スイスの思い出 ~ ルツェルン湖
前回に引き続き、スイスの思い出を語ることにいたしましょう。
スイスの北端の街バーゼルから、南端にあるマッターホルンへ足を伸ばしたあとは、スイスの真ん中を訪ねました。ここには、マッターホルンほど名高い、ルツェルン湖があるのです。
マッターホルンのお膝元のツェルマットからは、まずは、氷河急行に乗り込みます。この氷河列車は窓が大きいし、天井も窓になっているので、周辺の高い山々を覆う氷河を、座席に座ったままで楽しめるようになっているのです。だから、その名も氷河急行(Glacier Express)。
午前10時過ぎにツェルマットを出た列車は、3時間ほどでアンデルマットに到着します。そこで氷河急行にさよならして、ローカル線に乗り換えました。
そのまま乗っていると、スイスの東側にあるサンモリッツやダヴォスへ連れて行ってくれるのですが、わたしたちは、アンデルマットから北に向かわなければなりません。快適な列車を降りるのは心残りでしたが、仕方がありませんね。
アンデルマットでローカル線に乗ったあとは、すぐにゲーシェネンで降りて別の列車に乗り換え、そのあともう一度、アルトゴルダウで乗り換えます。
アンデルマットもゲーシェネンも、まわりは高い山々に囲まれ、それこそ山岳地帯を縫うような行程です。
アルトゴルダウからは、南のイタリアから来た列車に乗り込みます。さすがにイタリアから来ただけのことはあって、車内にはイタリア語が頻繁に飛び交っています。それまではドイツ語ばかりだったので、まるで異次元の空間に迷い込んだようでした。
こんな風に、スイスを通る列車はかなりコスモポリタンなので、車掌さんは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語の4カ国語が必修なんだそうです。
そのうちに、列車は平地を走るようになり、窓の外にはエメラルド色の湖が見えてきます。どうやら、目的地のルツェルン湖に近づいたようです。
ルツェルン駅に到着すると、それまでの古式ゆかしい建物とは打って変わって、近代的な造りです。天井には、ルツェルン湖周辺のカントン(州)の旗がずらっと掲げられています。
牛の顔は、ウーリ州。十字のマークは、シュヴィーツ州。ルツェルン湖は細長くて、とても大きいので、その他に、ルツェルン州とウンターヴァルデン州が隣接しているそうです。
ルツェルン湖のまわりは、中世の頃から商業都市として栄えたそうですが、その後、風光明媚な景色を目当てに、画家や作曲家、文豪と、数々の芸術家が好んで訪れたのだそうです。
以前、「初夢の調べ」というエッセイでもご紹介したことがありますが、ロシアの作曲家ラフマニノフが、名曲『パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43』を生んだのも、このルツェルンの湖畔でした。
そんな歴史のある街ですので、旧市街は昔のままに美しく保存されていますし、湖上から眺める街並にも格別なものがあります。
駅近くの船着き場では、姉のダンナさまとも合流しました。バーゼルからはそれほど遠くはないし、スイスで育った彼はルツェルン湖が大好きなので、マッターホルンはスキップして、こちらで合流することになったのです。そして、みんなでさっそく遊覧船に乗り込みました。
大きなルツェルン湖には、船の停留所がたくさんあって、わたしたちは船着き場からほど近く、ビュルゲンシュトックの麓で船を降りました。ここで登山電車に乗り換えると、山のてっぺんにあるビュルゲンシュトックの街まで連れて行ってくれるのです。
ここはルツェルン湖を一望にできる名所なので、山の上にはホテルの集落ができています。普段だったら、思う存分湖を眺められるのでしょうけれど、この日は、あいにくのお天気。どんよりと曇って、湖面の色も冴えません。
その代わり、予約もなく駆け込んだ老舗のパレスホテルでは、半額の値で泊まれることになりました。姉と旅をすると、いつも予約なしの行き当たりばったりなのですが、たまには良いことにも出くわすのですね。
その晩、夕食も終わる頃には、何やら急に怪しい雲行き。部屋に戻ると、さっそく大粒の雨が落ちてきて、雷はゴロゴロ、稲妻はピカピカ。
けれども、遠くに落ちる稲妻がなんとも美しいこと! 黒雲の合間から落ちて来ては、はるかかなたに次々と着地する。そのさまは、まるで天が織りなす自然のスペクタクル。湖の眺めは冴えない代わりに、稲妻のお膳立てに大満足したのでした。
翌朝は、なんとか雨は上がったものの、空はやっぱりどんよりとしています。けれども、この日は、登山鉄道にゆられて、ピラトゥス山に登るのです。
ビュルゲンシュトックからは、またルツェルン湖の遊覧船に乗って、ピラトゥス山の麓で下ります。そこから登山鉄道が出ているのです。
こちらの鉄道は世界で一番の急勾配というだけあって、やはり迫力は満点なのです。45分の行程も、「すごいね~」を繰り返して、あっと言う間に終わってしまいました。
2100メートルを超えるピラトゥスの山頂からは、下界は雲って何も見えません。それに真夏とはいえ、山は寒い。北欧に持って行ったセーターを荷物に入れておくのだった、と後悔しても遅いのです。
そこで、ちょっと暖まりましょうと、レストランで腹ごしらえをいたしました。ついでに、ワイングラスを傾けながら、ワインを愛する義理の兄の講釈もいただきました。が、悲しいかな、カリフォルニアの人間には、ヨーロッパのワインはぜんぜんわかりません!
というわけで、お腹もふくれたことだし、そろそろピラトゥス山の逆側に下りて、ルツェルン駅からバーゼルに向けて帰ることになりました。こちら側からは、登山鉄道ではなく、ロープウェイとゴンドラを乗り継いで下界に下りることができるのです。
ロープウェイもゴンドラも、鉄道と同様かなりの急勾配なのですが、さすがに山裾まで下りて来ると、家が建ったり、牛が放牧されていたりと、人の生活のにおいがしてきます。
そこで、おもむろに兄が言うのです。自分が子供の頃は、毎年この斜面にある小さな家を借りて、家族で夏を過ごしていたものだよと。
そこからはルツェルン湖が望めるそうですが、その思い出の家を懸命に探していた兄は、「あ、まだある!」と、嬉しそうに報告してくれました。何年経っても、まったく変わらない。それが、スイスの良さでもあるようですね。
子供の頃は、何の道具も使わずに、ピラトゥス山の険しい岩肌をホイホイと登っていたそうですが、そんな甘酸っぱい思い出がいっぱいあるから、兄にとっては、ルツェルン湖やピラトゥス山は、心の中の特別な場所を占めているものなのでしょう。
ゴンドラの中にも聞こえてきた牛さんたちのカランコロンという鈴の音が、アメリカに戻ってからも、いつまでも耳に残っていたのでした。