Essay エッセイ
2008年11月09日

画伯の絵の具

ちょっと前に、「色」というエッセイを書いてみました。

日本からカリフォルニアに戻ったとき、辺りがあまりに輝いて見えたので、「光が金色!」と思ってしまったお話でした。

その光の色から発展して、日本画の巨匠である故・東山魁夷(ひがしやま・かいい)画伯が書かれた瀬戸内海のエッセイや、フランス印象派の巨匠、クロード・モネ(Claude Monet)の「光」に対するこだわりなどをご紹介したのでした。

そのときの東山画伯のエッセイには、「群青(ぐんじょう)」、「緑青(ろくしょう)」、「白群青(びゃくぐんじょう)」と、いろんな色の名前が出てきておりましたので、今日はちょっと絵の具のお話をいたしましょうか。


わたし自身は日本画の経験がないので、こんなことを書く資格はまったくないのですが、なんでも、群青と緑青というのは、日本画で使われる岩絵の具(いわえのぐ)の中でも、最も重要で華麗なものだそうです。

そういえば、日本画と聞いてまず思い出す色は、「群青色」と親しんできた鮮やかな青い色と、こんもりとした木々の「青々とした緑」、つまり緑青なのかもしれませんね。
 東山画伯は、瀬戸内海を船で航行したときの印象を、「群青と緑青の風景だ」と書かれていたのでした。

こちらは色が薄すぎてあまり良い例ではありませんが、一番下が群青、そして、真ん中が緑青となります。2年間のドイツ留学から戻った画伯にとっては、このふたつの色が、まさに日本を代表する色に思えたのですね。

そして、一番上の色が白群青です。群青をちょっと白っぽく、薄くした色となります。

画伯ご自身は、いくつかのエッセイで青い色について語られているのですが、西洋の絵画では青が「悲哀」や「沈静」を表すのに対し、日本の青である群青や紺青(こんじょう)というのは、むしろ華麗な輝きを持ち、「高く鳴り響く青」なのだそうです。
 とくに金地におかれた場合は豪華であり、桃山時代の障壁画や琳派(りんぱ)の作品には、群青の大胆な使用が装飾的効果を発揮するとも書かれています。

青というと、西洋では寒色系の性質を持っているけれど、日本では、いくぶん温かみを帯びた緑の持つ性格に変化している。でなければ、はつらつとした「青春」を「青い春」とは呼ばないでしょう。

なんでも、群青や紺青という岩絵の具は、孔雀石と呼ぶ酸化銅の美しい鉱石を粉末にしたもので、分子が粗いほど鮮やかな色だそうです。これを細かくすると、薄群青となり、さらに細かくして白群青ができるわけですが、分子の細かい絵の具ほど、穏やかな沈静した色になるということです。

(以上、講談社文芸文庫 『泉に聴く』17〜23ページ「青の世界」を参照)


画伯は、瀬戸内海をこう書いておられました。「海は青かった。しかし、地中海のコバルトやウルトラマリンではなく、白群青や群青という日本画の絵具の色感だった」と。

外国に行くと、「海の色がまったく違うな」と驚くことが多いわけですが、それゆえに、宝石のラピズラズリに見る青(ウルトラマリン)や、さらに青を加えたコバルトブルーという色は、日本人にとってはエキゾチックで、魅了される色なのです。

こんな風に強烈に青いエーゲ海を見ていると、誰もが吸い込まれそうな気分になることでしょう。

それに比べて、日本の海には派手さがなく、落ち着いた、穏やかな、温かみのある色にも思えますね。きっと画伯には、華麗な輝きを放ちながらも穏やかな青を秘める群青と白群青の海が、何よりも安堵感を与える故郷の色に思えたのでしょう。

そんな日本の海は、まさに、日本画の絵の具にはぴったりの色なのです。

と言うよりも、日本の自然を描こうとしたから、独自の絵の具ができ上がったのでしょうけれどね。

たとえば、こちらは、日本画の顔彩(がんさい、絵の具のこと)18色です。この色のコンビネーションが、いかにも日本の自然をうまく表現してくれそうに思えませんか。
 いろんな青に加えて、緑青あり、白緑あり、黄草あり、濃草ありと、緑もずいぶんと充実しているのです。

私たちが小学校で使っていた西洋の水彩絵の具とは、まったく違うトーンと発色ですよね。


こんな風に、日本独自の風土の中で培われてきた日本画ですが、ここで、東山画伯の絵と文章の美しい取り合わせをひとつだけ紹介させていただきたいと思います。

画伯が1968年に描かれた「花明かり」という作品を、その翌年に「円山(まるやま)」というエッセイで描写されています。

花は紺青に暮れた東山を背景に、繚乱(りょうらん)と咲き匂っている。この一株のしだれ桜に、京の春の豪華を聚(あつ)め尽したかのように。
 枝々は数知れぬ淡紅の瓔珞(ようらく)を下げ、地上には一片の落花も無い。
 山の頂が明るむ。月がわずかに覗き出る。丸い大きな月。静かに古代紫の空に浮び上る。
 花はいま月を見上げる。
 月も花を見る。
 桜樹を巡る地上のすべて、ぼんぼりの灯、篝火(かがりび)の焔、人々の雑踏、それらは跡かたもなく消え去って、月と花だけの天地となる。
 これを巡り合わせというのだろうか。
 これをいのちというのだろうか。

自然と親しみ、日本画の真骨頂を体現なさった巨匠には、まさに美しい文章というものを教えていただいたような気がいたします。

(『泉に聴く』147〜148ページ「京洛四季・円山」を引用。最後の文章では、「いのち」の部分に句読点がふられています。作品「花明かり」は、今年3月〜5月に東京国立近代美術館で開かれた『生誕100年・東山魁夷展』のパンフレットを撮影いたしました)

補記:ご参考までに、文中に出てきた「岩絵の具」というのは、日本画で最もよく使われる(プロ用の)絵の具で、鉱物をすりつぶして粉末にしたものです。水には溶けないので、膠(にかわ)を水に溶かしたものを合わせます。(膠というのは、動物の骨の髄から抽出したたんぱく質のことで、これを混ぜることによって絵の具を画面に固定するばかりでなく、発色もよくなるそうです。)

そして、東山画伯が好まれた群青と緑青の岩絵の具ですが、たとえば、画伯が皇居南ロビーに完成した大壁画「朝明けの潮」は、そのほとんどを群青と緑青だけで描かれたものだそうです。波が岩に砕け散る様子を描いた躍動感のある海の壁画ですが、混ぜ方の度合いや、粒子の粗さ・細かさによって複雑な色相を出せるので、二種類の絵の具でも緻密な部分を表現できるそうです。
 不思議なことに、緑青は、焼くと黒味がかってくるそうですが、これに群青を混ぜると、岩の黒い色なども描けるということです(エッセイ「朝明けの潮」より)。

まあ、絵の具を焼くなんて芸当は、自然の鉱物を粉にした岩絵の具だからできることですが、動物の膠を使うとか、絵の具を焼いてみるとか、日本画はとにかく奥が深いものなのですね。
 それに比べて、写真にあった18色の顔彩セットは、初心者用に作られたもので、簡単に水で溶かせるようになっています。でなければ、初心者にはとても扱えるものではありません。

それから、海の写真ですが、一枚目はエーゲ海に浮かぶサントリーニ島からの眺め、そして二枚目は、和歌山県南紀白浜の海です。


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