韓国の風景 ~ 宮殿編
ゴールデンウィークのまっただ中、東京から向かった先は、大韓民国の首都ソウル。
初めて訪れる国なので、ちょっと不安は伴いますが、そこは日本の隣人のお国。歴史的に、日本は韓国から学んだこともたくさんありますし、第一、顔や言葉もよく似ているではありませんか。そういう意味では、ヨーロッパや中近東を訪ねるのとは印象が違いますね。
それに、ソウルは東京みたいに安全な街と見受けられるので、歩いていても不安な気持ちになることはありません。
さて、特別市ソウルは、朝鮮王朝時代(1392年~1910年)に首都とされた所ですので、歴史的建造物がたくさんあります。中でも、五大宮殿と称される5つの宮殿(景福宮、昌徳宮、昌慶宮、慶熙宮、徳寿宮)のうち、現在はかなりの部分が修復されていて、当時の王族の生活を垣間みることができます。
残念なことではありますが、いずれの宮殿も、16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した文禄の役(壬辰倭乱、じんしんわらん)と慶長の役(丁酉倭乱、ていゆうわらん)で消失したり、1910年の日韓併合条約による韓国と日本の併合時に破壊・移転されたりと、建造当時の建物はほとんど残っていないそうです。けれども、それをひとつひとつ復元工事していって、現在の姿にまで戻しているのですね。
そのうちの3つを訪れてみました。朝鮮王朝最初の宮殿である景福宮(キョンボックン)、景福宮の離宮として第3代太宗が建造した昌徳宮(チャンドックン)、そして王朝末期の政治の舞台となった徳寿宮(トクスグン)です。
景福宮(キョンボックン)は、王朝最初の宮殿であっただけのことはあって、建物も壮大ですし、中国の影響が一番色濃く残っているような気がいたします。たとえば、王様だけが通れる龍の階段だとか、屋根の上にのった三蔵法師のご一行様などは、中国の王宮とまったく同じ装飾様式です。
龍の彫刻も三蔵法師の瓦もともに王の権威を表すものではありますが、おもしろいもので、三蔵法師に続く動物の数が多ければ多いほど、その建物にはより高い位の方が住んでいらっしゃるという意味なのだそうです。
一方、景福宮の離宮として建てられた昌徳宮(チャンドックン)は、現在はユネスコの世界遺産に登録されている宮殿ですので、その美しさは五大宮殿の中でもぴか一ではないでしょうか。
ソウルに旅する前に、現地の方にどこに行ったらいいでしょうかとアドバイスを求めると、まず挙げられたのが、この昌徳宮でした。緑豊かな庭園や池に映える建物がとても美しく、この方も一番好きな宮殿であると力説なさっていました。
ゴールデンウィーク中はソウル市内も気候が良く、目の覚めるような新緑やツツジ、芍薬(しゃくやく)などの美しい花々に囲まれるので、昌徳宮を訪れるのには最適な時期ではないでしょうか。
朝鮮王朝第9代の成宗が王家の私邸として建てた徳寿宮(トクスグン)は、壬辰倭乱で消失したあと、私邸から行政の場と変身したようです。こちらは、昔ながらの宮殿とともに、韓国初の西洋建築となる石造殿が立ち並び、東洋と西洋がうまく混在した空間となっています。庭園も美しく整備されていて、広い園内は市民の憩いの場でもあるようです。
ここで忘れてはならないのが、門を守る衛兵の交代の儀式(王宮守門将交代儀式)です。一日に3回行われるそうですが、わたしたちは何も気にせずに庭園を散策していると、何やら太鼓の音がこだましてくるではありませんか。そう、ちょうど一日の最後となる3時半の儀式が執り行われようとしていたのです。
太鼓の音につられて、あわてて正門へ駆けつけてみると、まさに門の外へ出て行こうとする衛兵の隊列に出くわしたのでした。みなさん、色とりどりの古風な軍服を付けて、とても美しいのです。
間もなく、門の外には衛兵が整列し、ドンドンと太鼓が打ち鳴らされ、門の鍵が入った箱を後任に引き渡す儀式が執り行われます。そして、儀式が無事に終わったことを告げるのは、黄色の軍服に身を包んだ賑やかな鼓笛隊。見物人の目の前を通り、門の中へ入って行きます。
儀式はごく短いものではありますが、韓国の王朝時代を肌で感じるには、まさに最適なものなのでした。
どうやら地元っ子でも、この儀式を観たことのない人は多いようですので、観光客の特権として、ぜひご覧になってください。
そうそう、儀式が終わったあとは、兵隊の方たちと写真撮影ができるようになっていますので、こちらもどうぞお忘れなく。