I apologize(謝ります)
なんだか僕は、「お母さん」になったような気がする、と。
え、お父さんじゃなくて、お母さんなの? と聞くと、そうだと言います。
なんでも、子供のケンカを仲裁する「お母さん」になった気がしたそうですが、その理由は、自分のスタッフのもめ事を仲裁しようとしたから。
いえ、スタッフといっても、シリコンバレーで何年も勤めているベテランの方々なんですよ。
ひとりは製品担当副社長、もうひとりはマーケティング担当副社長。そのふたりが、会社の方針についてメールのやり取りをしていて、だんだんとエスカレートしていって、いつの間にやら言葉の応酬になったんだとか。
だから、それを脇で見ていた(読んでいた)連れ合いが間に入り、みんなで電話会議をして、心にあるものをぶちまけて、その場で事をおさめようとしたのでした。
そう、近頃、シリコンバレーの新しい会社は、自宅で仕事をする「テレコミューティング(telecommuting、在宅勤務)」が主流なので、普段のコミュニケーションはメールでやり取りをして、みなさんが一堂に会するのは電話会議(conference call)。
だって、建築業界のように有形のものをつくっているわけではないので、パソコンやウェブカム、WiFi(無線LAN)があれば、どこにいたって仕事はできるのです。
そんなわけで、わたしにもその電話会議の一部始終が聞こえていたんですが、なるほど、さすがにベテランの方々だけあって、落ち着いて、論理的に話し合いを始めます。
そして、結局のところ、自分は相手を「ダメだ!」と攻撃しているのではなく、方針や視点や立場の違いは若干あるものの、互いに密に協力していかなければならない、という共通の理解(mutual understanding)に落ち着いたのでした。
まあ、ひとりが昔からいて、もうひとりが来たばかりだったので、昔からいた製品担当の方にとっては、自分の立場が脅かされているような気分にもなったのでしょう。
そんな中、お相手のマーケティング担当がおっしゃった言葉が、ひどくわたしの耳に残ったのでした。
I apologize if I have offended you in any way
(もしもわたしが、あなたを怒らせるようなことを言っていたのだったら謝るわ)
なるほど、彼女は、自分の言葉で相手を怒らせて(offend)しまっていたのではないかと思い当たり、相手に謝っている(apologize)のですね。
この if I have offended you in any way というは、謝るときの慣用句です。
「どんな状況であっても、あなたを怒らせてしまったのだったら(謝ります)」という意味です。
ここで I apologize の代わりに、I’m so sorry を使うこともできますね。
I’m so sorry if I have offended you in any way
(もしも僕がきみの心を荒立たせていたんだったら、ほんとにゴメン)
そんなわけで、仕事の場にしたって、デートの場面にしたって、「謝らないといけないな!」と感じたら、素直に謝った方が、手っ取り早く仲直りできますよね。
とくに職場でみんながイライラしていて、オフィスの雰囲気がとげとげしかったら、楽しく時間を過ごせないですものね。なにせ、多くの人にとっては、起きている時間の大部分は職場で過ごすのですから。
職場のトゲトゲなんて、世界じゅうどこでも起きることで(それは人間社会の宿命であって)、アメリカでも、職場の問題は日常茶飯事です。
ですから、「相手に謝る」だけでも、いろんな「術」があるみたいで、先日、こんな記事が載っていました。
相手と気まずい雰囲気になってしまったら、まずは相手の身になって考えること。
Put yourself in someone else’s shoes
(他人の靴をはいてみる、つまり、相手の身になってみること)
なぜなら、相手の身になって考えることと、相手に対して怒ることを同時進行できる人はいないから。
たとえば、上司が部下をミーティングで激しく責めたばっかりに、部下が怒って会議室を出て行ってしまった場合。
みんなの前で You’re an utterly useless human being!(お前なんて、まったく役に立たない人間だ!)とののしられたら、いったいどんな気になるのか、上司は部下の身になって考えること。
そして、部下の方は、上司がどんな気分で自分を責めたのか考えてみること。
多くの場合、He’s under huge pressure to get our numbers up(上司は成績を伸ばせと上からプレッシャーをかけられ)and it’s stressing him out(ストレスでおかしくなりそう)な状況にあることがわかるでしょう。
そうやって、互いに相手の身になって考えてみたら、だんだんと落ち着いてきて、I was wrong(僕は間違っていた)と、自分の非を認められるようになるでしょう、と。
これは、3月中旬、ハーバード・ビジネスレビュー(Harvard Business Review)に掲載されていた記事で、ビジネス界で活躍する精神科医マーク・ゴールストン(Mark Goulston)氏が書いたものです。
さすがに、精神科医が書かれたものだけあって、実例を使って、わかり易く解説していらっしゃいましたが、ここでひとつ痛感したのでした。
相手の身になって考えることは、「仲たがい」の場面に限らず、いつでも頭の隅に置いておいた方がいいのかもしれないなと。
だって、相手の身になって考えてみると、違った角度からモノが見えて、自分の視野だって広がるし、案外、自分のためになるかもしれないでしょう。
だとすると、たまに心の中で誰かさんに対して腹を立てることも、そんなに悪くはないのかな? とも感じるのです。だって、腹立たしくなったら、どうしたらこの状況から抜け出せるかって、いろいろ考えたり、工夫してみたりするから。
こういうのを a blessing in disguise とも言いますね。
最初は不幸に化けている(in disguise)ことでも、あとで振り返ってみると、大吉(a blessing、幸せを運んでくるもの)であることが往々にしてある。