違うので、控除対象となる事項が異なることもあり、別途に申告する必要があります)。



そんなわけで、真面目に申告しようとすると、本当に頭の痛い「年中行事」なので、我が家は会計士に依頼しています。中には、1年間ため込んだレシートや書類を丸投げする人もいますが、我が家の場合は日本語で書かれたものもあり、ある程度データを作成して会計士に差し上げています。が、それがまた大変な作業で、「どうしてその都度、データを表計算シートにインプットしておかないかなぁ?」と自分を叱咤するのも、立派な年中行事となっています。

我が家はカリフォルニア在住なので、国税庁(内国歳入庁:the Internal Revenue Service, 通称 IRS)とカリフォルニア州税務署(Franchise Tax Board、通称 FTB)への申告義務がありますが、前回の2017年度は、会計士が作成した申告関連書類(PDF)は、国用が100ページを超えていたような・・・。

こちらは、誰もが国に申告すべき個人用の「フォーム1040」という基本書類。

人によって異なりますが、我が家のケースは、その他に「フォーム8949」だの「フォーム1116」だの「フォーム4797」だのと、素人には理解しがたい書類が何種類も続きます。



わたしは「太陽系や銀河系を発見した人類の慧眼」にも敬意を表しますが、こんなに複雑な申告方法を考えついたアメリカ人の思考回路にも、大いなる畏敬の念を抱くのです。



<トランプ大統領の税制改革>

実は、2018年1月からアメリカの税法が大きく変わっています。2017年1月トランプ大統領が就任した際、最初に取り組んだことのひとつが税制で、これは数十年に一度と言われるほどの大変革でした(the Tax Cuts and Jobs Act)。

前政権のオバマ大統領とは一線を画したいトランプ大統領は、「お金持ち優遇措置」とも取れる変更点をいくつか掲げています。



まずは、所得税率(income tax rates)を下げています。たとえば、年収5万ドルの独身者の場合、これまでの25%が22%となり、年収10万ドルでは、28%から24%に下がります。夫婦二人の合算申告では、たとえば年収8万ドルとすると、従来の25%が22%となり、年収16万ドルでは、28%から24%に下がります。

こんな風に誰にでもおしなべて下がったように見えますが、下がり方は均一とはいえません。たとえば夫婦二人の年収が25万ドルから30万ドルとすると、従来は33%の税率が24%まで下がります。

そして、最大の所得税率は、今まで39.6%だったものが37%に下げられ、逆に適用所得枠は大幅に引き上げられたので、最高税率から逃れられやすいように設定されています。これでは、税率を下げなくてもいい人にも減税してあげたように見えるのです(最高税率の適用所得枠は、独身者で年収約42万ドル以上から50万ドル以上へ、夫婦二人で約47万ドル以上から60万ドル以上へ引き上げられています)。(Table of tax brackets, 2017 and 2018, from Magnify Money)



学校教育に関しても、お金持ちに向けた優遇措置が取られています。これまでは、大学進学に限られていた預金制度(529 college savings plan)が、幼稚園から高校にも適用されるようになり、子供が小さいうちから州税の軽減といった優遇を受けられるようになりました。これで、高額な私立学校に通わせるために貯金しやすくなったということで、一気に不公平感が広がっています。



そして、相続税(estate tax)の免税範囲も大幅にアップしています。これまでは、相続した現金や株式、その他の財産の合計額が550万ドル(約6億円)まで免税だったものが、1100万ドル(12億円強)まで課税なしとなっています。つまり、10億円を相続したという場合、2017年に亡くなった方からの相続だと最高40%の相続税が課せられていたところ、2018年に亡くなった方からの相続では免税になるということです。(右は、課税対象となる相続の際に申告する「フォーム706」)

相続税の免税範囲に関しては、2000年以降は上昇傾向にあり、たとえば2005年には150万ドル(現在の換算レートで約1億数千万円)まで免税だったところ、2010年には500万ドル(約5億5千万円)に引き上げられ、それが2018年の税制改革で倍以上に大幅アップしたわけです。



