One for all, all for one(ひとりは万人のために)
ちょっと前に、「All or nothing(一か八か)」というお話をいたしました。
「すべてか無か」
コンピュータ風に言うと、「1か0か」
つまり、まったく妥協を許さないような「一か八かの賭けだ!」みたいな、「きみのすべてで愛してくれないなら、きみの愛なんて欲しくない!」みたいな、ある意味、やけっぱちの含みのある表現でした。
それで、あるニュースを観ていて、これって、まさに All or nothing を絵に描いたようなものだなと思ったことがありました。
それは、ニューヨーク州ブルックリンにある、有機食材をつかったレストランEat(イート)。
なんでも、ここでは、食材の味を100パーセント味わってもらうために、食事中は一切おしゃべりをしてはいけないんだとか。
おしゃべりどころか、スマートフォンをいじったりもできないルールだそうですが、中には、どうしても間が持てなくて、こっそりとメールをチェックするお客さんもいるみたいです。(Photo from CBS New York news clip, October 11, 2013)
このルールは、週に一回、4品コースのディナー(4-course prex fixe menu)に適用されるようですが、発想は、シェフのニコラスさんの学生時代の経験。
インドの仏教修道院を訪れたとき、朝食は「沈黙の業」で食べていたのがヒントとなったとか。
でも、いくら「沈黙は金(Silence is golden)」とはいえ、食事の楽しみのひとつは、おしゃべりだと思うんですよ。
「まあ、これっておいしいわよ、ちょっと食べてみて」「あら、じゃあ一口いただくわね」と感動を分かち合うのも、食事を愛(め)でるひとつのあり方でしょ?
ま、おしゃべりの場合は、「適度に許す」なんてことができないので、ついつい All or nothing(おしゃべりを許すか、許さないか)の両極端になってしまうのでしょうけれど・・・。
というわけで、いきなり話がそれてしまいましたが、今日の話題は、all(すべて)。
この all を使った表現は、英語にはかなり多いですが、その中でも有名なのが、こちら。
表題にもなっている One for all, all for one 。
訳して、「ひとりは万人(すべて)のために、万人はひとりのために」。
言うまでもなく、one はひとり、all は万人(すべての人)という意味ですね。
ひとりはみんなのためにあり、みんなはひとりのためにある。
それで、言葉は簡単で、よく使われる表現なんですが、これに対する「思い入れ」は、ちょっとスゴいんですよ。
こちらは、もともとラテン語で Unus pro omnibus, omnes pro uno というそうですが、17世紀初め、神聖ローマ帝国下のボヘミア(今のチェコ共和国)で起きたカトリックとプロテスタントの抗争で使われたのが、文献に残っている最初の例だとか。
この抗争は、のちにヨーロッパ全土を巻き込む三十年戦争(1618-1648)の引き金となったものですが、プロテスタントの指導者がプラハ城で開かれたカトリックとの会見時に、こんな手紙を読み上げたそうです。
「彼ら(カトリック)が我々(プロテスタント)に対して死罪を行使しようとするならば、たとえ命や手足、名誉や財を失ったとしても、ひとりは万人のために、万人はひとりのためにと心に刻みつけ、一致団結して彼らに立ち向かうことを誓うものである」
この手紙が読まれたあと、カトリック王の使者5名がプロテスタントのメンバーに城の3階の窓から投げ落とされたそうですが、5人は奇跡的に助かったとか。
カトリックは「まさに神のご加護だ」と誇らしげに言い、プロテスタントは「階下に馬の肥やしがあったからだ」と揶揄する出来事となりました(第二次プラハ窓外投擲(そうがいとうてき)事件、the Second Defenestration of Prague)。
そんな歴史的背景のある One for all, all for one 。
文字通り、「ひとりは万人のために命を賭(と)して頑張る」という意味の言葉ですが、その後、アレクサンドル・デュマの新聞連載小説『三銃士(Three Musketeers)』(1884年)で一躍有名になったそうですね。
三銃士がモットーとしたのが、One for all, all for one 。
時はルイ王朝、相手はフランス宰相の護衛隊。三銃士にとっては、多勢に無勢。
そんな中、みんなで一致団結して相手に立ち向かうぞ! と自身を鼓舞するモットーでもあり、たったひとりが欠けても三銃士とはいえない! と連帯意識を呼び覚ますモットーでもあるのが、One for all, all for one 。
小説『三銃士』は、いろんな映画にもなっていますが、三銃士の「その後」がモチーフとなった映画『仮面の男(The Man with the Iron Mask)』(1998年)にも、このモットーが登場します。
若き王ルイ14世の双子の弟でありながら、仮面をかぶせられた捕われの身フィリップ(レオナルド・ディカプリオの二役)。
フィリップが牢獄から助け出され、銃を構える王兵に立ち向かおうと、フィリップと三銃士、銃士隊長ダルタニアンが剣先を合わせて誓うのが、One for all, all for one 。
無謀にも、銃弾の嵐に飛び込む5人ですが、硝煙が消え去り、静けさが戻ると、ダルタニアンとフィリップの関係が明らかにされるのです。
最後のシーンでは、ダルタニアンが鍛えた銃士隊の精鋭が One for all, all for one! と剣を上げ、勇敢な三銃士に敬意を表するところで、映画は幕を閉じます。
そんなわけで、「ひとりは万人のために、万人はひとりのために」。
イギリスでも、第二次世界大戦のときに国民一致団結のスローガンとなりましたが、どちらかというと「無理矢理に自己を犠牲にしろ」というのではなく、「自ら進んで他のために働く」という含みのある言葉でしょうか。
同胞であっても、スポーツチームであっても、家族であっても「運命共同体」であることに変わりはありません。
そういう意味では、One for all, all for one の精神を分かち合っている、と言えるのではないでしょうか。
付記: 文中に出てきた映画『仮面の男』は、エンターテイメント性の強い作品ですので、ご覧になってみると、かなり楽しめると思います。まだういういしい感じのレオナルド・ディカプリオさんは、王さま役にふさわしい気もいたします。
映画『三銃士』の方は、今まで5作品ほどリリースされているようですが、わたしにとっては、感慨深いものがあるのです。と言いますのも、アメリカに来てすぐに無料の映写会があったので観に行ったのですが、「英語がほとんどわからない!」とフラストレーションを覚えた記憶があるからです。
調べてみると、1973年リリースの『三銃士』で、リチャード・チェンバレンさんなど有名な俳優が起用されているようですが、なにせ、英国流の発音で、古語のような言い回しがたくさん出てきたので、当時の理解をはるかに超越していたのでした。
さすがに今は、英国のアクセントにも、古い表現にも少しは慣れているので、理解できるのではないかと思いますが、そう考えてみると、映画というものは、英語の成長の度合いが計れる「ものさし」みたいなものかもしれませんね。