No pain, no gain(痛みがなければ、前進はない)
今日のお題は、No pain, no gain
文章ではなくて、単語を二つつなげた、ごくシンプルな表現。
けれども、シンプルだからって油断してはいけません。なぜなら、No pain, no gain は、アメリカではとっても有名なモットーのひとつだから。
最初の no pain は、「痛みがない」。
次の no gain は、「進展がない」。
つまり、「痛みを伴わなければ、前進(進展)はない」という意味です。
そう、gain という名詞は、努力の末に手に入れた、好ましい結果。つまり、前進とか進展とか伸びとか、自身で勝ち取った好成績のことです。
まあ、「痛みがなければ、前進はない」とは、かなり厳しいお言葉ですが、この表現は、よくスポーツに使われます。
体が痛くなるほど練習に練習を重ねて、初めて前進があるといった感じ。
たとえば、学校で初めて逆上がりを練習するとき。ハードルをいくつも飛び越えて、自己ベストを更新したいとき。
そんなとき、手に血がにじんでいても、ひざ小僧をすりむいていても、まったく気づかないくらいに、練習に没頭するでしょう。
そうやって努力したら、何かしら進展が見られるものなので、少々無理をするのは良いことであって、逆に、痛みを伴わない程度の練習なら、何にもなりませんよ、というモットーなのです。
アメリカ人は、このモットーが大好きです。Motto(モットー)と言うよりも、mantra(マントラ:お経、みんなが繰り返し唱えるスローガン)と言った方がいいかもしれません。
何かを上手になりたかったら、歯を食いしばってがんばれ! それが、多くのアメリカ人の理想とするところなのです。
それで、どうして No pain, no gain のお話をしているのかというと、先日訪れたハワイ諸島のマウイ島で、不思議なものを目にしたからです。
なんと、「望痛」という漢字が刻まれているのです!
「痛みを望む」とは、日本語で考えると、なんともヘンテコリンな表現ではありませんか!
それを見て、連れ合いとふたりで「あれって、本人はちゃんと意味を理解して書いてもらっているのかなぁ?」と話したのでした。だって、入れ墨って、あとで消したくても簡単には消せないから、きちんと考えてデザインしたいでしょう?
けれども、旅行から戻って、ふと気がついたのでした。もしかしたら、あれは、No pain, no gain をもじって、自分から「痛み(pain)」を望んでいる、と表現したかったのではないか? と。
つまり、痛みだって喜んで享受し、それを前進のバネにしよう! という心意気の表れだったのかもしれないな、と。
だとすると、「望痛」という二つの漢字に、彼女なりの No pain, no gain の精神がうまく反映されているのかもしれない、と思い直したのでした。
痛みは喜んで享受しようではないか。
「練習(practice)」を使った英語の表現には、こういう有名なものもありますね。
Practice makes perfect
練習によって、完璧になる
こちらも、練習を積み重ねることは大事ですよ、という有名なモットーです。
そこで、ふと思い出したことがありました。
2、3年前、プロゴルファーの石川遼選手が試合後のインタビューで答えた中に、あれ? と思ったことがあったのです。
彼は、もう少しで優勝争いに食い込めたトーナメント全体を指して、こう表現したのでした。
It was a good practice for me
僕にとっては、いい経験(修練)になりました
それで、あれ? と違和感を覚えたのは、こういう場合は practice という言葉は使わない方がいいんじゃないかと思ったからでした。
Practice という言葉は、あくまでも「練習」であって、トーナメント「本番」を指す言葉ではありませんので、もしも「いい経験をさせてもらった」と表現したいのなら、たとえば、こう言えば良かったのではないかと。
It was a good learning experience for me
僕にとっては、勉強させられる良い経験になりました
あれ? と思った背景には、「本番」を practice と表現するのは、死に物狂いで試合をしている他の選手に対して少々非礼になるから、という事情もあったのでした。
もちろん、石川選手の言いたかったことは視聴者全員に伝わったとは思いますが、もっとスムーズに伝えるには、べつの表現もあったかもしれないなと思った次第です。
というわけで、今日のお題は、No pain, no gain
筋肉が痛くなる程度の練習ならいいですけれど、無理をし過ぎて体をこわさないように注意したいものですね!