民主党支持基盤への「報復措置」と取れるものもあります。たとえば、オバマ大統領があれだけ苦労して明文化した医療保険制度への加入義務(the Affordable Care Act mandate)も、トランプ大統領にとっては目障りなものだったようです。「義務(mandate)」の言葉は取り払われ、違反した場合のペナルティーも2019年1月から撤廃されています。



さらに、カリフォルニア州やニューヨーク州といった民主党支持者の多いところは、2016年の大統領選ではトランプ大統領に投票していない。そして、そんな州は、おしなべて住宅価格が高い。そのため、利子控除のできる住宅ローンの上限は100万ドルから75万ドルに引き下げられています。



と、変更点の多々ある2018年度。先日、確定申告の準備のために会計士とミーティングをしましたが、「結局のところ、税金は上がるの?下がるの?」という質問に対して、「あまり変わらないでしょう」という彼女の答えでした。

まあ、どう転んでも、払うべきものは事前に源泉徴収されていたり、源泉徴収できない分は四半期ごとに予測所得税(estimated tax)として国と州に支払ったりしているので、税金が上がっても下がっても、こちらはもう首根っこをおさえられたようなものです。

けれども、学校の先生や看護婦さん、バス・電車や道路清掃車の運転手さんと社会構造を支える方々にとって、今回の税制改革は果たして減税となるのか? という点は、大いに重要な問題ではあります。

今のところ、今年度の国税庁から納税者一人当たりへの還付金は、前年度と変わらないということですが、申告期日の4月15日以降、いろんな不満が湧き起こるのかもしれません。



<ちょっとご注意を>

というわけで、アメリカの確定申告は面倒だというお話をいたしましたが、実は、収入が会社の給与のみで、その他にアルバイトや投資といった収入源がない、または大きな病気や相続というイベントもなかったという場合は、そんなに面倒なことではありません。

今は、「TurboTax(ターボタックス)」などの申告ソフトが整っているので、「計算機片手に徹夜で記入」というのは過去のお話となっていますし、こういったソフトウェア会社は、オンラインで疑問に答えてくれるサービスも提供しています。



そして、控除内容に関しても、大きなイベントがない場合は、基本控除(standard deduction)というのを選択できます。そう、いちいち項目を列記していく控除方式(itemized deduction)ではなく、決められた額を控除できるのです。ありがたいことに、今年度からは基本控除額も倍になっています(独身者で6,350ドルから12,000ドルに、夫婦合算で12,700ドルから24,000ドルに引き上げられました)。

こちらの方が簡素なので、申告者の7割は、基本控除を選択するということです。(だったら、なんのためにサラリーマンを含めて全員が確定申告をしなければならないのか? という疑問は残ります・・・源泉徴収の取り過ぎなのか、はたまた税金会計業界を盛り立てていくためなのか・・・?)



いずれにしても、そんなに恐れることはない確定申告ですが、外国からアメリカに来た人が申告する際、いくつか留意する点があります。ご参考までに、二つ記載いたしましょう。



まずは、アメリカにとって海外(たとえば日本)に銀行口座を持ったり、株式を保有したりする場合、ある一定の額を超えると国税庁に申告しなければなりません。「フォーム8983」と別途財務省に申告する「フォーム114(FBAR)」というものですが、銀行口座の場合は、金融機関の名称や住所、口座番号、年間の最高預金額を記入することになっています。(申告は、通常の確定申告と同じタイミングに行います。申告義務に関しては規定があるので、専門家に相談した方がいいでしょう)



それから、日本を含めた海外での遺産相続について。海外で相続した財産については、アメリカで税を支払う義務はありませんが、報告の義務があるそうです。相続内容の報告には「フォーム3520」を使いますが、たとえば個人から10万ドル以上の価値のある財産を相続した場合は、内容と市場価値(fair market value)を報告するようになっています。(個人から相続した際は1ページ目と「Part IV」を記入するそうですが、詳細については、あくまでも専門家に相談すべきですね)

