Essay エッセイ
2009年12月09日

お兄ちゃん、お姉ちゃん

わたしには、2つ違いの姉がいます。

歳がそんなに離れていないせいか、子供の頃はよくけんかもしました。まあ、兄弟姉妹はけんかをして育つものと相場は決まっていますけれど、もしかすると、性格的にかなり違うこともあったのかもしれません。

けれども、わたしが高校生の頃から姉は離れて暮らすようになり、もう会う機会もあまりなくなってしまいました。今では、かれこれ四半世紀もヨーロッパに住んでいるので、なおさら会うこともなくなりました。だから、仲良く(?)けんかをするチャンスもありません。

やっぱりアメリカの西海岸からすると、ヨーロッパは日本以上に遠い所なのです。だって、東に向かってアメリカ大陸を超え、さらに大西洋を越えなければなりませんからね。

一度、姉の住むスイスに遊びに行ったことがありました。ヨーロッパが異常気象に見舞われ、スイス全体が融けてしまいそうな暑い夏でした。
 あまり長居はできませんでしたけれど、少なくとも、姉が長年住んでいる街の雰囲気に触れることはできました。
 そうか、話で聞いていたよりも山間(やまあい)の起伏のある風景だなとか、近くにあるバーゼルの街は、思っていたよりも都会だなとか、物珍しさと同時に、長い間ここで暮らす姉に尊敬の念すら感じたのでした。

アメリカに慣れっこになっているわたしにとっては、ヨーロッパは何もかもが珍しいのです。だから、よくもまあ、こんなに様子の違う所で、ちゃんと生きてきてものだなぁと、身内のことながら感心してしまうのです。


いつか、大人になって久しぶりに再会したとき、姉からこう言われたことがありました。

子供の頃に、あなたから言われてがっかりしたことがあると。

なんでも、子供のわたしが、「お姉ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんの方が良かった!」と、声高に宣言したのだそうです。

そう言われてみれば、おぼろげに覚えてもいるのですが、きっとけんかか何かの最中に、悔しまぎれに意地悪を言ってみたのでしょう。

どういう心理でそんなことになったのか、今となってはよくわかりません。けれども、何となくお兄ちゃんだったら、妹のことを暖かく見守ってくれるんじゃないかと、そう思ったのかもしれません。
 きっとお姉ちゃんよりも、お兄ちゃんの方が妹思いなんじゃないか。お兄ちゃんだったら、こんなにけんかをすることもないんじゃないかと。

お兄ちゃんのいないわたしには、それは単なる想像でしかありません。けれども、子供のわたしにとっては、ちょっと楽しい空想だったのかもしれません。
 そして、本当にお姉ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんだったら、もうちょっと「おてんば」に育っていたのかもしれません。

けれども、「お兄ちゃんの方が良かった!」なんて言われた方は、それは、それは、がっくりときたことでしょう。だから、大人になっても、いつまでも忘れられなかったのでしょう・・・。

今となっては遅過ぎますけれども、あの言葉は撤回させていただきたいです。


そんな風に、姉と二人で育ったわたしですが、不思議なことに、よく弟がいるのかと尋ねられることがあるのです。

そういえば、年下の男のコから弟のようになつかれることもあったなぁと、なつかしく思い当たることもあるのです。べつに何かしてあげた覚えはないけれど、話をよく聞いてあげたので、それがお姉ちゃんみたいに頼もしく思えたのかもしれません。

そして、今は、正真正銘、(義理の)弟が二人います。弟と言っても、一人は同い年なので、あんまりこちらは威張れませんけれど。

その同い年の弟が結婚したときには、(義理の)妹もできました。妹は日本にいるものの、東京からはちょっと離れているので、ひんぱんに会うことはできません。けれども、二、三年に一度は会うこともありますし、近頃は、ときどきメールのやり取りもしています。

そして、思ったのですが、やっぱり妹っていいですね。

子供の頃は、姉がいるせいか、どちらかと言うと「甘えん坊」で育った傾向がありますけれど、ここまで大人になると甘えてばかりはいられないので、少しは面倒見も良くなってくるのです。すると、義理でも何でも、妹ってかわいいなぁと実感するのです。

まあ、あちら様は「かわいい」なんて言われたら心外かもしれませんので、おとなしく心のうちに留めておくことにいたしましょうか。


こんな風に、生まれたときにお兄ちゃんやお姉ちゃんがいなくても、結婚をきっかけにひょこっと兄弟姉妹ができることがありますよね。

けれども、そればかりではなくて、アメリカでは、コミュニティーの中で「お兄ちゃん・お姉ちゃん的な存在」が生まれることがあるのです。
 英語では、Big brother(お兄ちゃん)とか Big sister(お姉ちゃん)、それから Mentor(メンター、良き助言者)とか言われることが多いでしょうか。

やはりティーンエージャーの頃や、若いうちには、何かと思い悩むこともたくさん出てきます。悩んだ末にもまだまだ進むべき道が見えなくって、やみくもに間違った方向に突っ走ることもあります。

