軍靴
これは、「ぐんか」と読みます。ご説明するまでもなく、軍人が履く靴のことですね。
でも、これを「ぐんぐつ」と読んだ方がいらっしゃいました。
日本の方で、それももう還暦を過ぎたようなおじさま。
「え、あんなおじさまでも、戦争のことを知らないんだ」とも思ったのですが、よく考えてみると、それだって理解できるのです。だって、戦争が終わって、もう65年ですからね。
もしかすると、このおじさまだって、立派に「戦後生まれ」なのかもしれません。
それで、どうして軍靴の話をしているのかというと、おじさまの「ぐんぐつ」を耳にして、ふと思い出したことがあったからです。
それは、シリコンバレーに住む韓国系アメリカ人のお話でした。
ご存じのように、韓国には日本に統治されていた時代がありまして、その間、現地の学校では日本語で授業が行われていました。それは、中国や台湾でもそうでしたね。
(韓国が日本に統治されていたのは、1910年の日韓併合条約から1945年の第二次世界大戦終結まで。今の大韓民国は1948年に建国されています。)
ということは、ある年齢以上の韓国や中国や台湾の方は、子供の頃に学校で習った日本語をちょっとは覚えていらっしゃるのです。中には、その後日本に留学したりして、とても流暢な日本語を話す方もいらっしゃいます。
わたしが出会った韓国系の方も、かたことの日本語を覚えていらっしゃいました。そして、この方に会うたびに、「この単語は日本語で何というのか」と、よく質問攻めにあいました。
今となっては、英語が一番お得意のようですが、昔の記憶をたぐり寄せてみたいと思われたのでしょう。
あるとき、この方がとつとつと語り始めました。
ふと、小学校の頃の先生の名前を思い出したよと。
この先生は、日本から来た年配の女性の先生だったんだけど、それは、それは厳しくて、相手が子供だろうが何だろうが、ものすごく厳しく叱りつけるんだ。
不思議なことに、彼女は、いつも長靴を履いてるんだよ。そう、雨の日も、晴れの日も関係なくね。
そして、長靴のかかとには、分厚い金属が取り付けてあるんだ。どうしてだかわかるかい?
生徒たちが自分の言うことをきかないと、長靴を脱いで、金属のかかとで殴るのさ。子供だって何だって、そりゃ容赦なかったよ。わざわざ金属の部分で、子供の顔を右から左へと殴打するんだ。
そんなもんで殴られたらたまらないだろ。だから、先生が怖いからって、言うことをきくようになるんだよ。
ほんとに彼女は、意地悪な人だったね(She was such a mean lady)。
今の世からすると、まさにホラーストーリーとしか言いようのない話ではありますが、わたしは、この話をしていただいたことをありがたいと思ったのでした。
なぜって、今でもこの方がわだかまりを感じていることは否めないでしょうけれど、少なくとも、日本人に向かって辛い体験談をできるまでになっている、という証拠だから。痛みが生々しいと、話などできるものではないでしょう。
それにしても、戦争というものは、まさに狂気としか言いようのないものですね。先生が好んで長靴で子供を殴るとは・・・。
けれども、この先生にしたって、彼女なりの論理があったのかもしれません。自分は「属国」の子供たちを日本流に叩き直さなければ、という彼女なりの使命感が。
だからこそ、それが狂気そのものではあるのですが・・・。
先日、ある方にこのお話をしてみました。韓国で育った方が、小学校で教わった日本人の先生が厳しくて、トラウマが残っていると。
こちらの方は、シリコンバレーに住む中国系アメリカ人なのですが、すぐにこう返してくれました。
自分の母は、中国の大連で育ったのだけれど、よく母から「わたしの小学校の先生はとても優しかった」と聞いていると。
こちらの小学校の先生も、やはり日本人女性だったのですが、それは、それは、よく母親の面倒を看てくれたと言うのです。
母親の両親は貧乏だったので、食べる物もろくになかった。だから、よく先生が家に呼んでくれて食べさせてもらったものだった。そして、「そろそろ伸びたから切りましょうね」と言っては、髪の毛もきちんと整えてくれていたと。
そんな優しい先生だったから、母親は、日本人に対しては良い印象を持っている、とも付け加えてくれました。
とすると、世の中はまさに人次第。
「中国にだって、良い人もいれば、悪い人もいるのよ」と、この方だっておっしゃっていましたが、まさに、その通りなのでしょう。良い人がいて、悪い人がいて、そうやって社会が成り立っている。
そして、それは戦時下であろうと、平和な時であろうと、まったく変わりのないことなのでしょう。
けれども、「ぐんか」を「ぐんぐつ」と読む人がいるくらい、平和な時期が続いた方がいいに決まってますよね。
だって、争い事が起きると、人は余裕がなくなって、もっと意地悪になりますから。そして、その意地悪になったひとりひとりが、社会にポツッと生まれた「狂気」を支えながら、みんなで間違った方向に進んでしまうのですから。
近頃は、あの韓国系の方にはお会いしなくなりましたが、彼の辛い思い出が少しは癒えていればいいなぁと思ったのでした。