ちょっと怖いことですが、こちらの報告義務を怠った場合は、「(厳しい)ペナルティーを課す」と国税庁の説明書に列記してあります。



というわけで、アメリカの税金にまつわるエピソードをご披露いたしました。

そもそも確定申告は、英語で tax filing といいますが、tax return とも呼ばれています。「税金が戻ってくる」という意味で return(戻る)なのだと思いますが、なるべくたくさん戻ってきて欲しい! と願うのは、どこの国民も同じでしょうか。



夏来 潤(なつき じゅん)



「いたずら書き」を超えたグラフィティー

前回は「Wash me!(洗ってよ!)」と題して、車に書かれた落書きのお話をいたしました。



泥だらけの車体に「洗ってよ」と指で書く、他愛もないいたずらのことです。



ペンキで書くわけではないので、洗えばすぐに消え去る落書き。でも、世の中には、ペンキで落書きをされて困った事例があふれていますよね。



壁や塀、扉やシャッターに誰かが文字を書いたり、絵を描いたりすることを「グラフィティー(graffiti)」と言いますね。(英語の発音は「グラフィーティー」といった感じで、「フィー」にアクセントが付きます)



こういったグラフィティーは街のあちこちで見受けられ、現代アートの立派な一分野ともなる勢いなのです。



サンフランシスコもグラフィティーの多い街ではありますが、二つに大別されると思うのです。ひとつは、単なる「いたずら書き」。もうひとつは、壁や塀の持ち主に許可を得て描いた「壁画(mural painting)」とも言える壁面芸術。



たとえば、こちらは「いたずら書き」に分類されるものでしょうか。



有名な観光地となっている「チャイナタウン(Chinatown)」。今は空き家となっている建物によじ登って描いたようです。



もしかすると、隣のビルから屋根をつたって降りて来たのかもしれませんが、いずれにしても、空き家の窓に打ち付けられた板が、大きなキャンバスになっています。



この手の落書きには、こんなものもありますね。



白いトラックの車体が、文字で埋め尽くされている例。たぶん、自分のニックネームを書き込んでいるのでしょう。



このような落書きは「タギング(tagging)」とも呼ばれます。タグ(tag)というのは、描いた人の名前のことで、「僕が書いたんだよ!」と自己主張をしているのでしょう。



こちらは、サンフランシスコのダウンタウンで見かけたグラフィティー。許可を得て描いたものだと思いますが、「落書き」と「壁画」の中間といった感じでしょうか。



文字が主体なのでそんな感じがするのですが、よく絵を見てみると、昔のラジカセ(ラジオカセットレコーダー)を肩に担ぐ男性がいたり、ピカピカのダイヤモンドの指輪があったりと、物質文明を描いているのでしょうか。歴史をたどる風俗史とも取れるし、社会への風刺とも取れるし、なかなか意味深ではあります。



いずれにしても、描き手のエネルギーが伝わってくるような、勢いのある「作品」ですね。



こちらは、チャイナタウンのビルに描かれたもの。立派に「壁画」の部類に入るでしょう。



女性と龍(dragon)が描かれていますが、ピンク色の龍が、とっても美しいです。お花も描かれていて、こんな龍だと、どこかで出会ってもあんまり怖くないですよね。



バス停の真ん前なので、バスを待ちながら鑑賞もできるのです。



チャイナタウンでは、壁画の題材としては龍がポピュラーなんですが、こちらにも龍が登場しています。



真ん中は、自由の女神(the Statue of Liberty)でしょうか。右側には、国鳥ハクトウワシ(bald eagle)も描かれていて、アメリカを象徴しているのでしょう。



よく見ると、自由の女神は右手に稲穂を持っていますし、胸元にはかわいい豚も描かれています。これは、中国の食文化を表しているのでしょうか。



「アメリカと中国の血と文化のブレンド。それが、今のチャイナタウンである」と、若手アーティストの主張が表れているようです。



龍と同じく中国らしいモティーフは、鳳凰(Chinese phoenix)でしょうか。



美しく着飾ったチャーミングな女性と色あざやかな鳳凰の羽根が、道ゆく人を釘づけにするのです。背景には、星条旗を掲げるチャイナタウンの建物も描かれていて、祖国ではなく、アメリカに住む中国系住民の心意気を表しているのでしょう。