そんなとき、血のつながりもないお兄ちゃんやお姉ちゃんたちが、一緒に遊んでくれたり、やんわりとアドバイスをしてくれたりしたら、何かの助けになることもあるでしょう。

家族だったら相談しにくいようなことでも、ちょっと離れた人になら相談できることもありますよね。それに、アメリカの場合、両親がいたとしても、しかたなく里親に育てられることもあります。お兄ちゃんやお姉ちゃんがいたとしても、18歳になったら家を出て行って、すぐそばにいないことも多いです。
 そういうときに、誰かが親身になって悩みを聞いてあげたり、自分の貴重な体験をざっくばらんに話してくれたりすると、目の前がパッと明るくなって、道がすっきりと見えてくる子供たちもたくさんいるのです。

たとえば、アメリカには、Big Brothers Big Sisters of America(アメリカのビッグブラザー、ビッグシスター)という全米の組織があって、ボランティアによる地道な活動のおかげで、学校をずる休みする生徒が減ったり、麻薬やお酒に走るティーンエージャーが減ったりと、確固たる成果が出ているそうなのです。

それに、やっぱり人間は社会に生きる動物ですので、ちょっと年齢の違う人たちとも近しく触れ合い、いろんな物の見方を教えてもらうのも、子供たちにはとっても大切な栄養素になるのだと思います。

いつも同じ視点から物を見ていたんじゃ、大きなことは考えられませんし、世の中がどれほど大きなものなのか、なかなか感じることもできませんしね。


そんなこんなで、アメリカでは、スポーツ選手や俳優のような有名人から、普通の大人や学生まで、いろんな人が「お兄ちゃん、お姉ちゃん」になってあげているのです。

つい先日も、こんな記事が載っていました。アメリカンフットボールのプロチーム、サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)の現役選手が、高校の「問題児」たちの前でお話をしてあげたと。

荒くれの多い街に育った自分は、高校生の頃は、教室の後ろでいつも先生に悪態をつくような生徒だった。でも、あるとき停学処分を受けたとき、母親に叱られたことよりも、彼女の顔に浮かぶ絶望の色にあせりを感じてしまった。これは、自分で何とかしないといけないんだって。だって二人のお兄ちゃんは、両方とも銃で撃たれて短い命を絶っていたから。これ以上、母親を悲しませることはできないんだって。

それからは一念発起して、教室の真ん前に座って先生の言うことを聞くようになって、高校も卒業したし、大学にも奨学金で進んだ。プロのスポーツ選手にもなった。高校を卒業したのなんて、家族の中で僕が初めてだったんだよ。
 だから、僕は、みんなにこう言いたい。自分の意志さえあれば、何だってできる。ただトライしてみるだけでいい。
 それから、先生の言うことはしっかりと聞くべきだよ。だって、先生たちは君たちを助けるためにいるんだから。

おもしろいことに、この方は、お話をこういう風に結んだそうです。母と、そして神にはとても感謝している。けれども、自分自身にも感謝している。
 なぜなら、自分で自分の行くべき道を選んだのだから。自分で自分を変えられたんだから(Nobody changed me but me)と。


こんな風に、アメリカでは、勇気をもらえる話を聞きたがる人はたくさんいますし、心が強くなるような話を聞く機会もたくさんあります。
 そればかりではなくて、人生をいかに生きるべきかを指南してくれる「ライフコーチ(life coach)」なる不思議な職業もあるくらいです。そうなんです、お金を払って、助言してくれるプロがいるんです。

それくらい、みなさんアドバイスに飢えているということなのでしょう。この複雑な人の世を生き抜くために。

けれども、どんな国に暮らしていても、誰かしら助言してくれる人とか、目標にすべき人(role model)がいれば、それはそれでとても幸せなことなのかもしれません。自分の道がすっきりと見えてくるはずですから。

そして、そんなお兄ちゃん、お姉ちゃんだったら、自分もちょっとなってみたいかなと、ふと思ったのでした。

追記: アメリカでは、こんな言葉を聞くこともありますね。
 If I can do it, so can you. (もしわたしにできるんだったら、あなたにだってできる)

この言葉には、「誰かにやれて、あなたにやれないことはない。だから、あきらめないで!」という含みがあるのです。アメリカ人って、そう言われると、俄然がんばれる国民なのでしょうね。

アメリカ人には、存外素直なところがありますので、上に出てきた「ライフコーチ(人生の指南役)」だけではなくって、「人にモーチベーション(刺激)を与える話し手(motivational speaker)」という職業も立派に成り立っているのです。
 日本で言うと、どうやったら自分でできるようになるかを説明する「How to(ハウツー)ものの本」みたいなものでしょうか。アメリカ人って、スピーチがお上手な方が多いですから、すっかり聞き手をその気にさせてしまうのです。

まあ、「豚もおだてりゃ木に登る」みたいな感じはありますけれど、おだてられて、いい気になって、ちゃんと木に登れるようになれば、それはそれで幸せというものでしょうか。


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