スイスの思い出 ~ マッターホルン
先日、「お兄ちゃん、お姉ちゃん」というエッセイを書いていたら、以前スイスへ旅行したときのことをご紹介したくなりました。スイスは、姉が長く住んでいる所ですので、ご紹介しておかないと姉にちょっと悪いかなと思いまして。
かの地へ旅行したのは、かれこれ6年前の2003年8月ですが、この年はヨーロッパ全体が異常気象に見舞われ、灼熱の夏となりました。フランスでは、高齢の方を中心に何万人と亡くなったそうですが、隣国のスイスやドイツでも、かなりの被害が出たのではないでしょうか。
もともと涼しいスイスでは、エアコンのない家がほとんどだそうなので、急に暑さに見舞われても対応のしようがないようです。だって、スイスといえば、雪を頂くアルプスと涼しい高原、そして草原にのびのびと放牧される羊やヤギのイメージですものね。
けれども、エアコンがあったにしても、このときは焼け石に水だったのかもしれません。ヨーロッパ全体が電力不足に落ち入って、頻繁に停電があったようですから。北欧だって暑かったので、他国に電力を供給することもできなかったそうです。
そんなこんなで、北欧からスイスのバーゼルに到着したときには、その暑さにびっくりでした。え、ここがスイスなの?と。だって、この日は、摂氏39度の猛暑でしたから。
写真で見ると、空はどんよりと曇っているようですが、これはこれで熱がこもって、なかなか暑いのです。湿気もかなりありますしね。カリフォルニアに住む身には、夏の湿気は大敵なんです。
そして、バーゼルからマッターホルンのお膝元であるツェルマットに到着すると、もっとびっくり。だって、標高1600メートルの地で、ほぼ30度の気温なんです!
いやはや、この夏は、ほんとに異常でした・・・。
というわけで、ちょっと地理のお話をいたしましょうか。
ご存じのとおり、スイスはかなり小さな国ですが、バーゼルという街はスイスの北端にありまして、ちょうどスイスの北に位置するドイツと、北西にあるフランスと3国が交わるところにあります。
おもしろいことに、バーゼル空港にはスイス側とフランス側がありまして、バスに乗っていると、途中でひょっこりと国境を超えました。バーゼルの街中には、ドイツに属する鉄道駅もありましたっけ。
姉はよく、自転車に乗ってフランス領に入り、そこのレストランでおいしいディナーを堪能するそうです。海に囲まれた日本では、ちょっと想像できない芸当ですよね。
一方、名峰マッターホルンはスイスの南端にありまして、イタリアとの国境線上にあります。ですから、バーゼルからマッターホルンに向けて列車で行くと、スイス全体を北から南に縦断することになりますね。
バーゼル駅では、ドイツのドルトムント始発の高速列車に乗って、3時間後にはスイス南のブリークに到着。そこからローカル列車に乗り換えて、目的地のツェルマットへ。全体でかれこれ5時間の行程でしょうか。
ところで、このローカル線がくせものなんですよ。なぜって、高山病にかかりやすいわたしは、目的地のツェルマットに近づくにつれて、だんだんと空気が希薄になるのがわかったから。
ツェルマットの街は標高1600メートルにありますが、列車が1500メートルを超えた頃でしょうか、だんだんと呼吸が辛くなって、おしゃべりもしたくなくなりました。
そして、ツェルマット駅に到着すると、何はともあれ、薬屋さんを探します。小型の酸素ボンベを買おうと思いまして。
ところが、銀色に輝くスリムな酸素ボンベが棚の上に見えているのに、店員さんが女性客につかまっている! 「この化粧水はどうかしら?」とか、のんびりとおしゃべりしているのです。よっぽど割り込もうかと思ったとき、ようやく女性客が立ち去り、めでたく酸素ボンベをゲット。
その日は、辛くなってくると、ときどきボンベから酸素を吸って、無事にしのぐことができました。道行く人には、じろじろと好奇の目で見られましたが。
この酸素の甲斐あって、翌日、ゴルナーグラート登山鉄道に乗って、わずか40分後に展望台に到着しても、もう大丈夫。標高3089メートルの展望台からは、名峰マッターホルンを満喫できましたし、ちょっと下のリッフェルベルグの駅までハイキングもできました。
まさに酸素は偉大なのです!
それにしても、マッターホルン周辺の風景は、まるで絵ハガキから飛び出してきたようですね。近年の温暖化の影響か、ちょっと地肌が見えているところもありますが、雪を頂く山々の連なりは、荘厳のひとことです。
もちろんマッターホルンも美しいのですが、わたしの一番のお気に入りは、スイス最高峰のモンテローザ。展望台からは、すぐ真ん前にそそり立っています。
普段なら、何ということもない山なのかもしれませんが、この日は、山頂から雲が立ち昇り、その純白の固まりが絶えず形を変えながら、ゆっくりと流れて行くのです。きっと一日中見ていても飽きないなぁと、この景色に釘付けになってしまいました。
じきに「もう行くよ!」と姉と連れ合いに促されたのですが、それが非常に残念で、今でも心残りに感じているくらいです。そう、スイスでは、もっとモンテローザを眺めていたかったと。
そんな風に、山頂付近はカラリと晴れ上がったお天気でしたが、その日の午後、ホテルに戻って来ると大雨になりました。近くを流れる川がまたたく間に白濁し、あふれんばかりに水かさを増して、恐ろしいくらいでした。
あんなに高い山々から流れ落ちる水ですから、さぞかし量が多いのでしょう。
夕方には雨も上がり、街を散策する時間となりましたが、高台に登ってみると、雨上がりのツェルマットには、教会の鐘がカランコロンと響き渡っていました。
湿気を含んだ暖かい空気を通してみると、鐘の音が手で触れるほどに、はっきりと聞こえてきたのでした。まさに、荘厳な山々に囲まれた古い街並には、似つかわしい音の色でした。