イスタンブールに悪徳タクシー出現!
ふ~ん、この国はそんなものかと、そのまま黄色いバスソルトを入れ、お湯につかってみる。終わって見ると、タオルは見事なまでにオレンジ色に変色してる・・・
イスタンブールの朝は、そんな風に始まりました。
いえ、イスタンブールの水道水が茶色いわけではありません。単に、水道管がサビていただけの話です。
ちょっと使わないと、すぐにサビる。そんなことは、ヨーロッパあたりでもよくあることだそうで、いくらか水を流せば、すぐに解決するのですね。
イスタンブールは、トルコ最大の街。ここは、首都アンカラよりも大きな街で、大層な活気があります。
東西に広がるトルコの西の端に位置し、海の要所として栄えた街です。エーゲ海から黒海に抜ける途中にあって、ヨーロッパとアジアを結ぶ接点とも言われています。
コンスタンティノープルという、昔の名前を覚えていらっしゃる方も多いでしょう。東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の都として、千年の歴史を刻んだ所なのですね。
イスタンブールという名になったのは、15世紀のオスマン・トルコ帝国の時代。イスタンブールとは、「永遠の都」という意味なんだそうです。
ドイツ経由でイスタンブールに到着し、まず驚いたのは、この街の大きさ。行ってみるまで、ここまで大きな街だとは思ってもみませんでした。
街には、見渡す限り、ビルの群れ。もともと栄えた旧市街を越え、湾を隔てた新市街にまで広がっています。
そして、あちらこちらにイスラム教の壮大なモスクが建ち並び、ニョキニョキと尖塔が空に突き出しています。
おまけに、この暑さ。
摂氏35度は軽く越え、おまけに、湿気がムンムン。湿度は90パーセントを越えているそうな。乾季のカリフォルニアから来た人間には、この湿気はこたえます。
ホテルの部屋にも、こんなお手紙が置いてありました。なにせ今は記録的な暑さなので、日中、部屋のカーテンは閉めさせてもらいますよと。
そんな暑さの中でも、さっそく精力的に観光を決行します。
イスタンブールには名所が多く、見る場所は尽きないのです。まず、筆頭に挙げられるのが、トプカプ宮殿。
オスマン・トルコ帝国の宮殿で、代々スルタン(王)が住んだ場所です。
今でも、当時の財宝が保管され、その一部は、観光客のためにずらっと陳列されています。
色とりどりの絹織物に、宝石をちりばめた玉座。世界各地から献上された財宝に、オスマン・トルコの勢力を感じます。
息を呑むような財宝もさることながら、宮殿の内外を飾る、複雑な文様の「イズニック・タイル」が美しいです。
植物がからまったようなデザインのイズニック・タイルを見ていると、あ~、遠くイスラムの国に来たものだと、実感するのです。
トプカプ宮殿のあとは、近くにあるブルー・モスクへ出向きます。
イスタンブールを代表する、美しいモスクです。
「ブルー」という愛称は、モスクの内壁を彩る青いイズニック・タイルから来ているそうです。
ブルーの装飾のあるドームはとても高く、内部の空間は巨大です。
お祈りのないときは、観光客も中に入ることを許されていますが、この巨大な空間が信者で埋め尽くされるなんて、きっと圧巻でしょうね。
ブルー・モスクの近くには、アヤソフィアというモスクもあります。ビザンティンの頃、キリスト教の「教会」として建てられた後、オスマン・トルコの時代に「モスク」となった大聖堂だそうです。
その、とてつもなく高いドームを持つ聖堂の造りと、内壁を埋め尽くすイスラムの文様に、教会とモスクのブレンドのおもしろさを楽しめます。
ここには、ビザンティン時代のモザイク画など、建築・美術史上貴重なものがたくさんあるそうですが、わたしにとっては、磨り減った大理石の床や、傷ついた手すりに、歴史の重みを感じさせられたのでした。
それほど大きな時空を越え、人々がここに通い続けたのか・・・と。
さて、イスタンブールといえば、やっぱり金銀財宝。緻密に細工が施された、金のアクセサリーや銀の食器は、グランド・バザールでお目にかかれるのです。
ここは、5千もの小さな店がひしめきあう巨大マーケット。15世紀に完成した天井付きのバザールには、ムンムンと熱気が漂っています。
買う方も必死なら、売る方も必死。買うと決めたら、いくらか値切るのが礼儀のようなので、気後れしてはいけません。
迷路のようなグランド・バザール。日本人観光客と見ると、すぐに話しかけてくるのですが、立ち止まって話を聞いてみると、一生懸命に日本語を学ぼうとしている真面目な青年もいるようです。
でも、中には、女の子を誘う文句だけお勉強している輩(やから)もいるようで、女の子同士で歩く場合には、要注意ですね。
さて、そんな盛りだくさんの観光第一日目を終え、橋を渡って新市街にあるホテルへと戻る時間となりました。
そこで、イスタンブール大学の近くで、流しのタクシーを拾います。
ところが、これが間違いのもとでした。このタクシー運転手、とにかく、待つことが大嫌い。渋滞と見ると、たちどころに迂回路に挑戦するのです。
けれども、イスタンブールは、高低差のある迷路のような街。ひとつの丘から、もうひとつの丘へと、それこそジェットコースターに乗っている様な気分です。
しかも、この御仁、車が通れそうにない小路でも平気で突進していく。子供が歩いていようが、お構いなし。そして、露天商が並べる棚にドアミラーをひっかけては、大きな声で毒づく。
橋を渡って、少し離れた新市街に着いた頃には、こちらはちょいと疲れ気味。おまけに、この運転手、ここでいいかと離れた場所に車を止め、ホテルに横付けしてくれません。
メーターはと見ると、21リラ(2千円ほど)。え、行きの料金(12、3リラ)からすると、ちょっと高いんじゃないと思いながらも、連れ合いが20リラ札と1リラコインを差し出します。
すると、このおじさん、こういうしぐさをするのです。「違うよ、あんた1リラ札をくれたけど、20リラ札が必要なんだよ」と。ご丁寧なことに、手には1リラ札を掲げています。
そんなこと言われても、こちらは1リラ札など見たこともありません。「いや、ちゃんと20リラ払ったよ」と、連れ合いがピシャリと言い放ち、タクシーを降りました。横目で見ると、おじさん、バツが悪そうにニヤニヤ笑っています。
ホテルに横付けすると、不正ができないので、ちょっと離れた所に止める。メーターは、止める直前に細工し、値段を吊り上げる。そして、払った金額が違うと文句をつけ、倍の料金を払わせる。どうやら、これが、悪徳タクシーの常套手段のようですね。
世界のあちこちでタクシーに乗ったことはあるけれど、悪徳タクシーに出くわしたのは、生まれて初めて。でも、考えてみると、あちらもお金を稼ぐことに必死なのかもしれませんね。
観光第一日目にして、ちょっと嫌気が差したのは確かですが、そうやって自分を説得しながら、イスタンブールの残りの日々を過ごすことにしたのでした。
幸いなことに、それ以降、悪徳タクシーには一台もお目にかかりませんでした。