チェンバロの響き
お友達の娘さんが発表会だというので、聴かせていただこうと、パロアルトにある教会に出向きました。
娘さんは、チェンバロをなさっているのです。
ピアノを弾く人は多いけれど、チェンバロを弾く人って、珍しいですよね。わたしなどは、演奏を生で聴いた記憶はないし、楽器を近くで見たのも初めてです。
もちろん、CDなんかでチェンバロの音はよく知っていますが、生で聴くと、録音以上に美しい音色なのです。
もっと細やかな表情のある、繊細な音色。
それに、楽器自体が、芸術品のように美しい。
この演奏会は、もともとピアノの発表会。チェンバロ演奏なんて、このお友達の娘さんただひとりです。
会場の教会の講堂には、ピアノはあるけれど、チェンバロなんてありません。だから、お友達がわざわざ自宅から運んでくるのです。
普通、チェンバロという楽器は、ピアノを何年かやって、それから転向するものなんだそうです。でも、父親であるお友達がフルートの名士だったことと、彼の家にはチェンバロしかないということで、先生もチェンバロの弟子として採ってくれたそうなのです。
娘さんの発表会での演奏も、もう4回目だそうで、人前での演奏にも慣れているご様子。
堂々とした演奏で、その品のいい音色と古式ゆかしい旋律を楽しませてもらいました。
とても心地いいので、できればもっと長い曲にしてほしいと思ったくらい。
他の生徒さんたちも、自分たちの演奏をとても楽しんでいたような印象でした。
みんな2週間前に曲目を決めたばかりで、必ずしも練習期間は充分ではなかったようですが、それでも、そんなことにはめげず、曲づくりがとてもお上手でした。
そう、アメリカ人の子供たちの演奏を聴いていると、いつも思うのです。
それは、日本人の子に比べて、ミスタッチは多いし、テンポも必ずしも正確ではありません。それでも、ちゃんと歌になっているのです。
自分はこう弾いてみたいっていう意志がはっきりわかる。だから、聴いている方も、気持ちよく、楽しく聴けるのかもしれません。
大きな子達は、お馴染みのクラシックの曲が多かったけれど、小さい子の中には、映画の主題歌、ヘンリー・マンシーニの「ピンク・パンサー」っていうのもありました。
パンチの効いた低音で始まる曲、それが、なかなかさまになっているのです。
自分自身のことを振り返ってみると、子供の頃は、言われた通りに弾くのに必死でした。それに、課題の中には嫌いな曲もあるものだから、しぶしぶ弾いていた事もありました。そんなのでは、「歌う」って気持ちになれないですものね。
この小さな演奏家たちが集まる、マリオン先生の発表会。次回は、ロシア音楽を特集するそうです。
ところで、最近、ハーモニカを手に入れました。いえ、自分で買ったのではなく、連れ合いが景品でハーモニカを選んだのです。
でも、家に届くと、それはもうわたしの物。
嬉しくなって、すぐに吹き始めました。
ハーモニカって、小学校の頃にやりましたよね。ぜんぜん覚えていないかと思ったのに、スラスラとハ長調の音階が吹けるのです。
レとファとラとシは、息を吸うんですよ。覚えてますか?
すぐに何かを吹こうと思って、自然と出てきたのが「チューリップ」。そう、咲いた、咲いた、チューリップの花がという歌。
それから、「七つの子」。カ〜ラ〜ス、なぜなくの?っていう野口雨情の詞の歌。
そして、海は広いな、大きいなぁの「海」。
多分、小学校では、こういう曲目をやっていたのでしょうね。
もう長年やってないのに、どうして覚えてるんでしょうね。「三つ子の魂百まで」とか「スズメ百まで踊り忘れず」って、ほんとのことなんですね。
昔の歌集を引っ張り出して、ハ長調に変調しながら、次から次へと吹いてみましたよ。
「花」、「夏の思い出」、「赤とんぼ」、それから「幸せなら手をたたこう」。
音楽理論なんてまったくわからないのに、こういう変調はなぜかできるんですよね。
そして、思いました。チェンバロしかり、ハーモニカしかり、新しい楽器もいいなって。
とくに、ハーモニカって簡単に持ち運べるでしょ。だから、外国に持って行って、日本の曲を吹いてあげられるかもって。
7月にトルコに行くんです。だから、そのときに、ハーモニカを持って行こうかな、とただいま思案中です。でも、その前に、ちょっと練習しなくちゃいけませんね。