そう、こういった壁画は、少し離れたところから鑑賞するのがいいですね(目の前を通り過ぎると、作品全体の壮大さに気づかないものなのです)。



一方、こちらは文化の融合といっても、中国とイタリアの融合。



チャイナタウンの北端は、コロンバス通りに面したイタリア街に接していて、この「ノースビーチ(North Beach)」とチャイナタウンは、お隣さん同士。



ですから、コロンバス通りとブロードウェイの角にあるこちらの建物には、チャイナタウンに面した側には中華街を表す絵が、ノースビーチに面した側にはイタリア街を表す絵が描かれています。



どちらも、祖国を旅立った移民が集まって来て、自分たちの街を新天地で築き上げた誇りや、賑わいのあった「古き良き時代」を象徴した図柄のようです。



近頃サンフランシスコでは、街のあちらこちらに壁画を描こうという試みが広がっていて、こういった作品は、コミュニティが厳選したアーティストによって描かれているようです。



昨年サンフランシスコ市には2580万人が訪れ、これまでの記録を塗り替えています。小さい街だけれど、それぞれの区域に特色のあるところ。街歩きで見かける壁画は、「ここは、こんな地区なんですよ」と、訪れる人に雰囲気を味わってもらう役割も果たしているのです。




ところで、グラフィティーに関しては、カリフォルニアでも賛否両論がありますね。



グラフィティーがあるコミュニティは、なんとなく治安が悪そうで、うらぶれて見える。しかも、グラフィティーを描く行為自体が、ティーンエージャーにとって模範にならない。そんな声をよく耳にします。



その一方で、グラフィティーはティーンたちの「心のはけ口」であって、もともと他にスポーツやアートを楽しめる場所があったら、グラフィティーに走ることはないんじゃないか。それに、中には素晴らしい「作品」もあることだし、全否定するのはよくない、という声も耳にします。



わたし自身も「心のはけ口」説には賛成です。



たとえば、こちらは、描き手の「叫び」がひしひしと伝わってくるのです。



「RIP」というのは、Rest In Peace のことで、「心安らかに眠りたまえ」ということ。トミーという友を亡くして、悲しみを抑えられないティーンが描いたのでしょう(サンノゼ市でちょっとした話題になりましたが、作者は不明のままだったようです)。



けれども、だからと言って、許可なく誰かの家やお店に落書きをするのは、決して許される行為ではありません。



そんなわけで、なかなか悩ましい現象ですが、ひとつの解決策として、こんな例がありました。



以前、ドイツの放送局が紹介していた実例で、こんな取り組みだったと記憶しています。



ドイツの田舎に焼き物で有名な街があって、人口の少ない静かな街であるにもかかわらず、都会と同じく若者のグラフィティーに悩まされていました。



そこで、これまでグラフィティーに覆われていた長い壁に、ポーセリンにほどこすような模様を描くことにしたのです。赤やピンクの花や、みずみずしい緑の葉っぱ。誰が見ても、ふと足を止めてしまいたくなるような、かわいらしい図柄を壁面に描いたのです。



すると、さすがに美しい模様の上から落書きすることはためらわれたのか、街を悩ませていたグラフィティーはすっかり影を潜めたのでした。



そう、何も描かれていない長い塀や、単に白やベージュに塗られただけのビルの壁と、つまらない大きなスペースがキャンバスとなってしまうのです。そのキャンバスに植物や風景と「先客の作品」が描かれていれば、誰もそこにグラフィティーを描き加えようとは思わないのかもしれませんね。




というわけで、現代社会では避けて通れないグラフィティーの数々。



こんなものだと、人のためになるでしょうか。



今は営業時間外なので、板塀で囲ってある靴磨き屋さん(shoeshiner)のストール。



ともすると、目ざわりな街の物体となってしまうところを、「ちゃんとしたお店ですよ」と絵で伝えているのです。靴を履く習慣を持つ人なら、世界じゅうどこから来ても、誰でもわかるような図柄ですよね。



まさに、絵は言葉を超える。自前のグラフィティーは、情報を簡潔に伝える「ピクトグラフ(pictograph)」にもなり得るのです。



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